2000.2.6

2000年1月杭州西湖の雪
1999年11月北京−上海夜行列車
1999年9月杭州



2000年1月杭州で雪に会いました。


雪の西湖はなかなか見られないそうです。
1月25日の朝、江蘇省とせっ江省の北の部分に雪が降りました。
杭州は緯度的には日本の屋久島くらいですから、あまり雪が降るところではありません。地元に赴任した日本人のお話では、前回は98年の2月20日だったそうです。その時は、香港から風流人が景色を見に、飛んできたと言うことでした。(上海の方の話)
古来景勝地として知られる西湖には、西湖十景と呼ばれる景色があります。その中で「断橋残雪」というのが、冬の景色です。でも、今回このことを書いたガイドブックを持って行かなかったために、この貴重な景色を見ることは出来ませんでした。というのも、宿(中国系の古いホテル)の案内の女性に、「雪が降ったらどこがきれいなのですか」と聞いたら、「あんたは日本人か?」と聞かれ、(そんな風流な事を聞くのは日本人だけだよ)という感じで軽くあしらわれ、教えてもらえなかったからです。(実は私の中国語力が足りなかった?)

そんな訳で、情報も無くただ雪景色の西湖が見たいと早朝のタクシーで楼外楼の辺りに出かけました。そこで撮ったのがこれらの写真です。雪の量がそんなに多くなかったこともあって、このような写真となりました。

雰囲気だけでも楽しんでいただければ幸いです。下の9月の写真と比べても随分寒々としていますよね。



北京上海夜行列車の旅

11月の3週間の中国出張の中で、土日を利用して夜行列車で北京から上海へ移動する機会がありましたので、その様子を簡単に記してみます。

1.チケットの入手

これは北京の会社の庶務の方にお願いして、13日発の夜行寝台(軟臥車)を旅行社を通して手配しました。その結果、K13号の8号車18番(上段)が取れました。価格は478元、手数料40元でした。(写真:チケットと手数料(これが4枚来た))
飛行機の同区間が1140元ですから、約半額です。ホテルが一泊不要になる事を考えると、さらに安いと言えます?なおK13の「K」は快速を表します。出発は20時、北京駅より。到着は上海駅へ明朝10時10分。

走行距離は1463Km(参考までに東京−西鹿児島(鹿児島本線経由)が1496Km、東京−稚内が1623Km(室蘭本線経由))、所用時間は14時間だから平均時速はほぼ100キロでかなり早い。途中停まる駅は済南(ヂーナン、山東省の省都)と蚌埠(ペンプ、安徽省の都市で省都の合肥への分岐点)の2駅のみ。
 

2.動くまで
夜行列車と言う事で、次の物を用意した。時刻表、ビール4缶、つまみ、マグカップ、茶葉、インスタントコーヒーそしてチェーン錠。中国の旅行ではお茶用のカップは必需品です。今回は北京のコンビニで1.5元でで手ごろなマグカップを見つけ、快適に使用しました。

北京駅(写真)へは夕食を取ってから、出発一時間前に入る。中国の他の駅と異なり、駅の入り口は一つで軟座も同じ所から入る。左手奥に軟座の待合室が有り、立派なソファーがたくさん置いてある。なお、この待合室の奥に外国人用のチケット販売所がある。ここではほとんど待たずに、4日前までの切符を、手数料も不要(たぶん)で購入する事が出来る。
ソファーは満席。30分前から改札とのことだったので、待っていると表示が出たが、一般の待合室から入るとの事。待っている時が快適なだけで、入鋏は硬臥のお客さんと一緒だ。ともかくホームへ入り、8号車を探して乗車。乗ると乗務員(服務員という、女性)に切符を取られ、代わりに引き換え札を渡された。上海の手前で再び乗車券と引き換えた。1両に9つのコンパートメントがあって、36人乗り。そこに服務員が2人だから多い。列車全体としては12両プラス若干の追加車両だった模様。
既に同じコンパートメントの他の3人は入っていた。大きな荷物はベッドの下へ。小さい荷物は上段ベッド足元のちょうど通路の上に当たる所に置いた。(結局チェーン錠は使用しなかった)
 


 

3.動き出して
20時ちょうど、静かに出発した。一瞬ホームのベルが鳴ったが、中国の鉄道で発車ベルを聞いたのはこれが始めて。しばらく同じ20時発のフフホト行きと並走した。(なおフフホトは北京日本人学校の2年毎にある修学旅行の行き先の一つだそうだ)
発車すると30分後に服務員が乗客の身分証明書やパスポートをチェック記録しに来た。中国では空港でも夜行列車でも移動はチェックされる。

さて同室となった4人は全員40−50歳台の男だ。
15番は、杭州のお医者さん。北京での外科学会の帰りだ。ゆっくりと移動できるのが良いらしい。
16番は上海の米系のプラスチックの商社の営業技術でやはり仕事の帰り。
17番は聞けなかった。というのは途中の蚌埠で降りてしまったから。代わりに蚌埠から30代のやはりサラリーマンらしき男が乗ってきた。残念ながら話す機会はなかった。
 
 

4.朝食
ちょうど隣の7号車が食堂車だった。7時くらいから通路の人の往来が激しくなり、通路の席には座っていることが出来なくなった。立って窓から景色を見ていても邪魔になってしまう。
下段の2人も起きて来たので、そこへ座らせてもらう。

夜が明けたのは7時くらいか。7時15分くらいに南京駅を通過。ここから先は何回か通った事がある路線で豊かな田園風景が続く。結局今回の汽車旅では新たな景色を楽しむことは出来なかった。

ところで、朝食はビュッフェ、もちろん中華だ。16元(約220円)出してご飯茶碗と皿と箸と手ふきを受け取る。中華といっても特別豪華な料理ではなく、庶民がぶっかけ飯として食べるものを少し豪華にしたような物。おかゆやアズキの汁をベースに、万頭や野菜をいためたものそしてゆで卵を食べる。昔の我々がそうであったよう(?)に、ビュッフェとなると食べられないくらい山盛りに料理をとってしまう傾向があるようだ。席も限られているため、なかなか落ち着いて食事という風にはいかない。

同室の途中から乗ったサラリーマン氏は、部屋で持参のカップヌードルを食べていた。お湯は各車両の服務員室でもらえるから、これが一番ゆっくりと食べる方法かも知れない。もう一人の同室のお医者さんも持参のパンか何かを食べていたようだ。なお、茶葉を入れたカップをテーブルの上に置いておけば、服務員さんが何回でもお湯を注いでいってくれる。

5.上海到着
ほぼ定刻の10時15分頃到着。重そうに荷物を引いていったら、改札口の前で荷物の重量ををチェックされた。昔の体重計のような台秤でスーツケースの重さを量られ、23キロあった。3キロ超過だがまけてやるといわれ、放免。改札口では切符に1センチくらいの裂け目を入れられ、外へ出た。

タクシー乗り場からホテルへ向かう。通常のチェックイン開始は12時だが、11時頃のチェックインでも部屋に入れてもらうことが出来た。シャワーを浴びて、すっきりしてちょっとベッドで一眠り。午後3時くらいに目が覚めたので、南京路へぶらぶらと歩きに出かけた。

6.感想
何事もなく移動できて、ほっとしたというのが正直な感想。軟臥だったせいか、安全の面でも不安を感じることはありませんでした。また列車運行の時間の正確さには感心しました。久々に列車で音も無くすっと動く雰囲気を味わい、列車の旅を見直しました。
 

残念なことは、初めての路線だったのに、夜行で景色を楽しめなかったこと。この路線には昼間の快速列車の設定はありません。そして、やはり初めての経験で緊張していたため、疲れたことです。

4人の仲間で1コンパートメントを独占できれば、鍵も掛けられるし、他人に干渉されること無く旅を楽しむ事が出来ると思います。(逆に旅の出会いが楽しめませんが)

一昼夜くらいの区間であれば、またトライしたいなあというのが実感です。これを越すと退屈してしまい余程景色の良いところで無いとつらいと思います。



1999年9月杭州へ行きました。


中秋節に上海に居たので、これはきっと銭糖江の潮の逆流が見られるだろうと杭州へ行きました。


そうしたら、案の定午後2時半ごろに見れることが分かって、六合塔の上に陣取り、1時間ほど待った後、潮の逆流を見ることが出来ました。
最大の物は2日後だったのですが、それでも川の半分ほどが盛り上がって(1m位も有るかなあ?)、逆流してくるのを見ることが出来ました。

六合塔の上から河口方向を見る

河口の方から潮が逆流してきているのだが、30万画素のカメラでは良く見えない。

潮が満ちて船が上ってくる

その後、憧れの西湖へ行きました。

蘇堤から望む杭州は大都会

白堤



■Homeへ戻る■



ご意見ご感想はこちらまで。