太宰治全集第11卷より 書簡 四百九十 一月二十八日青森縣金木町津島文治方より高田市寺町二丁目善導寺方小田嶽夫宛  拜啓 その後も高田で御元氣の樣子、心強く存じます。「文藝冊子」は、東京の民主主義踊りの新型便乗(ニガニガしき限りなり)などより、どんなに高級かわかりません。内山泰信先生の女談、痛快でした。名僧智識の如し。偉い坊主だ。「唇寒し」朝鮮人に遠慮せぬところ、これまた痛快。私はこのごろ保守派になつてゐるのです。 「桜の園」を忘れる事が出來ません。いま最も勇氣のある態度は保守だと思ひます。私はバカ正直ですから、態度をアイマイにしてゐる事が出來ません。私は、今度は社會主義者どもと、戰ふつもり。まさか反動(ファッショ)ではありませんが、しかし、あくまでも天皇陛下萬歳で行くつもりです。それが本當の自由思想。 不一。