![]() |
|||
三峰口ー雲取山ー奥多摩湖縦走 (2009年1月2日〜3日) | |||
6本アイゼンがあり、雪山を見せたいと思い中学生の息子を連れて東京で一番高い雲取山に行くことにした。2日、朝6時15分に自宅を出発。三峰ロープウェイは廃止になっていたので秩父線三峰口駅からバスで三峰神社に向かい10時30分に着いた。 神社駐車場から登山口の案内がありそれに沿って参道のような山道を歩く。左方向に三峰奥宮があったが先を急いだ。途中、炭焼きの窯跡をあった。石組み窯の説明書が掲げられていた。息子は「煙突はどこに付くんだ」と疑問に思ったようだ。 地蔵峠を過ぎ霧藻ケ峰休憩所前に12時30分着。登山者6人ほどのグループが休憩をしていた。私達もカップヌードルの昼食を頂く。この場所から見る両神山と痛々しい武甲山が眼下に広がる風景は絶景だった。休憩所のoおじさんは、祭日や土・日に軽食や記念品を販売しているとの事。「アイゼンはお清平で付けるといい」とアドバイスを受けた。白岩山(1921b)の登りはキツイが3時15分に頂上に到着、展望はない。休憩をとった後、芋ノ木ドッケ(芋ノ木はコシアブラの木の名前でドッケとは突起がなまったものだと標識があった)を通って足元に注意しながら4時30分に雲取山山荘に到着した。小屋では正月というので樽酒と甘酒のサービスがあった。 3日、7時40分にアイゼンを付けて山頂向かう、原生林の登りがキツイ。8時15分に雲取山頂上(2,017b)到着。富士山は綺麗に見える、はるか遠くに雪の被った北岳・間ノ岳、赤石岳など南アルプス山並みが見えた。 帰りは、三峰口に戻るか迷ったが奥多摩の方は全然雪がないと聞いたので、奥多摩湖に向かった。右手に雄大な富士山を見ながら気持ちのよい歩きを満喫しヨモギノ頭を通り鴨沢に下り帰宅した。2日間の歩数は26,102歩だった。 |
|||
![]() 中央奥、ギザギザした山が両神山。山肌が削り取られているのが武甲山です |
![]() 雲取山と言えば眺めの良い富士 |
||
![]() 雲取山の頂上です、富士山の見どころです |
![]() ここまでくるのがキツカッタ |
![]() ログハウス風の雲取山荘 |
|
大持山ー小持山ー武甲山 (2008/6/14) | |||
6月14日晴れ。単独行、朝7時8分、南与野発の電車で出発。例のごとく武蔵浦和でおにぎり弁当を購入し飯能には8時17分に到着。駅前で朝食をと思っていたら、名郷行きのバスが来てしまったのですぐに乗り込んで、1時間ほどバスに揺られ終点の名郷に着いた。サイクリングの人や登山者が出発の準備をしていた。 名栗川源流沿いに舗装道路を歩き出し少し行くと、左側にキャンプ場が続いている。40分ほどで石灰採掘工場に着いた。ここからが登山道になっている。けっこうキツイ、ジグザグ道を1時間ほど登ると鳥首峠、歩いていると暑く風が心地よかったが、休憩すると寒いくらい。おにぎり昼食をいただき大持山の方向に向かう、歩き出して気がつい |
たのですが、杉やヒノキでなくブナ・ミズナラ・アセビの落葉樹が多くなってきたので全体に明るく整備された公園の中を歩いているような気持ちになった。登山者と全然会わなかったが、広場のようになったウノタワで楽しそうに食事をしている中年女性の10人ほどのグループを見かけた。横倉山を越え妻坂峠から道が合わさる大持山東肩で休んでいると、正丸峠を通って来た2年前から再度山登りを再会したと言う中年の人と会い、大持山(1294b)から小持山(1273b)まで一緒に行くことにした。 | 大持山から小持山間は岩場があるスリルに富んだ区間で緊張した。 最後は無傷の武甲山(1304b)への急登、100歩くと一呼吸の状態で武甲山の肩の広場にたどり着いた。御嶽神社でお参りし、神社の裏の見晴台の山頂で秩父市内と石灰石の採掘で無残な姿をさらしてる斜面を見て5時15分に1の鳥居の生川に降り帰宅した。歩きであり、岩場あり、プロムナードありで日帰りで楽しめこのコースは秩父の山並みでもお勧め。万歩計は27039歩を示していた。 |
|
![]() |
![]() |
![]() |
|
蕨山と「さわらびの湯」 (2008/4/29) | |||
4月29日、連休の初め、久しぶりに息子と親戚の女の子と3人で山行。親父の趣味につき合わされるのも大変かと思うが、息子には「飯能の駅で吉野家の牛丼をご馳走するから」と誘ってようやく付き合ってもらった。親戚の子には「温泉に入るから」と話し承知してもらった。 登山口11:20、フーフー言いながら山頂13:15に着いた。丁度1時間55分かかった。途中、木や小鳥の案内などがあって楽しめた。金毘羅神社でお参りし下山。名栗湖が湖面が青くきらめいて爽やかさを感じた。 下山最後に息子が「足がおかしい」と言うので足を痛めたかと思って心配したが、靴底が見事に剥がれていた。大急処置をし下ったが、靴は一生ものでなく経年劣化が起こるので注意を必要とするのを改めて感じた。 さわらびの湯は何年かぶり、ゆっくり浸かって山の疲れを癒した。山行をするたびに子どもたちの成長が実感できる。 |
![]() 蕨山登山口・・まだ元気です〜。 |
||
![]() 劣化で底が剥がれた登山靴 |
![]() 蕨山頂上1,033b |
![]() 頂上から二子山 |
|
気軽に楽しめた高水三山 (2007/12/24) |
24日に奥多摩の高水三山に行ってきました。9時15分に軍畑(いくさば)出発。高水山、岩茸石山、惣岳山を回って御岳駅には | 15時30分には着きました。とても寒かったのですが息子と楽しい山行ができました。 | |
![]() |
![]() |
![]() |
|
憧れの槍ヶ岳へ(2007/7/30〜8/2) | |||
7月30日7時30分にさいたま市を出発。新幹線とバスを乗り継ぎ昼過ぎに上高地バスターミナルに到着。 日本の高い山ベスト10を制覇しようと始め北岳、奥穂高と続き3回目、夏休みの大イベントです。今回も小学6年生の息子と親戚の女の子を連れての冒険旅行です。 河童橋で記念写真を撮って木道に入り「去年、あそこにサルが居たね」とか言いながら散策を楽しみ4時近くに徳沢園に到着、雲行きが怪しいので早速テントを張って夕食の準備、夕食はすき焼きと豪華。夜半には雨と雷、これで梅雨が明けるのかなと思いつつ眠りに付きました。 31日は晴。テントを張ったまま寝袋など置き身軽になって7時30分に徳沢園を出発。梓川沿いの水の流れと緑を満喫しながら横尾には1時間で到着。休憩を取って出発。槍沢ロッジには10時30分に到着。ロッジの前の広場から槍ヶ岳の先端が見え「槍だ。槍だ」と大騒ぎ、双眼鏡も置いてあり覗き込むとゴツゴツした岩場がはきり見えました。 シラビソやコメツガの針葉樹林の登りが続き、槍沢のテント場で一腹。大曲、左手の横尾尾根から落ちる水量豊かな滝はダイナミック。ハイマツに覆われたモレーンの間には雪渓あり慎重に進んだ。水俣乗越、天狗原分岐点を経て急斜面を登っていく、気温も上がり「暑い!暑い!」と文句も出始めました。今日は、料理が美味しい言われているヒュッテ大槍で泊まることにします。4時に到着。 夜、寒いので長袖を着込んで外へ、満月で明るいので星の観測にはあまり適しませんが都会から比べればキラキラしています。「夏の大三角形」など学校で教えてもらったのか星の観測は楽しそう。 1日は6時45分に出発。尾根づたいに槍ガ岳を目指し始めましたが風が強く子ども達は吹き飛ばされそう、危険を感じたので殺生ヒュッテの方にくだり、ガラ場にジグザグにつけられた登山道をユックリ登った。急登。槍の穂先は見えるがなかなか着かない。 槍ヶ岳山荘の建つ槍の肩に8時30分に到着。山頂の往復、危険なので三点支持でバランスを取るように注意をし、念のためにロープを掛けて安全を確保した。梯子もほぼ垂直、寒い、ハラハラしながらどうにか憧れの山頂に9時10分にたどりに着きました。360度の大パノラマ、子ども達と登れたことを喜びました。 槍沢ロッジを目指してガラ場を下った。ロッジには4時25分に到着。今日は槍沢ロッジ泊。 2日最終日、ロッジを6時40分に出発、横尾に7時50分、徳沢園には9時10分に着き、設置してあったテントをたたんで、楽しみにしていた濃厚なソフトクリームをいただき上高地へ。自宅には7時には無事到着しました。 |
![]() 槍の先が見えてもなかなかたどり着かない、雪渓のの中を歩く |
||
![]() ヤッタゼ!槍ヶ岳の頂上 |
![]() 頂上からの景色 |
||
![]() 分かりますか。日本一の富士山が見えるんです 毎年足どりがしっかりしてきてます→ |
![]() |
||
念願かなって川苔山制覇(07/06/17) | |||
6月17日(日)、小学校6年生の息子と親戚の娘を連れて4回目の川苔山に挑戦しました。3回とも途中で引き返し、なかなか制覇できませんでした。 梅雨に入ってこの日は晴れと言う天気予報、これを逃すと当分晴れた山は無理と思い子供を無理やり誘いチャレンジしました。 奥多摩駅に8時51分に到着。駅前には鍾乳洞見学やハイキングの人でごった返していました。臨時バスが出たのでそれに乗って登山口に、ゲートの先でバスを降りた団体さんのグループや大学生と思われる若者などが出発の準備をしておりました。 9時50分に出発。右側の川乗川を見ながら林道を進むと先日の雨の影響か、大きな岩が林道に落ちていて「怖いね」などと話しながら進みました。途中、鍾乳洞の探検で事故にあった大学生の碑で登山の無事を願いました。50分程で細倉橋を渡って本格的な登りに入りました。川の流れの音と新緑を楽しみながら40分で一休みのペースで進みました。途中川原に面した広場で早めの昼食休憩。駅で買い込んだおにぎりで腹を満たしました。 「足元に気をつける様に」とか「急がない」などと注意をしながら、今回も遅くなるようなら戻るつもりでしたが百尋ノ滝まではどうにか頑張ってみようと思いつつ歩きました。滝には昼前には到着しました。中年の団体のグループは滝の方に降りて記念写真など撮っておりましたが、今回は登れるところまでと思っていましたので滝を左に見ながら右方向に進みました。登山道のには小鳥の巣箱が何個もかけられていました。少し行くと倒れそうな非難小屋にぶつかりました。子供たちは少しへばって来たので下山者の人に「後何分ぐらいですか」と質問。「あと7分ぐらいですよ」といわれ最後の踏ん張り。小屋を過ぎるとあちこちで休んでる人がいて頂上がちかいと言うのが分かりました。午後1時30分に広々とした山頂に到着。念願かなって子供たちと握手をして喜びあいました。 登山口のバス停着いたのが午後5時10分、自宅に着くのは午後8時過ぎ、明日の学校のことも考えて風呂はあきらめて帰宅しました。 |
![]() 川乗り山頂上。乗りは苔も書く |
![]() |
|
![]() 春には雪にたたられ引き返しました。低山とはいえ危険なところがある山です。 |
![]() |
||
|
|||
暮れの31日午前10時過ぎに車で美濃戸口に到着。 お正月を八ヶ岳ですごそうとかなりの人数の登山客が準備をしていた。私と山仲間のおばさんの2人は荷づくりをし出発。
美濃戸山荘まで1時間、準備運動には丁度てごろ。山荘前のテラスで一休みし、本格的な登りにかかる。天気も良好でトレースも付いているのでアイゼンも履かず行者小屋まで2時間、途中で正月は自宅で過ごすため下山する人に引切り無しに出会い、午後2時半過ぎには到着する。 小屋では先客が早々と宴会をやっているグループがにぎやか、小屋の前のテント場も満員状態、雪面のあちらこちらにオシッコの後があって少し気になりましたが、テント泊の人たちもそれぞれ楽しんでいる。 翌朝元旦は天気快晴、6時半に食事をとってアイゼン・ピッケル・オーバー手袋のフル装備で7時45分に赤岳に向かって出発。アイゼンが「ザック、ザック」と利いて気持ちの良い歩きですが、15分も登りだすと暑くなり一枚上着をぬいて気合を入れなおして頂上を目指す。
夏道だと1時間50分の所を、2時間半で赤岳頂上に到着。南アルプスの北岳・甲斐駒、富士山、阿弥陀岳等の眺望を楽しむ。赤岳の頂上で記念写真を撮って横岳に向かいました。展望荘手前から風が強くぼんやりとしていると吹き飛ばされそうな横風、顔は痛いくらい冷たい。 山小屋をでるとさらに風が強く用心しながら進みました。硫黄岳から赤岳鉱泉への下りは数年前に雪崩があったと聞き、用心をしながら下る。赤岳鉱泉には2時30分には到着。 山小屋の今日の宿泊予定客は100人とか聞き驚かされました。また、今までの汚い臭いという山小屋のイメージとはかけ離れて個室もありほぼスキー場、夕食もステーキがでるなど時代の流れを感じさせられる。 最終日、天気が下り坂気味で小雪がちらつく中8時に美濃戸口に向けて出発、11時前には到着し八ヶ岳山荘でお風呂をいただき帰宅の途に着く。 |
![]()
|
||
![]() 赤岳頂上で〜す |
![]() 富士山が見えました |
||