Episode:06「超音速」


 その日ネギは元気はつらつと言った風情で、学校に現れた。何か腰が引けていた先週末とは大違いである。

「おはようございますっ!エヴァンジェリンさんいますかっ!?」
「あー、ネギ君おはよー。」
「お、おはよーございますー。」
「エヴァンジェリンさんなら、まだ来てないですが。」

 早乙女ハルナ、宮崎のどか、綾瀬夕映の図書館探検部3人組から、朝の挨拶がてらエヴァンジェリンの不在を告げられたネギは、何やら拍子抜けした様子だ。

「へ……。あ……。そうですか……。」
「何やカゼでお休みするて連絡が……。」

 和泉亜子から渡された、エヴァンジェリン及び茶々丸の欠席届を見つつ、ネギは何やら考え込む。と、彼は徐に歩き出した。

「うーん……。よーし!」
「あっ、ネギ!どこ行くのよ。」

 遅刻寸前で教室に滑り込んで来た明日菜がネギを呼ぶが、彼の足は止まらない。だがその襟首を後ろから引っ掴み、止めた者がいた。千雨である。

「ネギ先生、何処へ行くんですか。」
「あ、ちょ、一寸エヴァンジェリンさんの所まで家庭訪問に……。」
「その前に朝のSHRでしょう。」
「あ!そ、そうでした!」

 千雨は米神を揉む。どうやら精神的な頭痛を覚えたらしい。彼女はネギに向かい、言った。

「元気が出たのはいいんですが、先生……。もう少し周りを見る余裕を持ってください。」
「す、すいません。」
「それと先生が担当している授業、ウチのクラスは午後までありませんけど、他のクラスは大丈夫ですか?それ放り出して行ったりしたら、まずいなんてもんじゃ無いですよ。」
「そ、それは大丈夫……なハズです。」
「ならいいんですが。……あー、まずは朝のSHRです。」
「はい!」

 千雨は自席に戻ろうとする。その途中、楓がいたので軽く手を上げて挨拶した。楓も手を上げて答礼する。ふと千雨は、楓の視線がネギに向いており、その視線が何と言うか慈しむ様な色を湛えている事に気付く。千雨は楓に歩み寄った。

「……ネギ先生、何かあったのか?」
「先の土日に、山中で拙者が修行してると、そこへネギ坊主が来たでござるよ。何事か悩んでいる様子であったので、一寸ばかり一緒に修行したんでござる。」
「そうか……。納得行った。」

 千雨はその場を離れ、自席に戻った。彼女は思う。おそらくは楓は、千雨の時と同様、ネギに対し何かしらの一寸した――当人にとってはとても大きな――助力をしたのだろう。先週までのネギは、頑張ってはいても何処か無理をしている風情があった。今の彼にはそれが無いか、少なくとも以前よりずっと小さくなっている。

(……ま、元気なのはいいんだが。あとは変な風に暴走しなけりゃいいんだがな。)

 やがてSHRが終わると、ネギは早速エヴァンジェリン宅へすっ飛んで行く。そして彼は、彼が担当する授業開始ぎりぎりまで戻って来なかった。
 ちなみに帰って来た時ネギは、何やら微妙な表情をしていた。それを見た千雨は、また多少不安になったらしい。





 次の日ネギは、非常に浮かれていた。エヴァンジェリンが彼の担当する英語の授業に出席していたのである。彼女曰く、「昨日世話になったから授業ぐらいには出てやろうと思った」だそうである。それでネギは、エヴァンジェリンが考え直して改心してくれた物と思い込んだのだ。
 その様子を見て、千雨は眉根を寄せる。彼女にはネギの内心を知る術は無いが、それでも大体の所を慮る事ぐらいはできた。

(……すっかり油断してやがんな。けどマクダウェルの奴は、たぶん諦めたわけじゃねーぞ?15年もこの土地に縛り付けられるって事がどう言う事か、私にだって分かるたあ言えねえ。だが、ちょっとばかり親切にされたからって、諦められる事じゃあ無ぇ事ぐらいは分からあな。
 まあ、次の満月まではまだ間があるからな。それまでは心配しねぇでも良いか?)

 千雨にはマシナリーとしての超人的な能力がある。だがさすがに予知能力までは持っていない。エヴァンジェリンが本日この夜に、最終作戦を決行しようと考えているとは、彼女は知る由も無かったのだ。





 この日の夜8時、麻帆良学園都市全体は、年2回行われる一斉メンテナンスにより、深夜12時までの間、停電となる。エレベータも停止し、街灯も消え、生徒達は外出禁止となるのだ。千雨は寮の自室で、停電に備えてPCの電源を落としていた。ちなみに寮で同室のザジ・レイニーデイは外部団体である曲芸手品部の部室などに泊まり込んでおり、ほとんど自室には帰って来ない。そのためこの部屋は、ほぼ彼女が独り占めしている様な物だった。

「……と。これで全部電源は落としたな。冷蔵庫も4時間程度なら問題になる食材は無いし。……いつもの訓練のために出かけようにも、一応外出禁止だしな。見つからないとは思うが、万一見つかったらごちゃごちゃうるさいし。
 ……やる事ぁ無いから、寝るか。こんな早くから寝るのは、久しぶりだな。」

 8時寸前に、千雨は電気を消してベッドに潜り込んだ。だが彼女はすぐに飛び起きる事になる。それは麻帆良学園都市全域に張られている学園結界を管理している部署からの、学園長への緊急連絡を傍受したためであった。最近千雨は基本的に、携帯電話の通話は傍受しない様に心がけている。ただし学園長が持つ、「裏向きの仕事用」の携帯電話だけは別だ。彼女はその携帯電話への着信や、その携帯電話からの発信は、意図的に選択して傍受する事にしていた。理由は彼女に言わせれば、万一自分の事が知られたりした場合の予防的措置、と言う事らしい。

『学園長!学園結界に電力を供給している予備システムが停止しました!原因は不明ですが、おそらく外部からのハッキングによる物と思われます!』
『む……。それは一大事じゃの。万一に備え、至急学園地下に封印されておる無名の鬼神他の監視に、人を向かわせる。それと学園都市外縁部の警備陣にも注意を促す。学園都市全体のメンテナンス作業も、急がせるわい。正システムが復旧すれば、学園結界も復旧するでの。そちらは予備システムの復旧に全力を上げておくれ。』
『はっ。』

 千雨は飛び起きると共に、苦々しく思う。

(学園結界が落ちた!?まず間違い無ぇ、マクダウェルの仕業だ!いや、絡繰かも知れんが、マクダウェルの意志が介在してる事ぁ確かだろう。麻帆良のデータバンクから盗って来た情報では、学園結界がマクダウェルの力を抑制してるって事だったからな。これで奴ぁ、本来の吸血鬼としての力を発揮できるってワケだ……。
 ……どうするんだ、私?あのガキを護るのか?あのガキを護って、全力全開の齢600歳の吸血鬼と事を構えるのか?マクダウェルにだって、同情すべき点は多々あったろうが?)


 千雨は一瞬躊躇する。だがすぐに彼女は自室の窓を全開にすると、戦闘形態に変わり、そこから飛び出した。

(……考えるのは後だ!このまま何も手出しせずに放って置いたら、たぶん後から後悔する!そいつは御免だっつーんだ!)

 そして千雨は高速転移して加速すると、夜の闇の中へ駆け出して行った。





 高音・D・グッドマンは、自らの影を身に纏い、その拳を無数にいる骸骨の妖怪の1体に叩きつけた。この骸骨の妖怪達は、特級の霊地である麻帆良の霊力に惹かれて集まって来た物だ。高音に殴られた骸骨は、粉微塵に砕け散るが、敵はその1体だけではない。わらわらと寄って来る骸骨の集団を、高音は多数召喚した影の使い魔をもって防ぐ。

「くっ……。数が多すぎますっ……。」

 唇を噛みつつ、高音は吐き捨てる様に言う。その台詞には、動く骸骨と言う不気味な妖怪に対する嫌悪感、そして隠しきれない恐怖感が見て取れた。しかし誇り高い彼女は、それを噛み殺しつつ必死に戦う。
 と、その時呪文詠唱の声が響いた。

「メイプル・ネイプル・アラモード!!ものみな焼き尽くす浄化の炎。破壊の主にして再生の徴よ。我が手に宿りて敵を喰らえ。紅き焔!!」

 高音の『魔法使いの従者』たる佐倉愛衣の左手から、強力な爆炎が発生し、複数の骸骨を焼き尽くす。愛衣は叫んだ。

「お姉さま!囲まれます、下がってください!……メイプル・ネイプル・アラモード、火の精霊17柱!集い来たりて敵を射て!魔法の射手・連弾・炎の17矢!!」

 愛衣が放った炎の魔法の矢は、その1本1本がそれぞれ別の骸骨妖怪を貫き、燃え上がらせる。素晴らしい魔法の制御力であった。ただしその術者当人である愛衣は、一寸腰が引けている。更に言えば、声も若干震えが隠せていない。やはり骸骨と言う物は、人間の恐怖感に訴える物があるのだ。それから考えれば、中学2年生である彼女には、流石に厳しい物があるのだろう。
 その時である。骸骨の妖怪たちは突然2人の魔法生徒への攻撃を中断した。高音と愛衣は怪訝に思ったが、チャンスとばかりに攻撃しようとした。だが次の瞬間、彼女等は大いに驚く。

「えっ!?」
「そ、そんな……!?」

 無数の骸骨の妖怪達が、1体に合体し始めたのである。
 この骸骨の妖怪は本来、1体1体はたいした敵では無い。脅威なのはその数だけであったのだ……つい先程までは。だが今やその無数の骸骨の妖怪は、1体の巨大な骸骨へと合体していた。その身長たるや、7〜8mはあるだろう。巨大骸骨……これぞ彼の有名な、がしゃどくろであった。
 本来これほどに強力な妖怪は、学園結界に影響されてその力を封じられるはずである。学園結界は、それが強い妖であるほど、強力にその力を発揮するのだ。がしゃどくろは本来、ぎりぎりではあるがその「強い妖」の範疇に入っていたはずなのだ。学園結界が普段通りの力を発揮していれば、骸骨妖怪どもは合体する事など、有り得なかっただろう。

「くっ!愛衣、下がって支援に集中なさい!黒衣の夜想曲!!」
「お、お姉さまーーー!?」

 高音は操影術の近接戦闘最強奥義を展開する。彼女の身体に一際大きな影の使い魔が纏われ、その身を護った。これで普通の打撃は、彼女には一切効果が無いはずである。あらゆる打撃は、彼女が身に纏った影の使い魔が自動的に防御し、その衝撃を吸収してしまうのだ。
 だがしかし、がしゃどくろに真正面から立ち向かうのは無謀だった。がしゃどくろはその巨大な腕を無造作に奮う。その攻撃は高音に直撃した。

「きゃ……!」

 高音は見事に吹き飛ばされた。いかに身に纏った影の使い魔が衝撃を吸収するとは言え、がしゃどくろの一撃はその影の使い魔ごと彼女を吹き飛ばしてしまったのである。殴られた衝撃自体は吸収されたために、高音のダメージはさほどでは無い。だが吹き飛ばされた時彼女にかかったGは凄まじく、意識が飛びかける。
 そこへ愛衣の援護の魔法が叩きつけられる。だが先程までの骸骨妖怪には非常に効果的であった炎の魔法だが、合体したがしゃどくろには表面を少し焦がす程度のダメージしか無い。がしゃどくろは愛衣の攻撃にはかまわず、高音にその巨大な脚で蹴りを入れようとした。

「お姉さまーーー!!」

 高音は目を瞑り、歯を食いしばる。打撃によるダメージは考えなくとも良い。だが吹き飛ばされた時のGで気を失ったりしてしまっては、操影術は解除されてしまい、無防備になってしまうのだ。
 だが何時まで経っても、がしゃどくろの蹴りは襲って来ない。高音は目を開けた。すると彼女の目の前に、1.5mはあろうかと言う巨大な頭蓋骨が転がっている。がしゃどくろの頭だった。良く見れば、がしゃどくろの身体はばらばらに分解している。
 キーーーン、と言う金属音にも似た、あるいはジェットエンジンの音にも似通った音が、周囲に響き渡っていた。

「こ、これは……。」
「お姉さま!大丈夫ですか!?」
「愛衣、何があったの!?」
「わ、わかりません。突然この音がしたかと思ったら、あの巨大な骸骨の首が落ちて、五体がばらばらになったんです。」

 そして突然、金属音に似た音は消えた。それと同時に、1人の人影がその場に姿を現す。黒を基調として、赤いラインが走る身体に、若い女性……少女に見えるボディライン、そして随所に見られるメカニックな意匠。誰あろう、それは千雨のマシナリーとしての戦闘形態だった。
 千雨は喚く。

「だーーーっ!!またハズレかっ!!いったいあのガキゃ、何処にいやがるんだっ!!」

 千雨は、麻帆良学園の敷地を縦横に高速転移して全力で疾走しつつ、何かしら騒ぎが起こっている場所を回り、ネギ達を探していたのだ。だが彼女が見つけた騒ぎは、いずれもネギやエヴァンジェリンとは関係の無い騒ぎばかりであった。
 高音は半ば呆然としつつ、千雨に問いかける。

「あの……貴女はいったい?」
「……下がってろ、そこにいると電撃の余波を受けかね無ぇぞ。」

 千雨は高音の問いには答えず、その両拳から強烈な……最大10万kwにも達する電撃を放射する。その電撃はばらばらになったがしゃどくろに襲いかかり、その残骸を焼き尽くした。
 やれやれと言う風情で、千雨は肩を落とす。そして彼女は再度高速転移して加速すると、瞬時に姿を消した。マシナリーの高速転移に付随する、金属音に似た音の残響が、あっと言う間に遠ざかって行く。
 高音はぽつりと呟いた。

「なんだったんですか、今のは……。」
「あ、私噂で聞いた事あります。最近麻帆良で……いえ、麻帆良だけじゃないですけど、噂になってる、黒いメカニックな超人の事。たしか『8マン・ネオ』とか言ったはず……。
 あれ?でも今の人は女の子でしたね?胸に『8』のマークもありませんでしたし。あれ?じゃあ違う人なんでしょうか?」

 愛衣は一生懸命考えるが、答えの出ようはずも無い。ただ確かなのは、この夜彼女達が千雨……『ダブル・8』に救われたと言う事だった。ちなみにこの夜、麻帆良のあちこちで似た様な事が起きていたと言う。





 麻帆良のあちこちを走り回った千雨は、肉体的にはともかく、精神的にはかなり疲れ果てている。だがその苦労が報われ、彼女はようやくの事でネギを見つける事ができた。ネギは麻帆良学園都市外れの橋の上で、エヴァンジェリンと茶々丸に捕まっている。千雨は舌打ちした。

(ち、結局捕まってやがんのか。くそ、マクダウェルを弾き飛ばして……。)

 千雨は加速状態のまま疾走し、エヴァンジェリンに掌打で充分手加減した一撃を加える。

 ゴワンッ!!

 しかしその打撃は、何ら効果を表さなかった。千雨が手加減していたと言う事もあるのだが、その攻撃はエヴァンジェリン自身に当たる前に、何か別の物に当たって威力を散らされたのだ。それは封印解放状態のエヴァンジェリンが常に纏っている、魔法障壁であった。

(ち……!以前マクダウェルと戦った時は、この程度であっさり障壁を破壊できたのに!いや、そうか。コイツ今は学園結界が落ちて、魔力が全開状態なんだったな。それで障壁の強度が桁外れに上がってやがるのか。)

 千雨は瞬時の判断で、ネギを引っ掴んでその場を離れる。そして彼女はエヴァンジェリン達から充分離れた吊り橋主塔の陰で、高速転移を解除した。エヴァンジェリンは急に魔法障壁を殴られた上にネギがいなくなり、驚き騒いでいる。
 ネギは小さく呻いた。

「あ……?」
「喋るな。ゆっくり深呼吸してろ。加速して助け出したからな、前と同じで目が回ってるハズだ。……いいか、私が時間を稼いでやる。身体が回復したら、とっとと逃げろよ。」

 そして千雨は再度高速転移すると、加速状態でエヴァンジェリン主従の前に移動し、わざと加速を解除する。エヴァンジェリンは目を見張った。

「貴様は!……たしか『ダブル・8』だったな。そうか、坊やがいなくなったのは、貴様の仕業か。」
「まあな。……なあ、どうしてもネギせ……少年の血が必要なのか?他には方法は無いのかよ?」
「ふん、他の方法がある様なら、こんな所でこうしてはおらんわ。これはようやくの事で巡って来た、千載一遇の機会なのだ。」

 エヴァンジェリンの答えを聞き、千雨は顔を俯かせて深く溜息を吐く。そして彼女は顔を上げた。その眼には決意の色がある。彼女は徐に言った。

「……仕方無ぇ。どうやら私は、てめえと戦わないとならねぇみたいだ。やりたか、無かったんだがな。」
「は!今さらだな!来るがいい!」

 茶々丸がエヴァンジェリンの前に出て、構えを取る。エヴァンジェリンは呪文を唱え始めた。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!来たれ氷精、大気に満ちよ!白夜の国の凍土と氷河を!」

 千雨は瞬時に高速転移する。加速状態の千雨からすれば、茶々丸もエヴァンジェリンも動きは止まっている様な物だ。千雨は彼女の主観で動きが止まっている茶々丸の脇をすり抜け、エヴァンジェリンに迫る。

(……今のマクダウェルの障壁に私の攻撃が通じるか?いや、それ以前に、私にできるか?うかつにハイパワーでぶん殴れば、障壁を貫いた残余の威力でも、人体を致命的に破壊してしまうかも知れねえ。たとえ相手が吸血鬼だったとしても、生きた人間相手に、そんな威力で攻撃できるのか?)

 千雨の拳の一撃は、本気になれば鋼の塊さえも穿ち砕く事が可能である。しかしそんな攻撃が直撃してしまえば、エヴァンジェリンの身体は粉々になりかねない。とりあえず千雨は、40%程度の力で殴りつける。だがその一撃は、障壁に軽く防がれてしまった。

(ちっ……。まだ甘く見てたかよ!)

 千雨は次は50%程度にパワーを上げて、ぶん殴る。その攻撃もまた、障壁に防がれてしまった。60%でも、70%の力でも、それが80%であっても、エヴァンジェリンの障壁は持ち堪える。そして90%の力で殴り、またも障壁が持ち堪えた時、千雨は嫌な予感を覚えた。彼女は跳躍し、橋を支えるケーブルの上に降り立つ。次の瞬間、エヴァンジェリンの前方数メートルの橋上面が、全て凍って行くのが見えた。エヴァンジェリンの魔法、「凍る大地」の効果である。先程千雨が加速する前に唱えていた呪文が、たった今詠唱完了したのだ。うかつに今までの場所にいたなら、膝下から氷に閉じ込められて動きを止められてしまっていた所である。

(ちくしょう!これでどうだ!)

 千雨はエヴァンジェリンの後方に飛び降り、とうとう全力全開の力で殴る。

 バリン!

 エヴァンジェリンの魔法障壁は、ついに音高く破れた。だが結局、障壁を破るのに力の大半を使い果たした千雨の拳は、エヴァンジェリンの胴体にやんわりと食い込んだだけに終わった。エヴァンジェリンの瞳が笑っているのが、千雨には見える。あたかもそれは、獲物を捕らえた獣の様な瞳だった。
 千雨は全力で飛び退る。

(……ヤバいッ!!)

 千雨は転倒する。彼女の左脚が凍りついていた。エヴァンジェリンが無詠唱で行使した、氷の魔法の矢によるダメージである。千雨は加速を解除した。全ての力を、損傷の回復に当てるためである。
 加速を解除して姿を現した千雨に、エヴァンジェリンは称賛の拍手を送る。もっとも半分以上嫌味ではあるが。

「凄まじい物だな、『ダブル・8』。私の……真祖の吸血鬼の魔法障壁、それも封印解放されて全力全開の私のソレを、単純な力技で破るとは、な。」
「へっ、高速転移中の私を、自分を囮にして捉える様な奴に褒められてもな。すっかりしてやられたよ。」
「貴様は気配があからさまだからな。捉えやすいと言えば捉えやすい。まあ、私以外の奴になら充分通用するさ。」

 その台詞を聞き、千雨は内心で舌打ちする。

(くそっ……。生きて帰れたら、長瀬にでも気配の消し方、教えてもらうかな……。)

 そんな千雨の、悔しそうな気配を感じ取ったのだろうか、茶々丸を背後に控えさせたエヴァンジェリンは、嘲笑を浮かべて言う。

「……ふん。話を長引かせているな?」
「!!」
「貴様の脚が、急速に解凍、回復しているのには気付いている。だが、そんな余裕はやらんよ。リク・ラク・ラ・ラック・ライラック。氷の精霊千一頭。集い来たりて敵を切り裂け。魔法の射手・連弾・氷の千一矢。」

 エヴァンジェリンの右掌から、1,001本の魔力の氷柱が射出された。それは各々別個の軌道を描き、千雨に迫る。先程高速転移中の千雨に命中したのは、エヴァンジェリンが速さと早さを最大限に意識したため、無詠唱のしかもたった1本の魔法の矢であった。だが今度の攻撃は、エヴァンジェリンがわざわざ呪文を詠唱して放つ、本気の攻撃だ。
 いや、完全に本気とは言い切れないのかも知れない。エヴァンジェリンが使ったのは、矢の本数が桁外れに多いとは言えど、基本魔法である「魔法の射手」である。これはエヴァンジェリンの、「貴様など大呪文や秘呪文を使うまでもない」と言う意志表示なのかも知れない。だが実際の所、それで充分だ。今の手負いの千雨など、全開状態のエヴァンジェリンに取っては塵芥に等しいのだろう。
 千雨は迫る氷の魔法の矢を見つつ、苛立っていた。

(ふざけるな……。)

 エヴァンジェリンの魔力によって構成された、魔法の氷柱が迫る。

(ふざけんじゃ、ねえ……。)

 1,001本の魔法の矢が、千雨に引導を渡そうと迫り来る。

(こんな……。こんな事で、2度も死んでたまるかよ!私はまだ何もやっちゃいない!何もできちゃ、いないんだ!ふざけんなあああぁぁぁッ!!)

 ドン!

 千雨の周りから、音が消えた。そして彼女に新たな感覚が目覚める。目でも耳でも、皮膚感覚でもない、全く新しい感覚……レーダーである。1,001本の氷の魔法の矢が、確実にレーダーに反応している。その全ての位置が、明確に判る。
 空気の感覚が変わった。まるで水の様に、千雨の身体にまとわりついてくる。千雨はそれを切り裂いて疾走した。そして千雨は、ついに『音速の壁』を突破する。凄まじい衝撃を感じた後は、いきなり静かになった。そう、千雨はついに超音速での機動を会得したのである。彼女の姿は、何時の間にか変わっていた。基本的には、今までの戦闘形態と変わらない。だがよりスリムになって前面投影面積や空気抵抗が減り、膝や肘などにカナード翼が飛び出している。凍りついていた左脚は、既に完全に復元していた。これが千雨……『ダブル・8』の超音速形態である。

(これは……何処かでこの感覚を味わった記憶がある。何処か、遠い何処かで……。)

 それは光一……『8マン・ネオ』から移植された『8マンのマトリクス』に付随する『8マンの戦闘経験』による記憶だ。千雨はその戦闘経験に従い、疾走する。橋の上に、無数の氷の華が咲いた。千雨が超音速で疾走した事で衝撃波が発生し、その衝撃波に触れた氷の魔法の矢が誘爆したのである。
 千雨は方向転換し、最大加速で走り続ける。その目標は、橋の真ん中に立って千雨を嘲笑っているエヴァンジェリンだ。超音速の域まで加速している彼女以外にとっては、時間的にはほとんど経過していない。エヴァンジェリンは千雨が彼女の魔法から逃れた事すらも、未だ認識していないだろう。

(もう手加減なんて言ってらんねえ……。ソニックブーム……。超音速によって生み出される、大気のハンマー……。それで奴を……打ちのめす!!)

 千雨がエヴァンジェリンの脇を駆け抜ける。凄まじい衝撃波が、エヴァンジェリンを襲い、彼女の魔法障壁をいともあっさり打ち砕いて、更に彼女を打ち据えた。エヴァンジェリンを叩き伏せた衝撃波のほんの余波が、傍らに控えていた茶々丸をも吹き飛ばす。茶々丸は麻帆良湖に落ちそうになった所を、自らのスラスターによる噴射で空に浮かび、難を免れた。千雨は加速を解除して、ズタボロになったエヴァンジェリンに両拳を向ける。指向性電撃装置をいつでも使える構えだ。茶々丸は自らの主を呼ぶ。

「マスター!!」

 その瞬間、エヴァンジェリンの姿が無数のコウモリに変わり、分解する。そしてそのコウモリが再び空中に集まると、やはり瞬時にエヴァンジェリンの姿に戻った。その身体には、傷一つ無い。但し着ていた衣服はズタズタになったままだが。彼女は宙に浮かび、苛立たしげに言葉を発する。

「やってくれたな……。肉体の再生は疲れるし、面倒だと言うのに。……だが一つ、詫びておこう。貴様を見くびっていたよ。ここまでの事ができるとは、な。だが吸血鬼……特に真祖はただの武器では死なん。貴様にとっては残念な事だが、な。」
「……へっ。ずっと見くびってくれてても、私はかまわねえよ?その方がこっちとしては楽だかんな。」
「そんなに自らを卑下することもあるまい。私が本気を出すに値すると認めてやったのだから、な。」

 互いに言葉での牽制を繰り返しているが、実の所こうなれば千日手に近い。千雨から見れば、エヴァンジェリンに空を飛ばれては、攻撃の手段は指向性電撃装置しか無く、果たしてそれでエヴァンジェリンの魔法障壁を破れるかどうかは分からない。一方エヴァンジェリンの側からしても、千雨が超音速での機動を繰り返せば、魔法攻撃を狙って当てる事など不可能に近い。先程の様に相手の攻撃を誘って無詠唱魔法の矢を当ててやろうにも、もうおそらくは千雨は引っ掛からないだろう。
 そして千日手となれば、実は勝利は千雨の物だったりする。麻帆良学園都市のメンテナンス作業が終了し、停電が終われば、今現在落ちている学園結界は復旧してしまう。そうなれば、エヴァンジェリンの魔力は再び失われ、彼女は10歳相当のただの子供同然になってしまうのだ。そうなればエヴァンジェリンは、もはやネギの血を吸う事もままならない。
 だがその時、年端もいかない少年の声が周囲に響いた。

「やめてください!エヴァンジェリンさん!『ダブル・8』さん!……エヴァンジェリンさん、あなたの標的は僕のはずでしょう!?」
「なっ!馬鹿!調子が戻ったら逃げろって……!」

 それはネギの声だった。彼の後ろには、ネギの保護者役である明日菜と、ネギの使い魔であるオコジョ妖精のカモがいる。千雨は一瞬、怒りと心配とで我を忘れそうになった。
 だがそれも、ネギの次の台詞を聞くまでであった。

「僕がここに出て来たのは、僕を逃がそうとしてくれた『ダブル・8』さんのお気持ちを無駄にする事だって、分かっています。ですが、このまま逃げちゃったんじゃ、駄目なんです!僕はいつまでも逃げなきゃならないですし、エヴァンジェリンさんはいつまで経っても僕の血を狙い続けるでしょう。今後似た様な機会があれば、エヴァンジェリンさんは何度でも同じ様な事を繰り返すでしょう。
 それじゃあ何の解決にもならないんです。また何人も被害者が出る事は、なんとしても避けなければならないんですっ!」
「……待て。また何人も、って事は、もう誰か被害者が出てるのか?」
「まき絵さん、アキラさん、ゆーなさん、亜子さんが吸血鬼の下僕化されてしまいました。今は気絶してもらってますけれど……。この事件が終わったら、吸血鬼化の手当てをしないといけません。
 だから、もうそんな事にならない様に、エヴァンジェリンさんと僕の間で、『なんらかの決着』をつけておかないと駄目なんです!もし僕が負けて血を吸われる結果になったとしても……。」
「……。」

 ネギの言葉に、千雨は気圧される物を感じる。彼女は頭を振った。

「あー、あー。分かったよ。てめえがそこまで覚悟決めてんなら、何も言えねーさ。あ、いや1つばかりあった、な。
 てめーもう少し他人を頼りやがれ。他人に助けを求める事ぁ、悪ぃこっちゃねぇぞ?特にてめえは子供だ。誰かに助けを求める事は、別に恥ずかしい事じゃあ無ぇ。大の大人だって、やってるこった。
 それに、だ。1人で突っ走るのは、一見格好いい様に見えるが、てめえを応援したい、助けたい、そう思ってる人間に対して失礼になる事だってあんだぜ?」
「はい、わかってます。アスナさんにも同じ様な事、言われました。……お願いします、『ダブル・8』さん。アスナさんといっしょに、僕がエヴァンジェリンさんと1対1になれるよう、力を貸してください。」

 千雨は頷いて見せる。そして彼女は改めて、エヴァンジェリン主従に向き直った。

「……と言う訳で、選手交代だ。話の間、待っててくれたんだろ?サンキュ。」
「ふん、少しぐらいはかまわん。それより坊や、さっきは半ベソだったのが、味方が来たとたん元気になったな?」
「ええ。これほど心強い物だとは、思っても見ませんでしたよ。」

 ネギはエヴァンジェリンの皮肉に、真正面から応える。そして彼は一枚のカードを取り出した。

「契約執行90秒間!!ネギの従者『神楽坂明日菜』!!」
「何っ!?『魔法使いの従者』だとっ!!……ふん、急ごしらえのパートナーが、どれほどの事あらん。
 リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!!」
「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!!」

 2人の呪文詠唱の声に乗って、茶々丸が突貫してくる。それを明日菜が迎え撃った。と、明日菜に向かう茶々丸の攻撃を千雨が掴んで止める。今千雨は、超音速形態を解除して通常の戦闘形態に戻っていた。走力ならばともかく、単純なパワーにおいてはこちらの方が若干有利だ。そして茶々丸をここで明日菜と2人がかりで釘付けにしておくには、超音速は必要無い。

「悪いがアンタにゃ、ここで私らと睨み合いをしてもらうぜ。」
「風の精霊17人!集い来たりて……!」

 ネギはポケットから、星型のヘッドが付いた1本の小さな杖を取り出す。それは彼が昔使っていた子供用練習杖だ。彼が本来使っていた大きな魔法の杖……父親の形見の杖は、先程エヴァンジェリン達に捕まった際に麻帆良湖に投棄されてしまっていたのである。

「何だそのカワイイ杖は!ハハハ、喰らえ!魔法の射手・連弾・氷の17矢!!」
「くうっ!魔法の射手・連弾・雷の17矢!」

 エヴァンジェリンとネギの放った魔法の矢が、ネギの眼前の空中で激突し、爆煙を上げて互いに消滅する。

(……曲がりなりにも、撃ち合えてんじゃねーかよ。マクダウェルの方は若干手加減してるみてーだがな。……ま、そうか。マクダウェルはあのガキの血が欲しいんだ。粉微塵に吹き飛ばすわけにもいかねーか。)

 千雨は明日菜と共に、茶々丸の攻撃を封殺しながらネギの様子を見遣った。茶々丸自身がネギとエヴァンジェリンの戦いに気を取られている様子であるため、その程度の余裕はいくらでもある。
 また再び、ネギとエヴァンジェリンの魔法がぶつかり合い、爆煙を上げて相殺された。ネギは勝負に出る。

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル!来たれ雷精、風の精!!」

 それはネギが今使える中で、一番強力な魔法だ。だがエヴァンジェリンもまた、呪文を唱える。

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック!来たれ氷精、闇の精!!」

 それはネギが唱えていた呪文と、同種の魔法だ。エヴァンジェリンはネギと真っ向から撃ち合うつもりの様だ。それはエヴァンジェリンの戯れであろうか、それともネギの事を単純に侮っているのだろうか。いやもしかするとエヴァンジェリンには、ネギに対しての期待の様な物でもあるのかも知れない。少なくともエヴァンジェリンは、本来彼女が使えるであろう強力な大呪文や、秘呪文の類を使ってはいなかった。

「雷を纏いて吹きすさべ南洋の嵐!」
「闇を従え吹雪け常世の氷雪!……来るがいい、ぼーや!!」

 2人の魔法が炸裂し、激突する。

「闇の吹雪!!!」
「雷の暴風!!!」

 同種の魔法だけあって、威力的にはほぼ互角だ。となれば、あとは術者の力量次第である。流石に600年余の研鑽を重ねたエヴァンジェリンの力は凄まじく、ネギは徐々に押され始めた。

「ぐうっ……。くくっ……。」
「う、うう……。ああ……。」

 ネギの持つ子供用練習杖に、罅が入る。あくまでこの杖は子供用の練習用であり、この様な大出力に耐えられる造りにはなっていないのだ。だがネギは諦めてはいなかった。彼は後先考えない全力を身体の奥底から無理矢理に引っ張り出し、壊れかけた杖に注ぎ込む。
 暴走と言っても良い魔力の奔流が、ネギの魔法、雷の暴風を後押しした。

「な、何っ!?」

 エヴァンジェリンの闇の吹雪を押し切ったその魔法の余波が、エヴァンジェリンを襲った。雷と風のエネルギーが、周囲を荒れ狂う。明日菜と茶々丸が叫んだ。

「ネギー!!」
「マスター……!!」
「……2人とも一応は無事だぜ?」

 千雨が呟く様に言う。彼女の身体に搭載されているセンサー群は、茶々丸のそれを性能的に遥かに凌駕しているのだ。立ちこめていた煙が吹き払われると、そこには、荒い息を吐くネギと、ズタボロの状態で宙に浮かぶエヴァンジェリンの姿があった。ネギの手の中で、子供用練習杖は砕けてしまっている。
 溜息を吐き、千雨は頭を振った。

「今の一撃だけなら、ネギ少年の勝ち、だな。もっともこれで終わるかと言うと……。あ、いや終わりだな。」

 千雨の『耳』には、麻帆良学園学園長近衛近右衛門の携帯電話に連絡する、メンテナンス作業完了報告の電話の内容が傍受されていた。

『学園都市のメンテナンス作業、完了いたしました学園長。』
『ほっほっほ、急がせてしもうて済まんの。予備システムの方は、まだ復旧できんそうなのでのう。早速正システムを起動してくれたまえ。これで学園結界が復旧できるわい。』
『了解です。では早速……。』

 突然茶々丸が叫んだ。彼女は今夜の停電が始まってからずっと、学園結界の様子をモニタリングしており、そのシステムの復旧を感じ取ったのである。

「いけないマスター!戻って!!」
「な……、何!?」
「予定より7分27秒も停電の復旧が早い!!マスター!!」
「いや、お前らが学園結界の予備電源を落としたりするからだ。だから学園側が急いで正規のシステムを復旧させたんだ。」

 千雨の言葉にはかまわず、エヴァンジェリンは急いで橋上に戻ろうとするが、間に合わなかった。エヴァンジェリンの身体を、電撃に似たスパークが包み込む。彼女は叫んだ。

「きゃんっ!!」

 学園結界の復旧により、魔力の封印が戻ったエヴァンジェリンの身体は、10歳の少女の物に等しい。無論、空を飛ぶ事など不可能だ。彼女は麻帆良湖へと落下して行く。茶々丸がスラスターを吹かしてそれを追うが、間に合わない。

「――魔力がなくなればマスターはただの子供、このままでは湖へ……。あとマスター泳げません!……!?」
「エヴァンジェリンさん!」

 ネギが落下するエヴァンジェリンを追い、橋の手摺を蹴った勢いで麻帆良湖に飛び込んで来る。後先考えずに、エヴァンジェリンを助けるつもりだ。彼は先に湖へ投棄されていた、父親の形見の杖を呼ぶ。

「杖よ!」

 湖面に漂流していたネギの杖が、まるで生き物の様に飛んでくる。だが間に合うかどうかは危うい所だ。ネギは落下しつつ、右手でエヴァンジェリンの腕を掴む。彼は飛んできた杖に、左手を伸ばした。だが水面まではあと僅かである。

「!!」

 ぎりぎりで、本当に水面ぎりぎりで、ネギは杖を捕まえてそれに跨った。と同時に、彼はエヴァンジェリンを引き上げる。ビキっと彼の右腕が、筋を痛めた音を発する。だが彼は無事にエヴァンジェリンを救い上げた。
 エヴァンジェリンは、ネギに向かい呟く様に問う。

「……なぜ助けた?」
「え……。だ、だって……。エヴァンジェリンさんは僕の生徒じゃないですか。」
「……。バカが……。」

 何やらいい雰囲気である。明日菜が呟く様に言った。

「……なんか私、空気?」
「……心配ありません。私も空気になっています。」
「俺っちなんか、最初っから空気だぜ。」
「私もかよ……。」

 明日菜に追従した茶々丸やカモの言葉に、千雨は疲れた様に続けた。そんな千雨に、明日菜が微笑む。

「え……と。『ダブル・8』さんだっけ?ネギがピンチの時、護ってくれたんでしょ?ありがとうね。」
「ん。いや別に礼を言われる様な事……だったかも知れねえな、アレは。あ、いや私はそのつもりは無かったんだが、全開状態のアレの相手は、流石に骨が折れた。」
「でしょ。だから素直にこっちのお礼、受け取っておいて。」
「わかった。」

 やがて橋の上に上がって来たネギとエヴァンジェリンが、彼等の方へやって来る。ネギは満面の笑みを浮かべ、対してエヴァンジェリンは少々むくれている様子だった。ネギは千雨の方に歩み寄る。

「『ダブル・8』さん!今日は助けてくださって、どうもありがとうございました!」
「ん……。まあ、てめえも良くやった、よ。ま、今回の所はネギ少年の勝ち、でいいな?なあマクダウェル……だったか?」

 千雨がエヴァンジェリンに名字を訊いたのは、実の所演技だ。まかりまちがっても、『ダブル・8』の正体が千雨であるなどとは思われるわけには行かない。それ故彼女は、「自分がエヴァンジェリンの名前を正確には知らない」と言う演技を行ったのである。
 エヴァンジェリンはそれには気付かずに、普通に応える。

「ああ、マクダウェルだ。にしても、予定通り停電が続いておれば、私の勝ちだったぞ?」
「そりゃ、有り得ねえな。お前らが学園結界の予備電源なんぞ落とすから、学園結界を復旧させるために学園側は大急ぎでメンテナンスを終わらせて、正規の電源を復旧させたんだ。下手すりゃ、もっと早く電源が復旧してたかも知れねぇぞ?お前が私に一時的に叩きのめされた、あの瞬間あたりに。」
「く……。ふん、分かった、分かったよ。確かに今日のは1つ坊やに借りだ。今後坊やの授業には、きちんと出てやるし、見境ない吸血行為もやめる。それでよかろう。」

 不貞腐れた様なエヴァンジェリンの物言いに、周囲の人間は各々苦笑なり微笑なりの笑みを浮かべる。千雨は付け加える様に言った。

「ああちなみに、だ。学園結界は別にてめえの魔力を封じるための物じゃねえ。ソレはあくまで副産物だ。本来は強力な霊地である学園都市内で、強力な魔物や妖物が暴れるのを防ぐためのもんだ。だから今回、結界が落ちたせいで結構色々大変だったみたいだぞ?」
「ええっ!?そ、それじゃあ麻帆良の街が大変な事に!?」
「ああ、いや。大変だったのは警備の皆さんだ。街自体には影響は全く無いから安心しろ。」

 驚くネギを落ち着かせる様に、千雨は彼の頭を撫でる。やがて千雨はネギの頭から手を放し、別れの挨拶をする。

「さて、んじゃこの辺で私は失礼する。じゃ、またな。」
「あ、はい!またお会いしましょう!」
「じゃ、またね!」
「んじゃあな姐さん。」
「ふん……。」
「それでは御健勝で。」

 千雨は高速転移して加速し、その場を後にした。一瞬で、ネギ達の姿が後ろの彼方へと消える。と、千雨は体内無線を使ってコールを掛けた。

『光一さん、居るんでしょう?たぶんリープも。なんで来てくれたかは分かりませんが。』
『ああ。やっぱり気付いてたか。』
『はい、来たのはつい先程ですが。』

 加速して疾走しつつ、千雨は頭をめぐらす。すぐに彼女に並走する2つの影が現れた。それは光一……『8マン・ネオ』と、リープである。当然の事ながら、彼等の姿はいつもの戦闘形態だ。
 光一は、徐に言葉を発する。

「本当は、さ。長谷川の声が聞こえたとき、すぐに来ようと思ったんだけど、途中で妖怪に苦戦する魔法使い達を見つけてしまって。それで手伝ってるうちに遅くなった。すまない。」
「声?私、何も通信した覚えは……。」
「無意識だったんでしょうね。『ふざけんなあああぁぁぁッ!!』って、凄い剣幕の声が響いてきましたよ。」
「あ……。あん時か……。」

 それは千雨がエヴァンジェリンの魔法の矢を逃れるため、超音速形態を発動させたその瞬間の叫びだった。千雨は思わず赤面する。だが千雨はすぐに立ち直り、光一に報告すべき事を言う。

「ところで光一さん。超音速、つい先程なんとか物にしましたよ。」
「!……そうか、おめでとう。よかったよ、これで一安心だ。」
「超音速機動を物にしたとなると、これで私の戦闘能力は追い抜かれてしまいましたね。」
「別に戦闘能力で、リープを追い抜きたいわけじゃなかったんだけどな。」

 複雑な思いの千雨だったが、光一の次の台詞にがっくりと来る。

「これで次の訓練に入れるな。」
「!!……ま、まだあるんですか。」
「まだまだあるさ。長谷川には申し訳無いけれど、全ての能力を十全に使いこなせる様になってもらう。
 ……俺達マシナリーは決して兵器じゃあ無い。だけど兵器として使えば、恐ろしい武器になる。包丁や金槌、バールなんかが、その気で使えば人殺しに使える武器になる様に、ね。だから扱い方を間違えたり、迂闊に使ったりしない様に、心してしっかり学んで欲しい。」

 光一の声は硬く、重々しい。千雨は息を飲んだ。

「特にこれから使い方を練習してもらう能力は、本当に危険な力だ。武器にもなる力、じゃなくて、本物の武器そのものだから……。本家の『8マン』である東さん……東八郎さんは、俺にこの『8th』ボディを与えた時に、危険だからそのマトリクスを封印していたほどだ。だけど俺はその能力を封印せずに『16th』ボディにコピーした。」
「……何故です?」
「俺は最初にその能力の封印を破って発動させた時、激烈な怒りにまかせて強引に封印を破ったんだ。その結果、俺は暴走した。相手は千人を超える人々を虐殺したテロリストだったんだが……。だけどそれでも、むやみやたらに「人間に向かって」使っていい力じゃあなかった。たとえ暴走して、自分自身の制御が利かない状況であったとしても……。
 だから俺は、あえてその力を封印しなかった。『16th』を受け継ぐ人に、俺の様にならないで欲しかったから。きちんと最初から理性を持って、その力をコントロールできる様になってもらいたかったから。」

 千雨は光一の声に、深い悲しみを感じた。彼女は思わず光一に問う。

「……そんな大事なボディを、私のためなんかに使って良かったんですか?」
「うん。長谷川を助けるために使えて、良かったと思ってる。」
「私、力に溺れるかも知れませんよ?もしかしたら好き勝手絶頂にこの力を使うかも。」
「そうなったら、命を懸けてでも俺が止めるさ。……でもきっと大丈夫だ、長谷川なら。」
「……。その……。光一さんの期待に沿えるよう、頑張ります。」

 彼等はそのまま疾走し続けた。そこへリープが突っ込みを入れる。

「……光一、長谷川さん。まことに言いづらいんですが、中等部の女子寮はとっくに過ぎましたよ。」
「「!」」

 光一と千雨は思わず足を止めた。光一は言う。

「こりゃ、しまったな。つい話に夢中になってた。どれ、戻るとしようか。」
「あ、いえ、いいです。1人で帰れますから!」
「……そうかい?気を付けてな。」
「はい!では!」

 千雨は180°方向を変えると、再び高速転移して走り出した。その表情は、何とはなしに明るい。千雨は女子寮に向かい、走る。この夜は色々な事があったが、終わりよければ全てよしとでも言うのだろうか、彼女の心は軽かった。


あとがき

 さて、今回で第6話……桜通りの吸血鬼編いよいよラストです。原作本編とそんなに変わり無い筋道でしたが、そちらは別として、千雨は今回「超音速」を会得しました。やはり「エイトマン・インフィニティ」とのクロスとなれば、超音速は外せない要素ですよね。ちなみに一番最初の「エイトマン」は、少なくともマッハ15は出せるらしいです。ある考察サイトによれば、人間の千倍の速度と作品中で明言されている事から、マッハ19.76ぐらい出るんじゃないか、とも言われています。となれば後発の『8th』や『16th』となれば、どれほどの速度が出せる事やら。……まあ、その速度に至るまでの加速力が増加しているだけで、最大速度は変わっていないのかも知れませんが。
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