もう、ずいぶん以前の話になるのですが、「ほっさんの拘り」について、田楽座の新聞に載せていただけると話があった時の原稿です。


 今回は、ほっさんの拘りについて書かせていただけると言うことなのですが、「別に何も拘ってないよ」と答えてしまいました。「笛、作ったりしてるでしょ」と言うことなので、その辺の話から・・・

 ほっさんが篠笛に出会ったのは、「手伝ってくれへん」と声をかけてもらって、和太鼓のらに入ってからです。篠笛の最初の印象は「何で竹に穴あけただけの物が、ン万円もするねん」でした。で、ほっさんとしては当然「作ったらええやん」となるわけで、これがスタートです。
 何でもそうですが物作りの最初はコピーから。既製の篠笛のサイズのデータをできるだけたくさん集めて、その法則性を探ろうと言うことですな。ところが、出会う笛すべてが個性豊かで、なかなか一定の形が定まらない。当然、どの笛も同じようによく鳴るわけではない。そこで、ほっさんは自分の好みの笛に絞ってデータを整理してみました。それでも、みんな個性豊かですが、いくつかの共通点も見えてきました。それらをまとめて、仮説を立てて作ってみる。当然そんな簡単に思い通りの物は作れません。ひとつ作っては、自分の思い通りになった部分とならなかった部分を整理して、また新たな仮説を立てて改良する。こんなことを繰り返しながら、楽しんでいます。
 ほっさんは人に教えてらうことがあまり好きではありません。こうしなさいと教えてもらって、うまくできても何となく達成感がない。達成感と言うよりも、試行錯誤が楽しいんですよね。ある程度納得のいくものが出来上がったとき。自慢げに山ちゃんに見せたりしていたのですが、そのころ衝撃的な事件がありました。
 水口囃子の水口町のお隣に日野町という所があり、ここにも素晴らしいお祭りがあるので、ここのお囃子を教えてもらおうと出かけていったときに「その笛、狂ってる」と言われたのです。チューナーを使って、完璧にチューニングした笛なのに。そう、このチューニングが間違っていたのですね。篠笛には篠笛のチューニングがあるのですよ。でも、それは、全国共通の物ではなく、おらが町のお囃子のチューニングがあるんですよ。正しくは、あったんだろうなと言うべきかな。
 メーカーによって、お囃子用とか、唄用とかそれぞれのメーカー独自で区別をしているようですが。各メーカさんに聞いたわけではないので、詳しいことは言えません。ある笛師の方は、過去に篠笛の音階を統一して決めたことがあり、それに従って作っておられると言うことでした。しかし、全ての篠笛がこれに従っているわけではありません。
 この笛師の方に言わせれば、統一したのだから自分の作る笛が正しくて、他の笛が狂っているとなるのかもしれません。当時のほっさんに言わせれば、チューナーを使って確認しているのだから、ほっさんの笛が正しくて、他の笛が狂っているとなります。でも、その笛で日野のお囃子を吹くと、違う曲になってしまいます。で、ほっさんは考えました。みんな自分が正しいと主張するから、他の笛が狂っていると感じてしまう。狂っている笛なんか無いのかもしれない。と、なったわけです。そう考えられるようになると、日野に140年以上も受け継がれている笛があり、その笛がとてもうらやましく思えてきました。
 日野の人たちは古いというだけで、その笛を大切にしてきたのではなく、その笛の音を大切にしてきたんだと思うのです。なぜなら、この笛で吹くお囃子を聴いて「心地よい」と感じたわけで、その感性でこの笛を守り、この笛がその感性を育てて来たのだと思います。この感性こそが伝承される究極の物ではないかと思うのです。
 伝承とは、長い時間をかけて、人の心に響くものが洗練されて行くことではないかと思ったりもします。
 ほっさんは養護学校の教員をしています。2年前に転勤をして、生徒達の前であいさつをすることになりました。前任校は元気いっぱいの子供達のいる学校でしたが、この学校は重度の障害のある人も多く、言語によるコミニュケーションが難しい人も少なくありません。着任式でも、起きてるんだか寝てるんだか、聞いているのかいないのか、と言う空気の中、あいさつをしても伝える自信が無かったので、壇上で篠笛を吹きました。
 それまでつかみ所の無かった会場の空気が、一瞬張りつめたような気がして、子供達の視線を感じました。うまく言えませんが子供達と確かにつながったような気がしました。
 転勤1年目は、子供達に笛を聴かせたりすることがよくありました。毎日毎日座る練習をしていても、意識の問題で一瞬しか自分で座っていることができず、すぐに倒れ込んでいた生徒が、笛を聴いている間は自力で座っていることができたり。コミニュケーションが難しいと思っていた生徒が、必ず同じ曲で涙を流したり。子供番組の軽快な曲を聴き続けていないと、不安定になってしまう生徒が、穏やかな曲を聴けるようになり、音楽がなくても安定していられるようになるなどの変化を見ていると、音楽の力、音楽を受け入れる人の力を改めて知らされました。
 子供達が反応したのは、ほっさんのテクニックではありません、先達が良しと感じて残してきた音に反応したのだと思います。
 伝承と言うものは、変わらない何かを伝えながら、それを受け継いだ人がそれを正確に伝えつつも、そこに自分の感性を含めていく、そしてみんなに支持され認められたものだけが、また伝えられていく。そんなものではないかと思っています。
 今、私たちは田楽座を通じてそんな芸能にふれることができます。まさに伝承によって洗練されたものに、田楽座の感性が加わり、現代の私たちの心を動かすものになっていると思います。
 ほっさんは地元のお祭りを持ちません。選ばれし人たちのように、伝承者になることはできません。しかし、田楽座の教室や地元の人たちに、その洗練された芸能を教えていただき、楽しんだり楽しんでいただいたりしています。
 洗練されたものを忠実に身につけることが、まず大切だとは思います。しかし、上手いとか下手とか、これが正しいんだとか言うのではなく。気持ちよくなれる。心が動く。そんなものを作り上げたいですね。  伝承とは、そんなものを作り上げようとすることが延々と継続されているものなのではないでしょうか。



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