高 野 山

お礼まいり


 高野山へは徳島港からフェリーで和歌山港に渡り、港でテント泊。翌日の南海電鉄始発電車で なんば 経由で上古沢(カミコサワ)駅から古道へ向かった。
10月22日に88番 大窪寺で結願。翌23日は1番 霊山寺へお礼参り。そしてその夜の徳島港1900時 フェリーで 2100時和歌山港へ渡る。この夜は港の芝地でテント泊。
10月24日9時から上古沢駅から歩き始めた。此処の宿は渓谷を挟んで山にへばりつくような形の集落である。
茨城県のような平坦地に住んでいると、よくもまぁこんな所に!と驚く集落である。
秋たけなわのこの地は柿の盛り。斜面には一面の柿畑。柿の葉鮨の看板も目に付く。農作業にも急傾斜地で大変であろう。
そんな斜面に遍路道への取り付け道がある。30分程で古峠に登る。此処からは高野山への祈りの道。

高野山町石道
 町石道は九度山の慈尊院から高野山根本大塔までの24kmだそうだ。この道は「熊野古道」の一部でもあります。
今回私は時間の都合で124/180町石道を歩くこととした。約70パーセントだ。キロに直すと124*0.109=13.5kmとなる。
古峠で一服していると、慈尊院から登ってきた和歌山市在住の方と合流する。道々この人からこの道のことを伺う。彼は何度も登っているとのこと。彼とは1時間ほど同行をする。

二ツ鳥居 静かな町石道

笠木峠まで彼と同行する。途中この山中にゴルフ場が二つ。時代の移り変わりを実感する。
道は杉や桧の植林地帯にある。樹齢は30年ぐらいか。
平安時代から今日まで営々と続く道。元は木の塔婆(五輪塔)であったようだが、鎌倉時代になってこのような石の町石にしたとの説明書き。
公家様や一般庶民からの浄財で造られた由。
その時代は戦争が止まず、死と生の間が今よりははるかに接近していたことだろう。だから信仰心も現代の人々よりも強く心に持たないと生きられなかったかもしれない。

道々には名所?の看板がいくつかある。袈裟掛け石、押上石などと。
途中の矢立て茶屋に着くと、和歌山の人が昼飯を食べていたので、私も横に並び昼食とする。茶屋の名物はやきもち。
私は食事後、茶屋の抹茶をいただく。350円也。

大門へは上古沢駅から6時間ほどかかった。相変わらずテントやその他野宿道具一式を背中に。
今夜の宿は無量光院。その寺は金剛峰寺の道を挟んだ隣組の位置。寺に入り今夜のお願いをする。
尼さんが出てきて9500円からという。それでお願いしますと言うと「お遍路さんはもう少し安くしましょう」と言い、結局は8000円で話がまとまる。一般客とお遍路では値段が異なることを知る。また、酒もビールもOKとのこと。精進料理と酒??

高野山大門 一の橋

納経帳完結
 奥の院には一の橋を渡り、杉の大樹の中を2kmほど進む。右も左も歴史上の人物や名家のお墓。大小いろいろ。
無量光院で奥の院での作法を教わり、先ずは納め札を所定の箱に入れ堂の横から裏へ。
そこの奥には弘法大師御廟。灯明と線香、そして般若心経をあげる。
そして堂の地下へ。大きな数珠を触り堂の外へ。
納経帳の1ページ目が高野山奥の院。ここに墨書で弘法大師、高野山奥の院。平成十九年十月二十四日の朱印。
これで納経帳は完結です。

朝の勤行(無量光院)
 
朝6時5分前に本堂に行くと、既に準備完了。一般参加者も神妙に正座。私も入り口近くの空席に正座。
程なく鐘の響き。勤行の始まりである。始めに座主様のお祈り。それに続く坊様の合唱。これが40分くらい続く。護摩の火がメラメラと燃える。始まりは弱い炎だが、やがて大きな炎になり仏像の不動明王などで光背の様な物が炎でメラメラしているのを見たことがあるが、あの炎そっくりの護摩。焚いている坊さんがまるでシルエットで不動明王の影絵のようである。

足がしびれた頃に正面左の弘法大師像と右側の焼香場へ一般参加者のお参り。お堂内を一周する。
元の位置に又正座。そして始まりから一時間以上たった頃に一連の勤行は終わり6〜7名の坊さんが退堂。座主様による説教。
初めは日本語で。この朝はフランスからの団体客が大勢いたこともあり、英語での説教となる。70歳くらいと思われるのに英語が堪能。ペラペラである。
そうして1時間半の勤行は終わる。
初めて勤行というものを経験したが、心静まる一時であった。霊山寺の尼さんに感謝。良い経験になりました。

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追記
 帰宅して雨降りもありテレビを見ながらゴロゴロしていた土曜日の午後。
NHKの大河ドラマの一週遅れの再放送。
長尾影虎と山本勘助が共に周囲のゴタゴタから逃避して高野山に居た。それが何と私が今回お世話になった「無量光院」という。
にわかには信じ難く、ネット検索してみた。そこには上杉謙信の剃髪した寺とある。何と奇遇。それとも知らずに漠然とお世話になってしまった。
どおりで、勤行は熱の入った熱心なものであった。伝統というものか。座主の説教も穏やかな上に熱のこもったものでした。
皆さんでもしも高野山に行く機会があれば宿坊にお世話になると良いと思います。見学だけでも良いかもしれません。
私はそう思いました。