Episode:03「揺らぐ心」


 3学期も終わったある春休みの日の夜、千雨は中等部女子寮の自室で、『自分自身』とPCをLANケーブルで繋ぎ、電脳空間へとダイブしていた。

「ふう……。いつ来ても『ここ』は、殺風景だな。……壁にテクスチャでも貼るかな。」

 千雨の姿は、いつもの人間体である。彼女の周りには彼女のパソコン自体を表す、感覚質化されたポリゴンっぽい部屋があった。ちなみにその部屋の中には、やはりポリゴンっぽい立方体が複数ふよふよと浮いている。これは千雨のパソコンにインストールされているアプリケーションソフトやデータを表している。
 千雨はそんな浮いている立方体の1つに触れてみる。するとデータが展開され、千雨の周りに様々な画像が映し出された。それは千雨が作ったホームページ、『ちうのホームページ』のデータ群だった。千雨はそこにある自らのコスプレ写真を、暇潰しがてら1つ1つチェックしていく。

(あ゛。コレ修正甘い。なんでこんなのアップしちまってたんだッ!画像サイズが小さいから目立たなかったのは幸いだな……。修正だ、修正ッ!)

 フォトシ○ップを使わずに『素手』でjpeg画像を修正し、それを貼り付けたhtmlファイルを、千雨はFTPツールも使わずに『素手』でサイトのサーバーの方角へと押しやる。パソコン自体を表している部屋の壁に描かれた幾何学的な線が輝き、データが流れて行くのが『視え』た。

(ふう……。こうやって電脳空間にダイブすると、色んなアプリとか要らなくなっちまうな。写真の画像データも微に入り細をうがつまでチェックできるし。なんつーか、すっげぇ楽だわコレ。ん〜〜〜!)

 一仕事終えた千雨は伸びをすると、開いていた『ちうのホームページ』のデータを閉じる。

(さて、どーすっかな。まだ約束の時間まで多少あるし……。ゲームでもやるかな。)

 千雨は適当な立方体――シューティングゲームのアプリケーション――に手を伸ばすと、それを起動する。しかし彼女は思わず呻く。

「うげ。」

 彼女の眼前に展開した画面上では、本来はアニメーションの様に滑らかに動いているはずの自機や敵機が、ぺかぺかと点滅しつつのろのろと、カクカクと動いていた。これはマシナリーである千雨の量子脳があまりに高速なため、ダイブしているパソコンの速度との差が大きすぎる事が原因だった。はっきり言って、ゲームにならない。

「だ、駄目だこりゃ。っていうか、シューティングやアクションじゃないゲームやりゃ良いのか。……ありゃ?来たかな?」

 その時、部屋にノックの音が響いた。彼女は声を上げる。

「どうぞー。」

 すると部屋の壁から、一人の人影が滲み出て来る様に出現した。誰あろう、光一である。彼は自分のマンションの部屋から自分のパソコンを介して電脳空間にダイブし、千雨のパソコンまでやって来たのだ。彼は千雨に挨拶する。

「こんばんわ。お待たせ。」
「いえ、まだ約束した時間より早いですよ。」
「そっか。じゃ早速行くとしようか。」

 光一の言葉に、千雨は表情を引き締める。本日光一が出向いて来たのは他でも無い、千雨の電脳戦トレーニングにつきあうためであった。
 千雨は光一に、トレーニングのための目標を訊ねる。

「何処にします?」
「麻帆良学園それ自体の持ってるデータバンクでいいだろう。騒ぎになると何だから、今日のところは見つからない様にこっそり覗く練習ってことで。ついでに魔法使いに関係した情報も、色々と貰ってこよう。本格的な電脳戦の訓練は、また今度時間を取るよ。その時の仮想敵は、防壁をガチガチに張った俺のPCを予定しとく。」

 そして光一は、肩を竦めて見せる。

「実は今回の目標のデータバンクは、先に一寸下見して来たんだ。だけど魔法使い達の電脳技術って、ヤバい物があるな。この時代にそぐわない技術がある。充分注意するようにな。
 さて、行こう。」

 そう言うと、光一は形態形成マトリクスを書き換え、戦闘形態……電脳戦形態へとその姿を移行した。その姿を見て、千雨は疑問の声を上げる。

「あれ!?いつもの戦闘形態じゃ、ありませんね?」
「ああ、この姿は電脳戦に適した形態なんだ。」

 その姿は、基本的な形状は普段の8マン・ネオの戦闘形態に良く似ているのだが、細部が積層パネルを重ね合わせて束ねた様な形をしていた。光一は千雨に向かって立つ。

「長谷川にも……『16th』にも、戦場に応じて形態形成マトリクスを書き換えて即応する能力はあるはずだ。長谷川も電脳戦形態を『創って』みたら?」
「私が、ですか……。」

 千雨はまず普通に戦闘形態を取る。8マン・ネオに似たその姿は、しかしこの電脳空間内では若干CGっぽく見えた。そして千雨は双眸を閉じ、精神を集中する。やがて千雨の身体は光に包まれ、変化して行く。しかしその姿は安定を欠き、収束しない。
 そこへ光一が手を伸ばす。そして手にある端子からデータを千雨へと流し込んだ。すると今まで安定しなかったその姿は徐々に安定して行き、やがて光一の電脳戦形態に似た形状に落ち着いた。光一は千雨を褒める。

「うん、上手く行ったな。」
「光一さんが手伝ってくれたからですよ。」
「俺はほんの少し手を添えただけさ。今の感覚を忘れない様にな。さ、行こう。」

 光一は部屋の壁に手を当てる。するとそこから彼の身体は壁の向こうへと突き抜けて行った。千雨も彼の後を追う。外から見ると千雨のパソコンは、データやアプリケーションのそれに似た立方体で、そこから光り輝くデータラインが虚空へと伸びていた。
 千雨と光一は、データライン沿いに虚空を疾走する。その速度は、まるで電光の様だった。幾つもの立方体や球体――おそらくはプロクシ等のサーバ群――が、前から後ろへと物凄い勢いで流れて行く。千雨は電脳空間を疾走しながら、最近起こった事について色々と駄弁っていた。

「……ってわけで学期末のテストではウチのクラスが学年一位を取ったんですけどね。」
「へえ。それはおめでとう。」
「でも、そのテストで分かったんですけど……。私の頭……量子脳っていわゆるコンピュータですよね?でも特に頭が良くなった気はしないんですよ。結構テストで苦労しましたからね。」
「ああ、それは生前における俺達の脳の働きを正確にエミュレートしてるからだな。俺にも経験があるよ。頭が超高性能のコンピュータになったからと言って、難しい理論とか理解できる様にはならないんだよな。」
「……悪い意味で、よく出来てますね。ハードが良くできてても、中のソフトが駄目なら限界性能を活かしきれないって事ですか。」

 不貞腐れる千雨に、光一は苦笑する。

「駄目なソフトだって事は無いだろう。長谷川は聡明だと思うぞ。」
「なっ……。」

 千雨の顔は赤くなる。光一は続けた。

「それと、足りない知識なんかはこれから蓄積していかなきゃあならないし、応用力なんかは鍛えていかなきゃあならないけれど……。基本的な記憶力や演算能力なんかは、中身である長谷川が量子脳の使い方に慣れるに従って、尋常じゃないレベルになるはずだ。現に今も無意識にその演算能力を使ってるからこそ、こうやって電脳空間にクオリアを投影してられるんだ。」
「そんなもんですか……。」
「……と、着いたぞ。」

 2人は一際巨大な球体の前で足を止める。その球体の表面には、まるで電子回路網の様な模様が刻まれていた。これが麻帆良学園の主データバンクを管理しているホスト・サーバである。2人に、葡萄の粒にも見える小さな球体の集合体が寄って来た。
 光一はそれに触れる。

「気を付けて。防衛システムの巡回プログラム、ウォッチャー……『見張り』だ。俺達からすればあまり大した事ないけど、それでもこの時代からすれば信じられないほど高度なプログラム体だ。
 欺瞞情報を流して、正規のユーザーに見せかける……。長谷川は俺のやり方を見て、そっちに行ったウォッチャーで同じ様にやってみてくれ。」

 光一の手から光……データの流れがウォッチャーに送り込まれ、浸食する。するとウォッチャーは警戒モードから通常モードに戻り、元来た方向へと去って行く。千雨も言われた通り、自分の方に寄って来たウォッチャーに恐る恐る触れ、欺瞞情報を送る。ウォッチャーは見事に騙されて、通常モードになると去って行った。
 千雨は溜息を吐く。

「ふう……。次は、この中ですか?」
「ああ。」
「けど便利ですね、この電脳空間関係の能力は。今まで必死こいてやってた事が、片手間扱いでできる。」
「……。ハッキングとか、やったことあるのか……。」
「は?え、ええ。一寸たしなむ程度に。」

 たしなみでハッキングするなと言う話もあるが、ともあれ2人はホスト・サーバの壁に触れ、その内部へと潜り込む。その中にはデータやプログラムを表す立方体や球体が、千雨のパソコンの中と同じように数多く浮かんでいた。もっともその個数自体は桁違いであったが。
 データ群に仕掛けられているロックやトラップを解除しつつ、光一と千雨はそれらのデータを閲覧して行った。

「……あ。この辺の情報は、学園長のノートPCにダイブした時に盗った情報といっしょだ。げげ。こんな機密ランク高い情報だったのか。そんな大事な情報を私用のノートPCなんかに落として保存しとくなよ、危ねーな。情報管理がなってねーよ……。」
「確かにそうだな。……うん?」
「どうしました?光一さん。」
「いや……。」

 光一は口を濁す。不審に感じた千雨は光一が見ているデータに自分も接触し、読み取って見る。次の瞬間、彼女の表情は強張った。

「これは……。」

 そこには4月から麻帆良学園英語科教師として本採用になり、新学期から千雨達のクラスになる3−Aの担任に就任する予定の、ネギ・スプリングフィールド少年のプロフィールが詳細に記されていた。彼はナギ・スプリングフィールドと言う英雄――千の呪文の男、サウザンドマスターと言う二つ名を持つ――の一人息子であった。そのためネギは、その英雄の後継者として嘱望されていると、そのデータファイルには記載されている。だがしかし、英雄の子供であるネギは、決して幸せな子供では無かった。
 まず第一に、彼には両親が居なかった。父親である英雄ナギは、10前に失踪、おそらく死亡した物と断定されている。母親については何の情報も無いが、どうやらネギが赤ん坊の頃には既に傍にいなかったらしい。
 そして第二の不幸は6年前、英雄ナギに恨みを持つ者の仕業と思われる凶行が、当時3歳のネギを襲っていた事である。爵位級の上位悪魔を筆頭に無数の悪魔が何者かによって召喚され、ネギが暮らしていた村を襲撃、壊滅させたのだ。村人の大半は石化されて石像になってしまい、助かったのはネギ自身と、その従姉であるネカネ・スプリングフィールドと言う少女のみであった。つまりネギはその現場に居合わせ、故郷の村が壊滅する様をまざまざと見せつけられた事になるのである。
 千雨は吐き捨てる様に言葉を発する。

「ち、胸糞悪ぃ……。親が遺した負の遺産、かよ。3歳児狙って、何が楽しい。」
「……そうだな、長谷川。そんな事は許せない。……結局犯人は分かっていないみたいだな。」
「……その後あのガキは魔法学校を飛び級で主席卒業、最終課題として麻帆良で教師になった……ってわけか。……あのガキも、大変なんだな。色々とかましてくれたヘマに腹立ててたけど、そもそもあんな子供にあの能天気なクラスを纏めろって言うのは酷だしな。
 しかしイギリスの魔法学校にせよ麻帆良学園にせよ、上層部ってやつは何考えてんだろーな。あんな子供に先生っていう、専門の人間でも大変な仕事を押し付けるなんざ……。」

 ぶつぶつと呟き続ける千雨だったが、ふと光一が次から次へとデータをサーチしているのに気付く。

「……光一さん?」
「いや……おかしいんだ。いくら探してもネギ少年の母親の記録が無い。データが無さ過ぎる。ここのデータバンクだけでなく、ここに接続されている『まほねっと』とやら言う魔法使い専用ネットのデータまでさらって見てるんだけど、情報がまったく無い。英雄であるナギ・スプリングフィールドの情報ならば腐るほどあるんだが……。その妻に関する情報は、まったく無いんだ。
 ……まるでわざと消去したかの様に。」
「!」

 息を飲む千雨に向かい、光一は真剣な顔で頷いて見せる。

「ネギ少年は長谷川の担任なんだよな。俺の勘だと、ネギ少年の周辺にはまだ何かあると見ていい。おそらく本人に責のある事じゃないが……。充分気を付けておいた方がいいな。」
「……どんだけ不憫なんだ、あのガキゃあ。」

 千雨は苦々しい気持ちで呟いた。





 あくる日、千雨は自室で新作コスプレの自己撮影を行っていた。ちなみに新作と言っても、別にわざわざコスチュームをお針子仕事をして製作したわけではない。いや、元々本来は、彼女は自ら裁縫をしてコスチュームを作っていたのだが、今回は違うと言うだけの話だ。ぶっちゃけた話、今回のコスチュームは彼女がマシナリーとしての能力を使い、マトリクスを書き換えて外形を変化させた物なのである。

(……マシナリーのこの能力、レイヤーには夢の能力だな。材料費もかからねーし、イメージさえしっかり出来てればいくらでも何種類でも再現可能だし……。
 しかもマシナリーになってから、ニキビとかできなくなったもんな。いや機械の身体だからあたりまえなんだがよ……。おかげで写真、前みたく死ぬほど修正しなくとも良くなったし。)

 千雨はほんの少しばかり、マシナリーの身体に感謝する。もっともだからと言って、マシナリーになった事による苦悩や悲哀が薄れるわけではないが。
 とりあえず彼女はパソコンの前に座り、自らの首筋にLANケーブルを接続して電脳空間にダイブ、ホームページの編集、更新作業を行う。更についでにチャットルームも覗いてみる。そこでしばらく常連と駄弁ってから、彼女は電脳空間を離脱した。

(う〜ん……。もうホムペの編集や更新程度じゃ、電脳空間でのスキルは殆ど磨けないな。これぐらいの事でいちいちダイブしてたら、『通常のPC関係の技術』が錆びちまうかもしれねー。うん、今後は自粛しよう。……楽なんだけどな、ダイブして作業すんの。)

 千雨は肩をぐるぐると回す。マシナリーとなった身体は肩凝りなどとは無縁であるはずなのだが、なんとなく肩凝りした様な錯覚を覚えるのだ。彼女は頭を振る。

(ダメだ。なんかこーネットやってても、しっくり来ない。満たされない……ってワケでもねーんだが……。)

 彼女は、完成しかけたパズルの残った最後のピースが、実はそれだけが違った別の絵だったと言う様な感慨を覚えながら中空を見つめていた。が、彼女は突然立ち上がってマトリクスの書き換えで外見を普段着に変え、玄関から表に飛び出した。

「あー苛つく。……仕方ねえ。光一さんからの宿題でもするかね。カラダ動かして苛々発散するってのは、キャラじゃねーんだが……。」

 苛立たしげに呟くと、千雨は麻帆良の外れの方角へと向かう。彼女は途中物陰で戦闘形態に変わると、高速転移して加速状態に入り、常人の目には映らない速度で人気のない山中へと疾走した。周囲には既に道も無く、木々の密集した森があるばかり。そんな中を彼女は、少しもぶつかりもせずに超高速で走り抜ける。

「くそ、なんでこんな苛々してやがんだ、私は……。」

 光一からの宿題である能力トレーニングの内、今千雨が目標にしているのは『超音速』である。これは光一が彼女のボディにあらかじめ転写しておいた『8マンのマトリクス』の内でも、かなりの切り札になり得る程の物だ。だが千雨は未だに超音速での機動を物にはしていなかった。

「もっとだ……。もっと速度を上げろ……!!……む!?」

 その瞬間彼女は、突然移動方向を変え、すぐ傍らに立っていた大木の梢へと跳躍する。そして彼女は高速転移を解除し、左手でその木の梢を掴み体を固定すると、前方を凝視した。
 彼女が急に疾走を止めた理由は、彼女の優秀なセンサーが前方に人型の存在を感知したためである。

(……こんな所に、登山者か?登山道からは随分と離れてるはずなんだが。いや、これは……。)

 千雨の通常視界には、何も見えてはいない。しかし通常で無い視界……サーモグラフィによる熱感知映像には、しっかりと人型の熱源が映し出されていた。その熱源は明らかに千雨のいる方向を目指して、高速で……加速装置による高速転移ほどではないが、明らかに常人ではできない速度で迫り来る。そしてその熱源は、千雨が身を預けている大木の隣の木に登って来た。だがその姿は、通常の視界ではやはり捉える事はできない。
 千雨は思い切って声をかけた。

「オイ、そこに居るのは分かってる。出て来いよ。」
「ござっ!?……できるでござるな。こちらの隠行を見破るとは。」

 一体何処に隠れていたんだ、と思わなくもないが、隣の木の梢に忍者服を着た長身の少女が姿を現す。器用な事に、彼女は梢の上に見事にバランスを取って、直立していた。その姿を見て、千雨は思わず彼女の名前を呼んでしまう。

「げ、長瀬っ!?」
「おや、御仁は拙者の事を御存知でござるか?」
「あ、い、いや。こっちが勝手に知ってるだけで、実質初対面だ。気にするな。」

 そう、現れた忍者服の少女は、千雨のクラスメートである長瀬楓であった。いつも「ござる」とか「にんにん」とか言っている、ベタな忍者的キャラクターであったが、本当に本物の忍者であったとは千雨も気付いてはいなかった。いや彼女も、胡散臭い変人であるとは思っていたのだが。ちなみに長瀬楓は麻帆良学園本校女子中等部2−A――春休み明けからは3−Aとなる――の中で最も成績の悪い5人組『バカレンジャー』の一員であり、バカブルーの称号を持っていたりもする。
 閑話休題。楓は千雨の言葉に首を傾げる。

「そうでござるか。……う〜ん、どっかで会った気もするでござるが。それもごく最近。」
(げ。……鋭い。)

 言うまでも無いが、現在千雨の姿は戦闘形態である。その正体が長谷川千雨である事はまずばれないであろうが、万が一ばれると色々とまずい。内心焦る千雨の気持ちにはかまわず、楓は話しかけて来る。

「ところで自分だけ一方的に名前を知られていると言うのも、何かあまり良い気分では無いでござるな。御名を伺っても?」

 にんにん、と笑う楓をなんとなくぶん殴りたくなる自分を何とか抑制し、千雨はぶっきらぼうに答える。

「……とりあえず『16th』って名乗ってる。」
「しくすてぃーんす、殿でござるか?ええと……。」
「あー、16番目……って意味だ。……あまり気にすんな。本名は名乗るわけにゃ行かねーんだ。悪ぃな。」
「あー、あいあい。」

 千雨は掴まっていた大木の梢を放すと、地面に着地する。楓もそれを追って、飛び降りて来た。だが千雨は踵を返す。

「何処へ行くでござるか?」
「いや、お前と言う先客が居たんで、な。今日の所は場所を変える。」
「貴殿も修行にでも来たのでござるか?別に場所を変える必要は無いでござろう?ここは誰の物でも無い場所でござれば。」
「……いや、誰の物でも無いってわけじゃないと思うぞ。調べたわけじゃないが、たぶん麻帆良学園の法人の土地だとか、じゃなきゃ国有林とか、そんなもんだろ。」

 思わず突っ込んでしまった自分に、千雨は内心しまったと思う。彼女はあまりここで楓と会話をするつもりは無かったのだ。だが楓はかまわず続けて話しかけて来た。

「しかし密生した森林の中を縮地法並の高速で疾走するとは、恐るべき手だれでござるな。ただ……その割に気配があからさまで騒々しいのが気にかかるでござるが。普通は、と言っては何でござるが……普通はあそこまで腕が上がれば、自然と気配の消し方とかも身に着く物でござるが。」
「……。」

 千雨は楓に背を向けたまま、呟く様に言う。

「……付け焼刃、だからな。」
「ほう?」
「私はある日突然、とある事情でこの力を手に入れた。インスタントなんだよ。日々修練の積み重ねで手に入れた力じゃねぇ。だから色々とアンバランスだし、持ってる力自体使いこなせて無い。
 ……だから訓練しに来たんだよ。力を持ってるのに使いこなせてないと、いざと言う時に満足に使えないし、使う必要も無く逆に害になりかねない場面で、うっかり使っちまうかも知れねぇ。」

 悲しげとも、苛立たしげとも、どちらとも言える様でどちらとも言えない口調で、千雨は言葉を吐く。彼女はクラスメート相手に、いつになく饒舌になっていた。普段彼女はクラスメート相手には、壁の様な物を作っている。特に性質的に能天気な部類に入る楓等が相手であれば、その傾向は顕著となるはずだった。それがついついこうやって話をしてしまっている。何かしら、鬱積していた物があったのかも知れない。
 楓はその様子を、じっと眺めている。と、彼女はその口を開いた。

「『16th』殿。よかったら拙者と手合わせしてもらえんでござるか?」
「は?」





(……一体なんでこんな事に。)

 千雨は内心で呻く。一旦は申し出を断ったものの、楓は案外押しが強く、何時の間にか手合わせを承諾させられてしまったのである。ちなみに押しが強いと言っても、楓のそれは強引なのではなく、のらりくらりと捉え所の無いやりとりをしている内に、何時の間にか承諾させられてしまったと言うのが本当の所だ。
 今、彼女等は山中の森の中に少々開けた場所に、向い合って立っていた。

「……おい。はっきり言って勝負にならねーと思うんだが。私は体術とか素人だから、普通にやったんじゃてめえに勝てねーし。かと言って、加速装置使ったら今度は逆に、こっちが有利になり過ぎる。どっちにせよ、全く勝負にならねーと思うぞ。」
「加速装置でござるか!?まるでサイボーグ○○9でござるな!……いいでござるよ。その加速装置とやら、使ってくだされ。」
「……どうなっても知らねえぞ。」

 千雨は加速装置を起動し、高速転移する。そして彼女は楓の方に向けて走った。一撃で終わらせると言うか、寸止めあるいは投げを打つつもりだった。だが千雨は楓の事をまだまだ舐めていたと言えるだろう。
 すっと楓が横方向に跳んだ。瞬動術、あるいは縮地法と呼ばれる移動技術だ。加速状態にある千雨からすれば、そう速いスピードでは無い。その気で走れば追いつける、程度の速度である。だから彼女は走る方向を転換して、追い付こうとした。だがその瞬間、彼女は呆然、いや愕然とする。
 楓が何人も居た。正確には7人居た。影分身の術である。

(ち、本当に忍者なんだなコイツ!……どれが本体だ!?)

 楓とその分身達は、千雨の主観でのろのろと移動している。いや、高速転移している状態の千雨から見て、のろのろとでも動けると言うのはとんでもない事だ。普通の人間なら、凍りついた様に動きを止めているはずなのだ。千雨はセンサー群を解放して、サーモグラフィや音響探知でどれが楓の実体なのかを見破ろうとする。
 果たして本体の楓がどれかは何となく判明した。偽者の楓は、何と言うか体温分布がおかしいのである。だが厄介なのは、どうやら偽者の楓にも実体がありそうな事であった。つまりは分身にも、本体と同等かは知らねどある程度の戦闘能力があると言う事だ。事実分身達は、のろのろとではあっても千雨を迎え撃つ様に位置取りをしている。そして本体は直接狙える様な位置にはいない。

(……なら分身から潰して行く!)

 千雨は手近な分身に狙いを定め、その胴体に拳を叩きこんだ。ちなみに相手が分身であっても、超音波ナイフや指向性電撃装置は使わない。さすがにそれらを使ってはオーバーキルだからだ。拳を叩きこまれた分身は、まるで風船が破裂するかの様に、スローモーションでゆっくりと消滅していく。
 と、残りの6人の楓が再び縮地法をもって移動した。その速度は、千雨が走るよりもやや遅い程度だ。千雨は近くを跳び過ぎようとする移動中の分身に追いつき捕まえると、投げ飛ばして地面に叩きつけた。その分身もまた破裂して消えて行く。そして千雨は他の分身を追いかけようとした。
 しかしそれは果たせなかった。

「何っ!?」

 たった今潰した分身に隠れる様にして、千雨を狙い苦無が飛んでいたのだ。加速している千雨からすれば、その速度は大した事は無い。やや遅いと感じられる速度で宙を飛ぶ苦無を、千雨は楽々躱す。加速能力を持つマシナリーである千雨からすれば、苦無などたいした脅威では無い。彼女はやった事は無いが、飛んで来る銃弾さえも掴み取る事が、スペック上は可能であるのだ。だが問題はそこでは無い。
 問題は、『苦無が千雨をめがけて飛んできた』事だ。

「高速転移中のマシナリーを……。加速中の私を……。捕捉、した!?」

 恐るべきは、楓の気配察知能力と言うべきだろう。彼女は超高速で動き、姿さえ捉えられない高速転移中のマシナリーを、狙い撃って見せたのだ。
 苦無を躱した千雨は勘に従い、一気にダッシュしてその場からの離脱を図る。その勘は正しかった。千雨めがけて、5本の苦無が飛んで来たのだ。飛んで来る苦無を、千雨は遥か後方に置いてきぼりにして走る。

(嘘だろ!?ばけもんか長瀬は!なんで加速中の私を正確に狙える!?)

 千雨は弧を描く様に走った。前方に楓の分身が1人居る。その分身はスローモーションの様に動き――それでも実際はとんでもない早業である――苦無を投げつけようとしていた。その懐に飛び込み、千雨は一撃を加える。
 だがその分身がはじけて消滅すると殆ど同時に、千雨の周囲四方から楓の分身と、そして本体が縮地法で間合いを詰めて来ていた。その各々が苦無を構えている。

「くっ!」

 千雨は今できる全速力で動いた。一撃、二撃、三撃、その拳による打撃の全てが、的確に楓の分身の胴体を穿って行く。千雨本人は気付いていないが、その動きは達人の武術家にも迫る物があった。これは光一が『16th』のボディに複写しておいた、『8マンのマトリクス』に付随する『8マンの戦闘経験』による物である。身体のサイズや、何より千雨の意識の問題で自在に使いこなすには至っていないが、それは確かに千雨の身体の中に根付いていた。そして四撃目が本体の楓の鳩尾に突き刺さる。

(あ、やべ……。本体に加減無しに攻撃しちまった!って、アレ!?)

 その打撃は、しかし効果を表さなかった。何やら柔らかい物……いや、楓の腹も柔らかいと言えば柔らかいのだが、そうではなく何か綿の詰められたクッションでも殴ったかの様な感触がして、千雨の拳は中途半端な打撃しか与えられ無かったのだ。そして楓の持っていた苦無が千雨の顎の下に突き付けられる。千雨から見ればスローモーションの様な動きではあったが、今の一連の攻防のためにそれを躱す余裕は彼女には無かった。
 苦無を突き付けたそこで、楓の動きは静止する。千雨は息を飲み込み、加速を解除した。

「……あー、あー。負けだ、私の。」
「いや、流石に加速装置と言うのは凄い物でござるな。紙一重でござったよ。」

 楓は額に汗を浮かべ、地面に大の字になる。その息は荒い。流石に彼女にとっても、加速能力を持つマシナリーとの戦闘は、それが模擬戦とは言えかなりの負担となった様だ。

「ちょっといいか?最後の一撃を防いだの……ありゃ何だ?それと良く加速中の私を正確に狙えたな?」
「あれは気による防御でござるよ。気を集中して攻撃を防いだのでござる。もっともあの一撃を防ぐのに、残存していた気の大半を消耗してしまったでござるが。
 そして貴殿を狙えたのは、修行により培った勘と、あとは気配の察知でござるな。前にも言ったでござるが、貴殿の気配はあからさまで察知し易いでござる。」
「……もうひとつ、いいか?……なんで私と手合わせを?おまえは古と違って、強そうな相手と見れば誰彼無く戦いを挑む様な癖は無かったと思ったが?」

 古と言うのは千雨と楓のクラスメートで、フルネームを古菲と言う。中国からの留学生で拳法家であり、バトルマニアの側面を持っている。ちなみに楓同様に『バカレンジャー』の一員であり、バカイエローの称号を持っていたりする人物だ。
 楓は千雨の問い掛けに対し、少し考えた後に返事を返す。

「んー、なんと言うか……。何か悩んでいると言うか、心配事があるのでござろう?しかも即座には解決しない類の物が。で、あれば……。何か八つ当たり気味であっても、何かに思い切りぶつかって見れば、少しは気が晴れるのでは、と思ったでござるよ。もっとも、拙者では役不足であったかも知れんでござるが。」
「……『役不足』ってのは、役者に対して役の方が不足してるってことで、転じて『実力不相応に軽い役目』って意味だぞ。それを言うなら『力不足』だ。」
「ござっ!?」
「……ま、確かになんか軽くはなったよ。サンキュ。」

 楓は寝転がった姿勢から上体を起こし、草の上に脚を伸ばして座る。千雨もまた、その隣に腰を降ろす。しばし2人はそのまま何も喋らずに過ごした。やがて千雨が訥々と語りだす。

「なあ……。普段能天気に見える奴でもさ、ヘビーな過去を持ってたりするんだよな、これが。」
「そうでござるな。」
「そんでもって、そいつ現在進行形で重責とか背負わされてんだよな。たとえ一見能天気に見えようと。」
「ん。」
「そいつに一寸同情する一方、自身に振りかかった不幸があってさ。それに潰されそうでさ。なんつーか、こう……。上手く言えねぇな。なんか、揺らいじまったんだよな。でもまあ、それでも先へ進むしか無いんだけどな。」

 千雨は立ち上がって、街の方へ向かい歩き出す。楓もまた、立ち上がってそれを見送る。少々歩いた後、千雨は一寸振り返って訊いた。

「……なあ長瀬。なんでこんな事してくれたんだ?」
「友を心配するのは、当たり前でござるよ。にんにん。」
「ちょ、お前もしかして私の事わかって……。いや、どっちでもいいか。お前なら。」

 そして千雨は高速転移を行い、加速してその場を後にする。楓はそれを見送ると、本日の夕食の材料を集めるため、森の中へと消えて行った。


あとがき

 千雨魔改造SSの第3話です。今回千雨(と光一)は、ネギの過去について(表面的にですが)知りました。他にも麻帆良関係の情報を色々と手にしていますが……。ともあれ千雨は、ネギが彼女が思っていたよりも重い物を抱えていた事に、多少の衝撃を受けています。更には、彼女自身に振りかかった不幸についても、解決したわけではありません。流石の千雨と言えど、普通の?中学生の女の子ですので、鬱積した物を感じるのではと思います。
 そう言うわけで、その感情を和らげるために今回楓に出張ってもらいました。彼女ならば常識からはみ出した存在に対しても、おおらかに受け止めてくれそうだと思いまして。この場合光一やリープでは、この役はできないんじゃないか、と感じたのもありますが。
 ところでもしも感想を書いていただけるのでしたら、掲示板へよろしくお願いします。応援してくれる方がいると、とても張り合いが出ますので。


トップページへ