第4話:爆発
シンジは屋上で風に吹かれていた。
彼の表情に、あの張り付いたような笑みは今は無い。
その眼差しは何かを睨みつけるかのように、彼方を見つめていた。
「ぜーっ、ぜーっ。…ようやく見つけたでぇ」
その声に、シンジは振り向いた。
彼の顔には、もう薄笑いが張り付いている。
そこには先ほどのジャージ少年と、相田と呼ばれた眼鏡少年が荒い息で立っていた。
おそらくシンジを探して相当走り回っていたのだろう。
「ひ、ヒーローは屋上でひ、ひとり孤独にひたる…か。か、かっこええのう、ぜーっ、ぜーつ…」
(彼の方はかなりかっこわるいな…)
シンジはそう思った。
「あー、お誉めにあずかり恐悦至極に存じますです。…君等は?」
「あー、俺は相田ケンスケ、こいつは鈴原トウジって言うんだ。碇、だったよな」
眼鏡少年…ケンスケがシンジに応えた。
トウジと呼ばれたジャージ少年の方は、むっつりと黙って、噛み付きそうな顔でシンジを見つめるだけだ。
「うん、碇シンジという旅の者さ、ふっふっふ。よろしくね眼鏡君ジャージ君」
「鈴原やっ!」
「あ、相田だってば…め、眼鏡君て…」
シンジはクスクス笑った。
「…で?僕に何の用だい?どうも無視しても無駄みたいだしねぇ…」
「あ、えーと」
ケンスケがまず口火を切る。
「おまえがあのロボットのパイロットなんだろ?隠したって無駄だぜ。パパのパソコンのデータを見たんだ」
「ふっふっふ、それについては教えられないな。確かに僕はネルフである特殊な『実験』に被験者として参加する立場にはあるんだけどねぇ。でもその内容については守秘義務てぇのがあるのだよ、はっはっは。
だからそれについては僕からはイエスともノーとも言えないねぇ、たとえバレバレであってもね。
あー、ちなみに相田君だったね。たぶん君のお父さん、今の君の一言で減俸になると思うよ。て言うか、減俸ですんだら御の字だね」
シンジはまるで春風…15年前からこの国には夏しかないが…のような笑顔で辛辣なことを言う。
ケンスケは、ぐっと詰まった。
「つ、告げ口するのか?」
「告げ口って…そういうレベルの問題じゃないよ。もしかしたら君、どこかのスパイかもしれない。そういう存在を放っておいたら僕自身の安全に関わるからね。
だから君のやったことを事細かに報告して、背後関係を調べてもらわなきゃならない。これは絶対に譲れないよ。それで何も無しでただの君の好奇心であれば、めでたしめでたし。もしもそうでなければ…。クスクスクス…」
シンジは人の悪い笑顔を浮かべる。
しかしその目は笑っていない。
というか、彼はそのように演技しているだけであるのだが。
シンジにはケンスケがただの好奇心でそのようなことをしているのはあからさまにわかっていた。
つまり、これはただ脅して釘をさしているだけである。
嫌な汗をかいて黙ってしまったケンスケを押しのけて、トウジが前に出た。
「なんやかやゴチャゴチャ言うとったみたいやけど、要はお前がパイロットなんやろ!?…ワシはお前を殴らなアカン、殴らなアカンのや!!」
そう言うとトウジは思い切り振りかぶって殴りかかってくる。
シンジはその拳を避けなかった。
トウジの拳はシンジの顔面を直撃した。
ごぎぃっという嫌な音と、ペシっと、妙に軽い音がする。
「…ぐ…あ…」
トウジはシンジを殴った右拳を腹に抱えるようにして、うずくまっていた。
シンジの身体はいつのまにか筋肉の緊張で1.5倍程度のボリュームに膨れ上がっている。
彼の新品の制服とシャツは、要所がゴムで改造されているらしく、今回は破れていなかった。
「指が折れたみたいだね。大丈夫かい?…あ。鼻血だ」
シンジは鼻から流れ出た血をハンカチで拭った。
たったそれだけで鼻血が止まる。
指が折れるほどの威力で殴られて、ちょっとした鼻血で済むというのもそれはそれで凄い。
「なっ…なめとんのかぁっ!!」
トウジは激痛にもかかわらず、必死で立ち上がると逆手で殴ろうとする。
シンジはその腕を取るとそのまま関節を極めた。
「がっ!がああぁぁっ!!」
「ト、トウジっ!」
ケンスケは青くなってシンジを止めようとする。
しかし、シンジにひと睨みされただけでその足が止まった。
シンジの表情はいつもどおりのへらへら笑いだが、その目は恐ろしい光を宿していた。
もっとも、それもまた彼の演技ではある。
シンジは笑いながらケンスケを威圧した。
「眼鏡君、彼が何故殴りかかってきたのか知ってるならおしえておくれよ」
「あ、え、あぁっ…。と、トウジの妹が…二週間前の戦闘で重傷を…。あ、あ、く、崩れたビルの下敷きに…。そ、それで、あ、あのロボットがう、うまくやらなかったせいだって」
シンジがケンスケの話を聞いていると、いきなりトウジが右手で殴りかかった。
彼の左腕は極められたままである。
無茶な動きをしたため、その腕には相当な激痛が走ったはずだ。
シンジはくすっと演技でもなしに笑ってその拳をかわし、うまく受身が取れるようにトウジを投げ飛ばした。
彼は聞こえないほどに小さく呟く。
「指が折れてる右手で殴りかかる、か…。俗人にしてはいい根性だねぇ。…それにそこそこの器用さもある。脳は足りなさそうだけども、そんなものは精神力とか、他の素養に比すればたいした問題でもないし…。鍛えてみたい素材だな…。
と言っても、『仮面』はおろか『石』すらも手に入らないよね…。つまんないなあ…」
シンジは自嘲気味の笑みを浮かべた。
そしてつま先でトウジの脇腹のツボを突く。
「がっ!!」
トウジの全身が麻痺し、硬直する。
が、それでもトウジは無理矢理に立ち上がろうとした。
しかし彼はすぐに倒れそうになる。
そのトウジを、シンジは支えた。
「鈴原君、だったね。いい根性だね、気に入ったよ」
そしてシンジは、にっこりと微笑んだ。
それはいつもののほほんとした作り笑いではなかったが、レイに向けたような心温まる笑顔でもなかった。
それは見る者の心胆を寒からしめるような不気味な微笑みだった。
トウジとケンスケは、さきほど見た『おそろしい目』が単なる演技でしか無かったことを否応無しに思い知らされる。
ケンスケはへたりこんだ。
だが、トウジはそれでもシンジを振りほどこうと抵抗する。
「麻痺した身体で、よくやる…。鈴原君、はっきり言っておくよ。僕は僕が生き延びるために戦っている。けっして見たことも聞いたことも無い他人を守るためじゃないんだ。
僕は僕と、僕の大事な物を護るためだけに戦う。そして君も君の妹も、僕にとっては護る対象ではないんだ。勝手な義務を僕に負わせないでくれ」
シンジはクスクスと笑う。
トウジは彼を親の仇でも見るような目で睨みつけた。
「ま、余裕があったら護ってもいいさ。けれどね、それを期待しないでくれないかな?君の妹は君の大事な者なんだろう?だったら、君自身が身体を張って護らなきゃ…ねぇ?」
シンジはそう言って、トウジの頬をぺろりと舐めた。
トウジの全身に鳥肌が立つ。
「な、なにすんのやぁっ!?へ、変態かぁっ!?」
「いや、こうすれば君が嫌がるだろうと思ってねぇ。僕だって男の顔なんか舐めたくなかったよ。けれど、君のそういう顔が見られたならその価値はあったってもんだ。
つまりはただの嫌がらせってことだよ。あははは」
そう言ったシンジの顔は、またいつものへらへら笑いに戻っていた。
そこには『ふ』がある。
それは『負』。マイナスであるもの。
それは『不』。否定するもの。
それは『腐』。長きときを経てくさりはてたもの。
それは『武』。敵を滅するもの。
それは『怖』。まわりを恐れおののかせるもの。
そしてそれは再び『負』。陽のひかりと相容れないもの。
そこにあるのは闇。
そこにあるのは夜。
そこにあるのは眠り。
そこにあるのは死。
けれどそこに安息はない。
そこにあるのは、おわりなき苦痛と恐怖。
苦痛と恐怖の仮面。
漆黒の仮面。
仮面にかくれてる顔が見えない。
アナタ、誰?
いえ。
アナタ、『何』?
「綾波?」
レイはシンジの声で正気に返った。
シンジが教室を出て行ったあと、彼女自身にも説明できない感情にさらされ、彼を追って教室を出てきたのだ。
そして今、シンジが浮かべた笑み…恐怖を誘うあの笑みを目の当たりにして、一瞬意識が飛んでいたようである。
レイにとって、このような事態はまったく経験の無いことだった。
彼女はシンジの顔を、まじまじと見つめる。
そこには、あの柔らかな微笑みが浮かんでいた。
レイはほっと溜息をつく。
彼女は安堵していた。
もっとも、彼女はそれが安堵というものだということを、よく理解していなかった。
「あー、綾波?綾波さん?」
レイははっと顔を上げた。
シンジがけげんそうな顔で覗き込んでいる。
ちなみに彼の右手には、身体が麻痺したトウジがまだぶら下がっていた。
レイは胸の中にもやもやしたものを感じ、居心地が悪くなって踵を返そうとする。
そのとき、レイのポケットで携帯電話の呼び出し音が響いた。
彼女は携帯電話を取り出し、メッセージを確認する。
「…非常召集。先行くから」
レイはそう言って、階段へと駆け出した。
シンジは溜息をついた。
「…あの娘も、よくわからないよなぁ。…まあ、アレがナニしてどうなってるのかはなんとなく理解できなくもないけどさぁ…」
彼は、レイの非人間的とも言える周囲への無関心さ、感情の無さの理由に心当たりがあった。
彼は空を仰いで呟く。
「…しかし、所詮は俗人のやること、か。『本職』に比べれば全然甘いねぇ。『本職』がやったって、いつかは『解け』ちゃうもんだけどさ」
そしてシンジは走り出そうとした。
しかし、彼はぎりぎりで右手にぶら下げてるものの事を思い出す。
もしそのまま走り出したら、トウジはひきずられ転がされてコブだらけになっていたろう。
「おっと忘れてた。謎の鈴原君、ちょっと待ってね」
そう言ってシンジはいきなりトウジを一本貫手で突きまくった。
「あだだだだだだだだだだだだっ!?き、きさん、なんばしょっとっ!」
「ソレ、関西弁じゃない気がするけど…ま、何にせよ身体動くようになったろ?じゃ、僕行くから」
「あ…ほんまや…ちっ」
へらへら笑いながら駆け出すシンジを見ながら、トウジはその場に座り込んでいた。
いいようにあしらわれた悔しさ、相手に反論もできなかった情けなさ、自分のやったことが八つ当たりであるという自覚と自責、そんなものが彼の心の中で渦巻いている。
トウジは自分の右手を見ていた。
折れた中指が、自分でも気づかないうちに見事に整復され、あげくにボールペンで添え木を当てられている。
「くそっ…馬鹿にしよってからに」
そう言って歯を食いしばるトウジの頭の中では、シンジの言った台詞が何度も繰り返されていた。
『…君の大事な者なんだろう?だったら、君自身が身体を張って護らなきゃ…ねぇ?』
「…くそっ!わーっとるわいっ!」
そう叫んで、彼は右手で床を叩きつける。
当然、彼は苦痛の悲鳴を上げ、そのまま七転八倒するはめになった。
ちなみにケンスケは、まだ腰を抜かしていた。
発令所のスクリーンには、赤い色の烏賊によく似た怪物が映し出されていた。
それは戦略自衛隊の攻撃をものともせず、低空を浮遊しつつ第三新東京へと侵攻してくる。
「碇司令の居ぬ間に新たな使徒襲来…か。意外と早かったわね」
「前回は15年のブランク、今回はたった三週間ですからね」
作戦部のミサトとマコトが、映像を見ながら軽口を叩きあう。
まったく効果の無い戦自の攻撃に、冬月が嘲笑混じりの愚痴をもらした。
「…税金の無駄遣いだな」
たしかに戦自の攻撃はまったく効果を上げず、有効な威力偵察にもなっていない。
若干ながら、敵の防御力が非常に高いということがわかった程度であった。
「葛城一尉!委員会よりエヴァンゲリオン出撃要請が入りました!」
司令部付きオペレータのシゲルが報告する。
ミサトは苛立たしげに眉を釣り上げた。
「うるっさいやつらねぇ、言われなくたって出撃させるわよ。リツコ、準備いい?」
「後は命令待ちよ」
「そう…」
ミサトは使徒の映像を睨みつける。
まるで親の仇でも見るような目だった。
「あーっ、クソ!まただよ!せっかくのビッグイベントだってのに…」
ケンスケはシェルター内で、ビデオカメラの液晶モニタでニュースを受信していた。
そこにはネルフ広報部が流した偽情報が映し出されている。
ケンスケは隣に座っていた友人に話し掛けた。
「トウジ…」
「あ?な、なんや?」
トウジは考え事を中断し、ケンスケのほうへ顔を向けた。
その顔は、あからさまに苛々している。
ケンスケはちょっと腰が引けたが、気を取り直して話し掛けた。
「なぁ…内緒で外出ようぜ?」
「なんでや」
トウジはブスっとした顔で聞き返す。
ケンスケは眉根を寄せて彼に言い募った。
「なんでって…こんなビッグイベントだってのに、外の情報はホレ、このとおり何も見せてくれないんだぜ?死ぬ前に一度でいいから見たいんだよ」
「アホかケンスケ!外出たら死んでまうで!?」
トウジはあきれかえった顔でケンスケを怒鳴る。
ケンスケはあわててトウジの口を塞いだ。
「しーっ!しーっ!!…はぁ、頼むよ。なあ、このままここにいたって死ぬかもしれないんだぜ?だったら一目怪物とロボットの戦いを見たいんだよ。
なあロックボルト外すの手伝ってくれよ」
「…やめとき。あの転校生がパイロットやで?奴も言っとったやないか。ワシらは護るべき対象やないて。
ヤツは自分が生き残るためやったら平気で誰かて殺すわ。出てって邪魔んなって、踏み潰されても知らんでワシ」
トウジは心底嫌そうに呟く。
だがケンスケは諦めようとしない。
「だけどさ、トウジはそのパイロットを殴ろうとしたんだぜ?あれで奴が戦いに嫌気がさしたりしたら、どうするつもりだよ。なあ、トウジにはあいつの戦いを見守る義務があるんじゃないのか?」
その屁理屈にトウジは多少心動かされたようだった。
だがその直後、シンジへの苛立ちやら何やらが複雑に混じりあった、言いようの無い感情が湧き上がり、ケンスケの屁理屈を押し流す。
「…いやぁアカン!なんと言われようと、ワシは奴が好かん!奴の戦いなんぞ見たないわいっ!たとえお前の頼みでもやっ!
第一、奴は自分のため戦うとる言うとったやないかい!ワシがどうこうしたかて、奴が戦いに嫌気がさすわけがないわいっ!」
トウジは頑としてケンスケの誘いを断った。
だが、彼は自分がある意味でシンジのことを認めているのに気づいていなかった。
屋上で彼が聞いたシンジの台詞は、嘘偽りの無い戦う者の台詞だった。
『自分が死なないために戦う』と言ったシンジの本音を隠さない台詞を聞いたとき、彼は自分が何か薄っぺらな人間であるような気がしたものだ。
トウジは、シンジ自身が生きるために逃げ出さず戦う人間であるということを認めている。
だから彼は、シンジが彼と諍いを起こした程度で戦闘拒否をするわけが無い、と信じる事ができた。
もっともトウジは自分ではそのことに気づいていなかった。
「はぁ…わかったよ…んじゃあ誰か別の奴に頼むよ。わるかったなトウジ、無理言って…」
ケンスケは肩を落として立ち去った。
トウジはそのまま考え込んでいた。
確かに彼はシンジが気に入らないし、シンジの操縦したエヴァがビルを崩したために彼の妹は怪我をした。
だが、それでシンジに当たるのは筋違いだろう。
トウジも乏しい理性でそれを理解していた。
だが、乏しい理性では感情は抑えられなかった。
「くそっ!」
トウジは床に右手を叩きつけそうになって、指が折れているのを危うい所で思い出した。
苛々しながら、彼はケンスケを捜して周囲を見回した。
ケンスケの姿はどこにも無かった。
「あいつ…まさかほんまに地上へ出たんとちゃうやろな?」
トウジの頭には、シンジの台詞が蘇っていた。
『だったら、君自身が身体を張って護らなきゃ…ねぇ?』
「…ケンスケ、あのド阿呆っ!」
トウジはシェルター出口へと駆け出した。
発令所でミサトは、シンジに作戦を説明していた。
彼女は前回の使徒戦でいいところが無かったため、『今度こそは!』と気合満々である。
「シンジ君、射出後使徒のA.T.フィールドを中和しつつ、パレットガンの一斉射撃。先日射撃場でやっていた通りにやればたぶん当たるから」
「たぶん…てミサトあなた、シンジ君の射撃の腕前は結局どの程度まで上達したの?技術部の方でもエヴァの調整などでそう言ったデータは欲しいんだけど。作戦部にちゃんと通知してあったはずよ」
「え゛?あ、あははは…し、シンジ君の射撃は、なかなか、そう、なかなかよあはははは」
ミサトの乾いた笑いと額に浮いた汗に、リツコは溜息をついた。
作戦部においてミサトの次席であるマコトは、がっくりと肩を落とす。
(…彼の射撃練習も結局僕が見たんだよな。で、報告書にまとめて葛城さんの机に置いといたんだけど…。葛城さんのハンコかサインが無いと他に回せないんだけどな…。
作戦課内、せめて作戦部内の書類なら僕の承認だけでもなんとかなるけど…。他に回す書類ぐらい処理してほしいよな…)
ちなみにシンジの射撃の腕は、素人丸出しである。
銃火器は扱ったことが無いので当然だろう。
余談ではあるが、弓であれば洋弓和弓ボウガン問わず、かなりの腕前である。
『あのー、ちょっと作戦内容で質問があるんですけどー』
シンジが初号機から通信してきた。
「ん、何?」
『A.T.フィールドの中和って、どうやるんですか?まったく何にも説明受けてないんですけどー』
マコトを除いた発令所の面々の視線がミサトに集中する。
ミサトは背中に嫌な汗をかいた。
「あ、え、ええっとソレはね…た、たしかエヴァもA.T.フィールドを張れるから…。え、ええと日向君説明してあげて」
(ミサト…書類読んでないのね…)
リツコのこめかみに血管が浮かぶ。
マコトはあわててシンジに説明した。
「シンジ君、エヴァンゲリオンもA.T.フィールドを展開することができるんだ。A.T.フィールドはA.T.フィールドをぶつけることで相殺、侵食させて中和することが可能なんだ」
『はぁ、了解しました。で、もう一つ質問ですけどー』
ミサトは苛々してきた。
もう使徒の現在位置は射出予定地点までそんなに距離が無い。
「こんどは何!?」
『ええ、A.T.フィールドってどうやって展開するんですか?』
「訓練どおりやればいいのよっ!あんたこのあいだA.T.フィールド展開実験やったんでしょっ!?」
ミサトはブチ切れて叫んだ。
そのミサトの後ろから、リツコの冷たい声が響く。
「…どうも変な作戦内容だと思ったのよ…ミサト、あなたその実験の報告書、読んでないのね?」
「え?そんな報告書はウチには…」
マコトが不思議そうな声を上げる。
それに被せるようにしてマヤが叫ぶ。
「わ、私ちゃんとあの報告書、作戦部にも回しました!私、自分で葛城一尉の机まで持っていって、ちゃんと渡したんですっ!」
「マヤ…。作戦部作戦課への書類はミサトに渡しちゃダメよ。ちゃんと次回からは日向君に渡してね。…そう言えばミサト、その実験のときも寝坊して遅刻。結局来なかったんだったわね」
リツコがミサトに向ける視線は、もはや凍り付いている。
周囲の気温が3℃ほど下がった。
「ミサト…。その報告書の内容だけどね…。シンジ君はA.T.フィールドの展開に失敗してるのよ。A.T.フィールドの展開なんて何年も訓練してきたレイや、ドイツのセカンドですらできてないんだから責めるには当たらないわね。
で、技術部からの意見として、『彼の武術の技を応用すれば、使徒のA.T.フィールドを破ることが可能』『銃器では彼の武術の技を使えないため、戦術の選択としては白兵戦・格闘戦が望ましい』ということも書かれていたはずなんだけど?ねぇ葛城一尉…」
ミサトは滝のような汗を流していた。
冬月、リツコ、マヤ、シゲル等、彼女の腹心たる日向マコトを除いた面々は彼女にとてつもなく白い目を向けている。
ミサトは決断した。
この場をごまかす事を。
「エヴァンゲリオン初号機、発進!」
条件反射でマコトが発進スイッチを入れる。
『はっはっは、ごまかしましたねえええええぇぇぇぇぇ…』
シンジの明るい声が余韻を残して響き渡った。
発令所の片隅で、レイは初号機の発進を見守っていた。
彼女は使徒との戦いを見学することで、今後の任務の参考としたいとの理由でここに居ることを申し出、許可されたのだ。
だが、彼女が申し出たその理由があくまで表向きのものでしかないことに、彼女自身も気づいていなかった。
(…碇君。あなた、『何』…)
彼女にはシンジが理解できなかった。
ケンスケとヨウイチ…彼はケンスケから、女の子の写真を餌に協力を要請されていた…は、シェルターから抜け出して丘の上に立っていた。
「おおっ!凄い、苦労して来た甲斐があった〜」
ケンスケは脳天気にビデオカメラを回しながら叫ぶ。
ファインダーの中には、赤い烏賊のような使徒と、それに向けてパレットガンを乱射するエヴァ初号機の姿があった。
ちなみにヨウイチは、ここまで来る間に必要な肉体労働の大半をケンスケに押し付けられていたため、エヴァンゲリオンと使徒との戦いを見るどころではなく、地面にうつ伏せになってへたばっていた。
ケンスケは、エヴァ初号機の軽やかな動きに魅せられて叫ぶ。
「おお〜!なんて動きだっ!信じられない機動性じゃないかぁっ!」
「何が『信じられない機動性』やっ、だぁほっ!」
罵声と共にケンスケの後頭部を衝撃が襲った。
あわてた彼が振り返ると、そこには真っ黒なジャージを着込んだ少年…トウジが怒りの形相で立っている。
「まさかほんまにシェルターから出てるとは思わへんかったわっ!途中のシャッターが半開きになっとぉの見て、泡食ったでっ!ほんまに死んでもええんかっ!さ、帰るでっ!古田もさっさと起きぃっ!」
「お、おお…」
ヨウイチはシェルターから出たことでケンスケに対する義理も果たしたし、元々エヴァの戦いを見たいとも思っていなかったので、トウジに逆らうつもりはない。
しかしケンスケは違った。
「な…なんだよっ!トウジっ!それでも友達かよっ!おまえは悔しくないのかよっ!こんな凄い見物だってのに、それを奴らぜんぜん情報公開しないんだぜっ!?俺のジャーナリスト魂が疼くんだよっ!そのためなら死んだって…」
「だぁほぉっ!!」
トウジはケンスケを『右手』で殴り倒した。
添え木になっていたボールペンがはじけ飛び、折れた中指があさっての方向を向く。
「友達やから…親友だからやないかいっ!軽々しく死んでもええなんて言うんやないっ!死ぬ言うのんが、どういうことか、わかっとるんかいっ!」
「なんだよっ!トウジにだってわかってるのかよっ!」
トウジとケンスケは睨みあった。
「馬鹿っ!着弾の煙で敵が見えないっ!」
「馬鹿はあなたよっ!」
ミサトはパレットガンを乱射する初号機へ罵声を上げた。
そのミサトをリツコが後ろから書類を挟んだバインダーで殴る。
ちなみに当てたのはバインダーのカドである。
「い…いったいわねぇ!リツコ!」
「何考えてるのよ!いきなり初号機を射出したあげく、『敵のA.T.フィールドが破れるまで撃ち続けろ』って騒いだのはあなたでしょう!」
ミサトの顔が引きつる。
「だ…だけど劣化ウラン弾は防御されたら、着弾のとき煙が上がるのは常識でしょ?だったらあんなに乱射せずに数発ずつのバースト射撃するのは当然の…」
ミサトは必死で言い訳をする。
そのミサトの後ろから、冬月の冷たい台詞が響いた。
「…シンジ君は報告では確かに格闘技の達人らしいがね。彼は軍人教育は受けてはおらんよ。軍人の常識は中学生の常識とは違うことを理解すべきではないかね葛城一尉。
そしてそういう事柄を彼に教育しておくべきだった責任は誰に帰するか、ということもだよ…」
ミサトは硬直する。
冬月はミサトを冷たい目で見ながら、手の中に握りこんだ物を意識した。
(…葛城一尉…サードチルドレンを窮地に追い込むには、彼女さえいればいいようにも思うな。赤木博士に用意させたコレをわざわざ使う必要も…)
だが冬月はその時、リツコが彼を見つめる視線に気づいた。
その視線は冷たく、見透かすようだった。
(…わしにも手を汚せ、と言いたげだな。彼女も葛城一尉の作戦ミスを手遅れになるまで『わざと』指摘しなかったのだからな…。
く、碇め…面倒はいつもわしに押し付けおって)
冬月は手の中の遠隔スイッチをいつでもONにできるよう、親指を乗せた。
(…やれやれ、勝手なこと騒ぐ人だなあ。さあて『初号機』、アレをどう料理しようか。やっぱり前と同様に懐へ飛び込みざま『気闘法』で一撃、が楽かな?アレの鞭は正直かわせないスピードじゃないしね)
シンジはエントリープラグの中で、使徒の殲滅方法を考えていた。
(……)
(うん、そうだね。勝手に動いたら、また文句言われかねないね。…君もこんな短期間でずいぶん物を考えられるようになったじゃない、嬉しいねぇ。
まあそれは僕も考えてたんだよ。銃弾は全部使い切って、やむをえず、って形で格闘戦に移行した方がいいね)
(…)
シンジは発令所が喧々諤々で指示が無いのをいいことに、パレットガンの残弾を全て使徒に叩き込んだ。
「この鉄砲、ぜんっぜん効いてませんよー。仕方ないから殴りますねー」
『あっ!ちょっと勝手に…』
爆煙の中から使徒の鞭が伸びてくる。
その鞭はA.T.フィールドでコーティングされ、異様なまでの破壊力を持っていた。
しかし、シンジと初号機は、完全にその動きを見切っている。
『彼ら』は軽やかな足捌きで初撃をかわす。
使徒はもう一本ある鞭で二撃目を繰り出した。
音速を超えるその鞭は、だがシンジと初号機の動きにはまったくついていけていない。
シンジ駆る初号機は、余裕の動きで鞭をかわそうとした。
睨みあっていたトウジとケンスケは、突然の爆発音に驚いた。
そして彼らは、そこにあった光景に目を奪われる。
「な、なんやっ!なんでっ!!」
「あ、ああっ!?」
発令所では、そこにいるほぼ全員がモニタースクリーンに映し出された画像に恐怖していた。
「なっ!?」
「きゃああああっ!?」
「しょ、初号機がっ!!」
「う、嘘…」
そんな中、リツコと冬月だけが平静を保っていた。
冬月の親指は、あのスイッチをしっかりと押し込んでいる。
レイは発令所の片隅で驚愕の表情を浮かべていた。
いや、それは恐怖の表情と言っても良いかもしれない。
誰かがそれを見ていれば、レイがそのような感情を持っていることに驚いたかもしれない。
しかし、発令所の面々は誰しもがスクリーンに釘付けで、彼女の表情に気づくことはなかった。
(…碇…君…)
レイは自分の心の中に生まれたシンジへの感情を理解できていない。
それはまだ好意とは言えないだろう。
だがそれは単純な好奇心でもない。
もしかしたら、それは恐怖心や警戒心、嫌悪感にさえ近いのかもしれない。
そう言った、それら全てがごちゃごちゃと混ざり合った混沌とした感情が、彼女の中に僅かではあるが、生まれつつあった。
その瞬間、爆発が起きた。
それはさほど大きい爆発ではなかった。
しかし、それはけっして小さな爆発でもなかった。
その爆発は、エヴァンゲリオン初号機の右脛装甲を吹き飛ばし、その下の筋肉層を破壊していたのである。
エヴァ初号機の右足からは、千切れた筋繊維が垂れ下がり、赤黒い体液がだらだらと流れ出していた。
使徒はその隙を見逃さず、鞭を初号機右足にからませる。
初号機は空中を振り回され、叩きつけられた。
大地が揺れた。
発令所で、冬月はポツリと呟いた。
それは誰にも聞こえない程度の小さな声だった。
「…碇のシナリオ通り…か」
あとがき
トウジ、原作と違いケンスケの誘いに乗りませんでした。
そして、かわりの被害者がオリキャラのヨウイチ君!
次回、ヨウイチ君大活躍ですっ!
まあ、どういう活躍になるかはおいといて。
と言いますか、この第4話、主役はほとんどトウジですねぇ。
いや綾波さんも目立ってますけど。
そしてネルフ上層部、シンジ君を追いつめて『彼女』を目覚めさせるために陰謀を発動させました。
でも初号機負けたらどうする気でしょうね。
まだ零号機起動してないし、綾波さんは今とんでもなく精神不安定なんですが。
さて、ここまで読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
今後とも、お見捨てなきようよろしくお願いいたします。
読んでくださった方は、感想、批評などメールや掲示板でお送りいただけるとありがたく思います。
今後のクオリティアップのためにも、ぜひともご協力お願い致します。
感想を書いていただけるのでしたら、mail To:weed@catnip.freemail.ne.jp(スパム対策として全角文字にしていますので、半角化してください)へメールで御報せいただくか、掲示板へお願いします。