06お遍路

2006/5/15

修行の路 「土佐路」

 ゴールデンウイークの5月3日。高知駅を7:30に出発。31番札所「竹林寺」に向かう。
区切り打ちの2年目。昨年よりは気負いが無い様に思う。早朝の高知駅前通を南下する。はりまやばし 交差点で左折する。
本道はこのまましばらく進むのがいいのだが、右斜めに川の両側に路のついた街路樹の美しい通り。これに入り2kmの道草。
土佐路は修行の道という。はたして私にとっての土佐路は如何なものか?

竹林寺(31番)

竹林寺は小高い山の上に立っている。
国道の分岐からはすぐ上の辺りにあるように思えるが、小一時間
墓地の連なる小道を歩いて登る。
車道はおそらくスイスイ走っていることでしょう。
樹木のうっそうと茂る道を上り下りしながら、小山を半周ほどすると
竹林寺の山門に着く。

連休初日のせいか参詣客が多い。
ザックを山門横に置かせていただき、観音堂、本堂の順で参拝する。
納経場に行き御朱印をいただき竹林寺を後にする。
足の具合は順調である。(シメシメ)
天気も快晴。
竹林寺山門

禅師峰寺(32番)

竹林寺から下田川の堤防を歩く。
川の中には大きな魚が泳ぐがその姿は確認できず。引き波はかなり大きな魚を想像する。

禅師峰寺も山の上にあり、本堂前
の展望台からは遠く桂浜が望める
寺下の食堂にて昼食をとる。
食事を済ませ、外で身支度をしていると「お接待のおせったいですが」と言って中年のご夫婦が小ナツを下さる。
「南無大師返上金剛」
遠く”月の名所”の桂浜を望む 桂浜への太鼓橋

雪渓寺〜種間寺(34番)

   
 種間寺門前でおばさんにシャッター  仁淀川堤防に建つお大師様
裏にはお遍路中に倒れたと思われる人の供養塔
急げば種間寺には17時ぎりぎりに着きそうな気がして1km程は小走り。其の甲斐あって間に合う。
次の35番への途中の喫茶店でコーヒーを飲み、食事はお好み焼き店。食事を済ませ暗くなった道をヘッドランプで歩く。仁淀川の堤防上に夜露をしのげそうなお堂があり、一夜を借りる。
翌日地元の人がお参りに来られ「お大師様」とのことを教わる。遍路で倒れた人の供養施設と知る。
裏の小さな墓には「いよたつる村茨助妻文化十三年壬八月十九日」と読める。
胸に来るものを感じる。「南無大師返上金剛」

清瀧寺〜青龍寺

 清瀧寺は山の上。だらだらの山道をだらだらと登る。急登になり一汗かくと山門。趣のある山門である。大きくはないが風格がある。

清瀧寺山門 まぐろのカブトが路端で売られている 青龍寺は山門のはるか上に本堂

 本堂の前でおじさんがボンタンを売っている。うまそうなボンタン。「あまり売れ上げは無い」とおじさん。旨そうなので一つ買って食べる。
味見をしてしまったので申し訳ないと思い(実際旨かった)一個100円也。
下山した街中で昨夜のお好み焼き店で接待でいただいたおにぎりを食べた。うまい! 南無大師返上金剛
 
 波介川を渡りしばらく歩くとJAの売店。そこでまぐろのカブトが一個150円也で売られているのにびっくり。
銚子漁港の周辺では珍しくは無いが、ここに来てまぐろのカブトはびっくりである。
宇佐大橋のたもとの海産物売り場のおばさんに荷物をお願いして、青龍寺を往復することにした。
青龍寺は予想に反し平地に有る。山門の奥は急な階段で本堂に続く。きつい登りで皆あえぎあえぎ上る。
横綱「朝青龍」はここで高校時代を過ごし朝潮の弟子で朝青龍と名付けたと聞(明徳義塾学園高校卒業で朝青竜明徳)。

岩本寺

 青龍寺を後にして5km程の所に灰方という集落がある。
ここに来て夕方になったので道端の酒屋兼雑貨兼食堂に寄り夕食を食べる。食堂のお客は私を含め2名。
飲みながら2時間ほど。手作り夕食をいただきこの夜は接待で道の反対側の灰方公民館をお借りする。
食事中の会話で「テントに泊まるなら前の公民館に泊まりなさい」ということでその言葉に甘えた。
今まで風呂にも入れず体が臭い。水道を借りて体を洗い、汚れた靴下、アンダーシャツを洗濯する。ありがたいことです。南無大師返上金剛!
ここまでは順調に歩く。雨も無く予定通りの歩きである。

須崎市の”道の駅かわうその里”に着くとGWのせいか大分お客さんがいて賑わっている。建物の中には入らずに外の縁台に荷を下ろした。
露天商のおじさんと雑談していると、別のおじさんが来て話しに加わった。
その中で「お遍路さんは歩きだが、車に乗せると言われたら乗るのかい?」とおじさん。私は「有り難い話ですが、今の気持ちでは丁重にお断りしますね」と話す。
するとおじさんはいなくなった。しばらくの後、私が荷物を背負い出発しようとした時、件のおじさんが来られて「これお接待」と言って千円札の折りたたんだものを差し出した。
私は受け取ることは出来ないと丁重に辞退するが「お接待は断るものではない」と、この道の先輩の言葉を思い出し恐縮しながらいただく。南無大師返上金剛 
四国はなんと言う土地柄なのかと改めて驚く。このお金は一生大事にしたいと思い、我が家の仏壇に供えた。(しばらく歩いてから折りたたんだ紙幣を広げると何と2千円も!!)

酒屋・雑貨や・食堂 灰方公民館 道の駅かわうその里 岩本寺山門

岩本寺までは途中もう一泊した。JR土讃線の土佐久礼駅辺りから遍路路は3コースに分かれる。
私は久礼の街のスーパーで食糧を買い、大板谷川沿いの道を選び歩いた。暗くなる頃に七子峠に着いた。
廃業したガソリンスタンドの裏側の空き地にテントを張る。空模様が怪しい。フライシートは張らずに、久礼の街の中で仕入れた食材で一杯飲み早々に寝る。

目を覚ますと小雨模様。この日は降ったり止んだりの陽気。6時にテントを出る。
窪川町の道の駅あぐり窪川で休み、10時に岩本寺に着く。58.5kmの距離を概ね1日半で歩く。
ここまでは順調。日程通りである。
これからが本当の修行の道になることをこの時には未だ知らなかった。

修行の道(苦難の道)

 10時半に岩本寺を出発。次の足摺岬の金剛福寺までは最長の85km。良い塩梅の所に食堂が無いことを寺の社務所で伺ったので、街中のスーパーで昼食を購入。
朝から雨模様。雨が止んだ合間に金上野辺りにて昼食。市野瀬遍路路で薄暗い杉の森を抜け、佐賀温泉にて久しぶりに髭を剃り、アンダーシャツを洗濯する。
こざっぱりして前進。熊井から又遍路路に入り夕刻土佐佐賀駅に着く。駅前の観光地図で現在地を確認してから食堂を探す。
佐賀漁港は第三種(漁港は1種から3種まで規模により区分されています)。大きな漁港なので、近くには漁師が利用する美味い食堂があるだろうと考えて、港近くの居酒屋に入る。
此処は土佐の国。だからかつおが食べたいと注文するが、今日は海が悪くカツオは無いとのこと。この店はその日上がったカツオしか出さないという。
肴としてウツボを生れて初めて食べる。

外に出ると雨がジトジト降っている。商売柄漁港には雨を避ける建物があるはずだと考え、漁港構内を探すと案の定建物の一番端に洗面所。
洗面所の入り口は廊下のようになっていて、雨をしのげる構造になっているので今夜のネグラに拝借する。これが実は最大の失敗だったと後で知ることになる
ビニールシートを敷きツエルトに潜り寝袋に入る。その上にビニールシートをかぶせ眠りに入る。暑いので胸から上は寝袋から出して、腕も出して寝た。

昼の疲れから直ぐに爆睡。眠りの中で、手の甲に何か虫みたいなものを感じて払うと「チカッ」と刺された。腹の上に置いた手で払ったのだが、それは腕を頭の方に振っただけ。
払った虫が首筋に。それを又手で払う。瞬間、また「チカッ」。首の後ろ側を。痛い!! 
しかし、昼の疲れで直ぐには状況が判断できずに、しばしそのまま眠りの姿勢。
ぼやーと考える。かなり痛い虫に噛まれたようだ…。「また噛まれたら大変」と思い、やっとヘッドランプを点灯して寝袋の辺りを点検。何もいない。
何気なく左脇のコンクリートの壁を見ると割り箸サイズのムカデ!! 「これかあー」 今までにムカデには噛まれたことが無い。
水の入ったペットボトルで打ち取った「成敗!!」  安心できないので摘んで右脇の手洗い場にポイ捨て。

どのようにしていいのか見当もつかない。しかし、ムカデに刺されて死んだ人の話は聞いたことは無い。何とかなるだろうと思いそのまま寝に着く。
時計を見ると0時25分。それから2時間ほどして。痛くて痛くてどうにもならない。どのように頭の位置を変えても痛い。
携帯電話で救急車を呼ぼうか? 手当ての方法を尋ねようか? いろいろ考えながら「朝まで待とう」と思い、痛みに耐えて朝を迎える。

市野瀬遍路路 手洗い場のにっくきムカデ 清き流れの四万十川

5時20分荷造りをして出発。首が痛い。雨も強い。
生まれて初めて”百足”に噛まれその痛さを思い知らされる。1週間たった今日15日現在も腫れてかゆい。(腫れは1カ月以上引きませんでした)
痛さに耐えながらひたすら前進。9時30分、大方町の新しく出来た道の駅で遅い朝食をいただく。
(大方町「道の駅ビオスおおがた」を久し振りに検索。随分イメージが変わっていました。食堂や産直売場等が充実したのです。あの節は大変お世話になりました。
2023/4/28追記)
早朝定食が食べれるとは思っていなかったので大満足です。今朝はムカデ事件でいつもの朝のようにゆっくりコーヒーやパンを食べずに、出発したため腹が減っていたのです。
歩くのに飽きた頃に四国の名川「四万十川」の大橋を渡る。昨日来の雨で水嵩も多く水も濁っている。
大橋を渡り5kmほど進むとレストラン大文字がある。14時ごろ遅い昼食をとる。理由は沿道に食欲をそそる食堂が無かったし、朝食が遅かったこともあり。
ここのお上さんに百足の話をすると「私は3回食われました」とのこと。話では回数が増えるほど症状がひどくなると言うこと。彼女は病院に行ったそうである。

夕方、ドライブイン水車に着いた。
今日はここの遍路宿を利用させていただくことに決めた。はじめ四阿(アズマヤ)を利用する予定で荷物を降ろしたが、雨も降っているのでトイレ横の長椅子を利用した。
首の百足の傷は未だ痛かゆいし腫れている。

足摺岬を目指し (5月8、9日)

 水車をまだ暗い時間に出発。昨日は一日中雨に降られたが、今朝は星空。良い天気になりそう。
39番延光寺へのいちばんの近道は、38番を打ちここまで戻って真念庵経由で行くという。
私は別の道を選び土佐清水市を回ることにしている。
日が出て下の加江川を渡る。この辺りで「安宿」というお遍路宿の看板を目にする。ヤスヤドは宿泊料が安いのかぁ?
道は国道321号を概ね歩く。国道123号というのが水戸から宇都宮にあるが、これはそれの裏返しの321号。
などと思いながら大岐海岸の砂浜を歩き、9時半ころ窪津漁港に着く。ここはかつて鯨漁の基地であったとか。
港に面した食堂で早昼飯を食う。鯨料理ではないが海鮮料理に舌鼓。
それにしても今朝から足が痛い。びしょ濡れになった靴が今朝からの太陽に照らされ縮んでいるようだ。
足摺まではもうわずか。我慢我慢。
港から急な坂道を登り窪津小学校前の見晴らしのいい道になる。

足摺岬の6.5km手前で靴づれがひどくダウン。津呂の善人宿金平庵の長椅子に横になり靴を脱いで休んでいると、中からベテランお遍路らしき人が出てきて「中の畳で休むのが良いでしょう」という。
時間はまだ10時を少し過ぎたところ。1時間余りあれば足摺岬には着くので、お昼まで休んでいくつもりでいたが14時30分になって重い腰を上げた。
しかし500mも歩かないうちに足の痛みに耐えかねて、津呂地区共同墓地の横の空き地にテントを張る。幸い墓地の水道もあるし何とかなりそう。今夜は墓守か!!
どうしても足の痛みに耐えられないのです。靴は縮むし足はふやけるし。
足の豆に針で糸を通し水を抜き、焼酎で消毒する。食事も摂らずに行動食で我慢をする。
夕暮れに怪しかった空。痛さに耐えてウトウトしていると夜中に雨音が大きくなったので、テントを撤収して出発する。

5月9日
 まだ2時15分。雨音にせかされ墓地前広場の墓守を切り上げての出発。
これからが大変。足全体が痛くて歩幅はやっと30cmくらい。あまりにも痛いのでやけくそになり、駆け足のようなつもりで歩調を速める。すると不思議にも痛さを忘れた。
ヘッドランプを頼りに4時55分、ついに足摺岬に着く。私にとってまさに足引摺岬である。あんなに走ったのに時速2kmは考えられない速度。
ジョン万次郎銅像の傍の待合室のような所で朝食の支度。久しぶりに米を炊く。水を多くして梅干を入れたお粥。
昨夜は痛さで夕飯を食べなかったので、今朝のこの飯は美味い〜。

今回はこれ以上の前進を断念して38番金剛福寺からバスで土佐清水、四万十。中村から黒潮鉄道で高知に戻り帰京した。
土佐路は本当に修行の道である。ムカデに刺され、痛さ痒さに耐え、最後は豆の痛さに耐えてやっとの思いで足摺岬に着いた。
トレーニングで随分履き慣れた靴であったが、雨にふやけ、お天道様で収縮して、それで足を食われてしまった。
次回は充分履き慣らした靴で来よう。日ごろの無信仰、ずぼら心が少しは鍛えられたか。私にとって正に「修行の土佐路」であった。

今帰宅して振り返ると、短い間にいろいろ大変なこともあったが、すがすがしい気分です。
所期の目的の足摺岬に到着でき、土佐の人情に触れ、大変気持ちが良い。

ジョン万次郎の銅像と金剛福寺の甍 足摺岬・雨の中の夜明け(一筋の光明)

靴のサイズ(後日談)
 
 私は小学生の時は下駄で生活していた。通学も学校でも家でも下駄か藁草履でした。
ですから運動会とか、あらたまった時以外は下駄生活。靴も足の長さで決めて、選び方は誰にも教わっていない。履いて踵に指1本が入れば良しと決めていた。
今回の遍路に際して、日頃履き慣れたスニーカーを、東京秋葉原駅近くのスポーツ店で、店員に勧められて履き替えたウォーキングシューズ。革製で試し履きでは「良いだろう」と決めて四国を歩いた。3Eとかであったと思います。

昨年新調したこのシューズ。1番から30番まで約300km余りを歩いた靴。途中で何度か指先や踵の痛さを感じたが、我慢して高知市まで歩いた靴。
それを反省して今回は履き馴らして履いた靴。それがこのように雨でグチャグチャニなり、快晴のお天道様に晒し、乾燥収縮した靴。おまけに足もふやけたのでしょうが…??。
土佐佐賀漁港から足摺岬まで、60kmの距離を歩いてこの試練です。
原因は不明ですが、足を引きずりながら帰郷して、東京駅の大丸デパートの靴売り場に寄り、事情を話し診断していただきました。
シューシッター曰く「既成靴のサイズはABCDEFGとあります。お客様の足はG−25.5cmが良いでしょう」とのことでした。つまりづんぐりむっくりの足なのです。
帰宅後靴屋でニューバランス製の25,5cmのウォーキングシューズを購入して履き馴らしました。
2007年からのお遍路では、足の痛みもなく天と地獄の差でした。
教訓
 履き馴らしの際は、天気の良い空の元だけではなく、大雨の中でも履き、お天道様に晒し、収縮もさせ、これでもか!! と履き馴らした靴が良いのでしょうか?
東京で革製のウォーキングシューズを新調して歩き、遍路て難渋した私。その様な事を学んだ阿波、土佐の遍路でした。
原因にムカデは関係無しでしょう。

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2006/04/17


春の盛り

 春になり今年もお遍路に行こうと思う
桜前線もだいぶ北に上がりました。関東地方は盛りを過ぎ葉桜になりました。茨城県では県北部の山間部で盛り。
過日、筑波山周辺を歩いてきたが、何処に行ってもさくら、さくらでした。
昨年は漫然とお遍路に向かいました。
今年は少しはまじめにお遍路を考えて歩きたい。今年は高知駅から31番竹林寺へ。
出来れば足摺岬を回り、愛媛県の宇和島まで行きたい。

昨年よりは

 昨年は少し甘く見ていたきらいがある。
日ごろ山歩きで歩いているうぬぼれから、予想以上に足の豆に悩まされた。
今年は正月の東国(江戸の東のほう)三社めぐり(40数キロ)を3日に実施。以来機会を捉えて歩いてトレーニング。
しかし、ここに来て雑用にかまけて歩いていない。少し心配である。
昨年惨めに歩いたことを反省して、正月以来勤めて歩いたつもり。でも心配。
今年は朝青龍関に関わる青龍寺(36番)も楽しみ。足摺岬も40年振りです。あの頃の足摺岬は交通が不便で、宇和島から小さなバスで随分時間をかけて行った記憶がある。

ガイドブックで見ると道路が随分整備されたようである。でも遍路路はどうだろう?
5月3日の朝一から歩き始め。高知のかつおのたたきも楽しみの一つ。名物さわち料理も食べたい。
少し不謹慎!!
今後ここに今年の遍路みちの感想などを載せます。ご期待下さい。
石川県小松市の西出さんご夫婦のような元気遍路とはいきませんが、足の痛みに耐えながら楽しんできます。