ホツマ伝の紹介

 ホツマ伝(ホツマツタヱ)は全体が五七調長歌の十一万字余りのホツマ文字で書かれた大物主家所伝の超古代文書です。

 全体の構成は大きく4つの巻に分かれています。

 序の巻(概要;第1−第6紋)、天の巻(宇宙開闢から天照朝前期まで;序章−第16章)、地の巻(天照朝後期からウガヤ朝まで;第17章−第28章)、人の巻(神武朝−景行朝まで;第29章−第40章)。

 日本の国の始まりから第12代景行天皇の時までの出来事が書かれています。景行天皇の時代(推定320年頃)に成立しました。

 また同時期に著わされたミカサフミ、フトマニが知られています。

 ホツマ伝の著者は、序の巻、天の巻、地の巻が大物主クシミカタマの命(神武朝の右大臣、神武皇后ヒメタタライスズ姫の兄)で、人の巻がオオタタネコの命(クシミカタマの命の子孫、大三輪神社初代神主)です。

 ホツマ伝の大きな特徴は、古代ヤマト言葉による精神文明的な記述が豊富で高度な宇宙観にもとづく道徳観など儒教や道教以前の日本に固有な伝承が多く書かれています。ホツマの意味は、すぐれている本物、アズマ(東国すなわち東北から関東地方)の2つがあるようです。「ホツマぶり」というのもあってこれはルンルン気分のことでしょうか。

 歴史書としての特徴は日本書紀の主要な原典と目され、記紀が南方的色彩が感じられるのに対して全国的です。天照大神が男であることも特徴です。神武天皇からは人の巻になっており記紀よりもはるかに多くの史実を伝えています。全体的に内容豊富ですが難解な部分も多くたやすく理解できるものではありません。 伝来の経緯は次のようです。

 道鏡がわが国固有の古書などを焼却した事件にからんでオオタタネコ命の子孫の大加茂臣赤阪彦が自害しました。その子の和仁估世々彦が上古代より伝わる秘録を持って琵琶湖北辺の菅浦に隠遁蟄居しました。以後、井保家から小笠原家と伝わり明治時代に至りました。

 この段階までに代々研究が重ねられ漢字訳が付加されたのでこれが最近の研究に大いに役立っています。 明治7年ホツマ伝は政府にも奉呈されました。

 昭和41年に松本善之助氏が東京神田の古本店街でホツマ伝を偶然に発見、研究に没頭しホツマ伝が世の中に知られることになりました。又いくつかの伝来本が判明し研究者が増えました。

参考文献:
(1) 全訳秀真伝(吾郷清彦訳・解、新国民社、S55.2.11発行)
(2) 神々の謎(鳥居礼著、日本文芸社)
(3) 松本善之助氏の著書で入門に最適の本があります。ホツマツタヘ(毎日新聞社)
(4) 謎の秀真伝(佐治芳彦著、徳間書店)
(5) 改定ほつまつたゑ(鏑邦夫編著、渓声社)
(6) 『ホツマツタヱ』がわかる本−梗概と解説−(鏑邦夫編著、渓声社)

(1)は私が歴史研究する上での主要参考文献です。ホツマ文字は仮名に替えられ、句ごとの漢字まじり訳がついています。解説によって多くの関連知識を得ることができます。

(2)は偽書説に対する鋭い反論があります。また四国の金刀比羅宮がホツマ伝のアワ宮であることが記されています。


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