第三期国語審議会(昭和29年7月〜昭和31年7月)の「正書法に関する小委員会」に於て審議され、総会(昭和31年7月5日)の承認を得て、文部大臣に報告されたもの。
第一部会では、現状維持論の強い総会の意嚮を受け、現行(當時)の「現代かなづかい」適用上の疑問點に關して、一語一語、檢討を加へる方針で臨む事となつた。そして、昭和30年11月10日の総会で、以下の4點を含む「現代かなづかいの適用について」が提出された。
- 細則3のただし書き(1)二語の連語を適用するもの……かたずく・くちずて・ことずて・ひとずて・たずな、などは「ず」。ただし、「もとづく」は告示のまえがきにも用いられているので、そのまま。
- 細則3のただし書き(2)同音の連呼を適用するもの……一応現状のまま見送ることにした。
- 細則9の「オに発音されるほ」のうち、長音と紛らわしいもの……「お」を用いる語例が少数なので、これを全部記憶すれば、あとは「う」を用いればよいと考え、「お」を用いる語例をすべて掲げることにした。
- 細則4のただし書き助詞「は」を適用するもの……あるいは・もしくは・なども、これまでどおり「は」を用いることにした。
これら4點を含む問題點を審議する間に、総会では多數の意見が出されたが、結論として、「現代かなづかい」の審議は「正書法」の立場から行ふべきだ、と云ふ結論に達した。
表音主義の立場からは、「もとづく」を「もとずく」としなければ矛盾が生ずる。「オ」と發音する筈の語に「お」と「う」の表記があると云ふのは矛盾である。助詞だからと云ふ理由で「は」を「は」と書けと命じてきた事は、表音主義の立場と明らかに矛盾してゐるし、「表意主義」の立場の人間が「現代かなづかい」を批判する際の強力な論據となつてゐた。。
昭和30年7月12日の総会で、文部大臣の付議「かなの教え方について」が審議された。
この付議は、中央教育審議会が文部大臣に対し、平仮名から教える教え方の可否について国語審議会に付議してほしいと答申したことによるものであつた。
當時、教育現場ではまづひらがなを教へ、次いでカタカナを教へる方針が採られてゐた。その爲、教科書によつては本來カタカナで表記されるべき「ラジオ・オルガン」等の語がひらがなで表記される事があつた。かう云ふ教育現場から出てきた意見をもとに、中央教育審議会は文部大臣に要請を出したのである。
昭和30年3月16日〜7月12日に開かれた4囘の総会で、国語審議会は、ひらがなを先に教へる原則を認めつつ、カタカナ表記が一般に認められてゐる語についてはカタカナで學習させるのが妥當だと云ふ結論に達し、そのやうに報告した。
ただし、「ラジオ・オルガン」等の一般にカタカナで書かれる語を最初からカタカナで教へるには、事前に、日本語の表記の原則である「正書法」の概念を確立しておく事が必要だとされた。カタカナで書くべき語はカタカナで書く、と云ふ原則は、表音主義では説明出來なかつたからである。
こうして、国語審議会は、「正書法に関する小委員会」を設け、日本語における表記の基準をどこに求めるべきかを審議することとなったのである。
表音主義者主導で、表音主義實現の爲に行はれてきた戰後の國語改革の産物である「現代かなづかい」は、現實には表音主義では説明出來ない玉蟲色のものになつてゐた。そして、表音主義者である国語改革推進派の人間も、「現代かなづかい」が表音主義に基いたものであると云ふ本音を表明したくはなかつた。表音主義の本音をあらはにすれば、國民の反撥は必至だつたからである。何とか本音を匿しつつ、表音主義を事實としてしまふにはどうすれば良いか、と国語改革推進派は考へた。
そこで彼らは、「正書法」と云ふ概念に思ひ到つたのである。日本語の表記にはどの言語にも存在する表記の原則即ち「正書法」が存在する筈である。これは誰も反論出來ない筈だと彼らは考へた。そして、その「正書法」を實現したものが「現代かなづかい」や「当用漢字表」である、と言張れば、誰も「現代かなづかい」や「当用漢字」に反對出來なくなるだらう、と彼らは考へたのである。
現實の表記から正書法を抽出し、それを原則とするのならば、確かに誰も反論は出來ない。しかし、「現代かなづかい」「当用漢字」とも、表音主義の立場に基いて作られた制限である。にもかかはらず、国語改革推進派は、「現代かなづかい」「当用漢字」を既成事實とする「正書法」の概念で、批判をかはさうとした。
すなわち、「現代かなづかい」は、その性格上、旧仮名遣いと対比して考えるべきではなく、それ自身、現代語音に基づく仮名遣いと考えるべきだということである。
「現代かなづかい」が表音主義を目指した「階梯」の一つに過ぎない事は明かである。しかし、「発音に基く」と云ふその「発音」を「語意識に基いた現代語の音韻」と再定義する事で、國語改革を推進してきた表音主義者は「現代かなづかい」を維持する理論を構築出來る、と考へた。
與黨が「戰力」の解釋によつて憲法第9條の規定を無效にしようとしたのと同じ事を、戰後の國語國字改革の當事者もやつたのである。前者の理論が破綻してゐるやうに、後者の理論も破綻してゐる。だが、前者が「自衞隊」と云ふ既成事實を持つやうに、後者も「現代かなづかい」と云ふ既成事實を持つのである。既成事實は強い、と言はざるを得ない。
「現代かなづかい」批判の高まる中、現状維持論の強い国語審議会の意嚮を何とか正當化する爲、この「報告」で提示された概念が「正書法」と云ふものであつた。この「正書法」と云ふ概念によつて「現代かなづかいの原則」を説明しようとする方針は、「現代かなづかい」を防衞する爲に作られた後附けの理論である。
當時の表音主義の重鎭であり、国語審議会会長の土岐善麿が以下の「失言」で本音を明かしてゐる。
かなづかいに語意識という考えを加えてゆけば、現代かなづかいは表音的ではないではないかという形の非難なり批判に答えられる。語意識というものが加われば説明がつくだろう、という工合に私は考えたわけです。そこで正書法ということを言い出した。
「現代かなづかい」が現代語音にもとづいて整理
された假名遣である、と云ふ認識が一般化してゐる状況下において、「現代かなづかい」が表音的な假名遣であり、言はば「發音記號」を志向するものであるから假名遣とは言へないのではないか、と云ふ批判がかなりの勢力を持つやうになつた。
もちろん、現代語音に基く、と云ふ大原則を無かつた事には出來ない。そこで国語審議会は、「現代語音」と云ふ語の解釋によつて、批判をかはさうと考へた。そして、事實としての「現代語音」ではなく、語意識としての「現代語音」こそが「現代かなづかい」の基礎であり、即ち「現代かなづかい」は語意識に基いたれつきとした假名遣である、と云ふ説明を、国語審議会はしようとしたのである。
都合の良い事に、表音主義の重鎭・金田一京助は、「音韻論」の權威として認められてをり、この「音韻」と云ふ觀念を「語意識としての現代語音」に結び附けて論じ、「現代かなづかい」を擁護する人材としてうつてつけであつた。
もつとも、金田一による辻褄合はせが、うまくいつてゐなかつたのは事實である。国語審議会の主張は、金田一の主張にそつたものであるから當然破綻してゐるのである。にもかかはらず、この「正書法」と云ふ國語改革の「理念」は、現在に至るまで疑ふべからざる「定説」とされてをり、批判にさらされてゐない。
小泉信三が「日本語」(昭和28年2月「文藝春秋」)を發表したのに對して、金田一は「現代仮名遣論」──小泉信三先生にたてまつる──を發表 「中央公論」。今回の新仮名遣案には、どこにも「表音式仮名遣」にするとは言っていません。
目標としていますのは「現代かなづかい」の創始であって「歴史的仮名遣を改訂する」のでも、「表音式仮名遣にする」のでもありません。
と金田一は述べてゐる。しかし金田一は発音が歴史的に区別が無くなって来たら、それに応じて区別なしに書くべきだ。これがすなわち現代仮名遣の出発点であります。
とも述べてゐる。
この小泉・金田一論爭を受けて、福田恆存と金田一との間で「論爭」が行はれてゐる(昭和30年から昭和31年)。金田一は「福田恆存氏の『國語改良論に再考をうながす』について」(「知性」昭和30年12月號)で、今回新かなづかい案には、どこにも「表音式かなづかいにする」と言つていません
と言つただけだと辯明してゐる。
「現代かなづかい」が表音主義に基き、假名遣の表音化を目標としてゐる事は、「状況證據」から明かなのだが、表音主義者や国語改革推進派は、自分たちが「自供」してゐないから國語を表音化しようとした事實はないと言ひたいらしい。