ホツマ伝の実証−−京都下鴨神社

 平成5年11月に観光で下鴨神社に行きました。特に歴史調査のために事前準備して行ったわけではありません。

 境内に入って左手に河合神社があり祭神は玉依姫命になっています。辺りは糺すの森(ただすのもり)に囲まれています。初代神武天皇母の玉依姫が生まれ育ったのはここに違いないと直感しました。地図を見るとなんとすぐ東側に高野川が流れているではありませんか。糺すの森は昔は高野の森だったに違いない。玉依姫は高野の森に隠れ住むとホツマにあったのを思い出しました。また玉依姫は九州で亡くなり後に河合の両親の所に合祀したとありますがこの神社に違いないでしょう。【玉依姫の生育地発見】

 境内を進んで下鴨神社本殿の方に行くと祭神名を示した立て札があり、 建角沼身命(たけつぬみのみこと)と伊賀古夜日売命(いかこやひめ)とあります。これを見て2度目のびっくりその場で腕組したまま10分以上も動けませんでした。【ホツマ記載内容が事実と符合】

 建角沼身命の方はすぐ解かりました。九州の首長(海神)ハデツミの子で豊玉姫の弟タケズミです。【玉依姫の父】

 伊賀古夜日売の方は2000年の歳月の流れの凄まじさを感じました。TVクイズ番組の伝言バトルは10人の選手が次々と言葉を伝えると最後はまるで違ってしまいます。長い年月の間に変われば変わるものだと感じ入って、でもこれはイソヨリヒメだとすぐ解かりました。イソヨリヒメ→イコヨルヒメ→イクコヨルヒメ→イカコヨルヒメ→伊賀古夜日売、このような変化を辿ってきたのでしょう。【玉依姫の母の磯依姫の実在確認】

 ホツマには、玉依姫の両親であるタケズミとイソヨリヒメが河合の館を賜ったとあります。ここは高野川と加茂川の合流点にあって河合神社や河合橋もありまさに河合の場所ではありませんか。【玉依姫の両親の居所】

 このように記紀では完全にもれている又は間違っていることがホツマ伝では鮮明に書いてあります。

===ウガヤフキアエズ朝50代以上は誤り===

 京都下鴨神社がイワレヒコ(初代神武天皇)の母の玉依姫の生まれ育った場所であり、また玉依姫の両親のカモタケズミヒコ(豊玉姫の弟)とイソヨリヒメの居所跡であり、またイワレヒコを含めて4人とも実在の人物であったことが、現地状況とホツマ伝の記述内容の一致によって証明されたとすると、ウガヤフキアエズ朝は1代が正しいと言えます。

 同時に古史古伝でウガヤフキアエズ朝の代数を50代以上とするものがありますが、誤りであると言えます。

 この点は古代史解明上の1つの重要なことなので明確にしておきたい所です。この点を誤るとウガヤ朝以前の日本の古代史は闇から抜け出すことができません。

(1) ホツマ伝による正しい解釈

 イワレヒコを基準にすると、母方は玉依姫がお母さんでカモタケズミヒコがおじいさんです。イソヨリヒメは母方のおばあさんです。

 父方はウガヤフキアエズノ命がお父さんで豊玉姫はおばあさんです。ヒコホホデミ(山幸彦)は父方のおじいさんです。

 カモタケズミヒコが母方のおじいさんで、豊玉姫は父方のおばあさんであり、この2人が同世代ということでウガヤフキアエズ朝1代で正しいと考えられます。

(2) ウガヤフキアエズ朝の代数を50代以上とする誤った解釈

 イワレヒコを基準にすると、母方は玉依姫がお母さんでカモタケズミヒコがおじいさんです。ここまで本人、お母さん、おじいさんと3代です。

 父方はカモタケズミヒコと同世代の豊玉姫の子が初代ウガヤフキアエズノ命でその後に50代以上もウガヤ朝が続きその後がイワレヒコだというのです。

 母方3代に対して父方だけ50代以上ということはありえません。

 したがって古代史解明のためには(1)が正しく(2)は誤りであると判断できます。


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