ワッパ騒動研究書リスト(発行順、2010年1月暫定)
(「ワッパ騒動研究史」『東北公益文科大学総合研究論集』第17号補遺)
できるだけ研究の系譜がわかるよう、明記された参考文献を紹介するなどしたつもりである。まだ目にしていないものは<未見>と記してある。今後見る可能性があり、また追加する可能性もある。
所蔵のうち、「鶴図」は鶴岡市立図書館、「酒図」は酒田市立図書館(光丘文庫を含む)、「メディア」は公益大メディアセンターである。公益大メディアセンターは、2001年に開学された新設大学の図書館でありながら、多くのコレクターから寄贈本を受け入れることによって、地域史関係の文献がかなり揃っており、しかも大部分の文献が開架式の書棚に並べられていることは、市民への完全開放方針とともに特筆すべきであろう。
解釈や間違いがどの資料や先行研究を参考にしたことによって起こったか、どこまでが確実な史実と見てよいのか等の解明は、ワッパ騒動の正しい像を描くために重要で興味深いテーマであるが、しばらくは時間が許さないため後日の課題としたい。
追加訂正などについてご教示いただくことによって手を加えていきたいので、多くの方のご協力をお願いしたい。
●????(明?)明治7年8月田川・飽海二郡騒擾 pp.98-103。<未見>
●1894(明27)渋谷光敏『庄内沿革誌』榮得堂。p.14に金井らが「無知の民を煽動」とある。勝訴の暁に得る金を配分しようとした「之れを(ハツパ)騒動と云ふ」と名の謂われが記されている。
●1912(大1)重田鉄矢『荘内史料 全』。1975年に復刻版(東北出版企画)。259頁+荘内年代記47頁。後田山開墾については書かれているが、ワッパについては書かれていない。所蔵(1912年版、1975年復刻版):鶴図、酒図、メディア。
●1925(大正14)黒正巌「羽州庄内農民愁訴騒動」『経済論叢』巻23、2号。<未見> ←1930浜村p.45による
●1930.12(昭5)濱村正三郎「羽州庄内のワッパ一揆」『経済史研究』経済史研究会、第14号、pp.33-45。「庄内藩の特殊事情」、「原因」、「経過」とまとめ、結論的に「進歩的思想を有する一部の不平武士が、保守的にして新政府の制令を忠実に行はざるものに反抗したるに乗じて、生活困難なる無智の農民が附和雷同した為に勃発したもの」としている。この論文に対して書かれた国分剛二「荘内のワッパ一揆を読みて濱村氏に問ふ」、濱村の返書、さらに国分の返書が、鶴岡市立図書館の石原文書に入っている(分類番号:石原236)。
●1931(昭6)土屋喬雄・小野道雄『明治初年農民騒擾録』南北書院、pp.98-103、「明治七年八月田川飽街[ママ]二郡騒擾(太政類典)」、1953年に再版。「本項の裁判の結果については「経済史研究」第十四号所載、濱村正三郎氏「羽州庄内のワッパ一揆」に全く負ふてゐる。記して感謝すると共に読者諸氏に同稿参照を勧む。」所蔵(再版版):鶴図。
●1932(昭7)千葉弥一郎『廃藩置県前後之荘内秘話(荘内叢書 第三輯)』荘内史料研究会、87+4頁。「酒田県農民騒動 一名ワッパ事件」〜「後田開墾の趣意書」pp.32-84。1930.12の濱村には誤りが多いと書いている。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1933(昭8)土屋喬雄・小野道雄『近世日本農村経済史論』。1947年に再刊。服部1955のp.34、服部1948のp.82にあり。服部1948のp.88に小野・土屋のワッパ一揆評価を紹介してある。所蔵:酒図。<未見>
●1935(昭10)山形県経済部『出羽百姓一揆録』、「明治初年庄内騒擾」はpp.240-265。→1948.8(昭23)の『山形県に於ける百姓一揆資料』を参照のこと。
●1935(昭10)国分剛二「荘内ワッパ一揆について」『歴史科学』4巻9号、昭10 <未見>
●1935.8(昭10)平野成継編輯『荘内歴史年表』荘内新報社。所蔵:鶴図、酒図、メディア。ワッパのワの字も出てこないところに注目。
●1938(昭13)大泉漁史「荘内ワッパ一件と三百代言の沼間守一」『荘内』第3号。所蔵(1983(昭58)年の国書刊行会による復刻版):鶴図、メディア。
●1938.7(昭13)岩本成雄『荘内経済年表』、高橋三代吉発行。所蔵:鶴図、酒図、メディア。明治7年、8年、11年に「ワッパ事件」の記述がある。
●1939(昭14)黒田伝四郎「明治初年庄内ワッパ騒動」(『庄内転封一揆の解剖』の付録部分)
平易文訳が2004.12(平16)に黒田伝四郎(本名高島米吉)の子である高島真によって発行されている。所蔵(平易文訳):鶴図、酒図、メディア。所蔵(元版):鶴図。
●1940(昭15)国分剛二編「荘内ワッパ事件の資料」『荘内』30・31号、pp.1-56。所蔵(1983(昭58)年の国書刊行会による復刻版):鶴図、メディア。金井や森らを「煽動者」と見ている。
●1944(昭19)大林清『庄内士族』輝文堂書房。所蔵:酒図、メディア。徹底的に菅らの側に立って書かれている。「愚民」「愚昧」「陋劣」といった語が多用されている。所蔵:酒図、メディア。
●1944.5(昭19)石川正俊『荘内風土記』翼賛出版協会。「近代荘内史」はpp.3-162、その中の「ワッパ事件と児島惟謙」はpp.102-110。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1946(昭21)佐藤善夫著、堀田正行編『ものがたり山形県社会運動史 前篇』寒河江町民主組織促進会、「ワッパ騒動の経過とその歴史的意義」pp.19-40。所蔵:鶴図 <未見>
●1948春 服部之総「ワッパ事件」『思索』1947年春季号。日付は1947年12月9日。→1950年『明治の革命』に収められる。
●1948.3(昭23)服部之総「自由民権と封建貢租―ワッパ事件概説―」『季刊 思索 春季号』pp.79-111。執筆当時刊行されていた先行研究に加え、国分剛二収集史料をも閲覧して書かれたもの。多くの史料を消化した上で農民・森藤右衛門側に立っての著述である。
●1948.8(昭23)山形県農地部農地課編纂、長井政太郎追補『山形県に於ける百姓一揆資料』301頁、所蔵:メディア。1935(昭10)年の『出羽百姓一揆録』に長井政太郎の資料追補解説を加えて印刷頒布することにした旨が「例言」に記されている。→1973(昭48)の『出羽百姓一揆録』を参照のこと。
●1949.10(昭24)川崎浩良『山形県新聞史話―県政党の略史―』山形新聞社。所蔵:メディア。第二章の一「酒田の言論昂揚」pp.12-17は森藤右衛門の建白書を中心に書かれている。1982.5『山形県の自由民権運動』には「史料的に難あり」と書かれている。
●1950(昭25)服部之総『明治の革命』→1955年に『服部之総著作集第五巻』理論社として発行、1967年に著作集の新装版が発行される。「ワッパ事件」はpp.29-84。所蔵(著作集を含む):鶴図、メディア。
●1952.12(昭27)山口白雲『菅臥牛観』不二印刷。所蔵:鶴図、酒図、メディア。ワッパ騒動の重要関係者菅実秀に関する書。
●1956.9(昭31)『地方別日本新聞史』日本新聞協会、近藤侃一(山形新聞報道部長)「山形県新聞史・ワッパ事件と庄内新聞」pp.51-52。「山形県新聞史」の「発芽時代」にごく簡単に、かつ不正確に取り上げてある。所蔵:メディア。
●1957.2(昭32)上林與市郎『庄内農民とワッパ騒動―天保・明治の転封一揆とワッパ騒動の真相』新生社。所蔵:鶴図。95頁と短くよくまとまっている。第三部が「明治七年のワッパ騒動」。
●1958(昭33)工藤定雄『酒田市史 下巻』酒田市、「武士の解消とワッパ一揆」pp.83-96。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1958(昭33)青木恵一郎『日本農民運動史 2』日本評論社、「庄内転封一揆とわっぱ騒動」pp.91-107。所蔵:庄内にはなし。
●1958.3(昭33)大泉散士『らくがき庄内史1』「ワッパ騒動」pp.21-22。所蔵:酒図、メディア。
●1959(昭34)北村純太郎編『大泉村史 続』鶴岡市大泉公民館、「ワッパ事件、ワッパ事件に活躍した人」pp.44-47。所蔵:鶴図。
●1961(昭36)山形県議会『山形県議会八十年史』「ワッパ事件」pp.53-59。所蔵:鶴図、酒図。
●1961(昭36)〜1966(昭41)に佐藤誠朗がワッパ騒動について鶴岡南高校の『通友』に連載(1965年よりタイプ印刷の『鶴南通信』となる)。 →確認できず
●1962(昭37)斎藤寿夫『荘内農民運動史』中村書店、「ワッパ事件」pp.15-19。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1962(昭37)山形県『山形県史 資料編 2 三島文書』「ワッパ事件関係書類」pp.31-79。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1963.8(昭和38)と1963.10(昭38)佐藤誠朗「ワッパ一揆の農業構造」(一)(二)『歴史評論』156号pp.42-57、158号pp.58-79。指導者と参加者がなぜワッパ騒動に参加したのかを、階層(所有反別)を軸に探っている。改良派士族や森藤右衛門ら酒田商人には冷ややかな結論となっている。
●1966.6(昭41)岩渕武一「叛骨 森藤右衛門」『方寸』第1号、酒田古文書同好会、pp.107-112。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1966.2(昭41)加藤省一郎『臥牛菅実秀』致道博物館。ワッパ騒動についてはpp.193-196あたり。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1967(昭42)石井親俊『維新前後における荘内藩秘史』壱誠社、「ワッパ事件と荘内魂」pp.66-70。78頁の小冊子。30万両の献納の際に「ワッパ」で金を運んだという説になっている。所蔵:鶴図。
●1967.9(昭42)尾形六郎兵エ『三島県令の夢は結ぶ 待望の月山ハイウェー ―六十里越は変貌する―』91頁、鶴陵文化懇話会。所蔵:鶴図、酒図、メディア。主に「三島文書」を使い三島通庸関係の出来事を三島に好意的な立場から記述した文献。ワッパ事件判決で決まった返還金の行く末に関する荒賀直哉(庄内の士族、三島の部下)の談話も紹介している。「ワッパ事件とは」はpp.52-56、「松ヶ岡開墾事業」はpp.57-60、酒田から鶴岡へ県庁を移転した際のエピソードが東京の新聞ですっぱ抜かれた事件関係はpp.61-71。
●1967(昭42)山形県警察史編纂委員会『山形県警察史 上』山形県警察本部、「第一章 明治初期の警察」の「第九節 明治初期の主要事件」に2件収められている。その一件が「庄内ワッパ事件」pp.387-406(もう一つは「鶴岡士族の騒擾事件」(西南戦争関係)。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1968.11(昭43)毎日新聞社『山形百年』、pp.245-248に「ワッパ事件」あり。新聞記事らしいコンパクトで読みやすい紹介である。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1969.1(昭44)斎藤正一・佐藤誠朗『大山町史』、大山町史刊行委員会、1083+15頁。佐藤誠朗執筆の「ワッパ騒動」はpp.467-480、大山村関係文書を使用。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1969(昭44)大泉散士『らくがき荘内史 10』「荘内ワッパ事件雑記」pp.20-24、所蔵:鶴図、酒図。
●1969.9(昭44)佐藤誠朗・井川一良「明治維新と農民闘争 天狗騒動からワッパ一揆へ」『歴史学研究』352号、pp.9-20。所蔵:酒図。
●1970.9(昭45)誉田慶恩・横山昭男『山形県の歴史』山川出版社。所蔵:鶴図、酒図、メディア。横山昭男執筆による「ワッパ騒動」がpp.236-239。「この項は、とくに、井川一良「天狗騒動と酒田県」<歴史三七所収>、佐藤誠朗「ワッパ一揆の農業構造」<歴史評論一五六・一五八所収>によるところが多い。」とある。
●1970.9(昭45)小山松勝一郎「学而館始末」『方寸』第3号、pp.5-28。所蔵:鶴図、酒図、メディア。明治2年6月に酒田民政局が設立した学而館の句読師に任命された森藤右衛門の漢詩も紹介されている。
●1970(昭45)青木恵一郎『日本農民運動史 2(新版)』日本評論社、「庄内転封一揆とわっぱ騒動」pp.91-107。所蔵:庄内にはなし。1958年発行時にあった「あとがき」がなくなっている。
●1971.12(昭46)斎藤正一『鶴岡百年小史』鶴岡百年の人物刊行会。所蔵:鶴図、酒図、メディア。「ワッパ騒動」pp.19-22。非常にコンパクトにまとめてある。
●1971(昭46)後藤嘉一『続 山形県新聞史話―1970年代以前―』山形新聞社、「ワッパ事件の中心人物」。所蔵:鶴図、酒図。
●1972(昭47)鈴木実『オイノコは夜明けにほえる』童心社。ワッパ騒動を農民の側に立って描いた児童小説。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1972(昭47)頃か? 原作佐藤治助、脚色板垣昭一「ワッパ騒動記(第一部)」(第21回東北民教研温海集会記念上演台本)。所蔵:メディア。
●1972(昭47)藤島町『藤島町史 下』、藤島町。鶴図、メディア。大瀬欽哉校閲。「地域社会の動向とワッパ事件」はpp.20-29。「藤島町には参加者がなかったようである」p.22とするが、三島文書や服部之総『明治の思想』などの資料を用いてかなり詳細に論じている。
●1973(昭48)服部之総『服部之総全集U自由民権』福村出版、「自由民権と封建貢租―ワッパ事件概説(1)」pp.149-208。
●1973(昭48)大泉散士『庄内の夜明け(ものがたり庄内史 下)』阿部久書店、「ワッパ事件」pp.28-33。所蔵:鶴図、酒図。
●1973(昭48)大瀬欽哉 鶴岡市立図書館編『鶴岡百年のあゆみ―続城下町鶴岡―』鶴岡郷土史同好会、219頁。「地租改正とワッパ騒動」pp.29-33。非常に簡単な記述。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1973.8(昭48)長井政太郎編『出羽百姓一揆録』国書刊行会、301頁。1948(昭23)年の『山形県に於ける百姓一揆資料』を復刻原本としているが、書名は追補以前1935(昭10)年の書名に戻された。「明治初年庄内騒擾(ワッパ一揆)」pp.240-265は、「引用書」として土屋喬雄・小野道雄『明治初年農民騒擾録』、千葉弥一郎『荘内秘話』、重田鉄矢編『荘内幕末秘史』を挙げており、史料集の観がある。「山形県内に発生せる百姓一揆の概観」pp.286-298中のpp.294-296に一揆についての長井政太郎の評価が述べられている。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1973(昭48)山形県『山形県史(本編3)農業編 下』「ワッパ騒動の顛末」pp.1259-1271、今田信一執筆。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1974(昭49)大瀬欽哉、三川町『三川町史』「ワッパ事件」pp.269-277。前田光彦執筆。横山組(現三川町)関係の文書を使っている。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1975(昭50)佐藤治助『ワッパ一揆―東北農民の維新史』三省堂。真壁仁の「序」によると、『はくぼく』に発表、後に『たいまつ』に掲載、佐藤誠朗から資料を借りたり話を聞いたりして創作したもの。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1975.2(昭50)鶴岡市『鶴岡市史 中巻』、鶴岡市。所蔵:鶴図、酒図、メディア。佐藤誠朗執筆の「第二次酒田県とワッパ騒動」はpp.205-293。
●1976.12(昭51)日塔哲之「<史料紹介>ワッパ一揆と民権運動―法律学舎を中心として―」『山形県地域史研究』(山形県地域史研究協議会)創刊号、pp.38-41。前年に発見された森藤右衛門文書の紹介。所蔵:鶴図、酒図、メディア
●1977.3(昭52)大瀬欽哉「『鶴岡市史』の編纂を終えて」(『山形県地域史研究協議会会報』第一号)→2003.8(平成15)大瀬振『吹雪を迎えて 大瀬欽哉遺稿集』参照
●1977(昭52)最上三郎『小説 ワッパ騒動顛末記』自費出版。小説だったら想像力をたくましくして何を書いてもよいのだろうか。所蔵:鶴図。
●1978(昭53)山形県『山形県史 資料編19 近現代史料 1』「ワッパ騒動」pp.1031-1117。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1979(昭54)伊豆田忠悦編著『郷土史事典 山形県』昌平社。所蔵:鶴図、酒図、メディア。「長期闘争のすえワッパ一揆勝利」pp.175-177は井川一良の執筆による。
●1979.10(昭54)佐藤昌明「ワッパ事件の研究―東北農民の維新史―(優秀論文、東北大文学部史学科)」『流動』。卒業論文である。
●1979.12(昭54)深谷徳次郎「徴税請負的制度論の再検討」『宇都宮大学教育学部紀要』第1部 (通号 29)、pp.91-107。新政府の石代納(正米納ではなく金での納税)許可の現実を明らかにしたもの、酒田県も事例に挙がっている。合わせてワッパ騒動側が示した「石代会社」が許可されなかった背景と考えられる事情についても整理している。
●1980.6(昭55)大泉散士『庄内おもしろ話』阿部久書店、pp.14-15に30万両問題がワッパ事件の始まりと記してある(1990.12『庄内よもやま話』pp.75-76と同文)。所蔵:鶴図。
●1980(昭55)日塔哲之「ワッパ騒動と三島県政―初期三島県政をめぐって―」『山形県教職員学術及び教育研究発表要旨』、pp.11-12。
●1981(昭56)酒田市『酒田市史 史料編 8 社会編』「ワッパ騒動史料(北溟文庫)」pp.706-825。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1981.2(昭56)鶴岡市『ワッパ騒動史料 上巻(荘内史料集17)』上巻に日塔哲之の解説・解題。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1981.3(昭56)歴史教育者協議会編『おはなし歴史風土記6 山形県』岩崎書店。「わっぱいっぱい銭かえせ」pp.46-53。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1981.10(昭56)佐藤誠朗『ワッパ騒動と自由民権』校倉書房。個人的には初めて読んだ時の衝撃が忘れられない書。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1982(昭57)伊豆田忠悦編『郷土史事典・山形県』昌平社「長期闘争のすえワッパ一揆勝利」pp.175-177。井川一良の執筆による。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1982(昭57)『新山形風土記1 山形県の歴史と風土』創土社、「天狗騒動からワッパ騒動へ」pp.144-145。ごくごく簡単。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1982.5(昭57)日塔哲之「ワッパ騒動と自由民権」(『山形県の自由民権運動』遠藤書店:山形県自由民権百年のつどい実行委員会編に所収)pp.19-46。所蔵:鶴図、酒図。
●1982.5(昭57)日塔哲之・三春伊佐夫・石島庸男「自由民権運動山形県関係文献目録」(『山形県の自由民権運動』遠藤書店:山形県自由民権百年のつどい実行委員会編に所収)pp.164-167。出版時点での参考文献が多数紹介されている。所蔵:鶴図、酒図。
●1982.5(昭57)佐藤孝「山形県下演説会・討論会一覧」「山形県自由民権運動関係年表」(『山形県の自由民権運動』遠藤書店:山形県自由民権百年のつどい実行委員会編に所収)。ワッパ騒動後の森藤右衛門の動きがわかる。所蔵:鶴図、酒図。
●1983.5(昭58)伊藤伸也「ワッパ騒動の教育要求―その自覚化の過程を追って―」(論評:日塔哲之と堀浩太郎)『日本教育史研究』第2号、pp.186-219。所蔵(2007年9月の復刻版):メディア。
●1983(昭58)鶴岡市『ワッパ騒動史料 下巻(荘内史料集18)』。佐藤誠朗「ひとつのワッパ騒動論」が収められている。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1984.2(昭59)菅野正・田原音和・細谷昂『東北農民の思想と行動―庄内農村の研究―』御茶の水書房(「第三篇 庄内における諸イデオロギー展開と農民」中「第一章 明治初期庄内の農民運動」の「第三節 ワッパ騒動」はpp.790-810)。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1985.8(昭60)岩本由輝『山形県の百年(県民百年史6)』山川出版社。所蔵:鶴図、酒図、メディア。「ワッパ騒動」はpp.50-53。山形県歴史教育者協議会・山形近代史研究会編『山形農民のたたかいの歴史』に依拠するところが大きいと付記あり。
●1985(昭60) William W. Kelly: Deference and Defiance in Nineteenth-century(19世紀における服従と反抗)、Princeton University Press、322頁。6がInitiative and Inertia: The Second Sakata Prefecture(pp.155-172)、7がCash Taxes, Suppressed Reforms, and Falsified Expenditures(pp.173-204)、8がFrom the Headmen’s Compounds to the Council of State(pp.205-229)、9がThe Government Responds: The Numa Hearings and the Kojima Court(pp.230-260)、10がAftermath(pp.261-283)である。まだ読んでいない。
●1986.2(昭61)荒井武編『近代学校成立過程の研究』お茶の水書房、(第U部の第二章「明治前期庄内地方の社会変動と中学校の成立」(pp.529-654)は田原音和執筆)、第二節は「ワッパ騒動」である。所蔵:酒図、メディア。
●1986.2-1991.6(昭61〜平3)田原音和「「ワッパ騒動」と農民」(1)〜(72)『荘内日報』の「庄内の村と人びと」連載、1986年2月2日〜1991年6月22日、切抜帳が鶴図にある。新聞の連載であり、読みやすいが、残念ながら沼間来庄段階までで終わっている(田原氏は1992年4月逝去)。
●1986.3(昭61)熊谷開作「ワッパ騒動の民事訴訟」『龍谷法学』第18巻第4号(通巻64号)pp.1-23。何段階かの訴訟の経過をわかりやすく説明した上で、「他人も自分も不当と認めるようなものは慣習ではなく悪弊である」という論理などを指摘している。
●1987(昭62)佐藤誠朗『温海町史中巻』、「第二章ワッパ騒動と温海」がpp.15-319。ワッパ騒動への参加に関わって、本村(小国村)と枝村である峠野山との対立(pp.244-254)が興味深い。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●1990.12(平2)大泉散士『庄内よもやま話』阿部久書店、pp.75-76に30万両問題がワッパ事件の始まりと記してある(1980.6『庄内おもしろ話』pp.15-16と同文)。所蔵:鶴図。
●2000(平12)田中哲『ワッパ騒動 鬼県令に立向かった人々』共同出版。所蔵:鶴図。
●2002(平14)佐藤治助『自由民権の先駆者森藤右衛門』鶴岡書店。所蔵:鶴図、酒図、メディア。
●2003.8(平15)大瀬振編著『吹雪を迎えて 大瀬欽哉遺稿集』大瀬振発行、546頁。所蔵:鶴図、酒図。大瀬欽哉「『鶴岡市史』の編纂を終えて」(『山形県地域史研究協議会会報』第一号、1977.3より)pp.380-383に、70万両献金とワッパ騒動の関係について、献金関係史料が焼却され、史料が乏しいことにより「種々の誤りが伝えられ、七十万両献金問題と次いで起こった「ワッパ騒動」とを混同した著述の出た所以のように思われる」とある。
●2004(平16)黒田伝四郎編・高島真平易文訳『平易文訳庄内転封一揆の解剖』鶴岡書店、元本は1939年。所蔵(平易文訳):鶴図、酒図、メディア。所蔵(元版):鶴図。
●????.?岩田明「ワッパ騒動―新史料から見た一考察―」(「古文書のおもしろさ―その一九―」)2008.6佐々木金三のp.107で紹介されている。
●2008.6(平20)佐々木金三「ある酒田県官員の明治維新―池田悌三郎賚のことども」『方寸』第12号、pp.97-109。鶴図、酒図、メディア。「三、ワッパ事件と池田賚」で県官として取調を受けた池田を中心に述べている。
(今後、少しずつ手を加えていきます)