昨年足引き摺って、辛い思いをしながらたどり着いた足摺岬。
今年はニューバランスのG−25.5cmの靴を新調して万全を期す。
昨年雨に打たれた翌日、ピカピカ太陽で収縮した靴で足が豆だらけになり、足摺岬にやっとの思いでたどり着いたことを反省して、今回は既製品ではもっとも不恰好のGタイプの靴を新調した。
4月27日
高知市までは高速バス。鉄路とバスを乗り継いで12時過ぎに足摺岬のバス停に着いた。高速バス代は東京〜高知駅前11,000円に対してその半額以上が高知駅から足摺岬までの鉄路とバス代でした。地方の鉄道が廃線になる理由の一つに切符代が有ることを実感する。
バス停傍の食堂でまずは腹ごしらえ。午後一番で金剛福寺にお参りする。
地図で遍路路を丹念に拾いながら、山越えで土佐清水港に出た。途中の山中に洞窟がいくつもあった。昔の修験者がここで修行でもしたのであろうか。
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お籠り所か | 早い夕食 | 精米所軒下での一夜 |
16時。夕飯には少し早い時間だが、この先に食堂が有るかどうか分からないのと、土佐清水で新鮮な魚料理を食べたいこともあり「あしずり」という食堂に入る。料理を注文して食べていると「関鯖です。お接待です」といって美味そうな鯖の刺身をご馳走になる。
食堂をふらつく足で出て、国道321号を進む。下益野にかかる頃は日もとっぷりと暮れた。外灯が点いている所にジュースの自販機もあり、小屋の軒先が長く出ている。予定では益野小学校付近で野宿をしようとしていたのだが、通り過ぎてしまった。今夜はこの軒下を拝借して寝ることに決めた。
4月28日
朝車の音で目を覚ます。小屋の持ち主で、この小屋は精米所だという。「戸を開けて中で寝ればよかったのに」と言われたが「勝手を知らぬ旅人としてはそのような事はできません」と答える。
自販機から温かい缶コーヒーを接待して下さる。朝からのお接待でした。
土佐清水市と三原村をつなぐ島の内林道をひたすら歩く。天気の良いのはいいのだが、暑くてたまらない。
昨日洗濯をしたアンダーシャツをザックにぶら下げ干し。異様なスタイルだ。
三原村は山間の静かな村である。中心地を過ぎ、道の良い星が丘団地を抜け、梅ノ木公園はダム湖全体か。
日が大分傾いた頃、39番札所延光寺に着いた。5時前に打ち終わり、今夜のテント場を探しながら先に進む。
国道を進む途中で自転車の女学生に「公園はありませんか?」と聞くと「この先左側に小さな橋が架かっています。その橋を渡ったところに小さな公園があります」と教わる。
教わった橋の所の店で、チョットした食料を買いたした。
中の公園に行くと、お爺さんが居たので「此処にテントを張って、一晩寝ても良いでしょうか?」と聞いてみた。お爺さんが答えるには「此処でも良いけど、すぐ傍の保育園の中の、玄関の下が良いんじゃないかなあ」と言われましたので、その通りにしました。
小公園の近くの保育園の玄関先を拝借して、ビニールシートを敷いて寝所とする。
保育園に行くと、多数の子供達が集まり賑やかでした。
夕方暗くなるころ近所のお婆さんが来られ「接待です」と言って、ペットボトルに入れた温かいお茶と、袋いっぱいのお菓子やパンを下さった。
ありがたいことです。南無大師遍照金剛
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改良が進む島の内林道の峠道 | 峠の山道を進む山さん | 津島やすらぎの里 |
4月29日
朝テントをたたみゴミを拾い出発。
土佐と伊予の国境の松尾峠を越える日だ。40番札所観自在寺に入る前に愛南町の道の駅みしょうに寄る。ここの蜜柑、愛南ゴールドを試食するためだ。
生ジュースが美味かった。観自在寺を打ってから更に10kmほど進み内海村役場跡の「DE・あい21」という施設の入り口にテントを張らしていただく。
4月30日
この日あたりから数人の歩きヘンロの人達と、前になったり後になったり。会話もポツリポツリ。
お姉さんであったり、娘さんであったり、オジサンであったり。
松尾峠は国境で、江戸時代には関所が設けられ、出入りを厳しく管理されたそうである。
松尾峠で休んでいると、福岡から来られたオジサンと (この後何度も会うことになる) 一緒になる。後からお姉さんの二人連れも。
一旦峠を降り、津島町の町の通りを歩く。街中は落ち着ついた街である。
街の出外れに 「津島 やすらぎの里」 という温泉施設があり、温泉で汗を流す。さっぱりして荷物を背負う。
曽我屋ベーカリーの近くの 「松尾トンネル」 の入り口手前から山道に入る。
山中で休憩をしていると、遍路をしている人も溜まる。九州のオジサンにも再会する。お姉さん達も休む。
私は皆さんよりも早く腰を上げる。
峠を下り、市街地の入り口で民家のお姉さんに、コーヒーのご接待を受けていると、件のオジサンも一緒になる。
この後、宇和島市内を同行する。馬目木大師も一緒に参詣する。
北宇和島駅を過ぎて、彼とは分かれて叉一人歩きになる。彼はこの近くのホテルを予約している由。
雲行きが怪しくなってきた。三間町のむでん駅に近づく頃は本降りとなる。暗くて駅の位置が良く分からない。小屋のような所から人が出てきた(小用に小屋の外へ出たような)。駅の方角をお尋ねすると「中で焼肉パーティをしているので一緒にやりましょう」と誘いを受ける。
中には数人の男女がもう出来上がっている。みな真っ赤な顔だ。
雨の中、仏様に出会ったような気がした。早速私もご馳走になる。美味い肉とビール。久し振りにゆっくりする思いだ。
「今夜ここは無人なので泊まるように」言われる。運転手の休憩所があり、トイレも水道もあるという。此処は観光バスの車庫だった。
1時間ぐらい皆さんと懇親をする。そのうちに皆さんが三々五々お開きになり居なくなった。
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懇親会に飛び入り参加 | 出立前に昨夜お接待を受けた会場を写す |
5月1日
6時過ぎに出発する。立つ前にお世話になった車庫の外見を写真に収める。
41番龍光寺、42番佛木寺、43番明石寺を打ち暗くなる頃大洲市に入る。肱川を渡る橋の上から大洲城が見える。
大洲駅近くの銭湯に入り、駅前の焼き鳥屋のような食堂で遅い夜食。近くの総社大明神社境内でテントを張る。
5月2日
早朝に出立して十夜ガ橋を通過。今日はひたすら歩かねばならない。
京都からのオジサン、スペインからのお姉さん、その他娘さんやお兄ちゃんと歩きながら話したり、休憩しながら話したりしながら孤独との戦い。気持ちは皆同じ様だ。誰からともなく会話が始まる。
皆さんは宿どまりで荷物は軽そうだ。私は15kgの重装備。どちらかと言えば私は遅れ気味。大玉の汗をかきながらひたすら歩く。
着きつ離れつしながら、固まったりバラケたりしながら、それぞれが自分の世界を求めて歩く。
内子座を外から見学。傍の饅頭屋で饅頭を買い食べる。見知らぬお遍路さんにも一つ接待する。
この日は早朝から歩き詰め。小田川沿いのR379。R380との分岐で右のR380に道をとる。橋を渡った所でパトロールカー。何かここ徳岡旅館周辺で事故か事件があったようである。
道の駅「おだの郷せせらぎ」でトンカツ定食を食べる。夕方暗くなる頃に真弓トンネル手前の「遍路休憩所」に到着。今夜はここでお世話になる事に決める。
アズマヤで外壁は無いが、夜露はしのげる。一日の汗を落とすために、道の向こうの小川に下りる。細い流れを集め(ビニールバケツ)石鹸を塗りタオルで擦る。
ついでに下着も濯ぐ。サッパリしたところで夕餉。まずは一杯。国道沿いの小屋なので、車の通過時には光と音が五月蝿い。
5月3日
快晴の朝。身支度を整えて出発。
真弓トンネルを抜けて少し下った処に宅急便の幟旗。人気が無いが大きな声を掛けてみた。暫らくするとお婆さんが出てきた。少し余分の荷物を自宅に発送する(用心に持ってきたウォーキングシューズ)。それにしてもこの辺りの民家には子供の洗濯物は全く干して無い。洗濯物が干してあっても一見して老人物。若者は皆街に出ているのだろうか?。
荷物を送り外に出ると、トンネル方向から白衣の娘遍路さん。一緒に話しながら進み農祖峠の上り坂で、娘遍路に「登りはゆっくりが肝心」と話し登る。
峠で休んでいると京都の小父さんが追いついてきた。三人で話しながら叉歩く。おじさんは空身なので足が速い。順番どおり進めば44番大宝寺へ向かうのだが、私も小父さんも45番岩屋寺を先にお参りして、44番に下る方が同じ道を歩かずに済むからと話す。
娘遍路は44番に行き、それから45に向かうと言う。小父さんは足が速く先に行くと言って私達より先に行ってしまった。
44番への分岐のR33に着く。私は「じゃー」と言って分かれる。すると娘遍路は気が変わったと言って私と同行する事になった。
中の村で石碑を確認して日の出橋方向へ。林道に入り腹が減った。娘遍路に「私は昼飯を食べてから行くので、お先にどうぞ」と言うと、彼女も「朝が早かったからお昼を食べます」と言う。私は沢に降りて水を汲みコーヒーを沸かす。
素サノウ神社を過ぎ、やがて急な山道を下り岩屋寺へ。別別にお参りをする。気が着くと娘遍路はどこかへ消えた。
私は大宝寺へ急がないと、5時までに間に合わないので下山開始。下り切った所に大きな観光案内版。それを見て現在地を確認して、出発しようとしたら後ろから声を掛けられる。振り向くと娘さん。聞くと娘さんが水を汲みに行った間にはぐれたとの事。急がねば時間が無い。
道々聞いてみると、今夜は大宝寺の宿坊を予約してあるという。早足で歩き大宝寺には4時45分にやっと着き無事に納経。納経所でホッとしていると九州の小父さんと会う。三人でしばし雑談。
明日は道後温泉。小父さんは此処大宝寺で結願と言う。娘遍路は明日は道後のホテルを予約してあるという。
私はネット検索で温泉近くの道後公園にテンとを張るつもり。娘遍路には「気が向いたら道後で夕食でも」と言って私の携帯番号を教える。(ホテルは素泊まりと言うので、私も一人で食べるよりは連れがあった方がいい)
私は今日の行動は未だ残っている。6km先の三坂峠基の遍路休憩所を目指す。
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道後温泉で汗を流す | 坊ちゃん湯の客待ち行列 | 伊予亀岡駅前広場 | 西条市丹原地区中心街 |
5月4日
三坂峠は旧土佐街道という山道。坂本屋という有名な休憩所前を通過。朝が早すぎて未だ開いていない。
46,47,48,49,50,51番石手寺に納経を済ます。
石手寺の長椅子に座り汗を拭いていると携帯のベルが鳴る。掛ってこないと思っていた娘遍路からの電話だ。
50番繁多寺を出るところだという。ここで暫らく待つ事にした。
石手寺は堂宇が立派。そのほかにも像形物がいろいろあり見飽きない。時間待ちにそれらを見物する。
追っ付け到着。
道後温泉に着いてびっくり。温泉前は長蛇の列。5月4日で大混み(翌朝写真を撮る。朝からこの行列)。警備員に聞くと「入浴は二時間待ち」だというので、娘さんにホテルに荷物を置いてくるように勧める。
お湯に浸りすっかり坊ッチャン気分になる。食事をするため娘遍路が下調べをしてきたという店は長蛇の行列。仕方なく近くの居酒屋で飲みながら食事を済ませて分かれる。私は公園の大きな四阿(アズマヤ)の下にテントを張る。
この後彼女とは会うことは無かった。後での便りでは64番前神寺で区切って帰京したそうだ。
5月5日
52,53番円明寺を過ぎ、北条海岸を歩いていると京都の小父さんに抜かれる。彼は昨夜はどこに宿をとったのか。軽装者は足が速い。またたく間に距離を置かれる。
伊予亀岡駅で日暮れになる。
この日は駅構内でお世話になる。駅前というのに閑散としている。今日まであっちこっちで閑散としている集落を見てきた。これで日本はいいのだろうか?
小泉さんの言う構造改革とは。郵便局システムはまずいところを直して済ませる訳けにはいかないのか。強いもの、勝てるものの生き残る世界で良いのか。竹中平蔵殿。
5月6日
今治市内は札所が多い。
54,55,56、、57、58,59番を打つ。
59番国分寺の門前でアイスクリームのご接待を受ける。若い人でタオル屋さんだ。店先を通過するお遍路さんにアイスクリームの接待をしているご様子。
アイスクリームを食べている間に手作りタオルの口上。名前入りのタオルを記念に如何でしょうかと来た。ウァー!商売熱心。
私もアイスクリームを食べた後なので1枚お願いする。お参りしている間に名前入りの作業が終わるという寸法。
更に進んで「今治湯浦道の駅」に今宵はテントを張り、少し離れた湯浦温泉まで歩き汗を流す。
5月7日
昨夜は今治湯の浦の道の駅に泊まり、早朝に西条市の丹原町に入る。役場の近くの街なのに閑散。スーパーも店仕舞したという。食材が買えない。
聞いて、探して、やっと街外れの食料品店で何とか今日の分をゲット。余計目の般若湯も仕入れ、気分を変えて出発。今日は横峰寺を済ませ、下山せねば。
松山自動車道をくぐり、妙之谷川沿いの道を進む。天気は良い。ウグイスが鳴く。のんびりした里山風景。
何処かで誰かが「オーイオイ」と長閑な声が聞こえる。遍路を始めて初めてのような長閑な日和と景色。と思って歩いていたが……。
何か様子が違うような気が。辺りを見回すがのどかな田園。妙之谷川の向こう岸の田圃の向こうから声が…。
目を凝らすと田圃にトラクターが転倒している。
その辺りから声が。どうやらトラクターの下敷きになっている人が!!!
私は「がんばれー。直ぐ行くー」と言ったが橋が無い。上流100m程の所に橋が見えた。走る。走るー
途中でトラックとすれ違う。手を上げ止めて手伝いを請う。彼も走る。
到着し、下敷きの人に聞く。「この辺りに人はいないか?」。
上の畑に二人いると言うので、運転手に呼んで来てもらう事にして、私は状況観察。救出の段取り。
何かの時にと細引きを数メートル(10m入れて有った)、ザックに入れてある。それを転倒しているトラクターの上部に結んで引っ張れば、転倒しているのを起こせるかもしれない。
やがて3人が戻る。二人ともかなりのご老人。一人は「俺は腰が悪いから手伝えない」というので見張りを頼む。
もう一人には我々が機械を起こしたら「下の人を引きずり出してくれ!」と頼み準備をする。
声を掛け合い綱を引く。動いた!! 半分くらい起こすと「出たー!!」と声が掛る。助かった!。
聞いてみると兼業農家で、今日は休みなので田圃で田植えの準備。終わって田圃から道路に戻ろうとして、取り付け道を登り始めたらバランスを崩し転覆したのだそうだ。
ざっと後片付けし、直ぐ傍のお宮(尾崎八幡宮)の境内で少し早い昼食にした。
これもお大師様の巡り合わせか。大事にならなくて良かった。
1時間くらい此処で時間を使っただろうか。
先を急がねば今日中に山を下れなくなる。徐々に道の勾配が急になり、やがて車道の終点の遍路休憩所に着く。
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転覆したトラクター(この下に人がいた) (ガードレールに掛けてあるのが細引き) |
大谷池溜池のテント | 国領川のおじさん | 土井駅を清掃するご同輩 |
横峰寺は山の上。
此処は石鎚山の遥拝所にもなっている。沢沿いのソマ道を登る。遍路休憩所から、あえぎあえぎおよそ1時間。横峰寺は静かに建っていた。
納経を済ませ下山。道は二つあるが、私は香園寺へ一直線に下る大谷池コースへ。奥之院あたりでくたびれた。ここで泊まろうかとも考えたがなんとなく陰気。
市内の夜景を見渡せる大谷池までがんばる。堰堤にテンとを張り、横の斜面からの細〜い細い湧き水をやっと集めて食事の用意。
神戸の百万ドルの夜景は知らないが、これがそうかもしれないと思う西条市内の夜景。満天の星空を眺めながら寝に着いた。
5月8日
61,62,63,64番を納経。今日も道程は長い。
香園寺は朝一。時間前(7時)には境内に到着する。手車にイッパイの荷物を積んだお遍路が一人。挨拶をして私は納経。彼は読書中。
午後2時過ぎに新居浜市の国領川の橋のたもとに着く。自販機でジュースを購入。ゴクゴクと飲んでいると自転車に乗った小父さんが来た。同じ様に自販機にお金を入れてガッチャン、キャンセル。おかしな人だなぁと思っていると、私に近づき「お接待です」と言って500円硬貨を下さる。私の方が背が高いので開いた財布が丸見え。
残りは10円銅貨数枚だけ。私は遠慮したがお接待だと言うのでありがたく拝す。何という事だ。ご自分で喉が渇き清涼飲料水を買いに来たのに、私を見て自分は飲まずに私にお接待だと言って有り金を下さるとは。四国の人とは何だろう?
私の飲み方が余程ガツガツしていたのか? 考えさせられる出来事だ。
この夜は伊予土居駅構内で寝るつもりで駅に着く。すると今朝一でお会いした荷車の遍路が来ていた。私よりも先に歩いたとも思えないので、訪ねると「途中から電車」とのこと。納得。私は待合室で一緒の夜を嫌い、ホームの外れにテンとを張る。
此処に来る前に「えひめトラックステーション」でシャワーを浴びて、アイコープで刺身その他食材を買いサッパリ気分。テントで一人盛り上がった。
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霧雨にけぶる雲辺寺 | お接待のうどん屋「大多喜」 |
5月9日
朝、目を覚ますと件のお遍路が既に起床して、駅構内を箒で清掃中(上の上の写真の右端の先輩鉢巻き遍路)。昨日ウサン臭い思いで別居?したのだが、私よりもずっと心のキレイな人で脱帽。未熟な私。精進せねば。人は見掛けに寄らぬものと自分の未熟さに恥じた。
三角寺も山の上。四国中央市(旧伊予三島)から山に入る。銅山川発電所横を通り、ミカン畑を抜け杉林の中を進む。
三角寺は長い階段を登った上にある。静かな山上の寺である。
三角寺から雲辺寺へは、尾根状の北西斜面をほぼ等高線に沿って緩く下りながら北東に進む。長〜い下り道である。別格14番椿堂でR192号線に出る。出た処に雑貨店がある。此処で食材の補充をする。
境目トンネルを抜け再び徳島県に入る。日も傾き、急がねばならない。
佐野地区の民宿岡田は遍路宿。ここで雲辺寺への道を確認する。
高速道路下を抜け登山道(遍路路)。尾根に付けられた道をひたすら登る。5時までに雲辺寺に着きたいと登るが、少々無理かも。
雲辺寺には薄暗くなる頃に着いた。既に納経時間は過ぎているので今夜のテント場を探す。通夜堂もあるようだがテントが良い。
それにしても此処の境内は羅漢様が大勢居て、等身大でニヤニヤしていて気持ちが悪い。丁度夕闇に大男達が笑っている形だから。
ケーブルの山頂駅の廊下状の所にテンとを張る。屋根もあり少々安心。仲間が一人いた。大坂出身の若いお遍路。彼と飲みながら四方山話。
宿毛であった事等を話すと、そんな事は大坂・四国には沢山ありますとの事。そんなもんのなのか?
この夜半から雨が降り、テントが濡れる。
5月10日
昨夜来の小雨。朝一で雲辺寺の納経を済ませ、霧の杉林の中の林道を下山する。
67番大興寺を打ち観音寺市内へ。これからは平地歩きだ。
昼頃観音寺市街の入り口に差し掛かる。腹も減ったので「手打ちうどん大多喜」に入り天ぷらうどんを注文。食べている間に携帯電話の充電のためにコンセントをお借りする。料金を払い出ようとすると「お接待」と言ってお金を下さる。今払ったうどん代とは別に数百円のお接待。南無大師返上金剛。
前にも書いたが四国ならではの心遣いだ。
68,69番は同じ敷地内。観音寺市の砂の銭型で有名な所である。銭型とは山の向こうこっちに位置している。
同じ敷地に有って納経代は2倍の600円を納める。気持ちとしては少し複雑。日暮れまでには少し間があるので、昨夜雨に濡れたテントを駐車場のガードレールに広げて乾かす。そしてゆっくり70番に向かう。
財田川の堤防に沿って進むとそれらしい森が見える。今回は此処本山寺までと決めていた。
本山寺は本堂脇に聳える立派な五重塔が印象的だ。
本山寺の駅脇にテンとを張り、明日は丸亀城を見学して帰途につこう。
いろいろあった今回のお遍路。後日振り返れば苦しさは楽しさか。楽しみである。
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追記
この度、この項を補記した。
4月29日の宿毛市の部分が、突然改ざんされていたのだ。理由は何となく分かる気がするが…。
おそらく、宿毛で受けたお接待のことを記したのだが、若しかしたら誰かの気に障ったのかもしれない。
帰宅後に住井すゑの橋の無い川を読んだりして、お接待を受けたお礼を書いたのでしたが。
事前にメールでもいただけば解決できたのに。
今日時間があったので、補記したのだが、記憶が全く消えていない事に驚く。
もう5年も前の事なのに、地図や資料を見ると走馬灯のように思い出されるお遍路行。
歩き遍路は足掛け3年。4度の区切り打ちで結願した。
その後は2年、2回に分けて自転車で108か寺を野宿で結願。
今年は(平成22年)ゴールデンウィークに津軽・下北半島を自転車で廻る準備をしている。
新しい出会いが楽しみだ。
2010/2/13