PeterGabriel論
孤高の異端児からの変貌と脱出
は1975年に"眩惑のブロードウェイ"と"Foxtrot"という不朽の名作を残してGenesisを去った。Genesis第一期黄金時代の終わりでもあった。長い沈黙の後、1977年に"PeterGabriel"が発表された。LondonではSexPistolsなどのパンクが大旋風巻き起こし始めている時代だった。音や曲構成はGenesisの影を大きく引きずっている。しかし、彼は必死でその影を拭い去ろうとしてもいる。名曲「HereComesTheFlood」や「SolsburyHills」などは実に美しい曲であるが、とても私的なナイーブな作品でもある。GuiterにはSteveHanterやRobertFrippが、他にはTonyLevin、LarryFastが参加している。今考えると豪華な顔ぶれである。明らかに当時の彼は落ち込んでいたし、ジャケットからも判るように自信喪失で内向的でもあった。「ExcuseMe」なんかは、その究極状態での(泥酔状態)作品らしい。彼が社会に目を向ける様になったのは、やはり1978年の"PeterGabriel"(2nd)からだと思う。 私小説的な1stと比べて、随分と社会の出来事を歌っている。音は当時の風潮を取り入れてか、割とストレートでシンプル(彼にしては)に 仕上げっている。親友のR.FrippがProduceという事もあってか、同じ時期に発売されたR.Frippの"Exposure"の曲も入っている。当時、R.FrippはNewYorkに入り浸りで、BrianEnoと共にパンク系出身のMusicianとの交流もしている。 この作品から最強のタッグバンドが組ま始めている。BassにTonyLevin、太鼓にJerryMarotta、鍵盤にLarryFastといった面々が名を連ねはじめている。このセッションでR.FrippはStickという楽器に興味を持ち、80年KingCrimsonにTonyLevinを迎え、ポリリズムを究極なまでに追求する事になる。この頃には割と元気も取り戻した様だ。 是非この頃のライブも聴いてみたい。(ヴィデオだったらもっと良いのですが) しかし、彼の本領はまだまだ発揮されていなかった。 ガブリエル節こそ健在だが、彼独特の表現手段や音作りにおいては次作まで待つ必要があった。彼が何時・どうやってアフリカと出会ったのか?私は残念ながら判らないが、衝撃的な作品が出来あがった。1980年の"PeterGabriel"(3rd)である。
コード盤に針を落とした瞬間から、凄い衝撃が走った。(当時はレコードしか無かった)まだ珍しかったゲート処理を施した、P.Collinsの叩く濡れ雑巾太鼓が炸裂するのだ。とにかく、格好良かった!ProducerのSteveLilywhiteは、当時売れっ子のProducerでHardRockからFuncky物まで幅広くこなしていた。 曲も彼の独特なカラーが確立されて来ている。どこか変で、ドラマチックで、魂に溢れている。これは彼自身の他、BackMusicianの演奏による所が大きい。音作りもこの頃から凝りだしている。他のMusicianがこの作品と次作を見本にしたがる程のStudioWorkだ。 また、この頃から彼はCMIを多用している。このCMIというコンピュータ(楽器?)は、属に言うと8ビットサンプラーである。その後、16ビット化されたりしたが、シンクラビアに取って変わられるまでは、一世を風靡した。リズムボックスと言うのとがあった。太鼓の変わりにはならないが、それなりに味のある音が出た。CMIもそれに近い味わいがある。オリジナルの楽器やその他色々な音源をサンプルして、編集して使うのだが、リアルさでは 遠く及ばない。逆に、リアルさの無い部分を上手く使い、一つの世界を築いている。このCMIに関して、PeterGabrielは第一人者であった。後に、坂本竜一やTheArtOfNoiseといった、Musicianが駆使することになる。 3rdでの大きな変化は、やはりリズムである。録音状態もミキシングもリズムの持つ躍動感をバックアップしているし、リズム隊の素晴らしさは抜き出ている。ギターや太鼓、マシン、ベースは素晴らしく彼の世界に調和し見事な演出をしている。一曲一曲が丁寧に演奏され、アイディアに溢れている。完璧な出来栄えです。またKateBushの妖しいコーラスでエクスタシーに達してしまう。ロックの歴史の中でも最高傑作の部類に入るでしょう。(曲・音・演出の全てが丁寧に良く練られている)この作品のリズムや音は人間の奥底にある野生のリズムや魂。そんなものを感じさせてくれる。"I don't remember"は"Shock The Monkey"に並ぶTonyLevinの名演奏であ。最後に"BIKO"、今更、何も付け加える事はありません。涙うるうるです。彼が民族や人種問題に興味を持ち、唄った最初(?)の名曲です。こんな目茶苦茶格好良い作品は未だかつて、これからも発表される事はないでしょう。
 1982年"Security"の登場となる。FullDigital Recordingのこの作品、音はずば抜けてよい。Digitalになるとよもや音が薄くなりがちだが、CMIを上手く使って厚い音作りをしている。(しかし3rdよりは機械チックな音をしている)曲は3rdの延長線上にあるがかなり音が凝っている。CMIを多用している為か、3rdよりも人工的な感じをうけるのだ。(それが狙いでもあるようだ)もうこの頃になるとバンドとして、TonyLevinとDavidRhodesは欠かせない存在になっている。下手なバンドよりバンドバンドしていて気持がいい。私の中での孤高のプログレ野郎"PeterGabriel"は1983年の"PlaysLive"で終わる。
1986年、彼は"So"によって商業的にも大成功を収める。ちょっと変人なポップスおやじの登場である。しかし、彼の音楽にパフォーマンスに対する姿勢は変わってはいないし、尊敬に値する。いつまでも同じ所に留まらないのもPeterGabrielなのである。
   回のWorldTourは素晴らしかった。NewYorkのMSGでのコンサートは私の観たコンサートでは最高の物だった。アンコールが何回か繰り返され、会場の照明が付けられ、惜しみながらも人が帰りかけた時、彼は一人現れた。「みんな、ありがとう。もうアンコールで出来る曲はこれしかないんだ。」

聴き慣れたフレーズがピアノで弾かれる。最高のコンサートは「Here Comes The Flood」の弾き語りで幕を閉じた。