第1話:第三新東京


 碇シンジはモノレールの駅前にて、呆けた様子で立ち尽くしていた。

 皮の手袋に覆われた彼の右手が、せわしなく握られたり開かれたりしている。

 駅のスピーカーからは、シェルターへの退避を指示するアナウンスがひっきりなしに流れ出していた。

 彼の周囲には、既に他の人間の気配は何一つとして残っていない。


「…モノレールで居眠りしてる間に、えらいことになっちゃったなあ…」


 公衆電話も携帯電話も通じなくなっている事は、既に確認済みだった。

 シンジはこの街には来た事が無い。

 正確に言えば、彼が知る限りでは本当に幼い頃にここに居たことがあるらしいのだが、10年前…3〜4歳の頃では、どんなに詳しく覚えていたとしてもたいして当てにはならない。

 当然彼にはシェルターの場所も、それを知る術さえもわからなかった。

 しかし彼の口調にはまったく緊張感が無い。


「…とりあえず人がいるところを探れば、そっちがシェルターだろうな…」


 シンジはわけのわからない事を言うと、瞼を閉じてなにやら集中しはじめた。

 だが次の瞬間、彼ははっとした様子で道路の向こう側へ目をやる。

 そこには蒼みがかった銀髪で、深紅の瞳をした少女が佇んでいた。

 彼女はその場に立ち止まり、シンジを眺めている。

 シンジは呆けた様子で、少女を見つめた。


(…ええと…幽霊…だよなアレは?ありゃ、まだ生きてるみたい…。って事はいわゆる生霊だよなぁ…。

 ん?でも普通の生霊とはちょいと違う???)


 シンジの目は、少女が尋常の存在でない事をあっさりと見抜く。

 彼は首をかしげた。

 しかしその理由は、別に少女が生霊であるせいではない。


(…声をかけてみようか。う〜む?女の娘に軽々しく声かけるのも…。

 ま、どうせ身体にもどったら八割がた幽体離脱中のことは忘れちゃうはずだし。うん、シェルターがどっちなのか聞いてみよう)


 意を決したシンジが声をかけようとした瞬間、あたりに爆発音が響いた。


「わっ!!あ、ありゃ?彼女いなくなっちゃったな…身体に戻ったのかな」


 周囲を見回したシンジは、そこに現出した現実とは思えない状況に、開いた口が塞がらなくなった。

 遠くに見える山やビルの間から、巨大な怪物が顔を覗かせていたのである。

 そして何機もの戦闘機が、その怪物にミサイル攻撃を仕掛けていた。


「…凄いなこりゃ。『ここ』でもああいったバケモノがいたのかぁ…。

 デカさではあいつの方が上だけど、純粋な強さだったら『ドラ・メーア』とどっちが上かなあ…。あ…」


 シンジがのほほんと呆けている間に、怪物に撃墜された戦闘機がシンジめがけて落ちてきた。

 おそらくそれは彼に直撃まではしないだろう。

 だがその爆風にさらされただけで、普通は彼の命は無い。


「…こ、こりゃあさすがにまずいかな、あはは。あんなもん受け流せないよ…。け、剣を出さなきゃ!」


 シンジはバッグを放り出すと、背負っていた竹刀袋のようなものの紐を慌ててほどきはじめる。

 その中から現れたのは、日本刀と洋剣の中間の拵えをした妙な剣だった。

 シンジは鞘に包まれたままのその剣を居合切りのように構えると、落ちてくる戦闘機に向きなおる。

 しかし彼は次の瞬間、ふたたびはっとしたように硬直した。

 彼は泡を喰った様子で、そのままその剣を身体の後ろに隠す。

 凄まじい爆風と破片がシンジを襲った。

 しかし突如青塗りのルノーが彼の目前に急停車する。

 爆風の衝撃はその車体に遮られ、彼にはとどかなかった。

 直後、妙齢の美女が車内から顔を出す。


「おまたせ、シンジ君ね!?早く乗って!」

「か、葛城さんですか!?」


 既にシンジは剣を袋の中に戻していた。

 彼は落ちていたバッグをひっつかむと、そのままルノーの助手席に飛び込んだ。

 ルノーはそのまま急発進する。

 シンジはGでシートに押し付けられた。


「うわっ」


 別に苦痛に感じたわけではないが、シンジは一応と言った感じで叫んでみた。


「葛城さん、少々スピード出すぎじゃないですか?事故らないでくださいね」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう!今は生き延びる方が先よっ!」


 葛城と呼ばれた女性…葛城ミサトは、ニヤリと笑うとアクセルを限界まで踏み込んだ。

 彼女はシンジが恐がっていると思い込み、機嫌を良くしたらしい。


(単純な女…)


 シンジがそんな冷めた感想を抱いている事に、彼女はまったく気づく様子もなかった。


「あー葛城さん。…あの」

「ミサトでいいわシンジ君。で、何?」


 ミサトはのほほんとした顔で問い掛けるシンジに、いかにも友好的ですと言った様子で応える。

 シンジの顔は、例の巨大生物の方へ向いていた。

 彼女はそれを見て、シンジがあの怪物のことを聞きたいのだと判断する。


「ああ、あのバケモノは使徒と呼ばれるモノよ。人類の敵…」

「いえ、なんか戦闘機があの怪物から離れてくんで。で、こりゃあ一体どういうことかなあ、と」


 その言葉にミサトは青くなった。


「ちょっと…まさかN2地雷を使うわけぇっ!?シンジ君、伏せてっ!」


 絶叫とともに、ミサトはシンジに覆い被さろうとする。

 しかし、彼女の目的はシートベルトのために中途半端にしか果たされなかった。

 ついでに言えば、彼女の体勢が崩れた分よけいに事態は悪化したかもしれない。

 次の瞬間、車は爆風に吹き飛ばされた。

 ミサトのルノーは路上を宙返りした後、横転状態で動かなくなる。

 しばらくの間、ルノー内部からは何の動く気配もしなかった。

 しかしけっこうな時間が過ぎた後、車内からはモゴモゴとくぐもった声が聞こえ出す。

 そして上側になっていた助手席側のドアが、突然勢い良く開いた。

 そこから気を失ってぐにゃりとしたミサトの身体が放り出される。

 次いでシンジもまた、助手席ドアから這い出してきた。

 彼は路上にのびているミサトをげんなりとした表情で見やる。

 だが彼は溜息をつき頭を左右に振ると気を取り直し、横倒しのルノーに一蹴りくれてまともな状態へ起こした。

 その後彼はミサトの背後に回り、活を入れる。


「う、ううん…」

「葛城さんしっかりしてください」


 シンジは呆れた様子でミサトに呼びかけた。


「さ、はやくここから離れましょう」

「え、あ、あら?なに?」


 ミサトは目覚めたばかりでまだよく状況が理解できていない様だった。

 シンジは呆けている彼女を運転席に放り込むと、自分は再び助手席へ飛び乗った。


「はやく発車してくださいよ」


 ミサトは言われるままエンジンをかけようとするが、ルノーのセルモーターが回らない。


「あ、ありゃぁダメかぁ…ゴ、ゴメンねシンジ君ちょっと待っ…」


 ミサトはそう言いつつ車外へ出ようとした。

 彼女は路上に放置された車から、バッテリーを盗用するつもりだったのである。

 だが彼女の台詞が終らないうちに、いきなりセルモーターが回りエンジンが息を吹き返した。

 しかし同時に、車内にはオゾン臭さと焦げ臭さが充満する。


「にゅわっ!?な、なにっ!?」

「どっかショートでもしたみたいですね、でもエンジンはかかったんですからはやく行きましょうよ」

「あ、そ、そうねっ!」


 ミサトは顔を引きつらせつつルノーを急発進させた。

 彼女の内心はルノーの現状により、どんよりとした曇り空状態である。


(こ、焦げ臭い…。電気系統ダメかしら…。しゅ、修理代が…。外装もズタズタなのに…)


 彼女は、シンジがあさっての方を向きながら舌を出しているのには、まったく気づかなかった。





「…なんですコレ?」


 シンジはミサトから渡された小冊子を読んでいた。


「…特務機関…えぬいーあーるう゛ぃー…」

「ね、ねるふって読んでねオネガイだから…」


 二人の乗るルノーは、ジオフロントへ向かうカートレインの上にあった。

 未だトンネルの中であるため、まだジオフロントの光景は見る事ができない。


「え、ええとね、ネルフっていうのは国連直属の非公開組織なの」

「確かにそう書いてありますね。で、いいんですか?非公開組織のパンフレットなんて、職員の子弟とはいえ部外者に見せて」


 ミサトはそれを聞いて、あからさまに引きつって見せた。

 シンジはパンフレットを眺めながら、父親のことについて考えていた。


(…ネルフ?父さんは確かゲヒルンとかいう研究機関の所長じゃなかったっけ?…このパンフレットによると軍事組織みたいだが。

 …何かゲヒルンに『使える』技術があるかもしれない、と思ってわざわざ招待に応じたのに。

 うーん?無駄足だったか?)


 シンジはパンフレットを閉じて更に言葉を継ぐ。


「父は何で僕を呼んだんですかねえ…あんなマネまでして…今更僕と暮らしたいなんていうのじゃ無いとは思うんですが」

「あんなマネ?」

「ええ、叔父夫婦に送金していた養育費をいきなり切ったんですよ。

 で、半分追い出されるようにしてココにやってきたんですがね」


 ミサトはその言葉を聞いて表情を曇らせる。

 しかしシンジは逆に何も気にしてないかのように、へらへらとした感じの笑みを浮かべた。

 ミサトはその笑顔になんとなく反感を覚える。

 昔の男でも思い出したのかもしれない。


「まあ、あの人たちは別に好きでも嫌いでも無かったから特に気にはしてませんが。

 葛城さん、何で僕を呼んだのか聞いてませんか?」

「ご、ごめんねソレはちょっち…あ、それよりあたしのことはミサトでいいわよ」

「はぁ。でも慣れるまでは葛城さんって言わせてください」


 シンジの台詞に、ミサトは渋面になる。

 一方のシンジは、しれっとした表情を崩さない。


(う〜ん、ガード堅いわね)

(ガード脆い人だなぁ…思ってること、顔で筒抜けだよ)


 まったく正反対の感想を浮かべた二人を乗せて、カートレインはジオフロントへ入って行った。

 ボケッと窓の外の雄大な光景を眺めるシンジに向かい、ミサトは気遣わしげに話し掛ける。


「え、ええとシンジ君?もしかしてお父さん嫌い?」

「何故ですか?」

「いや、ねぇ…さっきまでの台詞聞いてて、なんとなくそう思ったもんだから…」


 心配そうなミサトの顔を見て、シンジはにへらっと笑ってみせる。


「いえ、嫌うも何も…10年間全然会ってませんから他人同然ですよ。

 まあ、今回呼ばれた方法とかで印象は多少悪いですがね。いきなりな人だな、とか無茶やる人だな、とか」


 のほほんと笑うシンジを見て、ミサトはなんとなくこの少年を苦手に感じ始めていた。





 二人はネルフ本部の薄暗い通路を歩いていた。

 シンジは何も言わずミサトの後ろを付いて歩いている。

 彼の顔にはあいかわらず、へらっとした笑みが浮かんだままだ。


「…シンジ君…それイヤミ?」


 ミサトはジト目でシンジを睨む。

 彼はどこから出したのか、あるいは拾ったのか、手に持ったチョークで隔壁に、その場所を通った回数を正の字で書き込んでいた。

 ちなみにその回数は四回目であり、あと一回で正の字が完成するところである。


「いえ別にイヤミでもなんでもないですよ。時間はたっぷりありますし」

(時間は無いのよ!)


 そう叫びそうになったミサトだったが、その時間を浪費しているのは彼女自身である。

 その事実に気づいて、さらに渋い顔になるミサトであった。

 すると、何かの電子音、さらにガス圧の自動ドアが開くような音がした。


「貴方達、どこへいくつもり?」


 シンジがそちらを見ると、エレベータの前に白衣の下に水着という異様な風体の金髪女性が立っていた。

 彼は驚きの叫びを上げる。


「凄い!本物の赤城リツコ博士だ!」

「え?あ?わ、私を知ってるの?」


 突然叫んだシンジに、その女性…リツコは目を白黒させた。

 シンジは言葉を続ける。


「当たり前じゃないですか。僕は情報処理学会の学生会員なんですよ?赤木博士が寄稿された論文はよく拝見させて頂いてます」


 シンジは彼女に会釈した。

 ミサトはさらに渋い顔になる。


「よかったわねぇ〜リツコぉ、有名人でさぁ…」

「何を言ってるの。遅刻よ葛城一尉。人手も時間も無いのよ?グズグズしてられないのよ」

「ごめ〜ん、迷っちゃったのよ。…まだ不慣れでさ」


 ミサトは即座に眉間のシワをひっこめ、リツコの突っ込みをわらってごまかす。

 リツコはそんなミサトに一瞥もくれず、再びシンジを見た。


「で、この子が例のサードチルドレンなのね?」

「ええそう。碇司令のご子息よ。…司令とはタイプが違うけど、扱いづらい所はそっくりよ…」


 台詞の後半は極めて小声で言ったにもかかわらず、シンジの耳にははっきり届いていた。

 シンジは礼儀正しくそれを無視する。


「…いらっしゃいシンジ君。お父さんに会わせる前に見せたい物があるの」

「はぁ、そうですか」


 三人はそのままエレベータへと乗り込んだ。

 地下深くへ降りていくエレベータの中で、リツコはまったく緊張感の無いシンジの顔を横目で見ながら、彼について考えていた。


(…碇シンジ。

 …四歳にして母親を失い父親に捨てられる。…内向的で気が弱く、他人との衝突を避けるような性格に育った…いえ『育てられた』少年。…ただし四年前までは。

 四年前、養い先の家の裏山で崖から落ち、頭を打って気を失い入院。そして目が覚めたとき性格は一変していた。

 現在の彼はまったく緊張感が無く、『のほほん』『へらへら』が代名詞…。さらには勉強や身体を鍛えることに強い興味を示し、武道の道場に通ったり情報処理学会に入ったり。

 趣味は刀剣道楽、骨董収拾、およびオカルト。というよりはオカルト趣味が昂じて、そういった傾向の骨董を収拾するようになった、という方が正解ね。

 趣味にかかる費用は養い先の叔父夫婦には頼らず、新聞配達のアルバイトでかせいだ元手をネット上の株式投機で利殖。それを刀剣や骨董の代金に回している。

 彼の投機は極めて確実性が高く、あっというまにかなりの利益を上げている。とんでもない高価な刀剣などを幾振も所有しているらしし。そう言えば、今も刀らしい袋持ってるわね。

 …なんでまた、ここまで性格や能力が変貌したのかしらね。司令は所詮子供と甘く見てるけど、うまくあの人の思惑通りに動いてくれるかしら。

 副司令は危険視して本来の予定通りの性格に戻そうといろいろ画策したらしいけど、結局失敗したみたいだし。所詮副司令は学者兼事務屋でしかないしね。

 『委員会』の方でも、予備の予備でしかなかったセカンドチルドレンを『鍵』としてサードよりも有望視しはじめていると聞くし…)

「リツコぉ、時間無いんじゃなかったの?」


 彼女がミサトの声に我に帰った時、既にエレベータは目的のフロアに着いていた。

 ミサトは一足先に降りて、ニヤニヤ笑いを浮かべている。

 シンジはなにやら興味深そうな様子でリツコの顔を覗き込んでいた。

 彼女は一瞬こめかみに血管を浮き立たせたが、気を取り直してエレベータを降り、歩き出す。

 勿論彼女はミサトの足を踏んでいくことは忘れなかった。





 そこはまるで何かの工場のような巨大な部屋…ケイジと呼ばれる場所だった。

 リツコがスイッチを操作すると、真っ暗だったケイジが明るくなる。

 そこには底が見えないほど深い水槽…というよりも巨大プールが存在し、そしてその水面からはまるで金閣寺か何かのように巨大な鬼の顔が突き出していた。


「どう?これが人が作り出した究極の汎用人型決戦兵器、人造人間エヴァンゲリオン。私たち人類最後の切り札。その初号機よ」

「凄いですねぇ…。でも構造的にこんなでかい物が歩いたりできるんですか?

 豆腐も1m立方のものは自重で潰れますよね」


 シンジは巨大な顔を見ながら呟いた。


「豆腐といっしょにしないで…」

「ひさしぶりだな」


 リツコの呟きを遮り、男の声が響く。

 エヴァンゲリオン頭部の向こう側の壁に制御室があり、そこに男が一人立っていた。


「やあ父さん。こんな秘密基地に呼びつけて、何の用?」

「出撃」


 男…碇ゲンドウはシンジの質問に答えず、指令を下した。

 その言葉にミサトが反応する。


「出撃?零号機は凍結中のはずでしょ?…まさか、初号機を使うの?」

「他に方法は無いわ」


 リツコがミサトに答える。

 ミサトは彼女に食い下がった。


「レイはまだ動かせないでしょ!パイロットがいないわ!」

「さっき届いたわ」


 そう言ってリツコはシンジの方へ向き直った。

 シンジはへらへら笑いを浮かべたまま、紫色の装甲板に覆われた鬼の顔を見つめている。


「貴方が乗るのよ、シンジ君」

「やだ」


 ミサトが何か言おうとしていたようだったが、それよりも早くシンジはリツコの言葉に拒否を返した。

 彼はミサトとリツコを薄ら笑いを浮かべつつ見やると、さらに言葉を紡ぐ。


「なんで僕がコレに乗らないといけないのさ。まさかコレに乗るのには特別な資質が必要だとか言うマヌケなシステムじゃないんでしょうね?」


 マヌケなシステムという言葉に反応したのか、リツコのこめかみに血管が浮かぶ。

 それを見て、シンジは自分の台詞が図星だったことを確認した。


「やだよこんな得体の知れない謎の超ロボット生命体なんかに乗るのは。たぶんあの怪物と戦わせる気なんでしょ。

 死ぬのやだし」


 クスクスと笑いながらシンジは続けた。

 怒りをおさえつつ、しかし若干冷静さを失ったリツコが的外れな反論をする。


「これはロボットじゃないわ。人造人間よ」

「ロボットじゃないのは理解してますよ。人間が搭乗して動かす以上、ロボットの定義からは外れますしね。

 逆に言えば自律行動あるいは遠隔操縦で動かせるのであれば、生体組織で構成されていようと機械で出来ていようとロボットの範疇ですよね」

「ちょっと待ちなさい、人が乗った物はロボットと言えないっていうのかしら」

「広義ではそれもまたロボットの範疇に入るでしょう。

 ですが、あくまで僕の認識としては、ロボットとは人間の代替となる機械…というわけですよね。TVアニメのように人間が搭乗していては人間の代替とはいい難いわけです。

 戦闘ロボットと言うものがあるなら、戦闘行為そのものを代替し得る存在でなければならないでしょう」

「その辺の認識が私と少し違うのかしら?

 確かにああ言ったロボットは戦車や戦闘機の延長上にある以上、純粋な意味でのロボットとは言えないかもしれないわ。でもアレはアレで、人間…搭乗者を戦場という危険から切り離すという意味はあるのよ。

 それに、ああいった物に搭載される…」

(この人もけっこうノリがいいよね)


 シンジはロボット談義をしながら、そんな事を考えていた。

 だが、本来今はそんな悠長な事をしている場合では無い。


「そんなこと言ってる場合ーっ!?」


 とうとうミサトが切れて怒鳴り散らした。

 ゲンドウも痺れを切らしたようである。


「乗るならはやくしろ、でなければ帰れ」

「だからやだってば」


 ゲンドウの異様な威圧感も、シンジにはどこ吹く風といった雰囲気だった。

 少年の父親は苛立たしげに何処かへと連絡を取る。


「…冬月、レイを起こしてくれ」

『使えるのかね』

「死んでいるわけではない」


 ゲンドウは内線で誰かと会話しているらしかった。

 相手は声からして、年配の男性のようである。

 シンジは興味深げにその様子を見守っていた。

 しかしその顔に浮かんだ笑みは突然こわばる。

 その理由は、ある少女がストレッチャーに乗せられて、ケイジに運び込まれて来たからだった。


(あの娘は…!)

「レイ、予備が使えなくなった。もう一度だ」

「はい…。ぐっ…」


 レイと呼ばれた少女は全身いたるところ包帯だらけで、あきらかに重傷だった。

 だがシンジが驚いた理由はそれではない。

 レイが、ミサトと出会う直前に目にした生霊の少女だったのがその理由である。


(そっか…それで幽体離脱してたんだ…ひどい重傷だな)

「初号機のパーソナルパターンをレイの物に書き換えて!」


 リツコはどうにか自分を取り戻し、てきぱきと指示を下し始めた。

 ミサトはシンジに詰め寄る。


「シンジ君!あなたがエヴァに乗らなければ重傷を負ったあの子が乗ることになるのよ!恥ずかしいとは思わないの!?」


 ミサトは実のところ、先刻まで『何も知らないシンジをいきなりエヴァに乗せていいものだろうか』と罪悪感に苛まれていた。

 だがシンジの態度に苛々がつのり、とうとう『こんなクソガキ多少怖い思いをしたところでかまうものか』という結論になったらしい。

 対するシンジは、既にその表情もいつもどおりの『のほほん』に戻っている。

 ミサトの怒鳴り声も馬の耳に念仏、蛙の面に小便であった。

 シンジの顔はケイジの天井を向いている。

 彼の目は軽く閉じられており、なにやら集中しているらしい。


「おー、やってるやってる…あっ」


 シンジがその目を見開き短い叫び声を上げたと同時に、ケイジが大きく揺れた。

 天井に据え付けられていたライトが落下してくる。

 その落下地点では、衝撃で横転しかけたストレッチャーから、レイが今まさに落ちんとしていた。


「…!!」


 シンジは急にするどい目つきになると、一瞬でレイの場所まで移動して抱きとめる。

 そして彼はレイを抱きかかえたまま、再びその場から瞬時に移動してのけた。

 直後、その場にライトが落下して、横転したストレッチャーを叩き潰す。

 リツコとミサトは驚きのあまり目を見張った。

 それはシンジが移動する瞬間、彼の五体が筋肉の緊張で1.5倍ぐらいのボリュームに膨れ上がったからである。

 目の錯覚ではない証拠に、レイを抱きかかえているシンジのシャツとズボンはあちこちがほつれていた。

 さらにミサトは、ケイジの床に残されたシンジの足跡の異様さにも気付いている。

 ケイジの通路の床には、あまりの強い踏み込みにより、シンジの靴底のゴムが、溶けたようにへばりついていた。


(なんて脚捌き?冗談じゃないわ、ここまで動けるようになるのに一体どれだけの鍛錬が必要だってのよ)


 シンジはそんな二人に目もくれない。

 彼は腕の中で苦しげにうめいているレイの様子をうかがっていた。


「…そんな怪我であんなものに乗ったら死んじゃうよ?ここはひとつ皆で逃げた方が良くないかな」


 お気楽にそんな事を言うシンジに、レイは視線を向ける。

 シンジは今までのへらへらした笑顔ではなく、はじめて真っ当な微笑みを浮かべて見せた。


「…あなた…は…?」

「ん?僕は碇シンジ。あの上の方で偉そうにしてるあの人の息子。

 それよりさっさと逃げようよ。このままだとここにあの怪物来るみたいだし」


 シンジはそう言うと、天井の方へ目を向けた。

 まるで地上の様子が見えているかのようだ。


「…駄目…わたしエヴァに乗らないと…」

「なんでさ?逃げちゃえばいいじゃない?」


 そのシンジの台詞にミサトが過剰反応する。

 彼女の顔は、焦りの余り歪んでいた。


「あんたね!あいつを放っておいたら人類が滅亡するのよっ!サードインパクトが起きるのっ!わかってんの!?」

「いえ、何も聞いてませんが」


 シンジの台詞にミサトが硬直する。

 彼は言葉を続けた。


「だから僕はその件について何にも聞かされてませんよ。強引に乗れ乗れって言われてるだけで」

「い、言ってなかったっけ?…あ、だ、だからアレを放っておくとサードインパクトが起きて人類が滅びちゃうのよ」


 滝のような汗を流しながらミサトは漸く言葉を搾り出した。

 シンジは薄ら笑いを顔に貼り付る。


「あー、あの怪物が巨大隕石を呼び寄せでもするんですかね…」


 彼はうさんくさそうな表情で呟いた。

 その顔からは、いかにも信じてませんと言った様子がありありとわかる。


(そんな類の力…『土』の力は感じないんだがな…。強烈な『気』は感じるけど…さ)


 だがシンジはミサトの様子をあらためて見ると、思い直した。

 少なくともミサトが自分の言った台詞を信じているのは確からしい。

 シンジはとりあえず、と言った風情で言葉を発する。


「ん…まあ、そのあたりの事はあれ倒してからゆっくり聞かせてもらいますね」

「えっ!の、乗ってくれるの!?」

「人類滅亡しちゃうんでしょ。僕死にたくないですから。乗るのが嫌だって言ったのも、死ぬの嫌だからですし。

 …そういうワケだから、君はゆっくり休んでて」


 シンジはそう言うと、レイに向かって再び笑いかけた。

 そして彼はそのままレイを医師に引き渡そうとする。

 だが、ストレッチャーを押してきた医師が片隅で腰を抜かしているのを見て彼は溜息をついた。

 シンジはそのまま向き直ると、レイの身柄をミサトに預ける。


「頼みましたよ葛城さん」


 レイをいきなり渡されたミサトはあたふたして左右を見回す。

 そんなミサトを無視してシンジはリツコに話し掛けた。


「さて、あれの乗り方を教えてください」


 そう言ったシンジは、ふと自分の手がレイの血で塗れていることに気づいた。

 彼は首をかしげながら、その血を舌で舐め取る。


(…やはり違う…か)


 シンジの瞳が不気味に輝き、顔面にかすかに紋様のような物が浮かぶ。

 だが、周囲の人間達は誰もその事に気付けなかった。





 シンジはエヴァンゲリオン初号機の円筒形をしたコックピット…エントリープラグの操縦席に座っていた。


『L.C.L.注水!』


 彼の足元から、黄色味がかった液体が湧き水のように上昇してくる。

 彼はそれを興味深げに見守っていた。


「へぇ…耐G用の水溶液ですか?僕、酸素マスクとか着けてませんけど、どうするんですか?」

『それはL.C.L.と言って、肺にそのまま取り込んでもらえれば普通に呼吸ができるわ』


 リツコの返事に、なるほどと言った感じでシンジは頷く。

 彼は興味深げに呟いた。


「そういえば、昔どこかの科学雑誌で似たような物を見た覚えがありますよ。水槽に満ちた薬液中でマウスが生きてる写真。だいたいあんなもんですか?」


 そう言いつつ、シンジはL.C.L.を思い切り吸い込んで、げほげほとむせた。

 彼はすぐに気を取り直し、もういちど吸い込む。


「鉄の味…。血の味…。血の滴るようなレアステーキが食べたくなったな」


 シンジの暢気な様子に、大人たちは皆、妙な顔をした。

 頼もしいと感じていいのか、この非常時に不謹慎だと怒ればいいのか、わからないのだろう。


『終ったらミサトの奢りでご馳走してあげるから今は集中してちょうだい』

『な、なんであたしの奢りっ!?』


 リツコの台詞にミサトは引きつった。

 だが彼女はシンジの台詞でさらに引きつることになる。


「500gステーキの三段重ねですからね。岩手産の前沢牛」


 神戸牛や松阪牛には知名度は劣るが、前沢牛はかなりの高級牛肉である。

 司令と副司令が『いいのか碇』『問題ない』と、わざと聞こえるように言っているのを耳にして更に悲鳴を上げるミサトを尻目に、シンジは精神を集中させていた。


(…ふぅん…シンクロとか言っていたな。つまりは『Llude』との『同調』と同じようなもんかね。いっちょやってみますか)


 シンジは目を閉じて、エヴァ初号機に何か意識体のようなものが存在するのかどうかを探っていった。





(…?…!!)


 エヴァ初号機に宿る意識…仮に『彼』とする…は、何か小さな意識体が自分に近づいてくるのを感じた。

 それは、少し前に自分に接触してきた別の小さな意識体と似た雰囲気を纏っている。

 そのときは、彼はその存在を自らの内に取り込んでしまった。

 今度はどうしようか、と『彼』は迷う。

 その時、その存在はいきなり『彼』自身へと『切り込んで』来た。

 『彼』はその小さな意識体が、尋常でない密度を持つことに気づく。

 その存在の力量は、かつて取り込んだ存在とは比較にならない。

 いや、魂を構成するエネルギーの量ではそれは『彼』すらをも大きく凌駕しているだろう。

 更にそのエネルギー密度では、それと『彼』との間には比較にならないほどの差がある。

 例えて言うならば、豆腐を鋼のナイフで切り刻むようなものだった。

 『彼』は恐怖する。


(…恐がらなくても大丈夫だ。危害を加えるつもりは無い。

 …ああ、なるほど。僕が…『私』が近寄るだけで危険なのか…。これは失礼したな、申し訳なかった)

(!?)


 その存在は、今やまるで灼熱する溶岩のような気配を漂わせている。

 ふと気づくと、『彼』は地平線まで埋め尽くす、灼熱の溶岩大地に立っていた。

 『彼』は、その溶岩の大地それ自体が、意思を通わせている相手であることに気づく。


(そう、『私』はまあ見ての通りの存在だ。しかしながら…。

 今は事情があって、力のほんの一部しか揮えない状態でな。貴公の助力が欲しい。お互い、力を合わせればかなりの事ができると思う)

(…???)


 『彼』はそれが言っていることがよく理解できず、混乱した。

 だがその存在は辛抱強く『彼』に語りかけてくる。


(貴公は『電力』を自らの生命力に、『プラーナ』に変換できるようだな。そのシステムを少々いじって、『私』のためにその一部を『マーナ』に変換してもらえると嬉しいのだがね。

 あとは他にも多少『外』での仕事を手伝ってもらいたい…。

 無論見返りは提供しよう)

(…?)


 『彼』は見返りについて尋ねた。

 その存在は少々考え込むが、やがて逆に彼に尋ね返してくる。


(そうだな…何が欲しいかね?)

(…)

(…なるほど。何が欲しいかすらわからない、と。貴公はある意味で未完成な存在なのだな。

 ではとりあえず貴公が自分自身の存在をはっきりと認識できるよう手伝おう。そして貴公が自身をはっきり確立した後に、あらためて何が欲しいか聞こうではないか)


 『彼』はしばし考えた後、相手の申し出を承諾した。

 これほどまでに必死に考えた事は、『彼』の曖昧模糊とした記憶の中にはこれまで無かったと言っていいだろう。

 その一生懸命な様子を見たのか、その存在が微笑んだような気配が『彼』に伝わってきた。





「…!!!し、シンクロ率64.2%ですっ!あ、いえ変動しました!97.25%…あっ、17.7まで落ち、ま、全く安定しませんっ!」


 オペレータの女性…伊吹マヤが悲鳴をあげる。

 彼女の同僚である日向マコト、青葉シゲルも蒼い顔をしていた。

 それは当然だろう。

 シンクロ率が安定していないという事は、エヴァがまともに動かないという意味なのだ。


「構わん」


 指揮所にいた全員が、声の方を見上げる。

 そこではゲンドウと、副司令の冬月が何の動揺も見せずモニタを睨んでいた。


「もはや第三使徒は要塞都市の装甲版へと攻撃を開始している。時間的猶予はもはや無い。

 シンクロ率が安定していなくとも起動レベルに達しているだけまだ良い。即座に起動して射出しろ」


 冬月がゲンドウの台詞を補足した。

 あまりの乱暴な台詞に、ミサトは目を見開く。

 しかし、隣に立つリツコもまた動揺していないのを見て、気を取り直した。


「了解しました…エヴァンゲリオン初号機、発進準備!」

「エヴァンゲリオン初号機、起動しました!発進シーケンスに移りますっ!」


 各オペレータが各自報告を行う。

 ミサトが号令を発した。


「…発進!!」


 エヴァ初号機はリニアカタパルトで地上へと射出されていく。

 ミサトはその操縦席にいる少年の事を思って祈った。


(死なないでね、シンジ君…)





 カタパルトでかかる凄まじいGに耐えながら、シンジはニヤリと笑っていた。


(…ゲヒルンに来て、『マーナ』の補給に使える技術を探すつもりだったんだけどね。瓢箪から駒、かな?

 第三新東京に来て、本当に良かったよ。これで僕も一息つけるってもんさ。おかげでなんとか生き延びられそうだ。

 しかし本当にこの『マーナ』の希薄さはキツいよね。今後ともよろしくね、『初号機』…)

『ぐるるるるるる…』


 唸るような声で、初号機は返事を返した。


あとがき

 さて、聖刻エヴァの第1話です。
 シンジ君、しょっぱなから正体バレバレですね。
 ちなみに、膨れ上がった筋肉という表現でもわかるでしょうが、彼は『金手○流』の修行をしてます。
 いや剣技も研鑚してますが。
 彼に殴られると、かなり痛いです。
 たぶんCON値9の平均的プレイヤーキャラだと、鎧無しだと一撃で重傷でしょう。
 レイのもとへ一足飛びに跳んだのは『隔足』の技です。
 まさしくスーパーシンジ(笑)
 さて、次回はいよいよサキエルとの闘いです。

 ところで、私はとても感想に飢えております。
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