月曜評論 保守とは何か 早稲田大學教授 松原正 連載第一囘 平成十年十一月十五日 第一三七一號 第一囘 (一)  「女性關係、徴兵逃れ、マリファナ」など數々の不品行が暴かれたにも拘らず、クリントンの人氣は一向に衰へない、「正義、公正の米國」はどこへ消え失せたのか、我が日本國においては「スキャンダル、失政があるたびに選擧で與黨が議席を失ふ」が、してみれば日本のはうが「まだしも民主的」なのではあるまいかと、最近、産經新聞の或る特派員が書いた。洵に杜撰な言分であつて、政治家の不品行と民主主義との間に、土臺、何の關聯もありはしない。ヒトラーの率ゐるナチスは「民主的」な選擧の洗禮を受けて第一黨になつたのだし、ヒトラー自身も「不品行」とは無縁で、愛人ブラウンとの仲も「不適切」ではなかつた。が、誰もヒトラーの政治を「民主的」とは評すまい。それに、我國の場合、選擧の度に議席を減らしたのは自民黨であるよりも寧ろ社會黨だが、社會黨議員のスキャンダルはさして問題とされず、何せ無責任野黨だつたから「失政」とも無縁であつた。手を汚す機會も必要も少なかつたがゆゑに、その分、自民黨よりは清潔で、土井たか子なんぞは近附き難い程の清潔な處女、それが今は黨首だから、次の選擧で社民黨はさらに議席を減らすに相違無い。  さういふ次第で、政治家の不品行が議席減を招く事が「民主的」だなどと考へるのは頗る附きの知的怠惰なのである。「分る」とは「分つ」事だが、知的怠惰とは分けねばならぬ物を分けて考へない頭腦混濁の事で、不品行は道徳上の問題だが、民主的であるか否かは政治上の問題に過ぎず、政治と道徳とは分けて考へねばならぬといふ事を、産經の特派員は理解してゐなかつた。クリントンが彈劾され辭任する事になるのかどうか、先の事は解らないし、解りたいとも思はないが、要するにクリントンはへまをやつたに過ぎない。英雄は色を好むが、爲政者は有徳であると思はれてゐる事が大事なので、必ずしも有徳である必要は無い。それは、昔、マキャベリや荻生徂徠の云つた事で、元祿の儒者が知つてゐた事を平成の新聞記者が知らずにゐるのは、齋藤緑雨の云つたやうに「教育の普及は浮薄の普及」だからに他ならぬ。「民主的」な時代には、教育の「機會均等」が重視され、愚者にも生なかの教育が施され、かくて知的怠惰が蔓延るのである。 (二)  だが、私はここで政治と道徳の相剋について語らうとしてゐるのではない。教育を論ふ譯でもない。政治と道徳とを腑分けしない知的怠惰が怪しまれず、非論理的な惡文駄文が跋扈して、詰りは言葉が輕んぜられてゐるといふ嘆かはしい事實、その大事と呼ぶに値する唯一の大事を論はうと思つてゐる。人間は言葉を遣つて物を考へるのだから、政治、道徳、教育、國防、その他何を論じようと、言葉を精密に遣へない者には碌でもない事しか思ひ附けない。嘗てT・S・エリオットは、「文化」といふ言葉が曖昧に用ゐられてゐる事態を憂慮して「文化の定義に關する覺書」なる一本を物したが、言葉を正確に遣はうとする努力、或いは遣はせようとする努力が、我が日本國には著しく不足してをり、大事な言葉の正確な意味を知らうとしても字引が役立たないといふ事が屡々ある。役立たない事に苛立つて、エリオットの顰に倣ふ文人も學者もゐない。かくて「文化」とか「民主的」とかいふ大事な言葉が、何を意味するかを知らずに、或いは知つてゐる積りで、頗る安直かつ曖昧に遣はれる。  「廣辭苑」は民主主義を「人民が權力を所有し、權力を自ら行使する立場」と定義してゐる。が、この定義では民主主義の何たるかはたうてい理解出來ない。多數の「人民が權力を所有」するなどといふ事はあり得ないし、不特定多數が「自ら」事をなす事も無い。知的に怠惰ならざる日本人なら必ずさう考へる。私が所持する最も大部の國語辭典は「日本國語大辭典」だが、それには「政治の原理や形態についてだけでなく、社會集團の諸活動のあり方や人間の生活態度についてもいふ」と記されてゐる。産經の特派員は「民主的」といふ言葉を「社會集團の諸活動のあり方」もしくはクリントンの「生活態度について」用ゐた譯だが、それは誤用であつて、「オックスフォード英語辭典」にもさういふ定義は載つてゐない。「廣辭苑」よりも小型の「ロングマン現代英語辭典」も引いたが、そこには「選出された人民の代表による統治」と簡潔かつ適切に定義されてあつて、やはり「人間の生活態度について」も用ゐるなどとは記されてゐなかつた。辭書は須く「保守的」であるべきで、輕々に流行語や誤用を輯録すべきではない。嘘を吐いたり、親友を裏切つたり、若い女と「不適切な關係」に陷つたりするのは道徳的な問題であつて、それと民主主義なる政治的な問題との間には何の關係も無い。北朝鮮は民主主義國ではないが、孝子もゐれば女誑しもゐるに決つてゐる。 (三)  言葉が正確に用ゐられず、不正確な言葉遣ひが罷り通るといふ事、それだけが日本人たる者の眞に憂慮すべき大事だと私は思ふ。我々は毎日あちこちで惡文を讀まされる。賣文を生業にする手合も惡文を綴つて平氣でゐる。知的怠惰に左右の別は無いから、朝日新聞にも「赤旗」にも、時に「月曜評論」にも惡文が載る。先日、私は小森陽一なる學者の漱石論を通讀してその粗雜に呆れたが、次に引く小森の駄文の非論理的缺陷を、本紙の讀者の大半が指摘し得ないのではあるまいか。  この日午後六時半、在位六四年のヴィクトリア女王は死去し、産業革命後の大英帝國の榮光を象徴したヴィクトリア朝が終焉したのです。金之助にとつての「二十世紀」は、翌日黒手袋を買つた店の店員が言つたやうに、「ひどく不吉な始り方をした」(“The new century has opened rather inauspiciously.” 一月二三日「日記」)のです。  女王が死んだ翌日、金之助即ち夏目漱石は黒手袋を買ひに行つた。すると店員が二十世紀は「不吉な始り方をした」と云つた。後年、折ある毎に英國を罵つた漱石だが、この頃はまだ素直で、弔意を表すべく黒いネクタイなんぞを締めたりしたのだが、それは兎も角、二十世紀の始り方が「不吉」だつたのは英國人たる店員にとつてであつて日本人たる漱石にとつてではない。小森が「金之助にとつて」と書いたのは辯解の餘地の無い知的怠惰の證しだが、さういふ杜撰な言葉遣ひを隨所に見出せる駄本が三流出版社ならぬ筑摩書房から出る。それが、その事だけが、今の日本國にとつて憂慮すべき大事であり、それに較べれば、北朝鮮のミサイルが三陸沖に着彈したなどといふ事件も些事である。航空自衞隊が所持するペトリオットは飛來するテポドンを落せない。科學技術は進歩するから先の事は解らないが、元來ミサイルは飛行機を落す物でミサイルを落す物ではない。それゆゑ北朝鮮の奇襲攻撃を防ぐには、古びた「專守防衞」の看板を降して、ピョンヤンに報復爆撃を加へるだけの能力を航空自衞隊に與へるしかない。だが、知的怠惰と平和惚けの日本國に於いては、それを幾ら云はうと徒勞である。他國はすべて「力の均衡」による國防を當然の事と考へる。インドが核實驗をやればパキスタンもやる。知的怠惰の我國だけが希有の例外だが、半世紀以上も續いた例外は最早例外とは看做されない。 (四)  だが、ここで私が北朝鮮を罵つたり「平和惚け」を批判したりすれば、「月曜評論」の讀者は「我が意を得たり」とて喜ぶであらう。それは必ずしも喜ばしい事ではない。讀者を喜ばせる事が賣文の要諦だから、「産經」には「産經」の讀者を、「朝日」には「朝日」の讀者を、「月曜評論」には「月曜評論」の讀者を、それぞれ喜ばせる記事が載る。戰前は「大政翼贊」一色だつたが、その非「民主的」な過ちを繰返してはならないと、戰後、「民主的」な知識人は頻りに云つた。が、「世界」とか「朝日ジャーナル」とかいふ「民主的」な新聞雜誌には、「左翼」の讀者の意を迎へる記事許りが載つて、それは「右」もしくは「保守」の場合も全く同樣であつた。詰り、戰後も二種類の「大政翼贊」が存在した。「安保騷動」の頃、左右は血相變へて對立したが、いづれ皮相淺薄な對立だつたから、ソヴィエト聯邦の崩潰と同時に消滅し、社會黨は自民黨と野合して、今や「左翼」とか「革新」とか「進歩派」とか「保守反動」とかいふ言葉は死語になつた。「學生紛爭」當時、我が早稻田大學は革マルの根城で、今なほキャンパスに革マルの「立看」は存在するが、「一般學生」は見向きもしない。「革マル」も「一般學生」も今は死語である。年輩の讀者は覺えてゐよう、嘗て「黒猫のタンゴ」なる愚劣で奇妙な歌が流行した事がある。「革マル」や「一般學生」と同樣、「保守」といふ言葉もまた「黒猫のタンゴ」だつたのである。それは詰り、流行とは全く無縁の大事を大事と心得ぬ知的怠惰が半世紀續いた事の證しに他ならない。 連載第二囘 平成十一年四月二十五日 第一三八六・八七合併號 西部邁氏を叱る (一)  あれは何年前だつたか、「本居宣長」脱稿後の小林秀雄がホテル・オークラで講演して、宣長について語り出す前に、「日本の哲學者の文章は惡いですねえ」と呟くやうに云つた。聽衆は「保守派」の知識人で、その大半が餘所事のやうに笑つたが、最前列に坐つてゐた田中美知太郎は笑はなかつた。私も笑はなかつた。若い小林秀雄は幼い文章を綴つたのだし、晩年の「本居宣長」は天皇といふ厄介な問題を囘避してゐるから私は高く評價しない。が、「本居宣長」の文章が一流である事に間違ひは無い。所謂天皇制を肯定する文章が全て勝れてゐて、否定ないし囘避する文章の全てが惡い譯ではない。中野重治は共産主義者で、昭和天皇を屡々罵倒したが、勤皇家ではないが共産主義者でもない「保守派」知識人西部邁や西尾幹二の文章よりも遙かに遙かに上質の文章を綴つてゐる。講談社の文庫に入つてゐて簡單に買へる筈だから、讀者はこの際「五勺の酒」といふ短篇だけでも讀むがよい。昭和天皇について語つた「保守派」の如何なる文章よりもあれは美しく、昭和天皇への屈折した中野の愛情が鮮烈に表現されてゐて、「天皇拔きのナショナリズム」の是非なんぞを論ふ紋切型の知識人には逆立ちしても書けない文章である。愛國心は無くてはならないがナショナリズムなら願ひ下げだし、日本から天皇は決して拔けはしない。 (二)  だが、「拔けはしない」からとて高を括る譯にもゆかぬ。小林秀雄は天皇について論じなかつたが、その「日本文化論の奧底には確かに天皇が存在」してをり、「恐らくさういふ形でしか天皇といふものは語り得ない」し、「語り得ないからこそ貴い」と、先頃、林勝といふ人が本紙に書いてゐたが、「語り難いもの」を何とか語らうとする身悶えを知らぬ物書きを私は信用しない。無論、小林はさういふ身悶えを知つてゐる。天皇について語らうとして足掻かなかつただけである。モーツアルトが大好きだつたから、その美しさについて語りたがつて、第三十九番シンフォニーの最終樂章の樂譜は夕空に浮ぶ雲のやうな形をしてゐるなどと他愛のない事を書きもした。ハイドンに捧げた弦樂四重奏曲第十九番の第二樂章アンダンテ・カンタービレについて「これは殆ど祈りである」と小林は書いて、それは全くその通りなのだが、泰西の名曲の緩徐樂章は全て祈りなのであり、祈りの對象としての絶對者を有しない我々としては「チャイコフスキーのアンダンテ・カンタービレまで墮落する必要」がどこにあつたかなどと云はれても興醒めする許りである。音樂は言葉が終る處で作られるから、音樂の美しさについて語らうとするのは、所詮、無駄骨なのだが、美しいもの貴いものについて我々は無駄と知りつつも語りたがる。小林が天皇を論はなかつたといふ事は、事によると、モーツアルト程「貴い」存在だと思へなかつたからかも知れないが、共産主義者中野重治が昭和天皇への好感を「五勺の酒」に覺えず吐露するその誠實は、三島由紀夫の尊皇節の不誠實よりも遙かに貴重なのだから、天皇を貴いと思はなかつたとて小林を難ずるのは凡そ馬鹿げてゐる。嘗て福田恆存はかう書いた。  語義の示すとほりの君主といふ觀念は私には全くない。理性的にも感情的にも、また氣質的にも、それはない。私の家庭にもそれはなかつた。なるほど小學校や中學校においては、ある程度まで神權的天皇の教育がおこなはれた。ことに私の中學の校長は心からの皇室中心主義者であつたから、私も二年生ころまではその感化を受け、言はれたとほり毎朝神棚に向つて皇室の繁榮と兩陛下の長命を祈つてゐたものである。私は今でもその校長を稀な教育者として尊敬してゐるが、皇室中心主義の感化は長くはつづかなかつた。といつて、その反動も來なかつた。敗戰の十何年も前に、私のなかには天皇は現人神から人間になつてゐたのであり、その變化はあたかも子供のなかで父母が父母としての權威を失つてゆくやうな全く自然な課程だつたと言へよう。(「象徴を論ず」) (三)  「天皇拔きのナショナリズム」などといふ愚かしい事を福田は夢想だにしなかつたし、昭和天皇の人柄を慕つてゐたものの「皇室中心主義者」ではなかつた。三島は昭和天皇の「人間宣言」に批判的で、昭和天皇が嫌ひで、「自分だけの美しい天皇」なる化物の存在を信じてゐた。兩者の天皇觀は對蹠的である。然るに、福田も三島も正字正假名で文章を綴つてゐる。中野の文章はその殆どが略字新假名である。天皇を貴いと思はなかつたとて小林を難ずる譯にゆかぬやうに、略字新假名で書く奴は人非人だといふ事にはならない。先頃、西部邁は或る對談で「正字正假名を用ゐて亂暴な事を書く者もゐる」と語つたさうだが、愚な事を云ふもので、例へば明治の出齒龜こと池田龜太郎も、女湯を覗いた愉快や人を殺して後の虚脱感について日記に記すとなれば「正字正假名を用ゐ」惡文を綴つた筈で、假名遣と人格もしくは文章の上等下等との間に凡そ何の關聯もありはしない。天皇制や改憲を支持する者が全て善良で、その綴る文章も勝れてゐて、天皇制や改憲を否定する者が全て性惡で、その綴る文章の全てが拙劣である譯ではない。同樣に、所謂「謝罪外交」を難じて略字新假名を用ゐる者もゐる。西部もその一人である。西尾もその一人である。略字新假名を用ゐる「保守派」とは甚だしい形容矛楯だから、その事についてはいづれ詳述するが、略字新假名で書くからではなくて頭腦の働きが鈍重だから、西尾も西部も粗雜な惡文を綴るのである。例へば西部はこんなふうに書く。斷るまでもあるまいが、原文は略字新假名である。  當誌の若手編輯者が、ある評論家の書き散らかしてゐる最近の言説は常軌を逸してゐる、それをきちんと咎められるのはあなただけだ、との口上で原稿依頼をしてきた。私も、その評論家の(漫畫家・小林よしのり氏の)『戰爭論』にたいする批判を讀んでゐて、ひどい代物だと思つた。しかしそれについてはすでに他所で少し書きもし喋りもしてゐたので、その依頼はすぐ斷つた。といふより、他人の不出來の作品にたいして、その人の固有名詞を擧げつつ惡し樣に論ふのは、私の好みでも得手でもないのである。それを眞劍に論じるに値する作品だとあへて見立て、上品めかした論爭を仕立てたとしても、その評論家の場合に限らず、この國の現状にあつて、まともな議論など期待すべくもないと私はとうに諦めてゐる。  文章が駄目なら全て駄目だと私は學生に口癖のやうに云ふが、我がゼミには西部の駄文より上等の文章を綴る者もゐる。駄目な學生は毎囘扱いてゐるが、その駄目學生を扱く流儀で、ここで西部を「惡し樣に」腐す事にする。西尾幹二の文章は西部のそれよりも酷いから、これは後に罵倒する事にならうが、駄目な文章を駄目と云ひ切るのが私の流儀であり、「好み」であり、「得手」なのである。まづ、雜誌「正論」の若い編輯者が「きちんと咎められるのはあなただけだ」と西部に云つたといふのは恐らく事實であらう。が、それをそのまま書くのは甚だ淺はかで頗る端ない行爲である。早い話が、假に「月曜評論」の編輯長が私に「保守とは何か」の續稿を何時になつたら書く積りなのか、「年甲斐も無くコンピューター弄りに淫するのもいい加減にして貰ひたい」と云つたとして、それをそのまま書く事は決して端ない事ではない。「コンピューターおたく」である事は、私にとつて決して誇るべき事ではないからである。が、「この國の現状にあつて、まともな議論など期待すべくもないととうに諦めて」ゐるのかも知れないが、「シンガポール在住の渡邊紘さんもスイス在住の木村貴さんもあなたの原稿を頻りに讀みたがつてゐる」と云はれ、「さうまで云はれては仕方が無い、書く事にした」と假に書いたら、本紙の讀者の全てが私の愚昧に眉を顰めるに相違無い。文章を書くといふ事は倫理的な行爲なのであり、他人に煽てられた事を、いやいや自慢するに値すると密に思つてゐる事すら、それをそのまま露骨に書く奴は大馬鹿野郎の破廉恥漢なのである。 連載第三囘 平成十一年五月十五日 第一三八九號 西部邁氏を叱る(續) (一)  知的怠惰は即ち道徳的怠惰だと私はこれまでに屡々書いたが、道徳的に怠惰な西部は、當然、知的にも怠惰であり、それは傳統としての言葉遣ひに對する鈍感にはつきり露れてゐる。例へば、我々は「書き散らす」とは云ふが「書き散らかす」とは云はない。愚にもつかぬ事をあちこちに書くのは書いた物を「散らかす」事ではない。部屋を散らかす事は出來るが「作品」を散らかす事は出來ない。また、批評文は通常「作品」とは呼ばないが、私は西部の「作品」を「眞劍に論じるに値する作品だとあへて見立て」てゐる譯ではない。いや、私に限らない。「ひどい代物」だと思ふ物事について「眞劍に」論ずるやうな醉狂な馬鹿はゐないし、その醉狂を「あへて」やつたとしても、「ひどい代物」を書き撲るやうな馬鹿を相手に「上品な論爭」も「上品めかした論爭」も共にやれる道理が無い。西部は「上品めかした論爭に仕立てたとして」と書いてゐるが、論爭は一人でやるものではないから、それが「上品」になるかどうかは西部の仕立てられる事ではない。西部に「上品めか」さうとする意志があつても、論爭の相手が例へば私のやうに「下品」かつ「亂暴」に應じたら、二人の「論爭」は決して「上品」にならぬ道理である。それに何より、「めかす」とは「それらしく見せる」事だが、物書きは決してめかしてはならない。幾らめかしてもめかした事の淺はかは透けて見えるからである。實際、「上品めかす」とは上品でないのに上品らしく見せる事だが、西部は己が下品な根性を「上品めか」さうとして物の見事に失敗してゐる。「文は人なり」とはさういふ事なのだが、何せ目明き千人盲千人の御時世だから、惡貨は良貨を驅逐して、惡文を綴る司馬遼太郎や小林よしのりが人氣者になる。小林よしのりのために辯じて西部はかう書いてゐる。 (二)  ところが(中略)小林批判のコピーが、山ほどといひたくなるくらゐの分量で、我が家に送られてきた。小林氏はこんなにも批判されてゐたかと呆れつつそのコピーの群れを眺め渡してみて、年相應に物事に動じなくなつてゐる私ではあるが、少々驚いた。一、二の例外を除いて、度外れに淺薄な文章が目白押しに竝んでゐるのだ。量は質に轉化する。この言論はあまりにも劣惡である。それを目の當たりにして素知らぬげにしてゐるには、私の性は、悲しい哉、純朴すぎる。と諦めてしまへば、もう是非もない、あちこちの紙誌にオン・パレードとなつてゐる小林誹謗の文章を、目白を撃つやうにして總ざらひにからかつてみるのも一興と思ふことにしよう。  これまた知的・道徳的に破廉恥な頗る附きの惡文である。まづは知的怠惰だが、量は決して質に「轉化」しないし、コピーは物質だから「コピーの群れ」とは云はない。とかく徒黨を組みたがる知識人を皮肉つて漱石は「槇雜木も束になつてゐれば心丈夫」だらうと云つたが、「槇雜木」は束ねる物で「群れる」物ではない。生物たる目白や馬鹿は群れるがコピーや「槇雜木」は決して群れない。また、「コピーの群れ」を「眺め渡す」には「山ほど」のコピーを床の上に竝べなければならないが、何のためにそんな無意味な事をするか。西部とて床の上に竝べた譯では決してない。「目白押しに竝んでゐる」淺薄な文章を「目白を撃つやうにして總ざらひにからかつてみるのも一興」云々と續けるために、目白を眺め渡すやうに「眺め渡し」た事にしたに過ぎない。見え透いた拙い修辭だが、床の上に竝べた「コピーの群れ」を眺め渡す事は出來るが、「目白押しに竝んでゐる」文章を「總ざらひに」からかふ事は出來ない。「總浚ひ」とは習つた事全てを復習する事だからである。更にまた、目白は慥に枝に竝んで留るが、それを「撃つ」たら一羽は落せても他の目白が皆逃げて仕舞ふ。が、コピーは決して逃げはしない。更にもう一つ箇所だけ、からかふ事は「撃つ」事ではない。目白を狙ひ撃ちにすれば、當つた目白は死ぬが、からかはれただけの事なら目白も「淺薄な文章」の筆者も死にはしない。而も、「淺薄な文章」を綴る愚者はともかく、枝に留る目白なんぞをからかつても仕樣が無い。 (三)  かういふ具合にして西部の「淺薄な文章」には幾らも粗を搜し出せるが、知的怠惰はそのまま道徳的怠惰なのであり、「私の性は、悲しい哉、純朴すぎる」の一句は、うかと書いて活字になつたら慙死するに値する程の破廉恥な文章である。「きちんと咎められるのはあなただけだ」と編輯者に煽てられ、その事實をそのまま書くのは淺はかゆゑの破廉恥だが、よい年をして「純朴すぎる」などと、これはもう、全うな大人の口が裂けても云つてはならぬ破廉恥な臺詞である。「廣辭苑」によれば、純朴とは素直で飾り氣の無い事であり、全共鬪時代の西部はかなり「純朴」だつたかも知れないが、「まともな議論など期待すべくもない」などといふ「上品めかした」臺詞を口にする男が素直で飾り氣の無い男である筈が無い。人間誰しも「年相應に物事に動じなく」なる許りでなく「年相應に」擦れるのだから、擦れる事自體は咎めるに及ばない。「年相應に」擦れながら「純朴」めかす事が知的・道徳的怠惰ゆゑの淺はかなのである。今、かうして私は西部を「惡し樣に論」つてゐる。が、罵られた西部は決して私に反論しない。反論したらもつとこつ酷くやられるといふ事を知つてゐる。西部もまた「年相應に物事に動じなく」なつてゐるのではなく「年相應に擦れて」ゐるのである。  而も、反論しない事によつて西部のはうが勝つ。目明き千人盲千人だからである。西部が「悲しい哉、私は純朴すぎる」と書くと「成程上品な方だ」と千人の盲が思ふ。「きちんと咎められるのはあなただけだ」と云はれたと書けば「それは慥にさうだらう」と盲が思ふ。一方、かうして手心を加へずに西部を批判する私の文章を讀むと、この男は西部に「何ぞ私怨を抱いてゐるに相違無い」と思ふ。或は少なくも「下品な文章だ」と思ふ。「平和を愛する諸國民」に信頼して半世紀、それに先立つて「八紘一宇」だの「大東亞共榮圈」だのといふ性善説的スローガンを掲げて戰つた程のお人好しのお國柄だから、武者小路實篤ではないが、「仲良き事は美しき哉」と、目明きも盲も思つてゐる。それゆゑ「まともな議論など期待すべくもない」。 (四)  だが、「文人相輕んず」と云ふが、物書きが他の物書きの「固有名詞を擧げつつ惡し樣に論ふ」事は、この和合と馴合ひの國にあつて頗る大事な事だと私は思ふ。實は「上品」な筈の西部も左翼を相手にするとそれをやる。例へば荒川章二を罵倒してこんなふうに書く。  なぜあなたは、自分らが半世紀にわたつて厖大な贋の資料で日本軍の殘虐とやらを國内外に喧傳してきたことに一片の羞恥も覺えないのか。そんな不徳、不知の振る舞ひを續けることに喜びを見出すのは惡黨でないとしたら(近代において夥しく發生してゐる)革命家氣取りの神經を病んだインテリにすぎない。(「正論」四月號)  政治主義の盲千人には解つて貰へまいが、私は物の道理を述べて、惡文を添削しつつ左と右を罵るが、西部は左の荒川を感情的に罵つてゐるに過ぎない。「日本軍の殘虐とやら」に關する資料を西部は贋だと思つてゐる。無論、私もさう思つてゐる。が、大江健三郎も荒川も贋だとは思つてゐない。ここに贋物の骨董があるとして、本物だと信じ切つてゐる荒川が頻りにその價値を「喧傳」する場合、私が荒川を罵つて、眞赤な贋物を本物だと「喧傳してきたことに一片の羞恥も覺えないのか」、お前は「不徳、不知」の惡黨、もしくは似非インテリである、などと罵つても仕樣が無い。マルキシズムを信奉してゐる觀客にマルキシズム萬歳の芝居を觀せるのは無意味だと、嘗てイギリスの劇作家プリーストリーは云つたが、「左翼進歩派」を罵倒して政治主義の淺はかな保守派を喜ばせる事も同じく意味が無い。而も、愚かな荒川が眞實本物だと信じてゐるとすると、「喧傳」する事は「不知」のなせる業ではあつても「不徳」のなせる業ではない、といふ事になる。若くて純朴で「革命家氣取りの神經を病んだ」西部が「左翼進歩思想」に行かれた事も、戰時中に皇國史觀に行かれた軍國青年の場合と同樣、決して「不徳」ではない。右翼であらうと左翼であらうと、皇國史觀「自虐史觀」のいづれを信奉しようと、正字正假名を用ゐようと略字新假名で書かうと、それだけの事で知的・道徳的怠惰を免れる譯ではない。 連載第四囘 平成十一年六月二十五日 第一三九二・九三合併號 (※紙面では「第三囘」と誤植) 西部邁氏を叱る(續々) (一)  「左翼」とは、元來、十八世紀のフランス國民議會に於て、議長席から見て左手に陣取つてゐた議員を意味する言葉で、左翼のジャコバン黨は急進的、右翼のジロンド黨は穩健だつたが、それは政治的信條乃至遣り口の違ひであつて道徳的な生き方の相違ではない。恐怖政治の代名詞のやうに云はれるロベスピエールはジャコバンだつたが、その私生活は頗る禁慾的で、同じくジャコバンのダントンのそれは頗る放埒であつた。そして放埒なダントンは「寛容」に過ぎるとて清潔なロベスピエールに處刑されてをり、道徳的に潔癖な奴が獨裁的獨善的に、放埒な奴が寛大に振舞ふといふ事が人生には屡々ある。そして「獨裁的獨善的」とか「寛容」とかいふ道徳的概念は政治信條の如何に關はらない。ジロンドにもジャコバンにも、自民黨にも社民黨にも、韓國にも北朝鮮にも、「獨裁的獨善的」な奴がゐて「寛容」な奴がゐる。愛妻家がゐて女誑しがゐる。正直者がゐて嘘吐きもゐる。それゆゑサミュエル・ジョンソンは「愛國心は惡黨の隱れ蓑」だと云ひ、漱石は「山師、人殺しも大和魂を有つて居る」と書いた。「吾輩は猫である」の一節を引かう。  大和魂! と新聞屋が云ふ。大和魂! と掏摸が云ふ。大和魂が一躍して海を渡つた。英國で大和魂の演説をする。獨逸で大和魂の芝居をする。(中略)東郷大將が大和魂を有つて居る。肴屋の銀さんも大和魂を有つて居る。詐僞師、山師、人殺しも大和魂を有つて居る。(中略)大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答へて行き過ぎた。(中略)三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示す如く魂である。魂であるから常にふらふらして居る。(中略)誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇つた者がない。大和魂はそれ天狗の類か。 (二)  漱石がこれを書いたのは八十餘年も昔の事だが、今も「天皇拔きのナショナリズム」を論ふ手合は、ナショナリズムと愛國心とを腑分けせず、それが「三角なもの」か「四角なもの」を知らぬままに論じてゐるし、愛國心のいかがはしさは「軍靴の音が聞える」らしい「左翼進歩派」が好んで論ずるものの、愛國心を持合せぬ「詐僞師、山師、人殺し」もゐるといふ儼然たる事實を左翼は認めようとしない。愛國心とナショナリズムについてはいづれ後述するが、先に述べたやうに、愛國心は持つてゐるのが當り前で、「詐僞師、山師、人殺しも有つて居る」程だから、持つてゐる事を殊更自慢するには及ばない。性的不能者を除き、性慾は誰でも持合せてゐるが、持合せてゐる事を自慢する程の馬鹿はゐない。然るに、「軍靴の音が聞える」らしい左の馬鹿が、永年、愛國心の危さを「喧傳」して善玉を氣取つたから、右の馬鹿は左の馬鹿を向きになつて批判して、自慢するに當らぬ事を自慢して、これまた善行をなしつつあるかのやうに錯覺した。「のらくろ上等兵」や「サザエさん」とは異なり、いづれ氣の滅入るやうな漫畫であつて、大江も西部も西尾も、所詮は漫畫家なのである。ベストセラー漫畫「戰爭論」の著者小林よしのりを辯護して西部はかう書いてゐる。  『戰爭論』について云へば、その趣旨に私はほぼ全面的に贊成する。といふより私は、若いときから、その趣旨であの戰爭をとらへつづけてきたので、その漫畫本は私には(小林氏には失禮な言ひ方だが)思想的にはさして刺戟的ではなかつた。(中略)しかしそんなことを他人樣に向つていふ前に、私はまづ、一人の誠實な漫畫家に群れなして襲ひかかり惡態のかぎりを盡した知識人たちを、一玉づつ撃つておかなければならない。  文章の添削は切りがないからもうやらないが、「若いときから、その趣旨で」云々は見え透いた嘘であり、幼稚園小學校時代は知らず、全共鬪時代の若き西部が大東亞戰爭を肯定的に「とらへ」てゐた筈は斷じて無い。清水幾太郎の「轉向」のまやかしと諄々しい辯解の嘘は嘗て福田恆存が剔抉したが、清水にせよ西部にせよ、なぜ轉向者は過去を疚しく思ふのか。疚しく思つてなぜ見え透いた嘘を吐くのか。政治と道徳とを腑分けしない知的怠惰のせゐである。先述したやうに、マルキシズムに行かれた事は若氣の至りの淺はかではあつても決して道徳的に恥づべき事ではない。批判する譯ではないから實名を擧げるが、嘗て私は林健太郎と同席した折、左傾した過去を疚しく思ふ事があるかと質した事がある。返事は簡單明瞭、「いいえ、一向に」であつた。天晴れだと私は思つた。ちと亂暴な云ひ方だが、マルキシズムは神拔きのキリスト教なのであつて、キリスト教が無ければ決して發生しなかつたイデオロギーである。カトリック教徒だつたグレアム・グリーンも嘗ては「左翼」であつた。だが、晩年の佳作「キホーテ神父」を讀めば、徒に共産主義即ち「赤」を恐れる事の知的怠惰を讀者は痛感するに相違無い。主人公のキホーテ神父は仲良しの市長と一緒に旅に出るが、市長は共産黨員であり、旅先で神父に是非これを讀めとて「共産黨宣言」を手渡す。讀んだ神父は感想を求められマルクスについて云ふ、「あの人は善い人だ」。  成程、マルクスは「善い人」であり、スターリンは善き人マルクスの云はば鬼子に過ぎない。「惡靈」の作者ドストエフスキーならば、神拔きのキリスト教から當然出てくる鬼子だと云ふに相違無いが、生憎、我々は大昔から絶對者とは無縁で、絶對者と無縁だから神拔きのイデオロギーとも無縁であつた。開國後、將軍家と同樣一人の人間に過ぎない天皇を恰も絶對者であるかのやうに戴く事になつたが、さうせずには曲がりなりの近代化をも果たし得なかつた筈だから、取分け大逆事件以後、社會主義共産主義を惡魔の思想として危險視した事に何の不思議も無い。だが、再度の鎖國はたうてい不可能だつたから、西洋學問は次第に「神國思想」及び「敬神崇祖忠孝一致」なる虚構を浸蝕して、取分け敗戰後は社會主義共産主義が解禁せられたから、例へば「大日本者神國(おほやまとはかみのくに)也、天祖(あまつみおや)ハジメテ基(もとい)ヲヒラキ、日神(ひのかみ)ナガク統(とう)ヲ傳給フ。我國ノミ此事アリ。異朝ニハ其タグヒナシ」との「神皇正統記」冒頭の一節なんぞは誰も本氣で信じないやうになつた。それは不可避だが好ましい事ではない。好ましい事ではないが不可避である。森鴎外はさう考へて、明治四十五年、「かのやうに」と題する短編にかう書いた。すこしく長く引くから是非味讀して貰ひたい。味讀精讀して鴎外の深い思考をなぞるならば、西部邁や西尾幹二や大江健三郎の粗雜安直な思考に愛想が盡きる筈である。 (三)  今の教育を受けて、神話と歴史とを一つにして考へてゐることは出來まい。(中略)學問に手を出せば、どんな淺い學問の爲方をしても、何かの端々で考へさせられる。そしてその考へる事は、神話を事實として見させては置かない。神話と歴史とをはつきり考へ分けると同時に、先祖その外の神靈の存在は疑問になつて來るのである。さうなつた前途には恐ろしい危險が横たはつてゐはすまいか。  一體世間の人はこんな問題をどう考へてゐるだらう。昔の人が眞實だと思つてゐた、神靈の存在を、今の人が嘘だと思つてゐるのを、世間の人は當り前だとして、平氣でゐるのではあるまいか。隨つてあらゆる祭やなんぞが皆内容のない形式になつてしまつてゐるのも、同じく當り前だとしてゐるのではあるかいか。又子供に神話を歴史として教へるのも、同じく當り前だとしてゐるのではあるまいか。(中略)自分は神靈の存在なんぞは少しも信仰せずに、唯俗に從つて、聊か復璽(いささかまたしか)り位の考で糊塗して遣つてゐるのではあるまいか。(中略)今神靈の存在を信ぜない世に殘つてゐる風俗が、いつまで現状を維持してゐようが、いつになつたら滅亡してしまはうが、そんな事には頓着しないのではあるまいか。自分が信ぜない事を、信じてゐるらしく行つて、虚僞だと思つて疚しがりもせず、それを子供に教へて、子供の心理状態がどうならうと云ふことさへ考へても見ないのではあるまいか。どうも世間の教育を受けた人の多數は、こんな物ではないかと推察せられる。無論此多數の外に立つて、現今の頽勢を挽囘しようとしてゐる人はある。さう云ふ人は、倅の謂ふ、單に神を信仰しろ,福音を信仰しろと云ふ類である。又それに雷同してゐる人はある。それは倅の謂ふ、眞似をしてゐる人である。これが頼みにならうか。更に反對の方面を見ると、信仰もなくしてしまひ、宗教の必要をも認めなくなつてしまつて、それを正直に告白してゐる人のあることも、或る種類の人の言論に徴して知ることが出來る。倅はさう云ふ人は危險思想家だと云つてゐるが、危險思想家を嗅ぎ出すことに骨を折つてゐる人も、こつちでは存外そこまでは氣が附いてゐないらしい。實際こつちでは、治安妨害とか、風俗壞亂とか云ふ名目の下に、そんな人を羅致した實例を見たことがない。併しかう云ふことを洗立をして見た所が、確とした結果を得ることはむづかしくはあるまいか。それは人間の力の及ばぬ事ではあるまいか。若しさうだと、その洗立をするのが、世間の無頓着よりは危險ではあるまいか。 連載第五囘 平成十二年二月二十一日 第一四一三號 西尾幹二氏を叱る〈其ノ一〉 (一)  駄目な物書きに「お前さん駄目だ」なんて幾ら云つても駄目なんだ、駄目な奴を自然に無視出來るやうになるのが一番いいのぢやないかと、昔、小林秀雄は云ひ、以後、駄目な物書きに「お前さん駄目だ」とは云はないやうになつた。その代り、駄目な物書きの文章を小林は讀まないやうになつたのではないかと思ふ。讀まないから途轍も無く駄目な大江健三郎にも好意的だつたのだと思ふ。私も、去年、西部邁の駄文を添削して以後、駄目な物書きの文章をさつぱり讀まなくなつた。豫言しておいた通り、西部は私に反論出來なかつたが、反論しない事によつて西部のはうが勝つた。論壇の「人斬り以藏」たる私に執筆を依頼するのは今や「月曜評論」くらゐのものだが、依頼されて書く氣になれないのは書かなくても食へるからであり、負け戰の虚しさを毎度痛感するからである。成程、駄目な物書きに「お前さん駄目だ」と幾ら云つても駄目だが、せめて讀者が成程これは駄目だと思つてくれるのなら、思つてくれるといふ確信が持てるのなら、負け戰もさまで虚しくはない。だが、「月曜評論」の讀者は「諸君」や「正論」の讀者よりも遙かに上等であらうか。この三月に私は早稻田大學を退職するが、早稲田の學生は餘程上等で、學生の私語に私はついぞ惱まされた事が無い。私が机上にノートを開いて、顔を擧げ、講義を始めようとすると、一拍おいて教場は靜まり返る。毎囘同じである。それゆゑ私は滅多に休講しなかつた。教へる事の虚しさなんぞただの一度も感じなかつた。「なんぢら己を愛する者を愛すとも何の報をか得べき、取税人も然するにあらずや」とイエスは云つたが、我ら凡夫は「己を愛する者」しか愛せないのであつて、學生が眞劍に聽かないのなら教師の情熱は滾りやうがない。  だが、今、私はかうして「月曜評論」に書いてゐる。最後の授業でウイリアム・ブレイクとグレアム・グリーンについて講じた序でに西尾幹二を斬つて、それが切掛けで西尾が駄目であるゆゑんを「月曜評論」の讀者にも傳へようといふ氣になつた。西尾は最近「國民の歴史」といふ本を書いて、それが六拾萬部も賣れたといふ。粗雜な頭腦の持主が書いた物なら六百萬部賣れようと駄本だから、私はまだ讀んでゐないが、一月十一日、朝餉の紅茶を啜りながら産經新聞「正論」欄に載つた西尾の惡文を讀み、これは捨て置けないと思つた。昨年末、ニューヨーク・タイムズの支局長が西尾に、「年々西暦の使用が廣まり、つひにミレニアムのカウントダウンまでがお祭り騒ぎで行はれる」現状をどう思ふかと尋ねたのださうである。西尾はかう書いてゐる。  なぜ私にことさらにこの質問を? と反問したら、つねづね傳統價値を主張している日本人に、日本社會で使われてきた暦が消えていくことによってその暦で培われてきた文化が失われていく危險性を感じていないかを知りたいためだ、といふ應答である。こう言はれると私は、さりげなく、たいして氣にもかけてゐませんよ、と本能的に防戰する構えになる。(原文のまま)  何ともはやふやけた文章である。まづ、日常會話において我々は「消えていく」とか「消えてく」とか云ふ。が、文章を綴る時は「消えて行く」と書かねばならぬ。國語を美しい状態に保つ責任が文學者にはあるとT・S・エリオットは云つてゐるが、「行つちやつて」といふ言葉は汚くて「行つて仕舞つて」が美しい。小學生だつた頃の私は「春の小川はさらさら流る」と歌つたが、今の小學生は「さらさら行くよ」と歌つてゐる。確かめる暇が無いから確かめてゐないが、事によると「さらさらいくよ」と歌つてゐるかも知れない。安直な言葉遣ひは安直な思考の證しであり、川は流れる物で行く物ではない。同樣に、「消えていく」と書いて平氣でゐられる男は、常々「傳統價値を主張」しながら實はそれが「消えていく」事を「たいして氣にもかけて」ゐない。嘗て元號の使用を禁じられ本誌の編輯發行人中澤茂和は辭職したが、さういふ「稚氣」は西尾幹二の想像を絶する事であるに違ひ無い。  「傳統價値」の衰退を「たいして氣にもかけ」てゐないから、西尾は略字新假名を用ゐて御先祖樣の流儀を無視し、「傳統價値」とか「消えていく」とか書いて平氣でゐる。それも「さりげなく」平氣でゐる。  「行く」を「いく」と書くなどとは些細な疵ではないかと讀者は云ふか。斷じてさうではない。交響曲も文章も同じ事だが、部分が駄目なら全體が駄目なのである。ニューヨーク・タイムズの支局長は西尾が「危險性を感じてゐないかどうか」を知りたがつたのであつて「感じてゐないか」を知りたがつたのではない。「感じてゐないか」と尋ねる事は出來るが「感じてゐないか」を知りたがる事は出來ない。早い話が、友人に「西尾の文章は駄文だと思はないか」と私が云ふ時、私は「無論、思つてゐるさ」との返事を期待してゐるのであつて、駄文だと思つてゐるかどうかを知りたがつてゐるのではない。そしてその友人が「駄文しか綴れぬ愚者の書く本が六十萬部も賣れる事の危險性を感じないか」と尋ねたら、私は斷じて「本能的に防戰する構へ」なんぞになりはしない。防戰とは他者の攻撃に對して戰ふ事だが、友人は西尾を「攻撃」しようと思つてゐて私を攻撃しようとは寸毫思つてゐない。支局長も同じである。彼は西尾の感想を聞きたがつたのであつて、西尾を「攻撃」しようと思つたのではない。攻撃の意圖が無い他者に對して「防戰の構へ」を採る必要は全く無い。しかく杜撰な文章は杜撰な思考の證しなのである。 (二)  「年々西暦の使用が廣まり、つひにミレニアムのカウントダウンまでがお祭り騒ぎで行はれる日本の現状」を「たいして氣にもかけて」ゐない男が「傳統」的な言葉遣ひを重んずる筈は無い。「傳統價値」とは要するに御先祖樣の流儀だが、御先祖樣は「防戰」といふ言葉を「攻撃に對して戰ふ」といふ意味合に用ゐたし、好んで元號を用ゐて西暦は已むなく用ゐた。「失はれる」と書いて「失われる」とは書かなかつた。傳統とは「先祖にも選擧權を與へる事」だとG・K・チェスタトンは書いてゐる。至言である。先祖の流儀が無視される事を「たいして氣にもかけ」ない者は決して「傳統價値」の信奉者ではない。略字新假名で書く者は保守主義者ではない。保守主義者西尾幹二とは甚だしい形容矛盾である。西尾はまたかう書いてゐる。  日本人は外國からの壓力の度が過ぎるとこれを武斷的に排除したがる性格を持つ反面、周知の通り、深い考へもなしになんでも無差別に外國のまねをしたがる矛盾した性格を持つてゐる。(中略)日本人のこの無原則ないし無性格は、ほとほといや氣のさすこともあるが、日本の前進の原動力でもある。一見して外國崇拜のいやらしい形態をとりながら、じつは確實に普遍文化をとりこむといふ結果をひき起こすのは、文化に國境を見ないこの無差別主義のせゐでもある。  かういふ杜撰な文章を讀んで「無原則ないし無性格」な六十萬もの愚者が、さうか、「ミレニアムの馬鹿騒ぎ」も「前進の原動力」なのか、とて安堵する圖を想像すると氣が滅入る。成程、「昨非今是」の無原則は我々の宿痾だが、それが宿痾である事だけは承知してゐなければならぬ。無原則とは「原則が無く、成行き次第で變る」事だが、成行き次第でころころ變る無節操は斷じて美徳ではない。敗戰なる「成行き」に應じて豹變したジャーナリストを苦々しく思つて、太宰治はかう書いた。  日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を罵倒してみたつて、それはもう自由思想ではない。それこそ眞空管の中の鳩である。眞の勇氣ある自由思想家なら、いまこそ何を於いても叫ばねばならぬ事がある。天皇陛下萬歳!この叫びだ。昨日のまでは古かつた。古いどころか詐欺だつた。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。  昨日まで「古いどころか詐欺」だつた「天皇陛下萬歳」が今日「最も新しい自由思想になる」、それもまた日本人の無原則の證しではないか、とて太宰を皮肉る事も出來る。だが、太宰は云へるやうになつて云ふ言論の安直を憎んだのであり、さういふ言論の安直を忌む美徳が失はれて久しい事を私は悲しむ。「眞空管の中の鳩」とは杜撰な云ひ方だが、鳩が空を飛べるのは空氣の抵抗があるからで、眞空なら鳩は飛べないといふ意味である。抵抗がある中は決して云はないが抵抗が無くなれば安心して云ふ、さういふ無原則の「眞空管の中の鳩」ばかりが、今、のさばつてゐる。言論人やジャーナリストばかりではない。嘗て統幕議長栗栖弘臣と東部方面總監増岡鼎とは、本當の事が「云へない」時に本當の事を云つて防衞廳長官に首を刎ねられたが、今は腰拔けの空幕長でも「空中給油機を導入する」と發言する。憲法改正を優男の野黨黨首が主張して無事である。だが、さういふ「眞空管の中の鳩」にはかういふ文章ばかりは斷じて綴れない。敗戰後、神風特別攻撃隊員が闇屋になつて、雪崩を打つたやうな「轉向」が始まつて、老いも若きも「無差別に外國のまね」をやつてゐた頃、火野葦平は戰犯の指定を解除して貰ふための申請書にかう記してゐる。  私は愚昧でありまして、戰爭の眞の意義といふやうなものに全く無知でありました。ただ、いかなる意味の戰爭にしろ、戰爭が始まつた以上、そして祖國が興廢の關頭に立つた以上、日本人として國に殉じなければならぬと思ひました。(中略)この私の愛國の情熱が誤謬であるといはれれば、もはや何も申すことはないのであります。  かういふ文章を讀んで、無論、私は感動する。「月曜評論」の讀者も感動すると思ふ。太宰は弱い男で要領のよい處もあつたが、「成行賣買」が不得手な火野に二つながらそれは無い。だが、火野の文章に感動して後、その虚しさを我々は痛感しなければならない。火野の愚直はもはや我々のものではない。我々のものでないといふ大事の大事たるゆゑんを認識せず、その大事を「たいして氣にもかけ」ないでゐると、「無原則ないし無性格」こそが「前進の原動力」だなどと愚者に云はれて喜ぶ事になる。人間は無原則無節操であつてはならない。が、情けないかな、今の我々は無原則無節操であり、それを後めたく思はずに先人を讃へるのは、先人の所行を惡しざまに云ふ事と同樣の不毛である。例へば石川達三は軍部に迎合して、「小説といふものがすべて國家の宣傳機關となり政府のお先棒をかつぐことになつても構はない」と書いたが、敗戰後は「マッカーサー司令官が日本改造のために最も手嚴しい手段を採られんことを願ふ」と書いた。「私の所論は日本人に對する痛切な憎惡と不信とから出發してゐる」とも書いた。程度の差こそあれ、この種の無原則破廉恥が我々にもあるといふ事、「保守」にも「革新」にもあるといふ事、それがあるからこそ「あつてはならぬ」と思ふのだといふ事、日本國においてこれくらゐ理解され難い道理は無い。ハムレットはかう語つてゐる。  生か、死か、それが疑問だ、どちらが男らしい生きかたか、じつと身を伏せ、不法な運命の矢彈を堪へ忍ぶのと、それとも劔をとつて、押しよせる苦難に立ち向ひ、とどめを刺すまであとには引かぬのと、一體どちらが。(第三幕第三場、福田恆存譯)  有名な獨白の冒頭の部分だが、「運命の矢彈を堪へ忍ぶ」のと運命と戰ひ「とどめを刺すまであとには引かぬ」のと、どちらが立派かとハムレットは問うてゐる。「ハムレット」が譯され上演されて一世紀以上になるが、我々は「デンマークの王子」から大事な事を何も擧んでゐない。それはまづ「あれかこれか」なる二者擇一の大事である。人間は常に美的に生きるか道徳的に生きるかの二者択一を迫られる。「あれかこれか」はデンマークの哲學者キルケゴールの代表作で、無論、後者すなはち道徳の大事を説くべくキルケゴールは前者を書いたのだが、例へばドンファンの愉悦を知らぬキルケゴールに後者が書ける筈は無く、また書く筈も無い。シェイクスピアの中にはハムレットがゐるがイアゴーもゐる。キルケゴールの中にはドンファンがゐる。我々の中に、情けない事だが、石川達三がゐる。西尾幹二もゐる。それを情けないと我々は思はねばならぬ。 (三)  さて、この邊で西尾の駄文に戻るが、極東軍事裁判のパール判事は日本を辯護して「ハル・ノート如き代物を突き附けられたら、モナコのやうな小國でも武器を取つて立上がるであらう」と云つた。その通りであつて、「外國からの壓力の度が過ぎ」たならば、相應の軍隊を保持する以上、いかなる小國も「武斷的に排除」しようとするに決つてゐる。一寸の蟲にも五分の魂はあるからである。それゆゑ「外國からの壓力の度が過ぎるとこれを武斷的に排除したがる性格」と「無差別に外國のまねをしたがる」性格との間に何の矛盾もありはしない。然し、假にさういふ「矛盾した性格」が日本人にあるとして、さういふ「無原則ないし無性格」が「いや氣をさす」なぞといふ事は無い。何かを嫌だと思ふのは人間であつて人間の「無原則ないし無性格」ではない。「無原則ないし無性格」とは人間の屬性であつて人間そのものではない。人間でないものが「いや氣」なんぞをさす道理が無い。  「外國崇拜のいやらしい形態をとりながら、じつは確實に普遍文化をとりこむ」と西尾は云ふ。何たる粗雜な言分か。開國直後、所謂「大正デモクラシー」の時代、そして敗戰直後、「外國崇拜のいやらしい形態」が存在した事は事實だが、いくら「無節操」な御先祖樣も「普遍文化」ばかりは取込めなかつた。世界各國の文化はそれぞれが獨自なのであつて「普遍文化」なる化け物は絶對に存在しない。存在しない物を取込める道理が無い。日本の相撲取は取組前に鹽を撒く。葬式から戻れば我々も鹽を振り掛ける。我々にとつて怪我や死は「けがれ」だからである。だが、その迷信は日本獨自のものであつて斷じて「普遍的」ではない。アメリカの國技は野球とフットボールだが、野球やフットボールの選手は試合前に鹽なんぞ撒きはしない。昨年、航空自衞隊のT三十三練習機が入間川の河川敷に墜落して二人のパイロットが殉職した。すると瓦といふ防衞廳長官が「洵に申譯無い」とて謝つた。愚かな男である。空自のパイロットが遊覽飛行をやつてゐて河川敷に墜落したのなら平身低頭謝つてもよい。が、二人のパイロットは戰時に備へ操縦技倆を保持するための訓練をやつてゐた。それを航空自衞隊は「年次飛行」と呼んでゐる。無論、ルーティーンだから、年次飛行の折、後席のパイロットが終始居眠りをしてゐる事もある。だが、入間川の河川敷に突込んだパイロットは民家を直撃する事を恐れ、操縱桿を握つて離さず、脱出する機を逸したのであり、河川敷に落ちたと知つて、それを思はぬやうな長官に長官の資格なんぞありはしない。  それはともかく、文化は「普遍」的でないから、墜落といふ非常事態にも彼我の差異が露呈される。米空軍のパイロットは氣輕に「非常脱出」をするし、實戰の折も「生きて虜囚」となる事を恥だとは思はない。さらにまた、航空機が墜落した場合、自衞隊は生存の可能性がゼロだと知りつつも執拗に搜索するが、米軍は頗る合理的で、非情で、生存の見込みが無くなれば搜索を打切つて仕舞ふ。日米兩軍の流儀のどちらがよいかを輕々に斷ずる譯には行かないし、斷ずるのは無意味だが、彼我の文化はそれほど異質なのであり、それゆゑ「普遍文化」なんぞは斷じて存在しない。西尾はまたかう書いてゐる。  日本文化は貯水池のやうな深さがある。何を外から入れても、アイデンティティが壞れない安心感がある。何を入れても結局何も入らないからかもしれない。  惡文を綴るのは頭が惡いからであり、頭の惡い「オピニオン・リーダー」がリードする國は三等國である。自國が三等であつてよい道理は無いから、私はこれまで多數の物書きの知的怠惰を批判したが、道徳的怠惰は批判しなかつた。他人の道徳的怠惰を批判する資格が自分にあるとは思へないからである。だが、知的怠惰なら幾らでも批判してよい。西尾の文章は出來のよい高校生なら到底綴れぬ程の惡文である。さうではないか。「何を入れても結局何も入らない」などといふ馬鹿げた事がこの世に存在する道理は無い。何かを入れようとして入らないといふ事はある。針の穴に駱駝は通せない。愚者西尾幹二の小さな頭に智惠を「入れよう」としても駄目である。だが、西尾の頭に智惠を「入れても入らな」かつたといふ事は無い。「入れても」とは「入つた」事を前提にして用ゐられる言葉であり、「入つた」物は入つたから入つたのである。  我々はハムレットから何も學ばなかつたが、西尾もニーチェの頭腦明晰に學ばなかつた。だが、歐米文化が「普遍文化」なら、それを「入れよう」としたり學ばうとしたりする必要なんぞ全く無い。「廣辭苑」によれば普遍とは「すべてのものに共通に存する」事であり、例へば好色は普遍的だが、毛唐の好色に學ばうとする馬鹿はゐない。他人が持つてゐる物を我々は欲しがらない。「學ぶ」は「まねぶ」とも讀む。學ぶ事は眞似る事であり、我々が何かの眞似をするのはその何かを持合せてゐないからである。「唯に明言するも間違ひなきは、我國の等位の甚だ高からざること、國力の甚だ強實ならざること、國交上經驗不足なることなり」と森有禮は云つたが、高い等位と強實な國力とを持合せてゐなかつたから、明治の日本は歐米列強に學ばざるを得なかつた。「日本人は外國崇拜を胸を張つて行つて、自國文化の獨立にかへつて役立ててきた珍しい國」だと西尾は書いてゐる。支離滅裂の論である。「自國文化の獨立に役立てる」云々と書く以上、自己文化の「獨立」が大事だと思つてゐる譯だが、「獨立」してゐる文化は斷じて「普遍文化」ではないし、劣つてゐるから學ぶ事は決して恥ではないものの、崇拜とは「胸を張つて」やる事ではない。「西洋人と交際をする以上、日本本位ではどうしても旨く行きません。交際しなくとも宜いと云へば夫迄であるが、情けないかな交際しなければ居られないのが日本の現状でありませう。而して強いものと交際すれば、どうしても己を棄てゝ先方の習慣に從はなければならなくなる」と漱石は語つたが、自國の「等位」の「高からざる」事を認めた先人や、列強の「習慣に從はなければならない」事を「情けない」と思つた先人がゐたのだから、西尾の言分は十把一からげの、俗耳に入り易い俗論に他ならない。そしてその手の俗論が卑屈な拝外主義の反動としての夜郎自大の排外主義を育てるのである。(續く) 連載第六囘 平成十二年六月十九日 第一四一七號 西尾幹二氏を叱る(二)  明治四十四年に漱石が云つた事は平成の今もそのまま通用する。歐米諸國は依然として「強いもの」であり、「強いものと交際すれば、どうしても己を棄てゝ先方の習慣に從はなければ」ならない。それゆゑ我々はもはや筆や算盤を使はない、下駄や草履を履かず、歳末には第九交響曲を演奏し、クリスマスがなぜ神聖なのかも知らずに「ホウリー・ナイト」を歌ひ、莫大な米國の國債を所持しながら「バブル」が彈けて後もそれを賣却出來ず、英語を解さずしてウィンドウズもマックもリナックスも使へない。下駄を履いてアクセルやブレーキは踏めないし、御先祖樣に一人のモーツアルトもべートーヴェンもゐないし、節分はクリスマスほど「モダン」でないし、筆や算盤はコンピューターに敵はないし、米國の國債を賣却したくても日米安保條約を廢棄される事が怖い。詰り、歐米の文物が父祖傳來のそれより遙かに便利だから、そしてまた、軍事的に非力で「國力の甚だ強實ならざる」状態だから、今なほ我々は「己を棄てゝ先方の習慣に從はなければ」ならない。漱石はそれを「情けない」事だと思ふ。けれども同時に、徒に威勢のよいショーヴィニズムを苦々しく思ふ。西尾に缺けてゐるのはさういふアンビヴァレンスである。それゆゑ西尾の愚論は單純で、單純だから單純な愚者が讀んで安堵する。 <一>  一例を擧げよう。秀吉の時代、「ポルトガル人の服裝や料理がにはかに流行」して、「キリシタンでもないのに主の祈りを捧げ、アヴェ・マリアを暗誦する者さへあつた」けれども、さういふ「無原則ないし無節操」こそは日本の「前進の原動力」だと西尾は云ふ。「前進の原動力」だなどと云はれて馬鹿はさぞ喜ぶのだらうが、馬鹿と冗談は休み休み云へ、原則無くしては凡そいかなる前進もあり得ない。「廣辭苑」は原則を「人間の活動の根本的な規則」と定義してゐる。うまい定義ではない。「無原則」とは規則が無い事よりも寧ろ信念が無い事を意味する。「原則」とは英語ならプリンシプルだが、「オックスフォード英語辭典」はプリンシプルを、An original or native tendency or faculty; a natural or innate disposition; a fundamental quality which constiutes the source of action.と定義して、「人間を支配する二つのプリンシプルがある。驅立てる自己愛と制止する理性」といふポープの文章を引いてゐる。成程、我々はみな、とかく利己的に振舞ひたがるが、それを屡々理性が制止する。だが、自己愛も理性も、共に人間を「前進」もしくは「後退」させる「原則」である事に變りはない。  「廣辭苑」の定義よりも「オックスフォード英語辭典」のそれのはうが精密なのは、大部の辭典だからではない。「情けないかな」、英國人のはうが日本人より物事を理詰めで精密に考へるからである。「無原則が前進の原動力」などといふ非論理的な文章は、赤新聞は知らず、英米の新聞には決して載る事が無い。然るにこの國は、杜撰な文章を綴る馬鹿の商賣が繁盛する「情けない」國であり、それゆゑ我國は近代科學を産めなかつた。科學は合理以外の何物でもない。西尾の文章が駄目なのは西尾が合理的に考へる能力を持合せてゐないからである。無論、文章は時に合理を超える。例へば「閑かさや岩にしみ入る蝉の聲」にしても、聲なんぞが岩にしみ込む道理は無いが、さういふ愚な事を我々は決して考へない。シェイクスピア劇には亡靈が登場するが、亡靈が顯れなくなつて演劇は駄目になつたと、ジョージ・スタイナーは云つてゐる。エドガー・ポウが狂つたのは合理的にしか考へられなかつたからだとG・K・チェスタトンは云つてゐる。いづれも至言であつて、信仰と同樣、文學は科學ではない。それゆゑ、良き文章は時に合理を超える。だが、それは飽くまで「時に」であつて「常に」ではない。西尾の文章は常に合理を超える。筆者の頭が惡いからである。頭が惡いのに書き流すから「無原則」といふ言葉の意味を把握出來ない。西尾は書いてゐる。  古代日本人が佛教や律令をとり入れたときに、中國文字を介するといふ屈辱などはおそらく感じたはずがない。漢字漢文は當時の國際公用語であつた。中國崇拜に光だけを見た。それで危瞼はなかつた。日本は大陸の軍勢に蹂躙された經驗はないからだ。  餘りにも酷い文章だから、先を引く前に添削するが、「公用語であつた」の主語は「漢字漢文」であり、それに續く「光だけを見た」の主語は「古代日本人」である。こんな事、本來なら小中學校の作文の時間に教へらるべき事だが、二つの節が等位接續詞によつて連結される場合は主語を省略する。省略しても讀者の理解を妨げないからである。但し、それは主語が同じ場合であり、異なる場合は省いてはいけない。讀者に虚しい負擔を強ひるからである。書かれてゐる事が高級で、筆者が、彫心鏤骨、苦勞して書いてゐるのなら、讀者もまた苦しんで讀まねばならぬ。だが、西尾の書いてゐる事は「古代日本人」に對する侮辱だが、書かれてゐる事自體は頗る平凡で、平凡な事を平易に語れないのは頭が惡いからである。「お前の文章は人樣に讀んで頂く文章ではない」と、私は屡々學生に云つたが、西尾が大學院の學生なら、私は決して優を與へない。せいぜいの處、可である。  惡文を綴つて平氣でゐる極樂蜻蛉だから、西尾は複雜な事柄についても大雜把にしか考へない。それゆゑ向こう見ずに斷定するのだが、「情けないかな」、その淺慮ゆゑの斷定を淺はかな讀者が喜ぶ。だが、佛教を受容した「古代日本人」が「屈辱」を感ぜず、「中國崇拜に光だけを見た」とはまた何たる大雜把か。西尾は物部守屋なる御先祖樣を知らないのか。守屋は佛教受容に反對して、受容に積極的だつた蘇我馬子と對立して、馬子が建立した寺を燒き拂ひ、寺の佛像を難波の疏水に投棄したりしたが、やがて馬子の軍勢に攻められ澀河の館で死んだ。彼の死後、佛教は廣く受容され、守屋は佛教の敵乃至聖徳太子の敵と見なされるやうになるのだが、守屋もまた「古代日本人」の一人であつて「中國崇拜に光」なんぞを見はしなかつた。無論、守屋も馬子も佛教受容の是非よりも寧ろ權勢慾ゆゑに張合つたのだし、用明天皇や馬子が佛法を信じたのは病を癒すためだつたが、蘇我物部の對立ゆゑに穴穂部皇子以外にも多くの人間が殺されてゐる。「日本書紀」を讀んでさういふ事を知つてゐたら、「中國崇拜に光だけ」云々の大雜把な文章は綴れる筈が無い。「中國文字を介するといふ屈辱」云々の件りも同じであり、或種の「屈辱」が「原動力」にならずして、支那の字を借り自前の文字を作り出さうとする努力がなされる筈が無い。自分が持つてゐない物を他人が持つてゐる場合、羨望嫉妬もしくは「屈辱」を感ずるのは、或はさういふ不毛な感情を抑へようとする事も共に人情の自然である。當方が文字を持つてゐないのに先方が持ち、當方が駕籠しか有しないのに先方が陸蒸氣を有してゐたのに、飛鳥時代及び幕末の御先祖樣が、先進國崇拜に「光だけを見」てゐたとすると、我々は世界に類例の無い卑屈惰弱腰拔けの先祖を持つてゐる事になる。 <二>  粗雜な文章を綴るのはいかに恐ろしい事か、讀者はこれで納得したであらうか。嘗て私は西武池袋線の吊革廣告に「千に一つの誤差の無い眼鏡作りが當店のモットーでございます」との文言を見出し、産經新聞紙上で眼鏡屋の無智を嗤つた事がある。説明の要はあるまいが、これは「千に一つの誤差も無い」でなければならない。「も」ではなく「の」では、「誤差の無い眼鏡作り」が千囘に一囘といふ事になつて仕舞ふ。迂闊な眼鏡屋と同樣、西尾は己れの駄文が御先祖樣に對する侮辱になつてゐる事に氣附かないのだが、無意識にもせよ先祖を侮辱する「保守派」などといふ化物は存在しない道理だから、西尾は斷じて「保守派」ではない。ニューヨーク・タイムズの支局長は西尾を「つねづね傳統價値を主張してゐる日本人」と形容したさうだが、先祖を侮辱しながらそれに氣附かぬ男が主張する「傳統價値」とは、一體全體、何なのか。我々は言葉遣ひをも含む先祖の流儀を保守せねばならないが、愚かしい流儀も流儀だから「傳統價値」のすべてが價値なのではない。「云へるやうになつてから云ふ」のも先祖傳來の愚かしい流儀だが、先人の愚はそのまま今人の愚であるものの、先人の賢が今人の賢であるとは限らないから、先人の愚を嗤ふのは猿の尻嗤ひ、先祖を裁く事は己れを裁く事になる。だが、それ以上に許せないのは先人の勞苦に思ひを致さぬ鈍感である。文字を有しなかつた飛鳥時代の先祖が、支那に對する劣等意識を持つたとしても、夜郎自大の極樂蜻蛉よりも人間として遙かに全うだが、それはともかく、飛鳥時代から明治まで、我々の賢き先祖は歐米の優越を素直に認め、劣位に立つ屈辱を「原動力」として、先進國に「追ひつき追ひ越す」べく、「和魂漢才」とか「和魂洋才」とかを合言葉に、營々と努力したのであつて、その勞苦を思へば「光だけを見た」などといふ臺詞は口が裂けても吐けない。幕末明治の政治家や知識人にとつては、國力を歐米竝みに強化する事が喫緊の課題であり、歐米に學び、「追附き追ひ越し」て、不平等條約を撤廢させねばならなかつた。條約を結ぶ決斷を下したのは大老井伊掃部頭直弼だが、周知の如く井伊は櫻田門外で暗殺されてゐるし、それに先立ち、所謂「安政の大獄」では多くの志士が處刑されてゐる。さういふ史實を思ひ起せば、「光だけを見た」云々は白癡的樂天的な極め附きの戯言と知れよう。西尾は書いてゐる。  同じことは明治にも繰り返された。英語やドイツ語やフランス語を學んで、文化的植民地に陥る恐れが十分にあつたし、現にあるのだが、そのときにはさうは考へないし、現に考へてゐない。他のアジア諸國に起こつたことが日本には起こらない。日本人は外國崇拜を胸を張つて行つて、自國文化の獨立にかへつて役立ててきた珍しい國である。  「外國崇拜を胸を張つて行つて」井伊は條約締結に踏み切つた譯ではない。「ことさらに異國振りを頼まめや、ここに傳はるもののふの道」と若き直弼は詠つてゐる。だが、彼我の國力の差は歴然としてゐたから、開國を迫るアメリカに譲歩して屈辱的な條約を結び、敕許を得ずに鎖國といふ國策を變改せねばならなかつた。「文化的植民地になる恐れ」は井伊も承知してゐたし、その「恐れ」を云ひ立てぬ「攘夷黨」はゐなかつた。井伊に宛てた水戸齋昭の建白書にも、夷狄との交際によつて國風の失はれる「恐れ」が記されてゐる。齋昭も日本人だから、どこまで本氣だつたか些か疑はしいが、少なくも日米安保條約に反對した手合よりは眞劔であつた。國風を信じてゐたからである。國を開けばキリスト教が入つて來て、それが我國の醇風美俗を破壞するであらうとの恐れは、傳統への信頼と不可分である筈だが、平成の今、我々はキリスト教を信じてゐないし、國風の失はれた事を憂へてもゐない。「ミレニアムのカウントダウンまでがお祭り騒ぎで行はれる」のは、この國が紛れも無い「文化的植民地」だからに他ならない。西尾はドイツ語を學んで「文化的植民地」の模範的な住民になつた。彼のドイツ語がどの程度のものか知らないが、粗雜極まる日本語の文章しか綴れないといふ事、それこそが文化的根無し草たる何よりの證しである。 <三>  我々は自國語で物を考へる。それゆゑ、言葉遣ひこそは最も重んぜらるべき先祖の流儀であつて、新假名を用ゐる保守派を私が信じないゆゑんだが、先人の流儀は後人に施される恩惠でもあつて、支那から漢字漢文が導入された時、上代の先祖は支那語を國語とせず、支那の字を借りて大和言葉を保持したから、そのお陰を蒙つて我々は今、例へば「學」といふ字を「がく」と讀み「まな」と讀む。韓國語では「學」は「はく」としか讀めない、日本人は素晴らしい御先祖を持つたと、かつて韓國の學者に私は云はれた事がある。成程、「學」を「まな」とも讀めるから、學ぶ事は「まねぶ」事であり、「まねぶ」とは眞似る事だと、我々は生徒學生に説く事が出來る。だが、大和言葉を保持するために先祖が拂つた勞苦の凄まじさに、我々は時に思ひを致さねばならない。幕末明治の先祖についても同じである。國を開いて後、西南戰爭まで、血で血を洗ふ鬪爭が繰返へされたが、同時に御先祖は一心不亂に西洋學問をやつて、その際、我々の想像を絶する困難に直面してゐる。「西語にリベルテイといへる語あり。我邦にも、支那にも、しかとこれに當れる語あらず」と中村正直は書いてゐるが、リバティーに限らず、自國にしかと「當れる語」が無い場合は新たに漢語を拵へねばならなかつた。所謂「ネオ漢語」である。「哲學」といふ言葉もネオ漢語であり、拵へたのは西周で、最初のうちは「希哲學」と云った。哲即ち知を希求する學問といふ意味である。フィロソフィーの譯語として頗る上等だが、どうにもならない言葉もあつた。例へばフリーダムとリバティーである。今人が兩者を區別しないのは共に「自由」と譯されてゐるからに他ならない。箕作麟祥は「明六雜誌」第九號にかう書いた。  リボルチー、譯して自由と云ふ。その義は、人民をして他の束縛を受けず、自由に己れの權利を行はしむるにあり。しかして方今歐、亞の各國、その政治の善美を盡くし、その國力の強盛なるは、畢竟みな人民の自由あるに原(もとづ)き、もしその詳(ことごとく)を知らんと欲せば、中村先生所譯・刊行のミル氏自由の理に就きもつてこれを看るべく、ゆゑに餘が贅言を待たざるごとしといへども、リボルチーにまた古今の沿革あるにより、その概略を左に掲載す。  リボルチすなはち自由は、羅甸語のリベルタスより轉じ、そのリベルタスはセルビタスすなはち奴隸人の身分と相對したる自由人の身分を云ひ、しかして羅馬の律法には、人の身分を大別してリベリすなはち自由人と、セルビすなはち奴隸の二種とす。(後略)  「月曜評論」の讀者はこの箕作の文章をどう讀むだらうか。臺灣では電腦と書くが我々はコンピューターと書く。臺灣には片假名が無いから是非も無いが、コンピューターに腦味噌なんぞ無いのだから「電腦」は決して上手い譯語ではない。が、それはともかく、我々が片假名を有するのは先祖のお陰であり、上代の御先祖樣が大和言葉を捨てて支那語を國語にしてゐたら、當然、平假名は作られず、平假名が無ければ片假名も無い道理であつて、箕作はラテン語を羅甸語と書いてゐるが、全ての外國語に漢字を當てねばならぬとなつたらいかに厄介かつ不便か、思ひ半ばに過ぎるであらう。さらにまた、我々が箕作のやうに「國力の強盛なるは」と書かず「強盛なのは」と書き、「知らんと欲せば」と書かずに「知りたいのなら」と書くのは、二葉亭四迷や山田美妙など、所謂「言文一致」の工夫を凝らした先人のお陰である。言文一致とはとどの詰り文語體を廢して口語體で書く事を意味したから、平易ではあつても格調の無い文章が大量生産される切掛けになり、その點功罪は半ばするし、明治の知識人の中には「洋字を以て國語を書す」べしなどと主張するおつちよこちよいもゐたのだが、さういふ「蘭癖」のおつちよこちよいをも含め、彼らがみな、民衆を啓蒙して國力を「強盛」にせねばならぬと眞劍に考へてゐた事は事實であり、實際、言文一致も民衆の啓蒙に大いに役立つたのである。  箕作が云ふやうに「國力の強盛なるは、畢竟みな人民の自由あるに原」くと彼らは固く信じてゐたから、民衆の啓蒙こそが彼らにとつての急務だつたが、いくら啓蒙しようとしても、人民は愚かで無氣力で、笛吹けど踊らず、西周も津田眞道も福澤諭吉も、西の言葉を借りれば、歐洲諸國の「文明を羨み、我が不開花を嘆じ、はてはては、人民の愚いかんともするなし」とて時に「欷歔長大息に堪ざる」を得なかつた。「文化的植民地に陥る恐れ」なんぞを考へてゐるゆとりは無かつた。國を開いた以上近代化は至上命題である、然るに人民がかうも愚昧で無氣力で卑屈では國家の獨立はおぼつかない、このままではいづれ本物の植民地になつて仕舞ふ。それを彼らは憂へた。福澤諭吉は「學問のすゝめ」にかう書いてゐる。  方今我國の形勢を察し、その外國に及ばざるものを擧(あぐ)れば、いはく學術、いはく商賣、いはく法律、是なり。世の文明はもつぱらこの三者に關し、三者擧(こぞ)らざれば國の獨立を得ざること、識者を俟(ま)たずして明なり。しかるに今、我國において、一(いつ)もその體を成したるものなし。 <四>  商賣の事はよく知らないが、平成の今、我國の學術も法律も「外國に及ばざるもの」であり、アメリカと片務的軍事同盟を結んでゐるのだから、依然として「國の獨立を得ざる」ていたらくである。金正日閣下がテポドンを三陸沖にぶち込んで下さつたから、昨今、與論は餘程「右傾化」して、「云へるやうになつて云ふ」手合が、「國力の強盛ならざる」事實を知らぬまま、威勢のよい事を云ふやうになつたが、明治の先人にあつて今の知識人に缺けてゐるのは儒教道徳の殘滓たる和魂であり、その殘滓ゆゑに「歐化」の是非を論ふ先人は道徳的眞摯を失はずにゐて、その眞摯は文章に現れてゐる。次に引くのは地理學者志賀重昂の文章である。  吁嗟日本當代の事業は何ぞ其れ多々錯綜なる哉。外面を虚飾塗抹するの「塗抹旨義」あり、日本の舊分子を悉皆打破せんとするの「日本分子打破旨義」あり、「折衷比較旨義」あり、「國粋保存旨義」あり、「日本舊分子維持旨義」あり。然れば這般各殊の分子は個々相互に牴觸齟齬しつゝあるを以て、日本國家の爲めに一定の運動を作爲せず、爲めに彼の哀々たる三千八百萬の蒼生は空しく這般各殊の旨義が勝敗を觀望して、從ふ處を知らず。彼此奔走して徒らに國力を疲らし、殆んど中流に擢を失ひ暗夜に燈を滅したるものの如く、何を以て進まん乎、何を以て守らん乎。眞個に各自が安堵する箇處を發見する能はざるなり。(中略)予輩は「國粋保存旨義」を以て日本前途の國是を確定せんとする者也。然れ共如何せん彼の.「塗抹旨義」と「日本分子打破主義」の空氣は業既に八十餘州到る處に擴充傳播して、絶大の勢力を逞ふし、上下貴賤は擧りて這般兩主義の感化に眩惑心醉しつゝあるを以て、予輩が眼前今日に到り如何に孤憤するも、如何に大聲疾呼するも、業既に時機に晩るゝ者の如く。轉た人をして王陽明が「不知日已過亭午、起向高樓撞暁鐘」の句を吟誦するの感あらしむ。  明治の地理學者が歐化を本氣で憂へ本氣で絶望してゐる事を、その文章が西尾のそれより上等である事を、二つながら讀者は認めるであらう。志賀の云ふやうに明治の國論は「多々錯綜」してゐたのであり、明治以降の御先祖とて「外國崇拜を胸を張つて行つて、文化的植民地に陥る恐れ」は考へない、などといふ極樂蜻蛉で過ごせた譯ではない。「佛教といふものが、文化のほんの一つの分野となつた現代にゐて、佛教即ち文化であつた時代を見る遠近法は大變難かしい。佛教といふ同じ言葉を使つてゐる事さへ奇妙なくらゐのものだ」と小林秀雄は「蘇我馬子の墓」に書いたが、先祖の所行を思ひ出さうとする時、「遠近法は難しい」との自覺は不可缺であり、それが無いから後人が恣意的に歴史を歪曲し、過去を裁き過去を美化して得意になるといふ漫畫が返される。但し、西尾は史實を歪曲する譯ではない。そんな知能犯ではない。己れにとつて都合のよい史實しか知らうとせず、それゆゑ大雜把な事を書いて平氣でゐるに過ぎない。だが、ヒトラーがよく承知してゐたやうに、さういふ大雜把こそが力であつて、衆愚を動かすのは常に大雜把の單純である。それかあらぬか、西尾の講演を聽いた産經新聞の或る讀者は、現在使用されてゐる歴史教科書の内容について「聞けば聞くほど、はらわたの煮えるくり返る思ひ」がするとの投書を寄せてゐる。腸の煮え返るやうな思ひは決して永續しない。人間はさうしたものではない。聽衆にさういふ不毛な思ひをさせる者はデマゴーグであり、それに乘せられるのは愚者である。戰後久しく左の馬鹿が單純大雜把によつて幅を利かせたが、今は右の馬鹿が時の花を翳しつつある。が、左も右も單純大雜把といふ點で何の變はりも無い。以下に引くのは左の馬鹿の頗る平易な駄文だが、その單純大雜把と西尾のそれとの間に人間についての無知といふ點では何の径庭もありはしない。馬鹿に保革の別は無いのである。  わたしたちは、みんな日本の國をよい國にしたいとおもつてゐます。よい國といふのは、ひとりひとりの人間の尊さがよくまもられてゐる國、といふことだといつてよいでせう。(中略)日本をよい國にしよう。みんなが幸福である國に。(宗像誠也「私の教育宣言」、岩波新書)(續く) 連載第七囘 平成十二年七月十七日 第一四一八號 西尾幹二氏を叱る(三) <一>  地球上に人類が棲息するやうになつてから今日まで「みんなが幸福である國」なんぞただの一度も存在した例しが無い。イギリスから新大陸に渡つた理想に燃える御先祖樣も刑務所と墓場を拵へる事だけは忘れなかつたと、ナサニエル・ホーソンは「緋文字」に書いてゐる。人間は必ず惡事をなすから刑務所が、必ず死ぬるから墓場が、共にどうしても必要なのであり、「みんなが幸福」どころか、一個人でも常に幸福といふ譯に行かないのは、人間が惡事をなし死ぬるからに他ならない。成程、この世には「惡徳の榮え」といふ事があつて、實際、惡事は快なのだが、それは結構な事なので、善が快で惡が苦であるやうな社會に道徳は存在しない。道徳とは葛藤だからである。だが、道徳が葛藤であるのなら、惡は快だが快であつてはならず、善は苦だが苦であつてはならぬ、といふ事になる。さう考へなければ、例へば「マクベス」のやうな作品が傑作として通用してゐる事實を説明する事が出來ない。マクベスは國王になりたくて國王を殺した極惡人だからである。だが、國王ダンカンを暗殺するまでのマクベスは激しい良心の呵責に苛まれ、さういふマクベスにシェイクスピアは實に美しい臺詞を與へてゐる。それは詰り、惡は快だが快であつてはならぬと作者が信じてゐたからに他ならない。  けれども、「惡は快だが快であつてはならぬ」などといふややこしい議論は、「みんなが幸福」云々や「無原則」が日本の「前進の原動力」云々のやうに單純明快でないから決して俗受けしない。俗受けするのは成程と思つたらそれを實行に移せる類の、いや正確に云へば實行に移せると馬鹿が思つて虚しく喜ぶ類の論議である。西尾は書いてゐる。  世の中にはよく一般的抽象的論議を好み、現實を動かすのに役に立たないばかりか、現實とほとんど接點をさへもたない論議を積み重ねても平氣でゐるといふ人がゐる。哲學ならそれでもいいが、教育學とか經濟學とか法律學とかで、これでは困るだらう。  私は現實に關するテーマであれば、一般的抽象的論議よりも前に、たつた一つの具體的で、個別の現實を解決することがなによりも大切だと考へる。一つでもいい、現實を動かすことが緊急である。指をくはへて惡口だけを言つてゐても仕方がない。(「歴史を裁く愚かさ」、PHP研究所)  小兒でもなし、我々が指を銜へるのは傍觀する時で、傍觀する時には人の惡口は云はない。第一、指なんぞ銜へたら惡口を云ひたくても云ひ難くて仕樣が無い。早い話が、私がかうして西尾を罵る時、私は指なんぞ銜へてゐないし、西尾の粗雜を傍觀してもゐない。西尾の文章は數行に二つ三つは粗を捜し出せる類の惡文であり、事ほど左樣に西尾の頭腦は粗雜なのだが、それはさて措き、右の西尾の主張に私は同意しない。「現實を動かすのに役に立たない」論議が人生には絶對に必要であり、知識人の役割は「個別の現實を解決する」事にはないからである。ソクラテスはフィロソフォスであつた。フィロソフォスとは知る事を愛する者といふ意味である。ソクラテスの時代にはソフィストが跋扈してゐて、その仕事は若者に雄辯術を傳授する事であつた。當時、雄辯が出世の條件だつたから、ソフィスト達の仕事は有用で、有用だつたからその商賣は大いに繁盛したし、實際、「現實を動かす」のに確實に役立つた。一方、街角に立つて青年達と問答して、謝禮を一切受取らなかつたソクラテスは「青年に害毒を流す」罪とやらで死刑に處せられたが、死刑にせよと要求したのはソフィスト達であり、それは詰り、ソフィストは當時のアテナイの「現實」を動かしたが、ソクラテスは動かさず、ソフィストの議論は「個別の現實を解決」したが、ソクラテスのそれは「現實とほとんど接點」を持たなかつたといふ事に他ならない。  ソクラテスは知る事を愛したが、「現實と接點」のある詰らぬ事どもを知りたがつたのではない。彼が知りたがつたのはイデアであり、イデアとは云はば究極の姿である。例へば、人間の人相や皮膚髪の色は千差萬別だが、鼻があつて目が二つあつて口が一つ、それは共通してゐる。だが、それが人間のイデアだとは云はれない。鼻や目や口なら他の動物も持合はせてゐる。けれども、惡事を快としながら惡事が快であつてはならぬと思ふ事、それは人間だけの特色であり、してみれば善惡の葛藤に苦しむ事が人間のイデアなのか。さうとも云はれない。シェイクスピアが描いたリチャード三世は、マクベスと異なり、良心の呵責に苦しまないし、かの宮崎勤や酒鬼薔薇とて外見的には五體滿足の人間なのである。  それに何より、我々は安直に善だの惡だのと云ふが、善とは一體何なのか。何が善のイデアなのか。イデアである以上、それは全き善でなければならないが、全き善も善人も「現實」には存在しない。全き惡とて同じであり、盗人にも三分の理がある。殺人は惡だと人は氣易く云ふが、戰場で敵兵を殺す事も惡人を裁き處刑する事も共に惡とは云はれない。それゆゑパスカルは「パンセ」にかう書いたのである。  なぜ殺すかだと、だつて君は川向うに住んでゐるぢやないか。こちら側に住んでゐる君を殺せば人殺しだが、向う側の君を殺せば私は勇士になるのさ。 <二>  さて讀者諸君よ、かういふ論議は「現實を動かすのに」役立つだらうか。無論、何の役にも立ちはしない。では、役立たないから下らないか。斷じてさうではない。北朝鮮と中共とは豆滿江を插んで鄰接してゐる。河のこちら側の北朝鮮で市民が市民を殺せば人殺しだが、戰時、河の向う側で中共の兵隊や市民を殺しても犯罪にはならない。考へてみると隨分奇怪な事だと、さう思ふ事は斷じて無駄ではない。我々の周邊には「考へてみると隨分奇怪な事」どもが澤山轉がつてゐる。哲學のパトスは驚異の念だとプラトンは云つたが、奇怪を奇怪だと思つて驚いて、なぜそんな奇怪な事がと考へ始める、それが本當の思索の端緒なのである。殺す事が或時は惡で或時は惡でないのなら、善も惡も相對的であり、軍國主義も侵掠も敗戰も絶對惡ではなく、極東國際軍事裁判なんぞは茶番に過ぎないと知れる。そしてさうと知つたら、聯合國の不當を論ふ暇に、サンフランシスコ講和條約締結以後、久しく「押し附け憲法」を改正せずゐた我々自身の知的・道徳的怠惰のはうを恥づべきだと、さういふふうに考へる事が出來る。「押し附け」たアメリカが惡いとは私は思はないが、假に惡いとしても、それは媾(講)和條約締結までの事である。日本人は十二歳だとマッカーサーは云つたが、十二歳の子供が「押し附け」られた不條理を不條理と思はず忍從するのは致し方が無い。けれども、長じて五十歳にもなつてなほ忍從して、間歇的に「押し附け」た奴を恨むなら、そいつは大莫迦の腰拔けのんこんちきである。  先般、五月三日、西部邁は産經新聞に、憲法第九條を「侵掠戰爭はしないといふ目的に反するやうな戰力や交戰は認められない」とでも改めたらよいと書いた。「廣辭苑」の定義によれば、目的とは「成し遂げようと目指す事柄」だから、何々「しないといふ目的」なんぞこの世に存在する道理は無いが、假に離婚「しないといふ目的」を成就すべく努力してゐる夫婦がゐるとして、その場合、離婚は望ましからざる事だと夫婦は思つてゐる譯であり、「侵掠戰爭はしないといふ目的」とやらを重視する西部も、侵掠戰爭を「望ましからざる事」だと今なほ思ひ込んでゐる。西部の知的怠惰は反戰平和の「左翼進歩派」のそれと本質的には變らない。離婚とは何かについて深刻な意見の對立はあり得ないが、十六年前、「戰爭は無くならない」に縷々述べたやうに、侵掠といふ言葉は明確に定義されてをらず、當然、侵掠と自衞の境界も定かではない。詰り、「侵掠」の正體はしかと解らない。而るに、正體の知れぬ物について正體が知れぬままに論ふから、知的怠惰の粗雜な文章しか綴れないのである。「戰力」といふ言葉にしても至極不明瞭であり、一箇大隊と一箇中隊の戰力の差は必ずしも明確ではない。戰力とは武器の數と志氣との足し算ではなくて掛算だからである。  而も、パスカルの云ふやうに、「子午線が眞理を決定する」のだから、今も昔も戰爭當事國の雙方が自國の戰爭は聖戰だと主張する。朝鮮戰爭の折は三十八度線が「眞理を決定」して、韓國と北朝鮮は互ひに相手の侵掠を難じ、以來、韓國は北の南進に、北朝鮮は南の北進にそれぞれ備へてゐる。漱石の云ふやうに國家と國家との間に道義は存在しない。或る國が他國に對して道義的に振舞ふのはそれが國益に叶ふからであり、國益に叶ふのなら時に「掠奪侵掠」をも敢へてする。それゆゑ「侵掠戰爭はしない」などといふ文言は凡そ無意味であり、世界中のどの國の憲法にもさまで腰碎けの文言は記されてゐない。「國益」乃至「自衞」の爲に「掠奪侵掠」をも敢へてするといふ事、それは憲法なんぞに記す必要が無いほど自明の事だからである。日清戰爭から大東亞戰爭まで、日本がやつた戰爭も全て「自衞の爲の侵掠」に他ならない。福澤諭吉は書いてゐる。  今西洋の諸國が威勢を以て東洋に迫る其有樣は火の蔓延するものに異ならず。然るに東洋諸國殊に我近鄰なる支那朝鮮等の遲鈍にして其勢力に當ること能はざるは、木造板屋の火に堪へざるものに等し。故に我日本の武力を以て之に應援するは、單に他の爲に非ずして自らの爲にするものと知る可し。武以て之を保護し、文以て之を誘導し、速に我例に倣て近時の文明に入らしめざる可らず。或は止むを得ざるの場合に於ては、力を以て其進歩を脅迫するも可なり。(「時事小言」)  これは知的に誠實な文章である。明治以降の日本は支那朝鮮を「力を以て」脅迫した。脅迫して效果が無かつたから「侵掠」を敢へてした。脅迫して效果が無いからとて諦めるくらゐなら最初から脅迫しないはうがよい。それゆゑ、日清戰爭から大東亞戰爭までの戰爭を「侵掠戰爭」と呼ぶのは怪しからぬ事ではない。「侵掠戰爭」で結構、だが、それは日本だけでなく列強が皆やつた事である。アメリカはハワイやフィリッピンを、イギリスはインドやビルマを、フランスはインドシナを、それぞれ侵掠した。然るに、獨り日本だけが今なほ自國の「侵掠戰爭」を悔いてゐる。侵掠と自衞との境界が明確でないのに、前者は惡で後者は善だと思ひ込んでゐる。怪しからぬのはその日本人の知的怠惰であり、無論、それは左翼進歩派に限つた事ではない。小林よしのりは「戰爭論」にかう書いてゐる。  私鬪は承認されない暴力だ。それに對し戰爭は承認された暴力と言はれる。本來的には、略奪も強姦も虐殺も、あらゆる暴力が承認された状態。平和時の秩序を無秩序に變へるキレまくりの状態が「自然な戰爭」なのかもしれない。(句讀點松原) <三>  福澤の文章と異なりこれは知的怠惰の文章である。戰爭は國家によつて「承認され」る軍事力の行使だが、決して「暴力」の行使ではない。武力革命の事を「暴力革命」とも云ふから兩者が混同して用ゐられる事は事實だが、「侵掠戰爭で結構」どの國もやつたではないか、とは云へるが、「暴力」で結構どの國もやつた、とは云へない。云へないから各國の軍隊に憲兵組織がある。ヴェトナム戰爭はアメリカの「暴力」ではないが、ソンミ村の住民虐殺は暴力沙汰であり、それゆゑ責任者のカリー中尉は裁かれた。が、ジョンソン大統領もマクナマラ國防長官も裁かれてゐない。マックス・ウェーバーの云ふやうに「強制力の正當な行使」が國家の專權事項であり、個人的になされる「略奪強姦虐殺」は正當とは見做されない。それゆゑ、戰爭は斷じて「略奪も強姦も虐殺も、あらゆる暴力が承認された状態」なのではない。兵隊の強姦が何で戰鬪行爲なのか。  言葉を正確に使ふ事、或は少なくも正確に使はうとする事、それは物を書く者の義務である。言葉は思考の道具であつて、切れない道具を使ふから頭も切れずに「キレまくり」になる。大東亞戰爭中、一人のアメリカ兵が日本兵の頭蓋骨を本國の女友達に「記念品」として送り、禮状を認めてゐる女の冩眞が「ライフ」に載るといふ事があつた。小林の「戰爭論」からの孫引きだが、それについて西尾はかういふふやけた文章を綴つてゐるといふ。  ナチスの強制収容所で犠牲者の皮膚からランプのシェードが造られ(中略)たといふ話はいつ聞いても背筋が寒くなるが、日本兵頭蓋骨の記念品は、それに勝るとも劣らぬ異常心理である。ここまでしたのはナチスとアメリカ軍以外にない。ただ、戰勝國の特權でアメリカの蠻行は忘れられてゐる。敗戰國の殘虐だけが誇大に傳へられすぎてゐる。日本に軍國主義があつたやうに、アメリカにも軍國主義があつたのだ。ある意味では日本以上の。  軍國主義はお互ひさまだといふことを認めないアメリカを日本人は決して許してゐない。廣島は市民殺傷效果を見るに最適規模だから選ばれたのであつて、重要軍事基地だから選ばれたのではない。  (中略)日本人をモルモットにしたアメリカの實驗はまさにナチスの犯罪と同じ「人道に對する罪」であつて、普通の「戰爭犯罪」とすらいへないのである。(句讀點松原)  まづ第一に、「ナチスの強制収容所」から「異常心理である」までの文の主語は「日本兵頭蓋骨の記念品」であり、「異常心理である」が英文法に云ふ述部である。だが、記念品が「異常心理」とは、一體全體、どういふ事なのか。記念品は物體であつて心理ではない。西尾の駄本の愛讀者は「それで通じるぢやないか」と云ふだらうが、切れない鉋で削つた板が凸凹になるやうに、駄文で通じる類の事なら下らないに決つてゐる。「ここまでしたのはナチスとアメリカ軍以外にない」と西尾は云ふが、夫が寵愛した妾の手足を切斷して糞壷に捨てた妃が昔の支那にはゐたし、我が日本國にも、殺した小學生の頭部を小學校の校門に遺棄した少年がゐた。かの宮崎勤も幼女の髑髏を磨いて樂しんだではないか。  第二に、「アメリカの蠻行」が忘れられてゐる事と戰勝國の特權とは何の關はりも無い。忘れられてゐるのは忘れる者がゐるからで、忘れたのは日本人だが、それはアメリカが權柄づくで忘れさせた譯ではない。何かを誰かの特權によつて忘れさせる事など出來はしない。「アメリカの蠻行」が忘れられるべきでないのに忘れられたのなら、それは忘れた奴が惡いのである。  第三に、敵兵の髑髏を記念品として贈る米兵がゐて、禮状を書く女の冩眞が雜誌に載つた事や原爆投下が、なぜ「日本以上の」軍國主義なのか。再び「オックスフォード英語辭典」によれば、「軍國主義」とは民衆の「軍事愛好」、「軍人階級の優位」、或は「軍事的效率を國家の最大關心事と見做す傾向」の謂ひである。戰時に「軍事的效率」を優先させ、民衆が好戰的になるのは餘りにも當り前の話で、それは成程「お互ひさま」だが、戰時中のアメリカは軍人を大統領にはしなかつた。ルーズベルトもチャーチルも軍人だつたが軍服を著たまま大統領首相になつた譯ではない。敵兵の髑髏を贈るのは好戰的敵愾心ゆゑの愚行だが、全ての米兵がさういふ「異常心理」の持主だつた譯ではない。 <四>  第四に、アメリカの原爆投下が「人道に對する罪」であり、普通の「戰爭犯罪」よりも酷いとはどういふ事なのか。「人道に對する罪」とはナチスによるユダヤ人虐殺を裁くべくニュルンベルク國際軍事裁判が規定した非戰鬪員に對する非人道的「戰爭犯罪」の事で、東京裁判においてもそれが適用されたが、法の不遡及なる原則に惇るとて敗者が勝者の裁判を難ずる事も、普通の「戰爭犯罪」よりも酷いとて原爆投下を難ずる事も共に全く無意味である。戰爭は犯罪ではないのだから、「戰爭犯罪」も「人道に對する罪」も存在しない。存在しない物に「普通」と異常の別は無い。それに何より、負者が勝者の非道を五十年も言ひ立てるのは漫畫であり、その漫畫的無意味を西尾が悟らないのは二流のデマゴーグだからであり、二流のデマゴーグの駄文を引いて漫畫家が煽情的な駄文を綴り、それを何十萬もの莫迦が喜んで溜飲を下げるのは、これはもう絶望的な氣の滅入る漫畫である。小林は書いてゐる。  わしは昔、高崎山のサルを見に行つた。クソザルどもがわしのやるヱサをキツキと爭つて取つて食ひよる。眞つ赤なケツ出して下等なサルどもである。こいつらの前でチンチン出してもなんも恥づかしくない。すつぱだかになつてオナニーしても恥づかしくないやろね。ケモノだもんなこいつら。(「戰爭論」)  人間誰しも心中密かに卑猥な事を考へる。「チンチン出して」とか、或いはそれ以上の事を夢想する。だが、眞つ當な人間は決して口に出してそれを云はない。なぜ云はないか。云はれた者が當惑するからである。然るに愚かな小林は、「チンチン出して」などと書いたら、その途端に夫子自身が「ケモノ」以下の存在に墮するといふ一事を悟れずにゐる。而も、「ケモノ」以下になつて道化て見せるのは「白人の黄色人種に對する差別」を強調する爲であり、それがいかに凄まじい蔑視であるかは會田雄次の「アーロン収容所」を、「讀めばわかるつ。讀めばわかるんだーつ」と小林は書いてゐる。「讀めばわかるつ」らしい會田の本は中公新書に納められてゐて簡單に入手出來るから、ここでは別の著書の一部を引いておく。或る古年次兵についての記述である。  かれの初年兵いぢめには狂氣じみたところがああつて、何かぞつとさせられた。私など、もちろん一番に目の敵にされた。よく足の指先に、どこからかくすねてきた刺身の一片をはさみ、「大學講師よ、食ふか、食へ」とやられたのには、まつたく閉口した。食べないと「それは、私なんぞの料理は食べられませんやろな」といはれ、氣絶するぐらゐなぐられるし、食べるとみんなの輕蔑を買ふ。他の古年次兵からは、「貴樣それでも帝國軍人か」となぐられる。どちらにしても助からない。(「ヨーロッパ・ヒューマニズムの限界」新潮社)  アーロン収容所におけるイギリス人の「黄色人種」蔑視を冷靜に描いた會田が、ここでは日本人の初年兵いびりを淡々と描いてゐる。會田はデマゴーグではない。デマゴーグは條理ではなく情緒によつて衆愚を動かさうとするから、矛楯するかのやうに見える事は書かない。イギリス兵の惡口を書いて受けたら日本兵の惡口は決して云はない。だが、これはゴシック體で印刷して貰ひたい位だが、自國を愛する爲に、なぜ我々は他國を罵らねばならないのか。 (續く) 連載第八囘 平成十二年八月二十一日 第一四一九號 小林よしのり氏を叱る(一) <一>  我々が日本といふ國を愛するのは我々だけの掛替への無い母國だからであり、母親を愛するのは掛替への無い母親だからである。だが、母親を愛する爲に他人の母親を罵る必要は全く無い。母親への愛は穏やかに持續する愛だが、眞の愛國もまた排他的でもなければ熱狂的でもない。西尾も小林も不惑還暦を過ぎてゐようが、熱狂的な愛が四十年六十年も持續する道理は無い。「アメリカの蠻行」だの「高崎山の猿」だの「鬼畜米英」だのとて他國を罵るのは斷じて愛國心の發露ではない。それは不毛なナショナリズムである。ナショナリズムを定義してジョージ・オーウェルは、「何百萬何千萬もの人間の集團に善惡のレッテルを貼れる」と思ひ込み、「自己を國家と同一視して、その利益を追求する事以外の義務を認めない習慣」だと云つた。洵に明快な定義である。英米に惡玉のレッテルを貼りたがる西尾も小林も、愛國者ではなく知的怠惰のナショナリストに過ぎない。イギリス人アメリカ人の全てが「鬼畜」なのではない。日本人の全てが善良な譯ではない。成程、アーロン収容所における英兵の差別は、前世紀イギリスの印度人や支那人に對する差別と同樣に凄まじい。だが、イギリス人の中にはオーウェルのやうな男もゐて、自國のナショナリズムの愚を冷靜かつ的確に批判してゐる。オーウェルによれば、イギリスの或る新聞はドイツ人によつて縛り首にされたロシア人の冩眞を掲載してその野蠻を難じたが、一、二年後、今度はロシア人によつて縛り首にされたドイツ人の冩眞を掲載して熱烈な贊意を示したといふ。同じ野蠻でも自國や自國の敵がやれば「惡」だが、自國や身方がやれば「善」になる。さういふナショナリズムに盲ひた新聞人知識人の知的怠惰をオーウェルは痛烈に批判した。オーウェルは云ふ、六年もの間、ヒトラー贔屓のインテリはダッハウの存在を知らうとせず、ドイツ嫌ひのインテリはソヴィェトに強制収容所があるといふ事實を認めたがらなかつたではないか。 <二>  オーウェルのやうな知的に誠實な物書きの文章を讀んでゐると、西尾小林如き手合を批判する虚しさを痛感するが、「何百萬何千萬もの人間の集團」たる他國に惡のレッテルを貼る愚かしさだけは、これを執拗に批判しなければならない。日本人の宿痾だからである。自國を誇らしげに思つて他國を貶めるのは聖徳太子以來の習性かも知れぬ。周知の如く、太子は隋に渡る小野妹子に國書を託し、「日出づる處の天子、書を日沒する處の天子に致す、恙無きや」と書いた。自國が他國より東方に位置してゐるのは、自國に「富士山がある」事と同樣、自慢の種にはならないが、それまでの日本は支那に對し頗る卑屈に振舞つてゐたのであり、「生まれましながら、能くもの言ひ、聖智有し、壯に及びて、一たびに十たりの訴を聞きてあやまちたがはず」と評されたほど聰明な太子は、この際、積年の弊を取り除かねばならぬと思つたのかも知れない。いづれにせよ、我々は排外と拝外とを藝も無く繰返し、拝外の時には卑屈になり排外の時は夜郎自大になる。無論、敗戰直後は「拝米」であつた。「拝GHQ」であつた。小林よしのりは書いてゐる。  アメリカGHQは「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」といふ日本人に戰爭の罪惡感を植ゑつける洗腦計劃を實行した。あらゆるマスコミを檢閲し、日本は戰爭中こんな殘虐なことをした。惡の軍隊だつた。原爆落とされても仕方ないくらゐの愚かな國だつた。日本人は軍部にだまされてゐたのだ……といふ情報を(中略)徹底的に流し續けたのである。  日本國民はコローツとこれに洗腦され(中略)當時、GHQには「マッカーサー樣ありがたう」と感謝する手紙が次々と舞ひ込んだといふ。(中略)かうしてオウムの信者竝みにGHQにマインドコントロールされた日本人は、五十年たつた今も、(中略)當時東京裁判でもまつたく問題にならなかつた戰場慰安婦のことまでも(中略)自ら、ここにも犯罪があつたぢやないか…と世界に叫び始めたのである。(「戰爭論」、句讀點松原、以下同じ) <三>  ここで小林の書いてゐる事は事實である。だが、ジャーナリストなら事實を正確に記述するだけでよいが、物書きは單なる事實の記述に甘んじてはならない。事實が意味するものについて深く考へねばならない。例を一つ擧げようか。我々はびつこを見ても決して不快にならないが、びつこの精神に接すると必ず苛立つ。それは誰しも認める事實である。では、それはなぜなのか。びつこは我々がびつこでない事を認めるが、びつこの精神は己れのはうが正常だと言ひ張るからだと、パスカルは「パンセ」に書いてゐる。「成程」と讀者は思ふに相違無い。そのやうにして賢者の言に眼から鱗の落つる思ひをする事、それが讀書の樂しみなのである。  然るに、小林は「びつこ」の精神の持主でない限り誰でも知つてゐる事實を記述して、その意味するところを考へない。意味するところとは何か。情けないかな、我國は「原爆落とされても仕方ないくらゐの愚かな國」だといふ事である。自國の軍隊に「だまされ」、占領軍に「コローツと」洗腦され、占領軍司令官に「感謝する手紙」をせつせと出すやうな國民が、土臺、一等國の國民である道理が無い。埃を拂つてGHQなんぞを誹る暇に、なぜさういふ道理に思ひ至らないのか。「自分は日本人を信じない、彼等は何の信念も無くこれまでに二度豹變してゐる、一度目は幕末、二度目は敗戰直後だ」と嘗てキッシンジャーは云つたが、情けないかな、それは本當の事であり、信念無き豹變、すなはち「コローツと洗腦」される事もまた我々の宿痾である。小林は書いてゐる。  戰中は「日本が負けるはずない」「鬼畜米英」の一色に空氣をぬりつぶすのが正義だつた。反對論者には「非國民」のレッテル貼りをして、新聞も情報を一方からしか流さない。戰後は「日本が侵掠者だつた」「反戰平和」の一色に空氣をぬりつぶすのが正義で…反對論者には「右翼・惡」のレッテル貼りをして、新聞も情報を一方からしか流さない。「鬼畜米英」が「反戰平和」になつただけの何も變はらない日本。この「反戰平和」が次の日本の破滅を招く可能性など考へもせず… <四>  「月曜評論」の讀者にこの際是非是非考へて貰ひたい事がある。「反戰平和」の空氣に「ぬりつぶ」されてゐた半世紀、我が師福田恆存は、終始一貫、「左翼進歩派」の知的怠惰を論理的に批判し續け、成程「右翼・惡」のレッテルは貼られたかも知れないが、「左翼」の誰一人として福田に對する論理的に有效な反論はやれなかつた。師匠と弟子との間で交はされた會話を披露するのは、思ひ出を綴る隨筆でもない限り、私の好む處ではないが、今同はそれを敢へてする。晩年、師は私にかう云つた、「さうなんだ、僕の讀者は僕を通り越して皆右へ行つて仕舞ふんだ」。  右傾化を憂ふる「右翼」とは何か。是非是非考へて貰ひたいのはその事である。西尾も小林も左傾化を憂ふる「右翼」であり、左と右は反對概念だから、右が左に反對するのは解る。だが、福田は左傾化と右傾化の雙方を憂へた知識人だつた。福田は戰後最高の知識人だが、「月曜評論」の讀者で福田の愛讀者に強調したいのは、福田の偉大が自國の病弊を知悉して左右の浮薄に抗した偉大だといふ事である。小林は「鬼畜米英」が「反戰平和」になつた事を批判するだけだが、福田はその「反戰平和」が再び「鬼畜米英」に變り「次の日本の破滅を招く」であらう事を、天下に先立つて憂へてゐる。福田は二十年前「言論の空しさ」と題してかう書いた。西尾や小林を叱りながら私が云はうとしてゐる事を代辯してくれてゐるし、右と左の雙方から嫌はれる事を書く「保守派」は他に一人も見當らないから、少し長く引く事にする。  「世の中は隨分變つて來ましたね、二十五六年前、あなたが平和論の迷妄を批判した時と較べて…、」近頃よくさう言はれる、勿論、相手は平和論批判以來の私の仕事がその變化に多少の役割を演じた「功」を犒つてくれてゐるのである。さう言つてくれる好意はありがたいが、その「功」を私自身は一度も認めた事が無い。なるほど平和論批判の時、私の爲に援護射撃してくれる人は殆ど無く、私は村八分にされた。その頃に較べれば確かに世の中は變り、私の樣な考へ方は「常識」になつたとさへ言へる。寧ろ左翼的な「進歩的文化人」の言論の方が村八分にされかねない世の中になつた。そして私は二十數年前と同樣、厭な世の中だなと憮然としてゐる。(中略)防衞論の流行はソ聯のお蔭であつて、その論理の力によるものではないと言つたが、同じ事が戰後二十年間の進歩主義的平和論についても言へる。いや、戰爭中の軍國主義についても同樣である。(中略)「勝つてくるぞと勇ましく」と高唱しながら街を往く應召兵の行列、愛國婦人會といふ名の有閑婦人會、實際には何の役にも立たぬ防空演習、すべてがお座なりの形式主義であり、本氣で戰爭してゐる人間の姿も心も感じられなかつた。人々が本氣になつたのは食ふ物が食へなくなつた戰爭末期だけである。  それに引續き戰後の闇市時代だけ、人々は本氣であつた。それからどうやら食へる樣になり、それこそ雨後の筍の樣に仙花紙の雜誌が氾濫し始め、人々は言論の自由に酔ひ、平和だの民主主義だのといふ空疎な言葉を弄び出すに隨ひ、敗戰は掠り傷に過ぎぬものとなり、誰も彼も輕佻浮薄に戰爭を否定し、日本の歴史を、即ち日本人の心を抹殺して顧みなかつた。(中略)その間、何でも西洋が優れてゐるといふ、これまた輕佻浮薄な拝外思想に振り廻され、それも本氣でなかつた證據に、國民總生産が世界第二位といふ「經濟大國」になると、再び輕佻浮薄な日本人論が歡迎され始めた。やはり千篇一律、本氣で書いたものは殆ど無いと言つていい。  この福田の文章と「鬼畜米英」が「反戰平和になつただけ」で「何も變はらない日本」云々の小林の文章とはまさしく月と鼈、釣鐘に提燈である。釣鐘は戰時中の自國の輕佻浮薄をも的確に指摘するが、提燈のはうは虚しく過去を美化し、「八紘一宇」とは「天皇の下ですべての民族は平等」といふ事であり、「この政治的主張は單なるフィクション」ではなく「かなり本氣の主張」であつた、その證據に、「日本もユダヤ人を排斥しろ」との同盟國ドイツの壓力を、「八紘一宇の國是にそぐはない」とて撥ねつけたではないかと云ふ。小林は書いてゐる。 <五>  「八紘一宇」の政治的主張のもとに日本は敵國の人種差別とも同盟國の人種差別とも戰つてゐた!そして戰爭が終はつてみると、アジアは次々と獨立し、白人は黄色人種からの収奪ができなくなつてしまつた。  「八紘一宇」とは「大東亞共榮圈」を建設してアジア諸國が天皇を戴く一家のやうにならうといふ樂天的で安手で甚だ日本的なスローガンである。「天皇の下ですべての民族は平等」と主張して、「天皇の下」といふ不平等を認めないアジア民族はどうするのか。だが、戰中の爲政者も小林よしのりも、さういふ事はまるきり考へない。武者小路實篤ではないが「仲よき事は美しきかな」、アジア民族同士だもの仲良くやるべし、それあ大いに結構、といふ事で濟ませて仕舞ふ。けれども、「同盟國ドイツの壓力」を撥ねつける理由が「八紘一宇の國是にそぐはない」といふ事だつたとすると、「八紘」とはアジアだけでなく世界中の國々を意味する事になる。黄色人種にあらざるユダヤ人とも「一宇」の間柄になれるものなら、なぜ「鬼畜米英」と仲良くやれなかつたのか。賣られた喧嘩だから買つたまでだと小林は云ふかもしれないが、「天皇の下」云々の條件を認めないアジア民族に喧嘩を賣られる可能性は皆無ではない。その喧嘩を買つたら「八紘一宇」といふ事にならぬ道理である。  それに、我々は聯合國と戰つたが「敵國の人種差別」と戰ひはしなかつたし、戰後、アジア諸國が「次々と獨立」したのも、いはば怪我の功名に過ぎず、日本が勝ち取つた成果ではない。大東亞戰爭を正當化して「アジア諸國の獨立」を云ふのはもう止めにして貰ひたい。聖徳太子以來、論理よりも和合を尊ぶ我々が、「八紘一宇」などといふ性善説的空念佛の大好きな我々が、土臺、「人種差別」なんぞと、まして他國の人種差別なんぞと本氣で戰ふ譯が無い。今も昔も、我國に深刻な人種問題は存在しない。ヒトラーが虐殺したユダヤ人は六百萬だが、それより先、アフリカから新大陸へ拉致された黒人は一千萬、奴隷船で運ばれる途中死んだ者が何十萬にも上つたといふ。歐米諸國の遣口を難ずる譯では斷じてないが、舊約の昔から、西洋史は差別と殺戮の記録に滿ちてゐる。かの十字軍も異教徒は人間と見なさなかつた。アーロン収容所における英兵の差別は陰濕だが、會田を虐める古參兵は子供染みてゐる。それゆゑ私は「南京大虐殺」を信じない。何十萬もの非戰鬪員をお人よしで氣の弱い日本人が殺せる筈は無い。「戰爭論」に小林は、屡々、「ごーまんかましてよかですか」と書いてゐる。「ごーまん」とは傲慢の事だらうが、西尾と同樣に小林も、愚かしい事は澤山云つてゐるものの、傲慢な事なんぞ何一つ云つてゐない。眞實傲慢な男は「ごーまんかましてよかですか」といふ臺詞だけは決して口にしない。眞に「傲慢」な男はかういふ文章を綴る。  一切の政治的實驗は、たとへどんなに「進歩的」なものであらうとも、民衆の犠牲において行はれ、民衆に刃を向ける。(中略)民衆とは、そこにあるがままにあるだけで、すでにして獨裁政治への誘惑そのものなのだ。(「歴史とユートピア」出口裕弘譯、紀伊國屋書店)  これは傲慢を大罪の一つに數へてゐる文化圈でしか書かれない文章であり、かういふ文章を綴る男は我國にはゐない。筆者はE・M・シオランで決して狂人ではない。彼はヨハン。セバスチャン・バッハが大好きださうだが、バッハの音樂は狂人の好む音樂ではない。(續く) 連載第九囘 平成十二年九月十八日 第一四二〇號 小林よしのり氏を叱る(二) <一>  「管絃樂組曲」とか「ブランデンブルク協奏曲」とか「無伴奏チェロ組曲」とかいふバッハの世俗音樂は有名で、我國でも屡々演奏されるが、バッハは膨大な宗教音樂を作曲してをり、生涯、教會のために作曲し演奏し續けた男である。非情な眞理を語るシオランのやうな男がバッハを好むのは不思議でも何でもない。バッハの場合に限らず、西洋音樂と宗教とは切離す事が出來ない。教會音樂であれ世俗音樂であれ、作曲家を作曲に驅り立てるものは「絶對的なるもの」への憧憬であり、シオランもまた絶對に憧れてゐる。「人間からいかなるものをも奪ふ事が出來ようが、絶對への希求だけは斷じて奪ふ事が出來ない」とシオランは書いてゐる。「廣辭苑」は「絶對」を「他に並ぶもののない事。他との比較・對立を絶してゐる事。一切他から制限・拘束されない事」と定義してゐる。が、さういふ日本的な定義に基づいてシオランの言葉を理解する事は出來ない。「オックスフォード英語辭典」によれば、絶對とは「制約や不完全を免れてゐるもの」の謂ひであり、無論、それは絶對者以外には無い。いかな偉人も英雄も所詮は不完全で、老いるし死ぬし過ちを免れないが、神ばかりは老いないし死なないし過ちも犯さない。そして人間は、相對的存在たるがゆゑに、絶對に憧れ、絶對を希求し、絶對的眞實を捉へようとする。その熾烈なエロスは決して人間から奪ふ譯に行かない。シオランはさう信じてゐる。近代科學を生んだ西歐にあつてアジアに缺けてゐるもの、それは絶對を求めて止まぬエロスである。絶對者を戴かぬ文化に熾烈な合理主義は生じやうが無い。  相對的であるがゆゑに、人間は絶對を夢み、絶對に憧れ、絶對者に祈る。泰西の音樂が祈りの音樂たるゆゑんだが、それはイエスを讃ヘイエスの受難を偲ぶ教會音樂に限つた事ではない。我々とて例へば「亡き子を偲」び胸を締め附けられるやうになる時があり、さういふ時には思はず歌ひたくなる。「花に鳴く鴬、水にすむ蛙の聲を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける」と古今集の「假名序」にあるが、我々は歌を詠むものの祈りはしない。モーツアルトの四十一番シンフォニー「ジュピター」の第二樂章はアンダンテ・カンタービレだが、「カンタービレ」とは歌ふに適したといふ意味であり、弱音器を著けた弦樂器の祈るやうな歌ふやうな旋律で始まる瞑想的な大層美しい樂章である。同じくモーツアルトの三十六番シンフォニー「リンツ」の緩徐樂章はポコ・アダージオだが、それを名指揮者ブルーノ・ワルターが指揮するコロンビア交響樂團演奏のリハーサルを録音したLPがあつて、今はCDになつてゐるが、ワルターはドイツ訛りの英語で樂員たちに頻りに「歌へ」との註文をつけてゐる。バッハとは異なり、教會音樂を餘り作曲しなかつたモーツアルトだが、歌ふ事祈る事が彼の音樂の本質をなしてゐるのである。モーツアルトの「戴冠式」と名附けられたミサ曲の中の一曲「アニュス・デイ」は、歌劇「フィガロの結婚」の「伯爵夫人のアリア」と殆ど同じ旋律を有してゐる。フルート協奏曲の作曲を依頼され、以前書いたオーボー協奏曲を編曲して胡麻かさうとした事もあるモーツアルトだが、「戴冠式」と「フィガロ」に同じ旋律を用ゐたのは迂闊や多忙のせゐではない。夫の愛が失はれた事を嘆く伯爵夫人の詠歎は、「アニュス・デイ」の「世の罪を除く神の小羊よ、憐れみ給へ」との祈りと同質であつて一向に差支へが無い。 <二>  これを要するに、西洋音樂の本質は祈りであつて、祈りの對象は神もしくは「絶對」なるものだといふ事だが、さういふ音樂を我々は有しない。是非もない。我々の神は絶對者ではないし、我々が神に祈るのは殆ど例外無く現世利益を求める場合である。戀歌なら萬葉の昔からあるが戀愛が宗教の代替物だつた事は一度も無い。さういふ國に「冬の旅」のやうな歌曲集が無いのは當然である。「三四郎」の廣田は三四郎にかう云ふ。  どうも西洋人は美くしいですね。御互ひは憐れだなあ。こんな顔をして、こんなに弱つてゐては、いくら日露戰爭に勝つて、一等國になつても駄目ですね。尤も建物を見ても、庭園を見ても、いづれも顔相應の所だが、−あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでせう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。所が其富士山は天然自然に昔からあつたものなんだから仕方がない。我々が拵へたものぢやない。  「顔相應の所」なのは音樂だけではない。文學も哲學も同じである。我々は「胸を張って」世界に誇れるやうな「我々が拵へたもの」を何も有しない、まさしく漱石の云ふ通りである、とさう書けば、數少ない私の讀者も顔を顰めるかも知れないが、西尾幹二や小林よしのりの愚論に誑かされぬためには、さういふ苦い眞實を認める事が何より大事なのである。我々は近代科學を産めなかつた。西洋が蒸氣機關車を有してゐた頃、我々の御先祖は駕篭に乘つて旅をしてゐた。本居宣長が「石上私淑言」を書いてゐた頃、バッハは既にかの壯大なロ短調ミサ曲を完成させて世を去つてをり、カントは「純粋理性批判」を書いてゐた。ハイネの言葉を借りればカントは神樣の首をちよん切らうとしてゐたのだが、宣長のはうは神樣や天皇に從ふ事の大事を説いてかう書いた。  さればわが御門(みかど)にはさらにさやうの理(ことわ)りがましき心をまじへず、賢(さか)しだちたる教へを設けず、ただ何ごとも神の御心にうちまかせて、萬をまつりごち給ひ、また天の下の青人草もただその大御心を心として、なびきしたがひまつる、これを神の道とはいふなり。  無論、カントにとつての神と宣長にとつての神は全くの別物である。どこが違ふか。前者は「拵へたもの」即ち虚構によつて大昔から人間をがんじ絡めにして來たが、後者は道徳的虚構とは一切無縁であり、「賢しだちたる教へを設け」て人間を縛る事が無い。早い話がキリスト教文化圈最古の性に關する神話はアダムとイヴの物語だが、我々のそれは伊邪那岐伊邪那美二柱の神によるまことに大らかなみとのまぐはひの物語であつて、そこに性を罪惡視する要素は皆無である。虚構とは人間が「拵へたもの」だが、性の問題に限らず、我々は道徳的に嚴しい虚構を何一つ有しない。以前本誌に紹介した事があるが、ユダヤ人のジョージ・スタイナーは、ヒトラーを主人公とする小説を書いてゐるが、スタイナーのヒトラーは己れを裁かうとするユダヤ人にかう反論してゐる。  お前たちの全能の神、全てを見通す神、目に見えず、手に觸れられず、想像すら出來ぬ神、人類史上、それほど殘忍な創造が、人間を苦しめるために作り出された絡繰りが、他に存在したらうか。それを考へろ。篤と考へろ。世界中の異教徒が樣々な神を戴いてゐる、惡意を持つ神、善意の神、翼のある神、太鼓腹の神、木の葉も木の枝も、岩も河も神になる。人間の仲間たる神、その尻を摘んだり撫で擦つたり、だが、いづれ人間と同じ寸法、ハニー・ケーキや燒肉を捧げられて喜ぶ神々だ。(中略)しかるにユダヤ人は、人間の感寛を超える神を創造して、この世を空虚にしてしまつた。姿形が無い。想像も出來ぬ。沙漠よりも空虚な空白。しかるに、その恐るべき身近さ。我々の惡行の一切を吟味し、心中隈なく動機を探り出す神。人間と契約書を交はし、賄賂を取り、三十の世代に及んで復讐する神。契約の神。けち臭い取引きをする神。「しかしてヱホバ、つひにヨブの所有物(もちもの)を二倍に増(まし)たまへり」。一千頭の牝驢馬。腫物を患ふあの老人は、最初、五百頭しか持つてゐなかつたのだ。  法廷の諸君、この不潔、この道徳的策略の策略たるゆゑんが諸君には解るか。ヨブはなぜ、神を名乘るあの家畜商に唾を吐きかけなかつたのだ。だが、お前たちのいと聖なる場所は空虚だつた、沈默が支配してゐるばかりだつた。ユダヤ人は偶像を崇拜する手合を嘲笑ふ。ユダヤの神は他のいかなる神々よりも純粋なのだ。そして人間はその被造物なるがゆゑに、より一層善良にならねばならず、隣人を愛し、禁慾的になり、持てる物を乞食に施さねばならぬ。律法の一切に從ひ、忿怒や慾望を抑へ、肉を淨め、雨中を身を屈めて歩まねばならぬ。  お前たちはこの俺を暴君だつたと云ふ。專制君主だつたと云ふ。だが、このユダヤの病的な幻想以上の暴力や專制がかつてあつたらうか。お前たちは神殺しの犯人ではない。お前たちは神の創造者だ。神殺しより遙かに惡辣な所行だ。ユダヤは良心を考へ出したのだ。 <三>  この臺詞を「月曜評論」の讀者はどう讀んだのだらうか。六百萬人ものユダヤ人を虐殺したヒトラーに、ユダヤ人の作家がかういふ臺詞を喋らせてゐる。例へばの話、足利尊氏が登場し、北朝正統論を主張し、後醍醐天皇と明治天皇と桂太郎を面罵する、さういふ「拵へもの」の小説や芝居がこの國の作家に書けるであらうか。かつて深澤七郎が「風流夢譚」と題する小説を「中央公論」に載せた時、右翼の少年が中央公論社社長宅を襲ひ、家政婦を殺し、嶋中社長夫人に重傷を負はせた事がある。深澤の小説は日本に革命が起つて天皇皇后兩陛下の首が落されるといふ、何の爲に書かれたのかさつぱり解らぬ愚作であつて、それをスタイナーの作品に較べると、我々の思想的貧困を痛感させられる。尊氏にしてもヒトラー程の惡(わる)ではない。光明天皇擁立後の尊氏は「この世は夢の如し」とて遁世を思ひ立つてをり、後醍醐天皇との反目も征夷大將軍に任命して貰へなかつたからに過ぎない。我々はお人好しで現實的で、柳田國男が云つたやうに「米が澤山獲れる事」が生甲斐で、それゆゑ道徳的「虚構」を全く必要としない。度し難いほどの惡ならば、人間の「惡行の一切を吟味し、心中隈なく動機を探り出す神」や、性惡説を前提とする虚構がどうしても必要になるが、「大東亞共榮圈」も「八紘一宇」も子供だましの「物語」に過ぎず、道徳とは何の關はりも無い。明治四十二年、永井荷風は「新歸朝者日記」にかう書いてゐる。  此間日本歴史を讀み返して見たですが、實に厭な淋しい氣がしました。日本人は一度だつて空想に惱まされた事はないんですね。眼に見える敵に對して復讎の觀念から戰爭したばかりで、眼に見えない空想や迷信から騒出した事は一度もない。つまり日本人は飢饉で苦しんだ事はあるが精神の不安から動揺した事はない。(中略)其れだから要するに日本人は幸福なユウトピアの民なんですよ。自覺させると云ふ事も惡くはないですがね、私は一方から考へて、平和な幸福な堯舜のやうな人民に文明々々と怒鳴つて、自由だの權利だのを教へて煩悶の種を造らせるのはどうかと思ひます。戰慄すべき罪惡のやうな氣もします。  荷風の云ふ「空想」とは詰り「虚構」の事である。それを小林よしのりは「物語」と呼ぶ。「物語」で結構だが、小林の云ふ「物語」とは國のために死ぬる覺悟を若者に固めさせる爲の方便に過ぎない。小林は書いてゐる。  この國を想つて死を賭ける者にかつて人々は……國は……物語を用意した。アジア解放、大東亞共榮圈の物語を信じて戰つた兵士たちも確實にゐたのである。彼らは英雄であり……神になれた。  ごーまんかましてよかですか?  戰後あらゆる物語を相對化させて、少女は賣春、少年は殺人が流行の國になつた。  本當にこの國には物語は要らぬのか? <四>  「自由」も「權利」も虚構であり「物語」だが、それは國家ではなく飽くまでも個人が必要とするものである。フランス革命の折、國民議會において採択されたかの「人權宣言」も絶對王政や身分制に抗する市民の自由と權利の擁護を謳つてゐる。だが、自由だの平等だのといふ政治的虚構の他に、人間は道徳的虚構をも必要とする。人間はとかく利己的に振舞ひがちだから、自己犠牲は美しいといふ虚構が不可缺である。が、それはしかし、眞の信仰と同樣、外部から強制さるべきものではない。國家が「用意」しても、それを「信じて戰」ふかどうかは個人の意志次第である。教育基本法が改正されると教師が一所懸命に教へるやうになる譯ではない。馬を水際まで引張つて行く事は出來るが、水を呑ませる事は出來ない。呑むかどうかは馬が決める。小林は戰死した高村といふ小隊長の日記から「大君の御爲には鴻毛の輕きに覺悟してゐます」との件りを引用してゐるが、「大君の御爲」とか「アジア解放」とか「大東亞共榮圈」とかいふ「物語」はさまで安直に信じられた譯ではない。昭和十九年ニューギニアで戰死した篠崎二郎は若き妻にかう書き送つてゐる。  廣いこの世界にきみといふ好伴侶を持ち、克子といふいとし子を持ち得たことは自分の最も幸福な事である。(中略)きみの顔が浮かぶ。情熱的な黒目がちの目、きりつとした中にも愛くるしいまで引きしまつた口、ふくよかな胸の邊り、きみのまぼろしが浮んで消えない。  ああ!女々しい氣持を去らねばならぬ。  後顧の憂ひ、更になし。身體の調子も至極順調。一意待機任務の任を終へ、命に依り椰子茂る方面に出ることになつたこと、全く男子の本懐、御召しとあらば、皇軍の一人として誓つて恥ぢざる覺悟にゐる。苦しい覺悟に。  總べて時の流れた運命に委せ征く。/任運無作!父のよく言つた言葉だつた。(「きけわだつみのこゑ」、岩波文庫)  「國を想つて死を賭ける者に、かつて國は物語を用意した」とか「アジア解放、大東亞共榮圈の物語を信じて戰つた兵士たちも確實にゐた」とかいふ小林の文章は、國家を重んじ個人を輕んずる安直かつ非人間的な文章だが、篠崎の文章は頗る人間的である。去るべき「女々しい氣持」が篠崎にはたつぷりあつて、けれども「皇軍の一人として」との覺悟を固めるが、それはやはり「苦しい覺悟」なのである。さういふ苦しさを露知らずに散つた皇軍の將兵が一人でもゐたとは私は斷じて思はない。「必要な殺人」と題するオーデンの詩を批判してオーウェルは「殺人を言葉として知つてゐるに過ぎぬ者だけが、かういふ非道徳的な思想を抱ける」と云つたが、小林の場合も、「國を想つて死を賭ける」といふ事を專ら「言葉として知つてゐる」に過ぎない。唾棄すべき輕佻浮薄である。(續く) 連載第十囘 平成十二年十一月二十日 第一四二二號 「公」は「私」より遙かに遙かに大事か (一)  西尾や小林に限らず、我國の知識人の度し難い通弊は國家を常に個人の上位に置く事だが、我々にとつて何より大事なのは國家の繁榮ではない。「文學と政治主義」を執筆してゐた頃、私は福田恆存に「今度、國家なんぞ亡びてもいいぢやないかつて書かうと思ふんです」と云つた事がある。「ああ、それあいいね」と福田は云つてくれたが、そんなふうに答へられる知識人は、今、保革を問はず一人もゐないだらうと思ふ。「親友と國家のいづれかを裏切らねばならぬ羽目になつたら、私は躊躇無く國家を裏切る」とイギリスの小説家E・M・フォスターは云つたが、さういふ事がなぜ我國の知識人には云へないのか。國家や社會や公は個人や私より遙かに遙かに大事だと思ひ込んでゐるからである。だが、漱石の云ふやうに、國家は道徳とは無縁であり、我々は道徳的に生きねばならないが、それは飽くまで個人としてであつて國民や市民としてではない。  西部邁は最近「國民の道徳」なる新著を出したらしいが、國民の道徳などといふ物は斷じて存在しない。成程、「國民道徳」といふ言葉があつて、「或る國民に特有な道徳。國民として守るべき道徳」と「廣辭苑」は定義してゐるが、二つながら到底存在し得ない化け物である。「或る國民に特有」なのは國民性であつて道徳ではないし、日本國民は守つて米國民が守らないのは日本國特有の法や慣習であつて道徳ではない。ジョン・ロックによれば人間には守るべき三つの法がある。「神の法」と「市民の法」及び「慣習の法」である。神の法を守らねばあの世で罰せられ、市民の法を守らねばこの世で裁かれ、慣習を守らねば世間から指彈される。だが、我々日本人には、生憎、守るべき「神の法」の持ち合せが無い。それゆゑルース・ベネディクトは神を憚る歐米の文化を「罪の文化」、世間を憚る日本の文化を「恥の文化」と呼んだ。二つの文化は全く異質だから、西洋學問をいくらやつてもその溝ばかりは埋められない。國家を常に個人の上位に置く政治主義も、絶對者に支へられず專ら世間に支へられる弱さに發してゐる。世間がいかに指彈しようと、いかに村八分にされようと、俺の言分は正義だから撤囘しないとて胸を張る強さが我々には無い。かくて我々は「槇雜木」であり、ばらばらでは貧相で不安だが、「束になつてゐれば心丈夫」なのである。 (二)  だが、道徳は國家と切り放して考へねばならない。世間だの輿論だの國家だのは道徳とは無縁で、マキャベリの云ふやうに、國家は國益の爲とあらば徳義的にいかがはしい事をも敢へてして難じられる事が無いが、個人が私利私慾ゆゑに妻子や親友を裏切れば人非人と看做される。個人は徳義に縛られるが國家は縛られない。國家の目的は國家自體の存續ないし繁榮だが、國家が存續し繁榮してゐる事は國家の成員たる國民一人一人が徳義を重んじて立派に生きてゐる事を意味しない。我々にとつての大事は我々自身が立派に生きる事であり、いやいや、立派に生きようとして叶はずそれを苦にして生きる事であり、決して國家が繁榮する事ではない。勿論、妻子の爲國家の爲に一身を犠牲にするのは立派だが、それが立派なのはそれが難事だからである。早い話が、借金で首が廻らなくなつて首を括つた處で誰も褒めてくれはしない。特攻隊員の死が見事なのは若い身空で死にたくないのに死んだからであつて、國家が「用意」した「物語」なんぞを信じて死んだからではない。「國を想つて死を賭ける」などといふ徒に景氣のよい常套句は「女々しい心を去る」難しさを切り捨てた處に成立つてゐる。  「勝つて來るぞと勇ましく」に始る「露營の歌」も同じである。「露營の歌」には「夢に出て來た父親に死んで還れと勵まされ」といふ一節があり、小林の駄文を讀んでゐて私はそれを思ひ出し、小林の徒に景氣のよい言論はとどの詰り非論理的にして非人間的な軍歌なのだと思つた。およそこの世に出征する息子に「死んで還れ」と命ずる父親はゐないし、第一、「死んで還れ」とは勵ましの言葉ではない。「進軍ラッパ聽く度に瞼に浮ぶ旗の波」とか「東洋平和のためならば、なんで命が惜しからう」とかいふ件りもあつて、要するに嘘で塗り固めた軍歌なのだが、そこに勢のよい公だけがあつて「女々しい」私が無いのは「國民精神」を鼓舞する爲であり、煽動と同樣、鼓舞もまた頗る容易かつ安直な業なのである。若き妻のふくよかな「胸のあたり」を思ひ、けれどもその女々しい想念を絶つ難しさなんぞまるきり知らぬ癖に、といふより知らぬがゆゑに、作詞家は鉛筆舐め舐め「公の爲に私を捨て」る雄々しさを讃へて「死んで還れと勵まされ」とか「手柄立てずに死なれようか」とか書く。兵隊が國の爲に死ぬのは、「公の爲に私を捨て」るのは、當然だと彼は思つてゐる。自身「公の爲に私を捨て」ねばならぬ境遇に無いからである。小林は書いてゐる。  特攻隊は決して個をなくしてゐたのではない。おぼれる子供を救ふために、泳げぬ身で水に飛び込む者を個をなくしたと言ふか?(中略)  戰局の惡化から米軍を本土に上陸させたら日本は滅亡してしまふ。郷土は燒き盡され、愛する者たちは殺され、犯され、奴隷と化してしまふ。考へに考へた末、祖國を救ふために一發逆轉にはもはやこれしか殘されてないと志願した者たちは?  ご一まんかましてよかですか?  彼らは個をなくしたのではない。公のためにあへて個を捨てたのだ!國の未來のため、つまり我々のために死んだのだ! (三)  溺れる子供を救はうとして飛込む者は「考へに考へた末」に飛込む譯ではないのだから、特攻隊員と等し並に扱ふのは無茶だが、それは兎も角、「泳げぬ身で」飛込む時と同樣、特攻隊員が敵艦に體當たりする時も「個を捨て」る譯でもなく「個をなく」す譯でもない。無論、「公のため」とか「國の未來のため」とかいふ事は寸分考へてゐない。國の爲大君の爲死なねばならぬといふ覺悟は、篠崎の云ふやうに「苦しい覺悟」だが、それは特攻隊員としての日頃の訓練によつて既に固めてある。それだけの事である。先頃、「月刊日本」に私はかう書いた。  嘗て航空自衞隊百里基地でかういふ事があつた。ソ連機の領空侵犯に對處すべく二佐のパイロットがF十五のエンジンをかけたら、格納庫が白煙で一杯になつた。エンジンが爆發したとパイロットは思つた。實際は翼の下の空對空ミサイルが不時發射されたのだが、そんな事はその時には解らない。バイロットはエンジンが爆發したと思つた。そして叫んだ、「左エンジン爆發。十五分待機のコックピット、スタンバイ」  愛機のエンジンが爆發した。即刻、整備員は隣の格納庫のF十五を發進させる準備に取り掛れ、といふ程の意味である。エンジンが爆發したらパイロットは確實に死ぬ。が、この二佐のパイロットは「命を惜し」まなかつた。惜しんでゐる暇も無かつた。實に見事である。職業の如何を問はず我々は皆かういふふうに振舞ふ「べき」である。が、さうは振舞へないのが凡夫である。凡夫たる我々は實際にはさうは振舞はない。が、人はさう振舞ふ「べき」である。この、振舞ふ「べき」だといふ理想と振舞へないといふ現實と、それを二つながらなぜ認める事が出來ないのか。(中略)「命を惜し」む手合が「命を惜しまず名を惜しめ」とて威勢のよい事を云ふと、それを讀んで「命を惜しむ」手合が感激する。悲慘滑稽なる漫畫である。我が論壇はその手の漫畫に滿ちてゐる。  このF十五のパイロットと面識は無いが、普段は極く普通の自衞官ではないかと思ふ。ミサイルが不時發射された時、彼は「公のため」だの「國家のため」だの「個を捨てる」だのといふやくざな事は何も考へなかつた。担し、我國の領空を侵犯するかも知れぬソ聯空軍のパイロットに舐められてはならないと日頃から考へてゐて、その日頃の信念と日頃の訓練とが「十五分待機のコックピット、スタンバイ」と叫ばせたに過ぎない。離陸が遅れれば遅れる程、ソ聯機との遭遇は日本國の領空寄りになる道理であつて、さうなれば、當然、ソ聯のパイロットは航空自衞隊を輕んずるやうになる。さういふ事になつてはならないと思ふから、パイロットも整備員も懸命に離陸の準備をする。何せ懸命で一心不亂なのだから命なんぞ惜しんでゐる暇も無い。  これを要するに、一朝有事の際に物を云ふのは普段の訓練と日頃の心掛けだといふ事である。森敏といふ自衞官を私は尊敬してゐたが、入間基地近くの飲み屋の座敷で、當時航空總隊司令部飛行隊司令だつた森が私にかう語つた事がある。「自衞隊にをれば感動する事は多々ありますが、身體が顫へる程の感動は二度だけです」。 (四)  森が語つた一度目の感動的な出來事が何だつたか、私は全く憶えてゐない。が、二度目のそれは領空を侵犯したソ聯の偵察機に航空自衞隊機が發砲した時の事である。もう時效だと思ふから書くのだが、ヴェトナムのカムランを飛び立ち沿海州に向ふソ聯の偵察機が、我が領空を侵犯して嘉手納と那覇の上空を飛んだのである。航空自衞隊のファントムと米空軍のF十五が發進した。無論、領空侵犯對處は主權國のやる事だから、米軍のF十五は航空自衞隊機の上空にゐて我が方の對處ぶりを見守るだけであつた。米軍に見られてゐるといふ事もあつて航空自衞隊の若いパイロットは苛立つてゐた。これはもう領空を掠めたといつた程度の侵犯ではない。嘉手納の上空を飛んで太平洋に出、それから引返して那覇の上空を飛んだのであつて、露骨極まる侵犯である。ファントムのパイロットは那覇基地の作戰室に屡々警告射撃の許可を求めた。  作戰室には三人の幹部自衞官がゐた。南西混成團司令の空將、防衞部長の森一佐、それと防衞課長の二佐である。警告射撃は方面隊司令官の專權事項であり、南西混成團司令は、普通の戰鬪航空團司令とは異り、「團司令」と呼ばれてはゐるものの方面隊司令官なのだから、空幕長や航空總隊司令官の指示なんぞを仰ぐ必要は全く無い。ファントムのパイロットからは「まだですか」と何度も云つて來る。然るに團司令は決斷出來なかつた。森は腸が煮え返る思ひであつた。すると、二佐が突然、森一佐に向つて云つた、「これより直ちに信號射撃を實施致します」。身體が顫へる程感動して森は「よし」と云つた。かくて信號射撃即ち警告射撃が實施され、日本が抗議してソ聯が謝つた事は當時新聞各紙の報じた通りだが、ソ聯に謝らせたのは「高級幹部」ならざる二佐の決斷だつたのである。 その立派な二佐に一度會ひたいと思ひながらその機會を逸し、苗字すら憶えてゐないのだが、「十五分待機のコクピット・スタンバイ」と叫んだ百里基地の三佐と同樣、彼もまた極く普通の自衞官だつたらうと思ふ。階級社會の自衞隊にあつて二佐が空將を無視するのは尋常一樣の事ではないが、有事とはいへその尋常一樣でない事をやつて退けられるのは日頃の心構へがしつかりしてゐたからに他なるまい。森の場合も同じである。若い頃、森は自衞隊車の助手席に乘つてゐて交通事故に捲き込まれた事がある。自衞隊の官用車と民間の乘用車が衝突し、森も眉間を切つたのだが、顔中血だらけの森は乘用車に驅け寄り、助手席にゐて怪我をした女の子を抱き上げ、顔中血だらけのまま最寄の病院へと走つた。病院の醫者も乘用車の持主もいたく感激して、損害賠償交渉は頗る順調に捗つたといふ。 (五)  だが、無論、森は損害賠償の事を考へてゐた譯ではない。自衞隊の爲といふ事も全く考へてゐない。森の眉間には大きな傷跡が遺つてゐて餘程の負傷だつた筈だが、恐らく彼は痛みも感じなかつた。そんな暇は無かつた。顔中血だらけで少女を抱へて走る、咄嗟にさういふ事が出來たのは、人間としての日頃の心構へがしつかりしてゐたからであり、瞬時に「個をなくし」たり「個を捨てた」りしたせゐではない。空將と一佐を前にして「これより直ちに信號射撃を實施致します」と云つて退けるのは強靱な個であつて、さういふ強靱な個は普段の心構へが拵へるのである。「中公新書」版「ある明治人の記録」にかういふ件りがある。會津が薩長に攻められた頃の話である。  この間、若松よりの銃砲聲いぜんとして絶えず。一同その勝敗を案ず。この音やめば主君をはじめ城中の一同全滅なりと、きさ女、忠女は語る。敵兵きたると聞けば血氣の兵藏銃と刀とりて驅け出で、しばしば兄より輕擧を戒めらる。この兵藏の郷里は越後濁川と聞く。相撲好きにて田舎力士の關取なり。賭博を好み喧嘩を日常の事とするも情誼まことに厚く、自ら侠客をもつて任ず。(中略)八月二十三日朝、東松嶺にいたりて鶴ケ城を望めば一面火と黒煙の海なり。太一郎これを指して、  「會津すでに落ちたり。吾等これより城に馳せ參じて死するのみ。汝は元より會津藩には何の由縁もなし。吾とともに死する義理まつたくなし。すみやかに歸郷せよ」  と金若干を與へて訣別せんとすれば、兵藏にはかに怒りて色をなし、  「これは驚き入りたることかな、主人の言とも覺えぬ無情無慈悲のお言葉なり。吾等下賤の博徒なりといへども一宿一飯の義理をたつとぶ、その家に難あれば身命を棄つるものなり。しかるに何ぞや、主君ただいま國難に赴くにさいし暇をたまはらんとは、まこと義理もなく人情もなし。御命令なれど、だんじてお斷はり申す」  と坐り込み、挺子にても動かぬ面構へなり。太一郎兄つひに眞情に打たれ、これをともなひて各地に轉戰(中略)戰後太一郎兄病院に収容せらるるにおよび、主君の前途すでに安泰なりとて暇を乞ひ、もとの博徒にもどりて天下を放浪すと述べ、一刀を携へて飄然と立ち去る。時に明治元年十月のことなり。(續く) 連載第十一囘 平成十三年一月十五日 第一四二四號 「身命を賭す」といふこと  兵藏は「喧嘩を日常の事とする」下賤の博徒だが、一宿一飯の義理を尊び、主家の難儀に際して「身命を棄つる」は當然の事と信じ、普段からさういふ心構へで生きてゐる。兵藏にとつての主君とは身命を賭して盡くさねばならぬ權威である。一方、森敏は日本國正規軍の軍人だから、一朝有事の折は、無論、國の爲に身命を擲たねばならないが、怪我をした少女を抱へて走つた時の森は國を守るべく走つた譯ではない。いや、百里基地のパイロットや那覇基地の二佐にとつても、國家はもはや身命を賭して盡くさねばならぬ權威ではないし、常住坐臥、「公のためにあへて個を捨て」る覺悟でゐた譯でもない。では、彼らをして頗る見事に振舞はせたもの、詰り、彼らにとつての「身命を賭して盡くさねばならぬ」ものとは、一體全體、何だつたのか。  人は誰しも己が「身命」を惜しむのであり、本居宣長の云つたやうに全て「男ラシク正シクキツトシタル」事は凡そ人情の中に無い。宣長は「うまき物食はまほしく、よき衣きまほしく、よき家にすままほしく、寶えまほしく、人に尊まれまほしく、いのちながからまほしくするは、みな人の眞心」だと云つたのだが、さういふ正直な事を、今、天下國家を論ずる知識人は決して云はず、己が「眞心」を棚に上げ、「命を惜しまず名を惜しめ」とか「東洋平和のためならば、なんで命が惜しからう」とかいふ類の徒に威勢の良い、それゆゑ不毛な綺麗事を竝べ立てるのだが、さりとて宣長の云ふ「眞心」だけで充分だとは、我々は決して思はない。洋の東西を問はず、男らしく「正シクキツトシタル」立派な先人を多數知つてゐるからであり、彼らは例外無く身命を賭するに足る何物かを信じてゐた。だが、それは國家などといふ抽象的な代物ではなくもつと身近な尊崇の對象、もしくは傳統的な掟や慣習なのである。例へば乃木希典は恩義ある明治天皇に殉じ、森鴎外の「阿部一族」に出る内藤藤十郎は領主に殉じ、安井佐代や美濃部るんは夫や姑に盡くし、「護持院原の敵討」の九郎右衞門は敵討といふ往時の慣習を固く信じて、それに「身命を賭す」る覺悟でゐる。九郎右衞門の姪りよも同じである。敵討に出る前、九郎右衞門とりよとはかういふ遣取りをする。  或る日九郎右衞門は烟草を飲みながら、りよの裁縫するのを見てゐたが、不審らしい顔をして、烟草を下に置いた。「なんだい。そんあちつぽけな物を拵へたつて、しやうがないぢやないか。若殿はのつぽでお出になるからなあ。」  りよは顔を赤くした。「あの、これはわたくしので。」縫つてゐるのは女の脚絆甲掛(きやはんかふがけ)である。  「なんだと。」叔父は目を大きく2(目+爭)(みは)つた。「お前も武者修行に出るのかい。」  「はい」と云つたが、りよは縫物の手を停めない。  「ふん」と云つて、叔父は良(やや)久しく女姪の顔を見てゐた。そしてかう云つた。「そいつは駄目だ。お前のやうな可哀(かはい)らしい女の子を連れて、どこまで往くか分からん旅が出來るものか。敵にはどこで出逢ふか、何年立つて出逢ふか、まるで當がないのだ。己と宇平とは只それを捜しに行くのだ。見附かつてからお前に知らせれば好いぢやないか。」  「仰やる通、どこでお逢になるか知れませんのに、きつと江戸へお知らせになることが出來ませうか。それに江戸から參るのを、きつとお待ちになることが出來ませうか。」罪のないやうな、狡猾らしいやうな、くりくりした目で、微笑を帯びて、叔父の顔をぢつと見た。  叔父は少からず狼狽した。「なる程。それは時と場合とに依る事で、わしもきつととは云ひ兼ねる。出來る事なら、どうにでもしてお前を其場へ呼んで遣るのだ。萬一間に合はぬ事があつたら、それはお前が女に生れた不肖だと、諦めてくれるより外ない。」  「それ御覧遊ばせ。わたくしはどうしてもその萬一の事のないやうにいたしたうございます。女は連れて行かれぬと仰やるなら、わたくしは尼になつて參ります。」  「まあ、さう云ふな。尼も女ぢやからのう。」  りよは涙を縫物の上に落して、默つてゐる。叔父は一面詞(ことば)を盡して慰めたが、一面女は連れて行かぬと、きつぱり言ひ渡した。りよは涙を拭いて、縫ひさした脚絆をそつと側にあつた風爐敷包の中にしまつた。  この件りを讀んで感動しない讀者はゐまい。私はかつて防府北基地で、いづれ航空自衞隊のパイロットになる航空學生に新潮文庫版「護持院原の敵討」を讀ませ感想文を書かせたが、數名の學生がりよの見事に讃歎して、「りよのやうな女と結婚したい」と書いた者もゐて、「草葉の蔭の鴎外は喜んでゐるだらうよ」と私は學生に云つたが、鴎外も軍人だつたのだから、後輩のパイロットの卵がりよに惚れる事を喜ばない筈は無い。けれども「月曜評論」の讀者の場合、感動するだけでは困るのである。先賢の書を讀んで感動したら、我々はついで深く考へなければならない。何を考へるか。我々がりよの見事に感動するのは、りよのやうに振舞へないからだが、なぜ振舞へないか、さういふ事を考へる。九郎右衞門やりよの見事は敵討とか男女不平等とかいふ往時の理不盡な慣習に支へられてゐるが、我々はもはやさういふ前近代的な慣習に縛られてゐない。敵討は私刑として禁じられてゐるし、「女に生れた不肖」などといふ事も、鴎外の時代はもとより戰前にもあつたが平成の今は皆無である。皆無で果たしてよいかと、さういふ事を考へる。人間の偉大を知つて悲慘を知らなかつたとてパスカルはエピクテトスを難じたが、成程、克己の努力だけによつて人間は「偉大」になれはしない。克己はもとより難事だし、難事だから大事だが、同樣に、いやいや同程度以上に、人間は外的權威に從ふ事によつて、或いは傳統だの慣習だのに「盲目的」に從ふ事によつて立派に振舞ひ得る。九郎右衞門にしても敵討といふ慣習の正當をつゆ疑つてゐない。りよもさうである。然るに、「女に生れた不肖」を不肖だとは思つてゐないものの、「人の上の人」たる叔父の權威は絶對だから、敵討に出る事を斷念し、涙を拭ひ、そつと脚絆を仕舞ふのである。  鴎外の歴史小説に描かれた江戸時代の先人は、男女の別無く、しかく慣習や權威を絶對視してゐる。乃木希典の葬儀に列席した夜、大正元年九月十八日、鴎外は殉死肯定の短編「興津彌五右衞門の遺書」を倉卒に書き、彌五右衞門にかう云はせてゐる。  某(それがし)は只主命と申(まをす)物が大切なるにて、主君あの城を落せと被仰(おほせられ)候はば、鐵壁なりとも乘り取り可申(まをすべく)、あの首を取れと被仰候はば、鬼神なりとも討ち果たし可申と同じく、珍らしき品を求め參れと被仰候へば、此上なき名物を求めん所存なり、主命たる以上は、人倫の道に悖り候事は格別、其事柄に立入り候批判がましき儀は無用なり。  周知の如く、志賀直哉や武者小路實篤は乃木の殉死を嗤つて、武者小路なんぞは、ゴッホの自殺と違ひ乃木の「自殺には國際的のところがない」などとまこと愚な事を書いた。だが、鴎外は肅然襟を正して「興津彌五右衞門の遺書」を書いた。「國際的のところ」なら鴎外は志賀や武者小路よりも遙かに深く理解してゐた。ドイツ語に堪能で、留學中にドイツの學者と論爭をやつてゐるし、歸國して後、ドイツの女が鴎外を追ひ掛けて來た話はよく知られてゐる。だが、白樺派の文人とは異なり、鴎外は「日本的のところ」に強く縛られてゐた。縛られながらも國粋主義に墮する事が無かつた。乃木殉死以前の事だが、鴎外は「普請中」といふ短編を書いてゐる。普請中の靜養軒ホテルで渡邊といふ參事官が昔馴染のドイツ女と會食する話である。以下、少し引用するが、かういふ嫌味な西洋かぶれの文章を書いた男が、同じ年に「興津彌五右衞門の遺書」を書いたのであり、その隔たりの大きさを痛感しつつ讀んで貰ひたい。  「去年の暮からウラヂオストツクにゐたの。」  「それぢやあ、あのホテルの中にある舞臺で遣つてゐたのか。」  「さうなの。」  「まさか一人ぢやあるまい。組合か。」  「組合ぢやないが、一人でもないの。あなたも御承知の人が一しよなの。」少しためらつて。「コジンスキイが一しよなの。」  「あのポラツクかい。それぢやあお前はコジンスカアなのだな。」  「嫌だわ。わたしが歌つて、コジンスキイが伴奏をする丈だわ。」  「それ丈ではあるまい。」  「そりやあ、二人きりで旅をするのですもの。丸つきり無しといふわけには行きませんわ。」(中略)  「これからどうするのだ。」  「アメリカヘ行くの。日本は駄目だつて、ウラヂオで聞いて來たのだから、當にはしなくつてよ。」  「それが好い。ロシアの次はアメリカが好からう。日本はまだそんなに進んでゐないからなあ。日本はまだ普請中だ。」  「あら。そんな事を仰やると、日本の紳士がかう云つたと、アメリカで話してよ。日本の官吏がと云ひませうか。あなた官吏でせう。」  「うむ。官吏だ。」  「お行儀が好くつて。」  「恐ろしく好い。本當のフイリステルになり濟ましてゐる。けふの晩飯丈が破格なのだ。」  「難有いわ。」さつきから幾つかの控鈕(ボタン)をはづしてゐた手袋を脱いで、卓越しに右の平手を出すのである。渡邊は眞面目に其手をしつかり握つた。手は冷たい。そしてその冷たい手が離れずにゐて、暈(くま)の出來た爲めに一倍大きくなつたやうな目が、ぢつと渡邊の顔に注がれた。  「キスをして上げても好くつて。」  渡邊はわざとらしく顔を蹙めた。「ここは日本だ。」  日本は近代化の普請中で歐米諸國ほど「進んでゐない」。「進んでゐない」以上、「國際的のところ」を目指さねばならないが、さうなれば「人の上の人」に過ぎない天皇を「人の上の絶對者」である「かのやうに」尊崇する譯には行かなくなるし、「神話と歴史とを一つにして考へて居ること」も、「祖先の神靈が存在してゐる」かのやうに祀る事も共に出來なくなる。だが、「さうなつた前途には恐ろしい危險が横たつてゐはすまいか」、國を擧げての「普請」がいかに日本人の根性を奪ふかを、ドイツ女の手を握り「日本はまだ普請中」などといふ氣障な臺詞を吐いた鴎外が、愚直で武骨な乃木の殉死に衝撃を受けて後に痛感する事になる。だが、早合點してはならない。鴎外は昨今雨後の筍の如く現れた似非保守主義者の如く、状況次第で膨らんだり萎んだりする國粋主義者になつた譯ではない。敵討や殉死や男尊女卑の風習ゆゑに、そしてまた「人の上の人」を尊崇したがゆゑに、御先祖は立派に振舞へた。けれども、昔を今になすよしは無い。御先祖と西洋學問をやつた鴎外との間には埋めやうの無い溝がある。「護持院原の敵討」にかういふ件りがある。  宇平は矢張默つて、叔父の顔をぢつと見てゐたが、暫くして云つた。「をぢさん。わたし共は隨分歩くには歩きました。併し歩いたつてこれは見附からないのが當前かも知れません。ぢつとして網を張つてゐたつて、來て掛かりつこはありませんが、歩いてゐたつて、打つ附からないかも知れません。それを先へ先へと考へて見ますと、どうも妙です。わたしは變な心持がしてなりません。」宇平は又膝を進めた。「をぢさん。あなたはどうしてそんな平氣な樣子をしてゐられるのです。」  宇平の此詞を、叔父は非常の集中を以て聞いてゐた。「さうか。さう思ふのか。よく聽けよ。それは武運が拙くて、神にも佛にも見放されたら。お前の云ふ通だらう。人間はさうしたものではない。腰が起てば歩いて捜す。病氣になれば寢てゐて待つ。神佛の加護があれば敵にはいつか逢はれる。歩いて行き合ふかも知れぬが、寢てゐる所へ來るかも知れぬ。」  宇平の口角には微かな、嘲るやうな微笑が閃いた。「をぢさん。あなたは神や佛が本當に助けてくれるものだと思つてゐますか。」  九郎右衞門は物に動ぜぬ男なのに、これを聞いた時には一種の氣味惡さを感じた。「うん。それは分からん。分からんのが神佛だ。  宇平の態度は不思議に恬然としてゐて、いつもの興奮の状態とは違つてゐる。「さうでせう。神佛は分からぬものです。實はわたしはもう今までしたやうな事を罷(や)めて、わたしの勝手にしようかと思つてゐます。」  九郎右衞門の目は大きく開いて、眉が高く擧がつたが、見る見る蒼ざめた顔に血が升(のぼ)つて、拳が固く握られた。  「ふん。そんなら敵討は罷にするのか。」  これはどこかに嘗て書いた事なのだが、普段「物に動ぜぬ男」なのに、九郎右衞門がここで「一種の氣味惡さを感じた」のは、一瞬、神佛の加護を信じられなくなつたからだが、恐らく本物の九郎右衞門の場合、そんな事は決して無かつた。それゆゑ右に引いた部分は「神佛の加護」を信じてゐない鴎外の創作である。本物の九郎右衞門は神佛の加護を固く信じてゐる。敵には必ず必ず巡り會へると思つてゐるし、よしんば巡り會へなくても腰が立つ限りは捜し同る、「人間はさうしたもの」だと信じ切つてゐる。敵討と云へば讀者は「忠臣藏」を思ひ出すかも知れないが、赤穂浪士の場合、敵たる吉良上野介は吉良邸にゐて逃げも隠れもしない。然るに、九郎右衞門の場合、敵が日本のどこにゐるか皆目見當が附かない。九郎右衞門たちが京都奈良を目指して東海道を下つてゐる時、敵は越後江戸を目指して北陸道を上つてゐるかも知れぬ。「武運」と神佛の加護と敵討の義務の神聖を信ぜずに「平氣な樣子をしてゐられる」道理が無いのである。  詰りかういふ事だ。「先祖その外の神靈の存在」も信じられずにゐる鴎外は九郎右衞門が信じてゐたものの悉くを信じてをらず、九郎右衞門の見事に讃歎しつつ筆を進めたものの、ほんの少しばかり己が弱さを投影せずにはゐられなくなつた。同じ事は「阿部一族」の内藤長十郎についても云へる。長十郎の心中を付度して鴎外はかう書いた。  併し細かに此男の心中に入つて見ると、自分の發意で殉死しなくてはならぬと云ふ心持の旁(かたはら)、人が自分を殉死する筈のものだと思つてゐるに違ひないから、自分は殉死を餘儀なくせられてゐると、人にすがつて死の方向へ進んで行くやうな心持が殆ど同じ強さに存在してゐた。反面から云ふと、若し自分が殉死せずにゐたら、恐ろしい屈辱を受けるに違ひないと心配してゐたのである。かう云ふ弱みのある長十郎ではあるが、死を怖れる念は微塵もない。  世間體を憚るやうな弱い男が切腹前に晝寢なんぞをする筈が無いのだから、この心理解剖には説得力がまるで無い。鴎外はここでも己れの弱さを投影して、九郎右衞門や長十郎を己れに引き寄せようとして失敗してゐる。そしてそれが、江戸時代の武士と明治の文士との埋めやうの無い隔たりを證してゐる。それは何を意味するか。前近代的なるものへの信仰無しに我々は道徳的に立派に振舞へないといふ事を意味する。とすれば、災ひの基は近代化なのではあるまいか。南蠻渡來の文明の利器を總て捨て、儒教の合理主義に甘んじ、「女に生れた不肖」を忍び、「祖先の神靈」を信じ、「人の上の人」には土下座して、義理人情浪花節を重んじ、長い物には潔く卷かれる、さういふ事がやれもしないのに、政治はともかく道徳を論ふのは全く無意味なのではあるまいか。(續く) 連載第十二囘 平成十三年三月十九日 第一四二六號 先祖の流儀(傅統)に自信を持てない保守といふ異常 「人の上に人を戴く」文化  將軍家、藩主、守護地頭、明治以後は天皇、貴族、軍人、警官、お役人、さういふ「人の上の人」を恐れ憚つて御先祖樣は立派に振舞つた。無論、福澤諭吉が慨歎したやうに「目上の人に逢へば一言半句の理窟を述ること能はず、立てと云へば立ち、舞へと云へば舞ひ、其從順なること家に飼たる痩犬」の如き卑屈な御先祖も多かつたが、と云ふよりそれが大半だつたらうが、今人が感服せざるを得ない御先祖樣は、貴賤の別無く、「人の上の人」を憚りつつ生きた。高村光雲が、御前制作の折、明治天皇の膝から上を見なかつたのは、見たら目が潰れると本氣で信じてゐたからだが、今、秋津島根のどんなに鄙びた寒村にも神であるかの如く「人の上の人」を敬ふ男はゐまい。私の父は彫刻家で、帝展無鑑査まで行き、その後挫折した男だが、父の師匠であつた佐藤玄々は、紀元二千六百年奉祝のため和氣清麻呂像を拵へる事になつた時、アトリエに注連縄を張り、毎朝、齋戒沐浴してから制作に取掛つたといふ。光雲が死んで七十年、玄々が死んで三十年、「人の上の人」を恐れ憚つたり、神靈を「まつるに在すが如くす」る、さういふ愚直がなぜ地を拂つたのか、それを眞面目に考へずに道徳を論ふのは全くの無意味である。泰西の文化は人の上に絶對者を戴く文化で、我々のそれは「人の上に人を戴く」文化だから、「人の上の人」を敬し憚る事無くして我々は道徳的に立派に振舞ふ事が出來ない。眞摯になる事も出來ない。明治天皇の御前で制作してゐた光雲は、裸のフランス女を前にして3(黍+占)土を捏ねてゐた倅光太郎の想像を絶する程緊張してゐたに相違無い。注連縄を張り齋戒沐浴する玄々も同じである。アトリエに注連縄を張り巡らせたら畫家も彫刻家も眞劍になる。注連縄は何のために張るか。無論、神靈を迎へるために張る。注連縄が張り巡らされてゐる限り、神靈はアトリエに留まつて、鑿を揮ふ玄々を見てゐる。明治天皇が光雲を見てゐる。神靈が玄々を見てゐる。明治天皇の場合と異なり、神靈の存在は實證によつては確かめられない。信ずるか、それとも信じないか、そのいづれかである。 日本人でなくなつて仕舞ふ  だが、我々はもう神靈の實在を信じてゐない。成程、時折墓參りはするし、先祖の遺骨をただのカルシュームだとは思つてゐないが、先祖の靈が日常の行動を監視してゐると感じる事は決して無い。洋の東西を問はず、人間の言動は個人の外部の何かに規制されてゐなければならない。神靈が見てゐると本氣で信じてゐるから玄々は眞劍になる。同樣に、世間の目が光つてゐると思へば、我々の行動は野放圖にはならない。神靈も世間も我々の外部にあつて我々の言動を規制する。例へば、電車の中で化粧する若い女は見苦しいが、神靈ならぬ他の乘客が見てゐるといふ意識のまるで無い形振り構はぬはしたなさ、それが醜いのである。ああいふ手合は芥川龍之介の短篇「手巾」を讀んだ事が無いに相違ない。恐らく生涯讀まないであらう。が、我々の文化は「恥の文化」であつて、神靈だの「お天道樣」だの「人の上の人」だの「世間體」だのを一切憚らぬやうになれば、日本人は日本人でなくなつて仕舞ふ。もう隨分さうなつてゐる。柳田國男は「先祖の話」に書いてゐる。  私の聽いてゐるある武家の老主婦は、明治も中頃に近くなるまで。盆の魂祭りの日は黒の紋服を着て玄關の式臺に坐り。まるで生人に對するやうな改まつた挨拶をした。まことに行き屆かぬおもてなしでございましたのに、よう御逗留下さいました。また來年もお待ち申しますといふやうな言葉を、もつと長く丁寧に述べられたといふことである。それにこたへられるともうなづかれるとも、思つてゐたわけではあるまいが、おそらくはこれが代々のこの家の作法で、今日の教育とはちがつて、かう言へかう思へと教へる代りに、自分で直接に實行して見せられたのであらう。  いかにも柳田らしい中途半端の論である。その「武家の老主婦」が黒の紋服を着て叮嚀な挨拶を述べる時は、それに對して先祖の靈が耳を傾け「うなづかれる」と信じてゐたのであつて、代々の作法だから式臺に坐り挨拶を述べた譯ではない。彼女の振舞ひは大層美しいが、それは彼女が、祖靈といふ實證によつて確かめられぬものの實在を信じ切つてゐるからであり、恐らく彼女の日常生活も自墮落なものでは決してなかつた。「コクピット・スタンバイ」と叫んだパイロットや、信號射撃を決斷した二佐や、怪我をした少女を抱へて走つた森敏の場合と全く同樣、彼女の日頃の心掛けと式臺に坐しての挨拶とは見事に調和してゐた筈なのである。  無論、人間に完全といふ事は無いから「老主婦」にも何かしら缺點はあつたに相違無い。けれども、聖人君子が立派に振舞つても我々は感動しない。缺點だらけの迷ひ多き常人が時に見事に振舞ふからこそ感動する。「自衞隊にをれば感動する事は多々ありますが」と森敏は云つたが、自衞隊の外部には感動と無縁の人生がある。早い話が、「月曜評論」を含む週刊月刊雜誌に感動的な文章を見掛ける事は滅多に無い。けれども、文章の役割は知識の傳達だけではない、「力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の中をもやはらげ、猛きもののふの心をも慰むつは歌なり」と紀貫之は云つたが、良き文章とは天神地祇ならぬ讀者を動かす「歌」なのである。西部邁邁の「國民の道徳」は、その惡文もさることながら、道徳を論つてそこに全く「歌」が無い。それは詰り、西部の關心が道徳以外のものにあるといふ事の證しである。西部の砂を噛むやうな醜い駄本についてはいづれ觸れるとして、ここで或る戰爭未亡人の美しい文章を紹介しておかう。彼女の夫はたつた二年間の新婚生活を送つて後、出征して戰死するのだが、若き未亡人は夫の遺影を前にして夫への「片だより」を綴るのを日課にしてゐる。次に引くのは「婦人公論」昭和二十五年二月號に掲載された文章の一部である。  河田さんのことを今日は思ひ切つてお知らせ致します。お怒りにならないできいてちやうだい。その方は(中略)理科の先生で、家が同じ方なので時々一緒の電車になり色々お話をいたします。(中略)先日長年御病氣だつた奥樣が亡くなられ、お氣の毒な方です。その河田さんが、この間雨に濡れて居た私を驛から家まで送つて下さいました。私はこの夜、今まで久しく味はつたことのない不思議な愉しい氣分になつた、家がもつと遠いといいのになんて思ひました。家の前から引き返された後、私は別れたくないやうな、なんだか苦しいやうないらいらした氣持でした。(中略)本當にはしたない女だとお怒りになるでせうが、時に誰かに甘えてみたいといふ氣持になるのをどうすることも出來ません。(中略)私は「貞婦二夫にまみえず」、なんていふことを、金科玉條のやうに死守しようといふほど意志が強くもなささうだし、あなたが靖國神社で‘神樣になつてみていらつしやる’とも思つてゐません。私の人生は、たつたあの二年間で終はつてしまつたなんて餘りに殘酷です、(中略)こんな厚かましいことをぬけぬけと書くところがもうどうかしてゐるのかしら。でも………本當に女獨りでゐるとこんな氣持になるときもありますのよ。(傍點松原)  雲を衝くやうな大鳥居の「こんな立派なお社に神と祀らる勿體なさ」、そんなものを彼女は全く信じてゐない。靖國神社に夫の神靈が祀られ、それが彼女を「見ていらつしやる」などとは、露、思つてゐない。彼女が信じてゐるのは我が家の机の上に載せた夫の遺影である。それに向つて決して返事を期待出來ない手紙を毎日書く。夫の魂が遺影や位牌に宿つてゐる事は信じてゐる譯である。「貞婦二夫にまみえず」といふ事も彼女は信じてゐる。信じてはゐるが「河田さん」に言ひ寄られたらそれを斷然はねつけるだけの自信が無い。自信は無いが、多分、彼女ははねつける。夫の靈と封建道徳とが彼女の外側にあつて彼女を縛つてゐる。然し、時たま、その束縛を脱したくなる。「時に誰かに甘えてみたいといふ氣持になるのをどうすることも出來」ない。が、その「どうする事も出來ない」氣持を抑へ、彼女は「片だより」を綴る。道徳的に何ともはや見事である。時に迷ふから見事なのである。迷つて道を踏み外さないから見事なのである。 父母の靈が、祖靈が見てゐる  さういふ次第で我々は自己以外の何かに從はねばならず、人に從ふよりも神に從ふはうが遙かによい。「人の上の人」の權威は搖らぐ場合がある。菊が榮えて葵が枯れたら、將軍家の威令は行はれぬやうになる。而も「人の上の人」も人だから、時に弱みを見せ醜態を晒す事もあるが、神は決して弱みを見せず醜態も晒さない。無論、我々の神は絶對者ではないが、先祖の靈は何せ死んでゐるのだからその權威が失墜する恐れは無い。但し、泰西の神と異なり、我々の祖靈は道徳的な命令を下さないから、我々は神に從ふのではなくて神を敬ひ神の目を憚る。祖先や亡父亡母の靈が我々を見守つてゐる。誰も見てゐなくても祖靈が見てゐる。さう信じたら、信じないよりも道徳的に立派に振舞へる。では、死者はどこで生者を見守つてゐるか。柳田は「魂のゆくへ」と題する短文にかう書いてゐる。  日本を圍繞したさまざまの民族でも、死ねば途方もなく遠い遠い處へ、旅立つてしまふといふ思想が、精粗幾通りもの形をもつて、おほよそは行きわたつてゐる。ひとりかういふ中においてこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ國土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁榮と勤勉とを顧念してゐるものと考へ出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りもなくなつかしいことである、それが誤つたる思想であるかどうか、信じてよいかどうかはこれからの人がきめてよい。  これもまた中途半端で弱々しい文章である。傳統とは「あらゆる階級のうち最も日の目を見ぬ階級、われらが祖先に投票權を與へる」事だとG・K・チェスタトンは云つたが、先祖傳來の「思想」が誤つてゐるかどうかを「これからの人」が決めるといふ事は先祖に投票權を與へぬ事である。土臺、祖靈が山頂から子孫の生業を見守るといふ「思想」の正誤を論ふなどとは全くのナンセンスだが、そのナンセンスもさる事ながら、柳田のやうにへつぴり腰で「先祖の話」をし、「限りもなくなつかしい」とて懐舊の念に浸るだけでは「これからの人」は洟も引掛けまい。柳田に限つた事ではないが、我が國の「古き人」は常に「これからの人」の鼻息を窺ふ。それは詰り「保守」が「革新」に對して弱腰の態度しか採れないといふ事で、それならこの國に保守が存在し得る道理が無い。先祖の流儀に自信の持てない保守などといふ化物が存在する筈は無い。戰後この國に存在したのも保守ではなくて「親米」であり、「革新」とは「親ソ親中」であつた。そして米ソの冷戰終結後は反米の保守が幅を利かせるやうになつた、さういふ事に過ぎない。 古道具屋に四百圓で御眞影  先祖の流儀すなはち傳統に自信を持てない保守とは甚だしい形容矛楯なのだが、さういふ異常な事態は戰後に始まつた譯ではない。明治初期、西洋の猿眞似を始めた頃も、「古き人」は常に「新しき人」に引け目を感じたのである。「西歐世界と日本」にG・B・サンソムは書いてゐる。  民衆美術が外國の影響によつて、このやうに變貌しつつあつた一方で、古典的日本畫の諸流派は(中略)昔の傳統的なものに對する反動まで生じてくるにつれて、世間一般からないがしろにされ、さらに輕蔑さへ受けるといふ苦しい立場になつた。古典的日本畫の二人の名匠、狩野芳崖と橋本雅邦にしても、維新後十年の頃はほとんど飢ゑ死にせんばかりの有樣だつた。彼らの作品は街角で責りひさがれ、ほんの二、三錢の値で買ふことができたのである。佛教寺院の實物の品々も捨て去られたり、二束三文で賣り拂はれたりした。貴重な木彫作品が薪代りに使はれた。(中略)當時の政治傾向が反佛教運動を助長したといふ理由もあつたが、しかし大部分は當時の氣運が偶像破壞的だつたといふ理由から、古いものはすなはち惡いものと考へられたからだつた。  所謂廢佛毀釋の輕佻浮薄についてここでは詳述しないが、いづれにせよ佛教は「古いから惡い」と見倣された譯であつて、「貴重な木彫作品が薪代りに使はれた」といふ事は、先祖代々の流儀が弊履の如く捨てられたといふ事に他ならない。數年前、私は鷺宮の古道具屋の店頭に四百圓の正札をぶら下げた御眞影を見出して仰天した事がある。戰時中、失火の際、御眞影を持出さなかつた校長が自殺するといふ事件があつたが、さういふ「古い人」の行爲は今となつては愚かしくて「惡い」のである。だが、ここで讀者によくよく考へて貰ひたい。諸君もまた思ひ出したくない「惡い」行爲や愚かしい行爲を、これまでに何度もやつてゐる。では、諸君はその記憶を抹消し得るのか。二度と繰返したくないと思ひ、繰返さないのは結構な事だが、愚行の記憶を抹殺する譯にはゆかないし、さういふ「古き己れ」に含まれる瑕疵ゆゑに己れの存在價値を否定する者は一人もゐはしない。而も「新しい己れ」などといふものは瞬間的にしか存在しない。瞬間的に存在して、直ちに「古き己れ」に組み込まれて仕舞ふ。己れとは詰り「古き己れ」なのであり、古き己れが古いから駄目だといふ事は己れの總てが駄目だといふ事なのである。(續く) 連載第十三囘 平成十三年四月十六日 第一四二七號 「國民の道徳」といふ駄本(一) 四百圓國の五十圓の駄文  だが、我々の過去が即ち我々自身なのに、我々は過去を迷妄と野卑と無知の蓄積と看做し、御眞影が四百圓なら我々の過去も四百圓で、過去が四百圓なら現在も四百圓だとはさつぱり考へる事が無い。それゆゑここで一つ、四百圓の、いやいや五十圓の文章を引く事にする。西部の駄本の一節である。  「自由とは何だ、言葉だ、言葉とは何だ、空氣の振動だ」、これはシェークスピアの「ヘンリー四世」に出てくる人物、フォルスタッフの科白である。つまり、自由にも、言葉にも、それ自體としては意味がないとフォルスタッフはいひたかつたわけだ。まつたくその通りで、自由も言葉も、道徳による規制がなければ、(聲帯を含めての)身體の律動であり空氣の振動であるにすぎない。  「繪畫の本質は額縁にあり」とチェスタトンはいつたが、それは道徳なき自由の無意味さを指摘するための比喩であつた。これはシェークスピアの文句よりも優れてゐて、規制がなければ自由なんぞは、そもそも無意味どころか、不可能だといつてゐるのである。(「國民の道徳」)  この五十圓の駄文には中學生の作文にも滅多に見出せぬ類の嗤ふべき過ちが含まれてゐる。「繪畫の本質は額縁にあり」とはチェスタトンの言葉だが、「自由とは何だ、言葉だ」云々のはうはフォルスタッフの科白であつて作者シェイクスピアの「文句」ではない。作中人物がそのまま作者なのではない。早い話が、私が芝居を書いて作中人物に「それあ、自由の無意味さを指摘するための比喩なんだ」なる科白を喋らせる事はあり得る。だが、その場合、私はその人物を「五十圓學者」に仕立ててゐる。全うな學者なら「無意味」といふ漢語に「さ」なんぞは附けないからである。だが、その「五十圓學者」の科白を捉へて、「かなしさ」とか「うれしさ」とか「樂しさ」とか、「さ」を附けるのは和語に限られる、「そんな事も松原は知らないのか馬鹿野郎」と誰かが云つたとしたら、そいつこそ大馬鹿野郎である。西部の頭腦の粗雜についてはこれだけで充分かと思ふ。チェスタトンもフォルスタッフも太鼓腹のでぶではあるが、兩者の科白の優劣を論ふのは全く「無意味」であり、「筋違ひ」であり、中學生にも理解し得る無意味に氣づかぬ五十圓學者が道徳を論つて怪しまれぬ國が「四百圓國」でない道理は無い。  情けない事だが我々の國は四百圓國で、このほどロシアの大統領に我が首相が飜弄されたのも、四百圓國なのだからどうにも致し方が無い。それより先、アメリカの潜水艦が「えひめ丸」を沈めた際も、首相がゴルフを止め官邸に戻らなかつたとて、私の限り「産經抄」を除く全ての新聞テレビ評論家が指彈したが、これも四百圓國特有の愚かしい現象であつて、あれは單なる事故に過ぎない。海上自衞隊の潜水艦が外國の船を沈めたとなつたら、海幕長は直ちにゴルフを止めなければならないが。總理大臣までがそれに附合ふ必要は無い。土臺、官邸に駈け戻つて、軍事の素人たる森に何が出來るのか。ブッシュが遺憾の意を表明したではないかと讀者は云ふかも知れないが、あれは遺憾の意を表明する事が國益に叶ふからさうしたに過ぎない。私は森喜朗を庇つてゐるのではない。森が咎めらるべきは、この國は何せ四百圓國だから、ここでゴルフを止めておかないと四百圓國の床屋八百屋政治屋新聞屋に袋叩きにされるといふ事、それが豫測出來なかつたといふ事だけである。頭腦の仕組が西部のそれと同樣粗雜だつた譯だが、それを森個人の缺陥として指彈する譯には行かない。森を首相に選んだのはとどの詰り我々國民だからである。 「利口の過剰」安ずる愚者  とまれ我々の國はさつぱり道理の通らぬ四百圓國で、それを認める事以外に我々にとつての喫緊の大事は無い。前囘私は御先祖樣の流儀を尊重する事の大事を説いたが、實を云へば、御先祖樣とて一萬圓國五千圓國に生きてゐた譯ではない。物の道理の輕視といふ事は古事記日本書紀の時代に既に存在する弊風であり、それは頗る厄介な問題だからいづれ詳述する事にして今は措くが、道理輕視の愚鈍にも程度の差は無論あつて、江戸明治の昔はもとより敗戰直後だつて四百圓といふ事はなかつた。太宰治や坂口安吾の文章と西部や大江健三郎のそれとを讀み較べれば思ひ半ばに過ぎるであらう。大江は左で西部は右だが、馬鹿に保革の別は無いし、左右の馬鹿が好んで讀むから杜撰な頭腦の持主でも食つて行けるのである。いやいや食つて行けるどころか、ノーベル賞や正論大賞を受賞する。それは詰り、我々の國が、漱石の科白を借りれば、富士山以外に「自慢するものは何もない」國だといふ事で、情けないが、それを我々は認めなければならない。「國民の道徳」に西部はかう書いてゐる。  たとへば、利口といふのは一つの徳と考へられる。しかし、その利口といふ單一の徳だけを追求すると、かならず利口の過剰になつて、狡猾といふ不徳に轉落していく。それは實際にもみられる現象であつて、利口さだけを追求する人間はおほむね狡猾な詐欺師めいた人間にならざるをえない。利口に對抗する價値として、誠實がある。しかし、誠實だけを過剰に追求すると、まづ間違ひなく愚鈍になり、面白くも可笑しくもない人間が出來上がる。つまり、利口さと誠實さといふ互ひに葛藤する二つの徳のあひだでいかに平衡をとるか、それが人間の生き方における價値となるわけである。  人は須く利口であるべきで西部のやうに馬鹿であつてはならないが、皰面の若者ならばともかく、利口が馬鹿になる事は無く馬鹿が利口になる事も無いから、西部が利口になる日は決してやつて來ない。これを要するに、右の文章では愚者が「利口の過剰」を案じてゐる譯で、これはもう臍が茶を沸す程の滑稽である。利口の過剰は斷じて狡猾ではない。愚者は愚者なりに狡猾だし、ニーチェ流に云へば、瞞された馬鹿が利口を恨んで「狡猾」と呼ぶに過ぎない。さらにまた、誠實の過剰が「愚鈍」だとすれば、西部は論壇切つての誠實な男だといふ事になる。笑止千萬である。 道徳的な安吾の文章  さういふ小利口な馬鹿の滑稽で雜駁で醜い文章を前囘引いた戰爭未亡人の美しい文章、或いは次に引く坂口安吾の文章と讀み較べてみるがよい。後者にあつて前者に無いものが、利口と誠實といふ「葛藤する二つの徳のあひだ」に保たれる「平衡」なんぞではなく、徳と不徳との葛藤ゆゑに歌はれる「歌」である事が解るであらう。敗戰直後、安吾はかう書いた。少々雜駁で解り難い件りもあるが、「誠實」ならざる西部には逆立しても書けない文章、詰りは道徳的な文章である。  要するに天皇制といふものも武士道と同種のもので、女心は變り易いから、「節婦は二夫に見えず」といふ、禁止自體は非人間的、反人性的であるけれども、洞察の眞理に於て人間的であることと同樣に、天皇制自體は眞理ではなく、又自然ではないが、そこに至る歴史的な發見や洞察に於て輕々しく否定しがたい深刻な意味を含んでをり、ただ表面的な眞理や自然法則だけでは割り切れない。(中略)私は血を見ることが非常に嫌ひで、いつか私の眼前で自動車が衝突したとき、私はクルリと振向いて逃げだしてゐた。けれども、私は偉大な破壞が好きであつた。私は爆彈や燒夷彈に戰きながら、狂暴な破壞に劇しく亢奮してゐたが、それにも拘らず、このときほど人間を愛しなつかしんでゐた時はないやうな思ひがする。(中略)私は偉大な破壞を愛してゐた。運命に從順な人間の姿は奇妙に美しいものである。麹町のあらゆる大邸宅が嘘のやうに消え失せて餘燼をたててをり、上品な父と娘がたつた一つの赤皮のトランクをはさんで濠端の緑草の上に坐つてゐる。片隅に餘燼をあげる茫々たる廢墟がなければ、平和なピクニックと全く變るところがない。ここも消え失せて茫々たる餘燼をたててゐる道玄坂では、坂の中途にどうやら爆撃のものではなく自動車にひき殺されたと思はれる死體が倒れてをり、一枚のトタンがかぶせてある。かたはらに銃劍の兵隊が立つてゐた。(中略)米人達は終戰直後の日本人は虚脱し放心してゐると言つたが、爆撃直後の罹災者達の行進は虚脱や放心と種類の違つた驚くべき充滿と重量をもつ無心であり、素直な運命の子供であつた。笑つてゐるのは常に十五六、十六七の娘達であつた。彼女達の笑顔は爽やかだつた。(中略)あの偉大な破壞の下では、運命はあつたが、墮落はなかつた。(中略)私は考へる必要がなかつた。そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかつたからだ。實際、泥棒すらもゐなかつた。(中略)戰爭中の日本は嘘のやうな理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれてゐた。それは人間の眞實の美しさではない。そしてもし我々が考へることを忘れるなら、これほど氣樂なそして壮觀な見世物はないだらう。たとへ爆彈の絶えざる恐怖があるにしても、考へることがない限り、人は常に氣樂であり、ただ惚れ惚れと見とれてをれば良かつたのだ。私は一人の馬鹿であつた。(中略)戰爭がどんなすさまじい破壞と運命をもつて向ふにしても人間自體をどう爲しうるものでもない。戰爭は終つた。特攻隊の勇士はすでに闇屋となり、未亡人はすでに新たな面影によつて胸をふくらませてゐるではないか。人間は變りはしない。  安吾は爆彈燒夷彈の「狂暴な破壞力」に亢奮し、「運命に柔順」な罹災者達を美しいと思ふ。美しいと思ふだけで何も考へずに、毎日、惚けたやうになつて「壮觀な見世物」を眺め暮してゐる。が、それは斷じて道徳的な美しさではない。そこに悖徳が缺けてゐるからである。燒跡には「實際、泥棒すらもゐなかつた」。さういふ清潔な場所では人間は墮落の仕樣が無い。やがて戰爭が終る。特攻隊員は復員して闇屋になる。天皇は人間になる。「人間は墮落する。義士も聖女も墮落する」。それで結構、人間は墮落すべきである。處女の純潔を保ちたいのなら處女を「刺殺」するしかない。  人間は墮落する。義士も聖女も墮落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによつて人を救ふことはできない。人間は生き、人間は墮ちる。そのこと以外の中に人間を救ふ便利な近道はない。(中略)人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、墮ちぬくためには弱すぎる。人間は結局處女を刺殺せずにはゐられず、天皇を擔ぎださずにゐられなくなるであらう。だが、他人の處女でなしに、自分自身の處女を刺殺し、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく墮ちる道を墮ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦墮ちきることが必要であらう。墮ちる道を墮ちきることによつて、自分自身を發見し、救はなければならない。政治による救ひなどは上皮だけの愚にもつかない物である。(「墮落論」)  墮ちろ墮ちろと安吾は頻りに主張するが、處女の純潔が善ではなし、特攻が闇屋になる事も惡ではなし、安吾の言分は宣長の云ふ「善惡綯ひ交ぜ」の日本國に於ける虚しい論議なのだが、よしんば勘違ひにもせよ、ここで安吾は己れが本當に信じてゐる事だけを包まず語つてをり、己れを上品に或いは立派に見せようなどといふ魂膽は全く持合せてゐない。成程、「義士も聖女も墮落する」に決つてゐるが、處女の純潔や義士の高潔を安吾は輕蔑してゐる譯ではない。「善惡綯ひ交ぜ」國の文士坂口安吾は、眞の道徳的葛藤が存在し樣の無い風土で惡戰し苦鬪してゐる。安吾の文章が雜駁ではあつても道徳的たるゆゑんである。 讀者への宿題  さて、今同は讀者に宿題を出して終る事にする。次に引く西部邁の駄文は道徳的に頗る不潔で、論理的な矛楯に充ちてゐる。これほど不潔かつ杜撰な文章は、いかに四百圓國家でも、滅多やたらに見出せるものではない。次囘に散々扱き下ろすが事にするが、讀者は一箇月間、矯めつ眇めつ西部の駄文を眺め、駄文の不潔たるゆゑんを考へて貰ひたい。  いはゆる世論において流通してゐる生活上の價値觀が道徳といふものであるなら、私は物心ついてからこの方、不道徳漢として生きてきたし、これからもそのやうに生き、そして不道徳漢のままに死ぬのであらう。  のつけから自分のことで恐縮であるが、小學生の頃、私はおほむね孤獨を好むやうにして生きてゐた。いや、他者との接觸が否應もなく喧嘩沙汰に至るので、孤獨に傾かざるをえなかつたのである。中學生の頃は、遠方からの汽車通學のためにさらに獨りになることが多く、一時とはいへ萬引に耽るといふやうな形で、少々不良化してゐた。高校生の段階では、妹を交通事故に遭はせるといふ失策をやつたこともあつて自閉的でありつづけてゐた。  その自閉症の氣味を打ち破りたいといふ衝動に驅られてのことであらう。大學生になると、政治運動に參加し、二度逮捕され、三つの裁判で被告人をやつてゐた。被告人になると同時に政治運動はやめ、また獨りになつた。家族や友人との附き合ひなしに、物質的に最低の暮らしをしながら刑務所に入るのをただ待つてゐるといふのも、「小人、閑居して不善を爲す」の一種であつたとしかいひやうがない。  妙な具合で刑務所にいかずに濟むことになり、そして學者の職業に就くことになつた。だが、自分のやつてゐた學問分野がとてもつまらないものだと思はれはじめ、そこからの脱出口がみつからぬといふ苛立ちのせゐもあつて、麻藥や賭け事を少々體驗しながら、憂鬱な時間を過ごしてゐた。(中略)脱出口の見當が何とかついたあと、留學と稱する精神の休眠状態に入り、國に戻つてきて、日本における「戰後的なるもの」が高度大衆社會の徒花となつて咲き誇つてゐることに精神的な嘔吐を催しはじめたときに、私はもう四十歳代になつてゐた。その代が終はりに近づく頃、譯あつて所屬大學と喧嘩しなければならなくなり、それから十二年間、主として評論家といふ世間からは蛇蝎のやうに嫌はれる、また嫌はれて當然の、職種のあたりをうろうろして今に至つてゐる。(續く) 連載第十四囘 平成十三年五月二十一日 第一四二八號 「國民の道徳」といふ駄本(二) 「瘠我慢」の欠如  知的怠惰は即ち道義的怠惰だと私はこれまで屡々書いた事がある。西部の駄文を讀むとそれを改めて痛感する。例へば西部は、高校生の頃「妹を交通事故に遭はせるといふ失策をやつた」といふふうに書く。具體的な事を何も書いてゐないから、どの程度の交通事故だつたのかは解らないが、假に輕度の鞭打症で何の後遺症も遺らなかつたとすれば、西部は己れの「孤獨」を正當化すべく妹を利用した事になる。そんな辛い「失策」をやらかしたのなら「自閉的であり續け」たのは是非も無いと、お人好しの愚かな讀者が思つてくれる。一方、重い後遺症に今もなほ妹が苦しんでゐるとすれば、西部の言ひ種は道義的に許し難い。それ程の「失策」はもはや失策ではない。後遺症に苦しむ妹を見る度に、兄の胸は痛む筈で、その場合「失策」などといふ輕い言葉は斷じて使へないし、平氣で使ふ奴は人非人である。無論、過失致傷罪は故意犯ではなくて親告罪だが、妹が訴へなくても兄の心には深い傷跡が遺つて、「失策」を文章に綴らうなどといふ氣には金輪際なれない。獨りきりで己が心の傷跡を見詰めるといふ事、それは頗る道徳的な行爲なのである。凡そこの世に心の傷跡を持たぬ大人なんぞ一人もゐない。が、情けない事に我々は、イエスの科白を借りれば「兄弟の目にある塵を見て、おのが目にある梁木(うつばり)を認め」ようとしない。政治主義に淫すれば淫する程「おのが目にある梁木」を認めなくなる。心の傷跡を見詰めなくなる。それゆゑ詐欺師も大和魂を云ふ。政治主義こそは道徳の敵なのである。嘗て福澤諭吉は痩我慢の大事を説き、榎本武楊を批判してかう書いた。  氏は新政府に出身して啻に口を糊するのみならず、累遷立身して特派公使に任ぜられ、又遂に大臣にまで昇進し、青雲の志達し得て目出度しと雖も、顧みて往時を囘想するときは情に堪へざるものなきを得ず。當時決死の士を糾合して北海の一隅に苦戰を戰ひ、北風競はずして遂に降參したるは是非なき次第なれども、脱走の諸士は最初より氏を首領として之を恃み、氏の爲めに苦戰し氏の爲めに戰死したるに、首領にして降參とあれば、假令ひ同意の者あるも、不同意の者は恰も見捨てられたる姿にして、其落膽失望は云ふまでもなく、況して既に戰死したる者に於てをや。死者若し靈あらば必ず地下に大不平を鳴らすことならん。(中略)氏が維新の朝に青雲の志を遂げて富貴得々たりと雖も、時に顧みて箱館の舊を思ひ、當時隨行部下の諸士が戰歿し負傷したる慘状より、爾來家に殘りし父母兄弟が死者の死を悲しむと共に、自身の方向に迷うて道傍に彷徨するの事實を想像し聞見するときは、男子の鐵腸も之が爲めに寸斷せざるを得ず。夜兩秋寒うして眠就(なら)ず殘燈明滅獨り思ふの時には、或は死靈生靈無數の暗鬼を出現して眼中に分明なることもある可し。(「瘠我慢の説」)  嘗て榎本が五稜郭に立て籠つて明治新政府軍と戰つた折、多くの部下が戰死したが、首領の榎本が生き延びたのはよいとして、その後「轉向」して新政府に仕へ大臣にまでなつたのでは、地下の靈は到底浮ばれまい。だが、武楊よ、夜雨夜寒の晩秋、行燈の燈りの明滅する時刻、眠れずにただ一人思ひに耽る時、入れ替り立替り死んだ部下の顔が暗中に現れる、さういふ事もある筈ではないか。福澤にさう云はれて榎本は「昨今別而多忙に附いづれ其中愚見可申述候」との返書を出し、その後も「愚見」は申し述べずに畢つたが、同じく「瘠我慢」の缺如を批判された勝海舟は「行藏は我に存す、毀譽は他人の主張、我に與らず我に關せずと存候」との返書を出した。榎本の返書のはうが眞摯であつて、それは多分、部下を殺さなかつた勝とは異り、榎本の胸は屡々痛む事があつたからだと思ふ。  自分を信じて戰つて死んだ部下を思ひ出して斷腸の思ひがするのは至極當然の事であり、同樣に、過失ゆゑに妹を不幸にしたとなれば、時に激しくそれを悔んで胸が締附けられるやうになる筈で、その場合、「交通事故に遭はせるといふ失策をやつた」などとは口が裂けたつて云ひはしまい。それゆゑ、西部の妹は重い後遺症を患つてゐる譯ではない。やくざな兄貴は「物心ついて」以來の己が自閉症的不道徳に迂闊な讀者の同情を集めるべく妹を利用したに過ぎない。 「歿道徳漢」  だが、何の爲に己が自閉症やら不道徳やらを論はねばならないのか。どうやら西部は、己が不道徳を「告白」しなければ道徳は論へないと思ひ込んでゐるらしいが、程度の差こそあれ人はみな不道徳なのである。不道徳だからこそ不道徳を悔い、不道徳を恥ぢ、時に「男子の鐵腸も之が爲めに寸斷」する辛さ切なさを味はふ。だが、さういふ體驗が西部には全く無いらしい。「國民の道徳」なる駄本にも筆者の道徳的葛藤を窺はせるやうな件りは皆無だが、それは詰り、西部が「不道徳漢」ではなくて「歿道徳漢」だといふ事であり、歿道徳的だからこそ己が「不道徳」を平然と「告白」し、而も「不道徳漢として生きてきたし、これからもそのやうに生き、そして不道徳漢のままに死ぬのであらう」などとて居直れるのであり、詰りは己が「不道徳」を少しも疚しく思つてゐないのである。  その癖、讀者の顰蹙を買つて駄本が賣れないのは困るから、「世論において流通してゐる生活上の價値觀」とやらにも色目を遣つて、己れの「不道徳」には必ず「少々」とか「一時とはいへ」とかいふ限定の副詞を附け、けれども何せ頭が惡いものだから、「萬引に耽るといふやうな形で少々不良化」したなどと書いてその迂闊に氣づかない。「萬引に耽る」のがなぜ「少々」の「不良化」か。耽るとは歿頭する事だから、「一時」はよいが「少々」なる修飾語は附けられない。「少々女色に耽る」となどといふ藝當はどんな男にもやれはしない。「よろづにいみじくとも、色好まざらん男は、いとさうざうしく、玉の巵(さかづき)の當(そこ)なきここちぞすべき」と兼好法師も云つてゐるから、法師に同意して色好みの事はさて措くが、萬引に「耽る」のは斷じて「少々」の「不良化」ではない。「一時とはいへ」萬引に耽る奴は「善惡綯ひ交ぜ國」においても歴とした不良である。「自分のことで恐縮であるが」、小學生の頃、私は柿泥棒を「一時とはいへ」隨分やつた。地主の庭に柿の大木があつて、それに私が攀ぢ登り、柿をもぎ、笊を持ち下で待受ける弟に向つて落すのである。だが、花泥棒が泥棒でないやうに柿泥棒も泥棒ではない。詰り萬引ではない。假に私が柿でなく文房具とか書物とかの萬引に耽つたとすれば、さういふ紛れもない「不良化」を私は斷じて「告白」しないであらう。  然るに西部は「告白」する。萬引といふ行爲がいかに卑劣か、それを痛感してゐないからで、それが何とも破廉恥なのである。恥づべき行爲を告白するのは誠實な事だと西部は思つてゐる。だが、萬引に限らず、人は告白しても大丈夫な事しか告白しないし、或いは「一時とはいへ」といつた具合に、告白しても大丈夫なやうに細工を施した事しか告白しない。それは詰り、なべての告白がおよそ誠實ではないといふ事である。T・S・エリオットが云つたやうに、「己れの事をよく思ひたいといふ慾望ほど根絶し難いものは無い」のであり、誠實な告白は、アウグスティヌスのそれの如く、罪を許す神への感謝と讃美とに支へられてゐなければならない。  固より、さういふ重寶な神を我々は有しない。それゆゑ我々は輕々に告白をしてはならないし、告白する時の己れが痛切に悔いてはゐないといふ儼然たる事實を忘れてはならない。「小人の過ちは必ず文(かざ)る」が、告白する時も、人は必ず己れを誠實に見せ掛けようとする。それは紛れもない「不道徳」である。誠實に見せ掛けようとするのは、他者を欺かうとする事、或いは欺けると思ふ事だからである。だが、已れを文る必要も、他者を欺く必要も無い時、即ち「夜雨秋寒うして眠就ず殘燈明滅獨り思ふの時」、我々は己が卑劣を痛切に悔いる。この「痛切」といふ事無くして道徳は成立たない。 己れの過去を捩ぢ曲げる  陸上自衞隊第九師團長だつた増岡鼎は自衞隊を軍隊にせねばならぬと「痛切」に思つてゐた。青森のホテルの一室で私にそれを熱心に説いた時、私は彼の眞摯に打たれたが、その後、東部方面總監になつてもその眞摯は變らず、「月曜評論」で私と對談をやつて、それを咎められ、時の防衞廳長官加藤紘一に首を切られた。首切りが確定した晩、私は増岡と會食したが、制服のボタンを外したまま憂國の情を吐露する彼は、まるで叛亂「將校」さながらであつた。もはや時效だから書くが、それより先、第九師團の演習を見に行く事になつた時、「どうせ來るなら檢閲中に來い」と彼は云つた。聯隊の演習を師團長が檢閲する期間中に來いといふ意味だが、檢閲中の演習は部外者に見せてはならない事になつてゐる。その本來見せて貰へないものを見せて貰つて、見た事の殆ど全てを私は「自衞隊よ胸を張れ」に書き、ゲラの段階で陸幕長と空幕長に讀んで貰つた。時の陸幕長は中村守雄だつたが、中村は「かういふ事を書いて貰つては困る」とは云はなかつた。三十分の面會時間が一時間にもなつたから、懇談を終へて幕僚長室を出たら、廊下に書類の決裁を求める制服が澤山待つてゐた。  さらにかういふ事もあつた。朝日新聞の田岡俊次が「對談相手の教授にも問題がある。松原はあちこちの自衞隊でクーデターを唆してゐるらしい」と書いた時、時の腰拔け事務次官は陸海空の幕僚副長を呼び附け、松原の講演があるなら取り消せと命じた。陸の副長がその旨報告すると中村が云つた、「じたばたするな。それしきの事で軍人が約束を破る事は出來ない」。副長が云つた、「然し空はキャンセルするやうでありますが」。中村は答へた、「空は空、陸はやれ」。  自衞隊に優秀な武器をふんだんに與へ、防衞廳を防衞省に昇格させ、憲法第九條を改正しようと、一朝有事の折、軍人が一丁やつたるかと思はないのならすべては無駄で、一丁やるかとは、無論、道徳的決意だが、さういふ決意はクーデターと聞いただけで腰を拔かし、高が事務次官の理不盡にも逆へぬやうな脇拔け軍人には到底期待出來ない。暖衣飽食の日本國だから、自衞隊にも脇拔けがゐて、存外それが出世する事に格別の不思議は無いが、自衞隊には豪の者も澤山ゐて、彼等は例外無しに正直である。「果敢にして窒(ふさ)がる者を惡む」と孔子は云つたが、私の知る限り、自衞隊にゐる豪の者は「窒がる者」ではない。中村も増岡も知將であつて、敵を欺くだけの知惠ならたつぷり持合せてゐた。だが、國防といふ喫緊の大事については少年のやうに率直で正直であつた。  西部にはさういふ正直ゆゑの「痛切」がまるきり缺けてゐる。増岡と異り「痛切」に憂へる物が何も無いからである。己れの外部に無いだけではなく己れの内部にも無い。誰しも己が過去を振返れば、未熟やら卑怯やら怠惰やらをふんだんに見出して人知れず赤面する事がある筈だが、さういふ事が西部には全く無いらしい。西部に有るのは自己正當化のための見え透いた策略であり、己が過去を他所事のやうに語るのも策略の一つである。讀者の便宜のため不潔な駄文の一部を再度引く。  いはゆる世論において流通してゐる生活上の價値觀が道徳といふものであるなら、私は物心ついてからこの方、不道徳漢として生きてきたし、これからもそのやうに生き、そして不道徳漢のままに死ぬのであらう。  その自閉症の氣味を打ち破りたいといふ衝動に驅られてのことであらう。大學生になると、政治運動に參加し、二度逮捕され、三つの裁判で被告人をやつてゐた。  知的怠惰は道義的怠惰だから、西部邁は「不道徳漢」であり、やがて「不道徳漢のままに死ぬのであらう」と、さう私が書く事は一向に構はない。西部の事は私にとつて他所事だからである。「人の惡を稱する者を惡(にく)む」と孔子は云つたが、小人の私は死ぬるまで他者の愚と不道徳とを誹り續けるであらうと私が書く事、それも一向に構はない。だが、「人斬り以藏のままに死ぬのであらう」とは私は斷じて書かない。「死ぬであらう」とは單なる推量だが、「死ぬのであらう」と書いたら、それは途端に他所事になる。私の死は私にとつて他所事ではない。「の」があるのは誤植のせゐではない。「自閉症の氣味を打ち破りたいといふ衝動に驅られてのことであらう」といふ一節にも同質の淺はかを見出せるからである。だが、凡そこの世に自閉症を癒すべく「政治運動に參加」する者はゐない。西部は己れの過去を捩ぢ曲げてゐるのである。(續く) 連載第十五囘 平成十三年七月十六日 第一四三〇號 「國民の道徳」といふ駄本(三) なぜ「轉向」について語らぬ  若き西部が全學連の鬪士だつた事はよく知られてゐるが、自閉症を治療すべく活動家になつたとなると、全學連が「北風競はずして遂に降參したるは是非なき次第なれども」、西部を「首領として之を恃み」、西部を信じて戰つた昔の「部下」は、必ずや「大不平を鳴らすことならん」と、さう皮肉りたくなる讀者もゐようが、何、嘗ての西部の同志も日本人なのだから、腹を立てたり「不平を鳴ら」したりする奴はゐない。だが、道徳を論ふ段になつて、西部は己れの過去をねぢ曲げ、その結果、幸運だが退屈な「癡呆の半生」とでも評せざるを得ない過去をでつちあげる事となつた。「三つの裁判で被告人をやつて」ゐたのに刑務所に行かずに、いやいや「いかずに」濟み、「學問分野がとてもつまらない」からとて麻藥や賭け事を「少々」體驗し、その後留學し、揚げ句の果に、評論家といふ世間から不當に敬せられる「職業のあたりをうろうろ」する、これは許し難い程の好運な半生だが、同時に、萬引とか麻藥とかいふ穏やかならざる語句が鏤められてゐるものの、何ともはや平板な人生で、さまでの好運と凡庸の結合は人間の想像を絶してゐる。想像を絶する程の好運と凡庸の告白、それは詰り出來の惡い法螺話に他ならない。  己れの半生を語るとなつたら決して囘避出來ない事ども、それを西部は囘避してゐる。萬引や麻藥の事なんぞ凡そ語るに値しないが、西部が學者ならどうしても避けて通れぬ問題が一つだけある。萬引や麻藥の事まで包まず語る程の「勇氣」があるのなら、なぜ西部は己が「轉向」について正直に語らないのか。若き西部は全學連の鬪士であつた。詰り「左翼」であつた。然るに今、西部は「右」であり「保守派」である。己が半生を語るとなつたら、左から右への「轉向」の理由と經緯を正直に語らねばならない。語れないのなら語らなくてもよいが、その場合は語れない事を、語る勇氣が無い事を秘かに恥ぢねばならぬ。轉向して出所した共産黨員中野重治は轉向を恥ぢた。激しく恥ぢた。渡邊順三はかう證言してゐる。  たしか昭和十年だつたと思ふが、中野が出獄したといふことをきいて、徳永と私が見舞ひにいつた。なんでも新宿御苑前の、劇場の横丁あたりの粗末なアパートだつたやうに記憶してゐる。徳永と私がその部屋にはいつてゆくと、中野は壁にくつつくやうに向うを向いて寢ころんでゐて、頭をかかへるやうにしてゐる。私たちが何かいつてもこちらを向かない。壁の方を向いたきりである。  中野にとつて轉向は友人知人に顔向けならぬ洵に洵に恥づべき所行であつた。出所後の中野は轉向を主題にして小説を書く事になる。屈辱感と少量の自己正當化とが綯ひ交ぜになつてゐて、決して一級の作品ではないが、「被告人をやつてゐた」などといふふざけた科白は、小説の中でも實生活でも中野は決して吐かなかつた。故郷の福井へ歸ると、そこには剛直な昔氣質の父親がゐて、こんなふうに手嚴しく中野を批判して、中野はそれを小説の中に描くのである。  轉向と聞いた時ににや、おつ母さんでも尻餅ついて仰天したんぢや。すべて遊びぢやがいして。遊戯ぢや。屁をひつたも同然ぢやないかいして。(中略)あるべきこつちやない。お前、考へてみてもさうぢやろがいして。人の先に立つてああのかうのいうて。機屋の五郎さんでも、我が子を殺いたんぢやけど勤め上げたがいして。お前らア人の子を殺いて、殺いたよりかまだ惡いんぢや。ブルジョアぢや何ぢやいうても、もつと修養のできた人間は仰山ある。床山ア見いま。政友會へ行つた。あれでも大臣にやなれるぢやろ。しかし少しもののわかつた人間なら、たとひ政治屋でもぢや、あれきり鼻汁もひつかけんがいして。(中略)大臣になつたとこで人間を捨てたんぢや。利口ではあるが、人間を捨ててどうなるいや。本だけ讀んだり書いたりしたつて、修養ができにや泡ぢやが。お前が捕まつたと聞いた時にや、お父つあんらは、死んでくるものとしていつさい處理してきた。小塚原で骨になつて歸るものと思て萬事やつてきたんぢや…  (中略)いつたいどうしるつもりか?(中略)つまりぢや、これから何をしるんか?(中略)お父つあんは、さういふ文筆なんぞは捨てべきぢやと思ふんぢや。お父つあんらア何も讀んでやゐんが、輪島なんかのこの頃書くもな、どれもこれも轉向の言ひわけぢやつてぢやないかいや。そんなもの書いて何しるんか。(中略)今まで書いたものを生かしたけれや筆を捨ててしまへ。それや何を書いたつて駄目なんぢや。(中略)それや病氣ア直さんならん。しかし百姓せえ。三十すぎて百姓習うた人アいくらもないこたない。(中略)さきもいうた通りぢや。借金は五千園ぢや。そつでも食ふだけや何とかして食へる。食へんところが何ぢやいして。食へねや乞食しれやいいがいして。(「村の家」)  中野は共産黨であり西部は「保守反動」だが、先に引いた「國民の道徳」の一節とこの中野の文章とはまさに月と鼈である。中野の云ふ通り「藝術に政治的價値なんてものはない」。文章の機能は知識の傳達だけではない。或る種の文章は人の心を動かすのであり、さういふ「藝術」としての文章にイデオロギーは一切係はらない。大江健三郎は日本語を讀めない手合からノーベル賞を貰つたが、大江が作家として不具なのは文章がなつてゐないからである。大江の作品を讀んで感激する手合は「反戰平和」なる安手のイデオロギーを共有してゐるからに過ぎない。大江は「左翼進歩派」で西部は「保守反動」である。だが、二人の文章は共になつてゐない。それぞれに「政治的價値」はあるのだらうが「藝術としての文章」ではない。大江や西部や西尾の駄文を讀んで、或は小林よしのりの下手糞な漫畫を眺めて、「我が意を得たり」と思ふ馬鹿はたんとゐようが感動する奴は一人もゐない。が、「食へんところが何ぢやいして。食へねや乞食しれやいいがいして」と云ひ放つ父親の剛直、及び、作中人物の口を籍りて「屁をひつたも同然」の己が信念と轉向の生ぬるさを裁く中野の誠實には、「赤旗」の讀者も「月曜評論」の讀者も共に打たれるに相違無い。「輪島なんかのこの頃書くもな、どれもこれも轉向の言ひわけ」だが、「そんなもの書いて何しるんか」、父親にさう云はせるのは、轉向の言譯だけはすまいと中野が決意してゐるからである。どう考へても轉向は卑怯であり、卑劣であり、その卑怯と卑劣とを、友人知人のはうを決して向かずに、只管、壁に向つて噛み締めなければならない。「本だけ讀んだり書いたりしたつて、修養ができにや泡」であり、壁に向つて己れの卑怯を噛み締める事、今はそれこそが修養だと中野は信じてゐる。 己の過去を茶化す  成程、轉向する事より轉向の言譯をする事のはうが遙かに見苦しい。無論、西部も言譯はしない。その代り、「三つの裁判で被告人をやつてゐた」といつた具合に己れの過去を茶化す。言譯をする事よりそれは何層倍も卑しく淺はかである。轉向するのも轉向の言譯をするのも弱いからで、元來、人間はさう強いものではない。だが、己が過去を茶化すのは己れ自身を茶化す事であり、全學連の鬪士として被告人を「やつた」己れを茶化せるのなら、いづれ時勢が變れば「保守反動」であつた事をも茶化すに決つてゐる。さういふ浮薄な男が天下國家を論ひ「人の先に立つてああのかうの」云ふのは、小林よしのりにも描けぬ下手糞な漫畫である。安保騒動も全學連も大學紛爭も「屁をひつたも同然」の遊戯だつたが、若き西部が眉を吊上げ反體制運動に入れ揚げた事は事實であり、而も、若げの至りのその情熱が百パーセント愚であつた譯ではない。然るになぜ西部は、獨り秘かに己れの過去を慈しむ氣になれないか。ありの侭の己れを見詰めるといふ事が無いからである。ありの侭の己れは美點と缺點との雜然たる結合體だが、二つながらそれを慈しめるのは廣い世界に己れだけではないか。  先述したやうに己れとは己れの過去なのだから、ありの侭の己れを見詰めない西部が己れの過去をねぢ曲げるのは至極當然である。例へば西部は「人類普遍の原則とやらの精神奴隷になつてはならぬ、といふ命令が休みなく聞こえてゐるといふ意味では、アメリカの戰車に石礫を投げつけてゐた六歳の頃から、私はずつと神風特攻の子である」などと愚にも附かぬ事を書いてゐるが、さうして「六歳の頃」の兒戯は語つても、全學連時代の「兒戯」については口を拭つて知らぬ顔の半兵衞を決め込む。「神風特攻の子」とは反米といふ事だらうが、詐欺師も大和魂を持つてゐるのだから、反米か親米かといふ事は道徳とは何の係はりも無い。親米の詐欺師もゐるが、西部のやうな反米のぺてん師もゐる。「分る」とは「分つ」事である。さういふ簡單明瞭な事がなぜ分らないのか。政治と道徳とを「分つ」事の出來ない愚者が書いたから「國民の道徳」は駄本なのである。西部は書いてゐる。  この世が、少なくとも戰後の世の中が、「世論の支配」を受けざるをえないものだといふことについては、私も重々承知してはゐる。しかしかつて、私は、さういふ世論に唱和してゐる自分の姿を想像して、身震ひした。戰後の世論とそれを煽動してきた戰後知識人は一貫して私の敵であつた。私が反米主義者のレッテルを貼られるのを厭はないのも、アメリカニズムになびいていく「戰後」が厭はしいからにすぎない。(中略)私は、恥かしくも述懐してしまふと、子供つぽいほどに知識について素直なところがある。(中略)つまり、知識方面での表現活動において權力や地位や名譽を得たいといふ欲望が私にあつては極度に弱いのである。それで、他人の話したり書いたりしてゐることの本意をできるだけ好意的に受け止めようとする。それはどうやら御人好しの振る舞ひにあたるやうなのだが、それについて反省する氣がまつたく起こらない。  馬鹿と冗談と綺麗事は休み休み云つて貰ひたい。西部は既に還暦を過ぎてゐるのだから、「戰後の世論とそれを煽動してきた戰後知識人」が一貫して西部の敵だつた筈は無いが、それは兎も角、アメリカの戰車に石を投げた「六歳の頃」から親米の輿論と知識人を敵視してゐたとすれば、さういふ怪物染みた神童が「世論に唱和してゐる自分の姿」なんぞを「想像」する道理は無い。「想像して、身震ひ」云々は眞つ赤な嘘である。而も、「權力や地位や名譽を得たいといふ欲望」の極度に弱い男ならば「私の敵」なんぞを拵へる道理が無い。早い話が、これ程手嚴しく私に遣り込められても、西部は私の「本意をできるだけ好意的に受け止めようとする」か。もしもさうなら西部は白癡か、ドストエフスキーの描いたムイシュキンさながらの善人だが、白癡やムイシュキンが戰車なんぞに石を投げる道理が無い。「できるだけ好意的」云々もまた眞つ赤な嘘であり綺麗事なのである。 政治と道徳の混同  嘘と自慢と綺麗事と支離滅裂、それが「國民の道徳」なる駄本の特色だが、さういふ愚劣で不潔な駄本が、自費出版ならば兎も角、一應名の通つた出版社から出るのは、日本國民が知的・道徳的に怠惰で、取分け知識人の嘘と綺麗事に弱くて、政治と道徳とを「分つ」事が出來ないからである。綺麗事に弱いのは大衆の常だから仕方が無いとしても、エリートたるべき知識人までが、大衆のポピュリズムを苦々しげに批判する知識人までが、政治と道徳とを混同して、かういふ慘怛たる駄文を綴つて、それで別段愛想盡かしもされずにゐる。西部は書いてゐる。  「戰後」とは、アメリカ經由でのいはば純粋近代主義の價値觀をふりまいてきた半世紀間のことである。しかも「戰後」は、その價値觀を、道徳とよばずに、「人類普遍の原則」と名づけたのである。進歩主義、ヒューマニズム、平和主義そして民主主義、それらの原則こそが戰後の半世紀間を徐々に不道徳の泥沼へと引き込んだのであつた。私のやうな、生來、環境に順應しにくい人間が道徳を語るに至つたのは、戰後の環境があまりに不道徳であつたからとしかいひやうがない。  「環境に順應しにくい人間」であるといふ事と道徳に關心を持つ事との間に何の係はりも無いが、それは兎も角、「進歩主義、ヒューマニズム、平和主義そして民主主義」、これらの政治的な主義主張は、西歐にあつては、誕生するだけの必然性があつて誕生したのであつて、それらの主義主張と「不道徳」との間には、これまた何の係はりも無い。或る政治的な主義に同意する事が不道徳で、同意しない事が道徳的といふ事は斷じて無い。故意か偶然か、西部は社會主義共産主義の名を擧げてゐないが、「進歩主義、ヒューマニズム、平和主義そして民主主義」と同樣、社會主義もまた、それ自體、決して不道徳ではない。いやいや、不道徳でないどころか、それは本來頗る道徳的な動機から生れたのである。西部の駄文を腐すのは、何せ切りが無いからこの邊で御仕舞にして、以下少しく社會主義のために辯じなければならない。(續く) 連載第十六囘 平成十三年八月二十日 第一四三一號 社會主義について 〔一〕  社會主義が究極の目標とすべきものは正義と自由の實現だが、社會主義者の大半はこれまで精神の問題を無視して專ら經濟的な事實に關心を持ち、物質的な理想郷を夢見てゐたのであり、ファシズムが快樂主義とか進歩思想とかを毛嫌ひする精神主義者、愛國主義者及び軍國主義者を魅了するのは、社會主義者のさういふ知的怠惰のせゐでもあると、ジョージ・オーウェルは「ウィガン・ピアヘの道」に書いてゐる。成程、さういふ絡繰は確かに存在するが、戰後の「進歩主義、ヒューマニズム、平和主義そして民主主義」を毛嫌ひする西部及び西部の信奉者も、いづれは「精神主義、愛國主義及び軍國主義」に魅せられるやうになるのかも知れぬ。けれども、その場合も「精神主義、愛國主義及び軍國主義」の對極にあるものは無視乃至輕視するであらう。西部の信奉者に限らず、全ての主義者は己れの主義を絶對視して、氷炭相容れぬ二者の相剋に苦しむといふ事が無い。かくて精神主義者は「人はパンによつても生きる」といふ事實を、愛國主義者はどの國にも愛國心があるといふ事實を、軍國主義者は軍事の優先は戰時にだけ許されるといふ事實を、それぞれ認めようとしない。だが、精神主義者であれ、愛國主義者であれ、軍國主義者であれ、社會主義者であれ、人は皆肉體的快樂や物質的進歩や平和を好むのである。久米の仙人は吉野川で洗濯する女の脹ら脛に幻惑され神通力を失ふが、女の髪の毛には大象も繋がるのだし、一度電氣洗濯機や電氣掃除機を使つたら洗濯板や箒や塵取の昔には戻れないし、戰爭が終れば皆が一樣にほつとする。それは誰一人否定し得ない事實である。物質的な理想郷を夢見る奴は片輪である。精神的な理想郷を待望する奴も片輪である。「人はパンのみにて生くるものにあらず」とイエスは云つたが、それは人が「パンによつて生きない」といふ事ではない。  無論、人生の目的は肉體的な快樂や物質的な進歩だとは云はれない。「人はパンのみにて生くる」譯ではない。旨い物をたらふく食つて、ベンツに乘つて、ペンティアム四を使つても、人は幸福であるとは限らない。「人は死ぬ、それゆゑ人は幸福でない」とカミュのカリギュラは云つたが、たらふく食つても食はなくても、全ての人間はいづれ必ず死ぬのだし、大概の女は大金を積めば落せるかも知れないが、幾ら積まうと決して落せない女もゐて、是が非でも落したいのなら女を殺すしかない。が、殺す事は落す事ではない。 「地獄の沙汰も金次第」といふ事は眞理ではない。同樣に、正義や自由も金を積んで購ふものではなく購へるものでもない。ハムレットはデンマークの王子で、王子だから手許不如意といふ事はない。彼が爲す復讎は專ら正義のためであつて金錢のためでもなく權力慾のせゐでもない。我國で「ハムレット」が飜譯され上演されて一世紀以上になるが、ハムレットを復讐に驅立てるものが正義感だといふ事の意味は充分に理解されてゐない。今後も決して理解されぬであらう。「地獄の沙汰も金次第」などといふ諺のある國には、口を開けば綺麗事を云ふ西部のやうな精神主義者はゐても、ハムレットのやうな「正義病患者」はゐないのである。  けれども、それが私の大事な大事な國のお國柄なのだから、私は西部西尾は譏つても自國の流儀を譏る譯ではない。斷じてさうではない。小泉首相の靖國神社參拝に中共や韓國が難癖をつける事を私は甚だ不快に思つてゐる。A級戰犯が合祀されてゐるではないかと民主黨の菅直人は云ふが、十數年前、「戰爭は無くならない」に縷述したやうに、極東軍事裁判もニュルンベルク裁判も共に知的・道義的怠惰ゆゑの茶番であつて、チャーチルやスターリンにも解つてゐなかつたのだから、菅づれに解らないのは是非も無いが、戰爭犯罪なるものは抑も存在しないのである。戰時に敵兵を殺す事が罪でない以上、戰爭犯罪なる化け物もまた存在しない。而も、よしんば極惡人であらうと、死んだ以上はその靈を祀るのが我々の流儀であつて、その事の當否を外國が論ふのは筋が通らない。參拝を「止めなさいと言明しました」と、隣の國の外相は妙ちきりんな日本語で云つたが、假に私が彼に、自國の總人口すら正確に把握出來ずにゐる情けない状態を一刻も早く「止めなさいと言明」したら、彼はどういふ氣がするか。それくらゐの事がなぜ田中眞紀子には云へなかつたのか。無論、知的に怠惰だからである。  さういふ次第で私もまた人竝の愛國心を持合せてゐる積りだが、我々の國にハムレットのやうな「正義病患者」が棲息せず、それゆゑ近代合理主義は生れやうが無かつたといふ事實ばかりは、これを潔く認めざるを得ない。「正義病」と合理主義とは奇妙な取合せだと讀者は思ふだらうが、正義への執着の無い所には合理への執着も無いのである。周知の如く、ガリレオやブルーノは地動説なる眞理のために「神によりて語れるもの」たる聖書の記述を否定する涜神を敢へてしたが、さういふ強靱な合理主義こそが近代科學を産んだのであり、その合理への執着を支へたのは強靱な正義感である。科學とは徹頭徹尾理詰めの學問なのだから、物の道理を重んじない國では育ちやうがない。そして物の道理を輕視する國は重視する國の後塵を拝するしかないのである。  早い話が、私はOSにウインドウズ二千を用ゐてゐるが、少し厄介な問題が起ると、英文のヘルプ・ファイルを讀まねばならなくなる。けれども、コンピューターを發明したのが日本人だつたなら、ウインドウズニ千は「窓二千」で、ヘルプ・ファイルも全て日本語で讀める筈である。それがさうなつてゐないのは、春秋の筆法をもつてすれば、我々が合理的思考を苦手とする民族だからに他ならない。  ついでにここで脱線して書いておきたい事がある。原稿を書く時、私は本誌にも廣告の出てゐる「契冲」、及び或る篤志家の改良した正字・正假名用の「エイトック十二」を併用してゐる。嘗て私は「契冲」を賞めちぎり、讀者に推奨した事があるから、それをここで少々修正しておきたい。「契冲」の語彙は洵に貧弱で「エイトック」に遠く及ばない。例へば「契冲」には「後塵」といふ語も「鵜呑み」といふ語も無い。而も、「unomi」とキーを叩くと、「羽のみ」、「迂のみ」、「鵜のみ」、「得のみ」、「有のみ」、「禹のみ」、「ウノミ」、「うのみ」と出る。これには呆れるよりも腹が立つ。「エイトック」の場合は、「鵜呑み」、「うのみ」、「禹のみ」、及び「鵜のみ」の僅か四語が得られるに過ぎない。「契冲」が惡いのではなく「松茸」が惡いのだらうが、現状ではとても他人樣に薦められない。 〔二〕  話を元に戻すが、オーウェルの云ふやうに、社會主義の目標は金錢をもつてしては購へぬ「正義と自由の實現」であつて、實現しようとの意欲を支へるのは、この世の不正や不平等を憤る強い正義感で、それゆゑ裕福な時代に社會主義は無用なのだが、それは兎も角、例へばウィリアム・ブレイクが詩に詠つたやうに、或いはディッケンズが小説に描いたやうに、十八世紀末のイギリスには甚だしい貧富の差が存在した。議會に差出したハンウェイといふ男の陳情書が遺つてゐて、それによれば、貧乏人の子は七歳にもなると徒弟として賣られ、雇主は買取つた子供を酷使し虐待し、碌な着物も食事も與へなかつた。子供にもやれる勞働の一つが煙突掃除だつたが、煙突掃除といふ仕事には常に窒息や火傷の危險が伴つてゐたし、身體を洗ふといふ事が決して無かつたから、多數の子供が皮膚に附着する煤が原因で皮膚癌になつた。而も、無一文だつたから、竊盗や物乞ひをやるしかなくて、雇主はそれを奨勵する始末であつた。  その頃、アメリカの或る新聞にかういふ廣告が載つた。「織物工、指物師、靴屋、鍛冶屋、煉瓦屋、木挽、仕立屋、コルセット製造工、肉屋、家具製造工、その他數種の職業に從事し得る丁稚を詰めた荷物、本日ロンドンより到着。現金、小麥、パンまたは小麥粉と引換へに安價にて賣却したし。フィラデルフィア在住、エドワード・ホーン」。  さて、「月曜評論」の讀者諸君よ、諸君が十八世紀のイギリスにゐたとして、かういふ悲慘な少年達の境遇を聞き知つたら、諸君は義憤に驅られないであらうか。驅られないのなら、そいつはもう人間ではない。「月曜評論」なんぞ讀む必要も無い。無論、當時のイギリスにも義憤に驅られた男が澤山ゐた。ブレイクがさうであり、ディケンズがさうであり、ロバート・オーウェンがさうであつた。オーウェンは考へた、金持の考へる事は唯一つ儲けを増やす事であり、そのためには從順な勞働者が必要で、從順たらしむるには無知のままに放置しておかねばならない。金持は勞働者の無知に乘じて、自身は働かず、他人の勞働によつてますます肥え太る。かくて奪ふ者と奪はれる者の利害が一致する事は斷じて無い。  オーウェンは考へるだけではなく行動を起し、理想的な勞使關係の實現を圖つた。グラスゴウ近郊の紡積工場を買ひ取つて、搾取や處罰を廢止し、勞働條件を改善し、工員の生活向上を計り、勞働時間を減らし、工員と家族の健康保持のために醫者を雇ひ、養老年金制度を導入し、工員住宅の修理や衞生のための定期的な點檢を實施した。  このグラスゴウの工場は、その後、アメリカから綿絲を輸入出來なくなつたために閉鎖されるが、オーウェンはアメリカに渡り、面識のあつたウィリアム・マクルアと共に、「共産理想社會」を建設する事になる。その理想社會は「ニュー・ハーモニー」と命名されたが、二年後に彼の夢は破れる。資金の不足といふ事もあつたが、それは重要な理由ではない。オーウェンの理想主義が幼稚だつたのである。「性善説」を信奉する樂天家だつたオーウェンは、殆ど無差別に入植希望者を受入れたから、失戀の痛手を癒すためにやつて來た娘とか、オーウェンが土地の所有者である事に反對して「眞の共和國を建設せよ」など演説する事しか能の無い空論家とか、その他、オーウェンが「碌でなしの怠けもの」と罵らざるを得ないやうな手合に散々挺子摺つたし、土地の所有權や教育方針を巡つてマクルアとの間に對立が生ずる事になつたのである。  けれども、二年前、初めてオーウェンと會つた時、マクルアはかう語つたのであつた。「人間を幸福にする社會とは搾取の無い社會です。だが、誰がさういふ社會を作り出すのでせうか。搾取する手合がやる筈は無い。搾取される者がやるしかない。そのためには勞働者が搾取の絡繰りを知らねばなりませんが、彼等には眞實が教へられてゐない。新聞、雜誌、それに宗教までが眞實を隠すために利用されてゐる。それゆゑ、搾取に苦しめられてゐる連中は宗教に頼り、あの世に救ひを見出すといふ事になる。搾取する手合にとつてそれは甚だ好都合なのです」。 〔三〕  「宗教は民衆の阿片である」とはマルクスの名言だが、若きマルクスも、エンゲルスも、オーウェンの所謂「空想的社會主義」の脆弱を補強し、この世に搾取の無い理想社會を建設せねばならぬと考へたのである。が、結論から先に云へば、彼等の試みはすべて失敗に畢つた。この世の不平等を無くさうとする頗る道徳的な願ひが、やがてスターリンの凄じい獨裁を生み出す事になつた。オーウェンや若きマルクスの善意を否定する事は出來ない。が、なにゆゑ彼等の夢は挫折せざるを得なかつたのか。マルクスもオーウェンも神ではなくて人であり、その神ならぬ人が人を救はうとしたからだと、ドストエフスキーなら答へるに相違無い。社會主義共産主義の齎すものが、平等ではなく隷屬の悲慘であるといふ事を逸早く看拔いたのはドストエフスキーである。それゆゑ、私はここでドストエフスキーについて語らなければならないが、それを語らうとして、私はまづ、語る事の虚しさを痛感せざるを得ない。西部西尾如き知識人はドストエフスキーの前には枯葉にも均しい存在だが、枯葉について語つてゐる限りは、本誌の讀者の理解を或る程度までは當てにする事が出來る。が、ドストエフスキーについて語つて讀者の理解を期待する事は出來ない。ドストエフスキーについて語るといふ事は、「パンか自由か」といふ大問題について語るといふ事だが、パンも自由もふんだんに與へられ、乞食も新聞を讀み、自民黨から共産黨までが「景氣對策」とか「庶民の痛み」とか「國民のくらしを應援」とかいふ綺麗事の嘘八百を竝べ立てる風土にあつて、仁徳天皇以來「民の竃」の賑ひを氣にする事が善政であるやうな風土にあつて、「パンか自由化か」の二律背叛なんぞ、所詮、對岸の火事でしかない。  無論、對岸について語る學者は澤山ゐる。ドストエフスキーに關する書物も澤山出てゐる。けれども對岸の火事について、いやいや對岸の火事を眺める虚しさについて語る學者がゐない。西洋學問が我々日本人にとつて借着でしかないといふ事實、漱石や鴎外や荷風が知つてゐた情けない事實、それを身に沁みて知つてゐる學者がゐない。「學問をやるならコスモポリタンのものに限り候英文學なんかは椽の下の力持日本へ歸つても英吉利に居つてもあたまの上がる瀬は無之候」と留學中の漱石は寺田寅彦に宛てて書いたが、「コスモポリタン」ならざる西洋の虚學を幾ら學んでも「あたまの上がる瀬」は無いといふ事、實學を學んでも所詮は歐米の二番煎じ、虚學となつたら未だ嘗て我が國人を何一つ益した事が無いといふ事、それを痛感してゐる學者がゐないのである。早い話が、社會主義の目的は「正義と自由の實現」だとオーウェルは云ふが、この日本國に社會主義なんぞが存在したためしは無い。それなら、冷戰崩潰後、日本社會黨が泡沫の如く消え、今、土井たか子率ゐる社民黨が消えかかつてゐるのも何ら怪しむに足りない。自民黨が「保守主義」の政黨でないやうに、日本共産黨が共産主義の政黨でないやうに、日本社會黨も社民黨も、社會主義の政黨ではなかつたのである。(續く) 連載第十七囘 平成十三年九月十七日 第一四三二號 無理が通れば道理が引つ込む (一)  我々の國には社會主義も共産主義も存在せず、淺沼稻次郎も土井たか子も社會主義者ではないし、宮本顯治も不破哲三も中野重治も眞正の共産主義者ではない。社會主義も共産主義もこの世に「正義と自由を實現」せねばならぬとの鞏固な信念に支へられねばならないが、我々にとつては正義の實現も自由の實現も共に強い願望ではあり得ず、それゆゑ社會主義共産主義の出る幕が無かつた。是非も無い。和と馴合ひをもつて貴しとなす國に甚だしき壓制や不正義は存在しないから、壓制を自由の扼殺として憤るといふ事も無い。ネロやカリギュラやスターリンの如き暴君は、我々の國にはただの一人も棲息した事が無い。殘忍な天皇が一人ゐた事になつてゐるが、その殘忍とて琴の弦で縛つた全裸の女を池に吊下げるといつた程度である。今度は誰を肅清するかと思案して、犠牲者を選び出し、肅清の計畫を練り、「それからベッドに潜り込む、凡そこの世にそれ程の快樂は無い」と、スターリンはジェルジンスキーに語つたといふ。キーロフ暗殺事件以後、4(果+多)しい同胞を肅清したスターリンが、「人道に對する罪」によつて裁かれる事も無くベッドの上で死に、何一つ殘虐な事をしてゐない「A級戰犯」が絞首刑に處せらたのは甚だしい不條理だが、フルシチョフによるスターリン批判以後も、我々は「シベリア抑留」の不當は論つても、「人道に對する罪」とやらのでたらめを怪しみはしなかつた。ついでに書いておくが、我々はアメリカに負けたのであつてソ聯や支那や朝鮮に負けたのではない。それなのに、なぜ「支那朝鮮」に謝罪しなければならないのか。アジア諸國に多大の迷惑を掛けたと云ふが、迷惑を掛けられるのは弱いからである。弱かつた我々はアメリカに負け、敗戰後も大いに迷惑を掛けられたが、支那朝鮮も弱かつたから迷惑を掛けられた。それだけの話である。「植民地」にされるのも戰爭に負けるのも共に不名譽な事だが、日本も韓國中國もいつまで過去の不名譽を論ふ積りなのか。  とまれ、我々は殘忍な民族ではない。殘忍でないから暴政壓制が無く、暴政壓制が無いから「正義と自由」とを熱烈に希求する事が無い。我國最古の不服從は素戔鳴尊のそれだが、それとて田の畦を毀したり、「大嘗聞しめす殿」に糞尿を撒き散らしたり、女が機を織つてゐる部屋の屋根を毀して「逆剥ぎ」にした馬を投込むといつた程度の惡戯であつて、その動機にしても天照大御神に勝つて増長したといふ事に過ぎない。一方、キリスト教國最古の不服從はアダムとイヴのそれだが、このはうは惡戯ではなく歴とした神への叛逆である。アダムは狼籍を働いた鐸ではない。蛇に唆されて神の命に背き林檎を食つたに過ぎない。だが、その林檎は、生憎、只の林檎ではなかつた。食べたら忽ち善惡の別を知るやうになるのであつた。かくてアダムとイヴは善惡の別を知り、その結果、互の裸體を恥づるやうになり、不老不死でなくなつて、それゆゑ性交によつて子孫を作らざるを得なくなり、イヴは男の子を二人産み、長男のカインが弟のアベルを殺す事になる。人類最初の殺人であつて、善惡の別を知るといふ事と殺人とは繼起した譯だが、カインがアベルを殺すのは腹が減つたからではない。腹が減ると殺すのは動物であつて、空腹でないのに同類を殺すのは、それも惡事と知りつつ殺すのは、善惡の別を知る人間だけである。虎が兎を捉へて殺す時、虎は殺す事を善とも惡とも思つてゐない。善惡の別を知つてゐるといふ事、それが人間の業である。 (二)  「古事記」と「舊約聖書」とはこれ程違ふ。いや、違ふといふよりも、全く異質であつて比較を絶してゐる。鼻や尻から取出した物を食はせるとは怪しからんとて素戔鳴尊は大氣都比賣を殺すが、殺された大氣都比賣の頭からは蠶が、目からは稻種が、耳からは粟が、鼻からは小豆が、股間からは麥が、尻からは大豆が、それぞれ生ずるのであり、殺す事と善惡とは全く無關係、寧ろ絹絲や食糧を齎す良き事なのである。素戔鳴尊自身も殺す事を惡事とは毛頭思つてゐないし、實際、彼は惡黨ではない。その後、八俣の大蛇を退治して櫛名田比賣を救つた話はよく知られてゐる。善惡の別を知る事が人間の業だと書いたが、それは正確ではない。我々日本人の場合、その業を綺麗に免れてゐる。それゆゑ、本居宣長の診斷は正しいのである。宣長はかう書いた。  何事も皆、神のしわざにて、世中に惡き事どものあるも、皆神のしわざに候へば、儒佛老などとまをす道の出來たるも、神のしわざ、天下の人心それにまよひ候も、又神のしわざに候。然れば善惡邪正の異こそ候へ、儒も佛も老も、みなひろくいへば、其時々の神也。神には善なるあり、惡なるある故に、其道も時々に善惡ありて行はれ候也。然れば、後世、國天下を治むるにも、まづは其時の世に害なきことには、古へのやうを用ひて、隨分に善神の御心にかなふやうに有るべく、又儒を以て治めざれば治まりがたきことあらば、儒を以て治むべく、佛にあらではかなはぬことあらば、佛を以て治むべし。是皆、其時の神道なれば也。  この文章はキリスト教徒には絶對に理解出來ない。無信仰の私にも理解出來ない。儒教佛教道教に「善惡邪正の別」があつて、而もその三つがいづれも「其時々の神」たり得るといふ事は、神が善でもなく惡でもなく、善でもあつて惡でもあるといふ事であり、さういふ奇妙きてれつな論理は正氣の人間の理解を絶してゐる。宣長流に考へれば、キリスト教「などとまをす道の出來たるも」惡しき神のしわざだが、それもまた「其時の神道」だから、キリスト教を「以て治めざれば治まりがたきことあらば」、キリスト教を「以て治」めたらよいといふ事になる。だが、キリスト教は一神教であり、一神教が多神教の國を、大量の血を流した揚句一神教にする事は出來るかも知れないが、多神教のぐうたらを認めたままで治められる道理が無い。キリスト教の神は絶對善であつて、絶對的な善にだけ從はうとすれば、當然、正邪善惡の別に敏感になる。が、善き神にも惡しき神にも從ふのなら「善惡邪正の異」を輕視するやうになつて當然であり、「善惡邪正の異」を輕視する民族が「儒佛老」なる外來思想の「善惡邪正の異」だけを重視する筈が無い。然るに宣長は、外來思想に「善惡邪正の異」がある事を認めながら、即ち外來思想を「其時の神道」として許容しながら「古のやうを用ひて、隨分に善神の御心にかなふやうに有る」べしと主張する。宣長の言分はしかく非論理的なのだが、正邪善惡と道理を共に輕視する日本國にあつては非論理が論理だから、宣長の診斷は「正確」であり處方箋は有效なのである。正邪善惡と道理とは表裏一體だが、我々はその雙方を輕んずる。輕んじて何の支障も無い。宣長の嫌ふ「からごころ」が輸入されなかつたら、我々は「もののあはれ」だけを重視するおほらかな腑拔け腰拔けであり續けたに相違無い。私は「夏目漱石上卷」に、慈圓の「愚管抄」を批判してかう書いた。  「愚管抄」は「道理物語」とも呼ばれるほど道理の考察に紙數が割かれてゐる(中略)が、慈圓の云ふ道理とはまこと奇妙きてれつな代物であつて、假に漱石が「愚管抄」を讀んだとして、彼は慈圓の云ふ道理を斷じて道理とは認めないに相違無い。慈圓によれば、物の道理は世の移り變りに從つて變化するのであり、例へば、成務天皇までの十三代は「御子の皇子」が次代の天皇になつたが、成務天皇に御子が無かつたため、第十二代景行天皇の御孫が即位して第十四代の仲哀天皇となつた。その史實について慈圓は、「仲哀ノ御時、國王御子ナクバ孫子ヲモチイルベシト云道理イデキヌ」と書いてゐる。詰り、現實の變化に追隨して道理は變化すると慈圓は考へてゐる譯であり、さういふ移れば變る代物を我々は「物の道理」として認める譯には行かない。「國王御子ナクバ孫子ヲモチイルベシ」といふ事になるならば、いづれ「孫子ナクバ」直系の女子にても可といふ事になるに決つてゐて、さうなれば皇男長子の皇位繼承といふそれまでの原則は破られ、原則を支へて來た筈の道理もまた悖理と看做されるやうになる筈だからである。現行憲法にも皇位は「世襲のものであつて」云々とあるが、皇位が必ず必ず「世襲のもの」であらねばならぬといふこの原則ないし道理もまた、先行き現實が變化すれば、例へば「主權の存する日本國民の總意」とやらが變化すれば、呆氣無く無視されて、「昨是」が忽ち「今非」になつてしまふのか。なつてしまつて構はないのか。  「昨是」が「今非」になるとは昨日是とされてゐた事が今日非とされる、といふ意味である。天皇に御子が無いといふ現實に合せて「御子ナクバ孫子ヲモチイルベシト云道理」が出て來ると慈圓は云ふ。「昨非今是」の國ならではの論法であつて、これまた一神教の信者には決して理解されない。成程、人間は不完全だから、きのふ正しいと思はれた事をけふ間違ひと知るといふ事は屡々ある。學問はさういふ事の繰返しだが、正義とか眞理とかは現實の變化に合致するやうに調整し得る筈の物では斷じてない。然るにこの國においてはさうでない。鎌倉時代も平成の今も「昨非今是」のでたらめが横行して人々はそれをさつぱり怪しまない。例へば昭和五十三年、統幕議長栗栖弘臣は「有事立法」の要を説き、愚鈍なる防衞廳長官に首を斬られたが、今はへなちよこの自民黨幹事長も有事法制の要を云ひ、首相が靖國神社に參拝してもそれで人氣が落ちる事は無い。朝日新聞によれば、一九八四年、海上自衞隊の護衞艦や對潜哨戒機がアメリカ第七艦隊の空母を護衞する共同訓練が祕かに行はれたといふ。公然と行はれて當然の演習が祕かに行はれたのは、無論、日本國憲法が「集團的自衞權の行使」を禁じてゐると、さしたる根據も無くして信じられてゐるからだが、それは兎も角、朝日新聞や民主黨や社民黨が海上自衞隊のこの「前科」を執拗に追及するといふ事態には決してならぬであらう。それどころか、いづれ防衞廳は國防省になり、海上自衞隊は日本國海軍になつて、さうなれば公然と米空母を護衞して咎められぬやうになる。「昨非」が「今是」になるのは風の吹き囘し次第なのである。 (三)  けれども、さういふなし崩しの變化は歐米諸國には理解されない。無論、外國に理解されなくても、風吹けど山は動かず、毅然として守り拔かねばならぬ物はある。その最たる物は國語國字だが、それを我々は守り拔いたか。新カナは正假名よりも遙かに合理的でない。それは福田恆存が「私の國語教室」を書いて縷々説いて、誰一人有效な反論をなし得なかつた。が、何せ合理を貴ばないお國柄だから、保守派を自任する知識人すら略字新カナを用ゐ、それをまた大方の讀者が怪しまない。西部邁は書いてゐる。  滅びゆくものに哀切の情を寄せるとなると、内心では、負けを覺悟の喧嘩であるから肩肘いからせても仕樣がないと知りつつも、せめて外見で、新奇なものにとびつく自稱進取の態度を撃つについては、守旧と罵られるのを誇りに思うくらいでなければならないのだ。(中略)人間は、狂氣に彷徨うのでないかぎり、保守的でしかありえないということである。というのも、人間を人間たらしめているこの言葉というものは、そのほとんどすべてがトラディションというほかないものだからである。(「國民の道徳」、原文のまま)  「内心で知りつつ」はよいとして「外見で撃つ」とは何とも粗雜な云ひ廻しである。が、それもよいとして、言葉は「トラディション」だと主張する物書きの文章が、傳統的な假名遣と言葉遣とを無視してゐる。漫畫である。西部の駄本も國會圖書館には保存されるから、五十年百年後、假に正字正假名が復活してゐたならば、借り出した讀者は西部の歿論理に唖然として、一體全體この男は何を保守しようとした保守派だつたのかと、眉根を寄せて訝しむに相違無い。國語を保持しない保守派とは「狂氣に彷徨う」氣違ひにしか理解されない形容矛楯だが、さういふ愚者の商賣が結構繁盛するのは、この國が知的に怠惰な非合理の國で、無理が通つて道理が引つ込んでも、それを咎め立てしないからに他ならない。それゆゑ何が正しいかなどといふ詮議は無用、正邪善惡なんぞどうでもよい事、大事なのは我を張らず、皆と和合して、序でに適當に稼いで愉快にこの世を渡る事だけである。宣長にとつての大事も國が治まる事であつて正義が行はれる事ではなかつた。「理くつめくこと、議論めくこと、あらそひほこること、人をあなどること」を宣長は嫌つてゐた。道理よりも和を重んずる、それが我々の文化である。本誌には毎號「けつねうろん」の幇間的な駄文が載る。己れを笑ひ物にして、道化けて見せ、左翼を譏るだけの男藝者のふやけた文章を、私は時折斜めに讀んで、その都度輕蔑してゐたのだが、先月號の文章は頗る日本的で、今囘私が述べた事柄を例證する貴重な資料だから、以下少しく引く事にする。  前にもここで書きましたんやが、谷澤センセも細かいことごじゃごじゃ言わんと、藤岡信勝センセと仲直りしなはれと、わて言いました。/せやのに、やっぱりケンカですわなあ。松原正センセもこの「月曜評論」で西部邁センセにケンカ賣ってますわなあ。/わてらアホですよって、そのときそのとき氣が變ります。(中略)松原センセがこうじゃと言いはると、フーンと思い、西部センセがこうぞと言いはると、ウーンと思いますんや。どっちへでもフワフワ動きますわ。/えらいセンセらは言いまくって御本人はそれでよろしいわいな。せやけど、わてら無學なもんは困りますねん。あちゃこちゃ分れましたら、どっち行ってよろしいんやろ。  谷澤永一と藤岡信勝とがどういふ「喧嘩」をしてゐるのか私は知らないし、知らうとも思はない。が、「細かい事」をごちやごちや云はずに仲良くしろと「けつねうろん」が忠告するのは、無論、道理を無視して和を重視するからで、太鼓持が和を重んずる事に何の不思議も無いが、谷澤と藤岡との和合が幇間に、一體全體、何の益があるのか。「けつね」は保守の團結を説くが、今、弱體の左翼を前にして「保守」が團結せねばならぬ必然性は無い。いやいや、左翼が強からうと弱からうと、物書きは小異を捨てて大同につくべきではない。大同につくといふ事は己れの意見を衆愚のそれに一致させる事だからである。衆愚は何せ無學で「アホ」だから「そのときそのときで氣が變」つて、「どっちへでもフワフワ動」く。詰り「昨非今是」である。だが、「昨非今是」で氣樂な筈なのに、「えらいセンセ」の意見が一致しないのは困ると、「うろん」は何とも胡亂な事を云ふ。「どっちでもフワフワ動」くやうな手合が「どっち行ってよろしいんやろ」とて困惑する道理が無い。(續く) 連載第十八囘 平成十三年十月十五日 第一四三三號 テロより憲法、教科書より教師 (一)  テロリストの乘取つた二機の航空機がニューヨークの高層ビルに突込んで、今、「ブッシュも細かいことごちやごちや」云はずにビンラディンと「仲直り」せよとは、世界中、誰一人として云ふ者が無い。「進歩派」の土井たか子も久米宏も、アメリカの報復や自衞隊の派遣には反對しても、アメリカは「ごちやごちや」云はずにタリバンやサダム・フセインと仲直りせよとは云はない。「保守派」であるらしい「けつねうろん」とて、アメリカの「報復」に異議は唱へないに相違無い。だが、「けつねうろん」も谷澤永一も藤岡信勝もブッシュもビンラディンも、人品骨柄人種國籍こそ違ふものの、皆、人間であつて犬畜生ではない。それゆゑ、ブッシュがビンラディンを許せないやうに、谷澤が藤岡を、藤岡が谷澤を、それぞれ許せないのは是非が無い。ビンラディンがブッシュに對してやつた事に較べれば、谷澤が藤岡、藤岡が谷澤に對してやつた事も、松原が西部西尾に對してやつた事も、所詮は「細かいこと」だと「けつねうろん」は云ふかも知れないが、何人殺せば許されず、何人までなら許されるといふ事は無いし、武器兇器を用ゐて殺す事が筆で殺す事より殘酷である譯でもない。筆で殺すのは相手の面目を奪ふ事だからである。「寢て食ふだけ、生涯それしか仕事がないとなつたら、人間とは一體何だ、畜生とどこが違ふ。一身の面目にかかはるとなれば、たとへ藁しべ一本のためにも、あへて武器をとつて立つてこそ、眞に立派と云へよう」とハムレットは云つてゐる。犬畜生ならぬ人間は「一身の面目」を重んずるが、その際、「藁しべ一本」か高層ビルと數千の人命か、そんな事は凡そ問題ではない。オーストリア皇太子とその妃が殺されて、それが切掛けで第一次世界大戰は始つたではないか。面積一萬二千平方キロ、人口二千、羊くらゐしか飼へないフォークランド諸島を奪還すべく、サッチャー率ゐるイギリスは大艦隊を差し向けたではないか。正義のためには「たとへ藁しべ一本のためにもあへて武器をとつて立つ」、それが人間の榮光であり悲慘なのである。早稻田大學の臼井善隆が譯書の後書に書いてゐる事だが、嘗て灣岸戰爭の折、イギリス國教會のカンタベリー大司教は信徒にかう説教して、それが「參戰を可とする精神的道徳的お墨附き」になつたといふ。  我々は皆平和を望む。けれども平和と正義とを切り離して考へては斷じてならない。人間は自らの缺點ゆゑに、或いは邪惡ゆゑに戰爭をやつたけれども、同時に徳ゆゑに、我々の正義感、善と惡との存在を信じ、善と惡とを辨別する能力、他の人々のために進んで自らを犠牲にしようとする氣持ゆゑに、戰爭をやつたのである。それが歴史の嚴しい現實である。(「エリオット評論選集」、早稻田大學出版部)  然るに、間違ひ無く人間であつて犬畜生でない筈なのに、さういふ平和と正義とのディアレクティケーをさつぱり理解しないのが「經濟動物」たる日本人である。例へば、したり顔の馬鹿久米宏は、「今囘も日本は金だけ出せばよい、一時輕蔑されても五十年後には評價される」と吐かし、加賀乙彦といふこれまた途轍も無く愚かな作家は「同時テロと報復」と題して朝日新聞にかう書いた。  第二次世界大戰はファシズムに對する民主主義の正義の戰いであり、ベトナム戰爭は共産主義に對する自由主義の正義の戰いであった。が、正義を武力によって實現しようとすると、かならず行き過ぎがおこり、多くの人命が失われ、一般市民やとくに若い兵士が殺されてきたというのが、過去の歴史の教訓である。(中略)日本は、憲法によって、「武力による威嚇または武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」とはっきりと國の方針を定めている國である。(中略)私はこれこそ世界に誇るべきメッセージだと思っている。そこで、現在、日本が強く發言すべきことは、テロ撲滅のためには、あらゆる方法や努力をすべきではあるけれども、戰爭という暴力的手段だけは用いてはならないと、アメリカに忠告することであろう。(九月二十八日附夕刊) (二)  この加賀の文章は西尾や西部のそれと同樣に惡文である。「強く發言すべきこと」は「忠告すること」だとか、「あらゆる方法をすべきである」とかいふ迂闊な文章は、小學生竝の頭腦の持主にしか書けはしない。努力はするものだが「方法」はするものではない。さういふ惡文を平氣で綴る粗雜な頭腦に、「暴力的手段」を用ゐずにテロといふ暴力を「撲滅」し得るといふ甘ちよろい幻想が宿る事に何の不思議も無い。西尾や西部は「保守派」であり加賀は所謂「進歩派」だが、惡文を綴る頭の惡さに保革の別は無い。然るに、加賀には大佛次郎賞と日本藝術院賞が與へられ、西尾西部には「正論大賞」が與へられてゐる。いづれ政治主義ゆゑの受賞であり、加賀は「戰爭の非人間性」を描いたから受賞し、西尾西部は「保守」だから「保守派」の新聞から「大賞」を貰つたに過ぎず、良い文章を書くから賞められた譯ではない。ここで加賀の反戰小説の一節を引いて惡文を扱き下ろせばよいのだが、生憎、我が家には加賀の小説が一つも無い。そこで政治とは何の關はりも無い名文を引く事にする。二葉亭四迷の「平凡」の一節である。  ジヤンジヤンと放課の鐘が鳴る。今まで靜かだつた校舎内が俄に騒がしくなつて、後方此方の教室の戸が前後して慌だしくパツパツと開く。と、その狭い口から、物の眞黒な塊りがドツと廊下へ吐出され、崩れてばらばらの子供になり、我勝に玄關脇の昇降口を目がけて驅出しながら、口々に何だか喚く。(中略)仲善二人肩へ手を掛合つて行く前に、辨當箱をポンと抛り上げてはチヨイと受けて行く頑童(いたづら)がある。その隣りは往來の石塊(いしころ)を蹴飛ばし蹴飛ばし行く。誰だか、後刻で遊びに行くよ、と喚く。蝗を取りに行かないか、といふ聲もする。君々と呼ぶ背後で、馬鹿野郎と誰かゞ誰かを罵る。あ、痛たツ、何でい、わーい、といふ聲が譟然譟然と入違つて、友達は皆道草を喰つてゐる中を、私一人は驅脱けるやうにして側視もせずにせつせと歸つて來る。  家の横町の角まで來て櫟たいやうな心持になつて、そつとその方角を觀る。果してポチが門前へ迎へに出てゐる。私を看附るや、逸散に飛んで來て、飛付く、舐める。何だか「兄さん!」と言つたやうな氣がする。若し本包に、辨當箱に、草履袋で兩手が塞がつてゐなかつたら、私はこの時ポチを捉まへて何をやつたか分らないが、それが有るばかりで、どうする事も出來ない。據どころなくほたほたしながら頭を撫でゝ遣るだけで不承(ふしよう)して、又歩き出す。と、ポチも忽ち身をくねらせて、横飛にヒヨイと飛んで駈出すかと思ふと、立止つて、私の面を看ておどけた眼色(めつき)をする。追付くと、又逃げて又その眼色をする。かうして巫山戲(ふざけ)ながら一緒に歸る。  玄關から大きな聲で、「只今!」といひながら、内へ駈込んで、いきなり本包を其處へ抛り出し、慌てて辨當箱を開けて、今日のお菜の殘り−と稱して、實は喫べたかつたのを我慢して、半分殘して來たそれをポチに遣る。それでも足らないで、お八ツにお煎を三枚貰つたのを、せびつて五枚にして貰つて、二枚は喫べて、三枚は又ポチに遣る。  夫から庭で一しきりポチと遊ぶと、母がきつとお温習(さらひ)をおしといふ。このお温習程私の嫌ひな事はなかつたが、これをしないと、ぢきポチを棄ると言はれるのが辛いので、澁々内へ入つて、形の如く本を取出し、少しばかりおんによごよごとやる。それでお終だ。餘り早いねと母がいふのを、空耳つぶして、つと外へ出て、ポチ來い、ポチ來いと呼びながら、近くの原へ一緒に遊びに行く。  これが私の日課で、ポチでなければ夜も日も明けなかつた。  放課後、歸宅する小學生や飼主にふざけ掛かる仔犬の生態が見事に活寫されてゐるこの名文を、「月曜評論」の讀者はもとより、土井たか子も西尾西部も、谷澤永一も藤岡信勝も、微笑みながら樂しく讀むに相違無い。この文章は政治とは全く無關係で、T・S・エリオットの科白を捩つて云へば「政治に先行する領域」に屬してゐる。小學生に政治は無縁である。犬好きに政治は無縁である。いやいや、小學生や犬好きに限らぬ、女好きもゴルフ好きも釣氣違ひも政治信條の如何を問はない。鮎釣は左翼が好んで岩魚釣は保守派が好む、などといふ事は無い。そして我々の人生の一喜一憂はその大半が政治以外の領域にかかはつてゐる。それを誰が否定し得るか。  私は所謂「ノンポリ」を好かない。花鳥風月を愛でるだけの和歌や俳諧の隠居藝も好まない。二葉亭もさうであつた。我が近代文學史上、二葉亭ほど激しく政治の有效を嫉視した作家は無い。だが、大江健三郎や加賀乙彦や西部西尾の物する如き駄文惡文は、二葉亭四迷全集のどこにも一つも見出せない。「政治以外の領域」たる形而上學の重さを二葉亭は知つてゐた。而も嘘が嫌ひだつたから、形而上學が己れには無縁の代物で、哲學的思考が自國の文化に馴染まない事をも知り拔いてゐて、それゆゑ政治主義の紋切型に安住する事が無かつた。「平凡」にかういふ件りがある。  ポチの殺された當座は、私は食が細つて痩せた程だつた。が、それ程の悲しみも子供の育つ勢には敵はない。間もなく私は又毎日學校へ通つて、友達を相手にキャツキャツとふざけて元氣よく遊ぶやうになつた…… ――  今日はどうしたのか頭が重くてさつぱり書けん。徒書(むだがき)でもしよう。  愛は總ての存在を一にす。  愛は味ふべくして知るべからず。  愛に住すれば人生に意義あり、愛を離るれば、人生は無意義なり。  人生の外に出で、人生を望み見て、人生を思議する時、人生は遂に不可得なり。  人生に目的ありと見、なしと見る、共に理智の作用のみ。理智の眼を抉出して目的を見ざる處に、至味存す。  理想は幻影のみ。  凡人は存在の中に住す、その一生は觀念なり。詩人哲學者は存在の外に遊離す、觀念はその一生なり。  凡人は聖人の縮圖なり。  人生の眞味は思想に上らず、思想を超脱せる者は幸なり。  二十世紀の文明は思想を超脱せんとする人間の努力たるべし。  こんな事ならまだ幾らでも列べられるだらうが、列べたつてつまらない。皆啌(うそ)だ。啌でない事を一つ書いて置かう、  私はポチが殺された當座は、人間の顔が皆犬殺しに見えた。  これだけは本當の事だ。 (三)  ところで私が「平凡」のポチの件りを引いたのは、私が小學生だつた頃の國語の教科書に載つてゐた事を思ひ出したからである。現在、小學校の教科書にどういふ作品が載つてゐるか私は全く知らないが、老人になつても思ひ出すやうな優れた作品、政治主義とは無縁の名文が、澤山載つてゐるとはとても思へない。小中高校の教科書を一冊も覗いた事が無いから斷定はしないが、教育を論ふ大人がだらしのない文章を綴つて平氣でゐる以上、教科書だけが立派である道理が無い。實は昨日、土砂降りの雨の中を長靴穿いて近所の割合大きな書店に行き、市販本「新しい歴史教科書」を買はうとしたのだが、一冊も置いてなかつたから、替りに谷澤永一の「絶版を勸告する」を買つて來て、斜めに讀んで呆れ果てた。谷澤が引いてゐる件りから判斷する限り、「新しい歴史教科書」は何とも杜撰であり惡文である。だが、杜撰であり惡文である「新しい歴史教科書」を惡し樣に腐す谷澤の文章も亦杜撰であり惡文だつたから呆れたのである。昨今囂しい教科書論議に私は全く關心が無かつたが、それでよかつた、我ながら賢明だつたと思つた。老い先短い私だが、樂しい無駄なら幾らでもする。が、下らぬ論議に加はる無駄だけは願ひ下げにしたい。教科書論議が下らないのは政治主義を免れないからである。愛國心と同樣、教育も亦、惡黨や愚者の隠れ蓑になる。それゆゑ私は、この期に及んでの「解釋改憲」の横行と「愛國心」や「反戰平和」を振り翳す教科書論議の盛況とを怪しむ。ニューヨークの高層ビルに航空機が突込むと、忽ち有事法制論議が盛になつて、海上自衞隊はアメリカの空母を護衞し、陸上自衞隊は迫撃砲やミサイルを持つてパキスタンに行けるやうになる。無論、粗雜で惡文の憲法はそのままで改正されない。加賀は氣附いてゐないが、「武力による威嚇または武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」といふ件りも惡文であつて、惡文だから空理空論である。「國際紛爭を解決する手段としては」といふ條件が附いてゐる以上、國際紛爭を解決する手段以外の手段としてならば「武力による威嚇または武力の行使」は許される事になる。例へば、治安出動の際、自衞隊が國民に銃を向け威嚇したり發砲したりする事も認められてゐる事になる。然るに自衞隊は、治安出動の訓練を全くやつてゐない。馬鹿に本氣で質問するのも馬鹿だから、加賀に借問はせずからかふのだが、「戰爭という暴力的手段だけは用いてはならない」と信じてゐるらしい加賀は、自國民に對する自衞隊の「暴力的手段」なら快く認める積りなのか。  教科書論議の場合も同じであつて、政治主義ゆゑに物の道理が等閑に附せられてゐる。なぜ識者はかうも教科書ばかりを論ふのか。教育の主役は教師であつて教科書ではない。教科書が立派でも教師が駄目なら教育の實は上らないが、教科書が駄目でも教師が立派なら生徒は感化される。さういふ至極簡單な道理を世人はなぜ悟らないのか。確か海老名彈正の傳記に書かれてゐた事だが、昔、同志社の初等部に一人の熱心な老教師がゐた。同志社だから聖書講讀の時間があつて、生徒に聖書を讀んで聽かせる時は眞劍そのものだつた。眞冬、暖房の無い教室で聖書を讀んでゐると教師の鼻から鼻水が垂れて來て、それがいつ切れて開いた聖書の上に落ちるか、生徒はそれが氣になつて聖書もイエスも風馬牛であつた。が、イエスを崇拜する教師の眞摯だけは全ての生徒に通じた。小學校の教師は全科を教へねばならないが、その教師は數學が苦手であつた。數學の問題が解けなくなると、生徒に背を向け黒板と睨めつこをする。解けないからいつまでも仁王立ちである。けれども、教室は靜まり返つてゐる。一人拔群に數學の出來る生徒がゐて、それが終始俯いて教師のはうを見ようとしない。その秀才は無論教師を尊敬してゐる。尊敬してゐる教師の窮状を見るに忍びないから俯いてゐる。俯く秀才に倣つて惡童どもも俯く。それが教師の感化である。 連載番外 平成十三年十一月十九日 第一四三四號 暫く休載仕る  えらいことですわ。「けつねうろん」センセがわての言論を「風呂の中で屁こいてるみたい」と言うてはります。ほんなら、まず「眼剥いて」屁こかなああきまへん。うーん、ヨイショ、えらいこっちゃなあ。う一ん、ヨイショ、ぶう、ぼこぼこ、ぶう、ぼこぼこ。あ、出た出た。おお臭。なんでこう屁は臭いんやろ。  わてが「七割五分の保守」ならば、うろん「臭い」センセは零割零分の保守と違いますか。やっぱりエライ人のすることは、わてらと違うて、零割零分が七割五分を嗤うのですなあ。胡亂センセはエライ。あ、エライやっちゃ、エライやっちゃ、ヨイヨイヨイ。  ここで三行開けるのは不潔な文體から遠退くためで、三行どころか十行開けたいくらゐ、いやいや、今囘は右の駄文だけを「番外」として掲載して「保守とは何か」と題する文章を休載したいくらゐだが、不潔な駄文を敢へて冒頭に掲げたのは、「頭の惡う」ない讀者には、狐饂飩批判として充分に通じるかも知れぬと思つたからである。馬鹿に借問するのは馬鹿だと前囘書いたが、狐饂飩ほどの馬鹿を眞顔で批判するのは大馬鹿である。實は、昨夜、幇間の下劣な文體を眞似、狐を「おちよくる」文章を、隨分苦勞して、四百字數枚分も綴つたのだが、けふ大阪辯に詳しい友人に添削を乞うた處、所々間違ひがある、例へば大阪では「馬鹿念」とは云はない、それに何より、嘲弄が目的とは云へ、饂飩と同次元にまでなぜ成り下がるのか、斷乎反對であると云はれ、前夜の苦勞を思へば聊か未練はあつたが、潔く忠告に從ふ事にした。頭の良い讀者には右に活かした冒頭部分だけで充分な筈だから、以下は云はば蛇足である。だが、何せ蛇足だからさつばり氣が進まない。何の因果で狐饂飩如き大馬鹿の駄文の駄文たるゆゑんを論はねばならないのか。なぜ「月曜評論」の編輯人は歿にしなかつたのだらうか。  だが、この期に及んで愚癡を零しても仕樣が無い。始めるとしよう。まづ狐饂飩はよい年をして洟たれ小僧さながらの智能しか持合せてゐない。他者の言分や振舞が氣に喰はない時、大人なら通常氣に喰はない理由を述べるが、洟たれはそんな手間は掛けない。いきなり撲るか、撲る程でない場合は無意味な惡態をつく。例へば、私が小學生の頃は、「お前の父さん出臍」と囃して嫌ひな奴を揶つた。「お前の父さん」が出臍かどうか、錢湯で確かめた譯ではないし、父親が出臍である事が倅にとつての屈辱である道理も無い。だが、揶ふ餓鬼も揶はれる餓鬼も、道理なんぞには全くの風馬牛、取組合ひをやらかして、瘤を作つたり血を流したりする。前囘狐饂飩が書いた駄文は「お前の父さん出臍」と同質である。私が「太鼓持ちで幇間」と評したからとて、なぜ狐が「ヨイショ」の掛け聲を掛けねばならないか。「風呂の中で屁こいてる」と云はれ、「う一ん、ヨイショ、ぶう、ぼこぼこ、ぶう、ぼこぼこ」と私は眞顔で書いたのではない。眞顔で書いたら私は洟たれや饂飩の次元に墮ちる。生憎、私は洟たれ小僧ではない。「風呂の中で屁」と云はれて放庇するには「力」を入れねばなるまい。それゆゑ「うーん、ヨイショ」と私は書いたに過ぎぬ。だが、さういふ凡そ下品で無内容の剽輕を本誌の讀者は喜ぶのだらうか。それなら私は本誌にもう書かない。洟たれの惡態を「番外」として掲載する程、「月曜評論」が墮落したのなら、何を書かうと無意味である。  狐饂飩は私の文章を毎囘讀んでゐると云ふ。けれども「頭が惡うて、中身がなんのことやらよう」解らないと云ふ。だが、「中身が解らない」のなら、私の西部批判に「力が入って」ゐるとかゐないとか評せる道理が無い。が、何せ洟たれ竝みの智能の持主だから、己が言分の歿論理に氣附かない。「中身がなんのことやらよう分」らないが、「力が入ってまへんのや。ま、言うたら風呂の中で屁こいてるみたい」と饂飩は書いた。相手の父親が出臍かどうか「よう分りまへん」のに、惡たれて喜ぶ餓鬼と寸分變りはしない。饂飩は老人だらうが、智能は惡童竝みである。「ズバッといわんと、うじゃらぐじゃら西部センセの惡口を言うて」とひねこびた洟たれは云ふが、今、論壇の提供する西尾西部批判の中に、私以上に「ズバッと」云つてゐる批評文が存在するか。私が久しく論壇の村八分になつてゐて「月曜評論」以外に書けないのは、名指して人を斬り「ズバッと云ふ」からである。  それにまた、正字正假名を用ゐないから西部は「保守と違ふ」などと、私はどこにも書いてゐない。「守旧と罵られるのを誇りに思うくらいでなければならない」と西部が「眼剥いて」書いてゐるから、それ程の覺悟でゐる者が略字新假名を用ゐるのは「漫畫」だと書いたに過ぎない。私は「進歩派」でも「革新」でもないが「保守」でもない。知識人やジャーナリストは、西部に限らず保守保守と氣易く云ふが、一體全體、何を保守するのが「保守」なのか。御先祖の流儀と云つても、「眼剥いて」保守し得るのは正字正假名くらゐである。狐饂飩とて褌は締めてゐまい。奥方も腰卷はしてゐまい。毛筆を用ゐ和紙に駄文を綴つてはゐまい。いやいや、褌腰卷毛筆に限らぬ、今日我々の用ゐる「ハード・ウェア」は、その大半が南蠻渡來だが、それでゐて「ソフト・ウェア」たる「和魂」だけは無傷、などといふ旨い話はあるものではない。前囘紹介した同志社の教師は冷暖房完備の教室には似合はない。森鴎外が手放しで讃へてゐる安井夫人にブラジャーやパンティーはそぐはない。さういふどう仕樣も無い事實の重みを、なぜ「保守派」は悟らないのか。「ハード・ウェア」の大半は南蠻渡來である。然るに西歐精神の精華たる合理主義は一向に根附かない。恐らく永遠に根附かぬであらう。  とまれ私が正字正假名を用ゐるのはそれくらゐしか保守する自信が無いし、何事も徒黨を組んでやらうとする當節、それが己れ一人でもやれる事だからである。それゆゑ、學生に正字正假名で書くやう強制した事は一度も無いし、「略字新かな」で書いてゐるから西尾西部が「保守」でないなどといふ愚な事を書く筈も無い。嘗て私は本誌にかう書いた。覺えてゐる讀者もあらう。  出齒龜こと池田龜太郎も、女湯を覗いた愉快や人を殺して後の虚脱感について日記に記すとなれば「正字正假名を用ゐ」て惡文を綴つた筈で、假名遣と人格もしくは文章の上等下等との間に凡そ何の關聯もありはしない。天皇制や改憲を支持する者が全て善良で、その綴る文章も勝れてゐて、天皇制や改憲を否定する者が全て性惡で、その綴る文章の全てが拙劣である譯ではない。同樣に、所謂「謝罪外交」を難じて略字新假名を用ゐる者もゐる。西部もその一人である。西尾もその一人である。略字新假名を用ゐる「保守派」とは甚だしい形容矛楯だから、その事についてはいづれ詳述するが、略字新假名で書くからではなくて頭腦の働きが鈍重だから、西尾も西部も粗雜な惡文を綴るのである。  然しながら、西尾や西部は狐饂飩ほど愚鈍ではない。いやいや、狐の駄文に匹敵する駄文を、私はミニコミ綜合雜誌新聞に見出した事が無い。愚鈍である事よりも遙かに罪は輕いものの、饂飩は今囘二つ無知を曝け出してゐる。いづれも字體の事である。第一に、江戸時代の版本にも、例へば「國」といふ略字や衣偏の神が用ゐられてゐるといふ事、第二に、ワープロやコンじユーターを使ふ限り、示偏の神樣は出したくても出せないといふ事。本誌の印刷は廣濟堂がやつてゐるが、示偏の神樣は廣濟堂にも無い。饂飩の駄文には、その廣濟堂に無い活字が多數使はれてゐるが、その爲に虚しい手數が掛り、本誌の中澤編輯人は「割増料金」を支拂つた筈で、さういふ事情を饂飩は知らない譯だが、「わてら無學なもん」のその手の無知は難ずるにあたらない。難ずるに價するのは編輯人の無知である。狐饂飩の文體を眞似て云へば、編輯者が字體の問題について無知だなどと、そんな事「あるんでっしゃろか。ま、言うたら四分の一はパーやんか」といふ事になる。編輯人が無知でなかつたら、狐饂飩の駄文は歿になつた筈である。門の間には太陽ではなくて月が出ないと駄目で、松原は「二割五分引きの保守」であるなどといふ無知ゆゑの見當はづれの難癖、それ以外に饂飩の駄文に何の取り柄があるか。實を云へば、私も今囘だけは「十割の保守」になつて、コンピューターを使はずに鉛筆で書き、狐饂飩なる愚者に物の道理なんぞ幾ら説いても駄目、「十割の保守」たり得る事を證據で示すしかないのだから、原文通りに印刷してくれとごねて、編輯人をきりきり舞させてやらうかと思つた。その意地惡はしない事にしたが、今囘の原稿は通常の分量に達してゐない。而も、私が原稿を送るのは常に締切間際である。あれほど愚劣な駄文を「番外」として載せたのだから、不足分は狐饂飩に頼んで穴埋めして貰つたらどうか。但し、私はもう饂飩の愚鈍は論はない。西部や西尾は今後も批判するだらうが、饂飩の次元にまで成り下がるのは願ひ下げにしたい。 聊か愛想が盡きた  ところで、牛の涎のやうに續いた「保守とは何か」は今囘から暫く休載する。浮薄淺薄な「番外」の載る「月曜評論」に聊か愛想が盡きて、それが切掛けで「夏目漱石」の「下卷」も出さず、ミニコミなんぞに連載して、西尾西部ならまだしも狐饂飩如きを相手にする事の虚しさを痛感したし、昭和五十九年に出した「戰爭は無くならない」を書き直す事になつたからである。本誌に連載してゐる佐藤守と作陽大學の松元直歳とが、今こそ「戰爭は無くならない」を書き直して世に問へと、出版の宛ても無いのに頻りに云ひ、生返事をしてゐたのだが、大阪辯の指導を乞うた友人が心臓を病む病弱の身なのに、ワープロを使ひ「戰爭は無くならない」を入力し、そのフロッピーを屆けてくれたのである。物書き冥利に盡きる事で、それで忽ちやる氣になつた。折しも二十九日附の産經新聞正論欄に、大阪大學名譽教授の加地伸行が「教條主義やめ現實主義的妥協へ」と題する駄文を寄せてをり、「戰爭は無くならない」の冒頭で揶ふのに頗る好都合だから、加地批判から書き出さうと思つた。加地は本誌の執筆者だが、狐饂飩と異なりどこの馬の骨か知れぬ相手でないからいい。「細かいことごじゃごじゃ言わんと」仲直りせよとの饂飩の愚論と「現實主義的妥協」を勸める加地の愚論とは無論同質だが、加地はまさか「わてら無學なもん」とは云はぬであらう。  暫く休載する事になつて、私は陸上自衞隊えびの駐屯地の幹部自衞官十三名と福島高教祖の支部長に濟まないと思つてゐる。いづれも私が勸誘した譯でないのに、私と知合つたばかりに本誌を講讀してくれたからである。それで「ヨイショ」する譯では決してないが、えびのの自衞隊は實に見事な自衞隊で、餘りに見事だつたから續けて二度も押掛けたが、多分、「戰爭は無くならない」の中にその折體驗して感じた事どもを書く事になると思ふ。先述したやうに出版の宛ては無いが、上梓されたら、「夏目漱石」はよいが「戰爭は無くならない」のはうは是非是非買つて讀んで貰ひたい。