知的怠惰の時代 松原正 目次  T 第一章 新聞はなぜ“道義”に弱いか      馬鹿に保革の別はない      新聞には暴論が吐けない      極論を吐けぬ事こそ不道徳      新聞は密かに大衆を見下してゐる      新聞はもつと「偏向」すべし      考へる事、それは「往來通行」である      新聞はなぜ道義に弱いか 第二章 愚鈍の時代      エレホン國のお話し      「愚鈍意外に罪惡はなし」      「本當に怒ろう」とは何事か・・・・・・      本氣でないから新聞を許せない      知的怠惰ゆえの痴れ言      輕蔑と人權擁護は兩立する      知的怠惰は道義的怠惰      法と道徳とを峻別せよ      愚鈍の効用 第三章 「親韓派」知識人に問う      日本を愛する日本人として      「親韓」とは何か      朴大統領の弔合戰      杜撰な論理と文章      急遽バスを乘り換えて      無神經な文章      頼りにならない知識人 第四章 朴大統領はなぜ殺されたか      ニューズウィークは本氣なのか      アメリカが朴大統領を殺した      おめでたき正義漢      民主主義は絶對善にあらず      全斗煥將軍を辯護する      文民統制を絶對視する愚鈍      むしろ日本を苛めるべし 第五章 教育論の僞善を嗤う      善意は即ち商魂なり      胡散臭い教育論      いかさま教育論の正體      樂天家の苦しげな文章      死にたい奴は勝手に死ね      惡魔のいない教育論      非行少女はゴミタメに捨てろ      子供の未熟をうらやむな      性教育は茶番なり  U 週刊誌時評  ポルノのみにて生くるものにあらず  馬鹿を叱る馬鹿  左右を叩く無責任  良藥は口に苦し  岡田奈々と川端康成  怒らざる者は痴呆  性に關する殘酷な嘘  何事もなせばなるか  甚だしい看板倒れ  輕信は子供の美徳  許せない人間侮蔑  公正か人格の統一か  私事を語れる天國  非人間的な自己批判  長持ちする同情  ニセモノ横行時代  見事なり、宮本顕治  新奇を追うなかれ  「ちょつとキザ」な文章  暴力も支持すべし  知識はタダならず  なぜ早稲田なのか  健忘症もまた惡徳  相互理解の迷夢  思考の徹底を望む  「討論ごつこ」の愚  笑いを催促するな  時に愚直たるべし  時に惡魔たるべし  權威を叩く無原則  栗栖支持は改憲支持  文民統制も虚構  平和憲法もまた虚構  中國に何を學ぶか  野暮を貫けぬ風潮  馴合ひかガス銃か  損を覺悟する精神  惡魔を見ない純情  おのれの器を知れ  プロ野球の何が神聖か  泰平の世の茶番狂言  醒めたワイセツ屋  變節を咎むべきか  教育は惡魔と無縁か  金錢を輕蔑するな  世界有數の長寿國  馬鹿は保護すべし  正義漢を嗤うべし  眞劍勝負を恐れるな  賢なりや愚なりや  惡文は害毒を流す  疑わしきは罰せず  刑事責任と道義責任 あとがき T   第一章 新聞はなぜ“道義”に弱いか <馬鹿に保革の別はない>  かつて新聞の「偏向」を批判して心ある識者は一樣に嘆いた。新聞が反駁できないのを看て取つて、次第に心無き識者までが嘆くようになつた。新聞は「公正中立」だの「不偏不黨」だのと口先だけの綺麗事を言うが、その實頗る「反體制的」であり、保守に嚴しく革新に甘く、それは「亡國の病」だという譯である。しかるに昨今、世の中は少しく右傾して、ために新聞の「偏向」も少しく改まつたという。信じ難い。なるほど、長年日米安保条約に反對してゐた新聞までが中國の安保支持に勇氣づけられてか、「安保条約の有効性の確保が求められなければならない」などと、臆面も無く書くようになりはした。が、それは新聞の病弊が改まつた事を意味しない。  新聞は舊態依然、少しも變つてはいない。漠然とした右があつて、漠然とした左があり、その中程に常に新聞はゐる。これまでは世の中が左へずれてゐたから、中程の位置も當然左へずれてゐた。ところが近頃、何となく世の中が右へずれたから、中程にゐる新聞も自動的に右へずれた。そういう事でしかない。「偏向」というからには何を基準にして片寄つてゐるかが明確でなければならないが、漠然たる左右の中程に新聞がいて時流のまにまに漂つてゐるのだから、それを「偏向」と斷ずる譯にはゆかぬ。  それゆえ、新聞の「偏向」を難ずるのはもはや意味が無いとさえ私は思ふ。保守派は新聞の「偏向」をけしからんと言い、新聞は世の右傾こそ憂うべきだと言う。右は左の「偏向」を難じ、左は右の「偏向」を憂える。だが、そういう事で問題は決して片付かない。所詮は不毛の水掛け論である。そうして保守と革新が水を掛け合つてゐるうちに、いつしか國際情勢は樣變りして、中國が日米安保条約を肯定したり、ヴェトナムへ攻め込んだりした。それかあらぬか、このところ革新は頓に自信を喪失し、保守の鬪爭心は稀薄になり、論爭は滅多に行われず、許し合ひと馴合ひの太平樂を今や保守派は享受してゐる。  とかく目高は群れたがる。右の目高は今なお左の目高を非難する。が、右の目高は右の目高を決して咎めない。私は一應右の目高に屬する。けれども、右の目高を難じたり、難じようとしたりして、私はしばしば嫌な顔をされた事がある。その度に私は「馬鹿に保革の區別は無い」と放言したくなり、放言せずに辛抱した。が、今囘は紙幅の關係上、新聞を難じて特定の個人を叩かないから、辛抱するには及ばないと思ふ。  昨今、新聞は新聞批判のコラムをもうけるようになつた。自社を批判する文章さえ載せるようになつた。けれども、『マスコミ文化』昭和五十四年八月號で辻村明氏が指摘してゐる通り、大方の新聞批判は手緩く、型に填つた、陳腐な文章である。それもその筈、かつて左の目高が意氣軒昂だつた頃、新聞批判は勇氣の要る仕事だつたのであり、それは林三郎氏の『知識人黨』(創拓社〕を讀めばよく解るが、左の目高が意氣阻喪してゐる今日、新聞の 「偏向」を難ずるのはた易い事なので、相も變らぬ紋切型の新聞批判ならもはや意味が無い。弱くなつた左の目高を叩くよりも、今や保守派の中の贋物を成敗すべき時である。それゆえ、ここで保守派と目される物書きの新聞批判の文章を引き、徹底的に批判したいところだが、その紙數が無いのは殘念である。それはまた別の機會にやるしかないが、要するに、保守にも革新にもぐうたらな手合はゐる。同樣に、保革を問わぬ新聞の短所というものがあるのであつて、それは新聞は平和だの、民主主義だの、人權だのに弱い、つまり美しいものすべてに弱い、取分け道義に弱いという事なのである。これこそサンケイから朝日までの、吾國のすべての大新聞が抱えてゐる厄介な持病であつて、新聞批判はそこを衝かねばどうにもならぬと思ふ。 <新聞には暴論が吐けない>  例えば、日米安保条約や自衞隊の存在を肯定するかどうかという點で、サンケイと毎日とでは今なおかなりの隔りがある。けれども、先般の所謂航空機疑惑の報道に際しては、讀賣、朝日、毎日と同樣、サンケイもまた「灰色高官」の政治的・道義的責任を追及して大いにはしゃいだのであり、これを要するに、日本共産黨に對しては強いサンケイも、道義には頗る弱いという事實を例證するものである。しかも、寡聞にして私は、この保革を問わぬ新聞の短所を衝く新聞批判を讀んだ事が無い。けれども、この新聞の通弊は、言論の自由などという事よりも遙かに重要な問題だと私は考へる。道義に弱い者は決して道義的ではないからである。この點については追い追い述べるが、ここでまず、道義に弱い新聞の社説の一部を引用する事にしよう。   國民はこんどの疑惑に、政治腐敗のにおいを敏感にかぎとり、特に、長期にわたり政 權を獨占し、その中で汚職土壤を育てた自民黨政治に、深い不信を抱いてゐる。  この文章に人間はいない。これは筆者の意見ではない。社説の全文を引用できないが、文中何らかの意見を述べる時、主語は常に「國民」であつて「私」ではない。人間がいない以上道義的でないのは當然だが、社説とはそういうものであり、それゆえ臆面も無く綺麗事を並べ立てられるのである。右に引いたのは革新に甘い毎日の社説の一節だが、毎日だから綺麗事を言うのではない。僞善にも保革の別は無い。サンケイもまた今囘、「政治腐敗」を嘆いて毎日と大差無い綺麗事を書いたのである。いや、今囘に限らない。新聞は汚職に對して常にアレルギーを起す。つまり新聞は道義に弱い。そしてそれが保革を問わぬ新聞の持病なのである。  それゆえ、新聞の政治的「偏向」を難ずるだけでは決して問題は片付かない。いや、新聞は或る意味では「偏向」などしていない。むしろ偏向の度合が足りないのである。その證拠に新聞は次に引用するような「暴論」を決して載せる事が無い。載せないくらいだから、決して自ら吐く事が無い。     公然たる賄賂の横行を、私は難じない。むしろ、これを大聲で難じる人を見るといや な氣がする。私は役人ではなし、いわゆる會社重役ではないから、これまでついぞ袖の 下を貰わなかつたし、これからも貰うまいが、たまたまその機會に惠まれなかつたこと が、自慢の種になるとは思はない。人に説教する資格があるとは思はない。  これは山本夏彦氏の文章である(『編集兼發行人』、ダイヤモンド社)。誰でも認めるだらうが、この「暴論」は右にも左にも「偏向」していない。山本氏の「偏向」は、いわば道義的「偏向」であつて政治的「偏向」ではない。だからこそ、保革を問わず、新聞の忌諱に觸れるのである。  言論は自由だと言われるが、どうして新聞はこの種の「暴論」を吐けないのか。そしてそれをなぜ世人は怪しまないのか。山本氏も社説の筆者も同じく人間ではないか。山本氏は「非國民」ならぬ「非人間」なのか。だが、山本氏の文章を讀む者は必ず笑う。そして、この地球上で笑うのは多分人間だけである。それなら、人間を笑わせる人間が「非人間」である筈は無い。そして私は、新聞がこの種の「暴論」を吐けぬ事こそ新聞の何より恐ろしい非人間的な宿痾だと思ふ。  新聞は保革を問わず道義には弱い。道義論を振り囘されると忽ち弱腰になる。それを薄々知つてゐるのか、振り囘される前に自分が振り囘す。では、なぜ新聞は道義に弱いのか。思考が不徹底だからである。愚論なら馬鹿にも吐けよう。が、「暴論」は決して馬鹿には吐けない。そして、道義に關して「暴論」を吐けるほど道義について深く考へる、そういう事をやつていいない馬鹿だけが、山本氏の「暴論」に總毛立つのである。  ところで、何かに對して弱腰なのは、その何かに關して深く考ないからであつて、それは怠惰という事である。怠惰が徳目になる筈は無い。思考の不徹底とは知的怠惰という事だが、知的に怠惰な人間は實は道徳的にも怠惰な人間なのである。例えば、新聞は公然内密の別無く贈収賄を難ずる。それも必ず他人の増収賄を難ずる。なぜか。樂だからである。怠惰な連中が樂をしたがる事に何の不思議があるか。他人の惡行なら誰でも氣樂に指彈する。どんな惡黨も他人の惡行なら氣樂に斷罪する。そして新聞は、そういう誰にもできるた易い事しかやらないし、勸めもしない。自ら怠惰に堕して他人にも怠惰を勸める。それは道義的頽廢に他ならない。  けれども、道徳とは本來そういう生易しいものではない。道徳は「平均人」には實行困難なものであり、その點で「平均人」に實行可能な法とは決定的に異なる。新聞は法と道徳についても「深考」を欠いており、その事に今囘は觸れられないが、總じて新聞は封建制や封建道徳には批判的でありながら、汚職を難じる時は決つて道學者を氣取るのである。それはもとより矛盾だが、矛盾を矛盾と知らないから手輕に矛盾した態度が採れる。再び知的怠惰は道徳的怠惰なのだ。 <極論を吐けぬ事こそ不道徳>  新聞は道學者を氣取る。善き人たらんと心掛けるよりも、善き人に見せ掛けるほうが樂だからである。だが考へてもみるがよい、善き人たらんと努めるのは決して善き人ではない。おのれの心中を覗いて、おのれもなお及ばざる事を認めればこそ、吾々は善き人でありたいと思ふのである。それは解り切つた事ではないか。道徳は道樂ではない。樂なものは道徳ではない。實を言へば、善き人に見せ掛ける事も決して樂ではないのだが、新聞の社説は無署名であり、常におのれを棚上げできるから、善き人に見せ掛けるのは至極造作も無い事なのである。  ところで、知的に怠惰な人間は道徳的にも怠惰だと私は書いた。これを要するに、汚職を辯護するかの如き極論を吐けぬ者は決して道徳的な人間ではないという事である。極論を吐く事も「平均人」には實行困難な事なのであり、してみれば、その困難を敢えてする人間が却つて道義的に立派であつたとしても怪しむに足りない。それゆえ私は、山本夏彦氏は「これまでついぞ袖の下を貰わなかつた」に違い無いと信じてゐる。では、袖の下を貰わなかつた山本氏が、なぜ袖の下を難じないのか。  一方、道學者を氣取る新聞も、叩けば結構埃が出る。それは『新聞のすべて』(高木書房)を讀めば解る。新聞はわが耳を掩いて鐘を窃んでゐる。その癖、口を拭つて綺麗事しか言わない。が、袖の下を貰つたにも拘らず吐く「暴論」も綺麗事も、或いは貰わなかつたから吐ける綺麗事も、貰わなかつたにも拘らず吐く「暴論」には遠く及ばない。山本氏の道義的「暴論」を評價するゆゑんである。それゆえ、山本氏の「暴論」は曲論にあらずして極論に他ならない。  それに、どの道、極論を吐くには勇氣が要る。皆が汚職をヒステリックに難じる時、汚職を肯定するかの如き極論はためらわれる。皆と一緒になつて汚職を難じるほうがた易いに決つてゐる。が、山本氏がた易い道を選ばないのは、詮ずるところ、頭が惡くないからである。頭が惡くないからこそ、誰も極論を吐かない世の中は充分に道義的でないという事が解るのである。人間は矛盾の塊りであつて不完全である。不完全な人間が綺麗事ばかり言うなら、それは嘘に決つてゐる。  ところで、頭が惡くないと、人間の臍と旋毛は必ず曲る。それゆえ山本氏は、極論を吐いて、にやにや笑つて、世間がどんな顔をするかと邊りを窺う、と書けばこれは少しく山本夏彦ふうの文章になる。 <新聞は密かに大衆を見下してゐる>  一方、昭和二十九年『中央公論』に「平和論に對する疑問」を書いて以來、一度も「論敵に敗けた事が無い」福田恆存氏の臍曲りも相當なもので、はや昭和三十年に「戰爭はなければいいが、あつたらあつたでうまく」やればよいなどと言い、以來アメリカ空軍によるハノイ無差別爆撃を支持するなど、數々の極論を吐いてゐる。近著『私の幸福論』(高木書房)においても、福田氏は「醜く生れついた女性は損をする」という「書く側も、讀む側も觸れたがらない」極論から説き出してゐる。福田氏は邊りを窺わない。名指しで馬鹿を馬鹿と極め付ける。それゆえ讀者も友人も時に當惑するが、佐藤直方が言つたように「人の非を云はぬ佞姦人あり。人をそしる君子の徒あり」であつて、「英氣事を害す」と世人は言うが、政治の世界はともかく少なくとも論壇に。事を害する學者がほしい」事に、今も昔も變りは無いのである。とまれ世間が「絶對平和」の夢に酔い痴れ、「新聞多く默して政客また言はず」、平和主義者にあらざれば人にあらずの觀を呈してゐた頃、福田氏は孤軍奮鬪、淺薄なる平和主義者を完膚無きまでに懲らしめ、彼等の「平和か無か」という思ひ詰めた思考と僞善を嗤つたが、論壇史上有名なかの「平和論論爭」は、今にして思えば、福田氏の極論が平和論者の中途半端な思考を制壓したという事に過ぎない。つまり、福田氏には「最惡の事態にも應じられる人生觀」があつたのに、平和の美名に酔い痴れてゐた敵方はそれを全く欠いてゐたのである。  では、その「最惡の事態にも應じられる人生觀」とは何か。人間の中に獸がいて、その獸は何をしでかすやら解らぬと、それを承知してゐる者の抱懷する人間觀である。パスカルが言つたように、人間は天使でもなく禽獸でもない。人間は同時にその兩者であり、常にその兩極の間を揺れ動いてゐる。そしてそれは、おのれの心中を覗いてみれば、實は誰でも認めざるをえない事實なのだ。しかるに新聞は、おのれの中の獸には目を瞑り、他人の中の獸を發き立てて恥じる事が無い。それはもとより僞善である。そして馬鹿に保革の別が無いのと同樣、僞善にも保革の別は無い。だからこそ、日米安保条約や自衞隊や腰抜け憲法を認めると認めないとに關り無く、新聞は今囘、「灰色高官」の「汚職」を咎めて大いにはしゃいだ譯である。  事ほど左樣に新聞が道義に弱腰なのは、先に述べたように、知的、道徳的に「偏向」せずして怠惰だからだが、同時に新聞が何かと言うとすぐに頼りたがる大衆の善良を信じ、大衆を神聖視し、大衆に迎合したがるからである。が、その癖新聞は腹の中では大衆を見下してゐる。大衆の理解力には限界がある、大衆は單純明快な正義を好み、決して複雜怪奇を好まない、兩極の間を揺れ動く人間の偉大と悲慘などという厄介な問題を、大衆は決して理解しないし歡迎もしないと、自らを顧みて、或いは自らを棚上げして新聞は密かに思つてゐる。  周知の如く、新聞は善玉惡玉の二分法を好むが、それも大衆の理解力を氣遣つての事であろうか。だが、それも幾分は無理からぬ事なので、E・M・シオランの言うように、パスカルの著作の一節を大衆向けのスローガンに仕立てる事はできない。パスカルの文章は、シュプレヒコールに用いて、感傷的な連帶感を強められるような廉物ではないからである。  だが、實はそれが問題なのだ。大衆を動かすには込み入つた議論はおよそ役立たぬという事を、宣傳の名手だつたヒットラーは知り抜いてゐた。宣傳は眞理とは關係が無い、首尾一貫する必要も無い、大衆の貧弱な理解力と度し難い健忘症を、宣傳家は片時も忘れてはならぬ、宣傳の要諦は飽くまで單純明快な觀念を執拗に反復する事にある、ヒットラーはそう信じて「信じられぬほどの成功」をおさめた。ヒットラーの奇蹟が再び起らぬという保證は無い。ヒットラーを惡し樣に言う事を必ずしも私は好まないが、第二のヒットラーに乘ぜられるような事態は避けねばならぬ。が、それには、常日頃安手の正義感を嗤つて極論を吐く人々の數を殖やすか、これまた甚だ迂遠の策かも知れないが、極端な理想の追求は諸刃の劍だという事を、それにも拘らず、と言うよりはそれゆゑに、一方の極に思ひ切り「偏向」しなければ他方の極を理解できないという事を、要するに道義の問題に單純にして明快な解決などは無いという事を、倦まず弛まず説くしかないのである。 <新聞はもつと「偏向」すべし>  例えばトルストイは、「人間は善行をなさねばならぬ、隣人を愛して自己を犠牲にせねばならぬ」と堅く信じた男である。かういふ立派な美しい信念に、道義に脆い新聞は喜んで同意するに違い無い。だが、その激しい信念は當然トルストイを激しい苦惱に追い込んだ。彼は一九一〇年の日記に、妻についてこう記してゐる。   實に苦しい。あの愛情の表現、あの饒舌、不斷の干渉。大丈夫、まだそれでも愛する 事が出來ることを私は知つてゐる。しかし、それが出來ないのだ。惡いのは私だ(中村 融譯)    忘れてはいけない、一九一〇年はトルストイが死んだ年であり、この文章は八十二歳のトルストイが書いたものなのだ。まさに感動的だが、ここまでは新聞もどうにか付き合へると思ふ。  けれども、ダニエル・ジレスによれば、トルストイは娘たちの結婚に常に反對した。長女タチヤーナが結婚した時も、「嫉妬深い父親はなかなか氣持を和らげようとしなかつた」。そしてこう書いた、「ターニャはスホーチンと行つてしまつた。いつたいなぜだ。情けなく屈辱的だ」。だが、トルストイが娘の結婚に反對したのは、所謂「花嫁の父」の感傷なんぞではない。結婚生活は「破廉恥極まる地獄」だと信じてゐたためである。『クロイツェル・ソナタ』の後書にトルストイは書いてゐる。   すべての男女の教育法を改めて、結婚前であれ、またその後であれ、戀愛および、そ れに伴う肉體關係を現在の如く詩的な崇高な心境と考へることをやめ、人間にとつて恥 ずべき動物的状態とみなす樣にしなければならぬ。(米川正夫譯)  そして、この異樣な考への論理的歸結としてトルストイは、性行爲は自己愛であり、惡徳であり、吾々は斷乎として性行爲をやめるべきであり、その結果人類が滅亡しても仕方が無いと言切るのである。  これもまた極論に他ならぬ。そして新聞はもとより、吾々も誰一人としてこの極論には付き合へまい。けれども、トルストイを担いで彼の美しき人道主義を云々する所謂「平和主義者」は、どうしてかういふ極論にたじろがないのか。言うまでもない、思考が不徹底だからである。平和主義なり愛他主義なりを奉じてその極に觸れる、そういう所まで考へないからである。だが、激しい理想追求の念はトルストイを一方の極にまで追いやつた。そして一方の極を知る者は他方の極を知る。八十二歳にして家出をしたトルストイは寒村の駅長官舎で息を引き取るが、その枕許にはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が置かれてあつた。  言うまでもなく、トルストイとドストエフスキーは對蹠的な作家である。ドストエフスキーはマルクス主義の世界觀を完全に否定したが、レーニンはトルストイを世界最大の小説家とみなしてゐる。だが、兩極に二人が靜止してゐると考へるのは、國家、階級、組織などの集團を優先的に考へ、個人を無視する政治至上主義者の淺はかな誤解に過ぎない。死の前年、トルストイはドストエフスキーと知り合へなかつた事を殘念がり、「彼とは國家と教會にたいする見解が正反對であるにもかかわらず、年をとればとるほど彼が精神的にわたしに近しく思はれてならない」と語つてゐたのである。  トルストイもドストエフスキーも、政治的黨派に屬して、すなわち右の目高と左の目高に分れて對立したのではない。政治的な右と左とは漠然たる右と左である。保守派は新聞の左傾を憂えるが、左とは一體何か。社會黨左派なのか、共産黨なのか、それとも新左翼なのか。新左翼同士にも對立があつて、今なお殺し合ひをやつてゐるではないか。けれども、政治的にでなく道義的に問題を考へる時、兩極はもつと明確になる。一方の極に「汝の敵を愛せ」というイエスの言葉がある。他方の極に、例えば『カラマーゾフの兄弟』に登場する大審問官の言葉がある。が、再び言う、一方の極を知る者は他方の極を知る。イエスを散々に罵倒して大審問官が立ち去ろうとする時、それまで終始無言だつたイエスは何をしたか。イエスはやはり無言で相手に接吻したのである。  とまれ、新聞は道義的には少しも「偏向」していない、いや「偏向」の度合が足りぬ。そしてそれは新聞に限らない、新聞に寄稿する物書きの大半も保革を問わず「偏向」していない。新聞は汚職を咎めて安手の道義論に酔い痴れてたが、大方の保守派の論客もまた新聞の痴れ言を默認したではないか。ここで新聞は思ひ起すがよい、かつて日本が國際連盟を脱退せんとしてゐた頃、時事新報の社説の筆者は次のように書いたのである。   いま連盟脱退か留盟かの大問題を決するに當り、日本には未だ議論が戰はれない。言 ひたい人も何者かを憂ひて沈默してゐる實情である。新聞多く默して政客また言はず。 かくて此大國策が、論もなく理も尽されずに移り行かんには、悔いを後日に胎さんこと 必定であらう。  保守派の論客の中には相も變らぬ新聞の痴れ言に呆れ、何を言つても無駄だと諦めた人もいよう。かつて激しく新聞を難じた人ほど今囘ひどく失望したのかも知れぬ。が、「言ひたい人」が新聞と世論を恐れて沈默したのなら、それはゆゆしき事であり、「悔いを後日に胎さんこと必定」だと私は思ふ。ここで私も極論を吐く。北方領土なんぞどうでもよい。日本國の一部が占領されても構わぬ。いや、日本が滅びても構いはしない。大事なのは士氣である。日本が「毅然として」戰つて滅びる事である。だが、たかが汚職報道にはしゃぐ新聞を叩けぬほど日本人が腰抜けになつてゐるとすれば、ソ連軍と一戰交える勇氣なんぞが湧く筈は無い。 <考へる事、それは「往來通行」である>  さて、話を本筋へ戻す。伊藤仁齋は、道徳とは「人の道」であり「對時」するものの間の「往來通行」だと考へた。人の道を行う事と同樣、「人の道」を考へる事も「往來通行」に他ならない。兩極の間を往來する事に他ならない。だが、そういう事が時流に棹さす新聞には全然解つていない。例えば、進歩的な三大紙は社會主義國に甘いという(それゆえ、朴政權にはやたらに嚴しい)。三大紙は資本主義を惡とし、社會主義を善とし、後者の善に幻惑されてゐるという。すでに述べたように、知的怠惰は道義的怠惰で、道義に弱い三大紙は道義に關する思考にも弱い譯だから、社會主義の善に弱いのはなんら怪しむに足りぬ。そして、道義に弱いのは三大紙に限らないから、保守系の新聞もまた、資本主義の將來に強い自信を持てずにゐるのである。  だが資本主義に少しでも引け目を感じるなら、いつそ思ひ切り社會主義のほうへと「偏向」してみるがよいのである。中國が日米安保条約を認めようと、なおその廢棄を唱え、ヴェトナムに攻め込もうと、なおその正義を稱え、斷々乎として社會主義を信じ、徹底的に社會主義について考へたらよい。徹底して物事を考へれば、どの道必ず行き詰まる。アポリアに辿り着く。例えば、ドストエフスキーが描いた『惡靈』の世界を覗いて、「無限の自由から出發して無限の壓制にいたる」という、かの「シガリョフの公式」を知れば、それが社會主義のどん詰まりだと知つて困惑するようになる。要は徹底的に「偏向」する事なのだ。偏向した擧句行き詰まる事なのだ。  それゆえ、資本主義を激しく憎み、一切の權力を嫌い、激越なアナーキズムを夢見るもよい。周知の如く、アナーキストが國家權力を憎んだのは、彼等の途方も無く善良な意志を行使するに當つて國家が障害になると信じたからである。けれども、有り樣は「人間の意志が惡であるからこそ國家が生じた」のである。しかもなお、E・Mシオランの言う通り、「一切の權威を絶滅しようとするアナーキストの理念こそは、人間がかつて抱懷したもつとも美しい理念」(出口裕弘譯)であつて、それも否定し難い事實なのである。シオランという思想家も、兩極の間を激しく「往來通行」して數々の極論を吐いてゐるが、シオランほど深く考へてゆけば、何々主義などという政治主義の概念は消え、保革を問わぬ赤裸々な生身の人間が見えて來るようになる。シェイクスピアの描いたリア王のように、徹底的に「人間の悲慘」を知れば、やがて「人間は唯これだけのものなのか」と呟けるようになる。そしてそうなれば、すなわち「人間存在の本質的な悲慘を深く究める」ならば、再びシオランの言う通り、「人は、社會の不平等に起因する悲慘に心を留めはしないし、それを改革しようなどとしなくなる」(及川馥譯)筈である。だが、誤解してはいけない、シオランはそうなればいいと言つてゐるのではない。シオランは同時に、アナーキストの「途方も無く善良な意志」を眞實美しいと思ひ、アナーキストを激しく妬んでゐるのである。  だが、すでに述べたように、かういふ兩極の間を揺れ動く思想家を、矛盾や複雜を好まぬ大衆が理解する筈は無い。彼等は「では、どうずればよいのか」と言うに決つてゐる。或いは「こうすればよい、こうしろ」と言つて貰いたがる。そしてそれはヒットラーがよく知つてゐた事である。「大衆は女の如し、常に支配者の出現を待望し、与えられた自由を持て餘してゐる」ヒットラーはそう言つてゐる。  けれども、俗受けしようがしまいが、考へるという事は「往來通行」なのである。ソクラテスのディアレクティックもそうであつた。ソクラテスは常に他者と問答し、問答しながら考へてゐるが、他者と問答するにはまず自分との問答が行われねばならぬ。自分の心の中で問いと答えが「往來通行」せねばならぬ。ソクラテスはそれを熱心にやつた。が、自問自答してゐるだけなら無事だつたろうが、他人と問答して「産婆術」などという差し出がましい事をやつたから、熱心にやればやるだけ人々に怨まれた。  バーナード・ショーは、「ソクラテスは折ある毎に吾々の愚昧を發くが、それには我慢できない、というのがソクラテスを告發した連中の唯一の主張だつた」にも拘らず、ソクラテスのほうでは「おのれの知的優越が他人を恐れさせ、ひいては他人の憎しみを招くに至る、その限界を知らず、問答の相手に對して善意と献身しか期待していなかつた」と書いてゐる。  そうかも知れぬ。が、それだけではない。ソクラテスが怨まれたのは、むしろソクラテスとの對話が不毛だつたからではないか。いや、不毛だと人々が考へたからではないか。ソクラテスは知者を自認する手合と問答して相手の無知を悟らせる、相手をアポリアに追い込む。けれども、メノンが言つてゐるように、その際ソクラテス自身も必ずアポリアに陥るのである。つまり、ソクラテスとの問答は何の解決にも到達しない。それなら、「無知の知」なんぞを自覺したところで何の役に立つか、振出しに戻るだけではないか。古代アテナイの市民はそう思つたに違い無い。ソクラテスが怨まれたのは、他人に無知を自覺させながら、單純にして明快な解決を示さなかつたからである。私にはそうとしか思えぬ。實際、ソクラテスに向つて「では、どうすればいいのか」と開き直つた奴もゐるかも知れぬ。古代アテナイの市民も、現代人と同樣、「こうすればよい」或いは「こうしろ」と言つて貰いたかつたに相違無い。自由を有難がらずして專ら支配されたがつたに相違無い。  ところでソクラテスはソフィストたちのレトリックを、似而非政治家の手練手管だと極め付けた。それは大衆に諂う技術であり、何が正しいかではなく「大衆が何を正しいと考へるか」を重視するというのである。だが、ヒットラーが見抜いてゐたように、大衆を動かすのはレトリックであつてディアレクティックではない。それに、プラトンの對話篇を讀めば解る通り、ディアレクティックは不毛に見えるばかりか辿るのに苦しい道で、易きにつく人々が、そういう割に合わぬ苦勞を好む筈が無い。それに引換え、當時、レトリックは立身出世に役立つ、頗る實用的な技術だつたのである。それかあらぬか、『プロタゴラス』に登場する青年は、全財産を砕いても高名なソフィストの弟子になりたいと言つてゐる。  しかるに、ソクラテスがやつてみせた通り、兩極の間を往來する思考は不毛であり、そこから「こうすればよい」との明快な解答は得られない。所詮、アポリアに陥るだけの事なのである。ニイチェはそれに苛立ち、ソクラテスをデカダンと評したが、ニイチェ自身認めてゐるように、ニイチェの中にもソクラテスがいたのだから、ニイチェの提案した大胆な解決が決定的なものになる筈が無い。トルストイとて同じ事だ。先に引いた日記の一節にトルストイは何と書いてゐるか。自分は妻を「愛する事が出來る」と彼は書き、すぐに續けて「しかし、それが出來ないのだ」と書いてゐるではないか。これも兩極に觸れる自問自答だが、かういふ苦しい自問自答から單純明快な結論なんぞが出て來る筈は斷じて無いのである。 <新聞はなぜ道義に弱いか>  さて、徹底的に深く考へたところで、大衆が喜ぶような單純明快な解答は得られないという事については、これで充分かと思ふ。パスカルはスローガンにならないのである。皮相と性急は二十世紀の病であつて、新聞がそれを最も重く煩つてゐるとソルジェニーツィンは言つた。新聞は報道の自由を享受しながら、讀者のためを考へず、專ら世論に阿り、世論と矛盾しない程度の意見を述べるに過ぎない、というのである。その通りだが、それでは困る。パスカルはなるほど集團向きではないが、集團向きの皮相淺薄な道義論をぶつてゐるうちに、新聞記者の道義心も、讀者の道義心も、却つて麻痺の度を加えてゆくばかりだからである。集團に顔は無い。人格も無い。集團心理というものはあるかも知れないが、集團道徳というものは無い。道徳とは飽くまでも個人に對して強さを要求するものなのだ。これに反して集團は、個人を威壓する力としては強いかも知れないが、道徳的には決して強くはないのである。佐藤直方は「決斷してする事は茶一貼でも孝ぢゃ」と言つた。直方の言う「決斷」の意味はともあれ、新聞も吾々も、衆を恃まず、獨り胸に手を當て考へてみたらよい。孝行という徳目を嗤つて、吾々は「茶一貼」を親に贈るという至つてた易い事さえやらずにゐるではないか。それなら他人の惡徳を言う前に、他人の榮耀榮華を妬む前に、吾々はまずおのれの不徳を氣に掛けねばならぬ。他人の惡行を難じて悲憤慷慨しても、それだけ自分が有徳になる筈は斷じて無いからである。道義的であるためには人は強くあらねばならぬ。「茶一貼」にも強さが必要だが、その強さを時に或いは常に自分が欠くという事を認めなければならぬ。自分が弱いという事、或いは自分が惡いという事を時に認めなければならぬ。  ここで讀者はトルストイの日記を思ひ出して欲しい。自分は妻を愛せない、「惡いのはわたしだ」、そうトルストイは書いてゐるではないか。新聞に限らない、昨今吾々は「惡いのはわたしだ」とは決して言わなくなつた。惡いのは常に政府であり、政治家であり、大企業であり、文部省であり、或いはこう書けば保守派は嫌がるが、總評であり、日教組なのである。つまり、惡いのは常に他人なのである。  私は新聞に極論を吐けとは言わないし、吐けるとも思はない。だが、新聞記者は獨り密かに極論を呟いて貰いたい。そしてこの際、とくと考へて貰いたい。この數ヶ月、他人の惡徳を糾彈してはしゃぎ廻り、新聞は社會の木鐸として一體全體いかなる成果をあげたのか。自他の道義的頽廢に拍車をかけただけの事ではなかつたか。數ヶ月間の馬鹿騷ぎは途方も無い紙とインクの無駄遣いではなかつたか。新聞はおのれを棚上げして聲高に正義を叫べば、大衆を教導できると思つてゐる。とんでもない事である。大衆についての兩面價値的(アンビヴァレント)な私の考へについてここでは詳述できぬが、新聞の社説を讀んで道義心を養うような馬鹿は、「知的生活の方法」なんぞに關心を持つ似而非インテリに限られる。道義的であるという事は、美しい事を言う事ではない。常住坐臥、美しい事を行う事でもない。それはまず何よりも、美しい事をやれぬおのれを思ひ、内心忸怩たるものを常に感じてゐる事である。  トルストイのように、常におのれを省みて他人の事を言い、或いはおのれを省みて他人の事を言う事のできぬおのれを省み、極論を呟き、綺麗事の空しさを痛感し、兩極の間を往來してやまぬ人間の矛盾と戰う事なのである。その點新聞も讀者も、道義的という事について大變な勘違いをしていないか。  新聞はなぜ道義に弱いか。思考が不徹底だからである。頭が惡いからである。そしてそれは新聞に限らない。新聞記者の卵を教へる大學教授もそうである。私は或る大學で法學を講ずる教授に、「周知の如く、時効と職務權限の壁にはばまれて、檢察は松野頼三氏の刑事責任を問えなかつたが、刑事責任を問えない松野氏に對して、どうして道義的責任を追及できるのか」と尋ねた事がある。すると彼はこう答えた、「刑事責任を問えないからこそ道義的責任を追及してゐるのではないか」。法學者にしてこの程度である。そこで私はサンケイ新聞に「刑事責任を問えぬ者の道義的責任を追及するのは魔女狩りに他ならぬ」と書いた。また『經濟往來』七月號には、「私は法律の素人だが」とわざと何囘も斷つて同じ趣旨の事を書いた。が、これまでのところ、誰一人私に反論した者が無い。「躬自ら厚くして、薄く人を責むる」事のできぬ小人の私は次第に圖太くなり、圖に乘つて、誰も反論できる筈は無いと考へるようになつた。いずれ折をみて法と道徳に關する新聞や學者の無知を徹底的に發いてやろうと思ふようになつた。よろずの事に本氣になるのは馬鹿者だが、道徳だの戰爭だのについて本氣で考へぬ事だけは許せないと思ふからである。新聞記者に個人的に接すると、彼等は必ず「他紙が騷ぐからやむをえず騷ぐのだ」と弁解するという。やはり惡いのは他人なのである。つまり彼等は本氣でない。大學教授もそうである。極端な例かも知れないが、昨今は皆が内心輕蔑してゐる男を學部長に選出する事もある。それを聞いて、私はわが耳を疑つた。けれどもそれは本當の事であろう。選出された學部長がやたらに會議を開いて何事も多數決で決めたがる事を、私自身屡々見聞してゐる。それはおのれ一人で決斷して責任を一身に引受ける事を恐れるからである。皆の責任は皆の無責任だからである。「俺一人が惡い」と言い切るだけの覺悟が無いからである。「最惡の事態にも應じられる人生觀」を欠いてゐるからである。最後に讀者に問う、これを道義的頽廢と呼ばずして何と呼ぶのか。   第二章 愚鈍の時代 <エレホン國のお話>  まず、エレホンという奇妙きてれつな國の話から始めよう。エレホン國にも法律はあつて、ただその法律が何とも奇妙きてれつなのである。エレホン國では風邪を引く事は重大なる犯罪と見做されるが、道義に反する行爲は一種の病氣と見做されて司直の追及を受ける事が無い。それゆえ、例えば肺病患者は終身幽閉されるが、年間二萬ポンド以上の高額所得者は天才として崇拝され、一切の税の支拂いが免除され、また、公金を使い込んだ者は大いに同情され、重病人として懸命な看護を受ける事になる。  さて、そういう國を讀者はどう思ふか。その餘りの不条理に、エレホンとは架空の國だらうと言うに違い無い。その通りである。エレホン國とは十九世紀イギリスの文人サミュエル・バトラーが創造した夢想郷であり、エレホンErehwonとはnowhereの綴りを逆にした所謂逆さ言葉であつて、バトラーは當時のイギリス社會を痛烈に風刺したのである。エレホンはどこにも存在しないどころか、今、ここに、諸君の目の前に、歴然として存在してゐるではないか、バトラーはそう主張してゐる譯である。  なぜ私はエレホン國の話から始めたのか。他でもない、日本國とエレホン國との径庭は見掛けほど大きくないという事が言いたかつたからである。吾々がエレホン國を笑止がるのは、目糞が鼻糞を笑うの類だと私は考へる。なるほど、病人が罰せられ、惡黨が病人と見做されるエレホン國は、途方も無い不条理の國である。これに反し、わが日本國は立派な法治國家であつて、病人は手厚い看護を受け、殺人犯には極刑が科せられる。つまり、殺人は日本國の法がかたく禁じてゐる行爲なのである。では、日本國において、法が禁じてゐる行爲を合法的なものとして認めよと、そういう事を聲高に主張して非合法の手段に訴えたらどうなるか。例えば殺人の權利を吾等に与えよと主張して殺人を犯したらどうなるか。エレホン國は知らず、日本國ではそういう狂人は委細構わず牢屋へぶち込まれるに相違無い。では、エレホン國は無茶苦茶だが、日本國は立派な法治國家なのか。その通りと答える讀者に私は尋ねたい、公勞協傘下組合の年中行事たる「スト權スト」はどうなのかと。  周知の如く、公勞協のストライキ權は法的に認められていないのである。それなら、「スト權スト」とは、法が禁じてゐる行爲を合法的なものとして認めよと主張し、その要求を貫徹すべぐ非合法の手段に訴える事ではないか。スト權ストとは、殺人權殺人と同樣、途方も無い不条理ではないか。しかるに、昭和五十四年六月、森山運輸大臣は、スト權スト參加者の處分について、何とその「凍結」を國鐵に要望したのである。それを傳え聞いた春日一幸氏は、「法治國家として斷じて許すべからざる」事である、かくなるうえは「運輸大臣のクビをとれ」と叫んだそうだが、熱り立つたのは春日氏だけで、政府も野黨も新聞も世論も一向に憤激せず、それゆえ運輸大臣の首はとばなかつた。吾々にエレホン國を嗤う資格は無いのである。 <「愚鈍以外に罪惡はなし」>  この東洋のエレホン國では、政治家が「貧乏人は麦を食え」とか「國連は田舎の信用組合の如し」とかいう、どちらかと言へば、道義に係る失言をやらかすと、新聞も世論も頗る憤激するが、法に關する極論や暴論には至つて鈍感であつて、それはつまり、新聞や世論が法についてのみならず道徳についても「深考」を欠いてゐるからに他ならない。先般、所謂航空機疑惑の報道に際しては、愚鈍にして半可通の新聞が「灰色高官」の非を鳴らし、政界淨化を叫び、數カ月に亙つて浮かれ騒いだのであり、その輕佻浮薄を一歩離れて眺めてゐると、それはまさしく天下の奇觀だと思えて來る。法と道徳に關して新聞は無茶苦茶を書き、それに識者も讀者も一向に驚かない。不条理は不条理として扱われない。  例えば、五十四年七月二十六日付の朝日新聞は次のように書いたのである。   國民の大多數が自民黨の金權、金脈體質や政治の汚職構造を批判してゐる。松野氏は 次の選擧で「有權者の審判を受ける」というが、地縁、血縁、利害關係で結びついた一 選擧區の有權者だけの「民意」によつて、すべて疑惑が洗い流されるものだらうか。民 主主義政治を健全に發展させてゆくために必要なのは、まず個々の政治家のモラルであ ることを知らねばならない。    讀者はこの朝日の文章をどう思ふか。私にはこれは愚論としか思えない。そういう愚論が堂々と活字になるとは、正しく天下の奇觀としか評し樣が無い。公金を使い込んだ奴が同情の對象となり、病院で手厚い看護を受けるエレホン國におけると同樣の、これは不条理極まる言論である。そうではないか、朝日はいつから議會制民主主義を否定したがる「保守反動」に變身したのか。松野氏に「審判」を下すのは、飽くまでも「地縁、血縁、利害關係で結びついた一選擧區の有權者だけ」である。假に私が松野氏に一票を投じたいと思つても、或いは逆に松野氏を落したいと思つても、東京七區の選擧民である以上はどうする事もできはせぬ。私も朝日新聞の論説委員も、熊本一區の有權者の「審判」については、いかに不承不承であろうと、これを尊重せざるをえない。それこそ「民主主義政治を健全に發展させてゆくために必要な」事ではないか。  それに何より、有權者の「民意」は、いついかなる場合にも、政治家に對する「疑惑」を「洗い流」すものではない。多數の意見が正しいという保證なんぞどこにも無いからである。百人中の九十九人が松野氏の潔白を信じたとしても、それはそのまま松野氏が潔白である事を意味しない。ただ、百人中の五十一人が松野氏を支持する場合、四十九人は不承不承、それを認めざるをえないというだけの事である。そういう中學生にも理解できる筈の單純な理窟も解らずに、よくも大新聞の論説委員が勤まるものだと思ふ。民意と眞實とは全く無關係である。松野氏が潔白かどうかは松野氏自身と神樣にしか解りはしない。朝日の論説委員はプラトンの『ソクラテスの辯明』を讀んだ事が無いのだらうが、高給を食んで駄文を草する暇があつたら、月に一冊の文庫ぐらいは讀むように心掛けたらよい。そして、ソクラテスの死刑を多數決で決めたアテナイの法廷は正しかつたと、自 信を持つて言い切れるものかどうか、その事を一度とくと考へてみたらよい。そうすれば、「民主主義政治を健全に發展させてゆくために必要なのは、まず個々の政治家のモラルである」などという馬鹿げた事を、ぬけぬけと言い放つたおのれの馬鹿さ加減に愛想が尽き、本氣で筆を捨てる氣になる筈である。馬鹿げた事をぬけぬけと言う、それは畢竟頭が惡いからである。「愚鈍以外に罪惡は無い」とオスカー・ワイルドは言つた。その通りだとさえ言いたい。 <「本當に怒ろう」とは何事か・・・・・・>  だが、グラマン騒動に浮かれたのは朝日だけではない。サンケイもまたそうである。目下サンケイのコラムに執筆中の私が、かういふ事を書けば、讀者はそれをサンケイに媚びる私の保身の術と受取るかも知れないが、私がサンケイを叩くのは、叩いてもなおサンケイにしか期待できぬと考へてゐるからである。一夜枕を交しただけの女郎の變節なら、無念殘念に思ひはしない。が、サンケイは私にとつて徒し情けの一夜妻ではない。かつてサンケイは自民黨の意見廣告掲載問題をめぐつて日共と對決し、損を覺悟の孤獨な戰いを敢えてしたではないか、あの勇氣と矜持はどこへ行つたのかと、私はそれを無念殘念に思ふのである。  とまれ、朝日を叩いた以上サンケイも叩かねばならぬ。五十四年五月二十五日付のサンケイの「主張」は、次のように書いたのである。   「政治倫理の確立」という点にも、(國會が)《本氣》で取り組むつもりかどうか疑 わしい。倫理とはいうまでもなく善惡の意識である。起こつた事實を惡と認め、《たと え政權が倒れるようなことがあつても、》黨が大きな打撃をこうむるようなことがあつ ても不正をただそうとする正義の感覺である。                   (傍点《》松原)  「人間は最も隱してしかるべきものをさらけ出して歩いてゐる、それは顔だ」と言つたのは、確かポール・ヴァレリーだつたと思ふ。これはつまり、人品骨柄はそのまま人相に顕われてゐるという意味である。「文は人なり」という。文章もまた書き手のすべてを裏切り示す。どんなに美しい言葉を並べ立てても、書き手が本氣かどうかは、文章の姿が寸分の狂いも無しに明かすのである。右に引いたサンケイの文章もそうである。筆者は國會が本氣かどうかを疑つてゐるが、その疑い自體が決して本氣ではない。同樣に「たとえ政權が倒れるようなことがあつても」のくだりも、自民黨政權が倒れるような事態にはなる筈が無いと高を括つてゐる人間の書いた文章なのである。それは丁度、髪結いの亭主が女房に捨てられる事はよもやあるまいと安心して、「たとえ女房が家出するようなことがあつても」と胸を張つてみせるようなものである。  それゆえ、右の「主張」を書いたサンケイの論説委員に私は尋ねたい。既往は知らず、將來サンケイ新聞社が何らかの不祥事をしでかし、世間の非難を一身に浴びる事になつたとして、その場合サンケイの社員たるあなたは、「たとえサンケイが潰れるようなことがあつても、病巣を徹底的に究明して、それを根治するという不退轉の決意を固める」か。もしこの私の問いにあなたが「イエス」と答えるなら、私はあなたの愛社心を疑う。自社の病巣の剔抉など、職場を愛する人間にやれる筈が無いし、また輕々にやるべきではない。少なくとも私はサンケイを潰したくはない。それゆえ、臭い物に極力蓋をすべく、應分の協力を惜しまぬであろう。  サンケイの社説はまことに美しい事を言つてゐる。いかなる犠牲を拂つても不正を糺すとは、目映いばかりに美しい言い種である。が、餘りにも美しいから、それは眞つ赤な嘘なのである。右に批判した通り、筆者は決して本氣でない。そして、本氣で口にしない言葉が人の胸を打つ譯が無い。けれども、この東洋のエレホン國では新聞も物書きも決して本氣にならず、また本氣で口にしない言葉のほうが持て榮やされる。今は「愚鈍の時代」なのである。愚鈍が咎められないから、愚鈍はしたり顔でのさばり、人々は決して本氣で物を考へようとしない。  もとより、よろずの事に本氣になるのは大馬鹿である。だが、不正義に怒る時さえ本氣でないという事だけは許せない。『中央公論』五十四年四月號に田原總一朗氏が書いてゐた事だが、「連日、健筆をふるつてゐる」田原氏の「友人の社會部記者」は、「他紙に抜かれると困るので走りまわつてはゐるけれど、正直いつて熱が入らないな」と言つたという。許し難い輕佻浮薄である。そして、そういう輕佻浮薄は、次に引く五十四年五月二十五日付の、「怒りと空しさの松野氏喚問」と題する朝日の社説にも實に鮮明に表現されてゐる。   それにしても、いまわれわれの政治が抱えた最大の危機は、これだけ世論の批判を浴 びながら、なおも温存され續けようとしてゐる汚れた政治構造の全容を、捜査も、國會 も、十分に明らかにできないことである。《そのもどかしさ、空しさをどうしたらよい のか。》だが、《あきらめるのはよそう。》空しさを吹つ切つて、《本氣に怒ろう。怒 りをねばり 強く持ち續けよう。》  (傍点《》松原)  讀者の理解を助けるため私は先に田原氏の證言を引いたのだが、實を言へばその必要は無かつたかも知れぬ。傍点を付した部分で、讀者は吹き出したに相違無い。  それゆえ、「本當に怒ろう」と書いてゐる當人が本當に怒つていない、その異常心理についてくだくだしく分析する必要は無い。が、これだけの事は言つておこう。朝日は「本當に怒ろう。怒りをねばり強く持ち續けよう」と書いてゐる。つまり朝日は徒黨を組んで怒ろうとしてゐる。それこそ朝日が本氣で怒つていない何よりの證拠である。本物の怒りなら、他人の同調を當てにする筈がない。 <本氣でないから新聞を許せない>  次に引用するのは五十四年五月八日付のサンケイ及び五月二十九日朝日夕刊の「素粒子」の文章だが、いずれも他人を當てにして怒ろうとしてゐるぐうたらな筆者の面構えを彷佛とさせるような文章である。   近年、自民黨と汚職は“サシミとワサビ”のような不離不即の關係にあるとの“諦觀 ”が國民の間に定着してゐるからよけい盛り上がりに欠ける。しかし、である。《われ われはやはり怒るべきである。》それもカッという怒りでなく、長持ちするじつくりし た怒りを汚職裝置を内包したこの天下黨にぶつけ、自淨を迫るべきである。        (サンケイ)   いかにして《結集》せん、《われら市民》のゴマメの齒ぎしり。怪魚ライゾー、ゆう ゆうのとん走。  (朝日 いずれも傍点《》松原)  新聞の怒りは決して本氣ではない。女郎の千枚起請も同然の嘘八百である。では、新聞はどういう時に本氣で怒るのか。この問いに答える事は難しい。アリストテレスは「當然怒つてしかるべき時に怒らないのは痴呆だ」と言つてゐるが、怒つてしかるべき時に新聞が怒らなかつた例なら、私はいくらでも擧げる事ができる。例えば、昭和四十七年八月二十日、田中角榮首相は、輕井澤の料亭「ゆうぎり」において、九人の田中番記者に對し、「ハコ(政界エピソード)を書くときはひねつたり、おちゃらかしはいかん。つまらんことはやめろよ、わかつたな」と言い、かつて自分が郵政大臣及び大藏大臣として、放送免許や國有地拂下げに關して各社の面倒をみた事實を強調、「オレは各社ぜんぶの内容を知つてゐる。その氣になればこれ(クビをはねる手つき)だつてできるし、彈壓だつてできる。(中略)オレがこわいのは角番のキミたちだ。社長も部長もどうにでもなる」と放言した(『文藝春秋』昭和四十七年十一月號)。新聞はけれども怒らなかつた。そういう事實があつた事さえ報じなかつた。では、當然怒つてしかるべき時に怒らなかつた新聞は「痴呆」なのか。とんでもない。痴呆なら快く許せるが、新聞は小惡黨なのである。『文藝春秋』がすつぱ抜くまで新聞が沈默を守つたのは、田中發言が事實だつたからに他ならない。それを報道しない疚しさを日中友好ムードを盛り上げるためとの大義名分の蔭に隱し、周知の如く新聞は田中角榮氏を「今太閤」だの「庶民宰相」だのと持ち上げたが、やがて田中氏が落ち目になると、新聞は手の裏を返すように田中氏の非を打ち、憤つてみせたのであり、いずれの場合も新聞は決して本氣ではなかつたのである。  『現代』五十四年十月號は「我慢できない、新聞記者の驕り、非常識、ゆ着」と題する痛烈な新聞批判の文章を載せてゐる。辻村明氏に教へられて私はそれを讀み、新聞の愚鈍と傲慢と無節操を再確認する事ができた。辻村氏の場合と同樣、私の新聞批判も「記事内容の論理的矛盾とか、論理的不徹底を衝くものであつて、新聞社の裏面を暴露する」といつた類のものではない。けれども、『Voice』五十四年十一月號で縷々説いた通り、「論理的不徹底」とは思考の不徹底、すなわち知的怠惰という事であり、知的に怠惰で愚鈍な新聞は道義的にも怠惰なのである。『現代』の新聞批判は私の主張の正しさを證明してゐる。それゆえ「自民黨の次期總理を狙うA派の派閥記者には、ことしのお中元には五萬圓から十萬圓相當の商品券が送られた」とか、「田中六助官房長官の公邸では(中略)寿司も酒類も、官房長官事務費という名目の税金から出てゐる」とか、「自民黨の政經文化パーティが熊本で開かれたとき、お土産は肥後ずいきだつた」が、「同行の各記者連中は、ニヤリと笑つてポケットに入れてゐた」とかいう『現代』の記事のすべてを私は信ずる。『現代』は實名を擧げ新聞記者のでたらめを批判してゐるが、この眞劍勝負を物書きもジャーナリストも見習うべきだと思ふ。 <知的怠惰ゆえの痴れ言>  とまれ、辻村氏も言つてゐるように、吾々大學教授は新聞社の内情には暗いのだが、實を言へば内幕を知るまでもなく、新聞の道義的頽廢は新聞の文章が掌を指すごとく明白に示してゐるのであつて、それはすでに分析してみせた通りである。  それゆえ、その一等資料とも言うべき新聞の文章を扱き下ろし、新聞の法及び道徳に關する恐るべき無知を發くとしよう。周知の如く、「時効と職務權限の壁」に阻まれて、檢察庁は松野氏の刑事訴追を斷念した。それはつまり、松野氏の刑事責任は追及できなかつたという事である。そこで新聞は松野氏の道義的責任を激しく執勘に追及した譯だが、刑事責任を追及できぬ者の道義的責任を追及するとは、斷じて許せぬ暴擧である。しかるに、サンケイから朝日までのすべての新聞が、松野氏の政治的、道義的責任を追及すべしと連日ヒステリックに喚き立てた時、大方の識者はその途方も無い無知と理不尽を咎めようとはしなかつた。それは正に天下の奇觀で、日本國はエレホン國だと私は今更のように納得したのであつた。例えば、五十四年五月二十五日付の朝日は次のように書いたのである。   ロッキード事件に續いて發覺したこんどの航空機輸入をめぐる疑惑は,自衞隊機購入 にからむ商社と政府高官の金錢の授受であり、國民の税金をめぐる不正であつた。刑事 訴追は時効などでまぬかれたとはいえ、政治家の政治的道義的責任の追及や、構造汚職 の解明は、民主主義や國會を守るために与野黨一致で最大限の努力を拂うべき問題であ つた。  また、同五月八日付の讀賣の社説もこう書いてゐる。   裁判で刑事責任を裁かれる被告は、刑でそれなりに罪のつぐないをする。しかし、容 疑が時効にかかつた人物は、罪のとがをなんら受けることがない。どくに政治家が、そ れで濟まされてよいのだらうか。刑事責任を解かれた分を含めて、むしろ、一層重い政 治的、道義的責任をとるべきはずだ。  もう一つ、五月十九日付のサンケイはこう書いた。   しかしいま問題にされねばならないのは、そのような刑事責任の有無による責任追及 ではない。古井法相もいうように、この構造汚職にかかわつた政治家の政治的、道義的 責任の追及なのである。國民の立場からいえば法律だ、時効だなんていうのは關係がな い。ただ一点、航空機賣り込みをめぐつて惡い金が動いたのではないかという点に關心 がある。  かういふ調子で各紙は、松野頼三民や岸信介氏の「政治的、道義的責任」を追及した。そして、私の知る限り、佐橋滋氏(五月十日「正論」)及び竹内靖雄氏(六月十四日「直言」)が、いずれもサンケイ新聞紙上で窘めただけで、保守と革新の別無く識者は新聞の愚鈍とでたらめを批判しなかつた。やはり日本國はエレホン國なのである。  そうではないか。「國民の立場からいえば、法律だ、時効だなんていうのは關係がない」とサンケイは言うが、これはまた何たる暴論か。これほどの暴論を吐く大手町のサンケイ新聞社を爆破すべし、と私がもしも本氣で主張したならば、私は世論の袋叩きに遇うであろう。いや、それどころか私の手は確實に後ろにまわるであろう。が、「サンケイ新聞社を爆破すべし」と「法律だ、時効だなんていうのは關係がない」との間に、一體どれほどの懸隔があるか。「法律だ、時効だなんていうのは關係がない」のなら、サンケイ新聞に對する一切のテロ行爲をサンケイ新聞は甘受せねばならなくなる。それだけの覺悟あつてサンケイの論説委員は書いてゐるのか。勿論、そうではない。法と道徳について「深考」を欠くがゆゑに、すなわち知的怠惰ゆゑに、我にもあらず痴れ言を口走つたまでの事である。  朝日と讀賣にしてもそうである。サンケイと同樣、兩紙は松野氏の刑事責任を問えぬ以上、その政治的、道義的責任を追及すべきだと主張してゐる。これまた、「サンケイ新聞社を爆破せよ」と同樣の暴論である。或いは、ロンドン大學の森嶋教授の「軍備計畫論」と同樣の愚論である。森嶋氏及び森嶋氏を支持する人々には、淺薄な事を言いたいだけ言わせておき、いずれ私は愚かなる國防論議の「道義的責任」を徹底的に追及しようと思つてゐるが、森嶋氏の愚論も、「灰色高官」の道義的責任を追及する新聞の暴論も、とどのつまり思考の不徹底に起因する道義的頽廢を物語る一等資料に他ならない。やはり「愚鈍以外に罪惡は無い」のであり、今は「愚鈍の時代」なのである。 <輕蔑と人權擁護は兩立する>  ところで、その、新聞の愚鈍についてだが、例えば讀者はかういふ事を考へてみるがよい。甲が今、友人乙を殺したとする。そしてそれを丙が目撃したとする。言うまでもなく、丙にとつては乙殺しの犯人が甲である事は確實である。だが、丙が「犯人は甲だ」と主張した時、丙以外の人間は、その主張の正しさを確かめる事ができない。丙が本當の事を言つてゐるかどうかは、神樣と丙自身にしか解らないからである。證拠が物を言うではないかと反間する向きもあろう。が、指紋だのルミノール反應だのが殘らぬ場合もある。その他確實と思はれる證拠を蒐集して甲を起訴しても、最終審で甲が無罪になる可能性はある。いや、先般の財田川事件の場合のように、甲の死刑が決定して後に、最高裁が審理のやり直しを命ずる事さえある。  以上の事を否定する讀者は一人もいないと思ふ。これを要するに、甲が殺人犯かどうかは、究極のところ、甲自身及び目撃者丙以外誰にも解らぬという事である。大昔は、探湯という方法によつて事の正邪を判斷した。熱湯に手を突込ませ、爛れぬ者を正、爛れる者を邪としたのだが、嘘發見機などの近代的裝備を誇る現代の警察も、探湯の原始性を嗤う譯にはゆかないのである。たとえ、甲が一審で有罪、二審でも有罪となつたとしても、甲が最高裁に上告すれば、この段階でも世人は甲を罪人扱いする事ができない。やがて最高裁が上告棄却の決定を下す。さて、そうなつて初めて世人は甲の有罪を信じてよい。新聞もまた甲を呼捨てにして、その「道義的責任」を追及し、勤先に辭表を出せと居丈だかに要求するもよい。財田川事件の如く、三審制という慎重な手續を經ても、人間の判斷に誤謬は付き物だから、なお誤判の可能性はありうるが、それは止むをえない。最終審の決定があれば、吾々は被告の有罪を信じるしかないのである。ケルゼンも言つてゐるように「盗んだ者、殺した者は處罰される」というのは正確ではない、「その者がその行爲をしたことの絶對的眞理性はいかにしても認定」できず、從つて「ある者が盗んだこと、殺したことを特定の人間が特定の手續で確定した場合その者は處罰されるべきである」と言わねばならぬ。 (『神と國家』長尾龍一譯)  再び、以上の事を否定する讀者は一人もいないと思ふ。では、私は讀者に尋ねたい。檢察は松野頼三氏の刑事訴追に踏み切らなかつたのである。松野氏が國會で何を喋ろうと、それはこの際問題ではない。松野氏は起訴されなかつたのである。起訴されない以上、裁判所の判定は下されようが無い。つまり、松野氏が有罪か無罪かは新聞にも吾々にも決して解らぬ事なのである。  それなら、有罪か無罪か解らぬ人間をどうして新聞は道義的に非難できたのか。  ここで讀者は、先に引用した朝日、讀賣、及びサンケイの文章を讀み返して貰いたい。三紙とも松野氏の道義的責任を追及する事の不条理に全然氣づいていない。エレホン國では七十歳以前に不健康になると、陪審員の前で裁判を受け、有罪と決まると、その症状に應じて、公衆の輕蔑を受け刑罰を執行されるのである。が、日本國とエレホン國とその不条理に甲乙は無い。日本は東洋のエレホン國だという私の言い分ももつともだと、そろそろ讀者は思ひ始めたのではないか。  松野氏に限らない、田中角榮氏の場合も海部八郎氏の場合も、まだ一審の判決さえ下つていないのである。にも拘らず、新聞は兩氏を呼捨てにして憚らない。例えば五十四年五月十日の朝日は「田中に痛撃、大久保淡々と“首相の犯罪史”檢察側の筋書きぴたり」などと、田中氏の有罪が確定したかのような事を書いた。そういう事が許されていて、日本は果して法治國なのか。  ここで無用の誤解を避けるために斷つておくが、私は松野、田中兩氏とは面識が無い。從つて兩氏には何の恩義も無い。田中氏の政策を私は肯定しないし、松野氏に對しては反感さえ抱いてゐる。ロッキード騒動の折、松野氏は政界淨化を叫んではしゃぎ廻り、「いまこそ自民黨から金權體質を除去しなければならない。それには政治家の良心が問われてゐる」などと、心にも無い綺麗事を言い、福田派をとび出して三木派に媚びたのであつて、以來私は松野氏を政治家として輕蔑するようになつた。だが、松野氏への輕蔑と松野氏の人權擁護とは兩立しうるし、また兩立させなければならない。田中氏も松野氏も新聞による「魔女狩り」の犠牲者である事は確實だからである。                                    <知的怠惰は道義的怠惰>  十七世紀末、ヨーロッパ及びアメリカでは、多數の魔女が處刑されてゐるが、魔女なりや否やを見分ける當時の識別法は今日の吾々にとつて頗るつきの理不尽としか思えない。けれども、この東洋のエレホン國における「魔女狩り」のほうが、私は遙かに惡質だと思ふ。なぜなら、すでに述べたように、安手の道義論をぶち、道學者づらをする新聞は少しも本氣でないからである。  とまれ、新聞は數カ月間「魔女狩り」に熱中し、政治家も學者も世人もそれを本氣で咎めようとはしなかつた。いや、檢事さえも新聞と「世論」に怯え、あられもない事を口走つたのであつて、布施元檢事總長、伊藤榮樹元法務省刑事局長、及び東京地檢特捜部檢事の聞き捨てならぬ暴論についてここで論ずる紙數が無いのは殘念だが、新聞や學者のみならず、檢事さえも法と道徳に關する「深考」を欠き、途方も無い愚論暴論を吐き、無理が通つて道理が引込み、一犬虚に吠え萬犬實を傳えるこのエレホン國の無茶苦茶と愚鈍を眺めてゐると、私は鳥肌の立つ思ひがする。ニューヨークはセントラル・パークの北側、無法地帯といわれる所謂ハーレムを夜中に一人で歩いてゐるような氣がする。  言うまでもない事だが、法律は人間が拵えるものである。そしてもとより人間は完全でない。それゆえ、不完全な人間が拵える物は、法に限らずすべて不完全である。法に盲点ないし不備があるのは、してみれば至極當然の事で、法の抜け穴を利用して、巧妙に或いは狡獪に振舞い大儲けをする者があつても、或いは時効が成立して法の裁きを免れる者があつても、法治國家の國民である以上、吾々は斷じてそれを咎めてはならぬのである。そういう事を理解できぬ愚鈍な新聞が、道學者を氣取り大衆を煽動しようと企んだのが、例の「江川騒動」であつた。野球協約によれば、江川投手に對する西武球團の交渉權は十一月二十一日でその効力を失い、次のドラフト會議が開かれるのは二十三日であつた。つまり、そこに一日だけ江川が野球協約に拘束されない空白が生じたのであり、その空白の二十二日に江川が巨人軍と契約したのは完全に合法的な行爲だつたのである。けれども、法と道徳について「深考」を欠く愚鈍な手合ばかりがのさばるこのエレホン國では、合法的という事と道義的という事との峻別がなされず、新聞はもとより久野収氏の如き愚鈍な「哲學者」も、合法的な巨人軍や江川の行爲を道義的に非難して浮かれ騒ぎ、それにもそろそろ倦きて來た時分、時効と職務權限条項により合法的に刑事訴追を免れた松野頼三氏を、「法が裁けぬのなら道義で裁け」と、これまた數ヵ月に亙つて指彈して樂しんだ譯である。  けれども、合法的な行爲を道義的に批判するのは、法と道徳の双方を否定する事であり、法と道徳とを峻別できない頭腦の弱さ、すなわち知的怠惰は道義的怠惰であつて、それは法のみならず道義を輕視する風潮に拍車をかける事になる。その事を少々具體的に説明するとしよう。まるで小學生に教へてゐるような氣がして少々情け無いが、ここはエレホン國ゆえやむをえない。  誰でも知つてゐるように、前方の信號が青であれば、直進する車はそのまま進行してよい。が、左折しようとする車は、歩行者が横斷歩道を渡り終るまで待つていなければならない。それは左折車の「義務」である。そして信號が青である限り、歩行者には横斷歩道を悠然と渡る權利がある。權利がある以上、悠々と渡るのは合法的な行爲である。では、その悠々振りに業を煮やした左折車の運轉者が、歩行者を道義的に非難したら一體どういう事になるか。勿論、歩行者は、聖人君子ならばともかく、おのれの行爲の合法性を楯に取り、運轉者に楯突くであろう。そして、そういう事が度重なれば、やがて歩行者は「合法的でありさえずればよい」と考へるようになり、わざと悠々と渡つて嫌がらせをするようになるに違い無い。  勿論、「合法的でありさえすればよい」という開き直りは決して褒められた態度ではない。そして、合法的ではあつても道徳的でない人間は、いずれは法を輕視するようになる。が、その行爲が合法的である限り、吾々は彼を咎めてはならない。やがて彼が圖に乘つて、法の盲点に附け入るのみならず、法を無視して亂暴な振舞に及んだ時、例えば立場が變つて運轉者となつた彼が、クラクションを鳴らして歩行者を威嚇し、強引に左折しようとしたならば、その時初めて吾々はその無法を咎めてよいのである。  すでに明らかであろうが、法と道徳の間には微妙な關連があり、それゆゑに兩者は混同されやすいのだが、兩者の微妙な關連を考へる前に、吾々はまず兩者を峻別しなければならない。周知のごとく、現行の道路交通法は歩行者優先であつて、左折車が待つてゐるからとて、歩行者が足早に横斷せねばならぬ義務は無い。けれども、義務は無いが足早に渡つてやろうとする思ひ遣りは法とは無關係であつて、それは飽くまでも歩行者の道義心の問題なのである。そして法は、信號無視の運轉者を罰する事はできるが、これ見よがしに悠々と渡つたからとて、その歩行者を罰する譯にはゆかないのである。 <法と道徳とを峻別せよ>  頗る卑近な例を擧げたから、以上の事を否定する讀者は一人もいないであろう。だが、新聞が數カ月間、「巨惡をとり逃がしてはいけない」と喚きつつ大騒ぎをやらかしたのは、悠々と渡る歩行者を道義的に非難する事と、本質的には少しも變らない。左折車を待たせつつわざと悠々と渡る歩行者を罰せられないのが法である。起訴されなかつた政治家を罰せられないのが法である。それが法の限界なのであつて、「法的義務の履行に關しては外的強制が可能だが、道徳的義務に關してはその履行を外的に強制できない」。カントは『道徳形而上學』において法と道徳の差異と關連を眞摯に考へたが、この東洋のエレホン國では、法と道徳のすさまじい混淆が行われており、カントなんぞは豚にとつての眞珠に他ならず、『道徳形而上學』の飜譯も出版されてはゐるものの、宝の持腐れに他ならない。  それゆえ、吾々エレホン國の住人は、まず法と道徳とを峻別しなければならぬ。「起訴されなかつた政治家を道義的に追及できないとしたら、惡い奴ほどよく眠り、世の中は暗闇で、正直者の庶民が馬鹿をみるではないか」などと、當分の間決して言つてはならない。氣安くそういう事を言う者は、すべて法と道徳について「深考」を欠く愚者である。日本人は、今後しばらく、倫理だの道義だの道徳だのという言葉を口にすべきではない。法と道徳を切り離し、法とは何かについて眞劍に考へ、少しく頭腦の鍛練をやるに如くはない。「解る」とは「分る」とも書く。他動詞ならば「分つ」もしくは「別つ」となる。法と道徳の差異を考へるために、吾々はまず兩者を分たねばならないのである。  そういう事ができて初めて、すなわち法の限界を知つて初めて、道徳について考へる事が許される。だが、それは頗るつきの難事である。なぜなら、法と道徳を分つには政治と道徳をも切り離さなければならないが、このエレホン國の新聞も住民も、政治と道徳の混同を頗る好むからである。その證拠に、私がもし「盗聽や汚職や暗殺も時によき政治にとつて必要である」と本氣で主張すれば、エレホン國の國民の殆ど全部が私の暴論を激しく非難し、『諸君!』の讀者さえ總毛立つであろう。だが、政治と道徳を分つには、その種の暴論に眞劍に立ち向かわなければならないのである。  とまれ、數カ月に亙る「グラマン騒動」は、政治と道徳及び法と道徳を分つ事のできぬ、この愚鈍な國の愚鈍な新聞が演じた何とも空しい茶番狂言であつた。愚鈍な新聞に道義を論う資格などありはせぬ。新聞に限らない、愚鈍な手合は、今後他人を道義的に非難してはならない。他人の惡行を難ぜずして專らおのれを省み、默々として仕事に精を出せばよい。差し詰めそれが、愚者にとつての唯一の道義的な生き方かも知れぬ。「愚鈍以外に罪惡は無い」からである。  そして、愚鈍な手合を斬るのに正宗の名刀は必要としない。牛刀をもつて鶏を割くには及ばない。愚鈍な手合を批判するに際して、道義論などを持ち出す必要は無い。專らその知的怠惰を衝けば足りる。              例えば、五十四年十月九日の讀賣新聞夕刊に、寿岳文章氏は「反骨の系譜」と題して次のように書いてゐる。   最近、元號問題は政治化さえしかねまじい樣相を呈してきてゐるが、東西文化の交流 に多少の寄与をしてきたと信じてゐる私にとつて、自分の墓石に西暦を採用することに 、何のためらいもなかつた。西暦は、言わば世界の共通語であり、人類の歴史が殘るか ぎり、この共通語は、どこの國のどんな人にもたやすく讀みとつてもらえるだらう。( 中略)生歿の月日を捨てて四季の表記だけにとどめたのは、やがていつかは苔むし、朽 ちはて、訪う人もなくなるに違いない墓石の半座をわかつ主人公である私には(中略) どんな季節に生まれ死んだかをしるしてさえおけば事足りるので、それ以上の望みは全 く無いからである。  寿岳氏は羞恥心を欠いていて、それを徹底的に批判する事はもとより可能である。が、愚者を道義的に難ずる必要は無い。寿岳氏は恥知らずであるばかりか愚鈍であり、愚鈍な物書きの文章なら當然矛盾があつて、それを衝くだけでよい。寿岳氏は自分の墓は「やがていつかは苔むし、朽ちはて、訪う人もなくなる」と言う。つまり、寿岳文章という英文學者をやがて世間は忘れるだらうという譯である。その癖、自分が「墓石に西暦を採用」したのは「人類の歴史が殘るかぎり」自分の生年と歿年を「たやすく讀みとつて」貰うためだと、寿岳氏は言つてゐる。何とも滑稽な矛盾である。それを私にこうして指摘されて、恐らく寿岳氏は反論できないであろう。 <愚鈍の効用>  愚者を相手に道義を論うと、とかく水掛け論になりがちだが、論理の破綻を指摘してやれば、よほどの愚者でもない限り、勝敗を決める事ができる。その證拠に、都留重人氏や關嘉彦氏を相手にして存分に戰えた森嶋通夫も、福田恆存氏の一撃に敢え無い最期を遂げたではないか。福田氏は森嶋氏を「葱まで背負つて來てくれた鴨」と呼んでゐる。森嶋氏にせよ寿岳氏にせよ、愚鈍な物書きは默々と仕事に精を出し、「葱を背負つた鴨」の役割を果せばよいのかも知れぬ。嘲弄されるために存在し、飜弄されるために書けばよいのかも知れぬ。それが、愚鈍な手合にも言論の自由を認めてゐるこのエレホン國における、愚鈍の唯一の効用であろうか。  ところで、五十四年度の衆議院總選擧に際しても、新聞はその愚鈍を大いに發揮した。新聞は例えばこう書いたのである。   有權者ひとりひとりが一票にこめた願いはさまざまだらう。しかし、その總意は、大 平首相と自民黨に對して、政治姿勢と政策方針の反省をきびしく促すものであつた。  (朝日、十月九日)   國民が鼻をつまみながら、自民黨に背を見せたことは十分に考へられるだらう。  (讀賣、十月九日)   敗因がどうのこうのいう前に、大平政權は國民に熱いオキュウをすえられたことを思 い知るべきである。  (サンケイ、十月十日)   「手法が惡かつた」と首相は反省してゐるが、技術の問題では決してない。(中略) 腐敗した官庁ではなく國民のほうを向いた政治をというのが、投票に示された民意なの だから。  (毎日、十月十日)  新聞だけではない、新聞の寄稿家もまた、保守革新の別無く、愚鈍ゆえの安つぽい道義論を振りまわし、何とも粗雜な議論を上下したのであり、世人もまたそれを一向に怪しまなかつた。朝日は「有權者の總意」が自民黨に「反省をきびしく促」したと言い、サンケイは「大平政權は國民に熱いオキュウをすえられた」と言い、讀賣は「國民が鼻をつまみながら、自民黨に背を見せた」と言う。どうしてこれほど馬鹿な事を新聞や學者が口を揃えて合唱するのか。五十一年に四一・八パーセントだつた自民黨の得票率は、今囘は四四・六パーセントに増加してゐるのである。それはむしろ、増税だのグラマンだの鐵建公團だの臺風だのと、自民黨に「不利な状況」があつたにも拘らず、自民黨を支持する國民が増加したという事であり、自民黨の「敗北」は專ら「選擧技術の問題」に過ぎぬという事ではないか。もとより政治家は結果に對してのみ責任を負うのだから、私は大平首相の技術的な失敗を辯護する譯ではないが、自民黨支持率が上昇したにも拘らず、新聞や政治學者が「自民黨のおごりに對する國民のきびしい審判」を云々するのは、そしてそれを國民の大多數が一向に怪しまないのは、これまたエレホン國ならではの天下の奇觀としか言い樣が無い。  そうではないか。そういう幼稚極まる事實認識の誤りは高校生にも指摘できよう。しかるに、よい年をして、新聞や學者がそれに氣付かないとは奇怪千萬である。考へてもみるがよい、國民一般だの「國民の總意」だのが審判を下すのではない。選擧に際しては、國民の一人一人が投票する。それだけの事である。その結果、自民黨を支持する者が増えたとしても、自民黨の「選擧技術」が拙劣ならば、得票率の上昇はそのまま議席の増加に繋がらない。早い話が、得票率が驚異的に伸びたとしても、自民黨が假に二倍の候補を立てれば議席數は激減する。その場合、「國民が自民黨の驕りを裁いた」などと、どうしてそのような事が言へようか。  そういう事を新聞は知つていながら、自民黨の「おごり」に「一撃を与えた國民の總意」(朝日、十月九日)だの、「國民はおごれる自民黨にはつきりと拒否反應を示した」(讀賣、十月九日)だのと書いたのであろうか。つまり、新聞は知能犯なのであろうか。そうではない。新聞は愚鈍なのである。ひたすら愚鈍なのである。愚鈍な國の愚鈍な新聞に、愚鈍な大學教授が馬鹿げた事を書き、愚鈍な國民もそれを怪しまない。やはり日本國はエレホン國で、今はまさしく「愚鈍の時代」なのである。  けれども、「いや、いや、待てよ・・・・・・」と私は密かに考へる時がある。こうして新聞と學者の愚鈍を嗤つて、おのれは利口だと思ひ込んでゐる、この私こそ途方も無い大馬鹿者なのではないか。これまで私が、他人の愚鈍を嗤つて一度も反論された事が無いのは、いずくんぞ知らん、他ならぬこの私が反論する甲斐も無い程の大たわけだからなのかも知れぬ。そういうふうに時々私は考へてみる。愚者はおのれを愚者とは思つていないという。私はそういう度し難い愚者なのか。「まさか、そんな筈は無い。桑原、桑原・・・・・・」と、けれどもやつぱり私は呟くのである。おのが愚鈍を承認したら、とても生きてはゆけないからである。そしてそれは私に限つた事ではない。   第三章 「親韓派」知識人に問う <日本を愛する日本人として>  「勿論、日本が將來、韓國を侵略しないとは斷言しませんよ。國家は戰爭をするものなのです、戰爭がやれないと人間は駄目になる」、私は韓國で『東亞日報』論説主幹の金聲翰氏にそう言つた事がある。金氏がその時何と答えたか、それは大方の讀者の想像を絶すると思ふ。につこり笑つて、彼はこう答えたのである、「そうですとも、仰有るとおりです。但し、日本が侵略するより先に韓國が日本を叩くかも知れませんがね」。  私は感動すると同時に慄然とした。日本では殆ど通じない話が韓國で通じる事を知つて感動し、一方、日韓戰爭が勃發したら、精鋭揃いの韓國軍に專守防衞が建前のわが自衞隊は齒が立つまいと、それを思つて慄然としたのである。  國家は戰爭をするものなのであり、日韓戰爭さえ起りうるのである。五十五年一月四日付『サンケイ新聞』の「正論」欄に猪木正道氏は、「八○年代には第三次世界大戰が破裂する公算はほとんど」無く、米ソの指導者が發狂でもせぬ限り熱核戰爭は囘避できるだらうと書いてゐたが、私は猪木氏の樂天的な占いを信じる氣には到底なれない。猪木氏は前年八月一日、同じ「正論」欄に、ソ連はアメリカとパリティ(均等性)を望んでゐると書き、それに對してアメリカ戰略國際研究センターのデニス・D・ドーリン氏が、「ソ連はパリティなど望んだ事は一度も無い。ソ連は優越性を求めてゐるのだ」と反論したが、私はドーリン氏を支持する。ソ連の指導者に限らず、人間はいつ何時「發狂」するか知れたものではないのだし、個人の他者に對すると同樣、國家もまた他國を凌ごうとして鎬を削るものだからである。日本は西歐先進國に追い付こうとしたのではない、追い付き追い越そうとしたのである。  ジョージ・オーウェルが言つてゐるように、ナショナリズムはなるほど強烈な感情だが、それがいかに壓倒的かを知り尽してゐる者だけが、それを理性的に制御しうるのであつて、それは丁度、おのがエゴイズムに手を燒く者が、時に激しく愛他的でありたいと願うのと一般である。そういう事が理解できぬナショナリストもインター・ナショナリストも、ともに私は信用する氣になれない。が、これは猪木氏の事ではないが、「親中派」にせよ「親ソ派」にせよ、「親米派」にせよ、「親韓派」にせよ、とかくわが國の知識人は、西義之氏の言葉を借りれば、おのれが親しみを感じてゐる他國の「欠陥を指摘されると、わがことを誹謗されたごとくに激昂し、一方、自國はこれ以上なく惡しざまに語る」のである。そういう手合は、間違い無く人間の姿をしていながら、人間というものが解つていない。そうではないか、他人の欠陥を指摘されてわが事のように激昂し、自分の事は惡しざまに言う、そこまで卑屈になれる人間がこの世に存在する譯が無いのである。それゆえ、金聲翰氏に對しても、私は日本を愛する日本人として振舞つた。が、金氏はそれを少しも不快に思はず、却つて胸襟を開いてくれたのであり、もとより「日韓、戰わば・・・・・・」などという物騷な話ばかりした譯ではないから、まことに樂しく有益な午後の一時を私は過したのであつた。  身近な友人を大切にしない者が遠い他人を愛せぬ如く、自國を大切にしない者に他國を愛せる道理は無い。日本人が韓國以上に日本を愛するのは當然過ぎるくらい當然の事である。それゆえ、韓國人に向つて日本の事を惡しざまに言う日本人を、心有る韓國人は決して信用しないであろう。民社黨の春日一幸氏に聞いた話だが、かつて春日氏は、外遊の途中日本に立寄つた韓國新民黨の李哲承氏に會い、その識見に惚れ込んだが、その折、春日氏が金大中氏を批判して「國外で自國の批判はすべきでない」と言つたところ、李氏は大きく頷き、實際、外遊中ただの一度も朴政權批判をやらなかつたという。また、春日氏自身、民社黨議員を率いて訪中した折、佐藤内閣を激しく批判する中國側と渡り合ひ、翌日の萬里長城見物に春日氏だけは出掛けようとしなかつた。それでよいのである。春日氏の事を、中國側は手強い相手だと思つたに相違無い。 <「親韓」とは何か>  私は五十四年十月下旬、韓國政府の招待により韓國を訪れ、連日、韓國の知識人と意見の交換をしたが、韓國人に對して卑屈に振舞う事だけは一切しなかつた。また、そういう暇は無かつた。本氣になつて國家を語り人間を語れば、必ず相手が本氣で應じ、毎日それが樂しくて、私は屡々國籍を忘れたのである。例えば維新政友會の申相楚議員とは大いに語り、大いに意氣投合したが、私は今、申氏を敬愛する先輩のように思つていて、韓國人であるような氣がしない。  一見矛盾した事を言うようだが、國籍を忘れて語つたのだから、私は韓國人を前にして日本を批判した事もある。が、その代り私は韓國をも批判した。勿論、私の韓國批判は勢い控え目にならざるをえなかつたが、日本を批判する時は本氣で怒つた。怒つてゐる振りをして韓國人に媚びる氣なんぞさらに無かつた。それゆえ、日本に關する相手の意見に承服できない場合はそれをはつきり言い、徹底的に議論したのである。「お前は運がよかつたのだ、韓國人の反日感情は複雜で、そんな生易しいものではない」と言われればそれまでだが、私は十二日間のソウル滯在中、偏狭なナショナリズムを制御できる見事な知識人にばかり出會つた。そして眞劍勝負の國でそういう見事な知識人の存在を知り、一方、馴合ひ天國日本の親韓派知識人が、かつて韓國を訪れ、韓國の役人に、韓國の女を世話しろと言つたなどという話を聞かされると、私は日本人として、そういうでたらめな親韓派を憎んだのである。日本國内で馴合うのは致し方が無いし、女道樂も各人の勝手たるべく、何人妾を持とうとそれは當人の甲斐性次第だが、國外へまでぐうたらを輸出する事だけは許せない。日本人として許せない。けれども、私はここで親韓派の私行を發こうと思つてゐるのではない。それをやるなら、筒井康隆氏の『大いなる助走』の流儀でやるしかないであろう。私はただ、いかさま親韓派の文章のでたらめを批判しようと思つてゐるのである。そしてそれは何よりも日本のためを思つての事だが、それが日本のためになるのなら、韓國のためにならぬ筈は無い。  だが、親韓派、親韓派というが、「親韓」とは一體どういう事なのか。「親」とは兩親、肉親、親戚の事であり、轉じて身内であるかの如き親しみを感ずる事である。それゆえ、「親韓」とは一應韓國に對して親しみを感ずる事だと言へよう。が、韓國の何に親しみを感ずるのか。それは人により樣々であろう。  韓紙人形に親しみを感ずる者もあり、木工藝や民俗衣裳チマ・チョゴリに親しみを感ずる者もある。私も先日、韓國文化院でチマ・チョゴリの着付けを見學し、晴着の美女の歳拝の品位に感じ入つた。だが、周知の如く、韓國には今後の韓國はいかにあるべきかについて相容れぬ二つの考へ方がある。例えば金大中氏のように韓國の「民主囘復」こそ急務と信じてゐる者がおり、「金大中氏などには斷じて政權を渡せない」と言い切る者がゐる。「親韓」とは韓國に親しみを感ずる事だとして、では、かういふ對立する双方に等しく親しみを感ずる事は可能であろうか。そんな藝當がやれる筈は無い。なるほど高麗人參やチマ・チョゴリの話なら、車智2(撤の水偏)氏にも金載圭氏にも通じよう。が、眞劍勝負をしてゐる韓國人をして胸襟を開かしむるには、その種の「韓國文化」の話だけではどうにもならぬ。  例えば朴正煕大統領の場合、「外國の賓客との對話中、おおよそ三十パーセントが國防に關するものだつた」という。大統領にしてみれば、車智2(撒の水偏)派とも金載圭派ともつかぬチマ・チョゴリ派に對して肝胆を開く氣にはなれなかつたに相違無い。  だが、私が成敗しようと思つてゐるのはチマ・チョゴリ派ではない。また、金大中氏を支持する韓國人が確かに存在するのだから、例えば宇都宮徳馬氏も親韓派だらうが、私は宇都宮氏には全く興味が無い。『朝日ジャーナル』五十四年十一月九日號に宇都宮氏は、「今度の事件を契機として韓國の民主化が進むならば、現在の北の指導者の思考方法からいつて、緊張緩和は可能であり、相互軍縮によつて南北とも、經濟力をより多く國民生活の向上にまわすことさえ可能であると思ふ」と書いてゐたが、そういう樂天的な占いを私は信ずる氣にはなれないのである。  それに、今の私には、進歩派のでたらめ以上に保守派のぐうたらが腹立たしい。西義之氏は『變節の知識人』(PHP研究所)において戰後の進歩派知識人のでたらめぶりを丹念かつ辛辣に批判しており、私は色々と教へられたけれども、實は知識人のでたらめに保守革新の別は無いのである。 <朴大統領の弔合戰>  ところで、保守派で親韓派の私が、宇都宮氏なんぞを叩く氣になれず、なぜ保守派の親韓派を成敗しなければならぬと考へるのか。それは敵を斬るよりも身方を斬るほうが困難だからであり、敵を斬るよりも身方を斬るほうが今や日本國のためになると信ずるからである。  とまれ、早速、成敗に取掛ろう。私が今囘斬つて捨てようと思ふのは、朝日新聞編集委員鈴木卓郎氏、及び京都産業大學教授小谷秀二郎氏である。  まず鈴木卓郎氏である。鈴木氏は月刊誌『ステーツマソ』に「新聞記者の社會診斷」と題する文章を連載中だが、五十四年十一月號に載つた「ソウル旅行から東京を見れば」と題する文章や、『諸君!』十二月號に寄せた「義士安重根は生きてゐる」という文章から察するに、朴大統領健在なりし頃の鈴木氏は朴體制支持の親韓派だつたのではないかと思はれる。『諸君!』に鈴木氏はこう書いてゐるからである。   今の日本人には韓國内のできごとを日本の國内問題のように錯覺してゐる人が全くい ないといえるだらうか。(中略)萬事が自由な東京の物差しで準戰時體制である韓國を 論評すると、マトはずれにとどまらず、お節介になつてしまう。  鈴木氏はさらに「日本が過去に韓國を侵略したからといつて韓國に《卑屈になることはないが、》大藏省と日銀が(安重根に暗殺された伊藤博文の)千圓紙幣の肖像畫に心の痛みを感じてモデル・チェンジに氣がつくことが、眞の日韓親善への出發ではないだらうか」と書いてゐる(傍點《》松原)。何と愚にもつかぬ事を書く男かと思ふ。いつぞや志水速雄氏が、吾國では「尾籠な話だがと、一言斷ればかなり尾籠な話もできる」と斷つて少々尾籠な話を書いていて、私はなるほどと思ひ笑つたが、そういう人情の機微が鈴木氏にはさつぱり解らぬらしい。「卑屈になる事はないが」と斷つて卑屈な文章を書く事は許されるか。許されはしない。そして鈴木氏の文章は紛れもなく卑屈な文章なのである。韓國には「龜甲船」という煙草がある。確か二十本で三百ウォンである。龜甲船とは、昔、日本軍撃退に活躍した新鋭船の事である。が、煙草龜甲船の發賣中止を韓國政府が考へる筈は無く、またその必要も全く無い。なるほどソウルの町なかで「昔の朝鮮總督府はどこだ」などと口走るのは言語道斷の愚鈍だが、徒に過去の日韓併合の非を打ち贖罪を云々するのは無意味であり、日韓兩國にとつて何の得にもなりはしないのである。  それはさて措き、鈴木氏は『ステーツマン』十一月號にかういふ朴體制支持の文章を綴つたのである。   韓國は目下、北朝鮮とは休戰中の準戰時體制である(中略)。このような國で日本の ように野放しの自由を國民に許したならば、どうなることであろうか。(中略)いまの 韓國は北朝鮮の脅威に備えた準戰時體制をとつてゐるので、東京で通用するような完全 な自由が許されるはずがない。したがつて東京の物差しをもつて今日のソウルや朴體制 を論評することはマトはずれになつてしまう。  しかるに二カ月後、同じ『ステーツマン』の一月號に、鈴木氏は次のように書いたのである。        人間は神でも惡魔でもないし、その中間ぐらいのものであろうが、いつたん權力を握 つた人間は必ず、長い間には果てない權勢欲におぼれて腐敗することは政治學の古い法 則である。朴大統領の場合も、初心は崇高な民族の英雄にあこがれたのであろうが、權 力の座が長びくにつれて權勢を保持したい私心が露骨になつてきた。ついには他人に權 勢を譲渡することを考へず永久政權を策して、大統領の三選を禁止した憲法を改正(六 九年)、自己の選出を有利にせしめる維新憲法を制定(七二年)、大統領緊急措置一號 發令(改憲運動の禁止)など強權政治を確立した。(中略)朴大統領は自分の權力を防 衞するために秘密警察網をつくり、KCIA、大統領警護室、大統領秘書室の三者を相 互にけん制、競合させた。軍部は國家保安司令部と首都警備司令室に分割して、これら 五者の間には常に紛爭への火ダネを与えて一體化を防いだ。これらの秘密警察の策動に よつて多くの自由を國民から奪つたが、なんといつても最大の「罪」といわねば、なる まい。   《その「罪」の告發》は言論や協議では到底達せられない《深みにおちいり、》全く 皮肉なことに《朴體制の改良は》(中略)貴賓室で部下の發砲した拳銃しかなかつた。(傍點《》松原)  この種の惡文に付合ひ丹念に批判するのは氣が腐るから、作文技術の劣惡については傍點(《》)を付した部分に限ろうと思ふが、それよりも、大方の讀者にとつては、この僅か二カ月の間隔をおいて書かれた二つの文章が、文體の下等こそ同樣ながら、同一人物の手になるものだという事が信じられぬくらいであろう。すなわち「東京の物差しをもつて朴體制を論評することはマトはずれ」だと書いた男が、二カ月後、朴大統領が「秘密警察の策動によつて多くの自由を國民から奪つた」のは最大の「罪」であると書き、朴體制を批判してゐるのである。人間にこれほど鮮かな轉向が可能だとは、讀者にとつて信じ難い事かも知れぬ。明らかに鈴木氏の轉向は朴大統領の死が契機だつたと思はれるが、「何たる變り身の早さか、許せぬ」などという事が私は言いたいのではない。愚者を相手に道義論は禁物であつて、論理の破綻を指摘してやればよいのである。但し、私が今この文章を綴つてゐるのは、尊敬する朴大統領の弔合戰の意味もあるから、鈴木、小谷兩氏を私は少々口汚く罵ろうと思つてゐる。朴正煕氏の無念を思ひ遣れば、愚者の論理の破綻を淡々と指摘するという譯にもゆかない。 <杜撰な論理と文章>  まず、鈴木氏は朴大統領について、「次第に權力を保持したい私心が露骨になつてきた」と書いてゐるが、いかなる根拠あつてそう斷定しうるのか。いかにも大統領の三選を禁じた憲法の改正は六九年であり、維新憲法の制定は七二年である。だが、當時、韓國の内外でいかなる事態が起りつつあつたか、鈴木氏はそれを失念してゐるらしい。六八年一月二十一日には北朝鮮ゲリラによる青瓦臺襲撃事件があり、六九年にはニクソン大統領のいわゆるグアム・ドクトリン宣言があり、七〇年八月にはアグニュー副大統領が、駐韓米軍撤退を通告すべく訪韓、翌七一年にはアメリカ第七師團が韓國側との充分な協議無くして撤収、さらに七五年四月三十日にはサイゴンが陥落してゐるのである。またその頃、金日成主席は中國を訪問してゐるが、その折周恩來は、南進の決意を披瀝した金日成氏に對し「韓國へ攻め込むのは勝手だが、敗走して中國領土へ逃げ込む事は斷る」と言つたという。一方、韓國内では、第七師團撤収後も、金大中氏という「政敵」が、「國民の自由を最大限に保障し、貧富兩極化の特權經濟を棄てて、大衆經濟を具現して(中略)われわれの良心を保障する民主的内政改革を果敢に實行」すべきだとか、「韓國のように經濟的に惠まれない不幸な國の例が世界のどこにあるだらうか。(中略)私たちが一番大切にしてゐるのは、人間の生命だが、その生命を守る上でもつとも肝要なことは、國民が、どれほど平和を愛し、平和に徹するかということであろう」(『獨裁と私の鬪爭』光和堂)などと、空疎で無責任な戯言を書き綴つてゐた。そういう情勢にあつておのが「權勢を保持」しようとする事が、どうして「私心」ゆえの「權勢欲」なのか。そういう情勢にあつて鈴木氏の言う「多くの自由」を、金大中氏の言う「最大の自由」を、どうして韓國が享受できようか。朴大統領は「有備無患」を座右の銘にしてゐた。そしてアグニュー氏とは夕食も忘れて激論を交し、五十四年には民主囘復を要求するカーター氏を相手にして一歩も退かず、「國家の安泰こそ最大の人權擁護ではないか」と切り返し、カーター氏を壓倒したという。一方、米軍の完全撤退は不可避と見て取つた朴大統領は、自分の國は所詮自力で守るしかないと考へ、まずは内憂を絶つべく大統領緊急措置令第九號を公布したのである。當時、KCIAがアメリカの議會人を買収しようとしたのも、在韓米軍の撤退を少しでも遅らせ、自主防衞態勢を確立しようとする、いわば時間稼ぎのためでもあつた。買収と聞いただけで怖氣立つほど鈴木氏は純情なのか。さまで初々しい人物でなければ、大新聞の編集委員は勤まらないのか。奇怪千萬である。  人間は神と惡魔の「中間ぐらいのもの」ではない。そんな中途半端な存在ではない。人間は神たらんとして惡魔に堕するのである。「肉欲と慈愛とは兩立しない。オルガスムは聖者を狼に變える」とシオラソは言つてゐるが、鈴木氏に限らず、愚鈍な物書きにはそういう事がどうしても理解できぬと見える。これも鈴木氏に限つたことではないが、朴大統領の治世について必ずその功罪を論うのはそのせいであろう。が、神ならぬ人間に「罪」抜きの「功」なるものが可能かどうか、わが身を省みとくと考へてみるがよい。いたずらに罪を恐れるなら、人間、沈香も焚かず屁もひらずにゐるしかないが、そういう事勿れ主義者に、日本國の首相は知らず、大韓民國の大統領が勤まる筈は斷じて無いのである。  要するに、鈴木氏のような愚鈍な男が頭腦明晰な朴正煕氏の眉を讀み、「次第に權勢を保持したい私心が露骨になつてきた」などと書くのは、笑止千萬である。燕雀いづくんぞ鴻鵠の志を知らんや、小人の器で天才を量るなと言いたい。そうではないか、滿足に胡麻も擂れぬ男に天才の心事を察しうる譯が無い。鈴木氏にはこんな具合にしか胡麻が擂れないのである。   本誌前囘の「新聞記者の社會診斷」では、「學歴社會を斬る」といつた視角から「學 歴なし、閨閥なし・・・・・・」といつた歿落者の家の少年秦野章が努力一筋で警視總 監、參院議員に大成したことを説いたが、朴大統領の場合も生い立ちを觀察すると學ぶ べきものが多い。 「本誌」とは『ステーツマン』の事である。  そして『ステーツマン』には毎號必ず秦野章氏が登場する。『ステーツマン』は秦野氏の息が掛つた雜誌ではないかと思はれる。それを鈴木氏が知らぬ筈は無い。これ以上は何も言わぬ、それだけ言へば讀者には充分理解できると思ふ。  次に愚鈍な人間はいかに劣惡な文章を綴るかについてである。六三頁に引用した文章の傍点を付した部分だが、まず「罪の告發」が「深みにおちい」るとはどういう事なのか。「告發」とは「犯罪事實を申告する事」、もしくは「罪人の非を鳴らす事」である。朴大統領の「罪」が「言論や協議では到達せられない深みにおちいつた」という事なら意味だけは何とか通じるような氣もするが、文の主語は「罪」ではなく「罪の告發」であり、とすれば「罪人の非を鳴らす事」が「深みにおちいつた」とはどういう事なのか、私には理解できない。いや、實を言へば理解できぬ事もない。が、それはおんぼろエンジンさながらの粗雜な頭腦というものは多分かういふぐあいに作動するのであろうと、勉めて好意的に解釋してやる場合に限られる。  また「朴體制の改良は・・・・・・拳銃しかなかつた」だが、これもまた杜撰な文章である。例えば「愚鈍な物書きの成敗は拳銃しかない」などと書く事は許されない。全體主義國であれ民主主義國であれ、そういう事は許されない。道義的に許されないのではなく、文章作法としてその種の迂闊は許されないのであつて、體制の如何を問わず「愚鈍な物書きの成敗には拳銃しかない」と書かなければならないのである。 <急遽バスを乘換えて>  以上、道義論を持出さずして私は鈴木卓郎氏を斬つた。同じ流儀で次に小谷秀二郎氏を斬ろう。小谷氏は京都産業大學教授であり、『サンケイ新聞』の「正論」欄の執筆者であり、月刊誌『北朝鮮研究』の前編集長であり、『國防の論理』『日本・韓國・臺灣』『防衞力構想の批判』『朝鮮戰爭』『朝鮮半島の軍事學』などの著書があり、「朴大統領とは何囘か青瓦臺の大統領官邸でお目にかかつた」事があるという。その親韓派の小谷氏は、五十四年三月九日付の『サンケイ新聞』「正論」欄にこう書いた。   世界を賑わした中越戰爭は、韓國でもトップ・ニュースである。ところが北朝鮮では 、この戰爭が發生して以來今日に到る迄、そのニュースは一度も國内で流されていない 。完全な報道管制が實施されてゐる。一方が、いろいろな現象から判斷して、異常な國 家であることを問題にせず、韓國だけが反政府分子を抱えてゐる實情のもとで、更に民 主化を強化して統一のための對話にのぞんだとした場合、結果的には獨裁國家に民主主 義體制そのものすらも呑み込まれてしまう恐れがないわけではない。  しかるに小谷氏は、約八カ月後の十一月十四日、今度は小谷豪治郎と署名して、韓國の「國民感情」について次のように書いたのである(『正論』一月號)。   しかし、十八年はあまりにも長過ぎたというのも、同じ國民の感情である。強力な指 導者を今も必要としてゐることには變わりはない。しかし、獨裁制はもう必要はない、 というのが正直なところであろう。  さらにもう一つ引く。   午後十一時。ホテルの窓から見るソウルの街路には、一人の人影も見當たらない。( 中略)ソウルの眞夜中は外出禁止令によつて人影は完全に絶えるのだが、現在の状態は 、朴大統領時代とは何か違つてゐる。   それは本格的な政黨政治の幕開きが、國民の前に訪れてゐるという大きな期待であり 、そしてそれは國民生活の民主化につながるという希望である。  十一月十四日といえば、朴大統領が暗殺されてから十九日目である。大統領が健在であつた頃、『北朝鮮研究』の編集長として、「政治學者」として、北朝鮮の脅威を説いてゐた親韓派の小谷氏は、大統領の四十九日も濟まぬうちに、韓國における「民主囘復」は必至と考へ、急遽バスを乘換えた譯である。だが、その變り身の早さ、無節操を、道義的に難詰するには及ばない。鈴木卓郎氏の場合と同樣、愚鈍ゆえの矛盾を衝けば足りる。小谷氏は三月九日、「反政府分子を抱えてゐる」韓國だけが「更に民主化を強化」すれば、韓國の「民主主義體制」は北朝鮮という「獨裁國家に呑み込まれてしまう恐れがないわけではない」と書いたのだが、十一月十四日には、朴體制の「十八年はあまりにも長過ぎた」と韓國人は感じており、「獨裁制はもう必要ない、というのが正直なところであろう」と書いた。  小谷氏に尋ねたい。北朝鮮という「獨裁國家に呑み込まれてしまう恐れ」のある「民主主義體制」の韓國に獨裁者がゐる筈は無い。してみれば、韓國は三月九日には民主主義國だつたのだが、十一月十四日には「獨裁制はもう必要ない」と國民が感ずるような國家になつてゐた、という事になる。朴正煕大統領は三月九日から十月二十六日までの間に突如獨裁者に變貌したらしい。それは一體いつ頃の事なのか。また、もしも大統領が變貌したのでないとすると、三月九日には「更に民主化を強化」すれば韓國の「民主主義體制」は危殆に瀕する「恐れがないわけではな」かつたのに、十一月十四日には同じ朴體制を「もう必要ない」と國民が判斷するようになつたと小谷氏が判斷する根拠は何か。さらにまた、朴大統領が死んで「獨裁者はもう必要ない」という事になり、「本格的な政黨政治の幕開き」となり、それが「國民生活の民主化につながるという希望」を抱かせると、そのように判斷するに至つた根拠は何か。  小谷氏は私の問いに到底答えられまい。その場限りの愚者の判斷に根拠なんぞある譯が無い。今や韓國の民主化は不可避と見て取つて、バスに乘遅れまいと焦つた擧句、粗雜な思考の樂屋をさらけ出したまでの事である。愚者は往々にして鐵面皮だから、事によると小谷氏は、「自分は韓國人の感情をありのまま語つたのだ」などと弁解するかも知れぬ。それゆえ予め小谷氏の退路を斷つておくが、將來、日本國民が「北方領土奪還のため日本は再軍備をし、ソ連に宣戰を布告すべきである。弱腰外交の三十數年(或いは四十數年か)はあまりにも長過ぎた」と感じるようになつたとして、その場合、そういう偏狭なナショナリズムにもとづく「國民感情」をありのままに語るに過ぎない政治學者は政治學者のの名に値しないのである。 <無神經な文章>  小谷氏はまた次のように書いてゐる。   京都で今囘の(朴大統領暗殺)事件を聞いたとき、驚きの餘り、思考が中斷して、そ れがなんとなく息苦しくて、一瞬もがいたように思つたのだが、こうしてお墓の前に頭 を垂れた瞬間、その時のことが信じられないような、平穏さに包まれてゐた。(中略) 花輪を捧げてお詣りできたことは、なんとなしに重荷をおろしたような感慨であつた。 (中略)このホッとした氣持ちを味わう人びとも決して少なくはないに違いない。何故 ならば、戒嚴令下であつてみれば、遠慮勝ちにしかものが言へないかもしれないが、彼 の人を絶對視しか許されなかつた雰囲氣は、もはや韓國には存在しないからである。  驚きのあまり「思考が中斷して、それがなんとなく息苦しくて、一瞬もがいたように思つた」などという拙劣な描寫は、文藝愛好クラブの高校生にも到底やれないのではないかと思はれる。そして、その程度の描寫力で、韓國國民の感情がありのまま語れる筈は無い。が、それはさて措き、朴大統領の墓前に花輪を捧げただけで「重荷をおろし」、「ホッとした氣持ちを味わ」つた小谷氏は、途端に「彼の人を絶對視しか許されなかつた雰囲氣」がもはや韓國に存在せず、それが「國民生活の民主化につながるという希望」を肯定できるようになつた譯であり、それなら朴大統領の訃音に接して小谷氏が韓國に駈けつけたのは一體全體何のためだつたのか。墓前に花輪を捧げるためではなくて、何かもつと樂しい旅行目的があり、墓參りは事のついでで上の空だつたのかも知れぬと、そうでも勘繰らぬ事には辻褄が合ぬほど小谷氏の文章は支離滅裂なのである。  そして、大統領の墓參りを濟ませ、大統領を「絶對視しか許されなかつた雰囲氣」がもはや存在せぬ事に「ホッとした氣持を味わ」つた小谷氏は、多分ホテルに戻つて、まず最初に民主囘復のバスに乘遅れてはならぬと考へ、ついで次の大統領は誰かと考へたのである。丁一權氏か、李厚洛氏か、朴鐘圭氏か。いや、この三人ではない、決つてゐる、金鍾泌氏である、そう小谷氏は考へた。そこで小谷氏は、金鍾泌共和黨總裁に胡麻を擂るべく『正論』に寄せた文章の三分の一を割いたのであつた。その一部を引用する。   新總裁・金鍾泌氏に對する人氣は、目下鰻のぼりにのぼつてゐる。それは大統領暗殺 事件のいわば布石となつた釜山の暴動ではJ・P(金鍾泌氏)を次の大統領に、という スローガンが學生たちの手で掲げられたことに明らかに示されてゐる。  朴大統領とは「何囘かお目にかかつてゐたし、特に北朝鮮に對する戰略構想については、個人的にいろいろと説明してもらうという光榮に浴し」た小谷氏が、早々、金鍾泌氏に胡麻を擂るとは少々不謹慎だが、くどいようだが愚者を道義的に批判するには及ばない。小谷氏はここでもまた愚鈍であるに過ぎないからだ。そうではないか、右に引用した件りを金鍾泌氏が讀んだならば、金氏は小谷氏の愚鈍に呆れ、顔を顰めるに相違無い。周知の如く、釜山の暴動は朴體制を覆そうとした連中、ないしは朴體制に不滿な連中が起したものである。そして、金鍾泌氏に限らず、老練な政治家ともなれば、多少は小手を翳して世間の動向も窺わねばならぬ。五十四年十一月、『東亞日報』がソウル大學社會科學研究所に依頼して行つた世論調査によれば、「經濟成長よりも民主化を支持する」との解答は七二・八パーセントに達したそうだが、その後、十二月十二日には、全斗煥國軍保安司令官の指揮によつて、鄭昇和戒嚴司令官が逮捕され、民主囘復を叫び結婚式を裝つて集會を開いた連中は一網打尽、尹3(水+普)善元大統領は軍法會議にかけられる事になつた。朴大統領が死んだ以上急速な民主囘復は必至であり、今や「彼の人を絶對視」する事なく朴大統領の功罪を論じなければならぬ、そう考へた手合は少々淺はかだつたという事になるが、金鍾泌氏ともあろう政治家がさまで淺はかである筈は無い。とすれば、釜山の學生たちが「J・Pを次の大統領に」と叫んだという話を持出されて金氏が喜ぶ筈が無い。まこと「愚鈍以外に罪惡は無い」のであり、愚者とはかくも無神經かつ不器用なのである。小谷氏は金氏を褒めちぎり、却つて金氏に迷惑を掛けたに過ぎない。鈴木卓郎氏の場合も同樣であつて、ここで讀者はすでに引いた秦野章禮讃の文章を思ひ出して貰いたい。「千慮の一得」というが、やはり愚者の千慮には一得すら無いのかも知れぬ。 <頼りにならない知識人>  さて、これで朴正煕氏の弔合戰としての、無節操すなわち愚鈍な親韓派の成敗は濟んだ。鈴木、小谷兩氏は韓國における民主囘復は必至と早合點し、慌ててバスを乘換えた粗忽者なのである。『サンケイ新聞』によれば、韓國國防省のスポークスマンは、「全斗煥將軍は朴大統領暗殺事件捜査の最大の功勞者なのであり、將軍の予備役編入などという噂は事實無根だ」と言つたという。全斗煥將軍は親朴派だと言われてゐるが、鈴木、小谷兩氏は「全斗煥將軍が全軍を掌握したと思はれる」という『サンケイ』の記事を、どんな顔をして讀んだのであろうか。もしも將來韓國に鷹派の大統領が誕生し、弛んだ箍の締直しをやり始めたら、鈴木氏や小谷氏は韓國についてどんな事を書くのであろう。またぞろバスを乘換える積りであろうか。  けれども、バスを乘換えた粗忽者をそうして嗤つてゐるお前にしても、もしも全斗煥將軍が失脚したらどうなるか、お前もまた粗忽者だつたという事になるではないか、そう反駁する向きもあろう。實際、私は友人にそれを言われた事がある。十二月十二日の三日後、すなわち十二月十五日付の『サンケイ新聞』に私は、「全斗煥將軍が鷹派なら私は將軍を支持する」と書いたからである。私は勿論、全斗煥將軍とは面識が無い。韓國滯在中、テレビで記者會見中の將軍を見、歸國後、新聞で鄭昇和司令官逮捕の經緯を讀み、何と肚の坐つた軍人かと感心してゐるに過ぎない。それゆえ、將軍が朴路線を繼承する鷹派ならば、將軍の失脚を私が望む筈は無いが、萬一そういう事になつても、朴路線そのものの正しさを信ずる私の考へはいささかも揺らぎはしない。朴大統領の私生活についても、私は有る事無い事、色々と聞いてゐるが、何を聞かされようと、そういう類の事で私は衝撃を受けはしない。『世界』五十五年二月號のT・K生なる人物の「反動の嵐吹けども」という記事には「朴正煕氏の月四、五囘に及んだ歌手やタレントの女優とのスキャンダルは、この憂うつな季節の大きな話題である」と書かれており、それを讀んで私は笑つた。笑わざるを得ないではないか、朴大統領にも生殖器があつたと主張して喜ぶかういふ手合にも、間違い無く、生殖器はあるのである。英雄豪傑にも生殖器があつたという事實を發見して喜ぶのは愚劣な事で、進歩派の日本史學者が戰後にやつたのは、そういう無駄事、要らざるお節介であつた。自分と同樣に生殖器がありながら、朴大統領にはあれほどの事がやれたのだと、なぜ人々はそういうふうに考へないのであろう。  だが、すでに述べた如く、私は日本人であり、韓國が直面してゐる試練以上に日本の知識人の生態のほうが氣掛りなのである。太平洋戰爭末期、日本の敗色が濃厚となつても、依然として徹底抗戰を叫びつづけた高村光太郎は、「日本が敗けたら引込みがつかなくなるぞ、程々にしておけ」と忠告されたという。これは「早々、全斗煥將軍を支持すると危いぞ」という私の友人の忠告と同質だが、私にとつてはそういう忠告をする知識人の生態のほうが遙かに興味深い。朴大統領の死後、『サンケイ新聞』紙上で衞藤藩吉氏、鹿内信隆氏、『文藝春秋』で福田恆存氏、及び『言論人』で大石義雄氏が、それぞれ朴體制批判に興ずる風潮に冷水をぶつかけてゐたが、私の知る限り、朴體制支持の親韓派の發言はそれくらいのものであつて、朴大統領健在なりし頃あちこちでお見受けした親朴派知識人は、十月二十七日以後、忽然として行方不明になつたのではないか、私にはどうしてもそうとしか思えないからである。そして、愚鈍な粗忽者よりも、この行方不明の親韓派の生態を分析する事のほうが大事かも知れない。戰前、特高に逮捕され、ぬらりくらりと訊問を躱し、「貴樣は得體の知れぬ奴だ、右か左かはつきりしろ」と刑事に言われ、釋放されて後は「いかなる主義主張にも同調しなかつた」という大宅壮一は、日本人特有の處世術についてこう書いてゐる。   私にいわせると、日本人というのは、天孫民族でなくて、天候觀測民族である。とい うのは、大昔から日本人の生活は、主に農業と漁業に依存してゐた。どつちも天候に左 右されやすい。   おまけに日本は、地震國であり、臺風圈内でもある。臺風は毎年ほとんど定期便のよ うにやつてくるが、地震はいつくるかわからない。(中略)恐らくわれわれの先祖は、 毎朝目をさますと、まず空を仰いで、その日の天候をよく見きわめてから、仕事にとり かかつたことであろう。(中略)むかしは主に大陸から朝鮮半島を通つてきた文化的な 臺風が、明治以後はたいていヨーロッパからきた。最近はアメリカやソ連や新しい中國 の方からやつてくる。その臺風の性格、進路、強度を人より早く、正確に知るというこ とが、大多數の日本人にとつて、最大の關心事となつてゐるのだ。そこで、毎朝毎夕、 空を仰ぎ、小手をかざして天候をうかがうかわりに新聞に目を通し、ラジオに耳を傾け てゐるのだともいえる。 (『現代の盲點』春陽堂)  これこそ日本人特有の處世術である、それは「無思想人」の視點である、そう大宅は言つてゐる。なるほど「無思想人」の「天候觀測法」とは言い得て妙であり、日本人は常に「小手をかざして天候をうかがう」のである。その癖、かつて曽野綾子女史が言つたように、日本人は笊の上の小豆で、笊を「一寸左へ傾ければ一斉に左へ、右へ傾ければ一斉に右へ寄る」。天下の形勢が定かでないうちは小手を翳してゐるが、大勢が決定的になれば、どちらの方角へも吾勝ちに突走る。大勢に抗して不撓の信念を貫くなどという事は、大方の日本人の最も不得意とするところなのである。そしてそれは今に始めぬ事で、敗戰と同時に人々は先を爭い反省競爭に專念したし、極東軍事裁判においてA級戰犯に判決が下つた時も、インドのパール判事やオランダのローリングス判事の少數意見を知りながら、大方の日本人は「敗けたのだから仕方が無い」と考へ諦めたのであつた。  そして今、韓國の情勢が流動的であるかに見える今、例えば「早々、全斗煥將軍支持を打出すのはまずい」と親韓派は考へ、小手を翳して遙かソウルの雲行きを窺つてゐるのであり、それは彼等が「天候觀測法」の達人だからに他なるまい。なるほど「“現實”の進展」に對應して身を處するこの「天候觀測法」にもそれなりの利點はあろう。が、北朝鮮が朝鮮半島を武力統一し、釜山に赤旗が立つという現實に直面したら、そういう「現實の進展」に親韓派の知識人は一體どう對處する積りなのであろうか。  常に、「天候を觀測」し、常に「既成事實」に屈服して涼しい顔をしていられるのは、保守革新を問わぬ日本の知識人の特色ではないかと私は思つてゐる。つまり、日本の知識人は「無思想」なのではないか。これまで朴路線を支持してゐた親韓派が、韓國を取卷く國際情勢の嚴しさは少しも變つていないにも拘らず、朴大統領が死んだ以上韓國における民主囘復は必至と考へたり、小手を翳してソウルの雲行きを窺い、早々全斗煥氏を支持するのはまずいと考へたりするのは、彼等が大宅壮一の言う「無思想人」だからではあるまいか。だが、朴體制強固なりし頃はその現實に屈服して朴體制を支持したものの、目下韓國の情勢は流動的だからとてソウルの雲行きを窺つてゐるかつての親朴派は、萬一、釜山に赤旗が立つという「既成事實」に直面したら、反共の看板を下すばかりでなく朝鮮民主主義人民共和國との平和共存を聲高に叫ぶのであろうか。それは大いにありうる事だと私は思ふ。  五十四年三月、中國がヴェトナムに攻め込んだ際、社會主義國は戰爭をしないと信じ切つてゐた進歩派の知識人は激しい衝撃を受け、大いに狼狽した。けれども、それを笑止千萬だと嘲笑つた保守派の知識人にしても、福岡ならぬ釜山に赤旗が立つただけで、あつさり簡單に「反共の信念」とやらを擲ち、またぞろ反省競爭に現を抜かすのではあるまいか。愚鈍に保守革新の別は無い。例えば菊池昌典氏の純情を保守派が嗤つたのは、實際は「猿の尻嗤い」だつたのではないか。友邦韓國の前途を案じつつも、私はその事が何より氣掛りなのである。  最後に韓國に對しても私は苦言を呈しておきたい。それは、今日までいい加減な親韓派が罷り通つてゐたについては、韓國側にも責任があるという事である。かつて私は、歴代の自民黨政府のやり方を批判して「利をもつて釣上げた支持者は理に服してはいない」と書いた事がある。利とは必ずしも金錢を意味しないが、同じ事が、日本の親韓派に對する韓國側のやり方についても言へると思ふ。私は、『Voice』五十五年四月號でも、親朴派と言われる全斗煥將軍のために弁じたが、そういう事をやつた以上、反朴派が大統領になつたら、私は韓國政府にとつて好ましからざる人物となろう。私にとつて親韓は商賣ではないから、それは一向に平氣である。そして釜山に赤旗が立つたら、私はもはや親韓派ではありえない。が、朴正煕氏が死んだとたんに朴體制を批判したりする親韓派の中には、韓國と利で結び付いてゐる手合もおり、そういう手合にこれまで韓國側が頗る甘かつた事は事實である。私自身、不愉快な話を色々と聞いてゐる。  眞の親韓派は利をもつて釣上げる譯にはゆかない。眞の親韓派が韓國を大事に思ふのは、私利私欲とは無關係の筈である。とまれ、韓國側は今囘の不幸な事件を契機として、日本の保守派のすべてが眞の親韓派ではないという事を知り、眞の親韓派と利によつてではなく、理によつて繋がる事を眞劍に考へて貰いたいと思ふ。   第四章 朴大統領はなぜ殺されたか <ニューズウィークは本氣なのか>  米韓安保協議會に出席すべくソウルを訪れたブラウン國防長官は、五十四年十月十八日、朴正煕大統領と會見、韓國における人權抑壓の緩和を求めるカーター大統領の親書を手渡したが、憤慨した朴大統領は「内政干渉はやめて貰いたい」と言い、兩者は激しく口論、「互いに大聲を張り上げる程であつた」という。一國の大統領に對してかういふ事は言いたくないが、道義外交の元締カーター氏の「正義病」は病膏肓、朴氏はさぞ苛立つた事であろう。しかも正義病患者はカーター氏だけではなかつたのである。それより先、十月四日、アメリカ國務省のスポークスマンは、「アメリカは韓國國會が金泳三氏を追放した事を深く遺憾とする。それは民主政治の原則に反する」との非難聲明を出し、グライスティーン駐韓大使に一時歸國を命じたのであり、一方、意を強くした金泳三氏は、十月十五日、共同通信の記者にこう語つたのであつた。   「朴大統領は、野黨のすべての國會議員が現體制を批判して辭表を出した以上、憲法 を改正し、國民の直接投票による大統領選擧を實施すべきである。朴大統領がそれを拒 むなら、韓國は國際世論から孤立し、アメリカに見放され、國家の安全が危うくなる。 何より朴大統領が不幸な事態に遭遇するであろう」  周知の如く、朴大統領が兇彈に斃れたのは十月二十六日であつて、つまり、金泳三氏の十一日前の予告は的中した事になる。勿論「アメリカのCIAが事件の黒幕であつた」などという事を私は言いたいのではない。そういう事は私には解らぬ。だが、確實に言へるのは、アメリカの正義病患者たちが韓國における反朴勢力を勇氣づけたという事であつて、朴正煕氏はアメリカの正義病に手を燒き、アメリカの愚鈍に止めを刺されたのである。私は朴正煕氏を尊敬してゐる。それゆえ、朴氏の弔合戰をやらねばならぬと思ひ、最初は日本の新聞を斬る予定であつた。朴大統領暗殺を報じて、例えば朝日新聞は「獨裁十八年、流血の政變」と書き、サンケイは「銃彈に倒れた強權十九年、獨裁に人心うむ」と書き、毎日は「力で政權とり、隱された力で崩壞の、歴史の皮肉」と書いた。さらにまた朝日は、十二月二十三日、「獨裁者、ああ受難の年」と題し、何と「暗黒の大陸」に君臨した「三人の暴れん坊」、すなわちウガンダのアミン氏、中央アフリカのボカサ氏、赤道ギニアのマシアス氏と、朴大統領とを同列に扱つたのであつて、韓國の政變を論じて日本の新聞が口走つたこの種の暴論愚論の數々を、私は徹底的に批判しようと思つてゐたのである。だが、とどのつまり、日本の新聞の愚鈍はアメリカの愚鈍の反映に過ぎない。それなら日本の新聞を叩くのは迂遠の策であつて、アメリカの愚鈍をこそ叩かねばならぬ、私はそう考へるに至つたのである。  そういう譯だから日本の新聞を斬つても仕樣が無い、むしろアメリカの愚鈍を批判せね、はならぬ、取分けニューズウィークを成敗せねばならぬ、私は福田恆存氏にそう言つた。すると福田氏は殘念そうに答えた、「ああ、そいつは僕にやらせて欲しかつたなあ」。それは當然の事で、福田氏は『文藝春秋』一月號でニューズウィークの記事に觸れ、ニューズウィークの朴正煕氏に對する「惡意の誹謗」を批判し、「この十八年間、サン・グラスを懸けた小柄の峻嚴な男が、この國を恰も自分の私領の如く支配して來た」とニューズウィークが書いてゐるのは事實に反する、「朴正煕氏がサングラスを懸けてゐたのはクーデタ前のことで、大統領になつて以來、この十八年間は全く用ゐない」と書いたのだが、それを讀んだニューズウィーク東京支局から福田氏に電話が掛つて來て、「そんな事をわがニューズウィークは書いていない」と抗議して來たのである。だが、それは實は東京支局の失態であり、支局長のクリシャー氏は本國版しか讀んでおらず、十一月五日付の國際版に「サングラスを懸けた小柄の峻嚴な男」云々のくだりがある事を知らず、それを福田氏に指摘され、東京支局は謝つたという。  してみれば福田氏がニューズウィークのでたらめを成敗しようと思ひ立つたのは無理からぬ事である。だが、私としても朴正煕氏の弔合戰はどうしてもやりたかつた。福田氏にだつてそれは譲りたくなかつたのである。  以上少しく私事に亙つたが、それもニューズウィークが本氣で韓國について考へてゐるかどうかが甚だ疑わしいと、何よりその事が言いたかつたからである。私は正義病患者を一概に否定しない。けれども、本氣で物を考へようとせぬ知的怠惰ゆえの正義感ほど始末の惡いものは無い。そしてニューズウィークの韓國報道はまことに淺薄、かつ無責任であり、それは東京支局長クリシャー氏が自分の雜誌の國際版にも目を通していないという事實が雄弁に物語つてゐる。一事が萬事である。私はニューズウィークのこの種のでたらめを許す譯にはゆかない。 <アメリカが朴大統領を殺した>  だが、こユーズウィークを斬る前に、指摘しておきたい事がある。それは、正義病患者アメリカの要らざるお節介によつて勇氣づけられたのは韓國の反體制派だけではない、という事實である。實際に朴正煕氏を暗殺したのは金載圭KCIA部長だが、金部長が軍の支持無しに朴氏を殺す事はありえず、軍の内部にも反朴勢力が存在してゐた事は確實であり、これら體制内の反朴勢力は度重なるアメリカの内政干渉によつて徐々に形成されたものに相違無い。  『世界』五十五年二月號にT・K生なる人物が、金載圭部長の軍事法廷における「發言の一部を再生」してゐる。それによれば金氏はこう發言したという。   (朴政權は)對内的には緊急措置で全くでたらめではなかつた。口を開けば捕えられ るといえるほどであつた。對米關係も傷だらけであつた。アメリカとの關係は、國防、 政治、經濟あらゆる面において不可分のものではないか。そのアメリカが民主化の道を すすめ、人權問題について忠告すると、内政干渉だという。アメリカはわが國の解放と 獨立を助け、六・二五(朝鮮戰爭)にはいつしょに血を流してくれた血盟の友邦である 。そのような忠告は、友情ある助言である。(中略)私は、朴大統領をそのままにして は、打開すべき道がないと思つた。  T・K氏は「國際世論が金載圭氏の命を救わねばならない」との友人の言葉を引いてゐるくらいであり、右に引いた金載圭氏の證言も事實かどうかは頗る疑わしい。が、右のとおり金氏が語つたとしても、それは少しも怪しむに足りぬ。暗殺直後の閣議の席上「俺にはアメリカが付いてゐる」と口走つたといわれる金載圭氏は「アメリカとの關係はあらゆる面において不可分のもの」であり、アメリカとうまくやれぬ「朴大統領をそのままにしては、打開すべき道がない」と思つたに相違無い。              勿論、金載圭氏に言われるまでもなく、目下のところ韓國は、日本と同樣、自力だけで國を守れる状態ではない。それゆえ、アメリカ軍の完全撤退は不可避と見た朴大統領は、その對策を眞劍に講じつつあつたのだが、それがまずアメリカには氣に入らない。例えばグライスティーン駐韓大使は九月十二日、「韓國の防衞力の水準はアメリカの核の傘による保障と第七艦隊の役割を必要とすべきだ」と語つたのである。グライスティーン大使はまた、朴政權は「アメリカの意圖について根拠の無い疑念を抱きがちである」と發言、それを傳え聞いた朴大統領は激怒したという。私は大統領に同情する。實際、大國アメリカの身勝手に大統領はさぞ手を燒いた事であろう。  一九六九年ニクソン大統領はグアム・ドクトリンを宣言、翌七〇年アグニュー副大統領が訪韓して駐韓米軍の一部撤収を一方的に通告、七五年四月三十日にはサイゴンが陥落、アメリカは南ヴェトナムを見捨てたのであり、大統領緊急措置九號が發令されたのは同年五月の事であつた。朴大統領ならずとも、そういう状況下にあつては、内憂を絶つべく反政府運動を規制する一方、アメリカ軍の完全撤収に備えて自主防衞態勢を確立しようとするのは當然の事だが、それをやれば軍事費の支出は増大し、經濟成長は鈍り、オイル・ショックなどの外的要因も加わつてインフレを招き、民衆の不滿は募り、それは緊急措置九號などにより抑え込まなければならない。  しかるに、身勝手なアメリカは「韓國の自主防衞能力は、その目覺ましい經濟成長ゆゑに増大したのであり、もはや在韓米軍の駐留は不要となつた」として自主防衞を肯定するかの如き言辭を弄しながら、一方では朴政權の抑壓政策を激しく非難しつづけたのである。そういう大國のむら氣と無理解に朴大統領はさぞ腹立たしい思ひをした事であろう。しかも隣國日本は平和憲法を護符として稼ぎ捲るばかり、韓國の苦惱なんぞ、まるで察しようとはしなかつた。五十四年九月、青瓦臺を訪れた福田恆存氏に朴大統領はこう言つたという。   「五年か七年したら、日本と韓國は安全保障条約が結べる時が來る、どうしてもさう しなければいけない、兩國が手を結んでアメリカを牽き付けておかなければなりません 、一つ一つがばらばらでアメリカと繋つてゐるだけでは危い」。  その時、福田氏が何と答え、朴大統領がどういう反應を示したか。直接、福田氏の文章を引く事にしよう。   私が大統領の言葉に同感しながらも、「しかし、今の日本には韓國の脚を引つ張りこ そすれ、閣下の御期待に應へるやうに努力しようとする政治家が果してゐるでせうか」 と答へた時、沈默のまま、じつと私の目を見詰めてゐた大統領の表情は沈鬱そのものだ つた。(「孤獨の人・朴正煕」 『文蘂春秋』一月號)  そうして孤立無援の自國を思ひ、朴正煕氏は屡々沈鬱な表情となつたに相違無い。他國の元首の事ながら、その胸中を思ひ遣る時、私は深い同情を禁じえないのである。アメリカ政府とアメリカのマス・メディアの、韓國に對する無理解と幼稚な正義感が、朴大統領を殺したのだと、私にはそうとしか思えない。 <おめでたき正義漢>  そういう譯だから、朴正煕氏の弔合戰として、私はニューズウィークを斬る事にする。まず、ニューズウィーク昭和五十四年十一月五日號はこう書いた。   朴の人權抑壓に加え、最近數週間は經濟成長の鈍化が市民の不滿を募らせており、そ れは六十六名の野黨全議員の辭職、及び朴を釜山と馬山に戒嚴令を布かざるをえぬ羽目 に追い遣つた學生の暴動となつて一層明確な形をとるに至つた。(中略)「吾々が望む のは、吾々がすでに達成した經濟發展に見合う政治的自由だけなのだ」と欲求不滿に陥 つてゐる韓國知識人の一人は語つた。  この傳でニューズウィークは、常に韓國の反體制に嚴しく、朴政權にも言い分はあるかも知れぬという事を全く考へてみようともしない。右の文章の筆者にしても、「朴の人權抑壓」と「經濟成長の鈍化」が野黨議員總辭職と連動してゐたかの如く書いてゐるが、これは事實に反する。野黨議員の辭職は新民黨黨首金泳三氏の除名に抗議しての事である。 だが、金泳三氏はなぜ除名されたのか。實は除名されるまでに金氏は數々の愚行を演じたのである。まず、前囘の新民黨總裁選擧において、金氏は對立候補の李哲承氏を破つて總裁に就任したのだが、その際不正を行つたとして李哲承派に訴えられ、裁判の結果有罪となり、總裁の職を解かれるという事があつた。また、話が少しく前後するが、總裁就任後の金泳三氏は、新民黨役員の何と九割以上を自分の派閥で固めたのであつて、「日本の大平正芳氏が、總裁になつたからとて、自民黨役員の九割を自派で固めたら一體どういう事になるか。金泳三氏は口を開けば民主主義を云々するが、彼は黨内民主主義さえ守つていないのだ」と、これは李哲承氏から私が直に聞いた事である。  そればかりではない、金泳三氏はカーター大統領に單獨會見を求めて拒否され、白斗鎮國會議長に斡旋を依頼して、國會主催のリセプションの席上カーター氏に會えたに過ぎないのに、それをさも政治的な意味を持つ單獨會見であつたかの如く宣傳し、アメリカ大使館に抗議されるなどという失態をやらかしてゐるが、何よりも金氏が評判を落し、除名される直接の原因となつたのは、ニューヨーク・タイムズ東京特派員へンリー・スコット・ストーク記者のインタヴィユーを受けた際に吐いた暴論だつたのである。  すなわち金氏は、ストーク記者にこう語つたのであつた。   朴大統領に公的かつ直接的な壓力をかける事によつてのみ、アメリカは朴氏をコント ロールできるのだと、私はよくアメリカの高官に言うのだが、そういう場合彼等は常に 「韓國の内政には干渉できない」と答える。だが、それはおかしな理窟だ。アメリカは 吾國を守るべく三萬の地上軍を駐留させてゐるではないか。それは内政干渉ではないの か。  私はニューズウィークを批判しようと思つてゐるのであり、金泳三氏の「おかしな理窟」を嗤つてゐる暇は無いが、この「アメリカに對して内政干渉を要請するという事大主義的妄動」は、多數の韓國民の神經を逆撫でしたのであつて、反體制に同情的であるといわれる東亞日報までが金氏を批判する論説を載せたほどであつた。それに金氏の「妄動」は韓國の刑法に抵觸する行爲だつたのである。韓國の刑法第百四条その二にはこう記されてある。   第一項 内國人が國外において大韓民國または憲法によつて設置された國家機關を侮 辱または誹謗するか、それに關する事實を歪曲または虚僞事實を流布するか、その他の 方法にて大韓民國の安全、利益または威信を害するか、害する恐れがあるような行爲を なしたる時は、七年以下の懲役もしくは禁固に處す。   第二項 内國人が外國人もしくは外國團體等を利用して國内で前項の行爲をなしたる 時も、前項の刑を科す。   第三項 前二項の場合においては十年以下の資格停止を併科する事ができる。  つまり、アメリカに對して朴正煕大統領をコントロールせよと要望する事は、「外國人もしくは外國團體等を利用して、國内で、憲法によつて設置された國家機關」たる大統領を「侮辱または誹謗する」行爲に他ならず、してみれば金泳三氏は「七年以下の懲役もしくは禁固」、及び「十年以下の資格停止」の刑を受けても仕方が無いのであり、韓國國會が金氏の議員としての「資格停止」を決議したのも當然の事であつた。  韓國の刑法にそういう規定がある事をソウルに支局を置いていないニューズウィークが知つてゐたとは思はれぬ。知つてゐたなら、すでに引用したような、野黨議員の總辭職を「朴の人權抑壓」と「經濟成長の鈍化」に結びつけるといつた思考の短絡は到底不可能だつた筈である。言うまでもない事だが、充分な調査をせずに斷定する事はジャーナリストたる者の何より慎まねばならぬ行爲である。六年前、ハーバード大學のコーエン教授は「朴政權下の韓國は地獄であつて、毎日何百人もの人間が殺され、何百人もがリンチ同然の軍事法廷に送られてゐる」と發言したが、アメリカの知識人がこれほどの暴論を吐いて憚らぬのは、アメリカのマス・メディアが流すでたらめな韓國情報に惑わされての事ではないかと思ふ。  いや、事によるとニューズウィークは、「朴政權の人權抑壓は許し難く、またそれは自明の事で、今更調査の必要も無い」と考へてゐるのかも知れぬ。冬の鯔は眼にも脂肪がのつて物がよく見えなくなるという。ニューズウィークも冬の鯔で、脂肪ならぬ正義感ゆゑに盲い、眞實が見えないという慘めな状態にあるのかも知れぬ。例えば、十一月十二日號のニューズウィークはこう書いたのである。   公表された寫眞は、通常の刑事犯のように手錠を掛けられ、先週の訊問中に受けた打 撲のために顔面の腫れ上つた金載圭が寫つてゐた。  しかるに、同じ記事の中にはかういふ一節もあるのである。   (逮捕されて)車の中へ押込まれた時、金載圭は隱してあつた拳銃を取ろうとして空 手チョップを見舞われたという。(中略)これは金の顔面の打撲傷を説明するために流 布されたお話だと、解釋してゐる者が多い。  この二つの文章は明らかに矛盾してゐる。つまり前の文章で「金載圭の打撲傷は訊問の際に受けたものだ」と斷定しておきながら、後の文章では「反抗しようとして空手チョップを受けたというが信じない者が多い」と言つてゐるのである。勿論、ニューズウィークにも空手チョップ云々のお話を信じない自由はある。けれども、その代り、打撲傷は訊問中に受けたものだと斷定する自由も無い筈である。  だが、このニューズウィークの矛盾を、捜査本部の歿義道を印象づけようがための意識的犯罪だと考へるのは買被りであつて、金載圭氏の顔面に打撲傷があつた事自體が、ニューズウィークにとつては許せないのである。「それ見たか、金載圭は拷問を受けたではないか、許せぬ」ニューズウィークはそう考へ熱り立つたのである。何ともおめでたい正義漢だが、この手の正義漢が寄つて集つて朴大統領を斃したのである。  だが、當然の事ながら、ニューズウィークには朴暗殺に一役買つたなどという意識は無い。正義感ゆゑに盲いて愚鈍だからである。愚鈍とはつまり知的怠惰という事で、矛盾を矛盾と感じない無神經に他ならない。例えばニューズウィーク十二月十日號は、サッカー試合のキックオフで球を蹴つてゐる崔圭夏大統領の寫眞に、「彼の重い靴は反體制派を蹴るためのものでもあつたのか」というキャプションを付け、本文にはこう書いてゐる。   「一つの小さな孔も時に堤防全部の決壞に繋がるのである」と民主共和黨總裁金鍾必 は言つた。だが反體制派は、河は時に氾濫するものだと言う。「もはや誰も政府を信用 していない」と尹3(水+普)善大統領は言つてゐる、「國中にデモが擴がるだらう」 。   學生たちが長い冬休みに入つてゐるため激しい反抗は春まで起らないかも知れない。 が、春になつても、韓國の新しい指導部が時勢に從おうとせぬ場合、朴後の政府の存立 はますます困難になるかも知れない。  崔圭夏大統領について、「反體制派を蹴る重い靴も履いてゐたのか」と書いてゐるくらいだから、ニューズウィークは反體制派の反抗には同情的なので、「河は時に氾濫するものだ」と反體制派の言い草を肯定し、休暇明けの學生たちの活躍に期待してゐるのだと、そう勘繰られても仕方のない、これは書き振りである。しかるに、これより先、十一月五日號のニューズウィークはこんなふうに書いたのである。   イランにおけるシャーの歿落の際と同樣、アメリカは今囘、當然の事ながら、重要な 同盟國の元首の死に驚いた。が、韓國の場合、アメリカは、有力な後繼者と目される人 物や野黨の有力者と比較的よい接觸を保つてゐる。かてて加えて、好戰的な北朝鮮の繼 續的脅威ゆゑに、韓國のいかなる新政府も概ね朴路線を繼承するであろうと思はれてい た。が、政治的不安定は殆どいかなる事態をも招來するのであり、それゆゑにこそアメ リカは朴正熙に取つて代る人物を捜し求めた韓國を不安げに見守つたのであつた。  いかにも、時に河は氾濫する。が、この場合氾濫とは極度の政治的不安定を意味しよう。そういう甚だもつて穏やかならざる反體制の言い草を引き、少なくともそれを批判しないニューズウィークが韓國においても「政治的不安定は殆どいかなる事態をも招來する」のだから、アメリカは「不安げに見守つた」と言つてゐるのである。これは勿論、抑壓政策の繼續を危惧しての事であろうが、抑壓だけが政治的不安定をもたらすのではない。弱い政府の譲歩、すなわち急激な民主囘復もまた極度の不安定を招來しよう。そしてまた、「河は時に氾濫する」と言い放つ樣な手合に、どうして政治的安定をもたらす器量が期待できようか。このくだりに限らず、ニューズウィークの文章には矛盾葛藤に苦しむ韓國への同情が欠けてゐる。同情を欠きながら「不安げに見守」つてゐるかの如く言う。その自家撞着のいい加減は許し難い。 <民主主義は絶對善にあらず>  無論、自家撞着は人の常である。相剋する肉體と精神を持つ以上、誰しもそれを免れはしない。が、それは飽くまでも意識されたものでなければならぬ。意識された自家撞着だけがディアレクティックたりうるのである。が、ニューズウィークの文章に、ディアレクティックなどありはせぬ。ニューズウィーク十一月五日號は「社會の健全は高層アパートの數によつて計らるべきではなく、同情と博愛によつて計られねばならぬ」との朴大統領の言葉を引き、「朴もまた同じ基準によつて計られねばならぬと、朴を批判する人々は考へてゐる」などと、したり顔に書いてゐるが、よき政治のためには時には好ましからざる手段も許されるし、また已むを得ず人道的ならざる手段を時折用いながらも、なお自身は高潔たらんと努めねばならぬ政治家の宿命を、ニューズウィークは全く理解していない。愚鈍なる正義病患者たるゆゑんである。  そして、もとより意識せぬ自家撞着とは怠惰という事に他ならない。そういう知的怠惰は法に關するニューズウィークの淺薄な意見が例證するところであり、例えばニューズウィークは、戒嚴令すなわちmartial lawもlawであり、維新憲法もまた法であるという事を忘れてゐるのではないかと思はれる。ニューズウィークはこう書いてゐるのである。   暗殺された大統領の一カ月に亙る服喪期間が過ぎると、政府は(反體制派の)取締り をやり始めた。今なお戒嚴令が布かれており、崔圭夏大統領代行は、反體制鎮壓のため 、そしてまたおのが政權の延命のため、非常大權を行使してゐるのだと、批判者たちは 言つてゐる。崔は今週、統一主體國民會議の投票によつて正式の大統領に就任するであ ろうが、この統一主體國民會議は、通常、朴の大統領としての地位を強固にするだけの 、忠順な選擧機關だつたのである。(中略)韓國の高官たちは(反體制派の)不滿は不 當だと主張してゐる。「民主囘復と戒嚴令の違犯とは別である」と、民主共和黨の總裁 であり、大統領たらんとの野心の持主である金鍾泌は言つた。  要するにニューズウィークは、アメリカ政府と同樣、戒嚴令や維新憲法が氣に食わない。それは市民の自由を抑壓し、獨裁を正當化する惡法であり、反體制派の憤激も當然だと考へてゐるらしい。そして「惡法」も法無きにまさるという事が、ニューズウィークには理解できないのであり、それは大方のアメリカ人と同樣、民主主義を絶對善と信じて疑わぬからである。君主制や貴族制を體驗した事が無く、舊體制との葛藤も知らず、國内に今なおイデオロギー的對立の存しないアメリカは、人間が大昔から、民主制と獨裁制の是非について激しい論爭を行い、今なおそれは決着がついていないという事實について考へてみようとはしないものらしい。ハインツ・ユーローはそのソロー論『路傍の挑戰者』にこう書いてゐる。   現代アメリカのリベラリストは、自分の考へる正義こそ絶對善だとする道徳的絶對主 義の立場をとりがちであり、それゆえ往々にして、自分と意見を異にする他人を認めよ うとせず、獨善的な批判を浴びせがちである。  そして、そういう獨善的なリベラリストは、道徳と道徳的現實主義とを峻別する事ができないとユーローは言い、續けて大要、次のように書いてゐる。   ここにいう道徳的現實主義とは、善惡の認識を意味するのではなく、道徳的生活を送 るに際して生ずる樣々な暖昧と異常性の認識を意味する。道徳とは對照的に、道徳的現 實主義の認知するところでは、善き結果と惡しき結果は對立的な可能性として存するの ではない。むしろ、兩面價値的な統一體として「善くもあり惡くもある」結果が生ずる のである。  ユーローの言う通りであつて、獨裁制にせよ民主制にせよ「善くもあれば惡くもある」結果を招來する。それゆえ、人事萬端、何が正義かという問いに對する決定的な解答なんぞは存在しないのである。パスカルが言つたように「力を持たぬ正義は無力であり、正義を伴わぬ力は暴力」なのだから、「正しき者を強くするか、強き者を正しくするか」、そのいずれかの解決しかありえない事になるが、殘念ながら、人間はいまだかつて「正しき者を強くする事ができず、それゆえ強き者を正しき者とするしがなかつた」譯である。そして、三百年も昔にパスカルが知つてゐたこの事實を、今日なお正義病に盲いたるアメリカは承知しておらず、強大な核兵器を笠に着る「強き者」として世界に君臨し、「強き者」をそのまま「正しき者」と認めたがらぬ國、例えば韓國に對して「獨善的な非難を浴びせ」、おのれの信ずる正義こそ絶對善と思ひ込み、執勘に「民主囘復」を迫つてゐるのであり、この道徳と道徳的現實主義とを峻別できぬ幼稚な正義病患者が、到頭、朴正煕大統領を倒したのである。  それゆえ、一種のショック療法として、ここで心行くまで民主制を罵倒し、獨裁制を辯護したいところだが、それはまた別の機會にやるとして、これだけはニューズウィークに言つておこう。ニューズウィークがいかに顔を顰めようと、例えば、大統領緊急措置令の發動は維新憲法第五十三条にもとづく合法的な行爲なのであり、統一主體國民會議の設置にしても、これまた憲法の定めるところ、もとより合法なのである。それゆえ、自國において正義とされてゐるもののみを絶對と考へる「道徳的絶對主義の立場」に固執して、韓國を十二歳の學童なみに扱い、韓國における人權抑壓を批判する前に、ニューズウィークはアメリカが國内の人種差別問題さえ滿足に解決できずにゐるという事實に思ひを到したらよいのである。  ところが、ニューズウィークはアメリカ國内の未熟を忘れ、韓國のやる事なす事に「獨善的な批判を浴びせ」るのであり、例えば、十二月十二日、全斗煥國軍保安司令官は、朴暗殺事件に關与したとの容疑にもとづき、鄭昇和戒嚴司令官を逮捕したが、ニューズウィーク十二月二十四日號は「將軍たちの夜」と題する記事にこう書いたのである。   なるほど朴暗殺當夜の鄭の行動は充分に釋明されていなかつた。けれども、國軍保安 司令官全斗煥の率ゐる反鄭の將軍たちが、速やかにかつ意表に出て權力鬪爭に勝つたと いうのが眞相であろうと、大方の評論家は信じてゐる。鄭逮捕の直後、駐韓アメリカ大 使ウィリアム・グライスティーンはワシントンに電話をかけ、民主囘復に反對してゐる 朴支持派がクーデターを起したと報告した。(中略)ワシントンは速やかに對應した。 數時間後、國務省は強い調子のステートメントを出し、韓國における混亂に付け入るな と北朝鮮に警告し、同時にソウルの將軍たちに對して、民主主義的統治に向いつつある 進展を阻害せんとするいかなる行爲も、米韓關係に「重大なる惡影響」を及ぼすであろ うと警告した。アメリカの高官たちは、今囘、國家の安全を考へずして、多數の韓國軍 を三十八度線近くから移動せしめた事に激怒した。かういふ遣り方はワシントンをして 、韓國における中南米共和國式用兵の惡夢を思ひ出させたのである。「もしも或る將校 のグループがそれをやれるなら」と一人の外交官が指摘した、「他のグループも同じ事 をやれるのである」。  「民主囘復に反對してゐる朴支持派がクーデターを起した」とワシントンに報告したグライスティーン大使も、韓國の將軍たちに「民主主義的統治に向いつつある進展を阻害せんとするいかなる行爲も、米韓關係に重大なる惡影響を及ぼす」と警告したアメリカ國務省も、全斗煥將軍の寫眞に「勝利をおさめた全、民主主義に關する疑惑」というキャプションを付けたニューズウィークも、いずれも何とも愚鈍な解らず屋である。ニューズウィークに尋ねたい。全斗煥將軍は戒嚴司令部合同捜査本部長なのであり、差し當つての任務は朴暗殺事件の徹底的究明である筈である。それはニューズウィークも否定しまい。それなら、「親朴派のクーデター」と極め付けたグライスティーン大使の言い分を、いかなる根拠あつて、ニューズウィークは肯定できたのか。つまり、「鄭司令官の暗殺關与」という合同捜査本部の主張は口實に過ぎず、實際は親朴派の全斗煥將軍がやらかした「クーデター」だつたのだと、いかなる根拠あつて判斷できたのか。ニューズウィークが好むと好まざるとに拘らず、國家の元首が暗殺された以上、その捜査は徹底的に行われねばならぬ。そしてその場合暗殺に關与したと思はれる容疑者は、それがいかなる權力者であろうと逮捕せざるをえまい。例えば、アメリカの大統領A氏が暗殺され。副大統領B氏がそれに加担したのではないかと疑われてゐる時、FBI長官C氏が副大統領を逮捕したとして、その場合、アメリカ駐在の韓國大使が本國に電話をかけ、「黒人の民主囘復に反對してゐる親A派が、CIAもしくはマフィアと組んでクーデターを起した」と報告し、それを韓國の週刊誌がそのまま報じたら、ニューズウィークは一體どんな氣がするか。ケネディ暗殺の眞相について樣々な揣摩臆測が流れたではないか。少しは我が身を抓つて他人の痛さを知つたらよいのである。  そういう次第で、親朴派の全斗煥本部長が、權力を握るための障害になる戒嚴司令官を、正當な理由無く、專ら權力欲ゆゑに逮捕したなどとは決して斷定できぬ筈である。そしてそれなら、捜査本部長全斗煥將軍のやれる事は「他の將軍のグループもやれる」などとは決して言へまい。全斗煥將軍の寫眞に「民主主義に關する疑惑」というキャプションを付してゐるニューズウィークは、合同捜査本部長としての全斗煥將軍の職權の合法性を疑つてゐるのか、それとも失念してゐるのか。職權の合法性を疑つていないのなら、なぜ將軍の行動を「民主主義に關する疑惑」と極め付けたのか。疑つてゐるなら愚鈍であり、失念してゐたのなら輕率である。 <全斗煥將軍を辯護する>  一月二十一日號によれば、全斗煥將軍はニューズウィーク東京支局長バーナード・クリシャー氏のインタヴィユーを斷つたそうだが、クリシャー氏が單獨會見に成功した周永福國防相は、「どうか信じて貰いたい、今囘の事件は、朴大統領暗殺に關与したとの容疑のある將軍を、動かし難い根拠にもとづいて逮捕しようとしたという事に過ぎない」と語つてゐる。周國防相には惡いが、いくらそれを言つてもクリシャー氏には通じまい。ユーローの言葉を借りれば、クリシャー氏も「自分の考へる正義こそ絶對善だと思ひ込む道徳的絶對主義者」だからであり、それを承知してゐたからこそ、全斗煥將軍はインタヴィユーを拒否したのであろう。  ニューズウィークは全斗煥將軍を屡々「強者」と形容してゐるが、ニューズウィークは強者はすなわち惡黨だと考へてゐるのであろう。朴正煕氏を嫌い、維新憲法に「忌み嫌われてゐる」という形容詞を付し、全斗煥將軍の動機を疑つてゐるニューズウィークは、「力ある者は正しからず」という事は自明の理だと信じ切つており、それゆえ、民主主義と文民統制の萬能をいささかも疑つていないのであろう。「多數決は最良の道である。それは一目瞭然であるし、服從させるだけの力を有するからである。が、それは衆愚の意見に他ならぬ」とパスカルは書いたが、ニューズウィークはそういう事を一度も本氣で考へた事が無いらしい。何とも羨ましいほどの樂天家だが、朴大統領の弔合戰として、ここに全斗煥將軍を辯護すべく、そういうニューズウィークの樂天的正義感、すなわち道徳的絶對主義を徹底的に批判しておこうと思ふ。  ニューズウィークに限らず、アメリカ人には道徳的絶對主義の信奉者が多いのであり、かつてジョージ・ケナンが指摘したように、「國際問題に對する法律家的=道徳家的アプローチ」はアメリカ外交の特色であると言つてよい。とかくアメリカ人は、自國の法と道徳律が世界中すべての國々にそのまま適用できると信じていて、正義の相對性という事を考へてみようとしないのである。モンテーニュは「法律が信奉せられるのは、それらが正しいからではなくて、それらが法律であるからである」と書いた。わが芥川龍之介も「道徳とは左側通行の如きものである」と書いてゐる。これを要するに、正義とは約束事でしかなく場所により時代により變化する相對的な虚構に過ぎぬという事である。地上の正義たる法も同樣で世界各國の國内法が國により區々である事はここに改めて言うまでもない事であろう。  パスカルの言葉を借りれば「緯度が三度違うと」法體系は覆るのであり、「子午線が眞實を決定する」のである。何を正義とし何を不正義とするかは事ほど左樣に暖味なのだが、人間は正義の相對性を肯定する現實主義に徹しうるほどに強くはないから、いかなる支配者もおのが信じる正義に則つて國を始めるに際しては何らかの大義名分を必要としたのであり、一方、被支配者としては二つの道を選ばねばならず、それは正しい者に服するか、強い者に服するかの二者択一なのである。パスカルは書いてゐる。   正しいものに服從するのは正しいことであり、最も強いものに服從するのは必要なこ とである。力をもたぬ正義は無能力であり、正義をもたぬ力は暴力である。力をもたぬ 正義は反抗せられる、なぜなら惡人がつねにゐるから。正義をもたぬ力は非難せられる 。されば正義と力とを共に備えなければならぬ、そうしてそのためには、正しいものを 強くあらしめるか、力強きものを正しくあらしめるかしなければならない。(津田穣譯 )  だが、すでに述べた通り、人間は正しき者を強くする事には成功しなかつたのであり、「正しきものをして力あらしめることができず、力あるものをして正しきもの」としたのである。そして被支配者が力ある者を正しき者とする場合、その國の政治は獨裁政治だという事になり、そういういわば「力は正義なり」の獨裁制に對して、被支配者の多數意見を重んずる、いわば「數は正義なり」の民主制があつて、今日の吾國においては、アメリカにおけると同樣、前者すなわち獨裁制は惡であり、後者すなわち民主制は善だと信じられてゐるのだが、それは決して自明の理ではない。  なぜなら、多數意見が正しいなどとは言い切れず、往々にして少數意見のほうが正しいという事があるからで、それに何より、何をもつて正しいとするかという事自體、決して自明の事ではないからである。そしてそれなら、力ある者が常に正しいと斷定できぬ代り、力ある者は常に正しくないとも言い切れぬ、という事になろう。  ところが、以上縷々説明した正義の相對性という事が、おのが正義こそ唯一の正義と信じ切つてゐるアメリカには理解できず、かつて禁酒法の如き世界史上殆ど類例の無い愚擧を敢えてして失敗した前科がありながら、アメリカは性懲りも無く「自分と意見を異する他人を認めようとせず」、韓國に對して「獨善的な批判を浴びせ」續けたのであり、何度でも繰返して言いたいが、そういうピュリタンの末裔の幼稚な正義感が朴正煕氏を斃したのである。  アメリカ國務省にしても、全斗煥將軍の行爲を「民主主義的統治に向いつつある進展を破壞せしめんとする行爲」と呼び、「米韓關係に重大なる惡影響を及ぼす」と警告した。つまりアメリカは自國の民主主義が韓國においてもそのまま行われねばならないと、頑に思ひ込んでゐる譯で、國務省の高官にもまた、不正不純を蛇蝎の如く忌み嫌い「見ゆる聖徒」同士の交わりを求め、果てしない分裂を繰返したかつての分離派ピュリタンの血が流れてゐる。それゆえ、アメリカが同盟國の不法行爲に對して甚だ非寛容なのは怪しむに足りぬ。例えばニューズウィーク十二月二十四日號はこう書いたのである。   先週、鄭昇和を倒すために使用された前線部隊は、理論的には米韓の合同指揮下にあ る。先週の部隊の移動は米韓二國間の防衞協定に違反するものであり、萬一、韓國の他 の將軍たちがそれぞれのクーデターを企てたなら、(韓國の)安全は崩壞してしまうの であろうとの恐怖を抱かしめた。  要するに、アメリカ國務省もグライスティーン大使もニューズウィークも、全斗煥少將が鄭昇和大將を逮捕したのは單なる下剋上であり、他の將軍たちがそれを眞似たら韓國は累卵の危機に瀕すると考へて「恐怖」に驅られたのであろう。ニューズウィークによれば、グライスティーン大使は大使館の門を閉じさせ、アメリカ人に外出せぬよう勸告したそうだが、朴大統領暗殺の當日ソウルにいた私は、グライスティーン大使の處置を嘲笑いはしない。  けれども、ニューズウィークはともかく、アメリカ大使までが全斗煥將軍の職權の合法性に思ひ至らず、「全斗煥氏のやれる事なら、他の將軍たちにもやれる」と思ひ込んだとすると、その餘りの認識不足に私は暗澹たる氣分にならざるをえないのである。  いかにも十二月十二日、全斗煥將軍は米韓防衞協定を無視して、「多數の韓國軍部隊を三十八度線近くから移動させた」のであつて、それは「アメリカの高官たち」を「激怒」させたとニューズウィークは言う。グライスティーン大使も激怒したのであろうか。「全斗煥將軍にかういふ無茶苦茶が許されるなら、他の將軍たちにもそれは許され、かくて韓國の政治的不安定に付け込んで、北鮮軍が攻め入るであろう」とグライスティーン大使も、ウィッカム司令官も考へたのであろうか。十二月十五日付のニューヨーク・タイムズによれば、全斗煥將軍麾下の兵士たちは、盧載鉉國防相の執務室のドアを蹴破り、國防相は秘密のトンネルを通つてアメリカ陸軍第八軍司令部へ避難したという。  また、十二月十六日付のサンケイ新聞によれば、盧國防相はグライスティーン大使やウィッカム司令官と共に、米韓合同司令部の塹壕の中で緊張の數時間を過したという。眞僞のほどは解らぬが、そういう體驗をしたグライスティーン大使に私は同情する。そして、全斗煥將軍が米軍司令官の承認無くして兵を動かした事は、確かに米韓相互防衞協定の違反であつて、私もそれは否定しない。けれども假に私が全斗煥將軍だつたなら、私もやはり米韓相互防衞協定を無視して、精強無比の第九師團をソウルに投入したであろう。なぜなら、非常の際にはおのずから非常の奇策ないし詭策を採るべきであり、もしも全斗煥將軍がのこのこウィッカム司令官に會いに行き、第九師團移動の承認を取り付けようとして、それが鄭昇和戒嚴司令官の察知するところとなれば、九仭の功を一簣に虧き、逆に全斗煥將軍が戒嚴司令部に逮捕されたかも知れず、或いは逮捕されぬまでも指揮系統の混亂から、韓國軍同士が激しく衝突、それこそ収拾のつかぬ混亂を免じたかも知れない。  實際、一説によれば鄭昇和戒嚴司令官は、公邸の非常ボタンを押し、全軍に非常出動を命じたが、全斗煥派に先手を打たれ萬事休したという。窮鼠猫を咬むという事も大いにありうる。とすれば、非常時には非常手段をためらうべきではない。テヘランのカナダ大使館に逃げ込んでいたアメリカ大使館員を、先日カナダ政府は詐術を用いて無事脱出させたが、バンス國務長官は一月十八日、カナダ外相マクドナルド女史に感謝の電話を掛けてゐる。これはつまり、カナダ政府が非常事態に際して非常の手段を用い、バンス長官はそれを認め感謝したという事ではないか。 <文民統制を絶對視する愚鈍>  さて、ニューズウィークの韓國報道についてその非を打ちたい事はまだまだあるが、最後に、文民統制に關するニューズウィークの甘い考へだけはどうしても批判しておきたい。民主主義についてと同樣、文民統制についても、ニューズウィークはその萬能を信じ、解決無き事を解決あるかの如く主張して、これまで韓國を散々苦しめ、ニューズウィークの權威を信じ、その言い分を金科玉条の如く尊重する韓國の反體制知識人を勇氣づけて來たからである。  例えば、ニューズウィークはこう書いてゐるのである。   下級將校のグループが、先月、韓國の戒嚴司令官を強制的に逮捕した時、アメリカの アジア戰略上重要な同盟國は軍部の獨裁という危險な時期に入つたのではないかと危惧 する向きが多かつた。  もう一つ引こう。     最近、駐韓米軍司令官ジョン・ウィッカムは、「その任務を正しく遂行するために、 軍は常に軍務を念頭におかねばならぬ・・・・・・政治上及び憲法上の進展については 文民の指導に任せねばならぬ」と言つた。ウィッカムは全斗煥と直接取引きする事を拒 み、韓國の四つ星の將軍との交渉を好んでゐる。「吾々は(實權を握つてゐる將軍たち に)會つて、彼らの十二月十二日の行動を追認したかの如く思はれたくないのだ」と、 ソウルの或るアメリカの高官は語つた。  以上はいずれも一月二十一日號からの引用だが、同じ號のニューズウィークは、軍の政治的中立を求める記事を載せた韓國の新聞が發賣禁止になつた事を報じており、文民統制についてのニューズウィークの執心は頗る強いと言へよう。そして、ニューズウィークの權威に弱い日本の新聞や知識人もまた、文民統制の萬能を信じて疑わぬように思はれるから、彼らの迷妄を醒ますためにも、私はここで、文民統制について思ひ切り身も蓋も無い事を言つておこうと思ふ。  文民統制とは、要するに、軍人は常に文民の統制に服さねばならぬとする説である。從つてそれは、文民は常に軍人よりも賢いとの前提に立つてゐる。だが、これほど根拠薄弱な前提は無い。愚かな軍人は確かにいよう。が、愚かな文民も同樣に確かにゐるからである。正直、例えば全斗煥將軍が金大中氏よりも愚かだとは、私にはどうしても思えない。そして偉大な政治家朴正煕氏もかつては軍人だつたのであり、今や誰もが蛇蝎視するヒットラーは文民だつたのである。文民が常に軍人よりも賢いなどと、どうしてそのような事が言へようか。文民以上に賢い軍人がゐる。だが、どんな賢い軍人も、武器を持つてゐるという理由だけで、常に文民の後塵を拝さねばならぬのか。それは餘りの理不尽ではないか。  それに、もしも軍人が政治的に中立でなければならぬとすると、軍人とは專ら殺し合ひに精を出すロボットに過ぎぬという事にならないか。韓國の軍人にも、日本の自衞隊員にも、確かに選擧權が与えられてゐるが、軍人とは所詮殺し專門のロボットでしかないのなら、そんなものに選擧權を与えるのはこれまた頗るつきの理不尽である。一朝有事の際、その政治的信念にもとづいて行動する事を許されず、常に文民政府の意向に從つて行動し、左翼の文民の統制を受ければ右翼を殺し、右翼の文民の統制を受ければ左翼を殺す、そういう恐るべきロボットに、選擧權なんぞを与えるのは馬鹿げた事である。途方も無い無駄である。  文民統制については以上で充分かと思ふ。以上述べたような事を、ニューズウィークも、ニューズウィークの權威を盲信してゐる日韓兩國の知識人も、およそ考へた事が無いのであろう。そういう知的に怠惰な手合に對して、かういふ事を言い添えるのは無駄事かも知れないが、文民統制について以上の如き身も蓋も無い事を言つたからとて、私は「軍人統制」を善しと考へてゐる譯ではないのである。ニューズウィークに限らず、文民統制を金科玉条の如くに考へる手合の知的怠惰を私は嗤つたに過ぎない。民主主義と同樣、文民統制も絶對善ではなく、人事のすべてと同樣、それに決定的な解決なんぞありはしないのである。が、ニューズウィークに限らず知的に怠惰な人間は、解決無き事を解決あるかの如く思ひ込む。アメリカもそうであり、壓倒的な軍事力を笠に着て、自分の信ずる正義こそ解決濟みの絶對正義だと思ひ込み、「道徳的絶對主義者」として、「國際問題に對する道徳家的アプローチ」に固執し、ジョージ・ケナンの言葉を借りれば、「アングロ・サクソン流の個人主義的法律觀念を國際社會に置き換え、それが國内において個人に適用される通りに、政府間にも適用させようと」躍起になるのである。そして、政治的判斷を善惡の判斷と混同し、自國の規準で他國を裁こうとするこのアメリカの正義病こそ、これまで久しく朴大統領を苦しめ、韓國内の浮薄な反體制派を増長させたのであり、例えば金大中氏は「軍の役割はいかにあるべきか」とのニューズウィークの問いに、「それは明らかです。軍は中立でなければなりません。軍は人民の意志に從うべきです」と答え、また朴大統領の暗殺については、「あれは事故ではない。朴大統領は身近な側近に殺された。が、眞の原因は民主囘復を求める人民の願いです」などと言つており、その淺薄は論評の限りでない。が、金大中氏ほどの愚鈍な政治家が日本やアメリカで持てるのは、とどのつまり、金大中氏がアメリカ正義學校の優等生だからに他ならぬ。  けれども、果してアメリカは韓國よりも賢いのか。ここで私は、韓國の國會議長だつた白斗鎮氏から送られて來た、韓國の或る大學教授の論文の一部を引用しようと思ふ。讀者はそれを私がこれまで引いたニューズウィークの文章と比較して貰いたい。   しかしながら、自由の亂用は社會的混亂を招來し、放埓で無法な國家を作り出すだけ の事である。同樣に正しい政治權力の行使は、國家の建設を社會の進歩に資するところ 大であるが、その亂用は壓政と腐敗と獨裁を生むための有害な武器となろう。富の力は 人民を幸福にし、國家を繁榮せしむる大いなる手段となりうる。けれどもその亂用は、 腐敗、堕落、奢侈を招來し、社會の癌となるのである。正しく運用されるなら、民主主 義は人民に自由と平和と幸福とを保證する最上の策だが、その誤用は派閥抗爭と非能率 と不經濟を伴う衆愚政治をもたらすのである。健全な新聞とマス・メディアは、社會の 批判と啓蒙という本來の機能を果して大いに社會に貢献するが、マス・メディアの堕落 は、マス・メディアをして富と權力に追随する從僕、有害無益な詭弁と無駄口の方便た らしめるのである。  言うまでもなく、この文章の筆者は民主主義の萬能を信じてはいない。と言つて、例えば私がやつたように、民主主義や文民統制を罵つてショック療法を試みるという事もやつていない。ショック療法を施す餘裕が無いからであり、それはそのまま、韓國のおかれた立場の苦しさを物語つてゐる。私はその苦しさを理解する。が、そういう辛い立場にあつても、韓國の體制派の知識人は、少なくとも十二日間のソウル滞在中に私が知りえた限りでは、いずれも眞劍勝負を強いられてゐる者特有の見事な生き方をみせてくれたのである。十一月三日、長女朋子が急死したため、私は韓國滞在を切り上げ急遽歸國しなければならなかつたが、いずれ再び訪韓し、あの眞劍勝負の國の見事な知識人と存分に語り合ひたいと思つてゐる。彼らのひたむきな生き方は刹那的快樂に現を抜かす、その日暮らしの日本ではもはや滅多に見られぬもので、彼らの眞劍から吾々は實に多くの事を學べると、私は信ずるからである。 <むしろ日本を苛めるべし>  かつてマッカーサーはアメリカ議會の聽聞會で、「アングロサクソンが四十五歳なら、日本人は十二歳である」と言つた。そして日本人は「なるほど敗けたのだから十二歳だ」と思ひ込み、正義病の教師アメリカの教へる民主主義を懸命に學び、卑屈なまでに善い子になろうと努め、押付けられた腰抜け憲法を後生大事に守り通し、かくて今日の道義小國、經濟大國を築き上げたのである。が、朝鮮戰爭を體驗し、今なお好戰的な北朝鮮と對峙してゐる韓國にそういう餘裕は無かつた。日本は勇み肌の坊ちゃんアメリカとうまく付合ひ、脇抜けになりはしたものの大儲けをしたが、韓國は勇み肌の坊ちゃんのむら氣に手古摺つて、大いに苦しまなければならなかつた。が、「艱難汝を玉にす」であつて、苦しめられた韓國はアメリカの身勝手と幼稚な正義病を知り尽した筈である。  四年ほど前、英誌エコノミストが、アメリカは「非民主主義的な」同盟國へのコミットメントの是非を絶えず檢討すべく、「日本という民主主義國を友邦とする爲に韓國という非民主主義國をも支持せざるをえぬ事は危ない」と書いていて、半可通のジョン・ブルが何を言うかと私は腹を立てた事がある。が、エコノミストは同時に「殆どのアメリカ人にとつて韓國民が朴正煕の右翼獨裁體制のもとに生きるか、それとも金日成の個人崇拝的共産主義體制のもとに生きるかは、さして重要な事ではないのかも知れぬ」と書いており、このエコノミストの推測は當つてゐるのではないかと私は思つた。ニューズウィーク十二月二十四日號は、韓國軍内部における下剋上によつて脅威にさらされるのは、韓國の民主主義ではなくて韓國の生存であると書いてゐるが、ニューズウィークがそれほど韓國の存亡を案じてゐるとは私にはどうしても思えない。エコノミストの言葉を捩つて言へば、ニューズウィークにとつては、韓國がアメリカ民主主義の優等生にならぬのなら、「韓國民が親朴派大統領の右翼獨裁體制のもとに生きるか、それとも金日成の個人崇拝的共産主義體制のもとに也きるかは、さして重要な事ではない」のであろう。そして、「韓國の安全は日本の安全にとつて不可欠だから」韓國を守るのだと、ニューズウィークも考へてゐるに過ぎまい。「朝鮮半島の平和は日本の安全にとつて頗る重要だ」と言つたのは日本の外務大臣だつたと思ふが、これくらい韓國にとつて屈辱的な言い草は無い。が、アメリカも日本も、その韓國の無念を思ひ遣つた事があるであろうか。  實際私は、韓國くらい割に合わぬ立場の國は無いと思ふ。アメリカが正義病の興奮から醒め、孤立主義に戻り、國益中心の現實主義に徹しようとすれば、眞先に見捨てられるのは韓國であり、またアメリカが正義病を煩つてゐる最中は、その抑壓政策を道學者アメリカに批判されつづけねばならない。そして、アメリカの核の傘の下で雨宿りしつつ、自由を謳歌してゐる日本は、捨てられるにしても韓國よりずつと先であり、それまではGNPの一パーセント以下を軍備に割くだけで、せつせと稼ぎ捲れるという譯である。なぜ、アメリカはかくも日本に甘く韓國に嚴しいのか。それは、いかに自堕落でも、ふんだんに自由のある民主的な國がアメリカは大好きだからである。チャイルド・ポルノのモデルに使つてくれと自分の娘を賣り込みに來る父親がアメリカにはゐるそうだが、そういう破廉恥な親がいても、自由があるのは何よりもよい事だと考へてゐるからである。  だが、この自由を絶對視するアメリカは、獨善的であるばかりか頗るむら氣であつて、孤立主義とメシアニズムとの間を揺れ動く。周知の如く、十九世紀のアメリカは孤立主義を守つてゐたが、二十世紀のアメリカは世界の憲兵として正義のための戰爭を一手に引受ける事となつた。けれどもその際も、助けようとする國におけるアメリカ的ならざるものを忌み嫌い、それを改革すべく躍起になつたのである。助けて貰う國が、例えば日本のように、アメリカの教へをそのまま受け入れればよいのだが、自國の文化を重んじ自尊心を捨てたがらぬ強情な國もあるから、アメリカの對外政策は勢い極度のお節介と極度の冷淡を交互に繰り返す事になる。正義漢のアメリカの事ゆえ、戰爭は常に正義のための戰爭でなければならないが、助けようとする國に不正義を見出せば、正義漢の戰意はとかく萎えてしまうのである。  時にアメリカは損得を無視して友邦のために戰う。けれども助けてやる友邦は常にアメリカ的な聖徒でなければならないのである。今のアメリカは、やはり、不純を徹底的に嫌つて、純粋な「見ゆる聖徒」との交わりだけを求め、ゆゑに分裂に分裂を重ねて孤立した先祖、分離派ピュリタンの氣性を失つてはいない。植民地時代の分離派ピュリタンの一人、ロジャー・ウィリアムズは「見ゆる聖徒」との交際に徹し、遂に妻以外の誰とも聖餐を共にしないようになつたという。ロジャー・ウィリアムズと同樣、今のアメリカも韓國が「見ゆる聖徒」でない事に失望し、いずれは韓國を見捨てるようになるであろう。  そして、かういふアメリカの道徳的絶對主義は容易な事では改まらぬ。それゆえ日本の如く、ぐうたらで愚鈍でも、アメリカの正義たる自由と民主主義に逆らわぬ國には滅法甘いアメリカの「道義外交」が、日本はもとより韓國の淺薄な反朴派を増長させ、それが朴正煕氏を殺したのだなどと、いくら言つてみても所詮は甲斐無い事かも知れぬ。けれども、三百五十萬の讀者を持つニューズウィークの絶大なる影響力を認めるがゆゑに、これまた甲斐無き業かも知れぬが、私はニューズウィークに一つ注文しておきたい事がある。それは、韓國ばかり苛めずに、日本をもつと苛めて貰いたいという事である。  アメリカは昨今、日本の蟲のよい安保只乘りに苛立ち始めたという。それは田久保忠衞氏が『カーター外交の本音』(日本工業新聞社)で入念に分析してゐる通りである。田久保氏は書いてゐる。   問題は米國がこれだけ繰り返して日本に(軍備強化を求めるという)眞意を知らせて ゐるのに對して、日本の反應がまるきり鈍いという事實である。それを米側はよく知つ てゐる。だから政策的に米政府がやろうとしてゐるのは、日本に自發的に軍備強化をさ せることであろう。日本列島周邊のソ連の海空軍力の脅威を絶えず日本にPRし、石油 の輸送路確保の必要性を強調することによつて、日本の自發的な軍備強化を促そうとい うのが米國のハラであろう。  田久保氏の推理を私も肯定する。そして田久保氏の著書は、アメリカの日本に對する苛立ちを詳細に分析してゐるから、私は『カーター外交の本音』をひろく江湖に薦めたいが、ただ一つ、田久保氏が次のように書いてゐるくだりだけは頂けない。   實は、この邊で肝心なことにふれたいのである。韓國駐留米軍撤退論の本當の狙いは なにかである。(中略)ニクソン政權下の外交教書からブラウン國防長官に至るまで一 つ一つの點をつないで一本の線にすれば、米國がいかに強く日本に防衞分担を要求して ゐるかは自づと明らかであろう。しかし日本はいくら防衞責任を米國から要求しても一 向に動こうとはしない。これを米國の戰略家たちはよく知つてゐる。だから國際環境を 變えることによつて、日本が自發的に國防を自前でやらねばという意識になるのを狙つ てゐるのではないかと考へられるのである。  このくだりを讀んだ時、信頼してゐる田久保氏の言だけに私は唖然とした。何の事はない、田久保氏の説は相も變らぬ他力本願の對米依存である。「日本が自發的に國防を自前でやらねばという意識になる」には、アメリカに助けて貰わねばならず、しかも韓國を犠牲にしなければならない、田久保氏はそう主張してゐる事になる。日本が他國に助けられ他國を犠牲にして初めて「國防を自前で」やる氣になつたとして、それを果して日本が「自發的に國防を自前で」やる氣になつたと言へようか。  だが、私はここで田久保氏を批判しようと思つてゐるのではない。人權さえ抑壓されていなければ、どんなに自堕落でぐうたらな國でも咎めないアメリカ、或いはニューズウィークの、淺薄かつむら氣の「道義外交」が、田久保氏ほどの頭腦をも鈍らせてゐるという事が言いたいに過ぎぬ。が、「こんな國家に誰がした」などという事は言いたくないから、ニューズウィークに對する注文を繰返しておこう。淺薄な認識にもとづいて韓國を苛めるのは程々にしておいて、ニューズウイークは今後、精々日本を苛めて貰いたい。エコノミストの言うように、アメリカの對韓政策は「人參と鞭」の使い分けであつた。そういうアメリカに手を燒いて、樣々な苦勞をし、韓國はもはや充分に賢くなつてゐる。それゆえ、韓國は當分そつとしておいてその代り、ニューズウィークは日本の安保只乘りを激しく批判し、憲法の改正を要求し、軍備の強化を迫る内政干渉的キャンペインを華華しくやつて、日本を存分に苛めてくれまいか。先に訪日したブラウン長官は、日本の軍事費をせめてGNPの一パーセントにせよと要求したが、○・一パーセント予算を殖やしたところで、自衞隊の土性骨を叩き直せる譯が無い。ニューズウィークを散々に扱き下した私が、こんな事を頼めた義理ではないが、田久保氏と同樣私も他力本願の佛教徒ゆえ、ここは一つ、絶大な影響力を持つニューズウィークに頼むしかない、と思ふ譯である。  日本の軍事力の増強は朴大統領が期待してゐた事でもあつた。が、朴正煕氏の場合、それは弛まぬ自主防衞の努力を傾注した上での友邦日本への期待であつた。十二日間のソウル滯在中、私が最も樂しみにしてゐた朴正煕氏との會見は、朴氏の急逝により果せなかつたが、語り合つた韓國の知識人の殆どすべてから私はそういう日本への期待を感じ取つた。しかもそれは、所詮空しい期待と知つての期待であつて、維新政友會の申相楚議員などは、別れの握手を交しながらこう言つたのである。「どうか日本は、隣國の迷惑になる事だけはしないで戴きたい」。  大平首相は朴大統領の葬儀に參列しなかつた。日本の新聞は十月二十七日以後、韓國について暴論愚論の數々を並べ立てた。日本は韓國の事なんぞついぞ本氣で考へた事が無い。そして、釜山に赤旗が立とうと、大方の日本人はもとより、自民黨も自衞隊も少しも狼狽しないかも知れぬ。昨今日本人がソ連の脅威をひしひしと感じ始めたなどと言う人もゐるが、私はそんな事は信じない。先に栗栖統幕議長が解任された際、自衞隊の幹部は誰一人追腹を切らなかつたし、久保田圓次氏の如き人物にも、短時日とはいえ、防衞庁長官が勤まつたのである。それに何より、ソ連の脅威を説く論文を讀んでいて、私が常に疑わしく思ふのは、筆者が果して日本國憲法前文を承知して書いてゐるかという點である。日本國憲法には吾國は「平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼」して「陸海空軍その他の戰力はこれを保持しない」と書いてある。それなら、ソ連も「平和を愛する諸國民」であつて、北方領土を返そうとしないのも、アフガンに攻め込んだのも「公正と信義」ゆえの行爲であり、ソ連を憎んだり嫌つたりするのは平和憲法の精神に反する行爲ではないか。  底抜けに明るく、甘く、かつ卑屈な憲法を吾々は持つてゐる。そういう腰抜け憲法を改正せぬ限り、日本は軍隊を持てず、海外派兵も徴兵もやれはしない。日本がいずれ憲法改正に踏切るとして、それは一體何十年先の事なのか。私は時々朴正熙氏の寫眞を取り出して眺め「五年か七年たつたら、日本と韓國は安全保障条約が結べる時が來る」と福田恆存氏に言つた時の朴氏の眞劍な顔つきを想像し、「日本は閣下の御期待には應えられまい」と福田氏に言われ、沈鬱な表情で默り込んだ時の朴正熙氏の心中を思ひ遣り、日本もアメリカも韓國より賢くはない、賢い筈があるものかと、そう呟きながらこのニューズウィークを叩く文章を綴つて來た。「蜀犬、日に吠ゆ」。筆を擱くに當り、朴正煕氏の冥福を祈る。   第五章 教育論の僞善を嗤う <善意は即ち商魂なり>  日本は「經濟大國であるだけでなく教育大國」でもあるが、「怪物化した受驗戰爭、無氣力な教師、そして自信を喪失した親たち」によつて、今や日本の教育は「慘憺たる末期症状を呈してゐる」と知日派のユダヤ人トケイヤー氏は書いてゐる。外國人の批判を取分け氣にするのが日本人の習性である。それゆえトケイヤー氏の『日本には教育がない』はかなり廣く讀まれたという。つまり、日本の教育の現状を憂えるトケイヤー氏の善意を讀者は疑わなかつた譯である。だが、ユダヤ人がなぜそれほど深く日本の教育を憂えねばならぬのか。「日本のように偉大な歴史と文化を持つた國がどうしてこれほど病んでしまつたかを書きたい」と言うトケイヤー氏は、六年間日本に滯在し、次々に日本を憂えるベストセラーを書き上げた。トケイヤー氏は「日本のあり方に對して批判を投げかけるその一方で、自ら六年間を過ごした日本に深い好意を寄せ續けてゐると言へるだらう」と加瀬英明氏は言つてゐる。だが、私にはそうとは思えない、トケイヤー氏の動機はもう少しはしたないものではなかつたかと、どうしてもそう勘繰りたくなる。現在の日本病を憂え過去の日本を持ち上げ、ついでに必ずユダヤ人の聖典タルムードを引いてユダヤ人の知惠を稱えるトケイヤー氏の善意とは、實は拝外病と反省病という二つの持病を抱えてゐる日本人の弱みに附込もうとの商魂ではなかつたろうか。  「トケイヤー氏の本がひろく讀まれたということは、日本人が自分に對する外國人の指摘を受け容れるだけの國際性を身につけることができるようになつたことを示してゐる」と加瀬氏は言う。「外國人の指摘を受け容れるだけの國際性」なる代物も日本病の症状の一つだと考へるから、私は加瀬氏の意見に同じないが、それはともかく、日本の讀者はトケイヤー氏の善意を信じ、少なくとも讀んでゐる時だけは、善意の塊と化したのである。その證拠に、トケィヤー氏の日本病に對する處方箋が殆ど役立たないものであつたにも拘らず、誰もそれを咎めようとはしなかつた。トケイヤー氏は書いてゐる。   かつての日本には、筋の通つた社會道徳があつた。このような道徳というのはいつの 時代にも社會にとつて必要なものである。昔、嚴格な寺子屋の師匠を「雷師匠」と呼ん だが、彼の「雷鳴は近所にとどろいた」という。このように「雷師匠」が雷のような聲 を出して、生徒にあたる寺子たちを教へることができたのも、自信があつたからである 。(中略)寺子屋では教科書として『童子教』が廣く用いられた。「善き友に随順するも のは、麻の中の蓬の直きがごとし」とか「口はこれ禍の門、舌はこれ禍の根」、「それ 積善の家にはかならず餘慶あり」、「人は死して名をとどめ、虎は死して皮をとどむ」 といつた言葉は明治生まれの日本人であつたら、まず知つてゐることだらう。道徳は幼 いときにしつかりと教へなければならない。(加瀬英明譯)  山鹿素行は『語類』卷七第三章に「子弟皆手習物まなぶといへども、教ゆるもの學の道を知らざるゆへに、唯往來の文をいとなみ、日記帳のたよりとのみなりて、世教治道の助となり、風俗を正す基となることなし」と書いてゐる。してみれば、「雷師匠」の道徳教育が絶大なる効果をあげたかどうかはいささか疑わしいが、少なくとも今日『童子教』や『女大學』がそのままでは役立たぬ事くらい誰でも知つていよう。それにも拘らずこの種のおよそ役立たぬ處方箋を、讀者は一向に怪しまない。トケイヤー氏の著書に限らぬ、善意の教育論は善人の如くに退屈で、去勢された種馬の如くに役立たない。そして役立たぬ事を一心に論じて一向に咎められる事の無いのが教育論なのである。善意の教育論は、日本の教育は今や「慘憺たる末期症状を呈してゐる」との診斷にもとづき、「雷師匠」を懷かしみ、「無氣力な教師、そして自信を喪失した親たち」を叱咤する。なるほど親にも教師にも越度はある。けれども、叱られた親や教師が、緊褌一番「雷師匠」や雷親父に生れ變つたという話をついぞ私は聞いた事が無い。 <胡散臭い教育論>  下手糞な醫者を俗に藪醫者と言う。藪醫者に掛つて症状が惡化したら、誰でも醫者を怨む。そしてその際、醫者の治療衝動が善意だつたかどうかはおよそ問題外であろう。しかるに、教育論の筆者は役立たぬ事を一心に論じて少しも怪しまれる事が無い。教育衝動の善意だけは決して疑われる事が無い。醫者に對しては專ら技倆の如何を問い、善意惡意は問わない癖に、世間は教育の專門家の善意は疑わず、その技倆の如何を問う事が無いのである。かくて綺麗事の教育論が野放圖にのさばる事となる。例えば、三木内閣の文部大臣だつた永井道雄氏は、『近代化と教育』の中で次のように書いてゐる。   しかし、教育には、經濟や政治につきないそれ自體の目標がある。人間とはそもそも 何であるのか。人類とは、歴史とは、そしてその中にある近代國民國家とは何であり、 それはどこに向つて進みつつあるのか、これらの基本的な問いが、いままでにない深い 意味をおびて、今日の教育になげかけられてゐる。《ただ經濟的な動物として生きるの ではなく、すべての人間が人間としてよりよく生きる》とはどのようなことか。人間が 地球をはなれて月に到達した同じ世紀に、教育もまた、有史以來、もつとも困難な挑戰 をうけてゐる。(傍點《》松原)  トケイヤー氏の著書と同樣、永井氏の著書も廣く讀まれてゐるという。だが、「有史以來」の「もつとも困難な挑戰」の事なんぞ凡人は考へてゐる暇が無いから、こんな文章を讀まされても何の役にも立ちはしない。何の役にも立たぬ事を營々として論じるとは何とも奇特な御仁だが、そこがまた胡散臭いゆゑんであつて、人間は何の役にも立たぬと解つてゐる事に熱中する筈は無いのである。例えば本年二月、中國軍がヴェトナムへ侵攻するや、ヴェトナム駐在の日本大使はヴェトナム外務省を訪れ、速かな停戰を要望した。もとより、軍事的に非力な日本が何を言おうと、中國もヴェトナムも戰爭を止める譯が無い。日本の要望など何の役にも立ちはしない。日本國の大使とてそれはよく承知してゐる。大使は本國政府の訓令に從い、何の役にも立たぬ事を澁々やつたまでである。そういう甚だ空しい仕事を、弱小國の外交官は屡々やらなければならない。彼等とて一生に一度は、かつての松岡洋右よろしく國際政治の檜舞臺で啖呵を切つてみたいであろう。が、それは所詮叶わぬ夢であり、弱小國の悲哀を噛み締めつつ、彼等は心にも無い綺麗事の要望を傳えるしかないのである。政治家もそうであつて、もはや「貧乏人は麦を食え」などとは口が裂けても言へはしまい。そういう政治家や外交官の遣る瀬無さを思ひ、私は時々深く同情する事がある。  してみれば、政治家が憂さ晴しのために汚職をやつて私服を肥やすのも止むをえない。人生の絡繰りはどこかで必ず帳尻が合うようになつてゐるのであり、何の役にも立たぬ仕事をやらされ、常に綺麗事を口にしなければならない分だけ、政治家はどこかで密かに物欲や名譽欲を滿足させるのではないか。とすれば、永井道雄氏とても同樣であり、清潔が看板だつた三木内閣の文相に汚職をやれた筈は無いけれども、「すべての人間が人間としてよりよく生きる」などという事を臆面もなく口にする以上、永井氏の場合も、どこかできつと帳尻は合つてゐるに違い無い。が、それにしても、トケイヤー氏は日本列島に住む一億人の將來を案じたに過ぎないが、永井氏は何と、世界人類四十億人の將來を案じてゐる。この桁違いの善意に商魂逞しいトケイヤー氏も顔色を失うであろう。  そういう次第で、トケイヤー、永井兩氏の著書に限らず、大方の教育論は程度の差こそあれ胡散臭いのであつて、その種のいかさま教育論が親や教師の自信喪失を癒す事は決して無い。例えば子供の自殺が續發すると、教育學者やジャーナリストは胸に堪える振りをして、せつせと空しい處方箋を書いて稼ぎ捲り、親や教師は子供の「自殺のサイン」を見落すまいと懸命になる。けれども、そういう事で子供の自殺が減る譯が無いから、親や教師はますます自信を失い、ますます教育論の食い物になる。何とも滑稽な惡循環である。そろそろそういういかさま教育論の非力とぺてんに氣付いてもよい頃ではないか。子供の自殺に効果的な對策は一つしか無い。つまり、肚を据え「死にたい奴は勝手に死ね」と突放せばよいのである。 <いかさま教育論の正體>  「死にたい奴は勝手に死ね」と突放して差支え無い理由については追い追い述べるが、自信喪失病を癒したいと思ふなら、まずはいかさま教育論の正體を看破る事から始めなければならない。そしてそれは簡單な事で、釋迦やクリストではあるまいし、吾々は決して「すべての人間が人間としてよりよく生きる」などという事は考へない。考へないほうが正常だと考へたらよいのである。手廣く救濟事業に勤しむ善人は、まず間違い無くぺてん師だと心得て、もつと氣樂になつたらよいのである。しかるに、親も教師も教育論のぺてんにはたわいも無く引掛る。「人類とは、歴史とは、そしてその中にある近代國民國家とは何であり、それはどこに向つて進みつつあるのか」などと言われると、一家眷屬の事しか考へない親や教師は、忽ちおのれの不徳を恥じ入るのである。「懺悔は一種ののろけなり。快樂を二重にするものなり。懺悔あり、故に悛むる者なし」と齋藤緑雨は言つた。親も教師も反省ごつこを樂しんでゐるのだらうか。子供の自殺を防げぬ非力を反省して樂しんでゐるだけの事だらうか。そう思える節も多々あるが、それならいつそ百尺竿頭に一歩を進め、「死にたい奴は勝手に死ね」と突放すだけの勇氣を持てそうなものである。が、實際には決して持てない。人々は反省を樂しんでゐるにも拘らず、樂しんでゐるという事實には決して氣付かない、或いは氣付きたがらない。そしてそれも無理からぬ事であつて、永井氏は「ロケットは月に着いたが、地上には人種間、國家間の爭いがある。東海道新幹線は走つても、教育界の混亂はつづいてゐる」と書き地上の戰爭を嘆いてゐるが、戰後の日本人はこの傳で巨大な産を成したのである。平和憲法を護符として遮二無二稼ぎ捲りながら、「ただ經濟的な動物として生きるのではなく」などと心にも無い綺麗事を言い、世界の平和を念じ、異郷の戰火を憂え、その僞善と感傷を他國に咎められぬよう、常に皇國日本の罪過を言い、そうして反省してみせる事がいかに儲かるかを知つたのであつて、これだけ味を占めたら、容易な事ではやめられまい。乞食も三日やればやめられないのである。  周知の如く、昭和二十年の敗戰は「在來の價値觀の崩壞」を齎し、親と教師は茫然自失、子供に何をどう教へたらよいか解らぬ、といつた體たらくであつた。そして今日なおその後遺症は癒えておらず、かくかくしかじかの事は絶對にしてはならないと子供に言い切るだけの自信が今や親にも教師にも無いという。けれども、日本國民の大半が戰前の價値觀を否定し、軍國主義の罪過を悔い、我勝ちの反省競爭に專念してゐた頃、「俺は馬鹿だから反省しない」と放言した男もいた。小林秀雄氏である。昭和二十一年一月、「近代文學同人との對談」で、小林秀雄氏はこう語つてゐる。   僕は政治的には無智な國民として事變に處した。默つて處した。それについては今は 何の後悔もしてゐない。大事變が終つた時には、必ず若しかくかくだつたら事變は起ら なかつたらう、事變はこんな風にはならなかつたらうといふ議論が起る。必然といふも のに對する人間の復讐だ。はかない復讐だ。この大戰爭は一部の人達の無智と野心とか ら起つたか、それさへなければ、起らなかつたか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史 觀は持てないよ。僕は歴史の必然性といふものをもつと恐ろしいものと考へてゐる。僕 は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいぢやないか。  この敗戰の五カ月後に開かれた座談會のメンバーは、小林氏のほか、荒正人、小田切秀雄、佐々木基一、埴谷雄高、平野謙、本多秋五の諸氏だが、小林氏の發言以外は悉く凡傭であり、退屈であり、殆ど讀むに耐えない。例えば本多氏は、「知識の中には文明人がゐるが、信念の中には野蛮人がゐる」という小林氏の文章を引き、「しかし、やはり竹槍で戰爭するわけには行かないのです。アメリカ軍はジープを自轉車のやうに乘りまはしてゐます」と言つてゐる。本多氏はジープを乘り廻すアメリカ軍に驚き、竹槍で戰おうとした日本を反省した譯である。が、今や日本は經濟大國であり、吾々はもはやジープなんぞを羨みはしない。つまり本多氏の發言は六日の菖蒲となり果てたのである。しかるに、「知識の中には文明人がゐるが、信念の中にはいつも野蛮人がゐる」という小林氏の意見は今日なおいささかも古びていない。それは人間が人間である限り古びはしない。先に引いた永井道雄氏の言葉を捩つて言へば、ロケットが冥王星に達しても、人間の信念から野蛮人を追い出す事はできない。信念にもとづく蛮行や戰爭を根絶する事はできない。  ところで「一億總懺悔」の眞最中に、浮足立つ馬鹿を尻目に、「俺は馬鹿だから反省しない」と小林氏が放言できたのは、時代がどう變ろうと人間の愚昧は少しも變らないという事を知つてゐたからである。「政治の形式がどう變らうが、政治家といふ人間のタイプは變りはしない。だから、さういふ人間のタイプが變らぬ以上、どんな政治形式が現はれようと、そんな形式なぞに驚かぬ。面白くもない」と同じ座談會で小林氏は言つてゐる。敗戰から今日まで綺麗事に終始した教育論議が一向に「面白くもない」のだから、そしてそれが何り役にも立たない事だけははつきりしてゐるのだから、軍國主義が民主主義に變り、その民主主義がまた軍國主義に變ろうと、「そんな形式なぞに驚かぬ、面白くもない」と、三十餘年前に言い切つた小林氏の自信と、信念の中の野蛮人に驚かない度胸を、この際親も教師も見習つたらよいと思ふ。 <樂天家の苦しげな文章>  要するに、自信喪失病を癒すには自己反省病を癒せばよいのである。「死にたい奴は勝手に死ね」と突放すためには、他人の死は所詮餘所事だと觀念して、餘計な反省をしなければよい。そしてそれが今も昔も少しも變らぬ人間の本性だと知ればよい。人間にはそういう度し難い本性がある事を認めればよい。人間は蛮行が好きで、「美徳の不幸」を喜び、善の無力を嘲笑う。何より度し難いのが權力欲で、權力欲はどんなに善良な人間にも潜んでゐる。ジョージ・オーウェルは作中人物の一人にこう言わせてゐる、「吾々が他人を支配して、特に生き生きとして來るのはどういう時か。他人に苦痛と屈辱を与えてゐる時だ。他人の顔は何のためにあるか、踏みつけるためにある」。ところが、かういふ始末に負えない人間の本性を樂天的な教育家は一心に矯めようとする。何とかして人間を變えようとする。變えられると信じてゐる。だが變えられた例しは無いし、變えられる筈も無い。『痴愚神禮讃』の著者エラスムスは、人間社會の悲慘と不幸はすべて人間の痴愚に由來するのだから、人間がおのれの痴愚を骨身に徹して知る事こそ焦眉の急であると考へた。が、やがて彼は絶望して『幼児教育論』を書く事になる。エラスムスに限らない、大人の度し難い本性を矯められないと知ると、教育家は幼児に期待するようになる。「子供を放置すれば獸になる。慎重に育てれば神のごとき存在になる」とエラスムスは書いた。口ックやルソーと同樣、エラスムスもまた幼児は大人の意のままに育てられると考へてゐる。大人の考へ方次第で「どのようにも形作られる蜜4」だと思つてゐる。形作つてやる事が善意だと信じてゐる。だが、自分がこんなに駄目な人間だから、他人を駄目な人間にしたくないなどと誰が本氣で考へるだらうか。自分が駄目な奴ならば、他人も駄目な奴になつて欲しいと考へるのが人情であろう。「姑に順ざる女は去るべし」とて姑にいびられたら、自分が姑になつてやはり嫁をいびるであろう。が、教育家はそういう情けない人間の本性を綺麗さつぱり忘れてしまうのである。  それに、ロックが考へたように、生れたばかりの赤子を「一枚の白紙」と假定したところで、教育家の努力を嘲笑うかのように、いずれ必ず幼児は度し難い人間の本性を現わす。そしてそれが誰のせいで出現したかを斷定する事はできない。とかくの議論も所詮は水掛け論に終る。けれども、子供が言葉を憶えなければならない以上、そして言葉が大人の邪惡な本性を反映してゐる以上、子供が大人同樣の本性を示すにいたるのは理の當然である。それゆえ、大人に絶望して子供に期待するのは無益な事だと思ふ。事によると子供は大人以上に利己的で殘忍なのかも知れないのであつて、例えば昨今、子供の自殺の頻發を憂えて大人は狼狽してゐるらしいが、子供は決して子供の自殺を憂えてはいないであろう。  東京國分寺市で、中學三年生の少年が自殺した。それを知つた同じく中學三年生の女生徒はかういふ詩らしきものを作つてゐる。「そのとき、少年は羽ばたいた。バベルの塔のような、高いビルディングから、重い鎖をひきずつて。そして少年は地に叩きつけられた。彼の友は悲しみ、泣き叫んだ。けれど友は、その心の隅で、ニヤリと笑つた」。  これは昭和五十四年の『文藝春秋』三月號に載つた近藤信行氏の論文「少年の自殺」に引用されたものである。この「詩」は「競爭相手がひとりすくなくなつたことにたいする安堵を正直にあらわして」おり、「教育の過熱の弊害、受驗地獄の深刻」によつて「ほんとうの人間味は失われてゆくのだ」と近藤氏は言い、何とも空しい反省の文章を綴つてゐる。   私自身にしても、子供の世界にはついてゆけないほど、彼らは流動的であり、良きに つけ惡しきにつけあたらしいものを身につけてゐる。たとえばいまはやりのディスコに 出かけて、いつしょに踊り狂うことのできる教師や父親は存在するだらうか。舊世代の 感覺で教育し、育てようとしても彼らがついてこないことは必定である。  これが僞善的教育論の典型的な遣り口なのであつて、親や教師はこの種のぺてんに引掛らないようにしたほうがいい。そこで、近藤氏には少々申譯無いが、讀者の理解を助けるため、少々口汚く罵らせて貰う事にする。まず、受驗に限らずこの世は生存競爭である。競爭相手の脱落を喜ぶのが人情である。近藤氏の文章は惡文であちこちに疵があり、暇と機會と根氣があればいくらでも指摘して差上げたいが、かういふ私の酷評を讀めば、いかに善良な近藤氏も、必ずや腹を立てるであろう。腹も立たないくらい遺り込められれば、世を儚んで自殺したくなるであろう。けれども、遣り込めた奴が頓死したら、近藤氏は「心の隅でニヤリと」笑うに違い無い。それなら、冗談と綺麗事は休み休み言うがよいのである。教育を論ずると人は思はず知らず善意の塊と化し、自他の邪惡な本性に氣づかない重症の樂天家になる。樂天家になつて苦しげな文章を綴る。樂天家が苦しむのならぺてんに決つてゐる。そういうぺてんに引掛つて深刻に考へ込む親や教師は、これはさて何と形容したものか。有り樣はどつちもどつちで、割れ鍋に綴じ蓋なのかも知れないが、丸損をするのは親や教師のほうである。俗に「坊主丸儲け」と言うが、子ゆえの闇に迷つていかさま教育論の丸儲けを許すのは、あまりにも間尺に合わない話ではないか。 <死にたい奴は勝手に死ね>  近藤氏は「子供の世界」が「流動的」で「ついてゆけない」と言う。假に「子供の世界」が「流動的」だとしても、なぜ一方的に大人がついてゆこうと努力しなければならないのか。人々は昨今、口を開けば權利と平等を言う。が、近藤氏にとつては、大人と子供は平等でさえないらしい。それに何より、子供の自殺を憂え、子供の氣色を窺い、「ディスコに出かけて、いつしょに踊り狂う」大人を子供は決して歡迎しない。腹の突き出た中年男がディスコで踊るのは、老婆の厚化粧同樣に醜惡である。それに、子供も大人と同樣に天邪鬼だから、時に他人の好意を喜ぶが、時に好意的な他人を輕蔑したくなる。それに何より、「子供の世界」は決して「流動的」ではない。當節の「翔んでる女」も大正時代のモガも變りはしない。そして若き世代が「流動的」で、とても「ついてゆけない」と感じ、ついてゆこうと空しい努力をする古き世代の苛立ちと劣等感、それもまた明治この方少しも變つてはいない。「散切り頭を叩いてみれば文明開化の音がする」という俗謡には、丁髷が散切り頭に對して抱いたに相違無い劣等感が表現されてゐる。明治の初期にも丁髷を結う古き世代は、散切り頭の新しき世代についてゆこうと痛ましい努力をしたに違い無いのである。  けれども、子供も大人と同樣に天邪鬼だとすると、大人の反省癖や善意が、ひょつとすると子供の謀反心を誘い出すのかも知れない。子供が自殺する、大人が無理解を反省する、別の子供が自殺して大人を反省させたいと思ひ自殺する、大人がまた無理解を反省する、そういう惡循環があるに違い無い。それなら「死にたい奴は勝手に死ね」と子供の甘つたれを冷たく突撥ねれば、子供の自殺は却つて激減するのではないか。自殺者も死ぬまでは生者だつたのであつて、生者同樣にあの世の事は確と解らない。そこで自殺しようとする人間は住み馴れたこの世の事を考へる。おのれの自殺が生者に及ぼす効果を計量する。その際、この世の生者たちがおのれの自殺を默殺すると考へただけで、彼は必ずや張合ひが抜けるであろう。實際、自殺者の死體を辱しめて頗る効果的だつた事もある。アルヴァレズは『自殺の研究』にこう書いてゐる。   プルタルコスによれば、あるときミトレスに、にわかに縊死する娘がふえて、ついに 町の古老のひとりが、死體を市場まで運んではずかしめることにしたらどうかといつた 。すると虚榮心が自殺の狂氣を克服したという。一七七二年に、パリの陸軍病院で、十 五人の傷病兵があいついで同じ掛けかぎで首をくくつたが、その掛けかぎを抜いたとこ ろ流行がやんだ。(中略)通稱「自殺橋」から入水自殺するボストン市民がたえなかつた ので、當局がやけをおこして橋をこわしたところ、やつとやんだ。それぞれが、氣違い じみた連鎖反應をたちきつた劇的な例である。(早乙女忠譯)  二十世紀の今日、まさか自殺者の死體を辱しめるわけにはゆくまいし、かつてのカトリック教會の如く自殺者の埋葬を許さないなどという嚴しい對策を講ずる譯にもゆくまい。だが私が解せないのは、自殺者を遇する生者の心理である。近藤信行氏もそうだが、なぜ生者が自殺者に引け目を感じなければならないのか。生者もいずれ例外無しに死ぬ。自殺者は一足先に、自分の都合で、あの世へ行つたに過ぎない。誰でも行ける所へ行くのに格別の才能は要らないし、誰でも行ける所へ行つた者に引け目を感じる必要は無い。それとも、この世に生き續けるのは疾しい事であると、或いは、あの世はこの世よりもすばらしいと人々は信じてゐるのだらうか。  「この世に生を享けぬに如くはない。が、生れた以上一刻も早く死ぬ事だ」とテオグニスは言つたという。人々はテオグニスに賛同してゐるのであろうか。まさかそんな筈は無い。とすれば生者が自殺者に引け目を感ずるのは之繞を掛けた不条理である。  自殺者は人生の敗者であるばかりか、あの世でも敗者なのだと私は思ふ。無論、近親が自殺者を憐れむのは當然の事である。子供に死なれて悲しまない親はいない。けれども、子供の自殺を報ずるジャーナリストや、自殺を憂える一文を草する物書きは、親の悲しみを食い物にしてゐるという自覺を欠いてゐる、そういう自覺を欠いてゐる死の商人を成敗するために、私は敢えて冷酷な事を言うが、自殺者も死の直前までは生者であつて、生者と同樣、エゴイズムを免れない。遺書に何と書いてあろうと、自殺者はおのれを敗者とは思ひたがらない。それどころか生者を輕蔑して死ぬ。自殺者は生者にこう言う、「俺はこの愚にもつかぬ人生を見限る事にした、お前たちはまだ見限れないのか」と。しかし、あの世のほうが遙かにすばらしいと假定して、自殺者が死後それを知つたとしても、それを生者に傳える術は無い。また友人知己がいずれ次々にあの世を訪れた時、先見の明を誇る譯にもゆくまい。なぜなら、先行者たる彼に何らかの特典が与えられる筈は無いからで、早く死んだ奴が偉いのなら、二十世紀の死者はあの世でピテカントロプスや北京原人の奴隷にされてしまう。それはあまりの理不尽ではないか。それゆえ、自殺者はあの世でもやはり敗者だという事になるのだが、あの世の事はともかく、この世を去ろうとする時の自殺者は、弱者にふさわしい怨念を籠め、敗者にふさわしい虚勢を張り、生者を輕蔑して死んで行くのだと、生者としてはそういうふうに考へたらどんなものか。そう考へれば自殺者の怨念や虚勢に生者がたじろぐ必要は無くなるであろう。他殺はたかだか數人の生命を奪うに過ぎないが、自殺は世界中の生命を否定する許し難き行爲だと、これは私が言うのではない、チェスタトンが言つた事である。その通りであつて、「お前たちはまだ見限れないのか」と呟く自殺者と、この世を肯定し、この世に執着しつつ死ぬ通常の死者とを、吾々ははつきり區別しなければならない。はつきり區別して、自殺は敗北だという事を子供に教へ、自らも死の商人のぺてんに引掛らないようにならなければならない。 <惡魔のいない教育論>  ところで、アンドレ・ジードは「惡魔と協力せずにはいかなる藝術作品も創造できない」と言つた。それはトルストイが、信じたくない、信じたくないと思ひながら、その實密かに信じてゐた事である。『アンナ・カレーニナ』の冒頭にトルストイは、幸福な家庭は似たり寄つたりだが、不幸な家庭は千差萬別だと書いてゐる。トルストイについて語つて人は彼の人道主義や平和主義を言うが、實はトルストイくらいすさまじいエゴイストは滅多矢鱈にはいないのである。おのれのエゴイズムにトルストイは一生苦しんだ。不幸な家庭はなるほど千差萬別だが、千差萬別の他人の悲しみをおのれの悲しみとする事ができない、それがトルストイには何より腹立たしかつた。つまりトルストイの心中には惡魔がいたのである。他人の子供の自殺を食い物にする連中の心中にも惡魔はゐる。が、始末に負えないのは、そういう手合には、他人の不幸に乘じて稼いでゐるという意識が欠けてゐる事なのだ。もつともそれも無理からぬ事で、そういう意識があつたら稼げない。そういう意識があつたら稼げないという意識も無い。それがあつたら稼げないからである。  實際私は不思議でならない。文學も哲學も神學も教育も、すべて人間の營みである。それなのに、なぜ教育論議にだけ惡魔がいないのか。プラトンは人間が一切の謙抑を捨てたらどうなるかを案じたが、マルティン・ルターはその謙抑を擲ち、教會を否定し、人間の中にいかなる善性をも見ないようになる。「私は惡魔を首にぶらさげて歩いてゐた。奴は私のベッドで頻繁に寢た、妻よりも頻繁に」とルターは書いてゐる。また、一八四八年十二月十九日、英國ヨークシャーの牧師館で、エミリーという娘が三十年の短い生涯を閉じた。無口で内氣な男嫌いの娘であつた。娘は數篇の詩と長篇小説『嵐が丘』を遺した。その小説の作中人物はこんなふうに呟くのである。   法律がもう少し嚴しくなく、趣味がもつと優美で洗練されてゐる國に生まれてゐたな ら、俺は夕方、あの二人をゆつくりと生きたまま解剖して樂しめるのだが・・・・・・ 。  ジョルジュ・バタイユの言う通り、これは殆どサドの描いた極惡人にふさわしい臺詞であつて、これほどの惡魔を「道徳的なひとりの若い娘が創造した」のは「それだけでひとつの逆説ともいうべきこと」であろう。けれども、藝術作品の創造に惡魔の協力が不可欠なら、一見道徳的なエミリーの心中に惡魔がいた事に何の不思議も無い。不思議なのは文部大臣まで勤めた世間師が惡魔と無縁の文章を書く事である。いや、それとも「文部大臣まで勤めた世間師だから書ける」と言うべきか。それはともかく、文學や哲學に惡魔が顔を出す事は當然の事と考へる癖に、人々は教育論における惡魔の不在を一向に怪しまない。幕末から明治にかけて、小説家は「下劣賎業」の輩と見做されてゐた。假名垣魯文は「戯作者は愚を賣つて口を糊するものだ」と言つてゐる。勸善懲惡の戯作が惡魔と深く契つてゐた筈は無いが、今日もなお世人は、教育は聖職だが、文學は「下劣賎業」だと考へてゐるのだらうか。  だが、文學の効用は色々あるが、その一つに人間の悲慘を教へてくれるという事がある。偉大な文學は同時に人間の偉大を教へてくれるが、悲慘だけなら二流の文學も教へてくれる。『嵐が丘』は二流の作品ではないが、一見道徳的な娘の心中にも惡魔がいたと解れば、元文部大臣の心中に惡魔がいない筈は無いという事が解り、世界人類の事を考へるのは拙劣なぺてんだという事が解り、勿論、おのれの心中にも確かに惡魔がゐるという事が解り、かくて、いかさま教育論のぺてんに引掛らなくなるのである。  それに、教育が惡魔と縁の無い聖職なら、教師は非行少女の心中に潜む惡魔を操れないであろう。例えば、暴力團に加わり、賣春をやり、猥褻映畫の主役を演じた女子中學生が警察に補導される。家庭は荒んでいて、生活指導の教師もいかんともし難い。教師が訪問すると娘を殴る事によつて親の責任を果そうとする酒亂の父親、娘の暴力を恐れ腫物に觸るようにしてゐる病弱の母親・・・・・・。困惑した教師は非行問題の專門家の意見を仰ぐ。では、非行に關する書物にはどういう處方箋が書いてあるか。こうである。   少年非行をなくし、あるいはこれを防止するための原動力が愛情であることは述べる までもないことである。この深い愛情にささえられた科學的認識と理解、それにもとづ く慎重さと忍耐が、個別的にしろ一般的にしろ、少年非行問題を解決する要諦である。 (樋口幸吉『非行少年の心理』)  非行の原因を探り、「科學的診斷」を下し「深い愛情にささえられた」指導技術を説くこの種の書物の効用を私は信じない。「深い愛情にささえられた」家庭の子供も非行に走る。いや、子供に限らない、「孔子の倒れ」という事もある。いつぞや新聞で讀んだ事だが、中學だか高校だかの校長を停年退職して、何の不自由も無い暮しをしてゐた老人が、卑猥な春畫を描いては、それを他家の郵便受けに投げ入れ密かに樂しんでいたという。人間はそうしたものなのだ。そして、人間はそうしたものだという事を文學は教へるのである。シェイクスピアはリア王にこう喋らせてゐる、   やい、田舎役人め、酷い奴だ、手を控へろ!なぜその淫賣に鞭を當てるのだ?それよ り己の背を鞭打て、貴樣の欲情はその女の肉を求めてゐる、その疚きが女を鞭打たせる のだ。(福田恆存譯)  淫賣婦の罪を咎めて鞭を振う男が、淫賣婦の肉を求め欲情に疚いてゐる。それがありのままの吾吾の姿なら、「少年非行問題を解決する要諦」などある筈がない。賣春を體驗し、猥褻映畫に出演し、その體驗を得々として物語る非行少女を前にして、教師や警官が心中密かにその少女の肉體に魅せられる。そういう事がある。そういう事が確かにあるという事を文學は教へるが、教育書は決して教へない。非行問題の或る專門家によれば、子供を非行に走らせるような「不適當な親子關係」として「親の過剰な保護、甘やかし、きびしすぎ、完全癖による子どもに對する干渉のしすぎ、權力的な支配、偏愛、拒否、放任、無理解など」が擧げられるという。かういふ事を言われて、さて親はどうするか。「適當な親子關係」を保つべく、適度に保護し、適度に甘やかし、適度に嚴しくし、適度に干渉し、適度に支配し、適度に偏愛し、適度に拒否し、適度に放任し、適度に理解する、そういう事をやるしかない。けれどもこれほど多岐に亙つて適度を保つのは人間業ではとても不可能だから、やがて「適度」は「好い加減」に變るしかない。人間の本性を無視して「好い加減」になるまいと力み返れば、いずれ必ず挫折して「やけのやんぱち」になる。それを稱して「育児ノイローゼ」と言うのである。 <非行少女はゴミタメに捨てろ>  要するに樋口幸吉氏の著書は實用書である。それは「高踏的」な永井道雄氏の教育論よりも數等ましである。だが、教育や「知的生活」に關する限り、私は今流行りの所謂ハウ・ツーものを信用しない。『サボテン栽培法』を讀めば見事なサボテンが出來るだらうが、子供はサボテンではない。それに『金の儲け方』なるハウ・ツーものを書いた男が倒産する事もある。オスカー・ワイルドが面白おかしく書いてゐるように、稀代の占師がおのれの運命は占えずして殺されるという事もある。事實かどうか解らないが、ソクラテスの妻クサンチッペは惡妻だつたという。妻はよろしく仕込むべしとソクラテスが主張した時、アンチステネスが言つたという、「それだけの理窟が解つてゐるのなら、ソクラテス、なぜ自分でクサンチッペの教育をしないのか」。クセノポンの傳えるところでは、母親の度し難さを父親ソクラテスに訴えた息子ランプロクレスに對して、ソクラテスはこう答えてゐる。「しかし野獸の殘酷と母親の殘酷とどちらが堪え難いと思ふかね」。  偉大なるソクラテスでさえ惡妻を仕込めなかつた。それを知つたらずいぶん氣が樂にならないか。天才の弱點を知つて氣樂になる事を無条件ですすめる譯では決してないが、ソクラテスの言う通り、野獸の殘酷よりは母親のそれのほうが遙かにましである。いや、野獸よりもましだと言へないほど酷い母親を持つたとしても、それがわが身の不運と諦めて、子供はそれに耐えるしかない。親にしてみれば、駄目な子供ほどかわいいに違い無い。子供の親に對するも同じ事で、欠點の多い親だからとて親を取替える譯にはゆかないのである。少なくともそう考へて親はもう少し氣樂になつたらよい。それに、父親の後ろ姿を見て子供が育つという事は本當であつて、父親は專ら仕事に励めばよいのである。倒産しそうな中小企業を何とか支えようと、連日脂汗を垂らしてゐる父親を見てゐたら、子供は決して自殺はしない、非行にも走らない。ディスコで踊る暇のある父親を持つ子供こそ、得たりやおうと惡に走るのである。  それに身も蓋も無い事を言へば、浜の眞砂は尽くるとも、この世に非行の尽くる時は無い。大昔から賣春もあれば人殺しもあつた。人間誰しも姦通したくなる時があり、人を殺したくなる時がある。けれども皆が一斉に勝手氣儘はやれないから、姦通したくとも姦通せず、殺したくても殺さない連中が、自分たちの事を良民と呼び、非行、すなわち新潮國語辭典によれば「道理にはずれた行爲」を敢えてする手合を、牢に入れ隔離したのである。幸田露伴は『一國の首都』の理想を論じて次のように書いた。   娼妓の廢すべきは論なき也。考うべきは時機也。風呂屋、踊り子、岡場所の妓、藝者 等、すべて色を賣り淫を賣るものは、良民の間に雜居せしむべからざる也。(中略)藝 娼妓の市中に横行するを禁ずることは、猥せつ繪を市中にバクロするを禁ずるが如くす べき也。良民に不必要なる種類の待合・茶屋は遊廓内に逐ふべき也。大にして堅固なる ゴミタメを造るは、すなはち清潔を保つゆゑんなり。  この種のゴミタメの効用を誰も否定できないと思ふ。それに、ゴミタメを廢止してもゴミそのものは無くならない。遊廓は無くなつても賣春は無くならない。賣春防止法が施行されて、却つて我國は清潔を保つ事が難しくなつたのかも知れないのである。  とは言へ、私は遊廓復活を主張してゐるのではない。日本人の道徳心は所詮美意識だとよく言われるが、その美意識も頗る怪しくなつた今日、遊廓なんぞが復活する筈は無い。私はただ、娼妓をゴミタメに捨てろと主張した露伴の自信を見習うべきだと、そういう事が言いたいに過ぎない。つまり「死にたい奴は勝手に死ね」と同じ事であつて、「非行少女はゴミタメに捨てろ」と放言できるだけの、厚かましいまでの自信を、親や教師は持つべきなのである。「厚かましい」と形容したのは、すでに述べたように、男の教師なら非行少女の肉體に魅せられる事があるからで、魅せられながら突放すのはほんの少々「厚かましい」からである。が、その程度の厚かましさに耐えられないようで、教師がどうして勤まるか。魅せられるのはよい、手を着けなければよいのである。 <子供の未熟をうらやむな>  さて、昨今流行してゐるらしい非行少年による所謂「校内暴力」を論ずる紙數が無いから、話を非行少女に限つたが、男の教師が非行少女の肉體に魅せられたとしても、五體滿足な教師ならそれは當然の事で、反省する必要など全く無いのである。しかるに、性に關する限り大人の自信喪失はかなりの重症であつて、所謂「不純異性交遊」や性教育には手を燒いてゐるという。それは性に關して大人が反射的に疚しさを感じてしまうためである。奇妙な事だと思ふ。假に性が不潔で忌わしいものだとしても、大人の性だけが不潔で忌わしい譯ではない。それにも拘らず、世間が大人の性の不潔のみを重視しがちなのは、子供を社會の汚染から守つて、飽くまでも善良に育てようとする主婦連的な善意のせいなのか。それとも主婦連的な善意が胡散臭い事を知りながら、その僞善を叩く氣にもなれず、かといつて開き直る事もできぬ臆病ないし怠惰のせいなのか。前者の僞善はかつて大學紛爭の際、あちこちにはびこつたものと同質で、進歩派の教師は大人は汚れてゐるが若者は純眞であると信じ、若者の正義に眩惑され、おのが不純を恥じ、反省競爭に專念した。或いは專念する振りをした。かういふ僞善は叩くのが面倒臭いから、問答無用、馬鹿は死ななければ癒らないとて切捨ててしまえばよいが、ポルノがこれほど市場に出廻つてゐるにも拘らず、後者の臆病と怠惰が一向に癒されないのは遺憾である。少々荒療治を試みよう。  「老いて智の若き時にまされること、若くしてかたちの老いたるにまされるが如し」と兼好は書いてゐる。老いたる教師が「若くしてかたちのまされる」非行少女に魅せられる事に何の不思議も無い。不思議なのは「老いて智の若き時にまされる」筈の教師が子供や若者の知的未熟に眩惑される事である。老ゐるとは汚れる事だ。けれども、汚れる代りに大人は何かを得る。その汚れる代りに得たものに、なぜ大人は自信を持てないのであろうか。若者もいずれは老いて汚れるのである。「聖を立てじはや、袈裟を掛けじはや、珠數を持たじはや、歳の若きをり戯れせん」と今樣にあるが、どんな馬鹿にも青春はあつて、大人も皆かつては「歳の若きをり戯れせん」とて青春を謳歌したのだが、やがて戯れて後の空しさが骨身に應えるようになり、「歡樂極まりて哀情多し」という事を知つたのである。「物を知る事は強い人間しか強くしない」とジードは作中人物に言わせてゐるが、それを言つては身も蓋も無い。大人が強くなれば、子供の知らぬ事を知つてゐる事に自信が持てるようになる。子供の無知ゆえの無邪氣なんぞに眩惑されなくなる。そして、そういう強い大人が子供を逞しく育てるのである。子供は大人にならなくてはならぬ。つまり、汚れなければならぬ。汚れてなおへこたれぬ根性無しに、この世は渡つてゆけないからである。それゆえ、大人が子供の純情に眩惑されるのは百害あつて一利無し、大人はおのが世間擦れに厚かましいまでの自信を持つたらよいのである。 。  大人は「歡樂極まりて哀情多し」という事を知つてゐる。子供は勿論それを知らない。知つてゐる事が幸福に繋がるかどうかは大問題だが、眞實子供のためを思ふなら、大人は知つてゐる事に自信を持つべきである。例えば、頓智の小坊主一休の事は子供なら誰でも知つていよう。が、大人はそれ以上の事を知つてゐる。すなわち、一休は淫房酒肆に遊んだ破戒僧であり、歳七十を越えて三十歳の盲女との性愛に惑溺した男であり、盲女の淫水を吸い陰に水仙花の香を嗅いだ男なのである。そういう事を大人は知つてゐる。  一休は心中に地獄を見、「野火燒けども尽きず、春風草又生ず」る事に苦しんだ。「一切の物をよしともあしともおもはざるところを、よしとも又思はず」との境地には達しなかつた。水上勉氏は「全盲女への哀れと、慈しみと、それに消えやらぬ性欲がまじりあい複雜な歡迎となつて手をさしのべる一休」と、「召し使いの眼あき女性如勝を庵に宿らせ、罪ふかい人間として惡人正機を説き、救いの名において閨をかさねてゆく蓮如とは多少事情がちがう」と言つてゐる。けれども、蓮如の場合は惡人正機が女犯の口實として用いられ、一休の場合は「一方は出家の、一方は盲者の垣根をこえて、肉體的に結ばれて、何の悔いものこらぬ悦樂境を」味わつたとしたとごろで、兩者に本質的な相違などありはしない。戒律が絶對善に支えられていない以上、戒律を破る破戒の行動たる逆行も惡とはなりえない。そしてそれなら、「坐禅するにもあらず、眠るにもあらず、 口のうちに念ぶつ唱ふるにもあらず」、大愚と稱し、托鉢して暮らし、米が餘れば雀にくれてやつた良寛を順行の僧とは言へず、かと言つて、盲女の楚臺に接吻する一休を逆行の僧とも言へぬという事になつてしまう。かくて、良寛ほど有徳でないという事は恥辱にならず、一休ほど不徳でないという事は辯解の種になるのである。  けれども、そうして良寛と一休を知り、恥辱を免かれ弁解の種を手に入れたら、ソクラテスもじゃじゃ馬に手古摺つたと知つた時同樣、吾々は氣が樂になる。「昨非今是、我が凡情」と言つた融通無礙の一休を知つたら、少々の事には驚かないようになる。子供は繪本を讀んで頓智の小坊主一休を知つてゐるに過ぎない。が、「老いて智の若き時にまされる」大人はそれ以上の事を知つてゐる。水仙花の香を嗅いだ一休を知つてゐる。だが、大人はそれを子供に語らない。語つても仕方が無いからである。 <性教育は茶番なり>  それゆえ、「老いて智の若き時にまされる」事に自信を持てないという奇病を癒したら、次に大人は、子供の知らぬ事を知つていながら敢えてそれを語らず、しかもそれを語らぬ事に疚しさを感じないようにならなければならない。誰も小學生に微分積分を教へはしない。無常を説きはしない。相手構わずすべてを語るのは馬鹿か氣違いである。大人は隱すべきものを隱さなければならない。一休の頓智に感嘆するわが子に、一休の女犯について詳細に語る親は一人もいないであろう。それは有害無益だと親は誰しも考へる。ところが、性教育に關しては親も教師も自信を持てない。そしてそれは性をあからさまにする事を躊躇い、それに疚しさを感ずるためなのである。解せない事だ、躊躇うのは當然だとして開き直るだけの自信をなぜ持てないのか。性は隱すべきものであつて、あからさまに語るべきものではない。私的交際における性の活力を保つためには、性を隱蔽する事が必要なのである。ポルノ解禁論者は解禁した國々で性犯罪が減少しつつある事を言う。馬鹿な事を言う。性犯罪の減少は必ずしも歡迎すべき現象ではない。それは性に對する感性の鈍磨を意味するに過ぎない。  けれども、今や性は頗る公けのものになつてしまつてゐる、マス・メディアは性を賣物にし、街角にはポルノ自動販賣機が置かれてゐる、そういう時代に親や教師がどうして性を隱しおおせようか、どこから自分は生れて來たのかと子供に問われて、「あんたは、神樣にお願いして授けてもろたんや。滿願の日に、お宮さんの石段のところに神樣が置いとかれたのを、貰うて來たんや」などと答えるのは、「性がいやらしく、みだらなこと、人前では口にすべきものではないと教へこまれてゐた時代」には効果的だつたろうが、今はとてもそれでは駄目であつて、もつと科學的な解答を母親は用意していなければならない、そう反論する向きもあろう。が、それなら例えば、次のような解答が果して模範的解答と言へるであろうか。   お父ちゃんは働いて、お母ちゃんや、あんたを世話する責任がありますから、毎日外 へ出てゆきます。しかし、家にゐると、いつもお母ちゃんといつしょにいたいと思ふし 、夜は同じベッドに寢ます。二人は愛しあつてゐるので、できるだけ近づき、いつしょ になりたいと思ひます。夫婦はみんな、そうです。それで、いちばん密接にからだを近 づけ、ふれあつたとき、非常に特別な二人だけの方法で夫と妻は愛し合ひます。キッス したり抱きあつたりする以上の仕方です。これ以上には近づけない状態にまでからだが 接したとき、夫は彼のペニスを、妻のからだにあるバジャイナ(膣)とよばれる特別の 場所へ入れます。  これはアメリカの性教育書の一節であり、朝山新一氏の『性教育』から孫引きしたものである。何とも酷い日本語の羅列だが、それはともかく、ここまで客觀的に語れるようになるには、日本人の「考へ方がもつと合理的、科學的にならなければ」ならないし、「住居の条件などが完備」されなければならないと朝山氏は言い、氏自身が「當をえてゐる」と考へる「客觀的知識に導く」説明の實例を示してゐる。要するに雄蕊雌蕊を用ゐる「科學的方法」である。朝山氏の方法を私は紹介しないが、アメリカの方法も朝山氏の方法も、三つの點で「神樣がおいとかれた」式の古典的方法に及ばない。  まず第一に、二つの近代的方法は夫婦の事しか考へておらず、古典的方法に裏打ちされてゐる子供への愛情を欠いてゐる。「神樣にお願いして授けてもろたんや」という一見稚拙な説明には、母親の子供への愛情が見事に表現されてゐる。「お前のようなやんちゃな子は、私の子じゃない。紅葉橋の下を、箱にはいつて流れて來たのを拾つて來たんだよ」と母親に言われた今東光和尚は「俺の臍と、お袋の臍は繋がつちゃいなかつたんだと、ずいぶん長い間惱んだもんだ」と述懷したそうである。和尚の母親は和尚を突放してゐるのであつて、子供を憎んでゐるのではない。愛してゐるから突放してゐるのである。和尚は長い間惱んだかも知れないが、母親の愛情を疑つた譯ではないであろう。そういう事を母親に言われ續けて和尚は和尚になつたのである。今東光和尚ほどの人物でも惱んだのだから、「氣の弱い子なら、不當な答えが、正常な精神發達に影響するコンプレックスになる可能性は」充分にあると朝山氏は書いてゐるが、「氣の弱い子」なら母親の「不當な答え」に自殺しないまでも、いずれ必ず他人の「不當な答え」に衝撃を受けて死ぬ羽目になる。  第二に近代的方法は事實のすべてを語つていない。夫が妻の「陰に水仙花の香」を嗅ぐ事までは教へていない。つまり、古典的な方法は何かを隱そうとはしていないが、近代的方法は何かを隱そうとしてゐるのであり、隱すのは當然だと開き直つてゐる譯でもない。それはいずれ隱す事の後ろめたさを免れず、また、ここまで正直に話したのだから、子供はそれ以上の追及はすまいと密かに期待してゐる譯である。もとより他人の良識を期待するのは決して惡い事ではない。しかし、それは同等もしくはそれ以上の他人に對する場合に限るべきであり、少なくとも親が子供に良識を期待するのは滑稽であり、非常識である。とまれ、どんなに合理的な親でも、性のすべてをあけすけに子供に語る譯にはゆかぬ。ポルノ解禁論者といえども、まさかわが子に性の實地教育を施す度胸は無いであろう。雄蕊雌蕊の性教育など所詮茶番に過ぎない。そういう茶番を眞顔でやつてのけられる人間はどこか狂つてゐる。性のすばらしさは、そういう綺麗事の科學的方法では掬い取れない淫靡なものにあるのであり、それはあくまで隱すべきものなのだ。「性に關する器官には陰の字がつけられてゐるが感心できない。陰を除きたいが、解剖學上の術語でいたしかたない」と朝山氏は書いていて、私はこのくだりで笑い轉げたが、隱し所は英語でもprivate parts,フランス語ではles parties honteusesなのである。  第三に、近代的方法は子供の密かな願いを見落してゐる。子供はいずれ必ず秘密を知るが、兩親の性交を目撃したいなどとは斷じて思はない。性交の事實を惡友から教へられても、暫くはわが父母に限つてそのような事はないと考へたがる。つまり、子供は親や教師から性教育を受けたがらないのである。いかに非科學的であろうと、にやにや笑つて得意げに惡友が授ける性教育のほうを子供は好む。或いは密かに入手した性教育書やポルノによつて自ら研究する事を好む。それゆえ、親や教師がポルノ自動販賣機を憎むのは逆恨みというものであろう。雄蕊雌蕊の性教育も所詮は子供の良識に頼らなければならない。それならいつそ子供の性教育は性教育書やポルノの「良識」に頼つたらどうか。私はふざけてゐるのではない。子供は親や教師から性教育を受けたがらない。それは正常な子供の密かな願いなのであり、近代的性教育はそういう子供の願いを天から無視してゐるのである。  以上、私は自殺と非行と性教育を論ずる教育論のぺてんを發いたが、教育論はそれ以外にも樣々な問題を扱つてゐる。が、何を扱おうと僞善的教育論のすべては愚劣淺薄で、まともな事は何も言つていない。要するに惡魔不在の教育論、人間不在の教育論ばかりなのである。教育家もかつては子供だつた。そして惡友の性教育を喜んだのである。しかるに、彼等はそういう事を實に見事に忘れてゐる。そういう一番大切な事を忘れて教育の現状を憂え、彼等はとかく深刻な顔をしたがるのだが、それは子供の自殺や非行が飯の種だからである。重ねて言つておくが、そういう死の商人に煽られて騷いだり惱んだりするのは愚の骨頂である。子供が自殺したり警察に補導されたりすると、親は決つて「うちの子に限つて・・・・・・」と絶句し、その見通しの甘さを批判されるけれども、親は皆「うちの子に限つて」と思ひ込んでゐるのであつて、その事自體少しも咎めらるべき事ではない。自動車のハンドルを握る者は、皆「俺に限つて」と思つてゐる。けれども、皆が事故を免れる譯ではない。そして交通事故の死者は自殺者よりも遙かに多いのである。運不運という事がある。交通事故を絶滅できるとは誰も思ふまい。それなら、自殺や非行を根絶しうるなどと考へぬがよいのである。 U 週刊誌時評 <ポルノのみにて生くるものにあらず>  「偉そうなことを言つてゐるが、ポルノはどうした」と言われて俯くのが週刊誌で、それゆえ週刊誌は信じてもいい、という意味のことをかつて山本夏彦氏が書いた事がある。かういふ考へには恐るべき眞實があつて、人間どこかで手を汚さずには生きてゆけない道理だから、脛の傷を隱さぬ週刊誌が大新聞や代議士の僞善をうさん臭く思ふのは當然である。が、それも程度問題であつて、「ポルノはどうした」、「ポルノ記事の低俗を少しは反省しろ」などと言われても一向に動じない週刊誌がやたらに多くなつた今日、週刊誌は低俗でその報ずるところはしばしば眉唾だと、例えばトルコ風呂探訪記の如き記事を讀まされて人は思ふのである。そしてそれも當然のことで、當然のことだからこそ政治家は何よりも清潔に見えるよう苦慮するわけなのだ。だから、そういう僞善の化けの皮をひん剥くには、週刊誌自身も信用をおとさぬようなにがしかの努力をしなければならない。  「新自ク機關誌にポルノ記事」が載つたという珍「事件」を報じた週刊讀賣六月四日號の文章は、そういう点で期待したのだが、新自由クラブの代議士諸公が大いに周章狼狽したというわけでもなく、清潔が賣物の政黨とポルノという興味深い組合せから、「責任者たるものは機關誌の原稿に目を通すべし」との至つて平凡な結論しか引き出せぬ記者の凡庸には落胆させられた。この事件が「新自クのつまずきになるか。それとも、消え去る瑕瑾ですむだらうか」と記者は結んでゐるが、文章というものは書き手のすべてを正確にあらわすものであり、この結びの文章は、筆者がこの事件を「新自クのつまずきになる」とは見ていないということをはつきり示してゐる。それにも拘らず「瑕瑾ですむだらうか」などという空々しい問いを發し、讀者の關心を引こうとしてゐるのであり、どんな低俗な讀者をも欺きえまいと思はれるこの種のぺてんは、低俗なよた記事と同樣、週刊誌の信用を失墜させることになるだけである。  ところで、編集長が交代して以來の週刊文春からは「ポルノ的なもの」が影を潜めた。六月二日號の「讀者からのメッセージ」には「全面的にピュリタニックになさらぬよう」との要望が掲載されてゐるが、人はポルノのみにて生くるものにあらず、最も讀み應えのある週刊文春と週刊新潮とがかなりの賣行きを示してゐるという事實は、兩誌を讀むことが人々の「知的生活」の一部となつてゐることの證拠であると言へよう。タイムやニューズウィークのような週刊誌がわが國にもあつていいのである。  ただし、週刊文春は讀み應えがあるばかりでなく、文章も明晰で調査も行屆いており、その点は高く評價するが、日本共産黨の上田耕一郎夫人が「皿洗い器を使つてゐるのも近所の主婦にはよく思はれていない」といつた類の事實の記述は單なる暴露戰術としか思はれまい。そういう瑣末な事實は、蒐集してもこれを思ひ切つて捨てるべきである。 (昭和五十二年六月七日) <馬鹿を叱る馬鹿>  慶應大學教授による入試問題漏洩事件を扱つてサンデー毎日はこう書いてゐる。「この事件に關係してゐるとニラんだ人物を洗うたびに、南青山や赤坂の豪邸に驚いた。(中略)白亞の豪邸を持ち、一戸で三つもバスをもつ高級マンションに住む。朝夕、滿員電車に揺られ、額に汗して働く大衆が狭いコンクリート長屋にあえいでゐるというのに」  かういふ下等な文章を、いかに鉤括弧で括つてであれ、自分の文章の中に取込まざるをえない事を、私はいささか腹立たしく思ふ。下劣な人物を作品に取込めば作品そのものが下劣になつてしまうと、フランス自然主義小説を論じてある批評家が言つてゐるが、それは確かな事である。それに、むきになつて馬鹿を叱るのは、これまた馬鹿にほかならないという事にもなるのだが、やむをえない、當分私は馬鹿を叱る馬鹿の役を演じなければならない。  サンデー毎日の記者は、白亞の豪邸に住む「幻の會社」の社長たちに義憤を感じた積りかもしれないが、このふやけた文章がはつきり示してゐるのは、記者の感情が義憤でなくて低級な嫉妬だという事である。「義憤的なひとは、その價値なくしてうまくやつてゐるひとびとについて苦痛を感ずる。嫉視的なひとはそれ以上に、あらゆるうまくやつてゐるひとびとについて苦痛を感ずる」(高田三郎譯)とアリストテレスは言つてゐるが、「幻の會社」の社長たちが「その價値なくして」うまくやつてゐると斷定しうるだけの充分な證拠を示さずに「コンクリート長屋」の「大衆」の苦痛について語るのは、低級な嫉妬のなせる業にほかならない。言うまでもなく嫉妬は卑しい感情である。それゆえ良識ある人間はそれを隱す。が、大衆の嫉妬心を煽る事を正義と心得てゐる記者にその種の良識は期待できないのかもしれぬ。それゆえこれは無理な注文かもしれないが、そういう記者は專ら足で稼いでもらいたい。頭を使うという作業は斷念して、拾い集めた事實だけを淡々と語つてもらいたい。  とまれ、前囘私は週刊讀賣の記者を批判したが、今にして思えばあれは少しく高度の批判であつて、讀賣にはこれほど浮薄な文章は無いのである。毎日は少し讀賣を見習つてもらいたい。例えば、先日、寢屋川市の主婦が體面を重んじ、生活保護を受けようとせずに餓死したが、その事件を扱つた讀賣の記事を見習つてもらいたい。「體驗レポート・ジーンズはどこまで許されるか」の如き愚劣な記事を追放してもらいたい。「ナァニがヒヒヒだ、ジーパン、いまや、ファッションですらない」・・・・・・何と下品な文章か。  ところで今囘は週刊新潮についても觸れる積りだつたが、馬鹿を叱る馬鹿になりすぎて紙數が尽きた。新潮は文春と同樣、多くの美點と多少の欠點を持つ週刊誌だが、その事については次囘に述べようと思ふ。 (昭和五十二年六月二十一日) <左右を叩く無責任>  週刊文春の「日本共産黨の金脈シリーズ」が完結した。『赤旗』は「もはや狂亂としか思えない」ほどの文春攻撃をやつてゐるそうだが、文春六月三十日號に掲載された「若き共産黨員に告ぐ」の中で共産黨元中央委員廣谷俊二氏が言つてゐるように、「このような猛烈な非難キャンペーンの集中砲火」によつて「批判者や、その同調者を萎縮させ沈默させようとする」のが共産黨の常套手段なのであり、それはつまり共産黨というナメクジにとつて自由とは鹽の如きものであるからに他ならない。文春の記事に多少の勘違いはあつたかも知れぬが、この際それは些事である。黨員に言論の自由を許さぬこの陰湿な政黨に對しては、今後とも勇氣と品位を失う事なく「批判のメスを入れて」もらいたい。  ただ、文春の田中編集長は「われわれは右でも左でも、イデオロギーと關係なく」批判してゐると言つており、それは編集者として當然の心構えだが、實は、右も左も蹴とばすという事は至難の業でもあるのである。例えば文春は野坂昭如氏の「右も左も蹴つとばせ」を連載してゐるが、これが何とも無責任かつ輕薄な文章なのだ。自民黨、新自由クラブから共産黨、革自連まで、當るを幸い蹴とばしてゐるつもりの野坂氏だが、革自連は知らず、自民黨も共産黨も、確實に野坂氏を輕蔑してゐるであろう。八つ當りをしながらも野坂氏は自分を愚かに見せる事を忘れない。そういう配慮をしておけば、野坂氏の文章に目くじらを立てるのは野暮な事だと、相手方が思つてくれるだらうとの狡猾な計算をしてゐるわけである。實際それは野暮なのである。週刊朝日も野坂氏の文章を連載してゐるが、六月二十四日號で開陳してゐる「君が代」をトルコ風呂やピンクキャバレーのBGMにせよといつた類の意見に腹を立てるのは、まこと大人氣無い事なのかも知れぬ。  要するに、人間、右も左も蹴とばすためには、信念やら羞恥心やらは捨てなければならないという事にもなるのだが、週刊誌には大新聞の「偏向」を是正するという役割もあつていいはずで、例えば週刊新潮が連載してゐるヤン・デンマン氏の「東京情報」は、そういう役割を充分に果たしてゐる。「東京情報」は世間が自明の理としてゐる事柄を徹底的に疑う人物の手になるもので、最近高木書房から單行本として上梓され、私は通讀したけれども、明らかにデンマン氏は專ら左を蹴とばしてゐるのである。が、野坂氏の文章は毒にも藥にもならぬ。純然たる娯樂記事ならばともかく、そういう戯作者ふうの無責任な八方破れの文士に、週刊文春は今後食指を動かさないでほしい。  最後に週刊サンケイについて一言。サンケイ六月三十日號にはトルコ風呂探訪記の如き下品な記事があつたが、七月七日號はかなり充實した内容であつた。今後は例えば「福田外交の六カ月を採點する」のような記事をふやし、「拳鬼奔る」の如き幼稚で汚らしい劇畫は追放してもらいたい。 (昭和五十二年七月五日) <良藥は口に苦し>  參議院選擧は終つたが、今囘の立候補者は大方嘘つきか僞善者であるに違いない、と週刊新潮七月十四日號でヤン・デンマン氏が書いてゐる。デンマン氏によれば「戰後の日本を惡くした元凶」は「怠け者を甘やかした」事であり「怠け者のクビも切れなくなつた」事なのだが、「不肖、私が當選したあかつきには、この日本から怠け者を退治します」と言い切つた候補者は一人もいなかつたのであつて、それはどうしてだらうとデンマン氏は訝しむのである。が、その理由は至極簡單であり、それは多分デンマン氏も承知していよう。  要するに、今や政治家は媚び諂う口巧者となつたので、怠け者退治の公約などを掲げようものなら、その候補者は必ず落選するのである。政治家たるもの本當の事は言つてはいけないのであつて、例えば國連は田舎の信用組合の如きものだと私は思つてゐるが、それを口走つた大臣の首は飛んだのだ。政治家は常に綺麗事を言つていなければならない。「巧言令色スクナシ仁」などという格言は、今や完全に死に絶えたのであり、してみれば綺麗事を言い澁つた川上源太郎氏が落選したのも當然の事かもしれぬ。もはや政治家は國民を教導しない、專ら國民を甘やかす。いやそれは政治家に限らない、ジャーナリストは讀者を甘やかし、教師は學生を甘やかし、親は子供を甘やかす。  けれども、國家も家庭と同樣、常に順境にあるとは限らない。そして孟子の言う通り、「敵國外患無きものは國つねに亡ぶ」である。とすれば社會の木鐸としてジャーナリストは、時に讀者に苦言を呈する勇氣を持たねばなるまい。讀者の機嫌を損ずるような事も言わねばなるまい。その點週刊新潮はあつぱれであつて、七月七日號の醫者は出身校を看板に明記せよとの提言にせよ、十四日號の寺尾判決批判の記事にせよ、明らかに一部の讀者の神經を逆撫でするような事を敢えて言つてゐるのである。七月七日號には「人間個々の能力はいかんともしがたい不平等主義に支配され、それがまた人類永遠の問題である」という文章があるが、良藥は口に苦し、かういふ苦い眞實を知らされて喜ばぬ讀者も多いはずである。が、これは否定しようのない眞實なのだ。人間には能力差がある、同樣に大學には格差がある。東大出にも馬鹿はいようが、それでも東大は一流であり、入試問題を漏らすような教員がいたとしても、慶應は「私學の雄」なのだ。  政治家は本當の事が言へない。それならせめて新聞や週刊誌が本當の事を言わなければならない。が、實態はどうか。讀賣、朝日、毎日の三大紙は、例えば寺尾判決にはしゃぎ、「集團ヒステリーに迎合した」のである。サンケイ新聞の讀者ならサンケイの報道の冷靜を知つてゐるだらうが、サンケイ一紙では所詮三大紙には太刀打ちならぬのである。それゆえ週刊新潮や週刊文春は貴重な存在であつて、兩誌は今後も、讀者を樂しませつつも、讀者の耳に逆らう直言をつづけてもらいたい。 (昭和五十二年七月九日) <岡田奈々と川端康成>  人間は度し難いほどスキャンダルが好きである。洋の東西を問わない。今も昔も變らない。人々は他人の不幸が好きなのであり、それはルナールが言つてゐるように「自分が幸福であるだけでは充分でなく、他人が不幸である事が必要」だからで、そういうけしからぬ根性が人間には確かにある。それゆえイギリス十八世紀の劇作家リチャード・シェリダンは、他人の惡口に興じて生き生きとして來る人間の姿を、喜劇『惡口學校』で見事に描いたのである。けれども、今日、他人のスキャンダルに興じたいという人々の根強い欲望をみたすには大新聞でも不充分であつて、それはもとより週刊誌の役割となつてゐる。例えば岡田奈々なる女優が暴漢に襲われた事件にしても、大新聞の記事は、岡田嬢の部屋に男が侵入し「岡田さんの兩手足を縛り、サルグツワをかませたあと(中略)血のついたパジャマを新しいのと着替えさせた」といつた程度の事實しか傳えない。當然讀者は欲求不滿におちゐる譯である。  そこで、例えばアサヒ藝能という週刊誌は、「岡田奈々と闖入男が過したナニもなかつた五時間への勘ぐり」という記事をのせ、こう書くのである。「岡田奈々ちゃんはナニもなかつた五時間をしきりに強調する。しかし(中略)ほんとうだらうか(中略)と疑いたくなるのが人情だらう。とは言へ、これを“下種の勘ぐり”ととられては非常に困る。ただ、奈々ちゃんの“貞操”が心配で心配でたまらないだけのハナシなのだから」  「奈々ちゃんの“貞操”が心配」というのはまつ赤な嘘であつて、これほどまつ赤な嘘も珍しいと、そう書けば、アサヒ藝能は低級な週刊誌なので、低級な週刊誌の低級な記事に目くじら立てる事はないと、そのように思ふ讀者もあるかも知れぬ。「奈々ちゃんの貞操」が守られたかはどうかは當事者しか解らぬ事であり、熱狂的なファンでもない自分にはそんな事は興味が無い、そう考へる讀者もいよう。  が、女優のスキャンダルは自分にとつて無意味と考へる讀者も、ノーベル賞作家のスキャンダルを騒ぎ立てる事を無意味だとは考へない。そこで、一流週刊誌はもとより一流總合雜誌までも、川端康成氏の「事故のてんまつ」にはとびつく譯である。岡田奈々の貞操など、亭主でも戀人でもない自分にとつては無意味だと考へる讀者はいよう。が、川端氏が少女を愛して自殺しようと、そんな事は自分にとつては無意味だと考へる讀者は少ない。臼井吉見氏の「小説」が賣れる道理である。けれども、少女への異樣な執着が川端文學にとつていかなる意味があるのか、それが明らかにされぬ限り、川端氏の私生活をあばくのは文藝批評家のなすべき事ではない。また、川端文學は世間がそう思ひ込んでゐるほど偉大な文學なのかどうか、それを疑う事なく「事故のてんまつ」に騒ぐのは、輕佻浮薄という點では女優のスキャンダルに興ずるのと大同小異なのである。 (昭和五十二年八月二日) <怒らざる者は痴呆>  川端康成夫人は、川端氏を好かぬお手傳いの少女に、「よい小説を書くためだから我慢して下さいね」と言つたそうである。夫人が事實その通りの事を言つたかどうか、それは知らない。が、これはいかにも小説家の妻が言いそうなせりふだと思ふ。いや、小説家に限らない、わが國の文化人はその女房に、この種の非人間的な寛容と物解りのよさとを期待しうるのである。例えば「反體制の進歩的文化人の雄といわれる羽仁五郎氏」は、目下、「家元制度粉砕を叫ぶ反逆の舞踊家・花柳幻舟と大戀愛中」だそうだが、週刊文春八月四日號によれば、羽仁氏夫人説子さんは夫君の戀愛に腹を立てていないのであつて、羽仁氏自身の言葉を借りれば、説子さんが怒らないのは「ボクの妻自身も(中略)幻舟がやつてることに理解があるんでしょうね」という事になる。  體制が寛大であれば反體制は堕落する。平和と自由を享受してゐるうちに人間の精神は弛緩する。亭主に對する女房の寛容も、度が過ぎれば亭主を堕落させるのである。羽仁氏の仕事は飯事だが、それは自由と寛容をモットーとする、ぬるま湯的な生活環境のしからしむるところなのかも知れぬ。羽仁氏が四十五も年下の舞踊家に戀をしたのも「幻舟は本當の藝術家だ」と思つたからなので、そういう幼稚な戀愛はよい年をした大人のやる事ではない。大人の戀愛はもつと醜惡なものである。が、發育不全の羽仁氏は、「普通なら隱す戀愛を大つぴらに週刊誌に賣つて、ギャラまで取つてゐる」事の醜さを醜さと感じない。當然である、飯事は醜惡ではない、お醫者さんごつこだつて醜惡ではない。  そう言へば、羽仁五郎氏に限らず、子息の映畫監督羽仁進氏も、その子未央ちゃんも、善惡や愛憎や美醜の葛藤には無縁の「人間失格」的人物である。週刊女性によれば、未央ちゃんは「母親の左幸子を、ときに“鬼婆あ”などと呼ぶ」そうだが、そういう羽仁家の人々の人間的欠陥が、なぜ週刊誌の記者には見えないのか。なぜそれに苛立たないのか。週刊ポスト八月十二日號は、羽仁進・左幸子夫妻の離婚を扱つた記事を、未央ちゃんの婿としてどのような男性が羽仁家に迎えられるのか、そこまで後をひく離婚のドラマだ」などというおよそ無意味な文章で結んでゐるし、週刊文春のイーデス・ハンソン女史による對談後記も頗る陳腐なものである。羽仁氏は「そろそろ八十になろうかという人が、若い女を好きになるなんて、およそ大胆ですよ。世間が、キスするのか、セックスはするのかつて氣にするのも無理はないよ」などと言つてゐる。そういうおよそ甘つたれたせりふを吐く五郎氏の人間的欠陥を衝けぬハンソン女史を、私は對談の名手だなどとは思はたい。いや、それとも對談の名手とは、「然るべき事柄についても怒らない」資質の持ち主なのか。が、そういう類の人間をアリストテレスは痴呆と呼んだのである。 (昭和五十二年八月十六日) <性に關する殘酷な嘘>  週刊文春八月二十五日號に「知的女性が眞劍に語り合つた」女性のセックスに關する座談會の記事が載つてゐたが、桐島洋子女史を除く他の二人は知的女性どころか、ただの女でさえない、人間でさえない。「膣にシコシコ入れて」もらうだの、「クリトリスかバギナどちらを使おうと、併用でもいい」だのと、人前でそういう正直なせりふを吐ける女は女ではない、氣違いである。氣違いは生眞面目な正直者だからである。その證拠にこの座談會は猥談にもなつておらぬ。猥談は氣のおけぬ友人たちと笑いながらやるものだが、なぜ「知的女性」は笑いながら性を語れないのか。週刊ポスト九月二日號の花柳幻舟もそうであつて、幻舟は羽仁五郎氏に對し、「もつと性を大らかに語らなアカン」と説いたそうである。が、大らかに性を語るには、人間、場所柄を弁えねばならない。性行爲に限らず、性に關するすべては適度に隱蔽すべきものなのだ。隱す事もまた美徳の一つなのである。  『微笑』という隔週刊誌があり、その八月十三日號に「女の性欲99の謎を解明」という記事が載つてゐる。醫者と心理學者の協力をえて作製した記事らしいが、『微笑』に限らず女性週刊誌の記事はすべて女をなめきつてゐるとしか考へられない。例えば、或る男性のセックス評論家は、「彼に一晩のうち何囘も抱いてもらいたい私つて異常なのでしょうか」という問いに對し、「いいえ。歡びを知つた女性は、オルガスムスにうねりがあるため、そうなりがちなのです」と答えてゐるが、これは馬鹿らしいばかりでなく、無責任きわまる囘答である。なぜなら、女の「オルガスムスにうねりがあるため、そうなりがち」だなどという事は、男性には絶對に解らぬはずの事柄だからだ。男が女を愛するのは、男が女でないからである。女というものが理解できないからである。いや、それは男女關係に限らない。相手に理解できぬ部分があつてこそ、人は他人を尊重し愛するのである。が、女性週刊誌はとかくこの種の女に對する敬虔な感情を欠いてゐる。女をなめきつてゐる。  いや、女をなめきつてゐるのは低級な女性週刊誌だけではない。まともな週刊誌の掲載するポルノ小説、キヤバレー探訪記、卑猥な劇畫の類も、女をなめきつてゐるのである。そしてまたそれらは、ジョージ・スタイナーの言うように、「すべての人々がエロスの世界に生き、大いなる忘我の境に到達しなければならぬ」という「殘酷な嘘」をついてゐるのだ。すべての男女が「愛の技巧にたけてゐる譯ではない」し、それがよき夫よき妻の条件なのでもない。これが眞實である。ポルノ小説の類を讀む未成年や愚かな夫婦は、「なぜ自分には(或いは相手には)もつと性的魅力がないのだらう」などと考へるようになる。これこそ性の解放がもたらす最大の害惡である。 (昭和五十二年八月三十日) <何事もなせばなるか>  王貞治選手が七五六號本塁打を記録して、日本中が「集團ヒステリー状態」を呈し、當然週刊誌もはしゃいだが、冷靜であろうとした週刊誌もあり、例えば週刊新潮がそうである。が、週刊新潮九月八日號によれば、今囘のヒステリーには「相當シンラツな皮肉屋さんたちも手こずつて」おり、山藤章二氏も「われわれ皮肉屋からみて、王をからかうのはむずかしい」と告白してゐるそうである。週刊新潮の本領は天邪鬼精神であつて、私も天邪鬼だからそういう氣質は尊重してゐるが、今囘の大騷ぎに水を差そうとして「皮肉屋さん」たる週刊新潮も少々「手こずつた」ようであり、しかもなぜ手こずるのかを充分に分析していない。説得力を欠くゆゑんである。では、なぜ王選手をからかうのが難しいのか。理由は簡單である。スポーツの世界だけは僞物と本物との區別がはつきりしていて、王貞治の實力は本物だからである。  週刊新潮はノーベル賞にもけちをつけており、それは私も同感だが、藝術や學問の世界では僞物が本物として通用するとしても、スポーツの世界ではそれはまず無い。時に八百長はあろうが、七五六本の本塁打を打つたのは王選手だけなので、まさか七五六囘もの八百長が行われた譯ではあるまい。週刊朝日九月九日號は、アーロンの記録を破つたと本當に言へるかどうかを問題にしてゐるが、確かに七五六號が世界新記録であるかの如くに騷ぎ立てたマスコミもおかしいのである。が、世界新記録であろうとなかろうと、王選手の實力にはけちのつけようがない。それで「シンラツな皮肉屋さんも手こずつてゐる」のであろう。  讀賣巨人軍の王選手は本物であつて、當然の事ながら週刊讀賣は大特集を組みはしゃいでゐるが、同誌に掲載されてゐる予備校の廣告には「なせばなる何事も」とあつた。何事もなせばなるか。もとより、否である。いかに努力しようと、能力の無い選手に七五六本の本塁打は打てはせぬ。つまり、人間には能力差があつて平等ではないという今日の日本では甚だ人氣のよくない眞理を、王選手ははつきり示してみせたのである。そして大騷ぎをしたマスコミも大衆も、それをはつきりと認めた事になる。つまり、彼等は英雄を求めてゐる、偉大な人間を稱えたがつてゐるのである。無論、そういう傾向を憂える人々もゐる。が、それとて、例えばサンデー毎日八月二十一日號の松岡英夫氏の如く、毎年八月になると戰爭體驗の風化を嘆いてみせるインテリと同樣、おざなりの憂え顔でしかない。「偉大な人間になろうではないか。さもなくば偉大な人間の奴隷になろうではないか」とニーチェは書いた。ニーチェは戰爭を禮讃したが、それを狂氣の沙汰とみなす樂天的な人間に大衆の集團ヒステリーを憂える資格は無い。本當に戰爭を恐れるには、そういう狂氣こそ大衆の求めるものだという苦い眞實を知る必要がある。たかが野球と言うなかれ、毛澤東も王貞治もともに英雄なのである。 (昭和五十二年九月十三日) <甚だしい看板倒れ>  「人間、四十を越えたら自分の顔に責任を持たねばならぬ」と言つたのはリンカーンではなかつたかと思ふ。週刊誌の顔は表紙である。週刊誌は表紙に責任を持たなければならない。週刊ポスト九月九日號の表紙には五十嵐夕紀という娘の寫眞が載つてゐるが、これは勿論週刊ポストの顔そのものではない。問題は表紙に並べられた見出しである。「欲望リサーチ、雄琴の接待トルコ、船橋の人海戰術ストリップほか、ピンク地帶の“秋一番”」、さらに「話題人間決戰の秋、本郷元教授から慶大へ、向坂逸郎から“四人組”への“果たし状”」。かういふ見出しが頗るつきの粗雜な頭腦から絞り出された記事にふさわしい「顔」である事については贅言を要すまい。「欲望リサーチ」だの「話題人間」だのという言葉は、週刊ポストが好んで用ゐる「直撃取材」の類と同樣、正しい日本語ではないのである。そして、言葉を正しく用いようと意を用ゐる人間は當然看板倒れのぺてんを嫌うけれども、言葉に無神經な人間は必ず羊頭を懸げて狗肉を賣る事になる。  例えば入試問題を漏らして慶應大學をやめたという「話題人間」本郷元教授からの「慶大への果たし状」という見出しをつけた記事は、看板倒れも甚だしい代物なのであり、「果たし状」にも何もなつてはおらぬ。それに、慶應大學の如き一流大學にも無能な教師はいようが、週刊ポストの傳えるところが事實なら、本郷廣太郎氏は下劣な人間であり、その品性の下劣に怒らず、あろう事か、本郷氏を辯護するかの如き記事を書いた記者は大馬鹿者である。馴染のバーのマダムに對して本郷氏は「ボクはもう大學教授じゃないんでね、これからはボクとも大つぴらにデートしようぜ」と言い、記者に對しては「慶應義塾は實に偉大」だが「その偉大な大學を支えてゐる個人、個人については(中略)誰一人、尊敬に値するような人はいません」と告白したという。下劣な教師が「實に偉大」な大學に「尊敬に値するような人」を見出せぬのは當然だし、「偉大な大學を支えてゐる」教師たちの大半が立派でなくてどうして大學そのものが偉大でありえようか。だが、そういう至極當然の疑問すら、この愚かな記者の頭には浮かばないのである。  とまれ、週刊誌の顔は表紙なのであり、週刊誌はもつと表紙に神經を使つてもらいたい。これは週刊ポストに限らないが、若い女の顔を使うのは全く無意味ではないのか。表紙のモデルの顔が氣に入つてその週刊誌を買うほど讀者は馬鹿ではない。その點、週刊新潮と週刊文春の表紙はすつきりしてゐる。他誌も見習つてほしい、と言いたいところだが、そんな事を言つても無駄なのである。内容の俗惡と表紙の洗練とは所詮水と油だからであり、また「鍍金を金に通用させようとするせつない工面より、眞鍮を眞鍮でとおして、眞鍮相當の侮蔑を我慢するほうが樂」(夏目漱石)だからである。 (昭和五十二年九月二十七日) <輕信は子供の美徳>  コーヒーや日本茶に含まれてゐるカフェインに發癌作用があるという事を、癌研の高山昭三氏が明らかにしたそうである。そのニュースを週刊ポスト十月七日號が取上げてゐるが、例によつて「カフェイン發ガン説がもたらした衝撃」という「衝撃」的な見出しをつけてはゐるものの、實は「カフェインが人間にとつてどれほどの發ガン性があるか」はまだ解つていないというだけの話なのである。週刊新潮十月六日號も同じニュースを取上げてゐるが、新潮のほうは客觀的であり、また解りやすい記事になつてゐる。同じニュースを扱つて、こうも違つた文章が出來上がるものか、その點頗る興味深かつた。ポストは「カフェインに發ガン性がある以上、命を永らえるにはコーヒーやお茶をひかえめに摂るよう、心がけるにこしたことはあるまい」などと書いてゐるが、何とも馬鹿らしい文章である。多分理解して貰えまいが、ポストの記者にこれだけ言つておこう、生きてゐる事が一番健康によくないのである。  週刊ポストはまた「岸元首相の渡米は“日韓・黒い霧”もみ消し工作だつた」という記事を載せてゐるが、これがまた岸・カーター會談に同席したかのような調子ながら、その實「ワシントンで取材してゐる本誌駐米特派記者」の「觀測」でしかない代物なのだ。カーター氏が岸氏に對しあまりにも少ない「日本の防衞費を批判」したのかどうか、眞相は結局「藪の中」である。九月十八日の朝日新聞とサンケイ新聞は、この點について對照的な記事を載せてゐたが、眞相が「藪の中」ならば「ナゾめく岸氏の(發言の)撤囘」をどう解釋するかは、日本の防衞費をGNPの一%以下でよいと考へるかどうかにかかつていよう。私は勿論サンケイを支持するが、それはともかく、週刊ポストの岸・カーター會談を「見て來たような話」は頗る低級であつて、「ワシントンで取材してゐる本誌在米特派記者」なるものが實在するのかどうか、私は疑問に思つてゐる。  週刊ポストはこのところ「日本原發帝國主義の研究」を連載してゐる。今囘はポストのセンセイショナリズムのあれこれを一括して批判しようと欲張つたので、この連載記事を具體的に批判する紙數は無いが、エネルギー危機を「幻想の危機」とする前提に立つ論議は著しく説得力を欠いてゐる。とまれ、週刊ポストは殆ど毎囘、「衝撃」的な記事を載せるのだが、金炯旭氏の「衝撃發言」(八・十九)にせよ、花柳幻舟・「衝撃」の履歴書(九・二)にせよ、一向に「衝撃」的ではない。そして煽情的な記事を書く記者自身は、通常、自分が書いてゐる事を「衝撃」的だなどと思つてはいないのである。つまり、讀者をなめきつてゐる譯なのだ。「輕信は子供の美徳」だとチャールズ・ラムは言つた。週刊ポストの愛讀者を想像するのは難事だが、それは子供並みの知能の持主なのであろうか。それとも「衝撃」に馴れ過ぎた不感症患者なのであろうか。 (昭和五十二年十月十一日) <許せない人間侮蔑>  以前、「あんたかて阿呆やろ、うちかて阿呆や」というせりふで人氣を博したテレビ役者がいた。他人にこう呼びかける人間も、「そうや、うちかて阿呆や」と答える人間も、ともに私は信じない。それは生きてゐる値打ちの無い人間だと思ふ。なぜなら、自分が阿呆だからとて他人もすべて阿呆だと決め込むのは、可能性としての人間のすばらしさを認めない事だからである。テレビ役者の道化に目くじら立てるのは大人氣無いが、赤軍ハイジャック事件を扱つたサンデー毎日十月二十三日號の、内容文體ともに下等な記事にも、「あんたかて阿呆やろ、うちかて阿呆や」と同質の人間侮蔑が潜んでゐるのであり、これを私は斷じて容認できない。  今囘のハイジャックについてマスコミは樣々な意見を述べてゐるが、私はサンデー毎日のそれに對して最も激しい怒りを覺える。毎日は「自分は決して人質にはなるまいという予感からか(中略)人質もろともの犯人抹殺論を(中略)平然とブツ無責任人士(中略)には今度ハイジャックが起きたら、まつ先に人質身代わり要員に名乘り出てもら(中略)いたいところだが、ふだん勇ましいことを言つてゐる人がいざとなると、逃げてしまうのは、これまでにも、まま、あつた皮肉である」と書いてゐるのである。  福岡市の結核療養所で、ハイジャックにおける人命尊重を主張するハト派が強硬策をよしとするタカ派を刺し殺したけれども、恐らく全國津々浦々でその種の激しい論爭が行われた事であろう。が、「お前が人質になつても強硬策をよしと考へるか」と反問されれば、タカ派は返答に窮したのではないか。私はもとよりタカ派である。が、私は返答に窮しない。私がもし人質となつたとする。そして赤軍に武器を突きつけられ、素裸になつて鰌掬いを踊れば助けてやると言われたとする。そして私が、誇りを捨て素裸になつて鰌掬いを踊り、無事に歸國したとする。それでも私は、サンデー毎日の記者のような意見は決して決して口にしない。自分が臆病者である事を認める事と、「勇ましいことを言つてゐる」他人もやはり臆病であろうと勘繰る事とは雲泥の差だからである。  例えば週刊新潮十月十三日號で勝田吉太郎氏は、「命あつてのモノダネ主義、命のためなら、人間的品位も國の威信も名譽も法體系遵守の氣風も、みんな消し飛んでしまう風土」を痛烈に批判してゐるが、そういう勝田氏が人質になつたら、私と同樣素裸で鰌掬いを踊るだらうなどとは、私は絶對に思ふまい。それは人間の美しさを否定する事だからであり、そうなれば生きてゆく事も無意味になるからである。そして私が、自分は所詮僞物であつたと自覺してその屈辱を忘れずに生きるとすれば、それは私がこの世のどこかに本物の人間がゐる事を信じてゐるためである。T・S・エリオットの言うとおり、そういう人生もまた生きるに値する人生なのだ。 (昭和五十二年十月二十五日) <公正か人格の統一か>  例えば辻村明氏は、我國の大新聞の無節操を批判し、正しい新聞のあり方を説いて倦む事を知らない。その情熱を私は大層立派だと思つてゐるが、氏の批判に新聞が耳を傾け多少なりとも反省したかということになると、それは大いに疑わしい。例えば朝日はかつて宮澤四原則を高く評價し、「何が何でも日ソ平和条約締結を急げ」という「やり方は自制すべきであろう」と書いたのだが、昨今は「条約の早期締結をためらうべきでない」と主張してゐるのであり、雄川健一氏の言うとおり、これはまことに「臆面もない話」である。  が、そういう鐵面皮の無節操は朝日に限らない。そこで週刊現代十一月三日號は、讀賣、朝日、毎日の「ソ連禮賛キャンペーン」を取上げ、その無節操ぶりを批判してゐるのである。現代が書いてゐるように「この數カ月の間にソ連がガラリと變わつたわけではあるまい」に、一轉して三大紙がソ連の鼻息を窺い始めたのはまさしく不可解である。  朝日と言へば週刊朝日は奇妙な週刊誌である。上品で落着いてはゐるが壓倒的な魅力が無い。サンデー毎日を讀むと私は腹が立つ。が、週刊朝日を讀むときの私はあまり腹を立てない。けれども、そのかわり、膝を打つて感動するという事も無い。朝日新聞の場合は、週刊現代が批判してゐるように、連載記事「ダッカ・ハイジャック・上」で強硬論の臺頭に不安を表明しながら、同じ紙面に「強硬論の最たるもの」というべき青木特派員の文章を載せてゐるのであり、これを要するに、朝日新聞社の中に、青木特派員の意見を支持する者がかなりゐるという事なのかも知れぬ。そして週刊朝日にも強硬論を唱える者がゐるのだらうが、どうやらこのほうは頁數の一部を占拠するほどの勢力ではないらしい。そのためか、出來上がる記事は白でも黒でもない灰色の、害も無いかわりに益も無い代物になつてしまうのではないか。  だが、週刊現代もいささか奇妙である。十一月三日號は赤軍ハイジャック事件を扱い、清水幾太郎氏と久野収氏の見解を紹介してゐるが、清水氏を支持する讀者にとつて久野氏の見解は、それこそ青木特派員の言う「エセ平和主義」者の世迷言としか思えまい。現代は「朝、毎、讀の赤軍報道」を「一貫して人命尊重は一紙もなし」と批判してゐるのだが、では夫子自身はどうなのか。三大紙のソ連賛美の無節操を叩く現代は、十月二十七日號では石原慎太郎氏の「爆彈發言」を載せ、四人の識者の意見を載せてゐるが、現代自身の見解という事になるとさつぱり解らないのである。  私は無論石原氏の「放言」を支持するが、石原氏を支持する事と(或いは、石原氏の 「爆彈發言」を掲載する事と)、所謂「日韓ゆ着」に騷ぎ立てる事(九月一日號)とが、いとも氣輕に兩立しうるらしい週刊現代の體質を、私は頗る奇異に感じる。福田恆存氏の言う通り、「公正よりは人格の統一のほうが、はるかに美徳」だと信じてゐるからである。 (昭和五十二年十一月十二日) <私事を語れる天國>  實はこのところ一週間ばかり、入院していました。なにもこれというほどの病氣じゃないんですが、痔を少しばかりこじれさせましてね。ちょうど大學は期末試驗とそれに續いての秋休みで、しばらくは授業のない時期にあたります。この際、二週間ほど休息の時間がとれそうなので、思ひ切つて手術を受けようと思つて、近所にある醫科大學の付屬病院に入院したんです。痔の手術というと、痛いことになつていますが、私は十二年前に一度やつていますから、どの程度の痛さかという點については、見當がついてゐる。なにもそれほど大層な痛さじゃないんです。せいぜい一晝夜がヤマで、それだつて耐えがたいというほどじゃない。なにしろ鎮痛劑その他が發達していますからね。ウツラウツラしてゐるうちに、いちばん痛い時期はいつの間にか過ぎてしまうのがわかつてゐるので、少しも心配はいらない。  以上でほぼ四百字である。かういふ調子でもしも私が、このコラムに痔の手術について長々と語り始めたら、サンケイ新聞は私の發狂を確信し、躊躇無く私の原稿を歿にするに違い無い。言うまでも無く、このコラムは週刊誌を批評する目的でもうけられたものだからだ。從つて引用したのは私の文章ではなく、週刊現代十月二十日號の江藤淳氏の文章であり、それを斷らずに敢えて長々と引用したのは、「この原稿料泥棒め」と讀者に思つて貰いたかつたからである。  江藤氏は三囘にわたつて痔の手術について書き、十一月十七日號では「醫大の眼科に出掛け」た話を書いてゐる。江藤氏の場合は特定の目的をもつた文章を書かねばならぬ譯ではないのだらうが、随筆にもせよ、その種の私事を書き綴つて原稿料を貰う無神經は、私にはどうにも納得出來ない。手術後、江藤氏のガスや大便が「めでたく貫通」しょうが、讀者にとつては何の關りも無い筈だからだ。  昔は綴方と稱し、今日作文と稱するものは、小學生が書くものである。「僕は六時に起きて顔を洗いました。そして僕は齒を磨きました。そして僕は朝御飯を食べました。そして僕は・・・・・・」。かういふ類の文章は小學生だけが書く事を許される。大人にとつて私事は語るに値しないからである。  江藤氏の大便が「めでたく貫通」しようと讀者には何の關りも無い筈だと私は書いた。が、遺憾ながらわが國では、私事を語る名士に對して讀者はすこぶる寛大なのである。  それゆえ私小説は今日まで生き延び、週刊誌は名士の私事をあばき、その手記を漁る。そういう例はそれこそ枚擧に暇無しだが、例えば週刊文春十一月十日號に寄稿してゐる羽仁進氏がそうである。別れた妻の妹と結婚しようとしてゐる「男の心情」なんぞ、決してありのままに語られる筈は無い。所詮は綺麗事である。が。大方の愚かな讀者はそうは思はない。アンブローズ・ビアスは天國を定義して、私事を長々と語つても皆が傾聽してくれる場所だと言つた。それは日本の事である。 (昭和五十二年十一月二十六日) <非人間的な自己批判>  これまで私は週刊新潮及び週刊サンケイの惡口を言つた事が無い。なぜ兩誌を批判しないのか、このコラムをもうけるに當つてサンケイ新聞は、「齒に衣着せぬ」自社に對する批判をも掲載すると宣言したではないか。にも拘らず、私が週刊サンケイを批判しないのは納得出來ないと、そういう文面の手紙を讀者から頂戴した。私が週刊サンケイを批判しないのは理由あつての事である。サンケイとしては、時に週刊サンケイをも批判して貰いたいと考へてゐるだらうが、私に無理矢理それをやらせる譯にもゆかず、少々困つてゐるかもしれぬ。それは人情として當然の事である。が、自分で自分を批判するという公正は、聖人君子ならばともかく、いや聖人君子といえども遂に身に付ける事の叶わぬ非人間的な美徳なのである。それがいかに非人間的かを知るためには、かつて中國で屡々行われた自己批判なる愚行を思ひ出せば足りよう。  要するに、サンケイの惡口を私がサンケイに書き、サンケイがそれを好んで掲載する、そういう事は望ましい事ではないのである。それは公正という美名に酔う愚かしい茶番でしかない。シェイクスピアは『ジュリアス・シーザー』で、「友は友の瑕瑾を許すべきだ」とキャシアスに言わせてゐる。「恥部」は誰にもある、週刊サンケイにもある。例えばポルノの廣告は無いほうがよいに決つてゐる。が、サンケイは私の友である。友は友の瑕瑾を許してよいと私は考へる。ブルータスの公正は身方を破滅に追いやつたではないか。 週刊新潮の場合も同樣である。新潮もわが友であり、これは陰性の友である。もとより天邪鬼の新潮には天邪鬼特有の危險があつて、私も天邪鬼だからそれはよく知つてゐる。新潮もよく知つていよう。新潮は滅多な事では驚かない、度を越えて怒るという事が無い。それは美點であり欠點である。例えば新潮は時折猥褻なグラビアを載せるけれども、あれは擦れ枯らしの陰性の猥褻であつて、それゆえかえつて煽情的でないのである。一方、週刊文春にその種のグラビアが載る事は無い。そして文春はよく驚き、よく怒るのであつて、例えば十二月一日號、「朝日新聞の恥部」を扱つた記事は、「恐るべきといおうか、すさまじいといおうか」云々の文章で始まり、「こんなムチャクチャな話があるだらうか」云々で終るのだ。文春の記者は朝日新聞の暴力團的體質に驚き、怒つてゐるのである。そしてもとより文春もわが友であつて、こちらは陽性の友である。この陽性の友には陽性の友特有の欠點がある。それは美點と一體になつてゐる。文春はそれを承知してゐると思ふ。承知してゐると思ふから、私は敢えてそれを言わないのである。なるほどそれは公正ではない。が、人は公正たらんとして遂に公正たりえぬものなのだ。中國では親の犯した罪を共産黨本部に密告する子供の公正を稱えるそうだが、それこそは許し難い非人間的行爲なのである。 (昭和五十二年十二月十日) <長持ちする同情>  例えば企業が惡者だという事が明らかなら、所謂公害病患者はその企業を憎めばよい。「怨念」の筵旗を立て企業の責任を糾彈して、怒りに身を震わせる事も出來よう。が、この世には誰のせいでもない不幸というものもある。「拒食症のわが子を死に至らしめたとして殺人罪に問われ、その直後自殺した」銀行支店長針カ谷博氏の不幸も、そういう類の不幸だつたと思ふ。  針カ谷家には餘人の想像を絶する苦しみがあつたに相違無い、本當にお氣の毒だと思ふ。だが、週刊文春十二月十五日號が紹介してゐる針カ谷氏夫人の「痛哭の手記」を讀んで、私にはどうにも納得出來ない部分があつた。針カ谷氏を取調べた刑事の輕佻浮薄、警察の發表を鵜呑みにした新聞記者の怠慢、そういう事は多分夫人の言う通りであろう。  從つて針カ谷家に對するマスコミの非情を咎めた『支店長はなぜ死んだか』の著者上前淳一郎氏は無駄な事をした譯ではあるまい。が、上前氏の著書を「感謝と共に」讀み終えた夫人は「違う」と獨り呟いたという。そして夫人は「わたしが直子を殺した」のだと言い、自らを告發してゐるのである。果してそうか。針カ谷博氏は「佛の父親」であり、夫人は「鬼の母親」なのか。私はすこぶる疑問に思ふ。  「眠つてばかりゐる」子供をそのままにしておけば死ぬ。針カ谷氏は「明日の朝、先生に電話してみる」と言つた。夫人は哀願した、「止めて下さい」。「この一言を夫は默つて聞いて」いたと夫人は言う。非情な事を敢えて私は言う。針カ谷氏が夫人の「氣持を汲み」それに從つたのなら、罪は針カ谷氏にもある。夫婦は同罪である。私は所謂安樂死は絶對に認めない。「植物人間」とは植物の如き人間なのであり、人間の樣な植物では斷じてないのだ。  それに私は告白なるものを信じない。それはいかに赤裸々のものであつても必ず自己正當化の虚僞を含む。針カ谷夫人の告白もそうである。例えば、警察やマスコミに越度があつたという事實と、夫妻が直子ちゃんを死に至らしめたという事實とは無關係なのだが、夫人はその二つを分けて考へていない。但し、私は夫人を非難してゐるのではない。わが子を殺したのは夫でなく自分だと告白し、夫を庇おうとしてゐる夫人の動機の美しさを私は疑わぬ。だが、安易な同情は苦しみのた打つ人間に對する侮蔑なのである。相手には苦しみを耐え抜くだけの力が無いと判斷する事だからだ。それゆえ針カ谷夫人に言いたい、あなたは二人の子供を立派に育てなければならない。週刊文春によれば、あなたは手記を書くにあたつて「原稿のマス目の埋め方から」習つたという。が、今後のあなたは何も書かぬほうがよい。ひたすら耐えて生き抜いて貰いたい。  最後に週刊文春に一言。扇情的な週刊誌ならばともかく、文春は今後、他者の不幸に對してもう少し嚴しい同情をして貰いたい。嚴しい同情は長持ちするのである。 (昭和五十二年十二月二十四日) <ニセモノ横行時代>  いつの世にもニセモノはいたに違い無い。だが、所謂大衆社會化現象とともにニセモノ横行の風潮は顕著になつたのである。例えば先の參議院選擧における田英夫氏の得票は最高位であつた。が、その田氏は週刊現代十二月八日號で、サダト大統領がイスラエルを訪れた事は「福田首相が北朝鮮を訪れ、金日成主席と會談したことと同じ」だと言い、日本としては「何よりも中近東の平和を望み、イスラエルの占領地からの撤退と、パレスチナ國家の建設を支持する」との聲明を出すべきだと言つてゐるのである。何ともはや粗雜な意見であつて論評の限りではない。田氏はニュースキャスターとしてはプロだつたのかも知れないが、政治家としてはアマチュアである。  が、昨今人々はプロよりもアマチュアを喜ぶ。流行歌手も政治家も素人臭いほうが俗受けする。週刊新潮十二月十五日號は「戰前は李香蘭、戰後は山口淑子として一時代を畫した」大鷹淑子環境庁政務次官の實力を疑う記事を載せてゐるが、大鷹次官は初登庁の際、「少々うわずつた聲で」あらぬ事を喋り出し、聞いてゐた職員たちは「いつたいどうおさまるのかハラハラし」たそうである。けれども大鷹女史も、映畫女優としてはプロの實力を備えてゐたのであろう。  一方、週刊ポスト一月六・十三日號には高見山と三ッ矢歌子との對談が載つてゐる。何とも愚劣な對談であつて、紙代・印刷代の無駄遣いとしか言い樣が無い。高見山の場合も力士としてはプロだらうが、インタビュアーとしては素人なのだ。「夜のGOサインはドッチが出す?」とか「三ッ矢さんのところは一週間に何囘なんスか」とか、訊くほうも訊くほうなら、答えるほうも答えるほうである。そういうどんな馬鹿でも思ひつく樣な質問を連發して、それでギャラが稼げるとなると、横綱大關を狙つて稽古に精を出す氣には、とてもなれないに相違無い。  けれども、田氏にせよ、大鷹女史にせよ、高見山にせよ、プロとして通用する世界では一應の努力はした筈である。いわば三人とも、本物としての名聲を利用して目下ニセモノとして稼いでゐるという譯だ。そして、高見山の對談がいかに愚劣でも、力士高見山のファンにとつてはけつこう樂しく讀めるという事なのかも知れぬ。が、サンデー毎日新春特大號の元外相木村俊夫氏令嬢の特別手記「もちこの結婚」は、一體誰を樂しませる積りなのか。令嬢にはプロとしての名聲など何もありはせぬ。元外相の娘として生れた事は努力の賜物ではない。從つて手記を讀んで樂しむのは、もちこさんと木村家の人々だけという事になる。何たる無駄遣いか。もちこさんとサンデー毎日に、ラ・ロシュフコオの次の箴言を贈りたい。「われわれは、自分の話をするとき、はてしない樂しさを感ずるものだが、それにつけても、それを聽かされる人が、てんで嬉しくないことは、われわれのほうで心配してもいいはずだ」。(内藤濯譯) (昭和五十三年一月七日) <見事なり、宮本顕治>  週刊新潮は「反共週刊誌」だそうである。もしもそうなら、敵の失態は快いものだから、日共を除名された袴田里見氏の手記を入手して、週刊新潮がにんまりしたとしても不思議ではない。だから、新潮の記者が「袴田氏の眞實への情熱は(中略)生き生きと燃え續く」などと大仰な文を綴つても、私は快く不問に付す。  が、ふだん進歩的なポーズをとつてゐる週刊誌までが、日共の「一枚岩的組織のもろさ」を笑い、日共と袴田氏の論爭の低次元を批判してゐるのは納得出來ない。例えば週刊現代は今囘の除名騷動は「陰湿、醜惡な話」であり、「事態は泥沼化、低次元化するばかりで、前衞、革新のイメージなど、まつたくない」と書き、週刊ポストは日共の「權力抗爭」は「自民、社會黨以上の醜惡さを極めてゐる。天下の公黨のなりふりかまわぬメンツの捨て方に國民大衆は、ただただ、あきれかえるばかり」だと書いてゐるのである。  「國民大衆」の反應を直接確かめようが無い私としては、ポストのような斷定は控えるが、「國民大衆」は多分呆れてなどいまい。煽情的週刊誌に馴れ親しんでゐる「國民大衆」がさまで道徳的だとは思えない。  一方週刊現代は日共・袴田論爭を陰湿、醜惡、低次元と形容するが、週刊現代には陰湿、醜惡、低次元の派閥爭いは存在しないのか。週刊現代は君子の集まりなのか。そんな筈は無い。君子の集まりがあのように人間的な週刊誌を作る筈が無い。それなら、「前衞、革新のイメージ」なるものを政治に期待しないで貰いたい。「君子は交わり絶ゆるも惡聲を出さず」と言う。が、交わり絶えて口汚く罵り合うのが人間の常であり、その事に保守革新の別は無いのである。  ところで私は判官びいきは好まない。それゆえ敢えて宮本委員長を辯護したい。今囘の除名騷動について週刊誌は樣々な意見を述べてゐるが、宮本氏に對し同情的なものは皆無であつた。日共が「天下の公黨」なら、これは少々片手落ちだと思ふ。  私は以前、サンケイ新聞の直言欄に「日共は日本という特殊な風土の中で風化してしまうのではないか」と書いた事がある。私は日共の風化を望まない。それゆえ、この微温湯のような風土の中で、刎頸の友を斬つてまで「天上天下唯我獨尊の宮本獨裁」體制を維持せんとする宮本氏の決意をあつぱれだと思つてゐる。赤旗擴張か大衆運動かという所謂路線問題にしても、私は宮本氏を支持する。袴田氏は「赤旗擴販による黨員の精神的・肉體的疲勞」を言うが、たかが新聞を賣る苦勞に耐えられぬ黨員に、どうして「幾百萬の大衆が參加する大衆運動」などが組織出來ようか。  宮本氏としては、この微温湯的な日本國が亂世を迎える日まで、微笑戰術を續けつつ、非情な獨裁體制はこれを維持するしか無い。久しぶりの「宮顕のすごさ」を私は見事だと思ふ。 (昭和五十三年一月二十一日) <新奇を追うなかれ>  除名覺悟の手記を發表するにあたつて、袴田里見氏が週刊新潮を選んだ經緯を私は知らない。とまれ、週刊新潮二月二日號で袴田氏は「スパイ小畑を殺したのは宮本顕治である」と書き、再び世間は驚いたのである。  週刊文春編集長の言葉を借りれば、袴田氏が「宮本委員長と戰端を開くようになろうとは、かなり黨に近い人の情報でも予想できなかつた」そうであり、「それだけにこの手記は週刊誌界のイベント」だという事になる。  けれども私は、袴田手記の内容以上に、手記を入手したのが新潮だつたという事のほうを興味深く思ふ。なぜなら、手記を新潮が入手したのは、或いは袴田氏が新潮を選んだのは、新潮がすべての週刊誌の中で最も信頼しうる「反共」だつたからであり、日本に共産黨單獨内閣が成立する日まで、新潮の編集方針は變らないと考へるからである。  かつてこのコラムで私は、左右を無差別に叩く公正よりも人格の統一のほうが美徳だと書いたけれども、新潮はそういう美徳を持つ週刊誌なのだ。自らが正しいと信じた事を、新潮は貫き通して右顧左眄する事が無い。  例えば表紙がそうである。創刊號で谷内六郎氏の繪を表紙に用い、以來それを變える事が無い。谷内氏が繪筆を握りうる限り、新潮は表紙を變えぬだらう。新奇を追いマンネリを恐れるのも弱い精神なのである。  ヤン・デンマン氏の「東京情報」もそうであつて、氏の連載は九百囘に及ぼうとしてゐる。そして、デンマン氏はこう書くに違い無い、と讀者が期待するような事を、デンマン氏は書く。そういう樂しみがあつて新潮を買う讀者はかなりゐるに違い無い。新潮にはかなりの固定讀者がいてこれまた共産黨内閣成立までは新潮を買いつづけるという譯だ。  一方、週刊文春も日共から「反共週刊誌」と目されてゐる。實際、文春一月二十六日號の「讀者からのメッセージ」にもあつた通り、かつて文春に掲載された日共についての記事が、今囘袴田手記によつて「事實であつた事が證明された」とも言いうるのである。新潮が手記を入手して文春としては殘念だつたろうが、「週刊誌界のイベント」だと評し、ライバルの功績を稱えた文春の編集長は立派だと思ふ。けれども、文春を愛するがゆゑに私は編集長に一つ注文しておきたい。  文春は新潮以上に編集に工夫を凝らしてゐると思ふ。新潮のような傳統が無い以上、それは當然の事であり、試行錯誤もまたやむをえない。けれども、文春は少しくルポ・ライターに頼りすぎる。例外は勿論あろうが、ルポ・ライターにはとかく哲學が無い。つまり人格の統一が無い。右の「恥部」であれ左の「恥部」であれ、ハイエナの如く禿鷲の如く貧婪に食いつくのである。そういうルポ・ライターに頼りすぎると、雜誌の性格までが徐々にルポ・ライター的になる。それを文春は何よりも警戒して貰いたい。 (昭和五十三年二月四日) <「ちょつとキザ」な文章>  自衞隊の栗栖統幕議長が、防衞問題專門紙『ウイング』一月號に「專守防衞と抑止力は並存しない」と書き、社會黨の石橋氏が、衆院予算案で栗栖氏の意見を激しく批判した。すると、一月二十八日のサンケイ新聞紙上で牛場昭彦記者が「國會というところは極めて當たり前の事が時に問題になるまか不思議なところだ」と書き、「消極防衞」こそは虚構であつて、栗栖氏の「正論」を見直すべきだと主張したのである。牛場記者の意見に私は全面的に賛成だが、ここで防衞問題を論ずる譯にはゆかないから、なぜ賛成かについては書かない。とまれ牛場記者の文章は男性的なよい文章である。が、そういう文章は女性的な今日の日本では俗受けしない。俗受けを狙うなら、例えば磯村尚徳氏が書くような文章でなければならぬ。とまれ、牛場記者には防衞問題に關する豐かな知識があり、また自己の信念を貫くだけの覺悟がある。それは氏の文章が明確に示してゐる。「文は人」だからだ。  一方、週刊讀賣が連載してゐる「磯村尚徳のサロン」の文章には、この種の覺悟が全く欠けてゐる。磯村氏は「NC・9を放送してゐた當時“ミスター・ゴメンナサイ”というニックネームをちょうだいした」そうだが、最近再び自分の書いた文章について「ごめんなさい」という文章を書き、それが「讀者のご好評をいただいてゐるとのことでした。うれしいことです」と書いてゐる。何よりも磯村氏は俗受けを狙う「です」體のいやらしさを意識していない。氏の文章は甘くて、「ちょつとキザ」で、卑屈な文章である。そして甘い文章は甘い思考にふさわしい。福田恆存氏は劇團すばるの機關誌最新號で、「です・ます」體の文章をよしとする外山滋比古氏の輕薄を痛烈に批判してゐる。讀者及び磯村氏に一讀をすすめる。  ところで、進歩的だとされてゐる朝日新聞にも牛場記者の如き人物はゐるはずだと私は考へてゐる。なるほど、サンケイがすつぱ抜いた家永三郎氏の變節問題では、朝日新聞は奇怪な態度を採つたし、週刊新潮二月十六日號が批判してゐるように、「動勞千葉の甘つたれぶりも鼻もちならぬ」と書いた朝日が過激派の抗議に屈服したのはまことに嘆かわしいが、週刊朝日二月二十四日號の頗る啓發的な座談會「米海軍長官證言で問われる非核三原則の虚構性」、及びアメリカ總局の村上吉男記者による「日本だけが米核戰略の例外ではない」という文章を讀めば、朝日にも國際情勢について現實的な認識をする人々がゐるという事實を疑う事は出來なくなる。朝日には所謂タカ派もゐるに違い無い。そして、村上記者の文章もよい文章である。嚴しい認識を欠く者が甘い文章を書く。磯村氏の文章のような、讀者に媚びる女性的な文章で、どうして天下國家を論じられようか。氏はキッシンジャーに會う事は出來たが、キッシンジャーと國際問題を論じた譯ではないのである。(昭和五十三年二月十八日) <暴力も支持すべし>  滋賀縣野洲郡で發生した中學生による殺傷事件について、週刊朝日三月三日號はこう書いてゐる。「事件は確かに異樣であつた。(中略)マスコミは少年たちの異常性を並べたて、世間のおとなたちはヒステリックに嘆いてみせた。だが、この事件は、本當に異常な例だつたのか。事件の騷ぎに惑わされて、大切な“何か”を見過ごしてはいないか。そんな思ひで現地へ向かつた」  のつけからかういふ文章を讀まされると、世人が見過ごしてゐる大切な「何か」とは何かという事を、記者は現地へ向う前から知つてゐたのではないかと、そんなふうに勘繰りたくなる。自分が見たいと思つてゐるものしか見ないのが、惡しきジャーナリストの常だからだ。週刊朝日の記者は、凶惡犯罪を犯した中學生が「みんなおとなしい良い子」だつたに違い無いと、新幹線に乘る前から考へてゐた。そして、現地で予想どおりの證言を集めて來た。わざわざ滋賀まで出掛けて得て來た結論の凡庸を思えば、そう解釋してやるのが好意というものであろう。とまれ結論はこうである。「ごく普通、といえる中學生が、仲間同士のスジを通すために、あるいは根性を見せるために、何のためらいもなく殺人に突つ走る、というのは確かに大人の理解を超えてゐる。恐るべき短絡、である」  では、大切な「何か」とは何か。どうやらそれは、「おとなしい良い子」といえども「何のためらいもなく殺人に突つ走る」ものだ、という事らしい。何とも馬鹿らしい結論である。朝日ジャーナル二月二十四日號によれば、滋賀縣警は、問題の中學生たちが「タバコは吸う。授業は抜け出す。酒は飲む。暴力は振るうし、恐喝まがいのタカリはやる」といつた状態だつたと語つたそうである。それが「おとなしい良い子」なのか。冗談ではない。それは紛れも無い与太者である。そして、非行少年の肩を持ちたがり、「大人の理解を超えてゐる」などと「嘆いてみせ」る大人の存在こそ、そういう度し難い子供を育て上げるのだ。  朝日ジャーナルにしても、「私たちはいまだに、彼らを殺人にかりたてた眞の要因をつかみがねてゐる」と書いてゐるが、笑止千萬である。成田空港反對派に對して同情的な朝日ジャーナルが、それを「つかみかねてゐる」とは何事か。滋賀の中學生は成田の大學生と同じ衝動に從つて動いたまでの事だ。朝日ジャーナルに限らぬ、前者の暴力には當惑し、後者の暴力には喝采をおくるジャーナリストには、暴力に關する嚴しい認識が無い。この際、そういう進歩的ジャーナリストに言つておく。過激派の正義を支持する以上は、その暴力をも公然と支持して貰いたい。安手のヒューマニズムなどをちらつかせず、正義のためには血を流すべしと堂々と主張して貰いたい。暴力に上等下等の別は無い。滋賀の中學生もまた、ささやかながらけちな正義のために血を流したのである。 (昭和五十三年三月四日) <知識はタダならず>  二月二十日、朝日新聞は値上げの社告を出した。が、讀賣新聞は定價の据え置きを決め、讀賣の販賣店は「かなりエゲツない内容」のチラシをばらまいた。憤激した朝日の販賣店は讀賣の販賣店を告訴し、かくて「朝日VS讀賣の“全面戰爭”が勃發した」という。すでに本欄で生田正輝氏も指摘してゐるとおり、これはまことに情け無い戰爭である。そこで週刊誌もこの大新聞の「恥部」を取上げ批判する事となる。例えば週刊文春は、朝日の二重價格について「讀者を愚弄してゐる」と書き、週刊ポストは「讀者不在のケンカざんまい−これほど國民を愚弄した話はあるまい」と書いてゐる。だが、愚弄する側を一方的に批判するのはよろしくない。愚弄される側にも越度はあるのである。  朝日は三百圓の値上げを決めた。つまりセブンスター二箱分である。一月三百圓の餘分の出費を嫌つて他紙に鞍替えするような讀者を、私は輕蔑する。それはいわゆる「擴材」に目が眩んで購讀紙を決める手合であつて、それなら愚弄されても仕方が無い。と同時に、そういう情け無い讀者をも取り逃がすまいとして「全面戰爭」を戰わねばならぬ大新聞を、私は「お氣の毒」に思ふ。そういう血腥い戰爭をやつてまで大新聞が獲得しようとしてゐる讀者とは、實は甚だ淺薄な讀者なのである。私はそういう讀者を一人知つてゐる。彼はサンケイから毎日に鞍替えしたのだが、その理由は經濟的苦境に立つ毎日が「お氣の毒」だから、というのである。  新聞は安すぎる。週刊誌も安すぎる。これまで週刊誌の惡口をずいぶん言つたから、ここらで少少週刊誌を喜ばせたいが、週刊現代にせよ週刊ポストにせよ、大新聞の批判勢力としての努力だけを考へても、百五十圓は安すぎると思ふ。新聞も週刊誌も値上げすべきである。一カ月に三百圓なら、一日十圓ではないか。知識というものの價値を見縊つてはいけない。「文盲は惡ならず」とE・M・シオランは言つてゐる。それは半面の眞理である。が、どんなに低俗な知識でも、無いよりは有つたほうがいい。そして知識を手に入れるには、それなりの金を支拂わねばならぬ。週刊誌一冊が提供する知識に對して百五十圓は、不當なまでに低額だと私は思ふ。けれども、そんな事を言つても無駄なのである。一方でテレビという怪物が、無料で大量の知識と娯樂を提供してゐるからだ。いや、吾々はNHKに受信料を、電力會社に電氣代を支拂つてゐる、と人は言うかも知れぬ。が、テレビを見てゐる時、吾々はそれを意識してはいまい。かくて、知識も娯樂も無料で受取るという嘆かわしい風潮が生じたのである。NHK受信料の不拂い運動なるものが行われてゐるそうだが、とんでもない事だ。この際、民間テレビも受信料を取立てたらよい、私は本氣でそう思つてゐる。 (昭和五十三年三月十八日) <なぜ早稲田なのか>  毎年の事ながら、このところ週刊誌は受驗戰爭に乘じて大いに稼いでゐる。例えば週刊朝日三月二十四日號は「受驗長期予報第二彈・來年の國公立大二次試驗」、「速報・大學合格者高校別一覽」、及び「東大二次試驗問題速報」の三本立てといつたあんばいだ。もつともそれは朝日に限らない。殆どの週刊誌が死の商人よろしく稼いでゐる。受驗戰爭も戰爭だから、死の商人が暗躍したところで不思議は無いが、「大學合格者高校別一覽」だの「東大入試問題速報」だのは、記者の頭を使う必要の全く無いしろものであつて、それを毎年繰返すとはまことに藝の無い話である。半人前のにきび面の高校生を相手にするのは、受驗雜誌かプレイボーイもしくは平凡パンチに任せておくがよろしい。  ところで、これまた「毎年の事」なのかどうか、それは解らないが、このところ週刊誌は屡々早稲田大學に關する記事を載せてゐる。例えば週刊讀賣は「“早大合格記念”のノボリを打ち立て、合格者をリヤカーに乘せて校内を一周する」という學生のアルバイトについての記事とグラビア、週刊現代は「直前指令!早稲田大學學部別入試突破のノウハウ公開」、及びこの三月早大文學部を定年退職する「名物教授暉峻康隆の全ワセダマンに告ぐ」、週刊ポストは「早大慶大三十倍競爭率の狂騒部分をえぐる」、そして平凡パンチは、早稲田大學受驗生十五萬人に接近遭遇」、といつた具合である。なぜこうもワセダばかりが持てるのか。察するに週刊誌界には早大出身の記者が多數いて、母校の事を話題にするのが樂しくて仕方が無いのかも知れぬ。が、そうだとするとそれはいささか公私混淆の母校愛である。この肌を擦り寄せる樣な盲目的母校愛は早大出身者の欠點の一つであつて、私は日頃唾棄すべきものと考へてゐる。また、他大學出身の記者が書いた記事だとすると、その心理は不可解である。他大學出身者の記者が早大の「學部別入試突破のノウハウ公開」などという記事をどうして書く氣になれるのだらうか。何十萬人の受驗生が押寄せようと、早稲田だけが大學ではないのである。  そして、これらの週刊誌の記者は早稲田が「ワセダらしくなくなつた」事を嘆く。ワセダマンは大隈精神を持つべし、野暮であるべし、反體制的であるべし、しかるに現今の早稲田大學は・・・・・・という譯だ。週刊讀賣四月二日號は「ますます“狭き門”早稲田、慶應」と題する記事の中で、「四年後の早稲田創立百周年事業として、早大カラーの強化を圖りたい」とする村井總長の言葉を引用してゐるが、「早大カラー」などというものの強化によつて、例えば大橋巨泉氏の如き人物をより多く輩出させる事が狙いなら、それは是非願い下げにしたい。早大に今必要なのは「名物教授」や「早大カラー」などではない。教員同士、學生同士の馴合ひを排しての嚴しい教育を行う事なのだ。 (昭和五十三年四月一日) <健忘症もまた惡徳>  週刊文春四月六日號によれば、成田空港反對同盟は「億の金を持つてゐるし、新左翼系の中の最も優秀な辯護士も用意してゐる」との事である。そこで文春は「かりに、めでたく開港になつたとしても、機動隊が常駐し、ゲリラがスキあらばと狙いすましてゐる空港が、どうして日本の“玄關”でありうるか」と書いてゐるのである。文春に限らない、殆どの新聞・週刊誌が、過激派による開港後の成田襲撃を懸念ないし期待してゐるようだが、私はそういう事態はまず起らないと思ふ。週刊新潮四月六日號によれば、反對同盟の戸村委員長は「パレスチナにくらべると我々の鬪爭はまだまだ甘い」と言つてゐるそうだが、その通りである。過激派を唆す譯では斷じてないが、成田を襲撃して政府に打撃を与えるには、開港後のほうが遙かに効果的だつた筈である。それを、開港前に管制室の機器を破壞して溜飲を下げるなどと、要するに彼等は戰爭ごつこをやつてゐるに過ぎない。戰爭ごつこだから、いずれ本氣ではない。どうでも廢港に追込もうなどとは思つていない。それゆえ私は、開港後の襲撃はまずないと考へる。が、新聞や週刊誌はこの戰爭ごつこに興奮し、「地元農民に十分な理解を求めず、權力を行使して、むりやりに空港を開こうとする政治の責任」を追及した。週刊新潮の言うとおり、すべてこれ猿芝居に他ならない。  しかしながら、過激派が開港後もゲリラ活動を續けるという事になつたとしても、それはそれで結構である。過激派が本氣なら政府も本氣になる。新聞も週刊誌も本氣で暴力と法について考へるようになる。それこそ私の何よりも望むところだ。政府は新聞を恐れてゐる、それゆえまず新聞がしつかりしてくれなければならぬ、と週刊新潮は言うのだが、それは百年河清を俟つようなものである。新聞に期待するくらいなら、私はむしろ過激派に期待する。過激派が本氣にならなければ、政府も野黨も新聞も週刊誌も、決して本氣になる事はない。  けれども、それも所詮は徒な望みであろう。日本の過激派は執念深くないのである。いや、過激派に限らぬ、日本人はすべて淡泊で執念深くない。新聞や週刊誌の讀者も執念深くない。執念深くジャーナリズムの既往を咎めるという事がない。例えば週刊ポストが、昨年十月、エネルギー危機は「幻想の危機」であると書き、二ヵ月後「世界的エネルギー供給危機が(日本の)經濟成長を減速させる」と書いても、讀者はそれを咎めない。週刊朝日四月十四日號で野坂昭如氏と井上ひさし氏は、開港後も自分たちは決して成田を利用しないと言つてゐる。が、いずれ成田から出國する兩氏の寫眞が週刊朝日に載るかも知れぬ。そしてその場合も、讀者は兩氏の食言を咎めないであろう。「新聞は讀者の健忘症の上に成り立つ」と林三郎氏は言つてゐる。それなら健忘症は惡徳に他なるまい。 (昭和五十三年四月十五日) <相互理解の迷夢>  尖閣諸島周邊における中國漁船群の領海侵犯事件が發生して以來、新聞や週刊誌は中國の動機をあれこれ詮索してゐるが、週刊ポストの表現を借りれば、目下のところ「中國内の内紛説から臺灣ロビーの陰謀説まで諸説紛々」であつて、その紛々ぶりを日本國民は大いに樂しんでゐると思ふ。  サンデー毎日で松岡英夫氏は、この問題が「突然の海底地震のように日本中をゆさぶつた」として、例の如く淺薄な文章を書いてゐるが、そんな事はない。領海を侵犯されたくらいでこの鈍感な日本國が地震のように揺れるはずはない。週刊新潮の言う通り「實に日本はのんびりした平和な」よい國なのだ。これは皮肉ではないと新潮は言つてゐるが、それは嘘なので、わざわざ皮肉でないと斷る事によつて、その實皮肉つてゐる譯である。  そういう譯で、出版社系の週刊誌は大いに讀者を樂しませたが、一向に樂しませないのがサンケイを除く大新聞の週刊誌である。週刊現代が批判してゐるように、大新聞は「社會面では“女郎屋の火事”式に騷ぎたて」ながら、社説では「意味のない解説と説教ばかり」を並べ立てた。が、例えば週刊讀賣は、騷ぎもせず説教もせずという全くの默りん坊なのである。  讀賣の編集長は「圓高も、成田も、尖閣諸島の侵犯事件も、すべてが別世界の繪空事のような氣が」すると言つてゐるが、これが本音なら、すなわち親中國の讀賣の社員として尖閣問題に騷げぬ辛さの表現でないのなら、ジャーナリストとして言語道斷の態度である。野次馬精神すら持ち合わせずにどうして編集長が務まるのか、私にはとても理解できない。  ところで、諸説紛々は自由社會においてのみ樂しみうる現象である。が、これまでのところ誰一人主張していない説があつて、それは尖閣諸島を放棄すべしという説である。新潮はそれを言いたげだが、さすがの天邪鬼も明言していない。朝日ジャーナルは、「海上自衞隊を出動させよ」といつた強硬論は「現實の論議としてこれほど虚ろなものはない」と言いながら、一方「日本にとつて主權を守る道は結局“武力”ではなく」近隣諸國との相互理解だと主張しており、これは全く馬鹿げた見解である。  強硬論の虚ろを言うなら、なぜ尖閣の放棄を主張しないのか。この期に及んで非武裝中立も等距離外交も「現實ばなれしてゐる」と週刊ポストは言う。その通りであつて、「相互理解」も同樣である。相互理解が不可能な相手というものはある。早い話が朝日ジャーナルと私との間にいかなる相互理解が可能なのか。  冗談と綺麗事は休み休み言つて貰いたい。強硬論を批判するのなら「日本の主權を捨てて屈從する」しかないと主張して貰いたい。それなら私も賛成する。日本は弱小國なのだ。最後はアメリカに助けて貰えると信じ切つてゐる甘つたれの弱小國なのだ。そして弱小國に屈辱感は不要である。この際日本は尖閣諸島も竹島も北方領土も放棄して、「のんびりした平和な」國でありつづけるに如くはない。 (昭和五十二年四月二十九日) <思考の徹底を望む>  ソ連領空に迷い込んだ大韓航空機が強制着陸させられた事件については、ソ連の對應を非人道的だとして非難する向きもあるようである。が、それは私には納得出來ない。例えば週刊新潮五月四日號は「ソ連機の發砲に、いかなる正當性の主張があろうとも、相手は無抵抗、丸腰の民間航空機である」と書いてゐる。勿論、新潮は「人命尊重のお題目」が今囘の「事件であつさり紛砕された」と言つてゐるのであり、サンデー毎日五月十四日號の如く、「國家の威信より乘客の命」を大切にしようなどという戯言を言つてゐるのではない。が、ソ連に對して抗議することはできないとする外務省の見解は正當であり、それが正當である事を認めながらも、なお外務省の「冷靜」のまやかしを發きたいと思ふなら、新潮はもつと物事を徹底して考へなければならない。今囘の新潮の記事はその點、中途半端であつて、それゆえ大韓航空機がコンピューターを積んでいないという事實と、大株主小佐野賢治氏のけちとを結びつけるが如き、けちくさい根性が丸出しになるのである。ジャーナリストたる者は、物事を考へぬいて貰いたい。國際法上正當な行爲とは何か。それはなにゆえ正當なのか。國際法に限らず、すべて法とは相對的なものではないのか。それなら、正義とは力なのか。  もとよりそういう問題を、かういふコラムで論ずる譯にはゆかない。それは例えばパスカルを苦しめた問題であつて、苦しんだ結果人は幸せになる譯でもない。それゆえパスカルも時々「これは大衆に言うべき事ではない」と書いたのである。が、ジャーナリストは世人が自明の理としてゐるものを徹底的に疑わねばならぬ。徹底的に疑えば「これは大衆に言うべき事ではない」と考へるようになる。それを言う事が政治的に賢明かどうかの判斷が必要となる。が、我國では、ジャーナリズムのみならず學者の世界でも、中途半端な思考を政治的賢明と誤認しがちなのである。  私はそういう不徹底な物の考へ方を好まない。前囘私は、尖閣も竹島も北方領土も放棄すべしと書いた。憲法前文に則して論理的に考へれば當然そういう事になるからだ。  ソ連も中國も韓國も、平和を愛し「公正と信義」を重んずる國家なので、ソ連が北方領土を返さないのも平和を愛する國の「公正」な行爲であつて、日本としてはソ連の「信義に信頼して」ゐる以上、北方領土は放棄するしかないという事になる。かういふ言い分は詭弁か、書生論か。週刊文春五月十一日號で野坂昭如氏は「自衞隊は人間の集團であり、これだけの歴史を持つてしまえば、違憲だとわめき立てても、無理なのだ」と言つてゐる。が、この卑屈な戯作者の文章は、合憲論としては頗る非論理的である。私は改憲論者だから、この種の野坂氏の輕佻浮薄を喜ぶ。が、一方、既成事實に揺がず、論理的に承服出來ぬものに對して「否」を言いつづける精神を欠く昨今の風潮を、大變危ないとも思ふ。(昭和五十三年五月十三日) <「討論ごつこ」の愚>  『月曜評論』五月二十二日號のコラムニストは、『諸君!』六月號の「“ごつこ”の時代は終つたか」と題する江藤淳・中島誠兩氏の對談を痛烈に揶揄してゐる。兩氏の對談は「出來そこないの漫才」であり、江藤氏は「もう二度と左翼相手のニコポン」をやるべきでないと言うのである。全く同感だが、咎めらるべきは專ら江藤氏だと私は思ふ。中島氏は「無知無能」であり、それなら中島氏を咎めても仕方が無い。無知のほうは努力次第で何とかなるかも知れないが、無能につける藥は無いからである。が、江藤氏は無知でも無能でもない。江藤氏の對應ぶりを私は本氣だとは思はない。中途半端な新左翼相手に「まつたく同感だなあ」などと相槌を打ちながら、心中ひそかに中島氏を輕蔑してゐる。輕蔑しながら相槌を打つ事を政治的賢明ないし保身の術だと考へてゐる。そういうぬえ的狡猾を、私は無知無能よりも嫌う。何の事はない、江藤氏は「討論ごつこ」をやつてゐるに過ぎぬ。「出來そこないの漫才」たるゆゑんである。  週刊文春五月二十五日號に、鹽野七生女史がイタリアの元首相モロ氏の殺害事件について頗る興味深い文章を書いてゐる。モロ氏はキリスト教民主黨のアンドレオッティと共産黨のベルリングェルとが「虚々實々の驅け引きの末にあみあげた白と赤のレースあみの、中心に使つた一本の糸」であり、その糸は「白好きの人が見たら白に見えるが、赤好きの人が見たら、赤ではないがピンク色には見えるという、便利な糸」だつたと、鹽野女史は言う。要するにアンドレオッティもベルリングェルも、知能犯的狡猾をもつて「ごつこ」をやつてゐたのであり、モロ氏は「ごつこ」に不可欠のぬえ的存在だつたという事になる。そして、ごつこを飽くまで拒否したイタリアの過激派「赤い旅團」は、そのぬえ的人物を血祭りにあげたのである。鹽野女史の文章の一讀を江藤氏に勸める。  ところで、ごつこの時代の處世術のモットーは「どつちもどつち」、つまり「右も左も蹴つとばせ」である。週刊文春五月十八日號の「成田ミニ戰爭に躍る國辱人間たち」と題する記事は、この「どつちもどつち」というぬえ的根性によつて書かれてゐる。過激派と政治家・空港公團の双方を批判して自分一人だけが良い子になる事を、文春は不安に思はないのか。專ら過激派を叩いてゐるライバル週刊新潮(五月十八日號)は、今や「ごつこの時代であるにもかかわらず、まともにやろうと」してゐる青臭い跳ね上りだと、文春は思つてゐるのか。文春の態度は、「一部過激派の暴力行爲が非難さるべきだとしても、このような状況を招いたそもそもの出發點が政府・行政側にあつた」とする朝日ジャーナル五月二十六日號の小林直樹氏の考へ方と、本質的には變らない。文春はいずれ朝日ジャーナルと「討論ごつこ」をやる氣なのか。「出來そこないの漫才」をやる氣なのか。そうではあるまい。それなら、文春の猛省を望む。 (昭和五十三年五月二十七日) <笑いを催促するな>  落語協會の眞打亂造は許せないと、三遊亭圓生たちが協會を脱退した。すると、席亭會議なる組織が調停に乘り出し、週刊朝日六月九日號の表現を借りれば「結局のところは犬も食わない結果に落ち着」いた。圓生の動機が眞打亂造反對だけだつたかどうか、それは私にも解らないが、今日、眞打の多くが眞打としての實力を有しないという事だけは確實だと思ふ。  下手糞な藝で客がさつぱり笑わぬものだから「あたしが、それ、こうして、握り拳を耳の所へ持つて來たら、皆さん笑つて下さい」と、笑いを催促する言語道斷の咄家がいた。今でもそれをやつてゐるのかどうか。けれどもその場合、咄家だけを咎める譯にはゆかないので、催促されて笑う客も惡いと私は思ふ。騙される客が馬鹿だからこそ、咄家は下手な藝でも食つてゆけるのだ。「長袖善く舞い、多錢善く買う」と韓非子は言つてゐるが、にせもの横行は古今東西を通じて存在する現象なのであろう。  もとより、それは落語に限らない。例えば私は、はらたいら氏の漫畫を面白いと思つた事が無い。週刊現代に連載中のはら氏の漫畫は下手糞であり、淺薄であり、私はただの一度も笑つた事が無い。一度でも笑つた事の有る讀者というものを想像できた例しが無い。 週刊現代のはら氏の漫畫は「ツッパリ白書」と題するもので、六月八日號で連載五十一囘目である。五十一囘目は福田首相と大平幹事長とをからかう漫畫であつて、「獨斷と偏見日記」というこれまたつまらぬ作者自身の解説がついてゐる。そればかりではない、漫畫の最後の齣には、福田大平兩氏が肩を組んでゐるところが描かれ、作者の傀儡らしい人物がそれを見守り、拍手しながらこう言つてゐるのである。「ネッ、へたなドラマ見るより、よつぽどおもしろいでしょう」  言うまでもなく、これもまた笑いの催促である。勿論、笑わせるだけが漫畫の効用ではないであろう。が、はら氏の漫畫は政治的諷刺としてもすこぶる凡庸である。それは三流の床屋政談である。  漫畫家にせよ、咄家にせよ、喜劇役者にせよ、笑いの催促だけは斷じてやつてはならない。私も劇作家の端くれだから、笑いを催促する役者がいかに惡しき技術の持主かは身に染みて知つてゐる。が、嘆かわしいのは、今日、そのような惡しき技術がさほど輕蔑されていないという事であつて、現代がにせもの横行時代たるゆゑんである。  はら氏の漫畫を週刊現代はいつまで連載するのであろうか。五十一囘も續いてゐるのは、週刊現代の忍耐ゆえなのか。それなら、その忍耐ははら氏本人のためにもならないであろう。それとも、はら氏の漫畫は好評なのか。クイズ番組で大學教授をも凌ぐ才能を示すがゆゑに、漫畫も好評という事なら、また何をか言わんや、以後、私は漫畫について一切口出しはすまい。 (昭和五十三年六月十日) <時に愚直たるべし>  週刊文春六月十五日號は「朝日と武見太郎の“危險な關係”」なる記事を載せ、立腹した朝日新聞は文春の廣告掲載を拒否した。文春は「公器と自稱しても、商業新聞である以上、儲けなくてはならない」筈だから、「廣告スポンサーに對する“配慮”もある程度止むを得まい」が、「朝日新聞が醫師會の廣告をもらうため迎合的記事を掲載した」とすれば、それはいささか問題ではないか、と書いたのである。文春の言う通りであつて、朝日は「廣告と編集が連動するなんてことはありえない」と言つてゐるのだが、私にはそれは信じられない。「天下の公器も臺所の話となるとなりふりかまつていられない」筈だと思ふからである。但し、それは大新聞に限らない、週刊誌もそうである。例えば週刊新潮六月十五日號は、有吉佐和子女史と大鷹淑子女史の中國訪問についての記事の中で、この二人が中國で何を見て來るか、「世界の良心」が期待してゐると、「少々うわずつた」調子で書いてゐる。新潮は昨年十二月、大鷹女史の實力を揶揄する記事を載せたのであり、それが今、突如好意的になつたのは、新潮の臺所にとつて大切な有吉女史にだけ期待するのは、いかにもまずいと考へたからであろう。賢明な判斷だが、新潮はもう少し馬鹿になるべきである。  ところで、前囘、私ははらたいら氏の漫畫を批判したが、はら氏の漫畫はサンケイ新聞も連載しており、それゆえサンケイは少々困つたろうと思ふ。少々困つたがともかく私の文章を載せたのは、このコラムをもうけるに際して「齒に衣着せぬ自社に對する批判をも掲載する」と讀者に約束したからであろう。それが實は建前に過ぎず、サンケイは最初からやる氣が無かつたのだ、とは私は思はない。週刊文春によれば、健康保險法改正問題については醫師會も厚生省も本氣ではなかつたようであり、もしもそうなら、本氣で事態を憂えた者が馬鹿という事になる。問題の「迎合的記事」を書いた朝日の記者は新前で、「クラブの物笑い」になつてゐるという。要するに朝日の上層部が本氣でないのに、新前の記者だけが本氣になつたという事であろう。  その朝日の記者も、いずれ成長して本氣になる事の愚を悟るかも知れぬ。が、この世にはよろず本氣になれぬ馬鹿というものもあつて、このほうが遙かに厄介である。が、サンケイは本氣になる馬鹿だと私は信じたい。他の新聞が無視しても、例えば東大精神科病棟不法占拠問題や自民黨意見廣告掲載問題で、サンケイはいつまでも本氣になつてゐる馬鹿である。週刊文春も時々その種の馬鹿になる。文春の馬鹿を危ういと思ひ、私は文春を咎める事がある。が、それは本氣になる馬鹿が好きだからである。ソルジェニーツィンは六月八日、ハーバード大學で講演し、自由社會の堕落を痛烈に批判した。それはアメリカ人の神經を逆撫でし、評判は必ずしもよくないという。要するに、彼は偉大なる馬鹿なのである。 (昭和五十三年六月二十四日) <時に惡魔たるべし>  週刊現代六月二十九日號によれば、テレビドラマ『夫婦』の視聽率はついに三〇%を超えたそうである。私も一度だけ『夫婦』を見た事がある。案の定くだらないと思ひ、テレビドラマは結局テレビドラマでしかないと思つた事がある。だが、何しろ大變な評判である。それを言へば嫌われる。だから私は默つてゐた。が、先日、『夫婦』を見て笑い轉げたという惡魔的な友人の告白を聞き、少々安心した。  實は私も少々笑つたからである。淺薄なテレビドラマが受けるのは、人々の思考の不徹底のせいだと私は思ふ。しからば思考の徹底とは何か。それを知りたい讀者に、今、紀伊國屋ホールで上演されてゐる『ヘッダ・ガーブラー』をすすめたい。ヘッダに扮する鳳八千代の名演技は、作者イプセンの思考の徹底がいかに惡魔的なものだつたかを教へてくれるであろう。  『夫婦』と『ヘッダ・ガーブラー』との間には殆ど無限大の隔たりがある。それは日本の進歩的文化人と非暴力主義者ガンジーとの隔たりのようなものだ。ユダヤ人を救う爲にヒットラーと戰うべきか。平和主義者ガンジーは答える。いや、戰うべきではない、むしろドイツのユダヤ人が集團自殺すべきである。これも惡魔的な徹底であつて、私はガンジーを好かないが、敵ながらあつぱれだと思ふ。が、日本の平和主義者はその點、頗る中途半端であつて、例えば週刊現代六月二十九日號が叩いてゐる大島渚、富塚三夫、高澤寅男の諸氏もそうである。成田開港絶對反對を唱えてゐたこれらの進歩派が、いずれ必ず口を拭つて成田を利用するに違い無いと、週刊現代は網を張つて待ち受けてゐたのであろう。そして果せるかな、成田空港に現れ、網に掛つた雜魚の「ヘンないい分」を現代は手際よく料理してみせたのである。週刊現代の記者の勞を多とする。  一方、週刊新潮七月六日號によれば、園田外相はかつて中尾榮一氏に「私が日中条約を推進しようと思ふのは、日本が戰爭で中國に行き、彼らに可哀そうなことをしたから」であり、「私は福田政權を大平政權にバトンタッチする際の潤滑油の役に立てればいいと思つてゐる。その點からも日中を」やるのだと語つたそうである。政治家は惡魔と契約する、とマックス・ウエーバーは言つてゐる。惡魔との契約という事について全く無知な、途方も無い素人に、我々は外交を任せてゐる譯であろうか。  或いは園田氏は、永田町を舞臺にして政治的に賢明に振舞つてゐる積りかも知れぬ。が、「福田政權を大平政權にバトンタッチする」事の意味は何なのか。政治哲學を欠く政治的賢明など何の自慢にもなりはせぬ。それは惡魔とは無縁である。それは世渡りの術に過ぎず、大人なら誰でもそれを持合せてゐる。そして誰でもが持合せてゐるようなものに、一體何ほどの力があろうか。いやいや、それとも新潮の記事がでたらめなのか。それなら、たかが週刊誌などと言うなかれ、園田外相は斷固新潮に反論すべきである。 (昭和五十三年七月八日) <權威を叩く無原則>  『復讐するは我にあり』で直木賞を受賞した佐木隆三氏が、去る一日、器物損壞の現行犯として逮捕された。佐木氏は週刊サンケイ七月二十七日號に「我が酔虎傳始末記」なる一文を寄せ、自分は品行方正を理由に直木賞を貰つた譯ではないし、「たかが戯作者風情(中略)今後も似たような失敗は、どこかで演じるにちがいない」と書いてゐる。私は『復讐するは我にあり』を讀んでいない。が、讀むに値する作品ではないという事は察しがつく。佐木氏は週刊讀賣六月十一日號に「嚴戒の成田空港」と題する文章を書いており、それを讀んで呆れ果てたからである。これまでに私は、何囘か野坂昭如氏を批判した事があるが、野坂氏の文章は文士の文章である。が、佐木氏のそれは素人の文章である。文士というものは、いかにやつつけ仕事であつても、ああまで劣惡な文章は書けない。亂心して萬一書いてしまつたら、正氣に戻つて忽ち死ぬと思ふ。  週刊サンケイの佐木氏の文章もまこと劣惡であり、どういう積りで書かれたものやら、さつぱり解らぬしろものである。とまれ、佐木氏は少しも反省しておらず、世間をなめきつてゐる。いずれまた自分はこの種の罪を犯すに違い無いが、「品行方正を理由に、直木賞をいただいた」のではないのだから、それは仕方が無いではないか、と佐木氏は言う。何とも盗人猛々しい言い種ではないか。だが、佐木氏に限らず、作家は昨今とみに盗人猛々しくなつたりである。新聞や週刊誌は藝能人のスキャンダルは容赦しないが、作家の出鱈目は大目に見るからだ。文壇における情實と馴合ひは目に餘ると聞いてゐるが、ジャーナリズムはそれを決して暴かない。暴いたら原稿を書いて貰えない。それかあらぬか、週刊文春七月二十日號で田中編集長は佐木氏を庇う文章を書いてゐる。田中編集長も「臺所の話となるとなりふりかまつていられな」かつたのであろうか。何とも情け無い文章である。  一方、サンデー毎日七月十六日號は、醫師會報道をめぐる朝日新聞と週刊文春との大喧嘩の奇妙な落着を批判する記事を載せており、私は頗る興味深く讀んだ。毎日によれば、田中編集長は「無原則」であり、「權威を相對化する」事を樂しんでゐるという。田中角榮氏や共産黨を、「右も左も蹴つとばせ」とばかり叩いて來た田中編集長は、要するに「權威を相對化」して樂しんでいただけなのか。それなら、週刊文春の編集部員も、編集長の權威を相對化して樂しんでよい、という事になる。權威を叩く權威を叩いてもよい、という事になる。そうなれば、權威が權威を叩く事は天に向つて唾する事になる。文春七月十三日號は、「編集長が變わ」つて以來初めてのピンクサロン探訪記を載せてゐる。無原則が原則なら、それも怪しむには足りぬ。いずれ文春はすさまじいポルノを讀ませてくれるのではないか。 (昭和五十三年七月二十二日) <栗栖支持は改憲支持>  栗栖統幕議長の解任について週刊ポスト八月十一日號は、自衞隊は有事の際超法規的に行動せざるをえないとの栗栖發言に對する「防衞官僚・新聞の集中砲火は魔女狩り的發想」であり、「防衞論議にタブーを設ける」のは「愚擧」であると書いてゐる。まつたく同感である。  それゆえここで「防衞問題に關するポストの成熟を喜ぶ」と書きたいのだが、そう書く事を私はやはりためらわざるをえない。ポストは七月二十八日・八月四日合併號に、「憲法を變えなくても(中略)自衞隊の行動を十分に保障する法的根拠を得られる」とする意見と、それは「憲法の規定を事實上無視」する事であり、「實に危險なこと」だとする意見を紹介してゐるが、ポスト自身はいずれを支持するのか、それがよく解らない。防衞問題は冗談事ではないから、私は眞顔でポストに尋ねたいが、栗栖發言を支持する事は憲法改正を支持する事だという認識を、或いは少なくとも危倶の念を、ポストは持つてゐるのか、いないのか。  栗栖氏は今囘、「有事の際、自衞隊は超法規的に行動する」と發言して詰め腹を切らされたけれども、氏は本年一月、「專守防衞と抑止力は並存しない」と書いた事があるのであり、このほうが遙かに重大な問題提起だつたのである。それは憲法第九条の所謂芦田解釋のまやかしを粉砕するに足る發言だつたからである。ポストに注文しておきたい。「庶民本位の未來民主主義」などという怪しげな護符にすがりつかず、一度じつくり栗栖氏の發言について考へて貰いたい。  一方、週刊現代八月十日號は、今囘の栗栖解任は「文民統制の大原則上當然の歸結」だらうが、それで問題が解決した譯ではなく、栗栖氏の「發言の眞意はさらに冷靜に檢討されなければなるまい」と書いてゐる。これまた、まつたく同感である。何か事件が起らぬ限り動こうとせぬのがジャーナリズムの惡弊だが、週刊現代はその惡弊を打破し、栗栖發言の眞意を執勘に追究して貰いたい。制服を脱いだ栗栖氏を活用しないという法は無いと思ふ。  ところで、週刊現代が連載してゐる石原慎太郎氏の文章を、私は毎囘愛讀してゐるが、それは石原氏が、栗栖氏と同樣、常に勇氣ある發言をしてゐるからである。その石原氏は防衞庁内の文官を「無能で卑劣」と形容してゐる。が、私は制服組もだらしがないと思ふ。これまで、かくも久しく「無能で卑劣」な文官の統制に從い、それに甘んじて來たとは、私は制服組の情熱を疑わざるをえない。制服に戰意無く、土木工事に精を出し、日陰者として認知される事だけを望んでゐるとすればそれこそゆゆしき問題である。それをジャーナリズムはなぜ問題にしないのか。もはや紙數が無い。森鴎外の言葉を引用しておく。「要スルニ世間ハマダノンキナルが如ク被存候。多少血ヲ流ス位ノ事ガアツテ始テマジメニナルカト被存候」 (昭和五十三年八月五日) <文民統制も虚構>  八月第三週發賣の週刊誌のすべてが栗栖解任を話題にしてゐるが、私は週刊現代の記事が最も愚劣だと思ふ。いつぞや書いた事があるが、週刊現代という週刊誌は人格の統一を全く欠いてゐる。現代は例えば栗栖發言を是認する石原慎太郎氏や江藤淳氏の文章を載せながら、今囘、八月十七日號では栗栖氏が「ことあるごとにシビリアン・コントロールをののしり、外敵の脅威を言い續けてきた」と書き、また「栗栖發言は、その眞意はどうであれ、形の上ではクーデターの“ハシリ”といえる」と書いてゐるのである。栗栖氏の顰みに倣い、私は敢えて暴論めく事を言う。クーデターは惡逆無道であり、一方、革命は正義に發する美擧であると、多分、週刊現代は考へてゐるのだらうが、私はそういう中途半端な思考が大嫌いである。中途半端で淺薄な考へにもとづいて、したり顔に國を憂えてみせる手合ひが大嫌いである。クーデターも革命も「超法規的」手段による權力奪取なのであつて、してみればその絶對的善惡を論うのは詮無き事だと、少なくともそれだけの認識をもつて物を言つて貰いたい。  一方、週刊ポスト八月十八日號で栗栖氏は「法というものは何から何までカバ一できるものではない」と言つてゐる。その通りであつて、昨年赤軍による日航機乘取り事件が發生し、福田内閣は「超法規的」處置をもつて赤軍に屈服した。日本國においても法は決して萬能ではない。そしてその際、週刊現代は、人命尊重よりも法を守るべしと強硬に主張した譯ではない。また現代は栗栖氏が「シビリアン・コントロールをののしり」云々と書いており、どうやら現代は「罵」るという日本語の意味するところを皆目、理解していないらしいが、それはさておき、週刊現代に限らず、世間は文民統制を絶對善であるかの如くに考へてゐるようであつて、この點も私は甚だ氣に食わない。民主主義と同樣、文民統制も萬能ではない。愚かな武官もゐるだらうが、愚かな文民もゐるからである。そして賢い制服組が愚かな内局の統制に常に從わねばならないと、どうしてそのような事が言へようか。文民統制も民主主義同樣に虚構に過ぎない。そして「虚構に過ぎない」と書いたからとて、私は文民統制を罵つてゐる譯ではないのである。  ところで、週刊ポスト八月十八日號によれば、大新聞は栗栖解任を報ずるに際し、週刊ポストの「栗栖インタビューの内容を大幅に引用しておきながら、ニュースソースが週刊ポストであることを明記」しなかつたという。事實ならけち臭い話である。また週刊文春八月十日號によれば、大新聞の記者たちは栗栖氏が「新聞にしゃべらないで、テレビや週刊誌で話」した事を快く思つていないという。事實なら情け無い話である。佐藤前首相は新聞よりもテレビを信用したが、栗栖氏は新聞よりも週刊誌を信用してゐるのかも知れぬ。 (昭和五十三年八月十九日) <平和憲法もまた虚構>  週刊ポストが俗受けするゆゑんは、その煽情主義と頭の惡さだと私は思つてゐる。頭が惡いから「國防問題を“賢明な大衆”の立場から凝視すべき時だらう」などと書く。そう書けば「賢明な大衆」に支持されると思つてゐるのか、それとも自身が「賢明な大衆」に屬すると思つてゐるのか、とまれ度し難き愚かしさである。ポスト八月二十五日號は「自民黨の“全方位外交”も非現實的なものといわざるをえない」と書いており、「外交というのは、世界のどこの國とも仲よくできない現實があるから必要なのであつて、もしどの國とも仲よくやれるなら外交は必要ない」との加瀬俊一氏の言葉を引いてゐるが、加瀬氏の言葉の意味するところを、ポストはさつぱり理解していない。  倉前盛道氏や加瀬氏の尻馬に乘る事が何を意味するかについては考へない。全方位外交を批判する以上、「どの國とは仲よくやれないか」についてポスト自身の意見が無ければならぬはずだが、無論そんなものは無い。「事實を提示」するから皆で論議してくれ、「論議がタブーであつてはならない」とポストは「言つてゐるにすぎない」。「賢明な大衆」に考へてもらおうと「言つてゐるにすぎない」。  ポストはまた、日中平和友好条約は「領土棚上げ条約」であり、「日中条約でこんな先例ができてしまえば、ソ連にせよ韓國にせよ。こうした日本のウヤムヤ外交の弱味につけ込んでくる」と書いてゐる。私はかつて尖閣も北方領土も放棄すべしと書いた事がある。そして、憂國の士らしき讀者から「お前は純眞な青年に軟弱な精神を吹き込む教師である」云々の激しい非難の手紙を貰い、うれしく思つて笑つた事がある。愚かなポストにも多分理解して貰えまいが、北方領土なんぞ決して戻る事は無いと私は思ふ。それは、春秋の筆法をもつてすれば、平和憲法のせいなのである。ポストはまた、ミグ25事件の際、自衞隊が超法規的行動を起した事を問題にしてゐるが、超法規的存在たる自衞隊が超法規的に行動して何が惡いのか。が、これも愚かなポストには到底理解できぬ議論であろう。  ところで、福田首相が全方位外交を説くのは、これまた平和憲法のせいである。平和憲法を是認しながら全方位外交を批判するのは矛盾だからである。私自身は福田恆存氏と同樣「新憲法を女郎の誓紙同然にしか見ていない」。それゆえ私は、全方位外交に批判的なのだ。けれども、イザヤ・ベンダサンによれば、日本人とは『勸進帳』であつて、「虚構の舞臺で虚構の主人公が、虚構の從者のため虚構の文書を讀むと、相手が虚構に信ずる」のである。平和憲法も、もとより虚構であつて、馬鹿はそれを眞に受け、利口はそれを信じないか、さもなくば信ずる振りをしてゐる。週刊ポストは前者であり、福田首相は後者だと私は思ふ。が、昨今は馬鹿が利口を批判して、したり顔なのである。奇妙な事だと思ふ。 (昭和五十三年九月二日) <中國に何を學ぶか>  週刊文春九月七日號は飯田經夫名大教授の中國視察記を紹介してゐる。飯田氏によれば中國の民衆の動作は緩慢で、顔は無表情、敢えて言へばそれは「阿呆づら」だそうである。週刊新潮九月七日號の表現を借りれば「大熱狂のうちに日中条約が締結されて(中略)兩國の交流は、いまや、拍車にジェットエンジンがくつついたような勢い」だというのに、ずいぶん大胆な事を言う御仁だと思ふ。けれどもそれは本當の事に相違無いので、「阿呆づら」ぐらいで驚く事はない。週刊新潮に連載中の「有吉佐和子の中國レポート」は面白く讀ませるが、有吉女史は人民公社の便所の「床にまつ白な石灰を撒いてある事」に驚き、風呂場があつて「電氣もある」事に驚き、中國に「民法も刑法もなかつた」事、及び「辯護士がいなかつた」事を知らされて愕然とするのである。女史は腰を抜かさんばかりに驚いたのかも知れぬ。  ところが、週刊讀賣九月十日號によれば「中國では小さなものでも安價なものでも」落し物は「必ず本人の手もとに戻つてくる」という。刑法や民法が不要なのは泥棒がいない國だからであろう。これぞまさしく天國だと、讀賣の記者は思つてゐるらしい。が、泥棒のいない國とは地獄に他なるまい。わが日本國では窃盗ぐらいで重刑を課せられる事は無い。それゆえ泥棒諸君は安んじて稼業に精を出す。が、泥棒のいない國とは泥棒に重刑を課す國である。惡を犯す自由の無い國である。そういう清く正しく美しい國に住みたいと、讀賣の記者は本氣で思つてゐるのだらうか。  一方、週刊文春九月十四日號は、中國人民解放軍の張副參謀長の來日について、「人的交流も結構だが、中國側に鼻づらを引きまわされるような愚は冒して欲しくない」と書いてゐる。けれども、日本は今後大いに「中國側に鼻づらを引きまわされ」て欲しい、と私は思ふ。中國の民衆は阿呆づらだらうが、民衆を阿呆づらにさせておく權力者とは、これはもう何とも見事な知者である。「知者に從う事は知惠のある事と同じであつて、我々は健康を欲するが、自ら醫學を學ぶ必要は無い」とアリストテレスは言つてゐる。阿呆づらの中國の民衆は知惠ある權力者に從つて清く正しく美しいのであり、それなら日本も中國の支配に從つたほうがよい。中國の叡知に學んだぼうがよい。  昨今、日本の右傾化を案ずる向きがあるが、元を糺せばそれも、周恩來が日米安保条約を認めてくれたからではないか。日本は外壓によつて變る國なのだ。マッカーサーに日本は十四歳だと言われて(それとも十二歳だつたか)嬉々として十四歳になりきつた國なのだ。いずれ中國の指導者が「日本の憲法は非現實的である」などと言つてくれるかも知れぬ。サンケイ新聞によれば、河本通産相歡迎宴の席上、中國の對外貿易相は「天皇陛下のご健康」を祈つて乾杯したという。望み無きにあらず、である。 (昭和五十三年九月十六日) <野暮を貫けぬ風潮>  週刊朝日九月二十二日號で田中美知太郎氏は、文章は「内容を離れてもそれ自體で味わうことのできる一面をもつ」と書いてゐる。その通りだと思ふ。週刊文春に連載中の山崎正和氏の『プログラムの餘白から』は「内容を離れてもそれ自體で味わうことのできる」文章であり、例えば、芥川比呂志氏の著書を評する氏の文章はちと褒め過ぎであり、感心できないが、文章そのものは立派であり、粗雜な週刊誌の文章の中にあつて、それは「早天の慈雨」のように思えるのである。  一方、週刊文春九月二十八日號の書評欄の筆者は、外山滋比古氏の著書を激しく叩き、「ジャーナリズムでもてはやされてゐる學者の多くはニセモノ」であり「疑う人は外山滋比古『中年閑居して・・・』を讀むがいい」と書いてゐる。全く同感だが、そんな事を言つても、もはや駄目ではないかと思ふ。それは野暮な事だと思ふ。外山氏は「コトバについて論じて世間から尊敬されてゐる」そうだが、してみれば世間は、文章を論じて文章が粗雜な事を一向に怪しまない譯である。  ところで、私は山本夏彦氏の文章が好きである。雜誌『諸君!』に連載中の氏の文章は何とも見事なもので、一度だけ馬の交接を内容とする文章を讀まされて困惑したが、それ以外は常に一讀三嘆、友人知己にすすめて倦む事が無い。その山本氏が、週刊文春九月七日號でイーデス・ハンソン女史と對談してゐる。これも世間は一向に怪しんでいないらしいから、それを言うのは野暮かも知れないが、ハンソン女史は日本で日本語を喋つて飯を食つてゐる筈であり、外人であつてもその粗雜な日本語は批判されてしかるべきである。女史の敬語の使い方はでたらめであつて、對談の相手が私淑する山本氏だからという事もあり私は進歩的文化人なみの反米感情に驅られたのである。冗談はさておき、のつけから對談の相手に「あつちこつち浮氣はしない?」とは何事か。けれども昨今、横柄な板前を卑屈な客が咎めないように、ハンソン女史の非禮を咎める讀者はいないのであろう。咎めるのは野暮、と讀者は思ふのだ。  一方、週刊現代九月二十八日號で黛敏郎氏は、話題になつてゐる「皇太子殿下訪中」問題について「道義的戰爭責任をいうんであれば(皇族は)まず臺灣へ行くべきだと思ひます」と言つてゐる。全く同感だが、今時何と野暮な事を言う御仁か。今や世間は日中友好ムードとやらに浮かれ、かつて日本が問答無用とばかり臺灣を切捨てた事を心苦しく思ひ出す者は殆どいないのである。私はそれを苦々しく思ふ。よろず野暮を貫けぬ風潮を苦々しく思ふ。黛氏に倣い私も思ひ切り野暮な事を言う。私は臺灣に行つた事が無い、が、私は臺灣が好きである。臺灣は日本に對して何一つ惡い事をした事が無い。それにも拘らず日本は臺灣を捨てたのである。それを世人はなぜ思ひ起さないのか。 (昭和五十三年九月三十日) <馴合ひかガス銃か>  『新聞よ驕るなかれ』(高木書房)の著者辻村明氏は、新聞批判ばかりやつてゐると「人間が惡くなる、そのうち目付が惡くなる」と夫人に言われたそうである。辻村夫人は辻村氏を愛してゐるに相違無いから、目下のところ夫君の目付はうるわしいと思ひ、「そのうち惡くなる」事を心配したのだらうが、批判される新聞から見れば、辻村氏の目付はとつくの昔から惡かつたに違い無い。だが、氏の目付がもつと惡くなる事を私は望む。このコラムで毎囘のように週刊誌を叩いてゐる私の目付もずいぶん惡くなつてゐるはずだからだ。つまり同病相憐れみたい氣持は私にもあつて、それゆえ例えば、前囘も取上げた「風」というペンネームの週刊文春の書評欄の筆者を、これまた相當に目付の惡い御仁であろうと思ひ、貴重な存在だと思ふ譯である。「風」氏の書評はまことに辛辣だが、常に正鵠を射ており、馴合つて褒め合う書評が多い當節、書評中の白眉だと思ふ。  ところで週刊新潮十月五日號は、東大文學部長室出火事件を取り上げ、向坊總長と文部省を激しく批判してゐる。新潮は「精神神經科の赤レンガ(病棟)も、文學部長室も、われわれは占拠と見ていない」との向坊總長の言葉を引き、吉田茂が生きてゐたら「これこそ曲學阿世」と言つたに違い無いと書き、返す刀で文部省に斬りつけ、その弱腰を叩き、東大から「事情聽取」して「速やかな正常化」をお願いするだけしか能の無い文部省は「この際解散」したらどうかと言う。いかにももつともであつて、要するに東大も文部省も馴合ひの微温湯にどつぷりつかつており、馴合ひこそは日本國の美風なのである。それゆえ私はここで予言しておくが、週刊新潮が何を言おうと、またサンケイ新聞がいかに執拗に追及しようと、東大が「正常化」される事は無い。サンケイの執拗はあつぱれだが、それはいかんせん、「和をもつて貴しとなす」日本の風土になじまないのである。  それに東大の「正常化」問題に關しては、週刊新潮もサンケイ新聞も氣づいていないらしい事がある。大方の大學教授が知つていてジャーナリズムが知つていないらしい事がある。それは、大學の「正常化」のためには警察の協力が必要だという事である。今道東大文學部長は「學生の理性的對應に期待しすぎてゐた」と言う。それなら今後どうするのか。理性無き「學生の理性的對應に」今後も期待するのは、今後も馴合ひを續けるという事である。では、どうするのか。警察の協力無しに「正常化」する氣なのか。それなら教師がチョークを捨てガス銃を持つしかない。私はいつぞや「あの狂犬に等しいゲバ學生と、ガス銃を持つて戰つてみたい」と發言して、同僚に窘められた事がある。さて東大はどちらを選ぶのか。馴合ひでなくガス銃を選ぶなら、私は東大の傭兵になりたいと思ふ。呵々。 (昭和五十三年十月十四日) <損を覺悟する精神>  週刊現代十月二十六日號で曽野綾子女史は「人間と動物が違うのは、損ができる」かどうかという點であり、「私だつて、損ばかりしてゐるのは好きじゃないけど、損してゐる人には尊敬を覺え」ると言つてゐる。政治とは殆ど欲得ずくの行爲である。日中友好条約の締結も双方の欲得ずくの行爲であつて、對中國輸出に活路を見出した積りの日本と「四つの近代化」に活路を見出した積りの中國との、双方の利害得失が一致したという事である。週刊文春十月十九日號は、「不況にあえぐ日本企業も渡りに舟とばかりに中國詣」をしてゐるが「すべて萬々歳」と言へるかどうか、「その前途には容易ならぬ問題が待ちかまえてゐる」と書いてゐる。文春と同樣、私も日中友好を手放しで禮賛する氣にはなれない。週刊文春で長谷川慶太郎氏が言つてゐるように、中國が近代化を進めてゆけば、當然「どんどん貧富の格差がつく。そこでどういう反動が起こつてくるか」。勿論、それは「中國の政治にハネ返る」事となる。貧富の差をこのまま放置はできぬ、と中國の貧乏人は考へるに相違無い。「俺たちだつて損ばかりしてゐるのは好きじゃない」。  それは中國が早晩直面する困難であつて、近代化の過程で再び「造反有理」のスローガンが叫ばれる事もありうると私は思ふ。だが、日本の近代化と同樣中國の近代化も、所詮は損をする事を嫌う人間しか育てないのではないか。  週刊文春十月二十六日號によれば、日本美術界腐敗の構造」はすさまじく、畫家たちは「紙面に取り上げてもらうために記者を料亭に呼んで現ナマを五萬圓ぐらい包むのは日常茶飯事」であり、「藝術院會員になるには(中略)運動費に最低三〇〇〇萬圓は使わないと無理」だそうである。それは本當の事だらう。それくらいの事なら文壇でも行われてゐる、と私は聞いてゐる。そしてそれなら、文士にも畫家にも政治の腐敗を云々する資格は無い。曽野綾子女史は「宇能鴻一郎先生や川上宗薫先生の小説なら、非常に愛讀してゐる」と言う。宇能、川上兩氏の小説は論ずるに値しない。が、人間と動物との違いを本氣で氣にしてゐる小説家が、今の日本にどれだけゐるのだらうか。『エーゲ海に捧ぐ』は『濡れて開く』よりもどれだけ高級なのだらうか。  一方、サンデー毎日十月二十二日號で松岡英夫氏は「中國留學生に傳えたいもの」は「點取り主義や出世主義でなく、學術をささえる本當の精神」だと書いてゐる。途方も無い愚論である。今の日本に「學術をささえる本當の精神」など殆ど殘つてはいない。それは損を覺悟の精神であり、中國にはあつても日本には殆ど見出せぬ精神である。大正七年、森鴎外は『禮儀小言』を書いた。日本人はいまや「單に形を棄てて罷むか、形式と共に意義をも棄つるかの岐路」に立つてゐると書いた。今日なお松岡氏の愚論あるを、私は頗る奇怪な事だと思ふ。 (昭和五十三年十月二十八日) <惡魔を見ない純情>  このほど來日した「1(登+邑)小平氏は、中國人というより、どこか日本のいなかの小學校で見かける用務員のおじさんのように親しげで、終始、好感が持てました」と週刊讀賣十一月十二日號は書き、「初めて見たおじさんは、小柄な體ながら、きりつと締まつた物腰で貫録よろしく(中略)終始、親善ムードの盛り上げをリードする餘裕ぶり」とサンデー毎日十一月十二日號は書いてゐる。この種の腑抜けの戯言を讀まされると私は反吐が出そうになる。よい年をして何たる純情か、何たるお人好しか。讀賣も毎日も日中友好ムードを煽ろうと思つてゐるのではない。そういう意圖的なものは皆目ありはしない。そんな底意があるならそれは小惡黨で、それならまだ付き合へる。が、讀賣も毎日もただもう無邪氣に1(登+邑)小平氏に惚れ込んでしまつたのである。ウイリアム・ブレイクは「體驗を通過した無垢」は「體驗を知らぬ無垢」よりも貴重だと言つてゐる。讀賣も毎日もよい年をしておぼこ娘の如く純眞なのである。  一方、週刊朝日十月二十七日號で野坂昭如氏は、アメリカでランバート氏なる友人に「やさしく扱われ」て感動し、「かなりアメリカに洗腦され」、「おそまきながら向米一邊倒」となり、「小生は、これまでどちらかというと、革新側ということになつてゐた。ミッドウエストの、保守地帶で洗腦されたからには、自分なりに、これまでの革新というレッテルとおとしまえをつけなければならない」と書いてゐる。  これまた何たる純情か。私は保守派で親米だが、外交とはすべての外國を假想敵國とみなすものだと心得てゐる。アメリカも日本の假想敵國だと考へてゐる。  が、週刊誌にせよ野坂氏にせよ、どうしてこうもたわいなく外國に惚れてしまうのか。野坂氏は文士ではないか。「子供を虐待するのは樂しい、子供の無防備状態が加害者を誘惑する」とイワン・カラマーゾフは言う。が、イワンはまた、自分は子供が好きだ、「殘酷な人間、情欲的で、肉欲のさかんな、カラマーゾフ的人間というやつは、どうかするとひどく子供が好きなものなんだ」(小沼文彦譯)と言う。イワンの中に天使がいて惡魔がゐる。おのが心中に惡魔を見ない人間は惡魔と戰う事がない。そういう人間の善良には私は付き合へない。その浮薄に吐き氣を催す。  ところで今囘どうしても書いておきたい事がある。週刊文春の田中健五編集長が辭任した。今だから言うが、私は田中氏とは面識がある。田中氏の人柄を愛する事にかけて私は人後に落ちない。が、これまで私は田中氏をかなり叩いた。田中氏が編集長になつて週刊文春は確かによくなつたのであつて、その編集の洗練と工夫をいつか褒めようと思ひながら、その機を逸し、私情を殺して惡口ばかり言つたように思ふ。それが少々殘念である。辭任の事情についても釋然としないが、それは書かない。 (昭和五十三年十一月十日) <おのれの器を知れ>  國立武藏療養所の醫師、豐田純三氏は、ある日、いきなり患者に短刀を突付けて、こう言つた。「この前は、よくもナメた電話をかけてくれたな。(中略)オレを刺すだと。ふざけるな。命が惜しくて精神科醫がつとまるか」。そして豐田氏は患者の「左アゴに五ミリほどの傷をつけた」という。確かに異樣な事件だが、週刊新潮十一月二十三日號によれば、その患者は「前科五犯、逮捕歴は何と九囘」のアル中患者であり、豐田氏の一見異樣な行動も「治療の一環」であつて、患者は快方に向つており、「悠々と生活保護の恩惠に浴して」ゐるそうである。ところが醫師のほうは銃刀法違反及び暴力行爲の廉により書類送檢されたという。この種の事件について患者の人權擁護を言い、醫師の非を打つのはたやすい事である。實際、十月八日付の毎日新聞は「事實は弱い立場の患者を力でおさえただけだ」と書いたという。何とおめでたい記者かと思ふ。新潮は「危險な半可通」と評してゐるが同感である。  物事はそう簡單に割切れはせぬ。患者の「左アゴに五ミリ」の傷をつけた事も「治療の一環」として許さるべき事なのかも知れぬ。が、毎日の記者は「許さるべき事」ではないと言う。それは豐田氏の良心と邪心とを、いともたやすく弁別できるからであろう。醫者はすなわち強者であり、強者はすなわち惡玉である、と決め込んでゐるからであろう。「おめでたい」と形容するゆゑんである。  もとより私も新潮も豐田氏の行爲を是認してゐるのではない。醫者の良心がどこで終つて邪心がどこから始まるか、そういう事は確とは解らぬ。そして確と解らぬ事柄に對しては謙虚であらねばならぬ。が、昨今のジャーナリストは、おのれの器で人を計つて怪しむ事が無い。おのれがキャバレー探訪を樂しむ以上、すべての讀者も同樣だと考へる。例えば、「据え膳食はぬは男の恥」という諺がある。けれども据え膳食はぬ男もあるのであつて、ボードレールがそうだつた。彼はある美しき人妻を愛してゐたが、女が身も心も投出した時、それを受取ろうとはしなかつた。なぜか。その理由を書く紙數は無いが、週刊誌の記者も、男と女の安直な野合にばかり興味を持たず、偶にはそういう奇異なる人の心を考へたらよい。  サンデー毎日十一月二十六日號は、田中健五週刊文春編集長の辭任を取り上げ、「同業の“内紛”にあえて觸れてみる」と書いてゐる。が、讀者が一番知りたい事を毎日は何も書いていない。藝術院會員になるには三千萬圓の運動費が必要だという文春の記事は事實なのかどうか。田中編集長の迂闊を私は辯護しないが、大物の作家や畫家の機嫌直しのためとあらば、編集長の首はそんなに簡單にとぶものなのか。どの週刊誌でもよい、後學のためそれを是非教へて貰いたいと思ふ。 (昭和五十三年十一月二十五日) <プロ野球の何が神聖か>  私はプロ野球なるものを一度も見物した事が無い。また、讀賣新聞社には何の恩義も無い。けれども、このところ猫も杓子も巨人と讀賣を叩いて怪しまない事を私は怪しむ。「人が不正を非難するのは、不正を嫌うからではなく、不正によつて被るおのが不利益のためである」とラ・ロシュフコオは言つたが、新聞や週刊誌が讀賣巨人軍を叩くのは、巨人の不正を許せないからではなく、巨人と讀賣を叩かないとおのれが不利になるからかも知れぬ。けれども、新聞や週刊誌が讀賣巨人軍を叩いてどういう得があるのか、そういう事に私は興味が無い。人間、おのれの利には聰いものなので、それを私は咎めようとは思はない。例えばサンデー毎日十二月十日號は「新聞という公器性に思ひをいたせば、球界民主主義を敵とした巨人の江川盗り、讀賣新聞紙上でどう報じられるか關心を持たざるをえない」と書き、少々感情剥き出しで「巨人の江川盗り」を批判してゐる。讀賣新聞の失點は毎日新聞の得點に繋がるのだらう。だから、それはいい。同業の不幸はうれしいものなのだ。それが人間の淺ましい性なのだ。  けれどもサンデー毎日は「この度の一件は明朗だつたろうか。スポーツの社會らしいさわやかさを伴つてゐただらうか」と書いてゐるのである。毎日に限らぬ、巨人を批判する者は必ず「正々堂堂」だの「ルールの先行」だの「フェアなスポーツマンシップ」だのと、プロ野球を神聖視する美辭に酔う。憚るところ無く美辭に酔うとは何たる無邪氣か。週刊ポスト十二月一日號によれば、江川選手の巨人入團には「七つの大罪」があるという。あまりに馬鹿げてゐるからそれを列擧する必要はないが、その中に「スポーツに政治を介入させたる罪」と「少年ファンの心を傷つけたる罪」というのがあつて、この二つは論ずるに足る。まず「政治を介入させたる罪」だが、政治家もまたジャーナリストと同樣、おのれの利には聰いのである。政治家はおのれの利に繋がるものは何でも利用せねばならぬ。それなら、スポーツだけが政治の介入を免れる筈は無い。  また、「少年ファンの心を傷つけたる罪」についてだが、今囘の事件で「心を傷つけ」られた少年というものを私は想像できない。プロ野球では金もまた物を言うという事くらい、今時の少年は知つてゐるだらう。週刊讀賣はドラフト制度は「職業選択に對する束縛」だと言う。つまり人權無視だと言いたいらしい。が、プロ野球は金が目當てではなかつたのか。選手の人權は二の次ではなかつたのか。選手もまた金が目當てで、義理や人情は二の次三の次ではなかつたのか。金錢を輕蔑するのは僞善者か馬鹿だとモームは言つた。少年にはいつそこのモームの言葉を理解させたほうがよい。少年なみの無邪氣な正義漢にも。 (昭和五十三年十二月九日) <泰平の世の茶番狂言>  サンデー毎日十二月十七日號によれば、「ひき際あざやかに辭任した」阪急前監督上田利治氏は「いまあちこちからの講演依頼で悲鳴をあげてゐる」という。毎日はまた十二月二十四日號にも、福田赳夫氏は「引け際だけは徹底してさわやかな政治家」だつたと書いてゐる。毎日に限らない、福田前首相の「引け際のさわやかさ」に感心した人は多いのではないか。だが、「紫の朱を奪うを惡む」という事もある。大平氏を紫に擬する譯ではないが、日本國の前途を思えば大平氏には政權を譲れぬと、もしも福田氏が頑に信じてゐたならば、福田氏の往生際はかなり見苦しいものとなつてゐたに違い無い。かつてロッキード事件が世間を騷がせてゐた頃、私は田中角榮氏の人權を擁護すべし、と書いた事がある。けれども私は田中角榮氏を好かない。田中軍團によつて福田政權が潰されたとあつて、今はますます好かない。が、田中氏の形振り構わぬ執念は見事だと思ふ。それに引換え、蕎麦が好物だという福田氏の淡泊は齒痒くてならぬ。本選出馬を斷念した時、福田氏はおのれを美しく見せたいとの誘惑に屈したのであろうか。私はそれを殘念に思ふ。そして政治家の淡泊に感心し、どす黒い執念に反發するジャーナリストの幼稚を苦々しく思ふ。  ところで、週刊讀賣十二月二十四日號は、總選擧のやり方は不滿だとして、ただ一人「内閣總辭職への署名を拒否」した中川前農相の動機を詮索し、中川氏は田中派の竹下氏には腹を立てたものの田中角榮氏には「怒りらしい怒りを、何一つぶつけていない」のであり、それが中川氏の「政治家たるゆゑん」だと書いてゐる。中川氏は政治家である。おぼこ娘のように純情ではありえない。それなら、この際、中川氏の動機の詮索は無用の事で、中川氏の大平批判が正論か否かが問題なのである。が、新聞や週刊誌はそういう事を問題にしない。專ら舞臺裏の噂話に興ずるばかりである。そしてその際に動員される政治評論家は、地獄耳の鐵棒曳きに過ぎない。  一方、週刊文春十二月二十一日號によれば、河本内閣を樹立すべく畫策した春日一幸氏は「子供のように面白がつて」方々に電話をかけ、塚本民社黨書記長も「河本ならまとまる(中略)面白いということで他の友黨にも」働きかけ、新自由クラブの河野氏は矢野公明黨書記長に「面白いからやろう」と誘いの電話をかけたという。中道野黨の諸氏はさぞ面白かつたろう。何ともお粗末な企みだが、大學でもそういう事はあつて、學部長の選出に際して方々に電話をかけて樂しむ教師がゐる。が、學内が平和な時なら、そういう教師は、まず例外無しに二流の教師である。週刊文春は大平内閣成立までの紆餘曲折を「ドタバタ劇」と形容してゐるが、要するにそれは泰平の世なればこその茶番狂言であり、さればこそ週刊誌も讀者も、政界雀の噂話を面白がつたのである。 (昭和五十三年十二月二十三日) <醒めたワイセツ屋>  週刊新潮一月四日號によれば、 「三大エロ劇畫誌」の一つ、『劇畫アリス』の龜和田編集長は二十九歳、「七〇年安保のレッキとした“新左翼”」なのだが、警察に對しては挑發的でなく、「性表現の擴大ウンヌンを考へたことなんて全然ない」そうである。そしてその「なかなか醒めた“ワイセツ屋”さん」はこう語つてゐる。  「今囘の摘發で、いわゆるワイセツ裁判をやれつていう進歩的文化人の動きがあるんです。そういうお祭り騷ぎを期待してゐる連中のために、僕らがピエロ役をはたしてやる必要はない。自分は何も生み出すことができないのに、コトが起きると知つたかぶりで騷ぎ出す進歩的文化人てやつはタチが惡いですよ」  なるほど、新潮の言う通り、なかなかに「醒めたワイセツ屋」である。「四畳半襖の下張」裁判の被告野坂昭如氏は、週刊朝日一月五日號に「性の秘匿に普遍性はあるか」と題してくだくだしい文章を寄せてゐるが、「猥褻是か非か、でもなければ、猥褻何故惡いでもない。俺たちは、それを賣り物にしてゐる猥褻屋なのだ」と宣言してゐる龜和田氏にしてみれば、野坂氏など「お祭り騷ぎ」に踊る饒舌なピエロに過ぎまい。だが、冷靜なワイセツ屋と浮薄な野坂氏のいずれを採るかと問われたら、私は躊躇無く野坂氏を採る。一見虚無的に見えるワイセツ屋は死の商人に過ぎない。野坂氏の浮薄のほうがまだしも人間的である。新潮が「醒めたワイセツ屋」の非人間性を見抜けなかつた事は殘念だが、それが僞惡的な新潮の限界なのがも知れぬ。  だが、新潮によると「自動販賣機などで賣つてゐた“商品”が警察に摘發され」た時、週刊朝日は「エロ劇畫と朝日が共同戰線を張る」事を考へ、「連帶のアイサツ」を送つたという。ワイセツ屋は即ち權力の敵であり、權力の敵となら相手を選ばず連帶せねばならぬと考へる、この種の進歩的ジャーナリストの思考の短絡に對しては、馬鹿は死ななければ癒らないとしか言い樣が無い。  ところで、「性はわれわれを平等にする、それはわれわれから神秘を取り除く」とシオランは言つてゐる。が、人は必ずしも平等を喜ばない。そして、平等を望む事が人間的なら、神秘を望む事も人間的なのである。それゆえ、いずれ反動としての揺り返しが來るだらう。神秘的で清潔な獨裁者が現れて、人々はその裸體を見たがらないようになるだらう。いや、それとも、「良民に不必要なる種類の待合・茶屋は遊廓内に逐ふべき也。大にして堅固なるゴミタメを造るは、すなはち清潔を保つゆゑんなり」と幸田露伴は言つたが、毎號ポルノ的なものを欠かさぬ週刊誌は、日本國のゴミタメとして、安全弁の役割を果してゐるのであろうか。 (昭和五十四年一月六日) <變節を咎むべきか>  サンデー毎日一月十四日號によれば、作家の半村良氏は「汚いゴミとゴミが食いついたプロ野球なんか見たくない。私のプロ野球よ、さようなら」と言つたそうである。私は半村氏の作品を讀んだ事が無い。けれども、これほど子供染みた、やけのやんぱち的心情の持主に、果してよい小説が書けるものだらうか。毎日の記事もまた頗る感情的な惡文であつて「江川の出る試合になんか子供は連れていかないほうがいい」などと何とも幼稚な事を書いてゐる。だが、半村氏にせよ毎日の記者にせよ、いずれ必ず「變節」して「ゴミが食いついた」プロ野球とやらを見物するのではないか。もしも江川が巨人軍の投手として大活躍をしたとして、それでも毎日や半村氏は江川と巨人を憎みつづけるだらうか。それは甚だ疑わしい。目下、巨人を罵つて、大いに樂しんでゐる大方のファンにしても、執念無くて總崩れ、いずれ江川を英雄に祭り上げる事であろう。感情的で衝動的な人間は憎しみを持續させる事ができない。それはまた我々日本人の短所でもある。巨人を叩く毎日の「憤激大特集」は七囘にも及んでおり、日本人らしからぬ執念と言うべきかも知れぬが、毎日はいつその事、それを七七、四十九囘くらい續けては貰えまいか。それなら私は毎日を見直してもよい。  ところで、ここで或る週刊誌の文章を引用しよう。「かつて日本軍の“暴に報ゐるのに徳をもつてした”蒋介石總統、その後繼者が率ゐる臺灣の運命にも、日本人として無關心ではいられない」。さて、讀者は多分、この週刊誌の名を當てられないと思ふ。それは新潮でも文春でもサンケイでもない。何と朝日ジャーナルなのである(五十三年十二月二十九日號)。朝日ジャーナルは變貌しつつある、軌道を修正しつつある。その種の變節は朝日の特技であり、それゆえ却つて始末に負えないと、朝日を批判して識者は言う。けれどもそれは變節なのか。ジャーナルを一つの人格と考へれば確かに變節である。が、實際は編集スタッフが變つたまでの事ではないか。馬鹿を徐々に始末して利口を重用すれば、ジャーナルは一級の週刊誌になる可能性もある。しからばその變節は咎めらるべきか。「被害者」から一轉「惡役」に變じたヴェトナムに困惑する進歩的文化人を週刊文春一月十八日號は嘲弄してゐるが、小田實氏にせよ本多勝一氏にせよ多分一つの人格だから、あまりにも破廉恥な變節はやれないだらう。が、週刊誌にはそれがやれる。そしてそれは咎むべき事なのか。  朝日ジャーナルはまた、今は「視野狭窄症的ではない、複眼の視點が求められる」時代だと言う。ジャーナルは「視野狭窄症」を脱しつつあるのだらう。では、相も變らず反體制に固執して甘い文章を綴つてゐる毎日の執念は敵ながら天晴れと評すべきか。それとも、交代要員を欠く毎日の弱體をあわれむべきか。 (昭和五十四年一月二十日) <教育は惡魔と無縁か>  教育について語る時、人々は思はず知らず善意の塊になる。大方の教育論が退屈なのはそのせいだと思ふ。教育も文學も哲學も神學も、すべて人間の營みである。それなのに、なぜ教育論にだけ惡魔がいないのか。ルターは惡魔にインク壺を投げつけたけれども、ルターが苦しんだ問題は教育とは無縁だと人々は考へてゐるらしい。だが、文部省や日教組や教育の專門家が取上げる問題はすべて枝葉末節であつて、眞の教育論なら必ず惡魔に出會う筈である。  「淫賣を鞭打つ者もまた淫賣の肉體を求めて情欲に疼く」とリア王は言うが、教育論はかういふせりふを耳に留めて立止らなくてはならない。非行少女を叱る教師が、少女の肉體に眩惑されるという事もあるからだ。  高校一年生が祖母を殺して自殺した事件を知つて、私が最初に考へたのは、これは週刊誌の手に餘るだらうという事であつた。手に餘るから默殺するかも知れぬ、あるいは教育學者や心理學者の意見を徴してお座なりの説を並べ立てるかも知れぬ。私はそう思ひ、手ぐすね引いて待つ事にした。結果は案の定、例えば週刊讀賣二月四日號は、少年が遺した手記の「未公開部分」を公開しただけでお茶を濁してゐる。讀賣は少年の毒氣にあてられ息をのんだのであろうか。手記を紹介するだけでは藝が無いとも言へようが、「したたかな文章で」書かれた少年の大衆憎惡のすさまじさを、讀賣が持て餘したのはよい事なのかも知れぬ。少なへども週刊朝日のように、學者の意見にもとづいて空々しい意見を開陳するよりも、ずつとましである。少年の文體が「なにやら野坂昭如ふうになつて」くれば、少年は危機を脱しえたかの如く朝日は書いてゐるが、そういう聞いたふうの馬鹿よりも、「ある意味で“三島(由紀夫事件)”に劣らずショッキング」と書いた讀賣の正直を私は採る。なお、サンデー毎日は、例によつて朝日以上の大馬鹿ぶりを發揮してゐる。それゆえ論評の限りではない。  今囘の事件は、どう料理したところで週刊誌の手に餘る。週刊誌一冊分の頁數を費してなお足りぬであろう。それに今は、週刊新潮二月一日號がやつてゐるように、グラマンをめぐる空騷ぎに水を差す必要もある。が、そういう制約を認めても、新潮を除く週刊誌が少年の心中の惡魔を持て餘したのは興味深い。あの少年の毒を制するには、例えばドストエフスキーやニーチェの如き、文學的・哲學的な猛毒をもつてするしかないのだが、曲りなりにもそれをやつたのは新潮だけである。それに、少年の「知と情のアンバランス」は餘所事でないという意識が新潮にはある。朝日にはそれが無い。大方の學者と同樣、教育と文學とは無關係だと、すなわち教育は惡魔とは縁が無いと、多分、朝日は思つてゐるのであろう。そしてそれは、おのが心中に惡魔を見ないからである。 (昭和五十四年二月三日) <金錢を輕蔑するな>  週刊誌は新聞の「落穂拾い」だとする説がある。適切な比喩だとは思はないが、新聞は毎日稲刈りに追われてじつくり考へる暇が無い。そこで新聞が淺薄に考へた事を週刊誌が拾い集めてとくと考へる、それは確かに週刊誌の役割だと思ふ。そしてそのためには冷靜になる事が必要である。稲刈りは馬鹿力でやつてのけられるが、落穂拾いは冷靜な眼を必要とする。ところが興奮して落穂を拾うのが、例えばサンデー毎日なのである。阪神にトレードされた小林投手について毎日二月十八日號は、小林の「思ひ切り」のよさは「恥を知る男、小林の、男の美學であつた(中略)、端正な顔に似合わず、負けず嫌いで親分肌でもある小林、今シーズンの江川との投げ合ひが見ものである。厚顔無恥の江川に、意地でも負けるはずはないと思ふ」と書いてゐる。このところ毎囘、毎日の惡口を書いていて、私自身いささか食傷氣味なのだが、これはまた何とも酷い文章である。小學生にも理解できる事が、よい年をして毎日の記者には解つていない。それは人柄と能力とは別だという事であつて、いじめつ子に泣かされた事のある小學生なら、それくらいの事は知つてゐるだらう。「厚顔無恥」の投手が「恥を知る男」に投げ勝つ事もあるのである。これほど淺薄な記事を、何かの手違いで例えば週刊新潮が載せたなら、新潮の編集長は間違い無く切腹するだらう。毎日の編集部は一體どうなつてゐるのか。  一方、週刊文春二月十五日號によれば、小林投手は「金だけじゃなくて、將來の保證も求めてきた。先々、阪神でダメになつたら、讀賣の系列會社で何とか面倒をみてくれ」と要求したそうである。金が目當てのプロ野球だから、それは當然の事だらう。文春の「イーデス・ハンソン對談」で、プロ野球選手會會長の松原誠選手は、プロ野球の目的は金錢だと言つてゐる。このほうがよほど「さわやかな」態度ではないか。ハンソン女史の言う通り、金が目當てでないのなら「週末に草野球をやつてたらいい」のである。  週刊誌は新聞の落穂拾いかも知れないが、拾い方に筋が通つていて最も冷靜なのは週刊新潮である。二月十五日號の日商岩井島田常務の自殺を扱つた記事にせよ、「欠陥家庭」に大金を支拂う恩情を怪しむ記事にせよ、新潮はおのれの納得できぬ事柄について、冷靜にかつ少々意地惡に書く。冷靜になれば人間は意地惡になる。それは當然の事である。江川問題に關しても「スポーツ新聞がプロ野球を徹底的にたたくのは、自分の手足を切斷する」ようなものだと新潮は言う。その通りだらう。やがて江川が大活躍を始めたら、江川を叩きに叩いた新聞も週刊誌も忽ち變節するだらう。新聞も週刊誌も、プロ野球同樣、金が目當てだからである。新聞は天下の公器で金が目當てでないと言うのなら、損を覺悟でおのれが何をやれるかを、やつてゐるかを、新聞は時々考へたらよい。 (昭和五十四年二月十七日) <世界有數の長寿國>  國後、択捉にソ連軍の基地が建設されて「明日にも赤熊が押し寄せてくるみたいな、ヒステリックな論議が多い」けれども、「食いものの方が、外敵よりもはるかに心配だし、地震列島に住む以上、その被害を、より深く憂う」と、週刊朝日三月二日號に野坂昭如氏は書いてゐる。野坂氏の文章は八方破れ、矛盾だらけであつて、しかも野坂氏はそれを全然氣にしない。柳の枝に雪折れなし、野坂氏はきつと長生きするだらう。週刊朝日二月九日號で野坂氏は、三菱銀行人質殺害事件を論じ、犯人の言いなりになつた人質の臆病を怪しんだが、三月二日號では「自衞隊などいらない、日米安保はなるべく早く解消するべし、中小加工列島として、みなさんにかわいがられるよう」生きてゆけばよいと書いてゐる。野坂氏は時に勇ましい事を言い、舌の根も乾かぬうちに道化を言う。それですべては帳消しになり、「憎みきれないろくでなし」として「みなさんにかわいがられ」ると思つてゐる。情ない乞食根性である。  この種の戯作者の道化は週刊ポストの煽情主義よりも質が惡い。ポスト二月二十三日號は「ひところは騷々しかつた」國防論議が尻切れとんぼに終つたと言い、新聞や防衞庁を批判してゐる。それは正論である。けれども、かつてこのコラムで指摘したように、ポストの思考は不徹底なのだ。無視するよりは注文をつけるほうが相手を重んずる事になる。それゆえ再びポストに注文しておきたい。ポストは諸外國の「みなさんにかわいがられよう」などとは考へていまい。それなら「栗栖見解への賛否はともかく」などと逃げを張らず、栗栖氏の言う自衞隊の「超法規的行動」なるものについて一度とくと考へて貰いたい。野坂氏の如く「柳の枝に雪折れなし」で長生きしようと思つても、そうそういつも柳の下に泥鰌はいない。人間は安樂や安全を欲するが、同時に鬪爭や自己犠牲をも欲するのであつて、ヒットラーはそれをよく承知してゐた。ヒットラーは國民にこう言つた、「私は諸君に鬪爭と危險と死を提供する」。かくてドイツの「みなさん」はヒットラーの足下に身を投げ出す事になつたのである。  そういう事態にはもう決してならないと、多分野坂氏は思つてゐる。自國の領土に無斷で外國が基地を建設しても「今ならどうつてことはない」と思つてゐる。が、個人も國家も時に非理性的に振舞う。他人や他國に苦痛と屈辱を与えて樂しむ。オーウエルは作中人物に「他人の顔は何のためにあるか、踏みつけるためにある」と言わせてゐる。三菱銀行を襲つた犯人と同樣、ヴェトナムも中國もソ連も、そういう事を考へてゐるのである。朝日ジャーナル三月二日號の頗る啓發的な座談會で、笹川正博氏はアメリカの無能とソ連の脅威を憂えてゐる。が、平和惚けの大方の日本人は「どうつてことはない」と考へてゐるだらう。なにせ日本は世界でも有數の「長寿國」なのである。 (昭和五十四年三月三日) <馬鹿は保護すべし>  デュアメルの小説だつたと思ふが、社長の説教を聞いてゐるうちに相手の耳を引張りたくなり、堪えに堪えたあげく、結局引張つてしまう男の話を讀んだ事がある。私もそういう不条理な氣分を味わう時がある。例えば週刊朝日三月九日號で、小田實氏は「大きな國と小さな國とがけんかしたときは、だいたい小さな國に言い分がある」と言つてゐるが、かういふ小さな頭腦の持主に接すると、私はその耳を引張つてみたくなる。けれどもそれは不可能だから氣が晴れない。やむなく罵倒して腹癒せするか、嘲弄して樂しむ事になる。  どちらにするかは氣分次第だが、昨今は罵倒するほうが難しくなつた。言論の自由を謳歌してゐる我國でも、罵倒の自由は甚だしく制限されてゐる。林秀彦氏はマスコミの「私的檢閲」と「自己檢閲」を嘆いてゐるが、罵倒用語はマスコミの忌諱に觸れるのである。私はかつて愚劣な雜誌記事に腹を立て「編集長を獄門に掛けろ」と放言した事がある。勿論、活字にはならなかつた。  その種のあらぬ事を口走るのは不徳の致すところで、口汚いのは自慢にならぬ。口汚く罵る輕薄という事もある。けれども、この世に存在する物はすべて、どんなに小さな頭腦でも、存在價値がある。だから小田實氏を獄門に掛けるには及ばないが、その代り罵倒用語も文化財と同樣に保護されなければならない。        宇能鴻一郎氏の小説に用いられる卑猥な言葉は、恥を捨てると人間がどこまで堕ちるかを知るために必要で、私的な場における使用は許されてしかるべく、公的な場における使用には覺悟が要る。罵倒用語の使用にマスコミは臆病だが、宇能氏の小説を連載してゐる週刊ポストの勇氣を、新聞や綜合雜誌は少しく見習つたらよいと思ふ。  ところで、先に週刊新潮は動勞のストを批判し、その「社會的信用を傷つけた」として訴えられてゐたが、このほど判決が下り、結果は新潮の敗訴に終つた。罵倒や嘲弄にも技術は必要で、新潮の技術が絶妙だつたとは思はないが、電車の横腹に幼稚な落書をして恥をさらす動勞には、宇能氏なみの覺悟があつてしかるべきところ、新潮のあれしきの嘲弄に「社會的信用」を云々するのは馬鹿げてゐる。  だが、新潮の「逆説的表現」は動勞の馬鹿に通じなかつた。逆説の通じない馬鹿とて馬鹿にはできぬ。今囘の新潮の如く馬鹿に敗れて馬鹿をみる事もある。當節は馬鹿が馬鹿に多いからである。が、幸い罵倒用語のうち「馬鹿」はまだ許されてゐる。馬鹿と戰つて馬鹿をみたからとて、戰う事を馬鹿らしく思ふような新潮ではあるまいが、萬萬一という事もあるから馬鹿念を押しておこう。「馬鹿」という言葉を私は日頃、愛用してゐる。新潮もせいぜい愛用し「馬鹿」を保護して貰いたい。お互い小さな頭腦の馬鹿がゐるからこそ成立つ商賣ではないか。 (昭和五十四年三月十七日) <正義漢を嗤うべし>  明治政府が學制の施行に際して國民に學問をすすめた時、國民はなかなかそれを信じなかつた。「我々には百姓すれば可なり、飯を炊いて食べれば可なり、板をけずれば可なり、算盤玉をはじけば可なり、豈何ぞ難かしい漢字などを見る必要あらんや」などと言う者もいた。しかるに今日、高校進學率は九三%に達したという。だが、新聞がこのところ連日のように載せてゐるグラマン「航空機疑惑」の記事を、日本國民の大多數が讀んでゐるとはとても思えない。新聞はまたぞろ正義の身方を氣取り、惡者を懲らそうと奮い立つてゐる。江川を叩きに叩いた新聞が、今は海部八郎氏を叩いてゐる。つまり「相手變れど主變らず」であつて、そうと解れば付合へるものではない。だから私は近頃全然讀まなくなつた。自分が讀まなくなつただけでなく、國民の大多數も家業に忙しく「豈何ぞややこしき疑惑記事などを見る必要あらんや」と思つてゐるに違い無い、そう信じるようになつた。  けれども、私の推測が正しいとすると、新聞は途方も無い無駄づかいをしてゐる事になる。九三%が高校へ進む事も無駄づかいかも知れないが、それはあれこれ美しい目的を考へ納得する事もできる。けれども、週刊朝日三月三十日號によれば、「日曜日にもかかわらず出勤した海部八郎副社長」を追い囘した報道陣は、逆に海部氏に追い掛けられたという。それは一體何のためだつたのか。日曜日の海部氏の寫眞をとつたところで事件解明に役立つ筈は無い。記者もカメラマンも弱い者いじめを樂しんだだけである。週刊朝日のグラビアにはカメラマンと揉み合う海部氏の姿が寫つてゐる。弱い者いじめはさぞ樂しかろう。まして今囘は辣腕の副社長が落ち目になつたとあつて、身震いするほど樂しかろう。そういう殘忍は私も知つてゐる。例えば、社會主義に幻滅した社會主義者菊池昌典氏の困惑を眺めてゐると、私は無性にいじめたくなる。が、そういう時、私は用心する。皆が菊池氏をいじめる時は、懸命に菊池氏の長所を探し出そうと努め、どうしても見付からない場合は菊池氏の短所を無理やりおのれの中に探し出す事にしてゐる。それだけの手順を踏んでおかないと、いつの間にか魔女狩を樂しんで阿呆面をしてゐるおのれを見出す、という事になりかねない。魔女狩も時によりけり、無駄でない場合もあるだらうが、これほど平和な國の魔女狩なら、いずれ無駄なものに決つてゐる。  三月二十九日號の週刊文春及び週刊新潮は新聞の「グラマン狂い」に冷水をぶつ掛けてゐる。新潮なんぞは新聞を嗤つて樂しくて仕樣が無いような書き振りである。興奮してゐる正義漢の足をすくうその種の樂しさを、なぜ他の週刊誌は味わおうとしないのだらうか。女の裸で稼ぐ事もある週刊誌が、新聞と一緒になつて「恥部」を忘れ正義の身方を氣取るのは、どう考へても馬鹿げてゐるのである。 (昭和五十四年三月三十一日) <眞劍勝負を恐れるな>  吾々日本人は「和を以て尊しとなす」民族である。馴合ひを喜び、眞劍勝負を忘れる事甚だしい。「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ、花を買ひ來て、妻としたしむ」と啄木は歌つた。何とも陰慘な歌である。友人すべてに憎まれて、孤立して、それでやむなく「妻としたしむ」のならまだしもの事だが、日本人は徹底的に他人を叩く事が無い。それゆえかういふ情け無い歌が詠まれる事になる。私はかつて週刊文春書評欄に「風」という。ペンネームで書いてゐる人物を褒めた事がある。齒に衣着せぬその率直と勇氣と頭腦明晰を頗る貴重と思つたからである。その「風」氏が文春四月五日號で廣中平祐氏を叩いてゐる。私も善意を裝い荒稼ぎをやつてゐる教育論のいかさまに腹を立て、いずれ善玉征伐をやらねばならぬと思つてゐる。  廣中氏を叩いて「風」氏は「世の人を善導しようという熱意にあふれた人が、稀にはゐる」が、「そういう人の意見は平板」であり、「こんな平板な考へかたしかできない頭腦でないと、人間は偉くなれないのではないかとさえ思ひたくなる」と書いてゐるが、全く同感である。  ただ、多分「風」氏は凡百の教育論を讀む暇が無いから、世人を善導しようとする善人が「稀にはゐる」と言つてゐるが、釋迦やクリストの事を言つてゐるならそれは正しいものの、教育界にはそういう始末に負えぬ「善人」が、實は掃いて捨てるほどゐるのである。極論すれば、教育論の大半は善人振る小惡黨によつて書かれてゐる。そして善男善女はたわいもなく似而非「善人」に騙される。  それゆえ私は讀者に言いたい。讀者はそれぞれ正業に勤しみ忙しい毎日を過ごしてゐるだらう。そんなに本を讀めないだらう。それなら毎週週刊文春を買い、「風」氏の書評を讀み、「風」氏の叩く本を買つて讀むがよろしい。人相が千差萬別であるごとく、讀者が「風」氏の意見に同じない事もあるだらうし、「風」氏が嘘をついたり間違つたりする事もあるだらう。要するに程度の問題だが、「風」氏ぐらい本當の事を言う書評家はめつたにあるものではない。それゆえ「風」氏が叩く本を讀めば、かつて彼が言つたように「ジャーナリズムでもてはやされてゐる學者の多くはニセモノ」だという事が解る。ニセモノに騙されてゐたおのれが口惜しくなる。それだけは請け合つておく。  さて、以上週刊文春の宣傳をやつたようなものだから、最後に一言、文春に苦言を呈したい。と言うより、文春に警告しておきたい。文春は去年「大變好評を博した」三浦哲郎氏と令嬢晶子さんの往復書簡『林檎とパイプ』の連載をいずれ再開するらしい。再開を手ぐすね引いて待つ事にして、今は一言「風」氏に倣い激しい事を言つておくが、あれは愚劣な文章であつた。廣中氏と同樣三浦氏も、善意ゆゑに恥を捨ててゐる。商策という事もあつてもはや止められまいが、聰明な文春編集長にはそれだけ言へば通じると思ふ。 (昭和五十四年四月十四日) <賢なりや愚なりや>  週刊文春四月二十六日號の「安井けん都知事候補の選擧日誌」を讀んで私はまず笑い、ついでこれは笑い事ではないと思つた。安井氏は黄中黨黨首、年中無休二十四時會長、先の都知事選で「6473票もとれた」ものの落選した人物である。しかも文春によると、安井氏は「顔面に投石をうけ」た太田薫氏よりも「さらにお氣の毒」だつたらしい。すなわち安井氏は都庁記者クラブに「出馬表明の記者會見を申し入れ」て拒否され、警視庁捜査第二課に記者クラブの不當を訴えて 「バカ」と言われ、「NHKに監禁され」、東京地檢では「手首をひねられ」捻挫したという。私が笑つたのは文春の文章が巧妙だつたからだが、笑い事ではないと思つたのは、なぜ記者クラブ、警視庁、NHK、及び東京地檢が安井氏をかくも邪險に扱つたのか、その理由を考へようとして解らなくなつたからである。同じく文春で野坂昭如氏は、美濃部前知事に「無責任、裏切り、大根役者」との烙印を押し、「美濃部さんのため三文の得にもならぬ勞を、これまで重ねて來た人たち、中野好夫氏中山千夏氏その他大勢の汗をどう考へるのか」と書いてゐる。が、例えば中山千夏氏と黄中黨の安井けん氏との間には、一體どれくらいの隔たりがあるのだらうか。  週刊現代五月三日號で江藤淳氏は「社會主義は善玉で、資本主義は惡玉だと、かねてから唱えつづけて來られたお偉い先生方は、どこでどうしておられるのだらうか」と書いてゐるが、「お偉い先生方」の一人は、何と後樂園でイースタン・リーグの試合を觀戰してゐたのである。週刊ポスト五月四日によれば、哲學者久野収氏は、「靜岡縣伊東市の自宅からわざわざ上京」して巨人・ロッテ戰を見物し、「國民が(中略)江川に罪の意識を持たせなくては(中略)戰後の民主主義が臺なしに」なるなどと愚にもつかぬ感想を述べてゐる。さて、安井けん氏と久野収氏と、いずれが賢なりや愚なりや、私はそれを考へ、笑うのをやめたのである。  けれども記者クラブやNHKや警視庁や東京地檢は、自信滿々、安井氏を冷遇した。やはり安井氏はまともな候補ではなかつたのか。だが、文春四月十九日號で三岸節子女史は、晩年のピカソの繪は「春畫よりひどい」と言つてゐる。三岸女史の説に反發する讀者もゐるだらう。が、三岸女史のように思ひ切つた事が言へずに、ピカソだから一流だと思ひ込んでゐる人々もずいぶんゐるに違い無い。例えば週刊現代と週刊ポストは渡部昇一氏の近著を紹介し、渡部氏を大いに持上げてゐる。私は『續・知的生活の方法』を讀んでいないが、『歴史の讀み方』は讀んだ。粗雜な論理のぞんざいな文章を讀んで呆れ返つた。渡部昇一氏をピカソもしくは安井けん氏並みに扱う事はできまいが、商策とはいえ、現代とポストの持上げようは少々度が過ぎるのである。 (昭和五十四年四月二十八日) <惡文は害毒を流す>  最近ビタミンB17による癌の治療法に關する書物が出版され、週刊誌にもその廣告が載つてゐる。それによれば、ビタミン療法は「死を宣告された患者4千人をすでに治癒してゐる」との事である。私はまだ癌を煩つていないからB17の効能を確かめた事がない。けれども「ニコチン・タールを段階的に減らして」ゆくため「小さな意志さえあれば、いつでも禁煙することができ」ると廣告してゐるパイプなら試した事がある。そして今、この原稿を煙草を吸いながら書いてゐる。が、「小さな意志さえ」發動させられぬおのが腑甲斐無さを反省する事はあつても、廣告に欺かれたなどとは少しも思つていない。あのパイプの廣告は正確で、けちのつけようがないからである。だが、ビタミン療法のほうは信用できない。治癒とは病氣がなおる事であつて、病氣をなおす事ではない。「4千人をすでに治癒してゐる」というような言い方はない。廣告は文章で勝負する。ずさんな文章なら損をする。ずさんな版元がすすめる藥ならいかさまに決つてゐる、そう讀者は思ふのではないか。  週刊ポストは日商岩井の島田常務の自殺は他殺ではないかと疑つて、華々しく「“血抜きの謀殺”キャンペーン」をやり、それが「大反響をよんでゐる」という。事實ならまことに嘆かわしい風潮だと思ふ。ポスト五月十八日號で加藤晶警察庁捜査第一課長は、他殺説を否定し、ポストの言葉づかいが「不正確」であり、そういう事では「共通の基盤にたつて物を考へることは」できないと語つてゐる。その通りであつて、ポストの文章はずさんであり、他殺説は眉唾に決つてゐる。  サンデー毎日が連載してゐる松岡英夫氏の文章もずさんである。靖國神社がA級戰犯を合祀した事について松岡氏は、戰爭責任はどうなるのか、「みんな水に流してしまえ、ということでは、餘り民族の犠牲が大き過ぎる」と書いてゐる。さて讀者諸君、この文章の欠陥がおわかりだらうか。かういふ限られた紙數のコラムで文章の巧拙を論ずるのは不可能だが、惡文を書く人間は危險なのであつて、松岡氏は國會議員には「プライバシーはないに近い」などと、何とも物騷な事を書いてゐる。  例えば山本夏彦氏が「三菱銀行猟銃強盗事件」の犯人について「可哀相な梅川」と書いても、私は少しも危ないと思はない。山本氏の文章に破綻がないからである。が、前囘叩いた渡部昇一氏の文章は、ずさんゆゑに俗耳に入りやすい。それゆえ世に害毒を流す文章なのである。「もう十年、二十年ぐらいすると、われわれが今ひじょうにぜいたくだというものが、絶對に普通になる。(中略)セントラル・ヒーティングのないような家屋はもう通用しない。これも十年ぐらいでくる」などという渡部氏の惡文が、惡文にも拘らず讀者を喜ばすとすれば、日本國にとつてそれほど危うい事はないと思ふ。 (昭和五十四年五月十二日) <疑わしきは罰せず>  週刊文春五月十七日號によれば、「捜査當局者」の一人は新聞記者に「H(威勢のいいことで知られる某政治家)を出せば(逮捕すれば)世論は納得するかね」と尋ねたそうである。事實なら言語道斷である。文春が書いてゐるように「檢察としては逮捕する政治家でさえ事前に名前を漏らすことは絶對にしないのがタテマエ。まして、逮捕もできない政治家の名前を漏らして傷をつけるなどあり得ないハズ」だからである。だが、文春はその言語道斷の言語道斷たるゆゑんを知つてゐるだらうか。その點少々心許無いのである。  五月十六日付の朝日新聞によれば、伊藤刑事局長は「秘密會にもかかわらず、松野氏の名前を明言しなかつた」のである。では、新聞や週刊誌はいかなる根拠あつて日商岩井から五億圓を受取つたのは松野頼三氏だと決め込んでゐるのだらうか。檢察がリークしたのならそれは言語道斷、檢察官こそ彈劾されねばならないし、また、かりに檢察がリークしたところで、松野氏が有罪か無罪かはあくまで法廷において明らかにさるべき事である。しかるに、新聞も週刊誌もこのところ松野氏喚問を主張していきり立つてゐる。奇怪な事である。松野氏自身が予算委員會に喚問されて五億圓の受取りを認めたとしても、それが事實かどうかはなお斷じ難い。本人の自白が正しいとは限らないからだ。  同じ號の文春で、立花隆氏は「岸も地檢に呼ばれると思ひます。ひょつとしたら、もう呼ばれてゐるかもしれない。檢察はこれもいずれリークするでしょう。(中略)ただし、それもこれも世論の盛り上がり次第でしょう」と言つてゐる。かういふ物騷な發言を世人が怪しむ事なく聞き流してゐるのは、まことに奇怪千萬である。「世論の盛り上がり」方次第で檢察がどのようにも動くのなら、そんな檢察は税金泥棒である。立花氏は淺薄で自分の喋つてゐる事の意味に氣づいていないのか、それとも立花氏の言う事が當つていて、日本の檢察はそれほどでたらめなのか。  週刊讀賣五月二十七日號によれば、自民黨の田中伊三次氏は岸、松野兩氏の喚問に反對する自民黨員に「四の五のいわずに應じろ」と言つたという。これもまた何とも物騷なせりふであつて、四の五の言わせまいとする「正義漢」の危うさになぜ世人は思ひ至らないのか。「はぐれ鴉」一羽では物足りぬ、「木戸錢返せ」と喚かれれば、政治家は四の五の言わずにいかようの事にも應ずるのか。それなら政治家もまた税金泥棒に他ならない。  私は松野頼三氏を好かない。かつて松野氏が「ロッキード事件のウミを出しきれ」とはしゃぎ廻つて以來好かない。いつそ世間に迎合して「ざまを見ろ」と口走りたいくらい好かない。が、それを口走つたらおしまいである。松野氏を好かぬとしても松野氏のために辯ずべき時がある。政治の腐敗を憂えながらも、疑わしきは罰しない、そういう理性的な態度をなぜマスコミは採れないのか。 (昭和五十四年五月二十六日) <刑事責任と道義責任>  週刊文春五月三十一日號によれば、捜査當局は松野頼三氏が五億圓の受取りさえ認めるなら「僞證罪には問わない」と言つたそうである。奇怪な事である。文春は松野氏喚問までの紆餘曲折を「黨利黨略・派利派略がミエミエの、なんともお粗末な田舎芝居だつた」と言う。多分、文春の言う通りだつたのだらうが、この數カ月、熱心に「田舎芝居」を報じた新聞や週刊誌は、物事を徹底して考へるという事をしなかつた。  例えばサンデー毎日六月十七日號に、松岡英夫氏は「五億圓の金が成功報酬という名のワイロであることは」明らかであり「テレビ放送を通じて國民は明確にこのことを感じとつた」と書いており、朝日ジャーナル六月八日號には立花隆氏が「檢察とともに、野黨のやる氣もまた國民から疑いの眼で見られてゐる」と書き、さらに週刊新潮五月三十一日號は、松野氏喚問は「“主役”の出番を待ちくたびれてゐた國民を滿足させることができるかどうか」と書いてゐる。右に引いた三つの文章は、いずれもその筆者の思考の淺薄を例證するものである。讀者はそれがお解りだらうか。  三つの文章に用いられてゐる「國民」は「私」でなければならない。新潮の文章について言うなら、いかなる根拠あつて新潮は「國民」が「“主役”の出番を待ちくたびれてゐた」と斷定しうるのか。私も「國民」の一人だが、私は「“主役”の出番」などついぞ待ちくたびれた事はない。「田舎芝居」の主役の登場なんぞを誰が心待ちにするものか、とさえ思つてゐる。  かういふ事を言へば、世人はそれを屁理窟に過ぎないと思ふだらう。が、少なくとも新潮は私に反論できないと思ふ。なぜなら、安直に「國民」だの「世論」だの「國民感情」だのという言葉を用ゐる事の危險を、新潮なら理解できるはずだからである。新潮は横山泰三氏の漫畫「プーサン」を連載してゐるが、あの安手の政治批判の愚劣淺薄を見習つてはならない。  新潮はまた六月七日號で、松野頼三氏に欠けてゐる「男のプライド」について論じてゐる。「新潮よ、お前もか」と言いたい。周知の如く「時効と職務權限の壁にはばまれ」て檢察は松野氏の刑事責任を問う事ができなかつたのである。航空機疑惑をめぐつて新聞週刊誌は樣々の臆測を書きまくつたが、この事だけは確實である。では、新潮にたずねたい。刑事責任を問えない人間に對して、どうして道義的責任を追及できるのか。  サンデー毎日六月十日號で古井法相は、政治的な、あるいは道義的な問題は檢察ではなくて國會が責任を負うべきだ」と語つてゐる。法務大臣も新聞週刊誌も少しも疑つていないらしい事を、すなわち「國民」がどうやら當然の事と考へてゐるらしい事を、私だけが怪しんでゐるとすると、私も少々心細い。が、刑事責任を問えぬ者の道義的責任を追及するのは魔女狩に他ならぬ。新潮はなぜそれを問題にしないのか。           (昭和五十四年六月九日)   あとがき  本書の第一部には昨年から本年にかけて『中央公論』、『Voice』及び『諸君!』に書いた五篇の評論を、第二部には三年前からサンケイ新聞に書いてゐる週刊誌批評の文章を、昨年六月九日に掲載されたものまで収録した。週刊誌批評は隔週四百字三枚の割で書いてゐるが、低俗な週刊誌が相手だからとて、或いは小さなコラムだからとて、手抜きをした事は一度も無い。伊藤仁齋の言うように「卑きときは則自實なり。高きときは則必虚なり。故に學問は卑近を厭ふこと無し。卑近を忽にする者は、道を識る者に非ず」だからである。そしてまた、『新聞はなぜ道義に弱いか』において縷々説明したとおり、知的怠惰は道義的怠惰に他ならないが、私は怠惰を當節最大の惡徳と考へてゐる。本書の題名を『知的怠惰の時代』としたゆゑんである。昨今「知的」なる形容詞を冠する題名の書物がかなり出廻つてゐるが、その種の書物の著者も讀者も、知的に怠惰な手合が多いのではないかと思ふ。本書はそういう知的に怠惰なマス・メディア及び物書きを批判した文章を一本に纒めたものである。  日本國は今や馴合ひと許し合ひの天國である。日本人は「和を以て貴しと爲す」民族だとよく言われるが、それは昔の事で、今は「馴合ひを以て貴しと爲す」民族だと私は思つてゐる。吾々は互いに許し合ひ、徹底的に他人を批判するという事をしない。許すとは緩くする事だが、他人に緩くして、おのれも緩くして貰いたがる。そういう許し合ひのお遊びの最中に、本氣になつて他人の知的怠惰を批判すれば、ドン・キホーテとして輕蔑されるか、野暮天として嫌われるか、いずれ得にはなりはしない。  それかあらぬか、私はこれまで、本氣になる事の損を何囘も思ひ知らされた事がある。だが、本氣で他人を斬るの眞劍勝負に他ならない。私は文弱の徒に他ならず、武人の勇氣は持合せていないけれども、文弱の徒にとつては文章を書く事が眞劍勝負なのであり、新聞や週刊誌や物書きを本氣で叩く以上、いつ何時、叩き返されても、それに應じられるだけの覺悟が無ければならぬ。そういう覺悟があつて私は文章を綴つてゐる。その事だけを私は讀者に解つて貰いたいと思ふ。  本書は私の最初の評論集である。その上梓に當つて私は福田恆存氏の三十年に及ぶ高誼を何より忝く思つてゐる。物を書く事が眞劍勝負であるゆゑんを、私はとりわけ福田氏から學んだからである。福田氏との邂逅無しに今日の私は無かつたと思ふ。  また、『中央公論』編集長青柳正美氏及び編集部の平林孝氏は、私が『教育論の僞善を嗤う』の原稿を持ち込んだ際、無名の新人たる私の文章を、一擧五十枚、『中央公論』に載せてくれたのであつて、『諸君!』編集長村田耕二氏、『Voice』編集長江口克彦氏及び編集部の安部文司氏、ともども、私は御禮を申述べねばならない。村田・江口兩氏が私の評論を掲載してくれたのは、同じく無名の新人を抜擢する度胸あつての事だつたからである。  だが、そもそも私が評論らしきものを書き出したのは、サンケイ新聞の『直言』欄以來のことであつて、それゆえサンケイ新聞の四方繁子氏、及び野田衞氏に、そしてもとより、本書の上梓は、PHP研究所出版部の宮下研一氏の尽力あつての事、それゆえ宮下氏に、心から御禮を申述べる。 昭和五十五年七月一日 松原 正 PHP研究所 昭和55年7月31日 第1刷發行