09 徳 島 県


 昨年から始めた自転車遍路。18番恩山寺を振り出しにスタートして、一年振りに4月30日、再度徳島県に戻ってきた。
徳島県に入って最初の札所は別格20番大滝寺。随分苦労して登ったが、霊山寺にたどり着いた今は懐かしい。
(大滝寺巡礼は、文脈の繋がり上、香川県欄に掲載)

5月2日
 早朝に1番霊山寺を打つ。
今回のお遍路で初めて自分の姿を、霊山寺門前で1枚シャッターを押していただく。今回遍路で自分自身を撮影した写真はこれだけである。
昨夜は道の駅「第九の里」のベートベンの銅像の前でテントを張った。隣はドイツ館。道の駅にしては静かな夜を過ごせた。
ドイツ館の前に仲間の遍路テントが一つあった。

遍路とは別の話だが、此処板東町(鳴門市と合併する以前の名前)には、旧日本軍の捕虜収容場が有ったそうです。
明治時代、日露戦争の後にドイツの捕虜が、此処の収容所に収容されたそうですが、捕虜の扱いが良く、現在もドイツ国と友好関係にあると聞きます。
先年(2006/6)、此処板東町出身の芸能人「板東英二」(プロ野球中日の元エース)も出演した「バルトの楽園」の映画が製作されました。
(ミニ情報:ベートベンの第九が日本で初めて演奏されたのが、此処の収容所だそうです)

昨日は別格1番大山寺を打ったが、山門の老朽化に心を痛めた。
88札所では改築、新築工事をしている寺が多い中、ここは別世界。静かな山門だ。屋根にはブルーシートが被せられ哀れを感じる。
山門を抜けて本堂への石段の痛みも激しい。建て看板によれば、かつては堂迂が沢山あった由。忘れ去られたと思われる一角だ。

別格1番大山寺山門(在りし日が偲ばれる) 別格2番童学寺全景

別格2番童学寺
 別格2番童学寺は実に良いロケーション。
小高い一角で、溜池を兼ねた前池と裏山と寺院とが一体となっている。
参拝客も少なく(この時は)静かに納経が出来た。

納経の際に気がついた事だが、ご住職の筆は起筆時に墨を含ませたきりで、墨つぎをせずに一気に書かれた。
この事は108札所で初めて。何処でも墨つぎを何度もしながら書いている。少なくとも3度くらいはするのに、ここでは1度きり。
そのことをご住職に話すと「癖ですかねぇ」と何食わぬ顔。
私も少し書をするが、筆に含んだ墨の濃淡も書の味で、墨つぎには書をする人は細心の気を使うのに。札所は何処もベタベタ何回も墨をついでいるのはどうした訳か? 一気書きでは筆先が乱れ、それを補うための墨つぎかも知れない。

焼山寺
 童学寺からトンネルを抜け、鮎喰川左岸の県道20号線の上り坂を延々と走る。
勾配がきついという訳ではないが、一本調子での上り坂。うんざりして、どこか適当な休み場はないかと思いながら走る。道幅が狭く、カーブも多く、なかなか適当な休息場が見当たらない。
丁度急な右カーブの所が広くなり、待避場とも思える所があったので、自転車を止め立ったまま休憩する。
その時上流方向から歩いて来た女性と視線が合い挨拶をする。彼女も一人遍路。私と同じ様に休みたい気分であるのか、立ち止まり世間話をする。

私は今日中に12番焼山寺を打ち、17番まで残り6札所を周りたい一心で走っている。5分くらいの休憩で再度ペダルを踏む。
この女性とは翌日17番井戸寺で再会するのだが、この時は一期一会のお遍路同士の挨拶で分かれた。
焼山寺下の鍋岩荘前バス停に、11時までには着きたいと走っている。
R438号合流手前でその事に無理がありそうだと判断した。そこで神山町役場手前の、ウドン屋でとりあえず腹ごしらえをする事にした。
350円で美味いウドンを食べた。眼前の渓流とその向こうの山が借景。それを見ながら食べる屋形風の店構え。この店前の水場で冷たい飲み水を補充して出発。

半分諦めながら、それでも最善を尽くして歩いてみようと、バス停に自転車を置き、ひたすら登る。焼山寺へは55分で登り、手短に納経を済ませた。納経場で年配の小父さんと娘さんがなにやら話している。遍路の七つ道具、金剛杖や白装束の購入を奨めているようだ。
押し売りと勘違いして私も口を挟む。実は娘さんは11番藤井寺から、山道で歩き疲れているのを小父さんが見つけて、装備品のアドバイスしていたようだ。その証拠に小父さんが娘さんに白装束のお接待をしてくれた。

その後娘さんと一緒に山を下る事にした。下山後バス停で思わぬ長話をしてしまい、結局この日に17番までを打つことは出来なかった。
徳島港から船で東京に戻るのには、どうしても今日中に打ち終わらねば、明日の便は無理。そう判断して途中から携帯電話で、JRバス四国に携帯電話を入れるのだが、話し中でどうしても繋がらない。
そこで切符の手配に手馴れている友人に電話して、高松からの夜行バスの手配を依頼した。
神山町で走行中に「手配が出来たので、コンビニから送金するよう」と指示を受ける。神山町内のサンクスから送金してまずは一安心。友人に感謝感謝である。

結願の井戸寺
 焼山寺を下山後、14番常楽寺までで時間切れ。15番国分寺の周辺でテントが張れないか物色をする。阿波史跡公園近くの徳島市立考古資料館 周辺に目星をつけた。R192号線沿いのスーパーで食材を購入する。この日は自転車遍路最終日である。
少々贅沢に品揃えをした。水と石鹸で身体を拭きサッパリして、この晩は酔いも早く、目が覚めると朝になっていた。

5月3日朝一で15,16,17番を打ち結願した。
17番井戸寺を打ち終え、山門前の自転車に戻ってホッとしていると、昨日鮎喰川沿いでお会いした台湾からの女性に偶然の再会。
台湾から横浜に来ていて遍路を始めたという女性。二度目なので昨日と異なり、近親感を感じて少し話をする。私も軽く自己紹介。彼女は23番薬王寺を目指しているという。
お遍路をしている人に、発心の理由について立ち入ってはなかなか聞けない。この時も聞かずじまい。異国の人がどのような気持ちからお遍路をするのだろう?
無事故で歩く事を願い「じゃぁ、気をつけて!」と言って別れる。あとで気がついた事だが、名前も聞かずに別れてしまった。
後日私のHPをご覧になり、繋ぎがあればもう少し詳しいことが分かるかもしれない。
(後日談:メールが来て、10月に山形県小国町の「芋煮会」にも参加された。コンピュータ関係の仕事で世界を駆け回っているそうです)

気分爽快最後のチャリンコ
 結願して気分も楽々。今日の22時までに高松駅に行けばそれで終わり。それまでどうして時間を使うか?
そうだ!!! 大坂峠を越えて坂元の海鮮食堂でアナゴ丼を食べて、引田で和三盆を土産にしようと決めた。歩き野宿遍路で88番大窪寺から1番霊山寺への、お礼参りの道に使ったので懐かしさが込み上がる。
その前に県道1号線の途中にある温泉で身体を綺麗サッパリになろう。
吉野川の名田橋を渡り一路大坂峠へ。
温泉に入りサッパリしたところで再びペダルを漕ぐ。大坂峠への坂道は、私の脚力でも何とか登れる。

歩き遍路88番を結願した折のお礼参りで、この大坂峠の歩き道を1番霊山寺に向けて歩いた事を思い出しながらペダルを踏む。その道は左側に見える。
峠のピークを過ぎ少し下った時、下から登って来る自転車の小父さんに会い挨拶。
聞けば徳島県側の坂下から、毎日香川県側の坂元のタバコ屋へ自転車でタバコ買いに往復しているという。ギネスブックものだ。
あきれた人も居るものだ。いくら健康を兼ねての自転車と聞いても「恐れ入りました」と。自転車で得る健康と、タバコで得る不健康と、どちらが勝るのだろう?

道路縦断勾配
 県道1号線の縦断勾配は自転車にやさしい坂道だ。おそらく4パーセント前後だろう。これは荷駄を運ぶために作られた道で、歩きヘンロ道も牛馬が荷物を着けて運搬したという標札があったことを思い出す。此処の人達は実に合理的に道を開いたものだと感心した。
これまで四国を1700km自転車で走ったが、この道のような縦断勾配の道は無かった。エコ……と最近もてはやすが、自転車もエコ。自転車にやさしい道を造って貰いたいものだ。
山地の道路を設計するとき、建設費の面から道路構造令の最大縦断勾配を念頭に設計することが主流だが、このように人力で使用する人のことを配慮して設計することについて大いに勉強になった。感服。
自動車のようにエンジンで走れば、道路勾配を運転者がそれ程気にしなくてもいいが、自転車で利用する人のことを考えて、これからの道は造るべきかもしれない。後輩達と雑談する機会があったら話してみよう。

いい加減な歩道
 この県道1号線に比べて走りづらかったのは、車道、歩道、自転車歩道(自歩道)が一貫して造られていないこと。
自歩道を走っているといきなりマウンドアップした歩道と化す。交通量が多い車道を避け、歩道を走っているといきなり歩道幅が狭くなる。
車道の外側線と歩道の間を走っていると、その幅がいきなり狭くなり車道に出ざるを得ない道。
このような道はいたるところにある。

最もひどかったのはR192号線の吉野川側の歩道を走っていた時の事。美馬市から吉野川市に入って直ぐに岩津橋というのがあり信号がある。ここはT字路で、信号を青で渡り歩道を走ったらいきなり歩道がパイプの転落防止柵で行き止まり。慌てて車道側にハンドルを切ろうとしたら歩車道分離ブロックが切り下げをしていない。つまり段差が20cmほどあるのです。急ブレーキで止まり、自転車を持ち上げ(持ち下げか)車道に下りた。これはきわめて危険。今まで道路管理者に苦情を言う人はいなかったのだろうか?
四国に限らず、自転車を乗る人、歩道を歩く人、車を運転する人もこのような事に、しょっちゅう遭遇しているのかもしれない。
独立行政法人に何か分からない基金を預ける大型補正予算を組むのであれば、生活に直結する身近な道の改良のために補正予算を組んで欲しいよね。
注記
この事を国交省四国地方整備局へメールをしましたら、懇切丁寧な返信メールをいただき恐縮していますことを報告しておきます。

 坂元で昼食をとり、引田で和三盆を買い、クロネコヤマトを扱う正木スポーツ店から荷物を送る。
自転車も分解梱包して、ヤマト便で送ったら何と3000円で送れた。これは安い。クロネコヤマト宅急便とは別に「ヤマト便」というのがあり、大きな荷物は格安で送れるようである。私はこの事を出発前に知らなかった。クロネコの営業所へ自転車の送料を聞きに行った時に説明を受けていれば、ヤマト便を利用したように思う。正木スポーツのご夫婦も「自転車は送れませんよ」と言っていたが「ブルーシートで梱包すれば手荷物のようになるので、聞いて欲しい」と懇願したら、このヤマト便の事を営業所で説明してくれたようである。(粘り勝ち?)
正木スポーツ店で、お土産は隣の三本松駅前の「武道餅」がいいと聞き、三本松駅へ。ここらでは有名なお菓子だという。
その店に行き賞味期間を訪ねると「その日のうちに食べてください」とのこと。残念ながら諦めて再び列車に乗り高松に向かう。

 高松駅で晩酌を少し過ぎ目にやり、100gのトンカツ定食を食べてバスに乗る。
これで今回のお遍路も無事終了。あとは何も無く我が家に着けば完結だ。交通事故に遭わずに済んだことに感謝感謝である。

自転車へんろトップページへ