制作者(webmaster)
野嵜健秀(Takehide Nozaki)
公開
2001-10-19
改訂
2005-11-05

志賀直哉の日本語廢止論

敗戰と云ふ機會を捉へて「確信犯」的に日本語廢止を主張する文學者もゐた。

志賀直哉の提言

昭和21年4月、「小説の神樣」志賀直哉は雜誌『改造』に「國語問題」と云ふ小文(3200字)を發表してゐる。

私は六十年前、森有禮が英語を國語に採用しようとした事を此戰爭中、度々想起した。若しそれが實現してゐたら、どうであつたらうと考へた。日本の文化が今よりも遙かに進んでゐたであらう事は想像出來る。そして、恐らく今度のやうな戰爭は起つてゐなかつたらうと思つた。吾々の學業も、もつと樂に進んでゐたらうし、學校生活も樂しいものに憶ひ返す事が出來たらうと、そんな事まで思つた。吾々は尺貫法を知らない子供のやうに、古い國語を知らず、外國語の意識なしに英語を話し、英文を書いてゐたらう。英語辭書にない日本獨特の言葉も澤山出來てゐたらうし、萬葉集も源氏物語もその言葉によつて今よりは遙か多くの人々に讀まれてゐたらうといふやうな事までが考へられる。

若し六十年前、國語に英語を採用してゐたとして、その利益を考へると無數にある。私の年になつて今までの國語と別れるのは感情的には堪へられない淋しい事であるが、六十年前にそれが切換へられてゐた場合を想像すると、その方が遙かによかつたと思はないではゐられない。

國語を改革する必要は皆認めてゐるところで、最近その研究會が出來、私は發起人になつたが、今までの國語を殘し、それを作り變へて完全なものにするといふ事には私は悲觀的である。自分にいい案がないからさう思ふのかも知れないが、兔に角この事には甚だ悲觀的である。不徹底なものしか出來ないと思ふ。名案があるのだらうか。よく知らずに云ふのは無責任のやうだが、私はそれに餘り期待を持つ事は出來ない。

そこで私は此際、日本は思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとつて、その儘、國語に採用してはどうかと考へてゐる。それにはフランス語が最もいいのではないかと思ふ。六十年前に森有禮が考へた事を今こそ實現してはどんなものであらう。不徹底な改革よりもこれは間違ひのない事である。森有禮の時代には實現は困難であつたらうが、今ならば、實現出來ない事ではない。反對の意見も色々あると思ふ。今の國語を完全なものに造りかへる事が出來ればそれに越した事はないが、それが出來ないとすれば、過去に執着せず、現在の我々の感情を捨てて、百年に百年後の子孫の爲めに、思ひ切つた事をする時だと思ふ。

外國語に不案内な私はフランス語採用を自信を以つていふ程、具體的に分つてゐるわけではないが、フランス語を想つたのは、フランスは文化の進んだ國であり、小説を讀んで見ても何か日本人と通ずるものがあると思はれるし、フランスの詩には和歌俳句等の境地と共通するものがあると云はれてゐるし、文人逹によつて或る時、整理された言葉だともいふし、さういふ意味で、フランス語が一番よささうな氣がするのである。私は森有禮の英語採用説から、この事を想ひ、中途半端な改革で、何年何十年の間、片輪な國語で間誤つくよりはこの方が確實であり、徹底的であり、賢明であると思ふのである。

国語の切換へに就いて、技術的な面の事は私にはよく分らないが、それ程困難はないと思つてゐる。教員の養成が出來た時に小學一年から、それに切換へればいいと思ふ。朝鮮語を日本語に切換へた時はどうしたのだらう。

志賀の「國語問題」は、昭和二十一年三月二十日に書かれた。

十一年後、「隨筆サンケイ」の座談會「藝術夜話」で、この提言が意圖的なものであつた事を志賀は證言してゐる。

──今の日本語の缺點は實にひどい、200年後300年後のことを考へると、自分の言つた通りにしておいた方がずつとよかつた、今となつてはもう駄目だが、あのどさくさの最中になぜ決斷しなかつたか、文學のためばかりぢやないんだ、あれを、單なる思ひつきで出した意見のやうに取られるのは困る……。


ところで、「國語問題」の四年後、昭和二十五年八月十八日に書かれた「閑人妄語――「世界」の「私の信條」の爲めに――」で、志賀は以下のやうに述べてゐる。

正倉院の假倉にある古い布れの斷片を整理し、安全に保護する爲めに一億圓の金を國庫から出して貰へる事になつたといふ事だが、重税に苦しみ、一家心中などの出てゐる今日、そんな事をしなくてもよささうに思つた。これまで千年以上もそのまま殘つた物を今、急にさういふ事をする必要はない。文化財の保護も大切かも知れないが、一般庶民にとつてはそれはボロ布れといつていいものだ。現在は先づ生きた人間を救ふ爲めに全力を集注する方が本統のやうに思ふが、こんな事をいふのは青臭い書生論といふものだらうか。文化財保護に使ふ金も一家心中を起した重税の一部だと思ふと、ものの輕重が逆になつた感じで愉快でない。終戰直後、敗戰の償金として法隆寺をそつくりアメリカに渡しては何うかと梅原龍三郎は本氣で云つてゐたが、國民の苦しみを輕くする爲めにするのなら、それも面白い考へ方だと思つたものである。

文化財保護などといふ事は國民の生活にもう少し餘裕の出來た時にすべき事で、少くとも重税を課してやるべき事ではないと思ふ。

昭和二十五年當時、國民の生活は苦しく、「たかが文化」の事に等構つてゐられる状況ではなかつた。貧乏な國民から取立てた税金で、正倉院の遺物を保護する事業を行ふと言ふが、そんな事は贅澤である。今はすべきでない。志賀はさう述べてゐる。

成程、志賀の指摘は一往尤もと頷けるところがある。けれども、それを「國語問題」を書いた志賀が言つて良いだらうか。

昭和二十一年の頃も、昭和二十五年頃と同じやうに、國民の生活は苦しかつたのではないか。さう云ふ状況で、志賀は、文化的な事業である國語改革を「即座に行ふべし」と主張した。正倉院の遺物が「放置」しておくべきものであつたならば、國語だつて「放置」しておくべき事ではなかつたか。

「いや、正倉院の遺物の保護には金がかかるが、國語からフランス語への切換は金がかからない」との反論が來るかも知れない。しかし、教員の養成にしても膨大な金がかかるし、國語が切換はるのでは、それ以外にも樣々な問題が國民の生活にのしかかつて來ただらう。それを志賀は昭和二十一年當時、國民に押附けようとしてゐたのである。

昭和二十一年、志賀は國民の生活を無視して、或は國民の混亂につけこんで、文化的な問題を解決しようと訴へた。その志賀が、昭和二十五年には正反對に、文化的な問題を後囘しにし、國民生活を向上すべきである、國民の混亂を解消すべきであると訴へた。

志賀のその他の發言と「フランス語への切換」の主張との間には論理的な矛盾がある。志賀の主張には論理的な一貫性がない。これは、志賀が自分の主義主張を全體として統一する意志を持たなかつた事を意味する。

志賀自身の考へは、餘りにも淺薄であつた。その爲、「國語問題」における志賀の「切換へ」説を深讀みする向きもある。しかし、「フランス語への切換」を主張した志賀が、その背後に大して深い考へを持つてゐなかつた事は確實である。


批判

大野晋による批判

この志賀の主張について、大野晋博士は、強い語調で疑問を呈してゐる。

英語に切り換へてゐれば、學業はどういふ點で樂に進むのか。學校生活はどの點で樂しいものに思ひ返されるのか。古い國語を知らず外國語の意識なしに英語を話し英文を書く事は、日本の地でどのやうにして可能になるのか。英語辭書にない日本獨特の言葉は、どんなものとして英語社會で使はれるのか。『萬葉集』や『源氏物語』が英語によつてどうしてはるかに多くの人々に讀まれるのか。

志賀直哉は、言語を、スウィッチによつて、右に切り換へれば日本語、左に切り換へればフランス語といふやうに、切り換へのきく裝置とでも見てゐるかのやうです。「文化が進む」と云ふ場合の「文化」とは、内實何なのか。おそらく彼は『源氏物語』など讀んだことがないのでせう。志賀直哉には「世界」もなく、「社會」もなく、「文明」もありはしなかつた。それを「小説の神樣」としたのは大正期・昭和初期の日本人の世界把握の底の淺さのあらはれであるでせう。

實に激しい非難だが、同時に實に尤もな批判である。

長野正編著『日本語表現法』(玉川大学出版部)

本書の冒頭で編著者は、志賀直哉が昭和21年に發表した「日本語廃止・フランス語採用論」を引き、強い調子で批判を行つてゐる。「はじめに――日本語観」

編著者は、志賀の文章の論旨を「日本語廃止、フランス語採用論」であると指摘し、読者にその論旨には贊成か、反對かを問うてゐる。

編著者は、日本語を改革しようと云ふ主張の根柢にあるのは、日本語が不完全で不便である、と云ふ考へである、と述べる。そして、「日本語が不完全で不便である」と言ふ時、それは屡々「日本語の文字や表記の體系そのものが不完全である」と云ふ主張となる、と指摘してゐる。

ところで、日本語は不完全で不便なものだとする考え方で注目したいのは、それが日本語の文字や表記をさしていることが多いということです。つまり、国字及びその使用こそが不完全で不便とする立場です。たとえば、漢字の字数の多さ、その読み書きの複雑さ、平仮名や片仮名などとの交ぜ書きの複雑さ、これらについての学習の難しさ……。国字についてのこういった非能率性が、ひいては個人の成長や文化の発達を阻害する、ゆえに国字の改良が急務である、という立場です。たしかに、今日までいろいろと議論されてきた国語問題も、そのほとんどは国字についてでした。また、今もよく話題にのぼるのは、日本語の文字や表記のあり方についてだと言ってよいでしょう。そうすると、私たちは、日本語の中でもとりわけその文字や表記について、自分としての意見を持つことがだいじです。

編著者は、二人の大學生の意見文(それぞれ400字詰原稿用紙一枚)を載せてゐる。

それぞれ、原稿用紙一枚と云ふ事で、編著者は元の原稿のまゝ、本に轉載してゐる。象徴的に二つの意見を示す爲、恣意的に題材を擇んでゐる事は否定出來ない訣で、客觀的な比較とは言ひ難いが、編著者が志賀の主張に對して、否定的な態度をとつてゐる事は判る。

さらに、同書には、ペルーの日本語教師である市川哲朗氏の「論理のない空論――「日本語論」を読んで――」が轉載されてゐる。そこでは志賀の文章の以下のやうな問題が指摘されてゐる

市川氏は、要するにこの論文は、著者の知識に誤りがあるのみならず、論旨を読者に納得させる情報量が決定的に不足している。だから、推論に誤りが生じる結果となり、偏見と独断のかたまりのような空論になっている。と結論してゐる。

編著者は、志賀直哉がなぜこのような文章を、と思う人も多いことでしょう。私自身もいろいろな思いがありますが、とりわけ強く思うのは次のことです。小説の神様とも呼ばれ、日本語の文字や表記を駆使して数々の名作を生んできた彼が、どうして自分の父祖のことばである日本語を、かけがえのない大切なものと考えなかったかということです。と述べてゐる。

逆説的に志賀の主張・そして現代の日本人の態度を批判してみる

夏目漱石は「自分は英文と漢文を修めたが、漢文ほどに英文を理解出來なかつた」と云ふやうな事を言つてゐる。日本人にとつて英語は漢文ほどに身近なものではなく、理會し易いものではない。西歐の文物は日本人にとつて極めて異質なものであり、一朝一夕に體得し、血肉化し得るものではない。なのに志賀は、日本人が容易に西歐化出來ると考へた。

日本人は、歐米諸國をなめてかかり、大東亞戰爭を起して負けた。にもかかはらず、戰後の日本人も、依然として歐米の文化をなめてかかつてゐる。歐米の言語など、日本人は簡單に自分のものにしてしまへるのだ、と云ふ考へ方は、歐米の言語を侮つてゐるのであり、歐米の文化を侮つてゐるのである。まさに、日本人の世界把握の底の淺さのあらはれ、であらう。

日本は歐米の文化を敵にまはして負けたのである──なのにその文化を簡單に身に着けられると思つてゐる。日本人は全く懲りない。

のち、「占領軍の意嚮」や「世間の風潮」を受けて、讀賣報知新聞は社説に「漢字を廢止せよ」を掲げてゐる(昭和21年11月12日)。「負けたのだから當然」と言つて、日本人は敗戰を心理的に「合理化」したのである。反省など全く無い──あつたのは、反省しない馬鹿に對する高壓的な非難だけである。