第3話:つかの間の日常
仮想空間の中で、エヴァ初号機はパレットガンを持っている。
しかし、初号機は銃を構えようとはしなかった。
バーチャル映像の第三使徒が攻撃をかけてくる。
初号機は華麗な脚捌きでひらりとかわした。
しかし両手はぴくりとも動かない。
『赤木博士、やっぱりダメですよー』
制御室のスピーカーからシンジの声が聞こえた。
リツコ、ミサト、オペレーター達はそろって渋い顔になる。
「インダクションモード…トリガー優先モードがまともに働いていない…何故なの」
「どういうことよリツコ!これじゃパレットガンが使えないじゃないの!」
ミサトがリツコにくってかかる。
リツコは苛立たしげにそれに答えた。
「いえ、使えないわけじゃないわ。
インダクションモードは機械的な処理を優先させて、銃器などをエヴァに扱わせるシステムよ。エントリープラグの中では、敵の画像に重なるように照準が表示されて、その中心に敵が入るようにして引き金を引けば命中するわけの。
…パイロットの操作ではなく機械的な処理でエヴァの両手を動かして、ね」
『目標をセンターに入れてポチっとな。…両手ぜんぜん自動的に動かないですよ』
「システムそのものは信号をエヴァの素体に送ってるのよ。計測器が壊れてるんじゃなければね…。
パレットガンを使うだけなら、インダクションモードを切ればいいわ。普通に人間が銃を扱うように『エヴァの手で照準を合わせてエヴァの指で引き金を引けば』普通に撃てるのよ。
でもね、それで命中させるにはシンジ君自身が銃の扱いに慣れなければいけないわ…」
リツコは考え込んだ。
ミサトはそんなリツコにさらに言いつのる。
「リツコぉ〜、エヴァの調整や修理は技術部の仕事でしょお!?ちゃんと仕事やってくれないと作戦部としても思いっきり困るんだけど!」
「…!」
リツコとしても、『ちゃんと仕事しろ』などとはミサトに言われたく無かっただろう。
制御室の中はたちまち二人の怒鳴り声に満たされた。
オペレータ達は生きた心地がしなかっただろう。
そんな中、シンジはプラグの中で制御室での会話を聞きながら、いつものへらへら笑いを浮かべていた。
(…あたりまえだよな。両手動かしてないもの。
…っていうか、どうやら僕は本来予定されていたのとは違うやりかたで『初号機』と『同調』しちゃったみたいだよなぁ。両手を機械にまかせるって言うから制御を手放してみたけど…ぜんぜん動かないし。
…えーと、本来の『シンクロ』ってどうするんだろう?)
インダクションモードが上手く働かないことが判明したので、ミサトは急遽訓練スケジュールを差し替え、シンジを射撃場へと連れて行った。
実際にシンジに射撃の勘をつけさせようと言うのだ。
だが付け焼刃でどの程度までできるようになるかは不安を感じるところではある。
シンジは確かに格闘能力は高いが、あくまでこの四年間みっちり鍛錬を積んだからである。
やったこともない銃での射撃で、どれだけの結果が出るかはわからなかった。
リツコは自分の研究室で、初号機のシンクロ率が安定しない件やインダクションモードがうまく働かない事について考えていた。
(…サードチルドレンのシンクロ率は全く安定していない。にもかかわらずあの戦闘能力…)
リツコはシンジの格闘訓練の映像をデータバンクから引き出した。
端末の画面に、道場でシンジが青葉シゲルや日向マコトを一蹴し、更には腕利き保安部員とまともに渡り合うシーンが映し出される。
次に第三使徒戦時の初号機の映像を同じように引き出した。
その二種類の映像を、リツコはMAGIに比較検討させる。
「…シンクロ率90〜105%程度と推測される。ただし訓練でのサードの動きも、戦闘での初号機の動きも、100%実力を発揮していたかどうか不明。そのため、想定される計算誤差は…」
リツコは溜息をつく。
彼女は席を立ち、コーヒーを入れて一息つく事にした。
(この90以上っていうのが正しいとしたら、初めての搭乗で信じられないシンクロ率ね。シンクロ率が正しく計測されないのと、インダクションモードが正しく働かないのが同じ原因によるものだとしたら…。
どちらもパイロットとコアの人格との間に機械的処理をかませてデータを取ったりデータを割り込ませたりしているものだから…。そのあたりの処理が上手くいっていない、という事ね。初号機はブラックボックスの塊だから特に…。
困ったわね。ちょうど下手にいじるわけにもいかない部分じゃないの…)
リツコは第三使徒との戦闘直後に交わした、シンジとの会話を思い返した。
『ふれ○じー、はんまーあーむ攻撃ダ』
『わかったぜサウンドウェー○!見てろ人間どもめ!』
『まて、デスト○ンども。このグリム○ックが、発電所のエネルギーは渡さんぞぉっ』
『ナレーション:サ○バトロンの中でも、特に強力な○イノボット部隊の登場だ!』
『ま、まずいよサ○ンドウェーブぅ〜(涙)』
『ク、コノママデハ…こ○どる、めが○ろん様ニ応援ヲタノメ…クソォ、だいの○っとメェ〜ッ』
「…シンジ君。研究室に来るなり、いきなり私の端末でアニメのディスクを再生するの、やめてくれないかしら…」
「だってこの端末、画面の解像度も音響システムも、たぶんビデオカードやサウンドカードも僕の自前のパソコンとは比べ物にならない高品質ですし。
ほら、せっかくのこういう機会を逃したく無いじゃないですか」
シンジはのほほんとした笑顔で、端末の画面に嬉しそうにへばり付いている。
着ているのはL.C.L.に塗れてあちこちほつれた制服ではなく、病院で使われるような検査着である。
リツコは額を押さえて俯く。
どうやら彼女は頭痛をこらえているらしい。
「…シンジ君。…ええとね、これから戦闘後の検診を受けてもらうわけなんだけど。…その準備が整うまでに今回の戦闘のことで少々話を聞いておきたいのよ。
だからアニメを見るのは後回しにしてちょうだい」
シンジはドライブからディスクを抜くと、ケースに収めてカバンにしまう。
彼はリツコに向き直ると、笑顔で質問を待った。
「シンジ君、まず聞きたいんだけど…。今回エヴァと貴方のシンクロ率がまったく安定しなかったにもかかわらず、エヴァがまともに動いた、というのが理解しがたいのよ」
「シンクロ率…だいたいどんなものか予想はつきますけど、その用語について何も説明されてませんよ赤城博士。赤木博士は葛城一尉とは違って、常識人だと思っていたのに…」
よよよ、とシンジは泣き崩れるフリをする。
ニコニコしている口元はぜんぜん隠れていない。
無論、彼はわざと隠していないのだ。
リツコのこめかみに血管が浮かぶ。
ミサトと一緒にされたのがかなり腹にすえかねるらしい。
「…ごめんなさい。シンクロ率というのはパイロットとエヴァがどれだけシンクロしているか、という目安よ。
シンクロ率が高ければエヴァはパイロットの思考にほとんど遅れずに追随してくれるわ。逆に低ければエヴァの反応速度は鈍い。ただし高すぎても、エヴァの受けた苦痛を『生』に近い感覚で受けてしまうの」
「で、それが安定しない…ですか。でも乗っててもシンクロ率なんてぜんぜんわかりませんよ。操縦席…えんとりーぷらぐ、でしたか。アレにシンクロ率なんて表示されませんし」
「…シンジ君、質問の前フリにいちいち突っ込みを入れないでちょうだい。聞きたいのは、シンクロ率云々ではなくて、貴方が操縦している際にどんな感じを受けたのか、よ」
シンジは少し考え込むように首をかしげる。
「ええと…そうですね。なんていうのかな…初号機と心身がひとつになったように感じましたね。馬に乗って、乗りこなしてる感じがいちばん近いですかねぇ」
シンジは曖昧に、どうとでも取れるような言い方をした。
リツコはわかったようなわからないような、しかし半分納得したような顔をする。
(…シンクロは普通にできているみたいね。いちばん聞きたかったことはちゃんと言ってくれたし。『エヴァとの一体感』…。とすると、やはりパイロット側ではなく初号機側の問題かしら)
リツコは、シンジが言う『エヴァとの一体感』が、本来チルドレンが感じるであろう『それ』とは微妙に異なることに気づいていなかった。
もっとも、あくまで感覚的な情報でしかないものを、パイロット本人でもないリツコが正しく分析などできるはずも無いのも確かだ。
「シンジ君、次にあの使徒を倒した時のことなんだけど…。敵のA.T.フィールド…。あ、つまり敵が張り巡らしていたバリアのようなものね」
リツコは二度とミサトの同類扱いされたくなかったのか、あわててA.T.フィールドについての説明を付け加える。
「あれを破ったときの初号機の攻撃なんだけど…。あれは一体どういったものなの?初号機下腹部に電気、磁気、熱、力学など様々なエネルギーの複合したものが集中していたわ。それが敵を殴った瞬間に霧散したの。まるでそのエネルギーを敵に叩きつけたかのように。
あの時初号機は完全にあなたの制御下にあったと思われるわ。つまりあれはあなたがやったことになるわね」
「ああ、あれは武術の技ですよ。なんて言うのかな…空手とかにもありますよね、『息吹き』ってのが。呼吸法により気合を高めるってやつ…なのかな?ああいったもんです。
でも、どうやってるのか、なんて理論的なことは知りませんよ。武術の修行して、感覚的に覚えたもんですからね。説明なんてできませんよ」
リツコはその回答に落胆する。
もっとも、彼女はそのことを露骨に表情に出したりはしなかった。
だが同時に、彼女はシンジが心の中で舌を出していることに気づけなかったのである。
リツコがさらに質問しようとしたとき、医局から検診の準備が出来たと連絡があった。
「それでは赤木博士、また来ますね。今度は最後まで見たいんで。いい画質といい音質で」
シンジはそう言うと、へらへら笑いながらリツコの研究室を出て行ってしまった。
リツコは椅子に座り込むと考え込んでしまった。
リツコは回想を打ち切り、仕事に戻ることにする。
彼女はマヤから回されてきた報告書を手に取り、内容のチェックをはじめた。
この後問題が無ければ司令部、作戦部にも回されることになる。
「あの後採集された第三使徒の肉片サンプル…。分析結果は…構成パターンの99.89%が人間の遺伝子に酷似…。構成物質は粒子と波、両方の性質を備えた光のようなもの。…エヴァと同じ。
…まあ当たり前ね。エヴァは…だもの。
…この報告書、作戦部に回してもミサトは読まないんでしょうね…」
リツコは溜息をつく。
ミサトは『敵を知り己を知らば百戦危うからず』という言葉を知っているのだろうか、と彼女は思った。
「たぶん知らないわね…。聞いたことはあっても、『知る』というのはそれだけじゃないもの。ちゃんと理解して納得しなければ…」
そう呟いてリツコはコーヒーを口に含んだ。
そして、それが冷め切っているのに気づき渋い顔になる。
「…私も同じね…あの人のこと、『知って』いるつもりでも本当に理解はできていないもの。
…理解はできているのかもしれないけれど、納得はしていないもの」
彼女の脳裏には眼鏡をかけた髭面が浮かんでいた。
「おはよう綾波」
レイは登校の途中、挨拶の声に振り向く。
その声にレイは聞き覚えがあった。
「…おはよう」
彼女は、相手を無視しようかどうか一瞬躊躇したようだったが、結局挨拶を返した。
それは驚くべきことであったが、その相手はそんなことなどわかっていないだろう。
そこにはシンジが黒いジャージに身を包んで足踏みをしていた。
どうやら彼はランニングの途中らしい。
「綾波、こんな早くから登校してるんだ。偉いね」
「…」
「じゃあまた教室で会おうよ。僕も部屋に帰って食事を取ったらすぐ出ないと遅刻しちゃうなあ」
シンジはにっこり笑ってそう言うと、ランニングと言うには少々速すぎるのではないかという速度で走り去る。
レイは彼の姿が見えなくなるまで、その後姿を見つめていた。
「…碇…碇シンジ。…碇君」
学校での授業中、レイはシンジの机の方を眺めていた。
彼の席は、レイの席からは多少離れた場所になっている。
同じクラスになるのは、このクラスが適格者および適格者候補を集めたものであるから当たり前だ。
そのことをレイは知っていたので、それに関しては特に感慨を抱かなかった。
レイが考えていたのは、彼が見舞いに来る度に彼女に施した『オマジナイ』についてだ。
彼女はときどき自分の右腕に目をやる。
そこには既にギプスは無くなっていた。
(…碇君。…あの後もお見舞いに来た。彼が何度かやった『オマジナイ』…。非科学的なもの。…けれど絶大な効果。…プラシーボ効果?病は気からと言う…。負傷にも効果が…?)
本来であればレイが負った傷は、未だ治癒していないはずである。
だがそれが、もうほとんど問題ないほどに回復してしまったことに、病院の医師やリツコは驚愕した。
もっとも医師たちとリツコでは驚愕の意味合いが違ったようである。
骨折していたはずの腕の骨がいつのまにかくっついてしまったほどの回復力について、リツコはレイの遺伝子の半分を占める第二使徒リリスが何か関係していると思ったようだ。
退院後、レイはセントラルドグマにて様々な検査を受けさせられた。
結果レイには特に異常は無いが、結論としては負傷による生命の危機に、リリスが何らかの反応を示したのではないかと判断された。
レイはシンジのした事について、なんら報告しなかった。
報告しなかった理由は、特に何も聞かれなかったためである。
リツコは最初から、この負傷の回復はリリスの力によるものではないか、との先入観を持っていたためレイに特に深く質問しなかった。
きちんと質問しさえすれば、彼女はシンジの行った『オマジナイ』について語ったことだろう。
これはリツコが情報を持ちすぎていた為の弊害である。
もっともレイが『オマジナイ』について語ったところでリツコはそれを信じることは無かっただろうが。
また、現在初号機とシンジのシンクロ問題など、考えなければならないことが山積していることも、リツコが安易な結論に飛びついた原因のひとつだろう。
実はそれらの原因がぜんぶシンジ自身にあるとは、当のシンジ以外考えていなかった。
レイは再びシンジの横顔を見つめる。
彼の顔には、いつものへらへらした笑いが張り付いている。
(…あの顔は…嫌。…何故?)
その時、シンジの顔が彼女の方を向いた。
シンジはレイの視線に気づくと、一瞬驚いたような顔になったが、すぐににっこりと笑った。
それはレイの嫌っている笑い方ではなく、彼女が『碇司令の笑顔に似ている』と評した微笑みである。
何故か焦りを感じた彼女は、目を机上の端末へ向けた。
『碇君があのロボットのパイロットって本当? Y/N』
シンジの端末画面には、そのように文字が表示されていた。
授業中にメール機能やチャット機能を使って内緒話をするのは、どこの学校でも日常的に行われていた。
シンジは回答した。
『ふふふ秘密です』
教室の2〜3箇所でガタっという音がして、その生徒が教師に注意される。
他にも周囲の生徒から急に『気』が抜けた雰囲気がする。
(…ふむ、ほぼ全員がこのやりとり見てるんだな)
シンジはのほほんと笑いながら、別のウィンドウを開き株式情報にアクセスしていた。
すると、めげない送信者が再度メールを送ってきた。
『NO、じゃなくて秘密、ってことはほんとはパイロットなんでしょ?』
『ふふふ、貴方もシツコイですねぇ〜。気に入りました、そのシツコさ!さあ、ワタシと共にめくるめくギャグの世界へ〜!!(くねくね)』
ゴン、という音が後ろの方にある席から聞こえた。
どうやら頭を机にぶつけた音らしい。
「相田!何をふざけている!」
「す、すいませんっ!」
相田と呼ばれた生徒が教師に謝罪する。
それ以後、教師の目がちらちらと彼の方を見るようになり、それと同時にメールはぱったりと途絶えた。
(なるほどメール送信者は彼か…)
シンジはあいかわらずへらへらとした笑いを浮かべながら、教師に見つからないように有望株を購入し、あるいは手持ちの株を売却していった。
授業が終わって休み時間になったので、シンジは屋上でも行って風に当たってこようと腰を上げた。
そんな彼に声をかける者がいる。
「おい転校生」
シンジがそちらを向くと、黒いジャージを着た長身の少年が彼を睨みつけるように立っていた。
シンジはにへらっと笑って、ジャージの少年に応える。
「なんだい在校生」
「なっ…なめとんのかっ!」
ジャージの少年はシンジの態度にいきり立ったが、深呼吸して心を落ち着けたらしかった。
「…あー、碇とか言うたな。用事があるんや、ちっとばかし顔かしてくれんか?」
彼の雰囲気は、依頼の形こそとってはいてもあきらかに強制だった。
シンジはへらへらと笑うと応えた。
「やだ」
「なっ!」
ジャージの少年は激昂して掴みかかろうとした。
それをひょいっとかわすと、シンジはいつの間にか遠巻きにしていたクラスメイトの間をすりぬけるようにして、教室を出て行く。
「く、くそっ!待たんかいっ!」
ジャージ少年は生徒たちを押しのけるようにしてシンジを追った。
さらにその後を、あの相田と呼ばれた眼鏡の少年が追いかけていく。
そんな彼らの様子を、二つの深紅の瞳がじっと見つめていた。
あとがき
聖刻エヴァ、第3話です。
相田君、さっそくシンジに翻弄されてます。
そして謎の新キャラ(笑)、ジャージ君(爆)!、満を持しての登場です。
さあ一体どうなるのかっ!
綾波さん、シンジ君が気になってます。
特に好意というワケではないんですが…。
ネルフの皆さんは混乱してますが、色々自分なりの解釈をつけて無理に自分たちを納得させてます。
特に赤木博士にその傾向が顕著です。
逆に、あんまり気にしてない葛城一尉…。
あまり気にすると不幸になるけど、気にしないと落とし穴にはまるぞ…。
さて、毎回読んでいただきましてありがとうございます。
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