第6話:ネクロマンシー
午前中の授業が終わった昼休み、第三新東京第壱中学校2年A組の教室は、食事時だと言うのに沈んだ雰囲気に染まっていた。教室の中程にある机の上には、小振りな花瓶に活けられた花が置いてある。そこは先日の第四使徒戦でエヴァ初号機の下敷きになった古田ヨウイチの机であった。
それについて、朝のHRの時に担任教師が、ヨウイチは交通事故で亡くなったと、事実を隠蔽した発表を行った。無論ネルフの差し金である。だが教室の中では生徒達がヒソヒソと、事実に限りなく近い噂話をしていた。曰く、ヨウイチはシェルターから出て戦いを見物に行き、戦闘に巻き込まれて死んだのだ、という噂である。
時折、生徒達の視線が、弁当を食べているシンジの方に向く。シンジがエヴァのパイロットであると言うことは、未だ確証は得られていないが、ほとんど間違いの無い事だと周囲には受け取られている。ヨウイチが死んだ事によって、シンジに向けられる視線は好意的な物とは言い難くなっていた。
だがシンジはそう言ったクラスの雰囲気を物ともせず、いつも通りののほほんとした笑みを浮かべて、平然と食事を摂っている。彼にとっては興味本位で話し掛けてくる者が減った分、かえって楽なのかもしれない。
そんな彼を、昼食も食べずにじっと見つめている者がいた。レイである。
(……碇君。魔法使い……だと言っていた。非科学的だけれど……でも私の傷を治癒させたのは……。碇君……。不思議な人……。)
レイはひたすらシンジが先日言った台詞について考えていた。『魔法使い』だなどと、正直信じ難い話である。だがシンジがやって見せた治癒の符術は、それこそ『魔法』とでも言わなければ説明が付かない。それにシンジはこれまで使徒のA.T.フィールドをA.T.フィールド無しで打ち破っている。シンジ本人は格闘技の技と言ってはいるが、実はあれも『魔法』の一種ではないのだろうか、とレイは思う。
(彼はいつか教えても良い、と判断したら、秘密を教えてくれると言っていた……。本当にそんな時が来るのだろうか……。)
レイはこれまで、碇ゲンドウ以外の人間に対し、これ程までに興味を持った事は無かった。レイの中で、シンジの存在はいつの間にか大きな存在感を持つようになっていた。
その時、シンジが食事を終えて弁当箱を仕舞い込むと立ち上がった。彼はレイの机の前までやって来る。彼は先ほどまでのへらへらした笑顔ではなく、柔らかな暖かい笑顔でレイに尋ねた。
「綾波。僕のこと、じっと見てたみたいだけど、どうしたのさ」
「あ……。何でもないわ。ごめんなさい。」
レイは視線を逸らす。シンジは続けて尋ねた。
「お昼は食べないの?身体に悪いよ?」
「いえ、食べるわ」
そう言って、レイが取り出したのはカロリー・ビスケットだった。シンジは怪訝そうな顔をする。
「綾波?それがお昼?」
「ええ。」
「んー。綾波、ちゃんと料理したお弁当を食べた方がいいと思うんだけどね。」
「何故?栄養はこれで全部摂れるわ。」
レイの答えに、シンジは苦笑した。彼は言葉を続ける。
「綾波、人の――人に限らないけど――消化器系が正常に働くためには、ある程度の量が必要なんだよ。そういったカロリー・ビスケットとかは必要栄養素は一応入ってるけれど、胃腸がきちんと栄養素を取り込むためには……そう言ったシステムをきちんと働かせるためには、やっぱりちゃんとした料理を食べた方がいいんだよ。カロリー・ビスケットとかはあくまで非常時とか、忙しすぎて普通の食事を取れない時とか、他に食べるものが無い時とかに食べるものだと思うよ。」
「……。」
「それに美味しい食事は感情面に良い影響を与えるからね。消化器系は、感情の働きにかなり敏感なんだ。美味しい食事と不味い食事を比べると、栄養の吸収率とか、けっこう違ってくるからね。」
「……そう。わかった。」
理詰めで説明されて、レイは同意した。シンジは満足そうに頷く。
ふとその時、一人の生徒がシンジに近づいてきた。彼の着ているのは第壱中の制服ではなく、黒のジャージである。その生徒――トウジはシンジの前に立つと、口を開いた。その口調には先日のような敵意は無い。
「転校せ……やない、碇。ちょいと用事があるんやけど、屋上付きおうてくれんか?」
「やだ……って言っても駄目なんだよね、君の場合……。わかったわかった。」
シンジは苦笑しつつ了承する。トウジは先に立って歩き始めた。シンジはその後を追ってゆったりとした動きで歩き出す。レイはシンジが教室を出るまで、彼のことを目で追い続けた。
屋上で、トウジは腕を組んで仁王立ちしていた。対してシンジは、何の力みも無く、その対面に立っている。その顔には、いつものへらっとした笑いが張り付いていた。
「碇……。」
トウジが口を開く。シンジは首を傾げた。トウジはそれにはかまわず次の行動に出る。彼はいきなり土下座した。彼は叫ぶように言う。
「碇……すまんかったっ!」
「……何が?」
「前回、妹の事で八つ当たりのよーに殴りかかった事、そしてお前が戦ってるとこにのこのこ出てって、戦いの邪魔してしもうた事やっ!」
「あー、あー。別にいいよ、もう。最初の件では僕も反撃したから、君も充分痛い目見ただろ。後の件は、ネルフの保安諜報部から、散々怒られたんじゃないの?それに親御さんからも、さ。今更僕が何か言うことは残ってないだろ。」
シンジは面倒臭そうに言う。だがトウジは引かなかった。
「お前が言うこと無くとも、ワシは詫びなアカン!間違った事したら、それを正さんのは漢らしゅうないっ!」
「……君はシェルターを出てった友人を連れ戻しに出てきたそうじゃないか。君は興味本位で戦いを見物に来たバカとは違うんだろ。だからもういいよ。」
「それと、や。ワシは礼も言わなアカン。正直ワシはお前が大嫌いや。だからって、命助けてもろて礼も言わんのはジンリンにもとるっちゅーヤツや。そやさかい、ほんまおおきに。」
「礼なら、作戦部長の人に言うんだね。彼女が君らを助けるように命令しなければ、僕は君らをあっさり見捨ててたはずさ。」
「……それでも、や!お前に助けてもろた事に変わりは無い!そやさかい、おおきに、や!」
トウジの真剣な様子に、シンジは溜息をついた。そして笑顔――いつものへらへら顔ではない――を浮かべると、トウジの腕を引っ張って立たせる。シンジはトウジに語りかけた。
「わかった、わかったよ。君の謝罪と礼は確り受け取った。ふふ、僕は君みたいな奴は、嫌いじゃないよ。嫌われてるのはちょっと残念だな。ま、しかたないか、ははは。
……ところで、興味本位で戦場見物に来た当の主犯格はどうしたのかな。あれから姿を見ないけど。」
「ケンスケは……。」
トウジの顔が苛立たしげに曇る。
「ケンスケの奴は、古田が目の前で潰されて死んだのを見てしもて、ショックやったらしい。家に引き篭もって、出て来いへんのや。古田を連れ出したんが自分やっちゅー事もショックやったんやろな。……そやけど、近いうちに必ずワシが引っ張り出して、お前に詫び入れさせるわ。」
「無理に謝らせなくてもいいよ、別に。彼がきちんと反省しようが、誰かに責任転嫁して精神的な抑圧を解消しようが、このまんま潰れようが。僕と僕が気にかけてる一握りの人達に害が無ければ、僕としては何も問題とは思わないからね。」
「……おのれはホンマに乾いとるっちゅーかドクゼンテキっちゅーか、根性ババ色っちゅーか、なんやそんなんやな。ワシはお前のそー言う所が嫌いやねん。」
トウジは吐き捨てるように言うと、踵を返して屋上から出て行く。しかし屋上の出口をくぐる時、彼は一寸立ち止まった。彼は呟くように言葉を漏らす。
「そやけど、なんや解らんでもないよーな気もするわ……。ほな、な。」
シンジは立ち去るトウジの後姿を眺めながら、クスクスと笑っていた。やがて昼休み終了のチャイムが鳴ると、シンジもまた屋上を後にした。
その日の放課後、シンジはネルフに出向いていた。本日の業務は、翌日に控えた零号機再起動実験に備え、第6ケイジで初号機のエントリープラグの調整を行うことである。初号機は既に先の使徒戦での損傷は修復済みであり、機体の調子は万全だった。零号機の再起動実験においては、シンジは万が一の暴走事故に備えて初号機で待機する事になっていた。
零号機は以前の起動実験の際に、暴走事故を起していた。シンジがネルフに最初に来たときに、レイが重傷を負っていたのは、この零号機の暴走が原因である。零号機暴走の際にエントリープラグのオートイジェクションが屋内であるにもかかわらず誤作動し、レイはプラグごとケイジの天井と床に叩きつけられたのだ。
初号機での待機は、実はシンジが自分からリツコに申し出た事である。もし零号機が再度暴走したとしても、初号機であれば取り押さえることが可能であるからだ。リツコもその進言の正しさを認め、初号機の待機を司令に申請し、許可を取っている。
ふとシンジは、プラグを調整する手を休め、零号機の方を見やる。そこではレイが同じように零号機のプラグを調整していた。
と、そこへゲンドウが現れた。ゲンドウは零号機の脇のタラップに立つと、レイに話しかける。
「レイ……。明日はいよいよ零号機再起動実権だな。」
「はい。」
「怖いか?」
「大丈夫です。心配ありません。」
「……そうか。」
ゲンドウはレイに微笑みかける。
「今度はきっとうまくいく……。」
「はい……。」
レイは顔を赤らめてゲンドウを見る。
シンジはそれを初号機の陰から何気なく見遣っていた。彼は怪訝に思う。
(……碇ゲンドウ。『僕』の父親、か。まったく実感ないよなあ。いや顔は記憶の底をさらえば何となく覚えてるけどさ。綾波にとっての碇ゲンドウは……やっぱり『造り主』って所かな?あの反応を見れば。……そんなに学者として有能だったっけ?父さんって。誰かに綾波を『作らせた』とかかなって思ってたけどねぇ……。
ま、どうでも良いけど……。今の所は、ね。)
シンジはエントリープラグの調整に戻る。
(……父さんが……だよなあ。あの破壊工作は。何のために、わざわざ呼びつけたエヴァンゲリオン・パイロットを殺そうとするのか。殺そうとするには、今ひとつ詰めが甘いし……。
やっぱりどうにかして、死人の髪の毛でも爪でも手に入れないとなあ。死霊を操って調査させるにも、初号機に仕掛けされないように見張らせるにも……。)
シンジは病院の霊安室にでも、今度忍び込もうと決心した。そこで『術法』の『触媒』となる死体の一部をいくらかでも入手して来ようと言うのだ。『触媒』さえあれば、色々な事ができる。その『触媒』をできれば合法的に入手したい所だったが、あまり悠長な事は言っていられないのだ。
エヴァのエントリープラグの調整が終わると、シンジはレイを途中まで送っていく事にした。これは別に何らかの意図があってやっている事ではない。シンジは彼女が『造られし者』だと見当を付けてから、なんとなく親近感を抱いているのだ。
シンジはレイに話しかける。
「綾波。いよいよ零号機の再起動実権だね。上手くいくといいね。」
「……ええ。」
「綾波、怖くない?前にも実験が失敗して大怪我したんだろ?」
レイはシンジに顔を向ける。その顔には、無表情ながら僅かな苛立ちのような物が見て取れた。シンジは方繭を上げる。
「あなたは怖いの?」
「う〜ん……。エヴァそれ自体は怖くないけど、死ぬのは怖いな。前回の戦いでも、あんな破壊工作とかあったし。人のやる事に完璧はないから、僕のときにも『事故』がおきるんじゃないかって不安は確かにあるよ。」
「お父さんの仕事が信じられないの?」
レイの声は冷たく、染み渡るようだった。シンジはふと一瞬、答えに迷う。彼は、ここでどう答えるべきか、悩んだ。が、結局は正直に答えることにする。
「……僕と、碇司令との親子関係は、10年前に破綻している。」
「!?」
「彼は10年前、僕を先生の家に捨てるようにしてあずけたまま、この10年間顧みることをしなかった。彼と僕との関係は、僕に何の落ち度も無かったのにも関わらず、彼の側から一方的に断ち切られたんだ。
……僕にとって、彼の評価は『どんなに大事な物でもいざとなったら躊躇いも無く捨てる人物』て所だね。彼と僕は、法的には親子だけれども心情的には赤の他人と言っていい。そして上司として……司令としての碇ゲンドウは僕はまったく知らない。10年間まったく接触が無かったからね。どうにも信用のしようが無いんだよ。
……親子と言うならさ。綾波と碇司令の方が、まるで親娘みたいだったよ。」
「え……。」
シンジはにっこりと微笑んで続けた。
「少し、少しだけ羨ましかったかな。綾波が。」
「……。」
「綾波は、信じてるの?碇司令の……父さんの事。」
「私は……信じてるわ。
私が信じてるのは、この世で碇司令だけ。」
レイは無表情に、しかしその中に固い、堅い、硬い意思を滲ませてそう言った。しかしシンジは動じもせず、苦笑して言葉を紡ぐ。
「そう。なら僕も少しは信じてみるとしようか。綾波がそこまで信じてる父さんの事を、さ。今僕がネルフで少しでも信じてるのは同じパイロット仲間の綾波ぐらいだし、その綾波がそこまで信じてるんだ。なら僕も、司令としての碇ゲンドウは、少しは信じてみようかな。」
「え……。」
「あ、そろそろ分かれ道だ。それじゃあまた明日、綾波。」
「……さよなら。」
「……僕の方をつけて来る、か。この殺気だだ漏れの輩は。綾波じゃなく、僕が狙いって事か。でも手を出そうとはして来ないのは何故だ?ネルフの護衛がいるから?……ま、注意は怠らないでおこう」
シンジは小さく呟いた。そして彼はそのまま自分の宿舎へと帰っていく。見た目はあからさまな程に隙だらけだ。しかし物陰から彼を見張っていた人物は、手を出そうとはしなかった。その人物は、口の中だけで呟く。
「……今日はだめだ。だが明日なら……」
レイは自分のマンションの部屋に居た。彼女のマンションは、取り壊し寸前の、彼女以外は誰も住んでいないような、まさに幽霊マンションとでも言う様な所だった。壁はコンクリートの打ちっぱなしで、床には埃が厚く積もっている。
レイはこの部屋で、パイプベッドに腰掛け、本を読んでいた。だが、本の内容は少しも頭に入ってこない。彼女の頭の中には、シンジが帰り際に言った言葉が繰り返し響いていた。
『僕を先生の家に捨てるようにしてあずけたまま』
『彼と僕との関係は、僕に何の落ち度も無かったのにも関わらず、彼の側から一方的に断ち切られた』
『どんなに大事な物でもいざとなったら躊躇いも無く捨てる人物』
レイは考える。
(碇君は……司令に捨てられた。息子なのに……。)
シンジの言葉が、再び彼女の頭によぎる。
『親子と言うならさ。綾波と碇司令の方が、まるで親娘みたいだったよ。』
(親娘……?私と司令が?)
レイの心の中に暖かい物が広がる。だがそれは次の瞬間、冷たく冷え切った何かに取って代わられる。
『どんなに大事な物でも』
『捨てる人物』
『僕を先生の家に捨てるようにして』
『彼の側から一方的に』
『断ち切られた』
(私と司令は……親娘に見える……?いつか私も捨てられる?碇君のように?)
ごくり、とレイは唾を飲み込んだ。
(捨てられる。
捨てられる。
捨てられる。
捨てられる。
捨てられる。
……。
…………。
………………嫌!それは嫌!)
レイはその後、しばらく眠る事が出来なかった。
翌日、シンジは学校を休んでネルフへと向かっていた。例の殺気を感じる視線は、未だ付いてきている。
(……執念深いと言うか、我慢強いというか。襲ってくるなら、さっさと襲ってくれば良い物を。……あ。綾波だ。)
シンジは綾波に小走りに駆け寄る。
「おはよう綾波。」
「……碇君。」
レイは一瞬シンジを見遣ると、だがすぐに顔を落す。何か悩み事でもあるようにも見える。その目元には隈が出来ており、あまりよく眠れなかったようだ。
「……綾波、眠れなかったの?やっぱり今日の再起動実験、心配だったの?」
レイは首を横に振る。シンジは頭を掻いた。しばらく二人で並んで歩く。
ふとレイは、シンジに声をかけた。
「……碇君。」
「ん?何?」
「碇君は……辛くはなかったの?」
シンジは目を見開く。彼は問い返した。
「辛くは……って、何が?」
「お父さん……司令から捨て……預けられて。碇君はその事がどうでも良いように見える。」
「え?うーん……。そうだね、最初は辛かったよ。物凄く。
でも、慣れちゃったからね、その辛さにも。時間も長く経ったし。今は文字通り、どうでも良く感じてる、かな。」
「そう……」
シンジはレイの頭に手を置くと、くしゃくしゃと撫で付けた。レイは驚く。
「……何?」
「いや、心配してくれたんだろう?僕の事。だから有難う、ってさ」
「……。」
レイはうつむく。別にレイは、シンジの事を心配して言ったわけでは無いのだ。
ただレイは、シンジが捨てられたように、自分もいつかゲンドウから捨てられるのではないか、捨てられたとき自分はどうなるのか、それが気がかりだったのだ。そしてシンジがどのような気持ちでいるのかを知ってみたかっただけなのである。
だがシンジは、そのレイの言動を誤解した。それも良い方に。レイはシンジに申し訳ないような気持ちになる。もっともレイの未熟な感情では、それがどう言う物なのか、自分自身でも理解できてはいなかったが。
シンジはぽんぽんとレイの頭を軽く叩いた。
「さ、そろそろ気持ちを切り替えないと。今日は零号機の再起動実験なんだからさ。暗い気分でいると、成功するものもしなくなっちゃうよ。
大丈夫、万が一の事があっても、今回は僕と初号機も待機してるからさ。それに今回はデータも揃ってるんだし、成功するって」
「……そう。」
「さ、行こう。零号機も待ってるよ、きっと」
「あ。」
シンジはレイの手を掴むと、引っ張るように歩き出した。レイは為すがまま付いていった。
ケイジでは、オレンジイエローに塗装されたエヴァンゲリオン零号機が、拘束具に固定されて立っていた。制御室に居るゲンドウの声が響く。
『これより、零号機再起動実験を行う。……レイ、準備はいいか?』
「はい」
レイは零号機のエントリープラグの中で、インテリアに座って真っ直ぐ前を見つめていた。そこに初号機からの通信が入る。プラグ内壁の画面片隅にウィンドウが開いた。ウィンドウにシンジの顔が映る。
『綾波、落ち着いてやれば大丈夫だよ。零号機と話し合うような感じでやってみて。』
『シンジ君、少し静かにしていて。』
『あ、はい。』
レイはシンジの言った事を考える。エヴァに心があることは彼女も知って居る事だ。その心との接触が、エヴァとのシンクロの正体だ。だが知っているという事と、それを認めて話し合うという事は次元の違う話だ。
『第一次接続開始。』
『主電源コンタクト。』
『稼動電圧、臨界点を突破!』
『了解!』
『フォーマットをフェイズ2に移行!』
実験は粛々と進んでいく。
『パイロット、零号機と接続開始。』
『パルス及びハーモニクス正常。』
『シンクロ問題なし。』
初号機は既に起動して、万が一の零号機暴走に備えている。あいかわらずシンクロ率が滅茶苦茶なのは言うまでも無い。もっともこれは、シンジと初号機のシンクロが通常想定された通りに行われているわけではなく、初号機ともっとずっと深いレベルで同調している事に原因がある。だから初号機は、表面上観測されるデータが滅茶苦茶でも、問題なく動いているのだ。
『オールナーブリンク終了。』
『中枢神経素子に異常なし。』
『1から2590までのリストクリア。』
『絶対境界線まであと2.5。』
レイは零号機の『心』を感じようとしていた。いつもよりも必死で。
(失敗したら……司令に捨てられてしまうかも……。あの人は『息子』ですら捨てた……。)
レイの心には、不安が渦巻いていた。彼女は必死で波立つ心を平静に鎮めようとする。落ち着かなくてはいけない。落ち着いて、零号機の『心』を感じなくてはならない。
ふとレイはエントリープラグ内壁の片隅に映し出されたウィンドウを目に留める。そこにはシンジの顔が映っていた。シンジは穏やかな、柔らかい笑顔を浮かべている。その目には、力強い輝きがあった。
『1.7……1.2……1.0……0.8……。』
レイは零号機に『話しかけて』みた。
(あなたは……零号機?そこに居るの?)
(……。)
(そう……。あなたも私と『同じ』なのね?)
(……。)
(ええ、私もあなたと『同じ』……『造られた』の……。あなたと私は同じ……。)
(……。)
(そう……『寂しい』の?『独り』が『寂しい』の?そう……。私も……『寂しい』の?)
再起動実験は続く。
『0.6……0.4……0.3……0.2……0.1……ボーダーライン、クリア。』
『零号機、起動しました!』
『引き続き連動実験に入ります。』
零号機は無事、起動した。暴走も無い。エントリープラグにシンジの声が響いた。
『綾波、おめでとう。零号機、起動したね』
『ええ……。』
『レイ、引き続いて連動実験よ。気を抜かないで。』
『はい。』
ケイジでは、その後も各種実験が行われていった。だが、それまでと違い、張り詰めたような雰囲気は無い。零号機が無事起動した事で、皆ほっとしているのだ。
そんな中、シンジだけはひとり気を張っていた。例の殺気がネルフ内部に入っても消えないでいたのだ。これは、殺気を放っている人物がネルフ内部の者だと言うことを示している。
(やれやれ、とするとこれは父さんの手の者、かな?でもなあ……ここまであからさまにやるかね。)
(……!)
(初号機、君はまた変ないたずら、仕掛けられてないだろうね?)
(……。……!!)
(ふうん。君がわかる範囲では無い、と。でも装甲板の裏側とかに仕掛けられてたら、それを取り付けられてもわからない、よね。困ったなあ。さっさと『触媒』を集めてこなきゃなあ。)
シンジは初号機と話しながら、己の考えに沈みこんでいった。
実験終了後、シンジはレイを途中まで送っていった。再起動実験開始は午前中だったと言うのに、もう今は日も暮れていた。シンジはレイに話しかける。
「零号機、再起動実験上手く行ってよかったね。これであとはA.T.フィールドさえなんとかなればなあ……。」
「ええ。」
「まあ、できない物は仕方ないし、今までの強さのフィールドだったら、僕の武術の技でなんとか破れるけど……。」
シンジはふーっと溜息をつきながら言う。A.T.フィールドを展開する方法は、彼自身にもどうにも見当がつかないのだ。彼は初号機と話をしてみたり、彼が使える術法の結界を展開するときの要領で色々試してみたりはしているのだが、どうしてもA.T.フィールドは展開できていない。
「きっと実際の所、何か簡単な見落としなんだろうな、とは思うんだけどね。何かひょんな切欠さえあればきっとA.T.フィールドも展開できるんだろうけどね。」
「そう。」
「ところでさ、綾波。」
「……何?」
「伏せて!」
言うなり、シンジはレイを押し倒した。レイは驚き、声も出ない。直後、軽い乾いた音が路上に響いた。
バン!バン!バン!
拳銃の発砲音だった。
シンジはレイを引き摺るようにして立たせると、彼女を抱きかかえて遮蔽物を求めて走った。だがその行く手を阻むように銃弾が撃ち込まれ、彼は足を止めざるを得なかった。
彼は襲撃者の方へ向き直る。
「……ネルフの保安部員が、なんでチルドレンを狙うのか、聞かせてくれるかな」
そこに立っていたのは、ネルフ保安諜報部の黒服だった。男の手にしている拳銃からは、かすかに硝煙が立ち昇っている。男は口を開いた。
「……お前が、ヨウイチの仇だからだ。」
「ヨウイチ?……ああ!古田ヨウイチか!」
それは前回の使徒戦で、相田ケンスケに戦闘見物に引っ張り出され、初号機の下敷きになって死んだ少年の名だった。つまりこの男は、古田ヨウイチの縁者と言う事になる。
「と言う事は、あんた保安諜報部の古田3尉……。」
「待ったぞ、この機会を……。保安諜報部の護衛のシフトに俺が組み込まれるのを……。他の護衛は期待しても来ないぞ。皆、眠っているからな」
「まったく……なんで使徒戦の犠牲者の遺族をそのままシフトに組み込むかな。無能極まりない……。」
シンジはじりじりと立ち位置をずらして行く。いざと言う時、レイをかばえるように、だ。レイは一瞬呆然としていたようだが、さっと身構える。
シンジは軽口を叩いた。
「……僕を狙うよりも、古田君をシェルターから戦場に引っ張り出した、相田君を狙った方がまっとうな判断じゃない?」
「何、お前をあの世に送った後で、そいつも後を追わせてやるさ。」
「こっちとしては、全然ありがたくもなんとも無いんだけどねえ……。」
「話は終わりだ。死ね。」
ババン!
2点バーストで、男――古田3尉の拳銃からマズルフラッシュが閃く。その銃弾は、狙い違わずシンジの胸元へと吸い込まれていった。レイが思わず叫ぶ。
「碇君!?」
「……大丈夫、大丈夫だよ綾波。」
「何っ!?」
古田3尉は目を見開く。シンジが胸元にやった右手を開くと、そこには撃ち込まれたはずの弾丸が2発、掌に乗っていた。シンジはその銃弾を放り上げては受け止め、弄ぶ。
「狙いが正確だったからね。気盾で受け止めやすかったよ。」
「く、ば、化け物めっ!」
古田3尉は泡を食って、再度発砲しようとする。だがそれよりも、シンジの方が速かった。シンジは右手の親指で、受け止めた銃弾を弾き出す。強烈な威力を持った指弾は、古田3尉の持った拳銃をはじき飛ばした。シンジは一挙動で古田3尉の懐へ飛び込む。
「くっ!」
「憤ッ!破ァッ!!」
シンジの右拳が、まるで槍のように古田3尉の胸から背中に貫ける。シンジはその右手を相手の身体から抜き取ると、肩を竦め、首を左右に振った。その右手は血と肉片で真っ赤に染まっている。古田3尉の身体は地面に崩折れた。傷口からは血が流れ出しているが、心臓が潰されているので勢いは激しくは無い。
シンジはレイに声をかけた。
「綾波……悪いけど、ネルフの保安部呼んでくれないかな。この件の後始末頼まなきゃならないからさ。」
「……わかったわ。」
レイはこの凄惨な現場にも関わらず、冷静に答えた。彼女はすぐに携帯電話を取り出すと、ネルフへ電話を掛ける。程なくして、ネルフ保安部の車両が駆けつけた。
「碇……シンジ君の精神は、予想以上に強靭だぞ。」
薄暗い司令執務室の中、冬月はゲンドウに向かって苦言を呈していた。ゲンドウは席に掛けたまま、両手を組んで顔の下半分を隠すいつものポーズのまま、その台詞を聞いていた。
「今回の事は我々の仕込みでは無かったとは言え、拳銃を持ったプロに襲われていながら、それを一蹴してのける。更には相手を殺しても、平然としているその精神。彼女を覚醒させるには彼を追い詰めねばならんと言うのに、だ!」
「……何、手段はまだまだありますよ冬月先生。」
ゲンドウはポーズを崩さずに言う。冬月は疑い深そうな目で、それを見遣る。
「使徒はまだまだ来ます。その時に、シンジが死に掛けるような目に遭えば良いのです。」
「本当に死んでしまっては本末転倒だぞ!!わかっているのか!?」
「その時こそ、ユイがシンジを守るでしょう。エヴァ本体ではなくエントリープラグに仕掛けを施しても良い。とにかくシンジが死に掛けさえすればいいのです。
いや、ユイが目覚めさえすれば、シンジが死んでしまってもシナリオは進みますよ。」
「……そんな事になっては、ユイ君は我々を許さんだろうな。それにシンジ君の戦闘力は、使徒殲滅に置いては非常に惜しい物だ。殺しかけるのはかまわんが、故意に本当に死なせたりするなよ。」
「……。」
薄暗い闇の中で、男達は薄汚い陰謀を企んでいた。それをこっそりと聞いていた『者』が居る事も知らずに。
一方その頃、古田3尉の検死を任されたネルフ所属の医局員が、妙な事に気が付いていた。
「……なんだこれは?なんで髪の毛がここだけごっそり引き抜かれているんだ?」
死人の髪の毛は、その死者を死霊として操る術法の触媒として、不可欠なのである……。
あとがき
なんとか第6話UPできました。
本編と違って、零号機の起動試験中に使徒が襲ってこなかったのは、レイの負傷の治癒が本来よりもずっとずっと早く進んでいたため、起動試験の日時が前倒しになっていたためです。
おそらくは数日中に第五使徒が出現するでしょう。
さて、前回亡くなった古田ヨウイチ君のお父さんまで今回亡くなってしまいました。
あげくにその死霊までシンジの情報収集のために使い倒される始末。
本当に可哀想な一家です。
なんでこうなっちゃったんだろう……。
さて、ここまで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
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