Robert Wyatt

タイトル
Mid-Eighties
1993 彼の80年代の作品からの代表作からの抜粋盤。初めて聴く人にはとても入り易い作品だと思うので最初に持ってきました。PeterGabrielの「BIKO」という名曲を取り上げて話題になった"Work In Progress"や1985年に発表された"Old Rottenhat"などから抜粋されている。
Rock Bottom
1974 彼の最高傑作に挙げられる歴史的名作である。SoftMachine時代に同じU.F.O Clubに出演していたPinkFloydのニックメイスンがProduceしている。とにかく素晴らしい作品だ。(ロック&ジャズのフィーリング)難しくもありますが、是非聴いてみて下さい。
Flotsam Jetsam
1994 これもMid-Eightiesと同様1968年~1985年の彼のかかわった作品からの抜粋盤。ソロの他、MachingMoleやTHE HAPPY ENDといった彼が在籍したりGuest参加した作品の中から抜粋されている。Mid-Eightiesよりはやや難しい(アドリブ物が多い)でもこういった曲が本来の彼の持ち味であった..........不慮の事故までは。
Shleep
1997 久々の彼の新作が届いた。SoftMachine時代のエッセンスに彼の築き上げてきた感性を見事に調和させた傑作である。ジャケットも優しく美しい。ただ、Nothing Stop usあたりの孤高さは感じられず、悲しい歌声も少し影を潜めている。彼にとっては楽しく作る事のできた作品の様だ。旧友のBrianEnoやP.Manzaneraの力を借りて、楽しそうに演奏している彼の姿が目に浮かぶ。でも、悲哀さが全く漂っていない訳ではない。また、前作よりも本来の彼のカラーであるFreeJazz色が強くなっている。心の洗われるような作品である。

悲しい吟遊詩人
Robert Wyatt

MatchingMole

1945年1月28日Robert.Wyatt.Ellidgeはロンドン郊外に誕生した。
1960年代前半Robert.Wyattは、Jazzに没頭していた。
HighSchoolでは、D.シンクレア(Caravan)やP.ホッパー(SoftMachine)、M.ラトリッジ(SoftMachine)など後にカンタベリー一派として名をとどろかす強者達が名を連ねている。
この頃、彼はWildFlowersと言うバンドでDrumsを叩いていた。1966年このバンドは伝説のスーパーバンド"SoftMachine"と名前を変える。JimiHendrixの前座やU.F.O Clubへの出演(当時、PinkFloydも活躍していた)などを経て、その名を世界に知られる事となる。
1960年代後半~1970年代前半RobertWyattのVocalの合間に即興演奏でSwingする彼らのスタイルは当時新鮮だったらしい。その中でもやはりR.Wの太鼓は評価が高かった様だ。当時の「タウンビート誌」ではひと味違うドラマーとして紹介され、絶賛している。1969年10月5日ライシアムのコンサートでは、あのK.ティペットのバンドのホーンをそのまま借りて、演奏している。同日の出演は他に、孤高のプログレ野郎P.ハミル率いるヴァンダーグラフジェネレータの名前もあった。同年、10月28日のベルギーでの「アクチュエルミュージックフェスティバル」に出演、PinkFloyd、CaravanそしてFrankZappなどと出演している。中堅バンドを集めての、この手のコンサートはヨーロッパでは盛んに行われている。この当時、SoftMachineは毎晩演奏を続けていたし、アメリカでのクラブ回りも行い。人気も実力も出てきていた。当時、SoftMachineは最も実験的で素晴らしいバンドの一つであった。1971年9月4日の「メロディーメーカー誌」に一つの記事が載った。" Wyatt quits Softs "個性的なメンバーの集まりだったSoftMachineは争いが絶えなかった様だ。P.ホッパーは「あのメンバーでバンドとして活動出来たのは、奇跡に近い」と言うそんな事を後に語っている。とにかく、RobertWyattはSoftMachineを去った。
R.WはD.シンクレア、B.マコーミックなどと"MachingMole"を結成する。B.マコーミックはMachingMoleに参加する前、あの伝説のバンド「クワイエットサン」にいた。「クワイエットサン」はP.マンザネラ率いるバンドで、レコードも一枚しか出していない。後に、このバンドはBrianEnoなどを加えて、「801プロジェクト」へと進化する。この「801」のドラマーは18才の天才"SimonPhillips"だった。有名な話だが"MachingMole"とはフランス語での"SoftMachine"という意味の"マシンモル"をもじった名前である。と偉そうな事を書いていますが、実は私はRobertWyattの在籍時代のSoftMachineをほとんど知らない。最近、First~Forthまでを買い揃えて聞き込んでいる所だ。1973年6月1日に事件は起こった。RobertWyattはレデイジューンの誕生日パーティに出席、泥酔のあげくビルの5階から落ちた。奇跡的に一命を取り留めたものの、彼は二度とDrumsを叩けなくなってしまった。彼のこの事故の為に、PinkFloydとSoftMachineが中心になって募金コンサートが行われた。同年11月4日にレインボーシアターで行われたこのコ ンサートはロック史上に残るコンサートだった。一万ポンドのうち3千ポンドが税金で持って行かれたが、7千ポンドがR.Wに送られた。その後も車椅子姿で、彼は唄い続けた。そして、1974年あの名作「Rock Bottom」を世に送り出したのである。この頃の彼は、DaveStewartやMikeOldfield、JulieTippett、NickMaisonなどとセッションをしたりして、交流を深めている。
その後彼は多方面で活躍する。特にBrianEnoの環境音楽シリーズに参加しているのは興味深い。その後、彼は共産党に入党したり、ラフトレードに移籍して、話題を呼んだ。私の好きなRobertWyattはこの頃である。但し、歌詞はかなり政治色が強い。しかし、歌詞よりも美しい歌声とメロディーに聞き惚れてしまうのです。彼の声は優しく悲しい。坂本龍一は世界で一番悲しい歌声と表現した。(1989年に共演している)彼は1984年3月1日の某誌でドイツでの平和のためのロックフェスティバルに参加その模様をJhonLennonの「Imagin」を引用して、「殺す理由もなく、死ぬ理由もない」と書いている。そして最後に「Jhon君だけじゃ無い」と.......。一時期活動を止めていたが、1993年に再度復活している。
参考文献:"WrongMovements ~RobertWyattHistory~" MichelKing著 藤本成昌訳