昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受諾し、聯合軍に降伏した。
一億總懺悔發言。
婦女子は外國軍人に隙を見せないやう、と報じる。
敗戰は國民にショックを與へた。國民は「茫然自失の虚脱状態」に陷つてゐた。
さう云ふ状況の日本に、アメリカ軍が進駐を開始した。
日本政府は「東京には進駐しないで欲しい」と要望した。それをマッカーサーは無視し、9月8日、日比谷の第一生命ビルにG.H.Qを設置した。
以後、日本が獨立を囘復するまで、アメリカは、過去の傳統と現在の日本人を切離す政策を實施した。目的は言ふまでもなく「日本を弱體化する爲」である。國語政策も當然、その目的を實現する爲に、占領政策の一環として考へられてゐた。
アメリカの日本占領は極めてスムーズに行はれた。戰中「鬼畜米英」を叫び、絶望的な状況であつても果敢に突撃して來た日本人が、進んで占領政策に協力した事に、アメリカ人は驚愕してゐる。
もちろん、國語政策においても、アメリカの政策に進んで協力した勢力があつた。表音主義者である。彼らは、「日本の近代化を實現する爲」と云ふお題目の下、「昨日までの敵」の力を利用する事も厭はなかつた。
敗戰から僅かの間に、戰後の新しい教育體制が作られた。
「当用漢字表」「現代かなづかい」の内閣訓令が告示されたのは、昭和21年11月16日であつた。
どう見ても、教育改革は民主的な議論に基いてなされたものではない。國語の改革も、同樣である。