単独行を好むわけ
山行が好きな理由に、山や自然が好きで、煩わしい社会生活から離れ、自然の中に身を置くことで「素の自分」に戻れるということのほか、独りで直に自然の中にひたれるということがある。同行者がいると相手に気を遣い、気が散ってそれが純粋にできなくなる。山でグループに出遭うと、おしゃべりに興じて自然観照は二の次になっているように見える。社会性が未熟で子供のころから人間関係や団体行動が苦手で、独りでいる方が安らぐ。そのため、人間関係が広がらず、人間関係という財産を作ることができなかった。人間関係が嫌いなわけではなく、むしろ寂しがり屋の甘えん坊の面があり、子供のころから気の合う少数の友人はいた。職場などで知り合った人と山行したこともある。山で出会った人と話すこともあり、波長の合った人とその後山行を共にしたこともある。身近に気の合う山仲間がいればよいのにと思うが、これまで身近で山登りが好きという人とはほとんど出会わなかった。同好会加入も考えることはあるが、会則に縛られたり多人数で山行したりしたくない。一般に単独行は危険とされている。確かに同行者にベテランがいれば安心だし、事故発生時には同行者が助けてくれることがあり、単独より安全度は高まる。しかし、グループで同行者任せに付いて歩いているだけだったり、グループ内にベテランがいないと安全とは言えない。私は、事故がないように万全の備えをして山に入っていく。全責任が自分にある。また、余分な荷物は持たず、命を守れる必要最小限の荷物にする。行先、コースは十分に検討して決め、現地で判断に迷うときも自分で決断するしかない。いわば単独行は自己完結的で、思いどおりにいかない社会生活や人間関係とは違って思いどおりに行動できる万能感がある。それも単独行を好む理由になっている。一方、独りでは伸びしろが少なく、大きな成長、飛躍は難しい。非常に困難な登攀を行ってきた一流クライマーの記録を見ると、皆、優秀なベテランクライマーとの山行の中で学び急速に成長している。高いレベルを目指す場合は、独学は難しく、若いうちから優れたベテランについて学ぶことが不可欠だと思う。難度の高い岩登りや沢登り、雪山行などできれば素晴らしかっただろうと思うが、人間関係を広げなかったことで、自分の山行が初歩レベルにとどまったことは仕方ないと思っている。⇒トップページ