加藤文太郎のことを知ったのは大学生のときで、今のように山登りは趣味になっていなかった。幼少時から読書が好きで、長じるにつれ小説よりノンフィクションを好むようになった。ノンフィクション作家のうち新田次郎氏の作品もよく読んだが、中でも「孤高の人」に感銘を受けた。実直だが不器用、社交下手で社会人としては地味な存在だった同氏が、山行では単独で厳冬期の日本アルプスに向かう程のバイタリティーを発揮したことに惹かれた。グループに属さず単独行を続けてきた同氏に自分を重ねるところもあり、同書を読んだ当時の友人から似ていると言われたりもした。さらに、独身時代4年間、神戸で勤務し、六甲山を始め兵庫県内の山に親しんだことで、県内出身で神戸市内の造船会社に勤務しながら県内を歩き県内の山に登ることから山行歴を深めた同氏に一層の親近感を持ち、惹かれるようになった。山登りが趣味なってから山関係の本を多数読み、多くの登山家の人となりや生きざまを知ったが、今でも自分の心中の中心にいるのは加藤氏である。同氏が遺した個人的な山行記録をまとめた「単独行」は、これまで何回か読んだがその山行へのひたむきな情熱とバイタリティーにはいつも感服させられる。同氏が若死にせずに山行を続けたらどこまでの高みに至っただろうかと思ったりする。神戸に居を構え、県内の山は隅々まで登るようになってから、同氏の出身地:美方郡新温泉町に近い山への山行に併せて同氏の出身地を訪ねることができた。お墓は町中の墓地内にあり、目立たず見つけるのに手間取ったがお参りできた。町立図書館の中に同氏のコーナーがあり、遺品や遭難時の新聞記事などを見ることができた。低山しかない兵庫県の日本海に面した町で育ち、成人後は瀬戸内海に面した神戸で過ごした同氏が、どういう経緯で厳冬期の日本アルプスにまで向かうようになったのか知りたいものである。⇒トップページへ |