昭和21年3月5日、G.H.Q.の招きでアメリカ教育使節團が來日した。使節團は、一箇月も經たない3月30日に報告書を提出した。
この報告書は、日本の教育全般について、問題點を指摘し、改善を勸告したものである。
「報告書」の第二章は「國語改革」と題され、そこには國字のローマ字化を示唆する記述が盛込まれてゐる。
日本の國字は學習の恐るべき障碍になつてゐる。廣く日本語を書くに用ひる漢字の暗記が、生徒に過重の負擔をかけてゐることは、ほとんどすべての有識者の意見の一致するところである。
使節團の判斷では、假名よりもローマ字に長所が多い。更に、それは民主的公民としての資格と國際的理解の助長に適するであらう。
極めて短期間の調査の「結果」としての「報告書」であるが、「調査期間」は極めて短い。實際に使節團が十分な調査をなし得たか何うかは疑問である。
では、なぜ、使節團はこのやうな「結論」を出し得たのか。それは、日本側からの強い働きかけがあつたからである。日本のローマ字主義者が使節團に強く働きかけ、「報告書」に「國字ローマ字化」の勸告を盛込ませた。
羽仁五郎が「週刊朝日」(昭和二十一年五月十九日號)の「國語、國字の革新座談會(上)」)で以下のやうに述べてゐる。
われわれが教育使節団に会つた時は、ローマ字問題を採上げないといふことに大体決定しさうになつてゐたんです。なぜかといふと、文部省及び文部省側で選定した委員といふものは、ローマ字は日本文化を破壊する、といふ意見である。われわれは日本に対して原子爆弾その他軍事上大分破壊をやつて来たんだから文化まで破壊したくない。さういふ気もちからローマ字問題は採上げないことに全体としてほぼ一致したといふ返事なんだ。僕は、それはとんでもないまちがひだ。委員のいふ文化といふものは、貴族的な文化を指すに相違ない。しかし、いま日本が民主主義化するには、その貴族的な文化を破壊することこそ必要なのであつて、もし、その文化といふものが人民の文化を意味するならば、ローマ字こそ人民の文化を建設するものなんだ、だから、使節団はさういふ反民主的な見解にわづらはされないで、ぜひ今いつぺんローマ字問題を採り上げてくれることを望む。ローマ字問題はもう議論の時代ぢやない、それを実行するやうに聯合軍司令部に向つて進言せられんことを希望するといふことを、われわれが全日本教員組合の名でもつて、強く主張したわけなんです。
大久保正太郎に據れば、ローマ字運動家が「ローマ字運動本部」の指令に基いて民間情報部や教育使節團にかっぱつに、はたらきかけ
たのだと云ふ。
「米國教育使節團報告書」第2章「國語の改革」には以下のやうな一節がある。
- ある形のローマ字を是非とも一般に採用すること。
- 選ぶべき特殊の形のローマ字は、日本の學者、教育權威者、及び政治家より成る委員會がこれを決定すること。
- その委員會は過渡期中、國語改良計劃案を調整する責任を持つこと。
- その委員會は新聞、定期刊行物、書籍その他の文書を通して、學校や社會生活や國民生活にローマ字を採り入れる計畫と案を立てること。
- その委員會はまた、一層民主主義的な形の口語を完成する方途を講ずること。
- 國字が兒童の學習時間を缺乏させる不斷の原因であることを考へて、委員會を速かに組織すべきこと。餘り遲くならぬ中に、完全な報告と廣範圍の計劃が發表されることを望む。
いかなる文章にも必ず執筆者の本音が出る。この「報告書」にも次のやうな文章がある。
今は國語改良のこの重要處置を講ずる好機である。恐らくこれ程好都合な機會は、今後幾世代の間またとないであらう。
ローマ字論者らにとつては、まさしく好機
であつた。
使節團は一往調査を行つてをり、日本人の識字率が高い事に驚愕してゐた。漢字を一字も書けないと云ふ事を「文盲」だと云ふ事にしても、日本人の文盲率は2%足らずであつた。特に既存の國語教育に對して、使節團側は干渉したくなかつたと云ふ。にもかかはらず、日本人のローマ字主義者は強力に「ローマ字化」を報告書に盛込むやう強く要求した。
表音主義者は「いついかなる場合にも例外なしに誤の無い文章を書けなければ國語の能力として認められない」と斷定し、「日本語は難しい」と主張して來た。もちろん、世界的に見て、全ての國民が誤なく表記出來る國語と云ふものは存在しない。だから、彼等の主張は「ためにする議論」でしかなかつた。しかも、彼らは少數派であつた。
「國字の改革」は、全く根據の無い、ドグマとして存在したものに過ぎなかつた。そして、そのドグマを信じてゐたのは、極めて少數の人間に過ぎなかつた。ところが、その少數の意見が、占領軍を通して國語政策を左右しようとしたのである。これが「民主化」の大義名分の下に行はれたのだからあきれるほかない。
しかし、論理的な主張が通らない日本國にあつて、「現實主義」的なローマ字主義者が目的を遂行する爲に手段を選ばなかつたのは当然であつた。彼等は敗戰と云ふ「絶好のチャンス」を捉へ、占領軍をすら利用して、「民主化」と言ひつゝ、日本の文化破壞を實現しようと企んだのであつた。
第一次使節團に續き、第二次使節團も「つづりかたを統一すること」等と勸告し、ローマ字主義者には大變な「福音」となつた。
現在は講談社学術文庫で讀める。
過去にも幾つか飜譯が出てゐる。
この「報告書」は、丁度總選擧の時期と重なり、新聞等で大きく扱はれず、話題にもならなかつたらしい。雜誌「世界評論」は、「國語改革について」と題して本「報告書」の第二章を譯載した。そこには以下の「はしがき」が附された。(日附は原文のまゝ)
ジョージ・D・ストゥダード博士を團長とするアメリカ教育使節團の報告が發表されたのは四月七日のことだが、あたかも國を擧げての總選擧騒ぎの眞只中であつたため、新聞紙の上などでも、それが當然與へられなければならない待遇を與へられなかつた。總選擧の重要性もさることながら、長い眼で見ると、教育使節團の報告の方がより重要でないとはいへない。就中日本人として何人も重大な關心をもたざるをえない點は、この報告書が國語問題に觸れてゐる事實である。教育制度の改革案が根本において將來の日本を目指してゐることはいふまでもないが、その中でも國語改革の問題は、將來の日本に廣くかつ深い影響を與へる問題として、特別の檢討をなさるべきである。一部の當局者や教育專門家の間だけで論議されるにしては餘りに問題が大きい。
使節團の報告書は本文は百頁餘りのもので、次の六章に分れてゐる。
- 日本における教育の目的と内容
- 國語改革
- 初等並に中等學校における教育行政
- 教授法並に教員の教育
- 成年教育
- 高等教育
この場合「國語改革」の章が二番目におかれてゐることを注意すべきだが、その意味はここに譯された第二章を通讀すればすぐ諒解されると思ふ。(譯者)