人間通になる讀書術  松原正 (賢者の毒を飲め、愚者の蜜を吐け) 人間通になる讀書術 目次 プロローグ 人間通になるための「無用の讀書」 第一章 この世が舞臺 1.すれつからしも騙される「惡い女」   森鴎外 『ぢいさんばあさん』  耐え忍ぶ女・美濃部るんの美しさ   不自由であることの幸福   今の女ならラブ・ホテルに入る  2.「知的生活」のいかがわしい部分     フローべール 『まごころ』  人生に對する眞劍な問ひかけがないベストセラー   名作短篇小説が教へる眞理  3.時には「長い物」に卷かれろ      樋ロ一葉 『十三夜』  千年たつても變化しない人間の眞の姿  なぜ、日本に無理心中が多いのか  愚かな教育ママの正體  4.愛すべきは「專門馬鹿」の稚氣   幸田露伴 『五重塔』  泡をふいて倒れた貧乏作家   みごとた古今亭志ん生の修業  第二章 賢者の毒を飲め   5.自己主張の「精神」・自己滅却の「美學」   へミングウェイ『老人と海』  無償の行爲が人を感動させる   樋口一葉・『にごりえ』の世界   引き際の美しさを尊ぶ日本人  人生觀・その彼我の差  6.「善人」が政治的「惡人」になる皮肉   オーウェル 『動物農場』  この世は常に不平等である   善人は良き市民にあらず   政治音痴を輕蔑するな  7.人間に背負わされた因果な病「なぜ?」   中島敦 『悟淨出世』  快樂主義者になれない悟淨の惱み   實用にこだわりすぎる今の日本人    8.「騙されて幸福」といふこともある   イプセン 『野鴨』  「イエスの方舟」事件と幸福な娘たち   眞理のみならず、虚偽をも愛する人間  9.純眞な子供の「無知」を破壞しろ     モーム 『雨』  子供の無邪氣を壞す教師の樂しみ   教師の「ブルービデオ上映事件」のてんまつ   宦官による宦官のための教育論  10.簡單明瞭な道理が理解できぬ「複雜人間」   モーパッサン 『脂肪の塊』  土壇場では誰しもエゴイストになる  第三章 愚者の蜜を吐け 11.戰爭はなくせるといふ「平和屋」の馬鹿   フローベール 『聖ジュリヤン傳』  人を殺すのも人間の性である   ライオンはライオンを、虎は虎を殺さない  12.「性善・性惡説」では割り切れない人間の性   ドストエフスキー 『貧しき人々』『地下生活者の手記』  惡黨やすれつからしも感動する名作   人間はひたすら自己を愛す   「世界が破滅してもお茶を飲みたい」   戰爭を愚かと見る「愚か者」  13.「金儲け主義」の“盲人”が陥る穴   バルザック 『絶對の探求』  空想に惱まない日本人の特徴   絶對への欲求だけは消せない西洋人  14.正義病患者よりも「無知な女」が可愛い理由   チエホフ 『可愛い女』  淺薄た主體性を有難がる味氣ない女性 15.善意の人が眼をつぶる人間の「殘忍性」   メルヴィル 『幽靈船』  底の淺い日本の學者・ジャーナリスト  日本の政治家の醜い自己辯語  16.外科手術に似てゐる「愛のメカニズム」   ロレンス 『てんとう蟲』  血は自分自身にむかつて逆流する   二つの肉體はついに一つになりえない   なぜ、「性の秘匿」にこだわるのか  17.馬の前に馬車をつなぐ「樂天家」の幻想   ゴールディング 『蠅の王』  政治といふパンツの中に殘虐性が隠されてゐる   法は暴力の前に無力なのか   夏目漱石が唱えた個人主義の中身  エピローグ 「二本足の學者」こそ人間通の鏡   國木田獨歩 『牛肉と馬鈴薯』  現實追随主義者は變節漢とも呼べない   われわれは「道義不在の時代」を生きてゐる  あとがき      裝幀 熊谷博人 章扉イラスト 杉本征 プロローグ 人間通になるための「無用の讀書」  あいなめといふ魚がいる。新潮國語辭典には「硬骨魚目アイナメ科の淺海魚。海草や岩礁の間に住み(中略)、體長約三十センチ。體色の變化著しいが、多くは褐色。食用。日本近海の産」との説明が載つてゐる。東京灣では毎年十月頃になると、乘合船もしくは岩礁や防波堤の上から釣る魚である。  あいなめは刺身にすればすこぶる美味であり、釣りあげる手應えもよい。そこで讀者が、「では、俺もあいなめを釣つてみよう」と思ひたち、釣り道具屋で仕掛けを作つてもらい、三浦半島の防波堤までやつて來たとしよう。防波堤の右側にはたくさんの釣り人が糸を垂れてゐる。が、どうしたわけか、左側では誰も釣つていない。あんなに大勢が並んで釣つては樂しくない、「お祭り」をやらかすに決まつてゐる、そう思つて左側で一人靜かに釣ることにした。はたして結果はどうか。「一人靜かに釣る」のは結構なことだが、恐らくあいなめは一尾も釣れないであろう。そこで意氣消沈して歸宅して、當然、なぜ釣れなかつたかを考えることになる。だが一人でいくら考えたつて釣れなかつた理由がわかるはずはない。  そこで翌日、書店へ行き、『あいなめの釣り方』といふ本を買い求め、熱心に讀む。無論、そこには釣れなかつた理由が書いてある。つまり、釣り人たちが皆防波堤の右側で釣つていたのは、右側が「潮表」、すなわち潮がぶつかるほうだつたからなのだ。要するに、潮がぶつかる側にはふんだんに水中に酸素があり、そちらにしか魚はいないといふわけである。  ところで、かういふすぐに役立つ知識ばかりを『あいなめの釣り方』といふ本は与えてくれるのである。それゆゑ、それはすこぶる有益な書物だと言つてよい。そして釣りの本に限らず、書店の書架には「すぐに役立つ知識を与えてくれる」この種の實用書がたくさん並んでいるが、いずれも値段相應の價値はある。今、日本人は經濟動物で、何よりも實利を重んずる。それゆゑ、文藝作品や哲學書はもとより、肩の凝らない推理小説の類も、今や實用書ほどは賣れないといふことになつた。要するに人々は實利を求めて本を讀むのだから、暇つぶしのための娯樂ならテレビのほうが安上がりで氣樂だといふことなのであろう。  さういふわけで、われわれ日本人はもつぱら實利を求めて本を讀む。最近、山本七平氏の『論語の讀み方』がベストセラーになつたといふ。あの本が賣れたのは、やはり讀者が實用の書だと思つたからであろう。同書は祥傳社の「知的サラリーマン・シリーズ」として上梓されてゐるが、『論語の讀み方』には「いま活かすべきこの人間知の宝庫」といふ宣傳文がつけられており、無論、宜傳文は著者の書いたものではないが、出版社は明らかにこの本を「すぐに役立つ」實用價値のある書物として賣り出したのである。  『日本永代藏』は人間通の教科書  では、『論語』のような古典を讀んで實利をうるとはどういふことであろうか。短い古典を例にとつて説明しよう。西鶴の書いた『日本永代藏』の中に「二代目に破る扇の風」と題する短篇がある。話の筋はこうだ。  昔、京都に、徹底して無駄をしない男が住んでいた。「家にありたき木は松桜」と『徒然草』にあるが、植木よりも「金銀米錢」のほうがよい。庭山よりも庭藏をながめていたほうがよい。そう考える彼は芝居茶屋にも行かず、少々風邪をひいても醫者にはかからず、晝間は家業に精を出し、夜は若い頃寺小屋で習つた小謡をうたうだけ。しかも『小謡のうたい方』なんぞを買い求めるといふこともない。  一生のうち草履の鼻緒を切つたことがなく、釘に袖を引つかけて破つたこともない。  そうやつて爪に火を灯し、莫大な資産をのこして、八十八歳で彼は死んだのだが、その一人息子がまた「親にまさりて始末を第一にして」、大勢の親類縁者に箸一本の形見分けもせず、初七日の法事をすませると、八日目から店を開き、父親同樣けちに徹して馬車馬よろしく働いた。  そしてある年、父親の命日に菩提寺に墓參りに行き、その歸り道、封じ文を一通拾つたのである。封じ文とは封をした手紙のことだが、それには「花川さままゐる」「二三より」と書いてあつた。どうやら花川といふ名の島原の女郎にあてて、二三といふ名の男が書いた手紙らしい。家へ歸つて封を切つてみると、中には手紙と一歩金が一つ入つており、手紙には大要こう書いてあつた。  金を貸してくれとのことだが、いま自分は金に困つてゐる。しかし、いとおしいそなたのことだから、春の給料を前借りして一歩だけ届けることにした。年々積もつた借金の支拂いにあてるがよい。人間には分相應といふことがある。大阪屋の太夫野分のような一流の遊女に大金持が大金をくれてやるのも、お前のような安女郎に私ごとき者が一歩だけくれてやるのも、その氣持は同じである、ゆとりがあれば私だつて決して出し惜しみはしない。      さういふ何ともあわれな文面であつた。けちに徹して生きて來た商人もさすがに氣の毒に思つた。かういふ金を猫ばばするわけにはゆかぬ。二三といふ名の男の執念も恐ろしい。だが、男に返そうにも住所が解らぬ。それなら島原へ行き、花川といふ名の女郎を探し出し、この金を手渡してやつたらよい。そう思ひ、けちな商人は島原へと出掛けたのである。  島原であちこち尋ねまわつて、ようやく探しあてたが、花川はやはり安女郎で、この二三日病氣で休んでいるといふ。店の者があまりに忙しなそうに返事をするので、つい手紙と金を渡しそびれ、商人は店を出た。ところが、歸り道、このけちんぼうの商人の心に思ひがけない浮氣心が芽生えたのである。商人は考えた、「もともとこの金は俺の物ではない。この金を拾わなかつたと思ひ、この金だけといふことにして、一生の思ひ出に女郎を買い、老後の話の種にすればよいではないか」。  そこで彼は安女郎を買い、飲みつけぬ酒を飲んで浮かれ騒いだ。が、すこぶるつきのけちんぼうではあつても、もとより彼も木石ではない。以來彼は女郎買いの面白さを忘れられず、金に糸目を付けずして太夫を片端から買い、當時の有名な太鼓持におだてられ、放蕩の限りを尽くし、四五年のうちに莫大な財産をすつてしまい、古い扇一本を元手にして、謡をうたつて心付けをもらうといふ、あわれなその日暮らしの身分になつてしまつた。  さて、西鶴の『二代目に破る扇の風』とは以上のような話なのだが、かういふ話を讀んで「絶對に損」をしないとはどういふことなのか。西鶴の描いた扇屋のように、節約に徹して仕事に精を出し、小金を溜め込み、いずれ停年後は湘南に瀟洒な家を建て、そこで菊作りでもしながら安樂に暮らしたいと思つてゐる「知的サラリーマン」がいたとする。それがたまたまこの『二代目に破る扇の風』を讀んだとしよう。讀んで大いに感じ入り、いかにも西鶴の言ふとおりだ、「金がすべての世の中では、才覺・知惠・勤勉といつた諸要素のあるかないかが致富と倒産の別れ道」だと骨身に應えて知つたとする。だが、その「知的サラリーマン」がある日、ひょんなことから、若くて氣立てのよい、しかも妖艶な女子社員と懇ろな仲になり、以來熱を上げ前後を忘れ、家庭も地位も一切顧みなくなるといふことが、まつたくないとはたして言ひ切れるであろうか。言ひ切れるのなら、古典を讀んで「絶對に損」はなかつたといふことになる。  「論語讀みの論語知らず」と「孔子の倒れ」  けれども、古典に限らず、いわゆる名著と稱せられる書物を讀めば、何かしら有形無形の御利益があるといふことを私は信じない。「論語讀みの論語知らず」といふことがある。『論語の讀み方』を讀んだところで、それだけで「人望を得るための条件」が整つたことにはならない。「社會のリーダーとして信用される人物」になれるわけでもない。『論語の讀み方』を讀んで「人望を得るための条件」を知つたとしても、人望を得てリーダーなんぞになるよりも、「何の百萬石君と寢よう」とて、不倫の戀の闇に惑ふといふこともあるではないか。「論語讀みの論語知らず」とはさういふことではないか。そして、さういふ愚かなところがあるからこそ人間は面白いのである。  それにまた「孔子の倒れ」といふこともある。新潮國語辭典によれば、「孔子の倒れ」とは「どんな賢い人でも失敗をすることがある」といふ意味である。それはほんとうのことではないか。西鶴描くところの徹底したしまり屋も、ひよんなことから倒産への道に踏み入つた。同樣に、「人間關係についての人類四千年の知惠の集積」たる古典をいくら讀んだところで、それだけで「賢い人」になれるとは限らない。  例えば『徒然草』の「女の髪すぢをよれる綱には、大象もよくつながれ、女のはけるあしだにて作れる笛には、秋の鹿必ず寄る」といふくだりを讀んで、なるほど、「老いたるも若きも、智あるも愚なるも」女の色香にはいとも簡單にまいつてしまうものだ、それゆゑ「みづから戒めて、恐るべくつつしむべきはこのまどひなり」と承知したところで、以後女ゆえのあやまちを決して犯さぬようになれるわけではない。  なぜなら『徒然草』の作者兼好自身、色欲といふ煩惱を脱していたわけではないからだ。彼は「恐るべくつつしむべきは」色欲のまどいであると書く一方、「久米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て通を失ひけむは」無理ならぬことである、女の肌が「きよらかに肥えあぶらづきたらむ」は何しろ魅惑的准のだから、云々と書いてゐるのである。  要するに、この世には、例えば防波堤の左側でなぜあいなめが釣れなかつたのかといつた、實用書を讀めば明快にすぐに解決のつく問題と、どんな賢い人間も悟り切つてはおらず、それゆゑいかなる名著古典を讀んでも明快な解決なんぞ教へてもらえないような問題とがあるのである。「煩惱の犬、追えども去らず」と昔の人は言つた。名著を讀んで「讀書百遍義自ら見る」といふことになつたとしても、それで確實に煩惱の犬を去らせられるようになるわけではない。それなのに、古典や名著を讀めば讀んだだけの實利があるかのように、とかく人姦思ひこむ。それは實に淺はかなことである。  どんなに賢い人間も決して悟り切つてはいない、そして古典だの名著だのの作者ともなれば、悟り切つていないことに苦しんでいるのである。「煩惱の犬、追えども去らず」といふことを氣にしてゐるのである。それゆゑ孔子も言つた、「君子固より窮す」と。すぐれた人物とは、一生涯何とかして自分を救おうと努力した人間なのであり、さういふ天才や偉人や賢者は、自分の頭の上の蠅も追われぬのに、他人の頭の上の蠅を追おうとするがごとき愚かなことは全然していない。自分を救おうと一所懸命になつてゐる男から、どうして「すぐに役立つ知識」なんぞが教へてもらえるであろうか。  孔子は言つてゐる「古の學者は己れの爲にし、今の學者は人の爲にす」。昔の學者は自分を救うために學問をやつた、しかるに今の學者は「人の爲に」學問をやる。朱子によれば「人の爲に」とは「人に名を知られるために」といふ意味だといふ。「人に名を知られるために」學問をするのだから、當然讀者に喜ばれるような本を書く。讀者が實利を引き出したがつてゐるのだから、「すぐに役立つ」かのように見せかける本を書けばよい。すなわち著者の頭の上の蠅なんぞどうでもよい、讀者の頭の上の蠅ばかり氣にして、あるいは氣にしてゐるふりをして、文章を綴ればよい、さういふことになる。  激しかつた男・孔子  山本七平氏も、その種の誘惑には勝てなかつた。例えば『論語の讀み方』の第七章は、「人望を得るための条件−社會のリーダーとして信用される人物像とは」と題されてゐる。淺はかな讀者は立身出世のためには「人望を得る」ことが必要だと考え、第七章を一所懸命に讀む。するとそこにはこう書いてある、「温を欠く上役たど、企業内公害のようなもの」。つまり「温」を欠いては人望は得られないといふわけである。山本氏は書いてゐる。  「温」は言ふまでもなく「温和」だが、孔子がまことに春風駘蕩といつた風格の人であるといふことはすでに述べた。すなわち「孔子が家でくつろいでいるときは、まことにのんびりして、いかにもにこやかであつた」。「子の燕居するや、申申如たり。夭夭如たり」であつて、少しもとげとげしさがない。といつて單なるお人好しではなく、「温和だが激しい氣性で、威嚴があるが恐ろしいといふ感じがなく、丁寧だが窮屈でなくゆつたりしていた」「子は温にして1(厂+萬)。威ありて猛からず。恭にして安し」トゲトゲしくいつもイライラしていて、威張りくさつてゐるだけの上役など企業内公害のようなものだ。  かういふ山本氏の文章から讀者は一體何を得るのであろうか。「温にして1(厂+萬)。威ありて猛からず。恭にして安し」、さういふ状態になれば「社會のリーダーとして信用される人物」になれるのだと了解したとして、それではたして讀者は「温にして1(厂+萬)」なる人物になれるのか。決してなれはしない。「孔子は、確かにトゲトゲしさがなく温である」と山本氏は言ふ。が孔子は時に激しく怒つた男なのだ。「樂しんで以て憂を忘れ」るのみならず、時に「憤を發しては食を忘れ」た男たのだ。  賢者の毒・愚者の蜜  「愚者が蜜をくれようとしたら唾を吐きかけろ。賢者が毒をくれたら、一氣に飲め」とゴーリキーは書いた。これもまた嚴しい言葉である。人々は今日、金儲けのためとあらば、口述筆記にもとづくいい加減な文章の書物を公にしたり、ほとんど同一内容の著書を、同時に別の出版社から出版したりするでたららめな物書きの、「愚者の蜜」を舐めては喜んでいる。奇怪なことだ。町角にわれわれは「氣を付けよう、甘い言葉と暗い道」と記された立て看板を見るではないか。「甘い言葉と暗い道」に「氣を付け」て、痴漢の毒牙にかからぬようにせよと、さういふ忠告をする人間の心の中にも痴漢は必ずいるはずで、それを考えると痴漢退治に躍起になる男の善意とは、いささか奇妙だが、それはともかく、「甘い言葉」に騙されぬようにするといふことは、誰でもが心得てゐる處世術ではないか。それなのに、なぜ人々は物書きのでたらめにはころりと騙されてしまうのか。  私は人生の諸問題に關する即効性のある忠告といふものを信じない。それらはいずれも「愚者の蜜」だからである。けれども、われわれは駄本だけではなく名著をも讀む。では名著を讀むことにはいかなる効用があるのだろうか。大風呂敷は廣げまい。私が請け合えるのはただ、「愚者の蜜」に騙されなくなるといふことである。「古典」とか「名著」とか稱せられる作品は、天才や賢人の眞劍な思索の結晶であり、それとじつくり付き合えば、われわれはこの世に充滿してゐる嘘八百を見抜けるようになる。それはすばらしいことではないか。そこで私は、この世の嘘八百の中からいくつかを選び、それらの嘘を嘘と知るためにこれだけは讀むべし、そしてこう讀むべしと、日頃信ずるところを書き記したのである。選んだ作品の大半は短篇小説で、私はまず荒筋を語り、ついで古今東西の作家たちが看破つた嘘が、今日依然として嘘と看破られずに大手を振つてまかり通つてゐる次第を語ることにした。  例えば、先般、かの「女王蜂」、すなわち榎本敏夫氏の先妻は、ロッキード事件の檢察側證人として出廷し、「蜂は一度刺して死ぬ」と大見得を切つたが、その時即座に、彼女の嘘と品性下劣を看破つた日本人は實に少なかつた。少なくとも新聞や週刊誌はことごとく彼女の嘘にひつかかり、彼女の手記を連載した『週刊文春』の編集長は「久しぶりに心からの感動をおぼえました。母は強い」とまで書いたのである。週刊誌の編集長ともなれば、海千山千の苦労人、つまり、人間通のはずである。それなのに彼は、手もなく「女王蜂」に乘せられてしまつたのである。  あれほど淺薄な、見え透いたいかさま師の正體を即座に見抜いたところで、自慢には決してならぬと思ふから安心して言ふが、私は彼女には騙されなかつた。そこで私は『サンケイ新聞』に「女王蜂の品性の下劣は掌をさすがごとし」と書いた。激しい抗議の手紙を私は十數通も受け取つたが、その後「女王蜂」の「品性下劣」は滿天下の知るところとなつたではないか。「母は強い」どころか、彼女は養鰻業者と結婚し、國外でハネムーンを樂しみ、愚劣なる手記を出版した。そして今、人々は彼女のことをきれいさつばり忘れてゐる。  ところで私が「女王蜂」に騙されなかつたのはなぜか。大方のジャーナリストと異なり、私は例えばドストエフスキーや荻生祖徠や森鴎外といふ「賢者の毒」を飲んだことがあるからである。飲んで大いに考えさせられたからである。本書の讀者が「賢者の毒」を飲み「愚者の蜜」をさげすみ、嘘八百を嘘八百と知ることの樂しさを味わうよう私は希望する。言ふまでもなく、荻生祖徠の時代にも、森鴎外の時代にも、核兵器はなかつたし日米安保条約もなかつた。だが、あの世のドストエフスキーや鴎外に、核戰爭に反對かどうか、ロッキード裁判や校内暴力をどう思ふか、日米安保条約を廢棄すべきかどうか、さういふことを一度問ひただしてみたいと讀者は思はないか。謹嚴實直の乃木希典大將に向かつて「將軍、につかつロマンポルノをどう思ひますか」と質問してみたいとは思はないか。  本書はいわば、さういふあの世の賢者たちとの架空インタビューなのである。もとより「嘘八百を嘘八百と知ることがなんで樂しみなものか」と、せせら笑ふようなすね者の賢者もいる。公正を期すべくさういふ天邪鬼との「インタビュー」をも私は採録した。いかなるすね者であろうと、賢者と付き合つて損はないと信ずるからである。 第一章 この世が舞臺 1.すれつからしも騙される「惡い女」   森鴎外 『ぢいさんばあさん』  明和四年春、美濃部伊織は妻をめとつた。伊織は文武兩道に秀でた若い侍であつた。すなわち伊織は劍術の達人で、和歌のたしなみもあつた。一方、新妻のるんは美人といふほどの女ではないが、「目から鼻へ抜けるやうに賢く、いつでもぼんやりして手を明けて居ると云ふことが」なく、夫に對しても姑に對しても「血を分けたものも及ばぬ程やさしくするので、伊織は好い女房を持つたと思つて滿足し」た。穏やかな人柄になつたかのように思はれた。伊織は色の白い美男だつたが、氣短たのが玉に瑕だつたのである。  結婚してから四年たち、明和八年、松平石見守が二条在番となつたため、伊織は「丁度妊娠して臨月になつてゐるるんを江戸に殘して」京都へ赴いた。今日言ふところの「單身赴任」である。任地京都で、ある日伊織は寺町通の刀劍商の店で、質流れだといふすばらしい古刀を見出した。以前からよい刀が欲しいと考えていたので、それを買いたいと思つたが、代金百五十兩といふのは彼にとつて大金であつた。商人を口説いて百三十兩に負けてもらうことにしたが、有金は百兩、三十兩は誰かに借りなければならない。そこで彼は同僚の下島甚右衞門に三十兩を借りて刀を買い、拵えを直しにやり、やがて刀が届けられた晩、友人二三人を招いて刀の披露かたがた持てなした。友人が皆刀を褒めたのは言ふまでもない。  ところが酒宴たけなわになつた頃、金を貸した下島がやつて來た。「自分の用立てた金で買つた刀の披露をするのに自分を招かぬのを不平に思つて」下島はやつて來たのである。しばらく話をしてゐるうちに、下島は言つた、借金してもよい刀を買うのは構わぬが、それに裝飾を施したり、見せびらかしたり、月見の宴を張つたりするのはどうかと思ふ。「刀は御奉公のために大切な品だから、随分借財して買つて好からう。しかしそれに結構な拵をするのは贅澤だ。其上借財のある身分で刀の披露をしたり、月見をしたりするのは不心得だ」。伊織は答えた、解つた、いずれ借金を返してから言ひたいことは言ふ。今夜はこれで歸つてくれ。「只今のお詞は確かに承つた。その御返事はいづれ恩借の金子を持參した上で、改て申上げる。(中略)どうぞ此席はこれでお立下されい」  「さうか。返れと云ふたら返る」と言ひ放つて下島は立ち、一言「たはけ」と叫んだ。「伊織の手に白刃が閃いて下島は額を一刀切られ」、身を飜して逃げ去つた。追おうとする伊織を友人が背後からしつかり抱き締めた。下島が死なずにすんだなら、伊織の罪はそれだけ輕くなるだろうと思つたからである。  が、下島の傷は意外に重く、二三日たつて死ぬ。伊織は知行を召し上げられ、「永の御預仰付ら」れる。今でいうなら無期刑のようなものである。伊織の母親、父伊織の顔を見ることのできなかつた息子、及び妻るんも他家に身を寄せねばならぬことになる。やがて母親が、ついで五歳の息子が病死し、祖母と息子を一所懸命看病してその臨終を見届けたるんは、武家奉公に出、三十一年間「筑前國福岡の領主黒田家」に勤め、四代の奥方につかえ、その間「給料の中から松泉寺へ金を納めて、美濃部家の墓に香華を絶やさたかつた」。松泉寺には伊織の母と息子が葬られていたのである。三十一年の奉公ののち、彼女は隠居を許されて故郷の安房江見村へ歸つた。  そして文化六年、伊織は罪を許されて江戸へ歸ることになる。それを聞いたるんは、喜んで安房から江戸へ出て來て、實に三十七年ぶりに再會した。無論、伊織はぢいさん、るんはばあさんになつてしまつていた。二人とも髪は眞つ白である。るんは「眞白な髪を小さい丸髷に結つてゐて、爺いさんに負けぬやうに品格が好い」。二人の日常生活を鴎外はこう描写してゐる。ばあさんは「爺いさんと自分との食べる物を、子供がまま事をするやうな工合に拵へる。(中略)二人の中の好いことは無類である。近所のものは、若しあれが若い男女であつたら、どうも平氣で見てゐることが出來まいなどと云つた」。二人の生活は裕福では決してない。だが、作者鴎外はこう書いてゐる。  二人の生活はいかにも隠居らしい、氣樂な生活である。爺いさんは眼鏡を掛けて本を讀む。細字で日記を付ける。毎日同じ時刻に刀劍に打粉を打つて拭く。體を極めて木刀を揮る。婆あさんは例のまま事の眞似をして、其隙には爺いさんの傍に來て團扇であふぐ。もう時候がそろそろ暑くなる頃だからである。婆あさんが暫くあふぐうちに、爺いさんは讀みさした本を置いて話をし出す。二人はさも樂しさうに話すのである。  耐え忍ぶ女・美濃部るんの美しさ  言ふまでもなく、それまでのるんの一生は忍從の一生であつた。江戸時代の女はおのれを殺し、おのれを捨て、嫁するまでは親に從い、嫁しては夫に從い、やがて老いては子に從わなければならなかつた。貝原益軒が『和俗童子訓』に書いてゐるところによれば、女には、「三從の道」といふことがあり、女は柔和でなければならず、男に從わなければならず、自分勝手な行動は許されない。それゆゑ「父の家にありては父にしたがひ、夫の家にゆきては夫にしたがひ、夫死しては子にしたがふ」ようでなければならない。  さらにまた「七去」といふこともあつた。七去とは無条件で妻を離縁しうる七つの理由のことであり、益軒が『女大學』で説いてゐるのだが、姑の言ふことをきかない嫁、子供を産まない嫁、淫亂な嫁、嫉妬深い嫁、癩病などの重い病氣にかかつた嫁、お喋りで口數の多い嫁、盗癖のある嫁、これらのうち一つの条件をみたせばたちどころに離縁してよいといふのである。  ずいぶん無茶な話ではないかと男女を問わず讀者は思ふであろう。戰後強くなつたのは女と靴下だといふ。それゆゑナイロンの靴下さながらの女に向かつて「三從の道」を説く男もいないし、ましてや「七去」を言ひ、それを實行に移すような横暴な亭主もいまい。だが、美濃部伊織の妻るんは、嫁いで後四年間、夫と姑に從つて「血を分けたものも及ばぬ程やさしく」し、伊織が無期刑を食つて後も、姑と一人息子の死後も、婚家のために心を尽くしたのである。息子に死なれてからるんが夫と再會するまでに、三十四年間の年月が流れてゐる。るんは「七去」のいずれかに該當する女ではなかつたから、「一度嫁して其家を出され」たわけではない。だが、三十四年間も婚家に尽くすことが弱い女にどうしてやれるであろうか。  女の忍從は美徳だと信じられていた封建時代の絹製の女のほうが、今のナイロン製の女よりも遙かに強かつたのである。『プロローグ』でも觸れたが、昨年十月、田中角榮氏の秘書榎本敏夫氏の先妻は、檢察側證人として出廷し、「蜂は一度刺して死ぬ」とて大見得を切つたが、あるジャーナリストは、「久しぶりに心からの感動をおぼえました。母は強い」と週刊誌に書いた。だが、『週刊ポスト』によれば、彼女は、「十二歳で父を亡くし、母親の手ひとつで育てられ」、富山女子高校を一年で退學、上京して銀座のクラブで働いたといふ。それゆゑ彼女の場合、「母の家にありては母にしたがひ」といふわけではなかつたであろう。また榎本敏夫氏と結婚して三人の子をもうけながら離婚し、「かみしま」、「エルマーナ」、「セビアン」、「エミール」などのクラブでホステスとして働き、今囘法廷で長年連れそつた夫の信頼を裏切り、その「旧惡」をあばいたのだから、「夫の家にゆきては夫にしたがひ」といふことでもなかつた。そして今、彼女はどこにいるか。何をしてゐるか。三人の男の子を榎本氏に託して、養鰻業者と再婚、海外旅行を樂しんでいる。あれほど簡單にめつきがはげた女も珍しいが、人間通の讀者ならば即座に彼女の正體は看破れたはずなのである。  かの「女王蜂」が「七去」のどれとどれに該當するか、それはあえて論じない。貝原益軒にならつて、「女は一度嫁して其家を出されては、ふたたび富裕なる養鰻業者に嫁すとも女の道にたがひて大なる辱なり」とだけ言つておこう。だが、少なくとも一時、新聞、テレビ、週刊誌は彼女に見事に騙されたのである。これはどうしたことか。新聞、週刊誌の記者は海千山千のすれつからしのはずではないか。  逆説を弄するようだが、海千山千のすれつからしだからこそ、いかがわしい女に騙されたのである。いや、騙されたと知つて後も、騎されていないふりをしたのである。「女王蜂」の矛盾だらけの手記を讀み「久しぶりに心からの感動をおぼえ」たジャーナリストは多かろうが、彼らは常日頃、すれつからしとばかり付き合い、「賢を賢として色に易へ」るといふことがない。「賢を賢として色に易へ」るとは『論語』にある言葉で、「賢い人に出會つたら顔色を易えて尊敬しろ」といつたくらいの意味である。「女王蜂」の言動に拍手喝采した連中は例えば『ぢいさんばあさん』を讀んだことがあるのだろうか。讀んだとしても、るんの見事な一生に「顔色を易へる」といふことがなかつたにちがいない。それならそれで、いつそのこと思ひ切り惡ずれして商賣に徹すればよいのだが、「社會の木鐸」といふ中途半端なエリート意識が捨てられないから、「女王蜂」のような手合にころりと騙されてしまう。  だが、男女の別なく耐え忍ぶことは美徳たのである。そしてそれが美徳たるゆえんは、森鴎外のみならず多くの人間通の作家が教へてゐる。だが、昨今の男も女も修行だの鍛練だのを嫌い、格好をつけることばかり考えて、先人の教へに學ぼうとはしない。それゆゑ『論語の讀み方』はベストセラーになつても、『論語』そのものが熱心に讀まれるといふことはない。  不自由であることの幸福  大學の教師として私が日頃痛感することだが、今の大學生は苦しみの中で自分を鍛えるといふことを知らない。例えば、私が大學生だつた頃は、洋書をアメリカに注文すれば三ヵ月は待たなければならなかつた。今は丸善へ行けば殆ど何でもすぐに買える。だが、さういふふうに便利になつて、學生はかえつて洋書を讀まなくなつた。卒業論文のテーマも、飜譯のある作家に限られる。そればかりではない、今はゼロックスなどといふ文明の利器があつて、學生諸君はそれに頼る。私たちの時代には、三ヵ月かかつて到着した洋書を大切にして、隅から隅まで讀んだし、友人から借りた洋書を、丸ごと写したものである。それは今の學生諸君の知らない「修行・鍛練」であつた。それは苦しいことだつたが、同時に大いに役立つたはずなのである。  それゆゑ、圖書館で本をコピーするために行列してゐる學生を見るたびに、「あれでは本當はだめなんだ」と思はざるをえない。簡單にコピーしたものだから、彼らはそれを丹念に讀まない。私たちの場合、ペンだこをこしらえてせつせと写した。それゆゑ貴重なものとして味讀したのである。  ところで忍從といふ古めかしい言葉がある。忍耐して何かに從うことである。封建時代の女は「三從の道」に從い、「七去」の不合理に耐えた。今は女にも參政權が与えられ、賃金格差も是正され、姦通して女だけが罰せられるといふこともなくなつた。だが、そうして封建時代の道徳から自由になつた女が、晩年、るんのように、靜かだが美しく充實した幸福を手に入れることができるであろうか。自由である時、人は自由の有難さを實感しない。自由であることの幸せは、束縛を脱した時にのみ訪れる。同樣に、美しく充實した幸福とは、辛い忍從の後にのみ訪れるものかもしれないのである。  私は女にだけ忍從の美徳を説いてゐるのではない。男もまたこの人生を生き抜くためには、樣々の不合理に耐えなければならない。周知のごとく、封建時代の男は、女と同樣、多くの理不尽に耐えた。例えば、町人百姓にとつては「斬り捨て御免」といふことがあり、武士には殉死せねばならぬ場合があり、「いざ戰爭と云ふ時の陣中へのお供」といふこともあつた。しかるに今日、日本國憲法には「日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ從ヒ兵役ノ義務ヲ有ス」との条項はない。そして「兵役ノ義務ヲ有」していた頃の日本の男たちが、今の男たちよりも不幸であつたなどとは決して言へないのである。戰地ビアク島にあつて芋を主食とし、「蛇とかげを食し、カタツムリを喰」い、「今日吾々の最も欲しあるは一握の鹽ナリ」と書いたある大日本帝國陸軍の將校は、「慾望」と題するかういふ文章を遺してゐる。  洗い立ての糊の良くきいた浴衣を着て、夏の夕方を散歩したい。(中略)火鉢の前にどつかりあぐらをかいてみたい。いずれにしても清潔な洗いたてのものをきたい。白いシーツの糊氣のあるフトンでふつかりとねてみたい。明るい、スタンドの下で机にもたれ熱い紅茶を喫し乍ら、「光」をフカして本を讀みたい。(中略)鳥の刺身、茄子の紫色の酢みがかつたのか、きうりの種のあるのに醤油をかけてお茶づけにしてみたい。朝ゆらゆらり湯氣の上る味噌汁に熱い御飯をああたべたいよ。(中略)冷いビール、ああいいなあ。夏の夕方打水をした時、清潔な浴衣で散歩する。あの氣分、冬の夜熱い部屋が一家の團らん、秋の山、春の朝、梅匂う朝、桜咲く春の日中、いいではないか。  妻と共の事は書くの控えよう。自分が戰死した後で、第三者に見られるような事があつたら、自分達の一番貴重なものを他人に取られたような氣がするから、唯今思ひ出すままに第三者のわからないように書きたい。和歌山、白浜、名古屋、「名古屋ではウイスキーを妻がおごつてくれた事があつたつけ」。正月の休暇中の大阪の映畫、汽車旅行、新宿、二月に妻が上京した事があつた。此の時、區隊長殿の特別の取計いに依り、外泊を許可された國分寺の一日。(後略)(『ドキュメント・昭和世相史・戰中篇』、平凡社)  この將校の「欲望」のすべてを、今日のわれわれはいともたやすくみたすことができる。だが、「明るい、スタンドの下で机にもたれ熱いトワイニング紅茶を喫し乍ら、ピースやラークをフカして本を讀」んだところで、われわれはそれを格別の幸福だなどとは思はないであろう。右に引用した日記の別の箇所に、若き將校はこう書いてゐる。  紙も少なくなり後補充ハナシ、ノートに記載スルモ字ヲ小サクシ、永續ヲ圖ル必要を生ジアリ昨夜寢る時月ヲ見タク久シク見ザルモノニシテ美シク懐シキモノナリ、月ヲ見テ感情ヲ燃ス事、昔カラ記シアルモ《自分ラテ體驗且深刻ナル喜ビヲ感ズルハ悲境二在ルガ故》ナラン、太陽ヲ月ヲ風ヲ求メル昨今ノ心境ナリ、昨夜妻の夢を見るなつかしきものかり。(傍点《》松原)  「悲境ニ在ル」時、人間は月を見ても「深刻ナル喜ビヲ感ズル」のである。につかつロマンポルノを見、猥本を讀んでも「深刻ナル喜ビヲ感ズル」ことのない今日のわれわれが、「妻と共の事は書くの控えよう」と書き、「昨夜妻の夢を見るなつかしきものなり」と書いた青年將校よりも幸福だなどと、どうして言ひ切れるであろうか。「幸福は、われわれが何かを《しない》ことにかかつてゐる」とブラウン神父シリーズで有名なイギリスの作家G・K・チェスタトンは言つた。ビアク島で戰死した青年將校がやりたいと思つたことのすべてを、今日のわれわれは簡單にやることができる。だが、それでわれわれが、ビアク島の青年將校よりも幸福であるといふことにはならない。同樣に、「三從の道」の不合理を受け入れ、我慢の四十年を過ごしたるんが、かの「女王蜂」よりも不幸だなどと、どうして言へるだろうか。そしてそれなら、忍從と不幸とは無關係なのであつて、忍從の中にも、いや、ひょつとすると忍從の中にこそ幸福があるのかもしれないのである。 中野重治はこの伊織とるんとの「夫婦關係は、徳川封建制の下での全くばからしい面をも持つてゐる」と書き、鴎外研究家の吉野俊彦氏はこの作品における「鴎外の強い主張」は「權威への反抗である」と書いてゐる。ともに「全くばからしい」意見である。愚にもつかぬ先入主にとらわれずにこの小品を讀む者は、作者鴎外が「ぢいさんばあさん」の幸福を美しいと思ひ、るんの献身を稱えるべく筆を執つたのだといふ事實を疑わないであろう。つまり、鴎外はるんに肖ろうとしてゐるのである。肖ろうとしてゐるのだから、鴎外はもちろん、るんほどの忍耐の一生を送つたわけではない。けれとも、見事なものだなあ、と鴎外は思ひ、作品に描くことで、いわばるんの一生をなぞつたのである。だから、るんとは異なり、鴎外は「權威への反抗」心をも持ち合わせていた。が、それを持ち合わせていたからこそ、るんの献身の美しさに鴎外は強く惹かれたのだ。さういふことが今の作家にはない。「封建制」の「ばからしい面」が消えた結果、忍從の美徳をも失うにいたつたからである。  今の女ならラブ・ホテルに入る  ここでもう一つ、耐え忍んだ女の美しさを示す例をあげておこう。それは『片だより』と題されて『婦人公論』昭和二十五年二月號に掲載された主婦の文章であり、戰死した夫の「写眞を前にして」、書かれたものである。彼女と夫とは二年間の結婚生活を送つたにすぎない。  河田さんのことを今日は思ひ切つてお知らせ致します。お怒りにならないできいてちょうだい。その方は同じ學校内に奉職してゐる中學の理科の先生で、家が同じ方なので時々一緒の電車になり色々お話をいたします。(中略)先日長年御病氣だつた奥樣が亡くなられ、お氣の毒な方です。その河田さんが、この間雨に濡れて居た私を駅から家まで送つて下さいました。私はこの夜、今まで久しく味わつたことのない不思議な愉しい氣分になつて、家がもつと遠いといいのになんて思ひました。家の前から引返された後、私は別れたくないような、なんだか苦しいようないらいらした氣持でした。(中略)本當にはしたない女だとお怒りになるでしょうが、時に誰かに甘えてみたいといふ氣持になるのをどうすることも出來ません(中略)私は「貞婦二夫にまみえず」なんていふことを、金科玉条のように死守しようといふほど意志が強くもなさそうだし、あなたが靖國神社で神樣になつてみていらつしゃるとも思つていません。私の人生は、たつたあの二年間で終わつてしまつたなんて餘りに殘酷です。(中略)第二、第三の河田さんにめぐり合つた時、「老いらくの戀」に花を咲かせないと斷言する自信もありません。こんな厚かましいことをぬけぬけと書くところがもうどうかしてゐるのかしら。でも・・・・・・本當に女獨りでいるとこんな氣持になる時もありますのよ。(『ドキュメント・昭和世相史・戰後篇』、平凡社)  この未亡人の心の迷いはまことに美しい。それは讀者のすべてが認めるであろう。だが、彼女の迷いが美しいのは、「貞婦二夫にまみえず」との封建道徳がいまだ完全に息の根を止められずにいた時代に、彼女が生きていたからである。しかるに今日、夫が三年以上生死不明なら、生死不明の原因のいかんを問わず、妻は離婚することができる。それゆゑ、右に引いた『片だより』の筆者も、今ならば「長年御病氣だつた奥樣が亡くなられ」た「理科の先生」に「甘えて」もよいし、ラブ・ホテルヘしけこんでもよいはずである。彼女が夫に甘えることができたのは「たつたの二年間」であつた、それは「餘りに殘酷」ではないか。ところが彼女は「厚かましいことをぬけぬけと」書いたことを反省し、靖國神社に祀られてゐる夫にあてて別の日にはこう書くのである。  先日はジメジメしたお便りでごめんなさい。あなたといふ錘りがなくなつてからは、文字通り風の中の羽根のようにフワフワしてゐる女心です。その代り今日はもう颱風一過、晴々しい日曜の朝です。春になつたので私もブラウスを一枚新調して、パーマもかけました。とても若返つたようで何となく浮々し、メリーウイドーを口吟みながら今掃除をしたところ。たんだかあなたが寢坊をして二階から降りていらつしゃるようた錯覺さえ致します。道夫が學年末に賞状を貰つたのを大變喜んで、自分で佛壇に供えています。まだ道夫のことを餘りお知らせ致しませんでしたわね。あなたが征かれた時は二歳でしたが、早いもので八歳になりました。あなたに似てゐるところは少し弱々しい體格と、優しいが氣の弱いところと目尻に皺をよせて笑ふところ。頭腦の方は斷然私に似て惡い方じゃないわ(なんて失禮、ごめん遊ばせ)。(中略)それにつけても、この子が大きくなるまでは元氣で働こうと思ひます。  この戰爭未亡人の生き方は、るんのそれと同樣に美しい。けれども、例えば、かの「女王蜂」のごとき手合に向かつて、かういふ女の「忍從の道」を説くなどとは、およそ馬鹿げてゐる。それは私も知つてゐる。そんなことを私はやろうと思つたのではない。けれども讀者は、るんの一生を「女王蜂」の生き方とくらべて、時代が違うといつて片付けてしまえない眞理、つまり苦しみこそが人間を鍛え、美しく立派な人聞をつくるのだといふことだけは、認めるのではないだろうか。          2.「知的生活」のいかがわしい部分   フローべール『まごころ』  フランスの片田舎ポン・レヴェックの町に住むオバン夫人が雇つてゐる女中フェリシテはたいそう働き者であつた。彼女は「年百フランの給金で、臺所働きと家事の一切をひきうけて、針仕事をし、洗濯をし、アイロンをかけ、馬の用意や家禽の世話、バターの製法さえ心得ていた」のである。未亡人のオバン夫人にはポオルとヴィルジニ一といふ二人の子供があり、その二人の子供はフェリシテにとつては「貴重品のように思はれ」、彼女は時々二人を「馬のように背中にのせて」やるのであつた。「オバン夫人はフェリシテがなにかといつては子供たちに接吻するのをやかましくとめた。それが彼女には情なかつた」。  秋のある夕方、オバン夫人の一家は牧場へ遊びに行き、そこで一頭の牡牛に襲われるが、フェリシテは我が身の危險をかえりみず、兩手に土くれを掴んで牛の眼玉に投げつけ、オバン夫人と二人の子供を柵の外へ逃がしてやつた。その勇敢な行爲は町中の評判になつたが、フェリシテは「自慢な顔一つするでもなかつた」のである。  二人の子供は成長し、やがてポオルは遠くの中學校に入學し、寮に入ることとなつた。フェリシテはそれを悲しみ、「ポオルの亂暴を懐かしがつた」が、やがて彼女にはまた一つ新たな仕事が加わり、それが氣を紛らせてくれた。すなわち、ヴィルジニーをつれて毎日教會へ行くことになつたのである。教會で司祭は「聖史のあらましを話してきかせた」。  作者フローベールはこう書いてゐる。「フェリシテは、樂園や洪水やバベルの塔や火に燃えあがる邑々や死に亡びゆく諸國の民や擲棄てられた偶像が眼に見えるように思はれて、目も眩むようなその幻のなかに、至上者の尊さとそのお怒りの恐ろしさを感じた。やがて、主の御受難の話を聽いてゐるうちに、彼女は泣いた。(中略)イエズスさまをなぜあの人たちは十字架になぞつけたのであろう。(中略)フェリシテは、神の羔を愛すればこそ野の仔羊も、聖靈のことをおもえばこそ屋根の鳩も、なおひとしおに可愛く思はれた」。  そして彼女は「若いころに宗教の教育なぞは受けなかつた」にもかかわらず、司祭の話を「なんどか聞いてゐるうちに、公教要理も覺えてしまつた」のだつた。  やがてヴィルジニーも、勉強のため遠く離れた修道院の寄宿舎に入れられることになり、フェリシテはヴィルジニーを修道院に入れた「奥さまの心を無慈悲と思ひ、溜息をついた」が、「こうしたことは自分ふぜいのかれこれいうべきことではない」と考えて諦めた。ヴィルジニーがいなくなると、甥のヴィクトールをかわいがることが彼女の生き甲斐になつた。ヴィクトールの兩親はフェリシテの善良につけこんで、「ヴィクトールにいいつけて(中略)なにかとフェリシテから捲きあげさせた」のだが、さういふことがあつても、フェリシテの甥への愛情は少しも變わらなかつた。そしてやがて甥が遠洋航海に雇われて旅立つと、彼女は「甥のことばかり考えた。日の照りつける日は喉の渇きを思ひ遣り、暴風雨の日には甥のために雷のことを氣づかつた」。  が、その甥が航海中に黄熱病で死ぬ。無論、彼女はひどく悲しむ。ついでヴィルジニーが修道院で肺炎のために死ぬ。すると、「二晩のあいだ、フェリシシテは遺骸の側を離れなかつた」。そして、その後は毎日、町はずれの山にあるヴィルジニーの墓參りに出かけ、嘆き悲しむオバン夫人を慰め、相變らず甲斐甲斐しく働いた。ある年、「郵便馬車の馭者が七月革命の報をもたらし」、やがて新しい郡長が任命された。が、さういふ政治上の變革はフェリシテの生活に何の影響も及ぼさない。  ある日、オバン夫人と彼女はヴィルジニーの形見の絹ビロードの帽子を見つけ、二人は互いに見合つて涙ぐみ、接吻し、二人は身分の「上下を忘れたこの接吻の中に互の苦惱を泣きつくすまでひしと抱き合」い、フェリシテはオバン夫人が自分を抱きしめ接吻してくれたことに感動し、「あたかも恩惠をでもうけたようにこれを心に感謝して、それから後はオバン夫人を動物的な眞心と宗教的な尊敬を一つにこめて労つた」。  フェリシテの情愛の對象は更にひろまつた。まずは亡命中のポーランド人、コレラ患者、ついで「九十三年の大革命當時ずいぶんと怖ろしいことをやつた人だと噂のある老人」を彼女は愛した。その老人がやがて死に、その「靈魂の安息のため」の「ミサの祈りをあげてもらつた」日に、オバン夫人は新しい郡長の夫人が飼つていた一羽の鸚鵡をもらい、それがフェリシテのものとなり、そのルルといふ名の鸚鵡を彼女は溺愛するようになる。けれども、そのルルが死に、オバン夫人も死んだ。すると「主人のために泣く者などのないいまの世に、フェリシテはオバン夫人のために泣」き、フェリシテ自身も老い、病の床に臥し、剥製の鸚鵡の額に接吻し、天空を「翔けめぐつてゐる大きな一羽の鸚鵡が見えるように思」い、とうとう彼女は息を引き取つたのである。  アルベール・ティボーデは、フェリシテの死は「存在するに價した生の完遂」だと言つてゐる。私もそう思ふ。フェリシテに該博な知識なんぞありはしない。が、知識が豊かであるといふことは、人間的に立派といふことであろうか。さういふことをわれわれは本氣で考えてみなければならない。  フェリシテは「若いころに宗教の教育なぞは受けなかつた」。いや、「宗教の教育」だけではない。彼女はおよそ「教養」のない女なのである。「父親は左官で、足場から落ちて死んだやがて母親が死に、姉妹たちは離散して、さる百姓の手に拾われ、小さいうちから野良に出て牛の番をさせられた。襤褸着のしたで寒さにふるえ、腹ばいになつては沼の水を飲み、些細なことでぶたれたり」といつた状態、さういふ辛い貧困の境遇に育つたのだから、「知的生活」などといふ贅澤とは全く無縁であつた。    それゆゑ、航海中の甥のヴィクトールが今キューバのハヴァナにいると知つた時も、ハヴァナがどこにあるのかわからず、禿頭の元代言人ブウレエに「ポン・レヴェックからの道程はどのくらい」か、教へてもらいたいと言つた。ブウレエは「地圖をとりだし、まず經度から説明をはじめ、(中略)あるかなきかの黒い点を指し」て、「ここじゃ」と言つた。が、フェリシテには何のことやらさつばりわからない。作者フローベールはこう書いてゐる。  ブウレエさんから、どのようなことがわからぬのか言つてごらんといわれるままに、フェリシテは、ヴィクトールの住んでいる家を教へてくれと頼んだ。ブウレエさんは兩腕をさしあげ、嚔をして、大聲たてて笑いこけた。いかにも無邪氣なこの質問がブウレエさんを悦ばせたのである。フェリシテにはその理由がわからなかつた。−おそらく甥の姿までも見られることと思つていたのである。それほど彼女の頭は狭かつた。  いかにもフェリシテの「頭は狭かつた」。けれども彼女のひたむきな献身の一生には、いかむ天邪鬼の讀者とて胸を打たれるにちがいない。それなら「知的生活」とは必ずしも「有徳なる生活」すなわち道徳的に立派た生活なのではない。  人生に對する眞劍な問ひかけがないベストセラー  上智大學教授渡部昇一氏の『知的生活の方法』は八十萬部以上賣れたベストセラーだそうだが、二百十四頁の『知的生活の方法』のどの頁にも、人生いかに生くべきかについての眞劍な考察はない。渡部氏の著書には「讀書の技術、カードの使い方、書齋の整え方、散歩の効用、通勤時間の利用法、ワインの飲み方、そして結婚生活」など、「知的オルガスムス」のための方法についてはくだくだしく書かれてあるが、人間として立派に生きるためめ「生活の方法」には全く觸れられていないのである。そして渡部氏は書く、「男も女も、十全なる知的活動を維持するには、結婚しても輕々に子供をつくるべきではないであろう」。  避妊もしくは堕胎をあえてして「十全なる知的活動を維持」したとして、その「知的活動」とは一體何のためなのか。結婚するといふことは妻や子供を愛するといふことであり、妻子を愛するといふことは、妻子のためにおのれの「知的生活」をも犠牲にするといふことである。いや、犠牲にするのは「知的生活」に限らない、われわれが誰かを愛するのは、その誰かのために多少なりともおのれを殺すことではないか。もちろん、われわれにはフェリシテほど「十全なる自己犠牲」はやれない。けれども、どんなに愚かな夫婦でも、子供のためには何かを「ガマン」してゐる。次に引用するのは、TBSラジオのある主婦向け番組で讀みあげられた投書の一部である。  前略、この二、三年、春になると花粉アレルギーでクシャミと鼻水に惱まされています。  さて、中學生の息子が期末テストのため夜遅くまで勉強しており、私たち、その氣になれず、ガマンガマンの毎晩でした。(『週刊現代』、昭和五十七年四月十七日號所載)  要するに、中學生の息子が、將來「知的生活」を送れるように勉強をしてゐるのだから、夫婦は「性的生活」を我慢してゐるといふことであろう。それなら高名なる上智大學教授よりもこの無名の夫婦のほうがはるかに立派ではないか、とそう言ひたいところだが、そして今の主婦は昔の主婦よりも學歴だけは立派だろうが、右に引用した主婦の「お便り」とやらは次のように續くのである。  ところが休日の朝、主人の息子サンがいきなり私のウシロからいらつしゃつたんです。私もワクワク、息子サンもガンバリはじめたんです。トタン、私、「ハクションッ」。と、どうでしょう、私の中にいた息子サン、吹つ飛ばされちゃつた。  夫の「息子サン」と妻の「ウシロ」さんとが「休日の朝」出會つたところで一向に差し支えはない。けれども、さういふどんな馬鹿にもやれることをやつたからとて、それを得意げに書き綴り、しかもそれをラジオで放送してもらおうなどと考えるのは、およそ馬鹿げてゐる。  私が言ひたいのは、渡部氏のようにたくさんの本を讀んで知識ばかり頭の中に詰め込んでも、人間として立派になれるとは限らないといふことだ。  名作短篇小説が教へる眞理  フローベールの『まごころ』は三十頁ほどの短篇で、一字一句ゆるがせにせず推敲に推敲を重ねるのが常だつたフローベールは、書き上げるのに六ヵ月を要した。讀み上げるには一時間も要さないであろうが、ベストセラー『知的生活の方法』と異なり、われわれは天才フローベールの短篇から、樣々の有益な事柄、考えさせられる事柄、考えるに價する事柄について學ぶのである。すなわち、例えば次のようなくだりを讀む時、われわれは人々が思ひこんでいるほど平等とはよいものだろうかと、さういふことを疑うようになる。         オバン夫人はヴィルジニーを嗜みのある娘にしたいつもりであつた。が、それには、いまのギュイヨーでは英語も音樂も教へられぬので、オンフルールのユルシュール修道院の寄宿舎に入れようと決めた。  ヴィルジニーにも異存はなかつた。フェリシテは、奥さまの心を無慈悲と思ひ、溜息をついた。が、あとでは、御主人さまのお考えが、さだめし、よいのであろうと考えた。こうしたことは《自分ふぜいのかれこれいうべきことではない。》(傍点《》松原)  もう一つ引用しよう。すつかり老い込んだフェリシテは、ある日血を吐いて倒れる。肺炎にかかつたのである。そして肺炎は彼女の主人オバン夫人の命を取つた病氣であつた。  そこでシモン婆さんは醫者を頼んだ。フェリシテは自分の容態を聞きたがつた。しかし、聾の彼女には、ただ「肺炎」といふ一言が耳にはいつた。それはフェリシテも知つてゐる言葉だつた。「ああ!奥さまと同じだ」と、《主人にならうのを當然と心得て、》しずかに彼女はうなずいてみせた。(傍点《》松原)  「平等必ずしもよきことにあらず」などと言へば、讀者は憤慨するかもしれないが、フェリシテについてフローベールは「できたてのパンのように心柔らかな」女と形容した。しかし、フローベールは同時に大衆の無責任や輕薄を激しく憎んだのである。  かういふエピンードがある。友人とさんざん大衆を罵倒したあとで、二人は別室で下着をとりかえた。つまり、下劣な大衆の話をしただけで、心身ともにけがれたと感じたのである。それゆゑ、彼は「大衆には自由を与えよ、されど權力を与えるな」と書きもしたのだが、そのフローベールがフェリシテは手放しで稱えてゐる。  つまり、森鴎外はるんではなく、フローベールはフェリシテではなかつた。が、それゆゑこそるんやフェリシテに肖ろうとしたのである。立派な人物に肖ろうとして生きること、それは確かに立派なことなのだ。 3.時には「長い物」に卷かれろ   樋ロ一葉 『十三夜』  旧暦の十三夜、お關は一人で實家の格子戸の外にしょんぼりと立つ。原田家に嫁いで七年、夫との間に一子をなしたお關だが、「嫁入つて丁度半年ばかりの間は關や關やと下へも置かぬやうにして」くれたものの、やがて夫はまるで人が變わつたようになり、話しかけるのは用事のある時だけ、しかも意地惡そうにそつけなく言ひ、朝飯の時から小言ばかり、二言目には教養がない、教養がないと輕蔑される毎日、それゆゑ離婚して實家へ戻ろうと決心して、その相談のため、手土産も持たずにやつて來たのである。お關は父母に、二年も三年も泣いて暮らしたけれど、今日といふ今日はどうしても離婚したいと決心した、どうか認めてほしいと、泣きながら頼む。すると母親は言ふ。もともとこつちからもらつてくれと頼んだわけではなし、身分が惡いとか教育がないとかよくも勝手なことが言へたものだ。お關が十七の年、お正月、羽根突きをしていた時、白い羽根が通りかかつた原田さんの車の中へ落ち、それを取りに行つたお關を原田さんが見初め、人を介して嫁にもらいたがつたのではないか、「御身分がらにも釣合ひませぬし、此方はまだ根つからの子供で何も稽古事も仕込んでは置ませず、支度とても唯今の有樣」といつて何度斷つたことか、それを今何といふ身勝手か。母親はそう言つて「前後もかへり見ず」に腹を立てるのである。  けれども腕ぐみして目を閉じていた父親は言ふ。お前の夫も「物の道理を心得た、利發の人ではあり随分學者でもある、無茶苦茶にいぢめ立てる譯ではあるまい」、それにお前の弟が就職できたのも原田さんの紹介があつたからこそ、それゆゑ親のため弟のため、辛いだろうが我慢してくれないか、それにお前には太郎といふ子もあるではないか、離婚したら、太郎は原田のものになつてしまう。二度と顔を見ることもできなくなる。  そう父親が涙ながらに諭すと、お關は泣き崩れ、太郎に別れて顔も見られないようになつたら、生きていたとしても何の張合いもない、要するに「私さへ死んだ氣にならば三方四方波風たゝず」、わかりました、「お父樣も牝母樣も御機嫌よう、此次には笑ふて參りまする」と、涙をかくして人力車に乘り、婚家へと戻つて行く。  ところが、何とその人力車の車夫は、かつてお關に惚れていた煙草屋の息子高坂録之助であつた。お關のほうでもいずれは録之助の妻となり、あの煙草屋の店先に座つて新聞でも見ながら商賣するものと思ひ込んでいた。が、お關はよそへ嫁ぎ、燒けくそになつた録之助はさんざん放蕩をつくし、今は住む家もなく、村田といふ安宿の二階に轉がつて氣が向いた時は今夜のように遅くまで人力車を挽くこともあるが、「厭やと思へば日がな一日ごろごろ」として暮らしてゐるといふ。お關は録之助の挽く人力車にそのまま乘りつづける氣にはとてもたれず、「道づれに成つて下され、話しながら行きませう」と言つて、上野廣小路まで連れ立つて歩き、そこで二人は東と南へ別れるのである。一葉はこう結んでいる。「其人は東へ、此人は南へ、大路の柳、月のかげに靡いて、力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奥も憂きはお互ひの世におもふ事多し」。  ある文藝批評家は、われわれは一葉の作品に「社會に抑圧された女たちの忍從的なあきらめの姿」を見る、と言つてゐる。今日、お關のように「私さへ死んだ氣にならば三方四方波風たたず」と考えて、自分を犠牲にする女は少ないであろう。が、さういふ「自我にめざめた女」とやらは、「おもふ事」少なく、お力やお關ほど美しくはない。日本の女は、例えば横暴な亭主とか、「七去」の不合理とか、それを無条件によいといふわけでは決してないが、ともあれ長い物に卷かれてゐる時だけ美しく振舞うのではないだろうか。  千年たつても變化しない人間の眞の姿  もちろん自立を誇る今の女性には、お關の生き方は愚かとしか思へないであろう。けれども、手輕に結婚して手輕に離婚し、手輕に再婚する、さういふ生き方がお關のような我慢の一生よりも幸福だとはたして言ひ切れるであろうか。かるほど、本當のことを言へば、誰もお關のようには生きたくない。小説の作中人物として接してゐる限り、確かに美しく立派な女である。それはるんの場合も同じである。けれども、皆が貧乏くじを引きたがらなくなつたら、どんな社會も成り立たない。昨今のいわゆる公害間題における住民の地域エゴの醜さも同じことで、誰一人損をしない社會などといふものは斷じて存在しないのである。  それはさておき、私が森鴎外や樋口一葉のような「古めかしい」作家の作品をあえて選んだのは、すぐれた作家の描く人物は、百年たつても千年たつても變化しない人間の眞の姿を示してゐる、といふことをわかつてもらいたかつたからだ。すぐれた作家は例外なく人間通なのであり、それゆゑに彼らの作品は感動的で、われわれに多くのことを教へてくれるのである。  例えば一葉の作品を讀む時、私たちは作中人物の行爲を道義的に裁くといふことをしない。一葉の名作『にごりえ』の登場人物源七は、逃げる女の背中に切りつけ無理心中をやらかすが、讀者は源七をひどい男だなどとは決して思はない。『十三夜』の録之助も、お關と結婚できないからとてやけくそになり、妻子を捨てて顧みない。が、讀者は録之助の身勝手を咎めない。なぜか。源七も録之助も私利私欲とは無關係であり、ただもうあわれなので、二人の「動機は純粋」だからである。そして、それは今も昔も少しも變わらない日本人の特性なのだ。「欲ハタダネガヒモトムル心ノミニテ、感慨ナシ。情ハモノニ感ジテ慨歎スルモノ也。戀ト云モノモ、モトハ欲ヨリイッレドモ、フカク情ニワタルモノ也」と本居宣長は書いた。「欲言ヨリイッル」ものでないからあわれなのである。つまり、日本人はかわいそうだと思へば、人殺しさえも許すのであつて、その場合、ことの善惡、つまり理非曲直を言ふのは野暮といふことなのである。「私の眼には善も惡もない。私は世のあらゆる動くもの、匂ふもの、色あるもの、響くものに對して、無限の感動を覺え、無限の快樂を以て其れ等を歌つて居たい」と永井荷風は書いた。今日のわれわれも、宣長や荷風とさほど違つた世界に住んでいるわけではない。  なぜ、日本に無理心中が多いのか  要するにわれわれ日本人にとつて、私利私欲にもとづかぬものはすべて「フカク情ニワタルモノ」あであり、それは美しくあわれであつて、美しくあわれならば、われわれは殺人をも嚴しく咎めない、といふことなのだ。お關は自分さえ「死んだ氣にならば三方四方波風たゝず」と考える。その忍從は美しくあわれである。だが、そうして自分を殺せる女は、いずれ息子と無理心中をもやりかねない。「成程太郎に別れて顔も見られぬ樣にならば此世に居たとて甲斐もない」とお關は言ふ。それほどまで太郎がかわいいお關のことだ、自分さえ「死んだ氣になれば」とて頑張つたあげく挫折したら、すなわち夫に離縁され路頭に迷つたら、死にたがらぬ太郎をしつかり抱きしめ、入水しかねないであろう。  「それは明治時代の愚かしい母親がやつたことだ、今時の女は産んだ子をコイン・ロッカーに捨てるではないか」、と讀者は言ふであろうか。だが、ごく最近、『朝日新聞』には次のような記事が載つたのである(昭和五十七年五月十六日付)。  イルカを助け、死刑囚を救う運動があるのに、親子心中で殺される子供を見過ごしていいものか−毎日のように繰り返される親子心中に心を痛めてきた群馬縣勢多郡大胡町、養護施設「鐘の鳴る丘・少年の家」の園長、品川博さんが呼びかけ、「日本親子心中絶滅予防協會」を設立する。  そして品川博氏はこう語つたといふ、「子供を私物化する親の身勝手か、子の行く末を案ずる獨りよがりのせいか、文化國家で日本ほど、わが子を殺す親の多い國はない。原水爆廢止運動と同じくらい、殺される子供を救う運動があつてもいいと思ふ」。  私も日本人だから、品川園長の「私利私欲にもとづかぬ」動機の「純粋」を疑わない。けれども「日本親子心中絶滅予防協會」がいかに努力しても、この國から親子心中を一掃することはできないと思ふ。親子心中が一掃されたら、その時日本人は日本人でなくなる、もとよりそんなことになるわけがない。  それに「子供を私物化する」のははたして「親の身勝手」であろうか。子供を道連れにする親にはそんな意識はないであろう。無理心中は「欲ヨリイッル」行爲ではないのである。さらにまた「子の行く末を案ずる」のは「獨りよがり」であろうか。そうではない。それは「フカク情ニワタル」行爲なのである。そして利己的な行爲を醜いと思はず、情にほだされる行爲を愚かしく思ふ、さういふことをわれわれ日本人は今後も永久にやれるはずがない。  スチュワート・ピッケン氏は『日本人の自殺』(サイマル出版)に書いてゐる。  無理心中が含む道徳的諸問題に焦点をあてた事件は、東京・立教大學英文學科の大場助教授のそれである。彼は、女子學生のひとりと不倫の關係を結び、その結果、彼女は妊娠した。これが露見するのを恐れた彼は、絶對見つからないようなところで彼女を殺した。おそらくふたりは心中を計畫したのだろうが、彼が度胸をなくしたのだ。だがそんなことは誰にもわからない。少くとも彼は妻にその件を話していたに違いない。明らかに彼の求めに應じ、ふたりの子供とともに一家四人は崖から海に身を投じた。(中略)この事件について討議を要する道徳的問題は、なぜ家族全員が死ななければならなかつたか、である。大場自身は彼の犯した罪によつて死刑となつたかもしれないが、なぜ妻子が死ななければならないのか。  (堀たお子譯)  イギリス人であるピッケン氏には理解しがたいことであろうが、われわれ日本人は大場助教授を、四人の生命を奪つた極惡人とは考えない。大場が四人を殺して自分だけ生きのこつたら、それは身勝手で醜い行爲だから、人々は非難するであろうが、なにしろ大場自身も死んだのである。自殺して詫びたのである。それゆゑわれわれ日本人は、源七や録之助と同樣、大場をもあわれだと思つてしまう。女子學生と「不倫の關係を結」んだことも、殺して埋めたことも、大場が死んだと知れば、ただもうあわれに思ふ。「戀ト云モノモ、モトハ欲ヨリイッレドモ、フカク情ニワタルモノ也」、われわれはそうつぶやくのである。  愚かな教育ママの正體  それゆゑ樋口一葉の作品を讀んで「昔の女は愚かであつた」と考える、それは實に愚かなことである。例えばお關は「太郎に別れて顔も見られぬ樣にならば此世に居たとて甲斐もない」と言ふ。一方、今日のいわゆる「教育ママ」も、「子どもが三歳ぐらいに」なれば「もう字をおしえ、數をかぞえさせ(中略)、三歳半になると、知能テストの本を買いこんで、知能指數とかをたしかめようとし(中略)、武者修業に出た劍豪が道場やぶりでもするように、あちこちの児童相談所や心理學研究所をまわつて子供にテストをうけさせ(中略)、名門幼稚園のテストにパスすると、こんどは、もうひとつうえの名門小學校に入れるための受驗勉強、英會話のおけいこ、母親みずからも、水道流とやらの數學の練習」(松田道雄、『おやじ對こども』、岩波新書)といつたぐあいに、おのれを空しうして育児に專念する。お關が愚かなら「教育ママ」も愚かである。だが、お關は美しいが「教育ママ」は醜い。おのれを空しうする点では同じでも、「教育ママ」の場合は「忍從」の美が缺けてゐるからだ。昔と異なり、今の「教育ママ」には金もあれば暇もある。子供の教育に熱心になるのは、何かを犠牲にしてといふことではない。  とにかくわれわれ日本人は、長い物に卷かれてゐる時だけ美しく振舞う。われわれにとつては世間が「長い物」なのだが、今の教育ママは、世間體を少しも考えずエゴをむき出しにしてはばからない。  日本人は今、忍從の美を忘れ、「エコノミック・アニマル」として、自由だの平等だの民主主義だのと、自分でも何のことかよくわからないたぐいの美辭麗句をロにしてゐるが、いずれ必ず、浮き草のような日本の繁榮も終わり、そこで初めて愕然として目が醒めるといふことになるであろう。 4.愛すべきは「專門馬鹿」の稚氣   幸田露伴 『五重塔』  江戸谷中の感應寺は境内に五重塔を建立することになつた。腕のよい棟梁、川越の源太は一生に一度建てられるかどうかもわからない五重塔を見事に建て、立派な仕事をして職人の本望を見事に遂げたいと思ふ。  ところが、思ひもよらぬ競爭相手が現れた。源太が立派な腕前と賞めた弟子の十兵衞である。十兵衞はおつとりした性格だつたが、やり甲斐のある仕事をとかく他人に奪われ、たいそう貧乏であつた。しかも「のつそりといふ忌々しい渾名」をつけられ、大工仲間にも輕蔑されていた。が、一向にそれを氣にかけなかつた。その十兵衞が、感應寺に五重塔の建つといふ話を聞くや否や、「急にむらむらと其仕事を是非する氣になつて、恩のある親方樣が望まるるをもかまはず」、感應寺の朗圓上人に會い、「恩を受けて居ります源太樣の仕事を奪りたくはおもひませぬが(中略)この十兵衞は鑿手斧もつては源太樣にだとて誰にだとて(中略)萬が一にもおくれを取るやうな事」は決してないといふ自信がある、けれども、仕事といえばいつも長屋の羽目板の修繕程度、これも運だとあきらめてはいるが、下手な大工がよい仕事を請け負うのを見るごとに「自分の不運を泣きます」、どうか「御上人樣御慈悲に今度の五重塔は私に建てさせて下され」と泣いて頼んだのである。  十兵衞が見せた五重塔の雛形の見事な出來映えに感心した上人は、源太と十兵衞を寺へ招き、昔、兄弟が譲り合つた結果二人とも幸福になつたといふ佛説を話して聞かせる。  感應寺よりの歸り道、十兵衞は考える、上人樣はどちらか一方が譲れとおつしゃりたいのだろうが、「鳴呼譲りたく無いものぢや」。とはいえ「相手は恩のある源太親方(中略)、分際忘れた我が惡かつた、鳴呼我が惡い、我が惡い」。  一方、家へ歸つた源太は、女房に言ふ、「たあお吉、弟を可愛がれば好い兄ではないか、腹の饑つたものには自分が少しは辛くても飯を分けてやらねばならぬ」、もちろん自分としては獨力で五重塔を建てたい、けれどもここで我慢するのが男といふもの、「おれはのつそりに半口やつて二人で塔を建てやうとおもふ」。  そこで、言葉づかいは荒々しいが、氣立てのやさしい源太は十兵衞の長屋を訪れて言ふ。お前が欲のためにおれの仕事を奪うような男なら、「腦天ぶつかかずにはおかぬ」が、お前の不幸を考えれば、おれはいつそ譲つてもいいとさえ思ふ。けれども、この仕事はおれもどうしてもやりとげたい。どうだ、お前を主にし俺が助手になり、二人で建てようではないか。  だが、この源太の並の男にはできないほどの恩情ある申し出を十兵衞はきつばり斷るのである。「情無い親方樣、二人で爲うとは情無い、(中略)御慈悲のやうで情無い、厭でござります」もはや自分はすつぱり諦めてゐる、自分は「溝板でもたたいて一生を終りませう、親方樣堪忍して下され私が惡い、塔を建てうとはもう申しませぬ」。  源太は立腹する。當然である。だが、一つの仕事を二人でするのは、自分が中心になつてやるとしても、嫌だといふ、十兵衞の職人としての誇りも、これまた當然である。かういふ「職人氣質」がすつかりなくなつた今日、讀者には、十兵衞の心意氣が理解できないかもしれない。それゆゑ、紆餘曲折あつて十兵衞が、無法者に左耳をそがれるといふ苦難にもめげず、見事な五重塔を建立した次第は語らず、夫の強情と「政治的不賢明」をたしなめる女房お浪に、十兵衞が何と答えるか、そのせりふを引用しよう。  「十兵衞が仕事に手下は使はうが助言は頼むまい、人の仕事の手下になつて使はれはせうが助言はすまい。(中略)善いも惡いも一人で背負つて立つ、(中略)自分が主でもない癖に(中略)誇顔の寄生木は十兵衞の蟲が好かぬ」。  何とも見事な根性である。もはやかういふ見事な職人はいないであろう。今の男は貧乏を嘆く女房を無視して誇りを捨てないどころか、尻輕女房の尻にも敷かれかねない。いやいや、十兵衞の誇りとて、明治時代の理想主義小説中のお話にすぎないと讀者は言ふであろうか。だが、作者幸田露伴はこう書いてゐるのである、「借間す世間の鄙夫、男女纏綿の痴談の外、此等快心の譚實際界に無しとするや否や」。つまり、この世の中には男女の色事以外に、かういふ心を洗われるような話がないと、あなた方は言ひ切るのか、と露伴は開き直つてゐるのである。  泡をふいて倒れた貧乏作家  そこで、われわれとしては幸田露伴の「借問」にどう答えたらよいか。今日おびただしく生産される小説は、その大半が「男女纏綿の痴談」であつて、「快心の譚」なんぞ「實際界」にも文學作品にもめつたに見出されはしない。もちろん私は現代日本の小説のすべてを讀んでいるわけではない。讀んでいるわけでないのに自信をもつて斷定するのは、卒業論文として書いた女子學生の小説が、一流出版社から出版され、映畫化され、ベストセラーになるなどといふ、戰前の文學界においてはおよそ考えられないような現象がしばしば起こるからである。もはや嘉村礒多といふ作家を知つてゐる讀者はいないだろうが、彼は昭和八年、中央公論編輯部から作品を掲載することに決まつたとの通知を受けた時、「日本一になつた!」と叫び、泡をふいて倒れたのであつた。文士の名譽欲をえぐり出した嘉村の最後の作品『神前結婚』に出てゐる話である。嘉村が喜びのあまり泡をふいて倒れたのは、それまでの文學修行が眞劍だつたからだが、卒業論文として書かれた見延典子の『もう頬づえはつかない』は、かういふたいそうふやけた文章で書かれてゐる。  つきつめていえば、男本來が持つてゐる生理的な單純さがうらやましいと言ふべきかもしれない。《その單純さは》自分の性欲さえもストレートに《口にする》ことができる。それは男であるから許されるのだろう。(傍点《》松原)  この文章の粗雜についてくわしい説明は不要であろう。「口にする」といふ動詞の主語は何と「單純さ」なのである。「單純」が性欲を「ストレートに口にする」のである。  昨今、小説家は反核聲明なんぞを出し、人類の將來を憂え、高級な職業に從事してゐるかのように錯覺してゐるが、小説家も職人なのだから、大工や植木屋や咄家と同樣、自分の作品に誇りを持たなければならない。そしてそのためには「年季奉公の辛さ」が必要なのである。齋藤隆介氏は『職人衆昔ばなし』(文春文庫)の「あとがき」に、こう書いてゐる。  名人たちの生い立ちの話を聞くと、必ずと言つて良いほど年季奉公の辛さの話が出ます。冬は霜燒けで、手の指が野球のグローブほども腫れ上つてしまつた話。暁に廊下を雜布がけして後を振りかえるといま濡れたかた端からパリパリ薄ら氷が張つて「アァ早く一人前の職人になりてえなァ」と思つた話、等々。又もやと思つて伺うのですが、建才、建具の田中才次郎さんの時は違いました。  「私たちが削り物をしてゐると、親方が後から來て『才次郎、アアンしろアアンしろ』つてえから、アーンとやると口の中ヘポイと何かが入る、食うと氷砂糖です。ああ有難えなァと思つた」  と言ふからひとごとながらホッとしてゐると、  「ニコニコしてトントンと二階へ上つた親方が『何だァッこの仕事わァッ』つて梯子段をダーッと驅けおりて來たかと思ふと目から火が出て私は撲り倒されてた。まだ溶けないさつきの氷砂糖を啣えたまンま−」  とあとの話が續く。ヤレヤレです。弟子はかわいい。けれど仕事はもつとかわいいんです。  親方が寛大なら弟子はぐうたらになる。  それにまた、「今時の若い者」は、氷砂糖はおろかハーシーのチョコレートをもらつても、「ああ有難えなァ」とは思はないであろう。なにしろ今の日本は世界に冠たる經濟大國なのだ。そこに生きるには、長い物に卷かれる辛さも、卷かれながらもへこたれず、「一人前の職人」になろうとする強さも、ともに必要としない。  そして日本人は、日本が經濟大國にのしあがつたのは、日本人が勤勉だつたからだと思ひ、外國人にもそう思はせてゐる。はたしてそうであろうか。十五、六歳のアイドル歌手ともなれば一日四時間しか眠らないそうだが、それは勤勉といふことではない、藝をみがく暇のないほどの荒稼ぎといふことにすぎない。  みごとな古今亭志ん生の修業  咄家も同樣である。五代目古今亭志ん生は語つてゐる。  むかし五明楼玉輔てえはなし家がいた。何しろ圓朝の向こうを張つたほどの名人で、『義士傳』なんぞきいた日にゃァ、ゾクゾクしちまうくらいうまかつた。この人の『義士傳』だけで、毎晩一束からの客が七十七日間も落ちなかつたてえくらいであります。  その時分の人情ばなしの先生てえのは、えらそうなことをしゃべるばかりじゃァない。自分でも劍術の一つぐらいはやつたものです。この玉輔てえ人もいくらか腕に覺えがあつたんでしょう。伊豆の下田へ興行で行つたとき、席のあく前にふらつと表ェ出たつきり、いつまで待つたつてもどつて來やしません。看板がいないんだからみんな弱り果ててるところへ、夜の九時ごろになつて、先生が俥に乘つて顔じゅう傷だらけにしてもどつて來た。ウンウンうなつてゐる。  「先生どうしました」  「うーん、近所に道場があつたから、他流試合をやつて、うーん、負けたよッ」  この玉輔さんの息子さんてえかたが、陸軍の少將かなんかだつたから、いつも、  「お父さん、はなし家なんぞ、早くやめてくださいよ」といふんです。  「バカ野郎、お前は陸軍で少將かも知らんが、おれは人情ばなしのほうじゃァ大將だ。大將に向かつて少將がなにをいうかッ」  つてんで、あべこべに叱りとばしたなんてえ話があります。  あたしんとこでも、息子たちがあんまりかけはなれた商賣ェなんぞになるつてえと、話ィするんだつて堅ッ苦しくていけません。  こつちのほうで、  「ニクソンとコスイギンの比較は・・・・・・」  なんてえ話をしてゐる。こつちのほうで、  「原子炉の原理てえものは、そもそも・・・・・・」   なんてえ話になつたんじゃァ、面白くもなんともありゃァしません。やつぱり、一家そろつて藝のはなしだとか、酒のはなしなんぞしてるほうが、ズーッと氣が樂ですよ。(『びんぼう自慢』、立風書房)  五明楼玉輔が他流試合をやつて「顔じゅう傷だらけ」になつたのも、もとより藝をみがくためであり、さういふ精進あつてこそ玉輔は「人情ばなしの大將」に昇進したのである。  志ん生自身にしても、ニクソンやコスイギンや原子炉の原理について無知だつたし、「人間はズボラ」だつたが、「落語てえものが好きだから(中略)、随分、稽古には精出し」た。志ん生は若い頃の修行についてこう語つてゐる。  寄席へ行くときや歸るときなんぞ、うつかり電車にのろうもんなら、往復で七錢もとられる。もつたいないから、どんな遠いところへも歩いて行くんです。青山だろうが新宿だろうが、尻ィはしょつて、羽織を首ッ玉へゆわえてドンドン歩く。下駄なんぞ減ると大變だてんで、腰ィゆわえて行く。  歩くつたつて、ただボンヤリ歩くんじゃァなしに、落語をひとりで稽古しながら歩くんです。  志ん生の貧乏は「電車のレールみたいに、はじめつからしまいまで、ズーッと續い」たのである。けれども彼は「いくら道樂三昧したり、底ぬけの貧乏したつて、落語てえものを一ときも忘れたこたァない」男であつた。若い志ん生は「青山だろうが新宿だろうが」裸足で歩いた。今は前座でもタクシーを拾う。タクシーを拾つてあちこちで稼ぐ。それは勤勉といふことではない。勤勉とは「つとめ励むこと」である。貧乏だから「つとめ励む」のではない、貧乏でも「つとめ励む」、それが勤勉といふことなのだ。貧乏だから努力する人間は、貧乏でなくなれば努力しなくなる。けれども、貧乏でも努力する人間、「底ぬけの貧乏したつて」おのが天職を「一ときも忘れ」ることのない人間は、貧乏でなくなつたとしても、精進することをやめないであろう。それが本當の勤勉なのである。そして勤勉でありさえすれば、專門馬鹿であつて一向に構わない。  長島茂雄はかつて、「共産黨の天下になつたらプロ野球は存在しなくなる」と言ひ、世間の物笑いの種になつた。その政治音痴ぶりを笑ふのは誰にでもできる。けれども、彼は球場で數數の名技を披露して、多數の觀客を魅了したのである。專門馬鹿には愛すべき稚氣がある。それがわかるといふこともまた、人間がわかるといふことなのだ。 第二章賢者の毒を飲め 5.自己主張の「精神」・自己滅却の「美學」   ヘミングウェイ 『老人と海』  老いたる漁師サンチャゴは、小舟を操り魚をとつて暮しを立てていたが、ある年、一尾も釣れない日が八十四日も續いた。けれども老人は絶望しなかつた。四肢は痩せこけ、項には深い皺がきざみこまれていたが、その眼は「不屈の生氣をみなぎらせていた」。そして八十五日目の早朝も、老人は遠く沖合に出る。晝近く、海中に垂らして置いた引綱がぐいと動いた。魚が食い付いたのだ。しかも、信じられぬほどの引きだ。老人は懸命に綱を引く。が、一インチも引き寄せられず、逆に舟が魚に引つ張られてしまう。大魚は一度も水面上に姿を現すことなく、サンチャゴの舟を悠々と引つ張つて行く。夜になつても、獲物は一向にへたばらない。老人は思ふ、何とすばらしい奴だろう。男らしく餌に食らい付き、男らしく食い下がり、ちつとも騒がない。「きょうといふきょうまで、こんな強い魚にぶつかつたことはない」、奴は暗い海の底で頑張ることにすべてを賭け、一方この俺は海の底までも奴を追い掛けて行く。そうだ、俺達はそれぞれひとりぽつち、誰ひとり助けてくれる者もない。ああ、漁師になんぞならなければよかつた。が、老人はすぐに思ひ直す、いや、そうではない、俺は漁師に生まれ付いてゐる。俺には俺しか付いていない、それでよいではないか。老人は大聲で獲物に呼び掛ける、「おれはおまえが大好きだ、どうしてなかなか見あげたもんだ。だが、おれはかならずおまえを殺してやるぞ、きょうといふ日が終わるまでにな」。  明け方、魚が突然海中深く潜り込み、老人は舟の上で倒れ、左手を負傷する。そこで元氣をつけようと、老人は鮪の肉を食うが、獲物にも何か食わしてやりたいと思ふ、きつと腹ぺこに違いない、なにせ奴は俺の兄弟分なのだ。すると、その時、獲物が浮上する。何と老人の舟より二フィートも長い、巨大なかじきまぐろだ。何とでかい奴だろう、「まるで自分の大きさを見せるために跳ねあがつたみたい」だ。それにまた、何と立派た奴だろう。だが、「あいつを思ひあがらせてなどやるものか」、俺の強さを見せてやる。「人間つてものがどんなことをやつてのけられるか」、「人間が耐えていかねばならないもの」が何か、それを奴にわからせてやろう、そう老人は思ふ。  けれども、その日のたそがれ時になつても獲物は弱つたような兆しを見せない。またしても老人は何も食わずに頑張つてゐる魚に對し同情的になる。あんな立派な奴を「食う値打ちのある人間なんて、ひとりだつてゐるものか」。  三度目の太陽が昇る頃、獲物はようやく衰えを見せ始めた。老人が綱を引くと相手はぐらりと傾いた。輪を描きつつ近付いて來る相手の横腹に、老人は思ひ切り銛を突き立てた。四日間頑張つて、遂に老人が勝つたのである。  だが、その巨大な獲物を舟に括り付けて歸る途中、老人は何囘も鮫の襲撃を受け、それと戰ううちに銛を失い、鈎を失い、オールを失う。が、戰意だけは決して失わない。無駄と知りつつ飽くまでも老人は鮫と戰う。やがて港に歸りついた時、折角の獲物は鮫に食われて骨だけになつていた。つまり四日にわたる老人の格鬪は無駄骨となつたわけだが、老人は決してそれを嘆きはしない。老人にとつては、戰うことが、「人間つてものが、どんなことをやつてのけられるか」それを證明することが、何よりも大事だつたのである。  老人はこう獲物に呼び掛けてゐる、「おまえはおれを殺す氣だな」、なるほどお前ほど氣高い奴なら「その權利はある」、「さあ殺せ、どつちがどつちを殺そうとかまうこたない」。だが、彼は思ひ直す、「いけない、頭がぼうつとしてきた。頭をはつきりさせておかなければだめだ。しゃんとして、人間らしく苦痛を受けいれろ」。  無償の行爲が人を感動させる  『老人と海』の讀者が感動するのは、無論老人のこのストイシズムのせいである。私は先に『片だより』と題する戰爭未亡人の手記を引用した。戰死した夫に手紙を書いたところで何の實利もありはせぬ。が、實利なき無償の行爲ゆえにこそ、それは美しい。ヘミングウェイの『老人と海』も孤獨な男の強さを描いてゐる。そして老人が仕留めた大魚は骨だけになつてしまう。つまり、老人は何の實利も得たかつたのである。だが、老いたる漁師のストイシズムはそれゆゑにこそ一層美しい。  老いたる漁師サンチャゴは言ふ、俺の強さを見せてやる、「人間つてものが、どんなことをやつてのけられるか」、それをやつにわからせてやる。「人間が耐えていかねばならないものを教へてやる」。そしてまたこうも言ふ、「しゃんとして、人間らしく苦痛を受けいれろ」。人間はいずれは死ななければならない、死の苦痛を、男らしく受けいれなければならない。ヘミングウェイは常に暴力と死を考えた作家だといふことになつてゐるが、彼は極限状況においても人間は人間の尊嚴を失つてはならないと信じていた。それゆゑ彼は卑怯な死、女々しい死を嫌つたのである。人間には「耐えていかなければならないもの」がある。「人間は負けるように造られてはいないんだ。そりゃ、人間は殺されるかもしれない、けれど負けはしないんだぞ」、そうサンチャゴは呟くのである。  當然のことだが、ヘミングウェイは自殺を卑怯な死に方だと考えた。殺されて死ぬのは仕方がない。けれども、「人間は負けるように造られてはいない」のだから、人生に敗北して死んではならない。長篇『誰がために鐘は鳴る』の主人公ロバート・ジョーダンも、戰場で重傷を負い、ひとり死を待つ時、「この世界は美しい、そのために戰うに値するほど美しい」としみじみ思ひ、激しい苦痛に耐えながら、白い大きな雲や松林や小川を眺め、地面に落ちてゐる松葉と松の幹にさわり、「おれはこの世を去るのがいやなのだ。それだけだ」と呟くのである。  ロバート・ジョーダンの孤獨な死も、サンチャゴの孤獨な苦鬪も、ともに男性的であつて、讀者は深く感動させられるであろう。そしてその感動は、例えば樋口一葉の作品から受ける感動とはまつたく異質のものである。一葉のばあい、われわれは主人公の死が立派であるから、人間とはこうあるべきだと思ふから、感動するのではない。われわれはただ、あわれに思ふだけなのである。それゆゑ、ここで私は樋口一葉の名作『にごりえ』について語ろうと思ふ。  樋ロー葉・『にごリえ』の世界  酌婦お力は菊の井の一枚看板であつた。今風に言へば人氣抜群のホステスであつた。「年は随一若けれども客を呼ぶに妙ありて、さのみは愛想の嬉しがらせを言ふやうにもなく我まま至極の身の振舞、少し容貌の自慢かと思へば小面が憎くいと蔭口いふ朋輩もありけれど、交際ては存の外やさしい處があつて女ながらも離れともない心地がする」ほどであり、「菊の井のお力か、お力の菊の井か、さても近來まれの拾ひもの」と言はれるほどの賣れつ子だつたのである。  そのお力のところへ近頃、結城朝之助といふ「遊ぶに屈強なる年頃で男振はよし氣前はよし」今にきつと出世をするに相違ない男が一週に二三度は通つて來る。お力のほうでも「三日見えねば文をやるほど」好きである。にも拘らず、お力は朝之助に請け出されることを望まない。すなわち、朝之助に金を出してもらつて酌婦をやめ、朝之助の妻になろうとはしない。なぜか。かつて「町内で少しは幅もあつた蒲團やの源七」、お力に入れ揚げたあげく、今はおちぶれて土方の手傳いをやつてゐる源七、「十年つれそふて子供まで儲けし」妻に「心かぎりの辛苦」をさせて、「子には襤褸をげさせ家とては二畳一間の此樣な犬小屋、世間一體から馬鹿にされて」いる源七を、どうしても思ひ切ることができないからである。  そして、源七のほうでもお力を忘れられない。「思ひ出したとて今更に何うなる物ぞ、忘れて仕舞へ諦めて仕舞へと思案は極めながら、去年の盆には揃ひの浴衣をこしらへて二人一處に藏前へ參詣したる事なんど思ふともなく胸へうかびて、盆に入りては仕事に出る張もなく、お前さん夫れではならぬぞへと諫め立てる女房の詞も耳うるさく、エゝ何も言ふな默つて居ろとて横になる」」といつた有樣である。しかもそうして働く氣力もなくごろりと横になつて源七は酒を買つて來いと言ふ。女房のお初は答える、「私が内職とて朝から夜にかけて(働いたところで)十五錢が關の山、親子三人口おも湯も滿足に呑まれぬ中で酒を買へとは能く能くお前無茶助になりなさんした、お盆だといふに昨日らも小僧には白玉一つこしらへても喰べさせず」にいるではないか、「少しは彼の子の行末をも思ふて眞人間になつて下され」。  その日の夕方、源七の伜太吉郎がお力に買つてもらつた菓子をうれしそうに持ち歸る。それを見てお初は逆上する、「あゝ年がゆかぬとて何たら譯の分らぬ子ぞ、あの姉さんは鬼ではないか、父さんを怠惰者にした鬼ではないか」そう叫びつつ彼女は子供の手から菓子を奪い、裏の空地へ投げ棄てる。すると源七はむくりと起き上がり、知人なら菓子ぐらい子供にくれて何が惡い、子供がそれをもらつて何が惡い、「お力が鬼なら手前は魔王、土方をせうが車を引かうが亭主は亭主の權がある、氣に入らぬ奴を家へは置かぬ、何處へなりとも出てゆけ」と叱りつける。何とも身勝手な言ひ分だが、「出てゆけ」と言はれた途端にお初は弱腰になる、彼女には親も兄弟もなく「離縁されての行き處」がないからだ。彼女は「離縁だけは堪忍して下され。此子に免じて置いて下され、謝ります」といつて手を突いて泣く。だが、源七はどうしても許さず、お初はやむなく太吉郎の手を引き家を出る。ところが、その後、盆が過ぎ幾日かたつて、町を棺が二つ出て行く。源七とお力の棺である。得心ずくかそれとも無理心中か、とまれ女は後ろから袈裟懸けに斬られ、男は「美事な切腹」をして果てたのである。  引き際の美しさを尊ぶ日本人  お力の悲劇は「女性を取りかこむ封建的抑圧」に、「十分に目ざめきれない自我が、そのままのかたちで圧し殺されてしまふ」ところにある、とある文藝批評家は言つてゐる。つまらない解釋である。今日、「封建的抑圧」をほとんど免れてゐるはずのわれわれも、樋口一葉の作品を讀んで「社會に抑圧された女たちの忍從的なあきらめの姿」と「その可憐な心情」に感動するのであつて、作中人物の「目ざめきれない自我」なんぞを殘念に思ひはしない。私は女を輕蔑してこれを言ふのではない。男もまた同じであつて、われわれは今なお、「目ざめた自我」とやらの「自己主張」とやらを醜いと思ひ、男の自己滅却を、すなわち「忍從的なあきらめの姿」を美しいと思ふのである。それゆゑ人々は福田赳夫元首相の引き際を美しいと思つたのだし、今、田中角榮元首相の往生際の惡さを醜いと思ふ。昭和五十四年福田前首相について「引き際だけは徹底してさわやかな政治家」だと書いた『サンデー毎日』は、巨人軍に江川が入團して小林投手が阪神にトレードされた時はこう書いたのである。  《しめつぽい》同情は拒み、プロはプロらしく、移籍料の折り合いがついたら、巨人のユニホームにも《執着しない》、ウデ一本、どこででも投げてやる−そんな《男のダンディズム》で、せいいつぱい自身を納得させたのだろうか。(中略)江川の《見苦しさ》を知る小林は、おそらく同じようなゴネ方を斷固避けたいと考えた。《ジメジメした》しがみつきよりも、《スカッとした思ひ切り》を−それが恥を知る男、小林の、《男の美學》であつたように思へてならない。(傍点《》松原)  明治時代に女を後ろから袈裟懸けに斬り、切腹して果てた男について「引かへて男は美事な切腹、蒲團やの時代から左のみの男と思はなんだがあれこそは死花、ゑらさうに見えたといふ」と書いた樋口一葉も、昭和五十四年に小林投手の「男の美學」を稱えた週刊誌の記者も、もつぱら美意識によつて物事を判斷してゐるといふ点では少しも變わらない。 かつてジョージ・サンソムは『日本文化史』の中に、日本人は「不潔と道徳上の罪過とのあいだに、ぜんぜん區別を認めていなかつた」と書いた。なるほど『サンデー毎日』の記者は「恥を知る」ことと「男の美學」とのあいだに「ぜんぜん區別を認めていない」。つまり「しめつぽい」ことや、「ジメジメした」ことや、「見苦しい」ことが惡なのであり、「スカッとした」こと、「執着しない」ことが善なのである。  『にごりえ』のお初も同じであつて、彼女は働く氣力を失つた夫にこう語つてゐる。「氣を取直して稼業に精を出して少しの元手も拵へるやうに心がけて下され、お前に弱られては私も此子も何うする事もならで、夫こそ路頭に迷はねばなりませぬ、《男らしく思ひ切る時あきらめて》お金さへ出來ようなら、お力はおろか小紫でも揚卷でも別荘こしらへて囲ふたら宜うござりませう、最うそんな考へ事は止めにして機嫌よく御膳あがつて下され」(傍点《》松原)。  要するにお初は、亭主が働いて金さえもうけてくれるなら、何人妾を囲おうと構わぬと言つてゐるわけである。彼女にとつて貧乏は「遣る瀬のなきほど切なく悲し」いものであり、「世間一體から馬鹿にされて別物にされ」ることは耐えられないのだが、甲斐性のある男が妾を囲うことは「道徳上の罪過」ではないのである。いや、それは封建時代の女に「十分な批判精神の確立がたかつたから」だと、讀者は言ふであろうか。だが、今日も人々は、目白臺の田中角榮邸に數百萬圓の錦鯉が飼われてゐることや、田中氏の収賄容疑についてはやかましく論ずるものの、田中氏と「越山會の女王」との關係を、一夫一婦に反するといつて道徳的に非難することはしない。妾を囲うことも、「スカッとした」やり方なら、世間は許すのである。  樋口一葉に「十分な批判精神の確立がなかつたからこそ、これほどの問題を含んだ世界を、いち早く諦念的な抒情にひたす」ことになつたのだと、ある批評家も言つてゐる。が、「十分な批判精神の確立」してゐるはずの今日、われわれは『にごりえ』を讀み、お初を離縁する源七の身勝手には氣づいても、幕切れの源七の自害について作者が、「男は美事な切腹、蒲團やの時代から左のみの男と思はなんだがあれこそは死花、ゑらさうに見えた」と書いてゐることを怪しまない。しかし、考えてもみるがよい、ここで源七は殺人の罪を犯してゐるのである。後ろ袈裟に女を斬り殺した男について、「美事」とは何ごとか、「死花」とは何ごとか。げれどもさういふ野暮な批判は日本人なら誰もやらない。正しいとか正しくないとかいふことはどうでもよい、源七もお力も、そしてお初も太吉郎も、皆あわれなのであつて、われわれ日本人はもつぱら情けに迷うのである。  人生觀・その彼我の差  すでに述べたとおり、ロバート・ジョーダンやサンチャゴに對して、われわれはあわれみを感じはしない。むしろ二人を立派だと思ふのである。ジョーダンもサンチャゴも、「男らしく思ひ切る時あきらめ」るような男ではない。ジョーダンはこの世の美しさを肯定しながら死ぬ。が、源七の死は敗北で、人生からの逃避である。サンチャゴも「人間が耐えていかねばならないもの」を信じてゐる。殺されることがあつても負けてはならぬと信じてゐる。源七の切腹はみごとで「あれこそは死花、ゑらさうに見えた」かもしれないが、江川・小林兩投手についての『サンデー毎日』の評にあるとおり、源七は思ひどおりにならないこの人生に對する「ジメジメしたしがみつきよりも、スカッとした思ひ切り」を選んだのであり、サンチャゴのように「人間つてものが、どんなことをやつてのけられるか」、それを見せてやるといふ意志の強さは源七にはない。女を忘れられず、仕事をする氣にもなれず、女と死ぬことしか思ひつけぬ、さういふ源七とサンチャゴと、兩者の間には何たるへだたりがあることだろう。  けれどもわれわれ日本人は、源七が人間として立派かどうかは問わない。源七もお力もあわれなのである。そして、あわれに思つて同情し、「メロメロッとなつてしまう」と、われわれは「人生いかに生くべきか」などといふことを少しも考えないようになる。上智大學教授渡部昇一氏はこう書いてゐる。  少しうつとりして大和言葉を聞くと、ほんとうに理窟を超越した世界に入る氣分になれる。たとえば、バーなんかで歌つてゐる流行歌も、しんみりしてゐるなあ、といふ感じのとき、その歌詞に耳を傾けると、これが大和言葉なのである。  「あなたが噛んだ 小指が痛い きのうの夜の 小指が痛い そつとくちびる 押しあてて あなたのことを しのんでみるの 私をどうぞ ひとりにしてね きのうの夜の 小指が痛い」  この「小指の思ひ出」といふ歌は、どこまでいつても大和言葉で、そのため、のめりこむような氣分にさせられる。(中略)たとえば軍事教練なんかのときにみんなで歌う場合は、「見よ東海のォ・・・・・・」なんて、大威張りで歌えるのだが、個人に戻つて、「オレは戰爭なんかに行きたくない。大東亜共榮圈の建設かなんかしらんが、家にいたほうがずつといいや」といふ氣分になると、同じ時期に「山の淋しい 湖に・・・・・・」といつた「湖畔の宿』を歌うことになる。  これも全部、大和言葉で、(中略)そうすると、ここでもまたメロメロッとなつてしまう。(『歴史の讀み方』)            私が渡部氏の文章を引いたのは、われわれ日本人が「情けに迷う」と、すなわち「メロメロッとなつてしまう」と、いかに不樣に(これもまた美意識だが)なつてしまうか、その證拠を示したかつたからである。無論、美意識にも上等下等の別はあつて、樋口一葉の美意識は渡部昇一氏のそれを凌いでいるが、一葉もカトリックであるはずの渡部氏も、もつぱら美意識によつて物を書いてゐる点で何の違いもない。いや、一葉や渡部氏に限らない、われわれは皆、一旦「メロメロッとなつてしま」えば、正義不正義なんぞはおよそ問題にしない。福田内閣が赤軍の要求をのんだのも、日本國民の大半が人質となつてゐる乘客を「おかわいそうに」と思ひ、「メロメロッとなつてしま」つたからにほかならない。 「おかわいそうに」と思ひ、「メロメロッとなつてしま」うと、日本人は凶惡犯でも許したくなる。それゆゑ本年六月十一日付けの『朝日新聞』夕刊に、高木正辛氏は「獄中の岡本公三はいま・・・・・・テルアビブ空港事件から十年」と題してこう書いた。  岡本公三。十年前の五月三十日、日本赤軍の他の二人とイスラエルのテルアビブ空港を襲い、ただ一人生き殘つて終身刑の判決を受け、ラムラ刑務所め獨房に収容されてゐる彼は、いまどうしてゐるか。精神的異常状態も傳えられたその後について、収容所で面會したアメリカ人法學者などのレポートを入手したが、かつてと全く異なる、複雜で、屈折した精神状態の變化が、そこにあつた。パレスチナ・ゲリラも、日本赤軍も、かつてのように岡本の奪還についてはつきりした行動や婆勢をみせていない。いま三十四歳。革命を夢みた末に暴走して、忘れられ、見捨てられ、異國で閉ざされたままの生涯を終わらねばならぬ若者の運命は痛ましい。  十年前のことだから忘れてゐる讀者もあろうが、岡本公三はテルアビブ空港で、自動小銃を亂射し、手投げ彈を投げ、何の罪もない市民二十六人を殺し、七十六人に重輕傷を負わせた凶惡なるテロリストなのである。高木氏の文章を讀んで、讀者は「メロメロッとなつて」しまい、「若者の運命は痛ましい」と思つたであろうか。まさかそんたことはないと私は信じたい。 6.「善人」が政治的「惡人」になる皮肉   オーウェル 『動物農場』  ジョーンズ氏の農場に飼われてゐる動物たちがある夜ひそかに集まつた。長老格の牡豚メージャーの演説を聽くためである。メージャーは語つた、「われわれは、なにゆえ、この悲惨な生活に呻吟し續けなければならないのか。それは、ひとえに、われわれの労働より生ずる収穫のほとんどすべてが、人間によつて盗み去られるから」である、「人間は生産せずに消費する唯一の動物」だが、「それにもかかわらず、彼らは動物たちに君臨してゐる」、それゆゑ「人間どもを追放せよ、しからば、われわれの労働の所産は、われわれの手に歸するであろう。ほとんど一夜にして、われわれは富裕にして自由の身とたる」であろう。  メージャーは三日後老衰のために死ぬ。それゆゑ演説はメージャーの遺言となつたわけであり、動物たちは反亂の準備に取り掛かるが、「同志を教育したり、組織を作つたりする仕事は、自然に豚が引き受けるかたちとなつた。それといふのも、動物の中でいちばん賢いのは豚」だつたからである。なにせ動物たちの中には、動物は飼主であるジョーンズ氏に忠實でなければならない、「あの人がいなくなつたら、われわれは飢え死にするじゃないか」などといふ封建的な、すなわち幼稚な發言をする奴さえいたのである。  反亂は六月のある日「首尾よく成就」した。ジョーンズ氏は追放され、農場は動物たちのものとなり、搾取と虐待から解放された彼らは「今まで想像もつかなかつたほど幸福」になつた。食物の割當ても増え、皆が能力に應じて働き、盗みも喧嘩も嫉妬もたくなつた。そこで豚の中でも「斷然群を抜いていた」スノーボールとナポレオンは、七つの戒律を大納屋の壁に書きつけた。それは「動物農場」の動物たちが「これから永久に守らなければならない不動の法律」であり、「およそ動物たるものは、衣服を身につけないこと」、「ベットで眠らないこと」、「酒を飲まないこと」、「他の動物を殺害しないこと」などの箇條があつて、第七条には「すべての動物は平等である」と謳つてあつた。  いかにもすべての動物は平等であるべきである。けれども一方、動物たちの能力差は歴然としていた。豚は賢くて簡單に讀み書きができるようになつたが、例えば牝馬クローバーはアルファベットは覺えたものの單語を綴れず、牡馬ポクサーはABCDしか覺えられず、器量よしの牝の白馬モリ一は自分の名前しか綴れなかつた。さういふ能力差を無視することはできない。動物たちは毎週總會を開き、次週の作業計畫についての決議案を採択したが、議案の提出者は常に豚であつた。「ほかの動物たちは、票決のやり方は知つていたが、自分たちで決議案を考え出すことはできなかつた」のだ。とすれば、人間の搾取に抗して革命を起こした動物たちが、やがて少數の支配階級と多數の被支配階級とに二分されるようになつたとしても、それは怪しむに足りない。そもそも革命そのものが、豚の指導なしにはありえなかつたのである。  「折から早生種のリンゴが色づき始め、果樹園の草の上には、風で落ちたリンゴが、いつぱいちらばつていた。動物たちは、あれはもちろん平等に分けてもらえるものと思ひこんでいた。ところが、ある日、風で落ちたリンゴは、豚が食べるから、殘らず集めて馬具置き場まで運ぶように、といふ指令が出された」。  支配階級となつた豚たちの言ひ分はかうである。「同志諸君よ!(中略)實をいえば、われわれのほとんどが、ミルクもワンゴも大嫌いなのだ。そんな大嫌いなものを、なぜ食べるのか、といえば、その目的はただひとつ、健康を保持するためなのだ。(中略)われわれ豚は、頭腦労働に從事してゐる。(中略)われわれが、あのリンゴを食べるのも、ひとえに同志諸君のためなのだ。もしわれわれ豚が、その義務を果すことができなくなつたとしたら、いつたいどういう事態が起こるか。(中略)ジョーンズがもどつてくるのだぞ!それでいいのか、同志諸君」。  人間ジョーンズの搾取と虐待から解放された動物たちは、かくして、新手の支配階級たる豚どもに搾取されることとなる。そして、豚の中でも「斷然群を抜いていた」スノーボールとナポレオンがことごとに對立するようになり、やがてトロッキーを追放したスターリンよろしく、ナポレオンは卑劣な手段を用いてスノーボールを追放、七つの戒律をことごとく無視し、冷酷無慙な獨裁者として君臨するようになる。  作者ジョージ・オーウェルはスターリンの獨裁を批判すべくこの寓話を書いた。それは確かだが、讀者はここで、動物農場の動物たちと同樣、人間に能力差がある以上、指導する者とされる者との分裂は不可避で、指導層の増長ないし專横は、不完全な人間のことゆえ、これまた不可避だといふ、苦い眞實を確認しなければならない。  ところで、ナポレオンがスノーボールを追放するまでの經緯はかうである。トロッキーを思はせるスノーボールは「雄弁によつて大多數の支持を得ることが多かつた」が、スターリンを思はせるナポレオンは「會議の合間に、自分の支持票をかき集めるのが上手」であつた。スノーボールは農場に風車を建設し、「風車で發電機を動かし、農場に電氣を供給」しようと提案した。が、ナポレオンは「現在もつとも緊急なことは食糧の増産で、もし風車の建設などにかかずらつて時間をむだにしていたら、みんな餓死してしまう」と主張した。動物たちは分裂し、「スノーボールに投票すりゃ、週三日制」、「ナポレオンに投票すりゃ、飼葉桶がいつぱい」と、それぞれスローガンを掲げて三つの黨派を結成した。農場を奪還せんとしてゐる人間どもの襲撃にどう對處すべきかについても、スノーボールとナポレオンの意見は對立した。ナポレオンは「もし自らを防衞できなければ、必ず征服されるであろう」と言ひ、スノーボールは、この動物農場ばかりでなく、あちこちの農場で動物による革命が成功すれば「自らを防衞する必要など、全くなくなるただろう」と言つた。對立する二人の主張を聞いて動物たちはどうしたか。彼らは「まずナポレオンの言ふことに耳をかたむけ、次にスノーボールの言ふことに耳をかたむけたが、どちらが正しいのか決めることができなかつた」のである。  それなら、さういふ愚かな大衆が相手なら、説得しようと努力することはもちろん、大衆の意向に從うこと、すなわち多數決に從うこともおよそ無意味ではないか、そうナポレオンは考えたに相違ない。そして讀者は反撥するであろうが、さういふ考えにも半面の眞實はある。今日、獨裁政治は國際的に不評だが、獨裁者の登場を促すのは常に衆愚ではないか。風車建設の是非を票決するための總會で、スノーボールは熱弁を揮う。が、それは徒労である。言論を理解できぬ手合を言論で動かせるはずはない。それをよく知つてゐるナポレオンは「風車建設なんてナンセンスだから、だれも賛成しないように」とだけ言ふ。やがて、ナポレオンが密かに飼育していた狼のように獰猛な九頭の犬が會場へなだれ込み、農場からスノーボールを追放してしまつたのである。動物たちは無論ショックを受ける。が、すでに述べたように、豚以外の動物は豚ほど賢くなかつたのであり、それなら、ナポレオンの言ひなりになるしかない。すこぶる善良だがまことに頭の惡い牡馬ボクサーは、懸命に考えてみる。が、「同志ナポレオンがさういふのなら、きつとその通りなのだ」との結論しか引き出せない。スノーボールが追放されてから「三囘めの日曜日に、結局、風車は建設することになつたといふナポレオンの宣言をきいて、動物たちは少なからず」驚いたが、結局彼らは、ボクサー同樣「ナポレオンはいつも正しい」と自分で自分に言ひ聞かせるしかなかつた。  そうなれば、もはやナポレオンの獨裁は留まるところを知らない。「規律だ、鐵の規律だ!」といふことになり、動物たちは酷使され、豚は七つの戒律を次々に無視、ベットで眠り、衣服を身につけ、酒を飲み、動物を殺害し、あげくの果てに二本足で立つようになつて、あろうことか、怨敵たる人間どもを農場に招待し、ビールを飲みつつ談笑するようになるのである。  この世は常に不平等である  繰り返すが、ナポレオンの獨裁を招いたのは動物たちの愚昧なのである。もちろん私は、トロッキーならぬスノーボールのほうが、スターリンならぬナポレオンよりもましだつたのに、愚かな動物たちにはそれが見抜けなかつた、などといふことが言ひたいのではない。革命を決行したことが、そもそも間違いのもとだつたのかもしれないのである。けれども、人間の搾取のほうが豚の圧制よりも遙かにましだつたのに、などと言つてみてもこれまた始まらない。問題は、革命を興そうが興そうまいが、この世は常に不平等であり、してみれば衆愚に正義感なんぞは不要で、力ある者はなしたいことをなし、愚かで力のない者は默つて「なさざるをえぬことをなせ」ばよいのだと、そう言ひ切つてよいものかどうか、である。「空腹と、辛苦と、失望、これが、いつも變らぬこの世の定めなのだ」と、「農場きつての長老」でつむじ曲がりのベンジャミンは言ふ。けれども、そのベンジャミンも圧制の被害は受ける。それに何より、自分が苦しむのはよいとしても、他者が虐待され搾取されるのを坐視できぬといふことがあろう。スターリンも毛澤東も夥しい人間を粛清してゐるが、二人ともまずはその種の正義感に驅られて革命運動に加わつたはずであつて、それゆゑ「動物革命」自體が過ちであつた、などと言つてみても始まらない。人間は正義感に驅られて戰爭をやり、革命をやる。フォークランドやレバノンで流された血が無意味なら、ロシア革命やフランス革命や文化大革命で流された血も無意味なのである。  けれども動物農場には、愚昧ではあるがすこぶるつきの「善き人」が、いや「善き動物」がいた。牡馬ボクサーである。ナチス時代のドイツにも「善き人」はいた。では、政治的に惡しき體制にあつて、道徳的に「善き人」であるといふことは、一體何を意味するのだろうか。  ボクサーは愚かな牡馬である。アルファベットもABCDまでしか覺えられない。けれども、ボクサーはすこぶる善良であつた。ナポレオンの暴政に對しても一切苦情を言わず、スノーボールの手先だつたといふ理由で動物たちが處刑され、「およそ動物たるものは、他の動物を殺害しないこと」との戒律が破られた時も、「わしにはどうもわかちない。この農場にこんなことが起るなんて、どうしても信じられんなあ。きつと、われわれ自身の中に、何かいけないところがあるからなんだ。それを直すには、わしの考えだが、もつといつしょうけんめい働くしかない。これから、わしは、朝、もう一時間早起きするぞ」と呟くだけなのである。  そしてボクサーは默々として文字通り馬車馬のごとく働く。人間どもが農場を奪い返そうと攻撃して來た時、ボクサーは勇敢に戰い、「膝からは血が流れ、蹄鐵が片方なくなり、蹄が片方裂け、後脚には散彈が十二發もうちこまれ」るほどの負傷をしたのだが、それでもボクサーは働くことを止めなかつた。オーウェルの文章を引こう。  ボクサーの裂けたた蹄は、長い間なおらなかつた。戰勝祝賀のすんだそのあくる日から、もう風車の再建が始まつていた。ボクサーは、ただの一日も休もうとはしなかつた。そして、自分の苦しんでいるのを他人に見せないことこそ立派な態度なのだ、ときめていた。しかし、夜になると、こつそりクローバーに向かつて、實は蹄が痛くて痛くてたまらないのだ、と打ち明けた。クローバーは、藥草をかんで作つた湿布をその蹄にあててやり、(中略)もう少し加減して働きなさい、とボクサーに忠告してやつた。「馬の肺はね、めちゃくちゃに長もちするもんじゃないんだから」と、彼女はいつてきかせた。が、ボクサーは頑として聞き入れなかつた。わしには、もう望みは、ただひとつしか殘つていない−それは、引退する前に、風車の建設がすつかり軌道にのるのを、この目で見届けたい、といふことだけだ、といふのだつた。  讀者のことごとくがかういふボクサーの善良に感動するはずである。すなわちボクサーは「善き人」なのである。が、「善き人」は「良き市民」なのか。  善人は良き市民にあらず              T・S・エリオットは『教育の三つの目的』と題する教育論の中で、この「善き人は良き市民か」といふ問題を取り上げてゐる。周知のごとく古代ローマ帝國時代、夥しいクリスト教徒が信仰を守り抜いて殺された。彼らは「善き人」であると言わざるをえまい。「命あつての物種」と考える人たちの無節操や轉向を誰も立派だとは思ふまい。が、殺されたクリスト教徒は、道徳的には「善き人」だつたかもしれれないが、ローマ帝國にとつては體制に反抗する「惡しき市民」ではないか。とすれば、道徳的に「善き人」が政治的に「惡しき市民」であるといふことになるではないか。エリオットはそう言ふのである。 ボクサーの場合も、彼が道徳的に「善き人」であつたことに異論はあるまいが、彼の善良がナポレオンの獨裁體制を利する結果になつたことも確かなのである。それなら、ボクサーの場合は、ローマ帝國時代のクリスト教徒と異なり、「善き人」たるボクサーは獨裁者を利した「惡しき市民」だつた、といふことになる。だが一方、獨裁者ナポレオンにとつて、ボクサーのような愚鈍な正直者の「善人」は、まことに好都合な「良き市民」だつたと、さういふふうに考えることもできよう。では、ボクサーは「良き市民」なのか、「惡しき市民」なのか。  結論から先に言へば、ボクサーはその双方なのである。といふことは、政治的な「良し惡し」は相對的だといふことにほかならぬ。つまり、われわれはここで政治と道徳とを區別せざるをえないことになる。獨裁はまことに怪しからぬ。すべての人間は平等ではないか。さういふことは誰でも言ふ。特に昨今は猫も杓子もそれを言ふ。なるほど、ナポレオンは道徳的に許すべからざる獨裁者である。が、ボクサーは結果的にナポレオンの獨裁を助けたことになる。そして、道徳的に許すべからざる者を助けることは、もとより道徳的に惡いことである。それならボクサーは、道徳的に惡いことを爲した、道徳的な「善き人」なのだろうか。  私は詭弁を弄してゐるのではない。「善き人は良き市民か」といふ問題はことほどさように厄介で、明快な解答なんぞ引き出せはしないのである。  ボクサーは身を粉にして働いて、ある日、遂に倒れる。ナポレオンは農場きつての働き手をウイリンドンの病院へ入院させると言ひ、その實「廢馬屠殺・にかわ製造業」者に賣り渡してしまう。が、誰がいつたいボクサーの愚鈍を輕蔑できるであろうか。  政治音痴を輕蔑するな  ところで、本書に取り上げた作品のうち、私は特にこの『動物農場』の一讀を讀者にすすめたい。私の梗概で間に合わせることなく、オーウェルの原作を讀んでもらいたい。そして、道徳的に善き人が政治的に惡しき人たりうる不思議について、すなわち政治と道徳との對立緊張についてとくと考えてもらいたい。アルファベットもABCDまでしか覺えられないボクサーは、いわば度し難い「落ちこぼれ」だが、ボクサーは深夜信號を無視し、けたたましい轟音をふりまいてオートバイを走らせるわけではない。けれども、善良なボクサーは、ナポレオンの暴政を糾彈することもなく、默々として与えられた仕事に精を出す。獨裁者にとつて、ボクサーのような善人ほど好都合な存在はない。いやいや、今時、そんなボクサーのような善人がいるはずはないと讀者は言ふであろうか。  それなら讀者はこういふことを考えてみるとよい。私の母は七十五歳である。そして私よりも善良である。一方、父は十三年前に死に、私よりも善良であつた。そして父の父、すなわち祖父は奈良縣桜井市の小學校の校長だつたが、連帯保證債務を履行して破産、妻子を養うため校長をやめ、ぼんぼん時計を背負い、それを賣つて歩いたが、村々でかつての父兄や生徒に出會い「校長先生、お早うございます」などと挨拶されるのが何よりも辛かつたといふ。  もとより、挨拶した村人は祖父を困らせようとしたわけではない。ぼんぼん時計を賣り歩く校長先生に出會うのは、村人にとつても辛かつたにちがいない。それはともかく、私は祖父の晩年を知つてゐるにすぎないが、私の知る限り、祖父は父よりも立派で善良だつたように思ふ。そして祖父も父も、この日本國をたいそう愛していたが、イデオロギーなんぞとは一切無縁であつた。いわゆる「政治音痴」だつたのである。  要するにこういふことだ。父は私よりも善良で、祖父は父よりも善良だつたといふことになると、あるいは曽祖父は祖父よりも善良だつたのかもしれない、さういふことになる。そして、そうやつて家系を遡つてゆくと、わが松原家に限らないことだが、われわれは『ぢいさんばあさん』の美濃部伊織やるん、『五重塔』の十兵衞のような人々を見出すことになる。では、「今時、ボクサーのような善人がいるはずはない」として、五十年、百年、百五十年前に確かに存在した美濃部るんのような善人が今日存在しないことを、われわれは手放しで喜んでよいであろうか。伊織もるんも十兵衞もボクサーほど愚鈍ではないが、「政治音痴」であつたことは確かなのである。そして政治に無關心だつたからとて、われわれは彼らを決して輕蔑するわけにはゆかない。すなわちわれわれは、政治の良し惡しと道徳上の善意とを峻別しなければならないといふことになるのである。 7.人間に背負わされた因果な病「なぜ?」   中島敦 『悟淨出世』  流沙河の河底には一萬三千の魚の妖怪が栖んでいたが、悟淨ほど氣の弱い妖怪はなかつた。彼は常に呟くのだつた、「どうして自分は他人と違つて、こんなに氣が弱いのだろう」。そこで、彼は何日も何日も洞穴に籠つて食事もせず、ギョロリと眼ばかり光らせて物思ひに沈んだ。  醫者でもあり占星師でもあり祈祷者でもある老いたる魚怪が、悟淨を診察してこう言つた。「因果な病にかかつたものぢや。此の病にかかつたが最後、百人の中九十九人迄は惨めな一生を送らねばなりませぬぞ。元來、我々の中には無かつた病氣ぢやが、我々が人間を咋ふやうになつてから、我々の間にも極く稀に、之に侵される者が出て來たのぢや。この病に侵された者はな、凡ての物事を素直に受取ることが出來ぬ。何を見ても、何に出會ふても『何故?』と直ぐに考へる。究極の・正眞正銘の・神樣だけが御存じの『何故?』を考へようとするのぢや。そんなことを思ふては生物は生きて行けぬのぢや。そんなことは考へぬといふのが、此の世の生物の間の約束ではないか。(中略)お氣の毒ぢやが、此の病には、藥もなければ、醫者もない。自分で治すよりほかは無いのぢや」  流沙河の河底の妖怪の世界では、文字を輕蔑する習慣があり、文字を解することは「生命力衰退の徴候」と考えられていた。つまり、文學だの哲學だのをやる奴らは、たくましい生活力を失つてしまう、と考えられていた。それゆゑ妖怪共は、悟淨が「日頃憂欝なのも、文字を解するために違ひない」と思つていた。だが、奇妙なことに、「文字は尚ばれなかつたが、しかし、思想が輕んじられてをつた譯ではない。一萬三千の怪物の中には哲學者も少くはなかつた。ただ、彼等の語彙は甚だ貧弱だつたので、最もむづかしい大問題が、最も無邪氣な言葉で以て考へられてをつた」。  『悟淨出世』は、中島敦が昭和十四年に書いた短篇である。  主人公は悟淨だが、彼は「この河の底に栖むあらゆる賢人、あらゆる醫者、あらゆる占星師に親しく會つて、自分に納得の行く迄、教を乞はう」と決心した。最初に訪ねたのは黒卵道人といふ幻術の大家であつた。  けれども、悟淨は失望した。黒卵道人もその數千の弟子たちも、神變不可思議の法術を使つて「敵を欺かうの、何處其處の宝を手に入れやうのといふ《實用的な話》ばかり。悟淨の求めるやうな《無用の思索》の相手をして呉れるものは誰一人として」いなかつたからである。(傍点《》松原)  次に悟淨が訪ねたのは沙虹隠士といふ「既に腰が弓のやうに曲り、半ば河底の砂に埋もれて生きて」いる蝦の精であつた。悟淨は言つた、「自分の聞き度いと望むのは、個人の幸福とか、不動心の確立とかいふ事ではなくて、自己、及び世界の究極の意味に就いてである」。隠士は答えた、「自己だと?世界だと?自己を外にして客觀世界など在ると思ふのか。世界とはな、自己が時間と空聞との間に投射した幻ぢや。自己が死ねば世界は消滅しますわい」  ところで、「個人の幸福とか、不動心の確立とかいふ事ではなく、自己、及び世界の究極の意味」を知りたいと、當節の日本人は決して思ひはしない。そんな「因果な病」にかかつていたら、この日本が世界屈指の經濟大國に伸し上がれたはずはない。  悟淨は沙虹隠士に失望し、次に坐忘先生を訪ねた。坐忘先生は「坐禅を組んだまま眠り續け、五十日に一度目を覺ます」。だが、幸運にも四日待つただけで先生は眼を開いた。が、悟淨の問ひに對して「長く食を得ぬ時は空腹を覺えるものがおまへぢや。冬になつて寒さを感ずるものがおまへぢや」と答えただけで再び眼を閉じ、五十日間それを開かないといつた有樣であつた。  坐忘先生のもとを立ち去つた悟淨は、「流沙河の最も繁華な四辻に立つて、一人の若者が叫んで」いるのを見た。色白のその青年は頬を紅潮させ、聲をからして叫んでいた。  「恐れよ。をののけ。而して、神を信ぜよ。(中略)我々の爲しうるのは、只神を愛し己を憎むことだけだ」。けれども悟淨は思つた、これは確かに「聖く優れた魂の聲」かもしれないが、自分が今必死に求めてゐるのは「神の聲」ではない、頭が痛いのに腹痛の藥をもらつても何の役にも立ちはしない。  快樂主義者になれない悟淨の惱み  ついで悟淨は鯰の妖怪を訪ねて弱肉強食の「苛酷な現實精神」を學び、隣人愛の説教者として有名な無腸公子の演説を聞いた。だが、ともに「納得の行く迄」の教へを授けられはしなかつた。無腸公子は蟹の妖怪だつたが、説教してゐるうちに突然空腹をおぼえ、自分の實の子を二三人、むしゃむしゃ食べてしまい、食い終わつてから、その事實をも忘れたかのように、けろりとした表情で再び慈悲の説を述べ始めたのである。  次に悟淨は蒲衣子といふ妖怪を、蒲衣子の次に斑衣2(けつ)婆といふ女怪を訪ねた。2(けつ)婆は五百餘歳、「肌のしなやかさは少しも處女と異る所がなく(中略)肉の樂しみを極めることを以て唯一の生活信条」としていた。彼女は悟淨にこう言つた、「この道ですよ。斯の道ですよ。(中略)一體、斯の道の外に何を考へることが出來るでせう。ああ、あの痺れるやうな歓喜!常に新しいあの陶酔!(中略)貴方はお氣の毒ながら大變醜い御方故、私の所に留つて戴かうとは思ひませぬから、本當のことを申しますが、實は、私の後房では毎年百人づつの若い男が困憊のために死んで行きます。しかしね、斷つて置きますが、その人達はみんな喜んで、自分の一生に滿足して死んで行くのですよ」。 今のわが國に、坐忘先生のように坐禅を組んで明け暮らす禅僧はいない。けれども、まさか實の子を捕えて食いはしないだろうが、ヒューマニズムを説きながら、すなわち「内なるオキナワ」とて「内なる金大中」とて隣人愛を説きながら、私生活はすこぶるでたらめで、しかもその言行不一致を一向に氣にしない高名な小説家はいる。無論、色欲の滿足こそ唯一の生き甲斐と信じ、千人斬りを標榜して得意になる連中もいる。悟淨は無腸公子の言行不一致の見事に驚き、言行不一致を氣にしない「本能的な・歿我的な瞬間」を持つことのできる無腸公子をほとんど崇拝せんばかりになつたのだが、彼は辛うじて思ひとどまるのである。  2(けつ)婆の「性の哲學」に悟淨が反發したのかどうか、その点について作者中島敦は何も書いていない。「醜いが故に、毎年死んで行く百人の仲間に加はらないで濟んだことを感謝しつつ、悟淨はなほも旅を續けた」と書いてゐるにすぎない。  だが、こうして約五年、「同じ容態に違つた處方をする多くの醫者の間を往復するやうな愚かさを繰返した」悟淨は少しも賢くなりはしなかつた。最後に悟淨は玄奘法師と知り合い、法師の力で、水から出て人間の姿になることができた。そして孫悟空や猪悟能と共に新しい遍歴の旅に出ることとなつた。けれども、悟淨はついに「飜然大悟とか、大活現前とか云つた鮮やかな藝當を見せることは出來なかつた」。すなわち悟ることはできず、「自分の病は自分で治さねばならぬ」と、呟くしかなかつたのである。  實用にこだわりすぎる今の日本人  私はなぜ『悟淨出世』といふあまり知られていない作品を取り上げたのか。悟淨の「因果な病」は今日の日本人にはまつたく無縁のものとなつたと、そのことが言ひたかつたからである。「神樣だけが御存じの『何故?』を考へようとする」こと、「實用的な話」でなく「無用の思索」にふけること、「自己、及び世界の究極の意味」について考えること、すなわち、時代によつて變わらぬ「人生いかに生くべきか」について考えること、それを今の日本人は何よりもなおざりにしてゐる。  西洋の古典を讀み、名著を讀み、われわれは「無用の思索」の價値を知るかもしれぬ。だが、「無用の思索」にふけることはないのではないか。つまり、西洋の名著から得た教養は「付け燒き刃」なのである。中島敦はそれが氣になつてならなかつた數少ない日本人の一人であつた。彼は『かめれおん日記』に、自分は「いそつぷの話に出て來る洒落鴉」だと書いた。  「いそつぷの話に出て來るお洒落鴉。レオパルディの羽を少し。ショオペンハウエルの羽を少し。ルクレティウスの羽を少し。荘子や列子の羽を少し。モンテエニュの羽を少し。何といふ醜怪な鳥だ」。  だが、「醜怪な鳥」は中島敦だけではない。われわれもまた同じであつて、シェイクスピアの羽、ゲーテの羽、トルストイの羽、孔子の羽、孟子の羽、鴎外の羽、漱石の羽・・・・・・。だが、中島敦と異なり、人々はおのれの醜怪に氣付かない。なぜか。悟淨のように眞劍に「自己、及び世界の究極の意味」を知りたいなんぞと、決して思はないからだ。それゆゑ賢人に「自分に納得の行く迄、教を乞はう」などとも思はない。『プロローグ』にも書いたように、ただ、手當り次第に、暇つぶしの本を、あるいは當座の役に立つ實用書を、そのつど讀むばかりなのである。  明治以來われわれ日本人は西洋の文物を熱心に學んだ。けれどもそれはただ、「醜怪な鳥」になつたといふだけのことではないだろうか。鴉が自分の身體に他の鳥の羽を挿して洒落てみたところで、いつたんはばたけば挿した羽はたちまち抜け落ちてしまうのである。  明治の昔、詩人・彫刻家であつた高村光太郎はロダンを尊敬していた。ロダンの作品『ニンフ像』を抱いて寢たいと思つたくらいであつた。けれども、パリ留學中の高村はフランス女をモデルにして粘土をこねていて、モデルの心をどうしても理解できぬことに苛立つた。こうしてフランス女の裸體をうわべだけ模することに一體どれほどの意味があるか、高村はそう考えて苦しんだのである。なるほど、フランス女の心を理解できないのなら、彼の彫刻は「お洒落鴉が挿した羽」にすぎず、ロダンから學んだものは所詮「付け燒き刃」にすぎまい。高村はこう書いてゐる。  獨りだ。獨りだ。  僕は何の爲めに巴里に居るのだらう。巴里の物凄いcrimsonの笑顔は僕に無限の寂寥を与へる。(中略)僕には又白色人種が解き尽されない謎である。僕には彼等の手の指の微動をすら了解する事は出來ない。相抱き相擁しながらも僕は石を抱き死骸を擁してゐると思はずにゐられない。その眞白な3(蟲+巛+鼠)の樣な胸にぐさと小刀をつつ込んだらばと、思ふ事が屡々ある。(中略)駄目だ。早く歸つて心と心とをしやりしやりと擦り合せたい。寂しいよ。  いかに英語やフランス語を流暢にしゃべれても、日本人が西洋女を抱くのは「石を抱き死骸を擁」するようなものであつて、西洋女の「眞白な3(蟲+巛+鼠)の樣な胸」の中は決して覗けはしない、高村はそう言つてゐるのである。  要するに、中島敦も高村光太郎も、鴎外や漱石や荷風と同樣、西洋を理解するむずかしさを充分に意識していたのであつて、日本人がそれを意識してゐることはすこぶる大切なことなのである。中島敦や高村光太郎の時代と異なり、今、西洋の名著は飜譯で手輕に讀める。手輕に讀めるから人々は西洋と日本の相違を氣にかけなくなつた。そしてまた、「自己、及び世界の究極の意味」は何かなどといふ、糞眞面目な問ひを發しなくなつた。「神樣だけが御存じの『何故?』を考へよう」とはしなくなつた。さういふことを考えて働こうとしない西洋人を輕蔑し、明治大正の先輩たちのように、西洋に對して劣等感を抱くといふことがない。それどころか、石油も食料もその九十パーセント以上を海外から輸入してゐるくせに、日本の文化は世界に冠たる一流品だなどと、大眞面目で言ひ張る者もでてくる始末なのである。 8.「騙されて幸福」といふこともある   イプセン 『野鴨』  偉大なる劇作家イプセンの『野鴨』について語る前に、飜譯はないが、アメリカの劇作家の作品を紹介することにする。それはソーントン・ワイルダーの戯曲『フランスの女王』である。  一八六九年のこと、ニューオルリンズのとある法律事務所にひとりの女が訪ねて來る。そして辯語士から驚くべき秘密を打ち明けられる。辯語士はこう言ふ。實は自分はパリに本部を置くある歴史學會のアメリカ代表でもあるのだが、知つてのとおり、フランス革命のさなか、フランス王位の繼承者が突如行方不明になつてしまつた。だが、當學會が調査したところ、この王位繼承者は當時アメリカに亡命し、ここニューオルリンズにしばらく滞在、その子孫がこの地にいるといふ事實が確認され、驚くべし、フランス王家の血統はあなたのお父上が繼いでいるといふ事實が判明した、それゆゑ、あなたがお父上の唯一の跡繼ぎだといふことさえ證明されるならば、あなたこそはフランスの眞の王位繼承者といふことになる。  驚いた女は、最初のうちこそ半信半疑だつたが、うやうやしく「女王陛下」と呼ばれたり、王位繼承のあかつきには巨萬の富と榮光を獲得することになるとかいううまい話を聞かされたりして、次第に辯語士の話を信じるようになる。そして、自分こそ正眞正銘のフランス女王だと信じ込んでしまつた女に辯語士は言ふ、學會では目下この事實を裏付けるべく決定的な證拠の確認を急いでいるのだが、それには多額の費用がかかる、けれども學會は貧乏であつて、それで實は困つてゐるのだ、と。女は辯語士に要求されるままに、學會が保管していたといふ王家に傳わる玉笏だの宝珠だのを買い取り、また、どんな無理をしてでも、證拠固めのための費用を捻出しようと決意する。  こうして女は財産を卷き上げられてしまうわけだが、ある日、辯語士は女を呼び出し、あなたといふフランスの王位繼承者が發見されたといふ事實を世界中に公表するためには、あとひとつだけ重要な證拠書類がどうしても必要なのだが、それがどこを探しても見付からないといふ。  この絶望的な知らせに女は逆上し、辯語士に食つてかかろうとするが、やがて、夢から醒めたような顔をして女はこう言ふのである、「そういえば何もかも變だつた・・・・・・どこかで聞違つたのだとしか思へない。でも、これまでの毎日はとても素晴らしかつた・・・・・・お願い、歴史學會があたし宛に手紙をくださればいい、そして、あたしが多分・・・・・・女王だと、・・・・・・學會が探してゐる王位繼承者だと、學會がそう信じてゐると、さういふ文面の手紙をくださればいい。あたし、その手紙をトランクに仕舞つて置きたい、宝珠や・・・・・・玉笏といつしょに」。  つまり、自分こそはフランスの女王たるべき女だと、それを信じていた時、女はたいそう仕合せだつたのであり、すべては辯語士の惡だくみらしいと感付いても、女は相手に食つてかかろうとはせず、嘘を信じていた頃の幸福を思つたのである。つまり、眞實を知るよりはむしろ、騙されつづけて、それを知らないほうが幸福といふことがあるわけだ。  「イエスの方舟」事件と幸福な娘たち  二年前、新聞や週刊誌が、「若い娘を催眠術や洗腦によつて誘拐する怪しげな新興宗教」とて、しきりに騒ぎ立てた、あの「イエスの方舟」事件を讀者はおぼえてゐるであろう。もとより私は「イエスの方舟」の教祖である千石イエスなる男を辯語しようと思つてゐるのではない。千石氏の信仰はいかさまであると私は思つてゐる。けれども、世間から「邪淫教團」のように言はれ、白眼視され、二年間教祖と共にあちこちと逃げまわつた若い女性信者たちは騙されつづけることに生き甲斐を感じていたのである。『サンデー毎日』の記書よれば、娘たちは生活費をかせぐためキャバレーに勤めたが、いずれも「客と一緒に出勤する“同伴システム”をきつぱり斷」り、自堕落な振舞は一切なかつたといふ。「イエスの方舟」に加わる前、暴力をふるう父親と淫蕩な母親にいや氣がさし、中學三年からぐれ出し、「ハイスパンキーの親衞隊みたいなことやつて、親に默つて外泊したり」していた娘は、毎日の記者にこう語つたといふ。  家庭に愛はなかつた。それに飢えていた私が、ここで初めてみつけたのは男と女のドロドロした愛ではなくて、仲間意識でした。今、父と母に言ひたいことは、自分は今幸せだし、落ち着いて品性といふこともわかつて來たといふことです。  つまり、娘たちがかりに千石イエスに騙されていたとしても、娘たちは騙されていて幸福だつたといふわけである。それに、若い娘だから騙されながら幸福だつたのではない。大の男だつて同じである。例えば、ヒットラーは大衆の心理を掴むことにかけての天才だつたが、ヒットラーに騙されていたと知つた戰後のドイツ人の中には、『フランスの女王』の女主人公と同樣、「でも、これまでの毎日はとても素晴らしかつた」と呟いた者もあつたにちがいない。「知る權利」だの「知らせる義務」だのと紋切型を言ふばかりでなく、騙されることの仕合せといふことをわれわれは少しく眞劍に考えてみたらよいのである。  そこで、さういふことを頭において、イプセンの『野鴨』を讀むことにしよう。かういふ話である。ヤルマール・エクダルは町の写眞屋で、すこぶる貧乏だが、献身的な妻ギーナと、利口で愛らしい娘ヘドヴィと共に、幸福な毎日を過ごしてゐる。ヤルマールは言ふ、「たとえこの屋根の下がいかほど狭く貧しくともだ、ギーナ、これが家庭といふものさ。そしておれは言ふよ、ここにこそ幸福があるんだとね」。  けれども貧乏は苦にしないヤルマールにも「惱みの種」があつた。十四になる娘ヘドヴィの病氣である。友人にヤルマールは打ち明ける。「あの子がわれわれにとつていちばんの樂しみであると同時に、いちばんの惱みの種なんだ、(中略)恐ろしいことに、あれはだんだん視力を失つて行く危險があるんだ。(中略)まだいまのところは、最初の徴候が見えてきたぐらいの程度だからまだしばらくは無事だろう。しかし醫者からは予告されてゐるんだ。どうすることもできないんだつて。(中略)あれはそんな危險があろうとは夢にも知らないよ。嬉しそうに、何の心配もなく、小鳥のように囀りながら、人生の永遠の闇の中に舞いこんで行くのさ。ああ、きみ、ぼくはとてもたまらんよ」  娘ヘドヴィの病氣のほかにもう一つ、ヤルマールにとつて、時々「胸のつぶれる思ひ」のすることがあつた。それは年老いた父親エクダルのあわれな境遇であつた。父親は昔陸軍中尉であり、事業家で狩猟の名手だつたが、「國有地の森林の不法伐採をやつた」として「有罪の宣告を受け」、刑期を終えて刑務所を出て來てからは、卑屈に生きながらも昔日の榮光を忘れられないのである。ヤルマールは言ふ、「例えば家の中にちょつとした祝い事があると、−ギーナとぼくの結婚記念日とか何とかいうような時にはだね−じいさんはきまつて得意の日の尉官服を着こんでくる。ところが、廊下の扉をたたく音でもすると、−よその人に見られるのが恐ろしさに、−あわてふためいて自分の部屋に駈けこむんだ。(中略)きみ、さういふところを見ると、息子としてはまつたく胸のつぶれる思ひがするぜ」  献身的な妻ギーナ、あわれな娘ヘドヴィ及び父親、その三人のためにヤルマールは一所懸命に働き、しかも写眞術を「藝術であると共に科學であるといふところまで高め」うるような發明をして、父親の「名にふたたび榮譽と尊敬を囘復して、親父の心から消え失せた自尊心をもう一度蘇ら」そうと念じてゐる。だが、その「すばらしい大發明が成功するまで」は、ヤルマールは父親の欺瞞的な生き甲斐にも付き合う。欺瞞的な生き甲斐とは何か。ヤルマールの家には「奥行の廣い、不規則な形をした大きな屋根裏部屋」があつて、そこにエクダル老人は鶏や鳩や兎を飼つてゐるのだが、エクダルとヤルマールは、時々「鐵砲を撃つても誰にも聞こえないように、都合よくできてゐる」その屋根裏部屋で、狩猟の眞似事をやる。猟銃ならぬピストルを使つて狩猟ごつこを樂しむのである。  屋根裏部屋には野鴨も一羽飼われていた。その野鴨は「翼の下を撃たれて、飛べなく」なり、「水底にもぐつ」て「藻や水草にしがみつ」いてゐるのを、猟犬が捕えたのであつた。それは屋根裏部屋では「一番立派な鳥」で、十四歳の娘ヘドヴィのものといふことになつてゐる。へドヴィは言ふ、「あれはあたしの野鴨(中烙)。でもおじいさんにもお父さんにも、ほしい時にはいつでも貸してあげる」。そしてもちろん、エクダル老人にとつてもヤルマールにとつても、野鴨の世話は生き甲斐の一つだつたのである。  だが、ヤルマールの學校友達グレーゲルスにとつて、さういふエクダル父子の生き方は欺瞞としか思へない。グレーゲルスはヤルマールに言ふ、「ヤルマールくん、きみにもどこか野鴨に似たところがある。(中略)きみは水の中にもぐつて、底の草にしつかりとしがみついてゐる。(中略)きみは毒の沼の中に迷いこんでいるんだ。(中略)底に沈んで、暗闇の中に死んで行くんだ」。  なぜグレーゲルスにとつて親友ヤルマールの生活は欺瞞としか思へないのか。なぜ「暗闇の中にいる」としか思へないのか。グレーゲルスは恐るべき秘密を知つてゐるからである。  それはこうだ。グレーゲルスの父親ヴァルレ、卸賣商人で工場主の富豪ヴァルレは、昔、エクダル老人と共同で事業をやつていたのだが、エクダルが國有地の不法伐採で有罪になつた時、好計を用いて自分は無罪放免となつた。いや、そればかりか、かつてヴァルレ家に奉公していたヤルマールの妻ギーナを追いまわし、とうとう思ひを遂げ、妊娠したギーナを何も知らぬヤルマールに押しつけ、ヤルマールが「写眞術を習つたり、撮影室を建てたり、開業したりする金」をすべて出してやつたのである。  それをヤルマールは全然知らぬ。すなわち親友ヤルマールは「暗闇の中にいる」。眞實を知らずして、虚偽の上に築いたその幸福は欺瞞である。實の父ながらヴァルレの卑劣は許せぬ。ヤルマールを「虚偽と秘密の中から救いだして」やらねばならぬ。正義漢のグレーゲルスはそう決心したのであつた。  そこでグレーゲルスは、ヤルマールを散歩に誘い、ギーナの過去の秘密を打ち明けてしまう。グレーゲルスがどんなふうに打ち明けたか、それをイプセンは書いていない。『野鴨』は戯曲だから書く必要がない。いや、書かないほうが遙かに効果的である。  散歩から戻つて來たヤルマールが妻に對して示す態度の變化、それによつて觀客は事情を察する。妻と二人きりになると、ヤルマールは言ふ、「おい、お前の聲はふるえてゐるな。それに手もふるえてゐるぞ」。イプセンはこう書いてゐる。 ギーナ:あなた、はつきり言つて下さい。あの人はあたしのことを何て言つたんです? ヤルマール:お前があの家に奉公していた頃、お前とヴァルレの間に關係があつたといふのは本當か?−まさか本當じゃあるまいな? ギーナ:それは嘘です、あの頃といふのは嘘です。ヴァルレさんはあたしの後を追いまわしました。それは本當です。(中略)それであたしは暇をとつたんです。 ヤルマール:じゃ、その後か! ギーナ:ええ、それから家に歸りました。するとお母さんが(中略)なんのかんのとうるさいほど説きつけるんです。ちょうどその頃、ヴァルレさんはやもめになつていたものですからね。 ヤルマール:すると、その時か! ギーナ:ええ(中略)。 ヤルマール:これがおれの子供の母親か!よくそんなことを隠していられたな!(中略)これがおれのヘドヴィの母親か!こうしてみると、おれの眼に映る一切のものが−(椅子を蹴とばす)−この家庭全部が、御親切な先客樣のお陰じゃないか!ああ、あのヴァルレの色魔め!  ギーナは「あの時は言へなかつたんです。だつてあの頃あたしはあなたに夢中だつたんですもの。あたしだつて自分をまるつきり不仕合せな人間にしたくはありませんでした」と言ひ、「あなたは、あたしたちが一緒に暮らしてきた十四年−十五年といふ年月を悔んでいるんですか」と言ひ、「あなた、そんな事を言わないで下さい、ああ神さま」と言ひ、涙を流す。だが、それくらいのことでヤルマールの心は和らぎはしない。  するとそこへ「滿足に輝くような顔つき」のグレーゲルスが入つて來る。この幼稚な正義病患者は、何と、友人夫婦のために自分はいいことをやつてのけたのだと思つてゐるのである。ヤルマールが言ふ、「ぼくは一生のうちで最も悲痛な瞬間を經驗した」。グレーゲルスは答える、「しかし同時に最も崇高な瞬間だろう。(中略)おそらくこの世の中で、罪ある女を許して、愛の力によつて自分と同等にまで高めてやるといふことぐらい幸福なことはなかろうからな」。この正義病患者の鈍感は惡魔的であり、作者イプセンはその鈍感を怒りを籠めて描いてゐる。イプセンは作中人物の一人、醫師レリングにこう言わせてゐる、「あの男は急性の正義熱にかかつてゐる、(中略)これは國民病だよ。もつとも散在的に發生するだけだがね」。  ギーナの過去を知つたヤルマールは、ついで最愛の娘ヘドヴィが實の娘でないといふ事實を知る。ヤルマールは泣きながら言ふ、「ぼくにはもう子供はないのだ!」。グレーゲルスは言ふ、「きみが許すといふ大きな犠牲的精神に徹しさえすれば、きみたち三人は必ず一緒に暮らして行けるはずだ」。しかも彼はヘドヴィに對しては、苦しんでいる父親のために彼女にとつて「一番大事なもの」すなわち野鴨を犠牲にし、そうすることによつて父親に對する大きな愛を示したらいいとすすめるのである。ヘドヴィは承知し、ニクダル老人に頼んで野鴨を撃つてもらうと答える。  やがて幕切れ近く屋根裏部屋で銃聲が聞こえ、グレーゲルスは自分の忠告に從つたヘドヴィの行爲に滿足する。が、死んだのは欺瞞の象徴たる野鴨ではなかつた。ヘドヴィ自身が自殺したのであつた。それを知つてギーナは泣き、ヤルマールも泣く。グレーゲルスは驚く。だが、ヤルマールとギーナが死んだヘドヴィを部屋から運び出すと、彼は醫師レリングに言ふ、「ヘドヴィは無駄に死にはしない。きみも見たろう。この悲しみのために、あの男の心の中に崇高なものが頭をもたげてきたじゃないか」。  眞理のみならず、虚偽をも愛する人間  すでに充分であろう。眞實を知ることはあるいは知らせることは、必ずしも人を仕合せにしないのである。人生、騙されて幸福といふこともある。人間通のイプセンにはさういふことがよくわかつていた。そして『野鴨』の讀者は皆それを半面の眞理だと認めるに相違ない。そしてさういふことを理解しない正義病患者グレーゲルスの鈍感を憎むであろう。  だが、そうしてグレーゲルスの正義感の愚かしさを理解した讀者も、例えば私が「女房に浮氣の尻尾をつかまれるのは、女房を不幸にする、それゆゑ女房は徹底的に騙さなければならない」と主張したら、はたして私に同意するであろうか。グレーゲルスの正義感には思ひやりが欠けてゐるが、浮氣の尻尾をつかまれまいとするのは女房に對する思ひやりであり、それゆゑ推賞すべきことだと讀者は言ふであろうか。  酒を飲みながら歓談する際なんぞに、男たちはさういふ女房騙しの秘訣を公開して樂しむ。けれども、女房を騙してなんらの良心の呵責をも感じない男を、私は信用する氣にはとてもなれない。樋口一葉の『にごりえ』について私は、日本では「甲斐性のある男が妾を囲うのは道徳上の罪ではない」と書いたけれども、それでよいと私は考えてゐるのではない。妻であれ友人であれ、他人を騙すのはよいことではない。他人を騙して得意になつてゐる者も、他人に騙されれば地團駄踏んでくやしがるのである。  私の言ひ分は矛盾してゐると讀者は言ふだろうか。けれども、人間は矛盾のかたまりであり、矛盾を矛盾として承認することこそ人間としてのまともな生き方なのだ。洋の東西を問わず、人間通の賢者はそれをよく知つていた。イプセンだつて、『野鴨』では正義漢を激しく批判したが、『民衆の敵』では孤高の正義漢を熱心に稱えたのである。わが夏目漱石だつて同じであり、單純で痛快た『坊つちゃん』のような正義漢ばかりを漱石は描いたのではない。そして晩年の漱石は『道草』の主人公健三にこう呟かせた、「世の中に片付くなんてものは殆んどありやしない」。 9.純眞な子供の「無知」を破壞しろ   モーム 『雨』  醫師マクフェイル夫妻と牧師ディヴィドソン夫妻の乘つた船が、南洋の港パゴパゴに入港した。目的地のエイビアでは惡疫が流行していて、船はパゴパゴに二週間留まらなければならないこととなる。ディヴィドソンたちがやむなく滞在することになつた宿に、サディ・トムソンといふ名の娼婦がいて、連日船員を連れ込み、蓄音機をかけ、どんちゃん騒ぎをする。牧師ディヴィドソンはそれをやめさせようとして、娼婦にビールを浴びせかけられる。が、それしきのことに驚くような牧師ではない。「あの女にだつてやはり亡びない魂はある」と彼は頑に信じ、懸命に娼婦を更生させようとする。娼婦の魂を救おうとする牧師の執念はすさまじく、そこにはもはや善意の片鱗もうかがえない。 「さあ、いよいよ鞭だ。主イエスがあの神殿から金貸しや、兩替屋を逐い拂つたあの鞭だ」。そう呟く時のディヴィドソンはまるで惡魔のように殘忍になつてゐる。  やがて、その殘忍なまでの情熱が効を奏し、ある日、娼婦は牧師の足元に身を投げ、涙ながらに更生を誓うのである。やはり「亡びない魂」はあつたのであり、一見度し難いほどのあばずれを立ち直らせた「歓喜に圧倒され」て、牧師は醫師マクフェイルに言ふ、「一つすぐに行つてサディを御覧になりませんか?身體の方は別に變りもないでしょうが、彼女の魂ですねえ−魂がすつかり別人になつてますから」。  その後三日間、牧師は更生した娼婦の部屋で、終日聖書を讀み、彼女と共に神に祈る。娼婦はもはや口紅もつけていない。が、四日目の朝、海岸で牧師は死體となつて横たわつていた。殺されたのではない。彼は咽喉を剃刀で斬つて自殺したのである。死體檢分をすませた醫師マクフェイルが宿に戻つて來ると、蓄音機がやかましく鳴つていて、娼婦サディが戸口に立つていた。娼婦はマクフェイルを見るや、ぺつと唾を吐き、こう叫んだのである、「男、男がなんだ。豚だ!汚らわしい豚!みんな同じ穴の貉だよ、お前さん達は、豚!豚!」  つまり、牧師ディヴィドソンは娼婦の魂をいつたん救いはしたものの、その肉體に手をつけて自滅したのである。牧師の失敗を執拗に降り續く雨のせいにする何とも馬鹿げた解釋をする批評家もいるらしい。人間を知らぬ學者馬鹿の解釋である。  むしろ、娼婦の肉體に魅せられたからこそ、彼はあれほど熱心に娼婦を救おうとしたのではないかと、さういふことを考えてみるほうが面白い。なるほど、作者サマセット・モームは牧師に對し批判的で、醫師マクフェイルに對しては同情的だが、マクフェイルのような常識家の中庸が何事においても抜本的な解決になるものでもない。  情熱は常に幾分かの狂氣を合む。そして、更生した娼婦のしおらしさが牧師の肉欲を促したとしても、それはなんら不思議ではない。それに、娼婦サディは元の木阿彌になつたわけではない。牧師の情熱に圧倒され、男のすべてが豚とは限らないと、一時にせよ彼女は思ひ込んだわけであつて、それで彼女がまるきり損をしたことになるはずはない。裏切られたとはいえ、すなわち「騙されて幸福」だつたのは一時だつたとはいえ、彼女が一時牧師を信じたといふ事實を消すことはできない。牧師の思ひ出は一生サディに付き纏うであろう。そしてそれが將來サディを救うか救わないか、それは誰にもわからない。が、牧師はサディのために何かをなしたのである。それだけは確實である。  子供の無邪氣を壞す教師の樂しみ  最近中學生の校内暴力が話題になつてゐる。教育學者はそれを嘆いて、いや、嘆くふりをしてせつせと處方箋を書いて金儲けをしてゐる。だが、子供を教育しようとする衝動を純然たる善意だと思ひ込んでいる手合ばかりだから、彼らの處方箋が役に立つはずはない。シオランによれば、今なおこの地球上には、足手纏いになる老人を食つてしまうすこぶる合理的な蛮族がいるといふ。さういふ野蛮な風習をやめさせたいと願う文明人の衝動ははたして善意かと、シオランは疑うのである。教育衝動も同じことで、子供の無知ゆえの無邪氣や純情を粉砕するのが、教師のつとめなのである。子供はいずれ必ず大人になる。大人になつても無邪氣といふことでは困る。子供の無邪氣を粉砕する殘忍な樂しみに衝き動かされて、ディヴィドソン牧師のように、つい教師は熱心になるのかもしれない。 それはあまりに偽惡的た解釋だと、大方の教師は言ふであろう。しかし、私はかつて教育論の偽善について書いたことがある。非行少女に説教する男の教師が、少女の肉體に眩惑されるといふことはある、必ずある、それを認めたがらない教育論はすべて役には立たないと、さういふ意味のことを書いたことがある。女生徒の肉體に眩惑されて手をつける教師がいる。手をつけない教師も、女生徒の精神に手をつけ、純情ないし無知を破壞する樂しみを味わうであろう。教育とは子供の「無知を破壞する」ことなのだ。  それゆゑ私は、子供の無邪氣を美しいと思ひ、自分の醜惡をうしろめたく思ふような教師を一切信用しない。かつて大學紛爭はなやかなりし頃、親のすねをかじつてゐるからこそ氣樂に正義感に驅られる學生の純眞を、うしろめたく眺めた愚かな教師がたくさんいたのである。いやいや、今だつてたくさんいる。例えば小此木啓吾氏はこう書いてゐる。  現代は(中略)自分の主觀的善意の信じられない時代になつてしまつてゐる。(中略)全く思ひがけない他人への加害で、責められたり、嫌われたりすることへの不安が、いつの間にか私たちをとらえてゐる。(中略)この自覺していない自らの棘に氣づかぬ大人たちの自己欺瞞を告發し、現代的な被害者、加害者の論理を人々の心に浸透させたのが、一九六〇年代から七〇年代にかけて、わが國の大學紛爭の中で爆發的に顕在化した心情主義的運動であつたと思ふ。(中略)そして、學生たちが展開したこのサルトル流の自己欺瞞からの解放運動は、加害者として告發されて衝撃を受けた教師たちの心に、今もなお深い心の痛手を殘してゐる。(『モラトリアム人間の時代』)  「自分の主觀的善意の信じられない時代」は今に限らない。いつの時代にも、「全く思ひがけない他人への加害で、責められたり、嫌われたりすることへの不安」はあつたのである。娼婦サディを更生させようとしたのは、最初のうちは牧師の善意だつたはずである。それなのに、娼婦の肉體に手をつけるといふ、「全く思ひがけない他人への加害」によつて、牧師は娼婦に「責められ」、剃刀で咽喉を斬つて自殺した。  小此木氏のように、深刻な處方箋を書く極樂とんぼには理解できないだろうが、教育とは盲人が盲人を手引きするようなものなのである。「彼らを捨ておけ、盲人を手引きする盲人なり、盲人もし盲人を手引きせば、二人とも穴に落ちん」とイエスは言つた。ディヴィドソン牧師も盲人であつた。目明きではなかつた。それゆゑ、ディヴィドソンも娼婦サディも共に「穴に落ち」たのである。  だが、いかに人格高邁な教育者も、所詮は人間であつて完全ではない。すなわち、非行少女に説教する教師が、少女の肉體に眩惑されるといふことは必ずある。教育とは盲人が盲入を手引きすることであり、教師だけが百八煩惱を脱した聖識者であるはずがない。  ところが、まことに奇妙なことに、自民黨も共産黨も、教師は聖職者であるべきだと思ひ込んでいるらしい。笑止千萬の迷信である。  教師の「ブルービデオ上映事件」のてんまつ  例えば昨年、奈良市の小學校で、校長と男の教師六名が、「白晝、ブルービデオを教室で“上映”」するといふ事件がおこつたが、奈良市の教育委員會は「ひそかに關係者を處分」したといふ。『週刊新潮』によれば、その「ブルービデオテープは、學校に出入りしてゐる大和郡山市内の電器業者が校長に贈つたもので、終業式前日の三月二十三日、校長の誘いで理科準備室に集まり、教室のテレビで約五十分にわたつて上映した」のだが、「たまたま、教材を戻しに來た若い女子教諭が知らずにドアを開け」、發覺してしまい、校長は諭旨免職處分、六人の教諭は文書戒告處分になつたそうである。けれども、校長は教育委員會、教師仲間、及び父兄には評判のよい男であつた。  ところが『週刊新潮』は「いかに評價が高かろうと、白晝、教室でブルービデオを見るなどもつてのほか」だと書いたのである。天邪鬼の『週刊新潮』でさえ、さういふ紋切型を言ふ。それゆゑ、こういふことを言へば怒る讀者もあるだろうが、「たまたま、教材を戻しに來た若い女子教諭」が騒ぎ立てたのは、まつたくもつて愚かしい行爲だつたと、私は思ふ。婦人警官はすこぶる杓子定規で、容赦なく交通違反を咎め、決して情状を酌量することがないといふ。思ふに、「知らずにドアを開け」た女教師も、聖職者たる教師が何たることと、柳眉を逆立て情状を酌量しなかつたのであろう。愚かしいことである。  校長と六人の教諭がなぜ學校を去つたか、その眞相を小學生はいずれ必ず知ることになる。そして、眞實を知ることが子供たちを益するといふ保證はどこにもない。「騙されて幸福」といふことがある。眞實を知らされないほうが、子供たちにとつて仕合せではないかと、さういふことを淺はかな女教師は考えなかつたのである。            けれども、私は奈良市の校長を辯語してゐるわけではない。白晝、校長が教室でブルービデオを見るとは言語道斷のこととして憤激する、さういふことは「世の中に片付くなんてものは殆んどありやしない」といふことを理解できない馬鹿でもやることではないかと、それが言ひたいにすぎない。  宦官による宦官のための教育論  教師は聖職者ではない。日教組は「教師は人類愛の鼓吹者、生活改造の指導者、人權尊重の先達として生き、いつさいの戰爭挑發者に對して、もつとも勇敢な平和の擁護者として立つ」と『教師の倫理綱領』に言つてゐる。一方、『教育基本法』には「われらは、さきに、日本國憲法を確定し、民主的で文化的な國家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の實現は、根本において教育の力にまつべきものである」とある。ともに綺麗事であつて、政治家の國會答弁と同樣、美辭麗句にすぎない。『教師の倫理綱領』も『教育基本法』もいずれ人間について無知な教育學者が書いたものだろうが、さういふ學者馬鹿の心にもない綺麗事と、例えばモームの『雨』に描かれた聖職者ディヴィドソンの執念及び挫折と、兩者の間には何と大きな懸隔があることか。  うろおぼえだから正確な引用はできないが、かつて女子學生を強姦したとして、青山學院大學の春木教授が訴えられ逮捕された頃、三浦朱門氏が、「眞實、學問が好きで、教授を尊敬してゐるのなら、女子學生が教授と懇ろな仲になつて何が惡いか」と書いたことがある。まつたく同感だが、人間に通じていない學者馬鹿はこういふことを口が裂けても言わないのである。それゆゑ私は學者の書く教育論を一切信用しない。おのれの中にも間違いなく春木教授がいて、自分もいつ何時ディヴィドソンの二の舞にならないとも限らないと、さういふことを考えない手合の教育論は宦官による宦官のための教育論である。三度の飯より學問が好きな女子學生が、はたしてこの日本といふ國に存在するかどうかは、この際問わないとして、女子學生が教授と懇ろな仲になることをひたすら警戒するならば、教授のほうでもまともに付き合う氣にはなれないであろう。先に引用した齋藤隆介氏の『職人衆昔ばなし』に出てゐる話だが、鋸目立職の土田一郎氏は、「十三歳の頃から大工道具集めに凝り」、十四歳の時、鉋鍛冶の名人だつた千代鶴是秀氏に會い、當時六十九歳だつた千代鶴翁にすつかり傾倒したといふ。土田氏はこう語つてゐる。  あれから、八十四歳で亡くなつたお爺さんと病床でビールの別れの杯を交すまで、十六年間に私、三千囘は會つてるでしょう。お爺さんはもつと若い頃は象牙の義齒をしていたんだそうですが、私が足繁くお目にかかつていた頃は貧乏してそんなものもありませんでした。  上二枚、下二枚しか齒のない口で喋る話なので一度では分らず、二度聞いてようやく分つても今度はその意味の深さが理解出來ない。何度か聞いてゐるうちにやつと分つて胸に落ちる。それを大事に頭の藏にしまつておく。ひと頃はほとんど毎日通いました。  この爺さんから秘傳を授けてもらうしかないと思つたから、土田氏は十六年間に三千囘も千代鶴是秀に會つた。三千囘も會つて懇ろな仲になつた。そしてまた、秘傳を授けてくれるのはこの爺さんしかないと信じていたから、「上二枚、下二枚しか齒のない口で喋る話」を、全身これ耳、眞劍に聽いたのである。もとより私は今や遊園地となつた大學の女子學生の眞劍なんぞを信じてはいないが、教授と「十六年間に三千囘も」會つたら、懇ろな仲とならないほうが不思議ではあるまいか。 10.簡單明瞭な道理が理解できぬ「複雜人間」   モーパッサン 『脂肪の塊』  普佛戰爭はフランスの敗色濃厚、プロシア軍に占領されたルーアンから脱出しようとする人人を乘せた一臺の馬車が、ある日、フランス軍の駐留してゐるル・アーヴルヘと向かつた。馬車には葡萄酒卸商、縣會議員、そして伯爵が、いずれも夫婦づれで乘つていたが、その他に二人の修道女と、ひとしきり「みんなの視線を集め」た男と女がいた。男は「身分の高い人たちの恐怖の的」である民主主義者のコルニュデ、女はブール・ド・シュイフ(脂肪の塊)といふ綽名の太つた愛くるしい娼婦であつた。  雪のため馬車は晝食をとる予定のトートにはなかなか着かず、一行は空腹に苦しむが、唯一人食物を用意していた氣立てのよい娼婦のお蔭で急場をしのぐことができた。それまで皆は彼女を大いに輕蔑していたのだが、それをきつかけに娼婦と親しくなり、彼女のプロシア兵相手の勇ましい振舞を知つて、その愛國心の強さに感心する。  その夜はトートに泊まつたが、翌朝、一行はプロシア軍の隊長に出發を阻止される。ブール・ド・シュイフが飜意しない限り出發は許さないといふのである。だが、「飜意」とは一體どういふことか。作者モーパッサンの文章を引こう。  みんなはブール・ド・シュイフを取り囲んで質問し、例の士官訪問の秘密をぶちまけてくれと頼んだ。初めは首を振つていたが、やがて激昂のあまり叫んだ。−「あいつの考えてゐること?・・・・・・あいつの考えてゐること?・・・・・・あたしと一しょに寢たいんですとさ」。ぶしつけな言葉だつたが、氣を惡くするものは一人もなかつた。それほどみんなの憤慨は激しかつた。コルニュデはコップを亂暴にテーブルヘもどした拍子に、コップをこわしてしまつた。それは卑しい軍人に對する彈劾の叫びであり、憤怒の吐息であつた。(中略)ああいう連中は大昔の野蛮人式に振舞うのだと、伯爵は噛んで吐き出すようにいつた。婦人連は別してブール・ド・シュイフに力強い愛撫的な同情の意を表した。  が、翌日になると娼婦に對して「どことはなしに冷淡な空氣がかもし出され」、さらにその翌日は、「あのみじめな女の手足を縛り上げて敵の手に渡そう」と言ふ者も出て來る。いつまでも汚い旅籠屋に滞在するわけにはゆかないし、それに何より、早く出發しないとここトートが戰場になる危險もある。そこで一同は策略をめぐらし、娼婦の飜意を促し、遂に隊長のもとへと追いやるのである。  ブール・ド・シュイフと寢たプロシアの隊長は、翌朝、一行の出發を許す。馬車はトートの町を出る。が、皆はブール・ド・シュイフを「まるでスカートに病毒を仕込んできたとでもいわんばかりに」取り扱い、食事どきになつても、何の用意もできずに乘り込んだ娼婦に食物を分けてやるどころか、聲を掛けてやろうともしない。娼婦は泣き出す。するとロワゾー夫人は言ふのである、「恥かしいことをしたといつて泣いてゐるわ」。  だが、乘客はなぜ恩人とも言ふべき娼婦の善意を踏みにじつたのか。賣春婦に救われたといふ事實が不快なのであろうか。そうではない。トートに着く前、食物を分けてもらつた時、彼らは皆娼婦に感謝し、彼女の愛國心に感心したのである。プロシア士官の要求を知つた時も、「婦人連は別してブール・ド・シュイフに力強い愛撫的な同情の意を表した」のである。  つまり、皆が娼婦を「尊敬」したのは彼女の愛國心に打たれたからであり、それは無論、彼らの愛國心のなせる業にほかならない。だが、娼婦を飜意さすべく懸命になつてゐる時の彼らにもはや愛國心はない。彼らはおのが生命のことしか考えていない。愛國心などといふものは、通常、その程度のものでしかないのである。自分の命を救うかそれとも國を救うかとの選択を迫られれば、大抵の人間はおのが命のほうを選ぶ。  土壇場ては誰しもエゴイストになる  アイヒマン裁判を論じたハンナ・アレントの著書の一節を引いてノーマン・ポドーレツが書いてゐることだが、「ナチスはユダヤ人絶滅計畫を遂行するためにユダヤ人の協力を必要とし、そして實に異常なほどの協力を受け」た、そしてユダヤ人でありながら、ナチスに協力してユダヤ人を裏切つた手合は「新しい權力を享受した」といふ。  要するに、平時において愛國心を云々するのはたやすいことなのだが、人間は皆エゴイストなのだから、切羽詰れば自分の身の安全しか考えはしないのだと、少なくとも、そう考えておくことが必要である。人間は皆エゴイストであつてよいと私は言ふのではない。ディエップに向けて走る乘合馬車の乘客が、ブール・ド・シュイフの純情を眩しいと思はず、自分のエゴイズムの醜惡をうしろめたく思はないのは許し難いのである。ブール・ド・シュイフは馬車の中で泣き續ける。が、讀者は例外なしに娼婦の純情と愛國心を稱えるであろう。けれども、悲しいことだが、平時、書齋で『脂肪の塊』を讀み、ブール・ド・シュイフに同情する讀者の全部が、切羽詰つた時、ブール・ド・シュイフのように振舞うとは限らない。そして、身分職業の貴賎や教養の有無は愛國心とはほとんど無關係なのである。  それゆゑに私は、平時に「ひたすら國を愛す」と廣言する手合を、いわゆる「憂國の士」を全面的に信用しないようにしてゐる。のちに觸れるが、D・H・ロレンスは一見すこぶる「清純」なエドガー・ポウの「愛の小説」を「すこぶる猥褻」と評した。  私は三島由紀夫の『憂國』は「すこぶる猥褻」だと思ふ。あれはポルノだと思ふ。その理由を今は詳述しないが、例えば、森鴎外が『津下四郎左衞門』を書いていた時、鴎外は津下四郎左衞門にも、津下が殺した横井小楠にもあやかりたいと思つていたのである。けれども三島は、『憂國』の主人公である青年將校とその妻に溺れきつてゐる。作中人物に「あやかりたい」と思つてゐる鴎外は、自分が津下でも横井でもなく、津下にも横井にもなりきれないことを重々承知して書いてゐる。が、三島は自分が青年將校になつたつもりで陶酔して書いてゐる。それゆゑ、もしもロレンスが『憂國』を讀んだなら、「これは自慰である、すこぶる猥褻である」と評するにちがいない。  要するに、平時に愛國心に溺れるのは多少いかがわしいのであつて、「人間は皆エゴイストなのだから、切羽詰れば自分の身の安全しか考えない」。さういふ苦い眞實を忘れてゐる憂國の言論には、「内なるオキナワ、内なる金大中」とか、「世界は一家、人類は兄弟」とかいう偽善の言論に對する場合と同樣、眉に唾をつけて接したほうがよい。  さういふことを考えながら、次に引用する小林秀雄氏の文章を讀んでみるとよい。これは戰時に書かれた文章なのである。  戰が始まつた以上、何時銃を取らねばならぬかわからぬ、その時が來たら自分は喜んで祖國の爲に銃を取るだろう、而も、文學は飽く迄も平和の仕事ならば、文學者として銃を取るとは無意味な事である。戰うのは兵隊の身分として戰うのだ。銃を取る時が來たらさつさと文學など廢業してしまえばよいではないか。簡單明瞭な物の道理である。現代の知識人には、簡單明瞭な物の道理を侮る風があるが、簡單明瞭な物の道理といふものが、實は本當に恐いものなので、複雜精緻な理論の嚴めしさなぞ見掛け倒しなのが普通であります。人間だつてそうだ。單純率直な人間が恐いのだ。尤も、それには、所謂複雜な心の持主といふ樣な近代文學者の愛好する人間タイプの退屈さ無力さが、身に沁みて解つて來なければ駄目なのでありますが。  さて、一文學者としては、飽くまでも文學は平和の仕事である事を信じてゐる。一方、時到れば喜んで一兵卒として戰う。これが、僕等の置かれてゐる現實の状態であります。何を思ひ患う事があるか。戰に處する文學者としての覺悟などといふ質問自體が意味を成さぬ。さういふ質問が出るといふ事が、そもそも物を突き詰めて普段考えておらぬ證拠だと思ひます。僕の言ふ樣な考え方は、矛眉してゐるではないかと言ふかも知れないが、世の中を矛宿なく渡ろうといふ考えの方が餘程お目出度い考えではありませんか。そしてお目出度い事だと、本當に腹に這入れば、矛盾も決して矛盾ではないのであります。 (『文學と自分』) 第三章 愚者の蜜を吐け 11.戰爭はなくせるといふ「平和屋」の馬鹿   フローべール 『聖ジュリヤン傳』  ジュリヤンの父親は領主で、「丘の中腹の、森にかこまれた城」に住んでいた。母親は「色白く、やや氣位の高い眞面目な」女であつた。ジュリヤンがうまれた時、母は夢を見た、「粗末な僧衣をまとい、脇には數珠をさげ、肩には乞食袋をかついだ」隠者が、「御子息は聖者になられますぞ」と枕もとで囁く、さういふ夢だつた。いや、それは夢かうつつかわからぬ出來事だつたのである。  一方、ジュリヤンの父親も幻影を見た。霧の中に一人の乞食が立つてゐるのを見た。乞食がとぎれとぎれに言つた。「ああ、御子息は・・・・・・多くの血・・・・・・多くの譽れ・・・・・・絶えず幸福に・・・・・・帝王の御身内・・・・・・」と言つた。  夫婦はたがいに奇怪な出來事を隠して語らなかつた。けれども「ジュリヤンには限りない心を注いだ」。  ジュリヤンが七歳になると母は歌を、父は馬術を教へ、そして「學問の深い老僧が聖書やアラビア數字やラテン學を教へ」た。父はジュリヤンが將來立派な武人になるだろうと思ひ、母は大司教になるだろうと思つた。だが、ある日、ミサの最中、ジュリヤンは、壁の穴から、一匹の白い小鼠が出てくるのを見つけた。次の日曜日、「またあの鼠が出てくるだろうと考えると」、ジュリヤンは落ち着かなかつた。そしてやがて鼠が「憎らしくなつて、退治てやろうと決心し」、次に鼠が姿をあらわした時、ジュリヤンは鞭で叩き殺した。  鼠の次は小鳥であつた。蘆の筒を吹矢にして小鳥を射落とすのである。思ひどおりに命中するのが樂しかつた。うれしくて笑わずにいられなかつた。鳩に石を投げ打ち落としたこともある。死にきれずに「體をぴくぴくさせて」いる鳩の首を絞めると、「鳩の體が痙攣するのがジュリヤンの胸をときめかせ、體のうちに血の湧くような、生々しい快感をそそつた」。  父親から狩猟の技を教へられ、やがてジュリヤンは鷺や鷲や鴉やはげ鷹を獲るようになる。猟犬を使つて鹿も獲つた。「湯氣の立つ皮から引きちぎつて鹿の肉を食べる韃靼犬の狂暴なさまを眺め」るのは「いい氣持」であつた。   こうしてジュリヤンは次第に「野獸のよう」になり、雨の日も風の日も狩に出かけ、熊を刺し、野牛を殺し、猪を屠つた。狼の群とも渡り合つた。  けれどもある日、仔鹿をつれた牡牝の鹿が眼にとまり、仔鹿を射殺したところ、母鹿は「天を仰ぎ、深い、悲痛な、人間のような叫びをあげた」。ジュリヤンは母鹿を射殺した。以下、作者フローベールの文章を引く。  牡鹿はこれを見て、跳びあがつた。ジュリヤンはそれへ最後に殘る矢を放つた。矢はその額にあたつて、ぐつと突きささつたままである。牡鹿はそれを物ともせぬとみえた。死骸の上を踏み越えて、ぐんぐん近づき、ジュリヤンに向つて飛びかかり、突きたてようとした。ジュリヤンは言ひしれぬ恐怖に後ずさりした。(中略)鹿は立ちどまり、焔のように眼を輝かし(中略)三度繰返した。「呪いあれ!呪いあれ/呪いあれ!猛々しい奴め、いまに自分の父を殺し、母を殺すぞ!」  以來、ジュリヤンは「武器を恐れ」るようになり、いまに自分はきつと父母を殺す羽目になると考え、家を出てしまう。家出して野武士の群に身を投じ、一軍の將となり、オクシタニアの皇帝を救い、その娘と結婚し、もう戰爭も狩猟もやらず平和に暮らすこととなつた。が、ある日、ジュリヤンの留守中に、父母がたずねて來る。愛する息子に會いたさに、「漠然とした手がかりをたどつて」、無一文の乞食同然となりながら數年間歩きつづけ、やつと息子の居場所を突き止めたのである。ジュリヤンの妻は「自分の寢床に二人を寢かせて、窓を閉めた」。  翌朝、ジュリヤンが戻つて來て、妻の寢室へ入る。ベッドに二つの頭が並んでいる。その一人は男だ。「男だ!妻といつしょに男が寢てゐる!」。ジュリヤンは短刀で二人を刺し殺す。つまり、彼は父と母を殺してしまつたわけである。  ジュリヤンは館を飛び出し、乞食になる。「人氣のないところを求め」さまようが、「夜ごと、夢のなかでは、親殺しがくりかえされ」るのであつた。鐵釘を縫い込んだ苦行衣をまとい、「さまざまな危難のなかに身をさらし、火事の中から中風の老人を助けだし、淵の底から子供を救つた」りもした。だが、苦しみは一向に癒えず、死ぬ決心をしたくらいであつた。  ところが、ある夜、ジュリヤンは癩病の男に會う。身體中かさぶただらけ、「骸骨のように、鼻のところが穴になつて」いる。癩病患者に「腹がすいた」と言はれるとジュリヤンは食物を与え、「寒氣がする」と言はれると自分の寢床に寢かせ、「温めてくれ」と言はれると、裸になつて抱いてやり、「ああ、死ぬ!温めてくれ、體ごと!」と言はれると、「ジュリヤンは、口に口、胸に胸を押しあてて、その上にぴつたりとかぶさつた」。 すると、「癩病の男はジュリヤンを抱きしめた。その眼はたちまち星の光を放ち、髪は日輪の光芒のごとく伸びた。(中略)溢れるばかりの歓喜、人の世ならぬ法悦が、氣を失つたジュリヤンの心のなかに、洪水のように押し寄せた。そして兩腕にジュリヤンを抱きしめてゐる人は、しだいしだいに大きくなつて、(中略)ジュリヤンは、自分を天に連れて行く我が主イエス・キリストと相向つて、青々とした空間に昇つた」のである。  人を殺すのも人間の性である  アルベール・ティボーデの言ふように、われわれはジュリヤンの運命に「ただ超自然的恩寵によつてしか洗い清められるすべのない人類全體の姿をみとめる」のである。つまり、われわれにとつて殺すことは快樂なのであり、それは、「われわれ人間一般の性」なのだ。そして「悔悛の強さと流された夥しい血」が均衡を保つ限り、ジュリヤンの生は、いやわれわれの生は、「存在するに價する生」となる。以下ティボーデの文章を引用するが、『まごころ』のフェリシテを思ひ出しながら、ゆつくり讀んでもらいたい。  『聖ジュリヤン傳』と『まごころ』は、ともに同じ宗教的・キリスト教的リズムのなかでとらえられ、誠實にまた率直に内面の欲求に應じた作品である。(中略)この二つの作品はいずれも勝利と安らぎにむかう。フェリシテの死もジュリヤンの死も、ともに《存在するに價した生の完遂》である。彼らの死の床にあらわれる力は光の力であり、フローベールが盲人の姿に託してエンマ・ボヴァリーのかたわらに、彼女の劫罰と敗北の生の象徴としておいた、あの闇の力とはまつたく反對のものである。なぜならフェリシテの生もジュリヤンの生も、エンマの生とは反對に勝利の生なのだからだ。しかもそれは《人間性の兩端、これを等しく包含することがキリスト教の勝利であるような兩端》において、勝利をしめてゐるのだ。フェリシテの生が《もつとも單純な生》の典型であるのに、ジュリヤンの生は《もつとも悲劇的な生》の典型である。フェリシテの生は、《歴史をもたぬ生》と言へばうまく言ひあらわされるだろう。ドリュモンはそのことをこう書いてゐる。「その間王位が二度三度と崩れていつたこの六十年を、ちょうど深い安息にある腔腸動物が恐しい嵐にも亂されないように、このこころやさしい女は、動揺することもなく過していつた」。これに反して、父と母を殺す運命にあるジュリヤンの生は悲劇的な生であり、(中略)彼を悲劇の斜面に轉々させるあの弑逆の運命に、われわれは、この運命を體内に有し、ただ超自然的恩寵によつてしかこれから洗い清められるすべのない人類全體の姿をみとめるのだ。二十日ねずみの血を流すことからはじまつて、ついには二親を殺害するに至るまで、ジュリヤンは宿命の渦に卷きこまれていくのだが、この渦は彼の性そのものであり、またわれわれ人間一般の性であるがゆえに、彼を離すことはないだろう。一方には下降してゆく斜面があり、また一方には上昇してゆく斜面がある。殺戮をおかした人間のあとには自分をあたえる人間があらわれ、《悔悛の強さと流された夥しい血は均衡を保ち、恩寵にみちた秤が殺戮にみちた秤を次第に償つてゆき、そしてその上にイエス・キリストに身を變じた癩者が、聖者と化した罪人を伴つて昇天してゆく。(『フローベール論』、戸田吉信譯、冬樹社、傍点《》松原)  フローベールもティボーデもクリスト教國の文學者である。それゆゑ彼らにとつてフェリシテの一生のような「もつとも單純な生」も、ジュリヤンのそれのような「もつとも悲劇的な生」も、ともに「勝利の生」とみなされる。フェリシテの一生は「歴史をもたぬ生」であり、「王位が二度三度と崩れ」ようと、「こころやさしい」フェリシテの生き方には何の影響も及ぼさない。彼女の一生は「カイゼルのもの」すなわち政治とは何の關りもない。彼女の献身の對象は、オバン夫人であり、ポオルであり、ヴィルジニーであり、甥のヴィクトールであり、最後は剥製の鸚鵡であつて、イデオロギーではない。彼女のような人間にとつて、國家の組織形態なんぞはおよそ問題にならない。君主政治が行われていようと、民主政治が行われていようと、フェリシテの「まごころ」に何の變化もありはしない。それは誰しも認めざるをえないことだろうと思ふ。そしてクリスト教はフェリシテの一生のような「もつとも單純な生」を、「勝利の生」とみなすのである。  では、森鴎外の描いた美濃部るんはどうであろうか。るんも献身の一生を過ごした。それなら、るんの一生もまた、フェリシテのそれと同樣、「存在するに價した生」であつたと言わねばならない。「封建時代の愚かしい女の、愚かしい忍從の一生」だなどと斷じて言ふわけにはゆかないのである。  だが、ここに一つ難問がある。フェリシテや美濃部るんのように生きることが立派だとして、それなら獨裁者が君臨する國家において、彼女たちのように政治には全く無關心に生きることははたして善いことであろうか。けれども、この難問については、ジョージ・オーウェルの『動物農場』について語つた際にとくと考えた。それゆゑ、ここでは繰り返さない。  ライオンはライオンを、虎は虎を殺さない  次にティボーデの文章がわれわれに教へるのは、「人間性の兩端」を「等しく包含することがキリスト教の勝利」だといふ点である。ジュリヤンは、死にきれずに「體をぴくぴくさせて」いる鳩の首を絞め、「血の湧くような、生々しい快感」を體驗する。すでに述べたように、人間は殺すことの快樂を知つてゐる。四年前、滋賀縣の中學生が「寢てゐる仲間のノドをかき切つて殺し、あるいは腹を刺し、木刀でめつた打ちにする」といふ事件があつた。その事件について『週刊朝日』の記者はこう書いた。  ごく普通といえる中學生が、仲間同士のスジを通すために、あるいは根性を見せるために、何のためらいもなく殺人に突つ走る、といふのは確かに大人の理解を超えてゐる。恐るべき短絡である。なぜか。學校も、警察も、本人たちも父兄も、この問ひに答えられる者はいない。(『週刊朝日』昭和五十三年三月三日號)  フローベールの『聖ジュリヤン傳』の讀者は、「この問ひに答えられる」と思ふ。子供であろうと大人であろうと、人間には殺戮を快とする本能がある。ライオンも虎も飢えた時には鹿や兎を殺す。けれどもライオンはライオンを殺さない。虎は虎を殺さない。ライオンも虎も、飢えをいやすべく殺すのであり、殺すことを快として殺すわけではないからだ。しかも、「スジを通すために、あるいは根性を見せるために」同類を殺すのは人間だけなのである。  しかし、人間がそうして殺すことの快に溺れ殺戮を繰り返しても、「流された夥しい血」と「悔悛の強さ」とが「均衡を保」つならば、その「悲劇的な生」は「勝利の生」となる。フローベールもティボーデも、そう主張してゐるわけである。  いや、それはフローベールやティボーデに限らない。クリスト教國の文學者は、いや文學者のみならず政治家も軍人も、聖職者も俗人も、「流された夥しい血」と「悔悛の強さ」が「均衡を保」つならば、いかに「悲劇的」ではあつてもそれを「勝利の生」として是認する。シェイクスピアの『マクベス』に感動したエリザベス朝のイギリス人も、フォークランド戰爭を支持する現代のイギリス人も、正義ゆえに「流された夥しい血」、あるいは「悔悛の強さ」と「均衡を保」つ「夥しい血」を是認するのである。  けれども、さういふことがわれわれ日本人には最も理解し難い。『週刊朝日』の記者は「スジを通すために、あるいは根性を見せるために」同級生を殺した中學生について「大人の理解を超えてゐる」と書いた。フォークランド戰爭も、イラン・イラク戰爭も、「スジを通すため」あるいは「根性を見せるため」の戰爭だが、いずれも大方の日本人の「理解を超えてゐる」。それゆゑ、例えば『東京新聞』の社説は、「國際世論の圧力でアルゼンチンに撤退を促し、交渉解決に導くことが、大國たる英國のとるべき道ではなかつたか」などと書いたのである。だが、ベトナム軍がカンボジアヘ攻め込んだ時も、ソ連軍がアフガニスタンヘ攻め込んだ時も、「國際世論の圧力」なんぞ何の役にも立たなかつたではないか。  要するに平和憲法を遵守するわれわれ日本人は、正義ゆえに流される「夥しい血」を是認できないのである。それゆゑ、いかなる屈辱をも甘受して「スジを通す」などといふことはせず、「根性を見せる」こともせず、ひたすら諸外國の「公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと」考えてゐる。つまり、われわれにとつて大事なのは「安全と生存」であつて「公正と信義」ではない。「公正と信義」のほうは人任せでやつてゆくと、わが憲法は明言してゐるのである。それゆゑ、著名な國際政治學者が次のように書き、誰もそれを怪しまないといふことになる。  いずれにせよ、安全保障の根本問題は、有事のさい、その國民の大半が《守るべき中核價値》と信じてゐる上位の價値を守るため、それよりも下位とされてゐるものを一部、犠牲に供する、といふ手段の選択をともなうことである。たとえば、あの軍國主義日本ですら、戰爭末期、國家主權の獨立や國體の誇りすら放棄するといふ民族的《屈辱を甘受》して、本土決戰をあきらめ、國民の《生存と將來を優先》させた。(永井陽之助・『モラトリアム國家の防衞論』、傍点《》松原)  言ふまでもなく「スジを通す」ためには「守るべき中核價値」を所有していなければならない。が、永井氏によれば、日本人にとつての「中核價値」は「國家主權の獨立や國體の誇り」ではなく、國民の「生存と將來」なのだ。無論、日本國の首相は知らず、自國民の「生存と將來」を考えぬ指導者はいない。が、「國家主權の獨立や國體の誇り」を放棄してまでも、「生存と將來を優先させ」ることをよしとする指導者もまたいない。ソクラテスが言つたように、長く生きることよりもよく生きることのほうが大切だからだが、さういふことを今日の日本人はまるきり理解しない。日本人の「中核價値」は長生きして贅澤をすることだからである。けれども、フローベールもティボーデも、フェリシテのように生きることと同樣に、ジュリヤンのように生きることをも立派だと考えてゐるのであり、長生きしようと努力することが「中核價値」を守ることだなどとは考えていない。「屈辱を甘受して生存と將來を優先させ」るよりも、彼らは「夥しい血」を流すことを選ぶ。ポートスタンリー決戰の迫つた去る六月十二日、イギリスのパーキンソン保守黨全國委員長は「きわめて近いうちに、われわれは、もつと多くの死傷者を出す激しい戰鬪を覺悟しなくてはならない」と語つた。(『朝日新聞』六月十三日付朝刊)また、レバノン侵攻を前にしてイスラエルのベギン首相も、「時として息子たちを戰場に送り出すことを決斷しなければならない。それがイスラエルの親といふものだ」と語つた。(『サンケイ新聞』六月十三日付朝刊)フローベールやティボーデと同樣、パーキンソンもベギンも、流血囘避を最優先に考えはしないのである。フローベールはフェリシテの献身を、悔悛したのちのジュリヤンのそれと同樣に、見事だと思つてゐる。けれども、癩病の男を抱くジュリヤンの見事は殺戮の快をくぐりぬけた男の見事であり、フローべールはそれをも、すなわち殺戮の快をも見事だと思つてゐる。ティボーデの言ふように、その双方が「人間性の兩端」であり、その兩端を「等しく包含することがキリスト教の勝利」だと信じてゐるからである。さういふ手合を、すなわちフローべールやティボーデやパーキンソンやペギンのような人間を、この地上から一掃しない限り戰爭を根絶することは決してできないであろう。 12.「性善・性惡説」では割り切れない人間の性   ドストエフスキー 『貧しき人々』『地下生活者の手記』  五十歳ばかりになる貧しい下級官吏、マカール・ジェーヴシキンは、遠縁にあたるみなし子の娘ヴァルヴァーラの不幸な境遇に同情、あれこれ助力の手を差し伸べる。ペテルブルグの下宿に住まわせ、自分もその近所に部屋を借り、頻繁に手紙をやり取りし、何くれとなくヴァルヴァーラの面倒を見るのである。ヴァルヴァーラはマカールの親切に心から感謝しつつも、貧しいマカールが自分のために拂つてくれる犠牲の大きさに心を痛め、自分のために金などつかわないようにしてほしいとしきりに頼むのだが、ヴァルヴァーラを滿足させることに生き甲斐を覺えるようになつていたマカールは、自分の衣服を賣り拂つたり、給料を前借りしたりしてまで、一途にヴァルヴァーラに尽くすのである。そんなマカールにある日ヴァルヴァーラはこう書き送る。  わたしはあなたのお手紙を一つ一つ注意して拝見しておりますが、どのお手紙でも、わたしのことで氣を揉んだり苦しんだりして、ご自分のことはちつともおかまいにならないのが目につきます。(中略)わたしの生活を生活とし、わたしのよろこびをよろこびとし、わたしの悲しみを悲しみとし、わたしの心を心としていらつしゃるのを見て、わたしの氣持ちがどんなか、お察し願います!もし人のことをそんなにまで氣にして、なにもかも眞劍に同情していたら、まつたくのところ、このうえなしの不幸な人間になつてしまうじゃありませんか。  事實やがてマカールは甚だ「不幸」な状態に陥るのであつて、着た切り雀の衣服はぼろ同然となり、自分の部屋代さえまともに拂えなくなり、ついにはその日の暮しにも事欠く始末になる。ある時、餘りにも不樣な自分の身なりを恥じたマカールは、酒に酔つて羞恥心を追い拂おうとした擧句、酔い潰れ、家に担ぎ込まれるといふ醜態さえ演じる。けれども、さういふ惨めな状態にあつても、マカールは不仕合せな他人に對する同情の念を失わない。それゆゑ、ある晩、寒い街頭で土氣色になりながら物乞いをしてゐる男の子に何も惠んでやれなかつた時、マカールはこう叫んだのである。「自分一人だけのことを考え、自分一人だけのことに生きるのはたくさんだ」。金持どもにさういふ慈悲の心をわからせるような「しかるべき人間」が、どうしてこの世にはゐないのか。  けれども、やがて、ヴァルヴァーラは金持の地主と結婚し、ペテルブルグを離れる決心を固め、どうしてもそうするしかないのだとマカールに言ふ。マカールは突然のこの知らせに狼狽し、ひとり取り殘される寂しさを思つて苦しむが、それでも婚禮仕度をどうしようかと戸惑ふヴァルヴァーラを助け、街中を驅け囘り、一所懸命用を足してやろうとする。ところが、やがて式も濟み、ヴァルヴァーラからの最後の便りを受け取つた時、マカールは絶叫するのである、ヴァルヴァーラよ、自分はあなたといふ人間を心から愛していた、この先一體、自分は誰に宛てて手紙を書いたらよいのか、と。  ドストエフスキーはこの作品を、涙を流しながら書いたそうである。シェストフは、「我が國のあらゆるロマンチストたちのうちで、ドストエフスキーが、最も夢にあふれ、最も天上的であり、最も眞劍であつたのだ」(植野修司譯)と書いてゐる。ドストエフスキーは、他人の「よろこびをよろこびとし」、他人の「悲しみを悲しみとし」、他人の「心を心とし」ようとするマカールに、心の底から感動しつつこの作品を書いたのだ。  惡黨やすれつからしも感動する名作  なるほど、マカールの自己滅却的な善意は美しい。けれども實はマカールは、ヴァルヴァーラを手放したくなかつたのである。だが、さういふ自分の心の奥底を覗かずに、愛する他人の仕合せのためにはどんなことでもしてやりたい、その結果相手が仕合せになれれば自分も嬉しい、そう思ひ込もうとするマカールは感動的である。そして、マカール的なこの種の善意の美しさには、いかなすれつからしも感動する。なぜなら、どんな惡黨でもどこかにマカールのような一面を持つてゐるからである。それはつまり、人間は性惡説で押し通せるほど強くはないといふことなのだ。讀者は確實にマカールの善意に感動する。そして、「貧しき人々」に對して抱くマカールの「胸からほとばしり出」るような理想主義的な熱情にも、等しく打たれる。人間は「自分一人だけのことを考え、自分一人だけのことに生」きていてはならないとマカールは叫ぶが、さういふことをドストエフスキーが本氣で信じていたからこそ、この作品は人の胸を打つわけである。  けれども、ドストエフスキーは人間の善意を思ひ、涙を流しながら、この手の甘美な作品ばかりを書き續けた作家ではない。フローベールと同樣にドストエフスキーも、「人間性の兩端」を往來した作家だつた。それを理解するために、われわれは『地下生活者の手記』をも讀まなければならない。その荒筋はかうである。               四十歳の下級官吏である主人公は、遺産が轉げ込んだのを幸い職を辭し、ペテルブルグの汚い自宅に閉じ籠り、手記を書くのだが、その第一部では合理主義的人間觀を激しく否定し、こう論ずるのである。人間にとつて「もつとも有利な利益」とは何か。それは「自分自身の自由勝手な意欲」であつて、つまり人間は「自分のしたいように振舞うのが好き」なのだ。  諸君は人間にとつての利益は「幸福とか、富とか、自由とか、安寧とか」だと思つていようが、人間はよしんば自分にとつて不利益とわかつていても、「自分のしたいように振舞う」のが何より好きなのだ。そしてそのためなら、人間は時に理性だの名譽だの平和だの幸福だのをよろこんで放棄してしまう。それなのに、この世には何とも無邪氣な手合がいて、人間を啓蒙すれば、人間は善良で高潔な存在となり、必ず「善行の中におのれの利益を見いだす」ようになる、などと説く。何といふ「子供らしい考え方」であろうか。それは、人間が「文明によつて温和」になり、「殘虐性を減じ」、「戰爭などが出來なくなる」と説くのと同樣荒唐無稽である。諸君の周囲を見廻してみるがよい、「血潮は川をなして流れてゐる」ではないか。  そして主人公の八等官は、第二部において、十六年前の出來事を囘想し、氣まぐれな「意欲」に驅られ奇妙な行爲に及んだ體驗を語るのである。ある日、友人の送別會で手酷い辱しめを受けた彼は、その夜、淫賣宿でうぶな娼婦リーザに會い、娼婦の末路がいかに悲惨かを語つて相手を苦しめる。ところがやがて打ちのめされ慟哭する娼婦に同情してしまい、名刺を手渡し、訪ねて來るよう勸めるのである。  三日後、娼婦はやつて來る。八等官は叫ぶ、「きみは何のためにやつて來たんだ?あのとき僕が哀れつぽい言葉をしゃべつたから」か。だが、あれは嘘だ、自分は君をからかつてやつただけだ、「きみをからかつて、胸をせいせいさせた」だけだ。なぜか。友人たちに辱しめられたから、今度は他人を踏みつけてやりたいと、そう思つたからだ。要するに自分は卑劣漢で利己主義者なのだ、たとえ世界なんか破滅しようが、自分さえいつもお茶を飲めれば、それでいい、そう考える男たのだ。  けれども娼婦リーザは、直感的に八等官の不幸を感じとり、彼に縋りつき、泣き崩れる。男は一瞬おのれの殘忍を恥じるが、その時、不意に「支配欲、所有欲」に衝き動かされ、リーザを凌辱してしまうのである。  やがてリーザが立ち去つて後、八等官は、無理矢理娼婦に握らせたはずの金がテーブルの上に置いてあることに氣付き、娼婦の跡を追おうとする。が、途中で追うのをやめ、彼はこう考える「もし彼女が永久に侮辱をいだきながら去つて行つたら、いつそその方がよくはないだろうか?侮辱といふやつ、−これは實際、一種の淨化作用なんだからな。(中略)まつたく眞面目な話、(中略)安價な幸福と高められた苦悶と、一體どちらがいいだろう?」    人間はひたすら自己を愛す  ミドルトン・マリによれば、「この地下室の無頼漢は、愛し愛されることを望みながら、もつと強いひとつの欲求を心に抱いていた」のであり、それは「愛によつて自他を欺いてはならぬといふ欲求」(山室靜譯)であつた。要するに「愛し愛されること」の幸福なんぞは幻想でしかなく、人間はひたすら自己しか愛さないのであり、自己愛の赴くところ、他人に對してすこぶる殘酷に振舞うものなのだ、人間は所詮そうしたものだと、八等官は信じてゐるのである。リーザは慰められたいと思つてやつて來たのだろうが、凌辱された擧句、追い出されてしまう。つまり、「世界なんか破滅」しようと、自分さえ「いつもお茶を飲めれば、それでいい」、そう思ふのが人間なので、さういふ度し難い人間の本性を、どうして啓蒙家の言ふように、たやすく矯正できようか、そう主人公は言つてゐるわけである。  E・M・シオランは、「三十歳までにあらゆる形の過激主義に魅惑されなかつたような人間のことを、讃嘆すべきなのか輕蔑すべきなのか、聖者と考えるべきか、死骸と考えるべきか」(山口裕弘譯)と書いてゐる。「地下室の住人」の徹底した利己主義は正眞正銘の「過激主義」である。が、わが國の論壇・文壇には、三十歳を過ぎてなお過激主義に無縁な手合がやたらに多い。そしてそれは保守革新を問わない。昨今流行の國防論にしても、擬似聖者もしくは死骸の手になるものが大半である。  ところで私はかつてトルストイについて、「激しい理想追求の念はトルストイを一方の極にまで追いやつた。そして一方の極を知る者は他方の極を知る」と書いた。(『知的怠惰の時代』PHP研究所)それはドストエフスキーの場合も同樣であつて、激しい利己主義者である「地下室の住人」の中にも、他方の極、すなわち激しい愛他主義者がいるのである。  「世界が破滅してもお茶を飲みたい」  すでに述べたように、主人公の八等官は「世界が破滅しても、ぼくはいつでもお茶を飲まなくちゃいけないんだ」と言ひ放ち、「二二が四」、つまり合理的な壁の前で立ち止まつてしまう手合を激しく批判するのである。だが、なにゆえ彼はあれほど激しく批判するのか。もとよりそれは、あくまで自説を通したいと思ふからである。が、それだけではない。それはまた彼の善良の證でもあつて、その点すこぶる興味深いのである。主人公はこう書いてゐる、一體全體自分は「なんのために、どういう目的で書こうとしてゐる」のか、「もし公衆のためでないとしたら、何もわざわざ紙に移したりしないでも、心の中ですつかり思ひ起こすだけでさし支えないではないか」。要するに、破壞的な言辭を弄してはいるものの、その實彼は「公衆のため」との善意だけは捨て切れずにいる。そして實際、彼はすこぶる善良なのである。友人の送別會で、友人を侮辱し、彼は誰にも相手にされなくなる。だが一人きりになると、眞情を理解してもらいたい、友人たちから「友情を哀願」してもらいたいと願い、涙さえ流すのであり、娼婦リーザに對しても同樣である。リーザが訪ねて來る前、彼は、いつの日かリーザが自分の足元に身を投げ、「世界中の何よりも、あなたを愛していますと告白する」であろうなどと、何とも感傷的な空想に耽るのだ。  つまり、「愛し愛されること」の幸福なんぞ幻想にすぎないと言ひながらも、彼はそれが欲しくてならない。「友情」だの「愛」だのを罵倒しながらも、彼はそれを求めずにはいられない。「地下室の住人」の中にもマカールがいると言つたゆえんである。  では、ドストエフスキーはなぜ、惡魔的な言辭を弄する主人公を、滑稽なまでに善良な男として描いたのか。無論、偽惡の限界を知り抜いていたからである。性惡説で押し通せるほど人間は強くないのだ。主人公は言ふ。  なんにもしないのが一番いいのだ!瞑想的惰性が一番いいのだ!だから地下の世界萬歳といふわけである。わたしは癇癪が立つてじりじりするほど、ノーマルな人間を羨むとはいつたけれど、しかし、わたしが現に見てゐるような彼らの状態そのままでは、そのお仲間入りをしたくない。(ただし、それでも相變らず羨みはするけれど。いや、いや、地下の世界のほうがいずれにしても有利だ!)そこでは少なくとも・・・・・・ちょつ!ここでもまたわたしは出たら目をいつてゐる!たしかに出たら目だ。なぜなら、けつして地下生活が一番いいのではなくて、わたしの渇望してゐるのは何かしら別なもの、まるつきり別なものだといふことを、二二が四といふほどはつきり知つてゐるからだ。(中略)地下などくそ喰らえだ!  「地下の世界萬歳」と言ひ「ノーマルな人間を羨む」と言ひ、「地下などくそ喰らえ」と言ふ。いずれも本心である。  要するにこういふことなのだ。人間を性善説で割り切ることはもちろん、性惡説で割り切ることもまた一種の合理主義にほかならない。が、さういふ合理主義では説明しきれないのが人間なのである。例えば、友人の送別會に出掛ける前の主人公は、出席することの愚劣を知り抜いてゐる。それゆゑ、理性的に考えれば「あたまから行かないことにすれば一等いい」のである。まず金がない。出席すれば下男に給料が拂えなくなる。そればかりではない。友人たちの淺薄な態度は、さぞ不愉快であるに相違ない。ところが主人公にとつて、出席を斷念することは「何よりも不可能なこと」なのである。  そして結局、彼は出席し、予期した通り惨めな氣分を味わうこととなる。主人公は第一部に書いてゐる。「どんな人間だつてみすみす自分の利益に反するような行爲をするはずがない」のだから、人間は、「いわば必然的に善を行うようになる」などと説く手合があるが、何と「子供らしい考え方」か。人間といふものは「自分の本當の利益を承知しながら、それを二の次にしてしまつて、だれにも何ものにも強制されてゐるわけでもないのに、別な冒險の道へ突進してゆく」のであり、「これを證明する無數の事實を、いつたいどうしたらいいといふのか」と。  その通りである。人間といふものは時に利害得失を無視し、すこぶる非合理的な「冒險の道へ突進してゆく」のである。そしてそれなら、人間がさういふ非合理的な動物なら、人間が屡屡戰爭といふ「冒險の道へ突進してゆく」ことに何の不思議があるだろうか。戰後三十七年、日本だけは戰火を免れた。だが、今もイスラエルとPLOが戰つてゐる。諸君の周囲を見廻してみるがよい、つねに「血潮は川をなして流れてゐる」ではないか。  戰爭を愚かと見る「愚か者」  しかるに今、われわれ日本人は、人間はもつぱら利害得失のみを重視して行動すると信じてゐる。それゆゑ、「防衞問題評論家」の前田寿夫氏は、アルゼンチン空軍機に撃沈されたイギリスの驅逐艦シェフィールドは五百五十億圓で、「これは日本の教科書無償配布の年間予算に相當する」と言ひ(『週刊ポスト』六月十一日號)、西川潤早大教授も、フォークランド戰爭は「名譽のために莫大な戰費をかけてゐるといふ点では、戰爭がいかにおろかかを示す見本」だと言ひ(『週刊朝日』六月四日號)、『日本經濟新聞』も二十二日付の社説に、「紛爭發生一ヵ月で(イギリスは)十億ポンドの支出」をしたことになると書いて、他國のふところ具合を案じたのである。  かつて宝永六年十一月、新井白石はイタリア人宣教師シドチを尋問した。そしてこう書いた。  其教法を説くに至ては、一言の道にちかき所もあらず。智愚たちまちに地を易へて、二人の言を聞くに似たり。こゝに知りぬ、彼方の學のごときは、たゞ其形と器に精しき事を。所課形而下なるもののみを知りて、形而上なるものはいまだあづかり聞かず。(『西洋紀聞』)  シドチの天文・地理などに關する形而下的な知識に感服した白石が、クリスト教の「教法を説く」シドチのほうは愚者としか思へず、西洋の學問は形而下的なものにしかかかわらぬと言ひ切つた、この『西洋紀聞』の一節は有名だが、この一節を引いて白石の西洋學の限界を云々するのはすこぶる滑稽だと私は思ふ。なぜなら、西洋學に關する知識の量において、今日のわれわれは白石をしのいでいるかもしれないが、シドチをシドチたらしめてゐる「愚なる部分」の理解において、われわれは今なお決して白石を抜いてはいないからである。少しく強引に言へば、それゆゑに大方の日本人は、西川潤氏と同樣、フォークランド戰爭を「愚なるもの」とみなすわけである。それはつまり、正義ゆえに流される血を是認できないからである。會田雄次氏は書いてゐる。  十字軍の異教徒惨殺や宗教戰爭時代のスペインの宗教裁判や新大陸の原住民虐殺など、その身の毛のよだつような殘虐行爲だつて、その實行者は神の名によつて、何の良心の苛責もないどころか、おそらく、正義を行うといふ軒昂たる意氣を以てやつたであろうことは想像に難くない。(『ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界』、新潮社)  會田氏は「終戰後ラングーンでイギリス軍の苦役に二年餘を服し」たのだが、服役中「日本人を絶對に人格として評價しないアングロ・サクソン人といふものの、たとえようもない冷たさだけ」を痛感した。イギリス人のヒューマニズムなんぞ一向に感じなかつた。詳しくは會田氏の『アーロン収容所』(中公新書)を讀めばわかるが、會田氏は「これまでの私たちのヨーロッパ理解の方法はまちがつていたのではなかろうか」と考えるようになつたのである。私は會田氏の言ふ通りだと思ふ。クリスト教徒は「神の名によつて正義を行うといふ軒昂たる意氣」をもつて血を流す。今やその信仰もずいぶんゆらいでいるといわれるが、なに、信仰が培つた文化までがゆらぐはずはない。フォークランドのイギリス兵も、レバノンのイスラエル兵も、「世界ほろぶとも、わが正義行わるべし」との「軒昂たる意氣」をもつて戰つたのである。  私はクリスト教文化を稱え、日本文化を貶めてゐるのではない。再び鎖國をやるわけにゆかない以上、彼と我との相違は承知していなければならないと主張してゐるにすぎない。彼(ヨーロッパ)は今なお「カイゼルのもの」以上に「神のもの」を重んじ、我(日本)はもつぱら「カイゼルのもの」を重んずる。新井白石以來、それは少しも變わつていないのである。  白石はシドチの説く天地創造やアダムとイヴの物語の不合理を批判したが、恐るべきはシドチをシドチたらしめてゐる「愚なる部分」であると承知してはいた、と入江隆則氏は書いてゐる。(『新井白石、鬪いの肖像』、新潮社)けれども、白石が西洋の「愚なる部分」を恐れたのは、日本の政治體制を覆す危險を孕んでいると考えたからである。すなわち白石は、もつぱら「カイゼルのもの」を案じてシドチを拒否したにすぎない。それなのにシドチのほうは、こうして日本にいる以上「此土の法例によられて、いかなる極刑に處せられんにも(中略)身をかへり見る所なし」、すなわち日本にいる以上は日本の國法にしたがう、「骨肉・形骸のごときは、とにもかくにも國法にまかせむ事、いふにおよばず」、すなわちこの肉體は日本國の法にまかせ、どうなされても結構である、ただし本國へ送還されることだけはごめんこうむりたいと言つてゐるのである。これは要するに、シドチは「神のもの」と「カイゼルのもの」とを峻別し、「カイゼルのもの」に關する限りは譲歩しても、「神のもの」に關しては決して妥協しなかつたといふことにほかならない。  ずいぶん厄介な話になつて讀者は閉口してゐるかもしれないが、西歐の文學や哲學に接する時、われわれは常にかういふ彼我の相違を意識していなければならないのである。ドストエフスキーにしても同じであつて、彼の小説の作中人物のことごとくは「神に憑かれた人々」なのだ。例えば『貧しき人々』のマカールは、ヴァルヴァーラのために徹底的におのれを犠牲にする。それを神が嘉するからである。一方、『地下生活者の手記』の主人公は「世界なんか破滅しようが、自分さえお茶を飲めればいい」と言ひ切る。神が信じられないからである。けれども、すでに述べたように、「愛し愛されること」の幸福なんぞ幻想にすぎぬと考えながらも、彼はそれを手に入れようとしてあがくのであつて、この神を氣にするがゆえに、「人間性の兩端」を往來せざるをえぬ激しさは、われわれ日本人にとつてはとうてい馴染めないものなのであり、それゆゑ馴染んだふりをするよりはむしろ、馴染めないことを常に忘れずにいることのほうが大事なのである。内田魯庵によれば、ドストエフスキーの『虐げられし人々』について尾崎紅葉は「餘り拗過ぎて我慢にも讀通す氣になれない、矢張外道の喜ぶもので江戸ッ子の讀むもんぢァ無い」と言つたそうである。  今日の日本の文士は紅葉の正直な感想を嗤うことができるであろうか。嗤えまい。ドストエフスキーを愛讀してゐるはずの文士が、先般の「反核アピール」に多數署名して人類の滅亡を憂えてゐるかのようなふりをした。だが、ドストエフスキーはすこぶるつきの善人ムイシュキンやアリョーシャ・カラマーゾフを創造したが、同時に彼はピョートルやスタヴロ一ギンをも創造したのである。そして、すでに述べたように、「地下室の住人」の「世界なんか破滅しようと構いはしない」といふ叫びは、「ノーマルな人間を羨む、地下などくそ喰らえ」といふ叫びと同樣に、本心から出たものなのだ。そしてドストエフスキーは『作家の日記』の中にこう書いた。  「しかし血だからな、なんといつても血だからな」と、賢者たちはばかの一つ覺えのようにいう。が、(中略)ずるずるべつたりに苦しむよりは、むしろひと思ひに劍を抜いたほうがよい。そもそも今の文明國間の平和のいかなる点が、戰爭よりもいいといふのだろうか?それどころか、かえつて平和のほうが、長い平和時代のほうが、人間を獸化し、殘忍化する。(中略)長きにわたる平和は常に殘忍、怯懦、粗野な飽滿したエゴイズム、そして何よりも、知的停滞を生み出すものである。(米川正夫譯) 13.「金儲け主義」の“盲人”が陥る穴  バルザック 『絶對の探求』  十九世紀初頭、フランドル地方の裕福な名家の當主バルタザール・クラースは、何不自由ない毎日を過ごしていた。妻のジョゼフィーヌは不具の身だつたが、夫は妻をいたわしく思ひ、妻も夫に盲目的なまでの愛情を注いでいた。ところが、ある晩、バルタザールの「精神と物腰態度」に突如變化が生じる。妻が五人目の子を宿してゐることにも氣づかず、「かつて愛していたすべてのもの」に無關心となり、「家族の一員として生活すること」も忘れ、以後三年間、妻には一切説明することなく、高價な實驗用具や機械をやたらに買い集め、屋根裏を改造した化學實驗室に閉じ籠り、擧句の果てに、莫大な借財を拵えるに至るのである。  ジョゼフィーヌは、もとより、愛する夫のためならどんな犠牲も忍ぶ覺悟であつた。が、彼女は公證人から、クラース家が破産寸前であることを知らされる。このままでは子供たちの前途もまつ暗である、何とかせねばならぬ。そこで彼女は夫に尋ねる、一體全體何のために、湯水のように金を遣うのか、子供たちの將來を考えないのか、と。すると夫はこう答えたのである。三年前、ポーランドの貴族と化學について話し合つたことがある、その際、かういふ話を聞いた、この世には「あらゆる創造物に共通のある物質」すなわち「絶對」なる物質が存在する、それさえ發見できれば、「創造の秘密」が解明され、「自然がする仕事」を人間が繰り返すことも可能になる、それを聞いてから三年、自分は實驗によつて假説を説明しようと努力した、まだ成功してはいない。が、「絶對」さえ發見できれば、ダイヤモンドだろうが何だろうが、思ひのままに作り出せる、財産のことなど案ずるには及ばない。  だが、その「絶對」とやらがもし、いつまでたつても發見できなかつたら、子供たちはどうなるかと、涙ながらにジョゼフィーヌは實驗中止を訴える。パルタザールは、母性愛の眞劍に打たれ、研究を中斷することになる。  けれども、「化學の壮麗を夢み」、「人類のためには財宝を、自分のためには榮譽を夢み」ていた彼の激しい情熱は、いつまでも抑えうるものではたかつた。やがてジョゼフィーヌは死ぬ。パルタザールは研究を再開し、借金に借金を重ね、子供の財産まで賣り拂おうとする。やむなく長女マルグリットは父親から當主の權利を剥奪する。バルタザールは家を出、ブルターニュの國庫収税官となる。マルグリットは財政再建に全力を傾けるが、バルタザールのほうは、収税官としての収入の大半を研究に注ぎ込み、「絶對」の探求を續けるのである。が、相次ぐ失敗に少々氣が狂い、やがて彼は痴呆さながらのていたらくとなつてしまう。  やがて五年が過ぎ、財政を立て直したマルグリットに迎えられ、やや正氣となつたバルタザールは再び當主となるが、娘の旅行中、またしても家財を賣つて實驗に熱中、ある日、「中風性の發作」に襲われ、アルキメデスの有名な言葉EUR EKA(われ、發見せり)を叫んだ途端に事切れるのである。その時の「彼の引きつつた目」には、「ある謎解きの言葉を學問のために殘すことができなかつた怨み」があらわれていた。     空想に惱まない日本人の特徴  「人間からどんなものでも抹消することができようが、絶對への欲求だけは消すことはできまい」とシオランは言つてゐる。さういふ根深い「絶對への欲求」に取り憑かれて、バルタザールは家庭をめちゃくちゃにし、財産をすつてしまう。それはいかにも愚かしい所業である。けれども、彼の愚行を嗤おうとしてバルザックはこの作品を書いたわけではない。  「絶對」を求めて時に愚行を敢えてする、それが人間である。西洋人は特にそうだと永井荷風は考えていた。それゆゑ荷風は書いた、日本人はこれまで「目に見える敵に對して復讐の觀念から戰爭したばかりで、目に見えない空想や迷信から騒出した事は一度もない」、しかるに「西洋人は善惡にかゝわらず、自分の信ずる處を飽くまで押通さうとする熱情がある」、それゆゑ時に「馬鹿馬鹿しい事」も企てるのだが、「僕はこの熱情をうれしく思ふ」と。  私は荷風のように西洋人の「熱情をうれしく思」いはしない。が、荷風のこの言葉を、大層すぐれた日本人論だと思つてゐる。「日本人は一度だつて空想に惱まされた事はない」と荷風は言ふ。荷風の言ふ「空想」とはつまり「絶對への欲求」なのである。ペテルブルグの八等官を思ひ出すがよい。地下室の住人は何と書いていたか。人間にとつて「もつとも有利な利益」とは「自分自身の氣まぐれ、ときには狂氣と選ぶところないまでにかきたてられる自分自身の空想」だと彼は書いていたではないか。昨今戰爭も堕落したが、石油欲しさの戰爭以上に恐るべきは、この「空想」ゆえの戰爭たのである。  絶對への欲求だけは消せない西洋人  だが、そのことについてはもう言ふまい。私がここで言ひたいのは、唯一絶對の神の教へこそ唯一絶對の眞理だと久しく西洋人は信じて來たが、その「絶對の眞理」に對する信仰こそが近代科學の發達を促したといふことである。  コペルニクスの地動説を知つた時、ルッターは激怒した。地動説が聖書の記載と矛盾するものだつたからである。ルッターは言つた、「天空や太陽や月でなく地球が囘轉するなどと、何たるたわごとか!聖書には何とあるか、ジョシュアは太陽に向かつて止まれと命じたのだ、地球に向かつてではない」。周知のごとくガリレイは、一六三三年、宗教裁判所の審問を受け、地動説の謬りを認めざるをえなかつた。署名して立ち上がつたガリレイが「それでも地球は動いてゐる」と呟いたといふ話はよく知られてゐる。それは傳説にすぎないかもしれないが、ともあれ西洋の科學者たちの「絶對の探求」は、宗教的權威による抑圧を物ともせずに續けられたのであつた。哲學者もまた教會の權威から離れて自由に考えようとし、デカルトのように「できることなら神樣なしにすませたい」と思つた。やがて「ヴォルテールの世紀」となり、人々は科學と理性の勝利に酔い、ついでニイチェが宣言する、「神は死んだ。今やわれわれは欲す、超人生きよ」。ニイチェのあとは實存哲學だが、サルトルによれば實存主義とは「徹底した無神論から出てくるすべての歸結を引き出そうといふ試み」だつたのである。  要するに、デカルトからニイチェ、實存哲學まで、西洋人は絶對の眞理を求めて止むことがなかつた。シオランの言ふ通り、西洋人から「どんなものでも抹消することができようが、絶對への欲求だけは消すことはできない」。そして絶對を探求するに際して彼らは大變不寛容なのである。それなら、商人國家日本が「武士の心はやめた方がいい、商人の氣がまえ」が何より大事とて、「前垂れかけて、膝に手を當て、頭を下げ」稼ぎまくることを、いつまでも西洋人が供手傍觀してゐるはずはない。ツオランは書いてゐる。  時として私は、國といふ國はすべてあのスイスに似てしまうがよい、スイスのようにおのれに滿ちたりて、衞生學の、無味乾燥の、法律崇拝の、人間讃美の中に崩れ落ちてしまうがいい、と考えることがある。だが一方では、思想においても行動においても一切の狐疑を免れ、熱狂的で飽くことを知らず、つねに他國民を−それどころか自國民をすら食らいつくす用意があり、自分の上昇と成功のさまたげになるような價値はたちまち蹂躙し、自他のすべてに飽きはてたすえ好んでかびの匂いを立てる老衰民族の特有の弱点、つまりあの思慮分別などは一向に持ちあわせがない、そうした國民しか私の心を惹きはしないのである。(『歴史とユートピア』、出口裕弘譯、紀伊國屋書店)  このシオランの激しい文章を、スイス以上に「おのれに滿ちたり」た、「衞生學の、無味乾燥の、法律崇拝の、人間讃美の」國日本の經濟學者の、まことにのんきな文章と較べてみるがよい。ある大學教授はこう書いてゐるのである。                             幸いにも日本は平和憲法をもつており、これを十分に活用して各國に賣りこむことは、かなり効果的なPRになると思ふ。ベネツィアがローマ教會の管轄下にありながら、ビザンチン帝國の宗主權を認めたやり方は、ローマからもコンスタンチノポリスからも、かなりの疑いの目をもつて見られただろう。しかしそれを押し通すことによつて、國際社會に一定の評價が定まつた時、それは商業國家のイメージアップに大いに寄与するのである。「あれはああいう國だ」といふ評價を確立してしまえば人々もさういふものだと思ひこんでくれる。日本が平和憲法をもつてゐることは、今の國際社會の常識に反することであり、だからこそ宣傳効果も大きい。「平和と言へば必ず夢中になる變つた國だ」と見られるようになつたら、しめたものである。さういふ評價の上に立つて、徐々にコスモポリタニズムを普及させていけばよい。(伊賀隆・『商人國家の条件』、PHP研究所) 14.正義病患者よりも「無知な女」が可愛い理由   チエホフ 『可愛い女』  クーキンといふ遊園地經營者が、空を眺めながら捨てばちな調子で言つた。「また雨と來らあ!毎日毎日雨にならないじゃ濟まないんだ−まるでわざとみたいにさ!これじゃ首をくくれといふも同然だ!身代限りをしろといふも同然だ!毎日えらい欠損つづきさ!」。翌日と翌々日、つづけてクーキンの泣き言を聞かされたオーレンカといふ名前の娘は「クーキンの不仕合せに心を動かされて、彼を戀してしまつた」。  「彼女はしょつちゅう誰かしら好きでたまらない人があつて、それがないではいられない女」だつたのである。男のほうから結婚の申込みをして、やがて二人は結婚し、クーキンは「彼女の首筋や、ぽつてりと健康にはちきれんばかりの肩先につくづく氣がついたとき、思はず兩手を打ち合わせてから口走つた」。  「可愛い女だなあ!」  クーキンが經營してゐる遊園地は芝居を上演して客を集めるのである。そこで結婚後、オーレンカは芝居や役者についての夫の意見をそのまま受賣りし、「良人と同樣彼女も見物が藝術に對して冷淡だ、無學だといつて輕蔑し」、「舞臺げいこにくちばしを出す、役者のせりふまわしを直してやる、樂師れんの行状を取締るといつた調子」であつた。二人は幸福だつたが、クーキンは夜中になるときまつて咳が出た。さういふ時、オーレンカは「木苺の汁や菩提樹の花の絞り汁を飲ませたり、オーデコロンをすり込んでやつたり」して、「あなたはまつたくなんて立派な人でしょう」と、「髪をなでつけてやりながら嘘いつわりない本心から」言ふのであつた。が、ある夜、所用あつてモスクワに上京していたクーキンが急死した。オーレンカはおいおい泣き出した。「いとしいあなた!あなたはこの哀れなオーレンカを、この哀れな不仕合せな女を捨てて、いつたい誰に頼れとおつしゃるの?」  けれども、それから三ヵ月ほどして、ミサからの歸り、オーレンカはプストヴァーロフといふ男と知り合つた。彼はオーレンカを慰め、何事も神樣の思し召しなのだから、人間はすなおに耐え忍ばなければならないと言つた。それ以來、「日がな日ねもす彼女の耳には彼の悟り澄ましたような聲がきこえ、ちょいと眼をつぶつてもたちまち彼の眞黒な髯がちらつくように」なり、やがて二人は結婚したのだが、プストヴァーロフは材木商だつたから、彼女は「自分がもうずつとずつと前から材木屋をしてゐるような氣がし、この世の中で一ばん大切で必要なものは材木のように思へ」たし、「良人の思ふこと考えることは、同時にまた彼女の思ふこと考えること」となつた。  さういふわけで、プストヴァーロフとオーレンカは仲睦まじく六年の歳月を送つたが、ある冬の日、プストヴァーロフは風邪をひき、四ヵ月わずらつたあげく死んでしまい、オーレンカはまたしても後家になつた。そして、「わたしを見捨てていつたい誰に頼れとおつしゃるの、ねえあなた」と彼女は再び泣きながら言つたのである。  けれども、オーレンカは「誰かに打込まずには一年と暮らせない女」であり、やがて連隊づきの獸醫と仲良くなつて「獸醫の考えそのままの受け賣り」をやり始めた。こんな具合である、「わたくしどもの町では獸醫の家畜檢査といふものがちゃんと行われておりませんので、そのためいろんな病氣がはやるんでございますわ。(中略)まつたく家畜の健康と申すことには、人間の健康といふことに劣らず、心を配らなくてはなりませんわ」。が、そのオーレンカの幸福もわずかの間のことで、獸醫が連隊と共に去り、オーレンカはまたしても一人ぼつちになつてしまう。もはや被女は若くはなく、痩せて器量も落ち、無氣力になり、何より始末の惡いことに、彼女にはもう「意見といふものが一つもない」のであつた。  こうして生き甲斐のない暮しをして數年、ある日突然、白髪頭になつた平服姿の獸醫が訪ねて來て、こう言つた。「軍隊の方をやめてこうしてこの町へやつて來たのは、(中略)根のすわつた生活をしてみようといふ考えからなんです。それに息子ももう中學へ上げる年頃ですしね」。  オーレンカは狂喜し、獸醫とその息子を自分の家に住まわせ、まるで實の母親のように、少年の世話を燒く。彼女の顔には再び「昔のあの微笑」が浮かび、彼女は「まるで長い眠りからめざめた人のよう」であつた。そしてもちろん、彼女は意見を述べるようになつた。「當節では中學の勉強もなかなかむずかしくなりましてねえ」といつた鹽梅。それに「先生がたの噂、授業の話、教科書の話」などである。  淺薄な主體性を有難がる味氣ない女性  作者チエホフはオーレンカを好ましい女、「可愛い女」として描いてゐるのであつて、彼女の移り氣を裁いてゐるわけではない。「女の一生は隷屬すべき男を探し求める事、すなわち隷屬に對する渇望の一生である」とドストエフスキーは書いてゐるが、それは實は女に限つたことではない。男もまた隷屬ないし献身の對象を持つてこそ、充實した人生を送ることができるのである。そして、たるほどオーレンカにはおのれの意見はないが、淺薄な主體性とやらを有難がる當節の味氣ない女性よりも、オーレンカは遙かに魅力的な人間だと私は思ふ。  オーレンカもフェリシテもプール・ド・シュイフも、美濃部るんや樋口一葉が描いた女たちも、いずれも「可愛い女」である。私は男性として彼女たちを見下してゐるのではない。本書に取り上げた男の作中人物の大半を、私は「可愛い男」だと思つてゐる。許し難いと私が思ふのは『野鴨』のグレーゲルスで、それはすでに述べたように、彼が鈍感なる正義病患者だからである。  チエホフといふ作家は、作中人物の感傷や自己欺瞞をあたたかく許した。そして「この世の偉人たちの哲學」を嫌つた。チエホフはこう書いてゐる。  この世の偉人たちの哲學なんか惡魔にさらわれてしまうがいい。偉大な賢人といふものは、どれもこれも將軍のように專制的で無作法で粗野です。自分だけはなにをしても罰せられることはないといふ確信があるからです。  この世の「偉大な賢人」たちは、どうしてあのように自分の正義を押しつけるのか。他人にそれを押しつけるのに急で、自分の欺瞞や迷妄は氣にかけないのか。そのおのが欺瞞と迷妄に氣づいたらよい、そうすればほとんどの賢人が『退屈な話』の老教授よろしく「人生いかに生くべきか」について確信なんぞ持てないようになるであろう、そうチエホフは書いたのである。  ここでチエホフについて長々と論ずるわけにはゆかない。が、これだけは言つておこう。自由主義、保守主義、漸進主義、無關心主義、パリサイ主義、專制主義・・・・・・、その他主義と名のつくもの一切を、チエホフは嫌つた。それぞれの主義と主義とをぶつけ合い、眦を決していがみ合う政治主義の愚かしさをよく承知していたからである。今日のわが國においても、「社會主義國同士は戰爭しない」だの、「核戰爭は人類を亡ぼす」だの、「日本は核武裝すべし」だの、「日本はモラトリアム國家に徹すべし」だのと、右も左もわいわいがやがや騒音を立てており、それが彼らの生き甲斐なのだろうが、それはオーレンカの生き甲斐よりも遙かにましであろうか。  先日、イギリスのチャールズ皇太子主催の慈善演奏會でホロビッツがピアノを彈き、それをテレビ朝日が放映した。演奏が終わつて『朝日新聞』の筑紫哲也氏が、イギリス人はこうしてすばらしい音樂に興奮してゐるが、一方、フォークランドにおける殺し合いにも興奮してゐる、どちらが立派だろうか、といふ意味のことを言つた。すると女性ピアニスト中村紘子氏は「それは歴史が證明していますものね」と答えた。中村女史が默つてピアノを彈いておれば、女史の才能に應じてわれわれはモーツアルトやショパンの音樂を樂しむことができる。が、「歴史が證明してゐる」などといふ淺薄極まる女史の政治主義に、われわれはへどを吐きたくなる。そうではないか、歴史が證明してゐるのは、人間が大昔から美しい音樂とむごたらしい流血の双方を、同時に愛して來たといふことなのだ。  政治的無關心はいけないといふ。選擧の際投票率が低いと新聞は必ずそれを言ふ。だが、中村紘子女史程度の見識を持つて投票するくらいなら、いつそ投票しないほうがましではないか。中村女史はオーレンカではない。オーレンカが「可愛い女」なのは、彼女が政治に無關心だからである。では、彼女がもし自民黨の代議士に惚れこんだらどうなるか。共産黨員にとつて彼女は「可愛い女」ではなくなるであろう。だが、自民黨員の情夫が死んで、次に彼女が共産黨員を愛したらどうなるか。自民黨員にとつて彼女は我慢のならない女になるであろう。それなら、政治的關心なんぞ、とりわけ中村女史程度の中途半端な政治的關心なんぞ、いつそ全然ないほうがよいのである。そしてそれは女に限つたことではない。 15.善意の人が眼をつぶる人間の「殘忍性」   メルヴィル 『幽靈船』  他人の心の奥底はいともたやすく覗けると、他人の振舞のすべては簡單に説明がつくと、そう思ひたがる樂天家が、わがアメリカにはちと多過ぎるのではあるまいか。メルヴィルがこの作品で言ひたかつたのはさういふことである。  アメリカの貿易船の船長アメイザ・デラーノは「奇特なくらい不信を知ら」ぬ善人であつた。それゆゑ、とある港で難破船らしい怪しげな船に出會つた時も、すぐさま救援に駈け付けたわけだが、その難破船はサン・ドミニク號といふスペインの奴隷運搬船であつた。ところが、乘り移つてみると、何やらようすがおかしい。奴隷運搬船とはいえ、白人船員に較べてあまりにも黒人奴隷が多過ぎる。船員に亂暴を働く奴隷さえいる。それに何より船長ドン・ベニトの態度が不可解で、救援に駈け付けたデラーノに對して、まことに冷淡かつ無愛想に振舞うのである。いや、ベニトの態度だけではない、船内で見聞きするすべてが不可解なのだ。けれども「善意の人」であるデラーノは、次々に心に浮かぶ疑惑をそのつど拂い除け、すべてを善意に解釋する。すなわち、かうである。無理もない、水や食糧が欠乏すれば船内の秩序が亂れるのも當然、ベニトの態度にしても、あれは絶望と衰弱ゆえの惑亂に相違ない。  さういふふうにして、奇怪な事實のすべては、デラーノの善意によつて解釋され、謎は次々に解けたかのように思へるのである。善意の人デラーノは思ふ、ベニトに仕えるあの黒人バボーの何たる甲斐甲斐しさよ。頼りなげな主人を氣遣い、片時も側を離れないではないか。あの主從の織りなす麗しき人間關係は感動的である。それに、あの女奴隷と赤ん坊の嬉々として戯れる樣はどうだ。あれこそは「裸の自然」、「清い悲しみと愛のシンボル」でなくて何であろうか。  けれども、かういふデラーノの善意の解釋は、すべて的外れだつたのである。まず、サン・ドミニク號で奴隷がのさばつていたのは、水と食糧の欠乏のせいではなかつた。バボーを首魁とする奴隷たちが反亂を起こし、船長以下多數の白入船員を惨殺、船の支配權を掌握していたためだつた。しかも反亂の際の女奴隷たちの殘忍は男顔負けのすさまじさであつた。そして、さういふ次第で自由の身となつたバボーたちは、故郷セネガルを目ざして航行中、たまたまデラーノの船と出會つたわけだが、反亂の事實の發覺を恐れたバボーは、ベニトを脅迫してにわか船長に仕立て、自らは忠實な從者を裝い、ついでにデラーノの船を乘つ取ろうと企んでいたのである。  だが、さすがの「善意の人」デラーノも、土壇場になつて、ようやくバボーの惡巧みに氣付き、バボーを取り押さえ、抵抗する奴隷たちを制圧する。すると、制圧された奴隷に對する白人船員の報復もまた凄惨を極めるのである。  最後にベニトはデラーノに言ふ、あなたは常に私と共にゐた、「わたしとともに立ち、ともに坐り、ともに語り、わたしを見、わたしとともに食べ、飲んでゐた」、けれどもあなたは眞相になかなか氣付かなかつたではないか。要するに「人間の振舞ひには測り難い奥の院」があるのであり、この「世のどんな賢者でも、この奥の院がどんな因果でできるのか」、それさえも知らずして「人間を判斷しようとすれば」迷妄を免れないのだ、と。 善人デラーノが土壇場まで眞相を見抜けずにゐたのは、他でもない、人間は本來「清く正しく美しい」ものだといふ固定觀念に囚われていたからである。作者メルヴィルは、さういふ固定觀念を徹底的に疑えと言つてゐるのである。といつて、疑いさえすれば、「測り難い奥の院」が見えて來るといふわけでもない。例えば、赤ん坊と嬉々として戯れていた當の女奴隷が、男たちの畜生さながらの蛮行を喜び、聲援を送るのである。バボーたちにしても故郷へ歸りたくて反亂を起こした。なるほど望郷の念は美しい。けれども、彼らの行爲は殘忍この上なしであり、サン・ドミニク號の船長は、手足を切斷されたあげく、白骨になつた首は舳先に晒された。だが、さういふ善良の「奥の院」に潜む殘忍を、善人ならぬ疑い深い人間なら確實に看破れるといふ保證もない。  「力は正義なり」、それがこの作品のテーマだとある批評家は言つてゐる。なるほどさういふ解釋も可能である。が、メルヴィルは、樂天的な人間觀によつて人間の行動を判斷し、それで能事足れりとする淺薄な風潮を批判すべく、この作品を書いたのだと私は思ふ。「力は正義なり」といふことだけで、この世のすべては説明できぬ。メルヴィルとてそれは百も承知であつた。が、善良そうな人間が時に獸の如く振舞うことは確かなので、さういふ人間の醜惡な一面を忘れて「人間を判斷しようとする」からこそ、非武裝中立だの人權外交だのといふ綺麗事がのさばるわけである。  底の淺い日本の學者・ジャーナリスト  例えば、昭和五十三年、中國の4(登+邑)小平が來日した時、『サンデー毎日』はこう書いたのである。  新しくお付き合いを始めることになり、隣のおじさんがあいさつにやつた來た。一時あちらとは不幸な出來事もあつたため、迎える方はもう大變な氣のつかいよう。  初めて見たおじさんは、小柄ながら、きりつと締まつた物腰で貫録よろしく、今囘の大事な公式行事でも、終始、親善ムードの盛り上げをリードする餘裕ぶり。  氣持もいたつて廣い人らしく、今ちょつと困つた立場にある人の家へも、筋を立てて氣さくに訪問。やあやあと打ち解けあつて、そのおうようなこと。  それに今後、取引の都合もあつてか、自動車など方々の工場を見ても囘つたり、分秒刻みの日程を、あわただしい氣配もみせずに過ごす、大らかなおじさんだつた。(十一月十二日號)  文中「今ちょつと困つた立場にある人」とは、刑事被告人である田中角榮氏のことである。本年六月十九日、三木元首相は先進國首腦會議に出發して歸國した鈴木首相と會い、自民黨は「田中角榮君に支配されてゐる」、遺憾である、首相はリーダーシップを發揮せよと言つたといふ。それは少々無理な注文であつて、鈴木善幸氏がリーダーシップなんぞ發揮できるはずはないが、それはさておき、三木氏の言ふことは本當だと思ふ。自民黨は田中氏が「支配」してゐると私も思ふ。けれどもそのことにどんな不都合があるのか、それが私にはわからない。橋本登美三郎氏、佐藤孝行氏と同樣、田中角榮氏も、最終審による有罪判決はまだくだつていないのだから、田中氏が「自民黨を支配」することに何の不都合もないのではないか。  けれども、さういふ理窟の通じないのが日本のジャーナリストなのだ。一方、4(登+邑)小平は海千山千で、それゆゑ彼は來日して目白臺の田中角榮邸を訪問した。要するに中國の國益を考えての打算である。しかるに、『幽靈船』のデラーノ船長と同樣、『サンデー毎日』の記者も「奇特なくらい不信を知らぬ」善人なのであろうか、「筋を立てて氣さくに訪問」などと、4(登+邑)小平に對してたいそう好意的な文章を綴つたのであつた。だが、いずれ、さういふ底の淺い日本のジャーナリストの「善意」が迷妄であつたと、判明する日が來るであろう。  かういふ善意の馬鹿は、日本にはやたらに多い。さういふ馬鹿の書いた文章を二つ引用することにしよう。まず、文化大革命當時、中國を訪れた伊藤武雄氏は、『朝日ジャーナル』にこう書いた。  驚いたのは幼稚園へはいつたときである。遊戯をやつていた幼児たちが、“おじさんたちいらつしゃい!”のあいさつ。音樂教室からは“おててつないで”の日本のメロディーが流れてきた。(中略)この幼童時代から毛主席を身近に感じた児童が成長してゆくかぎり、毛澤東は七億の接班入(後つぎ)を得ることは不可能ではないだろう。毛澤東教育が、幼稚園からスタートしてゐることを知つたとき、日本のメロディーに接した驚きに數倍して、名状しがたい感動にうたれ、“毛主席のよい息子孫子になつて下さい”とあいさつするよりほかなかつた」。(『朝日ジャーナル』昭和四十一年十二月二十五日號)  伊藤武雄氏が今どこで何をしてゐるか、私は知らない。今もなお存命かどうかも知らぬ。が、もしも存命なら、「七億の接班人」の中からしきりに毛澤東批判の聲があがつてゐる今日、かういふ輕薄な、うわずつた文章を綴つた自分を、穴があつたら入りたいようた思ひで讀み返すのではないか。  もう一つ、「善人」の文章を引こう。今度は東京工業大學教授永井陽之助氏が、『中央公論』六月號に書いた文章である。  世界の軍事支出はOECD加盟國の發展途上國向けの政府開發援助二六〇億ドルの十九倍に達してゐる。正氣の人間ならば、米ソの核軍擴競爭による資源の濫費をやめ、その節約された資源を發展途上國の經濟發展にまわすべきだと考えるのがとうぜんであろら。ところが、兩超大國は、大企業の威信維持廣告競爭に似て、現實の戰爭や脅威とは何の關係もない一種の“神學”論爭による“顕示的消費”に堕してゐる。  軍事支出とは一朝有事の際、國を守り敵兵を殺すための金である。要するに永井氏は、さういふ惡しき目的のための金を、發展途上國の經濟發展のために、つまり人助けのために使うべし、それが「正氣の人間」のやることだと主張してゐるわけである。永井教授は、おのれの「威信維持」にはさつぱり關心がなく、各種の人助けに日夜奔走してゐる佛さまのような御人なのか。「ヒデリノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアル」く底なしの善人なのかもしれない。  ついでにもう一人「善入」を紹介しておこう。それは野坂昭如氏である。野坂氏はアメリカ國務省の招待で渡來し、ジョージ・ランバート氏の「下にもおかぬもてなし受けて、ころつといかれてしまつた」のである。ランバート氏に四十七歳の野坂氏が「どんな風にやさしく扱われたかなど、詳しく書けば氣色わるいばかり、省略するけれど」、と野坂氏自身も書いてゐるから、私も省略する。が、「ころつといかれてしまつた」ことについての野坂氏め文章は、稚氣愛すべく、省略する必要はない。野坂氏はこう書いた。  「かなりアメリカに洗腦されましたな」(同行の写眞家)原田氏が、考えこんでいる小生にいう、「あゝ、おそまきながら向米一邊倒です」「もし、ランバートさんがCIAがらみだとすると、見事な成果を上げたことになる」「CIAでもKGBでもよろしい、ぼくは感心した。そして保守的になつた。誰が病めるアメリカなどといつておるのだ」(中略)。  小生は、これまでどちらかといふと、革新側といふことになつていた、ミッドウエストの、保守地帯で洗腦されたからには、自分なりに、これまでの革新といふレッテルにおとしまえをつけなければならない。反米鬪爭に積極的なかかわりを持つたことはないが、反米的ムードの中にいたことはたしかなのだ。(『週刊朝日』昭和五十三年十月二十七日號)  日本の政治家の醜い自己辯語  昭和十四年、獨ソ兩國は不可侵条約を締結した。共産主義に激しく對決していた當時のドイツが、日本との間に防共協定を結んでいたドイツが、何と共産主義國と相互不可侵の約束をしたのである。その國際政治の「複雜怪奇」に困惑し狼狽して、當時の平沼内閣は總辭職せねばならなかつた。だが、われわれは今、平沼騏一郎首相の單純を笑ふことができるだろうか。永井陽之助氏や野坂昭如氏のごとき「善人」は、政界にはいないとはたして言ひ切れるであろうか。マーク・ゲインは『ニッポン日記』にこう書いてゐるのである。  INS特派員のオーストラリア人フランク・ロバートソン(中略)は、鳩山(一郎)の著書の一節を持ち出し、これに對して鳩山がどんな解釋をもつてゐるのかききたい、ときりだした。一九三八年にかかれたその一節は、次のようなものだつた。  「ヒットラーは心の底から日本を愛してゐる。日本國民はますます精神的訓練に努め、ヒットラーの信頼を裏切らぬようにせねばならぬ」  これを皮切りに査問は熱をおびてきた。(中略)われわれは彼の著書から、ヒットラーとムッソリーニに對するしつこいまでの讃辭を引用して彼に浴びせかけた。  「あらゆる英國側の宣傳にもかかわらず、ムッソリーニが斷固として進路を曲げなかつたことが、彼をして現代の英雄たらしめたのである。イタリアのために、イタリアの國民のために、ムッソリーニ萬歳!」  (中略)訊問がいよいよ肉薄するにつれ、鳩山はいよいよ混亂してきた。最初彼は何も覺えていないと言ひ張つた。そこで、彼の著書からの引用をつきつけると、その本の中では嘘を書いたのだと言つた。(井本威夫譯)  ヒットラーに限らず、外國の指導者が「心から日本を愛」するはずがない。それにまた、われわれ日本國民が、レーガンやブレジネフや4(登+邑)小平の「信頼を裏切らぬように」努力するなどとは、まつたくのナンセンスではないか。 16.外科手術に似てゐる「愛のメカニズム」   ロレンス 『てんとう蟲』  若く美しき人妻ダフニは不幸であつた。夫は第一次大戰に從軍して行方不明、子供は死産、二人の兄は戰死、おまけに自分は病氣であつた。ところが、ダフニの母親はまことに立派で、己れの不幸よりも他人の不幸を思ふ「人間愛」にみちた女性であり、さういふ母親に仕付けられたダフニは「人生はやさしく、善意と恩惠とに滿ちていなければならぬといふ固定觀念」に取り付かれ、母親を見習おうとしていた。そしてそのためには、「人間愛」にいささかの關りももたぬ性格、むしろ「人間愛に反發する」ような父親譲りの「激情」を抑えつけねばならない。けれどもそれをやろうとすればするほど、「血は自分自身にむかつて逆流」する始末であつた。  そんなある日、ダフニはディオニス伯爵に會う。ドイツ軍の大佐であるディオニスは重傷を負い、ロンドン近郊の病院に収容されていたのである。ダフニはしばしばディオニスを見舞う。ある日ディオニスは言つた、われわれは「世界を裏がえしにしてしまつた」、愛についても同じこと、われわれの知つてゐる「この世の白い愛」は「やはり裏がえしにされた世界で、眞の愛の白く塗りたる墓にほかなら」ない、すなわち偽善にほかならない。「眞の愛は暗いもの」であり、「闇のなかに闇とともに脈うつてゐる」ものだが、「あなたの美しさは、結局あなたの白く塗りたる墓にすぎ」ないと。けれどもダフニは考える、このあたしの手入れの行き届いた「眞珠のような美しさ」こそこの上なく貴重なものだ、「白い愛は月光のようなもので、有害」だとディオニスは言ふ、だが、夫のバジルはいつもあたしを「月のようだ」と言つてくれたではないか、そう言つてあたしを愛してくれたではないか。  やがて、行方不明だつた夫バジルが無事歸國する。が、夫の振舞にはどこかおかしなところがあつた。バジルは妻を女神として崇拝しようとするのである。妻の奴隷になろうとしてゐるのである。それも弱さゆえに。すなわち彼は口から耳にかけて負傷の傷あとがあり、それは戰場で負つた傷だつたのだが、その負い目ゆえに彼は妻を崇め、そうすることで妻に愛されようとしたのだ。さういふ肉體を無視する愛こそディオニスのいう「白き愛」ではないか。  夫婦揃つてディオニスを見舞つた時、バジルは言つた、愛こそ「人間を團結させる偉大な力」であつて、人間は愛の精神にのみ服從すべきである、それゆゑ「一人の人間が他の人間のうえに權力をもつ」などといふことは肯定できない、權力者の危險については、今囘の戰爭が立證したではないか。するとディオニスは言ふ、平和こそそれ以上に危險なものとなりうる、むしろわれわれは「權力の神聖といふ事」を知らねばならない、なぜなら「眞に生きてゐる人間なら、自分の生命を仲間のうちの偉大な人間の手に預けたくなる」時が、「力の神聖な責任を一身に引受けてくれる偉大な人物を求める」時が、きつとやつて來るはずだからだ、と。  やがて囘復したディオニスは故國へ送還されることとなり、送還の日が來るまでしばらくバジル家に泊まる。ある夜、ダフニはふとディオニスが口ずさむ歌を耳にして、心の底に「せつせつたる欲望があばれ狂」うのを感ずる。ディオニスがあたしを呼んでいるのだ、あの呼び聲にこたえたい、自分自身から離れ去り、父母や兄弟や夫からも飛び去つてしまいたい。さういふ強烈な欲望に驅られ、三日後、ダフニはディオニスの部屋に行く。だが、暗闇の中で、足元にまつわりつき涙を流す女に、男は言ふ、暗闇の中では、死後の世界では、あなたは私のものだ、が、明るい所では、この世では、私は力を持たない、あなたは永遠に、私の「闇の中の妻」なのだと。  もとよりディオニスはダフニと肉體關係を持たない。當節、欲情小説ばかり讀まされてゐる讀者はこの小説では肩すかしを食うだろう。だが、ディオニスの考えてゐることは、すなわち作者・ロレンスの考えてゐることは、デノオニスとダフニを結びつけられぬほど深刻な問題なのだ。すなわち、夫に失望した妻の浮氣などといふ事柄に、ロレンスは興味を持たなかつたのであり、男が女の「うえに權力をもつ」ことのむずかしさ、權力を持ちながらも男と女とが愛し合うことのむずかしさ、それこそロレンスが懸命に追求したものだつたからだ。それゆゑ、ロレンスは「白き愛」を憎む。そしてそれは男女間だけの問題ではない。男女間の性行爲、それはそのまま愛の行爲ではない。ロレンスにとつて重要だつたのは、男女に限らぬ愛し合うことのむずかしさなのである。  血は自分自身にむかつて逆流する  人間誰しも、おのれを善なるもの、美なるものと思ひたがる。だが、人間には善ならざる一面も確かにある。それゆゑ、おのれを善なるものと思ひたがるばかりでは、必ず人間は、善ならざ三面の仕返しを受けるであろう。すなわち、「血は自分自身にむかつて逆流する」であろう。つまり、愛の精神にのみ服從する、さういふ綺麗事しか口にしない手合は、例えば永井陽之助教授のように、他人と融合するのはいともたやすいことだと考える。淺薄な博愛主義が横行するゆえんである。だが、人間はさういふ「白き愛」にあきたらず、白い愛の欺瞞に耐えられなくなり、いつそのことおのれを他人に、「偉大な人間の手に預けたくなる時」もある。  だが、ディオニスはダフニの肉體をわがものとはしない。「自分のうえに法を設けずにいるのはむずかしいこと」だからだ。それにもかかわらずディオニスもダフニも、そのむずかしさを圧倒せんばかりの「闇のなかに闇とともに脈うつてゐる」ものを感じてゐる。「愚かしい事だ、なぜ二人は交合しないのか」と、日本の讀者は思ふであろう。  ロレンスはポウの書いた「愛の小説」を「すこぶる猥褻」と評した。個々の有機體はそれ自體獨立していて、二つの有機體の合一といふことはありえない。有機體が有機體である限り「おのれ自身の孤獨にどうしても戻らずには承知しない」のである。  例えばの話、男と女を一體にするためには、二人を殺してその肉體をミンチにして混ぜ合わせるしかない。だが、もちろんそれで二人が一體になつたとは言へぬ。二つの死體、すなわち物體が一つになつたにすぎない。有機體の宿命は孤立といふことなのである。が、ポウが描いたような精神的な男女の愛は、互いの有機體としての孤立を思ひ知ることがない。けれども、肉體的に女と一體になろうと欲すれば、ついに一體となれぬ有機體の限界を知らされることになる。が、精神的な愛ならば野放圖に相手を呑み込めよう。ひたすら男が呑み込み、女が呑み込まれたいと願う、それはすこぶる猥褻ではないか、そうロレンスは言ふのである。  『てんとう蟲』におけるバジルのダフニに對する「白き愛」がそうである。バジルが妻を女神として崇拝するのは、肉體上の負い目ゆえに妻に疎まれることを恐れてのことだが、もしもバジルが一方的に崇拝し、ダフニが崇拝されることを喜ぶばかりなら、二人は抵抗なしに「精神の滿足」を得られよう。だが、それはすこぶる猥褻かつ非人間的であり、そこに「われわれに宿るすべての惡の根源」がある。つまり、さういふ精神的な愛は、有機體の孤立といふ抵抗を受けることがないから、愛することの困難を知らない。だが、困難にめげずに愛するのが人間の愛ではないだろうか。それかあらぬか、やがてバジルは人間らしい意欲を失う。彼は言ふ、もはや自分には「行動を起す要求」も「愛する要求」もない、今後自分は「いかなる種類の行動からも身をしりぞけていたい」。つまり、「一人まえの生きた」人間を愛そうとしないバジルは白き愛の法悦に浸るしかないのである。  二つの肉體はついに一つになリえない  人間は、男女に限らず、他者と一體になりたがる。それはもとより美しい欲望である。だが、二つの肉體はついに一つになれぬといふ事實を、われわれは片時も忘れてはならない。その事實を認識しない限り、他人を愛することのむずかしさを痛感することがなく、偽善的な白き愛の法悦に浸るばかりだからだ。例えば、金大中氏に會つたこともない日本人が、金大中氏の運命を思ひ涙を流す、それが白き愛の法悦にほかならない。      けれども、一方、そうして有機體としての孤立を忘れず、身近な隣人を愛することのむずかしさを思ひ知つても、人は時に、おのれを捨てて偉大な人間に服從したいと、心底から願うことがある。ダフニの父親ビバリッジ卿が言つてゐるように、とりわけ今は白き愛が世界を支配しており、「ほんとにいいたいこと」つまり「闇のなかに闇とともに脈うつてゐる」ものが發したがる言葉は、決して口にされることがない。人々はもつぱら「機械的な常套語」をしゃべつてゐる。當節、權力者は忌み嫌われてゐるが、人間誰しも、偉大な人間の前に平伏し、おのれのすべてをその手に委ねたいと思ふこともあるではないか。だが、平等が重んじられる偽善的な時代に、さういふ「人間愛に反發する」よからぬ激情は捌口を見出せず、かくて白き愛の偽善ばかりがはびこることになる。  紙幅の關係でこれ以上詳しく説明するわけにゆかないが、『てんとう蟲』に限らず、ロレンスの小説からわれわれは、愛の問題に安直な解決はないことを知らされる。ロレンスは肉體の結合がすなわち愛だなどとは思つていない。ロレンスは兩性の自己放棄による愛の危險を説いた。人間はそうたやすく自己を棄てられるはずはない。しかしながら人間は、すでに述べたように、偉大なる他者の前に自己を放棄して平伏したいと思ふことがある。それに、男女の愛にしても、男女のいずれか一方が自己を放棄しない限り成立しないのかもしれない。つまり、程度の差こそあれ、愛は「外科手術」たらざるをえないのかもしれぬ。ポードレールは書いてゐる。「たとい戀人同士が互いに深く思ひあい、相互に求めあう氣持で一杯だとしても、二人のうちの一方が相手よりも比較的平靜で、夢中になり方が少ないのが常である。この平靜な方が執刀者であり、拷問者であり、他方が患者であり犠牲者である」。  つまり、ボードレールの言ふ患者・犠牲者とは、自我を放棄した方、正確には相手より先に自我を放棄した方、といふことである。例えば男が女にぞつこん惚れ込めば、男は患者にならざるをえない。自我を放棄して自分に惚れ込んでいる男の顔を見て、「比較的平靜」な女は、當然優越感を抱くであろう。それが高ずれば、女は男のあぐらをかいた鼻を醜いと思ふようになり、やがて「自分はもつとすばらしい男にふさわしいはずだ」と考えるようになるであろう。では偉大な人間に惚れ込めば萬事は解決するか。否。偉大な人間に惚れ込んでも、惚れたほうは患者になるのである。ところがロレンスは「一方が他方を征服するのでもなく、互いに自我を消滅させるのでもない」愛に強くこだわつた。彼の小説が好色小説でないゆえんである。  なぜ、「性の秘匿」にこだわるのか  さういふ次第で、このロレンスの愛の小説と當節流行の「性愛小説」との隔たりの大きさを讀者は痛感したことと思ふ。男女が交合を好むことに東洋西洋の別はない。猥褻な小説や圖畫の類はどの國にもいつの時代にもあつた。そしてそれを樂しむことに何の不都合もない。けれども、犬猫の交尾と異なり、人間の交合には、ロレンスが指摘してゐるような厄介な問題もあるはずではないか。それなのにわれわれは今日、さういふ問題をさつぱり氣にしない。人々にとつての關心事は、「性の秘匿に普遍性はあるか」といふことでしかない。  例えば、ランバート氏に「ころつといかれてしま」つた野坂昭如氏は、『週刊朝日』昭和五十四年一月五日號に「性の秘匿に普遍性はあるか」と題する文章を寄せ、その中にこう書いたのである。  明治中頃まで、東京の近くに、新婚夫婦を村人として迎える儀式の一つとして、その性の營みを公開させる村があつたといふ。小生とて、まだ電氣がなかつた頃の、田舎のおゝらかな性の姿を、今に、どうしてもよみがえらせろといふのではない。性を汚ない恥かしいものだとみなすお上の考えかた、だから隠して當然ときめつけ、多くの文化的傳統、遺産を闇に葬ろうとする企み、これは實にいわゆる過激派の行爲より、もつと惡どい破壞行爲、日本民族に對するテロではないだろうか。  野坂昭如氏が戰つてゐるのは、いや戰つてゐるつもりなのは、地裁、高裁、最高裁なのである。すなわち「お上の考えかた」なのである。だが、裁判官も檢察官も日本人で、ポルノは好きなのだし、一方、ロレンスが一生取り組んだような難問には無關心、無理解なのだから、野坂氏と同樣、なぜ性を秘匿せねばならぬのかよく解つておらず、それゆゑ刑法第百七十五条を盾に取つて受身の戰いを強いられてゐるにすぎない。「日本民族に對するテロ」などといふ壮烈な戰いをやつてゐるわけではないのである。  では、なぜ性行爲は秘匿しなければならないのか。理由は馬鹿馬鹿しいくらい簡單である。子供は兩親の性行爲を見たがらぬ。そして他人の見たがらぬものは隠して當然ではないか。いや、大人だつて同じことで、われわれは尊敬する知人や親しい友人の性行爲は覗きたがらない。それはつまりわれわれが、人間と人間との付合いにおいて、性行爲がすべてではないことを認めてゐるからではないか。野坂氏だつて、まさか令息令嬢の面前で奥方と交合はしない。自分は決してしないが他人はやるべし、それはちと身勝手な言ひ分ではないか。  羞恥心を捨てさえすれば、「性の營みを公開」することは馬鹿にもできる。馬鹿にもやれることをやるのが人生ではないから、萬葉時代の男も人目をさけて女と會つたのである。「人目守り乏しき妹に」會おうとしたのである。  要するに、「性の秘匿に普遍性はあるか」などといふ問題に興じるのは愚かなことなのだ。野坂氏がねらつてゐるのは、「四畳半襖の下張」裁判で無罪になることにすぎないであろうが、野坂氏が無罪になつて、ついでポルノが解禁されるようになつたとしても、ロレンスが格鬪した難問が片付くわけではない。それゆゑ、野坂氏よりもはるかに聰明だつた太宰治は書いた。  人間が人間を「愛する」といふのは、なみなみならぬ事である。容易なわざではないのである。神の子は弟子たちに「七度の七十倍ゆるせ」と教へた。しかし、私たちには、七度でさえ、どうであろうか。「愛する」といふ言葉を、氣輕に使うものは、イヤミでしかない。キザである。  「きれいなお月さまだわねえ。」なんて言つて手を握り合い、夜の公園などを散歩してゐる若い男女は、何もあれは「愛し」合つてゐるのではない。胸中にあるものは、ただ「一體になろうとする特殊な性的煩悶」だけである。  いかにも太宰の言ふとおりである。「一體になろうといふ特殊な性的煩悶」が解決しても、男女が「愛し」合うといふことが「容易なわざではない」といふ問題は殘る。ロレンスならば、男女の肉體は遂に一體にはなれぬ、と言ふであろう。重ねて言ふが、さういふ重要な問題と、「性の秘匿に普遍性はあるか」などといふ低級な問題との隔たりの大きさを、われわれは時々考えたほうがよい。  しかも、われわれ日本人の性についての考え方は、樋口一葉について論じた際にも觸れたように、歐米のそれとは違うのである。上智大學教授グレゴリー・クラーク氏はこう書いてゐる。  性的關係の實際についても日本人は歐米人の抱く妙な意識はない。性は罪であるとか惡とかいう考え方は日本にはない。どの日本の町でも裏通りに入れば、「御休憩」と看板の出てゐる小さな旅館がある(「御休憩」は一泊するより安くて濟む)。政治家で婚外性交渉をもつたために失墜するものはいない。田中元首相はその妾の一人を大きな豪邸に住まわせていた。のちに彼が攻撃の矢面に立つと、問題となつたのは女性關係ではなく、その豪邸であつた。(『日本人・ユ二ークさの源泉』、村松増美譯)  クラーク氏の指摘は正しいが、いかにもクラーク氏の言ふとおりだと合点したところで、われわれが歐米人のように、「性は罪であるとか惡とかいう」ふうに考えられるようになるわけではない。日本は再び鎖國するわけにはゆかないから、どうしても歐米人の物の考え方を理解しなければならないが、同時にわれわれは、日本獨自の美意識を失わぬように努めなければならない。西鶴は『好色一代男』の冒頭に、「桜もちるに歎き、月はかぎりありて入佐山。爰に但馬の國かねほる里の邊に、浮世の事を外になして、色道ふたつに寐ても覺ても夢介とかえ名呼ばれて」云々と書いた。西鶴の昔も、日本人にとつての最大の關心事は、桜や月をめでることよりもむしろ色事だつたのである。けれども、かつての遊廊には義理と人情の双方があり、その二つの間の葛藤もあり、なによりも美意識いわゆる「廓の美學」があつた。今、トルコ風呂やストリップ小屋に、それがはたしてあるであろうか。 17.馬の前に馬車をつなぐ「樂天家」の幻想   ゴールディング 『蠅の王』  イギリスの少年たちが、飛行機事故のため、南太平洋の孤島に流れついた。島の「海岸はあたり一面椰子でおおわれていた。(中略)ふり返ると、これらの椰子の林とは違ういわば森そのものの黒々とした姿があり、廣く開けた岩場があつた。(中略)沖合では白い大波が珊瑚礁にぶつかつて輝き、そのまた向うには大海原が紺碧の色をたたえていた」。暑かつた。十二歳のラーフはすつ裸になり、「今、自分が孤島にいるのだといふ實感にまざまざと襲われ」樂しげに笑つた。樂しさのあまり逆立ちをやつた。  ラーフの傍にピギーといふ少年がいた。けれども少年二人で孤島に暮らすわけにはゆかない。偶々、二人はほら貝を拾つた。ピギーの提案に從いラーフはそのほら貝を吹いた。何度も吹いた。すると、椰子の木立の間から、森の中から、多くの少年たちが姿を現した。黒い外套を着て、「銀のバッジのついた四角な黒い帽子をかぶつ」た少年合唱隊もやつて來た。「二列縦隊になつて行進してきた」。合唱隊の隊長はジャックといふ少年で、帽子のバッジは金色であつた。  少年たちは話し合つた。集團生活のためには、「いろんなことを決める隊長」がいなければならない。「ぼくが隊長になる」とジャックが言つた。「だつて、ぼくは會堂付き合唱隊員だし、そのヘッド・ボーイなんだぜ」。  だが、ジャックの要求はいれられず、多數の支持を得たラーフが隊長になつた。「ジャックの顔は、屈辱のために紅潮し、そのおかげでそばかすも見えなくなるほどだつた」  ついで少年たちは、「ここが島かどうか確かめる」べく探檢隊を組織した。山の頂上まで登つてみると、やはり島であることがわかつた。しかも「人家の煙もないし、ボートもない」。となれば食糧を確保せねばならない。椰子の實ばかり食つてゐるわけにはゆかない。  歸り道に少年たちは、「網の目のようになつた蔓草に絡まれた仔豚が」悲鳴をあげてもがいてゐるのを見た。ジャックが「ナイフを握つた手を高く掲げた」。が、殺せなかつた。ジャックの手はそのまま、「釘づけになつたように靜止してしまつた」。仔豚は「蔓草から身をとき放ち」逃げ去つた。  少年たちは樣々な事柄を民主的に決定した。皆が一度にしゃべり出せば、冷靜な話合いができない。それゆゑ、しゃべりたい者は手を擧げ、隊長のラーフからほら貝を渡される。ほら貝を持つてしゃべつてゐる限り、隊長ラーフ以外の誰もそれを制止できない、さういふ規則を作つた。また、いつ何時、救助の船が沖を通らないとも限らない。それゆゑ二十四時間山頂でのろしをあげなければならない。のろしをあげ、それを絶やさぬよう張り番をせねばならない。ピギーの眼鏡を「レンズ代りに使」い、少年たちは火を燃やした。が、枯木を集めて燃やしたから、二十フィートも炎はあがつたが、煙は立たない。どうしたらよいか。  その議論をやつてゐるうちに、少年たちは激してきた。ほら貝を持つてゐるピギーは再三腹立たしげに言つた、「ぼくは、ほら貝をもつてゐるんだ」するとジャックが「ものすごい見幕で」どなつた、「默つてろ!」。  けれどもジャックはやがて反省してこう言つた。「ぼくらは、規則を作つてそれに從わなければならない。つまり、ばくらは野蛮人じゃないんだ。イギリス人なんだ。そして、イギリス人は何をやつても立派にやれるんだ」。  ともに「何をやつても立派にやれる」イギリス人のはずのジャックとラーフとは、しかしながら、次第に激しく對立するようになる。例えばある日、突然、「見つけたぞ!」とジャックが叫んだ。ラーフはジャックが救助の船を「見つけた」のだと思ふ。が、ジャックが見つけたのは豚であつた。ジャックは今度こそきつと豚を殺せる、いや殺してみせると、そのことばかりを考えていたのである。「きみは救助されたくはないのか。きみが話せるのは豚以外にはないのか!」とラーフ。「でも、ぼくらには肉がいる!」とジャック。「でも、きみはそれを樂しんでいる!きみは狩猟がしたくてたまらないんだ!」とラーフ。  一見無邪氣で愛すべき少年たちの心中にも獸性がひそんでいた。例えばモリスといふ少年は、六歳くらいの子供が砂浜にこしらえた砂の城を、めちゃめちゃに毀して樂しんだ。ロジャーといふ少年は砂浜で遊んでいるヘンリといふ少年に面白半分に石を投げた。作者ゴールディングはこう書いてゐる。「しかし、ヘンリの周邊にはおよそ直径六ヤードの、ロジャーが石をどうしても投げこめない圓い地点があつた。ここには、古い世界の見えないけれども依然として強力に働いてゐるタブーが、存在していた。(ヘンリの)周囲には、兩親と學校と警官と法律の保護があつたのだ。石を投げてゐるロジャーの腕は(中略)文明世界によつて制約されていたのだ」。  ジャックはどうしても豚を仕留めたかつた。そこで自分の顔に粘土を塗りたくつた。迷彩のつもりであつた。が、「赤と白と黒の色彩で隈どられた顔」の背後に、彼は獸性に逆らうものすべてを隠すことができた。少年たちにはイギリスで受けた教育がタブーとしていたものがあつた。すなわち、ロジャーがヘンリに面白半分に石を投げた際も、ヘンリの周邊およそ六ヤードの、どうしても石を投げ込めない區域があつた。だが、それは次第に狭くなつていつたのである。そしてそれはジャックやロジャーに限つたことではなかつた。  ある日、沖を船が通つた。けれども肝腎ののろしは消えていた。のろしの番人はジャックと共に豚狩りに行つていたのである。その豚狩りの一隊が戻つて來た。二人の少年が肩に大きな棒を担ぎ、その棒には「臓腑を抜かれた豚の死骸がぶらさが」つていて、少年たちはこう歌つていた、「豚を殺せ。喉を切れ。血を絞れ」。  「船が沖を通つたんだぞ」とラーフが言つた。「火を消したりして、だめじゃないか」とピギーも言つた。すると、ジャックはピギーの鳩尾を拳固で殴りつけ、ピギーの眼鏡の片方のレンズが壞れた。  殺した豚を料理して食うことになつた。ラーフもピギーも食つた。「肉への誘惑には抵抗しがたかつた」のである。するとジャックが言つた、「ぼくがみんなに肉を食べさせてやつたんだ!」。少年たちは「畏敬の眼差し」でジャックを見た。食い終わると少年たちは踊りながら歌つた、「豚を殺せ。喉を切れ。殴り倒せ」。  少年たちの心は急速に荒んでいつた。ある日、ラーフがほら貝を振りながら言つた、「ぼくらは、水泳プールの向うの浜邊沿いの岩の所を、便所に決めたはずだ。(中略)今じゃみんな、いたる所で用をたしてゐる」。けれども少年たちは笑いころげるばかりであつた。そればかりではない、次第に少年たちはほら貝の威力を無視するようになつたのである。ほら貝を持たない者が發言するのは規則違反だが、「だれもそれを意に介さ」ないようになつた。ラーフが必死の思ひで抗議した、「ぼくらが今もつてゐるのは、規則だけなんだ!」。するとジャックが言ひ返した、「規則なんか糞食えだ!ぼくたちは強いんだ−ぼくたちは狩りができる!獸がいたらやつけてやる!」。  要するに、「片方には、狩猟と驅け引きと恐るべき歓喜と技術のすばらしい世界」があり、他方に救出されたいとの「願望と挫折した常識の世界」があつたのである。そしてこの無人島では、いや實を言へば、ロンドンでも東京でもとどのつまりは同じことなのだが、非常識は常識よりも遙かに魅力的なのである。殺さずに我慢することは自由奔放に太刀打ちならない。そこで遂にジャックが言ふ、「ラーフは狩りなんか下手糞なんだ。ラーフに隊長の資格がないと思ふ者は、だれとだれだ?」。  多數の少年たちがジャックのあとを追つて立ち去つた。殘つたピギーはラーフに言つた、「なあに、ぼくたちだけでうまくやつてゆけるさ。常識のないあの連中なんだ、この島でごたごたを起すのは」。  一方、ジャックはあとを追つて來た少年たちに言つた、「ぼくたちで狩りをしようじゃないか。ぼくがこれからは隊長だ」そして彼らは雌豚を見つけ、槍を打ち込み、ジャックがナイフをぐさつと突き込み、少年たちは血まみれの殺戮に酔つた。  だが、殺した豚の肉を料理することになつて彼らは氣づいた、火がない、火をどうやつておこすのか。ラーフとピギーを襲撃して火を奪う、それしか手はない。そこで火を盗むことにして、實際それを敢行するのだが、そのことよりも、この段階でもジャックが、獨裁的に振舞つてゐるジャックが、あるものに對する畏怖の念を持ち合わせていたといふことのほうが重要である。そのあるものとは巨大な蛇に似た獸で、夜中それを目撃したと一人の少年が言ひ、ジャックもその存在を否定できずにいた。そこでジャックは豚の頭を切り落とし、それを木の棒の先端に刺し、地面にその棒を突つ立てた。そして言つた、「この頭はあの獸にやるんだ。ぼくたちからの贈り物だ」。  その豚の頭は「眼をどんより開き、かすかに笑いをもらし、血を齒と齒に眞つ黒にこびりつかせ」、あたりには蠅がぶんぶん飛び廻つていた。そこヘサイモンといふ「いつも卒倒」する癖のある蒼白い顔の少年がひとりでやつて來た。すると豚の頭が、いや「蠅の王」が、サイモンにこう言つた、この「私が例の獸なんだ。獸を殺せるなんておまえたちが考えたなんて、ばかげた話さ。わたしはおまえたちの一部なんだよ。齢まえたちのずつと奥のほうにいるんだよ」。それゆゑお前たちはもつとひどい状態になる、「それはみんなわたしのせいなんだ」。サイモンはぶつ倒れ、意識を失うのである。  やがて意識が戻ると、サイモンはあちこちさまよい歩き、山頂まで登つて行き、そこで少年たちの恐怖の的だつた「獸」の正體を見た。それは不時着した飛行士の死體で、腐敗しており、パラシュートをつけていて、それが風でふくらむと死體は身を起こし、凋むと「前方へお辭儀をするかのごとく頭を垂れるのだつた」。「獸」の正體について皆に報告しなければならない、そう思つてサイモンは山道を駈けおりた。  一方、ジャックたちは豚肉を食つていた。食つてゐるうちに雷鳴がとどろき、稲妻が光り、大粒の雨が降つて來た。ジャックが叫んだ、「さ、おれたちのダンスをやろう!」。少年たちは輪になつて踊り狂い、雷鳴に負けまいと甲高い調子で叫んだ、「獸を殺せ!喉を切れ!血を流せ!」  その血に飢えたイギリス生まれの蛮人の輪の中に、森の中から這うようにして出て來たサイモンが卷き込まれた。サイモンは聲高に、山頂の死體のことを知らせようとする。が、あたりは暗くなつていたし、少年たちは狂つたようになつていて、何を言おうと聞いてはくれない。サイモンは輪の中から必死になつて這い出したものの、岩の端の急な崖から波打ち際の砂の上へ轉落した。すると、少年の一團が「そのあとを追つて殺到し、崖を降り(中略)體當りでつつかかり、絶叫し、殴り、噛みつき、引き裂いた」。  サイモンが殺されると、「急に雲が切れ、雨が滝のように降り出し」、強い風が山頂のパラシュートをふくらませ、パラシュートは飛行士の死體を、はるか沖合へと運び去つた。そしてサイモンの死體もまた、大波にさらわれ、「ゆつくり外海へ流れ去つた」のである。  ジャックはサイモン殺しの事實を認めようとはしなかつた。「腰まですつ裸になり、顔を白と赤で隈どつ」た隊長は、少年たちにこう言つた。われわれはこの洞窟、このわれわれの陣地をラーフたちに奪われないようにしなければならない。「それから、あの獸がやつて來るかもしれない。きみたちも覺えてゐるはずだ、あいつが這い出してきたのを−獸は變裝してきた。きつとまた來る」。  すると、スタンリーといふ少年が言つた、「でも、ぼくらはやつちまつたんじゃないのか」。そう言つてスタンリーは身もだえし、目を伏せた。「違うつたら!」とジャックが言つた。「續いて沈默があつたが、どの少年も自分たちの記憶から逃げようとしていた」。つまり、この時はまだ、小さな蛮人たちの心の中に、かすかなものながら、良心の殘り火があつたのである。  だが、それは急速に燃えつきる。ジャックたちは、夜、ピギーを襲つて眼鏡を奪うのだが、火種を絶やしてしまう心配がなくなつて後、少年たちの良心の火種はほとんど絶えたかと思はれるほどになる。  一方、そうとは知らず、ピギーはラーフとともに、眼鏡を返してもらうため敵陣へ乘り込む。そしてほら貝を高く掲げて叫ぶ、「いいか、みんな、ぼくはほら貝をもつてるんだぞ!どつちがいい−規則を守つて仲良くやつてゆくのと、狩りをしたり殺したりするのと?」  突然、少年の一人が、高い所から岩を落とす。それがピギーにあたり、彼は跳ねとばされ、崖の下へ轉落し、「頭が割れ、中身がとびだし」、ほら貝も「白い破片となつて砕け」てしまう。すると、ジャックがラーフに向かつてわめいた、「どうだ、きみだつてあんな目にあわせてやるぞ!」。そしてジャックは「はつきりとした殺意をこめて、凄まじい勢いで槍を投げてきた」。ラーフは逃げた。ジャックに率いられた蛮人どもは喚聲をあげ、てんでに槍を投げた。  ラーフは恐怖に驅られて逃げた。一人きりになつて逃げた。逃げおおせて、森の中の空地へ出て、ラーフは蠅の王を見た。すつかり白骨になつた豚の頭蓋骨は、ラーフに向かつて「にたにたと笑いかけ」るのであつた。  政治といふパンツの中に殘虐性が隠されてゐる  この暗い小説はわれわれに何を語ろうとしてゐるのか。人間は生殖器など所有していないかのように振舞つてゐる、「政治といふパンツの中に、貪欲だの生來の殘虐だの利己心だのを隠してゐる」、そう作者ゴールディングは書いてゐる。「なぜ社會主義の理想がスターリンを、ドイツ觀念論がヒットラーを、それぞれ引き出したのか。人々が馬の前に馬車をつないでいたからだ。人間を見ずしてシステムばかり見ていたからだ」。  ゴールディングの言ふとおりである。國家や黨派の仕組ばかりを重視して、人間のありのままの姿をパンツの中に隠し、政治制度を變革すれば人間は幸福になると素朴に信じてゐる連中は、今の日本にもずいぶん多い。  それにまた、ほら貝の萬能を人々は決して疑おうとしない。そのくせ、東大教授佐藤誠三郎氏が、ほら貝の効能を否定するかのごとき暴論を吐いて半年、誰も佐藤氏を咎めなかつた。佐藤氏は「改憲せずともどんなことでもできる」と放言したのである。けれども、『蠅の王』の讀者は、自分の中にジャックを見出すと同時に、ほら貝の果たした意外に強い効果を認識するはずである。  ところで、ラーフは最後にイギリスの海軍士官に救出されるのだが、その時、士官が言ふ、「イギリスの少年たちだつたら、もつと立派にやれそうなもんじゃなかつたのかね」。ラーフは泣いた。身體をふるわせて泣いた。「ラーフは、無垢の失われたのを、人間の心の暗黒を、ピギーといふ名前をもつていた眞實で賢明だつた友人が斷崖から轉落していつた事實を、悲しみ、泣いた」。  いかにもピギーは賢く愛すべき少年であつた。自分はどうしても眼鏡を取り返しに行くと主張する時のピギーのせりふは、すこぶる感動的である。ゴールディングはこう書いてゐる。  「ほら貝をもつてゐるのはぼくだ。ぼくはジャック・メリデューの所へ行つて、ちゃんといつてやる、いつてやるとも」  「きみはやられて怪我をしちゃうぞ」  「あいつにやられることくらいたかが知れてる。(中略)あいつのもつていないたつた一つのものを、ぼくはあいつに見せてやりたいんだ。(中略)このほら貝を手にしつかりもつたまま、あいつの所へ行く。あいつにこれをつきつけてやる。さ、いいか、つてぼくはいつてやる、きみはぼくより強いかもしれない、きみは喘息もわずらつていないかもしれない。きみはちゃんとものが見えるかもしれない−でも、ぼくは眼鏡を返してほしいとお願いにきたんじゃない。男らしくしてくれといふのだつて、きみが強いから頼むのじゃなくつて、正しいことは正しいことだからいうのだ。さ、ぼくの眼鏡をわたしてもらおう、つてぼくはいうつもりなんだ」。  もちろん、このピギーの勇氣も蛮人たちには通じなかつた。あくまでも「正しいことは正しい」と主張する、それはまことに見事なことだが、實際にはピギーは殺され、ほら貝も「白い破片となつて砕け」てしまう。では、ほら貝は、すなわち法は、所詮暴力の前には無力なのであろうか。  斷じてそうではない。それゆゑ私は、佐藤誠三郎氏の「改憲せずともどんなことでもできる」との發言を暴論と決めつけるのである。ほら貝すなわち法は、とどのつまり暴力には勝てなかつたものの、最後の最後まで機能するのであつて、『蠅の王』の讀者はそれを見逃してはならない。ゴールディングはこう書いてゐる。  ピギーがほら貝を高く掲げると、(少年たちの)ぶーぶーいう音がさらに小さくなつた。が、急にまた大きくなつた。  「ぼくは、ほら貝をもつてるんだぞ!」               彼は絶叫した。  「いいか、みんな、ぼくはほら貝をもつてるんだぞ!」  驚いたことに、こんどはみんなしーんと靜まりかえつた。  佐藤誠三郎氏の言ふように、「改憲せずともどんなことでもできる」のなら、憲法なんぞは無用の長物である。が、法律は元首相を刑務所へ送り込むほどの力を持つてゐる。といふことは、平時における法の力は暴力や權力よりも強いといふことにほかならない。血に飢えた少年たちさえ、「ぼくはほら貝をもつてゐる」とのピギーの絶叫に、よしんば一時的ではあつても威圧され、「しーんと靜まりかえつた」ではないか。  法は暴力の前に無力なのか  けれども、日本人は法の力といふものをあまり信じていない。それゆゑ、佐藤氏が暴論を吐いて半年たつが、誰も佐藤氏を咎めようとはしなかつた。けれども、日本は再び鎖國できないのだから、歐米人と日本人の法意識のへだたりを、われわれは承知していなければならない。われわれは「法律一点張り」で判斷しなければならない際にも、とかく「情誼」に頼ろうとする。川島武宜氏は『日本人の法意識』に「第四五帝國議會衆議院委員會議録」から、興味深い一節を引用してゐる。借地借家調停法が審議された際、政府委員の一人はこう言つたといふ。  「是ハ唯タ法律一点張リデ、當事者ノ權利關係ヲ判斷スルノデハナイ、即チ御互ニ借地人トナリ地主トナリ、若クハ借家人トナリ家主トナルト云フ關係モ、唯タ通一遍路傍ノ人ト違フノデゴザイマスカラ、ソコニ自ラ情誼モアリ、自ラソコニ道徳ガアルノデアリマスカラ、ソレニ依ツテ決定シヨウト云フ意味デ調停スル譯デアリマス」。  ゴールディングの小説を讀んで、讀者が「おのれの中にジャックを見出すと同時に、ほら貝の果たした意外な効能を認識するよう希望する」と私は書いた。だが、もとより私自身もふくめて、われわれ日本人は、「おのれの中のジャック」をほとんど氣にかけることがない。われおれは今もなお、滅私の精神を美しいと考え、自己主張を醜いと思ふのである。それゆゑ、日本の少年たちが南海の孤島に流れついたとしても、「ほら貝をもつてしゃべつてゐる限り、隊長以外の誰もそれを制止できない」などといふ規則は決して作らないであろう。すなわち、「法律一点張り」ではなく、必ず「情誼」に頼るであろう。最近『日本國憲法』がベストセラーになつたが、それもつまり、日本人の大半がこれまで憲法を讀んでおらず、また憲法なんぞ知らずとも、何の不自由も感じていなかつたといふことにほかならない。  いや、憲法に限らない、われわれは國際法についても無關心なのである。昭和五十三年、大韓航空のボーイング七〇七機がソ連の戰鬪機に銃撃され、日本人乘客が死亡するといふ事件があつた。その時、『週刊新潮』は福田首相を批判してこう書いたのである。  わが福田サン、何を寢ぼけてゐるのか−。大韓航空機のソ連「領空侵犯」事件で、日本人が銃撃を受け、殺されたといふのに、この宰相は、自衞隊の幹部を前にこんな訓示をたれた。「核戰爭が起るとは思はないが、世界は釋迦、孔子のような聖人君子の國ばかりでなく、いつなんどき不心得な行動を起すかわからない」  すでに、「不心得な行動」が起つてゐる、といふのに、この發言。「何もやらない總理」の面目だけが躍如としてゐる。(五十三年五月三日號)  『週刊新潮』は外務省の見解も紹介したのだが、それによると外務省は「ソ連に抗議すべきだ」といふのが國民感情かもしれないが、「感情で外交を決めるわけにはいかない。假に、事實關係からいつて、ソ連機の發砲には正當な理由があつた、と判斷されれば、ソ連に對して抗議することはできない」と答えてゐる。この外務省の見解は筋が通つてゐる。他國の領空を侵犯し、警告を無視すれば、撃墜されたつて文句は言へないのである。すなわち、國際法も法であり、しかも世界各國は「法律一点張り」で行動するのだから、「情誼」に頼るなどといふことはない。よしんば友好國であつても、「通一遍路傍ノ人ト違フノデゴザイマスカラ、ソコニ自ラ情誼モアリ、自ラソコニ道徳ガアル」などと、決して考えてはくれない。ところが『週刊新潮』は、友好國とは決して言へないソ連にそれを期待してゐる。期待して裏切られたと感じたからこそ、「不心得な行動」と書いたのだし、外務省の見解についても、こう批判したわけである。  しかし、こんなノンビリした態度で對處していいのだろうか。ソ連機の發砲に、いかなる「正當性」の主張があろうとも、相手は無抵抗、丸腰の民間航空機である。“コーリャン・エアライン”といふ英語の文字は、ソ連のパイロットも讀めたはずだ。ソ連戰鬪機は(中略)左主翼の三分の一を銃撃でもぎ取られ、「グレープフルーツ大の十個の穴」をつくつたボーイング機を、その後、誘導することもなく、いわば“撃ちつ放し”で飛び去つてゐる。乘客百三十人を“見殺し”にしたのと同じだ。  ソ連空軍のパイロットは、領空を侵犯した大韓航空機を撃墜することもできたはずである。それなら、「“撃ちつ放し”で飛び去つた」のは、「ソコニ自ラ情誼モアリ」といふことだつたと、そう考えるほうがまだしも筋が通つていよう。しかるに『週刊新潮』の記者は、なんと領空侵犯機を「誘導」して「乘客百三十人」を救助するといふ善意を、ソ連のパイロットに期待したわけである。  夏目漱石が唱えた個人主義の中身  最後に讀者に考えてもらいたいことがある。われわれは『蠅の王』を讀み、眼鏡を取り返しに行くと主張するピギーに感動する。「ぼくは眼鏡を返してほしいとお願いにきたんじゃない。きみが強いから頼むのじゃなくつて、正しいことは正しいことだからいうのだ」と、自分はジャックに言つてやる、そうピギーがラーフに語る時、われわれは暴力に對しても敢然と正義を主張する人間の勇氣に打たれるのである。  けれども、われわれは日本人なのであり、すでに述べたように、長い物に卷かれてゐる時だけ美しく振舞うのである。それゆゑ、「正しいことは正しいことだからいうのだ」と常日頃主張する者は、必ず村八分にされてしまう。本書に私は夏目漱石の作品を取り上げなかつたが、漱石はさういふ日本の精神的風土に苛立ち、果敢にそれと戰つた天才であつた。漱石の作品を取り上げなかつたのだから、『私の個人主義』からすこし長いが引用することにする。  私のこゝに述べる個人主義といふものは、決して俗人の考へてゐるやうに國家に危險を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するといふのが私の解釋なのですから、立派な主義だらうと私は考へてゐるのです。  もつと解り易く云へば、黨派心がなくつて理非がある主義なのです。朋黨を結び團隊を作つて、權力や金力のために盲動しないといふ事なのです。夫だから其裏面には人に知られない淋しさも潜んでゐるのです。既に黨派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行く丈で、さうして是と同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。其所が淋しいのです。(中略)  私は意見の相違は如何に親しい間柄でも、何うする事も出來ないと思つてゐましたから、私の家に出入りをする若い人達に助言はしても、其人々の意見の發表に抑圧を加へるやうな事は、他に重大な理由のない限り、決して遣つた事がないのです。私は人の存在をそれ程に認めてゐる、即ち他に夫丈の自由を与へてゐるのです。だから向ふの氣が進まないのに、いくら私が汚辱を感ずるやうな事があつても、決して助力は頼めないのです。其所が個人主義の淋しさです。個人主義は人を目標として向背を決する前に、まづ理非を明らめて、去就を定めるのだから、或場合にはたつた一人ぼつちになつて、淋しい心持がするのです。それは其筈です。槙雜木でも束になつてゐれば心丈夫ですから。  いかにも漱石の言ふとおりで、ピギーのように暴力に對してもひるむことなく、たつた一人になつても敢然と正義を主張するなどといふ野暮な振舞はせず、黨派に屬して黨派の正義を主張し、「槙雜木」として「束になつてゐれば心丈夫」である。そして、高村光太郎が言つたように、日本人同士「心と心とをしやりしやりと擦り合せたい」と、われわれは皆思ふのである。けれども重ねていうが、日本は再び鎖國はできない。それなら、われわれは、好むと好まざるとにかかわらず、東洋風の倫理と、西歐風の「自己本位」の倫理とを、滅私奉公の倫理と「個人主義」の倫理とを、いかにして調和させるかといふ大問題に關心を持たなければならない。すなわち、われわれは、森鴎外が言つたように、「二本足の學者」でなければならない。明治四十四年、鴎外はこう書いたのである。  新しい日本は東洋の文化と西洋の文化とが落ち合つて渦を卷いてゐる國である。そこで東洋の文化に立脚してゐる學者もある。西洋の文化に立脚してゐる學者もある。どちらも一本足で立つてゐる。一本足で立つてゐても、深く根を卸した大木のやうに、その足に十分力が入つてゐて、推されても倒れないやうな人もある。さういふ人は、國學者や漢學者のやうな東洋學者であらうが、西洋學者であらうが、有用の材であるには相違ない。併しさういふ一本足の學者の意見は偏頗である。偏頗であるから、これを實際に施すとなると差支を生ずる。東洋學者に從へば保守になり過ぎる。西洋學者に從へば急激になる。現にある許多の學問上の葛藤や衝突は此二要素が爭つてゐるのである。そこで時代は別に二本足の學者を要求する。眞に穏健な議論は、さういふ人を待つて始めて立てられる。さういふ人は現代に必要なる調和的要素である。然るにさういふ人は最も得難い。(『田口鼎軒七囘忌における講演』)  「さういふ人」は今日もなお「得難い」のである。そして、明治四十四年の「日本は東洋の文化と西洋の文化とが落ち合つて渦を卷いてゐる國」だつたかもしれないが、すなわち「和魂洋才」の國だつたかもしれないが、今の日本は「無魂洋才」の國なのだ。われわれが身につけてゐるのは、すべて西洋傳來の物である。もはやこの國に褌をしてゐる男も、腰卷をしてゐる女もいない。そして自動車も時計もカメラも日本製が最も優秀なのである。けれども、われわれは自國の古典からは遠ざかり、幸田露伴や樋口一葉の「偏頗」を理解せず、一方、本書で批判した學者たちのように、洋魂を理解できぬことを氣に病むといふこともない。  もとより本書の讀者は、さういふことを氣に病むことが大事だといふことを認めてくれると思ふ。では、讀者は例えば、『地下生活者の手記』について、奥方に語つてみるとよい。奥方はたぶん、漱石の『道草』の細君のように、赤ん坊を抱きあげて、「おお好い子だ好い子だ。御父さまの仰しやる事は何だかちつとも分りやしないわね」と言ふであろう。そうなれば讀者は、「既に黨派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行く丈で、さうして是と同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。其所が淋しいのです」との漱石の言葉に、同感できるようになる。そしたら讀者は、漱石の全集を讀めばよい。この私のつたない讀書入門が、漱石、鴎外といふ偉大な「二本足の學者」と讀者との橋渡しの役を果たせたら、私にとつてそれは望外の喜びである。  それゆゑ、漱石の小説を取り上げなかつた代りに、私は最後に國木田獨歩の小品について語り、それでおしまいといふことにしたい。獨歩は若死したし、漱石・鴎外のような大作家ではない。けれども彼は、洋魂を理解できぬことをたいそう氣に病んだ男だつたからである。 エピローグ「二本足の學者」こそ人間通の鏡      國木田獨歩 『牛肉と馬鈴薯』  明治倶樂部といふ西洋づくりの建物が「芝區桜田本郷町のお壕端に」あつて、その二階の食堂で、ある年の冬の夜、數人の男が酒を飲みながら議論をしてゐる。議題は「牛肉か馬鈴薯か」といふことなのだが、これは少しく説明を要する。まず、上村といふ男が若い頃の體驗を語るのである。上村は同志社にいる時分から「清教徒を以て任じて居た」ため、「北海道と聞くと、ぞくぞくするほど惚れて」おり、「斷然この汚れたる内地を去つて、北海道自由の天地に投じよう」と思つていた。そこで卒業して一年後、友人と連れ立つて北海道へ渡つたのだが、上野駅を汽車が出る時には、東京の奴らに向かつて「名利に汲々として居る其醜態は何だ!馬鹿野郎!乃公を見ろ!」と言つてやりたいほどの氣分だつたのである。  「名利に汲々」とすることを、すなわち名譽欲だの物欲だのにふりまわされることを、なぜ上村は輕蔑したのか。同志社でクリスト教にかぶれたからである。上村は言ふ。  僕は斯う見えても同志社の旧い卒業生なんで、矢張その頃は熱心なアーメンの仲間で、(中略)そしてやたらに北海道の話を聞いて歩いたもんだ。傳道師の中に北海道へ往つて來たといふ者があると直ぐ話を聽きに出掛けましたよ。處が又先方は旨いことを話して聞かすんです。やれ自然が何うだの、石狩河は洋々とした流れだの、見渡すかぎり森又た森だの、堪つたもんぢやアない!僕は全然まゐツちまいました。そこで僕は色々と聞きあつめたことを綜合して如此ふうな想像を描いて居たもんだ。・・・・・・先づ僕が自己の額に汗して森を開き林を倒し、そしてこれに小豆を撤く、(中略)重に馬鈴薯を作る、馬鈴薯さへ有りやア喰ふに困らん・・・・・・(中略)冬になると・・・・・・(中略)冬と聞いては全く堪りませんでしたよ。何だか其の冬即はち自由といふやうな氣がしましてねエ!それに僕は例の熱心なるアーメンでせう。クリスマスと來ると何うしても雪がイヤといふ程降つて、軒から棒のやうな氷柱が下つて居ないと嘘のやうでしてねエ。だから僕は北海道の冬といふよりか冬即ち北海道といふ感が有つたのです。北海道の話を聽いても、「冬になると・・・・・・」と斯ういはれると、身體が斯うぶるぶるツとなつたものです。  上村は「熱心なるアーメン」のつもりだつたが、何のことはない、西洋渡來のクリスマスを「ハイカラ」だと思ひ、「雪がイヤといふ程」降る北海道でなら「熱心なるアーメン」の生活ができると、すなわち、北海道で馬鈴薯を食えば、名譽欲や物欲を捨てられると、そう思ひ込んだにすぎない。もとより、さういふ淺薄な思ひ込みが長續きするはずはない。はたせるかな、北海道で馬鈴薯を作るべく開墾事業に取り掛かつて二ヵ月後、ともに北海道へ渡つた友人が上村にこう言つた、  「何も自から斯んな思をして隠者になる必要はない。自然と戰ふよりか寧ろ世間と格鬪しようぢやアないか。馬鈴薯よりか牛肉の方が滋養分が多い、(中略)要するに理想は空想だ。痴人の夢だ」。そう言つて友人は脱落した。友人が離脱してのち上村は「小作人の一人二人を相手に、其後三月ばかり辛棒した」が、冬がだんだん近づいて、「森とした林の上をパラパラと時雨て來る。日の光が何となく薄いやうな氣持がする。話相手はなしサ、食ふものは一粒幾價と言ひさうな米を少しばかりと例の馬の鈴。寢る處は木の皮を壁に代用した掘立小屋」といふわけで、ついに諦めて北海道から逃げ出したのである。上村はこう語つてゐる。「だから馬鈴裏には懲々しましたといふんです。何でも今は實際主義で、金が取れて旨いものが喰へて、斯うやつて諸君と媛炉にあたつて酒を飲んで、勝手な熱を吹き合ふ。腹が減いたら牛肉を食ふ・・・・・・」。  すでに明らかであろう、馬鈴薯とは理想主義、牛肉とは現實主義のことなのだが、上村の理想主義はすこぶる淺薄なもので、それを近藤といふ男がこう批判する。「僕は馬鈴薯黨でもない。牛肉黨でもない!上村君なんかは最初、馬鈴薯黨で後に牛肉黨に變節したのだ。即ち薄志弱行だ」。すると上村が言ふ、「他人を惡口する前に先自家の所信を吐くべしだ。君は何の堕落なんだ」。近藤は答える、「堕落たア高い處から低い處へ落ちたことだらう。僕は幸にして最初から高い處に居ないから其樣外見ないことはしないんだ!君なんかは主義で馬鈴薯を喰つたのだ。嗜きで喰つたのぢやアない。だから牛肉に餓ゑたのだ。僕なんかは嗜きで牛肉を喰ふのだ。だから最初から、餓ゑぬ代り今だつてがつがつしない」。  上村の馬鈴薯主義は淺薄で、それは若氣の至りの無分別にすぎず、それを笑ふのはたやすいことである。けれども、「嗜きで牛肉を喰ふのだ」と言ひ切る近藤が、上村の理想主義を笑ふのは猿の尻笑いにほかならない。なぜなら、話相手のない掘立小屋の生活に辟易して逃げ出した上村が「高い處から落ちた」とは言へないのと同樣、すなわちそれを「牛肉黨に變節」などとは言へないのと同樣、「最初から高い處に居ない」と言ふ近藤も、「低い處」にいることを誇つてゐる、すなわち「低い處」を「高い處」だと思ひ込んでいるにすぎないからだ。つまり兩者はともに「高い處」にはいないのであり、眞の理想とは無縁な男なのである。「氷柱が下つて」いる北海道でなら、「名利に汲々として」暮らさずにすむ、などと思ひ込む男に理想なんぞあるはずはない。半年しか持たぬ理想は理想ではない。そして、その程度の「理想」に「最初から餓ゑぬ」ことなんぞ何の自慢にもなりはしない。  現實追随主義者は變節漢とも呼べない  けれども、昭和のわれわれは明治の青二才を笑ふことができるだろうか。できはしない。例えば六十年反安保鬪爭のリーダーの一人であつた清水幾太郎氏は『日本よ國家たれ』を書いて、その「變節」を批判された。「變節」とは道徳にかかわる事柄であるべきである。だが、清水氏を道徳的に批判する人々もまた、ついぞ馬鈴薯に餓えたことがないとしたら一體どういふことになるか。確たる證拠なくして私はこれを言ふのではない。清水氏の論文を「空想的軍國主義」と決めつけた猪木正道氏は、若き頃『戰爭と革命』なる著書を公にしてゐる。そしてその中で猪木氏は、「わたくしは、民主主義と平和主義との憲法をかたく守つて行くことが、日本を世界に結びつけ、日本人を人類に媒介する唯一の正しい道」であり、「この憲法を捨てたり、改惡したりすれば、そのとたんに(中略)日本人は奈落の底へと落され」ると書いたのである。若き日の猪木氏は憲法すなわち「牛肉」を、バイブルすなわち「馬鈴薯」だと思つていたのである。猪木氏のさういふ粗雜な考え方を私は『道義不在の時代』(ダイヤモンド社)で、徹底的に批判したから、詳しくは拙著を讀んでもらいたいが、要するに憲法とは「牛肉」でしかないのだから、現實に合わなくなれば何囘改正しても構わない。げんに戰後三十五年間にソ連は五十一囘、西ドイツは三十四囘、憲法を修改正してゐるのである。猪木氏は若い頃、「憲法をかたく守」れと主張した。けれども猪木氏は昨年、憲法第九条第二項を「前項の目的を達するため自衞軍を置く」と改めればよい、と書いた。すなわち猪木氏は頑な護憲論を引つ込めて、及び腰の改憲論を主張するようになつたらしいが、それは斷じて「變節」ではない。かつて日米安保条約に反對した清水幾太郎氏が、今日安保条約の必要を言ふようになつたのと同樣であつて、さういふ政治的な見解の變化は「變節」ではない。つまり、三十年前、日本國憲法をかたく守れと主張した猪木氏も、二十年前日米安保条約に激しく反對していた清水氏も、「眞の馬鈴薯」に餓えていたわけでは決してないからである。猪木氏は現實主義者とみなされてゐる。私はそれは違うと思ふ。猪木氏は上村であり同時に近藤なのである。つまり、昔は「高い處」にいるつもりで「低い處」におり、今は「低い處」にいるつもりで、「高い處」にいるつもりの他人を笑つてゐるわけだ。が、『牛肉と馬鈴薯』の作中人物はさういふ淺薄な手合だけではない。作者は作者の分身たる岡本といふ男を登場させてゐる。  「君等は牛肉黨なんだ。牛肉主義なんだ。僕のは牛肉が最初から嗜きたんだ。主義でもヘチマでもない!」と近藤が得意げに言つた時、靜かに落ち着いた聲で、岡本といふ男はこう言ふ。「至極賛成ですなア、主義でないと言ふことは至極賛成ですなア、世の中の主義つて奴ほど愚なものはない。(中略)僕も矢張、牛肉黨に非ず、馬鈴薯黨にあらずですなア。然し近藤君のやうに牛肉が嗜きとも決つて居ないんです。勿論例の主義といふ手製料理は大嫌ですが、さりとて肉とか薯とかいふ嗜好にも從ふことが出來ません」。  露骨に言つてはいないけれども、要するに岡本は、理想主義だの現實主義だの、自由主義だの全體主義だのと、およそ主義と名の付く物は「手製料理」同樣どつさりあるが、自分は一切そんな物は信用しないと主張してゐるのである。實際、「忠君愛國だつてなんだつて牛肉と兩立しないことはない」と綿貫といふ男は言つてゐるが、それはつまり、牛肉と兩立するように忠君愛國に手を加えた「手製料理」を食つてゐるといふことにほかなるまい。日本人にとつて、忠君愛國も八紘一宇も共産主義も、自由主義も民主主義も、馬鈴薯ではなく、馬鈴薯と牛肉のごつた煮、いや牛肉そのものではあるまいか、要するに日本人はすべて眞の理想とは無縁の現實追随主義者ではあるまいか、そう岡本は、獨歩は言ひたいのである。現實追随主義だから、忠君愛國や八紘一宇が時代の現實だつた時はそれに從い、民主主義や平和主義が時代の現實となれば、それに從う。そして、すでに述べたように、それは「變節」ではない。もしもそれが「變節」なら、昭和二十年八月十五日、日本人のすべてが「變節」したことになる。そして日本國憲法は「變節漢のための憲法」といふことになる。  だが、そもそも「變節」とはどういふことなのか。『新潮國語辭典』によれば、「變節」とは一に「季節が移り變ること」であり、二に「節義を改めること、みさおを變えること」であり、三に「從來の主張を變えること」である。猪木正道氏も清水氏も、敗戰直後の日本人も、「從來の主張を變え」たのである。が、それは「操を變え」たことだつたのか。では操とは何か。操とは「深青」で、一年中變わらない常緑樹の葉を意味し、轉じて「忠義・貞節の意思が道徳的に強いこと」を意味する。が、その「忠義・貞節」は誰に對する「忠義・貞節」なのか。獨歩は『岡本の手帳』にこう書いてゐる。  「神を信ずるもの、」彼等は自から斯く稱し居れり。然ば何故に彼等は世間的の煩に苦むこと多きや。何を着んと思ひわずろう勿れと主は教へ玉へども彼等は是等を思煩ふのみに非ず如何に人に思はれん、如何に世の認めるならんなどをも思ひなやみ居るなり。是れ何故ぞや。彼等の神は天地の造りぬしたらずして、世のものなればなり。(中略)餘は今、彼等と言へり、されど此彼等の内には勿論餘も加はり居るなり。  戰時中大方の日本人にとつて「神」とは天皇であつた。日本人は天皇に對する「忠義・貞節」を重んじた。が、敗戰後、天皇は人間になつた。忠義・貞節のほうは當然宙に迷い、新しい「神」として民主主義を選んだのである。それははたして「變節」だつたのか。岡本の言ふとおり、さういふ「神は天地の造りぬしならずして、世のもの」であつて、天皇も民主主義も絶對的ではない。すなわち神ではない。それなら、絶對的であり絶對に變わらぬものへの「忠義・貞節」などを、われわれ日本人に期待するほうが無理ではないか。  それゆゑ、「如何に人に思はれん、如何に世の認めるならんなどを思ひなや」むことなく、神への揺がぬ信仰ゆえに時勢の變化を一切無視するなどといふ振舞は、われわれにやれるはずがない。「世帯佛法腹念佛」といふが、われわれにとつて信仰とは身過ぎ世過ぎのための便法でしかないのであり、實際、神官は結婚式の時、僧侶は葬式などの法要の時、それぞれ役立つにすぎない。そして、歐米の文學作品には、例えばサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』にも、ソール・ベローの『宙ぶらりんの男』にも、聖書への言及があるけれども、わが國の現代文學に神道や佛教への言及はすこぶる稀である。いや、われわれは今や、儒教が養い育てた忠孝仁義などの徳目にさえ、およそ無關心なのである。  われわれは「道義不在の時代」を生きてゐる  だが、われわれにとつての「神は天地の造りぬしならずして世のもの」なのだから、すなわち絶對者ではなくして相對的存在なのだから、徳目もまた相對的で、時勢の變化に伴い流行つたり廢れたりするのは是非もない。けれども、戰後新しい「徳目」であるかの如く見做されて久しい平和主義だの民主主義だのは、とどのつまり道徳とは無縁であることだけは、われわれも承知していなければならない。道徳とはいつの世にも自己犠牲を強いるものだが、民主主義も平和主義も、自己犠牲を馬鹿らしく思ふ風潮を育てるだけなのである。  私は猪木正道氏について、若い頃の猪木氏も「眞の馬鈴薯に餓えてゐたわけでは決してない」と書いた。けれどもそれはこの私が「眞の馬鈴薯に餓えて」ゐるといふことを意味しない。世間の人は安直に「信仰と言ひ、悟道といひ、安心と云ふ」。けれども彼らは「心理的遊戯」にふけつてゐるのだと獨歩は書き、さらに「されど此彼等の内には勿論餘も加はり居るなり」と書いた。私も猪木氏の「現實追随主義」を笑ふだけでよいなどと思つてゐるわけではない。私はただ、せめてものこと、自分が「眞の馬鈴薯に餓えて」いるわけではないといふ事實を承知してゐることが大切だと主張してゐるにすぎない。鴎外の言ふ「二本足の學者」であるためには、われわれはわれわれの馬鈴薯が眞の馬鈴薯でないといふことを、常に忘れないようにしなければならないのである。 あとがき  本書は二年間『月曜評論』に連載した『この世が舞臺』に加筆したものである。『月曜評論』といつても大方の讀者は知るまいが、桶谷繁雄氏が發行してゐるたいそう立派なミニコミ紙である。國木田獨歩の言ふ「牛肉黨」ばかりのわが日本國では、稿料の安いミニコミ紙には書こうとしない物書きが多い。が、『月曜評論』の執筆者は立派で、稿料が安いからとて手抜きをするといふことがない。さういふ執筆者の眞劍に付き合つて、私も一所懸命に書いた。が、なにしろ私に与えられる紙數は隔週四百字五枚で、作品の荒筋を語り終わるとあとは紙數がいくらも殘らない。それゆゑ、時には飛躍した結論を、強引につけ加えることもあつた。今囘、徳間書店から上梓されるにあたり、私は存分に書き足すことができ、肩の荷が下りたような氣持である。『月曜評論』の中澤茂和氏及び徳間書店の森本豊二氏に深く感謝する。  『月曜評論』に連載するにあたり「この世が舞臺」などといふ題をつけたのは、人間、この世が舞臺のはずなのに、なぜ學者先生はこうも人間について無知なのだろうと、言外にさういふことが言ひたかつたからである。本書の題名もそれでよいかと思つたが、「そんなものパンチに欠ける」と批評されて諦め、結局『人間通になる讀書術』といふ題になつた。それよりも『賢者の毒、愚者の蜜』といふ題がよいとも思つたが、『人間通になる讀書術』でよいではないか、「この世が舞臺」なのだから、「賢者の毒、愚者の蜜」といふことを知つて「人間通になる」、それが大事といふことではないか、と編集者に言はれ、なるほどと思つたのである。  最後になつたが、本書に取り上げた外國の作品の飜譯者名を列記して、謝意を表する。 フローベール 『まごころ』 山田九朗譯・岩波文庫 ヘミングウェイ 『老人と海』 福田恆存譯・新潮文庫 オーウェル 『動物農場』 高畠文夫譯・角川文庫 イプセン 『野鴨』 矢崎源九郎譯・新潮文庫 モーム 『雨』 中野好夫譯・新潮文庫 モーパッサン 『脂肪の塊』 水野亮譯・岩波文庫 フローべール 『聖ジュリヤン傳』 山田九朗譯・岩波文庫 ドストエフスキー 『貧しき人々』、『地下生活者の手記』 米川正夫譯 バルザック 『絶對の探求』 水野亮譯・岩波文庫 チエホフ 『可愛い女』 神西清譯・岩波文庫 メルヴィル 『幽靈船』 坂下昇譯・岩波文庫 ロレンス 『てんとう蟲』 福田恆存譯・新潮文庫 ゴールディング 『蠅の王』 平井正穂譯・新潮文庫  なお、フローベールとイプセンの場合、文庫本は絶版で入手できない。フローベール全集第四卷(筑摩書房)、『イプセン名作集』(白水社)を買い求めるしかない。なお米川譯ドストエフスキーは、今は他の譯者で新潮、角川、岩波の各文庫から出てゐる。全集なら河出書房新社、新潮社から出てゐる。 著者 松原正(C1982) 發行者 徳間康快 印刷 長苗印刷(株) 製本 (株)明泉堂 發行所 (株)徳間書店 ISBN4−19−172579−3