皆さまの募金によりワッパ騒動顕彰碑が建立されました

ワッパ騒動顕彰会が2010年の「真壁仁・野の文化賞」を受賞しました


(写真をクリックすると建立場所の地図が見られます)

2009年9月11日13時半より除幕式が行われました(その後、場所を移して祝賀会が行われました)
(さらに、2010年8月28日14時半より藤島八幡神社前にて顕彰板の除幕式が行われました)
2010年10月4日義民顕彰会のホームページができました。この行をクリックするとそちらへ行けます。
2010年10月23日顕彰会が編集した『大地動く』が出版されました(東北出版企画発行)。書店で絶賛販売中、1680円。→<表紙>
2010年12月21日、『大地動く』が2010年の「真壁仁・野の文化賞」に選ばれ、1月16日に山形市大手門パルズで授賞式がありました。

ワッパ騒動義民の碑(顕彰碑の説明板)

 この碑は、一八七四年(明治七)、庄内の南部一帯で起きた農民運動・ワッパ騒動に立ち上がった人びとを顕彰するもので、一三五年を経たいま、多数の方の協力を得て建立できました。
 旧藩時代と同様に米による税制を維持する酒田県に対し、農民たちは、政府がすでに許可していた石代納(米でなく金で税を納める)の実施と雑税の廃止を願い、また納めすぎた税の返還を求めました。実現すればワッパ(曲げ物でつくった弁当箱)で分配するほどの金が戻るということからワッパ騒動と呼ばれたと伝えられています。
 しかし、酒田県は要求をことごとく拒否し、指導者を投獄したので、その釈放を迫り一万数千の農民が酒田の県庁に押しかけましたが、百人以上が逮捕され鎮圧されてしまいました。
 農民達はこうした弾圧にも屈せず、酒田出身の民権家森藤右衛門の指導で、元老院や司法省に県の悪政を訴え、法廷闘争に持ち込みました。一八七八年(明治一一)、ついに、雑税の一部六万三千円の返還を含む農民側勝訴の判決が出されました。
 ワッパ騒動における農民たちの結集と行動は、酒田県政の改革や地租の軽減に有効な影響を与え、さらには、庄内における近代の扉を開く契機をもたらしたといえましょう。

・碑が建つこの場所は、騒動が最も激化したころ、多数の農民たちが気勢をあげた「からすか」に近接した位置にあります。

二〇〇九年九月吉日

鶴岡市文化財愛護協会
上郷文化財愛護会
ワッパ騒動義民顕彰会

「真壁仁・野の文化賞」推薦理由

今もなお殿と呼ばるることありてこの城下町にわれ老いにけり
 この歌は、2003(平成15)年1月15日、皇居・宮殿で、催された新春恒例の宮中行事・歌会始めの儀に、ただ一人、天皇陛下に招かれて歌を詠む「召人」として選ばれた鶴岡の酒井忠明の歌である。この歌は「御一新」たるべき明治維新後の、現在に至る庄内・鶴岡の姿を如実に物語っている。  1973(明治6)年末から1880(明治13)年の7年間にわたって庄内、特に田川地方全域で展開された「百姓一揆」から「自由民権運動」へと発展した農民の闘い・「ワッパ騒動」。この農民の闘いをどう見るか。庄内においては、いまなお現在的課題である。だが、この農民の闘いが、維新後も旧藩体制のまま第2次酒田県の支配体制を継続したことにその起因があり、その抑圧を排除して自らの生活を守ろうとした農民の闘いであった事実を曲げることはできない。
 本書は、その農民の闘いに農民の視座から取りくみ、その研究史を網羅し、6年におよぶ農民顕彰運動の経過と成果を丹念に記録し、庄内における近代の夜明けを知る上での貴重な資料である。また、農民顕彰運動のなかで発掘された資料を取り入れ、現段階で最も水準の高い研究書でもある。さらに、現在も調査が続いている参加農民の名簿が作成されたことは、わが国の農民の闘いの研究史上、特筆すべき稀有なことである。
 真壁仁は、この東北農民のたたかいについて、農民の潜在的な闘争力を語り、農民による自由民権の歴史で、東北人民の維新史と高く評価しているが、本書は、東北のみならず、全国各地で行われている民衆の戦いを顕彰し、継承していこうという動きにも大きな示唆と励ましを与えるものである。