多 武 峰
音羽三山から下山後、対面する本山へ。不動ノ滝から車道を少し南下すると、多武峰バス停。コンビニとトイレあり。
淡山神社への車道を少し進むと、官幣社の立派な石柱と山門あり。歩行者用の参道を緩やかに登る。
重要文化財の石塔などを見てお土産屋前を通過。観光客は少ない。地元産ピーナツ、干し柿・芋など試食にくれる。
神社への石段を登り、参拝料500円とあるが人がおらず、そのまま境内へ。由緒ありげで立派な社殿。
傾斜地の複数の社殿は、いずれも重要文化財。特に木造では世界最古とある十三重塔は見事。
境内左側に御破裂山への道標あり。参道として整備されている。参拝気分で登ると、大化改新相談所跡とある。
専横を極めた蘇我入鹿暗殺を藤原鎌足、中大兄皇子が計った場所。先日、黒岩重吾「落日の王子」(蘇我入鹿)読了、
感慨深い。善が悪を滅ぼしたように見られているが、蘇我氏滅亡後、藤原氏専制の時代となり、権力の興亡を見る。
淡山神社、本山は、藤原氏全盛期のシンボルか。広い平坦な尾根上の参道を進むと、正面、藤原鎌足の墓所。
石段を登っても墓石はなく、古木の茂る築山あり。神域の霊気あり。ここが御破裂(ごはれつ)山。変わった山名は、
国家に大変事があるとき、この山が鳴動したことから。左脇に展望地、樹林の切れ間から大和平野を見下ろす。
黒い円錐は大和三山の天香久山か。道標に従い西大門の方へ下る。しばらく進み、民家脇に出、進路に戸惑うが、
道なりに車道を進むと、道標あり。少し進むと、女人禁制の石柱のある西大門跡着。表情の良い古い石仏もあり、
雰囲気の良い休憩場所。進路が不確かだが、冬野への道標に従い、小橋を渡り、林道を緩やかに登り続ける。
この道でよいのか案じながら進み続けると、数軒の民家が現れる。民家脇の道を山頂方向へ登ると、小社あり。
雪面の踏み跡をたどり、雑林中、最高点と思われ所へ着くが何の表示もない。本山域全体を多武峰と総称しており、
ピークを特定するのは無意味か。西大門へ引き返し、道標に従い石舞台古墳へ。ハイキング道が整備されているが、
途中、道標に従い薬師堂の方へ進むが進路不明で引き返す。蘇我氏全盛時代を開いた蘇我馬子の墓とされる石舞台、
若き日に亡母を伴って訪れた思い出の地。一帯、広い公園として整備されている。飛鳥駅への散策路を見失う。
見当で進むと、聖徳太子生誕地の石碑あり。橘寺を目印に、地元の人に尋ねて散策路へ。高松塚古墳の辺りも
広く整備されており、いつか飛鳥巡りをしてみたい。飛鳥駅で500円出し、阿倍野橋行き特急に乗る。⇒トップページへ
2011年1月23日(日)曇 12:40多武峰バス停→13:00淡山神社→13:30御破裂山→13:55西大門跡→14:20山頂
→14:50西大門跡→16:10近鉄:飛鳥駅