御荘湾の生け捕り祭り
40番札所 観自在寺を夕方5時前に打つ。
余り知られていないが、観自在寺には「通夜堂」がある。
私がこの日最後のお参り者で、打ち終えて寺を後にしようとしたら納経場にいた女性が「今夜の宿は何処に?」と訪ねてきた。私は「テントなので、どこかこれから探す」旨を言うと、此処の通夜堂はキレイだからと薦めて下さる。
案内していただくと確かにキレイな通夜堂である。6帖くらいのフローリング。私は御礼を言って女性を見送る。此処の寺の納経所に働いている人達は、皆通いなのだそうだ。
せっかく奨めていただいたのだが、天気も良いしこのような日は外が良いので、合掌してやおら山門を出た。
今宵のテント場を何処にするか決めないまま寺を後にし、街中をペダルを踏みながら食材店を探す。
国道沿いに大きなスーパーを見つけ、今夜と明日の朝の食材を購入する。
テント場を探しながらスーパーを出てまもなく、国道と海の間に広がる公園を見つける。海際の遊歩道は風が当たるので、その取り付け道らしき処にテントを張り、暗くなる頃食事を始めた。肴は目の前に広がる瀬戸内海。対岸の明かりがちらほらする頃に眠りにつく。
熟睡していると突然起こされる。
眠気眼で尋ねると「車が通るのでテントの移動をお願いします」という。その人に手伝っていただき数メートル移動。
どうした訳かと聞くと「5月4日に此処御荘湾を網で仕切り、干潮の干潟で魚の生け捕り大会とアサリ採りをする」のだそうだ。そのアサリを日中に海に放流したので、夜盗難を予防するためサーチライトを点けて監視をするとの事。
赤岡漁港では一升酒の飲み比べ。此処御荘湾では魚の生け捕り。四国はスケールが大きい。
「お遍路さんも4日に参加したら」と奨められるが、此処での1日はもったいないので丁重に辞退をする。
40番 観自在寺山門 | 御荘湾岸のテント | この小船で湾口仕切りの網張り準備 |
5月3日
朝 目を覚ますと、小船が何艘も出て、網張りの準備で孟宗竹の支柱立てをしている。
早々に御荘湾の公園を出発。今日も暑い一日になりそう。
別格霊場6番 龍光院は宇和島市の街の中。日陰に自転車を置き、長い広い階段を登り打つ。ちょうど何処かの法要の最中。
41番 龍光寺へは県道57号線を走る。三間の市街地までもう少しという坂道を、大汗を流しながらペダルをやっとの思いで踏む。
坂の途中で歩き遍路が休んでいる。それに理屈を付け、私もそこで休む。話してみれば世間は狭い。
彼は茨城県出身者。それも波崎柳川高校卒業という。びっくりである。お互いに。
機会があれば叉会おうと約して分かれる。彼は龍光寺を打ったら今回は帰るという。(後日、朝日連峰で毎年している草刈に参加したい旨のメールがあった)
明石寺の近くに県立歴史文化博物館がある。遍路地図には博物館の隣辺りに遍路休憩所の三角マークがある。探しても見つからない。博物館の駐車場にトイレと棟続きで大屋根の炊事場のような建物がある。若しかしたらこれかなあと勝手に思い、天気も良いし駐車場の隅にテントを張る。
日没後、暗くなる頃に博物館の警備員らしき人が来て「此処は博物館の敷地でテントは困る」という。私は食事中で、遍路地図を示し、遍路休憩所の場所を教えて欲しいと粘る。結局事務局と連絡して、駐車場の隅なら良いとの了解を得て一安心。この夜は満天の星空。
早朝の明石寺山門 | 金山出石寺山門には釣鐘がある |
5月4日
今日は別格霊場7番 金山出石寺参詣の日である。計画立案中から今回最大の難所と考えていた。
早々にテントをたたみ、明石寺を打つ。早朝の明石寺は荘厳である。霊気で身が締まる。
西予市から国道56号を大洲市に向かう。長い鳥坂トンネルの入り口には、歩き遍路や自転車のための「蛍光タスキ」が箱の中に常備されている。私もこれを拝借し、トンネルに入る。出口には返却用の箱があり、事故無く通過できた事に感謝し、丁寧にお返しをした。
大洲市街の入り口で国道197号に左折。
県道259号を山の中へ向かい進む。上り坂をひたすらペダルを漕ぐ。
辛い坂道なので、途中から自転車を杉の木に繋ぎ(盗難防止用のワイヤーロープ)、歩き遍路道に入る。
所々に孟宗竹の藪がある。何処も穴だらけ。筍堀にしては雑すぎる。犯人はイノシシ。旨いものを承知で、ゴクゴク若い筍だけを掘って食べる。その光景はトラクターで耕作したようだ。
遍路みちは何度も自動車道と交差し、いやになる頃、金山出石寺の山門前にひょっこり出る。
歩いている時は静寂な道であったが、山門に差し掛かる頃から自動車の騒音が聞こえ、来て見ると自動車道から善男善女が続々。
此処までの道すがら、歩き遍路には全く会わなかったが、出石寺境内は沢山の参詣者で賑やか。
納経を済ませ、今日中に十夜カ橋を打ちたいので早々に出立。来た道を返す。
スパイク地下足袋は快適だ。下り坂も滑らずしっかりと地面を掴む。
別格第8番 十夜ガ橋は17時を過ぎてしまった。境内には未だ人気があり、寺の人と思われるご婦人が居たので、時間を過ぎてからの納経は無理かどうか尋ねてみた。「裏の畑に住職が居るので聞いてください」とのことで、寺の裏に回り農作業をしているご住職に尋ねると「大丈夫です」とのありがたい回答。
納経を済ませ、近くのトロン温泉オズで風呂に入り、回転寿司を食べる。
今夜のテント場を探しながらペダルを漕ぐ。
20時ごろ五十崎駅前の自転車置き場横にテントを張る。模様が悪いのでブルーシートをフライシートとして張る。今日は疲れた。般若湯を飲んで早々に眠りに入り、気がつくと暁になっていた。
5月5日
雨の中、内子町を通過。
真弓トンネル手前の遍路休息所。前回は此処で一夜を宿した。前の谷川で行水をしたことも思い出す。
国道380号から国道33号に左折。44番大宝寺を打ち、45番岩屋寺に向かう。前回は道の起伏をほとんど気にしないで歩いたが、今回は坂道の多さに辟易。これを叉返すのかと思うと気が重い。
直瀬川を渡った所に自転車を置き、急坂をあえぐ。前回は山道を歩き、上から下りて来たので、これ程の上り坂を感じなかったが、足の弱い人には難渋する坂道だ。
暗くなる頃に三坂峠手前の明神休憩所に着く。先客がアズマヤの中にテントを張っていたので、その外側に雨を避けてテントを張る。
今日は坂道の上り下りが多く疲れた。
5月6日
三坂峠の下りはすごい!! 自転車のスピードは50kmを越えてしまう。浄瑠璃寺への左折点を発見できずに、砥部町市街に下ってしまった。とべ動物園を過ぎてルートに戻る。
別格9番 文殊院を打つ。ここはお遍路の創始者(元祖)、右衛門 三郎ゆかりの寺。
第51番 石手寺を打ち、道後温泉の前を通過する折、風呂に入るかどうか迷うが今回はパス。
第53番 円明寺を過ぎると左に瀬戸内海。平坦な道が続きペダルも軽い。国道196号を進むと今治市菊間町は瓦の街。道沿いに製品の鬼瓦が並ぶ。
星の浦海浜公園で一服。歩き遍路としばし懇談。そろそろ今夜の宿を決めなくては。ここの公園もいい所だが、近くに食材店が無い。
聞いてみるともう少し先に「藤山健康文化公園」という絶好のテント場があると聞く。
公園入り口近くにスーパーもあり、今夜の食材を購入。
公園はかなり広い。沢山の人がいるのでテントを張る場所の選定が難しい。もう少し少なくなってからにしよう。
満天の星空の元深い眠りに着く。
5月7日
そろそろ帰りの事が心配になってきた。明日あたりは電車に自転車を積み、徳島に向かわなければならない。
雲辺寺は打てるか?
今治市内の札所を打つ。第59番 国分寺前にタオル屋がある。「タオルの里 五九楽館」http://www.dokidoki.ne.jp/home2/tadasuke/という。
店の前を通過しようとしたら「お遍路さん、お接待させてください!」と言いながら主人にアイスクリームをいただいた。話の上手な主人(まだ若い)で次から次に話が進む。
奥では奥さんらしき人がミシンで何か作業をしている。話に釣られてタオルを購入。記念になった。主人は次々にお遍路を呼び込む。
皆さん話しに釣られてタオルを購入する。
今回のお遍路では、三角寺まで打てれば良しとしようと出発したのだ。まだ先はある。急がねば。少し長居をしてしまった。
「道の駅 今治湯浦温泉」で遅い昼食。食事を待っているうちに気が変わった。今からペダルを踏めば「明日中に徳島に行けるかもしれない」と。
ここから必死の自転車踏みが始まる。国道196号をひたすら東に。中山川大橋を渡ると国道11号と合流する。
第61番 香園寺を始として、ここら辺は札所が多いのだが、わき目も振らずにペダルを踏む。西条市から新居浜市。ひたすら走る。
四国中央市で道は国道192号に分かれる。分かれる所のスーパーで今夜の食材を購入する。自転車のヘッドランプを点灯。ヘトヘトになるころ別格14番 椿堂 前の売店にたどり着く。
店の前の空き地にテントが張れそうなので聞いてみる。「ここでも良いが、道の向こう側の公民館の庭が良い」と言う。しかし今夜は消防の訓練をしているので済んでからが良いでしょうという事で歓談。
店の主人は元郵便局員。山も随分登ったようだ。話が尽きない。彼は毎週のように四国の山を登り、年に何度もアルプスに登ったという。私とサイクルが合う。
明日のことを考えるとそろそろ寝ないと辛い。まだ消防の訓練はしているようだ。公民館に行き責任者と思しき人に断りを入れ、テントを張る。
5月8日
白々ととした頃に起床する。
コーヒーにパン。早々に済ませペダルを踏む。ずっと上り坂。6時20分、境目トンネル着。小休止の後トンネルへ入る。
時速50km。怖いくらいのスピードだ。7時に旧池田町市街に入る。「徳島54km、つるぎ4km」の道路案内板。
ここら辺りから吉野川を左に眺め、対岸の山並みは古い日本列島の「西南日本内帯」かと思いを廻らす。そうすると今走っている国道192号は西南日本外帯か。
吉野川の中に時々露出している緑色の岩は三波川変成帯の岩か。
今回このルートを走るのはこれを見たさでもある。
写真を撮り、時々川の中の岩の見える所で休憩をとり、天地創造に思いを廻らす。
日本列島の誕生
日本列島を中央構造線と中央地溝帯(フォッサマグナ)が分断している。
これは壮大な断層帯です。中央構造線は九州から延々関東地方を分断して太平洋に連なる断層。糸魚川ー静岡構造線はフォッサマグナの西端の境界線。
関東地方の大部分は大地溝帯のエリア。関東地方の東側を棚倉構造線がJR水郡線をなぞるように北に真っ直ぐ福島、山形県を縦貫して日本海へ繋がっている。
この大断層を骨組みに、大小の断層がまるであばら骨のように全国各地に密集しているのです。この断層の一つでもずれると地震です。日本列島のそもそもは1億8000万年前からと、1億3000万年前に誕生したそうです。それがいろいろな変遷を経て、日本列島として今も変遷を続けているそうです。
最近被害の出る地震が続きますが、大地の活動期に入ったという事が言われています。
追記(2014/8/13)
2011年3月11日に東日本大地震災害が発生。四国で想った大地の活動期予測から3年後にこの地震が起きたのです。
その時はまさかこのような大災害を予想した訳ではありません。
しかし、今にして思えば、ど素人の感覚からしても、何か感じるような事象が有ったのでしょうね。
地球の営みは我々には想像もつかない事です。なにせ地震学者でさえも想定外というのですから。
それにしては原発の再稼働に関して、御用学者と言われても仕方のない人達により、反省も無いまま再評価というものが進められています。私は心配です。何せ日本列島は断層の巣そのものなのですから、安全な所などあるのでしょうか?
地球の営みからいえば、1000年、2000年はほんのわずかです。三年前の反省もせずに、原発を再稼働させて誰がその責任を取れるというのでしょうか。
総理大臣でもそれは取れるものでは無いと私は思います。
最終処分場が無いのだから、原発の発電費用が安いとか高いとかは計算できません。何を根拠に原発が安いというのか。
その理由をはっきりと示せなければ、原発再稼働は止めてください。
と強くここで発言します。
損傷した原発をコントロールできていない事実は誰の目にも明らかです。それを政府が終息宣言を出すことなど真っ平御免です。
今日も福島では、東電の見通しもない処理ということをしながら、汚れた水を大海に流す作業を目の当たりにしているでしょう。これでコントロールしているというのか!!!
まったく!! 再稼働をもくろんでいる人達は、かけがいのない地球をどうしようと考えているのか。今が良ければそれで良いのか!!「カツ」
吉野川はその断層面が露出している(露頭という)所なのです。この事についてはネットで「中央構造線または中央地溝帯」で検索すると沢山の資料が出てきます。興味のある人はどうぞ検索をお願いします。
私は今回興味深く、この吉野川を筏のように下ってきました。大変有意義でした。
追記:時には遠い大地の胎動に心をトキメキさせませんか?
地震の多発も大地の成り立ちに起因しているのです。くっ付いたり離れたり。噴火したり陥没したり。堆積したり侵食したり。大地の変化や生物の進化。
便利な時代です。ネットサーフィンでこれらが簡単に読めます。皆さん! 時には大地のロマンに浸りましょう。
最後は温泉
昼前に吉野川市鴨島温泉に到着。ゆっくりと温泉に浸かる。
今回のお遍路を振り返りながら、ゆっくりと浸かる。残りは20km位か。随分と走ったものだ。誰かみたいに自分を褒めてあげたい気分。
温泉を出て徳島への道すがら昼食。徳島では「阿波踊り会館」やみやげ物を購入して宅配で送る。
徳島港の近くの「しまむら」で下着や衣類を購入して着替える。
スーパーで夜食や明日の船中の食材を購入して、津田臨海公園にテントを張る。明るいが祝杯。早々に眠りにつく。
総走行距離は1137km。随分と走ったものだ。