我と我が戦ひ 佐藤惣之助 第一章 見よ 血みどりなせる正義の姿を 威風とうとうとして 飢ゑたるものをも 貧しき子等もつき倒し 細き路地を高々として 低きところ貧しき処へと 深く深く進み行くなり 見よ 彼に鋭き兜あり 地の怪物をも慄へさす声 朗々として日と夜に鳴り響けり いかなる毒々しき主婦も 骨に悪銭鳴らす妖婆も 恐れおのゝきて哀れみを乞ふ 遊べる貴族も 眠れる穢多も 突如として起上がり 罪と悔みに渦巻く心を せめて安らかなる憐れみを貪らんと 正義の姿を求め叫ぶ されど彼を見得るものはあらじ 彼は偽りの戸を裂き 苦しみの窓を破り 自在に暗と火の中につき入り 老いたる智と 猛々しき斧もて 平等に我等をも打殺さんとす おう血みどりなせる正義の姿 女は喚き悲しみ 多くの民は無為の縄に首をつらる されど見よ彼の意志を 彼の為めに進むで死すものは彼を知る 彼の慈悲は辛く強くよぢれ 黒雲の鎌の如し 彼は極悪人の爪の先に立ち 死せんとする人泣ける人に口をよす 危険なる恐ろし気なる 彼の如きはあらじ 彼の狂人をも死人をも 血の生づる手もて引つかむ 彼は鉄の頭と万軍の智もて いかなる暗と沼をも突き通し とうとうとして空と時を歩めり 彼を見るものは死を知る 彼の稲妻と月の色を感ずるものは 彼の血によつて 胸の真只中をあらはし 彼と共に戦場に出て 血みどりなして歩みつゝあるなり。 ○ 第二十八章(前半) おゝ久遠の正義は 人類も一切のものも 揺ぎ倒し 裂きすてゝ歩み行く 現世と現象に因はれたる哀れなる我 我が惨事と 我が悪と害毒を訴へて 裁かれんと願へど 久遠の正義は 我が善美も醜行をも秤る事なく 自ら我に報い来り 強き怨毒を残して宙に進み行く おゝ恐ろしの進行 応報も輪廻も踏にじり 害するものも害さるるものも 等しく月日の陰に亡び行く …… ○ 第三十四章 いつか恐ろしの時は来る 絶滅の胸裂くる日は来る 雨夜の辻に 運命の女と出逢ふ如く 罪の思ひの恐ろしの時は来る 正義は血を帯び 暗き熱を含める雲を引きて むごたらしくも姿を現はし この世のあさ黒き裏より 己の身を釘打つ おゝ雨夜の空中より 欲望の女、恨みの娘、 狐疑と猜みの精は叫び 無情の黒き旗を風に流し おゝ生ける心の川口に入り来る この不安と迷ひの暗 そこに恐ろしの時は来る 千本の槍は暗に穂先をくるめ 雨戸の外に我を見る眼あり おゝ雨夜の深き腹に 我は我に襲はれて 恐ろしの時に向ひて血に叫ぶ。