「希望込めた仮面」


 クーガがその古文書を見つけて来たのは、とある古道具屋の店先からだった。誰にも読めない文字で書かれたその古文書を、クーガは読む事ができたのである。もっとも非常に難解であり、解読に手間取っていたが。彼は酒場での食事の席で、仲間にその古文書の内容を明かした。
 ブラガが興味深げな表情で問う。

「……んで、そこに古代の遺跡があるって言うのか?クーガ」
「うむ。今のデン王国の南の方だな。宝物があるかどうかはこの古文書からは不明だが、調べてみる価値はあると思う。古代では宝物でなくとも、今の時代からすれば宝物だと言う様な物は存在するからな。」

 その言葉に、シャリアも興味をひかれたようだ。彼女は握りこぶしを作り、突き出して見せる。

「腕がなるわね。そうと決まれば、早速明日早朝にでも出かけましょ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれよシャリア。」

 席を立った彼女を制止したのは、フィーである。

「まず出立の用意を整えないと。食糧の準備とか、色々と……。デン王国までは何日もかかるんだよ?」
「なら今から買いに行きましょ。ハリアーもつきあってよ。」
「ええ、でもまずはご飯をいただいてからにしましょうね。」

 ハリアーはにっこり笑って言う。シャリアは頷くと、また席に座りなおした。フィーとブラガは苦笑する。クーガはいつも通り無表情で、コップに注がれた酒を飲んでいた。



 次の日、シャリアの言う通りに早朝から彼らは出立していた。目指すはここから国を1つはさんで西にあるデン王国の首都、サグドルである。目的の遺跡は、更にそこから南へかなり行った所にあるのだが、まずは首都に拠点を定めようと言うわけである。彼らはカグラと呼ばれる大きな交易路を西へ向けて、馬と操兵を歩かせていた。
 1刻ほど行った所で、一番視点の高いフィーが「それ」に気づいた。彼は狩猟機に乗っており、その操兵の目は2リート(8m)近い高さ――大体1.7リートほど――にある。つまり彼が、一番遠くまで先を見渡せるのである。フィーは叫んだ。操兵の拡声器から彼の声が響く。

『みんな!向こうに誰か倒れている!』
「なに!?死人!?」
『生きてるか死んでるかは、ここからじゃ分からない!』
「わかりました、急いでいきましょう!」
「お、おいおい……。仕方ねぇなあ……。」
「……。」

 一同は口々に言うと、馬を走らせた。若干遅れて、フィーのジッセーグ・マゴッツが後を追う。やがて彼らは、その人が倒れている場所までたどり着いた。
 ハリアーが急いで馬を降り、倒れている人物――男に駆け寄る。そんな彼女に、ブラガが声をかける。

「おいハリアー!注意しろよ!?行き倒れを装った物取りってことも、よくあるんだからな!」
「え!あ、は、はい!」

 ハリアーは慌てて立ち止まり、倒れている男の様子を窺う。その男はうつ伏せに倒れていた。おそらく戦士の様で、そこそこの身なりの上に板金の胴鎧を着用している。さらに長剣を腰に佩いていた。どうやら生きているらしく、途切れ途切れに弱々しく息を漏らしている。わずかに見える顔の色は蒼白で、今にも死んでしまいそうだ。
 どうやら仮病ではなさそうだと見てとったハリアーは、男に近寄って脈をとったり、額に手を当てて熱を測ったりし始める。その表情は暗い。

「病気でしょうか……。今にも死んでしまいそうなのは分かるんですが……。とりあえず術で体力を……。」
「待ちたまえハリアー。」
「クーガ!?」

 ハリアーは驚き、彼女を制止した男に目をやる。その表情はきつい。

「なぜ止めるんです!」
「そのまま術を使っても、無駄になる可能性が高いからだ。その男の首筋を見てみたまえ。」
「え?」

 ハリアーは男の首筋を検める。そこには針で刺されたような跡があり、そこの皮膚がどす黒く染まっていた。

「まさか、毒!?」
「ああ、その可能性が高いと思う。体力を回復させても、毒が残っていては同じ事になるぞ。まずは毒を消さねば。」
「は、はい。」

 ハリアーは手を組んで、八聖者に祈りを捧げ始めた。毒消しの術を使うつもりだ。
 そんな様子を見ながら、ブラガとシャリアはその男の荷物を検めていた。と、ブラガは布でぐるぐる巻きにされた盾の様な物を持ち上げる。彼は操兵に乗ったままのフィーにそれを見せた。

「おーい、フィー!これ、もしかしてよぉ……。」
『!?そ、それもしかしたら仮面じゃないですか?操兵の。』
「包み、開けてみたら?」
「そーだな……。」

 ブラガはシャリアの言葉に従い、「それ」を包んだ布地を開け始めた。やがてその正体が明らかになる。やはりそれは操兵用の仮面だった。
 フィーは驚く。

『そ、それ操兵用の仮面ですね!しかもたぶん、間違いなく狩猟機用の仮面ですよ。非常に精巧に出来てる。』
「狩猟機用ってこたあ、前売っ払った従兵機用の仮面よりも高値で売れるんだろ!?」
「ブラガ、あんたそっちにしか考えがいかないの?」

 シャリアがあきれたように言った。そこへハリアーの声がかかる。

「なんとかなりました!命は助かります!はやく安静にできる場所まで連れていきましょう。フィーさん、この人を運んでください。」
『あ、はい。じゃあ操兵の手の上にのせてください。』

 フィーのジッセーグが、腕の上に男を寝せて立ち上がる。そして彼らはその場を急いで立ち去った。男が毒でやられていたと言う事は、男が誰かに狙われていると言う事だからだ。見て見ぬふりをして捨て置く、と言う選択肢も有ったが、一度助けた人間を見捨てるような真似は、彼らはしたく無かったのである。



 交易路をしばらく行った場所に、宿場街があった。彼らはそこの宿に男を運ぶ。やがて男は目を覚ました。

「こ、ここは……。」
「あ、まだ起きてはいけません。毒で身体が弱っているんですよ?まだ数日は動いてはだめです。」
「あ、あなた方は……。」
「俺たちゃ、一介の山師さ。旅の途中、あんたが道端で倒れているのを見つけたんだ。ここは交易路の途中にあるシュカーって宿場街さ。
 いったいどうして毒なんか喰らう羽目になったんだ?」

 ハリアーとブラガの台詞に、男はようやく自分の身に何が起きたかわかったようである。彼は一同に向かい、礼を言った。

「助けていただいて、有難うございます。私はジムス・レンバー……。デン王国の貴族、リカール・ソルム・ケイルヴィー爵侍の部下です。ある任務の途中、それを妨害せんとする輩の襲撃を受けて、敵の一味の毒使いと相討ちの様な形で毒針を喰らってしまったのです。その毒使いは倒したのですが……。
 そ、そうだ!こうしてはいられません。はやく帰参せねば……。」
「ああ、だから駄目です!毒で身体がとことんまで弱っているんですよ!」
「……その身体では、途中で倒れてしまうか、野盗のいい餌食だ。」

 ハリアーとクーガの言葉にもかかわらず、その男――ジムスは立ち上がろうとするが、手足がふるふると震えてどうにも動きようが無い。ジムスは悔し涙を流した。

「なんと言うことだ……。もう時間が無いと言うのに。あと10日は保たないだろうと言われているのに……。」

 そう言った所で、彼は何かに気づいたように顔を上げた。

「そうだ……!あなた方は山師だと言っていましたね!?どうか仕事を受けてくださいませんか!?」
「はぁ?」

 思わず変な声を漏らしてしまったのは、シャリアだ。それとは対照的にブラガは、難しい顔をして答えてみせる。

「内容によるな。」
「私が持っている……!?か、仮面は!?私は布に包まれた荷物を持っていませんでしたか!?」
「ああ、それならここにありますよ。狩猟機の仮面、ですね?」

 フィーの台詞に、ジムスはあからさまに安堵の様子を見せる。

「あ、ああ良かった。はい、狩猟機の仮面です。そ、その仮面を、デン王国は首都サグドルにいらっしゃる、ケイルヴィー爵侍に届けて欲しいのです。しかも大至急。」
「この仮面を?」
「はい。ただ、私のこの様を見てもおわかりでしょうが、かなりの危険が想定されます。それを重々承知の上でお願いいたします、なんとかこの仕事、受けていただけないでしょうか?
 報酬は、必ずやケイルヴィー爵侍が支払ってくださるでしょう。私が手紙を書きます。身の証に、この私の指輪を持って行ってくだされば、間違いは無いでしょう。」

 フィー達は顔を見合わせた。降ってわいた話に、どう対応して良いかわからないのだ。だがハリアーが声を上げる。

「あの……。受けてもよろしいんじゃないでしょうか?」
「……そうだね。あたしもかまわないわよ。どうせデンには行く途中だったんだしね。」
「そうですね。俺も、やってもいいと思います。」

 シャリアとフィーが賛同した。ブラガはやれやれと首を振ると、クーガに向かって言った。

「3人が承知だって言うんなら、しゃーねーわな。お前さんはどうだ、クーガ?」
「私もかまわない。」
「ってぇわけだ。ジムスさんよ。この仮面、きちんと届けてやっから、ちゃんと報酬出すように、手紙きちんと書いといてくれや。」
「あ、ありがとうござます!そうだ、私の荷物の中に任務用の資金として預かったお金があります。それを全額手付金としてお渡ししましょう。」

 ジムスは手持ちの金を全額渡そうとする。だがそれをフィーが制止した。

「だめですよ。ジムスさんはしばらく動けないんですから、お金が必要でしょう。ここの宿にきちんと世話を頼むにも、お金がかかるんですから。」
「は、はあ……。どうもすみません……。」
「それより、あと10日は保たないとか言っていたな。急がなければならないのではないかね?」

 クーガの台詞に、ジムスは蒼白になる。

「そ、そうです!どうか皆さん、私の事は良いですから、急いで出立してください!お願いします!」
「やれやれ、慌ただしいこった。」
「なら、まずケイルヴィー爵侍宛ての手紙を書いてくれたまえ。それが無くては話にならん。」
「あ、か、重ね重ね申し訳ありません……。」

 ジムスは肩を縮こまらせて小さくなる。そんな彼に、ブラガが羊皮紙とペンを渡す。ジムスは手の震えを抑えつつ、手紙を書いた。
 やがて手紙が出来上がると、一同はジムスに別れを告げ、早々に出立して行った。



 フィー達の一行は、今までいたダングス公王朝を脱し、モニイダス王国に入った。モニイダス王国を横断すれば、その次がデン王国である。彼らは今夜はモニイダス王国のライカ市という都市で宿泊するつもりだ。
 途中、ブラガが愚痴を言う。

「しっかし、ずいぶんと賄賂に金を使ったなあ。」
「仕方ないでしょう、手形の無いモグリの旅行者なんですし。それに操兵もありますし、ね。」

 フィーの答えに、ブラガは苦虫を噛み潰した様な顔になった。そう、彼らは旅行手形を持っていなかったのである。彼らは元々ジャクオーウァ国を命からがら脱出してきたという経緯がある。正式な旅行手形など申請している余裕は無かったのだ。そのため、今までいたダングス公王朝においても、彼らは不法滞在者も同然だったので、改めて手形など申請するわけにもいかなかったのだ。
 ついでに言えば、操兵はこのアハーン大陸において最強の兵器である。そんな代物が国境を越えようとすれば、色々と政治問題にもなりかねない。操兵の国境越えは、一大事であるのだ。国によっては無条件に操兵の国境越えを禁じてさえいる。無理を通すのに大枚の賄賂を使わなければならないのも、仕方のない事である。
 やがて、ライカ市が見えて来た。もう日もずいぶんと傾いている。モニイダス王国のライカ市は、東西交易路であるカグラの西の終点である。ライカ市から先は、街道もずっと細くなり、宿場街も村に毛の生えたような物ばかりになる。

『やれやれ、やっと着きましたね。』
「フィー。まだ全体の行程の1/3も来てねえ。気を抜かねえ方がいいぞ。」
『わ、わかってますよ。俺はジッセーグを駐機場に預けてきますから。』

 ブラガの台詞に眉を顰め、フィーは操兵を駐機場の方へと移動させる。そのフィーを呼びとめる者がいた。クーガである。

「待ちたまえ、フィー。ばらばらには動かない方がいい。」
『それはどうして……!!あ、はい!わかりました。』
「全員で行動を共にした方がいい。用心に越した事は無い。」

 クーガの台詞に、全員が顔を引き締める。ジムスを襲った敵が、彼らを襲ってこないとも限らないのである。彼らはフィーの操兵の後について、馬を歩かせた。



 やがて無事に操兵を駐機場に預けると、彼らは宿を探しに歩き始めた。馬は手で引いている。
 と、フィーが小さく声を上げた。

「みんな。」
「ん?」
「どうしたのよ?」
「どうかしましたか、フィーさん。」
「……。」

 フィーは小さく言葉を続ける。

「つけられてます。」
「「「!」」」

 一同の顔がこわばる。例外はクーガぐらいだ。クーガも小さく言葉を発する。

「そうか。……撒けそうかね?」
「無理、じゃないですかね。一人や二人じゃないです。」
「そうか。このまま宿を探すのはまずいかもしれんな。宿を知られれば、夜中に襲撃を受けかねん。」

 クーガは考え込んだ。が、すぐに顔を上げると言った。

「一度戦ってみるのもいいかもしれん。どこか適当な場所に奴らをおびき出そう。」
「……思っていたよりも、好戦的なんですね。貴方は。」
「いいんじゃない。このまま見張られてるのって、いい気しないし。」

 クーガの提案にハリアーは呆れ顔をしたが、シャリアが賛成した。フィーとブラガも覚悟を決めたようだ。ブラガは言った。

「なら、街外れの方に行こうぜ。あっちは人通りが少ない。遠慮なしにやれるってもんだ。」
「わ、わかりました。」
「フィー、今から剣の柄を握り締めなくてもいい。」
「あ、すいません……。」

 彼らは徐に、街外れの方へ向った。



 やがて彼らは、人通りの少ない場所に出た。彼らは馬を立ち木へ繋ぐ。ブラガは徐に軽弩を巻上げると、矢を装填して声を張り上げた。

「おい!出て来やがれ!見張ってるのはわかってるんだ!」
「……そーかよ。だったら話は早ぇ。」

 そう言って物陰から出て来たのは、いかにもごろつきの親玉と言った風情の男だった。更にその男に続き、ばらばらと数人――6人のごろつき風の男たちが姿を現した。全員が小剣や短剣を持っている。

「全員で7人かよ。」
「笑わせてくれるわね。この程度の数で、あたしたちをどうにかできるとでも思ってるの?」
「うっせぇ。物は相談なんだがよ、おめえら。あの野郎から預かった、操兵の仮面をこっちに渡す気はねえか?」

 シャリアの挑発を無視して、ごろつきの親玉は問うた。それにブラガが答えようとしたとき、再びシャリアが叫ぶように言った。

「そんなのまっぴらよ!欲しいんなら、腕ずくで来なさい!」
「……あ〜あ。もそっと話して、情報を引き出そうと思ってたっつーのによ。頼むわ嬢ちゃん。」

 ブラガはがっくりと肩を落とす。フィーは苦笑してブラガの肩を叩いた。

「シャリアに腹芸は無理ですよ。似合いません。」
「なによ、フィー。」
「いや、どっちかと言えば、誉めてるんだよ。」
「……そーかよ。なら死んでも文句はねえな?おい、お前ら!殺っち……。」

 ごろつきの親玉が声を上げようとした瞬間、彼を含むごろつきたちの中心で煙幕があがり、4人ほどが巻き込まれた。見ると、クーガがいつぞやの煙玉を投げつけていた。彼はごそごそと手元を隠すようにしながら、何やらぶつぶつと何やら呟くと、2発目の煙玉を投げつける。ごろつきたちは全員が煙幕に包みこまれた。
 やがて、ごほごほと咳き込みながらごろつきたちが煙幕から飛び出してくる。そこへブラガが軽弩を放った。一人がいきなり撃ち倒され、地面に転がる。ハリアーは朗々と八聖者に祈りを捧げ、一人のごろつきを金縛りにした。そこへシャリアとフィーは剣を抜いて、突入していった。



「……ふう。やっぱりあんたたち程度じゃあ、あたしらをどうこうするなんて出来なかったじゃないの。」
「ち、ちくしょう……。」

 胸を張って言うシャリアの台詞に、生き残ったごろつきは悔しげに呟いた。ごろつき達の中で、無傷で助かったのはこの男と親玉だけであり、残りの殆どは重傷を負って気絶している。最初にブラガに撃たれた男などは、命を落としていた。親玉は彼等を見捨てて逃げ出している。
 シャリアは男に剣を突き付けて問うた。

「あんたら、なんであの操兵仮面を狙ってるのよ?」
「くっ……。お、俺たちは金を積まれて頼まれただけだ。詳しい裏事情なんぞ知らねえ……。あの仮面を手に入れて、依頼主に渡すか、最悪叩き割れって……。
 ちくしょう、毒使いの兄貴が生きてりゃあ、こんな無様は……。」
「気絶しているお仲間の面倒は、貴方が見てくださいね。あと、お亡くなりになった人のお世話も。」

 聖刻教会のやり方で、死人の冥福を祈っていたハリアーがやってきて言った。その台詞に、男は引き攣った顔で唾を吐く。ブラガは言った。

「とりあえず、こいつも気絶させて物陰に転がしておこうぜ。」
「それが良いだろうな。」

 クーガが賛意を示した。ブラガは小剣の柄で男の後頭部を気絶するまで何度も殴る。ハリアーは眉を顰めた。

「抵抗できない相手に、あまり無慈悲なことは……。」
「こいつらは、こっちを殺そうとしてきてたんだぜ?命を取らなかっただけでも優しいってもんだ。」
「それはそうかも知れませんが、乱暴と言えば乱暴ですよね。」

 フィーもその様子を横目で見ながら言う。ブラガは何処吹く風と言った様子だ。フィーは苦笑した。



 その後も、ごろつき達は2回ほど襲って来た。モニイダス王国首都、デル・ニーダル市の市外にあるポイル宿場で1回、次の宿場であるゴンド町で1回襲われた。どちらも、フィーが操兵に乗っていない時を狙って襲って来ていた。
 だがフィー達一行は、いずれもあっさりと敵を下していた。はっきり言って、敵はごろつきでしかなく、正式な戦闘訓練を受けたシャリアの敵ではなかったのだ。それに彼等にはハリアーと言う術使いが居たのも大きかった。それにクーガも、ここぞという所では例の煙玉を使い、戦況を有利に進めていた。ブラガやフィーも、最近はそこそこ戦い慣れており、ごろつき程度に負けるような腕はしていなかった。
 そうして彼等は、デン王国との国境までやってきた。ここでもまた彼等は、賄賂を使って国境越えを試みる。幸いなことと言ってはなんだが、ここの官僚は腐敗しており、賄賂がよく効いた。彼等は無事にデン王国に入る事ができたのである。
 フィーはジッセーグ・マゴッツの操手槽で、安堵の溜息をついた。

『はあぁ〜。なんとかなりましたね。これであとはサグドルまで一泊程度ですか。
 国境を越えたからには、やつらもそうそう襲ってはこれないでしょう。』
「そうだな。奴らは到底手形なんて持ってねえだろうし。賄賂に使う金もねえんじゃねえかな。」
「だからと言って、安心するのは早い。奴らは追ってこれなくとも、奴らの依頼主が何か手を打つ可能性もある……と言うよりも、確実に何かしてくるだろう。」

 フィーとブラガが多少気を弛めたのを見て取って、クーガが釘を刺した。二人は再度、気を引き締める。その様子を見て、内心気を弛めていたシャリアとハリアーも、気を引き締め直した。
 国境越えしてから2刻ほど経った頃、フィーが声を上げた。

『皆!感応石に狩猟機の反応が突然出た!気をつけて!』

 その声と同時に、彼等の周りを木立の陰からばらばらと現れた5人の騎馬兵士が取り囲む。その動きから、彼らが正式な訓練を受けた兵士である事は間違いない。更に道の向こうから、身長2リート弱の巨大な人影が出現した。クーガは叫んだ。

「マルツ・ラゴーシュ!フィー、強敵だぞ!気をつけるんだ!」
『は、はい!くそ、仮面を外して隠れていたんだな!』
『……このような山師風情にやられるとは、情けない。やはり証拠を残さないためとは言え、ごろつきなど雇ったのは間違いであったわ。』

 マルツ・ラゴーシュとクーガが呼んだ操兵に乗った人物が、声を発した。その声音は、苦り切っていた。その人物は言葉を続ける。

『これ、そこな者達。お前達がジムスと言う男から預かった、操兵の仮面をおとなしく渡すのなら、命は助けて進ぜようほどに。』
「……何よ、えっらそうに!」
『む?』

 シャリアが苛立たしげに叫んだ。マルツの操手が怪訝そうな声を上げる。ブラガは天を仰ぎ、顔を掌で覆った。シャリアは続けて言った。

「あんたみたいな偉そうにしてるやつは、信用なんかできないのよ!あのザイグみたいに、平気で約束破って殺そうとするんだから!」
『ザイグが誰かは知らんが……。失礼な口を利くものだな、小娘。よかろう、そこまで言うのなら、後悔は地獄でするがよかろう。』

 マルツはシャリアに向けて破斬剣を振り上げる。だがそれが振り下ろされる事はなかった。

『何やってんです。あんたの相手は俺でしょうが。』
『む、そうであったな。』

 ジッセーグから聞こえるフィーの声に、マルツの操手はあらためてマルツをジッセーグに向き直らせた。フィーのジッセーグは破斬剣を抜き放ち、構える。マルツの拡声器から、雄叫びが響いた。

『きえええええいっ!』
『行けえええ!』

 フィーのジッセーグからも気合いの声が迸る。それを合図に、シャリア達を取り囲んだ兵士達も、一斉に動き出した。
 先手を取ったのは、フィーだった。巨大な破斬剣を振りかぶり、マルツに斬りかかる。マルツはそれを間一髪で躱し、反撃を見舞う。反撃の一撃はあやうい所で、ジッセーグの装甲表面ぎりぎりをかすっていく。マルツは返す刃でジッセーグを斬りつける。今度は命中し、ジッセーグの胸の装甲が大きく裂けて破片が飛び散る。だがジッセーグもほぼ同時にマルツに一撃を与えていた。マルツの肩装甲に亀裂が入り、飛散した。
 操兵の足元では、シャリア達と兵士達の死闘が繰り広げられていた。

「きええいっ!!」
「ぐうっ!」

 シャリアの怒声が響き、1人の兵士を彼女右手の長剣が斬り裂く。兵士の反撃の一撃は、シャリアの厚い防具に阻まれて、たいしてダメージを与えていない。更に左手の小剣の一撃が閃くが、これは兵士に躱されてしまった。
 シャリアに庇われるような位置に馬を進め、ハリアーが朗々と八聖者への祈りを詠唱する。そして彼女は1人の兵士にほのかに光る掌を向ける。するとその兵士はびくんと麻痺したかのように震えて、動きを止めた。運の良い事に、落馬はしないでいる。彼女は次の相手をも金縛りにするべく、再び祈念の声を発した。
 ブラガは必死で防御に専念していた。相手の攻撃を躱す事だけに集中し、自分からは攻撃を行わないでいたのである。彼はそうやって、兵士を1人、釘づけにしていた。十分に役に立っていると言えよう。
 クーガは2人の兵士に狙われていた。しかし彼は落ち着いて相手の攻撃を捌いていく。そして時折、両手の指を複雑に絡めては何やらぶつぶつと呟いている。すると2人の兵士は凍りついたように動きを止めた。彼はその隙に長剣を抜くと、凍りついている兵士に斬りつける。兵士は落馬し、地面に倒れ伏した。彼はそのままもう1人の兵士にも斬りかかる。だが今度は一撃で倒す事は叶わない。その兵士は落馬もせず再度動き出すと、驚愕したように口を開いた。

「妖じゅ……。」

 だがその兵士は最後まで言葉を発する事はできずに、再度凍りついた。見ると、ハリアーが光る掌をその兵士に向けていた。クーガは剣を振るう。今度こそ、兵士は血を吹いて落馬した。



 フィーはジッセーグの操手槽で、荒い息をついていた。マルツから手痛い一撃を2発ももらい、肋骨を折る大怪我をしていたのだ。もっとも、それは相手のマルツも似たような物である。フィーは少なくとも1発、おそらくは2発ほど相手に大きなダメージを与えていたはずだ。フィーは歯を食いしばりながらジッセーグに破斬剣を振り上げさせた。なんとかして、この敵を倒さねばならない。そうしなければ、フィー自身に活路は無いのだ。
 その時、先程から何度か変な反応をしていた感応石に、また変な反応が出た。それは以前アズ・キュートを倒した時、その直前に出た反応に酷似していた。相手のマルツからも、驚いたような訝しむような声が上がる。

『むむ、一体この反応は何なのだ?』

 フィーは直感的に、何かが起きる事を予想した。そして、果たして「何か」は起きた。突然、彼等の傍らに1台の従兵機、かつて倒した事のあるアズ・キュートが現れたのである。そのアズ・キュートは今まさに鉄棍を振り上げてマルツに殴りかからんとしている姿勢で出現した。マルツの操手は驚いて、一瞬機体の動きを止める。だがフィーは何かが起きる事を予想し、ある程度心構えができていた。クーガの声がする。

「今だ!フィー、斬りつけろ!」

 フィーはジッセーグに、マルツの右腕を狙って斬りつけさせた。見事にマルツの右腕が千切れ飛ぶ。

『ぐわっ!お、おのれっ!?』
『でえええぃ!』

 マルツは今まで両手に持っていた破斬剣を、左手に持たせて斬りかかってきた。だが逆腕ではなかなか命中しない。フィーのジッセーグは更に重ねて斬りつける。マルツの胴体に当たり、血が吹き出る。

『ぎゃっ!お、おのれえええっ!』
『これで、終わりだああぁぁっ!!』

 フィーのジッセーグは、破斬剣を突く様に使う。その切っ先は敵の機体の胴体を貫き、ばらばらにぶち壊した。フィーはふーっと溜息をつくと、肋骨の痛みを堪えつつ足元の様子を窺った。どうやら兵士達は全員倒され、仲間達が勝利したようである。彼は操手槽の扉を開いた。機外の冷たい空気が操手槽内に流れ込んで来る。フィーはジッセーグに駐機姿勢を取らせた。
 フィーは先程突然現れた、アズ・キュートの方を見やる。その姿は今まさに空気に融け込むかの様に、消え去っていく所だった。フィーは呟く。

「……幻だったのか。」

 彼が、幻のアズ・キュートが消え去る所を眺めていると、シャリアが馬を寄せて来た。

「フィー!大丈夫!?」
「シャリア、君こそ大丈夫なのか?」
「あたしは大丈夫、全部軽傷だから!フィーは随分やられたんじゃない?ジッセーグも。」
「はは。たしかに……。あいててて。」
「だ、大丈夫?ハリアーに治してもらお。ハリアー!」

 シャリアに呼ばれ、先程までクーガと話していたハリアーがやってくる。ハリアーは、フィーの様子を見ると急いで負傷を回復させる術を使った。なんとか楽に動けるようになったフィーは、ハリアーに礼を言う。

「ありがとうハリアーさん、楽になりました。」
「いえ、これが私の役目ですから。」
「ああ、クーガさんにもお礼言わないと。」
「え?」

 ハリアーは怪訝そうな顔になる。が、次の瞬間何かに思い至ったのか、泡を喰ったような口調になった。

「あ、え、いえ何で!何でクーガに礼を言うんですか!?」
「いえ、助けてもらいましたから。」
「助けてもらったって……。」
「……でもまあ、後にしますか。今は急がしそうだし。」

 フィーはマルツの仮面を回収しているブラガと、マルツの操手の様子を調べているクーガに目をやって微笑んだ。その様子を見て、ハリアーは唾を飲み込んだ。彼女は心の中で思う。

(クーガ……。もしかしたらフィーさんにバレちゃってますよぉ……。)
「さ、ジッセーグを立ち上がらせますから、ちょっと脇にどいててください。」
「あ、は、はい!」

 ハリアーとシャリアは脇にどいた。ジッセーグの操手槽の扉が閉まり、ジッセーグがゆっくりと立ち上がる。その様子を見ながら、ハリアーはクーガの正体がフィーにばれているのではないか、との考えに戦々恐々としていた。彼女は自分がクーガのことを非常に心配しているという事実に、気づいていなかった。



 ここはデン王国の首都、サグドル。フィー達一同は上級市民・貴族街の通りを歩いていた。本来ここは一介の旅行者――それも手形を持たない不法滞在者――であるフィー達が入れる場所では無い。だが、ここでも賄賂が物を言った。ブラガの正確な贈賄感覚のおかげで、彼等はここに入る事ができたのである。
 街を歩きながら、ブラガは呟く。

「しっかし、何だったんだろうなあ。あの幻のアズ・キュートはよ。」
「ほんとね。なんで突然現れたりしたのかしら。」
「まあ、おかげであのマルツの操手が気を取られてくれたから、儲け物だったよ。だからいいんじゃないかい、シャリア、ブラガさん。」

 フィーはブラガとシャリアの疑念をうやむやにしようと、話をそらす。その様子を見ながら、ハリアーはクーガに小さく話しかける。

「クーガ、フィーさんに正体ばれちゃってるんじゃないですか?」
「だとしても大丈夫だろう。確証は無いだろう。それに彼自身追求もせず、隠してくれているようだ。」
「だからって……。もし周囲に知られたら、あなた火あぶりですよ火あぶり。」
「ここは北部地域やシャルク法王国とは違うからな。そこまで気にする事はない。第一ここが、私が火あぶりになるような地域だとしたら、君もあぶないのだぞ。異教徒の僧侶として。」
「……。」

 クーガは別な話を振る。

「しかしあのマルツの操手が死んでいたとは……。兵士たちも一人も残さずに倒してしまったし。結局尋問できなかった。」
「貴方の得意技は使わなかったんですか?私は気に入りませんが。」
「それこそ皆の前でやるわけにもいくまい?まあ、これから行く先で、事情が明らかになるやもしれん。だとしたら、無駄になるだけだ。」
「そうですね。」

 そこへフィーの声がかかる。

「あ、どうやらあの屋敷みたいですよ。酒場で教えてもらった通りの場所です。」
「お、そうか。んじゃあいっちょ、お宅訪問といくか。」
「ブラガ、何か盗って来たりしちゃ、ダメよ?」
「しねーよ。」

 ブラガとシャリアの声を背景に、フィーはその屋敷の門番に近づいて行く。門番は、怪訝な顔をした。いかにも一般市民と言った風情の若者が、こんな貴族の屋敷に何の用があるのか、と言った所だ。フィーは丁寧な言葉遣いで門番に話しかける。

「申し訳ありませんが、こちらはリカール・ソルム・ケイルヴィー爵侍さまのお屋敷でいらっしゃいますか?」
「ああ、そうだが?」
「ケイルヴィー爵侍さまにお目通り願いたいのですが……。」
「爵侍さまは貴様らのような輩にはお会いなさらん!帰れ、帰れ。」
「ちょ、なによその……。」
「わー!待ちなさいシャリア!フィー!手紙、手紙を!あと指輪も!」

 礼儀を知らないシャリアが文句を付けようとした所で、ハリアーが割って入り止める。ハリアーの言う通り、フィーは手紙と指輪を荷物から取り出して門番に渡した。

「私どもは、こちらにお勤めになられているジムス・レンバーさんから頼まれて、爵侍さまにお届け物に来たのでございます。」
「なに、ジムス殿に?」
「はい、こちらがその証拠の品です。ジムスさんから証拠にと渡された指輪と、ジムスさんの手紙です。」
「むう……。わかった、しばし待っていろ。」

 門番は屋敷の中へ消えていく。待っている間、シャリアはぶつぶつと愚痴を言っていた。

「なんなのよ、人がせっかく頼まれた物を持って来たっていうのに!」
「貴族の門番なんて、あんなもんだよ」
「そーそー。その分報酬に色付けてもらえばいいってもんよ。」

 やがてかなり待たされて、門番が戻って来た。門番は言う。

「待たせたな。爵侍さまがお会いなされるそうだ。ついて来い。」
「はい。」

 フィーは気にした様子も無く付いて行ったが、シャリアは門番の横柄な態度にかちんと来たようで、怒りを抑えるのに苦労していた。やがて彼等は応接間へと連れてこられる。門番は彼等に向かって言った。

「ここでしばらく待っていろ。今爵侍さまがおいでになられる。粗相など、するでないぞ。」

 門番はじろりと彼等を睨むと、部屋を出て行った。しばし彼等がソファに座って待っていると、扉の開く音がした。フィーとクーガはさっと立ち上がり、一礼する。残りの面々は一瞬きょとんとしていたが、慌てて立ち上がり、フィーとクーガの真似をした。扉から護衛の衛士2人を連れて入って来た人物は、フィー達に声をかける。

「ああ、楽にしてくれたまえ。ここは公的な場では無いのだからね。堅苦しい真似はよしたまえ。さ、掛けてくれたまえ。」
「はい、ありがとうございます。」
「お言葉に甘えまして。」

 フィーとクーガはまたさっと座る。残り3人も、慌てて座った。それを見て、彼の人物が再び口を開いた。

「私が勿体無くもグリシル女王陛下より爵侍の爵位を頂くリカール・ソルム・ケイルヴィーだ。よろしく頼む。……名前を聞いても?」
「……お初にお目にかかります。私はフィーと申す絵師にございます。」
「私はクーガと申します。」
「あ、お、俺は、いえ私はブラガ、です。はい。」
「私はハリアー・デ・ロードルです。聖刻教会の伝道士です。」
「あ、あたしはシャリア、シャリア・マルガリ……です。」

 ケイルヴィー爵侍は長身の中年男性で、多少やつれた印象を受ける人物だった。彼はフィー達の方を見遣ると、はーっと溜息をついた。そして彼は言葉を発する。

「よく……よく来てくれた。諸君らのおかげで全ては間に合う。ジムスを助けてくれた件も含め、礼を言わせてもらう。で、仮面は?」
「こちらがジムスさんから頼まれた仮面でございます。」
「おお、これか……。再び我が手に帰って来たか……。」

 その台詞を聞き、シャリアは不審に感じたのか、疑問をそのまま口に出していた。

「帰って来た?我が手に?あのー、あたしたちジムスさんが必死だったから、そのまま運びの仕事を引き受けちゃったんですけど、どんな事情があるのか教えてもらえませんか?」
「しゃ、シャリア!」
「おい!」

 フィーとブラガは、シャリアの無礼な物言いに慌てる。だがシャリアは引かない。

「何よ!あたしたち、ダングスからここまで来る間に何度襲われたと思ってるのよ!?どんな事情があって、あたしらが襲われることになったのか、知りたくても当たり前でしょ!」
「そうか……。そうだな……。」

 ケイルヴィー爵侍は眉を寄せて、悩んでいる様子だった。彼の護衛の衛士も、気遣わしげな視線を爵侍に送っている。シャリアは気まずくなり、謝った。

「あ……すいません、声荒げちゃって。」
「いや、いい。そうだな。何の事情も説明されぬまま、では納得もいかぬだろう。よかろう。ただし他言は無用だ。命かけて誓えるな?」

 爵侍の真剣な様子に、一同は首肯する。ケイルヴィー爵侍は徐に語り始めた。

「事の起こりは、我が一人娘エリシアが病に倒れたことに始まる。最初はどうと言う事のない風邪程度だとたかをくくっていたのだが、どんどん容体は悪化していった。そしてどんな薬も、高価な呪薬すら効かず、聖拝ペガーナの寺院に大枚の献金をして僧侶の奇跡の御業に頼ってすら駄目だった。そして妻が看病疲れで倒れるに至り、これは普通の病気ではないと気づいたのだ。」
「……。」
「それが実は病気などではなく、古代の悪質な呪いの類である事が判明したのは、ある高名な占術師に頼った結果だ。そしてそれが呪いによる物だと気づいた後の話だが、宮廷である人物が私に近づいて来た。私の政敵である、ラクナガル爵侍だ。奴はエリシアを呪っているのが奴の仕業である事をほのめかし、奴が推し進めており、私をはじめ何人もが反対しているある法案に賛成する様に脅迫してきたのだ。恥知らずめ!」

 ケイルヴィー爵侍は歯ぎしりをした。ぎしぎしという音がフィー達の耳にまで届く。

「私は怒り狂った。が、どうすることもできなかった。奴が呪いを掛けたと告発するのは簡単だが、そうしたら娘の命は無い。だがだからと言って、奴のいいなりになる事もできん。……思い余った私は、妖術に……練法に全てを託す事にしたのだ。ついてきたまえ。」

 爵侍は立ち上がると、応接室から出た。フィー達もその後に付いて行く。最後に衛士達が続いた。爵侍はしばらく屋敷の中を歩き回ると、ある部屋の前で足を止める。彼はドアを開けて、その部屋に入っていった。フィー達もあとに続いた。
 その部屋は、寝室だった。そこには10代前半と見える少女が眠っていた。少女は時折、こんこん、と咳をする。頬はこけ、顔色は蒼白く、死相すら見て取れた。クーガは思わず目を見開き、ハリアーは八聖者に祈る言葉を口にした。少女の纏っている、呪いの気配に勘付いたのだろう。ハリアーは思わず魔力を探す術を使ってしまう。彼女の指先に光が灯り、その指が間違いなく少女を指し示す。彼女は言った。

「あの少女から、強い魔力を感じます。」
「そうだろうな……。これが我が娘、エリシアだ。娘を救うため、私はある妖術師、いや練法師に依頼をしたのだ。どうか娘を救う手立てを教えてくれ、と。その練法師は、操兵仮面を一枚貸すように言った。自分は今どうしても動くわけにはいかないから、その操兵仮面に娘を救える術を封じて返してやる、と言ったのだ。」

 ケイルヴィー爵侍はそう言うと、既にベッドの傍らに用意されていた壺から細かい赤い砂の様な物を取りだすと、少女の上に振りまいた。それは赤錆の粉だった。クーガが目を見開く。

「まさか……。」
「そう、もうこうするしか無いのだよ。」

 そう言うと、ケイルヴィー爵侍は例の操兵仮面を覆っている布地をはぎとり、仮面を掲げ持つと、言葉を発した。

「どうか娘を救いたまえ!レーギルグリオ!!」

 合言葉と共に仮面から不可視の力が溢れだすのが、そこに居る誰もに感じられた。その不可視の力はベッドの上の少女を包み込む。すると次の瞬間、その少女は金属の像と化していた。ハリアーは呟く。

「なんという事を……。」
「これしか無かったのだよ。エリシアを救うには、な。私は脅迫に屈することは絶対にできなかった。だがこのまま放っておけば、エリシアは死んでしまう。その前に、エリシアを金属の像とすることで病の……呪いの進行を食い止めようとしたのだよ。そして将来、呪いが解ける方法が見つかったら、その時また例の練法師に頼んで、娘を……エリシアを元に戻そうと考えていたのだ。」
「それじゃ、ジムスさんやあたしたちが襲われたのは……。」
「うむ、ラクナガル爵侍の仕業に違いあるまい。奴はエリシアの命が助かって、私の弱みが無くなる事を恐れたのだろう。愚かな奴だ。」

 ケイルヴィー爵侍はそう言うと、徐に頷く。彼は怒りを満面に湛えて言い放った。

「私は誓うぞ!ラクナガル爵侍とは共に天を戴かんと!いつの日か、必ずや奴を破滅させてやる!」
「娘さんの命はとりあえず助かったんですから、そいつが娘さんを呪ったことを公表すれば……。あ、ダメか……。」

 ブラガが名案とばかりに考えを口に出すが、途中でその考えの欠点に気づき消沈する。爵侍もくやしげに頷く。

「うむ、その通りだ。奴が古代の呪いを用いた事を公表すれば、私が練法師に頼ったことまで表沙汰にせねばならない。練法師は妖術師と呼ばれて蔑視されている上に、聖拝ペガーナからすれば教敵だからな。そうなっては私は聖拝ペガーナ寺院から破門されかねない。それでは私は終わりだ。
 私だけの問題ならば、彼奴と相討ちになっても惜しくはないが……。そうなっては娘をどうやって元に戻してやれば良いか……。娘の呪いをどうやって解いてやれば良いのか……。
 それ故に、私はこの事で奴を告発する事はできんのだ。だが、諦めはせんぞ。いつか必ず奴にこの償いをさせてやる。」

 押し殺した怒りのこもった声でそう言うと、爵侍は愛おしげに金属の像と化した娘の顔を撫でた。彼は呟くように、だがはっきりした声で言葉を発する。

「君達には本当に感謝している。改めて、礼を言わせてくれたまえ。本当にありがとう。」



 フィー達は宿を取るため、サグドル市街を歩いていた。ブラガ、フィー、シャリアは重苦しくなりがちな雰囲気をなんとかすべく、わざとらしく笑いながら喋っていた。

「いやあ、しかしいいお人だったな。ケイルヴィー爵侍さまはよ。報酬もたっぷりくれた上に、『何かあったら力になろう』とか言って、俺達が訪ねていける様に上級市民・貴族街にいつでも入れる通行証とかまで手配してくれてよ。」
「そ、そうですね。爵侍さまの紹介で、操兵の鍛冶組合のサグドル工房にまで入れるようになりましたもんね。例のマルツの仮面、あれ売り払うのに一番面倒が無い場所ですよ。ジッセーグの修理を頼むのにも。」
「へぇ、そいつぁ嬉しいわね!」

 そんな中、ハリアーがぽつりと呟く。

「私は……未熟者ですね。」
「どうしたんです?ハリアーさん。暗いですね?」
「いえ、あの少女のことを考えると……。」

 今までわざとらしく笑いながら喋っていた3人は、いきなり消沈する。ハリアーは続けた。

「私にもっと力があれば……。私に聖霊の秘術を使う力がもっとあれば、あの少女を本当の意味で助ける事すらできたでしょうに。もっと上級の秘術には、ちゃんと呪いを解く術もあるんです。私にはまだ、手の届かない術ですし、使えるようになっても、大本の呪いをどうにかできる自信は無いんですが……。」
「ハリアー。」

 その時、一人黙っていたクーガがハリアーに声をかけた。その声音は真剣そのものだった。

「ハリアー。何もできなかったのは君だけではない。私だってそうなのだ。力が無いのは君だけではない。」
「クーガ……。」
「力が足りないと言うなら、力をつければ良いのだ。もっと修行をすれば良いのだ。そしていつの日か……。」

 ハリアーは頷いて言う。

「ええ、その通りですね。私は誓います。いつか私はあの少女の呪いを解いてみせる、と。そして本当の意味でケイルヴィー爵侍さま達を救ってみせると。」
「その意気だ。」

 クーガは頷いてみせた。ハリアーはにっこりと笑って見せる。フィー、シャリア、ブラガ達もほっとした様に笑みを浮かべた。彼等は宿屋が多く軒を連ねる方へと歩いていった。


あとがき

 今回は早目に続編を出す事ができました。……前回の10年と比べれば、どれだけ時間が経ってても早目と言えますね(苦笑)。今後とも、このシリーズを見捨てずに、どんどん書いていきたいですね。
 さて、フィーがどうやらクーガの正体に気づいてきた様子。けれども彼も隠してくれていますし、残り2人にばれるのは何時になるでしょうか。それと今回は有力な助演キャラクターにコネができました。ワースブレイド世界で爵侍と言うと、大体伯爵ぐらいの地位でしょうか。デン王国は南部の中では大国の方なので、その国の貴族にコネができたと言う事は、なかなかの事です。
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