2001.1.1版 

ホツマ伝(ホツマツタヱ)真書の証明−−平原遺跡出土の八咫鏡

【平原出土の大鏡】

 北部九州の平原遺跡が発見されたのは昭和40年2月のことでした。地元の原田大六氏によって精力的な発掘・研究が行われました。40面ほどの多数の鏡が出土しました。内訳は後漢の方格規矩四神鏡など舶載鏡が34面と、国産では直径46.5cmの超大形内行花文鏡5面と直径27cmの内行花文鏡1面です。超大形内行花文鏡は、発見当時から伊勢神宮に伝わるという八咫鏡との関係がとりざたされました。鏡の数が5面、8咫・8花文・8葉座、鏡の中間帯が9本の同心円の線によって10分割されていて、5、8、10という数字が特徴的です。

平原出土の大鏡



【ホツマ伝記載の八咫鏡】

 ホツマ伝は翌昭和41年8月に松本善之助氏によって発見されました。ホツマ伝の第17章カンカガミヤタノナノアヤ(神宝八咫鏡名由来章)に八咫鏡の詳しい由来が載っています。この章は難解ですが、天照大御神(実在の男性人物)が民衆の幸せを願って八咫鏡を造らせたとあります。八咫とは古代の物差で八尺のことで、八咫鏡は鏡の円周が八尺であるので八咫鏡と称しました。円周を八尺に定めた理由は八民すなわち世界人類の平均身長が成人の場合八尺であったのでこれを採用したとあります。ホツマ伝の方にも5、8、10の特徴的な数字が記されています。「5」は火・風・埴・水・空の五元素です。「8」は八咫・八民です。「10」は「咫を十等分で枳」云々です。


ホ17002 ホツマツタヱ ミハタのソナ 第17章

ホ17003  カンカガミヤタのナのアヤ    神宝八咫鏡名由来章
ホ17004 アメツチも ウチトもきよく    天地も 内外も清く
ホ17005 なるときに オウチにはべる    なる時に、大内宮に侍る
ホ17006 トミタミも ヤタノカガミを    臣・民も 八咫ノ鏡を
ホ17007 をがむとき アマノコヤネが    拝むとき、天児屋根尊が
ホ17008 つゝしみて ヤタとなつくる    謹みて、八咫と名つくる
ホ17009 ゆえをこふ ときにアマテル    故を請ふ。時に天照太神
ホ17010 ミコトのリ ヤタはヤタミの    勅宣り 八咫は八民の
ホ17011 もとのタケ いにしえつくる    元の身長 古作る
ホ17012 マハカリは ヤソヨロヒトの    間量は 八十万人の
ホ17013 ナレタケを あつめはかりて    成人身長を 集め測りて
ホ17014 ヒトツボを いまのヒトマの    一ツボを 今の一間の
ホ17015 モノサシぞ このマバカリを    物差ぞ。この間量を
ホ17016 ヤキダわけ これにヒツキの    八段分け、これに日月の
ホ17017 フタタまし ヨのヒトカラの    二咫増し、世の人体の
ホ17018 タカバカリ タをトツダきり    高量 咫を十段刻り
ホ17019 キとなづく タミはヤタなり    枳と名づく。民は八咫なり。
ホ17020 タカバカリ ホカゼハニミツ    高量 火・風・埴・水
ホ17021 ヨツにわけ ウツホのヒトツ    四つに分け、空の一つ
ホ17022 つぎあわせ アヤのメクリの    継ぎ合わせ、天の運行の   

ホ17023 マガリサシ これでヒトミを    曲差。これで人身を
ホ17024 いだかんと まろめてわたり    抱かんと、丸めて直径
ホ17025 フタタたる カガミはミヤの    二咫足る。鏡は宮の
ホ17026 ミハシラに カミをまねくの    御柱に 神を招くの
ホ17027 ヤタカガミ いまワタリタの    八咫鏡。今渡田の
ホ17028 マルカガミ あてゝヤタミの    円鏡 当てゝ八民の
ホ17029 ココロゐる ヤタのカガミの    心入る。八咫の鏡の
ホ17030 なによるナ ワレきくいにし    何に由る名。われ聞く古
ホ17031 カミのヤは ムのタミメより
ホ17032 ムロヤたつ タミにおしゑて
ホ17033 ヤネをなす またヤのタミメ
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【ホツマ伝は真書】

 平原から大鏡が出土したこと、ホツマ伝という古文献の存在、昭和40年代の両大発見は八咫鏡の実態をはじめて明瞭にしました。

 5、8、10の数字が特徴的であって双方一致することから、平原出土の大鏡とホツマ伝記載の八咫鏡は同じものであると言えるでしょう。

 また特に、「八咫」の意味が八民(世界人類)の平均身長であることは、ホツマ伝あってのことです。記紀からは、「八咫」そのものの説明が無く「八咫」の意味は不明です。

 ホツマ伝の「カンカガミヤタノナノアヤ(第17章)」が書かれた当時(紀元前1世紀)の人々の平均身長は、平原の大鏡の直径46.5cmに円周率3.14を乗じた146cm程であったと考えられます。但し平均身長といっても、母集団の年齢等の要因については不明です。





【補足説明】

1.「明治時代以後に発見された考古遺物による証明方法」

 ホツマ伝には、江戸時代以前には不明だった事が書かれています。ホツマ伝の八咫鏡に関する事柄は、後年(明治以降)の平原遺跡の発掘によって正しかったと判明しました。このことによって、ホツマ伝が書かれた時期は、その考古学的事実の実年代と肩を並べる可能性が大きいと言えます。

 平原出土の大鏡は埋葬時(1世紀中頃)には既に破砕されていたことが判っています。ホツマ伝は破砕以前の実録であることになります。


2.「5」、「8」、「10」の数について

 平原の大鏡(直径46.5cm程)は5面あります。ホツマ伝の方では「5」について、「ホカゼハニミツ ヨツにわけ ウツホのヒトツ つぎあわせ アマのメクリの マガリサシ (火・風・埴・水 四つに分け、空の1つ 継ぎ合わせ、天の運行の 曲差。)」とあります。それぞれの大鏡が「火・風・埴・水・空」のどれかに対応していると考えられます。「8」は八民(世界人類)。「10」は8咫(タ)に2咫を加えて云々、また咫を10で割って枳(キ)とするなどの記載があります。これは10進計算の始まりではないでしょうか。


3.八咫鏡は円形である

 ホツマ伝の17章には、「これでヒトミを いだかんと まろめてわたり フタタたる (これで人身を 抱かんと、丸めて直径 二咫足る。)」とあります。これに関連して『全訳秀真伝(吾郷清彦訳解)』での註釈と解説は次のようになっています。

註釈: 八咫鏡の円周の長さが8尺であるから、その直径は3.14で割ると2尺5寸4分〜となる。即ち2尺に十分足る故『二咫足る』と表わしたのである。

解説: 〜民を安寧・幸福ならしめる大御神の大御心をもって、日に象って円形に天照大御神が造らし給うたものである。古来ヤタの義に拘泥して、八咫鏡が円形か八稜形かの議論が喧しかった。然し本章に依って八咫鏡が円形であることは、歴然として明瞭であり議論の余地がない。


4.平原遺跡の実年代

 平原遺跡は弥生時代と古墳時代を結ぶ1つの要点です。原田大六氏の説を基にして、甕棺墓 → 割竹形木棺式弥生古墳(平原) → 先駆古墳 → 前方後円墳、このような順序と考えられます。

 平原遺跡の発見(昭和40年)の後、池上曽根遺跡の木材の年輪年代測定法(平成8年)によって、古いものを100年も新しく見すぎていたことが判明しました。平原遺跡は原田大六氏によって当初は西暦120年頃と想定されたようです。実際はもっと古くて1世紀中頃ではないかと考えています。新しい方に下げるなどは逆行だと思います。

 記紀には元祖八咫鏡(平原出土大鏡)に関する記述が見られません。記紀編纂時点では既に記憶が完全に消滅していたようです。現物や記憶があれば記紀に痕跡が残る筈です。伊勢神宮の最初の鏡もおそらく平原の大鏡とは別物でしょう。これらのことは、平原遺跡が崇神朝〜景行朝などよりもずっと古いということに外なりません。


5.被葬者について

 武器の副葬が少なくて被葬者は女性らしいとのことで玉依姫(神武天皇の生母)かと考えていましたが、規模と副葬品(三種の神器)の性質などから鵜葺草葺不合尊に変更しました。

 ホツマ伝前半の著者という大物主クシミカタマノ命は、妹(姫踏鞴五十鈴姫)が神武天皇の后です。このため、クシミカタマノ命は天照大御神よりも5代100年ほど新しくて、平原の埋葬時とは時代が近そうです。


6.伊勢神宮の八咫鏡について

 伊勢神宮関係文書で八葉(他の内行花文四葉鏡と違う)とあります。また伊勢神宮の八咫鏡の実態はほとんど不明です。次のようなことを考えています。

・天照大御神時代の元祖八咫鏡は全て平原に埋められてしまった。但しなんらかの古い伝来の鏡が伊勢神宮に行った可能性はある。

・伊勢神宮の最初の鏡は、崇神天皇の時代に豊鍬入姫が祀った鏡である。この時代(推定西暦241年)に新鏡が造られたとのホツマ伝の記録があります。BC70年頃に平原の大鏡が造られてからは約300年、AD50年頃の平原遺跡からは約200年、時代が下っています。


ホ33028 ミホナヅキ シギミヅカキに    三年九月 磯城瑞籬に
ホ33029 ニイミヤコ ヨホメスエミカ    新都 四年十月二十三日
ホ33030 ミコトのり ミオヤのさづく    勅宣り 御祖の授く
ホ33031 ミグサモノ クニトコタチは    三種神宝 国常立尊は
ホ33032 カンオシテ アマテルカミは    神璽、天照大御神は
ホ33033 ヤタカガミ ヲヲクニタマは    八咫鏡、 大国魂神は
ホ33034 ヤヱガキと つねにまつりて    八重垣剣と 常に斉祭て
ホ33035 ミトカミと キはとほからず    三太神と 神気は遠からず
ホ33036 トノユカも ウツハもともに    殿床も 神器も共に
ホ33037 すみきたる やゝイヅをそれ    澄みきたる 愈稜威恐れ
ホ33038 やすからず アマテルカミは    安からず。天照太神は
ホ33039 カサヌヒに トヨスキヒメに    笠縫邑に 豊鍬姫命に
ホ33040 まつらしむ ヲヲクニタマは    祭らしむ。大国魂神は
ホ33041 ヌナギヒメ ヤヤへのサトに    淳名城姫命 山辺の里に
ホ33042 まつらしむ イシコリドメの    祭らしむ。石凝留命の
ホ33043 マゴカガミ アメヒトカミの    孫に鏡、天目箇神の
ホ33044 マコツルギ さらにつくらせ    孫に剣、新に造らせ
ホ33045 アマテラス カミのオシテと    天照 太神の御璽と
ホ33046 このミグサ アマツヒツギの    この三種 天津日嗣の
ホ33047 カンタカラ ヰトシゑやみす    神宝
ホ33048 ナカバかる ムトシタミちる 



7.伊勢神宮の現在の八咫鏡について

 伊勢神宮の現在の八咫鏡の大きさ・文様については、次のようではないでしょうか。

・鏡を収める箱の内寸約50cm。

・鏡の直径23cm以下。

・裏側の中央部が八葉座の鏡(内行花文八葉鏡)。

・幾度かの火災によって元の八咫鏡の大きさ(・文様)は不明。

 詳細は以下によります。

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『卑弥呼の鏡』原田大六著(六興出版、昭和54年)

【伊勢の御神体の実態】

 〜八咫鏡を伝世してきているという伊勢神宮ではどうなっているであろうか。

 内宮では鏡箱を「御樋代(みひしろ)」といい、それを乗せる台を「御船代(みふなしろ)」といっているが、それら容器の大きさについて延暦ニ三(八○四)年の記録が遺っている。それによると、

 正體御船代一具(長七尺五寸・内五尺七寸・内深一尺四寸・廣ニ尺五寸・高ニ尺一寸・内弘ニ尺)御樋代一具(深一尺四寸・内八寸三分・徑ニ尺・内一尺六寸三分〔『皇太神宮儀式張』〕

とあり、径一尺六寸三分の中に八咫鏡は収納されているというのである。これは『延喜式』の記録にも、

 大神宮船代三具(一具正宮料・長七尺三寸。内五尺七寸。廣ニ尺五寸。内ニ尺。高ニ尺一寸。内徑一尺六寸三分。外徑ニ尺。(神祗四皇大神宮)

とある・寸法には小差があるが、鏡を収納している、樋代の内径は儀式帳と同じ寸法で、一尺六寸三分である。これは約五○センチメートルの内径であるから、平原出土の四六.五センチメートルの大鏡はゆっくり納まることになる。

 しかし前某宮司の話によると内宮の樋代は遷宮の際に作り替えられ鏡は新樋代に入れ替えられるので、内部がどうなっているかが代代の宮司間では知られているという。

 その前某宮司によると樋代の中に更に円形の箱があり、これは密卦されて中は見られないが、その内箱の径は二三センチメートル内外で、御神衣に包みこまれているという。とすれば伊勢神宮の御神体の八咫鏡は二三センチメートルよりずっと小さい鏡であることになる。

 しかし伊勢神官は何度も火災に遭っていて、元の御神体は焼失したのかも知れないといわれていた。こうなると、八咫鏡を確めるべき方法が無いことになる。ただし、

 八咫ハ古語ノ八頭也。八頭花崎八葉ノ形也。中臺ハ圖形ニ座也。〔『御鎮座伝記』〕

と記されている。『寳基本記』にもこの記事があるというが、樋代が造り代えられたとすれば、伊勢神宮の八咫の鏡は、宮司から見られていたのだから事実を伝えているといってよかろう。

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8.伊勢神宮の鏡は平原出土大鏡と文様・大きさが異なる

 「直径23cm以下、内行花文鏡、八葉座」、端的にこのイメージです。

 平原の大鏡(直径46.5cm)は同心円9本あります。これを『御鎮座伝記』中の表記である「圓外日天八座」はどう考えても表現不適合です。それよりも、平原の27cm鏡のように中間帯に8つある円形模様などの方が「圓外日天八座」に相応しそうです。「中臺圓形座」は、八花文を含む中央部全体が円形であるとの説明でしょう。

 八咫の名については、【八頭花崎八葉形也。故名八咫也。(八頭花崎八葉の形也り。故に八咫と名付く也り。)】と『御鎮座伝記』にはあります。サイズとは無関係に形(文様)から八咫と名ずけられたようです。

 伊勢神宮の八咫鏡は、平原の元祖八咫鏡の伝承を基にして、後世に造られたかもしれません。

 




【八咫鏡と関係ありそうなホツマ伝の記述】

 八咫鏡に関する「古事記・日本書紀・古語拾遺」の記述と関係ありそうな、「ホツマ伝」での記述内容抜粋です。

参考文献:『全訳秀真伝(吾郷清彦訳解)』

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A1.天照大御神の岩戸かくれ

ホ07130 ソサノオは イワヲけちらし    素佐之男尊は 巌蹴散らし
ホ07131 なをいかる キミをそれまし    なを怒る 君恐れ坐し
ホ07132 イワムロに いりてとざせば    岩室に 入りて閉せば
ホ07133 アメがシタ カガもあやなし    天が下 篝も文無し
ホ07134 ヤスカワの ヤミにをどろく    安河の 闇に驚く
ホ07135 ヲモイカネ タヒマツにはせ    思兼尊 手火松に馳せ
ホ07136 コにといて タカマにはかり    子に間いて高天原に議り、
ホ07137 ゐのらんや ツワモノヌシが    祈らんや 津波物主尊が
ホ07138 マサカキの カンエはニタマ    真榊の 上津枝は瓊玉
ホ07139 ナカツエに マフツのカガミ    中津枝に 真写の鏡 (※)
ホ07140 シモニキテ かけゐのらんと    下伎和幣 懸け祈らんと、
ホ07141 ウスメらに ヒカゲをたすき    鈿女等に 日蔭葛を襷き
ホ07142 チマキホコ ヲケラをニワビ    茅巻矛 朮を庭燎
ホ07143 ササヌハナ カンクラのトノ    小竹野花 神座の殿
ホ07144 カンカガリ ふかくはかりて    神篝火 深く思慮て
ホ07145 ヲモイカネ トコヨのヲドリ    思兼尊 常世の踊
ホ07146 ナガサキや ワザヲギうたふ    永幸や 俳優歌ふ
ホ07147 カグのキ かれても にほゆ     香久の木 枯れても匂ふ
ホ07148 しほれてもよやあがツマアワ     凋れても宜や 吾が妻鳴呼。
ホ07149 あがツマ あわや          あが妻 鳴呼や。
ホ07150 しほれてもよや あがツマアワ    凋れても宜や、あが妻鳴呼
ホ07151 モロカミは イワトのまえに    諸神は 岩戸の前に
ホ07152 カシマトリ これぞトコヨの    鹿島鶏 これぞ常世の
ホ07153 ナガサキや キミゑみほそく    永幸や 君笑み細く
ホ07154 うかがえば イワトをなくる    窺えば 岩戸をな繰開る
ホ07155 タチカラヲ ミテとりいだし    手力男尊 御手とり出だし
ホ07156 たてまつる ツハモノヌシが    奉る。 津波物主尊が
ホ07157 シメナハに なかえりましそ    〆縄に 勿帰りましそ
ホ07158 しかるのち タカマにはかり    然る後 高天原に議り
ホ07159 ソサノオの トガはチクラの    素佐之男尊の科は千座の
(※) 「真写の鏡」であり、ここでは「八咫の鏡」とはなっていない。天児屋根命は登場していない。



A2.「マフツの鏡」と「八咫鏡」

ホ08250 タチカラオ ハタレハルナに    手力男尊 禍鬼榛名に
ホ08251 とびかかり チカラあらそひ    跳びかかり 力争ひ
ホ08252 をししばる ハタレマもみな    圧し縛る 禍鬼魔も皆
ホ08253 とりしばり まえにひきすゑ    捕り縛り 前に曳き据ゑ
ホ08254 たれあくる キミヤサカニの    垂幕上ぐる 君八尺瓊の
ホ08255 まかるタマ セヲリメマフツ    曲る玉 瀬織姫真写
ホ08256 ヤタカガミ アキツクサナキ    八咫鏡 開津姫草薙
ホ08257 ヤエツルキ ときにイフキト    八重垣剣。時に伊吹戸主尊
ホ08258 ゆえをとふ ハルナこたえて    由来を問ふ。榛名答えて
ホ08259 ヤツカレに ネのマスヒトが    僕に 根国の益人が
ホ08260 おしえけり イサヲシならは    教えけり。功績成らぱ
ホ08261 クニツカミ これソサノオの    国津神 これ素佐之男の
ホ08262 ミコトなり ときにイフキド    尊なり。時に伊吹戸主尊
ホ08263 マフツなら かんがみんとて    真写なら 鑑んとて
ホ08264 ミカガミに うつせばふつく    御鏡に 写せば悉く
ホ08265 ツハサあり イフキドいわく    翼あり。伊吹戸主尊日く
ホ08266 このハタレ ヌエアシもちぞ    この禍鬼 鵺足持ちぞ
ホ08267 バケワザに たぶらかすモノ    化術に 誕す者
ホ08268 みなきらん ときにクスヒが    皆斬らん
ホ08269 クマノカミ まねけばカラス 
ホ08270 ヤツきたる ここにハタレの 
(※) 禍鬼(ハタレ)による大規模な反乱に関するアマテル神時代の記述です。ここの記述によって、「マフツの鏡」とは真実を悉く写す鏡のことであることがわかります。また「八咫鏡」は「マフツの鏡」であることがわかります。



A3.天照大御神が皇子忍穂耳に三種神宝を譲る

ホ11062 たちながら キミココノヱの    立ちながら 君九重の
ホ11063 シトネをり むゑにきゝます    褥降り 宜に聴きます。
ホ11064 ミコトのり なんちヲシヒト    勅宣り、汝忍仁(忍穂耳尊)
ホ11065 わがかわり つねのヨサシも    わが代理 常の委命も
ホ11066 みたゝしぞ チチのハルアキ    御糺ぞ。千々の春秋
ホ11067 タミをなて このヤサカニの    民を愛撫で この八尺瓊の
ホ11068 マカリタマ あがクシヒルと    勾玉 あが奇霊留と
ホ11069 もちゆれば ナカコますぐに    用ゆれぱ、中子真直に
ホ11070 たもつなり ヤタノカガミは    保つなり。八咫の鏡は (※)
ホ11071 たてにふれ モロトのサガを    経に触れ。諸人の祥禍を
ホ11072 かんがみよ またヤエガキは    艦考みよ。また八重垣剣は
ホ11073 ツにあづけ アラカミあらば    剣臣に預け、荒神あらば
ホ11074 よくむけて めくみやわせと    良く平定て 恵み和せと、
ホ11075 みてつから たまふミクサを    御手から 賜ふ三種神宝を
ホ11076 うけたまゑ なをもをもゑよ    受け給ゑ。なおも思ゑよ
ホ11077 タカラモノ みることワレと    神宝 見ることわれを
ホ11078 みることく めとるチチヒメ    見る如く 娶る栲幡千々姫
ホ11079 あひともに つねむつましく    相共に 常陸じく
ホ11080 みやびなせ ワレフタカミの    雅びなせ。われ天両神に
ホ11081 ミチをなす わがコつらつら    道をなす わが御子つらつら
ホ11082 ミチゆかは ヒツギのさかゑ    道行かぱ、日嗣の栄え
(※) 忍穂耳尊の時代(BC80-BC40頃)には既に八咫の鏡があった。



A4.八咫の鏡の名の由来

ホ17003  カンカガミヤタのナのアヤ    神宝八咫鏡名由来章
ホ17004 アメツチも ウチトもきよく    天地も 内外も清く
ホ17005 なるときに オウチにはべる    なる時に、大内宮に侍る
ホ17006 トミタミも ヤタノカガミを    臣・民も 八咫ノ鏡を
ホ17007 をがむとき アマノコヤネが    拝むとき、天児屋根尊が (※)
ホ17008 つゝしみて ヤタとなつくる    謹みて、八咫と名つくる
ホ17009 ゆえをこふ ときにアマテル    故を請ふ。時に天照太神
ホ17010 ミコトのリ ヤタはヤタミの    勅宣り 八咫は八民の
ホ17011 もとのタケ いにしえつくる    元の身長
(※) 天児屋根尊が質問した。すなわち天児屋根尊の時代には既に八咫の鏡があった。



A5.八咫の鏡の在り場所

ホ17025 フタタたる カガミはミヤの    鏡は宮の
ホ17026 ミハシラに カミをまねくの    御柱に 神を招くの
ホ17027 ヤタカガミ いまワタリタの    八咫鏡。今渡田の (※)
ホ17028 マルカガミ あてゝヤタミの    円鏡 当てゝ八民の
ホ17029 ココロゐる ヤタのカガミの    心入る。
(※) 「ワタリタ」が地名とすると、北部九州の平原遺跡がある現在の「有田」の可能性があります。”watarita”の”wata”はア段が2つ続くので”a”に変化して、”watarita”→”arita(有田)”となったというものです。また「ワタリタ」は「直径が咫」という意味かもしれません。そういえば平原出土鏡の中には18.7cmと27cmの内行花文鏡もありますが、大鏡が錆びたので代わりに新調したのかもしれません。



A6.八民を普く照らす八咫の鏡

ホ17338 マツリコト おさむヤスミの    治む八隅の
ホ17339 タミはヤタ ヤタミあまねく    民は八咫、八民普く
ホ17340 てらさんと ヤタノカガミと    照らさんと 八咫ノ鏡と
ホ17341 なづくなり なをミサノリの    名づくなり。


A7. 17章の最後部
ホ17399 アナニゑや アナうれしやと    アナニ善や アナ嬉しやと
ホ17400 おかみさる ヤタノカガミの    神人辞る。八咫ノ鏡の
ホ17401 ミナのアヤ いとメクミなり    御名の由来 いと神慈なり
ホ17402 アナかしこカナ          アナ畏しこカナ


A8. 辺津鏡は十種宝の1つ
ホ20018 かえことす こゝにトオヤの    こゝに外祖(豊受神)の
ホ20019 アマツカミ トグサタカラを    天津神 十種宝を
ホ20020 さづけます ヲキツカガミと    授けます。沖津鏡と
ホ20021 ヘツカガミ ムラクモツルギ    辺津鏡 叢雲剣、
ホ20022 ウなるタマ タマかえしタマ    ウなる玉 魂返し玉
ホ20023 チたるタマ ミチあかしタマ    千足る玉 道あかし玉、
ホ20024 ヲロチヒレ ハハチしむヒレ    大蛇比礼 羽々雷浸む比礼
ホ20025 コノハヒレ このトグサなり    木ノ葉比礼、この十種なり。


A9.天児屋根命の系譜
ホ20035 コヤネとは カスガトノのコ    児屋根命とは 春日殿の子


A10.糠戸命の系譜
ホ20040 ヌカドとは カガミツコのコ    糠戸命とは 鏡造命の子


A11.鍛錬人が剣を造る
ホ23257 ツルギなす そのときふれて    その時沙汰て
ホ23258 カネリトを ソタリにツルギ    鍛錬人を 十人に剣
ホ23259 つくらしむ なかにヒトリは    作らしむ。中に一人は
ホ23260 ひいてたり ヤヒバするとく    秀でたり。刃鋭く
ホ23261 ミツをわる このカネリトに    水を割る。この鍛錬人に
ホ23262 ミコトのり ナンヂがヤイバ    勅宣り。汝が刃
ホ23263 よくときぞ しかれとマテの    良く鋭利ぞ。然れど左右の
ホ23264 イキカレを しらずおしえん    活[歹古]を 知らず、教えん
ホ23265 しかときけ タノメはハルの    確と聞け。左の目は春の
ホ23266 いきるコロ タノメをいれて    活ける頃、左の目を入れて
ホ23267 ねるツルギ イキミにちかく    錬る剣 活身に近く
ホ23268 カレうとし もしあやまるや    [歹古]れ疎し。もし誤るや
ホ23269 をそるなり カノメはアキの    恐るなり。右の目は秋の
ホ23270 からすコロ カノメをいれて    枯らす頃 右の目を入れて
ホ23271 ねるツルギ カレミにちかく    錬る剣 [歹古]身に近く
ホ23272 イキうとし ツミあるモノを    活疎し。罪ある事物を
ホ23273 カレといふ ナキはイキなり    [歹古]れと云ふ。無罪は活なり。
ホ23274 カのツルギ カレミをこのみ    カの剣 [歹古]身を好み
ホ23275 イキをそる これぞおさむる    活恐る。これぞ治むる
ホ23276 タカラモノ これうつべしと    宝物。これ錬打べしと
ホ23277 のたまえば をそれてモカの    宣給えば、畏て百日の
ホ23278 モノイミシ ミギメひとつで    物忌みし、右目一つで
ホ23279 ねるツルギ やふりあぐれば    錬る剣、八振打上れぱ
ホ23280 ミコトのり いまこのツルギ    勅宣り、今この剣
ホ23281 むべいたる わがミココロに    宣べ鍛錬る わが御心に
ホ23282 よくかない ミヨのおさまる    良く叶い、御世の治まる
ホ23283 タカラモノ ナもヤヱガキの    宝物。名も八重垣の
ホ23284 ツルギとぞ カネリをほめて    剣とぞ、鍛錬人を賞めて
ホ23285 たまふナは アマメヒトツの    賜ふ名は 天目一ノ
ホ23286 カミとなる のちにハタレが    神となる。
ホ23287 みたるとき カナザキをよび 
(※) 鍛錬人が鏡を造る記事はない。



A12.八咫鏡は民の心入る容物

ホ23316 ミのカキぞ またとふヤタミ    また問ふ、八民
ホ23317 をさむれば ヤタナはいかん    治むれば 八咫名は如何。
ホ23318 ミコトのり カカミはタミの    勅宣り 鏡は民の
ホ23319 ココロいる イレモノなれば    心入る 容物なれぱ
ホ23320 ヤタカガミ ツルギはアダを    八咫鏡。
ホ23321 ちかつけず またとふカキの 


A13.天孫降臨
ホ24040 フタヱけふ ミアヱをなせば    天再図今日 御饗をなせば
ホ24041 カドイデに ミハタのとめの    門出に 御機織の留の
ホ24042 オンフミを ミマコにたまひ    御紀を 皇孫に賜ひ、
ホ24043 ミカガミを コヤネにたまひ    御鏡を 児屋根命に賜ひ、
ホ24044 ミツルギを コモリにたまひ    御剣を 子守神に賜ひ、
ホ24045 のたまふは さきにミクサの    宣給ふは 先に三種の
ホ24046 タカラモノ ミコヲシヒトに    宝物 皇太子忍仁尊に
ホ24047 たまいしは アニミマこゑて    賜いしは 兄天孫請ゑて
ホ24048 フトタマと カクヤマハネの    太玉命と 香久山輔翼の
ホ24049 オミとなる コヤネモノヌシ    大臣となる。児屋根命・大物主命
ホ24050 キヨヒトが ハネのオミなり    清仁尊(瓊瓊杵尊)が 輔翼臣なり。
ホ24051 キミとオミ ココロひとつに     君と臣 心一つに
ホ24052 カノトリの カタチはヤタミ     彼の鳥の 形は八民
ホ24053 クビはキミ カガミはタバネ     首は君 鏡は左翼
ホ24054 ツルギカハ モノノべはアシ     剣右翼 物部は脚足
ホ24055 カカミオミ スエほろぶれば     鏡臣 末滅ぶれば
ホ24056 タミはなれ ヒツギふまれず     民離れ 日嗣践れず
ホ24057 ツルギオミ スエほろぶれば     剣臣 末滅ぶれぱ
ホ24058 モノべわれ ヨをうばわるゝ     物部割れ 世を奪わるゝ。
ホ24059 ヤタトミは ゾロはふハルの     八咫臣は 稲生ふ春の
ホ24060 タミワサを かんがみるメぞ     民業を 鑑みる眼ぞ。
ホ24061 カキオミは ヨコマをからし     垣臣は 邪悪魔を刈らし
ホ24062 モノノべの チカラもるテぞ     物部の 主税守る手ぞ
ホ24063 このゆえに ミグサをわけて    この故に 三種神宝を分けて
ホ24064 さつくイワ ながくヒトツに    授く事由 長く一ツに
ホ24065 なるヨシを アヤにしるして    なる由を 文章に記して
ホ24066 おてつから フミをミマコに    御親ら 典紀を皇孫に
ホ24067 さづけます セヲリツヒメは    授けます。瀬織津姫は
ホ24068 ミカガミを もちてカスガに    御鏡を 持ちて春日神に
ホ24069 さづけます ハヤアキツメは    授けます。速開津姫は
ホ24070 ミツルギを もちてコモリに    御剣を 持ちて子守神に
ホ24071 さつけます ミタビうやまひ    授けます。三度敬ひ
ホ24072 みなうくるかな          皆拝受るかな。
ホ24073 しかるのち ミクサタカラを    然る後 三種神宝を
ホ24074 ヒツにいれ シルシはサカキ    櫃に納れ 神璽は榊
ホ24075 サキカリは タチカラオなり    前駆は 手力男命なり。
ホ24076 つぎカツテ ヲヲモノヌシと    次ぎ勝手神 大物主命と
ホ24077 ミグサビツ ヤフサミクルマ    三種神宝櫃 八房鳳輦
ホ24078 つぎコヤネ かこむマヤソの    次ぎ児屋根命 囲む駒八十の
ホ24079 モノノべら イセよりたちて    物部等 伊勢より出発て
ホ24080 アスカミヤ これよりミツの    飛鳥宮 これより御津の
ホ24081 ニシノミヤ まづカンサキの    西の宮 
ホ24082 ヲヲヰホリ マナヰにいたり 
(※) 八咫鏡等の入った三種神宝櫃を八房鳳輦に積んで、大勢のお伴を連れて伊勢から出発。

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