2011/4/10
片側2車線の道路にコンテナが…右は公共ふ頭 | 道路が崩壊して車が… |
地震
2011/3/11の午後、庭で明日の土曜日に実施する、仲間の退職記念会の準備をしていると、ズッシーンと鈍い音。それに続いてグラグラと大地が揺れる。
大きな地震だ。女房は家の中から庭に這い出てくる。私は「上(屋根)に気をつけろ!!!」と叫ぶ。
庭が波打っている。地割れの線が幾本も、蛇がのたうち回る様だ。これはだらならぬ地震だと構え立つ。
第二波が来た。更に大きな揺れ。
家の前の道路の電柱も電線も大揺れ。電柱が倒れるんじゃないか? と身構える。その後も何度も来た地震。
家の中は危険なので車のラジオのニュースに耳をそばだてる。緊急地震速報が連続している。津波警報も発令。市の防災無線放送でも警報の連呼。
庭の水道からは漏水。急いで元栓を閉める。
電気も水道もストップ。
電気は2日。水道は一カ月近く断水。4月7日に水道はチョロチョロ出るようになった。それでも水道が出た事は本当にありがたい。やっと我が家の風呂に入れるのだと。
家族の安全確認
女房は大丈夫。
隣家に住む息子家族は? 息子は仕事で留守だが、嫁と孫達は無事。
大きな音と共に工場群から炎と煙が上がる。風の向きはどうか? 西寄りの風のため排ガス(危険物)は当面心配なさそう。
住友金属の溶鉱炉の方角からは黒い煙も炎のような明るさも見える。石油コンビナート方向にも煙も炎も見える。大変な事態だ!!!
夜になって息子も帰宅。利根川に架かる息栖大橋の付け根が陥没して長い渋滞で、家の近くまでは来ていたのだが3時間もかかってしまったと。それでも無事に帰宅した。
山用のLEDのランタンで灯り。庭には冬の頃から薪ストーブが設置したあったので、それで暖を取りながら食事の支度。飯盒で飯も炊く。家族そろっての庭で晩ご飯。外は結構寒いが、薪ストーブで手足を温める。
ラジオのニュースは時間が経つほど被害のひどさを報じている。
余震は頻繁に続く。今夜は眠れないだろう。
元の職場が心配
退職するまで茨城県の土木部に所属していて、災害時の対応を何度もしてきた自分。
この状況で何処の職場に出向けばいいのか?
下水道事務所はひどい事になっているだろ…。途中や周りは工場地帯でどうなっているか分からない。地震直後から住友金属の溶鉱炉辺りから、爆発音とともに黒い煙や赤い炎が空に舞っている。東部コンビナート方向にも爆発音とともに黒煙がもくもくと上がっている。出向いても何も出来ないだろう。
(後日知ったのだが、下水道事務所は太平洋に面していたため、大津波警報で全員避難したとのこと)
明日の退職会に備えて車の燃料は満タン。乗用車は道路状況が悪いと考えランクル(四輪駆動車)に乗り、潮来土木事務所に23時ごろ到着した。
途中で警察官が「潮来市の前川の橋はすべて渡れない」と言い、Uターンするように交通整理。前川の手前の潮来駅までは車で行けるかどうか確認して通してもらう。車を駅前広場に乗り捨てれば土木事務所は歩いても行ける。
駅の近くの中華料理店の駐車場を借りて車を置き、スコップと大ハンマーを担いで徒歩で土木事務所に向かう。
前川の橋は道路と40cm位の段差が出来ている。既に通行止めのバリケードが設置してある。落橋(らっきょう)している訳ではない。街中のブロック塀も粉々に壊れている家がある。
停電で灯りは全くない。真っ暗な道をヘッドランプの明かりで土木事務所に向かいひたすら歩く。普段なら街灯や車の明かりで眩しいほどのはずだが。
土木事務所に着くと小さな発電機で部屋には1っカ所だけ灯りが点いている。
所長はじめ10名ほどが情報収集をしてる最中。
停電と電話が不通のため、情報も苦情も来ないという。私も見てきた途中の道路状況や街の様子を報告し、事務所に有る情報もお聞きした。
情報が来ないので、私の出来そうな仕事も無い事が分かり、訳を言って帰宅することとした。
土木事務所から帰る途中、建設業組合潮来支部長の会社に寄って「連絡次第復旧工事に着手できるように確認、依頼をしてほしい」との事なので○○開発工業(株)に寄る。
この会社は元々しっかりした会社なのだが、電気の点かない暗い社内で、石油ストーブを囲んで沢山の社員が待機している。流石に支部長の会社である。
土木事務所からの伝言を伝えて、その足で私の勤めている会社に向かう。もう24時を過ぎている。
会社に着くと数名の社員が待機している。「我が社もしっかりしているもんだ」と内心ホッとする。
情報の整理をし、明日以降大変な作業が待っているので、実動部隊を明日は朝一で足止めをし、緊急作業が出来るように作業班を確保するように話して家路につく。
途中で自宅近くの神栖第4中学校に寄る。
私の町内の避難所だから。過年、私はこの地区の区長をしていたこともあり、町内の皆さんの事が心配になり寄ったのです。
避難の人々は体育館に身を寄せ合って、既にお休みのご様子。市役所の顔見知りの職員数名が居たので、避難者の様子を聞いてから帰宅した。
夜が明けて
昨夜は一晩中余震が続いた。今日も。
夜が明けて出社。非常時安全協定で我が社がパトロールして管理者に報告することになっている道路、河川、水道と手分けをして調査班が出る。
私は企業局の上水、工業用水の路線をパトロールすることとなり出発する。
道路が通行止めになっている事を予想して、家を出る時ランクルにランドナー(遍路でも使用した自転車)をくくり付けてきたのが大いに役立った。
鹿島港が津波に襲われ、臨港道路や県道が通行止め。公共ふ頭周辺には、大型のコンテナーや自動車が津波に流され散乱している。(この時は停電のせいで東北の津波映像を見ていなかったが、鹿島港の状況の凄さにびっくりした)
大地の液状化もひどく、水が噴き出し、地盤が陥没し、家が傾き電柱が倒れている。
それらをデジカメで撮影した。鹿島港湾事務所(元在職した)に寄ると所長が「前の船溜まりを見てください。港公園側のブロック擁壁が倒れ、岸壁もやられました」と言う。
私はデジカメで撮った北公共ふ頭周辺の津波の写真データを渡し帰社した。
帰社すると、企業局の浄水場に来てほしいとの依頼が来ているのですぐに行ってほしいという。社員一人と出向くと「浄水場のすべての施設がやられた。直ぐに修理工事をしてほしい」と場長がいう。
神栖市内全面断水
場長の話ではこの浄水場の機能が回復しないと、神栖市内の断水は解消しないという。
この日から私は土日無しの復旧作業にまい進することになった。
この地域は地下水位が高いので、地下を掘削する復旧工事は大変な作業。ウエルポイントという井戸と真空ポンプを組み合わせたもので、強制的に地下水を吸い上げる。
そのことに依って地下水の噴出を防ぎ、掘削した溝の土壁の崩落を防ぐことが出来て、安心して作業が可能になるのです。
連続3週間余りこの作業に没頭しました。
水道が回復する頃になって、やっとテレビや新聞で神栖市の断水状況のことが報道されるようになったのは皮肉なことでした。
それ以上に東北3県の地震、津波、放射能被害が大きいということですよね。
本当に断水で困っている頃は、神栖市内の断水は報道されずに、回復する頃になってメディアで流れるようになりました。
昨日あたりで市内の断水も解決したようです。臨時給水所の閉鎖が防災無線で流れていましたので。
(今日は5月15日ですが、市内には今も水で困っている人達がいるようで、コミニティセンターに無料の水道蛇口があるので利用して欲しいという内容の事が防災無線で流れています)
液状化
ここにきて「液状化」という言葉がメディアを賑わせている。
これは砂地盤で起きる現象。砂の粒が均一(大きさが揃っている)の低地が地震で揺れて、地下水と一体化して液状化(水と同じ状態)すること。
その光景を私も見たことが有りますが、地中から水が噴水のように噴出し、あっという間に周囲が水浸しになってしまいます。その水が吹き出した痕は、大きなモグラの巣のようになり、砂まんじゅうが盛り上がっています。
その地盤上に家などが有れば水の中に石を置いたようなもので、地中に沈んでしまうのです。堤防も沈下したり亀裂が走ったりで大変。利根川の大堤防が割れて沈下して散々です。国土交通省は今梅雨時期を控え、急ピッチで復旧工事をしています。今年は台風などで利根川が増水しない事を祈っています。
平野と言うのは多くの場合、大きな河川が山から運んだ土砂で出来ています。
その成り立ち方に依っては、小さな粒だけで層を造っている所があります。洲と言われるような地名の所は概ねその様な所です。
利根川下流部にはそのような所が沢山あります。埼玉県、茨城県、千葉県が接近する辺りから下流部はほとんどそれです。
今回の地震で水郷地帯は大蛇がのたうち回った様な状況。無数に地割れがして堤防が割れて沈下。多くの家がガタガタ。道路はまるで海の波のようにうねる。下水道のマンホールは飛びだし、道路の側溝は沈下。電柱は45°以上も傾いて停電。上水道も下水道もパイプが千切れ断水、不通。
未だマダ復旧工事も進んでいません。やっと上水道が復旧しただけ。公式には断水は解除したと言いますが、少し裏の方に回ると未だマダ断水の家が沢山あります。
「液状化、香取市、潮来市、神栖市」などのキーワードで検索すると、多数の写真が掲載されていますのでご覧ください。
10万トンの巨大船が放浪
鹿島港内では、津波で巨大船のモヤイが切れて、港の中をさ迷っていたそうです。
住友金属の岸壁に係留して鉱石の荷降ろしをしていた船が津波で流れ出し、行く先々で岸壁などに衝突しながらの流浪。
港内を2度3度さ迷った巨大船は最終的には元の住友金属の岸壁に流れ着いたそうです。
この船が他の船と衝突などしていたらと思うとそれは身の毛がよだつ思いです。
同じ住友金属の岸壁では中型の船が流れ出し、大型クレーンなどをなぎ倒す事故は有りましたが、大型船同士が衝突するようなことは無かったようです。これは不幸中の幸いでした。
港内で沈没でもしたら、長い期間にわたり港が使えなくなりますから。
平成15年にはダウンバーストと言われる暴風が吹き荒れて、同じ住友金属の大型クレーンが倒れて犠牲者も複数出た事を思い出しました。
自然の力はものすごいもので、何千トンもある様な大型クレーンが倒壊してしまうのです。あの時は仕事で何かと関わっていたので記憶も鮮明です。