たなか姉妹

田中家のものさし

五人姉妹と男一人が田中家の子ども達であった。
父親は、竹一郎、厳格が鎧をかぶった6尺丈(180センチ以上)の怖い顔つきで、数学を教えていた。
母親は、スナ。意味のない名前。子ども時代は、恥ずかしかったと思われるような、トメ、スギ、コトメなどが竹一郎の姉妹にいた。(子沢山で、トメたら、また生まれて、スギ、また生まれたから、コトメにしたと笑っていた。)
ツボミ、花子、ミサヲ、丈夫、ミノル、弘子の6人で、ツボミから、花が咲いて、実がなって、じょうぶに、実ってひろがったといわれていたが、そう意図して名づけたかどうか定かではない。
父親は、単身赴任で、神戸の工業高校に赴任することになり、母親と子供6人は、九州の田舎の父親の実家に行き、姑と暮らすことになった。三女が私の母。
母がよく「福岡の西公園の近くに住んでいて、神戸に引っ越すことになっていたのに、田舎に住む羽目になり、ばあちゃん(スナ)は、一人で、子育てと姑の世話で、苦労した。都会っ子になれるはずだったのに。」と悔やんでいた。

この姉妹、稀に見る心身が強いというか、プライドが、着物着て立っていて、妙な価値観で、人を見る、あれこれあらあなと思えない付き合いにくい人種、と私のいとこたちが自分の親や伯母、叔母を指してこういう。
親に、厳しく育てられすぎというか、いつも答えは、1つのような価値観、しかし、その人たちに育てられたのが、その、次世代の我々だから、よそから見たら、同じ穴のムジナに見えているだろうか。

数年ぶりに母の葬儀にみな集まってくれて、楽しい?通夜、葬儀だったねと言ってくれた。
戒名を決めるのに、その人を思う出す漢字は何かとお寺さんが、聞いたが、一人の従兄が、ごう(業剛強)にしたらいいと笑った。

老母の休日