2019/9/6
2019/8/26
2019/3/16
2019/07/30
今回訪ねた主な遺跡やキャンプ場等
福島県 | 慧日寺 | 会津地方の仏教寺院 |
山形県 | 慈恩寺 | 寒河江市寺院 |
西の前遺跡 | 舟形町: 国宝土偶「縄文の女神」出土地 | |
封人の家 | 最上町:芭蕉が鳴子の「尿前の関」を出て、2泊した家が現存している | |
おらだの川キャンプ場 | 最上町:小国川河川敷 | |
秋田県 | 大湯環状列石遺跡 | 鹿角市:米代川の河岸段丘紀元前2000〜紀元前1500の環状列石遺跡 |
伊勢堂岱遺跡 | 北秋田市:米代川の河岸段丘紀元前2000〜紀元前1700の環状列石遺跡 | |
払田柵跡 | 大仙市:平安時代初めごろの大和政権の城柵 | |
鶴の湯 | 仙北市*乳頭温泉郷 | |
玉川温泉 | 仙北市:ラジューム岩盤浴で癌の療養者多数 | |
白瀬南極探検隊記念館 | にかほ市:明治末期白瀬のぶ(直を3個ピラミツド状に重ねる)の南極大陸探検の館 | |
大潟村干拓博物館 | 大潟村:八郎潟埋め立て事業関連資料 | |
横沢公園キャンプ場 | 大仙市 | |
玉川ダム公園キャンプ場 | 仙北市 | |
きみまち阪キャンプ場 | 能代市:熊出没情報のため急遽米代川河川敷公園にてキャンプ | |
南の池キャンプ場 | 大潟村 | |
飛びのくずれキャンプ場 | にかほ市:象潟・鳥海山のベースキャンプ | |
青森県 | 小牧野遺跡 | 青森市:紀元前2000頃の環状列石遺跡 |
大森勝山遺跡 | 弘前市:岩木山北東麓の紀元前1000頃の環状列石遺跡 | |
三内丸山遺跡 | 青森市:我が国を代表する大規模集落遺跡紀元前3900〜紀元前2200 | |
太平山元遺跡 | 外ヶ浜町:縄文時代草創期初頭紀元前13000頃の遺跡(日本最古の土器) | |
亀ヶ岡石器時代遺跡 | つがる市:縄文時代晩期紀元前1000〜紀元前300低湿地集落遺跡 | |
岩木山桜林公園キャンプ場 | 弘前市 | |
芦野公園オートキャンプ場 | 五所川原市 | |
その他 | 道の駅、各地郷土資料館等 |
出立
8月2日に家を出た。
まずは福島県の山間の温泉。激暑で減退した体力回復です。静かな温泉地で湯に浸かり気力体力の醸成に。
慧日寺
8月5日午後4時30分過ぎ到着したために、寺内の見学は出来ない不手際で外回りだけの見学で我慢する。
平安時代初期に仏教の布教に徳一坊が尽力した会津地方には国宝や重文が沢山ある。慧日寺はその中心的寺院だ。戦国時代の戦火で焼失したり、江戸時代の火事で焼失したり、明治初めの廃仏毀釈などで失われた施設を近年復元工事が続けられている。
復元された金堂や中門は平城京のそれに似た建物です。
慈恩寺
山形県寒河江市の古刹を訪ねた。その名は慈恩寺。http://www.honzan-jionji.jp/
慈恩寺概要(寒河江市HPより)
鳥羽天皇の御願寺(ごがんじ)と伝えられる東北地方を代表する寺院境内地で、江戸時代には3ヵ院48坊からなっていた。
江戸時代に復興した堂社と、院坊の屋敷地のたたずまいは、その背後を取り巻く城館群や旧境内地の北端近くに存在する慈恩寺修験の行場とともに、旧境内の様相を良好にとどめている。
我が国の仏教信仰の在り方を知るうえで、極めて重要である。
8月6日の昼前に到着したのですが、激暑で広い境内を廻るのには不向きな陽気。
山門から本堂の辺りを眺め失礼してしまった。寺内には国重要文化財や県、市のそれらが沢山有るとHPには載っている。
半端ない暑さ。そのため中途半端な時間になってしまったが、舟形町方面に車を進める。
先ずは今日の宿とする最上町のおらだの川キャンプ場に向かいました。R13号で北上。道の駅で休憩をとり、今夜からの食材も見繕いロードマップ片手に走りました。
おらだの川キャンプ場
小国川河畔のキャンプ場を一見して隣の施設の温泉りんどうに行き使用届をする。
温泉は360円でした。随分昔のドル・円の交換レートを思い出しました。
キャンプ場は広く、トイレは水洗で、水場兼炊事場は夜間照明もあり奇麗な施設です。
このキャンプ場には3泊しました。
封人の家
此処のキャンプ場をベースに奥の細道で芭蕉が「蚤シラミ馬が尿(バリ)する枕元」の句で有名な封人の家を訪ねました。
真夏で暑いせいか見学者も少なく、かつての名主兼国境守の農家の資料館をゆっくり見学しました。
私の見学姿がここの管理者の目に着いたのか「お客さん、囲炉裏で少し話をしませんか?」ということで、火の気のない囲炉裏端の円座に座り昼になるまでいろいろな話を伺う事が出来ました。最後に芭蕉も歩いた昔の街道「出羽街道中山越え」を是非歩いてくださいというお誘いも受けた次第です。
尿前の関〜県境まで8,9km3時間30分コースだという事です。
秋の一日芭蕉になって歩くのも楽しいでしょう。
* 句の尿(バリ)は、私は学校でシトと教わりました。学会でもシトとバリで長い間論が分かれていたと聞きました。それが阪神淡路大震災の時「中尾本」というのが出て来て、それにバリとルビがふってあったのでバリに決着したそうです。封人の家の案内板にはバリとルビがしてありましたが、館内のビデオでは修正前のシトでした。
囲炉裏端で管理人さんから、この事を教わりました。(人のはシトで馬のはバリというそうです)。なお、まだ確認していませんが「中尾本」というのは大阪市心斎橋筋にある江戸時代からの古書店で、震災の際汚れた古書を整理していて発見されたのかもしれません。御存じの方はご一報ください。
縄文の女神
舟形町歴史民俗資料館はこじんまりした施設である。
此処はこの女神のレプリカとその発掘で出土した遺物だけを展示している館です(本物は県立博物館に展示してある)。民族資料は別館の農家を移築した方にありました。
開館が10時なので周辺を散策し時間調整。
10時に行くと私一人の見学者。此処は冷房設備は無く、扇風機が1台置いてあるだけ。この日は殊の外暑い日で、汗だくになって見学1時間。もう汗でびっしょりである。
国宝は素晴らしい土偶。現代の芸術家、陶芸家でもこの姿を作り出すのは至難の業であろう。顔に目鼻は無く全体のデフォルメも垢抜けしている。
形は崩さず、しかも余計な表現は無し。若い娘が手拭いで姉さん被りをして、遠くの青山を見つめる美人のパンタロン姿をイメージできるすっきりした肢体。これが本当に数千年前の縄文人の美意識でしょうか??
この時代にこの様なズボン(パンツ)が既に有ったのでしょうか?? ねぇ??
植物繊維は腐食してしまうので、遺跡から衣類が出土することは極めて珍しいと聞きます。柄は規則正しい横縞模様。
これを腰蓑つけた縄文時代の陶工?が創造した人形なのか。すばらしい!!の一語に尽きます。
他所の土偶と比較するわけではありませんが、お腹が大きいとか、子宝を願うというのとはかけ離れた発想です。
俗にいう所の土偶的発想の使われ方ではなく、特別の目的で作られたのでしょうか?
専門家の研究成果を待ちましょう。
おらだの川キャンプ場(雷雨対策のシートフライ) | 封人の家に立つ芭蕉一行 | パンタロン姿の「 縄文の女神」 |
払田の柵跡
東北の歴史を勉強すると「〇〇柵」というのが良く出て来ます。城柵というのは大和政権が東北を覇権(進出)する際に作った拠点です。
有名なのは胆沢城とか志波城などいろいろあります。
大仙市のHPが改正されましたので、ウィキペディアを参照願います(払田柵遺跡)
「大仙市の以前のHPより転写」
払田柵跡(ほったのさくあと)は、平安時代の初めころ(約1,200年前)、律令国家がこの地方の統一を進めるために造った、政治的・軍事的拠点として、また儀式の場としての役割を持っていたと考えられています。
昭和6年(1931)に、秋田県内では初めて国史跡に指定されました。
外柵(がいさく)と呼ばれる、角材(高さ3.6m、縦・横30cm)を並べた材木塀は総延長約3.6km、遺跡の総面積は約87.8haにもなる広大な遺跡です。 創建に使われた角材は、年輪の研究から延暦20年(801)ころの伐採と判明し、この遺跡はほぼその頃に創建されたものと考えられています。 歴史書や古文書になどに関連記事がないことから、歴史上の名称が未だ解明されておらず、河辺府説や雄勝城説など様々な説が考えられています。まだまだ多くの謎を秘めた遺跡なのです。 現在、遺跡の復元を含む環境整備を大仙市が、発掘調査については秋田県教育庁払田柵跡調査事務所が主体となり実施しています。
今まで書物や資料で柵という言葉から、ある拠点を柵という垣根で囲んだ施設と理解していました。
今回見てびっくりしたのは柵は1尺角の角材を使用した刑務所の塀の様なイメージです。
よくもこんな柵で広大な施設用地を囲んだものです。
言い換えれば蝦夷(エミシ)の力が強くて、この様な柵で守らなければ大和朝廷人は住めなかったのでしょう。発掘で腐らなかった柵材が出土しているのです。
横沢公園(大仙市)
横沢公園のキャンプ場を使用承諾を受けるために行った管理所で、「キャンプ場とは言わないが、皆さんが勝手にキャンプをしています」と管理所の所長さんが申していました。
施設は整っていて気持ちの良いキャンプ場でした。
玉川ダムキャンプ場(仙北市)
鶴の湯
乳頭温泉の鶴の湯に浸かる。この日は朝から時雨模様。雷付である。名前は良く聞く鶴の湯。
勝手が分からないまま受付。受付で風呂の説明を受けて、小さな沢の橋を渡り左に曲がり湯小屋に入ると其処は女湯?で一斉にブーイング。
慌てて出て右側に行く。小屋に入り正面の板戸に「女湯」の看板。仕方なくその小屋を出て露天風呂の脱衣場(小学校の下駄箱風)で衣類を脱ぎ、白濁くした露天風呂へ入る。
傍の小父さんに話しかけるが話が通じない風。良く見るとその様な一団ばかり。韓国風の一団だ。若い女子もスッポンポンで平気な顔。
日本では考えられない入浴風景。虻がぶんぶん。私は自分に止まるのを待ってパチリ。一撃で撃退。彼らは虻に大騒ぎしている。
こんな鶴の湯でした。
《帰宅後の考え:鶴の湯で最初に入った女風呂?これは韓国からの団体者のうち女性達が集団で男湯を独占したのではないか?と思います。受付で場所を聞いて入ったので間違いは無いはず。韓国集団が女湯が一杯だったので。集団力で男湯に入っていたのだろう?との考えに達したのです。》
キャンプ場
風呂を入ってから今夜の宿の玉川ダム下流のキャンプ場へ。
広い河川敷というかダム公園の芝地にテントを張る。相変わらず時雨が襲来する。
今夜は2組のテント。ところが相方は夕方車で出て行き朝まで帰らずじまい。結局私だけのキャンプでした。
玉川温泉
ダムキャンプ場に2泊して移動。
朝一で聞きしに勝る玉川温泉へ。
温泉入口で100円の駐車代を払い「いざ」。
温泉の事は聞いてはいたが初めてだ。知人の山仲間に電話をしてマナーをお聞きする。「ゴザを持って、普通に行動するよう。ことさら健康人らしく振舞ってはいけない。皆さんは重篤な病気を抱え療養しているのだから」を教わりその事を心して行動した。
幸いキャンプで使用するビニール製のゴザが有ったので、それを抱えて恐る恐るメイン・ストリートをそぞろ歩き。
進んでいくと河原は大涌谷のように煙がモクモク、河は煮えたぎっている(大噴(オオブケ)98°C、ph1,2.まるで硫酸の湯川だ。
砂地の様なところから湯気が上がっている。更に進むと背の低い小屋のような、箱のような施設が複数個ある。中に数人がごろ寝(ラジューム鉱泉で療養)
折しも雷付の大粒の雨。たまらずその小屋へお邪魔する。
挨拶をしてご老人の横にゴザを敷き横になる。とても温かい。隣の人がいろいろ話しかけてくる。知人の教えを守り、無駄口は話さない私。
話の具合から静岡県にある某有名大学の先生上がりか? 専ら聞き役に専念。
此処では雨止みを待って1時間くらい療養?をする。汗びっしょりである。先生曰く「この熱さを我慢しなければガンは治らない!!」
お礼を言って退散す。
* 療養の様子の一部を写真に撮りましたが、写真は載せません。
八幡平は濃霧の中
八幡平は今まで行ったことが無かった。ハチマキさんから聞いていた八幡平のネマガリダケ。彼は毎年熊との遭遇を心配しながらタケノコ採りをしている。私はタケノコの親を見たいために八幡平アスピーテラインを上った。
途中で後生掛温泉に立ち寄り鋳物製の小さな熊鈴をゲット。ここは湯治客のような人達で賑わっている。ミニキリタンポなる物を試食する。
大深温泉の看板を探しながら急な坂道を上る。が、看板が分からない。濃霧でセンターラインがかろうじて見える程度。とうとう頂上の駐車場まで登ってしまった。駐車場の入り口でUターンして降る。途中に休憩所の様なところがあり、車を止める。左斜面を見ると「大深温泉」の看板。
坂道を上ってくるときには気が付かなかったが、降る時には角度が良く発見できました。大深温泉の取り付け道を下ると宿はありました。駐車場には車が1台だけ。温泉には寄らずに引き返しました。
このラインの途中に国土交通省の小さな施設が有り、そこに車を停めてネマガリダケの藪を調査しました。秋になれば良い竹が採れそうです。
不老不死温泉(日本海は波高し) |
大湯環状列石遺跡
下山後昼食を摂り大湯環状列石遺跡に行く。
ウィキペディアに解説が有ります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B9%AF%E7%92%B0%E7%8A%B6%E5%88%97%E7%9F%B3
国道282号に遺跡の案内看板を見つけ、県道66号を進み遺跡に到着。
ストーンサークルは教科書で、イギリスにある巨大石造遺跡だと学んだ。中学か高校の頃に、日本にもそれが有るというニュースを聞いた記憶があった。それがこの大湯環状列石遺跡だったのだろうか。
記憶では墓だとか天文観測所だとかと聞いた記憶。
この遺跡でもそのように解説してある。
詳しくはウィキペディアや
鹿角市HPhttps://www.city.kazuno.akita.jp/soshiki/shogaigakushu/oyustonecirclekan/gyomu/1/1/1/2280.htmlをご覧ください。
この後いくつかの環状列石遺跡を見学しました。
・伊勢堂岱遺跡(秋田県北秋田市)https://www.city.kitaakita.akita.jp/isedotai/museum/index.html
中学生のボランティアガイドに案内され資料館、現地案内を受け楽しい時間を過ごしました。
中学生も一生懸命勉強していて、大汗を流しながら説明していただきました。
・小牧野遺跡(青森市)http://komakinosite.jp/index.php
・大森勝山遺跡(弘前市) http://www.city.hirosaki.aomori.jp/gaiyou/bunkazai/kuni/kuni33.html
縄文時代は1万数千年前から3千年前頃まで栄えたという。
世界四大文明ということを中学生の頃に教わった。
日本は地球上の片田舎で、腰蓑を着けた人々が穴倉などに住んで狩猟採集生活であったとも学んだ。
今、考古学会ではそれの見直しの意見が数多くある。全国で色々な理由で地中を発掘して、遺跡が沢山出土しているからです。
北海道から九州沖縄までいたる所から貴重な遺跡が発掘されているのです。
大平山元遺跡
青森県外ヶ浜町に大平山元遺跡というのがあります。
此処では今のところ日本で一番古い土器が発掘されたのです。
ウィキペディア(Wikipedia)から引用させていただきましょう。
簡潔に紹介されています。
1998年の民家の建て替え工事に伴い、旧蟹田町教育委員会が行った発掘調査によって発掘された土器には、世界で最も古い土器である[1]とされるものがある。 縄文土器に付着した炭化物のAMS法による放射性炭素年代測定法[2]の算定で16,500年前(暦年較正年代法による)とされる。 また、石鏃も世界でもっとも古いもので、これは世界で最も古い弓矢の使用を示す。
外ヶ浜町山元地区にはI〜IV遺跡、墓地公園遺跡などいくつもの縄文遺跡が発見されているが、このうち本遺跡は縄文時代草創期のものである。 これらから出土した石器や土器は、大山小学校の跡の大山ふるさと資料館に保存されて自由に見学ができるようになっている。
大平山元I遺跡からは石斧や石核、石鏃などの石器も発掘されている。ほとんどの石器の材料は地元の川から採れる頁岩からできているが、中には青森県鰺ヶ沢町から運ばれてきた黒曜石からできている石器もある。
土器はすべて小破片で形の分かるものはないが、文様はなく平らで角張った底の土器である。土器の内側には炭化物が付着しており、食料の煮炊きに使ったものであることが分かる。 これは世界でもっとも古い煮炊きの後と言えるだろう。
現在は民家と民家の間に挟まれた狭い空き地にある。田の近くにあるため、縄文時代には湿地帯のすぐ近くの小高い場所だったとされる。
大山ふるさと資料館は8月15日に見学した。
月遅れのお盆のせいか、館員が一人でした。他に見学者もいなくてゆっくり見る事が出来ました。といっても建物も小さく、資料も多くなく、1時間ほどですべて見る事が出来ました。土器片はとても小さくて、この欠片から16,500年前の土器だという事が解明された事にも驚かされました。
「まるごと青森」さんのHPには資料館で見学しているかのように、詳しく紹介されていますので是非ご覧ください。
[まるごと青森さんのHP] http://www.marugotoaomori.jp/blog/2019/05/20739.html
大平山元遺跡の資料数は少なく、いわゆる見栄映えはしないのですが、その資料が物語る16,500年の歴史が素晴らしい!!!
特に土器片は将棋の駒位のものですので、見てびっくりです。
この小さな資料館では他の見学者に急がされる心配が無く、じっくりゆっくり拝見出来る幸福感、充足感いっぱいなのです。
おそらく再来年に世界遺産の一つに登録されると、今の様には見れないかもしれません。(北東北、北海道の縄文遺跡を世界遺産登録運動中)
* 三内丸山遺跡を除いた他の遺跡も同様です。今のうちならゆっくり見学できます。
この日午前中は三内丸山遺跡を開館時間前に行き、列に並んで入館しました。
流石に超有名な遺跡と夏休み、お盆のせいか長蛇の列でした。久し振りにこの遺跡を訪ね、施設の整備が進んだこととガイドの名案内で、大変勉強になりました。
其処と比較するわけではありませんが、大山ふるさと館は見学者は私一人で存分に見させていただきました。
隣室は当地の民俗資料の展示室。
民俗資料室の竹製品
何を入れるのでしょうか?青森リンゴかな | 割と浅いザル | 同左のアップ(揃った素晴らしい目) |
農業や漁業の資料が展示してある一般的な資料室です。
その中で私が注目したのはチシマザサ(ネマガリダケ)で編んだザルやカゴです。
編み目の素晴らしい物ばかりです。私も少々竹細工を習っていますが、ネマガリダケでこの様な笊は未だ編めません。
帰宅後写真を手掛かりに学んでいます。(真似ています)
昨年は北海道をゆっくり車旅。
今年も東北地方をゆっくり移動したい。
昨年と同じように資料館、博物館をメインに、肴も自給自足。それに山も登ろう。
山形県に足繁く通っているのに小国町や高畠町、米沢市を除くと博物館などをほとんど見学していないことに気が付いた。
土偶の国宝は5体あります。そのうちの2体は山形県、青森県から発掘されました。
昨年は青森県八戸市の「合掌土偶」を見学しました。
今年は山形県舟形町の「縄文の女神」を見学したいと考えています。
その他東北地方には「環状列石」遺跡や縄文時代の遺跡が幾つもあります。
それらを中心にして、その他にも神社仏閣も見学したい。東北地方は大和政権や中世の政権と関わる蝦夷との事蹟も数多いと聞く。
宿はキャンプが中心
東北各県にも、お得なキャンプ場がいくつもあるようです。
資料館、博物館の位置とベースにするキャンプ場を調べています。
近年は温泉や日帰り温泉も各所に増えているので、時間を気にしない今回の旅では不自由はしないでしょう。
テントも大型のを組み立て、その中にネグラにするインナーテント。のスタイルが虻や蚊の吸血虫に悩まされずに済むので大変快適。
又グランドシートを敷くのがテントの設営方法ですが、私は木製スノコを畳のように敷いています。これだと地面の湿気も気にならず、雨が降っても水浸しの心配もありません。
ただこの設備では、設営の労力・時間などを考えると少なくとも2泊以上は留まりたい。1泊位の時は、インナーテントにしているテントをスノコの上に設営しています。(普通のテント泊)
昨年は1週間近くを同じキャンプ場でお世話になった事例もあります。この際は二重のテントで、吸血中の侵入も無く快適でした。
2019/7/30
スケジュールを決める
二・三日中内には出発予定。
取りあえず、山形県舟形町の西の前遺跡を皮切りに北上します。
秋田県では伊勢堂岱遺跡、大湯環状列石遺跡。
青森県は大森勝山遺跡、小牧野遺跡、大平山元遺跡、その他。
岩手県は昨年見学したので、今年は日本海側を南下する予定です。
縄文遺跡の他各地に残る神社仏閣も何カ所か入れています。
疲れれば温泉に浸かり、ゆっくり静養もしようと。
八幡平山麓ではネマガリダケ生息状況も視野に入れています。
それに岩木山や岩手山などのハイキングもと欲張りスケジュールです。
更に八月初旬は東北の夏まつりシーズン。スケジュールの遭った所で見学します。
花笠踊りやねぶた祭りなどが候補。
小学生の遠足前夜という心境です。