2004年6月11日に法務省は人名用漢字の範囲の見直し(拡大)に関する意見募集を開始した(平成16年7月9日締切)。
この見直しで法務省は、「常用漢字表」には存在しないものの現實には使用頻度が高いと考へられる578文字を、機械的にピックアップした。
- 1 追加される漢字(578字)【PDF】
- 2 1の選定基準(注)
- ア 現在人名用漢字に含まれていないJIS第1水準の漢字計771字から,基本的に,漢字出現頻度数調査(平成12年文化庁作成)に現れた出版物上の出現頻度数に基づき,上位521字を「常用平易」と認め,選定した。
- イ 現在人名用漢字に含まれていないJIS第2水準以下の漢字から,上記出現頻度数,追加の要望の有無・程度などを総合的に考慮し,57字を「常用平易」と認め,選定した。
(注) 当該漢字が専ら「常用平易」と認められるか否かの観点から選定を行った。漢字の意味(人名にふさわしいか否か)については一切考慮しなかった。
「人名に用いる漢字としては不適切なものが含まれている」として、幾つかの文字を削除するやう、多數の要望が出された。(729件)
漢字制限そのものに對する見直しの要求は、皆無ではなかつたが、少數意見であつた。(51件)
詳細は、法務省が結果を公開してゐるので、そちらを參照していただきたい。
法務省は、2004年9月27日、「戸籍法施行規則等の一部を改正する省令」(平成16年法務省令第66號)を制定、即日施行した。
基本的に、見直し案に擧げられた文字が人名用漢字表に追加された。但し、一般からの批判が受容れられ、「糞」「屍」「呪」「癌」「姦」「淫」「怨」「痔」「妾」等は追加されなかつた。
また、意見募集の開始から改正實施の間に、見直し案にあつた文字の中で3文字(「毘」「瀧」「駕」)が、家庭裁判所で人名への使用を認められ、7月12日に使用可能とされてゐる。
結果として、今囘の改正の省令で新たに人名に使へるやうになつたのは488文字である。常用漢字と併せて2928文字が「人名に使つて良い」とされる文字の總數となる。
人名用漢字の問題は、選擇された個々の文字の問題にはないと考へる。寧ろ、さう云ふ議論によつて、「使つて良い漢字を選擇する事」を、既成事實として認めてしまふ事の方が問題である。「良い漢字」「惡い漢字」を選別する事は、そもそも許されるのだらうか。
現行の戸籍に關する一聯の法律は、「常用平易」と云ふ價値觀を全ての國民に強要してゐると言へる。これは、言論・思想の自由を保證してゐる筈の現行憲法に照らして「違憲」なのではないかと考へる。
「人名用漢字」として認められてゐない漢字を使用したいとして裁判を起した際には、常に「その文字は常用平易であるか」が問はれる。
讀賣新聞2004年6月27日附朝刊社會面に據ると、「掬水」と云ふ名前が戸籍として認められず、親が裁判を起したと云ふ。その際、「掬」の字が「常用平易」である事の證明を求められたと云ふ。「被害者」である親は「そのやうな證明は素人には難しい」と述べた。
しかし、「常用平易」と云ふ國家に據る價値觀の押附け自體が、審判を受けるべきだと思はれる。
にもかかはらず、現實には司法においてもこの種の思想統制が積極的に認められてゐると言つて良い。
この人名用漢字については,平成2年3月,118字を追加する改正が行われて以来,相当の期間が経過しているところ,その間に,人名用漢字の拡大についての要望が多数寄せられ,また,平成15年12月には,最高裁判所が,人名用漢字以外の漢字であっても社会通念上明らかに「常用平易」なものであれば,これを用いることを認める新判断を示しました。
恐らく、裁判の際、爭點として「常用平易」が採上げられず、疑問の餘地なく受容れられたまま議論が進められ、最高裁判所も審判を下さなかつた爲、そのやうな事になつたのだらうと思はれる。しかし、「常用平易」なる價値觀を國民に押附ける漢字制限の是非は、爭點として議論されて良い。
なほ、改正で「掬」の字が追加されたが、上の裁判に關する新聞報道が影響したものと考へられる。
今囘の「見直し」は、法務省が「常用漢字表」の不備を衝いたものと見る事も出來る。一方、「常用漢字表」を「目安」とし、漢字制限の緩和を行つた文部省(當時)に對して、飽くまで漢字制限を貫く方針をとる、と法務省が態度を表明したものである、と看做す事も出來る。
國民生活において重要な位置を占める漢字の管轄が、文部科學省、法務省と分れてゐる。また、さらにそれとは別に、日本工業規格(JIS)が、現實に用ゐられる規格を獨自に定めてゐる。PC及びインターネットで用ゐられる文字セットは、JISによつて定められてゐる。そして、JISの改定は、文部科學省や法務省とは違つた獨自の方針によつてゐる。(さらに、改定の時期に據り、また改定の擔當者に據り、方針が異る事もある)
今囘の「見直し」では、JISの文字セットと、漢字制限の下での漢字出現頻度數の調査と云ふ、二つの根據が示された。しかし、兩者とも、實際に用ゐるべき漢字を適正に定めてゐたものか何うかは議論の餘地がある。そもそも、漢字制限下における漢字の使用状況の調差が、意味のある事であると言ふのも、疑問である。實際の調査における「上位521位」と云ふ數値も、果して信頼出來るものか何うか、疑ひ出せば切りがない。
かうした樣々な疑問があるにもかかはらず、またそもそも漢字制限の是非についての疑問がある現状で、法務省が短期間の意見聽取のみに基いて「人名用漢字」の改定を行つた事には問題があると言ふしかない。「使用出來る漢字が増えた」と云ふ表面的な現象を見て、良し惡しを判斷して良いものではないと考へる。
法令に據つて行はれる漢字制限を大前提とした個別の文字に關する技術的な議論は、漢字制限を容認するものであり、字體の問題について個別に論ずる事は避けるべきだと考へる。しかし、この新しい人名用漢字の規定で採用された「全體としての方針」について述べる。
國語政策において、国語審議会は常用漢字表と從來の人名用漢字で基本的に「一つの字種に一つの字體を割當てる」方針をとり、一字種に對して複數の字體の使用を認めない方針をとつて來た。
ところが法務省の今囘の人名用漢字の「見直し」では、例へば、「弥」「彌」の兩方の字體を認める、と云ふ事になつた。そして、並列で字體を示した文字に關しては、どちらの字體が標準の字體かを定めてゐない。
これに對して、既存の國語政策の方針と違ふ、と云ふ事で、反撥が生じてゐる。特に辭書の出版社が、記述に困つて、法務省を非難してゐる。また、常用漢字表と既存の人名漢字に據る「漢字の秩序」を維持したい、とする考へから、やはり法務省の今囘のやり方を非難する向きもある。
法務省と從來の文部省との間に見られる方針の違ひは、前節で述べたやうに、「セクショナリズム」と云ふ説明が可能であらう。しかし、省廳間で方針の一致が見られない國語問題に關して、飽くまで「法令に據る漢字の統制」を必要と主張する出版社や識者の態度も、個人的には感心しない。
結局のところ、國語政策そのものが最初からをかしなものだつた、と考へるより他はない。そして、既存の國語政策を「既成事實」として認める考へ方では、現實社會はさらに混亂する、と云ふ風に考へるしかない。
漢字のみならず、日本語の表記に關しては、ことさら統一を求めるべきではない、と考へられる。「複數の書字・表記の方法があるのは日本語の性質である」として、そのまゝ認めるべきだらう。無理に方式を統一せず、ありのまゝの日本語を認め、そこから「より良い表記のあり方」を考へるべきである。