北鎌倉 梅の名所 東慶寺 小田原への前日に雨の中北鎌倉を訪れました。(3/13)
封建時代、女性の側から離婚できなかった時代に、当寺に駆け込めば離縁できる女人救済の寺として明治に至るまで600年の永きにわたり、縁切りの寺法を引き継いできた。 山門![]() 帰りに、石段脇の素敵な喫茶「吉野」で、一服 山門をくぐると白梅、紅梅が見事。 ![]() 本堂 如来様に拝礼 ![]() ![]() |
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芥川龍之介 「トロッコ」より
国語のG2教材にある「トロッコ」の文面より、良平少年が移動した行程を景色から調べてみました。
小田原・熱海間に軽便鉄道(小型で幅も狭い鉄道、以前は、久留米・八女間にもありました。)の敷設工事が始まったころのお話です。
何回か読んだことはありますが、今回は、8歳の良平君が、トロッコに乗って、どこをどう行って、どう帰ったかを文面から追跡してみようと思いました。
2月初旬、日没は、早いです。暗くなって泣きながら帰った足取りを追ってみました。
いつかゆっくり行きたいとは思っていましたが、3月、研究大会のため、横浜に行くので、その沿線を通ってみようと思いたちました。
これは、人車鉄道から、軽便に移行するころの話で、「熱海鉄道(元、豆相ズソウ人車鉄道)」と言って、1923年関東大震災で全線不通になり翌年全線廃止され、現在の東海道本線に至っています。
良平の足取りーー
小田原ー○ー○―○ー根府川ー○ー○ー○ー(岩村)ー真鶴ー○ー湯河原――熱海
母親と暮れに「岩村」に行ったとあるが、今は、岩村はないが、真鶴近くに、岩郵便局や岩ICがあるので、そのあたりであろう。(真鶴に行ってみて、真鶴あたりは急勾配であったのがわかった。)
この作品にはモデルがおり、湯河原出身のジャーナリスト力石平三が幼年時代に人車鉄道から、軽便鉄道への切り替え工事を見物したときの回想を記した手記を、芥川が潤色したものである、と説明されている。
小田原に行きました。小田原スタート
岬の中川一政美術館 お林展望公園には、石原軍団が「西部警察」で使用した後、寄贈した消防車が、いつでも出動できるように配置されている。
名作 いろめがね