第5話:魔法使い


 第四使徒は、エヴァンゲリオン初号機の動かなくなった右脚をその鞭状の触手で絡めとり、振り回し叩きつける攻撃を何度も繰り返した。プラグ内のシンジはいつもどおりの顔でへらへらと笑っていたが、実はかなりの苦痛を受けている。彼はエヴァンゲリオンと高いレベルで『同調』しているため、初号機が右脚に受けた苦痛をもろに共有しているのだ。さらに現在初号機は、その損傷した右脚を掴まれて振り回されている状態である。傷口を抉られ続け、常に新鮮な苦痛が彼らの脳に送り込まれているのだ。

 だがシンジは強靭な精神力で、その苦痛をはねのけていた。彼の精神が揺らげば、彼と『同調』している初号機は下手をすると暴走状態に陥ってしまう。本来初号機は、この程度の敵など問題にしないだけの力を持っていた。もし暴走したならば、その力を100%発揮して第四使徒を殲滅できるだろう。損傷している右脚すらも、瞬時に再生することさえ可能かもしれない。

 しかしシンジには、初号機を暴走させるつもりはまったく無かった。彼がその気になりさえすれば、故意に初号機を暴走させることすら可能だろう。いや彼ならば暴走などさせなくとも、通常通りの『同調』だけで本来以上の能力を強引に引き出すこともできる。第三使徒戦以来、シンジは訓練などの度に初号機と交感を行い、今では『彼』のことをある意味でリツコよりも深く知っているのだ。

 もっともその知識は科学的、技術的なものではなく、あくまで感覚的にとらえたものであるが。そしてシンジが持つ知識と能力とを用いれば、初号機の戦闘能力を完全に引き出すことなど容易だ。

 しかしシンジは、それが初号機にかなりの負担をかけることを知っている。

 彼は初号機が本来アンビリカルケーブルによる電力供給で駆動するのではなく、独自の動力源により動くべき生体構造になっていることを見極めていた。そしてその『動力源』無しで本来の力を無制限に放出するような真似をすれば、初号機の肉体的には素体質量のエネルギーへの変換による損耗を引き起こす。また精神的な面では、初号機自身の魂をも大きく疲弊させる事になるのだ。

 シンジはそのような事をするつもりも、させるつもりも無かった。彼にとって初号機は、互いに契約を交わし利用し利用される間柄ではあるが、ただ単にそれだけでは無い。彼と初号機は同志であり、大切な友人でもある。更に言えばシンジは初号機に対し、まるで弟へ向けるような感情すら抱いているのだ。

 かつて『シンジ』は彼の半身とも呼べる存在を己のミスと油断、慢心で失ったことがある。彼は万が一にもそれを繰り返したくは無かったのだ。



『あー葛城さーん、赤木博士ー、この脚にからまってる触手、どうにかしたいんですけど何か武器って無いんですかー?』


 シンジは苦痛をかけらも表に出さず、のほほんとした調子で問い掛けた。

 彼は今まさに、まるで一昔前の宇宙飛行士耐G訓練装置のように振り回されている。だと言うのに、彼はそのことをかけらも気にしていない様子だ。とんでもない……いや信じ難いまでの精神力ではある。

 リツコは慌てたようにしてそれに応えた。


「肩のウェポンラックにプログレッシヴナイフが格納されているわ。出し方はどうせミサトがレクチャーしてるはずもないから、こちらの操作でやるわ。マヤ!」

「はい先輩」


 リツコの台詞にミサトが青筋を立てる。しかしリツコの台詞は完全に図星なので、ミサトは何も言い返せないでいた。

 マヤの操作で初号機肩部のウェポンラックが開く。しかしそこには、あるはずのプログナイフは一本たりとも存在していなかった。


「なんてことなの!初号機の右足の爆発事故、装備品の不備……。整備班の責任者を呼びなさい!」

「赤木博士、今は現状の打破こそ急務だ。責任の追及は後で行いたまえ。葛城一尉、至急作戦の立て直しを」


 リツコと冬月がシナリオ通りの演技を行う。無論ミサトが作戦立て直しなどできるわけが無いと踏んでの台詞だ。そしてプログナイフが武装ラックに搭載されていなかったのも、これもまたリツコの工作である。

 実のところ、葛城ミサトは全くの無能というわけではない。その能力は偏ってはいるものの、一応は指揮官としての教育も受けてはいる。また作戦立案においての発案能力は、その突飛とも言えるアイディアは玉石混交状態で論外なものも数多く混じるとは言え、秀逸な物も少なくない。

 しかし彼女が責任者となって作戦立案および作戦指揮をするのは少々…いや、かなり心もとない。ミサトは何かアイディアを思いつくと碌に検討もせず、素のアイディアのまま作戦として提示する傾向がある。更に言えば、彼女は軍事的セオリーを全く意に介さないため根本的な部隊運用能力に欠けているのだ。

 使徒戦において、確かに敵の能力はでたらめである。だからと言って、味方部隊の運用のセオリーまで完全に無視してしまってはどうにもならないのだ。しかも彼女は戦略的な思考能力は皆無に近く、作戦全体の指揮を取るだけの把握力も無い。良く言って彼女は、せいぜいわずかに戦術指揮能力を持つ程度で、ネルフ全体規模の戦闘指揮官としては完全に失格だった。

 普通セオリーを無視するタイプの指揮官は、大抵はセオリーを知り尽くした上であえて無視している。それ故、彼等は戦局に応じ極めて柔軟な対処を行えるのだ。しかし意味も無くセオリー無視に走るミサトは、予想外の事態に対し混乱し、パニックを起してしまい、硬直した指示、命令を飛ばすだけである。

 実際、今現在もミサトは見当はずれの命令を出し続けていた。


「なっ何とかして振りほどいてっ!」

『それが無理だから指示、支援を仰いでるんですがねー』

「男の子でしょっ!なんとかしなさいっ!」


 この様に、ミサトの指揮は何の役にも立っていなかった。冬月は、その様子を冷たい目で見ている。彼はそのまま視線をモニタースクリーンへ移して小さく呟いた。


「……シンジ君、まったく動じもせんか……。おそろしい精神力だな。恐怖心など持っておらん様にすら見える……。となると……『彼女』を刺激するには……彼を単に窮地に陥れるだけでは困難ということか?直接彼が死にかけるような状態にならねば駄目か?」


 冬月はマヤのモニターしている情報を、普段ゲンドウが座っている司令席に転送させる。そこに表示されている、プラグスーツからのセンサー情報は、シンジが完全に平静状態にあることを意味していた。冬月は溜息をついた。



 シンジは、発令所の面々が何ら頼りにならないことを理解し、あっさりと見切りをつけていた。


(……さて、と。今つかえそうなのは、と……)


 今現在、使徒は初号機を振り回して叩きつけるという行動を繰り返している。初号機は右脚を中心にかなりのダメージだ。更に言えば、その場に武器として使えそうな物は全く無い。


(……こりゃこまったね…)

(……!)

(いーや、それはダメ。この状態で全力なんか出したら君がボッロボロになっちまうでしょーが。なんとか方法を考えるからさ…あっ!こいつがあるじゃないか!一か八か、だけどねぇ。とにかく、こいつがこの鞭みたいな触手を放してくれれば、手の打ちようはあるからさ)


 使徒は初号機をふたたび持ち上げて振り回した。シンジはその瞬間、初号機の左手で背中のアンビリカル・ケーブルを掴み、使徒の本体にすばやく巻き付ける。使徒は、動きを急に止めることもできず、そのまま初号機を振り回した。

 アンビリカルケーブルは使徒を覆っているA.T.フィールド表面にからみつき、それごと使徒を引き摺っていく。使徒はそのままバランスを崩し、自らの巨体を転倒させた。初号機はそのまま投げ出される。


「ふっふっふ、計算どおりだ」


 しかし、次の瞬間初号機背面にあるケーブルの接続プラグが破損する。初号機は使徒からかなり離れた場所まで投げ出されてしまった。


『アンビリカルケーブル、断線!』

「ふっふっふ、計算違いだ」


 シンジの計算では、残りの長さが短くなっているケーブルに引き摺られ、使徒の至近に落ちるはずだったのだ。使徒が動きを止めている隙に攻撃に移る予定だったが、これでは最初から仕切りなおしと同じになってしまう。いや、初号機は右脚の損傷と、何度も叩きつけられたダメージがある分、最初よりもかなり分が悪い。

 初号機はへらへら笑いのシンジを乗せたまま、放物線を描いて街外れの丘へと落下した。



「…っぶはぁっ!」


 トウジは身体を覆っていた土塊を振り落として顔を上げた。そして彼はケンスケの方を振り返る。そこには紫色の壁…エヴァンゲリオン初号機の装甲があった。


「…あ、あの転校生のロボット…」


 トウジは背筋が寒くなって、へたりこんだ。

 あと少し初号機の落ちる場所がずれていたら、彼はその下敷きになっていたはずである。その時、トウジはとんでもないことに気づいた。ケンスケは、ちょうど彼が今見た方向にいたはずなのである。


「け、ケンスケ!ケンスケぇっ!生きとるかっ!返事せぇっ!」

「う…うぁ…」


 丁度そのとき、ケンスケのうめくような声が聞こえた。トウジは慌ててそちらに走り寄る。


「ケンスケぇっ!」


 ケンスケのいた場所は、彼が記憶していた場所からずいぶんとずれていた。

もしかしたら、トウジかケンスケどちらか、あるいは両方ともが、初号機の墜落した衝撃で吹き飛ばされていたのかもしれない。トウジは、初号機の指の間で震えているケンスケを発見した。


「おいっ!ケンスケっ!しっかりせんかい…!?」


 トウジは息を呑む。

 ケンスケは運良く初号機の指の股に入り込み、奇跡的に無傷で助かっていた。しかしケンスケのすぐ傍にある初号機の人差し指の下から、あきらかに少年の物と見える腕が突き出していたのだ。その周囲の土砂は『何か』で真っ赤に染まり、ピンク色をした『何か』が一面に飛び散っている。その『何か』はケンスケの顔や身体、衣類にも点々と跡を残していた。

 不幸なことに、トウジは『それ』が何なのか理解してしまう。


「ふ、古田…う…うぁ…」


 それはケンスケに無理矢理連れてこられたヨウイチの、変わり果てた姿だった。トウジはパニックを起して叫びだしそうになる。


「う…うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


 だが、トウジより先に叫び声を上げたのはケンスケだった。機先を制された形になったトウジは、逆に頭が冷える。彼は叫び続けるケンスケの襟首を左手で掴んでつるし上げた。


「ひぃっ!?」

「ド阿呆っ!んな所でボケっとしとる場合かっ!さっさと正気に戻らんかいっ!」


 だがケンスケは、顔に赤やピンクの斑点をつけたまま、首を左右に振っていやいやをするだけである。トウジの頭に血が上った。

 その瞬間、鈍い音が響く。それはトウジがケンスケの顔面に頭突きを食らわせた音だった。


「ぎゃっ!」


 ケンスケが鼻血を流す。トウジはそれにかまわずケンスケを怒鳴りつけた。


「何考えとんじゃっ!古田のようになりとうなかったら、さっさと自分の足で立って歩かんかいっ!いつまでもここにおったら、今度こそ潰されてしまうんじゃ!!」


 ケンスケはトウジの剣幕に怯えたか、がくがくと震える足で立とうとした。しかし、その両足は言う事を聞かない。トウジは舌打ちするとケンスケを荷物のように抱え上げた。

 その瞬間、初号機が身じろぎする。


「おわっ!?」

「ひいぃっ!!」


 トウジが見上げると、烏賊のような使徒が初号機の間近にせまっており、その鞭のような触手を初号機が手で受け止めていた。使徒の鞭は高熱を発しているらしく、初号機の両掌はぐずぐずと溶けかけている。

 その時、エヴァ初号機の外部スピーカーから女性の声が響いた。


『そこの二人っ!いそいでこの中に入りなさいっ!』


 トウジは一瞬わけがわからなかった。だが彼の視界に、初号機のエントリープラグが半分イジェクトされ、そのハッチが展開しているのが映る。

 トウジは意を決して、初号機の装甲の凹凸に手をかけてよじ登り始めた。火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか、震えて動けないケンスケを抱えているというのに、トウジはするするとエントリープラグまで登っていく。彼の頭の中は訳の分からない怒りと憤りに満たされていた。だがそれにもかかわらず、彼は何故か妙に冷静さを保っている。

 アドレナリンが大量に放出されているのだろうか、トウジは折れた右手中指が訴える苦痛も何ら気にならなかった。



 ハーフイジェクトされたエントリープラグの中で、シンジは次の戦法を考えていた。


(……?)

(うんうん。確かに僕もあの脳天気な乳牛サンの言う事は無茶だとは思ったけどさ。でも、ある程度覚悟は決めたからねえ。確かにマーナはまだまだ足りないけれど、仕方ないから奥の手を使うことにする……ってね。で、奥の手を使うことに決めちゃえば彼我の戦闘力比は逆転。今度は一気に余裕ができる)

(……)

(となれば、今度は彼らを助けても別にかまわないわけだ。余裕があるんだから。第一、あんまり牝牛サンをないがしろにすると五月蝿いし。まあ、並の手段の次が一気に奥の手で、中間の手段が無い、もしくは使えないってのは問題だけどねぇ…)


 シンジは溜息をついてエヴァ初号機の右脚へ意識を向ける。その部位は、あきらかに内部に仕掛けられた爆弾の類で爆砕された形跡を残していた。彼は人知れず舌打ちをする。


(……あきらかに僕を狙った破壊工作だ……。マーナが足りないからって、警戒手段をけちりすぎた……ね。油断だったなぁ。今後は警戒を密にすることにしよう。君も充分気をつけておいてね)

(…………)

(そうだね……。近いうちにどこかで人間の屍を調達できるといいんだけど。なんだったら髪の毛だけでも。見張るだけなら、最低位のあの術で充分だし、マーナをそれほど消耗しないし)


 シンジはネルフ内部の人間に対して警戒を怠りすぎていた自分に対し、腹を立てていた。彼は、彼が生存するのに必要な『マーナ』と呼ばれるエネルギーを確保する見通しが立ったことに浮かれていたのだ。

 シンジはそんな自分をきつく戒める。もっとも、彼は表面的にはかけらもそんな様子を見せていなかった。

 ふと彼はエントリープラグの天井を振り仰ぐ。そこはハッチが開かれており、L.C.L.の水面を通して青空が見えていた。突然その水面が泡立つと、二つの人影がプラグ内に飛び込んで来る。


「げほっ!な、なんや水…やとっ!?」

「ひぐっ!」


 それは先程初号機の装甲をよじ登っていたトウジとケンスケだった。

 トウジは多少驚いた様子を見せたが、思っていたよりは慌てていない。もしかしたら、既に精神の一部が麻痺しているのかもしれない。

 ケンスケは逆に、ほとんど周囲の状況が理解できていなかった。彼は完全に怯えきって、身体を丸めて縮こまっている。


「やっほー。お二人様、ごあんなーい。どっか適当に座っててくれるかな?」


 シンジは暢気に声をかける。その脳天気さにむかついたのか、トウジが食って掛かった。


「だ、だぁほっ!何考えとんじゃっ!!古田がロボットの下敷きになったんやぞっ!!」


 シンジはそれを聞いても、なんら顔色を変えない。彼はいつものへらへらとした様子で、トウジに応える。


「へー、そら御愁傷様。でも、さすがに僕のせいとは言わないよね鈴原君?」


 彼はそう言ってクスクス笑った。トウジはシンジをまじまじと見つめる。


「ひ、人が死んだんやぞ…?クラスメイトが…」

「そりゃ可哀想だとは思うよ?でもね、今そんなことでウダウダ言ってる場合じゃないんだ。後から落ち着いたら、ゆっくりと彼の死を悼むことにするよ」


 シンジは顔にへらっとした薄っぺらい笑顔を貼り付けたまま、そう応えた。トウジはそんな彼に、まるで別種の生き物を見るかのような視線を向ける。

 そのままシンジはエントリープラグを通常位置へ戻す操作を行った。内壁のスクリーンが稼動し、そこに使徒の姿がアップで映し出される。


「ひ…ひいいぃぃっ!!」


 ケンスケが泣き叫んだ。スピーカーからはミサトの怒鳴り声が響く。


『今よ!後退してっ!』

「何処にですかぁ?」


 シンジの暢気な声に、ミサトは怒鳴り返した。


『エレベータから本部へに決まってるでしょっ!』

「無理」


 シンジはクスクス笑いながら応える。彼はミサトがまた何か言い出す前に言葉を続けた。


「よく考えてくださいよ〜。初号機の右脚うごかないんですよ?どーやったってエレベータまで逃げられませんてば〜」

『そこは根性でなんとかしなさいっ!男でしょ!』

「無理ですって」


 シンジはへらへら笑いながら、ふっと半眼になる。次の瞬間、トウジとケンスケの身体に凄まじい衝撃が加わった。


「がっ!」

「ぎゃあっ!?」


 同時にエントリープラグの通信機がバチッと音を立てて沈黙する。プラグ内のスクリーンもまた、電源が落ちて外の様子を映さなくなった。

 内部機器のどこかがショートしてL.C.L.内に漏電したのだろうか、トウジとケンスケの皮膚には感電特有の引き攣れたようなかすかな火傷痕が残っている。彼らの身体は力なくL.C.L.の中を漂っていた。

 だが不思議な事に、シンジにはなんら影響は無い。剥き出しになっている顔にも、感電の痕は存在していなかった。


「……さあて。……これで通信回線もプラグ内モニター回線も死んだね。これで発令所には情報は漏れない……」

(……)

「うん、頼むよ。じゃあいっちょ行きますかね」


 そう言うとシンジは両目をつぶり、スクリーンに全く頼らずに初号機の目と同調した。彼の顔面には、うすぼんやりと無気味に光る紋様が浮き出ている。その光る紋様は、次第にその形を立体的に変化させていった。

 そしていつしかシンジの顔面には、素焼きの陶器のような材質でできている、漆黒の仮面がはまっていた。仮面の表面は、金色の塗料で輝く紋様が描かれている。周囲を異様な雰囲気が包んだ。

 シンジは初号機の右手で掴んでいる触手を放す。その触手はうねる様に動き、初号機を貫かんとする。だがそれよりも早く、初号機の右掌打が使徒のコアへと放たれた。


 ゴワンッ!


 金属質の音と共に、その掌打は使徒のA.T.フィールドに阻まれる。だがシンジはぶつぶつと何やら呪文を唱えつつ、自分の両手で印を切ると、ぽつりと呟いた。


「爆……」


 次の瞬間、使徒のコアが爆発した。使徒の命の源である紅い球体が、跡形も無く粉々に吹き飛んだのである。それは眼前の使徒の『死』をしめしていた。一拍おいて、使徒の巨体がぐらりっと傾くと、ズズン……と音を立てて崩れ落ちた。

 シンジは、ふぅっと息を吐く。彼の顔を覆っていた漆黒の仮面は、いつの間にか姿を消していた。彼はエントリープラグをハーフイジェクトさせるとハッチを開き、そこから身を乗り出して深呼吸をする。


「はあぁ……。一応なんとかなったけど、問題は山積みだなあ。困ったもんだ。……ま、とりあえずは回収班待ちか。鈴原君と相田君も起こさなきゃね」


 そう言って、シンジは空を仰ぎ見る。そこには彼を回収に来たネルフのヘリが飛んでいるのが見えた。



 シャワーを浴びてL.C.L.を流し落とし、いつもの制服に着替えたシンジはパイロット控え室に戻った。そこには満面に不機嫌さを漂わせたミサトと、一見無表情なリツコが待っていた。


「シンジ君……少し話があるの。いいわね?」

「かまいませんよ?」


 シンジはいつものへらへらとした笑顔で応える。ミサトは苛々した様子を押し隠しながら――全然隠せていないが――詰問した。


「どうして撤退命令を無視したの?」

「だから無理だって言ったじゃないですか。エヴァに乗ってない葛城さんには解らないかもしれないけれど、右足がとんでもなく痛かったんですよ?動かせないくらいに。そんな状態で、右足を引き摺りながら歩いたって、退避用エレベータに行き着くまでに、あの使徒のスピードなら確実に捕まっちゃいますって」

「だからって……」

「確かに貴方の言う通りね。シンジ君」


 ミサトを遮ってリツコが応える。ミサトは不満気な様子だったが、彼女とてシンジの言い分が正しいのは、理性では理解しているのである。彼女は不承不承矛を収めた。

 すっとリツコがミサトの前へ出る。彼女は彼女で、シンジに聞きたいことがあるようだ。


「シンジ君、私も少し聞きたいことがあるの。まず、最後に使徒を倒したときの攻撃……あれはどういう物なのかしら?初号機の掌打は使徒のA.T.フィールドに阻まれて、コアにとどいていなかったように見えたけれど」

「ああ、あれですか。あれは奥義の一つで浸透勁っていうものですよ。発勁の一種類で壁向うの敵を倒すための技、と言えばわかってもらえるでしょうか。あ、理屈とかは自分でもわかりませんからね。身体で覚えた技ですし。……まあ正直、賭けだったんですけどね。まだ成功したのは今回を含めて、片手で数えられるぐらいしかなかったんですが」


 シンジは飄々と大嘘を答えた。今回使徒を倒したのは武術の技ではなく、シンジが隠している『術』の力である。だがリツコはその大嘘を一応は信じたようだ。と言うより、疑うための材料が無いだけではあるのだが。

 リツコは更に質問を続ける。


「ところで、今回エントリープラグに貴方の同級生を二人も入れたわよね。普通パイロット以外の『異物』をプラグに入れると、神経接続が滅茶苦茶になってシンクロ率が致命的に落ちるんだけれど……何か異常を感じなかった?」

「いえ全然。初号機の右足の痛みとか、敵の触手を受け止めたときの掌の痛みとか、しっかり感じ取れましたし。動きも赤木博士がご覧になったとおり、全然違和感とか無かったですよ」

「そう……」

「ところで葛城さん、赤木博士」


 リツコが長考に入りかけたとき、今度はシンジが逆に話しかけた。ミサトもリツコも、はっと顔を上げる。

 シンジはのほほんとした張り付いたような笑顔で問いかける。


「なんで初号機の右足が爆発したかわかりますか?見た感じ、なんか破壊工作じゃないかって気もしますけど。下脚部の内側で爆弾が爆発したような見た目でしたし」

「ああそれは現在調査中よ。今、保安諜報部が動いてくれているわ」


 リツコがしれっとした顔で答える。だがシンジは一瞬彼女の口元が軽く引きつったのを見逃していない。彼は続けて質問する。


「それと肩のウェポンラックにプログナイフ……でしたっけ?それが入ってなかったのはどう言う……」

「それについては整備班長が今、取調べを受けているわ。職務怠慢として、多分なんらかの懲戒処分が下りるでしょうね。今後はあんな事が無いようにするわ。技術部からもお詫びするわ、ごめんなさいね」

「そうですか……。じゃ、葛城さん」


 シンジは今度はミサトに顔を向ける。ミサトは不審そうに右眉を上げた。


「あのシェルターから出てきた馬鹿どもの事ですけど、なんであんな簡単にシェルターから出てこれるんですか?シェルターの意味、ないでしょうに」

「あ、え、ええ。今、彼らを病院で検査してるから、その後で取り調べる事になるわ。その結果によって、改めるべきところは改める事になるわね」

「あと、彼ら……て言うか鈴原君の話によると、一人僕のクラスメートが初号機の下敷きになって死んでるらしいんですが」


 その話になったとたん、ミサトは表情を曇らせた。シンジは『相変わらず単純な女性だなあ』と感慨を抱く。


「……ええ、一人。第三新東京市第壱中学2年A組、古田ヨウイチ君。彼も彼らと一緒にシェルターを抜け出して来たみたいね」

「自業自得だとは思うんですが、それで切り捨てるわけにもいかないんでしょうねえ。葬儀とかには僕も出席した方がいいんでしょうかね。彼の親御さんに殴られにいくような物ですが。学校とかも少し居づらくなるかもしれませんね」

「そう、そう……ね。でもその件についての責任はシンジ君には無いわ。シェルターを出てきたのは彼の方だし、吹き飛んだ初号機があそこに落ちるなんてのは偶然だもの。不可抗力よ。だからシンジ君、あんまり気にしないで……」

「いえ全然気にしてませんが」


 のほほんと笑うシンジに、ミサトは引き攣った。その様子を脇から見て、リツコは深く考え込んでいる。


(クラスメートを初号機で押しつぶして死なせた事にも、動揺を見せない……。彼の精神を追い詰めるのは困難に過ぎるわね。となると……一体どうしたものかしらね)


 そんな彼女の様子を、シンジはへらへら笑いながら、しかし鋭い眼光で見つめていた。彼は思う。


(……どうやら今回の事は、ネルフの上の方が仕組んだ事みたいだな。しかも赤木博士がそれに関わっているらしい。しかし動機がわからない。僕を殺そうとしたのか?わからないな。……今度、心を読んでみるか?しかしけっこう高位の術法だからなあ。マーナの消耗も考えるとなあ……。術を使わずに調べられる範囲は調べておいて、それから、だな)


 シンジはへらへらとした薄っぺらい笑顔の下で、忙しく今後の策を練っていた。



 シンジは戦闘後の定期健診を終えたあと、ネルフのゲート前までやって来ていた。ゲートにIDカードを通し、のんびりと歩きながら彼は外へと出る。だが、ふと彼は足を止めた。そこに一人の人影を認めたからである。


「……綾波」


 レイはゲート外の壁際によりかかりながら、俯き加減で立っていた。だが彼女はシンジの声が聞こえると、はっと顔を上げた。

 シンジはレイに歩み寄る。その顔にはいつものへらへら笑いではなく、暖かみを感じさせる柔らかな笑みが浮かんでいた。


「碇……君」

「どうしたの綾波。こんな所で。誰かを待ってたの?」


 レイは戸惑ったように目を泳がせる。確かに彼女は待っていたのだ。それも当の碇シンジを。だが何故シンジを待っていたのかは、レイ自身にもよくわからなかった。

 シンジは怪訝そうな顔をする。だがしばらくして頭をぽりぽりと掻くと、口を開いた。


「ま、いいか。綾波、病み上がりなんだからあんまり無理しちゃ駄目だよ?僕はもう行くけど……」

「待って」


 レイはシンジを思わず呼び止めた。シンジはきょとんとした表情で、歩き出しかけた足を止める。レイは何か言おうとするのだが、言葉が見つからない。彼女は口を開きかけては閉じ、開きかけては閉じを繰り返すばかりだった。

 シンジは再度ぽりぽりと頭を掻くと、ゆっくりと語りかける。


「……綾波。焦らなくてもいいんだよ。何か僕に言いたいことか、聞きたいことがあるんだよね。それで僕を待っていたんだろ?」

「……ええ」

「だったらゆっくりで良いから。そうだな……僕のことで何か問題でもあったのかな?」

「……いいえ、問題ない……と思う」

「じゃあ、僕に聞きたいことでもあるのかな。まあ、よっぽどの事じゃないかぎり答えるようにはするよ?」


 シンジは優しげな笑みを浮かべつつ、そう言った。レイはしばらく迷ったように視線を泳がせていたが、やがてシンジの目を真っ直ぐに見据えて問いかけた。


「……碇君。貴方は何者?いえ、貴方は『何』?」

「!」

「……貴方が只者ではない事はわかる。けれど『何か』が違う。……違和感がある。どうしても解消できない違和感がある」


 シンジは目を見開いてレイを見つめる。レイも見つめ返す。そのまま二人はしばしの間、固まったように動かなかった。

 だが、やがてシンジは大きく溜息を漏らした。そして彼はレイに向かって、苦笑を浮かべながら言った。


「僕……ねえ。僕は僕としか言い様がないんだけれど……。どう答えればいいのかな……。そうだ、ね。ちょっとした『魔法使い』って所か……な?まあ、今のところはそれぐらいで勘弁してもらえると有難いけどね」

「……魔法使い?私の傷を治したのも……魔法?」

「まあね。僕はそれが敵でないかぎり、『造られた者』に対しては誠実でありたい……って思ってるからね。ちょいと思い入れがあってね」

「!」


 レイは『造られた者』と言う単語に、驚愕の表情を浮かべる。それは自分とネルフ上層部しか知らないはずの極秘事項だったからである。

 シンジは更に言葉を続ける。


「君は気配が似てるんだよ。普通の人間よりもエヴァンゲリオンとかの方に。エヴァが人造人間なら、それと似ている気配の君も『人造人間』って事じゃないのかな?」

「……貴方……は……」

「……誰にも言うつもりはないよ。安心して。でもさ、武術の達人……本物の本当の究極的な達人に限るけどね、そういう人達にも気配が読める人はいるからね。まるで超能力者みたいに。だから気をつけたほうがいいよ」


 そう言って、シンジはぽんぽんとレイの肩を叩く。そしてその掌をそのままレイの頭に移し、その柔らかな髪を何度も撫でた。レイは当初身体を強張らせていたが、やがてゆっくりと緊張が解けていった。

 シンジはレイが落ち着いたのを見て取ると、手を下ろした。


「僕の秘密はまたそのうちに。もっと詳しく話してもいいと判断したら、教えてあげるからさ。『魔法使い』ってのもできれば内緒にしといてね。……まあ、誰かに話しても本気にされないとは思うけれどさ」

「……そう」

「ところで僕は帰るけど、君はどうする?なんなら途中まで一緒に帰る?」


 レイは一瞬躊躇した。が、やがてこくんと頷く。シンジは朗らかな笑みを浮かべた。


「じゃ、行こうか」

「……」


 シンジはゆっくりとした足取りで歩き出す。レイはそれに並んで歩き出した。レイのシンジに対する警戒感が無くなったわけではない。だが同時に、レイにはシンジが少なくとも敵ではない、とも感じられていた。シンジがわけのわからない存在であることには変わりが無い。だが最低限の信頼はしてもよい存在だ、とレイは思う……いや、思いたがっている。レイはそんな自分の心の動きに気づいていなかった。


あとがき

 おひさしぶりでした。ようやくの第5話UPです。
 トウジ、結局ケンスケと一緒にエヴァのプラグに入る羽目になっちゃいました。ケンスケ、心神耗弱状態です。あっはっは。
 そしてとうとうオリキャラのヨウイチ君!あえなく退場でございます。ケンスケの迷惑行動に巻き込まれる形で命を失ってしまいました。
 さて、綾波さんですが、いよいよ「始まった」という所ですか。いきなりシンジ君がぶっちゃけちゃいましたからねえ綾波さんの秘密を知ってることを。これが良い方へ転がればいいんですがね。

 さて、ここまで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
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