田淵行男のことを知ったのは、55歳ころか出張か何かで安曇野を訪ねた際、観光案内で知り同氏の記念館を訪ねた。写真が趣味で山岳写真に興味があったので寄ったのだが強い感銘を受けることのないまま忘れていた。65歳ころ自宅で漫然と見ていたNHKの美術番組で同氏の山岳写真が取り上げられており、現在活躍中の山岳写真家がコメントしているのを視聴し、同氏やその山岳写真に興味を持った。その頃、ネットで興味のある本を買い漁ることが多く、早速氏の本を買って読んでみた。読みやすい文章や昔の山岳写真に惹かれて次々に同氏の本を買い集めるようになった。氏の画文集は大変魅力的で、こだわりの強い同氏が装丁から構成の細部にまで気を配って作った本には氏の強い愛着や思い入れが感じられた。このような凝った画文集を見ることは最近の本ではなく、その点でも貴重なものだと思う。内容からは氏の自然への思い入れがひしひしと伝わって来る。中でも感銘を受けたは「安曇野」。氏が居住する安曇野の自然が観光開発や農薬の使用により破壊されていく現状への憂い、嘆きが切々と綴られ、声高に環境破壊反対を叫ばない氏の抑制した怒りが痛切に伝わってくる。当時から何十年も過ぎた現状を氏が見たらどう思われるだろうか。氏は生物学の教師で、高山蝶の研究者としても有名で、氏にとって山と蝶とは切り離せないものであり、氏の高山蝶の本も集めた。蝶には関心はなかったが、氏の蝶愛がにじみ出ている文章には惹きつけられものがあり、特に「大雪の蝶」には感銘を受けた。私がそれまで本を通じて知った登山家たちと違って、田淵氏は登山家、山岳写真家、高山蝶研究者という単一の呼称では収まらずナチュラリストと呼ばれるのに相応しい。ナチュラリストという言葉には馴染みがなく、その正確な意味は知らないが、山を始め山に息づく植物、生き物全体、自然全体への深い慈しみの心、畏敬の念、探求心が核にあるということだと思う。氏ほどの深く強い思いは私にはないが、私も単に山登りが好きなだけではなく、自然全体が好きで大切に守りたいという気持ちはある。氏のエピソードの中で、若い頃スーツにネクタイという正装で山に登ったという話が印象的だ。馬鹿真面目過ぎともいえるがそれ程山に入る際は敬虔な気持ちで臨んだという純粋さに打たれる。また、ナチュラリストとしての生き方を全うされた氏にうらやましさを感じる。余談だが、水越武氏は、田淵氏の初期画文集「高山蝶」を読んで感銘を受け、氏を慕い、手助けした人だが、同様にナチュラリストの写真家で自然保護活動に賭けておられ、水越氏の写真集も集めるようになった。田淵氏が病床で著述した最後の作品「山は魔術師」は、氏の死後、奥様と水越氏の協力により完成したものである。⇒トップページへ |