制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2004-08-13
改訂
2005-08-18

日本人の識字率について

戰前

世界的に見れば、日本人の知的レヴェルは、長い歴史を通して、ずつとハイレヴェルなものだつたやうである。

しかし、階級間での知識の差は、慥かに「あつた」と思はれる。

江戸時代初期には、地域毎の言葉の違ひが極めて大きかつた。參勤交代が行はれた武士階級は、方言で喋ると話が通じない事があつた。その爲、江戸や大阪で勤務する武士逹は、「標準語」として漢文訓讀體を用ゐたらしい。明治から昭和の大東亞戰爭敗戰の時點まで官僚は文語を用ゐた。その原點は江戸時代の支配階級である武士の用語にある。

庶民階級も、嘗てはそれなりに高い知識を持つてゐた。鎌倉時代の百姓に據る立派な文章が殘つてゐる(當時の裁判における告發状等の文書)。士農工商のヒエラルヒーが固定化された江戸時代に、幕府の「據らしむべし、知らしむべからず」の政策によつて、農民は隨分、知識を失つたやうである。

それでも1900年頃の日本人の識字率は、90%程度はあつたと推測されてゐる。現在の目から見ても高いレヴェルにあると言へるが、もちろん當時においても極めて高いものであつたと言ふ事が出來よう。そして、その理由としては、寺子屋が普及してゐた事が擧げられる。文化年間(一八〇四〜一八)に江戸府内には千二、三百の大小寺子屋があったという。

江戸時代末、江戸では既に武士と庶民との間の言葉の差が減少してゐた。「江戸語」が地方に可なりの程度、進出してゐたやうである。明治維新前後の頃、既に「江戸語」は事實上の共通語として定着してゐた。この「江戸語」が「東京語」となり、明治時代の標準語のベースとなつた。杉本つとむが『日本を知る小辞典2ことばと表現』でそのやうな主旨の事を述べてゐる。


地方でも、都會と同樣、それなりに知的レヴェルは高かつたやうである。


言葉の知識と規範意識
江戸時代まで、歌人の間では定家假名遣が必須の知識となつてゐた。その後、國學の學者が、復古假名遣が正しい事を主張するやうになる。その時、假名遣ひの論爭が行はれてゐる。
庶民の用ゐてゐた假名遣は、何か具體的な規範に從つたものであつたものではない。しかし、彼等は常に「あるべき」假名遣を意識してゐたであらう。江戸時代の文獻の表記は屡々定家假名遣と一致する。當時の日本人が、「どこかに正しい表記の規則がある筈だ」と考へてゐた事は確かだと思ふ。
もつとも、「彼等は目に見えない理想の假名遣の存在する事を信じてゐた」とは言へないだらう。日本人にイデアの觀念は存在しないからである。しかし、「現代かなづかい」なる「目に見える規範」を盲目的に信ずる愚を犯してゐる現代日本人に、昔の日本人を嗤ふ資格はない。現代の日本人の精神は、昔の日本人のそれから全く進歩してゐない。

戰後

大東亞戰爭で日本は敗れ、アメリカ軍が進駐した。その時、アメリカの民間情報教育局(CIE)は、次のやうに考へた。

CIEは、日本人の讀書き能力の調査を行つた。日本人の識字率は低いものであらうと推測してをり、實際にそのやうな結果が出れば日本語のローマ字化を行ふ理由になると考へたのである。しかし、結果は逆で、日本人の識字率は極めて高いものであつた。(大野晋の記述に據る)

參考
世界の中の日本語

「文字の多さと、言語習得の難易とは、必ずしも關係がある訣ではない」と云ふ調査結果が出たのである。アメリカ人は合理主義だから、日本語のローマ字化と云ふ方針は、すぐに放棄してしまつた。