眼前口頭 ※日刊新聞「萬朝報」明治31年1月9日〜32年3月4日 ※底本『緑雨警語』齋藤緑雨著・中野三敏編・1991年7月29日第1刷發行・1994年4月19日第3刷發行・冨山房・冨山房百科文庫41 (31.1.9) ○今はいかなる時ぞ、いと寒き時なり、正札をも値切るべき時なり、生殖器病云々の賣藥廣告を最も多く新聞紙上に見るの時なり。附記す、豫が朝報社に入れる時なり。 ○代議士とは何ぞ、男地獄的壯士役者と雖も、猶能く選擧を爭ひ得るものなり。試みに裏町に入りて、議會筆記の行末をたづねんか、截りて四角なるは安帽子の裏なり、貼りて三角なるは南京豆の袋なり、官報の紙質殊に宜し。 ○啾々を鬼の哭くといふは非なり。こは一樂糸織若くは縮緬の、鹽瀬繻珍の類と相觸るゝをいふなり。紳士淑女の途行く音をきゝて知るべし。 ○世に茶人ありて、せめて色とも名のつくことを得ば、今の小説家の望は足れるなり。されどもこれは目的にあらず、目的は孜々として倦まず、書肆の倉を建つるに在り。 ○今の小説と、ながらとは離る可らず。寢ながら讀む、欠伸しながら讀む、酒でも飮みながら讀む。されどこの讀むといふことより、代金の手前といふことを差引きて、もし殘餘あらば、そは小説家が社會に與ふる偉大の功益なり。 (31.1.12) ○明治の政治史は、伊藤山縣黒田井上後藤大隈陸奥板垣松方が名を、いやでも脱すこと能はず。今の自ら政客と稱する者に至りては如何、芳を千載に傳ふる固より難し、寧醜を萬世とはいはず、わづかに其日々々の新聞紙に遺す。 ○されども歴史とは、不幸なる世の手控なり、くらやみの耻をあかるみに出すものなり。憂目は虎の皮の留まれるが故に、敷棄にせらるゝ如く、人の名の留まれるが故に、呼棄にせらる。 ○およそ人は、姿を畫につくられざる程なるをよしとす。畫につくらるゝ人の、壁に貼られざるは稀なり。即ち、英雄豪傑は壁に貼らるゝものなり。 ○總理大臣たらん人と、われとの異なる點を言はんか。肖像の新聞紙の附録となりて、徒らに世に弄ばれざるのみ。 ○拍手喝采は人を愚かにするの道なり。つとめて拍手せよ、つとめて喝采せよ。渠おのづから倒れん。 ○學士と精キ(金扁に旁が奇)水とは、製法に於て酷しく相似たるものなり。先づ大なる桶に藥を盛り、これに無數の小瓶を投入れ其ぶくぶくたる音を發するを待ちて、一々取上げて口紙を貼るなり。是れ卒業證書授與式なり。われは精キ(金扁に旁が奇)水の吟香翁を富ましたるを聞けども、未學士の國家を富ましたる者あるを聞かず、門前の松屋のみ稍富みしとなり。 ○途に、未學ばざる一年生のりきみ返れるは、何物をか得んとするの望あるによるなり。既に學べる三年生のしをれ返れるは、何物をも得るの望なきによるなり。但し何物とは、多くは奉公口の事なり。 (31.1.25) ○所謂政客の節を重んぜざるを以て、娼婦に比する者あれども當らず。賣る可き筈と、賣る可からざる筈と、筈たがへり。娼婦は鑑札を有す、至公至明なり。政客は有せず。 ○兒を生まば女の事なり。誤ちて娼婦となるとも、代議士となることなし。 ○一生の思出、代議士たらんとすといふ者あるを笑ふこと勿れ、寧渠等は見切賣の勇気ある者なり。已に未切賣なり、ひけ物きず物曰く物たるは論を俟たず。 ○選む者も愚なり、選まるゝ者も愚なり、孰れか愚の大なるものぞと問はゞ、答は相互の懷中に存すべし。されど愚の大なるをも、世は棄つるものにあらず、愚の大なるがありて、初めて道の妙を成すなり。 ○われは今の代議士の、必ずや衆人が望に副へる者なるべきを確信せんと欲す。衆人曰く、金がほしい。故に代議士は曰く、金がほしい。 ○日本は富強なる國なり、商にもよらず工にもよらず、將農にもよらず、人皆内職を以て立つ。 ○このたびの文相の世界主義なればとて、日本主義なる大學派の人々のために説をなす者あれども、そはまことに無用の心配なり。何となれば、再言す何となれば、主義を持することゝ、箸を持することゝは自から別なればなり。 ○渠はといはず、渠もといふ。今の豪傑と稱せられ、才子と稱せらるゝ者、いづれも亦の字附きなり。要するに明治の時代は、「も亦」の時代なり。 (31.2.1) ○男のほれる男でなけりや、眞の年増は惚れやせぬ。窮めたりといふべし。されども惚れらるゝは、附入らるゝなり、見込まるゝなり、弱處にあらずんば凡處を有するなり。程や容子や心意氣や、其何れを以てするも、われより高き人のわれに惚れるといふの理なし。 ○普通の解説に從へば、縁はむすぶの神業に歸すと雖も、これとても都々逸以外に存立す可くもあらず。おもふに結婚は、一種の冐險事業なり、識らぬ二人を相擁かしめて、これに生涯の徳操を強ふるなり。 ○統計上、年々離婚の増加するは人の知る所なり。妻を迎ふるに同居籍を以てするもの、亦將に漸く多からんとす。古の所謂人倫の大綱とは、わづかに朝夕顏を見交はすに過ぎず。 ○賣女が手管の巧なりとも、竟に智にあらず、三つ蒲團の上に於て初めて生ずる習慣なり。若今の夫妻間に、若干の徳ありといはゞ、恐らくは膳をかけ合せたる時に於て、初めて生ずるそれも習慣ならん。 ○樂は偕にすべし、いづれ一間買ふべき桟鋪なればなり。苦は偕にすべからず、高利貸が門に合乘を停むるの要なければなり。 ○敢て貞節のみとは言はず、身に守る者いよいよ多く、心に守る者いよいよ少し。心身の二字妥當を缺かば、宜しく表裏と改むべし。道徳は必ずしも實踐におよばず、口先のものなり、寧ろ刷毛先のものなり。霞の光のありとのみにて、雲の影のなきも可なり。治まる御代の景物なり、御愛敬なり。 ○おもへらく、親子兄弟、是れ符牒のみ。仁義忠孝、是れ器械のみ。 (31.2.8) ○涙ばかり貴きは無しとかや。されど欠びしたる時にも出づるものなり。 ○熱誠とは贋金遣ひの義なり。註に曰く、其目的の單に製造するに止まらず、行使するに在るを以てなり。 ○眞實、摯實、堅實、確實、これらは或場合に於ける活字の作用に過ぎず。即ち今の精神界を支配するもの、勢力を以ていはゞ活字なり。これを六號にするも五號にするも、廣告料に於て差異なく、四號にするも二號にするも、工手間に於てまたまた差異なし。 ○官人のために氣を吐くも、民人のために氣を吐くも、一つ口は同じ口なり、怪むを要せず。達辯と訥辯とは正反對のものなれども、共にタチツテトの行に屬す。 ○國家といはず、箇人といはず清まばタメなるべきも、濁らばダメなるべきこと、これも假字より出でたり。 ○犠牲に供すとは面白き語なり、天神地祇は之れを看行すのみ、何日ともなしに人の取下げて、多くは自ら啖ふなり。 ○泥棒根性なきものは人にあらず、これありて初めて世に立つを得べし。格をいへば豪傑たり才子たり、分をいへば強盗たり巾着切たり、素は一なること今更にあらず。 ○人は殺すよりも、殺さるゝに難きものなり。殺さるゝに資格を要するものなり。ねがはくは殺されん、殺さるゝを得ずば、ねがはくは殺さん。殺さず殺されざるも、猶人たるの甲斐ありや疑はし。勿論こゝに殺すといふは、刃に血塗る事なり。 ○われは今の文學者の品位の、いかばかり高しとは得言はざれど、嘔吐を催すと學堂氏のいへるは稍過ぎたり。氏はおもに假名垣時代を見たるにはあらざるか、年も漸く遷り來れるを知らざるにはあらざるか。伊藤侯が十年前の政治家なるとゝもに、學堂氏も亦十年前の論客たるなくんば幸なり。 ○小説家とは何ぞや。小説にもならぬ奴の總稱なり。われは之を以て、最も簡單なる、最も明白なる、恐らくは最も公平なる解釋とす。 (31.3.3) ○何故にといふ語こそ、沒風流の極みなれ。説明し得べきと、得べからざるとの間に、妙不妙の別ちは存するなり。豆腐を好む者にむかひて、いかなるを味の妙となすと言はゞ、それはとばかり孰しも逡巡すべし。即ち妙とは、説明すべきものにあらず、説明し得べきものにあらず、もしその幾分を説明し得たりとせば、説明し得たる幾分は、已にその妙を失へる者なり。 ○不幸も弔はるゝ程なるは、猶樂しきものなり。これや限りの眞の不幸は、竟に弔はるゝことなし。 ○あとなる人のおのれと同じく溝飛越えしを見て、ほいなきものに思ふことあるも人の性なり。あとなる人の己とおなじく、溝に陷りしを見て、氣味よきものに思ふことあるも人の性なり。樣々なるが如しと雖も、しかも是同一人の性なり。 ○わが世に大人なる者ありや、君子なる者ありや。口にしばしば大人君子をいふ者は、手にしばしば追剥をなす者なり。後の世の人の前の世の人を捉へて、身の箔となすに必要なる威嚇文句を、字に書きて大人君子とは云ふなり。 ○夙に何々の志ありなどいふも、後人の附會なり、傳紀家の道樂なり、立志編に限りて用ひらるゝ形容詞なり。偉人たらんことを欲ひし人の、偉人たりしことなく、多くは其邊の受附に隱れたまはず、曝されたまへり。 ○有る智慧を出すに慣れたる果は、無き智慧をも絞るに至るものなり。凡人たれ、凡人たれ、勉めて凡人たれ、是れ處世の第一義なると共に、修身の第一義なり。めでたく凡人の業を卒へたる時に於て、較すぐれたるものあるは、自己も猶よく認め得べき事なり。 ○偉人たるは易く、凡人たるは難し。謹聽すべき逸事逸話は、凡人に多く偉人に少し。われは今、世を同じうせる人々のために、頻に逸事逸話を傳へらるゝの偉人多きを悲む。 (31.3.11) ○問ふて曰く、今の世の秩序とはいかなる者ぞ。答へて曰く、錢勘定に精しき事なり。 ○慈善は一箇の商法なり、文明的商法なり。啻に金穀を養育院に出すに止まらず、姓名を新聞廣告に出す。 ○陰徳あり、故に陽報あるは上古の事なり。近代に入りては、陽報あり、故に陰徳あるなり。盛年重ねて來らず、こゝを以て學ぶべしと古人は言ひ、遊ぶべしと今人は言ふ。今は古にあらず、義理を異にする怪むに足らず。 ○恩は掛くるものにあらず、掛けらるゝものなり。漫りに人の恩を知らざるを責むる者は、己も畢竟恩を知らざる者なり。 ○恩といふもの、いと長き力を有す、幾たび報うるも消ゆることなし。こゝに於てか賣る者あり、忘るゝ者あり、枷と同義たらしむ。 ○僞善なる語をきく毎に、僞りにも善を行ふ者あらば、猶可ならずやとわれは思へり。社會は常に、僞善に由りて保維せらるゝにあらずやとわれは思へり。 ○若し國家の患をいはゞ、僞善に在らず僞惡に在り。彼の小才を弄し、小智を弄す、孰れか僞惡ならざるべき。惡黨ぶるもの、惡黨がるもの、惡黨を氣取る者、惡黨を眞似る者、日に倍々多きを加ふ。惡黨の腹なくして、惡黨の事をなす、危險これより大なるは莫し。 ○まことの善とまことの惡とは、醫の内科外科の如し、稱は異れども價は一なり。亂世の英雄なるもの、まことの惡ならば、治世の奸賊なるもの、まことの善なり。僞惡の出づるもこれが爲のみ、僞善の出づるもこれが爲のみ。 ○賢愚は智に由て分たれ、善惡は徳に由て別たる。徳あり、愚人なれども善人なり。智あり、賢人なれども惡人なり。徳は縱に積むべく、智は横に伸ぶべし。一は丈なり、一は巾なり、智徳は遂に兼ぬ可らざるか。われ密におもふ、智は兇器なり、惡に長くるものなり、惡に趨るものなり、惡をなすがために授けられしものなり、苟くも智ある者の惡をなさゞる事なしと。 ○更におもふ、人生の妙は善ありて生ずるにあらず、惡ありて生ずるなりと。世に物語の種を絶たざるもの、實に惡人のおかげなり。吾をして歴史家たらしめば、道眞を傳ふるに勉めんより、時平を傳ふるに勉めん。吾をして戯曲家、小説家、若くは詩人たらしめば、徒らに神の御前に跪かんより、惡魔とゝもに虚空に踊らん。 (31.4.24) ○人の常に爲さゞるによりて善は勧むといひ、常に爲すによりて惡は懲すといふ。勸善懲惡なる語の、由來する所此の如くならずとするも、波及する所此の如し。 ○善も惡も、聞ゆるは小なるものなり。善の大なるは惡に近く、惡の大なるは善に近し。顯るゝは大なるものにあらず、大なるものは顯るゝことなし。惡に於て殊に然りとす。 ○善の小なるは之を新聞紙に見るべく、惡の大なるは之を修身書に見るべし。 ○勤勉は限有り、惰弱は限無し。他よりは勵すなり、己よりは奮ふなり、何ものか附加するにあらざるよりは、人は勤勉なる能はず。惰弱は人の本性なり。 ○元氣を鼓舞すといふことあり、金魚に蕃椒水を與ふる如し、短きほどの事なり。 ○懺悔は一種のゝろけなり、快樂を二重にするものなり。懺悔あり、故に悛むる者なし。懺悔の味は人生の味なり。 ○打明けてといふに、已に飾あり、僞あり。人は遂に、打明くる者にあらず、打明け得る者にあらず。打明けざるによりて、わづかに談話を續くるなり、世に立つなり。 ○奠都三十年祝賀會の、初めは投機的におもひ附かれしものなること、言ふを俟たず。これが勧誘に應じたる人々の意をたゝくに、多くは勤王論の誤解者なり。たのもしき東京市の賑ひといへば、車に乘れる貧民の手より、車を曳ける紳士の手に、一夜の權利を移すに過ぎず。 (31.5.13) ○知己を後の世に待つといふこと、太しき誤りなり。誤りならざるまでも、極めて心弱き事なり。人一代に知らるゝを得ず、いづくんぞ百代の後に知らるゝを得ん。今の世にやくざなる者は、後の世にもまたやくざなる者なり。 ○己を知るは己のみ、他の知らんことを希ふにおよばず、他の知らんことを希ふ者は、畢に己をだに知らざる者なり。自ら信ずる所あり、待たざるも顯るべく、自ら信ずる所なし、待つも顯れざるべし。今の人の、ともすれば知己を千載の下に待つといふは、まこと待つにもあらず、待たるゝにもあらず、有合はす此句を口に藉りて、わづかにお茶を濁すなり、人前をつくろふなり、到らぬ心の申訳をなすなり。 ○知らるとは、もとより多數をいふにあらず。昔なにがしの名優曰く、われの舞臺に出でゝ怠らざるは、徒らに幾百千の人の喝采を得んがためにあらず、日に一人の具眼者の必ず何れかの隅に在りて、細にわが技を察しくるゝならんと信ずるによると。無しとは見えてあるも識者なり、有りとは見えてなきも識者なり。若し待つ可くば、此くの如くにして俟つ可し。 ○かしこきは今の作家や、われたゞ一つを傳ふれば足るといひて、さるが故に平生勉むるにあらず、さるが故に平生なぐるなり。知己を待つこと、數ひく弓のまぐれ當りを待つが如し。 ○ほまれは短く、耻は長し。譽れは身をつゝむものなり、頭にかゝるものなり、耻ぢは身をそぐものなり、面にのこるものなり。つゝみて懸かるは雲の如し、吹かば飛ぶことあるべく、そぎて遺るは瘢の如し、拭へども去ることなかるべし。譽れなきも耻にあらず、耻なきは譽れなり。ほまれを求めんよりは、耻を受けざるに如かず。されど譽れもなく、耻もなきを世は人といはず、耻とほまれと相半ばしたる間に於て、人の品位は保たるゝなり。 ○唯それ活字の世なり、既に言へりし如く、活字に左右せらるゝ世なり。榮と辱と、一箇の活字を置換へたるに過ぎず。萬朝報が日々市内の死生を記すを見て、人は生れてより死するまで、遂に活字の縁を離れざる者なるをおもふ。尠くとも六號活字を脱離し能はざる者なるをおもふ。 ○襃するに分あり、過ぐれば即て貶するなり。世に碑文書きほど、嘲罵の極意を辨へたるはあらじ。さもなきに父祖の墓をのみ輝かさんは、却て父祖の業を辱しむるものなり。 ○死せる者は谷中に行くなり、生ける者は遊郭に行くなり。葬るに自他の別ありと雖も、その共同墓地たるに於ては一なり。 (31.5.27) ○優れるが故に勝つなり、劣れるが故に敗くるなり。強者の弱者を拯はざるを責むと雖も、強者は何の度、何の點、何の域まで弱者を拯はざる可らざるか。いつまで艸のいつ迄も、ただ限り無くといはゞ、強者は己のために勝ちて、他のために敗けざるを得ず。 ○力の強弱なり、理の是非にあらず。しかも代々、弱者の理に富めるが如き觀あるは、一に攻守の勢を異にするに由るなり。弱者の強者にくらべて、理をいふに都合よき地位なるによるなり。愚痴や、怨みや、泣言やを繰返すの便宜あるによるなり。要するに弱者の數多ければなり、口喧しければなり。 ○強きを挫き弱きを扶く、世に之れを侠と稱すけれども、弱に與せんは容易き事なり、人の心の自然なり。義理名分の正しき下に、強に與せんはいといと難し。悶ゆる胸の苦少きを幸福といはゞ、弱者は強者よりも寧ろ幸福なり。 ○劍を以てするも、筆を以てするも、強者は遂に弱者を扶くることなし。長く扶くることなし。弱者を扶くるは弱者なり。どの道のがれぬ弱者なり。同病相憐むに過ぎず。 ○正義のために起つといふは、身正義に代れるなり。貫き能はで斃れたるとき、正義は猶存在するものなりや否や、埋沒せられざるものなりや否や。 (31.6.10) ○貧は強ち耻辱にはあらざる可きも、さりとて到底榮譽にあらず。まづしき也、とぼしき也、憂ふるに人さまざまの輕重ありとも、孰か心の奥を問はれて、富に優るといふ者あらんや。貧を誇るは、富を誇るよりも更に陋し。 ○濫せざるは罕なり、世に清貧なるものあるべしとも覺えず。先ごろ人の之を言爭へるも、概ね字義に拘泥したるの論のみ。富は餘れるなり、貧は足らざるなり、鹽噌の料に逐はるゝも、酒色の債に攻めらるゝも、算盤の合はざるは一なり、貧は一なり。必要を辨ずる能はざるを貧といはゞ、貧に清濁の別ちあるなし。即ち清貧とは、寡欲を衒ふに過ぎざる假設文字なり。 ○富は手段を要す、こゝに於てか貧に安んずといふことあれども、實は安んずるにあらず、安んぜざるを得ざるなり、餘儀なきなり。人は銅貨の大よりも、銀貨の小を取る者也、取らざる迄も、其貴きを知れる者也。貧に安んずる者ならぬは明らけし。 ○今日しばし貧に安んずとも、有りし昨日、有るべき明日を夢みんは定のものなり。悠然、澹然などいふもつまりは、負惜しみの臺辭なり。 ○謂れなきに富者の憎まれ、貧者の憫れまるゝことあり。アキタ(冠が厭で脚が食)らぬ人の心の、身を富者の地位に置かず、貧者の地位にのみ置きて考ふるに因るなり。 ○金庫は前にす可きものにあらず、後にす可きものなり。金庫に向かへる人の膝は屈めるなり、うな垂るゝなり。金庫に倚れる人の肩は聳ゆるなり、そり反るなり。 (31.6.28) ○他人の迷惑を顧みず、慮らざるもの、傳紀家を以て第一とす。知られぬが幸ひの手形足形を、さがなき此世に掘返して、己が樂しみに耽るなり。傳紀家が文辭を修飾すればするだけ、他人の迷惑は加はるなり。 ○われは傳紀家の筆によりて、前人が罪科の數へらるゝを悲まず、功績の列ねらるゝを悲む。靈あり心あらば、地下に其人の然ばかりならぬを泣かんかとて。 ○罪は遺すべし、功は遺すべからず。人の眞價は、罪有るによりて誤られずと雖も、功有るによりて却て誤らる。迷惑は罪の大なるよりも、功の小なるを擧示せらるゝに在り。 ○歌々ひ、舞々ふ人の常に曰ふ、やんやの聲はこゝぞの時に聞くことなく、さらでもの時に聞くこと多しと。巨人、偉人、大人なるものの傳紀に就ても、われは此憾なきを保する能はず。 ○人間が標準相場は、功名を以て定む可きにあらず、假なれば也。過失を以て定む可し、眞なれば也。 ○襃するに辭は限有れど、貶するに限無し。例せば利口といへる唯一つのほめ言葉に對し、馬鹿、阿房、間拔け、拔作、とんま、とんちきなど、惡口は數ある如し。世とて人とて、到底誹らで果つまじきことは、これにて知るべし。 ○謂はゞそやすは義理づくなり、けなすは眞けんなり。人のたづぬるに遇へば、一はまあ爾言つて置くのさといひ、一はそれが當前ぢやないかといふ。 ○恐る可きもの二つあり、理髮師と寫眞師なり。人の頭を左右し得るなり。 ○さる家の廣告に曰く、指環は人の正札なりと。げに正札なり、男の正札なり。指環も、時計も、香水も、將又コスメチツクも。 (31.10.10) ○つとめて穿鑿すべし、つとめて穿鑿すべからず。かく反對せる二箇の用意を、一身に負ふべきは歴史家なり。爛マン(火扁に旁が曼)たる嶺の櫻と見しは、白雲なりしと言ふとも、水蒸氣の凝れりしと迄は言ふこと勿れ。陷り易き歴史家が弊は、穿鑿家たるに在り。 ○されど水蒸氣と知らず雲を敍し、雲と知らず櫻を敍するが如きは、最も愚劣なる歴史家の事なり。 ○詩は建國のものにあらず、亡國のものなり。建つるよりは、亡ぶるに姿かなへり、品具はれり。畏くも後醍醐、後村上の帝を首めたてまつり、南朝の歌集の極めて誦すべく、北朝のゝ一として看るに足らざるが如き、轉ずれば即てよき例證にあらずや。 ○亡國の臣など呼ばれぬる人の、いかばかり風情に富みたりけんと、おろかしき事をも時には想ひ出さる。こはわれの日本の民なるが爲か、深編笠の浪人姿を、土間の一二三邊りに在りて喝采したる日本の民なるが爲か。 ○那翁が雄圖の遺憾なく遂げられたらんには、今の如く我邦に贔屓を有することなかるべし。徳川氏の治下に出でたる歴史なるにも拘らず、一枚上に置ける秀吉の如きも、亦然らん。 ○例を低きに取らば佐倉宗吾を見よ、大方の人の渠に動かさるゝは、奮ひて起てる初めなり、中ばなり、終りにあらず。願達きて渠が身の全からば、稱する者九分を減ずべし。 ○目的は巓に在れども、山に遊ぶの快は幾曲折せる坂路を攀づるに在り。登れる者は下らざる可らず。 ○めでたきものは平凡なり、めでたき正月の生活は、人皆平凡なり。 ○清竟に盛へんか、衰へんか、われ之を知らず。唯其動揺し、騷擾する毎に、急ぎて歸着點を明かにする者なるをおもふ。 (31.10.12) ○革命來を呼べる人あり、今猶呼ぶ人あり、倶に戲れなるべし。信仰なき民は、革命なる文字を議するといはず、弄するの資格だになき者なり。 ○假に細民の群り起てりとせよ、襲ひ撃たんは何處なるべき。米屋、薪屋、炭屋、酒屋、日濟し貸、及び差配人のでこぼこ頭のみ。 ○口若くは筆もて富豪を責めんは、徒勞に屬す。幾千萬言を重ねて其暴横をいふとも、暴横より得たる權勢は、其間も猶暴横を逞しうし續くるの餘地あるなり。勝を必せざる攻撃は攻撃にあらず、攻撃の甲斐無し、敵をして防備を嚴ならしむるに過ぎず。 ○非を遂げよ、希はくは非を遂げよ、非は必ず遂ぐ可きものなり。成功は非を遂ぐるに由りて來り、失敗は半途に非を悔ゐ、非を悟り、非を悛め、能く遂げざるに由りて來る。 ○獨り斃れて已まんとは、潔き言葉なり、唯夫れ言葉なり。われをして言はしめば、人一人なりとも多く倒したる後に、われは倒れん。ふびんなれども冥土の路連れ、彼れ倒れずば我れ斃れじ、獨りは斃れじ、斃るゝとも已まじ。 ○萬歳の聲は破壞の聲なり。河原の石の積上げられたるよりも、突崩されたるに適す。 ○今もちよん髷といふを戴きて、明るき都の兩側町を行く人あり。頑迷なりといふ勿れ、固陋なりといふ勿れ、尠くとも主義を頭に載せたる人なり。 (31.10.18) ○理ありて保たるゝ世にあらず、無理ありて保たるゝ世なり。物に事に、公平ならんを望むは誤なり、惑なり、慾深き註文なり、無いものねだりなり。公平ならねばこそ稍めでたけれ、公平を期すといふが如き烏滸のしれ者を、世は一日も生存せしめず。 ○どうせ世の中は其樣なものだ。この一語は、泣ける者をも慰むべく、怒れる者をも慰むべし。斯くして人口は年々増加すとも、減少することなし、めでたからずや。 ○家あり、妻なかる可らず。妻が一家に於ける席順を言はゞ、葢鼠入らずの次なるべし。人の之を米櫃の保管者となせども、任に能く保管に堪へんこと覺束なし、恐らくはそれの輕重を單に報告するに止まらん。 ○與へられし或権限をすら守り得ず、然も與へざる或権限を越ゆる者は妻なり。 ○凡ての場合に於て、妻は參考品なり。分別をなすに於て、なさしむるに於て、なさざる能はざらしむるに於て。 ○二人だから何うもならないといひ、一人だから何うかなるだらうといふ。夫婦者のは晴れたる苦勞なり、獨身者のは陰れる苦勞也。世に遣瀬なき思ひといふは、おほむね頭數を以て算出せられ、判定せらる。 ○少年諸君のために言はんか、腦病に倒れんよりは胃病に倒れよ。雜誌を買ふて腦病に倒れんよりは、ひとしく学資の上前也、くすねる也、はねる也、菓子を買ふて胃病に倒れよ。腦と胃と、機關の因縁淺からずと雖も、士は一に名分を重んぜざる可からず。 (31.11.2) ○漫りに隈板二伯を嗤ふを休めよ、人間らしき内閣を組織したることに於て、二伯が功は沒す可らず。われらが知見の及ぶ限りを以てすれば、何れは人間の手に由りて造らるゝ内閣の、斯の如く明白に、寧ろ斯の如く巧妙に、人間の心情を露出といはんよりは表示し、表示といはんよりは捧呈し得たるもの無し。是實に世界に於て空前の事なるとゝもに、恐らくは亦絶後の事ならん。但だ衆の望の、かく迄に人間らしき内閣を得んと欲したるに在りしや否ずやを知らずと雖も、今にして思へば藩閥打破を疾呼せる渠等が聲の、頗る人間らしかりしをわれは嘆稱せざるを得ず。 ○一日も政治なかる可らず、茲に於てか月給を奪ひ合へり。一日も政黨なかる可らず、爰に於てか看板を奪ひ合へり。車宿の親方の常に出入場を爭ふの故を以て、内閣大臣の偶々出入場を爭ふを不可とするの理を我は發見する能はず。車宿の親方の果敢なきが故にあさましく、内閣大臣の然らざるが故にあさましからずといふの理をも發見する能はず。 ○憲政の美といふことを一言に約すれば、壯士の收入を増すといふ事なり。 ○あゝ政治家よ、あゝ我邦今の政治家よ、卿等は唯一つなる刑の名をも知らざる者也、熟せざる者也、諳ぜざる者也。竊盜をなすも、強盜をなすも、等しく刑に處せらるべしと雖も、刑に於てすら名を重んぜざる卿等は、遂に何等の肩書きをも有する事なし。 (31.11.6) ○政界今日の事を以て、狂的行動となす者あり。一應はきこえたり、再應はきこえ難し。愚人の大人と相隣れるが如く、狂人は傑人と相隣れり。渠等を愚と言はんか、愚は猶寛なるものあり。狂といはんか、狂は猶偉なるものあり。所詮渠等は愚人、狂人以下なるのみ。 ○一の大人、傑人なしと雖も、隣れるを以て近しとせば、千百の愚人、狂人あらんも亦聊か慰するに足る。恰も一町先の酒屋の深けて起きざるによりて、角店の水臭きをも忍ぶが如けん。愚人の量、狂人の見だになき世となりては、政治といふもの、竟に一盃の寢酒に若かず。 ○譬へて今囘の變を言はゞ、總領の狡獪に人の氣を許すことなかりしも、次男の正直にふびんかゝりて、おもはぬ相互の不手際を演出するに至りしなり。政治系統の外に立ちて、單に因果の理法よりすれば、國家を誤る者は大隈伯にあらず、板垣伯なり。 ○政治運動とは、一名集會の栞なり。胸襟を披くと稱し、十二分の歡を盡くすと稱す。幾たび盡くすとも十二分なると共に、幾たび披くも舊の胸襟なり。 ○鬱勃たる不平の迸り出づる時、これを支へんは酒なるかな。敢て段落を見計らふを要せず、まあ一杯とさしたる洋盞の渠が手に移らば、疑ひもなく麥酒は其場の結論たるべし。 ○それが何うした。唯この一句に、大方の議論は果てぬべきものなり。政治といはず文學といはず。 ○絶えず貢獻なる語を口にする人あれども、おもふに腹のふくれたる後の事なるべし。尠くとも、一日三度の飯を食得たる後の事なるべし。片手業なるべし。小唄なるべし。 (31.11.12) ○與す可きにあらず驕りて觀下すか、齒す可きにあらず謙りて瞻上ぐるか、處世の要はこの二つを出づること莫し。されば朝夕の辭儀口誼もおまへは馬鹿だと言ふか、あなたはお利巧なと言ふかの二つよりあること莫し。 ○上流に比すれば樂多かるべし、されども下流に比すれば苦多かるべし。社會の勢力は總て中流の有なること、今更にもあらざる可き歟。維持するに於て、壞亂するに於て。 ○米錢の事と限るにあらず、力をお隣のをばさんに假るに、裏屋にありては味方なり、慰藉を得るの便り也。表店に在りては敵なり、誹謗を招くの基也。理の本は斯くひとしけれど、情の末は斯くたがへり。 ○下なる人は之を寄せ合ふなり、上なる人は之を偸み合ふなり。同情なる文字の荐りに社會に稱せらるゝにも拘らず、解を求むればまさに斯くの如し。 ○立身出世といふことあり、人のうまれの啻に怜からば、誰も爲し得んものに思ふは大なる誤り也。何處にか阿房の本體をとゞむるにあらざれば、立身出世はなり難し。立身出世を希はん者は、見え透きたる利口と、見え透きたる阿房とを兼有せざる可らず、兼有して而して巧に表出せざる可らず。 ○虎といふものこそ可笑しきものなれ、身は動物園の鐵柵に圍まれて出づるに由なく、遂に自由なるまじき境と知りつゝ、猶其処に一分時を安んずる能はず、最も、最も柵に近き邊を、日夕往返し居るなり。 ○軍人の跋扈を憤れる人よ、去つて淺草公園に行け、渠等が木戸錢は子供と同じく半額なり。 ○山縣侯の手に成れるこの度の内閣は、雅味ある内閣也。一概に之を斥けんは、人類學攷究の價値を知らざる者也。組織と言はず、宜しく發掘と言ふべし。 (31.11.27) ○一の政治家なし、數多の政論家あり。一の政論家なし、數多の政黨屋あり。強て家の字を附す可くば、われは之を一括して、經世家といふの妥當なるを信ず。經綸の經にあらず、經過の經なり、即ち世を經るなり、どうかこうか渡り行くなり。 ○正札だからまけますといふ世にありて、特り看板に僞りなきは、彼の自ら有志家を以て任ずる輩也。一定の職なく、業なく、右往左往に唯わやわやと立廻りて、團體と稱す、志の有る所知る可きのみ。三輪のうま酒うまさうなる時に、多くの人は志を呼ぶものなり。 ○奔走家といふも新しき營業也。抱への車夫に給分を渡すことなくば、一層新しき營業也。 ○曩に大臣の名の安くなりぬと説きし人に問はん、そは從來高上りせる我邦政治の價の、漸く平位に著かんとしたるものにあらざる乎。この度の内閣は如何、亂高下とも言ひかぬるなるべし。止むなくば休日越しの相場歟、開市の暁は直ちに改正せらる可き者なり。 ○政治は人を亡し、文學は国を亡す。國のために政治をいひ、人のために文學をいふ。誤らずんば幸ひ也。 ○極めて謂れ無き事なれども、姑く傳ふるに隨せて、醫は仁術なりとせんか。古は人を活すが故也、即ち患を除く也。今は人を殺すが故也、即ち苦を去る也。字義と雖も世とゝもに推移するに、怪しうはあらじ。 ○諺に曰く地震雷火事親父と、是れたゞ危險の度を示したるに過ぎず。苦痛の量よりすれば、親父火事雷地震也。 ○世は殿樣の謠なる哉、孃樣の琴なる哉、喝采の豫約せられたる如きものを以て、豫約せられたる如き喝采を得るも、猶長く悦べり。 月給は人の價にあらず、されども月給は人の價なり。各人が遭遇する場合の多少より言はゞ。 (31.12.9) ○官吏が權勢を射利の用に供すること、今始まりしにあらずと雖も、過ぎにし事の迹をひとかに察するに、藩閥内閣に屬するは、地位のために獲たる儲け口なりし。政黨内閣に屬するは、儲け口のために得たる地位なりし。即ち前者は偶然也、偶然といふを得可し。後者は必然也、必然といふの外無し。彼の杉田を看よ、肥塚を看よ、草刈を看よ、所謂憲政の賜としては、醜穢なりとは言はず露骨なりしをわれらは藩閥の前に耻ぢざるを得ず。 ○風紀は一片の禁令の、能く支持す可きにあらず。學生を取締り、諸藝人を取締り、遊び人乃至物貰ひの徒を取締るといふも、畢竟威壓のみ。腐敗せしめよ、大いに腐敗せしめよ、世を擧げて全く腐敗し盡すを得ば、尠くとも人互ひに感染し、浸潤するの患を除くに庶幾からん。 ○彼方には火鉢を取除け、此方には茶棚を取除くるは、朝々の掃除にも面倒なる事也。掃除し畢りて顧みれば、塵は塗盆の上に猶鮮かなるべし。如かず機を得て、一時にどつと掃出さんには。 ○人は早晩、何の點と限らず墮落す可きに定まれる者也。強て墮落を抑へんは、發せしむるに過ぎず。あしき墮落をなさゞるの前に、噫われはよき墮落を誨へんかな。 ○一夕、大學生の語るを聽く。曰く、彼奴もなかなか進化したと。茲に進化とは、繻珍の紙入を藏するの義也、われらが認めて墮落となす所の者也。要するに學問は自己を諒解するの道にあらず、辯解するの具なり。 ○今の教授法といふは、泥水清水の混合物也、併せ飮ましむる也。よしや遡れば清水の多分なりとも、攪き交ぜられし末は泥水の行渡れるを以て、滿腹と稱す。宜なり渠等に清水を見ず、吐かば必ず泥水なることや。 ○漫然、他を罵りて無學といひ、無識といふは重寶なる、但しは卑怯なる語也。いかなる大學者、大識者に向つても言得べきと共に、いかなる大學者、大識者と雖も、之を言釋かんに途なき事なればなり。眞正の學者、識者の口より、この語の出でしをきゝし事なし。 (32.2.4) ○教育の普及は、浮薄の普及也。文明の齎す所は、いろは短歌一箇に過ぎず。臭い物に蓋するに勉むる也。國運日に月に進むなどいふは、蓋する巧の漸々倍加し來ぬる事也。 ○天保老人氏曰ふ、今を昔に比ぶるに、男次第に妍く、女次第に醜し、是れ何が故ぞと。戲謔にはあらざるべし、眞ならばげに是れ何が故ぞ。未能く答ふるを得ずと雖も、われは敢て風俗上の問題となさず教育上の問題として、之が因由をたづねんと欲す。 ○女といふは榮ある者哉、紅きもの、白きものもて彩るを得るなりとは人の言也。女といふは效なき者哉、紅きもの、白きものもて彩らざるを得ざるなりとはわが言也。 ○聖賢の道といふものこそ、いと心得ね。大方の場合に於て、女子は即ち色なりと解し、格外に之を忌み怖れたり。威を以てするも、つまりを言はゞ欺くなり。總ての意味の上に、教といふは元アザムキ也。僅に女一人をも欺き得ず、何者をか欺き得ん。女は欺く可し、欺かば足りぬべきものなり。 ○炊がざれば米は食ふにたへず、炊ぐは當然のみ。女を欺くに何の罪ぞ。 ○たまたま女の僞りを陳ずることありとも、たゞす勿れ、責むる勿れ、とがむる勿れ。僞りかあらぬかをさへ、問ふに及ばず。女の嘘は、唯聞いて置けば宜しき事也。 ○女子の貞節は、貧の盜みに同じ。境遇の強ふるに由る。 ○涙以外に何物をも有せず、女の涙は技術なり。 ○女は猶鶯の如き者か。羽色のために拂はるゝよりも、啼音のために拂はるゝ價也。最もよく玩弄に適したるを、最もよき女とは謂ふなり。 ○嘗て女の手に、剣を執れる世もありき。鬪へる也。扇を取れる世もありき。舞へる也。今は只男の肩に懸くるか、頸に懸くるかより能無き世となりぬ。寢ぬる也。 (32.2.8) ○才を娶らんよりは、財を娶れよ。女の才は用なきもの也、善用することなきもの也。なまなかなるは不具たるに殆かるべし。財あるに如かず。財を獲たらんは、才を得たらんより耐へ易く、忍び易し。 ○人の妻を遇するを見るに、之を粧飾品となす者は座敷に置き、日用具となす者は臺所に置く。共に動産たり。妻みづからも亦身の置場、据場、寧ろ寢處とより上の觀念を有するものなし。若これありとせば、そは粧飾品の風通を買はれざるを恨み、日用具の繻子を賣らるゝを怖るゝのみ。この時初めて、夫あるを覺るに過ぎず。 ○凡て女子の心にとは言難し、身に夫あるを覺るは、滿ちたる時にあらず、缺けたる時なり。全き時にあらず、乏き時なり。謝す可き時にあらず、訴ふ可き時なり。恩にあらず、怨也。 ○已に動産と稱す、妻を迎ふるは一箇の富を増すなりといふ者あるにわれは抗論せざる可し。醫者樣の物置に、菓子、鷄卵の空箱の積まれたるを富なりといふ者あるにも、われは又亦抗論せざる可し。 ○文字ばかりをかしきは莫し、實を傳へざるは莫し。内助の二字の如き、殊に然り。單に鍋釜を整理し、配置し、按排するの謂とせんも、猶諸買物通帳は、常に夫の前に提供せらるゝにあらずや。世に内助の功なんどといふもの、到底有得可しとも覺えず。 ○彼の妻を見よ、飼犬を見よ、大差ありや。餌を與ふることを忘れずば、吠ゆることなし。 ○寒い晩だな、寒い晩です。妻のナグサメとは、正に斯の如きもの也。多くもこの型を出でざる受答への器械のみ。之に由りて、世の寂寥を忘るといふ者あり、げに能く忘るべし、希望をも忘るべし。 ○前なる夫に告ぐ、渠は今公に、後なる夫の膝によ(冠が馮で脚が几)りて笑ふ也。後なる夫に告ぐ、渠は今密かに、前なる夫の墓に詣でゝ泣く也。いづれぞ心の誠なる。いづれも形の僞り也。 ○生殖作用は、生活作用也。飢ゑざらんが爲といふこと、女子が結婚の一條件たるを以て見れば。 ○豫め轉賣を諾されたる者は娼妓なり。されども權利者の誤解をまねくこと多し。この誤解をまねくこと無き者は妾なり。 ○雜誌、新小説の懸賞規則を見るに、當選者の肖像を寫眞版となし、之を卷頭に掲ぐべしとあり。あゝ明治の青年は、斯の如くにして犠牲に供せらるゝ也、葬らるゝ也。 (32.3.2) ○戀とは口にうつくしく、手にきたなき者也。こは嘗て神聖論を拒否するにあたりて、戀とはうつくしき詞もて、きたなき夢を敍するものぞとわれの言へるを、詳かにしたりとも、約かにしたりとも言得べきもの也。 ○危きは世に謂ふ戀なるかな。一たびするも、十たびするも、符號を遺すことなく、痕跡を留むることなし。 ○相見ば戀は止むべきか、相逢はゞ戀は止むべきか、相語らば戀は止むべきか。切に求めて休むことなきものは戀也。 ○須らくわれも世につれて、相思ふを戀といふべし。最後やいかに。限りなきおもひの程を互に表示するに於て、通告するに於て、將又交換するに於て、唯一つなる方法は相擁きて眠るにあらぬか。 ○ふたりが戀の契約書にありては、肉交は證券印紙なり。之を貼用するにあらざれば、自己も猶效力を認めず。 ○戀は親切を以て成立す、引力也。不親切を以て持續す、彈力也。疑惑は戀の要件也。 ○夫婦は戀にあらざること、言ふ迄もなし。夫婦は戀の失敗者と失敗者とを結び合せたるものなること、亦言ふ迄もなし。「鮨をと思つたが蟇口の都合で蕎麥にして置くのだ」とは、われの既に言へる所なり。 ○握手は子をなす事なし。夫婦の愛は肉より生ず。かの婚姻なるものを看よ、そを四隣に吹聽して憚らず、以て儀式となすにあらずや。 ○唄浄瑠璃は言ふにも及ばず、古の和歌の今に傳へて人の誠となすもの、戀となすもの、多くは肉慾也。倶に寢ねんことを望めり。いづれの邦の歴史と雖も、かげには必ず子宮病の伏在せる者なるを思ふ。 ○劇にて見たる初菊は、いと率直なる婦人なりき。公衆の面前に於て、せめて一夜の祝言を強請せり。 ○何故に女子は貞淑ならざるか。何故に女子をして貞淑ならしめざる可らざるか。女子に操ありと信ずる者は、自己の零落を知らざる者也。相携へて途上を行くとせよ、妻の眼の何ものに注がれ、妻の眼に何ものゝ映れるかを、夫は察知するの能力なき者也。況んや抑制をや。能力と言はざる迄も、妻が夜毎の夢の始終を、明かに聽く可き信用だに無き者也。 ○希はくは安んぜよ、滿天下の女子諸君。現行犯ならざる限りは、すべての女子は操正しき者なり。 ○恐らくは有夫姦は、法律の禁ず可きものにあらざるべし。 ○われは貞婦、烈女の傳を讀みて、かゝりし人のまことに在りけんよしを確信したり、嘆稱したり。されど若われと同じき世に在らしめば、もはや理屈の要なし、これはたまらぬとより多くを言ふ能はず。 ○十年の語らひも、一言によりて去り去らるゝを夫婦といふ。よしや倶々、あかぬ中にも子細ありて、啼いてくれるか初杜鵑、血を吐く程の別れをなしたりとも、十日、廿日、一月を隔つれば心全く他人也。女子の進退は、毫も暦日と關係無し。 (32.3.4) ○戀は花か、色は實か。花の實となるは必然にして偶然也、偶然にして必然也。散れよ花、花は初めより散るに如かず。忘れよ戀、戀は初めより忘るゝに如かず。 ○花間に月下に、言はぬ思ひの唯打對ひて果つべき生涯ならば、われは戀の神聖を疑はじ。彼と此れとは倶に初戀の、つゆ動かぬ保證を公に得るものならば、われもさまでは疑はじ。 ○戀ふるにいさゝかの價ありとも、戀はるゝに價なし。成就の一方より言はゞ、戀はまぐれ當り也、ぶつかり加減也、一寸したキツカケ也。 ○獻身的戀愛となん、呼ばるゝものありとぞ。日に三たびは飯食ふべき身を獻げ來らるゝも、時に依りては迷惑なるものに思はる。 ○戀と言はず、更に色と言はん。われは混ずることなかるべし。色とは富の副産物なり、屈託なき民の鬨の聲なり、今日の如くめでたきものなり。 ○こゝを以て、われは一押二金といへる人よりは、一暇二金といへる人の炯眼に服せざるを得ず。其共に「をとこ」を三位に置けるも、故なきにあらず。男の器量を貨幣につもらば、僅かに三錢四錢の顏剃代を以て上下する者なればなり。 ○爨婦も丁稚も打交りて臥せる低き屋根の下と、坊ちやまも孃樣も各お座敷を有せらるゝ高殿の上と、所謂醜聞の孰れに多きかを比較し看よ。是亦餘裕の一例なるべし。