辻まことの名前は聞いたことがあったがその本を読んだことはなかった。65歳ころ日本の山岳図書を紹介した本を読んでいて、紹介されていた同氏の本の抜粋に興味を惹かれたのがきっかけで氏の本を集めるようになった。氏の絵や文章は私の感覚に合わない感じがあった。また、推測される氏の人柄や生き方、嗜好も自分とはかけ離れた対照的なものを感じたが、それだけに新鮮で新奇なものを感じ惹かれた。氏の文章も絵も平明で分かりやすいが、現実感や地に足が着いている確かさが薄く、どこか幻想的な雰囲気をたたえ、ふわふわした浮遊感のようなものがあった。氏は、山登り、山スキー、文章、絵、音楽と多彩にこなす器用な人で、山スキーなどはプロ級だったようだ。定職に就くことはなく、飄々とした生き様で、その独特の魅力に惹かれた人達に取り囲まれていた面でも、不器用で人間関係の狭い私とは対照的で、うらやましいような人である。それでありながら、60歳代という若さで自ら命を断ったのは、病気を苦にし、我慢してまで生きようとはしなかった氏の執着のなさ、あきらめのよさと説明できるかもしれないがそれだけでは説明し切れないものを感じる。氏の内面深いところにあった世間から遊離し、どこにも根ざせない根なし草的、居候的な孤独感があり、元々現世への執着のなさや人との結びつきの薄さがあったのではないかと推測する。その起源は、出生時から世間並みの平穏な家庭に恵まれず、世間に迎合しない個性的、強烈な生き方を通した両親に翻弄され続けた数奇な生立ちにあったように思う。飄々、洒脱に振る舞っていた氏の内面深い所にあった孤独を思うとき、自分の浅い孤独感とは桁違いの深淵を感じる。そこが、辻まことの説明しがたい不思議な魅力となって死後も多くの人を惹きつけているのではないか思う。昨年71歳時、信州山行後、安曇野の山岳美術館に寄り、同氏が描き続けた山岳雑誌の表紙画の原画展を見ることができたが、本で見た以上の緻密さ、繊細さに感銘を受けた。氏の感性や才能の素晴らしさを改めて感じるとともに、氏が恵まれた幼少時を過ごしておれば、芸術などの分野で才能を発揮し続け大成されたのではないかと思う。⇒トップページへ |