雪国見聞録          

 昭和49年(1974年)長男が一歳四ヵ月になった頃、金沢に転勤になったと聞き、驚愕。その頃、会社の持ち物で、空家になっていた高宮の高級マンションに、身分不相応ながら、空けていてはもったいないと留守番役で住まわせてもらっていた。友達が来て、白亜のマンションの前で、驚き立ち止まって、「靴脱ぐと?」と言ったくらいであるが、今では、周りにもっと豪華なマンションが立ち並び、数年前にこちらに戻ってきて電車の窓から見えなかったのでがっかりした。

 博多の町を地下鉄が走るというころ。天神の地下鉄工事が始まり、鉄板の上を車がガタンガタン踏んで博多をあとにした記憶は、今でも鮮明に残っている。あれから四半世紀近くすっかり北国体質になったのか、九州の暑さに辟易している。
 当時、小倉からフェリーで翌日神戸にあがり、まだ工事途中の北陸道を、今の倍の六時間かけて、クーラーの効かない車で埃をかぶって、やっとのことで金沢に入った。
 八月の暑い日、まさに地の果てに来た感じで、どこを見ても、知らぬ顔、知らぬ言葉、イントネーションが違うので聞き取れなかった。北国というのにやけに暑い。大陸からの風が海を渡り湿気を含んで来るので、蒸し暑くフェーン現象に悩まされた。
 人は、金沢は涼しいと思っていた。マンションの五階から見た黒光りの屋根が、眩しく、よけいに暑かった。

 少し慣れてくると、近くの兼六園に長男をベビーカーに乗せて散歩に行くようになった。その頃の兼六園は、まだ入場無料で、通勤通学の道でもあったが、今では、あちこちに門を作り、有料になっている。
 デパートが多い博多に比べ、小さなデパートしかなく、博多では高宮から頻繁に岩田屋に行っていたのに、と寂しかった。とんだ田舎に来たもんだ、とうんざりした。 

初めての冬、それはもう雪を見られて嬉しかったこと。しかし、来る日も来る日もソーメンのように降るわ降るわ、もうごちそうさんだった。マンションだったから雪かきはしなくてよかったから、高見の見物で、よく窓から眺めていた。雪のふる前に名物がある。これには驚いた。
 雪おこしとか、ぶりおこしとかいわれる雷の地響きである。雷は、夏、入道雲と連想できるのが普通なのであるが、北陸では、冬、雪、ぶりと連想できる。
季語は、「夏」と思っていたが。ゴロゴロいいはじめると時雨れて雪となる。
 七五三のころで、着物に気をつかった。もっとも、ぼたぼた湿気を含んだ雪が降るのは、早くて年の瀬、遅い年は一月半ばで、今年は降らんねーと言っていたら、静かな夜にそーッと白くなっていて、朝大混乱、「タイヤを替えんかったー」と慌ててスノータイヤに替える人、休日まで我慢する人、GSにかけ込む人さまざま。
 その日の朝は、のろのろ運転で大渋滞、大遅刻、銀行や店が開けられない危機もある。足が確か、と早起きして歩く人も多い。
九州では、想像もつかないことの一つだ。この時期から、ぶりがいっそう身が締まり美味しくなる。ズワイガニも解禁になり、庶民の台所近江町市場には真っ赤なズワイが並ぶ。九州に何度か送ったことがあるが、味がずいぶん落ちているようだ。       

福井にいた時に豪雪に見舞われた。五六豪雪といわれているが、暮れから新年にかけてあまりの降り方に車が動けず乗り捨てられ、翌日白い廃墟と化した時には、雪の怖さを思い知らされた。
食糧が高騰、交通マヒ、駅の構内も雪の山、学校は三学期が始まらず、1月20日まで待機が続き、学校の体育館の雪下ろしに親が借り出され、我が家の屋根雪下ろしを夜中にやった上に、その雪を雪捨て場までトラックで捨てに行き「雪捨てサンデー」と新聞の見出しになるほどみなへとへとになった年もあった。
鯖江市のかまぼこ型の屋根をした学校の体育館がつぶれた。、

 人道が車より高くなり、らくだの背中を歩くようで、細い山道のようで、人との離合もままならなかった。傘と傘がぶつかった。よけると、足がブスッとはまった。雪の壁に阻まれて、買い物袋をもてなかった。
 この時期、とても珍しい自然現象を見ることができる。
海岸線をドライブすると、山手には自生する水仙があり、海側には、越前海岸名物の「波の華」が見える。
水温が零度以下になると真っ白の淡雪のようなものが岩場を飛び交う波しぶきである。これにも感動する。どんより鉛色の空と海、白い波の華、黄色い水仙、絵心がないのが、残念。とてもきれいだ。
 長男は福岡生まれ、金沢育ち、次男、三男は、金沢生まれ、金沢育ち、三人ともスキーが上達して、大収穫だった。金沢は、日本の真ん中に位置するので、信州、蓼科、黒部、高山、京都など一泊でよく行った。

三人連れての帰省は、毎年はできなかったので、正月は、越前海岸にカニを食べに行き、夏は、蓼科へ、テニスに行った。黒部では、集中豪雨にあって、死にかけたこともあったけれど、、、。20年も北陸で過ごし日本列島を満喫した、と思ったら、、、、。

極めつけ札幌に転勤になった。長男が先に大学に行っていて、「一度は住む価値があるよ」と言う誘いに乗った。
 あった、あった、最高に、住む価値があった。
 とにかくみな元気!昼休みの大通り公園付近の、人の数、どこから湧いてくるのかと思うほどすごい!

 金沢の、小鉢に少しずつ盛られた繊細な加賀料理に慣れていた私には、脅威なくらいの量で、食材が新しいので、そのまま喰え!といわんばかりに、大きなジャガイモ、タラバガニ、いくら、うに、ホッケ、アスパラ、メロン、チーズ、などなど、もうご馳走様なのに、小鉢と違い、一皿の量の多いこと、隣の人のテーブルを見て頼めばよかった、後悔!

 とにかくみな明るい!博多っ子のアジア的なおせっかいのホットな明るさと違い、アメリカ的なクールな明るさが心地よかった。
 これは、開拓時代に、各地から寄せ集められた人たちの苦労と協力のおかげとか、歴史がないから、しがらみも少ないとかで、開放的だ。
 歴史ある金沢とは、まったく違った風土である。私の卒論の教授が石川県の出身で、
朝言った事が、広まって、夕方には、もう自分の耳に入る、そういう町が嫌いで、外に出たんです。とおっしゃっていたが、そういう怖いところもある。
 ものをはっきり言わず、しっとりとした女性が好まれ、奥ゆかしくて、よいところもあるが、いいのか悪いのかわからないところもある。
 こういう風土の中から、多くの文化人が、輩出しているのは何かあるのかもしれない。

 雪には慣れていると思っていたが、北海道のパウダースノーの乾いた雪の恐ろしさは北陸のベタ雪の比ではなかった。ベタ雪にはまって動けないよりもスリップして止まれない方が怖い。

 道が広いので、運転はおおざっぱ。適当に駐車するし、80キロで走る。1時間で、60キロ以上行けるので、久留米に来て、おどろいた。半分も動けない。
教室を引き継ぐとき「遠くてもどこでもいいです。」といったのが、すごい誤算であったのに、あとから気づいた。

 大都会と大自然、どこまで行っても信号がない道、対向車が見え隠れしながらやっと近くに来る光景、遅い春に咲き乱れる樹や花を見ると、日本かしら、とさえ思う。
どこが好き?聞かれたら、う~~ん、半年九州、半年北海道に住み、金沢の美味しい食を味わい文化に触れる、そんな桃源郷、、、は贅沢かな。
やはり北の大地に、埋もれたいかな。

追記
終の棲家は大通り公園が見えるところ、引っ越せなければ、病院とかに。
ライラックの咲くころがいいな。そのころからどんどん花が咲いてくるから。
これは、夢なのかこんな夢あり?五木寛之の本にあったけれど最期ぐらい自分で選びたい。
札幌を後にしてずっとそう思っていたが、なんと、長男夫妻が、4月から、札幌に住むことになった。
本人の言葉を借りれば、「今まで在籍した期間がもっとも長かった会社の卒業式をして」新生活に入る。
二人で新しい生活に早く慣れて、違う世界を築いてほしい。
なんとなんと、水があったのでしょう。春先には、結婚4年半ぶりに子供が授かります。
幸せのおすそわけをしてもらえてありがとう


そらちゃん、2月15日(火)13時43分天使の国から、いらっしゃ~い!

2004、知床(5月)  by S.Watanabe

知床(8月)  by Keiko

7/18十勝付近  by Makoto

旅行以外で九州を出たことがなかった私が、夫の転勤で、金沢で生活することになったのは、1974年8月のことでした。見るもの聞くもの、食べ物が、新しく、珍しく、言葉までが、聞き取れなくて、はじめは戸惑うことばかりでした。
それからなんと22年以上も北陸の人でした。九州より詳しいかもしれません。
次に動いたのは、なんとっと、、札幌でした。この転勤を聞いたときには、なぜかうれしかったのを覚えています。

思い出の雪国雑感

2006年1.1の武渕家

11月23~25日金沢福井の旅(06/11

北陸にしては、珍しくお天気で、11/6カニの解禁もあり、
近江町には、たくさんのカニが、所狭しと並んでいた。
例年より比較的安値である。
上から見て「女」と読める近江町も建て変わるとか。
東の廓の中の「蛍や」で、友人の江川さんにお昼を予約してもらい、舌鼓をうつ。
夜は、10年前、学生のころスタッフをしていたO.朋子さんも誘って、みんなでフレンチレストランへ
翌日、テニス仲間、山科クラブの岡田、篠井、牧野、虎本、明嵐さんも来てくれた。

夕方は、越前海岸へ。
10年以上も我が家の正月の恒例行事であった「秀竹」でお泊り、越前ガ二を満喫。
17年ぶりに行き、懐かしかったこと。
旅館の様子も皆さんもお変わりなかったことがうれしかった。

雪の兼六園              石川門

ずわいがに

2004年1月 金沢 武渕家

お   あ   し   す

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歴史と文化の町金沢      今もなお 利家とおまつ が息吹いている町
来まっし、見まっし、おいね、そうながや、
みぞれが降り始める11月になると、ズワイガニ漁が解禁になり、
ゴロゴロ雷さんが鳴り始めて、
この雷を、ぶりおこしともいうほど、ブリの身がしまり、近江町市場がより活気づく  
行って見まっしね、おいしいぞいね。

来んしゃい、見んしゃい、そうやろ、おいしいとよ(博多弁なら)
来ちょくれ、見ちょくれ、そうでー、おいしいでー(大分弁なら)

 2010/11 金沢 辻さんのお屋敷
(金沢市指定文化財)


松本清張の「ゼロの焦点」のロケの
舞台にもなった

HPを立ち上げて、いつの間にか、20年になる。

ちびちゃんたちも8人になった。

歴史は、続く。

家系図を見たら、天保から、明治、大正、昭和、平成、令和、、、、

 せ~んろはつづく~~よ、ど~こまでも~~~~~~~~♪     2023/4