話の屑籠

文藝春秋昭和十七年新年號掲載


 對米交渉の經過の發表を讀むと、今更ながら米國の頑冥不靈に驚かざるを得ないものがある。日本の對支方針が、無賠償不割讓と云ふ寛大公正なるものである以上、米國が眞に東洋の平和を想ふならば、蒋介石を説得して、その無益なる抗議を中止せしむべきが當然である。然るに、數年來の援蒋行爲、對日經濟壓迫に依つて、事變の解決を妨碍した上、今亦太平洋の平和維持のために、隱忍努力せんとする日本に對し、日本の過去に於ける血と汗の業績を無視せんとするのであるから、對米交渉が遂に決絶するのは當然である。之以上、日本が隱忍したならば、日本は衰退の一路を辿る外なかつたであらう。ルーズベルト大統領が、その獨善的理念に依つて、世界をリードせんとする野望が、今次大戰の直接原因として、後世史家の指彈の的となるであらう。


米國は、今より八十九年前、武力に依つて、日本の鎖國の妄を破つてくれた。これは、米國が世界の文化に貢献した事蹟に違ひない。今、日本は、武力に依つて、米國の獨善的迷妄を撃破せんとしてゐる。之は、米國に對する一つの返禮であると共に、人類文化の進展に對する大功業となるであらう。


 自分は、前月號で、一度太平洋の風波が動かば、わが海軍が太平洋ばかりでなくインド洋、南洋に於ても、驚天動地の活躍をするだらうと書いておいたが、開戰劈頭の布哇空襲、開戰三日後の英主力艦隊撃滅などは、自分などの無想もしなかったことである。目の上のコブのやうな氣がしてゐたプリンス・オヴ・ウエールスの撃沈を聞いて、涙を流して喜ばなかつた日本人は、一人もゐないであらう。しかも、その犠牲は飛行機が三機と云ふことである。飛行機の建造費は、いくらかかるか知らないが、三機で百萬圓以下であらう。人命の損失も、十人以下であらう。敵主力艦二隻は、數億萬圓であり、人員の損失は四千五百人と云はれる。決死殉國の十人は、百倍千倍の物と人間とを撃滅したのである。今更ながら、皇軍將士に對する感謝の念が溢れると共に、國民凡てが殉國の決心を以て蹶起したならば、資源的不利などは、克服して餘あるであらう。我々國民は、この赫々たる書泉の大戰果に必勝の自信を確めた上、私心を斷絶し、鐵の如き意思を以て、あらゆる艱苦を克服し、戰爭目的完遂のために邁進することが必勝の道であらう。支那事變の四年半に於て、國民の臨戰體制の小手調べは出來たのだ。これからが、本格である。我々は、二千六百年來の先祖に對し、亦、子々孫々に代つて、皇國興亡の大戰を敢行すべき責任を負つたのである。一身一家の事などを考へて、先祖を汚し無限の子孫を裏切つてはならないのである。


 歐洲の海面では、縱横に活躍してゐた英主力艦が、東洋の水面に姿を現はすと、開戰たつた三日目に沈んだことは、實に會心の事である。新聞記者が、ドイツの當局に(なぜ獨逸(ドイツ)空軍が、もつと英艦を沈めることが出來ないか)と、改めて質問したと云ふのも、尤もである。その答は、獨逸の空軍は陸上の敵を撃滅するのが主眼であると云ふのであつたが、日本の空軍の技術と氣魄が、世界一であることは、何人も疑ふことは出來ないだらう。海軍航空隊では、出動のとき、(參ります)とは云ふが、(行つて參ります)とか、(行つて來ます)とかは、云はないさうである。常に、生還を期してゐないのである。もつとも、これは、空軍ばかりでなく、陸海軍將士全體の出動のときの心がまへであらうが。


 本誌も二十周年を迎へたが、平常ならば、何かお祝ひをしたいのだが、かうした時期であるから、何もやらない。本誌は事變以來、今迄も國策順應の態度であつたが、今後は、もつとその態度を強化徹底するつもりである。そのために、今迄の本誌らしい特色なども、無くなるかも知れないが、そんな事は言つて居られない。改めて、讀者諸君の支持を、お願して置くが、しかし雜誌がつまらなくなつたと云つてよす人は、よしてくれてもいゝと思つてゐる。


 我々文壇の有志で、航空文學の樹立、航空思想の普及のために、陸軍航空本部の支援の下に、昨年以來航空文學會なるものを作つてゐるが、今度「航空文學賞」を制定し、本年度から授賞することになつた。文學賞と云へば、講談社で故野間清治氏の記念のために設立された「野間奉公會」の文藝賞(賞金一萬圓)が、眞山青果氏に授賞されることに内定した。審査員は、徳田秋聲氏、武者小路實篤氏、正宗白鳥氏と僕との四人である。眞山氏の戲曲は、その創作に際しての周到なる準備とその眞摯な努力と、相俟つて現代の文藝界に、特異な存在を示してゐるものだが、從來あまり窺はれることの少かつた人だけに、今度の授賞は、妥當であると信じてゐる。


 十六年度の文藝銃後運動も、臺灣が都合で取り止めになつた外は、無事完了した。至るところ相當の效果を擧げたことを確信してゐる。講師諸君も、その多忙な時間をくり合はせて、皆快く東西をかけ廻つてくれたことは、主催者として感謝の外はない。情報局、鐵道省、大毎東日兩社の盡力に對しては感謝の外はない。いよいよ大東亞戰となつた以上、我々文壇人も來年は構想を新にして、もつと直接切實な御奉公をしたいと思つてゐる。


 この原稿を書いてゐる十三日の夜、「小牧山合戰」と云ふ講釋の放送があつた。かう云ふ歴史物の講釋は、いつも史實が間違つてゐるが、この小牧山合戰でも、池田勝入齋信輝が、小牧山を拔けがけに攻めることになつてゐる。事實は、勝入齋が、家康が小牧に出陣してゐる隙に大迂囘して家康の本國三河を衝かうとするのを、家康が追撃して、長湫で勝入齋を討ちとるのである。今度は歴史物の講釋を放送する場合は、放送局であらかじめ誤謬があるかないか檢討して貰ひたいと思ふ。