2000.11.22d初出

三角縁神獣鏡魏鏡の証明


 三角縁神獣鏡魏鏡説については、専門家による書籍が多数刊行されています。これらをよく読むことによって、三角縁神獣鏡魏鏡説は自ずと納得がいくものです。専門家による研究成果をベースとしつつ、ちょっと変わった別の証明方法を試みてみました。


【1】 ここでの魏鏡説の証明方法は、次の(1)(2)を両方とも成立させるということを基本にします。

(1)魏鏡の証拠を見つける。−−−−ある。長方形鈕孔や中国出土鏡との共通の性質。

(2)国産説の欠点を見つける。−−−国産の証拠無し。(1)の長方形鈕孔や中国出土鏡との共通の性質を説明できない。国産説というものは、証拠にはならない表面的な欠点ばかりを強調する傾向が大きいため、心(後述)が不在の「脱け殻ら説」というふうな認識です。


【2】 長方形鈕孔でしかも特徴ある鏡

 三角縁神獣鏡の製作地論争において魏鏡説では必要となるため、長方形鈕孔でしかも特徴ある鏡をまず掲げておきます。これらの青龍三年銘方格規矩四神鏡や三角縁神獣鏡等については、都出比呂志(編)『古代国家はこうして生まれた』(角川書店)、この中にある福永伸哉氏『銅鐸から銅鏡へ』によって、長方形鈕孔と銘文等に着目して、魏鏡とするきわめて説得力のある説明がなされています。福永氏は三角縁神獣鏡330面を含む千数百面の鏡を観察されたとなっています。

a 青龍三年(235)方格規矩四神鏡(京都府弥栄町大田南5号墳)

b 青龍三年(235)方格規矩四神鏡(大阪府高槻市安満宮山古墳)

c 方格規矩鳥文鏡(遼寧省遼陽三道壕)−−−銘文「銅出徐州」

d 方格規矩鳥文鏡(河北省易県)−−−銘文「吾作明鏡甚独奇保子宜孫富無[此/言]」(静岡県松林山古墳出土の三角縁二神二獣鏡と同じ)

e 甘露4年(259)獣首鏡(中国出土、五島美術館(東京都世田谷区上野毛))−−−銘文「右尚方」

f 甘露5年(260)獣首鏡(中国出土、黒川古文化研究所(西宮市苦楽園町))−−−銘文「右尚方」

g 景元4年(263)規矩鏡(中国出土、五島美術館)−−−銘文「右尚方」

h 三角縁神獣鏡(省略)

(注1)長方形鈕孔は三角縁神獣鏡の大半に見られる特徴。

(注2)銘文「銅出徐州」は三角縁神獣鏡の多くに見られる特徴。

(注3)「右尚方」は魏の官営工房。


【3】 考察

 a〜gは、特異な長方形鈕孔であることによって、同一工人集団によって作られたものであり、更にこの工人集団は魏の官営工房である右尚方と近い関係にあります。

 c〜gは、中国出土鏡ですが中国産で日本から運んだものではありません。その理由としては、圧倒的多数ある三角縁神獣鏡が中国では見つからないので、更にずっと少数のc〜g中国出土鏡にいたっては日本からの持込ではありえないということです。(重要定理)

 a〜gの考古学的な出土例を眺めてみますと、a、bも含めてごく自然に「みんな魏鏡だった」と思えてきます。青龍三年銘方格規矩四神鏡などについては、漢代の古い形式の鏡を模倣した復古鏡といわれています。a、bを魏鏡とする代表的な学者には中国の王仲殊氏が含まれています。

 b安満宮山古墳出土青龍三年銘鏡の銘文「青龍三年 顔氏作鏡成文章 左龍右虎辟不詳 朱爵玄武順陰陽 八子九孫治中央 寿如金石宜侯王」などを見ても、国産とされるような不備は無さそうです。この青龍三年銘鏡と同時に出土した三角縁四神四獣鏡の銘文には、「東王父」→「東王」、「西王母」→「王西母」と誤りがあるとの指摘があります。しかし東王父は、東王父、東王公、東君、木公(ぼっこう)、これらの表記があって、西王母は、西王母、王母、などの表記があります(中国神話伝説大辞典)。「東王父」→「東王」は別におかしくはないとも言えて、「西王母」→「王西母」についても、「母なる西の王」とかの解釈が可能です。なお「西王母」の伝承では古いものほど洞穴に住んでいるとかの人間離れしていたもののようです。


【4】 三角縁神獣鏡の心は魏にあり

 h三角縁神獣鏡の記載は意図的に省きました。辞書によりますと「心身」という言葉の意味はつぎのようです。心身:精神と身体、心とからだ、「〜をきたえる」「〜ともに健康です」・・・。 a〜gまで7面の鏡が「心」で、国内出土の三角縁神獣鏡が「身」です。「身」の記載を省いて、「心」だけがよく見えるようにしました。三角縁神獣鏡の「心」であるところの「長方形鈕孔」「外周突線」「銅出徐州」「右尚方」「共通の銘文」等は魏領域に実在して、「心は魏にある」ということを特に強調したいと思います。


【5】 洛陽出土の三角縁神人車馬画像鏡

 長方形鈕孔の左味田宝塚古墳出土鏡(三角縁神人車馬画像鏡)がありますが、そっくりさんが魏の都だった洛陽の地で出土しています。銘文の「尚方」が洛陽出土鏡では「※氏」に変っていますが、他はよく似ています。「尚方」は魏の官営工房であり、「※氏」は魏の官営工房の関係者であるということになります。残念ながら「※氏」の氏名不詳となっています。また同じ様な銘文をもつ国内出土鏡が知られていて、これらもはっきりと魏鏡ということになります。

・左味田宝塚古墳出土鏡の銘文:

 尚方作竟佳且好、明而日月世少有、刻冶分守悉皆有、長保ニ親宜孫子、富至三公利古市、傳告后世樂無已。

 尚方竟(鏡)を作る、佳にして且つ好なり、日月の明にて、世に有る少し、刻冶は分を守り、悉く皆有り、長く二親を保ち、孫子に宜し、富は三公に至り、古市に利す、后(後)世に伝え告げて、樂は已む無し。(原田大六『卑弥呼の鏡』より)

・洛陽出土鏡(上のそっくりさん)の銘文: ※氏作竟佳且好、・・・以下類似。


【6】 景初四年銘鏡について

 景初四年銘鏡は、京都府福知山市の広峯15号墳出土鏡と、兵庫県の辰馬考古資料館所蔵鏡(同形鏡)の盤龍鏡2面が知られています。景初四年は実在しない年とされています。魏鏡説においては銘文「景初四年五月丙午之日」の吉祥の意味が主張されています。「五月丙午之日」とは、鋳造家にとっては好ましい最も強い火を意味します。どのような関係による「吉祥」なのかを詳しく解明することは、即ち古代史の解明につながります。鏡を貰う倭国側のこの時代は崇神天皇の時代と考えられます。ここに景初四年銘鏡の秘密が隠されている可能性大です。持論では崇神天皇の(即位〜)新都磯城瑞籬宮遷都が該当します。景初四年(正始元年、西暦240年)は、難升米等が下賜品を持ち帰る時期ですが、崇神天皇三年に当っていて九月には新都磯城瑞籬宮(奈良県桜井市金屋付近)への遷都がありました。その時に魏からも使者を招いて盛大な式典が行われたのだと思います。魏王死去での正始改元でしたが、倭国側の事情によって銅鏡100枚は元号の混在が避けられて、一貫して「景初」メデタシメデタシの〆めくくりということでしょう。納品などで吉日と記すようなものです。このような訳で「景初四年銘鏡の検討」では、「崇神天皇」や「初期ヤマト政権」等が共に論じられなければ的外れとなるおそれがあります。


【7】 魏の地で年号鏡が生産開始されたいきさつ

 魏の地で年号鏡が生産開始された経緯については、以下の二書に詳しい解説があります。

・ 車崎正彦『三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡か』(『卑弥呼は大和に眠るか』、文英堂)

・ 近藤喬一『三角縁神獣鏡』(東京大学出版会)

要点:

 呉の孫権が名実ともに呉皇帝となった黄龍元年(229)以降は、魏は年号鏡を魏の地で製作するしかなかった。それからは呉の神獣鏡とは全く別形式の青龍三年(235)銘方格規矩四神鏡や景初三年(239)銘三角縁神獣鏡等が続々と登場することになった。


【8】 国際親善の記念品は贈ることに意味がある

 ホツマ伝には、「トヨケ(豊受神)」が「ヒガシノキミ(東の君)」であるという記載があります(ホ04023)。また、トヨケの時代に西王母が来日したという記載もあります。三角縁神獣鏡には西王母・東王父が組になった図柄が多用されていますが、古代の中国でいう東王父とはトヨケのことに違いありません。トヨケはアマテル神(天照大神)の母方祖父(イザナミの父)です。またトヨケは、古代春日氏の直系先祖に当ります。トヨケ→ツワモノヌシ→ココトムスビ→アマノコヤネ→アマノオシクモ→アマノタネコ→ウサマロ→(ヤマトクニオシヒト(孝安)→ヤマトフトニ(孝霊)→モモソヒメ)。神仙思想は前漢時代に流行って、「東王父(=トヨケ)」「西王母の来日」などについては推定この頃です。遠い過去から続いている国際親善を表わす西王母・東王父の図柄は、当事者間の贈り物には最適の図柄です。三角縁神獣鏡は魏皇帝から卑弥呼(モモソヒメ)への贈り物と考えられます。この点からも、贈り物を自分で作ったことになる国産説は考えにくいところです。

ホ04002  ヒノカミのミズミナのアヤ  日神瑞名章
ホ04003 モロカミの かみはかりなす  諸神の 神議りなす
ホ04004 タカマにて オオモノヌシが  高天原にて 大物主尊が
ホ04005 ヒノカミの イミナのアヤを  日ノ神の 諱の由来を
ホ04006 モロにとふ オオヤマスミの  諸神に問ふ 大山祗尊の
ホ04007 こたえには ミオヤのしるす  答えには 御祖の記す
ホ04008 ウタにあり モロカミこえは  歌にあり 諸神請えば
ホ04009 ヤマスミが つゝしみいわく  山祗尊が 謹み日く
ホ04010 ムカシこの クニトコタチの  昔この 国常立尊の
ホ04011 ヤクタリコ キクサをツトの  八降子 木草を苞の
ホ04012 ホツマクニ ヒカシはるかに  秀真国 東遥に
ホ04013 ナミたかく たちのぼるヒの  波高く 立ち昇る日の
ホ04014 ヒタカミや タカミムスビと  日高見国や 高皇産霊尊と
ホ04015 クニすへて トコヨのハナを  国統て 常世の花を
ホ04016 ハラミヤマ カクヤマとなす  蓬莱参山 香久山となす
ホ04017 ヰオツギの マサカキもうえ  五百継ぎの 真栄木も値え
ホ04018 ヨヨうけて おさむヰツヨの  世々承けて 治む五代の
ホ04019 ミムスビの イミナタマキネ  皇産霊の 諱玉気根
ホ04020 モトアケを うつすタカマに  元明を 移す高天原に
ホ04021 アメミオヤ モトモトアナミ  天御祖 元基・天並
ホ04022 ミソフカミ まつればタミの  三十ニ神 祭れぱ民の
ホ04023 トヨケカミ ヒカシのキミと  豊受神 東の君と
ホ04024 ミチうけて ヲヲナメコトも  道うけて 大嘗事も
ホ04025 マサカキの ムヨロにつきて  真栄木の 六万年に折尽て
ホ04026 うゑつきは フソヒのススの  植継ぎは ニ十一の鈴の

吾郷清彦訳解『全訳秀真伝』(新国民社)


【9】 参考文献:

・ 福永伸哉『銅鐸から銅鏡へ』(都出比呂志(編)『古代国家はこうして生まれた』、角川書店)
・ 岡村秀典『三角縁神獣鏡と伝世鏡』(白石太一郎編『古代を考える、古墳』、吉川弘文館)
・ 車崎正彦『三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡か』(『卑弥呼は大和に眠るか』、文英堂)
・ 近藤喬一『三角縁神獣鏡』(東京大学出版会)
・ 岡村秀典『三角縁神獣鏡の時代』(吉川弘文館)
・ 原田大六『卑弥呼の鏡』(六興出版)
・ 王仲殊、樋口隆康、西谷正『三角縁神獣鏡と邪馬台国』(梓書院)
・ 樋口隆康『古代日本を写した鏡』(『古墳時代の鏡・埴輪・武器』、学生社)
・ 岡村秀典『三角縁神獣鏡は魏の鏡』(『卑弥呼の鏡−三角縁神獣鏡(黒塚古墳出土鏡)』サンデー毎日臨時増刊1998.3.4号)
・ 川村明『安満宮山古墳出土の「青龍三年」鏡について』(『東アジアの古代文化1998冬・94号』、大和書房)
・ 白崎昭一郎『方格規矩鏡と三角縁神獣鏡の関係』(『東アジアの古代文化1998冬・94号』、大和書房)
・ 袁珂(著)、鈴木博(訳)『中国神話伝説大辞典』(大修館書店)
・ 吾郷清彦訳解『全訳秀真伝』(新国民社、S55年)


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