Prologe:00


 ギシッ……。
 何かが軋む音がする。長谷川千雨は全身全霊の力を振り絞って、その重い瞼を開いた。

(何だってんだよ、コレ……。)

 彼女がぼやける目の焦点を必死になって合わせると、その視界にひしゃげた車のボンネットと、蜘蛛の巣の様にヒビが入った車のフロントガラスが映った。彼女はいつもかけていた伊達眼鏡が何処かへいってしまっている事に気付く。彼女は思わず舌打ちをした。いや、しようとした。だが彼女の舌は彼女の意志に反して、ぴくりとも動こうとしない。
 千雨は少し前の事を思い返す。彼女はこの日、PCを新調するために冬休みの1日を利用し、秋葉原まで出かけていた。そして買い物を終わって電車に乗り、埼玉県麻帆良市まで帰って来た所でトラブルが発生する。電車が先の駅での飛び込み事故でストップしたのだ。彼女は心中で悪態をつきながら、そこから歩いて帰る事を選択する。彼女が居住している麻帆良学園中等部女子寮までは、距離的には1駅から2駅と言った所であり、決して歩いて帰れない程ではなかった。それに彼女は本日PCと言う大きな買い物をしたため、財布事情はお寒い限りであり、タクシーを拾うのも躊躇われた。
 だが彼女はそれでもタクシーを使うべきであっただろう。何故ならその帰り道の途上で、彼女は信号無視の自動車に轢かれたのである。彼女を轢いたその自動車は、その衝撃で運転操作を誤り、そのまま道路沿いの建物に突っ込んで止まった。あろうことか彼女を押し潰す形で。

(……ヤバい。マジでヤバい。)

 遠くなる意識を、千雨は必死で繋ぎとめる。彼女の胴体はひしゃげた自動車のボディと建物の壁面とにはさまれており、ぐしゃぐしゃに潰れている。即死しなかったのが奇跡と言えた。これほどの損傷を肉体に被りながら、苦痛は無い。その事が逆に、千雨に事態が窮迫している事を教える。

(死ぬ……のか?)

 見遣れば、眼前にあるヒビ割れたフロントガラスの向こうで、ぐんにゃりとした2つの人体があった。それは派手に着飾った男女で、膨らんだエアバッグの上に乗り上げる形で、フロントガラスに頭を叩き付けられていた。おそらくはその男女は、シートベルトをしていなかったのであろう。そのため衝突の際に、シートから放り出される様にしてエアバッグに乗り上げ、フロントガラスに頭部を強打したのだ。その身体から命の灯が消え去っている事は、一目で解る。その頭が、無残に潰れていた。
 その男女の死に様が、千雨に恐怖の感情を呼び起こさせる。

(……いやだ。あんな風になりたくない。こんなのって、ねえよ。私は……。)

 事故が起こったと言うのに、誰もやって来ない。不幸な事に、目撃者は誰も居なかった。千雨の身体から、刻々と生命が失われて行く。視界が霞んでゆく。

(助けてくれ、誰か……。誰か……!誰でも、誰でもいいからさあ!死にたく、し、にた、くない!)
「生きているか!?」
(!!)

 突然かけられた声と共に、千雨の身体を押し潰していた自動車の車体が動き出す。建物の壁面にめり込んでいた車体が、後方へ引き抜かれた様に吹き飛んだ。酷く損壊した千雨の身体が地面に崩れ落ちる瞬間、誰かの腕がその身体を支え、そっと地面に寝かせる。

(……誰……だ?)
「……く、酷い。……君、聞こえるか!?」

 千雨の視界の中に、誰かの姿が映る。声からすると、少年の様だ。だがその姿は霞んで殆ど見えない。彼女は必死に瞼を動かす。もう彼女にはそれしかできない。
 するともうひとつ、青年の様な声が聞こえる。

「光一……。警察と救急車を呼びました。ですが……間に合いません。いえ、それ以前にこの世界の……この時代の技術では、もはや手の施しようがありません。彼女は……もうすぐ死にます。」
「リープ……。アレを使おう。」
「!!……まさか『16th』を!?しかしアレは!」
「それ以外に方法が無いんだ!見捨ててはおけない……。」
「……今トランクをこちらへ持ってきます。」

 リープ、と呼ばれた者の気配が遠ざかる。少年らしき者――光一、と言う名らしい――が千雨に語りかけた。

「少しだけ……。あと少しだけ頑張ってくれ。そうすれば……。いや……。もしかしたら……。君は……きっと俺を恨むのかも知れないな。だけど……。それでも……。」

 千雨の意識は朦朧としてきた。何か冷たい暗闇の様な物が彼女を飲み込もうとしている様に感じられる。彼女は懸命にそれに抗う。千雨は必死に瞼を動かした。彼女にできる唯一の動きで、自分の心を伝えようとしたのだ。この光一という少年は、何処の誰とも知れないが、そんな事はどうでも良かった。

(死にたく、ないっ!私は、わた、し、は!しに、た、く、ない!たすけてくれ!た、すけ……て……!!)
「リープ!はやく!」
「待ってください、今……。」
(たす……け……。)

 そしてその日、長谷川千雨は死んだ。





 千雨は目を開いた。

「……あれ?」

 そこは何処かのアパートか、マンションの1室の様な部屋だ。6畳間ぐらいの部屋の端に、安物のパイプベッドが置いてあり、彼女はその上に横たわっていた。彼女は慌てて起き上がる。

「……なんだこりゃ!?」

 千雨が視線を下ろすと、ズタズタに裂けて血まみれになった自分の服が目に入る。彼女は泡を喰って裂けたシャツを捲り上げ、自分の腹を見る。そこには傷一つ無い、珠の肌があった。彼女は呻く様に言う。

「う、嘘だろ……?夢だったのか?い、いやそれだとこの服の説明がつかねえ……。」

 彼女の胴体……腹部は確かに、事故を起こした自動車と建物との間にはさまれてぐしゃぐしゃに潰れていたはずなのだ。それが夢で無い証拠に、彼女の服はズタボロになり、彼女自身の血が大量に染みついている。彼女はぺたぺたと掌で腹部を触り、撫でまわして感触を確かめた。

「いったいどうなってやがる……。」
「あ、目が覚めたんだ……あ。」
「え?」

 その時、部屋の扉が開いて誰かが入って来た。千雨はそちらを向く。そこには優男と言えるぐらいには整った顔つきの高校生ぐらいの少年が、ぽかんとした表情で立ちつくしていた。と、その少年が急に後ろを向く。彼は小さく叫ぶように言った。

「服!服下ろして!」
「え?あ……。」

 千雨は今の自分の状態に気付く。彼女はその少年の前で、シャツの前を思い切り捲り上げて、腹部と下着……ブラジャーを思い切り晒していたのだ。彼女は思い切り叫んだ。

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!??」

 少年といっしょに部屋に入って来ていた、胸に十字型の模様があるシェパードらしき犬が、やれやれとばかりに首を左右に振った。





「……醜態を晒して申し訳ありませんでした。」
「い、いや。こっちもノックなりなんなりしてから入るべきだった。ごめん。」

 千雨と少年は場所を応接間に移し、ソファに座りつつ互いに頭を下げていた。が、やがて少年が顔を上げる。彼は徐に口を開いた。

「……さて、聞きたい事とか色々山ほどあるだろうけど、まずは自己紹介からだな。俺は東光一。こっちの犬はリープ。ちなみにここは俺のマンションの部屋。」
「あ、わ、私は長谷川千雨……です。」
「……?あー、顔を上げてくれない、かな。」
「す、すいません。私はちょっと、その、め、メガネが無いと人と顔をあわせるのが、ちょっとその、つらくて。だ、伊達メガネなんですけどっ!」
「……あー、そっか。んじゃ顔は伏せててもいいよ、ごめん。」

 少年――光一は苦笑して言った。だが次の瞬間、彼の表情が引き締まった。雰囲気が一変し、緊張感が辺りに満ちる。

「……さて。何から話すべき、かな。」
「!……。あの……。あの事故は、本当にあった事なんです……よね?」
「……ああ。それは君が着ている服の惨状からもわかると思う。」

 千雨は息を飲む。だが彼女は意を決して口を開いた。

「なら……。なら、なんで私は無事なんですか!?医者に診てもらったわけじゃないけど、ざっと様子見て、何処も怪我してる様子は無い!何が起こったんです!?
 ……あ、す、すいません興奮して。」
「いや、気持ちはわかるから、いいよ。……これから俺は、君にとても残酷な事実を教えなければならない。」
「残酷……?」

 光一は少々躊躇った。だが彼は意を決して口を開く。

「落ち着いて聞いてくれ。君は新たな肉体を得て生まれ変わった……!!」
「!!」
「あのとき、君は死んだ!!そして今の君は機械の肉体に君自身のクオリア――魂のような物――を移植された、『マシナリー』だ!!」

 千雨は思わず下げていた顔を上げる。彼女はその言葉を笑い飛ばそうとした。

「じょ、冗談……でしょう?そ、そんなSFじみた話……。」
「本当だ!」

 だが突然ソファから立ち上がった光一の厳しい声が、千雨の言葉を真正面から叩き潰す。次の瞬間、光一の姿が変わった。精悍なその姿は、黒を基調としたロボットの様に見える。身体のそこかしこに、機械的な意匠があった。そして胸の真ん中に、赤で『8』のマーク。千雨はその姿を凝視する。すると視界の中にアイコンの様な物が出現し、そこには『8th』と表示されていた。視線を下げると、リープと言っていた犬の姿もまるでロボット犬の様な姿に変わっている。
 姿の変わった光一は沈痛な声で語る。

「俺も一度死んだ人間だ。そして『マシナリー』となって蘇った。君と同じ、なんだよ長谷川……。」
「あなたを助けるためには、他にやり様がありませんでした。あなたを苦しめる事になると、わかっていたのですが……。」

 リープが元のシェパード犬の姿に戻りつつ、溜息混じりに言葉を発する。犬が喋ると言う常識外の事実がとどめになったのか、千雨はがっくりと身体から力が抜けるのを感じた。ぎしりとソファが軋む。もう信じないわけにはいかない。目の前に、機械仕掛けの人間と、機械仕掛けの犬の実物がいるのだ。彼女は顔を下に向ける。
 その様子を見つつ光一もまた、人間体に戻り対面のソファに腰掛けなおした。

「なんで、だよ……。う、嘘だろ?そんな、だって……。こんなにあったかいし、脈拍だってあるし……。これが、これが機械仕掛け、これが偽もんだって言うのか!?この身体がッ!?
 なんで、なんで私が……こんなことに……。」
「長谷川……。」
「長谷川さん……。」

 光一とリープの気遣いの声も聞こえない様子で、千雨は吐き捨てる様に叫ぶ。

「こんな事なら……こんな事ならッ!!」
「あそこで死んでいた方が良かった、か!?」

 千雨の叫びに重ねる様に、光一が強い口調で言葉を発した。千雨はびくりと顔を上げる。その双眸からは涙が流れていた。光一は彼女の目を強い視線で見つめると、静かに言う。

「……どうしても、どうしても耐えられない。そう思ったならば……何時でも言ってくれ。そのボディ、『16th』から君のクオリア……君自身を消去する。」

 そう言い放つと光一はソファから立ち上がり、踵を返して部屋を出て行った。
 残された千雨は顔を伏せる。その肩がぷるぷると震えていた。リープは千雨に話しかける。

「長谷川さん。できるなら光一の事を悪く思わないで下さい。あなたを何とか助けたい一心だったんです。」
「……わかってるよ。でも今は頭がぐちゃぐちゃしてて、何も考えられない。しばらく1人にしてくれ。」
「……。」

 リープもまた、部屋から出て行く。一人残された千雨はしばらくソファに蹲っていたが、やがてぽつりと言葉を漏らす。

「……あんな……あんなつらそうな苦しそうな顔されたら、文句も何も言えねえじゃねえか。クソ。」

 彼女の脳裏には、いざと言う時は『16th』ボディから千雨を消去すると、そう光一が言い放ったときの彼の顔が焼き付いていた。それはとても苦しそうで、つらそうで、そして寂しそうな表情だった。


あとがき

 魔法先生ネギま!千雨魔改造SSのプロローグです。千雨をマシナリーにするためにどんな方法を取ろうか一寸悩みましたが、素直に交通事故で死にかけてもらう事になりました。銀行強盗に撃たれるパターンとかも考えていたのですが、なんというか中々難しくて結局はこちらのパターンになりました。ちうタンは好きなキャラなので、苦しい目に遭わせるのには一寸躊躇する物があったのですが、魔改造SSを書いてみたいと言う欲望には逆らえませんでした……。
 ところでもしも感想を書いていただけるのでしたら、掲示板へよろしくお願いします。正直な話、感想には飢えておりますので、どうかよろしくお願い致します。


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