「人名用漢字別表」の告示以後も、漢字制限の範圍を超える屆出は跡を斷たなかつた。戸籍事務擔當者の集りである全國聯合戸籍事務協議會の総会は、昭和46年から3年連續で、人名用漢字の追加を要望する決議を行つた。
法務大臣が民事行政審議會に戸籍制度に關して當面改善を必要とする事項について諮問した(昭和49年3月13日)際の答申(昭和50年2月28日)にも、この人名で使へる漢字の制限緩和が含まれてゐた。
そこで法務大臣は、全國の約3400の戸籍事務窓口に寄せられた要望漢字を集め、その中から追加すべき漢字を撰定する事とした。その結果、78字が選び出されたが、国語審議会委員や學識經驗者を集めて構成した人名用漢字問題懇談會の檢討を經て、28字が撰定された。
ただ、ここまでは法務省主導で事がすすめられてをり、国語審議会は關はつてゐなかつた。国語審議会は既にこの時點で、制限的性格を持たない新たな漢字表「常用漢字表」の策定作業に入ってをり、その漢字表が纏められた時點で從來の「人名漢字」に關しても再檢討が必要になる筈であつた。だが、それまでは法務省の撰定した漢字を暫定的に採用する事は認められるのではないか、と云ふ結論が、国語審議会総会(昭和51年7月2日)で出された。
そして、内閣告示として「人名用漢字追加表」が出されたのだが、幾つかの漢字が「当用漢字字体表」に準じた字體に改められてゐなかつた。この件に關しては、法務省民事局第二課長の依命通知(昭和51年8月2日)で、告示された字體以外に使用出來る字體が具體的に示された。
また、同時に戸籍法施行規則第60條が全文改正されてをり、「人名用漢字追加表」に掲げる漢字が常用平易な文字
に追加され、出生屆に記載出來るやうになつた。