〈研究ノート〉
沖縄の自立解放について・その二



〈目  次〉
●はじめに
   ○「基地撤去はマイナス」論争
●研究ノート・1島袋純「沖縄のガバナンスのゆくえ」を読む
●研究ノート・2島袋純「沖縄の自治確立、1、短期・2、中期・3、長期展望について」を読む
●研究ノート・3宮城弘岩『沖縄自由貿易論』を読む



●はじめに

 未だ「第三章」を書きうる準備はない。何よりもウチナーンチュの自立解放に向けた闘いとヤマトにおける弱さの克服抜きに、十全にして十分な論考など望むべくもないが、とりあえず「その二」として、少しでも前に進みたい。
 さて、年誌第三号(二〇〇二年一一月発行)の「沖縄の自立解放について――復帰・併合・買弁勢力に抗して」(以下、三号論文と略す)において、“(「再併合三〇年」を前に)日本政府は沖縄から、一切の異議申立ての権利を剥奪した。日本政府が、自治であれ自立であれ沖縄の「独自性」を容認しないのは、まぎれもなく「沖縄は日本ではない」からである。その上で、あらゆる手立てを使って沖縄を日本に繋ぎ止めて置こうとする。何故か、それは膨大な軍事基地を押し付け、その安定した、無制限の使用を維持するためである。米軍政支配下の民主主義的諸権利の剥奪にあえいだ二七年間と、日本に併合され安保と天皇という二つの憲法外的支配に隷属させられた三〇年間を貫いて、沖縄の民衆は希望と絶望をないまぜにしてきた。”と結論づけた。
 三号論文は、その第一章で、「復帰運動の総括」を試み、“「反米感情」とともに、異民族(=米軍政)支配としての軍事属領・植民地支配に一切の災厄の根源を求めてしまったが故、「同民族たる日本」への帰属=「祖国復帰」こそが、そうした現実からの脱却の途であり、「平和」も「民主主義」も「豊かな生活」も約束するものとして沖縄の民衆を捉えてしまった。「平和と民主主義、よりよき国民生活」という日本の戦後革新のスローガンは、そのまま沖縄に持ち込まれたとも言えよう。……復帰運動の総括とは、近代を通して「日本/日本人」化の病巣を抉り出し、沖縄を「沖縄県」とし、沖縄人を「日本人」に鋳直すように造り上げてきたことを問い直し、「祖国復帰」のために一切を注ぎ込んでしまったツケを支払わないまま口を拭ってしまったことを明らかにすることでなければならない。……「祖国復帰」とその運動がもたらしたものは「日本国への帰属=日本人になること」を通して、沖縄が沖縄であることの「アイデンティティ」の全き喪失であったことを改めて確認することが出来る”と指摘した。
 圧倒的多数の沖縄人が日本帰属を選び、そして三〇年後の現在も「復帰は良かった」とする層が各種世論調査で七〇〜八〇%も占める現実(もっとも、逆に二〇〜三〇%もの沖縄人達が「祖国復帰・日本帰属」に否定的であるということの方が注目に値するかも知れない!【注】)。日琉同祖論・沖縄学、皇民化・同化政策、祖国復帰運動・本土一体化、そして七二年以降の一世代以上にわたるあらゆる領域における圧倒的な「日本/日本人」化。ますます強められてゆく「基地と高率補助」の二重の依存経済。更に、九五年少女性暴力事件に端を発した「復帰後最大の島ぐるみ闘争」の終息からの「チルダイ」状況と稲嶺県政登場に象徴される全島総「保守」(=買弁)化。
 沖振法から始まる膨大な国費投入が「償い」「格差是正」を建前に、軍事基地機能維持―安保体制維持のための「買収資金」としてもたらされていることに多くの沖縄人は「自覚」的であるとさえ言えよう。
 強大な米軍と日本政府を前になすすべを失ってしまったかのような沖縄/沖縄人のアイデンティティにとって、否それ以上に、そうした現実と状況を前に、「買弁化」を覆い隠し、あたかも沖縄/沖縄人の自尊心を逆手にとる形で「沖縄イニシアティブ」は登場した。彼らは、沖縄/沖縄人に向かって日本政府のアジアに向けた尖兵になることを強要・教唆したが、それこそ「胸を張ってあらゆる援助を受け入れよ、日本の一員として我が沖縄は基地を容認することでイニシアティブを発揮する。」という「買弁化」を開き直った宣言であった。「基地は経済的にはプラス」とあからさまに言うことのできない、ねじれた感傷が「沖縄イニシアティブ」の根底にある。そして「悪としての基地」を容認するためには、「基地はプラス」という「大義名分」が欲しかったのではないか、と思うのは読み過ぎか。比嘉良彦の「沖縄イニシアティブ」に対する「サイレント・マジョリティ」という言い方も、そうしてみると腑に落ちる。
 一坪反戦を含む反戦地主会の人たちも、軍用地主の圧倒的多数を組織している「土地連」への批判はつねに差し控えている。(参照・新崎盛暉『新版・沖縄反戦地主』1995高文研等)土地連への痛烈な批判を展開する来間泰男(『沖縄経済の幻想と現実』1998日本経済評論社)は、自らを「沖縄では少数派」と嘆じているが、軍用地主に対する、というより、「不労所得」たる「高すぎる軍用地代」に対する批判・非難は、決して少数派とは言えない。
 来間は「高すぎる軍用地代」を軸に批判を展開しているが、不思議なことに「公共事業・高率補助」依存については言及しない。他方、新崎盛暉は「高率補助にどっぷり浸かったままで、居酒屋で怪気炎(「沖縄は独立するぞ!」)を上げる」と、かの居酒屋独立論批判を展開した。来間、新崎とも、「絶対悪としての基地」撤去への意志の共有を確認できるとしても、両者には、こう言って良ければ「再版復帰運動」とも呼べるような、共通した「根」が垣間見られる。三号論文で「復帰運動の残骸」と名付けた「沖縄イニシアティブ」とは、ある意味での復帰運動の後継者に他ならないことを明らかにしたつもりである。がしかし、日本に対する「ねじれ」としてもその根は深い、と言わざるを得ない。
 第二章では、「反復帰・自立の迂回」として「自治」問題を主要に扱った。「併合一〇年」を控えた一九八一年に自治労沖縄県本部が提起した「沖縄特別県制論」(正式には「沖縄の自治に関する一つの視点―特別県構想」)を継承する形で、その十七年後の九八年に自治労本部・沖縄プロジェクトチームによって発表された「琉球諸島自治政府構想」(「パシフィックオーシャン・クロスロード、沖縄へ―二一世紀にむけた沖縄政策提言(第一次案)―」)を取り上げ、他方八一年の「玉野井試案(沖縄自治憲章)」を紹介しつつ、「自治の衰退」を前提に(もちろん、こうした物言いが、どのような意味と深さを持ったものか・主客の構造も含めた検証抜きに軽々しく論じることは出来ないが)、“「自立」と言い「独立」と言っても、或いは「琉球自治政府」にせよ「琉球弧共和国」にせよ、沖縄の民衆の自己統治意識の形成・拡大・発展を抜きにはありえない。……これこそ、「沖縄の自立・独立」にむけた準備作業の、極めて重要な基礎であると思われる。すなわち「日本国家からの分離・独立」の展望は「いかなる沖縄の未来像を描くのか」という問いと不可分であると同時に、前述したようにそのための方法・形態がリアルに問われているからでもある。”と問いかけた。この課題は、研究者・地方議員・自治体労働者による地道で画期的な活動として推進されている「沖縄自治研究会」にその曙光を見る。【ノート・1、2】
 さらに三号論文は“言われるところの「自立経済建設」も、政治的社会的自立に裏打ちされないままの、あれこれの「プラン」形成に終始するならば、全くの空語であることは強調しておきたい。”と言い切ってしまったが、そこで注記した宮城弘岩の著書『沖縄自由貿易論』(琉球出版社1998)を取り上げたい。彼は前述の来間とは対極の「全県FTZ推進論者」ではあるが、「高すぎる軍用地料」があらゆる意味で沖縄を蝕んでいることにおいて、ほぼ同一の論調でもあり、他方新崎と対質するが如く「依存経済」そのものを断ち切る熱意を語る。【ノート・3】
【注】自らを「日本人」だと思う人々はたった28・8%であり、「沖縄人」27・5%で、最多は「沖縄人で日本人」の41・8%。さらに、『沖縄独立』について、「独立すべき」と答えた人が18・5%にも上っていることも明記しておきたい。(沖縄タイムス04.2.20朝刊、「近代以降の帰属変更など類似した歴史的経験を持つ沖縄、台湾、香港、マカオの東アジア四地域」で林泉忠琉球大学法文学部専任講師らの行った国際調査。)


○「基地撤去はマイナス」論争

 さて三つの研究ノートに行く前に、この間の注目すべき論争を紹介しておきたい。
 それは沖縄・一坪反戦地主会・関東ブロックの機関紙『一坪反戦通信』紙上で行われた「基地撤去は沖縄経済にとってプラスかマイナスか」と題された論争である。〇二年七月二六日に関東ブロック主催の学習会での来間泰男の「沖縄の振興策をめぐって」の報告を掲載した『一坪反戦通信』138の「編集後記」で展開した来間批判に端を発している。以降、139/02.9.28来間泰男「(ま)さんの批判に答える」から数度の紙上論争を経て、152/04.1.15来間泰男「丸山氏からの『再々反論』への返答」に至り、「もう、宜しいのではないか。私は今後とも『基地の撤去は経済的にはマイナスだが、それでも基地を撤去させよう。基地の存否問題を経済の問題にするな。平和と人権と自由と人間の尊厳の問題としてのみ考えよう』と言い続ける。丸山氏は『基地の撤去は経済的にプラスだ。だから基地を撤去させよう』と言い続けたらいい。いずれも基地の撤去を目指すという共通点があるのだから、敵対することはない。それぞれでやっていこう。どちらが世論を獲得するかは、そのうち分かるだろう。」と矛を収めた。
 来間の論点は明快である。沖縄経済の現実を前提にする限り、基地依存も日本依存も否定しがたいことから出発する。後者はともかく(この点は、来間自身が自立論に否定的であるがゆえに日本依存をことさら問題にしてはいない。「他府県並みに」というところであろうか。)、前者については「基地撤去は経済的にはマイナス」と言い切っている。この点が、丸山の批判を買うことになった。来間は「軍事基地は絶対悪であるから無くすべき」ということを強調しつつ、「経済的にはマイナスだが、基地は撤去すべき」という形で持論を展開し、いわば「基地問題」と「経済問題」を切り離すことを力説している。
 これに対して、丸山は、来間が「経済」という表現でいわば「銭金ゼニカネ」の話をしている時に、「『富』とは単なる金ではない。」という言い方で論点をずらしているように思われた。だから、問題は、そのような「富」を持ち出した丸山が、しかし「基地はいや、でも金は欲しい。それはしかたがないことだ。基地撤去は経済的にも『ペイする』ことを示さなければ、人々の総意に基づく基地撤去は不可能だ。」と語ることによって、丸山自身が銭金に問題を解消(元の木阿弥?)してしまったことだろう。その上で「経済学者にはそれ(基地撤去は経済的にペイすることを明らかにすること)が求められている。」と付け加えてしまったことが、来間の逆鱗に触れたようだ。それ故、来間は「そもそも大田こそ『基地カード』を振りかざして「経済振興策」を取り込もうとしていたのであり、その限りでは、稲嶺の場合と同一なのである。/『革新勢力が保守勢力に負けたのは』、私の論が間違っているからではなく、私の論では『人々を納得させることはできない』からでもなく、私の論で人々を納得させる取り組みがなされていないからなのである。つまり、私の意見は少数意見に留まっており、これが多数意見になることがなければ、『革新勢力は保守勢力に負け』続けるだろうし、知事選挙で勝利しても、沖縄を正しい方向に導くことはできないであろう。」と反批判を展開したのである。
 ここでは、前述の「居酒屋独立論」や「沖縄イニシァティブ」での論点が、別の角度で浮き彫りにされている。いわば新たな「イモハダシ論」が「本格的」に問われている局面にさしかかった、とも言える。
 「イモハダシ論」とは、「復帰闘争」の大昂揚を迎えつつある一九六八年、当時のアンガー高等弁務官が「基地撤去はイモとハダシに戻ること」と発言したことに対して「たとえイモハダシの生活に戻ろうとも基地撤去を勝ち取ろう」という声が湧き起こったことを指すが、来間は当時の想いを現在と重ね合わせているのだろうか。
 丸山は「基地はいや、でも金は欲しい。それはしかたがないことだ。」と言ってしまったが、私には、それでは問題を曖昧にし遠ざけるようにしか思えない。ましてや「(お金は欲しい、でも)基地はいや。」というのは「高潔な人」だけのものではないはずある。丸山が語るように、銭金ではない「富」をめぐる問題に踏み込むことは、銭金ではなく基地ゆえにますます貧しくなること(基地ゆえのマイナス面)を明らかにし、銭金ではない豊かさを示す以外にない。その意味では「金は欲しい」ということに対する検証と批判ぬきに「仕方がない」と済ませてはならないと思われる。そうしなければ、丸山は自らが強調する「富」にたどり着くことは困難であろう。「『お金に目がくらむ』ことを非難してはならない」とする劣情を刺激する形での意見が散見される中であれば尚更のことであろう。これは、基地問題だけではなく環境問題など多くの現代社会の歪み・病弊が我々に教えてくれていることでもある。ましてや、来間が舌鋒鋭く批判した土地連(個々の契約地主の生活や実態を別にすれば)は、決して「擁護」してはならないのではないだろうか。反基地闘争の昂揚が軍用地代を高騰させているというようなアイロニー、そしてそれに引きずられる形で生み出された全島的な土地騰貴などは、ほんのささやかな例にすぎない。
 沖縄経済そのものが公共事業をアテにし、その公共事業にすがりつく土建産業は産業として経済的経営的に自立する展望も意欲も乏しい。基地存続(日米両政府にすれば、安定的効率的な無制限の基地使用)は日本政府による買収金にも似た振興策・公共事業を前提にしており、いわば日本依存は骨がらみの様相さえ示している。
 「政治と経済を切り離せ」と強調する来間に対して、丸山は、骨がらみ(筆者の言う「買弁化」)の日本依存の打破を対置すべきであった。沖縄の社会と文化が未だ失っていない「日本とは隔絶した民衆の歴史」を基礎に、「富」を論じるべきであった。その意味では「基地撤去は経済的にマイナス」なのだ。異様な豊かさが問われている日本との「格差是正」を追い求めてはならない。ブーメランのように日本へ還流していく膨大な振興策・公共事業資金が、他ならぬ「軍事属領としての沖縄」を永遠に固定化してゆくことを暴露すべきだし、そのオコボレを追い求めてもならない。そのためには一切の併合・同化・買弁勢力を打ち破り、来間が語るように「基地と振興策とのバーター」などという俗耳に入りやすいレベルでの大田県政批判ではなく、「沖縄独自の豊かさ」に向けた展望と方針をめぐる論争として組織すべきだったのではないだろうか。
 この論争は、来間泰男が何故、「基地撤去は経済的にマイナスだが、貧しくなっても基地撤去を求めよう」という、かつての「イモハダシ論」(これ自体は、反論する側もデマゴギーに囚われていた。「三号論文」参照)のごとく、「精神主義」的な(丸山「高潔」)要求を強調することに終始してしまったのか、について、「豊かさ」をめぐる論争へと発展させるべきだった。「経済学者」が「経済」を語らなかったことが丸山の初発の批判意識ではなかったのだろうか。そして経済はもとより、文化や社会をも包摂する「政治なるもの」をめぐる論争を展開させるべきだった。こうしてはじめて「自立経済構想」の端緒も切り拓かれる。
※論争そのものは風游サイトにアップされているので参照して頂きたい。
 http://www5b.biglobe.ne.jp/~WHOYOU/kurima.htm



●研究ノート・1
島袋純「沖縄のガバナンスのゆくえ」を読む



 「国際都市形成構想から新沖縄振興計画へ」を副題にした本論は、二〇〇三年三月に出版された『グローバル時代の地方ガバナンス』(2003岩波書店)に所収されているが、もともと〇一年十二月に北海道大学で開催された国際シンポジウム「グローバリゼーション時代におけるローカルガバナンスの変容」における報告が基礎になっている。大田県政から稲嶺県政の転換を縦糸に、地域権力―自治権問題を横糸に、「沖縄のゆくえ」を自己統治・自治制度・ガバナンスの視角から分析したものである。
 島袋はポスト冷戦・グローバリゼーション下における日本―沖縄問題、そこでの国民国家の変容(ゆらぎ)を、例えば「冷戦終了後の欧州連合における地域政策の強化と各国の地域政府の勃興」として捉え、「日本においても、グローバリゼーションは、地域にとって、一、財政資源の量的維持、二、経済の自由化、つまり、資本・資源の移動・貿易に関する地域主体の規制緩和、三、自治権拡大あるいは自治政府構想という三つの要求を浮かび上がらせてきたのである。」と問題提起し、(日本・中央)政府との「攻防」を通して地域的なガバナンスとしての沖縄の「変容」を分析している。
 ただ、筆者としては「中央の財政援助の量を減らさないように要求しつつ」として説明されている「財政資源の量的維持」が、一番目の座標として設定されていることに違和感を覚えた。何故なら、沖縄における「公共事業依存」は島袋も再三指摘しているように、事実として沖縄経済界の死活問題視されており、いわば日本からどのように多くの「補助金」の類を引き出すかが県政に要請されており、その隘路で苦しんだ大田県政は「反基地を掲げて振興策を引き出す」という悪罵にも似た非難を、前述の来間をはじめ反戦反基地運動の側から浴びせかけられていたのである。

 「一、財政援助――グローバリゼーションと沖縄振興策のフレームワーク――」で、「一九九〇年に就任した沖縄県の大田知事もこのような地域リーダーの一人であった。」が、しかし「沖縄の問題は、米軍基地のあまりにも大きな存在のゆえに、大田県政におけるこの三つの地域開発戦略の基本的な要素が、明確に見えてこない場合がある。平和主義的な運動と捉えられたり、人権運動からの期待を背負って解釈されることが多いからである。しかし……この三つの要求に関しては、沖縄も端的に当てはまる。」と書くことで、とりあえず「沖縄問題」の固有性を捨象し、「地方自治」一般としての視角を強調する。
 九六年十一月に発表された「沖縄国際都市形成構想−21世紀の沖縄のグランドデザイン−」も、「冷戦後の在沖米軍基地の存在と機能を維持ないしは強化を主張する九五年のいわゆる『ナイ・レポート』は、大田氏に強い衝撃を与え…たと理解されているが、この構想の着手は、九二年であ」り、反基地問題とは相対的に別個であるかのように書き記す。しかし、「ナイ・レポート」以前からの構想ではあれ、そもそも彼は「県知事」になる以前から「日本−沖縄」関係の特殊性の打破(「沖縄自立志向」とよんでも差し支えなかろう。)を意図しており、ブレーンたる吉元副知事(当初は政策調整監?)に至っては、一九八一年段階での自治労沖縄県本部の「特別県制構想」の真只中にいた人物でもある。二〇一五年まで米軍基地を全面撤去させる「基地返還アクション・プログラム」も、島袋も言うように「政府は……このアクション・プログラムの意味を、実現可能性のない政治的アドバルーンとみなした」が、「即時無条件返還」というレベルから「段階的縮小であれ、二〇一五年までは基地を容認するもの」という今では噴飯ものの批判すらあったほど、「国際都市形成構想」(これも単なる「作文でしかない」という悪評も多々見られた)とあわせて、画期的なものであった。
 大田県政は、この沖縄県独自の構想・計画を実現するための組織を要求した。それに対して中央(日本)政府が「沖縄県知事が閣僚と肩を並べて着席する特異な形態の閣僚会議である」沖縄政策協議会の設置を容認したのも、日本にとっての「沖縄問題」の特殊性を踏まえ「過重な基地負担」に対する「懐柔策」を新たに弄せざるをえなかったからに他ならない。「基地を取り引き材料にした」という大田県政への批判は教条的立場からすれば的はずれではなかったとも言えよう。
 こうして、島袋が提起する第一の座標軸たる「財政資源の量的維持」の問題は、「中央から沖縄への公的な資源の配分量を確保する役割」に限定し、露骨に「基地と振興策のバーター」を繰り出す舞台とされた沖縄政策協議会をめぐって俎上に上せられたが、第二の要素である「全島フリー・トレード・ゾーン」と、第三の「特別自治制度」の部分は後回しにされた。というより「一国二制度」なる言葉が肥大化し一人歩きしただけだったと言っても過言ではない。
 加えて「大田氏は、受け入れを否定した名護市民投票の結果にしたがって、中央政府(以下中央と省略)の普天間基地移設提案を正式に拒否した。沖縄のガバナンスがより民主的な方向で新しく変化していく兆しを見せたまさにその時、中央は、この変化を決して認めず、従来型の古い権力の行使手段を用い、それどころか今まで以上にそれを強化した。『北部振興策』といわれるさらなる一連の中央政府補助の公共事業が基地受け入れを促進するアメのように用いられ始めた。」
 大田知事が辺野古沖移設拒否を表明してから、沖縄政策協議会は日本政府によって開催を拒否され、「この仕組みを逆手にとり、大田県政を窮地に追い詰めた」沖縄政策協議会が稲嶺県政誕生で直ちに再開されたのは言うまでもない。もちろんこれらは、制度的枠組や「古典的な地方統制のための権力を露骨に行使することによって、中央に極端に有利に、県側に極端に不利に作用するシステム」の問題もさることながら、その制度・システムにどのように挑戦するのか、といった問題を島袋は投げかけているようだ。それは大田県政―「沖縄国際都市形成構想・全県FTZ問題」についての彼の評価に端的に示されている。
 「全島FTZ」について県経済界での異論続出という形での「大論争」を惹起せしめたことを踏まえ、「全島フリー・トレード・ゾーン構想と特別自治制度の構想は、県内の合意形成が必要であり、時間が必要であった」としつつも、島袋はそれらの推進派としての立場から、次のように積極的に紹介している。
 「沖縄国際都市形成構想の最も特徴的な部分の一つは、グローバリゼーションを明確に意識化し、しかもそれを不可避な流れと見なした上で、積極的に対応する形で沖縄の将来構想を描いている点である。その最も重要な推進の手段が、沖縄全県フリー・トレード・ゾーン構想である。さらには、アジアや太平洋諸国との連携、アセアン(東南アジア諸国連合)やAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の発展を展望し、政治的な文脈でいえば、一国二制度的なきわめて分権的な自治制度の導入と、東アジアにおける国際協調の枠組み強化への貢献をうたっている。そしてその中での米軍事基地の段階的削減を打ち出している。」

 「二、経済の自由化、一国二制度・全島フリー・トレード・ゾーン構想」の項では、大田県政に対して「産業界・経済界は、沖縄の現代史において始めて自前の候補者を九八年十一月の知事選挙にむけて用意した」ことなども含めた分析を行い、「三、特別自治制度構想」の項において、日本政府の省庁再編の中での新たな「沖縄振興開発行政」が「中央政府機構の改革のみが先行し、沖縄県には、ほとんど新たな権限や独自の財源が付与されないできた。/したがって、振興開発予算と計画のイニシアチブを中央が握りつづけ、沖縄県は、中央に陳情し続けるという、旧沖縄開発庁と沖縄県の関係は、手付かずに残され、あるいはさらに強化されているとさえ言える。/……/大田県政が引き起こした中央政府への激しい攻勢が、中央政府の沖縄政策の仕組みの変化をもたらしたといえるが、沖縄県の側にはなんらの変化も生じていない。」と指摘した上で、大田県政―吉元構想(「国際都市形成構想には、最後の大きな柱があった。全島フリー・トレード・ゾーンを実現・管理する能力を持つ自治政府の設立である。特別な自治能力を持つ、沖縄の自治政府の構想である。」)を丁寧に紹介しつつ、「これが実現していたらならば、沖縄のガバナンスは、『脱東京』を基調として、きわめて大きな変化を遂げていたであろう。」と、高く評価した。

 最後に、〇二年十一月知事選挙直前の九月にHPに発表された同名の論文【注】の「結びに代えて」(こちらのHP版は岩波版よりも「自由」に書き込まれている)において、知事選の争点に触れ「地域政府権限に関する争いと再構成することも不可能ではない。」とし、「実際に大田県政下で多くの政策開発を手がけ、対中央の交渉の最前線に立っていた…吉元氏は、出馬(〇二年十一月の知事選)にあたって、大田県政期に積み残した課題をやり遂げるという理由を掲げている。普天間基地の県内移設反対のほかに、最も基本的な重要政策として、全県フリーゾーン構想と琉球諸島特別自治制度導入を掲げており、沖縄のガバナンスのゆくえが、沖縄県民に再び問われる。」と結んでいる。
 もちろん、選挙結果としては「吉元惨敗」であったわけだが、「復帰(併合)三〇年」を経て、「沖縄イニシアティブ」に見られる「併合・同化・買弁」型のすべてでないにしろ、稲嶺県政が支持を集めたと言うことは冷厳な事実であろう。
 島袋には本論の続編として、是非、知事選総括も含めて執筆していただきたい、と思う。「吉元惨敗・稲嶺圧勝」が「過去のこと」として忘れられ、その政治的意味の分析や「沖縄のゆくえ」をめぐる総括が見られないまま今日を迎えているのは決して好ましいことではない。個人的感想を述べさせてもらえば、自立・独立派を称する少なからずの人たちから「吉元は支持できない」「選択肢がない」に続いて「又吉イエスにでも入れようか」という声を聞いて愕然とした思いがある。
 島袋は、(地方)自治の復権・創造を中心として、沖縄の固有性(民族性)とその歴史性(とりわけ日本国家との関係)を、敢えて後景化して分析と考察を進めているが、それは研究者(「学者」)としての「自制」でもあろう。もちろん「住民自治」、自律−自己統治−自立が「普遍的」なものであり、沖縄に限られたものではない。しかし、国民国家の変容−ゆらぎ−解体という歴史的文脈の中で、東アジア−日本との関係での沖縄の政治的歴史的位置を捉え返すことが必要であろうし、その場合、沖縄/沖縄人の固有性は決して無視し得ないものではないだろうか。沖縄は、「地方自治」に留まり得ない「日本」との対質−対抗が問われている。
【注】http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5343/ronbun021003.html



●研究ノート・2
島袋純「沖縄の自治確立、1、短期・2、中期・3、長期展望について」を読む



 これは彼のホームページに発表されたもの【注】で、まず、ざっと眼を通しただけで圧倒されたと言うか感激したことは確かである。ここまでのリアルな構想を見たことが無い。もちろん「単なる作文に過ぎない」という謗りをうけるかもしれない。しかし「三つの自治の形態を戦略的に、短期、中期、長期と分け、時系列的に配置したところに島袋案の特徴があります。」と述べる通り、やれること・やらなければならないこと(何をなすべきか・何から始めるべきか)を「短期02年〜06年/中期06年〜10年/長期10年以降」と整理している。島袋案は、最終的には「沖縄と日本との国家連合」(EU型国家連合がモデル)が目指されている。

(1)自治基本条例制定・琉球諸島広域連合設立/2002年〜2006年で可能なこと
 第一に「現在の法律体系、地方自治法の中で最大限の自治、最先端の自治のあり方を目指す…沖縄県自治基本条例の制定」を掲げ、まずプロジェクトチームを立ち上げ、ワークショップを行い、「04年6月までに自治基本条例案を議会に提出。」と提起する。条例制定をいわば大衆運動として、後の「自治基本法を作るための訓練としてでもやるべき。二度手間と思わず、この議論や経験が必ず、特別立法の自治基本法に生かされると思うべき。」
 第二に、この「条例制定運動」と連動しつつ、条例研究プロジェクトチームを基本法制定プロジェクトチームへと再編することから始め、「琉球諸島基本法制定県民会議の設立」に進む。ここでも、「憲法九五条に基づく沖縄独自の自治のため」であることを踏まえ、「06年11月の知事選は基本法賛成と反対が争点。」と「短期展望」のゴールを知事選におく。この「県民会議」は、「全党派的な組織、県議会議員と沖縄選出国会議員が参画するようになったものが、いいと思います。私の役目はあんまり偏った党派色に染まらずに、自民党から共産党までを基本法制定会議に巻き込むこと。(笑)」とのコメントが付されている。
 第三に、条例案議会提出以前に「郡レベルの広域連合」の設置を果たす。地方行政に関する法制度に疎い筆者としては、この案は画期的なものだと思われたが、どうだろうか。
 「自治体としての『郡』政府は、現行制度上作れないため、(地方自治法上の特別地方公共団体である、多目的・全目的)広域連合…北部広域連合、中部広域連合、南部広域連合、宮古広域連合、八重山広域連合」を作り、他方、現在強権的に推し進められている市町村合併にも対応する形で「広域連合に、市町村単独で実施困難な事務を引き受けさせ、同時にできうる限りの県の事業を移譲する。…広域連合は、県と各郡市町村がいっしょに一つの広域連合を形成した場合、県の権限移譲が可能となる。」
 第四に、「琉球諸島広域連合の設立」が提起されている。ここで第三の広域連合設置の手法で「沖縄県、沖縄五三市町村及び奄美郡町村及び名瀬市で、琉球諸島広域連合を設立する。/琉球諸島広域連合は、琉球諸島自治政府の設立準備を行う。」
 これも「広域連合は、府県をまたがっても、設置可能。現実的な必要性という視野から、奄美と沖縄県が相互に利益となるような分野から広域連合を設置すればいいと思う。琉球諸島広域連合として、琉球諸島広域連合政府、琉球連合広域連合議会を設置し、郡レベルの広域連合に移譲する事務以外すべて、現在の県の仕事をすべて移譲すれば、特別法を作らないでも、実質的に新しい政府を作ることは理論的に可能。(ただし、この連合の設置には鹿児島県知事の同意と総務大臣の承認が必要)」という法解釈から演繹されているが、当然にも島袋は、「実際に国が簡単に権限を手放すことはないと思われるので、今の県の権限と同じになる。これを作っておくのは、『国からの権限移譲の受け皿になる』と書いてあるのに移譲してくれないから、自治基本法を作って、権限移譲を勝ち取るという大義名分を立てられる」とし、それ以上に彼の強調する点は「何よりも、『琉球』が公的制度の名称に復活し、県民に新しい政府システムが導入されつつあるのだという期待をいだかせる。連合ということばを、…日本・沖縄の国家連合につなげられる。」と書く。

(2)基本法制定と琉球諸島政府設立/2006年〜2010年あたりにできそうなこと
 「沖縄県自治基本条例制定・琉球諸島広域連合設立」から、「沖縄自治基本法制定と琉球諸島政府(沖縄省)設立」へが中期展望として語られている。島袋は基本コンセプトとして「簡単に言えば、旧琉球政府と琉球立法院の権限すべて取り戻すことをめざす構想。」と述べている。
 「広域連合」と同様、「沖縄省」も画期的な提起ではなかろうか。若干理解しにくかったが、「大統領型」の「公選の琉球諸島政府主席」が、「国務大臣クラス」の沖縄省大臣となり、現在の県議会が「沖縄省議会」として、琉球立法院(「琉球諸島議会」)となる。それを踏まえ第一に「国政」において、「衆議院及び参議院の常任委員会(もしくは特別委員会)として、それぞれに沖縄委員会を設置」。第二に、「行政」において、「法定受託事務は、沖縄省固有事務に変更」。第三に「財政」は、「国家予算の47分の1を沖縄予算として、一括して沖縄省議会および省政府に財政移転する。」こうして立法・行政の沖縄の独自性を確保する。(但し「司法」に関しては、「憲法上、無理では。七六条の規定」と付け加えている。)その上で、「基地被害補償及び跡利用促進特別基金…を日本政府(防衛庁)に要求」とし、「沖縄の基地縮小と地位協定改正」に向け、「沖縄委員会と沖縄省を正式のメンバーとする」ことを要請。さらに「県首脳、県選出国会議員が、積極的に国連人権関係委員会・国際社会に『沖縄の人々=国家形成の主体、人民(People)』認知を働きかけること。」
 これに続いて、1「法体系について」という一覧表(日本全国の法体系/沖縄の法体系/政府間関係と市民へのサービス提供の仕組み)と、2「言葉の問題」として、「『沖縄』に国家の下部機構を意味する省、州、道のような言葉をつなげるのは問題ないが、『琉球』につけてはならない。道でも州でもない「琉球」とすべきでは。妥協して『琉球諸島』。日本全体が道州制を採用した場合、沖縄は『道・州』と同じレベルで『諸島』という名称を用いる。琉球諸島政府 琉球立法院 琉球諸島(自治)基本法」と展開しているが、「沖縄か琉球(琉球諸島)か」「省・州・道・自治州・自治共和国・邦か」という問題とあわせて、一考に値する。3「憲法改正」問題にも触れ、「沖縄の投票では、おそらく、過半数に到達しない。つまり、沖縄は、憲法改正拒否。…沖縄の人々は、独自の主権国家を作り出しうる、国際法上の単位『人民(People)』(一般にいわれる民族自決権の『民族』)であるとすれば、沖縄が否定した憲法は、沖縄には適用されないと主張できはしないか。つまり、憲法改正国民投票の日までに、沖縄は沖縄独自の国家形成と憲法制定を用意しておく必要が出てくる。」と述べた後、「当然ながら、軍事的空白を、軍事力で埋めるような、国際戦略ではなく、非軍事的な平和攻勢を仕掛ける外交的な力がないと無理。今後8年は、それを身につける重要な期間。」とも書き加える。

(3)主権国家として「独立」する/2010年〜2020年あたり
 冒頭の「1、主権の回復」の項において、「1・沖縄は、国際法上、主権国家を形成する自決権(いわゆる民族自決権)を有する『人民(People)』という単位に相当すると宣言/2・憲法制定会議を設置し、新しい統治の枠組みを定める沖縄の新憲法を作成し、国民投票に付して主権回復を図る/3・英連邦及び欧州連合になぞらえて、沖縄と日本で対等な主権国家の連合体を構築する」
 そして日本との関係で、まず「日本国内に住むすべての沖縄人に日本国民と同じ権利を保障/沖縄に住むすべての日本人に沖縄人と同じ権利を保障」し、「資格、免許制度に関して、共通政策とし、日本沖縄双方の資格・免許が相互に双方において有効とする。」
 「日本とのEU型国家連合機構」については「『日本沖縄連合閣僚会議』を国家連合の政策、共通政策の最高意思決定の場……合議制の行政機関として、『沖縄日本国家連合委員会』を設置。」この「連合委員会は、『極東連合』として、統一朝鮮と中国及び台湾の加盟を目指し、さらに『東アジア連合』として、アセアンとの合同をめざす。……主権回復後、直ちに国連アジア本部を設置し、那覇は東アジアにおけるブリュッセルとハーグ及びジュネーブの役割を目指す。」
 財政問題においては、「沖縄における日本政府への国税をすべて、沖縄の政府の税とする。/沖縄の政府は関税を含むすべて課税権を有する。ただし、一部に共通税制度の導入を妨げない。」は当然としても、「沖縄の日本政府不動産は、すべて無償で沖縄の政府へ譲渡」した上で、「沖縄の予算の収入は、沖縄政府の税、連合協約による一括的財政移転、及び下記の沖日米安全保障機構からの基地関係収入から構成され、用途の決定は沖縄の議会が持つ。」
 公務員制度においては、「自衛隊などごく一部を除き、日本国家機関はすべて、沖縄の政府に移管。/自衛隊を除き、沖縄県内の国家機関に所属する公務員(防衛施設庁を含む)をすべて沖縄の政府に移管。」加えて「沖縄のすべての公的役職に国籍要件をはずす。」と同時に「沖縄人が日本のすべての公職に立候補・応募する権利保障要求」。
 国防に関しては「沖日及び沖米間に安全保障条約を結び、沖日米合同安全保障条約会議を設立する。……沖縄の政府は、日本政府のもつ軍用地借地権を引き継ぎ、当面、米軍基地の施設提供に責任を負う。(自衛隊も同様)」とした上で、「沖日・沖米安全保障条約締結に当たって、日米地位協定を抜本的に見直した新たな沖米地位協定を要求、要求に応じない場合、条約破棄を通告。/米政府及び安全保障条約会議に対して、米軍基地撤去に伴う原状回復義務を要求する。」と、主権国家・沖縄としての立場を明記。さらに「この会議に2020年まで沖縄は参加し、以降、沖縄は全面的に離脱。/2020年までに、沖縄は日本及び米国との安全保障条約を平和友好条約として締結しなおす。/友好締結後、沖縄は非武装、非核地帯として国際的に宣言を行う。安全保障上の空白地として、コスタリカ的、あるいはマルタ的な、信頼醸成と武力によらない積極的平和外交推進の役割を担う。」
 この後、「行政・議会・司法」の主権国家としての再編確立を展望しつつ、最後に「警察機能」として「県警を廃止し、沖縄の政府に沖縄警察庁をつくり…/第11管区海上保安庁を沖縄の政府に移管。」

(4)「意志」を顕在化させる「政策(目標と方法)」
 島袋は、「日本国法下で、最大限の法解釈」という武器を駆使し、「いっしょに夢を描いてみましょう(この論文に付け加えられた「掲示板」)」と呼びかけている。
 そして、「何よりも、『琉球』が公的制度の名称に復活し、県民に新しい政府システムが導入されつつあるのだという期待をいだかせる。」という「政治」的提起も極めて重要であろう。これは「(一九九八年の自治労プロジェクトによる)『提言』に見るべきものがあるとすれば、……『琉球弧』概念=『奄美』をも包み込み『沖縄の異質性』を法(行政)制度レベルにおいて『地方政府』として突き出したことではないだろうか。」(「三号論文」)という評価にもつながっている。
 彼は本論の末尾をいわゆる「芋はだし論」 に触れた後、「とりあえず、上の新体制論は、日本政府からの一定の財政移転確保を念頭に発案しているが、統治構造を転換するには、芋はだしの覚悟を沖縄の人々が共有できるか、あるいは、全面的に財政移転をストップされたところで主権さえあれば『芋はだし』には絶対ならないという自信が基礎となる。これさえあれば、日本政府の懐柔策や財政移転カットの脅し・恫喝にも屈しない。/『日本からの財政援助全部切るぞ! 援助なしで沖縄やっていけるか!』/これを切り返す覚悟と政策を準備する必要がある。」と締めくくる。これは、かの居酒屋独立論争時の新川明さんの「これは比喩です。血を流すというのは、今の生活レベルをどれだけ落とせるかの話です。血を流さないままで今のおいしい生活のままでさらにおいしい独立を夢みるなんてこんなムシのいいことは話にならない。独立の決意とか決断とかは、自ら血を流せるか否かの決意、決断のことなのです。」をも踏み越えたものと見るのは褒めすぎであろうか。しかし「覚悟」や「決意」だけなら、こういっては礼を失するかも知れないが新川さんも、来間泰男と何ら変わるところはない。「覚悟と政策を準備する」という島袋の提起に賛意を改めて表明したい。もっとも、この「政策」は「政治」へと押し拡げる/「政治」に裏打ちされる必要があることを付け加えたい。
 さて、前掲の「三号論文」にこだわれば、ひとつは「法・制度なるものが、階級闘争の結果、言いかえるなら国家と人民の闘争の結果にすぎ」ないこと、もう一つは「運動は、展望とともに実際的な『獲得目標』が鮮明に打ち出されなければならないだけでなく、それへの手段・方法あるいは(運動・組織)形態が確立されなければ」ならないこと、つまり、主体の「強固な意志」を前提に、「可能な/具体的な目標」と「可能な/具体的な方法」について確立する必要がある。
 法―制度は、諸階級諸階層の(国家)権力をめぐる闘いの「結果」でしかないが、その「結果」は否応なく次の闘いの舞台と条件をつくり出していく。例えば「権限委譲の受け皿」然り、「地位協定」をめぐる問題然り、この間の反戦反基地運動の側による「自治体の平和力」然り……。島袋プランにとって、「可能な/具体的な方法」としての法−制度化は、「可能な/具体的な目標」を鮮明に打ち立て、さらに「意志」をも顕在化させうる。
 これに対して、かつて吉元元副知事が語ったことが思い出される。彼は、琉球政府時代を振り返りつつ、「多くの制約・限界はあれ、私達は一つの政府を運営してきました。」と「一国二制度」も含め「特別県制・自立県政」の展望とその可能性を強調した。(沖縄文化講座02・5・15講演)そして岸本真津は「琉球列島暫定政府への道筋」(『うるまネシア第4号』02・7・10所収)で、「一つの方法として、まず『海邦小国基本法』の制定のための運動なり、団体なりを立ち上げるというやり方があるだろう。これは日本国憲法の枠内であっても合法的に可能である。…海邦小国がスタートした際に日常生活に必要な法令などの準備を始める。これは、米軍統治下の琉球政府時代の琉球の経験がものをいう。少なくとも、我々の先輩たちは、一定の枠のなかではあったが、立法、司法、行政とそのような『琉球国』の運営をやってきた経験がある。」と、「独立へのプロセスを考え」る。
 島袋戦略1は、プロジェクトチーム→ワークショップという大衆運動を経て、条例案作成→提出・可決というプロセスをたどるとなれば県議オルグがカナメとなろう。次いで戦略2は、1とパラレルに進められなければならないが「広域連合」形成であるからして、行政首長オルグが不可欠である。さて、このための管制高地はどのように構築されるのだろうか。いわばリアルな政治勢力形成が問われているのではないか。短期展望のゴールと目される二〇〇六年知事選はもうすぐである。
【注】http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/5343/jichitenbou.html



●研究ノート・3
宮城弘岩『沖縄自由貿易論』を読む



一 はじめに

 一九九八年に琉球出版社から上梓された宮城弘岩『沖縄自由貿易論』は、九七年、沖縄で大論争を巻き起こした全県FTZ(フリー・トレード・ゾーン)問題に対して、「全県FTZ推進」の立場からの「総括的文書」とも言える。
 この論争が全県を巻き込んだ最大の理由は、大田県政が打ち出した「国際都市形成構想」――これこそが「沖縄の21世紀グランドデザイン」としてイメージされた――を下敷きに、「復帰二五年」という節目における、沖縄の未来像をめぐるものとして「一国二制度・FTZ」の可否が問われたからでもあったと言える。だが最終的に県が玉虫色の先送り案をまとめることで論争は終息し、大田県政敗退によって過去のものとなってしまった感がある。そして、宮城弘岩自身は、稲嶺県政によって沖縄県物産公社−わしたショップから追放されてしまった。

 論争の経緯を若干振り返ってみよう。
 「国際都市形成構想」そのものは、一九九五年少女性暴力事件を契機とした「復帰後最大の島ぐるみ闘争」を背景に、反戦平和・自立志向を強めた大田県政が打ち出した「基地返還アクションプログラム」(これは二〇一五年までに米軍基地の全面撤去を目指す)ととも、跡地利用も含め提起されたものである。「全県FTZ問題」は、この「国際都市形成構想」を引き継ぐ形で、その産業振興策の具体化とされた。
 そもそも「国際都市形成構想」自体、「沖縄タイムス」に連載された牧野浩隆(当時琉球銀行・現稲嶺県政副知事)の「国際都市の陥穽」と題する批判(『再論・沖縄経済』沖縄タイムス96所収)をはじめとして、産業界からの批判が強く、県経済八団体は九六年四月に独自の経済振興案を提言した。沖縄県はその提言内容(中継加工貿易と国際物流拠点の形成やFTZの整備拡充など)を受ける形で、五項目からなる「規制緩和産業振興等特別措置」をまとめ、八月に国に要望したのである。
 当初、日本政府は県案の「自由貿易地域部分(独自の関税制度、関税の選択制、IQ[輸入割当制]の撤廃)と観光部分(ノービザ制、空港のハブ化)」について、「一国二制度である」と拒否したのであるが、翌九七年、米軍用地強制収用をめぐる闘いを押しつぶすために米駐留軍用地特別措置法改悪を国会で通す見返りとしてか、逆に県に対して「沖縄振興策」の一環として、「一国二制度」を容認するかのような「経済特別区」を含む県案の提出を改めて求めてきた。
 この日本政府の「方向転換」に対し、県は「産業・経済の振興と規制緩和等検討委員会」(田中直毅を委員長とする所謂「田中委員会」)の7・24報告書を受け、九月一日、正式に全県域を自由貿易地域とする「全県自由貿易地域の展開に向けて」(素案)を発表した。
 この田中委員会報告―県素案は、地元二紙をはじめとして全県を巻き込む形での大論争に発展したが、三か月余を経た九七月一一月、沖縄県は経済特別区制構想を三本柱(@自由貿易地域の新たな展開 A情報・通信関連産業の集積促進 B国際観光保養地の形成)にまとめた「国際都市形成に向けた新たな産業振興策」を県最終案として決定した。来間泰男は『沖縄経済の幻想と現実』(日本経済評論社1998)の中で、「最終判断を先送りしたものとなったことによって、振り出しに戻った格好である。新聞が『大山鳴動ねずみ一匹』と評したように、県案が田中委員会以前に戻ったということである。」と述べている。ちなみに、この田中委員会に宮城弘岩は「株式会社沖縄県物産公社専務」の肩書で、稲嶺現知事(当時、株式会社りゅうせき会長)とともに沖縄側委員として参加していた。

 宮城は本書の中で、「根底にある問題を考える場合、時代の節目に目を向けるならば、一六〇九年には領土と貿易を失い、一八七九年には政治と産業を失い、一九七二年には文化と自立の魂を失った。」と述べ、「日本という枠組みの見方からは、沖縄の自立化への方程式は生まれない。思想的、社会的、あるいは歴史的な特性から考えるならば、沖縄の自立化は『国境を越えたところ』にしか存在しないと思う。」「日本という社会システムの成り立ちそのものが沖縄には適用できない。個々の企業や産業の成り立ち、それを支える社会的価値観が異質のものだからである。」と、自らの自立志向を吐露し、その上で、「沖縄の経済発展は、日本の枠内の辺境という位置づけからは決して生まれないことを、私たちはこの復帰25年で学んだ。希求される経済の自立は、返還される基地の跡地利用も含めトータルとして、ボーダレスやグローバリゼーションといったキーワードを、沖縄独自の形で消化するしか道はないだろう。これは今日のアジア諸国なり地域なりが教えてくれているが、沖縄の過去の歴史にあって、何百年という大貿易時代に実現していた自立ある経済に、その原理を見い出せるだろう。これが自由貿易地域制度を核とした経済特別区構想における、自立した経済の再度の実現ということである。」と表明し、「沖縄問題の終着駅は、基地返還と産業振興を内容とする経済の自立化である。」と訴え、この「自立化によって沖縄の魅力が生まれ、自由化によって沖縄の比較優位性が生まれるのである。」と展望を語る。
 こうした考えが「楽観的すぎる」ことは確かであろうし、歴史を美化しすぎているきらいもある。とりわけ一国二制度にせよ、全県FTZにせよ、それらは日本政府の承認という「手続き」を不可欠としている。そして、日本と「分離」された沖縄は文字通り「国内植民地」としての「本国・日本」の従属的位置からするところの「低開発の開発」を強いられる危険がつきまとう。またそれは、沖縄を「FTZの実験台」(この点、先の田中報告書はFTZ導入の方便としてか、「国には、この自由貿易地域制度を中心とした産業振興策をわが国の地域産業政策の先行的な取り組みとして、沖縄において一定の成果を収めることができたならば、地域の実情に応じて全国的に拡大していくことを求めたい。」と述べている)にすることなども含め、新たな「差別」を生み出しかねないばかりか、「全県FTZとなった沖縄へ日本資本が参入し、沖縄という地域は利用されるが、沖縄人は排除されることになる。」(来間前掲書)との批判も現状では杞憂ではない。
 もちろんこれらの問題はすべての領域・局面で問われることであり、故に、経済を極力、政治から切り離すという宮城の考えは大きな陥穽が待ち受けていると言わざるをえない。それは何よりも「国策」(普天間基地の辺野古移設)に逆らった大田叩きの開始から、「県民」が大田を見捨て、FTZ・一国二制度を含む一切のプランが消し飛んでしまったことなど、まぎれもなく「政治」が然らしめた結果である。ただ、重要なことは、こうした「全県FTZ」を創出し、例え関税問題などに限定されるにすぎないとは言え「日本を外国と見倣す」ことによって、日本を相対化し、沖縄内部での矛盾・対立・相克を止揚する方向を指し示すことが出来る可能性をかいま見せたことであろう。

 以下、可能な限り本書を手がかりに全県FTZについて考えてみたい。
 論述方法の所為か、現在の施策・法制度(それも「復帰前」の沖縄の状況と、「後」の日本政府の制度的制約やその変遷)上の諸問題と、それへの批判と要望、要求と妥協とが判別しがたく述べられ、それらと具体的構想とがないまぜになって表明されていることで、「全県FTZ」像が鮮明に浮かび上がっては来ていない。そして肝心の「沖縄で求められるFTZとはどのようなものなのか」と言ったことが、順不同に断片的に投げ出されており、理解・判読に苦しむ箇所も散見される。それ故、独断的整理になっていることを予めお断りしたい。

二 何故FTZか

 宮城は、沖縄経済の自立的展望のためには、基地と公共事業の二つの依存からの脱却が不可欠であり、なによりも「復帰措置」から引きずる「保護・規制」の撤廃をまず立論の前提にする。
 反戦平和の希求や多発する事件・事故による基地被害という観点はさておき、基地依存経済の弊害を、軍用地料値上げによる産業用地をはじめとする土地騰貴や「基地に投入されている労働力の無駄使い」から、「基地をかかえる市町村はほとんど衰退している。街はゴーストタウン化し、人口は減少、商店街のスラム化も進んでいる。/……どこから主な収入を得ているかといえば、言うまでもなく基地からの収入である。街は死に体状態が続き、活力を失っている。」と嘆く。加えて、「公共事業依存」の弊害として、彼は、日本が注ぎ込む公共事業が、産業振興という目的もない「単なる失業対策程度の意味」しか持ち合わせていなかった、と鋭く指摘する。
 そして「沖縄が世界に学ばなければならないのは、産業の『保護』ではなく、『育成』するということである。」という彼の実業家としての経験と実績を踏まえて「企業の経済活動は自由な活動のたまものであって、政府行政の規制・保護で生まれるものではない。かつて歴史的に援助・補助を受けてきた企業や産業が、自立し独立していったという話はない。……規制で保護されている企業は弱い。どんなに規制・保護を延長しても、その枠を脱して企業努力をすることはない。守られていることが特権化し、当然化し、それを前提に企業経営がなされる。復帰特別措置は、いうところの脆弱な沖縄企業を保護するという趣旨の役割をすでに終えているのに、それに応える企業意識は育っていない。だから保護措置が切れると、いとも簡単に倒産に向かう。企業の脆弱性は少しも改善されていないのである。」と言い切る。宮城は、沖縄県内での倒産事例などを引きつつ、すでに規制緩和の流れは押しとどめようもなく、食品加工業をはじめとして「壊滅的現象」をさえ呈している現実を踏まえ、「このまま規制緩和の流れに身を任すことはできない。……そうであればこそ、逆に規制緩和していく中に多様な企業チャンスが生まれていることにこそ目を向けるべきだろう。あるいは規制緩和を要求してでも、みずからのチャンスをつくる方が賢明ではないだろうか。」と提起する。

 宮城は現状についての彼なりの対案を示しつつ、「日米政府に対し、さらに毎年1000億円の上乗せを要求すべきである。……この上乗せ資金は基地がすべてなくなるまで続けていくことが必要である。」軍用地料に関しても「基地収入は地主だけのものではなく、すべての県民が享受する権利がある……したがって、沖縄県民全体が迷惑料として何分の一かの取得する権利がある」更に「10分の10という高率補助(政治行為)による1000億円を」植民地経済的な公共事業主導で費消するのではなく、「衰退する基地周辺の街を活性化し、あるいは産業を振興する資金(経済行為)にまわす施策を実行すれば、国は腹も痛まずにすむ。」と指摘する。
 しかし彼の保護撤廃・依存脱却のための眼目はここにはない。「復帰以前から言われていたことは、沖縄にはもともと世界と競争できる産業はないということであった。だから外国から安い品物が入ってきても、打撃を受ける産業はないのである。こんな沖縄が『基地経済から脱却し、その県民の所得水準を向上させる方策は、沖縄を国際交易の振興の場として位置づける以外に見当たらない』というのが復帰前の経済界の一致した見方であった。/この視点は基地経済といわれていた時代から今日に至るも少しも変わっていない。……何もない沖縄が世界に参加していくためには、逆に世界の商品や製品あるいはそれにともなう技術が自由に出入りできるシステム・制度を法的に保障し、安心して東南アジアの製品や商品が本土市場に向けて展開できるアクセスの拠点を形成していくことである。これが『中継加工貿易』であり、技術や資金はなくても制度を充実させることによって産業をおこす方法である。それには日本本土という消費市場と東南アジアという生産市場を結びつける作業を沖縄が担い、そこに何らかの役割を見い出していくことである。……沖縄を基点にこれから成長していく産業は、地域資源を活用した内発型産業の立地と、国境がなくなる時代の沖縄を拠点とした東アジアの中の中継加工基地型産業の二つである。とりわけ後者は沖縄を取り巻く国際環境の変化に対応して生まれる産業で、沖縄自身が独自の市場を持ちえないために、他地域や近隣諸国の地域レベルで産業を共有する『貿易取引活用型の産業』ということになる。」
 こうして、「純粋な県産物の加工移出(本土向け)と加工貿易(国外向け)の双方を積極的に押し進める目的から、重点的にその整備をはかり、関税および貿易管理令などからも、国内の一般取り扱いとは区別された特別地域」たるFTZの必然性・必要性へと論を進める。宮城にとってこの要求は、保護政策としてだけ捉えられがちな「復帰措置」が「本土一体化」による関税・輸入割当制(IQ制)の押しつけによって「四七番目の県」として包摂し、製造業解体を惹起し依存経済のまま「軍事属領」として放置するために機能したことを暴き出し、産業振興など一顧だにしなかった日本への反撃をも意味しているようだ。もっとも、この点では「沖縄イニシアティブ」のブレーンでもあり、現稲嶺県政の副知事でもある牧野浩隆が『再考・沖縄経済』で、米軍政下にあって製造業育成を否定した米軍(基地)依存の輸入主軸へと歪められた沖縄経済の矛盾を明らかにしているように、戦後沖縄経済は一貫していびつな構造を強いられてきたと言えよう。
 「復帰」―日本への併合によって、「『原材料』では、沖縄側では当初15%だった関税率が本土並みといって70%に上がり、本土側では100%から70%に下がった。本土復帰調整によって原料高となったとなった沖縄製造業は立ちいかなくなった。一方の『製品』は自由化を迫られ、ガット対応などによる国際貿易体制維持から、毎年、低い関税率が設定され、安価な外国製品が大量に輸入されるようになった。このような規制緩和の中で製造業は生まれるだろうか。答はノーである。」さらに「もともと商品を輸入あるいは加工・製造してきた沖縄企業が、日本復帰したからといって、沖縄には割当がないという理由で、輪入を制限されるのはおかしい。こんぶ、イカいずれも同様である。本来IQ制というのは産地の保護を目的とするものであり、復帰と同時に、沖縄がこれらのものの産地ではないという理由で輸入制限されるのではなく、自由であるべきである。…日本復帰したからといって、沖縄の歴史や現状を無視したこの法の適用はやはりおかしいと言わざるをえない。」

 宮城は、沖縄での産業振興にとって「原材料となる米、麦、肉、砂糖などは保護され、企業をおこす原材料は手に入らない、製品は狭い県内市場に向かって低価格で県外海外から流入してくる。県外市場へは世界一高い輸送コストという最大の課題をかかえている。つまり沖縄は、世界に通用しない高い原材料を使いながら、世界中にとって最も魅力ある日本(本土)市場に対しては、世界に通用しない高輸送コストで商品を提供しているのである。これではたして産業がおこるというのだろうか。」と自問しつつ、「その解決方法は沖縄に産しない農水産原材料の輸入税をゼロにし、みずから加工・製造する工夫をさせ、……本土市場に対しては人為的に[沖縄―本土間を外国航路扱いにし]高コスト輸送費を低減化して市場競争させるべきであ」ると提起する。さらに日本における、煩雑な輸出入に関する手続きや保税制度は、そもそも沖縄のような産業振興を輸出入(貿易)を基軸に立てるしかないところでは致命的であり、「日本市場をターゲットに地場産品化した外国貨物を本土移出し、外国からの輸入規制を撤廃した全県フリーゾーン型の『生産―流通―消費』の一大基地」の形成として打ち出す。
 「海に囲まれているという点では、本土のどの県でも沖縄のような有利性は生み出せない。」だけでなく(その真意はともかく「法的には、沖縄にだけFTZを認めるのが正義である」とも宮城は言う。)、「もし沖縄に産業をおこすのに何の資源もないというなら、あるいは21世紀に向けて沖縄に本土や海外企業と競争する力がないというなら、さらに政府には援助すべき資金がないというなら、唯一沖縄が生きていける道は全島(県)フリーゾーンしかない。」と結論づける。

三 FTZとは何か

 宮城の考え・結論が判然としないので、理解に苦しむところだが、九七年九月一日された県の「全県自由貿易地域の展開に向けて(素案)」を手がかりに見てみよう。
 第一に「関税等の免除/県全域を関税免除地域とし、県内に輸入される外国貨物について一定品目を除き関税を免除する。また、関係法令の原則適用除外により一定品目を除き課徴金を免除する。」第二に「特恵措置的関税制度の導入/外国から輸入された原材料を使って県内で加工した製品を本土に移出する場合は、本県が本土から遠く離れた離島県であることと生産基盤の脆弱性等を考慮し、特恵措置的な関税制度を導入するものとする。」第三に「IQ枠の撤廃等輸入の自由化/輸入割当や関税割当制度で輸入が制限されている品目の輸入を自由化する。」
 第四に「輸入手続きの迅速化・簡素化/輸出入許可・承認等の権限の一元化を図るとともに、到着即時輸入許可制度の拡充、及び輸出国審査の承認等輸出入手続きの迅速化・簡素化を引き続き推進するものとする。」。さらに第五に、「税制及び金融等の特例措置」として「投資税額控除制度の創設・法人税率の軽減・自由貿易地域投資損失準備金の拡充・地方税の課税免除等・融資制度(自由貿易地域等特定地域振興基金)等の拡充強化」。第六に「運輸関連の規制緩和」と、第七に「関連インフラ整備の推進」を上げている。
 「V 実現に向けて」において、「県全域が自由貿易地域となった場合、沖縄から本土への外国貨物の違法流出の問題が想定されることから、通関システムを新たに」次のように構想する。
 まず、「外国から輸入する貨物を、県内のみで消費される『消費貨物』、県内の工場で加工し、本土へ移出又は県内向けに販売される製品の原材料となる『原材料貨物』、本県を経由して、本土に移出される『通過貨物』、本県を経由して外国に転送される『トランジット貨物』、に分類」し、「『消費貨物』は内国消費税を納付した上で、輸入通関する。『原材料貨物』は保税のまま工場等に搬入し、『原材料貨物』を使用・加工した製品を本土へ移出する場合は内国消費税のみを支払う。『通過貨物』は関税及び内国消費税を納付した上で輸入通関する。『トランジット貨物』は通関することなく保税のまま外国へ輸出できる。」とする。他方、「県内で生産された農林水産物及び県内の原材料のみを使用・加工した工業製品等の本土への移出にあたっては、現状のまま関税の納付なく自由に移出できるものとする。」

 宮城は全県FTZに対する反対意見を意識してか、「ノービザ」などを含むものとして混同された「一国二制度・FTZ」概念について、あくまで「関税問題」(彼は再三、単なる税金問題である、と強調する)に限定されたものであること、さらに品目限定を始めとして無制限なものではないことを踏まえた上で、「FTZ内は、一般にスタート段階では『製造』という概念ではなく、加工・組み立てという雇用中心の工業団地である。だからトレード(貿易)するゾーンとなっていて、生産=貿易という考え方が非常に強い。この場合でも先に貿易があって生産である。先に商売があって、それに合わせて調達し、組み合せ、供給していくという方式である。いわゆるマーケティング主導型の生産業おこしである。」つまりFTZは、それ単独の発展構想ではなく、三次産業(特に運輸、通信、貿易、金融、研究開発型産業)の発展が一次産業、二次産業をリードするという発想(「市場がリードする産業振興モデル」)であると説明。
 ただ、彼が本来のFTZとして想定する「外国とみなされた関税領域外」の場合、「輸入・搬入時に関税などがゼロなら問題はないが、有税品は域外(全県FTZの場合は日本本土)に出す場合には、依然として関税領域(FTZ以外の日本国内)に入るのだから関税課税の対象になる。それではメリットがない。」として、日本=関税領域内に入る時にメリットがあるようにするために「原料課税にするか製品課税にするかという選択課税制」を付け加え、「外国貨物はFTZへの輸入時点で関税免除扱いにされ、加工・製造後、本土出荷時(またはFTZ出荷時)に関税選択ができればメリットは生まれることになる。全県FTZの場合、この選択関税に相当する額を輸入時に支払っておけば、沖縄―本土間で関税が課されることはない。もちろん関税法内であるため、県産品が沖縄―本土間で関税の対象になることはありえない。」とのべるが、一体「関税線はどこに引かれるのか」という根本的疑問に宮城は充分答えているとは言えない。それは彼自身が一方では「関税線が沖縄への輸入時に設定されるため、県産品や輸入外国貨物が沖縄−本土間で課税されることはない。」と言いながら、すぐ続けて「しかし沖縄を『外国とみなす』というのであれば、沖縄−本土間に関税線を引くということになる。」と書き加えていることにも示される。

 「自由貿易地域になって農業が生き残ったためしがない」とか、「一次産業、二次産業が壊滅的な打撃を受ける」、「県素案は産業保護放棄の立場である」などの様々な批判に対しても、記述が行きつ戻りつするだけでなく、楽観的と言うよりはかなり強引な論理展開も見受けられる。
 「自由化すると県内企業が淘汰されるという考え方は間違っていると思う。というのは、既存の県内製造業はほとんどが県内市場向けの装置企業であり、沖縄の文化性をもつ商品生産である。……外国産品が安いからといって県内市場に持ち込んでも、そう簡単には売れない。……実は、ビールでもコーラでも消費地の風土に合うように味・風味がつけられており、単純に安いから売れるというものではない。……このような地場産品は、たとえ原材料は海外から輸入しようが、沖縄の技術と文化性を持っている商品であり、かつ、非競合化・差別化商品であるため、アジアのどの国の商品とも本土市場で競争していけることは、これまでの経験で十分である。あるいは海外市場であっても、…原材料と輸送コストが国際価格で利用できれば、ほぼ問題はない。」「したがって製造業や農業分野が全県自由貿易地域制によって被害を受けることは考えられず、逆に加工・製造分野の方向では事業は拡大し、既存産業にはOEM生産などが期待されるものとなるだろう。影響があるとすれば牛乳と豚肉ぐらいものだが、今のパイン加工のように県産ものと外国ものの抱き合わせ加工にすれば、これも問題はない。」「沖縄では生産していない(あるいはできない)原材料に限れば、県内産業に迷惑をかけずに事業は成り立つ。むしろ県内産業には新たな事業の波及効果をつくり出し、県産品と外国産品との組み合せ、混合、ユニット化し、競争できる製品をつくり出すこともできる。例えば縮小を続ける県内パイン産業の輸入品との抱き合わせ方式で、あるいは製糖業も自由化して原料輸入に切りかえることによって生き残ることができる。」などの論法がそうだ。
 一次産業に関して、たとえば「さとうきびを生活の糧として生産する農家はいずれ、いなくなるというべきであろう。」という冷徹な判断を下し、さとうきび生産額の四倍以上の七〇〇億円近くある産業としての製糖業(及び関連産業)は、「さとうきびを輸入してでも生き残りを考えていかなければならない。」と述べ、規制保護によって一次産業だけでなく、食品加工業自体も共倒れになることを回避すべきであるということは、「原料輸入に切りかえることによって、[第一次産業は見捨てても第二次産業を]生き残らせること」ということに他ならない。「さとうきび」は宮城の言う「沖縄では生産していない(あるいはできない)原材料」ではない。しかし別の箇所で「離島はさとうきびしかできないという側面をもっており、もっと保護策(例えばヨーロッパのような所得保障制度)を打ち出し、需要に追いつかない含蜜糖の生産体制を強化していくべきであろう。」とも書く。さらに規制・保護下での運輸部門・海運業は現状では壊滅的打撃となるであろう「輸送コストの国際価格」を切り札にしている問題も然りである。

四 自立経済に向けて

 宮城が、保護撤廃を前面に押し立てつつ、どのようなFTZも沖縄では可能であり、また、どのような場合も沖縄にバラ色の未来を約束することを押し出すのに性急なあまり、産業育成についての系統的計画的提起も含め、日本−東アジアを見据え、沖縄経済全体を見渡した方策について丁寧な展開をしていないことは惜しまれる。これでは、反FTZ論者の不信を増大させるだけではなかったか。さらに産業振興と環境・自然保護問題、あるいは観光振興と景観保護への配慮などについて言及されていない点も本書を説得的なものにし得ていない。
 激化する規制緩和を伴いながら進行するグローバリゼーション下で、産業の停滞・衰弱しかもたらさなかった復帰措置−保護政策と、不当な「本土並み」の貿易・関税政策に対する宮城FTZ論は、衰退を不可避とする第一次産業に対しての発想の転換と、「生産」ではなく流通・貿易を前提とする産業育成について、グローバリゼーション下での「新自由主義」的傾向を全面化するだけの代物のようにも受け取られてしまいそうである。
 来間泰男をはじめとして反FTZ論者の多くは復帰措置―保護・規制の存続による「振興」しか語り得ないが、それに対して、「全県FTZ」が指し示す「市場がリードする産業振興モデル」の形成・確立・発展のためには「保護下でしか生き延びられない産業は見捨てられる」と、ネガティブに描き出すことが宮城の本意ではない。規制緩和・保護撤廃を千載一遇の好機として活用すべきであり、「保護下でしか生き延びられない」と思いこんでしまうことの克服、ある意味では「依存症」にも似た「沖縄経済の強いられた歪み」を如何に打破して行くのかということこそ、彼が求めて止まない「沖縄の未来像」であろう。

 「基地撤去は経済的にはマイナスだが、断固として基地を撤去すべき」とするFTZ反対論者の来間泰男は、このFTZ論争については「保護撤廃・規制緩和は経済的にはマイナスだから、断固として保護措置を防衛すべき」と180度反対の結論を示す。基地依存はダメだが日本依存は良しとする考えでは、沖縄経済の自立的発展も、基地依存からの脱却も決して出来ないであろう。来間は「沖縄県の製造品を本土に移出する場合に、関税の選択制を適用するよう提案しているが、……自由貿易地域制度によって関税ラインが国境ラインから離れて、本土と沖縄との間に設定されているなかで、この関税ラインさえも低くしようという提案であり、日本(本土)の関税政策の効果を削滅しようということになり、(本土)の産業保護政策の低下をもたらすものである。」さらには「かりに一国二制度的全県FTZが成立した場合、輸出(移出)先たる日本の製造業への打撃を考慮しない」と批判しているが、まさに、ここに宮城FTZ論の真骨頂があるのではないか。
 彼は「シンガポールにはマレーシアが、香港には中国という一大マーケットがあるとするなら、沖縄には本土という背後地市場がある。」と説く。例え、貿易・輸出入に限ったとしても、日本対沖縄の構図がくっきりと浮かび上がるではないか。悪評紛々だった「国際都市形成構想」が、「南の拠点」(これは、「復帰」後、一貫した沖縄振興計画の謳い文句だったが)に寄りかかっていることに対して、宮城FTZ論は「北進論」(「南」と手を携えて、という観点はあれ)とも呼びうる。ただ、宮城が本書では両岸経済圏(台湾・広東)、いわゆる「蓬莱経済圏構想」に踏み込んでいないことが訝しいが…。
 「国際都市形成構想」にしろ、「田中委員会報告・県素案」にしろ、「関連した『産業振興策』として、企業への減税、諸規制の緩和、関連インフラ(道路・港湾・空港などの基本施設)の整備を提案している。……それは必然的に新たな『沖縄特別措置』の要求となってきて、復帰プログラム=沖縄特別措置の終幕を主張したこととの矛盾が拡大していくことであろう。」(来間前掲書)という批判から免れていないことは確かではある。が、しかし「併合・同化」を前提とした「格差是正」などの「復帰措置」ではなく、これこそ、まぎれもない沖縄からする日本への「賠償金」請求なのだ、ということははっきりさせなければなるまい。
 宮城弘岩はまた、「沖縄は復帰以前はみずからの自治権をもち、課税権、徴収権をもっていたのであり、今の日本よりは自由な制度や社会であったために、県官庁職の多くがその経験を有し、行革を実施していくには日本の中で最も適当な条件がそろっている。沖縄で規制緩和、経済特別区制を実験してもほとんど混乱なく、無理せずに行うことが可能である。」と、一国二制度を可能とする沖縄の歴史と現実にも触れる。そこには前述の島袋や、はたまた吉元が指摘したように「大きな柱たる自治政府問題」が横たわっている。
 沖縄経済の自立的発展をめぐって論議は、東アジア−北西太平洋を見据えた沖縄の未来を、「虐げられ翻弄される四七分の一/南の辺境・南進拠点」としてではなく、「自立―従属」「分離・独立―併合・同化」というすぐれて政治的な分岐をめぐるものへと押し広げて行くことが問われているのではなかろうか。



※『共産主義運動年誌』第五号(2004.6.10)に大杉莫名で発表されたもの